「企業の社会的責任」は何かと問われた場合、「納税」と答える人が最も多い。少し勉強した人になると「生き残りの経営戦略」とか「継続すること」などという答えが返ってきたりする。
いずれも間違ってはいないが、正解とも言えない。
なぜなら「納税」は企業でなくても、普通の国家に生活している者であれば、個人であろうとNPOであろうとすべてに共通する社会的責任である。「生き残りの経営戦略」というのは、結果的にはそうなるのかもしれないが「責任」そのものを言い表してはいない。「継続」にしても、ただ継続することのみで「責任」が全うされたと考えるのは少々都合が良すぎる気がする。
そんなわけで最近ではCSRのうち「企業の」に相当する「C」を外して「SR」としようという動きが出てきている。社会的責任は企業だけの問題ではなく、社会に生きるすべての人が共通して負っているという解釈だ。従業員が会社のCSR活動だからといって強制的にかり出され、いやいや身の入らないボランティア活動をしているようなケースを揶揄する面もあるのだろう。
東日本大震災では多くの人々が被災地にボランティアに出かけた。同胞が困っている時に団結して乗り越えようとする日本人の精神性に対して、諸外国から驚きと賞賛の声があがったのは、日本人としてとても誇らしいことだった。ところがゴールデンウィークを過ぎた頃からボランティアの数は激減し、今では被災地に行ってもボランティアの人たちはほとんど見かけない。
無理もない。誰にも自分の生活があり、そうそう会社を休むこともできないし、被災地までの交通費だって何回も行っていれば負担になってくる。そもそも個人に頼った長期の支援活動は難しいのだ。
本来であれば、いかにお役所仕事といえども、そろそろ役所がデバってさっさと復興が進んでいるはずなのだが、ご覧の通りの政治の混乱、財源不足、人手不足、そもそも自治体機能が停止している地域もあり思うに任せない。
そうなると残るは企業による支援しかない。筆者はすでに何度か被災地に足を運んでいるが、企業ができる支援は、規模の大小問わずたくさんある。企業とて本業で余裕があるなどというところは少数派であり、多くの企業がぎりぎりの人員でなんかと業務を回しているのが実情であろう。しかしそれでも個人でやるよりは、少しは余裕もあり、規模も大きなことができるはずである。被災地支援に関していえば、今はまさに企業の出番だ。
翻って、敢えてCSRの「C」にこだわり、「企業の」社会的責任について考えるとき、被災地の復興に限らず、環境問題、福祉問題、教育問題、防災などといった社会的課題については、企業が解決に乗り出すというのが、もっとも現実的なのではないだろうかと思えてくる。それがビジネスとして成立するか否かはともかく、企業はあらゆる社会的課題の解決に対してもっと積極的であるべきなのではないのだろうか。
CSRマネジメントシステムを取り入れる際、真っ先にやるのが「ステークホルダーニーズの析出」という作業だ。自社のステークホルダー(利害関係者)がどんなニーズを抱えているのか、つまり自社に対してどんな期待を抱いているのかを洗い出す作業である。
私たちの税金が復興に向けられるとなれば、被災地は全国民にとってのステークホルダーである。そのステークホルダーが自社に対して何らかの「期待」をしているのであれば、それに応えるのは自社の社会的責任である。しかし多くの場合、その支援活動が「今現在の」自社の事業領域から外れているという理由から「慈善事業」扱いされ、ときに「中止」の判断がなされる。
さて、その判断は本当に正しいと言えるのだろうか。常に消費者や社会の動向を捉えてニーズを先取りし、多くの人の役に立つ商品やサービスを提供するのが企業の使命であるとするならば、被災地のニーズはその企業の将来のビジネスになり得るとは考えられないだろうか。いや、ニーズがある以上、それを事業化して継続的にそのニーズに応えられるようにするのが、それこそ「企業の」社会的責任なのではないだろうか。
景気低迷を言い訳にして、あまりにも「今現在の」事業領域にしがみつくばかりに、新しいニーズに応えようという気概を失ってしまったら、企業としての存在意義をも失うことになりはしないだろうか。
被災地復興、原発問題、 さらにはヨーロッパの情勢不安や北朝鮮の問題など複数の問題を抱え、国家運営にかなりの困難が予想される2012年。今年こそ企業人は「日本経済再興」の志を掲げ、自らの存在意義を社会に問うべきときである。後の世の教科書に、平成の危機は全国の企業人の私心を捨てた行動によって救われたと書かれるように、高らかに「CSR」を掲げ、立ち上がろう企業人。



