2014年02月05日

鎌倉のシラス丼(7)

鎌倉の材木座から腰越の浜にかけて、シラス漁が盛んである。ここで毎日捕れるシラスを使ったシラス丼を食べさせる店があちこちにある。生だと傷みやすいため、捕れたその日に浜で仕入れ、生シラスを食べさせる店が多いが、物珍しいが食べておいしいのは、釜揚げシラスと思っている。ご飯の上にたっぷりと乗せ、大根おろしに醤油をかけ生卵をかけたものが一番好きである。そんなシラス丼を出す店を求めていくつかの店を周ってみた。

江ノ電の腰越駅を降りて線路沿いに鎌倉の方に少し歩いた右側に、シラス屋という店がある。行列のできるシラス屋で有名な店である。シラス屋は船を持っている網本直営の店で休日はいつもかなり待たないと入れなかった。
しらす_しらす屋3
夜の7時頃行ったのでもう閉まっていた。あきらめて帰ろうと思い海岸通りの方に回ったら、シラス屋と言うレストランがあった。
しらす_しらす屋1
聞いてみると、先ほどのシラス屋が出している店とのことなので入ってみた
しらす_しらす屋2
先程のシラス屋は営業は夕方までとのこと。
しらす_しらす屋4




























しらすずくし定食というのが看板で、シラス丼、シラスのテンプラ、たたみいわし一枚分、生シラスを食べさせて1700円というお得価格である。今回は釜揚げシラス丼をたのんだ。800円と鎌倉駅周辺より安いが電車賃を考えると変わらなくなる
しらす_しらす屋5
シラスに生卵に大根おろしというオーソドクスなものである
しらす_しらす屋7
ただシラスの量は期待はずれであった
しらす_しらす屋8
しらす_しらす屋9
別に釜揚げシラスだけ注文した
しらす_しらす屋6
出てきた釜揚げシラス単品は今まで入った店の中では一番量が多かった
しらす_しらす屋A




















単品の釜揚げシラスを足した丼は満足のゆくものであった
しらす_しらす屋B















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鎌倉のシラス丼(6)

鎌倉の材木座から腰越の浜にかけて、シラス漁が盛んである。ここで毎日捕れるシラスを使ったシラス丼を食べさせる店があちこちにある。生だと傷みやすいため、捕れたその日に浜で仕入れ、生シラスを食べさせる店が多いが、物珍しいが食べておいしいのは、釜揚げシラスと思っている。ご飯の上にたっぷりと乗せ、大根おろしに醤油をかけ生卵をかけたものが一番好きである。そんなシラス丼を出す店を求めていくつかの店を周ってみた。

若宮大路の豊島屋本店の脇にシラス丼の看板が出ている
しらす_キネマ堂1
路地の奥にキネマ堂という喫茶店風の店がある
しらす_キネマ堂2
名にし負う映画関係の図書やポスターが並んでおり、図書は売っている
しらす_キネマ堂4
毎週懐かしの名画の鑑賞会をやっている
しらす_キネマ堂3
シラス丼は、香こと味噌汁がついて800円とこの辺では一番安い
しらす_キネマ堂5
うめぼしがシラスによく合うが、シラスの量は不満である
しらす_キネマ堂6
別に釜揚げシラスをたのんで、丼に追加した
しらす_キネマ堂7



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2014年02月04日

鎌倉のシラス丼(5)

鎌倉の材木座から腰越の浜にかけて、シラス漁が盛んである。ここで毎日捕れるシラスを使ったシラス丼を食べさせる店があちこちにある。生だと傷みやすいため、捕れたその日に浜で仕入れ、生シラスを食べさせる店が多いが、物珍しいが食べておいしいのは、釜揚げシラスと思っている。ご飯の上にたっぷりと乗せ、大根おろしに醤油をかけ生卵をかけたものが一番好きである。そんなシラス丼を出す店を求めていくつかの店を周ってみた。

鎌倉駅の裏口を出て市役所に向かう道に入ってすぐ左側にちらしやという店がある
しらす_ちらしや1
店は二階である。ちらす寿司の店である。
しらす_ちらしや3
客席10人分くらいの小さな店である
しらす_ちらしや4
釜揚げシラス丼1050円とこの辺の普通の値段である
しらす_ちらしや2
しらす御膳というのをたのんだ
しらす_ちらしや5
しらすの量は多くないが、酢飯にわかめ、大根おろし、半熟卵が載っている。しらすには大根おろしと半熟卵が良く合いしかも酢飯が効いて今まで食べたシラス丼の中では一番好きな部類である

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2014年02月02日

鎌倉のシラス丼(4)

鎌倉の材木座から腰越の浜にかけて、シラス漁が盛んである。ここで毎日捕れるシラスを使ったシラス丼を食べさせる店があちこちにある。生だと傷みやすいため、捕れたその日に浜で仕入れ、生シラスを食べさせる店が多いが、物珍しいが食べておいしいのは、釜揚げシラスと思っている。ご飯の上にたっぷりと乗せ、大根おろしに醤油をかけ生卵をかけたものが一番好きである。そんなシラス丼を出す店を求めていくつかの店を周ってみた。

鎌倉駅の表口を出て左にある小町通りにもいくつかの店がある。
小町通の源吉兆庵の先の角を右に入った突き当たりの右手に小屋風の釜飯屋がある
しらす_鎌倉釜飯1
鎌倉釜飯という店名である
しらす_鎌倉釜飯2





















色々な種類の釜飯を食べさせる。釜揚げシラスは1000円である
しらす_鎌倉釜飯3
お釜とお香こが出てきた
しらす_鎌倉釜飯4
熱々のご飯に釜揚げシラスが載っている
しらす_鎌倉釜飯5
シラスの量は多くないが、おこげになったご飯とシラスはおいしい
しらす_鎌倉釜飯6

この店の目の前のビルにここより広いフロアでよりしゃれた、やはり鎌倉釜飯という釜飯を食べさせる店があった。支店を出したのかと思い聞いてみると、まるっきり関係ないという。いくらなんでも商い道に反するのではないかとも思うがどんなものであろう。























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鎌倉のシラス丼(3)

鎌倉の材木座から腰越の浜にかけて、シラス漁が盛んである。ここで毎日捕れるシラスを使ったシラス丼を食べさせる店があちこちにある。生だと傷みやすいため、捕れたその日に浜で仕入れ、生シラスを食べさせる店が多いが、物珍しいが食べておいしいのは、釜揚げシラスと思っている。ご飯の上にたっぷりと乗せ、大根おろしに醤油をかけ生卵をかけたものが一番好きである。そんなシラス丼を出す店を求めていくつかの店を周ってみた。

鎌倉駅の表口を出て左にある小町通りにもいくつかの店がある。
小町通の源吉兆庵という和菓子屋の先の角を右に入ると突き当たった左手の雑居ビル、そこにシラス丼の看板が出ていた
しらす_楽縁1





















夜7時過ぎに駅周辺でやっと見つけたシラス丼の食べられる店だ。楽縁と言う店だ。
しらす_楽縁2
中はスナック風である。まだ30代と思われる男性と20代の男性二人が切り盛りしている
しらす_仕立て屋4
メニューを見るとシラス丼定食、1050円とある
しらす_仕立て屋5
シラス丼に味噌汁、漬物にポテトサラダ
しらす_仕立て屋6
シラスの量は少ない
しらす_仕立て屋7
食べてみると、ご飯がべちゃべちゃでがっかりした
しらす_仕立て屋8
壁に鎌倉文士の里見の色紙が飾ってあった。聞いてみると30代と思われるこの店の店長は、里見の孫だそうです
しらす_楽縁7























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2013年12月21日

鎌倉のシラス丼2

鎌倉の材木座から腰越の浜にかけて、シラス漁が盛んである。ここで毎日捕れるシラスを使ったシラス丼を食べさせる店があちこちにある。生だと傷みやすいため、捕れたその日に浜で仕入れ、生シラスを食べさせる店が多いが、物珍しいが食べておいしいのは、釜揚げシラスと思っている。ご飯の上にたっぷりと乗せ、大根おろしに醤油をかけ生卵をかけたものが一番好きである。そんなシラス丼を出す店を求めていくつかの店を周ってみた。

鎌倉駅の表口を出て左にある小町通りにもいくつかの店がある。
小町通を仕立て屋から少し行くと、右側に雑居ビルがあり、その二階に、魚河岸家という店がある。
しらす_魚河岸家1


















二階に上がってゆくとショウウィンドーがありその奥が入り口である
しらす_魚河岸屋2
居酒屋風に座敷で食べるようになっている
しらす_魚河岸屋3
メニューである。シラス丼は1200円である。
しらす_魚河岸屋4
シラス丼をたのんだ
しらす_魚河岸屋5
シラスの量は多くはない
しらす_魚河岸屋6
そこで、単独で釜揚げシラスを追加した
しらす_魚河岸屋7
一品の釜揚げシラスを追加して、量は増えたが、やはり大根おろしが欲しい
しらす_魚河岸屋8
























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2013年12月17日

鎌倉のシラス丼1

鎌倉の材木座から腰越の浜にかけて、シラス漁が盛んである。ここで毎日捕れるシラスを使ったシラス丼を食べさせる店があちこちにある。生だと傷みやすいため、捕れたその日に浜で仕入れ、生シラスを食べさせる店が多いが、物珍しいが食べておいしいのは、釜揚げシラスと思っている。ご飯の上にたっぷりと乗せ、大根おろしに醤油をかけ生卵をかけたものが一番好きである。そんなシラス丼を出す店を求めていくつかの店を周ってみた。
鎌倉駅の表口を出て左にある小町通りにもいくつかの店がある。
小町通に入ってすぐの左側に、仕立て屋という店がある。
しらす_仕立て屋1
名前の通り一階はブッティックになっていて、ビルの入り口にシラスの看板が出ている
しらす_仕立て屋2
店は二階にある
しらす_仕立て屋3
しらす_仕立て屋4
メニューである
しらす_仕立て屋5

























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2013年04月06日

川越松江町一丁目の山車の龍の彫刻

川越市松江町一丁目の山車は、竜神の山車と呼ばれ、市指定の有形民俗文化財に指定されている
俊表2
この山車の中勾欄の左右脇と背面側に竜の彫物が飾られている。
俊表3
俊表6
俊表1
陽刻には左右脇の龍には彫工の銘が刻まれている。嶋村と嶋邑という銘と圓哲の印が彫られている。これを持って川越市はこの彫刻が嶋村圓哲の作として、文化財に指定している。一方で嶋村という銘と圓哲の印という形式を使っていたのは嶋村俊表だという意見もある。
俊表4
俊表5
嶋村俊表は、川越氷川神社本殿の彫刻を彫った彫工であり、氷川神社の本殿の彫刻にある銘には、「嶋村俊元八代孫」とある。嶋村家は江戸幕府公認の神社仏閣などの彫刻を請け負った家系であり嶋村俊元を元祖とする。嶋村俊元は十七世紀後半に活躍した。俊元の息子が圓哲で家督を継ぎ二代目になっている。その後血族や弟子筋が嶋村家の家督を継ぎ、八代目俊表は、十九世紀中頃幕末の彫工である。
俊表が圓哲の印を使っている例として、千葉県勝浦市新官の妙海寺の龍の彫刻がある。
俊表8
俊表C
このお寺の本殿の軒の欄間に竜の彫刻がある。
俊表9
俊表A
この彫刻の裏側に彫工の銘が刻まれている
俊表B
嶋村俊表という銘と圓哲という印が彫られている。この圓哲印は竜神の山車の圓哲印と全く同じである。これにより圓哲印をもって嶋村圓哲の作とは言い切れないことがわかる。
俊表71
嶋村という銘と圓哲の印が使われている例として、埼玉県草加市神明の東福寺の彫刻がある。
俊表D
この本殿に関する、草加市教育委員会の説明であるが、彫刻は嶋村圓哲としている。
俊表E
本堂の内陣と外陣の境に三つの彫刻がはめ込まれている。本堂そのものは幕末に建て直されたものだそうですが、この欄間の彫刻は前の本堂にあったものだそうです。
俊表G
真ん中の龍の彫刻である。
俊表H
左と右の彫刻は二十四孝を題材とした彫刻である。右側は、二十四孝の一人大瞬の彫刻である。
俊表J
左側は、董永の図である。
俊表I
この董永の図に銘が入っている
俊表L
俊表K















































この二十四孝の彫刻は、圓哲の彫ったもの、俊表の彫ったものと資料からわかっているものが他にあるので比較してみよう。
まず、圓哲の彫った二十四孝の彫刻が茨城県稲敷市阿波の大杉神社にある。
大杉神社1
本殿の周りの瑞垣に圓哲の彫った二十四孝がはめ込まれている。今の本殿そのものは最近建て替えられたものであるが、この二十四孝は神社に残る資料から圓哲の作とわかっているもので火災にあっているがなんとか焼けずにすんだようである。色彩豊かであるがこれは近年修復したためである。
大杉神社2
まず大瞬の図である
大杉神社5
大杉神社7
この図の説明である
大杉神社8




























次に董永の図である
大杉神社3
大杉神社6





















その説明である
大杉神社4
次に、俊表作の二十四孝は、成田市の成田山新勝寺にある。新勝寺には、圓哲と俊表の両方の作品がある。圓哲の彫刻はは三重塔、一切経堂、光明堂にある。
新勝寺1
本堂の左手にある、釈迦堂には俊表の二十四孝がある
新勝寺6
釈迦堂の軒に龍の彫刻があるが誰の作であろうか
新勝寺7
釈迦堂の左側面、裏側、右側面の戸に二十四孝が取り付けられている
新勝寺9
まず、董永の図のある戸である。一枚の戸に二つの題材が彫られている。この彫刻の左半分が董永の図である。
新勝寺D
新勝寺E
新勝寺F





































次に大瞬の図のある戸である
新勝寺A
新勝寺C













この戸の彫刻の左下に、俊表の銘がある
新勝寺B
草加の東福寺の二十四孝の彫刻と成田の新勝寺(俊表作)、稲敷の大杉神社(圓哲作)を比較してみると東福寺の彫刻は俊表の作品の可能性が高いような気がします。もしそうなら、俊表は嶋村という銘と圓哲の印を使っていた可能性が高くなる。

なお、新勝寺の旧本堂である光明堂の彫刻は、遠哲銘の墨書があることから、圓哲作が確実なものである。ここの軒の勾欄に龍の彫刻がある。向かって左の龍は顔がどこを向いているのかよくわからない。
新勝寺5
右の龍の写真である
新勝寺4
新勝寺3

川越氷川神社本殿の彫刻は、俊表作だが、軒の勾欄に三頭の龍の彫刻がある。
氷川神社1

















栃木県真岡市の大前(おおさき)神社の本殿の彫刻は嶋村圓哲の作である
大前神社1


















大前神社5







































本殿の軒には多くの龍が付いている
大前神社2





















彫刻の色が鮮やかなのは、20年前に塗りなおしたためだそうです。
大前神社4
大前神社3

竜神の山車の龍と、勝浦妙海寺の龍(俊表作)、川越氷川神社本殿の龍(俊表作)、新勝寺光明堂の龍(圓哲作)、大前神社(圓哲作)を比較してみると、竜神の山車の龍は俊表作の可能性のが高いような気がする。
圓哲と俊表の時代は二百年近く離れているので、科学的に年代を測定する方法はないであろうか。

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2013年03月04日

平林寺

川越の南新座市野火止に約13万坪の広大な、金鳳山平林寺という禅宗(臨済宗)のお寺がある。広大な庭は昔ながらの武蔵野の面影を残す地域として国の天然記念物になっている。
平林寺1
総門をくぐると、山門が正面にあり、さらに仏殿、本殿が一直線に並ぶ禅宗伽藍配置になっている。
平林寺2
平林寺は、元々は岩槻に、14世紀初めに建てられたお寺で家康の後ろ盾で大河内家という有力武士が庇護していた。この大河内家から永沢松平家に婿に入り、出世すると大河内松平家を起こした、松平信綱は、老中に出世し、さらに島原の乱を鎮圧した功により川越藩主になった。そこで先祖大河内家の墓所のある平林寺を岩槻から野火止へ移転しようとしたが荒れ地を理由に寺側に反対され、信綱の生前には実現しなかった。
平林寺3
山門をくぐると、仏殿である。平林寺を移転するためだけではないだろうが、信綱は自分の完成させた玉川上水を野火止の方にも分水し野火止新田開発の進展に寄与した。
平林寺4
仏殿を左に回り込み池の前から奥に入ってゆく。
平林寺5
仏殿の裏の本堂である。大河内松平家は三代にわたり川越藩主を務めたが、信綱の息子の輝綱の代に平林寺の現在地への移転が実現した。
平林寺51
本堂の裏手に回り込んでゆく途中に、島原の乱供養塔が立っている。島原の乱では原城に立て籠っていた天草四郎以下老若男女37,000人(半数は非戦闘員)が戦死や処刑でほぼ全員死亡したと言われている。
平林寺6
碑文によると、この塔は信綱死後ちょうど200年後に立てられている。
平林寺7





島原の乱供養塔の少し奥に、武田信玄の娘(見性院)の供養塔というのが立っている。見性院は、武田氏の重臣の穴山梅雪の妻である。穴山梅雪は、信玄の死後武田家と離反する形で、悲惨な死をとげているが、その妻を家康が引き取り、自分の息子や孫の乳母にしている。家康は春日局や英勝院(太田道灌の子孫)のように名門につながる女性を引き取っている。その家康の後ろ盾で創建された平林寺になんらかの縁で供養塔が立てられたのであろう。この塔に刻まれている元和八年は、見性院の死後数年後である。
平林寺8
さらに歩いていくと小さな橋があり、脇に野火止用水という標識が立っている。先に述べた野火止用水の跡である。
平林寺D
さらに行くと、松平信綱公一族の墓地の前に出る
平林寺9
墓地を左に見て少し行くと、松平信綱の墓がある(右側は奥方の墓である)
平林寺A
信綱の事跡である
平林寺B
平林寺C






















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2013年02月24日

川越武家屋敷

川越中央公民館(三久保町)に長島家住宅という市の指定史跡になっている、住居がある。ここは、元武家が住んでいた屋敷が明治期に増築、改造した部分もあるが、江戸時代武家が住んでいた建物もそのまま残されている。
永嶋家1


















この建物の案内ですが、武家屋敷が昔の形で残っているのは珍しいそうです。垣根はカラタチです。当時の武士は垣根にカラタチを植える場合が多かったようです。
永嶋家2





月に一回だけ公開されています。最近まで長島さんという方が住んでいたようです。玄関口です。
永嶋家3





江戸期には、三家族の250石から350石取りの武士が順次住んでいたことがわかっています。家老職の最低が500石ですので、中級以上の武士が住んでいました。ここは、かっての南大手門まで歩いて5分もかからない所にあります。庭から建物を見ると
永嶋家4
この家の間取りです。切腹の間といのがあります。
永嶋家5





家の中をのぞいてみると
永嶋家6
永嶋家7
永嶋家B
永嶋家A





門を入ってすぐ左手は土間になっています
永嶋家8
天井を見ると、元は茅葺だったことがわかります
永嶋家9








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