2009年11月07日

小江戸川越菊祭り

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11月1日より、喜多院境内で菊祭りが行なわれています
菊祭り1






















今年は第24回目です
菊祭り2




















菊祭り3























販売もしています。最近園芸店で売っている菊は、ビーナインという成長抑制剤で伸びなくしてあるのばかり売っていますが、ここでは自然のままのも売っていたので、買ってきました。もっとも、抑制剤で伸びなくしてあるのでも、来年はその効果は消えて、自然に伸びるそうです。
菊祭り5























菊祭り4





















菊祭り6






















菊祭り7























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2009年10月25日

川越祭り−会所

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川越祭りの山車を出す各町内には、祭りの事務局であり、神を向かえる場所としての会所が設営されます。まず氷川神社の前にある、宮下町の会所です。
宮下町会所



















松江町一丁目の会所
松江町一丁目会所1




















会所には祭壇が設けられ、設営時氷川神社の神主さんに祝詞を上げてもらいます
松江町一丁目会所2























テントをはって会所にするところもあれば、次の松江町二丁目の会所や六軒町の会所、元町一丁目の会所のように建物を開放して設営するところもあります
松江町二丁目の会所
松江町二丁目会所




















六軒町の会所
六軒町会所





















元町一丁目の会所
元町一丁目会所



















テント張りの会所ですが、中がこっている蓮雀町の会所
蓮雀町会所




















山車を出さない年でも会所は作られます。ここは仲町の会所です。山車を出さない代わりに、居囃子が演奏されています。この囃子は中台地区という郊外農村部の囃子連で、山車が出るときは、仲町の山車似乗って演奏します。中台囃子は江戸時代から伝わる王蔵流という囃子で県指定無形民族文化財です
仲町会所2



















仲町の会所は、神を迎えることを意識して、入り口に竹、置石、花等の飾りを置いています。多分昔は、他の会所でも、このようになっていたのではないかと思われます
仲町会所1































山車を出さない会所では、山車に乗せる人形を展示している場合が多いのですが、仲町では、羅陵王の人形(文久二年作)が飾ってあります
仲町会所3




























通町も今年は、山車を出しませんが、山車に乗せる鍾馗の人形を飾り居囃子が演奏しています
通町会所1






















山車が他所の町へ入る場合、まず先触れという役の人がその町の会所に挨拶します。通町の会所に挨拶に来た岸町2丁目の先触れです。
通町会所2






















末広町の会所です。ここも山車を出さない年です。他の会所と違い山車を会所の脇に置きそこで囃子を演じています
末広町会所1






















山車が他所の町の会所の前を通る時は、山車を会所に向け挨拶のお囃子の演奏をします。末広町の会所に向って、元町二丁目の山車がお囃子を披露しています
末広町会所2























川越八幡神社脇に設けられた南通町の会所です
南通町会所1




















会所には、町に伝わる納曾利の面が飾られています。この山車は人形を積んでいませんが次の年からはこの納曾利の面を飾るそうです。
南通町会所2
























南通町の一本柱万度型の山車が会所前から、出発するところです。とび職が木遣を唄い、その後引き出します
南通町会所3





















幸町の会所の前でお囃子を披露する、幸町の翁の山車です。この山車は江戸彫の名工野本民の助の彫刻が施されています
幸町会所2





















会所の中で一番立派な、元町二丁目の会所です
元町二丁目会所1




















元町二丁目の会所の中です
元町二丁目会所2


























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2009年10月24日

川越氷川神社神幸祭3

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神幸祭の行列が商工会議所の前を通過します
神幸祭D























神幸祭E

























神幸祭F
























旧市街地を一周した、行列は市役所前で、観衆にお披露目した後、氷川神社に戻ります
神幸祭G
























神幸祭の行列にお供してきた、山車が市役所前で、ひっかわせをしました
川越祭り2
























去年までは、市役所前に集まった観衆の前に各町の山車が勢揃いして、山車に関して案内をしていたのですが、今年は、ひっかわせに変えたそうです
川越祭り1


























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2009年10月20日

川越氷川神社 神幸祭2

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氷川神社を出た、神幸祭の行列が、一番街に続く札の辻辺りにやって来ました。
神幸祭9























行列は、猿田彦(天狗)、獅子頭、神輿と続きます。ちなみに、氷川神社に聞いたところ、この猿田彦の面、獅子頭は相当古いものなので松平信綱が寄進したものが塗りなおしされながら伝わっている可能性があるそうです。(神社でも詳しいことは解らなくなっているそうです)お神輿も、松平信綱の時代に描かれた絵と同じなので、修理されながら伝わっているものかもしれないとのことでした。
神幸祭H

























神幸祭A
























神幸際の行列に従って、宮下町の山車行列が来ます
神幸祭C


























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2009年10月19日

川越氷川神社 神幸祭1

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先週の10月17日、川越祭りに先立ち、氷川神社の神幸祭が行なわれました。川越祭りは、もともとこの神幸祭に対して、氏子側の町衆が山車を出してお迎えするという形で始まり、発展してきたそうです。
神幸祭は、江戸時代初め、知恵伊豆と言われ、幕府の老中であり、名君の誉れ高い川越藩主の松平伊豆守信綱が、氷川神社に獅子頭、神輿、太鼓等の祭礼具を寄進し、祭礼を勧めたことに始ります。
拝殿の前に、獅子頭が飾られていましたが、これははたして、信綱が寄進したそのものでしょうか
神幸祭1























神輿2基も置かれていますが、これも信綱が寄進したそのものでしょうか
神幸祭2





















神幸祭が始り、祭りのそれぞれの役の人が、姓と名の間に「の」を入れて呼ばれ、「おう」と答え、担当祭礼具を持って、行列の持ち場に着きます
神幸祭3

























神幸祭4
























勢揃いすると、大鳥居をくぐり、市街一周に出発します
神幸祭5
























神社を出て、市街へ向う行列です。宮司さんは馬に乗って進みます
神幸祭6






















最後に、斎姫の輿です
神幸祭7
























行列の後には、氷川神社のある宮下町の山車がお伴をします
神幸祭8
























川越祭りの山車は、門を曲がる時、普通「きりん」と呼ばれるジャッキで持ち上げて回転させますが、この山車は前輪にキャスターを付けて、神幸祭の行列にすぐに付いて行けるようになっています
神幸祭0



























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2009年10月11日

軒端揃い

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川越祭りまで、一週間の11日、山車の周る町内は紅白の幕が連なっています。
この建物は、一番街のやまわという陶器店です
軒端揃い1























一番街の建物の軒先に連なる、紅白幕で今日一斉に垂らしました。軒
端揃いと言います。
軒端揃い3























時の鐘の下の、軒端揃い。祭りの雰囲気が高まって来ました
軒端揃い2































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2009年09月09日

鎌倉十二所付近3

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朝比奈から十二所神社停留所に戻ります。すぐ脇を滑川(なめりがわ)が流れ
ています
十二所J























十二所神社停留所から鎌倉駅方面に歩いてくると、光触寺という案内板がありま
す。それに従い斜め左の小道を少し戻ると、光触寺の山門があります
十二所B























このお寺の案内板です。鎌倉時代に建てられたお寺のようです。説明板にある阿
弥陀如来像は、運慶作とも伝えられている国の重要文化財です。
十二所C











説明板にある塩舐め地蔵です
十二所D























芙蓉の花越しに本堂の屋根が見えます
十二所E























バス通りに戻り、また鎌倉駅方面に歩いて行くと、明王院という案内があります
それに従って、右手の道を行きます。五大堂明王院と刻まれた石が立っています
が、もともとは5つの伽藍が立ち並んでいたようですが、火事で焼けてしまい、
今は不動堂だけです
十二所F























このお寺の案内板です。鎌倉幕府4代将軍藤原頼経の願いで作られた、いわゆ
る将軍の御願寺です。三代将軍実朝が暗殺されたあと、実朝に子がなかったため
執権北條義時は、京都の摂関家に嫁いでいた源頼朝の姪の幼い子供を連れてきて
将軍にすえました。頼経は、成長して、二代将軍の血筋で唯一残っていた竹の御
所と呼ばれる女性と結婚しました。かなりの姉さん女房で、高齢出産で亡くなっ
てしまいました。ここに、頼朝の血筋は途絶えます。執権北條氏は頼経を傀儡と
していましたが、頼経が成人するに従い、自己主張するようになり執権北條氏に
反感を持つ、傍流北条氏やナンバー2御家人三浦氏と組み、執権北條氏と対立す
るようになります。そこで当時の執権北條泰時は、頼経を将軍から下ろし都に追
い返してしまいました
十二所G
















明王院の不動堂です。このお寺の裏山一帯は、今はカトリックの施設
となってい
ますが、鎌倉時代には、三代将軍実朝の御願寺、大慈寺という大寺院がありまし
たが、今では跡形もありません
十二所H































明王院から、バス通りに戻り、鎌倉駅方向に進むと、右手に足利公方邸旧跡とい
う石碑が立っています。
十二所I























鎌倉幕府が亡びたあと、室町将軍足利尊氏が、次男基氏を鎌倉に派遣し、関東の
経営にあたらせました。その中心になったのが、この足利公方邸で鎌倉府と呼ば
れ副将軍格でした。しかしやがて京都の室町幕府と対立するようになり、5代目
に至り、補佐役としておかれた管領上杉氏による下克上により下総古河に追い出
されてしまいます。古河公方として、一定の力を持っていたのですが、やがて
小田原北条氏(鎌倉幕府執権北條氏とは関係ありません)に破れ滅亡します。






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2009年09月08日

鎌倉十二所(じゅうにそう)付近2

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朝比奈の峠道に入ります
十二所6




















途中所々に額紫陽花が咲いています。9月でも咲くんですね
十二所7























お地蔵さんでしょうか
十二所8























峠の頂上です。鎌倉と横浜の市境になっています
十二所9























金沢方に少し下った所から峠を見上げて見ます
十二所A
























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2009年09月05日

鎌倉十二所(じゅうにそう)近辺1

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鎌倉駅から金沢八景に抜けるバスに乗り、金沢への峠の登り口十二所神社という
停留所で下ります。左の道は、戦後できた道で、右斜めに行く道が、鎌倉時代か
らの旧道です
十二所1




















金沢に向って左手の方に、十二所神社があります
十二所2























朝比奈峠方面の案内に従い旧道を行くと、やがて舗装が切れ山沿いの道になりま
す。
十二所0




















このやぐら(石室)の下辺りの川は、太刀洗(たちあらい)川と呼ばれています
源頼朝が、旗揚げし、房総で勢力を増している時最後まで、様子を見ていたが、
鎌倉に向って進軍を始めた段階で、二万旗を率いて加わった上総介広常という御
家人がいますが、その後平家との軍などで大いに働き頼朝の信任を得るようにな
りましたが、その剛直な性格のせいか頼朝に対しても大きな態度を取っていまし
た。広常に謀叛の疑いありと、梶原景時という御家人が讒言しましたが、それを
信じた頼朝の命令で、景時は広常を襲い討ち取ってしまいます。その凶行の帰り
に血刀を洗ったのが、この辺りだと言われています。梶原景時は、源平合戦の時
も源義経の態度を悪く頼朝に報告して、頼朝の義経に対する猜疑心を起こさせる
因となっています。
十二所3




















さらに進むと小さな滝があります
十二所4




















この辺りが、朝比奈峠への登り口で、説明の看板があります
十二所5


















この看板にあるように、鎌倉時代の歴史書、吾妻鏡には、三代執権北条泰時が
1240年に開いたと書かれていますが、伝説では、和田義盛の三男朝比奈三郎
義秀が開いたとも言われています。和田の領地は三浦半島の先端付近にあります
ので、そこと鎌倉を結ぶためだったのでしょうか。和田義秀は、父の義盛が北条
氏に対抗して1214年に乱を起こし敗れた時、戦死していますので、この伝
説だと朝比奈峠は、北条泰時の時代より前に開かれたことになりますが、単に朝
比奈という名前から連想されてできた伝説なのでしょうか。ちなみに義秀の母は
巴御前だと言われています。巴御前は、最初に平家を都から追い出した木曽義仲
の妾で、女ながらも軍の将として活躍しています。木曽義仲が義経に破れ敗死し
た時捕らえられ、鎌倉に送られました。後に、和田義盛の預かりになりましたが
義盛さんは、結局巴投げも食わず、手を付けたようです





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2009年08月16日

下新河岸

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江戸と川越を繋ぐ、新河岸川舟運の河岸場の一つ、下新河岸の跡です。川越市
街よりは1里ほど南(江戸より)です
新河岸1



















ここに建つ、河岸場跡に関する碑です
新河岸2




















新河岸川舟運は、江戸時代始めに始まり、川越と江戸間を荷物と人間を運び続け
ましたが、東武東上線の開通とともに昭和の始め使われなくなりました
新河岸3





















河岸場近くに残る、舟問屋伊勢安の建物です
新河岸4



















ここには、蔵が三つあり、表から、味噌、米、素麺用の蔵で、150〜200年
ほど前に建てられたものです
新河岸5





















河岸場の奥の広場です
新河岸A





















奥に石が三つ置かれています
新河岸B























向って左端の石には、70貫余と刻まれています。260kg強です。他の石にも
50貫、30貫と刻まれています。いわゆる力石と呼ばれるもので、力自慢による
力試しのために使われました。江戸時代から明治にかけて盛んに行なわれたそうです
新河岸C




















この広場の上に、日枝神社という神社があり、境内の入り口に、絵の刻まれた石が
2つ立っています
新河岸7



























新河岸8




























刻まれた絵は、仁王のようです。向って右が口を開いているので阿像、右が口を結
んでいるので吽像です。また刻まれた、作者銘は、英一笑となっていますが、一笑
は江戸時代後期の江戸で活躍した画家で、英一蝶につながる画家です
新河岸9



























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