2017年12月31日
2017年の十大ニュース
もう一年が過ぎました。早いですね。ホントに。
師匠の真似して2012年から年の瀬に十大ニュースをアップするようになってから今年で6回目。
さてどんな年でしたかね。早速いってみましょう。
1 長女が一人暮らしを開始し、我々は三人暮らしになった。
今年の1月から4月初旬まではとてもあわただしかった。
長女の大学受験、次女の高校受験があったからだ。
長女も次女も一番行きたかったところには行けなかったが、この年末時点で振り返ってみるとそれぞれにピッタリの、行って良かったと思えるところに進学してくれた。父親としてはありがたい限りである。
まあそれはさておき、長女は大学生になったら(母親が亡くなった時から)家を出て一人暮らしをしてくれと言い聞かせていたし、本人も出たがってたので4月から長女は家を出た。なので今私の家は私と次女とそーしろーの三人暮らし。
最初はやはりさびしかったが、今は慣れた。
また家のことを次女がかなり手伝ってくれるようになったので家事もかなり楽になった。
この生活がいつまで続くことやら。
2 禊払いの行に参加。
師匠が禊払いの行を成就され、そのあとすぐ数人の先輩たちが参加され、「気持ちがいい!」と絶賛されていた。
だから私も行った。
なーんていうのは真っ赤なウソ。
ここだけの話、そんな行には興味がなかった。ここだけの話ね(笑)。でも、やはり門人のKる子さんが
「楽しそう。行きましょう。」
と言ってきたので、あまり何も考えずに
「ああいいよ。いこか。」
と返事してしまった。
これが後々とんでもないことになる。
ここで禊払いの行について詳細は書かないが、ホント―に大げさでなくあの時は「殺される」と思った。ホントに(笑)。
「いまおれが死んだらあの子たちどうなるのかなー」
とか
「もうあかん。そーしろーごめんな」と思った。
今から思えば大げさな(笑)。
そんな思いで禊払いの行を何とか終えたのだが、今でもまだ何のためにそんな行をしたのかよくわからない。自分の中で何か変わったとも思えない。おそらく初学では行の入り口に立てただけなんだと思うし、これから続けていかなきゃダメなんでしょうなというのもわかる。
ふう。でもやっぱり おーこわ。
3 次女とソーシローとの三人で世界遺産、屋久島へ。
きっかけは忘れた。夏休みに入ってすぐに三人で行ってきた。長女は行きたかったみたいだが、大学の試験期間で無理だったのでとーちゃんとしては旅費が一人分浮いてよかったと思った(笑)。
屋久島は月に35日は雨が降るという小説のくだりがあるそうなので雨は覚悟していった。
ところが、行った4日間、一滴も雨は降らず、とても良い天気。ありがたかった。
大きな屋久杉も見れたし、良い旅行ができた。
次は屋久島に釣りに行けたらいいなあ。
大鯛釣りたいなあ。
4 監査法人の仕事に2017年度で一旦区切りがついた
お世話になっている監査法人が金融商品取引法監査から撤退することになった。
必然的に私の監査法人を通じての仕事も一旦区切りがつく。
来年からは全くの個人の会計士税理士としての収入しかなくなる。まあ何とかなるでしょう。ここ数年は家事を口実にあまりいろんなところに顔を出さなかったが、来年は少し動き回ろうと思う。
5 今年もたくさんの魚を釣り上げた!
なんといっても今年の通算成績は13勝3敗1ゲロ!勝率7割6分を超える!
また、今年は初の遠征をしてみた。我々世代の釣り士にはマドンナ(こんな言い方しないのかな(笑))的存在の 児島玲子さん といく宮古島キハダマグロツアー なるものに応募して参加資格が当たり、見事30キロ弱のキハダを釣り上げた。児島玲子さんとの写真もゲトした。
さらに今年は初めてヒラメを釣り上げることもできた。
これも嬉しかった。
釣った魚はだいたいは凱風館門人に配った。マグロもヱビス会で食べてもらった。
(そのせいで おいちゃん先輩は私が罹患した「手足口病」がうつっちゃったのでこれは申し訳なかったです)
来年は和歌山方面でヒラメと鯛を集中して狙おうかと今のところは思っているがさて如何に。
6 亡き妻の三回忌
まあ、妻の三回忌が終わったから上記の1や2があったような気がする。こじ付けだろうか。
7 ラグビー界で「壊し屋」と異名を持つレジェンド林 敏之さんのお手伝いが始まる
林さんがされている「感性フォーラム」のお手伝いをすることになった。といっても年3回ほどの話ではありますが。でもこのご縁が今後どうなっていくのか少し楽しみではあります。
あとはなんだろ。
まあ現在進展中の話もあるがそれは来年発表できるかな。どうでしょう。よくわかりませんな。ムフフ。
とまあ、例年10個もうかびませんね。あまり変化のない一年だったのでしょうかね。それか忘れているか。とにかく、そろそろ年越しそばや晩御飯の用意をしなければいけないので今年はこれくらいで。
すべての出来事に感謝して、来年も楽しく良い年になりますように。
ありがとうございました。
師匠の真似して2012年から年の瀬に十大ニュースをアップするようになってから今年で6回目。
さてどんな年でしたかね。早速いってみましょう。
1 長女が一人暮らしを開始し、我々は三人暮らしになった。
今年の1月から4月初旬まではとてもあわただしかった。
長女の大学受験、次女の高校受験があったからだ。
長女も次女も一番行きたかったところには行けなかったが、この年末時点で振り返ってみるとそれぞれにピッタリの、行って良かったと思えるところに進学してくれた。父親としてはありがたい限りである。
まあそれはさておき、長女は大学生になったら(母親が亡くなった時から)家を出て一人暮らしをしてくれと言い聞かせていたし、本人も出たがってたので4月から長女は家を出た。なので今私の家は私と次女とそーしろーの三人暮らし。
最初はやはりさびしかったが、今は慣れた。
また家のことを次女がかなり手伝ってくれるようになったので家事もかなり楽になった。
この生活がいつまで続くことやら。
2 禊払いの行に参加。
師匠が禊払いの行を成就され、そのあとすぐ数人の先輩たちが参加され、「気持ちがいい!」と絶賛されていた。
だから私も行った。
なーんていうのは真っ赤なウソ。
ここだけの話、そんな行には興味がなかった。ここだけの話ね(笑)。でも、やはり門人のKる子さんが
「楽しそう。行きましょう。」
と言ってきたので、あまり何も考えずに
「ああいいよ。いこか。」
と返事してしまった。
これが後々とんでもないことになる。
ここで禊払いの行について詳細は書かないが、ホント―に大げさでなくあの時は「殺される」と思った。ホントに(笑)。
「いまおれが死んだらあの子たちどうなるのかなー」
とか
「もうあかん。そーしろーごめんな」と思った。
今から思えば大げさな(笑)。
そんな思いで禊払いの行を何とか終えたのだが、今でもまだ何のためにそんな行をしたのかよくわからない。自分の中で何か変わったとも思えない。おそらく初学では行の入り口に立てただけなんだと思うし、これから続けていかなきゃダメなんでしょうなというのもわかる。
ふう。でもやっぱり おーこわ。
3 次女とソーシローとの三人で世界遺産、屋久島へ。
きっかけは忘れた。夏休みに入ってすぐに三人で行ってきた。長女は行きたかったみたいだが、大学の試験期間で無理だったのでとーちゃんとしては旅費が一人分浮いてよかったと思った(笑)。
屋久島は月に35日は雨が降るという小説のくだりがあるそうなので雨は覚悟していった。
ところが、行った4日間、一滴も雨は降らず、とても良い天気。ありがたかった。
大きな屋久杉も見れたし、良い旅行ができた。
次は屋久島に釣りに行けたらいいなあ。
大鯛釣りたいなあ。
4 監査法人の仕事に2017年度で一旦区切りがついた
お世話になっている監査法人が金融商品取引法監査から撤退することになった。
必然的に私の監査法人を通じての仕事も一旦区切りがつく。
来年からは全くの個人の会計士税理士としての収入しかなくなる。まあ何とかなるでしょう。ここ数年は家事を口実にあまりいろんなところに顔を出さなかったが、来年は少し動き回ろうと思う。
5 今年もたくさんの魚を釣り上げた!
なんといっても今年の通算成績は13勝3敗1ゲロ!勝率7割6分を超える!
また、今年は初の遠征をしてみた。我々世代の釣り士にはマドンナ(こんな言い方しないのかな(笑))的存在の 児島玲子さん といく宮古島キハダマグロツアー なるものに応募して参加資格が当たり、見事30キロ弱のキハダを釣り上げた。児島玲子さんとの写真もゲトした。
さらに今年は初めてヒラメを釣り上げることもできた。
これも嬉しかった。
釣った魚はだいたいは凱風館門人に配った。マグロもヱビス会で食べてもらった。
(そのせいで おいちゃん先輩は私が罹患した「手足口病」がうつっちゃったのでこれは申し訳なかったです)
来年は和歌山方面でヒラメと鯛を集中して狙おうかと今のところは思っているがさて如何に。
6 亡き妻の三回忌
まあ、妻の三回忌が終わったから上記の1や2があったような気がする。こじ付けだろうか。
7 ラグビー界で「壊し屋」と異名を持つレジェンド林 敏之さんのお手伝いが始まる
林さんがされている「感性フォーラム」のお手伝いをすることになった。といっても年3回ほどの話ではありますが。でもこのご縁が今後どうなっていくのか少し楽しみではあります。
あとはなんだろ。
まあ現在進展中の話もあるがそれは来年発表できるかな。どうでしょう。よくわかりませんな。ムフフ。
とまあ、例年10個もうかびませんね。あまり変化のない一年だったのでしょうかね。それか忘れているか。とにかく、そろそろ年越しそばや晩御飯の用意をしなければいけないので今年はこれくらいで。
すべての出来事に感謝して、来年も楽しく良い年になりますように。
ありがとうございました。