2007年04月29日
ゲーム理論,コミットメント,合理的経済人,感情
池田信夫 blog なぜ人は感情をもっているのか
非常に面白い。ただ僕には少し難解なので精読をやってみたいと思います。全文引用ってまずいのかな。まずそうだ。問題あったら教えてください。
>安倍首相が、日米首脳会談で慰安婦問題について「謝罪の意」を表明した。ブッシュ大統領はこれを受け入れ、問題はいったん収まったようにみえる。政治的な判断としては、首脳会談で「狭義の強制はなかった」などと主張したら大混乱になることは目に見えているので、これはそれなりに合理的な判断だろう。しかし当ブログへのコメントでは、「無節操だ」「筋が通らない」といった批判が圧倒的だ。
ここはいいですね。
>このように合理性と一貫性が一致しないケースは多い。たとえば人質事件では、身代金を払って人質を解放させることが、事後的に合理的(パレート効率的)だが、そういう行動は社会的に許されない。殺人事件の被害者の遺族が、容疑者に軽い刑の判決が出たとき、「死刑にしてほしかった」とコメントすることがよくあるが、彼らもいうように死刑にしても被害者は返ってこない。それなのに人々が不合理な因果応報を望むのはなぜだろうか。
うーん,ちょっと違和感。前者はつまり合理的な判断が社会的に否定されてしまう例なのかな。身代金を払って被害者が帰ってくることは「社会的に許されない」ことなんだろうか。テロとかだと話は別なんだろうけど。
後者も微妙。犯人を死刑にしようがしまいが被害者は戻ってこない。ここでの合理性は「遺族の感情」と相関的であるべきだと思う。その意味で,犯人が死刑になれば遺族の気が晴れるというなら合理的と言えなくもない。まあこれはこれで議論の種があるけども。
とりあえずこの段落で言おうとしていることは,「人々はしばしば不合理的な判断を支持する(≒人々はしばしば合理的な判断を否定する)」ということなんだろうし,それは伝わる。
>これはゲーム理論で、コミットメントの問題としてよく知られている。一般に刑罰は、処罰する側にとっても受ける側にとってもコストがかかるので、事後的には許すことが合理的だ。しかし処罰する側が合理的に行動することが事前に予見されると犯罪が横行するので、たとえ不合理でも処罰しなければならない。つまり秩序を維持するためには、不合理な行動へのコミットメントが必要なのだ。
「ゲーム理論」今すげー興味あります。こういう形で説明してもらえることは大変ありがたい。ネット万歳。
そしてこの考え方は非常に面白い。「コミットメント」ってのはここでは「委任」のニュアンス。刑罰ってのは不合理的な行動なのか。「抑止」とか「被害者感情」とかの変数を考慮して合理的と見ることもできなくもなさそうだけど複雑にすればいいってもんでもないので,まあ納得できる文脈。
>このようなコミットメントを作り出すメカニズムとしていろいろな方法が知られているが、代表的なのは法律だ。どのような情状があろうと、犯罪者は同じ法律によって一律に処罰され、個別に交渉して(たとえば金をとって)釈放することはありえない。そういうことは「正義にもとる」として許されないからだ。したがって究極の問題は、人々はなぜ正義を求め、筋を通す感情をもつのかということだ。
上と同じ文脈かな?ここは流しましょう。
>これについても、進化論な説明が可能である。進化が単純な個体レベルの生存競争だとすれば、論理的に思考して自己の利益を最大化する経済人(homo oeconomicus)が勝ち残るはずであり、人々が合理的な判断の邪魔になる感情をもっていることは説明がつかない。しかし、そういう感情をもたない経済人が歴史上いたとしても、とっくに淘汰されているだろう。
「経済人」の文脈はよく分からないけどまあそうなんだろう。homo oeconomicusってのは「合理的経済人」って訳もあるようで,つまり自己の利益を何よりも優先する人。この文脈においては人々の感情と合理的判断は相容れないものってことになってるみたい。理論的な議論なんでしょうな。
>合理的な人は、他人に攻撃されても「腹を立てる」という感情をもたないから、報復はしない。そんなことをしても、また相手の報復をまねいて互いに傷つくだけだからだ。しかし彼が合理的であることがわかっていると、他人は一方的に彼をだまし、攻撃するだろう。そういう「不道徳な」行動が横行すると集団も維持できなくなるので、因果応報を好む感情が進化したと考えられる。
これは面白い。ただ,「報復をしないことによって自己の不利益を招く」という流れがあるわけだけどそれは考慮しないのかなあ?
>行動経済学が明らかにしたように、人々は感情的に行動するが、これは非論理的に行動するということではない。それがどこまで遺伝的なもので、どこから文化的な「ミーム」によるものかについては、いろいろな実証研究が行なわれているが、感情はフランクのいうように、集団を維持するための「適応プログラム」の一種なのである。
あら,終わっちゃった。ちょっと不完全燃焼。ただなんとなく経済学が感情という変数を統制して話をしてきたってことは感じた。だからあそこまで頑健(なように見える)理論が構築できたのかも。心理学はそこらへんの複雑さ,曖昧さに今泣いてるところなんで。
非常に面白い。ただ僕には少し難解なので精読をやってみたいと思います。全文引用ってまずいのかな。まずそうだ。問題あったら教えてください。
>安倍首相が、日米首脳会談で慰安婦問題について「謝罪の意」を表明した。ブッシュ大統領はこれを受け入れ、問題はいったん収まったようにみえる。政治的な判断としては、首脳会談で「狭義の強制はなかった」などと主張したら大混乱になることは目に見えているので、これはそれなりに合理的な判断だろう。しかし当ブログへのコメントでは、「無節操だ」「筋が通らない」といった批判が圧倒的だ。
ここはいいですね。
>このように合理性と一貫性が一致しないケースは多い。たとえば人質事件では、身代金を払って人質を解放させることが、事後的に合理的(パレート効率的)だが、そういう行動は社会的に許されない。殺人事件の被害者の遺族が、容疑者に軽い刑の判決が出たとき、「死刑にしてほしかった」とコメントすることがよくあるが、彼らもいうように死刑にしても被害者は返ってこない。それなのに人々が不合理な因果応報を望むのはなぜだろうか。
うーん,ちょっと違和感。前者はつまり合理的な判断が社会的に否定されてしまう例なのかな。身代金を払って被害者が帰ってくることは「社会的に許されない」ことなんだろうか。テロとかだと話は別なんだろうけど。
後者も微妙。犯人を死刑にしようがしまいが被害者は戻ってこない。ここでの合理性は「遺族の感情」と相関的であるべきだと思う。その意味で,犯人が死刑になれば遺族の気が晴れるというなら合理的と言えなくもない。まあこれはこれで議論の種があるけども。
とりあえずこの段落で言おうとしていることは,「人々はしばしば不合理的な判断を支持する(≒人々はしばしば合理的な判断を否定する)」ということなんだろうし,それは伝わる。
>これはゲーム理論で、コミットメントの問題としてよく知られている。一般に刑罰は、処罰する側にとっても受ける側にとってもコストがかかるので、事後的には許すことが合理的だ。しかし処罰する側が合理的に行動することが事前に予見されると犯罪が横行するので、たとえ不合理でも処罰しなければならない。つまり秩序を維持するためには、不合理な行動へのコミットメントが必要なのだ。
「ゲーム理論」今すげー興味あります。こういう形で説明してもらえることは大変ありがたい。ネット万歳。
そしてこの考え方は非常に面白い。「コミットメント」ってのはここでは「委任」のニュアンス。刑罰ってのは不合理的な行動なのか。「抑止」とか「被害者感情」とかの変数を考慮して合理的と見ることもできなくもなさそうだけど複雑にすればいいってもんでもないので,まあ納得できる文脈。
>このようなコミットメントを作り出すメカニズムとしていろいろな方法が知られているが、代表的なのは法律だ。どのような情状があろうと、犯罪者は同じ法律によって一律に処罰され、個別に交渉して(たとえば金をとって)釈放することはありえない。そういうことは「正義にもとる」として許されないからだ。したがって究極の問題は、人々はなぜ正義を求め、筋を通す感情をもつのかということだ。
上と同じ文脈かな?ここは流しましょう。
>これについても、進化論な説明が可能である。進化が単純な個体レベルの生存競争だとすれば、論理的に思考して自己の利益を最大化する経済人(homo oeconomicus)が勝ち残るはずであり、人々が合理的な判断の邪魔になる感情をもっていることは説明がつかない。しかし、そういう感情をもたない経済人が歴史上いたとしても、とっくに淘汰されているだろう。
「経済人」の文脈はよく分からないけどまあそうなんだろう。homo oeconomicusってのは「合理的経済人」って訳もあるようで,つまり自己の利益を何よりも優先する人。この文脈においては人々の感情と合理的判断は相容れないものってことになってるみたい。理論的な議論なんでしょうな。
>合理的な人は、他人に攻撃されても「腹を立てる」という感情をもたないから、報復はしない。そんなことをしても、また相手の報復をまねいて互いに傷つくだけだからだ。しかし彼が合理的であることがわかっていると、他人は一方的に彼をだまし、攻撃するだろう。そういう「不道徳な」行動が横行すると集団も維持できなくなるので、因果応報を好む感情が進化したと考えられる。
これは面白い。ただ,「報復をしないことによって自己の不利益を招く」という流れがあるわけだけどそれは考慮しないのかなあ?
>行動経済学が明らかにしたように、人々は感情的に行動するが、これは非論理的に行動するということではない。それがどこまで遺伝的なもので、どこから文化的な「ミーム」によるものかについては、いろいろな実証研究が行なわれているが、感情はフランクのいうように、集団を維持するための「適応プログラム」の一種なのである。
あら,終わっちゃった。ちょっと不完全燃焼。ただなんとなく経済学が感情という変数を統制して話をしてきたってことは感じた。だからあそこまで頑健(なように見える)理論が構築できたのかも。心理学はそこらへんの複雑さ,曖昧さに今泣いてるところなんで。
koheko at 15:18│Comments(0)│TrackBack(0)│