2017年03月27日

蓄音器鑑賞会&建物紹介4月

2017年3月27日

「小平新文化住宅」応接間にての蓄音器鑑賞会&建物紹介の4月日程が決定致しました。皆様の 御越しを御待ち致しております。

(曲目の一部です)
絃樂合奏小夜曲(モツアルト)第一樂章 
ウィルヘルム ・フルトヴェングラー指揮、ベルリンフィルハーモニー

のんきなパパさん
バートン・クレーン

ダイナ-
ディック・ミネ

小さな喫茶店
中野忠晴

上海帰りのリル
津村謙

様々な時代の音を揃えております。

音楽史研究家 郡修彦 
4月チラシ



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2017年03月20日

蓄音器鑑賞会&建物紹介


2017年3月20日

昨年完成した新居「小平新文化住宅」の応接間にて開催の催事を御案内致します。
皆様のお越しをお待ちしております。

音楽史研究家 郡修彦

小平新文化住宅

小平新文化住宅2

催事チラシ




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2016年12月31日

2016年の報告

2016年12月31日

本年は多忙且つ激動の一年で、更新もままなりませんでしたので本日まとめて御報告致します。 

2月8日 淺井カヨ(日本モダンガール協會代表)と結婚。 
2月9日 泰国チェンマイへ旅行(前年秋からの計画でしたが、事実上の新婚旅行に)
3月下旬 新居新築の為に仮住まいへの移転開始。
4月2日 旧居解体開始。
4月6日 仮住まいにて同居開始。
4月12日 新居地鎮祭。
9月下旬 新居完成し移転開始。
10月5日 新居にての新生活開始、「小平新文化住宅」と命名す。 
10月11日 仮住まいからの完全撤収。

現在も新居にて夫婦揃って荷物整理に追われており、新年からは本格的な活動を目指しております。

音楽史研究家 郡修彦 

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2016年12月17日

フルトヴェングラー鑑賞会

2016年12月17日

2007年11月から武蔵小山駅前の「ライブカフェ アゲイン」にて毎月一回SP盤時代の音楽(流行歌中心)鑑賞会を担当しており、4年前からは偶数月にSP盤時代のクラシック音楽を 鑑賞する会を併せて担当しております。
本年は20世紀を代表する指揮者のウイルヘルム・フルトヴェングラーのSP盤時代の作品を、復刻盤を極力使用せずに直接SP盤から録音した音源を中心に開催しています。
次回12月20日火曜日はドイツ・グラモフォン時代最後の録音のモーツァルト「アイネクライネナハトムジーク」とヨハンシュトラウスの「蝙蝠」序曲に、新会社に移籍してから最初のベートーヴェン交響曲第5番を夫々美麗SP盤から御送り致します。19時開場の19時半開始で、参加費1500円(飲物1点付き)ですので 、是非御越し下さい。何れの曲も従来の如何なるCDよりも迫力のある瑞々しい音質です。

音楽史研究家 郡修彦 

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2016年01月23日

食事前の合掌と神社での合掌

2016年1月23日

昨今のTVや映画の風潮で違和感を覚える動作に「食事前の合掌」と「神社での合掌」があります。
食事前に「頂きます」を唱えるのは一般的な動作ですが、昨今は合掌する人が非常に多いのです。以前に実家にて合掌の話をしますと両親共に知らず、母の話では宗派によるものとの事でした。調べますに浄土真宗では基本動作の様で、それが全国的に普及した可能性があります。映画を見ますと戦前・戦中・戦後の一時期までは食事場面での合掌は全く見られませんが、昨今では合掌しない方が希少です。ネットでも賛否両論で、合掌に違和感を覚える方々が多いのには意を強くしました。これは、育ちですので各自の流儀ですが、私は合掌をせず手を膝に置き軽く一礼して食事を致します。
神社での参拝は二礼二拍手一礼 が基本動作として永く日本人の常識として伝えられてきましたが、昨今ではニ礼の後に合掌する田舎者が後を絶ちません。特にTVや映画の殆どが合掌で、希に二拍手の正しい動作を見ますと感動する程です。これも戦前・戦中・戦後の一時期までは合掌する人は皆無でした。靖国神社に参拝して「拝むはずみの御念仏、…倅許せよ田舎者」との歌がありますが、今や田舎者が日本を席巻した感があります。神への参拝は心が大切と、昨今の風潮に神社関係の方から伺いましたが、矢張り日本人として正しい礼節は弁えたいものです。

音楽史研究家 郡修彦 

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2016年01月12日

サッポロ一番

2015年1月12日

本日の朝刊にサンヨー食品株式会社の「サッポロ一番」50年記念の全面広告が有りました。現在ではインスタント麺は全く食べない小生も、子供時代には入手可能な商品は殆ど食べました。「サッポロ一番」も頻繁に食べましたが、最初は醤油味のみで、途中から登場したみそ味は独特の臭みが有り子供には無理な味でした。忘れられないのが「えぞ味」、本記作成に当たりネット情報を見ましたが有益な情報は有りませんでした。東京では1972年の後半に登場し、小生の記憶では6月には店頭には出ておらず、初めて食したのは9月か10月です。余りの美味に魅了され、小生の要望に閉口した母が一箱購入して、連日お八つに食し、一箱を殆ど小生が食べ尽くしました。連日のインスタント食品は宜しからざると一箱が無くなりますと継続購入はしませんでしたが、その後も折に触れては食しました。袋には木彫りの熊の絵が描かれており、袋の色は臙脂系の縁取りが有りました。あの独特の風味は44年を経た今でもありありと甦る程で、現在でも忘れ得ない方々が居るのは至極当然でしょう。寸分違わぬ復刻版が可能なら一度は食したい品です。

音楽史研究家 郡修彦 

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2016年01月09日

音楽鑑賞会御案内、武蔵小山「ライブカフェ アゲイン」にて

2016年1月9日

毎月第一日曜日に武蔵小山の「ライブカフェ アゲイン」にてSPレコード時代の流行歌を鑑賞する催事を行っております。2007年以来、明日10日にて128回目、今回は二村定一の特集です。従来の金属原盤の音にピッチ調整と音質調整を施した素晴らしい音質にてお届け致します。未復刻の「舞鶴行進曲」や「洒落男」の極上音源は初めて耳に出来る世界ですので、是非とも御参加をお待ち申し上げております。
13時開場、13時半開演(15時前後終了予定)。参加費 1500円(飲物1種を含む)

音楽史研究家 郡修彦 

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2015年12月08日

アジア・太平洋戦争?正しくは大東亜戦争

2015年12月8日

本日は昭和16年に大日本帝国が米英に対して宣戦を布告した日である事は 日本国民なら周知の事実ですが、この呼称が昨今大きく乱れております。当時の政府決定の名称は「大東亜戦争」、敗戦後の占領下に「太平洋戦争」との改称を余儀なくされて独立後も継続使用されました。ところが昨今曲学阿世の左翼学者により「アジア・太平洋戦争」なる珍妙な名称が新規考案され、蚕食を進めております。本日の「朝日新聞」に堂々と使用されているのには驚き且つ呆れ怒りを覚えました。政府決定でも長く使用された通称でも無い、昨今一部の人間が勝手に使用を始めた呼称を天下の大新聞が使用するのは明らかに情報操作です。「真実の報道」等は真っ赤な嘘であり本音が露見したと言えましょう。「嘘も繰り返せば真実」の如く新名称を刷り込むべく大新聞の力を利用した暴挙であり、歴史の捏造に他なりません。
真実の前には謙虚である事が何よりも重要です。政府決定の呼称を使用する事が正しい姿勢であり、例えば「松平竹千代が東京に新政府を樹立して総裁に就任した」とは言わないのと同じ事です。曲学阿世の左翼学者は勝手な呼称を新造して使用拡散する事に何らの疑問を抱かぬ次点にて失格であり、先の大戦を「大東亜戦争」言えば保守系、「太平洋戦争」と言えば中道、「アジア・太平洋戦争」と言えば左翼系と見事に色分けされているのが何とも皮肉です。
真田幸村も本人や同時代の人は全く使用していない名称で、江戸時代に突如出現して入れ替わった呼称であり「幸村は 俺の事かと 信繁言い」の世界です。歴史の捏造は世の常ではありますが、終結から僅か70年で政府決定の正式名称が等閑視され、曲学阿世の左翼学者による根拠の無い新造語が大新聞にて使用されるとは誠に由々しき事態と言わざるを得ません。日本人なら「アジア・太平洋戦争」排除に微力ながら邁進しませう。

音楽史研究家 郡修彦 

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2015年11月23日

着物モガ?3

2015年11月23日

相変わらず着物に帽子で「モガ」とか「モダンガール」と自称している女性が後を絶ちませんが、これは21世紀に出現した新しい着物の着方であります。着物に帽子を合わせて靴を履くのは、それ自体は結構な事でありまして、昨今は執拗に推奨する雑誌が刊行されて、大半の女性が参考にしている様子です。
但し、それを 「モガ」とか「モダンガール」とか「大正浪漫」(この言葉も40年前の新造語です)と称する事は自らの浅学菲才を世に広く知らしめる事でありまして、決して御勧めは出来ません。言葉の意味を正しく捉えて使用する事が知的人間の文化的な活動でありまして、事実の前には謙虚である事が文化人であります。
ですので、着物に帽子に靴の21世紀スタイルは「モガ」でも「モダンガール」でも「大正浪漫」でも無い事を知りましょう。

音楽史研究家 郡修彦 

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2015年09月03日

着物モガ?2

昨今、着物姿に帽子がモガとの情報が席巻しておりますが、これは後世の浅学菲才による恐るべき全くの事実改変です。当時の女性の標準的な髪型は長髪で有り、通常は結っておりました(1904年生まれの祖母の証言)。ですので、当然ながら帽子の着用は不可能です。帽子を着用するには必然的に断髪をせざるべからず、すると洋装になる訳で断髪洋装、長髪和装であり着物姿に帽子はあり得ないのです。戦前は服装に関しては「不文律」との概念が現在よりも遙かに厳格にありました。それが崩れたのが1970年代以降です、現在の時代感覚で過去を改変するのは真実への冒涜と言う恐れざる行為です。真実は何時も一つです。
(なお、画像は「モガ、画像」で検索すると必ず現れる絵です、御自身で御確認下さい)

音楽史研究家 郡修彦
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2015年08月31日

玉音放送の原盤4

2015年8月31日

 終戦の詔勅を録音したアセテート原盤を新規に再生した音声が公開されて一か月経ちました。情報収集の結果、宮内庁より再生の御下命を受けた担当者と再生機材も判明しました。
 1日の本記にアセテート原盤の溝と再生用の針が合致していない可能性がある事を試聴段階で指摘致しましたが正しく的中でした。アセテート原盤の再生に使用された機材は最高級品では無く、使用したカートリッジ(再生用の針が付いた振動を電気信号に変換する装置 )は針先が細く、やや太めの溝の中で踊る現象によりノイズが増大したと推定されます。また、アセテート盤の溝の傷に起因するノイズの除去も施されておらず、この修正処理を行うと針が溝を擦る僅かのノイズ以外は無くなるのです。無論、音質に悪影響を与えない様に細心の注意をし、時間を要して処理しますので結果は万全です。
 結論から言えば終戦の詔勅の音質は更に向上の可能性が極めて高く、現状よりも重厚で鮮明で傷ノイズの無い音質が得られる事を指摘致します。
  
音楽史研究家 郡修彦 

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2015年08月29日

映画「日本のいちばん長い日」(2015年)を見て

2015年8月29日

今月公開の大作「日本のいちばん長い日」を観ました。原作は中学生の時に読み、1967年の東宝版は企画上映・TV・VHS・DVDにて繰り返し見ました。
今回の作品は結果から言えば完敗。役者は各自上出来ですが、作品としての構成力が足りません。説明不足が目立ち、近衛師団や東部軍は予備知識が無くては理解が難しいでしょう。それから、殆どがロケ撮影ですが、実際とは全く異なる場所ですので別世界での「日本のいちばん長い日」を見ている感があります。1967年版では可能な限りの再現を心掛けていますが、今回は最初から再現は無視する方針と見ました。日本放送協会のスタジオを占拠する場面も倉庫の様ですし、放送を拒否する職員の服装も真夏の外出着では無く(1967年版では髪型が長髪で違和感がありましたが)、全体的に個人の主観で制作した映画と言えます。
かくなる上はアニメーションかCGアニメの方が忠実に当時を再現出来ると考えました。70年前の事ですから資料は豊富ですし、最新の技術を用いれば容易な事でしょう。どこかアニメ版「日本のいちばん長い日」を制作する会社はありませんか。

音楽史研究家 郡修彦 

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2015年08月21日

東京ステーションホテルの接客

2015年8月21日

久々に東京ステーションホテルの酒場を利用しましたが、3年前の再開直後とは大きく接客が異なり 驚きました。
先ずは東京駅南口のドーム南側のホテル入口を入りますと廊下に給仕が立っており、嫌な予感がしました 。果たせる哉、「どちらに御用事で」と問われました。以前は自由に出入り出来たのですが、宜しからざる冷やかしの客が多い故か、一々門番に誰何されるのは不快です。2階の酒場へと言うとすんなりと通れました。
2階の廊下にも2人の給仕が立っており、こちらも嫌な予感がしつつ酒場の入口の扉に手を掛けるや否や呼び止められ予約の有無を問われました。以前の酒場から数えて30年余り利用しておりますが、予約の有無を問われたのは今回が初めてであり、予約の無い一見の客は困る様な事を言われました。瞬間的に立腹して立ち去らんとしますに、カウンターなら可との如何にも予約無しの一見の客にも寛大な御恵みをとの尊大な態度をされ不快でしたが、折角来たので入りました。ホテルの酒場迄予約制とは一体何と世知辛い世となったのでしょうか。ホテルの酒場とは気分で立ち寄り良い雰囲気で酒を楽しむ大人の社交場です。恐らくは満員で断られた客が予約制を提案し、役人体質の上層部が名案と採用したに決まっております。でしたら、入口やHPに「予約者専用、一見お断り」「会員制予約式」とでも表示してある方が余程に精神衛生上好ましいものです。それにしても、ホテルの酒場が予約制とは酒は時間を決めて飲むものなのでしょうか。予約者には時間制限があるのでしょうか。上客は無制限、中客は2時間とかあり、その時間の中で各席を回してゆくのかと飲みつつ考えたので、折角のカクテルも不味に終わりました。
一杯にて辞さんとするに女給仕が「御会計で宜しかったでしょうか」と言うには正しく止めで、ファーストフードかコンビニの接客と呆れました。過去形の表現は一流ホテルの社員が使用して良い言葉ではありません。以前はベテランのバーテンによる一流の接客が嬉しい酒場でしたし、再開後も暫くは良好でした。今回は全て落第であり、規模を拡大したが為に水準の低い社員を大量採用したのか、経営母体や支配人が変わり社風が一変したのかと思いました。商売で接客が悪化して業績が向上した例は見た事が無く、零落・転落の端緒は大体が接客の悪化です。東京ステーションホテルともこれにて縁切りであり、「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」の一員として結成から解散まで東京駅の復元の為に挺身した者としては大変に複雑な心境でした。同じ額で良い気分にて酒を楽しめる酒場は他にも沢山あります。これならば丁寧に指導した「キッザニア」の方が遙かにまともと思いました。何とも残念です。

音楽史研究家 郡修彦 

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2015年08月13日

終戦直後の新橋をGHQが撮影した35mmフィルムの解像度が驚異的!(続報)

2015年8月13日



表題の動画に関しまして進展がありました。映画のポスターに「三十四丁目の奇蹟」があり、この作品は1948年11月12日の封切故に同日以降の撮影と判明しました。但し、往来の人々の服装が11月の服装では無く、更に気温が下がった厳冬期の物である事は一目瞭然です。当時の映画は封切館での短期間の上映(原則一週間で、人気の場合は続映する)の後に、 二番館・三番館と引き継がれて更には地方へと流れてゆきました。ですから、このポスターだけで公開直後と即断するのは危険で、該当の映画館を割り出して上映期間を確認する必要があり、短絡的に1948年10月から11月撮影の動画と即断するのは間違いです。影の長さから太陽の角度を割り出せば日付を特定出来ます。現状では映画ポスターと選挙の関係から1948年12月から1949年1月の間としておくのが無難でしょう。

音楽史研究家 郡修彦 

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2015年08月11日

終戦直後の新橋をGHQが撮影した35mmフィルムの解像度が驚異的!

2015年8月11日

日本モダンガール協會の淺井カヨ女史から表題の映像を見るべしとの連絡があり早速見ました。
出所は不明ですがGHQの撮影であれば撮影機材もフィルムも当時の最新・最高級であり、この画質は当然と納得しました。カラーでないのが何とも残念ですが、傷等の修正が見事で大変に美しい画像です。
さて、撮影時期ですが、人々の服装と影から真冬と判ります。軍服や国民服も見られますが、全体的に整然としており終戦直後の様子ではありません。自動車は戦前の車両を復旧したものと、進駐軍が持ち込んだ戦後型が混在しております。バスは1947年から都バスが使用したキャブオーバー型が見られ、京王帝都バスも戦後の新塗装です。都電は3000系の更新前ですので20年代前半と判ります。そして、女性代議士の今井ハツ女史の選挙ポスターが見られますが、東京から立候補したのは昭和24年1月23日に行われた第24回衆議院議員総選挙の時のみですので、その前後の撮影と判明しました。女史は昭和21年4月10日に行われた第22回衆議院議員総選挙で初当選しておりますが、この時は福井からの立候補です。
終戦から3年半を経て漸く全てが戦前の水準に復しつつある時期の貴重な記録が、極めて鮮明な画像で広く知られる事は嬉しい限りです。

音楽史研究家 郡修彦 

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2015年08月05日

ガラスのうさぎと湯の花トンネル

2015年8月5日

終戦の月の出来事で、5日の二宮銃撃と中央線列車銃撃は実は同一部隊により行われました。前者は「ガラスのうさぎ」として有名ですし、後者は「419列車」として知られていますが、同一部隊の数人により行われた関連はあまり知られておりません。P-51戦闘機による執拗な機銃掃射は民間人への攻撃として非人道的であり、恐らくは人間的に問題のある兵隊の仕業と考えられます。
実は米軍の戦闘記録から部隊と兵隊を割り出して、関係者の取材を行う番組か出版をと以前から事ある毎に提案してきましたが、悉く却下されて今日に到っております。正しく鬼畜による蛮行は明らかにする必要があります。そして、同一人物による犠牲になられた方々の御冥福をお祈り申し上げます。

本年の3月9日に放送されたTBSのTV番組の中で、上記の部隊と従事者の一人を割り出して当人の手記と遺族の証言を得ており、研究調査が飛躍的に進歩しました。手記には列車銃撃後再度の攻撃を行うに乗客が脱出するのを見て銃撃を中止したとあります。遠方からでは貨物列車と旅客列車の識別は困難ですので、最初の攻撃は識別をせずの行われたと判ります。この攻撃は数機による編隊攻撃ですので、執拗な銃撃を行った兵隊は別人でしょう。部隊と記録が判れば特定は可能ですが、これは判明しながら個人攻撃を避けた判断と判りました。鬼畜の正体は公にはされませんでしたが、特定はされました。

音楽史研究家 郡修彦 

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2015年08月04日

永田絃次郎CD発売

2015年8月4日

戦前・戦中・戦後にテノール歌手として大活躍をした永田絃次郎の美声を集大成した2枚組のCDが5日に発売されます。永田絃次郎は朝鮮半島出身で、日本の陸軍戸山学校軍楽隊を卒業し、舞台にレコードに大活躍をした歌手です。帰国事業にて出身地に戻り現地でも活躍しましたが、晩年の状況が長い間不明でした。昨今漸く判明して1985年8月に病没した事が明らかになり、本年は没後30年を記念して集大成が組まれました。
キングレコードの倉庫に保管されていた金属原盤から再生した曲は全て鮮明な音質で、未発売作品も含まれております。未復刻作品も全国の愛好家の方の御協力にて多数収録、既復刻作品も新規に新品同様のSP盤から復刻して音質が向上しております。ピッチの修正(キングレコードは録音装置の精度が高く、殆どの盤が78回転でした)と盤面の傷の補修により肉声が再現されており、初めて伝わる永田絃次郎の真髄と言っても過言ではありません。私が監修し、復刻作業と解説と音源情報を担当しており、自信を持ってお薦め出来るCDですので、宜しく御願い申し上げます。

音楽史研究家 郡修彦 

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2015年08月01日

玉音放送の原盤3

2015年8月1日

終戦の詔勅の玉音放送の原盤から再生された音声が 本日公開されました。
録音当日の正しい速度での再生ですので、正しく昭和天皇の肉声です。アセテート盤の劣化も少なく、最上に近い音声が得られた事は歴史的快挙ですが、アセテート盤の溝と再生用の針先の合致が少々甘い様にも感じられました。又、今迄の複製音源とは編集上の接合場所が異なっており、今回の方が自然です 。放送と複製盤製作時と今回の3回のみ再生された原盤(但し、正と副の何れが使用されたかは不明で、今回の2枚が正と思われます)故の鮮明な音質には感動しました。今回発見された6枚は終戦の詔勅の正2枚、副3枚と翌年の食糧関係が1枚で、溝の状態から盤の中心部から録音が始まるセンタースタート方式と確認出来ました。これは溝の切り屑を遠心力で外に飛ばす為で、1967年の「日本のいちばん長い日」では考証が不完全で外周から始まる方式で再現されました(更には中央のレーベルの柄も違います)。
今回の快挙により、終戦の詔勅は正しいピッチの鮮明な音声があらゆる場面で使用される事を希います。70年も要しましたが、嬉しい事です。

音楽史研究家 郡修彦 

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2015年07月11日

玉音放送の原盤2

2015年7月11日

現在流布している玉音放送の音源はピッチが低い事を前回記しました。大体4分41秒程で、CDの大半がこの時間です。実は実験的に正確なピッチと思われる速度にて再生したものを9日の報道直後に作成しましたところ4分30秒になりました。これが果たして正しいのか否か疑問でしたが、10日の報道では宮内庁所蔵のアセテート盤を再生した時間が4分30秒とあり、私が実験的に再生したものが正しいと立証されました。これは、機械的な計測では無く数多くの昭和天皇の玉音を基に推定復元したものが、原盤と同じであった訳です。8月14日の録音当日にはストロボスコープによりアセテート盤の回転数は正確に合わせられた筈ですので、今回の再生時に正確に速度を合わせていれば4分30秒が玉音放送の正確な時間になります。
10日の報道では発見された5枚の原盤の中に翌年の食糧問題の放送音源があり、これは早い時期に復刻されて容易に聞く事が出来ますが、一部の報道では存在が知られていないとの珍妙な記述がありました。早い時期に宮内庁の原盤から復刻され、その事実が忘れられた故の誤報でしょう。宮内庁の原盤から録音する以外には不可能な訳ですから、半世紀で事実が不明確になったとは少々情けない話です。

音楽史研究家 郡修彦 

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2015年07月09日

玉音放送の原盤

2015年7月9日

宮内庁は玉音放送の原盤と音声を8月1日に公開する、との発表がありました。
玉音放送は生放送か録音放送かの検討が為されて、8月14日の夜に宮内省で録音が行われました。これに関しまして事実誤認や憶測が散見されますので最新の情報を纏めました。
録音は2回行われ、夫々に「正」と「副」の2種類があります。録音はアセテート盤に為されたもので、当時の日本ではスチールバンドや金属ワイヤーへの磁気録音が黎明期でしたので、正確且つ簡易なアセテート盤が採られました。これはアルミの芯にアセテートを塗布したもので、専用の録音機で音声を刻み、再生装置にて直ちに再生が可能なものです。
2回の録音をテイク1と2としますと、8月15日に放送されたのはテイク2で、録音直後に再生されたのはテイク1です。玉音放送は10吋のアセテート盤2枚に録音され、テイク1と2の「正」と「副」にて合計8枚です。
1946年7月5日に進駐軍の命令により玉音放送のアセテート盤から複製した盤(ダビング盤)が作られ、複製を担当した日本人技師が自分用に秘かに1枚余分を製作したのが今日使用されている玉音放送の音源です。また、使用したアセテート盤がテイク1か2かは判然としませんが、レーベルには記載がある筈ですので、テイク2と思われます。
この複製盤が技師からNHKへ寄贈され、磁気テープに録音されたものが現在流布している 玉音放送の音源であり、この寄贈時期が1955年と1962年の2説がありますも、前者がNHKの資料ですので確実と思われます。
NHKの放送博物館には修復作業を経た玉音放送のアセテート盤が保存されており、その経過は「NHK放送博物館だより」№21に詳述されておりますが、6枚が宮内庁から貸与されたとありますので、テイク2の「正」を除く全てですが、本日の報道では宮内庁に5枚保存されていたとあり、総数が謎となります。実はアセテート盤3枚に録音されたとの記述があり、その場合は総数12枚ですので1枚不明ならば矛盾がありません。
そして、これは誰も指摘はしておりませんが大変に重要な事として、現在流布している音源は ピッチが低いのです。8月15日の放送を聴いた人々の証言は一様に陛下の声が高い事を記憶しており、翌年以降の残された玉音も全て高い声です。
原因は複製盤製作時か、複製盤再生時の速度誤差です。複製盤製作時には玉音放送のアセテート盤の再生速度を定速に合わせ、録音盤の速度も定速に合わせる必要があります。また、複製盤再生時には複製盤の再生速度を定速に合わせる必要があります。更には録音側の磁気テープの速度と、そのテープの再生時の速度の問題もあります。
実は玉音放送がカセットテープで流布していた時代に再生速度調節可能なデッキで調節しますと再生速度を上げると陛下の声になる事が判明しました。CDでも同様の事を行い実証しました。
今回は宮内庁所蔵のテイク2の「正」から正しいピッチにて鮮明な玉音が聴き得るのは研究者として欣快置く能わざる快挙です。次は米国が傍受した8月15日昼の玉音放送全部の音声を探す事です。

音楽史研究家 郡修彦
 

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