『乙女戦争(ディーヴチー・ヴァールカ)』第6〜10話では、フス戦争序盤のハイライト1420年のヴィトコフの戦いを描きましたが、あくまでフィクションであり、史実とはかなり違っています。

歴史上のヴィトコフの戦いについて簡単に紹介します。


1420年3月1日、教皇マルティネス5世がボヘミアのフス派に対する十字軍の勅書を発布。

これに応じて参加した十字軍の総兵力は8〜10万と推定されています。
総司令官は皇帝ジギスムントで、ザクセン公を除く全ての選帝侯や、オーストリア公アルブレヒト5世、マイセン辺境伯フリードリヒ、バイエルン大公ハインリヒ、シレジア3君侯など43の帝国諸侯が参加した他、ヨーロッパ各地の軍も加わりました。年代記には東はブルガリアやワラキア、西はイベリア半島のアラゴンまで、35の国と地域が列挙されています。

十字軍は6月12日にプラハ城を占拠し、プラハ市を包囲しました。

一方フス派側の総兵力はおよそ1万2千
これにはターボル、ジャテツ、ロウニ、スラニーといったフス派諸都市からの援軍も含まれます。
ターボル軍の兵力はこの時約2千で、300台のワゴンと60門の大砲を携えて、5月20日頃にプラハに到着しています。

ボヘミアに進攻した十字軍は各地で虐殺や略奪行為を行ったらしく、クトナー・ホラではフス派の聖職者ら5000人が坑道に投げ込まれて殺される事件も起きています。
フス派の方も、修道院を襲撃したり、プラハ市内のドイツ人を捕らえて十字軍の前で焼き殺したりしています。

ヴィトコフの戦いが起こったのは7月13日です。

プラハ包囲の輪が唯一閉じていなかった東側のヴィトコフの丘に、十字軍側の騎兵部隊が攻撃を仕掛けました。
ここには木製の小砦があって補給路を確保してました。
女性3名を含む29名の守備兵は果敢に抵抗し、一両日砦を守り通します。

翌14日、ヤン・ジシュカ率いる救援隊が丘の南側から奇襲を仕掛けると、十字軍側はパニックに陥ります。
丘の北側の断崖から次々と転落したり、ヴルタヴァ川の向こうの十字軍陣地に退却しようとして川で溺れたりして、3〜500名もの騎士が命を落としました。


フス派側はこの勝利に沸き立ち、丘の上にさらに堅固な防衛拠点を築くとともに、この丘をジシュカの名にちなんで「ジシュコフの丘」と呼びました。

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この戦闘はプラハ包囲戦の中の局地戦でしかなく、包囲はその後も続いたのですが、両軍の士気には大きく影響したと思われます。

皇帝ジギスムントは7月28日にプラハ城内の聖ヴィート大聖堂でボヘミア王としての戴冠式を行うものの、その後まもなく包囲を解いて撤退します。
ジギスムントはしばらくクトナー・ホラにとどまってボヘミア国内のカトリック派を支援しながら戦いを続けますが、翌年3月にボヘミアから撤収し、第1回目の対フス派十字軍が終結します。


↓チェコで製作された映画の中のヴィトコフの戦いのシーン
 

↓現在のヴィトコフの丘に立つヤン・ジシュカの騎馬像
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(画像はWikipedia commonsより)



このヴィコトフの戦いを描いた『乙女戦争(ディーヴチー・ヴァールカ)』第2巻は5月10に発売されます。
漫画と史実がどのように違うのか比較してみるのも一興かと思います。
よろしくお願いします〜〜



◎主な参考サイト


ターボル戦記 第三部【神の戦士たる我ら】

Battle of Vitkov Hill(英語版Wikipedia)

Vitkov(チェコ語のフス戦争サイト)

フス戦争漫画 ネタばれ