巷にひとり在り

歴史好きな漫画家・大西巷一の公式ブログ

9月24日発売の月刊アクションに『星天のオルド タルク帝国後宮秘史』第3話が掲載されました!


月刊アクション 2022年11月号[雑誌]
月刊アクション編集部
双葉社
2022-09-24


第3話のタイトルは「約束」

皇帝になったアルと情熱のセクシーダンサー・カタリアナとの最初の夜の対決が決着します。
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そしてアルとユエリーの間にある重要な約束が交わされます。
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一方、第一夜の結果とアルの態度に不満なシェハルダーラは、さっそく次の刺客を用意して…
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次回もお楽しみに!


それと、ニコニコ静画での無料公開もスタートしました!

まずは第1話の前編(1/3)です。



ウェブ公開はどうしても性的な部分の修正が多くなりますが、あしからずご了承ください。

前回お知らせしたように、毎月第2・第4土曜に順次公開していきます。
ウェブ購読派の方は、お気に入り登録やブックマークをオススメします。

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8月24日発売の月刊アクションに『星天のオルド タルク帝国後宮秘史』第2話が掲載されました


月刊アクション 2022年10月号[雑誌]
月刊アクション編集部
双葉社
2022-08-24


タイトルは「後宮の主」

第1話でタルク帝国の皇帝アル7世として即位した主人公が、いよいよ後宮入りします。

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帝国中から集まる後宮の美女たちは、ミス・ユニバースのようにそれぞれのお国柄を反映した衣装で着飾っていて、作画作業は超楽しくて超しんどかったです…♪

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主人公アルは皇帝といっても何の実権もない傀儡で、後宮を支配するのは皇妹のシェハルダーラ。

きれいで性格のきつい妹は好きですか?

夜伽の相手を決めるのも彼女で、皇帝の希望通りにはいかないようです。

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最初の夜のお相手は、情熱のセクシーダンサー。

シェハルダーラに取り上げられた相棒のユエリーを取り戻すためには、夜の大勝負に勝たなくてはいけないのだけど…

こんな感じで、個性豊かな後宮の美女たちとのえっちなバトルが毎度展開されていく予定です♪
お楽しみに!



ところで、前作『乙女戦争』の時のように、この『星天のオルド』も時間差でニコニコ静画で無料公開していく予定ですが、少しやり方が変わります。

具体的な公開スケジュールは、今のところこのように予定しています。

・第1話その1:9月24日(土)
・第1話その2:10月8日(土)
・第1話その3:10月22日(土)
・第2話その1:11月12日(土)
・第2話その2:11月26日(土)
(以下順次)

本誌から約2ヶ月遅れ。
毎月第2・第4土曜日に公開。
各話を基本2分割(第1話はページが多いので3分割)。

という感じです。よろしくお願いします。
ウェブ購読派の方はもうしばらくお待ちください〜
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友人のBL漫画家の冬乃郁也さんが主宰する同人BLアンソジー『普段BLをかいてない作家が全力でBLをかいてみた!』に参加させてもらいました。



タイトル通り、BLは描いたことない僕ですが、この機会に挑戦してみようと思い、古代ギリシアを舞台にしたBLらしき短編マンガを描いてみました。

タイトルは『2×150』
10ページです。


古代ギリシアでは同性愛、特に成人男性と少年の恋愛関係(パイデラスティア)はありふれたものでした。
日本に昔あった衆道とも少し似ています。
高名な哲学者プラトンの著作『饗宴』では、ソクラテスとその恋人のアルキビアデスが登場して、男同士の愛が男女間の愛よりも崇高なものであると論じる場面があります。

そうした男同士の愛の絆を積極的に利用したのが、都市国家テーバイの「神聖隊(ヒエロス・ロコス)でした。
これは、男同士のカップル150組300名からなる精鋭部隊でした。
愛する者同士肩を並べて戦えばいっそう力を発揮できるだろうというわけです。
(ちなみに映画「300」でも有名なスパルタ軍など、精鋭部隊の兵数は300名とする伝統が当時あったようです)
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 実際テーバイの「神聖隊」は相当強かったようです。
特に名高いのは、前371年のレウクトラの戦いです。
この戦いは、テーバイの名将エパメイノンダスが考案した新戦術「斜線陣」が使われたことでも戦史上有名ですが、この戦術のキモとなるのが「神聖隊」でした。
簡単に言うと、味方の最強部隊である「神聖隊」を敵の最強部隊に真っ先にぶつけて、先制パンチを食らわすことで戦況を有利に持ち込む作戦であり、「神聖隊」の強さに全幅の信頼をおいていないと実行できない戦術でした。
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この神聖隊の隊長であるペロピダス(実在の人物)と、その恋人であるフィリッポス少年(架空のキャラ)が僕の短編作品の主人公です。

このフィリッポス少年、実はのちのマケドニア王フィリッポス2世(アレクサンドロス大王のパパ)である――という設定で当初考えていました。
というのもフィリッポス2世は若い頃人質としてテーバイに送られて、エパメイノンダス将軍に預けられていました。
ペロピダスとも恋人同士だったという説もあります。
ですが、時期的にレウクトラの戦いとは少しずれていたので、名前だけ拝借した架空キャラということにした次第です。
(ちなみに紀元前338年のカイロネイアの戦いではマケドニア軍との交戦で神聖隊300名のうち254人が戦死して壊滅しました。勝利したマケドニア王フィリッポス2世は彼らの亡骸を見て涙を流し、彼らを讃えたと言われています。)
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古代ギリシアの恋愛文化では、同性愛カップルは主に以下のような手順を踏んで成立します。

まず、男性が少年の父親の了承を得ます。
次に2人でデートします。
特に運動場へ行って運動すること、とりわけレスリングが定番のデートメニューだったようです。
ひと汗かいた後、男性が少年に贈り物をし告白します。
少年がプレゼントを受け取ると晴れてカップル誕生です。

ちなみにレスリング場では全裸が基本で、女性は立ち入り禁止でした。
レスリングやその他スポーツを行う際にはおちんちんの皮を紐で結ぶ習慣(キュノデスメ)がありますが、これは勃起して亀頭が露出するのは恥ずかしいことなので、それを防ぐためだと言われています。
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そんな感じのネタをギュッと詰め込みました♪

僕以外の執筆陣も大変豪華ですし、もし興味がありましたら、手に取ってみてください!

コミケ(8月13日東6シ-36b)で頒布される他、通販の予約も受付中です。






【主な参考文献】




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前回記事で予告した通り、7月25日発売の「月刊アクション」に新連載『星天のオルド タルク帝国後宮秘史』第1話が掲載されました!


『乙女戦争』外伝の最終話が載ってから1年余り。
ようやく無職の日々を脱却できましたw

月刊アクションとは創刊以来のお付き合いですが、久々の表紙&初の巻頭カラーをいただきました。

編集部からも熱い期待を寄せられていると思うことにして、大ヒット目指して鋭意がんばります!


内容は前回記事でも書いたように、架空歴史物で、後宮物です。

後宮物というと中華風の作品が多いですが、今作は中東トルコ風です。
主人公が後宮内の女性ではなく皇帝というのも珍しいパターンかと。
新感覚の後宮ロマンに挑戦していきます!


ここで、第1話冒頭部分だけ特別にお見せします♪

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いかがでしょうか?
続きは本誌でご確認ください〜


『乙女戦争』の時と同様に、時間差でネット公開もしていく予定です。
くわしくは後ほどお知らせします。
ネット購読派の方はもうしばらくお待ちください。

単行本第1巻はたぶん来年頭くらいになると思います。


どうぞ応援よろしくお願いします!!
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お待たせしました。
大西巷一の新連載のお知らせです。

7月25日発売予定の「月刊アクション」9月号からスタートします!

タイトルは『星天のオルド タルク帝国後宮秘史』です!


今月発売の8月号にも予告が掲載されました。
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本誌の表紙と巻頭カラーもいただきました。


内容としては「架空歴史物」で「後宮物」です。

僕は今まで史実を元にした作品を主に描いてきましたが、初めて架空の歴史物に挑戦してみます。

タルク帝国という架空の王朝の後宮(ハレム)が舞台です。

後宮物というと、日本の大奥とか中国風の王朝物は多いと思いますが、今作はトルコをモデルにしています。

イラストのメガネのキャラが主人公で、一緒にいるかわいい子は相棒の少年宦官です。
第1話では彼らがタルク帝国の皇帝と宦官になるまでを描きます。

今作では血生臭いシーンはあまりないと思いますが、代わりにエッチなシーンはかなり多くなると思います。

というか、それがメインです♪

帝国全土から集められた様々な人種・民族の美女たちが次々登場する予定です。

サーヴィス精神満々で描いていくつもりですので、どうぞご期待ください!!

『星天のオルド』01話
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チェコの国営テレビ局CH24の5月31日放送のニュース番組の中で、僕の『乙女戦争(ディーヴチー・ヴァールカ)』が紹介されました!

日本のNHKのようなテレビ局だそうです。
夜7時のニュースの46分頃から約2分間のコーナーです。
あと11時頃のアートニュースでも同じ内容が放送されました。

以下のリンク先でネットアーカイブが見れます。
↓   
https://www.ceskatelevize.cz/porady/1097181328-udalosti/222411000100531/cast/916132/


Facebookでもアーカイブが見れます。

https://fb.watch/dDbzAZiOkJ/


5月の頭頃に金沢の自宅までスタッフの方が取材に来てくれて、簡単なインタビューを受けたものを編集したものです。
金沢城の石川門も映ってますね。

チェコ語では何と紹介されているのかわかりませんが、自分がしゃべってる声や話し方を客観的に見るのは変な気分ですね…


取材中の様子はこんな感じ。
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取材スタッフは、インタビューワーのバルボラさん、カメラマンのホンさん、通訳のダニエラさんの3名。

取材中にその場で描いたヤン・ジシュカ。
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お土産にもらったチェコの人気アニメキャラクター「もぐらのクルテク」♪
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取材後は金沢の和菓子とコーヒーをお出しして小一時間楽しくおしゃべりしました。

バルボラさんとホンさんは香港にあるアジア支局に勤めているそうです。
コロナ禍で日本に入国するのはいろいろ大変だったようです。

通訳のダニエラさんは東京外国語大学でチェコ語の講師をされている方です。
『乙女戦争』の制作でもお世話になったチェコ中世史の薩摩秀登先生とは親友だとおっしゃってました。


番組放送後、さっそくチェコの複数の出版社から『乙女戦争』の翻訳・出版についてのオファーが届きました。
今双葉社の方で交渉が進んでいるはずです(翻訳版を出すにあたって作者がやること・やれることはほとんどありません。出版社にお任せですw)。

『乙女戦争』の外国語版はフランス語版ぐらいしか出ていません。
チェコ語版も出せないか今までいろいろな伝手で打診はしてみたものの、実現できずにいました。
テレビの影響力は大きいですね!
これでついに念願のチェコ語版が実現するかもしれません♪
具体的に決まったらまたお知らせします〜
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『辺境のダイナミズム (ヨーロッパの中世 3)』


だいぶ前に読んだ本ですが、思い出しながら感想をまとめます。
読み応えのある本でした。

序盤で印象に残ったのは、北欧の商業都市ベルゲンで見つかったという大量のルーン文字の木簡の話。
14世紀当時、公文書から商取引から私的なラブレターまで普通にルーン文字が使われていたようです。

ルーン文字というと、よく石碑に刻まれてたり、魔力を持った神秘的な古い文字というイメージでファンタジー作品でもお馴染みだけど、中世北欧ではアルファベットと併せて日常的に使われていたっぽいです。
「二重文字社会」ってすごいな!(…と思ったけど、漢字と仮名文字とアルファベットを使いこなす日本人から見れば大したことないかも?w)

この本ではこのような非スタンダードな中世ヨーロッパとして、北欧・東欧・南欧の中世が概観されていて、それぞれ特徴があって面白いです。
特にキリスト教をどう受容するか、と、隣接する非キリスト教徒とどう接するか、という2点が鍵になってきます。

イスラム教圏と接する南欧では、キリスト教徒とイスラム教徒の共存がある程度上手くいったシチリアと、うまく行かなかったイベリア半島が対比されていて、このあたりもかなり興味深い話でした。

北欧では、ヴァイキングへの布教活動やバルト十字軍など、キリスト教の受容が漸進していった一方、東欧では、ビザンツ帝国の東方正教会との関係や、モンゴルの侵入、オスマン帝国の進出など、常に「非カトリック」や「異教徒」との緊張関係が続きました。

「中世ヨーロッパ」というと、フランス、ドイツ、イタリア、イギリスあたりが想定されがちですが、「スタンダードな中世ヨーロッパ」とは違うバリエーションを概観することで逆説的に「中世ヨーロッパ的なもの」がネガ像として浮かび上がってくるという一冊です。


なお、東欧パートは中世チェコ史の薩摩秀登先生が担当しており、フス戦争の話もしっかり出てくるので、『乙女戦争』読者にもオススメしておきます♪
(ちなみに、薩摩先生には何度かお目にかかる機会があり、『乙女戦争』終盤の歴史的経緯などについて助言もいただきました。大変感謝しております。)



この「ヨーロッパの中世」シリーズは全8巻構成になっています。

ぼくは一応全巻手元に持っているものの、まだ1,3,4巻の3冊しか読めていません…
どれも面白そうなのでいつか読破したいです。

タイトルからもイメージできると思いますが、このシリーズは中世ヨーロッパ史と言っても各国の王朝の変遷とか歴史的事件を年表に沿って記述するとかいう類いの表層的な歴史概説書ではありません。

この時代の名もなき人々の(我々現代人とは違う)生活スタイルとか価値観とか世界観といった、社会や心理の深層に迫るものです。

「中世ヨーロッパ史」というジャンルは、この手の深層的な研究がかなり進んでいるのが特徴だと思いますし、このシリーズもそうした研究成果を一般向けに紹介してくれるものです。

この手の本が日本語でバンバン出てくるのがこのジャンルの魅力です♪(読む時間が足りないのが悲しいですが…)
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昨日は9.11テロからちょうど20年の節目でした。
あの時ぼくもちょっとしたピンチに陥ったのですが、その話を書いてみます。


当時僕は駆け出しの漫画家で、講談社の「アフタヌーン」という雑誌で連載をしていました。
その日――2001年の9月11日は〆切直前で、アシスタントさんと2人で徹夜の原稿作業をしていました。


いつものように流していたラジオからニュース速報が入り、アメリカの国防省が攻撃が受けたと聴いて耳を疑いました。
テレビを点けると映画でよく見るペンタゴンから煙が上がっていました。
その後ニューヨークで起きたさらに衝撃的な事件もテレビで横目で見ながら、ペンを動かし続けていました。


「これは大変なことになったな…」と思いつつも、どこか現実離れした事のようにも感じていました。
ましてそれがまもなく自分の身に危機を招くことになろうとはまったく予想できませんでした…


翌朝、完成した漫画原稿を抱えて僕は近所の運送業者の事務所へ行きました。
僕は当時札幌に住んでいて、その日の朝イチの航空便で東京の出版社に原稿を発送するのが〆切のデッドラインでした。
ところが事務所の受付で言われたことには、昨夜のテロの影響で航空貨物便は当面停止されるとのこと…


頭が真っ白になりました。
貨物便の再開はいつになるかわからないとのこと。
本来なら代わりに陸路で運ぶ手もありましたが(一日くらいは遅れるけど)、その日はたまたま本州から北海道に向かって台風が北上中で、陸路の貨物便もいつ届くかわからない状況でした。


何てことだ、原稿は出来ているのに、それを入稿する手段がない!
今なら一瞬でデジタル入稿できますが、20年前の当時はまだ紙に描いて現物を送る時代でした。 荷物として預けておけば数日後には届くだろうけど、それでは〆切に間に合わない…



その時、受付けの人が教えてくれました。
「手荷物なら運べますよ」
航空貨物は停止されたけど旅客便は動いているので、飛行機に客として乗って、機内に持ち込める荷物なら一緒に持っていくことが出来るとのこと。
それだ! それしかない!


僕は車で千歳空港に向かい、羽田行きの便に乗りました。
教えてもらった通り、手荷物として原稿を持ち込むことは出来ました。

羽田から講談社のビルに着いた時にはまだ午前中で担当さんも出勤しておらず、担当さんのデスクに原稿と書き置きを残して、札幌にトンボ返りしました。


こうしてなんとか無事に入稿できました。

まあ、早朝だったので担当さんに電話するのも憚られたけど、緊急事態なのであえて相談してもよかったかもしれないし、相談すればもう少し〆切を融通してくれたかもしれません。
後になって冷静に考えればそれほどピンチじゃなかったかもしれないし、徹夜明けの眠い頭で必死に考えた方法は最適解じゃなかったかもしれないけど、後日担当さんは「大変だったね」と言って飛行機の代金を経費で落としてくれました。



そんな20年前の思い出話でした。


ちなみにその時連載していたのは『女媧〜JOKER〜』という作品です。

「マンガ図書館Z」では全巻無料で読めます。→ 大西巷一 『女媧 〜JOKER〜 1』
2001年の終わりには打ちk…完結しているので、この時僕が自ら出版社まで届けた原稿は終わりの方の回だったはず。
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今アフガニスタンのカブール脱出を巡る混乱が連日報道されていますが、第一次アフガン戦争(1838〜42年)の時に起きたイギリス軍兵士および民間人のカブール脱出のエピソードがあまりに壮絶だったので紹介してみます。



1839年、イギリス東インド会社の軍はカブールを制圧し、傀儡政権を打ち立てました。
ロシアの進出に対抗する目的だったようです。

英国人将校率いるインド人兵士4500人と、その家族ら民間人12000人がカブールに駐屯しました。

しかしその後、現地勢力の本格的な反撃を受け、1841年には彼らは危機的状況に陥りました。

11月には英国公邸が暴徒に襲撃され、12月23日にアフガニスタン側との交渉に出向いた特使と将校は殺されて、その死体はカブール市内を引き回されました。

イギリス側の兵士・民間人あわせて16500人(女性や子供も含まれていた)は、年が明けて1842年1月6日カブールを脱出。
雪が降り続く中、140キロ先のジャララバードを目指す死の行軍が始まりました…


安全に退去できるという約束を信じて大砲は置いていきましたが、カブールの城門を出るなり銃撃が浴びせられました。

一日目は8キロしか進めず、夜のうちに寒さで数百人が命を落としました。
ホルドカブール峠では両側の高地からの攻撃に晒されながら進み、3000人が死亡。
夜には寒さでさらに死者が出ました。
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5日後の1月11日、一行を率いる英国の少将エルフィンストーンは自ら人質になって安全を賄おうと試みましたが、その甲斐はなく、翌日はジャグダラクの峠を封鎖されて、分断された後衛部隊が壊滅しました。

13日の朝には将校と兵士合わせて65人が残るのみとなり、ガンダマクでアフガニスタン兵に包囲されて最後の抵抗を試みました。
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馬に乗った6人の将校だけがかろうじて包囲を突破しましたが、ジャララバードの目前でまた襲撃を受け、さらに5人が死亡しました。

13日の午後、イギリス軍が駐屯するジャララバードに生きて辿り着いたのはブライドンという名の将校ただ一人で、膝と左手と頭に重傷を負っていました。
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2日後にさらにもう一人の商人が辿り着いたが、翌日に死亡しました。

また50人が捕虜になっており、のちに釈放されたとのこと。

地獄の脱出行を生き残ったブライドンは、1857年のインド大反乱の際にも重傷を負いながら九死に一生を得、その後退役して静かな余生を送り、1873年に亡くなりました。



…以上は『本当にあった 奇跡のサバイバル60』からの要約です。

本当にあった 奇跡のサバイバル60
タイムズ
日経ナショナルジオグラフィック社
2013-12-18


英語のWikipediaにも記事がありました。
1842 retreat from Kabul

こんな悲劇が繰り返されないことを祈ります…


なお、このアフガニスタンの首都の名前は、報道では「カブール」と表記されることが多く、出典元でも「カブール」なのでこの記事でもそれに準じましたが、「カブル」や「カーブル」の方が現地の発音に近いらしいです。

歴史関係の本では「カーブル」が多いようなので、僕の漫画の中では「カーブル」と表記しました。
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『乙女戦争外伝 火を継ぐ者たち』下巻の第6話で描いたルチェネツ(ロションツ)の戦いについて概説します。


ハンガリー史の概説書などでもほとんど言及されていないのでよほどの歴史好きでも知らない事件かと思いますが、スロヴァキアで半独立勢力を張るヤン・イスクラ(ハンガリー語ではギシュクラ・ヤーノシュ)と、摂政としてハンガリー王国の実権を握るフニャディ・ヤーノシュが直接激突した戦いですので、もう少し注目されてもいいのになーと思います。

なお、戦いの舞台となったのは現在のスロヴァキアのルチェネツLučenecですが、当時はハンガリー王国領だったので『乙女戦争』作中ではハンガリー語表記でロションツLosoncとしています。
この記事では主に「ルチェネツ」と表記しておきます。


戦いのきっかけとなったのは1451年2月にオスマン帝国スルタン・ムラト2世が死去したことでしょう。
これによってメフメト2世が即位しましたが、即位したばかりの若いスルタンがハンガリーに攻勢をかけてくることは考えにくく、フニャディは国内問題に注力する猶予を得ました。
それ以前にもフニャディは何度か味方のハンガリー諸侯を嗾けてイスクラを攻撃させていたものの奏功しませんでした。
この機会に自ら軍を指揮してイスクラの勢力を叩き潰そうというのでしょう。
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1451年8月7日、フニャディはスメデレヴォでセルビア公ブランコヴィッチとの和解を締結しました。

ブランコヴィッチとはオスマン帝国との休戦を破ってヴァルナ十字軍を強行して以来関係が悪化してましたが、これで南の不安をひとまず解消し、フニャディはそのまま軍を率いて北へ向かいました。
フニャディに同行した大貴族には、マチョーの太守ベベク・イシュトヴァーン、エゲル司教ヘーデルヴァーリ・ラースロー、王国裁判官パーローツィ・ラースロー、主馬長パーローツィ・シモン、エステルゴム大司教セーチ・デネシュなどがいました。バンデリウムとも呼ばれるこれらハンガリー諸侯軍と、クマン騎兵などの傭兵部隊に、フニャディ自身の兵を加えて総勢は約1万2千(資料によっては最大2万)。
※なおフニャディ軍にのちのワラキア公ヴラド3世とのちのモルダヴィア公シュテファン3世が加わっていたというのは虚構です。
両者がフニャディの許に亡命するのは2ヶ月ほど先になります。

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対するイスクラの軍は約5千(資料によっては3〜4千)
スロヴァキアの傭兵団は一枚岩とは言えず、大小いくつもの傭兵集団がゆるやかに連合しているような状態でしたが、この時はオストロフのヤン・タラフースペトル・アクサミット、ドブレーのマルチン・ブルチャールといった傭兵隊長らがイスクラの援軍として参戦したようです。
イスクラ軍には鉱山地帯スロヴァキア製の優れた武装とフス派の戦術があるとは言え、戦力差は歴然でした。
※ペトル・アクサミットは前年の1450年8月にイスクラとタラフースに敵対の意志を表明していましたが、一時的に和解して参戦したと思われます。アクサミットはフス派の原理主義思想を強く信奉しており、それが論争の種だったのかもしれません。また、1450〜51年頃ヤン・タラフースがヤン・チャペクの娘ジョフィエと結婚しており、ヤン・チャペクもこの時イスクラ側に付いて参戦した可能性があります。チャペクはこの翌年1452年に死亡しました(作中ではフニャディ側に参戦し、戦死していますが)。
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8月10日、フニャディ軍はルチェネツに到着し、町の外れにある通称《聖王の砦》への攻撃を開始しました。
この砦は、フニャディの接近に備えてイスクラがベネディクト会の聖イシュトヴァーン修道院を急遽要塞化したもので、配下の武将クニェジツェのマテイと500人の兵士に守らせました。
※作中では砦の守将をヤン・タラフースとしています。
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イスクラ自身は大幅に守備を強化したハリチ(ハンガリー語ではガーチ)城に入りました。
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砦の守備は堅く、フニャディ軍の攻撃を何度も撃退しました。
そこでフニャディは戦術を変更し兵糧攻めに切り換えました。

砦の周囲に別の城壁を建設して完全に孤立させた結果、砦の守備隊は夏の暑さと飢えと渇きに苦しめられました。
絶望的な状況に陥った守備側はフニャディと交渉を試み、砦を明け渡す代わりに安全に退去させてもらうよう提案しました。
しかしフニャディはそれを拒否。
代わりに守備隊全員を車裂きにできるだけの車輪を立てて、恫喝しました。
砦を陥とすことよりも、イスクラの軍をおびき出すことが目的だったのでしょう。
※車裂きとは、中世の刑罰の一種。受刑者の手足を砕いてから車輪に縛りつけて晒すという非常に残虐な処刑法。
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↑聖王の砦があった丘の現在の様子。写真提供は『乙女戦争』の考証に多大な協力をしてくれた松山純氏。以下の写真も同様。

9月7日、ついにイスクラ率いる軍が救援のために現れ、近くの丘で火を焚いて砦に合図を送りました。

フニャディは軍を二つに分けて対応しました。
ベベク・イシュトヴァーン率いる部隊には聖王の砦への攻撃続行を命じ、ヘーデルヴァーリ・ラースロー司教率いる主力の封建騎士軍(バンデリウム)をイスクラ軍にぶつけました。
後衛にはわずかな予備兵と負傷兵だけを残しました。
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17フニャディ軍陣地より古戦場(西から東)
↑現在の戦場跡。フニャディ軍の陣地からイスクラ軍が布陣した丘を見た構図。

イスクラ軍は得意のワゴンブルク戦術でハンガリー軍を迎え撃ちました。
丘の上に荷車の陣地を構築し、銃とクロスボウで射撃しました。
フス戦争中に何度もフス派軍が強力な封建騎士軍を撃退したのと同じような構図が展開されました。
イスクラ軍の布陣する丘の麓には湿地が多く、騎士たちの動きが制限されたことも有利に働いたと思われます(イスクラも地形を十分考慮して布陣したのでしょう)。
またイスクラの兵士がよく訓練されて士気も高かったのに対し、フニャディ側の貴族諸侯たちは戦意が乏しく、中には裏切ったりさっさと離脱したり投降してしまう貴族もいました。
イスクラ軍は数で優る相手によく健闘しました。
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63 湿地帯からイスクラ軍陣地
↑丘の麓の湿地帯からイスクラ軍の陣地を見上げた構図。

そうこうするうちに聖王の砦の守備隊が包囲網の弛みを見抜き、攻撃をしかけました。
これが戦況を大きく変えます。
守備隊は包囲網を突破して、フニャディ軍を背後から襲撃しました。
挟撃を受けたフニャディ軍は全軍が崩壊し、フニャディは戦場を脱出しました。
この戦闘でベベク・イシュトヴァーンをはじめ多くの貴族が戦死し、ヘーデルヴァーリ・ラースローは捕虜となるなど、ハンガリー軍は甚大な損害を受けました。
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こうしてイスクラは大きな勝利を収め、その知らせはスロヴァキアとハンガリー全土に知れ渡りました。
スロヴァキア東部にあるヤソフスカー洞窟には「ルチェネツの戦いでブランダイズのヤン・イスクラの軍がフニャディ・ヤーノシュを倒した。」という落書きが残っています。


1451年の終わりに、フニャディとイスクラはリマフスカー・ソボタ ( ハンガリー語で リマソンバト)で和平を締結しました。
フニャディは賠償金を支払い、スロヴァキアでのイスクラの権力をなおも認めなければならなかったものの、戦前までの和平条件よりもイスクラにとって不利な内容になりました。
イスクラはプラヴェツ(ハンガリー語でパロチャ)城とケシュマロク(同ケーシュマールク)の権利を失い、それぞれを根城としていた傭兵隊長のアクサミットとミクラーシュ・ブラチャール(前述のマルチン・ブルチャールの兄弟)はイスクラから離反しました。
フニャディは戦闘では敗れたものの外交交渉では一枚上手だったようです。

さらにフニャディはイスクラのパトロンであるラディスラウス・ポストゥムス(ハンガリー王ラースロー5世)に直接働きかけることで、イスクラの地位と権利を剥奪することに成功し、1453年2月、イスクラはスロヴァキアから一時追放されます。
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オスマン帝国軍に何度も勝利した名将フニャディを撃退したイスクラの戦いぶりも見事ですが、それに対して外交力と政治力を駆使してイスクラを無力化したフニャディの手腕もさすがだと思います。


【参考資料】

チェコスロヴァキア史 (文庫クセジュ 450)
ピエール・ボヌール
白水社
1969-04-01



The Role of John Jiskra in the history of Slovakia

Hunyadi: Legend and Reality (East European Monographs)
Held, Joseph
Columbia Univ Pr
1985-04-01

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