ツイッターでボヘミア王妃ジョフィエについていろいろ書いたので捕捉してまとめます。

RT元は他所様のツイートなので転載はやめておきます。 当該箇所だけ簡単にまとめるとこんな感じです。
WS004811
「ド・バヴィエール」と「バヴォルシュカー」はそれぞれフランス語とチェコ語で「バイエルンの」という意味です。
実家のヴィッテルバッハ家はバイエルンを領有するドイツ屈指の名門貴族で、4代前にはルートヴィヒ4世という皇帝も輩出しています。

出生年を確かめたところ、イザボーは1370年頃、ジョフィエは1376年で、たしかに年は近そう。
少女時代に従姉妹同士のキャッキャウフフがあったのかもと思うと妄想が捗ります♪ 

なお、彼女らの両親ははじめ3兄弟でバイエルン領を共同相続したものの、のちに領土を分割し、やがてどろどろの相続権争いを展開することになります。

イザボーの夫のフランス王シャルル6世は名君シャルル5世の嫡男で、若い頃から精神疾患を抱えており、1393年の「燃える人の舞踏会事件」を機に完全に正気を失ったようです。

イザボーは王弟、つまり義理の弟のオルレアン公とイケナイ関係を結んだりすったもんだして、宮廷はブルゴーニュ派とアルマニャック派の政争が激化し、イングランドとの百年戦争の戦火が再燃することになります。

イザボーは国政を乱した淫乱な悪女というレッテルが貼られ、のちに「フランスは女によって破滅し、女によって救われた」などと言われることに(最初の「女」はイザボーを、後の「女」はジャンヌ・ダルクを暗に指す)。

↓『乙女戦争』に登場したジョフィエ王妃
WS004809
WS004810

↓《スラヴ叙事詩》の『ベツレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス師』
Kazani_mistra_jana_husa_v_kapli_betlemske_81x61m
画面右手に座っているのがジョフィエ。
わかりにくいけど左端の方にはジシュカも。

ジョフィエの夫のボヘミア王ヴァーツラフ4世(皇帝としてはヴェンツェル、「キングダムカム・デリバランス」ではベンツェスラウス)は、名君の神聖ローマ皇帝カール4世の嫡男ですが、父の跡を継いだ皇帝の座を無能すぎたが故に退位させられ、ボヘミア国内のフス派問題の処理に失敗した挙げ句、1419年のフス戦争勃発の衝撃で急死しました。
WS004675

夫亡き後のジョフィエは(ボヘミア人の血もボヘミア王家の血も引いていないし子供もいないにも関わらず)摂政に選ばれたり再びボヘミア王妃になる企てがあったりしたところをみると、ボヘミア人(特に有力貴族層)からの信望をそれなりに得ていたように思われます。
少なくともイザボーのような悪し様な言われ方はしていないようです。



ジョフィエとフス戦争の時代から約200年後、ボヘミアはハプスブルク家による強力なカトリック支配の下に置かれ、20世紀に至るまでフス派やプロテスタントの信仰は迫害されるようになります。

カトリック支配の先兵たるイエズス会はボヘミアで英雄視されるヤン・フスやヤン・ジシュカに対抗しうる「第3のヤン」としてヤン・ネポムツキーの存在に目を付け、彼を聖人に列し、盛んに称揚しました。
「政治的なウラ」というのはそんな感じの話です。

↓カレル橋に立つヤン・ネポムツキーの像
480px-Prague_07-2016_Charles_Bridge_John_of_Nepomuk_statue_img1


【参考文献】

ドイツ三〇〇諸侯 一千年の興亡
菊池 良生
河出書房新社
2017-05-26









チェコの伝説と歴史
アロイス・イラーセク
北海道大学出版会
2011-04-25