2010年06月09日

はつみ・ひとみ/小野香代子

あまり覚えている人もいないかもしれないので書いておきますが、以前記したように、昔、ビッグボックスの上にビクターのスタジオみたいなものがあって、いつもそこでレコードを聞いていました。70年代のことです。

それである日、また行こうと思ったら、ビッグボックスの前に黒山の人だかりができていました。何かと思ったら、ビクター主催のイベントなんですね。新人の歌手が紹介されて、ちょうど歌うところでした。

はつみ・ひとみという双子の女性デュオで、「花時計」というデビュー曲を歌ったのですが、曲調はニューミュージックなのです。でも、2人ともスクールメイツみたいな揃いの衣装で、曲とは合っていないのです。

踊るような曲ではないのに、踊るような衣装で出てきて、しっとりと歌うものだから、黒山の人だかりはひたすらシーンとしていました。何かの間違いじゃないのかというムードで時間が推移したのです。

私は素直にいい曲だなと思って、その足でムトウレコード店に行って探したら、1枚だけありました。早速買って、家で何度も聞いたから、いまでも歌詞は覚えています。「ビートルズの好きな彼と・・・」

「ビートルズを知らない私・・・青春は花時計・・・」とかそんな歌詞です。静かにじわじわヒットするんじゃないかと思ったけれど、それっきりでしたね。惜しいな・・・と思って、ずっと気になっていました。

当時はピンク・レディーの全盛期でしたから、同じようなスタイルで売り込みをかけたのは無理もなかったかもしれないけれど、紙ふうせんみたいな曲調ですから、売り方とマッチするはずがないのです。

でもそれを強引に推し進めてしまうほど、ピンク・レディーの絶頂期というのは、大人の判断を狂わせていたのでしょうね。はつみ・ひとみは、どちらかというとポプコン向きだなと当時思っていたものです。

「花時計」は自作ではないので、作曲能力があったかどうかはわかりませんが、ソングライター路線で工作すれば、うまくいけば入賞ぐらいはしたかもしれない。それだけでも「らしさ」は表現できたと思います。

あの頃のポプコンはレベルが高すぎて、入賞すれば上等だったと思う。「花時計」がリリースされた77年のポプコングランプリは、小野香代子の「さよならの言葉」と、世良正則の「あんたのバラード」ですから。

それを考えると、はつみ・ひとみの売り方を思案したとき、生半可な実力路線で行くより、不似合いでもピンク・レディーの亜流の方がまだ生き残れると踏んだのかもしれない。結局ダメだったわけですが。

当時のポプコンは奇跡みたいな曲がいくつもあったけれど、わりとさっさといなくなる人も多かった。小野香代子さんは学業優先とかでデビューすらしなかったので、本当に奇跡として記憶にのみ残ったのです。

かわりに八神純子が「さよならの言葉」を歌って、それも非常によい仕上がりでしたが、この歌はやっぱり小野さんの表現力が絶品でした。歌詞で描かれる心情や息遣いそのままの語りだったのです。

YouTubeというのは本当に驚きです。よくもまあこの絵を持っている人がいたものです。二度と見られないと思っていたので、これも奇跡みたいなものかもしれない。でも、はつみ・ひとみはさすがにないですね。



koike_takehiko at 08:28コメント(2)音楽 

コメント一覧

2. Posted by 脱兎さん   2015年02月12日 23:04
はつみ・ひとみの検索で辿り着きました。
覚えている方はほとんどいないと思っていたところ、好意的な書き込みを見て嬉しくなりました。
マーケティングと彼女たちの意向が全くマッチせずに売り出してしまったと思います。
二人の歌う演歌を聞いたら感激しました。
もっと大人の歌を歌っていたら、長続きしたのではと思います。
たら、ればの話ですが。
1. Posted by いしい   2011年01月05日 21:33
中学のとき初めて生で聞いた曲でした。大好きでヨコハマジョイナスのライブにも何度も行って。
映像はないけど、ライブを生取りしたテープとLPがあります。

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