http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news4viptasu/1420426306/

1 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 11:51:46.98 ID:MxH7/mRw0.net
今年、母が亡くなった。

遅い反抗期だったと思う。中学生まで親に逆らわず良い子だった俺が、
高校生になり急に親に反抗するようになった。
母親には罵声を浴びせ、家に帰らない日々が続いた。

高校卒業と同時に家出同然に実家を出た。
最初のうちはそれでも住所くらいは伝えていたが、
住所を何度か変えるうちいつの間にか両親との連絡は一切途絶えてしまっていた。
唯一電話番号を教えていた(それでも一切連絡のなかった)弟から電話が来たのは、
俺の彼女のお腹に子供がいることが判明した今年2月の事だった。

母が倒れたと言う。
両親に対する反抗心はもうなかったが、いまさら帰るのは正直億劫だった。
母が深刻な状態などとは思ってもいなかった。
それでも行く気になったのは、彼女を紹介しようと考えたからだ。

母親が亡くなったのは、翌日俺たちが高速道路を走っている頃だったらしい。
久しぶりに会った親父はひどく小さな背中をしていた。
相変わらずの無骨な声で、「よう」だか「おう」だか一言発しただけだった。
母は俺の記憶とは全く違う老いた顔で、それでも安らかな表情で眠っていた。
涙は出なかった。

葬儀も終わって一週間位たった頃、親父から俺宛にひとつの段ボール箱が届いた。
中身は父の無骨な字で書かれた「母さんの形見だ」というメッセージと大量の手紙、
そして、ひとつの指輪だった。
百通以上はあろうかという手紙は、すべて母が俺に宛てて書いたもので、
俺が家を出た頃から書いていたらしい。
母らしい丁寧な字で ひたすら俺のことを心配する、そして自分の不甲斐なさを俺に詫びる内容だった。
それらの手紙は、親父らしからぬ几帳面さできちんと順番に梱包されていた。
同封されていた指輪にも一通の手紙が添えられていた。
「この指輪は、私のお母さん、つまりあなたのおばあちゃんの形見です。
私が結婚するときにもらったものです。
あなたにいい人ができたら、この指輪をプレゼントしてあげてください。
私の両親や私たちのように、幸せな家庭を築いてください。」
俺は指輪と手紙を彼女に渡して、黙って寝室に行った。

しばらくして彼女が真っ暗な部屋に入ってきて、俺の背中に背中を合わせて座った。
すすり泣いていた。
その時、「あぁ、泣いてもいいんだ」と思った。
涙が出てきた。止まらなかった。母さんごめんな。そしてありがとう。
生まれてくる娘の名前には、あなたから一文字頂きます。
あなたに返せなかった愛情を、そのぶんこの子に与えられるように。

そして、あなたの優しさや強さをこの子に伝えるために。

lgf01a201411032100

2 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 11:52:34.61 ID:MxH7/mRw0.net
私の父と母は、昔から仲が悪かった。
喧嘩する仲というよりも、冷え切っていた。
それは小学生だった頃の私にもわかる程だった。
気付いたら父が別居していたりと、どちらかというと母と一緒にいた記憶のほうが多い。
強くて美しい母は、私には冷たかった。理由は未だにわからない。
母が夜に遊びに出掛けるのを、私が泣いて嫌がると、重いソファーに潰して出掛けたり
学校の帰りが少しでも遅くなると、遠くから走って家に入ろうとする私を、
母は玄関から冷たい目で睨み、玄関の鍵を締めたり、とにかく、嫌われていた。
そして私は、どんどん壁を作った。傷つかないように。
大好きなママに、これ以上嫌われないように。

私が中学生になった時には、既に完全に別居となっていて、父と会う事はほぼなくなっていた。
兄はグレてしまい、高校を中退し家を出ていってしまった。
冷え切った関係のまま、母と私の二人暮しで数年過ごした。
中学三年の半ばのある日、ママは夜遊びをせず家にいた。嫌な予感がした。
ご飯を食べ終わった後、ママは言った「ママ、離婚して東京に行くから」
美人で、気丈なママが、私の膝の上で泣いた。初めて泣いた。
壁が出来上がっていた私には、無表情で「そう」「うん」としか言えなかった。
でも、そんなママの姿を見て私の涙は止まらなかった。
ママは私を嫌っているのに、なぜ泣く?

私が高校に上がったら出ていく、とママは宣言した。
ママとの二人暮しも、高校に上がったら終わり。
それからのママは、壁はあるものの優しかった。
高校の入学式の朝、ママは数年ぶりに「おはよう」と言ってくれた。
気恥ずかしいせいか、笑顔ではなかった。でもママなりに頑張ったんだと思う。
部屋の中の片隅には、ママの荷物がまとまっていた。
洗濯や掃除も、すべて片付いていた。
「○○が家に帰ってきたら、ママいないからね」と念を押した。
泣かない。絶対に泣かない
そして、私は玄関を出た。薄いカーテン越しに、私を見ているのがわかった。
どんな気持ちで見ているのかはわからなかった。

入学式が終わると、走って家に帰った
もちろんママは、いなかった
大好きなママ、ひとりぼっちの家、ひとりぼっちの高校生活、手料理の味
涙が、止まらなかった。

3 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 11:56:29.83 ID:MxH7/mRw0.net
あの日俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕食も食べずに部屋に篭もった
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたようだ、が、父親が部屋に飛び込んで来たので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の父親の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげて下さいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のためにはアイスを買いに行って事故にあったとわかった

通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんな
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている。

4 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 11:58:05.98 ID:MxH7/mRw0.net
今年の3月
高校卒業と大学入学祝いに父と2人きりで初めて酒を飲んだ
父と対座して酒を酌み交わすってのが
なんとも居心地が微妙なもので・・・。
かといって 下戸なのですぐに酔ってしまい、
父はカラカラと、これじゃあ酒でまだお前に負けることはないなと
笑っていた。

しかしその3日後に緊急入院。
末期の食道癌で家に帰ることなく闘病7ヶ月でこの10月10日に逝った。
あの日が最初で最後の父と息子の晩酌だった・・・。


父の遺品を整理していると、ワインが納屋からまだいくつか出てきた。
几帳面な父らしく綺麗に生理整頓されていた。
俺は銘柄の良し悪しは良く分からないが、ラベルを見てみると、
何か文字がメモしてあった。

「××(俺の名)大学卒業用」
「××就職時用」
「××結婚時用」

瓶を抱いて俺はずっと泣いてしまった・・・。
ワインをあける機会を奪った病気を恨んだ。

もっと酒を教えてもらえばよかったと、もっと色々話しすればよかった

本当に・・・。

6 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 12:00:04.35 ID:MxH7/mRw0.net
学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。
本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので結局日帰りにしてしまった。
母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んでいると、父が会社から帰ってきた。
口数が少なく、何かにつけて小言や私や母の愚痴を言う父親のことが苦手で、一緒に居ると息苦しさを感じていたので、父が帰宅する前に帰ってしまいたいということもあり日帰りにし、ひいては家から通えない距離の学校を選んだのも理由の一つだった。

父が、「なんだお前、泊まるんじゃなかったのか」と訊いたので、
「ちょっと忙しいから」とぶっきらぼうに答えると、
「そうか・・・」と言いながら手に持っていた ドーナツの箱を私に差し出し、
「これやるから、電車の中で食え。道中長いだろうから」と言った。
電車の中ではさすがに食べられないと思いながらも受け取った。

駅に着くと、電車は行ったばかりのようで人気がなく、30分は待たされるようだった。
小腹が減ったので、父からもらったドーナツの箱を開けた。
3個ずつ3種類入っていた。
家族3人でお茶するつもりだったんだなぁ。 でも、私が9個貰っても食べきれないよ・・・
箱の中を覗き込みながら苦笑した。
その直後。
あぁ、あの人は凄く不器用なだけなんだろうな―。
ふとそう思うと、涙がぼろぼろ出てきた。

様々な感情や思い出が泡のように浮かんでは消えるけど、どれもこれも
切なかったり苦かったりばっかりで。
手持ちのポケットティッシュが無くなっても、ハンカチが洗濯直後の干す前みたいに濡れても涙は止まらなくて、
結局、もう一本あとの電車が来るまで駅のベンチでずっと泣き続けていた・・・。

7 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/01/05(月) 12:00:14.10 ID:zoR3AW3G0.net
  :γ´⌒`ヽ:
 :(  ;ω;):  えぐっ・・えぐっ・・
  :(:::::::::::::):  ずれたよ…
  : し─J:..

8 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 12:00:55.45 ID:MxH7/mRw0.net
>>7
ずれたんかいw


母が脳梗塞で死んだ。
43歳だった。

10日まで元気だったのに。急に逝ってしまった。本当に急に・・・
11日の朝、母は低血圧で夜遅い仕事のせいもあるのだが朝が弱い、朝食を作るのは俺の日課になっていた。
いつもみたいに朝御飯作って母さんを起こしに「ごはんできたぞ」と呼んだ。
でもいくら呼んでも返事がなかった。いつももう少し寝かせてとぶーぶー文句言いながらも、絶対に起きてくるのに、おかしいと思って見に行ったら母さんはもう冷たくなってた。
最初はふざけてるのかと思った・・・

俺がまだ3歳のときに父親が死んで女手一つで俺を育ててくれた母さん。
よく口論もしたし引っ叩かれもした。まるで姉弟のようにほんとよく喧嘩した。
母さんが会社の帰りに飲みにいって終電なくなると毎回俺が呼び出された。
あきる野に住んでるってのに新宿だ、吉祥寺だと。
あちこち呼び出され、ほんとアホかと。

高校卒業間近の時、金きついのに大学いかせてくれた。
金ないんだから働くよと言ったら、おもいっきり引っ叩いてまで俺を大学に行かせてくれた。
今年大学をキッチリ卒業して就職してこれからやっと親孝行できる身になったのに…。
なのに母さんは急に死んでしまった・・・

友達や親族とかにこの顔見せるのはさすがに辛いからここだけで叫ばせてくれ。
かなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしい
どうしよう。なんかもうなにしていいのかわからない。
今年の年末年始は母さんを旅行に連れてってやろうと思ってて…。
もう計画だってちゃんと立っててあとは年末年始を待つだけだった…。
結局俺はなにもしてあげられなかった。

母さんの生命力吸い取るだけ吸い取って。
一人前に俺がなると生命力吸われすぎて交代のように母さんだけ消えてしまった…。
やっと親戚も全員帰ってくれてこれでやっと一人で泣ける。
なんか泣くのガマンしすぎた。
これ書きながら涙とまらない。
母さん幸せだったのかな。幸せにしてあげたかったな。
女で1つで育ててくれた母さんに親孝行したかった・・・・

9 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 12:03:52.50 ID:MxH7/mRw0.net
俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。
この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、
やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。

あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。
でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。

当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、
「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。

それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。

そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。

10 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 12:06:01.42 ID:MxH7/mRw0.net
大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。

俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」

正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。
往年の面影も消え、ガリガリになった親父がまた時計をくれた。
まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」
オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。

俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・・
親父が死んだ今も、金ピカの時計はまだ時を刻んでいる。

11 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 12:07:47.42 ID:MxH7/mRw0.net
私の父は無口で頑固で本当にこわくて
親戚中が一目置いている人でした。
家に行ってもいつもお酒を飲んでいて
その横で母がせわしなく動いていた記憶があります。

私が結婚する事になり、ドキドキしながら主人を連れて行くと
ずっと黙ったままやっと口を開くと
「ビールは何を飲むんや?」でした。
その日はなんとか無事に終わり、式の当日終始酒をつぎにまわってた。
その後、子供が生まれ少し育児ノイローゼ気味になった私を見て
なぜか毎日孫の世話をしに来るようになった。
当然子供の面倒など見たことないので、する事がめちゃくちゃで
イライラしていた私は嫌味ばかり言ってしまった。
2ヵ月後、あまり調子がよくないと言っていた矢先他界した。
なんでもっと優しくしてあげなかったんだろう?
紙オムツの仕方を聞かれて、それぐらいわかるでしょって
なんで冷たく言っちゃったんだろう?
あの日、自分でどうにかしようと思って変な形になったオムツが
残されてた・・・
その後、毎日つけていた日記が見つかり、式の当日
「あのバカ娘がとうとう嫁に行った。最後の挨拶では涙が出た。
幸せになれ。」って書いてた。
おまけに家には主人があの日答えた「アサヒビール」が
押入れいっぱい詰められていた。

12 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 12:09:15.17 ID:MxH7/mRw0.net
母というものを知らずに育っていた。
でも、祖父母も父も俺を愛情を持って育ててくれていたし、
祖母は事あるたびに母の悪口を言っていたから、会いたいと思ったこともなく、
むしろ憎んでいたかもしれない。

中学2年の夏休みの頃だったか、予定より早く部活を終え、帰宅すると、
家の前に見知らぬ女性がいた。

にっこり笑いかけ○○君でしょ?って声をかけて来た。
頷くと、祖母を訪ねて来たが留守のようなので困っていたとのこと。
待っていうちにお腹がすいて来たので、おごるから一緒に近くで食事をしないかと言われた。
自分も空腹だったので、不審に思いながらも付き合うことにした。

ファミレスで彼女は食事をしながら俺にわからないように何度も涙をぬぐっていた。
俺もいくらなんでも彼女が何者なのかを察していたが、知らないふりを通していた。

「おばさんのお父さんがね、昔、事業に失敗して大きな借金を作っちゃったの、
おばさん、保証人になっていたから借金取りが私のところにも来ちゃって大変だったのよ。
その時○○君のご家族にもご迷惑かけちゃって・・・」
と離婚の原因になったようなことも話していた。

その女性はそれ以降も何度か俺の前に現れては食事に誘ったりお小遣いをくれたが、
どこかのオバサンという認識でしか考えないようにしていた。

でも、そのうち、彼女がやってくるのを心待ちにしていることに気が付いた。
(決してお小遣いをくれたり食事を食べさせてくれるから、というのじゃなく)
祖父母や父は絶対そんなことがあったことを知らないと思っていた。

高校受験が間近に迫っていた頃、祖母がポツリと独り言のように言った。
「そろそろ、母ちゃんって呼んでやりんさいな。あんたももうわかっとるんやろ?」

13 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 12:10:52.28 ID:MxH7/mRw0.net
これ、反抗期の時の話しなんだけど、今でも忘れられない。
幼い頃からずっと片親で育ってきた私は、父親と二人暮らしをしてた。
友達や親戚から見ても、誰から見ても、私を大事に宝物の様に可愛がってくれて、
一生懸命働いてくれてた。

私の願い事は無理してでも、自分を犠牲にしてでも叶えてくれた。
風邪の時には仕事さぼってでも側に居てくれてた。
寂しい思いはさせなかったと思う。
二人きりだけどクリスマスや誕生日も毎年してくれた。
けど、十代半ば、反抗期のせいで、父の優しさが凄くうざくなってきたんだ。
心配される事とか、口聞く事も、すべてがうっとおしくなったんだ。
私は毎晩、夜遅く帰って来て、父が心配してくれても、私は父に罵声しかあびせなかった。
友達と遊ぶ事が楽しくて、だんだん家にも帰らなくなった。
そんな毎日を繰り返し、また夜、久しぶりに帰ったら私の分のおかずとか、
小さなケーキがおいてあったんだ。
もう誕生日も二~三日すぎてたのに、おいてあって、毎日ご飯作って、
いつ帰って来るのか分からない私をずっと待っていてくれてたんだとおもったら、
切なくて悲しくて申し訳なくて涙が溢れてきた。
そして無造作に置かれてた小銭入れ、ボロボロな汚い小銭入れ、
私が幼稚園の頃に父の日にあげたやつ。まだ使ってたんだ。
父は、ほんとに私を誰よりも何よりも大切な宝モノなんだって事が胸につきささって、
父に優しくしてあげられなかった事に、また泣いた。
また後から知った事だけど、私が小さい頃に書いた父の日のカードも、肌身離さず持っていました。
あの一件以来、私はちゃんと帰るようにはなりました。

そんなこんなで今私は結婚もして、もうすぐで子供も産まれます。
私は父がくれたあの愛情を、これから産まれてくる子供にたっぷりそそぎます。
そんな私をこれからも空から見守っててください。
お父さん、こんな私を育ててくれてありがとう。私はとっても幸せです。大好きだったよ。

14 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 12:13:27.27 ID:MxH7/mRw0.net
突然、心臓麻痺で倒れて、そのまま父は逝った。
旅行先だった。父さんが一番楽しみにしてた。
毎月でも行きたかったけど、家が貧乏だから。
毎年だけど夏に海へ行ってたんだ。
一日目の海ではしゃいでた父がまだ残ってるよ。
子供みたいにはしゃいでから寝てたアンタを見るのが、毎年の楽しみだったよ。
一日目の夜に、明日は○○海岸行こうって、ホント子供みてーだなぁとか言ってからかってた。
そんで次の朝なかなか起きない父を見てオレは泣きそうになった。
父が冷たかった。
昨日あんなにはしゃいでたのにな。はしゃぎすぎたんじゃねーの?
それでも俺は泣かなかった。家族の前で泣くやつは男じゃないとか勝手に造ってて。
妹も母も泣きじゃくってた。見てるのが辛かった。
それでもオレは、ばかみてー意地張ってに泣かなかった。
数日後に、母さんが俺と妹に真剣な顔で言ってきた。
父さんは元々、心臓が弱かったらしい。
医者とかにも、海は行くなって言われてたらしいけど
なんで海に行くのをおkしてくれたのか、後になって母さんにだけ教えてくれたらしい。
母さんはまた泣きながら俺たちに話してくれた。
父さんはもう自分が長くはないって分かってたらしい。
だから、最後に家族で沢山思い出を作ってやりたいんだって
子供たちに、いい親父だった。って言わせてやるんだって
母さんが泣いて、妹も泣き始めた。
オレももう、泣かずにはいられなかった。
はじめて家族の前で泣いた。どんな時も泣かなかったのにはじめて泣いた。
馬鹿な親父だな。もう一年生きてたら最高の親父だったよ。
でもオレには馬鹿な父親じゃないとダメだった。
アンタが馬鹿でよかったよ。最高なんていらないんだよ。

ありがとう父さん。いつかオレがそっちに行っても、ずっと馬鹿な親父でいてよ。

15 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 12:15:21.76 ID:MxH7/mRw0.net
俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。

この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、
良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、
やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。
あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、
寂しくもなかった。
でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、
その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。
当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、
「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、
とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら
遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、
俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。

それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。
そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、
親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。

16 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 12:17:32.12 ID:MxH7/mRw0.net
ふと気がつけば、もう随分と昔の話。
学校帰りに東武のデパ地下を通りかかると、丁度パン屋でメロンパンが焼きあがったところだった。
試食させてもらうと中々美味かったので、俺はオヤジへの土産と自分の分の二つを買った。
甘いものが好きで子供舌なオヤジの事だから、多分メロンパンも好きだろうと思ったのだ。

当時、オヤジはガンの手術を受けた直後。家のベッドで療養していた。
衰弱して手足を満足に動かせないオヤジに、俺はメロンパンを千切って食べさせた。
「うん、美味いな」
「だろ?だから思わず買ってきたんだって。もっと喰う?」
「……いや、いい」
オヤジはメロンパンを二欠片しか喰ってくれなかった。
ちょっと拍子抜けして、俺はほぼ二個のメロンパンを平らげた。

それから数ヶ月。
転移したガンにやられ、オヤジは51歳で天国へ長期出張。
通夜・葬式と慌しく時間が過ぎ、やっと一段落した時、俺は初めてお袋にあの時のメロンパンの話をした。
そこで初めて知った事が二つ。
オヤジはそんなにメロンパンが好きではなかったという事。
あの時、既にオヤジは口から食べ物を摂取できる状態ではなく、
たった一片のメロンパンでさえ食べるのが苦しかったはずであるという事。

オヤジは無理してメロンパンを食ってくれたのだ。断ってしまって、俺が傷つかないように。

メロンパンを見せた時の「おぉ!」という声と笑顔。
「喰う?」と聞いた時にも躊躇い無く「喰う」と答えてくれた。
思い出して、涙が止まらなかった。

一昨日、職場のおばちゃんが美味しいメロンパンを買ってきて、俺におすそ分けしてくれた。
俺が思わず涙ぐんだ理由をおばちゃんは知らない。

17 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 12:20:04.22 ID:MxH7/mRw0.net
母が俺の部屋にきて今日のごはんについて聞いてきた
「たけし 今日ご飯なににする?」
からあげが食べたかったが、
素直に「から揚げが食べたい」といえなかったので
「なんでもいい!」と答えた
「なんでもいいが1番困るのよ~、ねえ何がいい」
母があまりにしつこいので酷い言葉を浴びせてしまった
「なんでもいいから、早く作れよ!!」
母はすこし悲しそうな顔で台所に向かった
「たけしー ご飯よー」
しばらくして母に呼ばれたが、すぐには向かわなかった
よばれてからかなり後に食卓に向かうと、そこでは母が待っていた
母が持ってきたのは俺が食べたかった、から揚げだった・・・
なんだかとてもうれしかったので 洗物をしている母に
久しぶりに「ごちそうさま」といった
すると母は今まで見たことのないくらいの笑顔で
「ありがとう」といった
久々に見た母の笑顔だった
うれしかったが、今まで「ごちそうさま」という
こんな当たり前の言葉も 言えなかった自分を
恥じないではいられなかった
今度機会があったら、母に「いつもありがとう」と伝えたいと思う・・・

18 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 12:24:25.12 ID:MxH7/mRw0.net
おととしの、秋の話しです。
私が小学校5年の時に家をでて、居場所のわからなかった母に、
祖母の葬式の時、23年振りで、顔をあわせました。
その時、母の家に遊びに行く約束をしました。

その日は、私が料理を作りました。
ハンバーグと肉じゃがと、簡単なサラダです。
2人で食事をして、お酒を飲んで、
はじめはあたりさわりのない話しをしてましたが、
だんだん、「何故いなくなったのか?」という話しになりました。
母はたんたんと話します。
私も、母がつらくならないように、途中、冗談を入れながら、
聞きました。
帰る時、「今日はおかあちゃん、なんも できひんかってごめんな。」と、
言ったので、私は「ほな、残ったごはんで、おにぎり作って」と言いました。
母は、「そんなんで、ええんか」と笑いながら作ってくれました。
帰り、駅からタクシーに乗りました。
今日のことを思い出しているうちに、不覚にも涙がててきました。
運転手さんがびっくりして、「気分悪いんか?」と
聞かはりました。私は、
「いえ、なんか、嬉しくって、泣けてきちゃったんです」と、
泣き笑いしながら、運転手さんに、今日の事を短く話しました。
すると、運転手さんも一緒に泣き出してしまいました。
「よかったな、よかったな」と鼻水まですすってました。
家に持って帰ってきたおにぎりは、冷凍庫にいれて、
元気のない日に、1コづつ、大事に大事に、食べました。

19 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 12:25:53.53 ID:MxH7/mRw0.net
おれは今22歳の誕生日を迎えようとしている。
家族は姉、母、血の繋がっていない父がいる。
おれが7歳のとき離婚したのだ。
おれが小学校のとき学校から帰ってくると家には親父がいた。
母は働いて帰りが遅いし、姉も遊びに行ってしまっていなかった。
毎日毎日喧嘩ばかりしていた親。やさしくなんかなかった親父。
その親父がおれにファミコンを持ってきてくれた。
勿論うちは貧乏だって幼いながらわかっていた。
友達の周りにはスーパーファミコンを持っているヤツがチラホラ出てきたころだ。
でもおれは嬉しかった。
しかし感謝の言葉がうまく出なかったのを覚えている。
ドクターマリオも買ってきてくれたので二人して遊んだ。
親父はすぐ帰ってしまった。
母に来たことは内緒なと言われたがそのとき意味はわからなかった。
その日から母の帰ってくるまで毎日二人でドクターマリオをやっていた。
ただ純粋に幸せだった。
ずっと厳しかった親父。すぐ殴る親父。おれにも母にも。ずっと嫌いだった親父。
だから感謝の言葉が出なかった。
中学に上がり自然と親父とは会わなくなってきた。年に数回会うくらいに。
おれが19歳のとき、親父は大腸癌の為、亡くなった。
涙が、止まらなかった。何故か、止まらなかった。
いい思い出なんかなかったのに・・・。
今この歳になり、あのとき親父がおれにしてくれたやさしさがわかった。
淋しかったおれの為に・・・。
おれの部屋にはまだファミコンがインテリアとして置いてある。
彼女にはいい加減捨てなよと言われるが笑って流している。
捨てるわけにはいかない。大切なものだ。
素直に『ありがとう』と言えなかった後悔を忘れないために。
今いくら言っても届きはしないが、この場を借りて
ありがとう親父。
そして今日もホコリをかぶったファミコンにはドクターマリオがささっている。

20 :誰か支援お願いしますm(_ _)m@\(^o^)/:2015/01/05(月) 12:39:56.94 ID:MxH7/mRw0.net
今年、母が亡くなった。

遅い反抗期だったと思う。

中学生まで親に逆らわず良い子だった俺が、高校生になり急に親に反抗するようになった。

母親には罵声を浴びせ、家に帰らない日々が続いた。


高校卒業と同時に家出同然に実家を出た。

最初のうちはそれでも住所くらいは伝えていたが、住所を何度か変えるうち

いつの間にか両親との連絡は一切途絶えてしまっていた。


唯一電話番号を教えていた(それでも一切連絡のなかった)弟から電話が来たのは、

俺の彼女のお腹に子供がいることが判明した今年2月の事だった。

母が倒れたと言う。


両親に対する反抗心はもうなかったが、いまさら帰るのは正直億劫だった。

母が深刻な状態などとは思ってもいなかった。

それでも行く気になったのは、彼女を紹介しようと考えたからだ。


母親が亡くなったのは、翌日俺たちが高速道路を走っている頃だったらしい。

久しぶりに会った親父はひどく小さな背中をしていた。

相変わらずの無骨な声で、「よう」だか「おう」だか一言発しただけだった。

母は俺の記憶とは全く違う老いた顔で、それでも安らかな表情で眠っていた。

涙は出なかった。

葬儀も終わって一週間位たった頃、親父から俺宛にひとつの段ボール箱が届いた。

中身は父の無骨な字で書かれた「母さんの形見だ」というメッセージと大量の手紙、

そして、ひとつの指輪だった。


百通以上はあろうかという手紙は、すべて母が俺に宛てて書いたもので、

21 :誰か支援お願いしますm(_ _)m@\(^o^)/:2015/01/05(月) 12:46:59.14 ID:MxH7/mRw0.net
俺が家を出た頃から書いていたらしい。母らしい丁寧な字で

ひたすら俺のことを心配する、そして自分の不甲斐なさを俺に詫びる内容だった。

それらの手紙は、親父らしからぬ几帳面さできちんと順番に梱包されていた。


同封されていた指輪にも一通の手紙が添えられていた。

「この指輪は、私のお母さん、つまりあなたのおばあちゃんの形見です。

私が結婚するときにもらったものです。あなたにいい人ができたら、

この指輪をプレゼントしてあげてください。私の両親や私たちのように、

幸せな家庭を築いてください。」


俺は指輪と手紙を彼女に渡して、黙って寝室に行った。

しばらくして彼女が真っ暗な部屋に入ってきて、

俺の背中に背中を合わせて座った。すすり泣いていた。

その時、「あぁ、泣いてもいいんだ」と思った。涙が出てきた。止まらなかった。


母さんごめんな。そしてありがとう。

生まれてくる娘の名前には、あなたから一文字頂きます。

あなたに返せなかった愛情を、そのぶんこの子に与えられるように。

そして、あなたの優しさや強さをこの子に伝えるために。

23 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 13:04:20.44 ID:MxH7/mRw0.net
支援ありがとうございますm(_ _)m


俺が家を出た頃から書いていたらしい。母らしい丁寧な字で

ひたすら俺のことを心配する、そして自分の不甲斐なさを俺に詫びる内容だった。

それらの手紙は、親父らしからぬ几帳面さできちんと順番に梱包されていた。


同封されていた指輪にも一通の手紙が添えられていた。

「この指輪は、私のお母さん、つまりあなたのおばあちゃんの形見です。

私が結婚するときにもらったものです。あなたにいい人ができたら、

この指輪をプレゼントしてあげてください。私の両親や私たちのように、

幸せな家庭を築いてください。」


俺は指輪と手紙を彼女に渡して、黙って寝室に行った。

しばらくして彼女が真っ暗な部屋に入ってきて、

俺の背中に背中を合わせて座った。すすり泣いていた。

その時、「あぁ、泣いてもいいんだ」と思った。涙が出てきた。止まらなかった。


母さんごめんな。そしてありがとう。

生まれてくる娘の名前には、あなたから一文字頂きます。

あなたに返せなかった愛情を、そのぶんこの子に与えられるように。

そして、あなたの優しさや強さをこの子に伝えるために。

24 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 13:06:00.79 ID:MxH7/mRw0.net
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。

友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし
彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」
日記はあの日で終わっていた。

25 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 13:08:13.41 ID:MxH7/mRw0.net
もう10年も前の話。
妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。

妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、
私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。

実際私も、妻の面影を追う毎日であった。
寂しさが家中を包み込んでいるようだった。
そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、
実家の母にしばらくきてもらうことになった。

出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。
2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。
そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。
“ママとおどろう”だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、
園児と母親が手をつなぎ、輪になってお遊戯をするような内容だった。
こんなときにそんなプログラムを組むなんて・・・

「まぁ、行くよ♪」 娘だった。
息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走っていった。
一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。
隣に座っていた母がこう言った。

あなたがこの間、九州へ行っていた時に、
正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。
そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、
「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?」
「本当はパパだってとってもさみしいの、」
「だけどパパは泣いたりしないでしょ?」
「それはね、パパが男の子だからなんだよ。まぁも男の子だよね。」
「だから、だいじょうぶだよね?」
「お姉ちゃんが、パパとまぁのママになるから。」
そう言っていたのよ。

何ということだ。娘が私の変わりにこの家を守ろうとしている。
場所もわきまえず、流れてくる涙を止めることが出来なかった。

10年たった今、無性にあの頃のことを思い出し、また涙が出てくる。
来年から上京する娘、おとうさんは君に何かしてあげられたかい?

君に今、どうしても伝えたいことがある。
支えてくれてありがとう。君は最高のママだったよ。
私にとっても、正樹にとっても。
ありがとう。

27 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 13:13:49.07 ID:MxH7/mRw0.net
友達と女4人で焼肉屋で飲んでた時。
経緯は忘れたけど、ジャンケンで負けた人が親に電話して
「生んでくれてありがとう」を言う、って流れになった。

電話つながった時から上の台詞を言うまでの会話は自由、
言った後電話切るまでも自由。
出身地の方言も可。
おふざけは厳禁、真剣に伝える事…というルール。
なぜか皆本気で、後には引かないとか言い出す始末。
初っ端から私が負け、
30分前に用事で電話したばかりの父に電話する事になった。

電話はつながり話し始めたものの
前置きばかり長くなり、外野は野次飛ばし始めるし
こっちは焦って頭真っ白になってくる。
昔は脱サラ親父なんて一生許さん、恥ずかしいとしか思ってなかったけど、
自分も仕事するようになって、最近では今の仕事してる父さんは
すごく誇りに思える。そんな父さんの娘に生まれて本当によかったと思う、
「生んでくれてありがとう」…って言った時、
顔上げたら友達皆泣いてやがった。
何人事で泣いてんだつーの。
でも「何や、どうした今日は」と言う父のほくほく顔が目に浮かんで、
電話切ってから、私も滝の様に涙出てきて声あげて泣いてしまった。

DQNばっかりの安っすい焼肉屋で、何やってんだろorz
でも泣けてきて仕方なかったんだよなば

28 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 13:14:37.31 ID:MxH7/mRw0.net
あの日、俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕飯も食べずに部屋に篭った
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたようだ、が、父親が部屋に飛び込んできたので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の親父の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげてくださいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間に外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のために母はアイスを買いに行って事故にあったとわかった

通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんな
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている

29 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 13:15:14.04 ID:MxH7/mRw0.net
俺が小学生になったばかりのころ、お袋が免許を取った。親父は免許を持っていなかった。
免許取ったお袋は平日に一人でディーラーに行って車を買ってきた。
数週間後に届いたクルマは5thスカイライン。もちろんMT。
俺の子供の頃の家族旅行の思い出はいつもこのスカイラインとともにある。
歳月は過ぎ俺が高校生になったころ、11年になるスカイラインはまだうちにあった。
しかしもう家族で出かけることもなくなり、ファミリーカーとしての役目は終えていた。
俺が免許を取ったとき、その古いスカイラインを運転することが格好悪く思えてすごくイヤだった。
親父とお袋に頼み込んで新しいクルマに買い換えてもらった。
俺の希望によって買ったのは初代のレガシィ。
納車の日、ピカピカのレガシィがやってきて大はしゃぎの俺。そんな俺の後ろで
お袋は走り去ってゆくぼろいスカイラインの後ろ姿を追っていた。

お袋は泣いていた。

ものすごいショックが俺を襲った。あのクルマはお袋にとってどんな思いが詰まって
いたんだろう? 幼い俺を連れてあちこちドライブするために免許を取り自分で選んだスカイライン。
その瞬間まで全然気が付かなかった。気づいたときにはもうスカイラインの姿は見えなくなっていた。
結局お袋はその後あまりクルマを運転しなくなった。
お袋にとってはあのスカイラインが一生に一台っきりのクルマだった。

30 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 13:16:38.54 ID:MxH7/mRw0.net
「ありがとう、私は3つの宝を持ってると思ってます」
と慣れないメールを一生懸命返信してくれた。ちょっと泣いた。
普段口にするのは恥ずかしいこともメールだと伝えられていいね。
ちなみに私は昨年結婚したので「宝がひとつ増えた」そうです。

31 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 13:17:11.41 ID:MxH7/mRw0.net
結婚が決まり、実家から引越しのその日に父から来たメールです。
新居で一人、荷物を片付けていると携帯が鳴りました。

『結婚おめでとう。
今日からが○○(私の名前)の人生のスタートになるんだろうと思います。
○○には、沢山苦労をかけてしまったけれど彼と幸せになるんだよ。
辛かったらいつでも帰っておいで。
お父さんとお母さんは、いつでも待っています。』


家具一つない新居で、一人ワンワン泣きました・・・

お父さん、私は幸せにやってます。
年末には帰るからね。

32 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 13:18:39.01 ID:MxH7/mRw0.net
もう10年前の話し。
犬が大嫌いと言う父。
猫は可愛くてたまらんと
目尻を下げる。
今日は こんな嫌な犬を見て 腹が立ったなどと言う。
ある寒い夜 父から携帯に電話がきて
いますぐ近くの健康ランドへ紐をもって来い。早く。
私は よくわからないまま 車で5分ほどの場所にむかった
話をきくと 通勤通路のこの場所に数日前から可哀相な犬がいて
ご飯も食べてないはずだから
連れて帰るということだった
犬は嫌いだし怖いから紐で捕まえてつれてこい
俺は先にかえるといい
18の娘おいて帰った…

結局つかまらず 帰ったら犬小屋作ってた…
よくわからんよ 父ちゃん。

35 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 13:22:49.23 ID:MxH7/mRw0.net
社会人になって初めて迎えた母さんの誕生日。
「いつもありがとう」ってプレゼントを渡したかった。

でも照れくさいし、もし選んだプレゼントが気に入ってもらえないと怖かった。
だから「選ぶのめんどいから」って嘘ついてデパートに連れて行って、
「何でもいいから適当に買えよ」とぶっきらぼうに言うと、
「高いエプロンだけどいい?」とおずおずと見せに来て、値札見たらたった3000円。
「こんな安物かよ」とひったくって後ろ向いて、泣きそうな顔を見られないようにレジに走った。

服でもバックでも、ほかに何でもあるだろ、財布の中に給料全部入れてきたんだぞ!って涙が出たけど、トイレで急いで顔洗って、そ知らぬ顔で袋を渡した。
そしたら、母さんがうれしそうにそれを抱きしめたのを見て、また泣きそうになった。

いまでも帰るたびにそのエプロンつけて飯作ってくれて、ありがとう。ほんと美味いよ。世界一だ。
いつも素直になれなくてごめん。
マザコンでもいいよ、母さん大好きだ。



おまいら生きてるうちに親孝行しとけ。いなくなってからじゃ後悔しかできないぞ。これはマジだ。

36 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 13:23:36.13 ID:MxH7/mRw0.net
結構長い話が多いのでゆっくり貼っていきます!

37 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 13:26:59.19 ID:MxH7/mRw0.net
いきなり母が電話で聞いてきた。
当時、大学三年生で就活で大変な頃だった。
「忙しいから駄目」と言ったのだが母はなかなか諦めない。
「どうしても駄目?」
「今大事な時期だから。就職決まったらね」
「そう・・・」
母は残念そうに電話を切った。
急になんだろうと思ったが気にしないでおいた。

それから半年後に母が死んだ。癌だった。
医者からは余命半年と言われてたらしい。
医者や親戚には息子が今大事な時期で、心配するから連絡しないでくれと念を押していたらしい。
父母俺と三人家族で中学の頃、父が交通事故で死に、パートをして大学まで行かせてくれた母。
沖縄に行きたいというのは今まで俺のためだけに生きてきた母の最初で最後のワガママだった。

叔母から母が病院で最後まで持っていた小学生の頃の自分の絵日記を渡された。
パラパラとめくると写真が挟んであるページがあった。
絵日記には

「今日は沖縄に遊びにきた。海がきれいで雲がきれいですごく楽しい。ずっと遊んでいたら旅館に帰ってから全身がやけてむちゃくちゃ痛かった。」
・・・というような事が書いてあった。すっかり忘れていた記憶を思い出す事が出来た。

自分は大きくなったらお金を貯めて父母を沖縄に連れていってあげる。
というようなことをこの旅行の後、言ったと思う。
母はそれをずっと覚えていたのだ。
そして挟んである写真には自分を真ん中に砂浜での三人が楽しそうに映っていた。

自分は母が電話をしてきた時、どうして母の唯一のワガママを聞いてやれなかったのか。
もう恩返しする事が出来ない・・・
涙がぶわっと溢れてきて止められなかった。

38 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/01/05(月) 13:30:45.24 ID:EuMCnopo0.net
長い三行

39 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 13:32:04.99 ID:MxH7/mRw0.net
母がとある売店のパートで働いてた頃のこと。
同僚の若い子が海外旅行のために長期の休暇を取ったもんで人手不足気味の職場だったこともありその分の穴埋めとして母が休み返上での連勤することになってしまった。

目に見えて疲れてたものの母は愚痴も言わず働きに出てて、私はそんな母を励ましたいというか元気付けたいなと思いながらも気の利いたことも言えず
「職場から『お前いらない』っていわれるよりは、『来てくれ』って言われるほうがまだいいよ」
とか何とか言っただけ。
母は笑ってそれを聞いてたし、私も深くは考えてなかった。

でもその1ヶ月ちょい経った後、夜中に母が一人で泣いてるのを見つけて、びっくりしてどうしたの!って聞いたら、母は泣きながら仕事をやめたことと、実はずっと職場で孤立してたということを話した。
さっき書いた若い子の穴埋めのための連続勤務中も上司はずっと母に
「ババアと一緒で気分悪い」とか「ホントはすぐクビにしたいけど仕方ないから雇ってやってる」とか言われ続けてたそうで、それでも仕事を続けたのは私の学費とかがあったからで、毎日夜寝る前に一人でこっそり泣いてたんだそうで。

悪気は本当に無かったんだけど、私が言った「いらないって言われるよりは~」って言葉も結果的に母を追い詰める形になってて、すごい後悔した。
うちはお父さんがいないから、辛い時に家族として支えになれるのは娘の私しかいなかったのに、全く支えになれなかったどころか追い討ちかけてしまってすごく申し訳なくて私も大泣きしてしまった。

それから別のところでまたパートとして働き始めた母は、今度は人間関係にも恵まれて
(もちろん、休みとかもちゃんと平等に取らせてくれるし)元気になったけど、誰にも文句を言わず一人で嫌がらせとかに耐えてた母の当時の辛さを思うとすごく悲しくなる。

40 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 13:46:55.05 ID:MxH7/mRw0.net
保育園の頃、みんながアニメとかキャラ物の布団持って来てる中
うちは母さんがドラえもんを描いてくれた白い布団だった

ある時「うわ~〇〇ちゃんのお布団の絵、凄い上手~!」
と誰かが言い出し、みんなが俺の布団を取り囲んだ。俺は誇らしかった

数年前、実家の親が引っ越すってんで嫁さんと手伝っていた時に
全く使って無いような押し入れから、少し黄ばんだ子供用の布団が出て来た
「これはあの時の布団だ・・・!」
直感した俺は、嫁さんに保育園での話をしながら布団を広げてみた



めっちゃ下手だったよwなんかドラえもんが胡瓜みたいなのww
でも凄い一生懸命描いてあった。青い部分は細かく縦線引いてあったりね

うちは貧乏だったけど、親には本当感謝しています
金無い分工夫してくれた母さん、ありがとう

41 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 13:47:59.33 ID:MxH7/mRw0.net
私が子供の頃、父との海水浴で一緒に沖に一つのタイヤ試用の貸し浮き輪につかまって浮いていたら、いきなりゴムが破けて役に立たなくなった。
その時父は「大丈夫だよ~」と私を首に捕まらせてゆっくり岸に泳いでいったので、全然怖くなく安心して捕まってたよ

そしたらたまたま近くにボートに乗った人が現れて、私をボートに乗せてくれたとたん、父が沈んでいってビックリしたww

父は私には平気な顔をしていたけど限界だったんだね
結局、父もそのボートの人に助けられて無事だったけど、後からもし一緒に沈んだら死んでも死に切れない!何とか子供だけでも・・
と最後の方は無意識で泳いでいたそうだ

父は何というか、暴力的では無かったけど家に寄り付かないわ
愛人は作るわ借金こさえるわで、ろくでもない奴だったけど
あの時の記憶があるから、最後のところで父を許しているし
自分も完璧な親である必要は無いが、いざとなったら子供を守れる親でありたいと思う。

出来るかどうかは判らないが、そうありたいと思うよ

42 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 13:48:51.44 ID:MxH7/mRw0.net
今日滅茶苦茶泣いた。


当方女。母親に突然謝られた。
「たくさん酷いこと言って御免。お母さんの事嫌いよね。御免なさいね。許してもらえないだろうけど御免なさいね」

何言ってんだっつって笑い飛ばそうと思ったんだけど、
「6年生の時、水泳の選手に選ばれたのに、お兄ちゃんの受験ばっかり心配で”そんなこと大したことじゃない”って言ってごめんね」
と言われた瞬間に思い切り涙と鼻水が出やがった。

それ、ついこの間、酔っ払った勢いで親父に言ったことだったんだよ。親父から聞いたのか。
でもさ、些細なことだったし、兄貴の受験が大事なのって当たり前だったじゃん。
お母さんも大変だったし。いっぱいいっぱいだったの知ってるよ。
だから大したことないよって思ってたんだよ。飲んだついでに言った笑い話のつもりだったんだよ。
私、全然気にしてないと思ってたんだよ。自分が。
でも凄く気にしてたんだなーって気が付いて涙が出た。
で、こんな事を今更言う母親が物凄く物凄く辛い思いをしたんだろうなって思ったら本当涙が止まらないんでやんの。
母親をいじめたような気持ちになった。親父に言わなければ良かった。
お母さん御免なさい。昔の事なんかどうでもいいんだってば。御免なさい。
泣きながら謝るのやめて下さい。


なんかもう、本当、自分アホ。泣ける。

43 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 13:51:33.21 ID:MxH7/mRw0.net
主人は3年前に左目を失明した
義眼を入れているので、見た目は言われなければわからない

失明した原因は当時1歳7ヶ月だった息子とじゃれあって遊んでいた時
おもちゃの先端が主人の左目に運悪く刺さってしまったからだ
事故当時、主人より息子の方が泣き叫んでいたように感じる
子供心にただ事ではないことを感じていたんだろう
傷の具合が良くなくなってから主人は、自分の運転中に何かあってはならない、と車の運転をやめた
趣味だったバイクも売った
ただ、いつの日か後ろに乗せて一緒に出かけるために、と息子の1歳の誕生日に買った
新品の子供用ヘルメットはまだ家にある

4歳を過ぎた息子は今、父親の左目が見えないことも、なぜそうなったかも、まだ知らないはずだ
言ってはならないと主人にきつく言われているし、私自身わざわざ教える必要もないと思っているからだ
ひょっとしたらもう父親の異変に気づいてるのかも知れない

主人は今日も息子と一緒に公園に出かけ、大はしゃぎしながら帰ってきた
いずれ父の左目が見えないことも、その理由も知る時が必ずやってくるだろう
だけど私には泣きじゃくる息子の頭を笑顔で撫でている主人しか想像できない

主人が、父親が、彼で本当によかったと感謝の気持ちでいっぱいだ

44 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 13:55:09.81 ID:MxH7/mRw0.net
まったく関係ない話だが。
昔、父親に誕生日プレゼント買ってやると言われ、おもちゃ屋に行ったときのこと。
本当はゴジラの電動ラジコンみたいなのが欲しかったんだが、貧乏な家だったので漏れは父親の財布を心配してラジコンより50円安かったゴジラのプラモを選んだ。

父親は「ラジコンでもええねんぞ」と言ってくれたが、50円といえば5円チョコを10個も買える。
大金だと思った。だからプラモを選んだ。

家に帰ってさっそくプラモを作った。
ちんぷんかんぷんだったが、父親とワイワイ言いながら結局1週間ぐらいかかったかなぁ。
一緒に笑いあったあの時間は、今思い返すと50円以上の価値があったと思う。
ゴジラは去年、父親の遺骨と一緒に墓に納めました。
覚えてくれてるかな。
一緒に作った楽しかった時間。

45 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 13:59:50.45 ID:MxH7/mRw0.net
325: 05/17 03:26
昨日、スロットやりに近所のホールに行
ったんですよ。で、北斗の台に座ったらさ、その隣にウチの母親が座ってたの。
もうマジでびびった。そのホールは実家
から遠い所にあるし、母親は基本的にパ
チのシマにしか行かなかった人だし。
それに勘当同然で家追い出されてから、
一年ぶりくらいに顔合わせあってのもあ
っ て、もう本当に気まずくて。シカトし
て席を立つ訳にもいかないし、どうしよ
うどうしようってテンパってたら向こう
から「元気そうだね」って話しかけてき
て さ。「うん」って答えたら、「あんた
パチスロなんかやるのねー。お金も困っ
てなさそうね。安心した」って言われて。
その言葉に胸のあたりがウアーッて熱くなって、此処が店だって事も忘れて泣いちゃったのよ、恥ずかしいんだけどさ。んで「いつでも帰って来て良いんだからね」って言葉に更に大泣き。
私は涙流しながら、母と一緒に仲良く打ちました。

その後、私は単発地獄-50k。母はボヌス大爆発、ラオウ昇天×2。
母はやはり偉大です。

47 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:01:55.18 ID:Re/VoG5y0.net
若い兄ちゃんが携帯をいじっていた。隣にばあちゃんがいて、ばあちゃんは
「医療機器使ってるから電源切ってください」と言った。
その男は「来たメールを読んでるだけだから」と言って、いじるのを止めない。隣のリーマンが
「今は読んでるだけでも読んでるうちにメールが来るかもしれないだろ。切りなさい」
と言った。兄ちゃん、怒り狂った口調で「ああ?!!」
逆切れだ!リーマンやばいぞ!(兄ちゃんはかなりいいガタイ)
見てる人が皆そう思ったとき、兄ちゃんは携帯をリーマンに突きつけながら言った。
「見ろよ!俺に来た最後のメールは4ヶ月前だ! それ以来誰も送ってこないんだよ! 今更誰が送って来るんだよ!!! 俺から送る相手もいないんだよ!!!」
みんな黙り込んだ。しかしその中に一人だけ、無愛想な顔をして彼に近付く若い女がいた。
彼女は男から携帯を奪い取ると何か操作をして、再度男に突き返した。
男が呆然としていると、女は自分の携帯をいじり始めた。
しばらくして、男の携帯が鳴った。
男は目を見開いてぱちぱちさせながら携帯を見た。
もうね、多分みんな心の中で泣いてた。男も泣いてた。
世界は愛によって回っているんだと実感した。
ばあちゃんは死んだ。

48 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:05:06.82 ID:MxH7/mRw0.net
>>47
それ面白い話やw

49 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:06:46.04 ID:MxH7/mRw0.net
826: ぱくぱく名無しさん 02/13 10:26
幼稚園の時でした。
そのころ、休みの日の昼飯は親父がいつも作っていた。親父は結婚前一人暮らしが長かったからそれで料理を覚えたと言っていた。結婚後も家族サービスでたまに料理していた。そんな親父が料理しているのが面白そうで俺はせがんで教えてもらった。
最初は卵焼き。それからチャーハンとか、色々と教わった。そんな俺を見てお袋も楽しそうに包丁の使い方教えてくれた。小学生になる頃にはお袋の代わりに晩飯作るようになった。2つ下の妹はあまり料理に興味を示さなかった分、二人とも俺に色々と教えてくれました。

親父、料理好きだったな。仕事で中国に行った時には餃子作り方教わってきて作ってくれた。国内もいろいろ行ったからあちこちの料理教わってきて作ってくれた。

そんな親父は単身赴任先で急死した。
親父のアパートの台所には最後に作ったイカと大根の煮物が残っていた。それを家族みんなで泣きながらたべた。最後の親父の手料理でした。
お袋の味はいつか越えられるように頑張っているけど俺は親父の味超えられるのかなあ。

50 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:08:56.52 ID:MxH7/mRw0.net
俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。
俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」
なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!
って悪態ついたときの母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。

どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、
ニチイのゲーム売り場の前まで来て買うのやめた。

そのかわりに小3の妹にアシックスのジャージを買ってやった。
いままで俺のお下がりを折って着ていたから。

母にはハンドクリーム買ってやった。
いっつも手が荒れてたから。

去年俺は結婚したんだけど、
結婚式前日に母に大事そうに錆びたハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね、、。初めて言ったよ。。

「生んでくれてありがとう」
って。

51 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:14:49.78 ID:MxH7/mRw0.net
俺のオカン。アホなオカン。
何回言うても違う銘柄のタバコ買ってくる。
俺のオカン。ドジなオカン。
いっつもなんもないとこでこけかけとる。
俺のオカン。機械音痴なオカン。
未だにメールが上手く打てへん。
俺のオカン。優しいオカン。
「金ない」言うたらすぐ財布から金出してくる。
金ないんちゃうんか。
親父が死んで1人で働いてギリギリの生活してんのに、
笑顔で「これ少ないけど」って2千円。
俺にこんなキレイな金使う資格ないねん。
俺万引きもしてるし人の金パクったりもしてんねん。
見てみぃ、俺にそんな金渡したからまたオカンのメシだけむっちゃ少ないやないか。
「オカン明日も仕事やろ、食えや」
って言うても
「腹減ってへん。ええさかいアンタ食べ」
って。
ウソつくなや、オカンむちゃくちゃ痩せたやないか。
ゴメンてオカン、俺バイトするからもう無理せんといてくれや。
見てみぃ、オカン倒れたやないか。
自分が情けなくてしょうがなかったわ。
せやのになんで見舞いに行ったら「ゴメンな、ゴメンな」て謝んねん。
謝んのは俺やろが。
ええから早よ元気なってまたドジでアホなオカン見せてくれや。
俺ちゃんとバイトしてるし。
またメール教えたるやん。

せやのに


せやのになんで死ぬねん。
なんで最後まで謝りながら逝くねん。
オカン死んだん俺のせいやん。
アホか。
ホンマにアホやな、オカンは。
でも一番のアホは

俺やな。
ゴメンな、オカン。
俺親父とオカンの生き残した分一生懸命生きるし、どっかで見といてな。
ありがとう、俺のオカン。

52 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:18:37.74 ID:MxH7/mRw0.net
俺は母親が嫌いだ。大嫌いだ。
おせっかいなとこが嫌いだ。何よりも子供を一番に考えるとこが嫌いだ。
大学に入り、一人暮しを始めて二年も経つ俺を赤ちゃんみたいに心配するとこが嫌いだ。
今まで付き合った彼女より誰よりも俺を心配してくるとこが嫌いだ。
金が無くなって「もっと金を送れ!」と、言って結局送ってくるくせに
しぶるとこが嫌いだ。「こんな家に生まれてこなければよかった」と、言うと
電話越しに本気で泣くとこが嫌いだ。

俺は母親が嫌いだ。とにかく嫌いだ。
そんな母親がこの間死んだ。毎日のように俺を心配してかけてくる電話が
ただただウザくて、俺は携帯の電源を切っていた。だから、通夜にも行けなかった。
死因は働き過ぎでの過労と、電話が繋がらない俺を心配して体調を悪くした併発だった。

俺は母親が嫌いだ。自分の給料の倍以上の仕送りをする為に、働き過ぎるとこが嫌いだ。
こんな俺のために死んだ母親が嫌いだ。五十年近くの人生の半分を俺に費やしたとこが嫌いだ。
死ぬ直前まで、俺の声を聞きたがっていたとこが嫌いだ。

俺が毎日2chに入り浸っているとも知らず、死ぬまで働いた母親が嫌いだ。
今日をもって、俺は2chを引退する。嫌いだった母親にしてあげれなかった
親孝行を今更だがしたい。受け止めれない程の愛をくれた母親の為に頑張って生きていきたい

53 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:23:05.91 ID:MxH7/mRw0.net
火曜日に正社員の面接行ったのね。もうこれで20数社目。
今まで全部駄目だった。
それで、その日は車でしか行けないところだったんで、
母親が仕事を休んで付き添ってくれた。
駐車場の社内に母を待たせて面接してもらった。
出てきたのは社長と人事課長。社長が絵に書いたような悪人顔でさ。
鼻くそほじりながら履歴書見て「職歴なし?あんたもう30だろ?」
「バイトなら経験あるっていったって職歴なしは職歴なしだろう?」
「うちでそんなの雇うわけないだろ?もう帰ってくれ。用はないだろ。終わり終わり」

車に戻ると母は面接には触れず、「また寒くなるんだって、今ラジオで行ってた」
「ごはん食べて帰ろうか」って。

無言のままうどん屋に入ってカツ丼食べた。
そしたら母親が「受かるといいねー」って言うからさ、俺答えに困っちゃってさ。
で、いろんな言い訳考えた末に正直に「いや、駄目だったんだ、今日も」といった。

母親、「また次も送っていくよ、カツ丼、あんまりおいしくなかったね」だってさ。

今頃になって泣けてきたよ。情けねーなー。就職してーなー。

54 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:24:55.37 ID:MxH7/mRw0.net
そういえばふと考えるとさ。

俺の母親は自分の服や鞄は全く買わないんだ。化粧もしない。
昔は「女なんだから少しは気使えよ!」って思ったけどさ。
そうじゃないんだよな。
自分の物買うより家族の物を買ってたんだよな。
子供の服や文房具代や生活費や。

食事もそうだ。そういえば好きな食べ物なんて知らないんだ。
俺達(子供)が欲しがったら全部くれるんだ。
「いいのよ。全部食べなさい」って。

母親の好きな食べ物ってなんだろう。
明日聞いて買いに行こうと思う。

55 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:32:47.46 ID:F4CMmT0A0.net
見てるよ

57 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:37:41.85 ID:MxH7/mRw0.net
>>55
ありがとうございます!!
m(_ _)m


アレだな、大学から一人暮らし始めて、一年位経った頃。
ふと輪ゴムが必要になって、部屋にあるわけねーよなと、押入れに入れてる小タンス
の引き出し開けた時、輪ゴムの箱があったのよ。
恐らく引越しの時に、実家で使いかけの箱を持たせてくれたのだろう、
長い間使わなかったとしても痛まないように、サランラップで巻いてあった。
引越し当時、親が色々世話焼くのが鬱陶しくて、○○持ってく?と言われても
ことごとく必要になったら買うからイラネと跳ね除けていたのを思い出し、
一人暮らし1年目にして初めて泣いた夜になった。おかん、ありがとう

56 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:36:54.30 ID:MxH7/mRw0.net
今日さ、友達の買物につきあってデパート行ったわけ。
遠方に住んでる両親に送るプレゼント選ぶとか言って夫婦茶碗とか見てんの。
ようやく決めて会計する時に、10日に着くように送ってくださいとか頼んでて。

で、10日ってその子の誕生日なんだけどさ。
なんで自分の誕生日なのに親宛でプレゼントとか贈ってんのw
と聞いたら友達が照れくさそうに笑って

『あ、これね、産んでくれてありがとうのプレゼント』

だってさ。
自分で稼げるようになってから毎年贈ってるらしい。
なんか家帰ってからじんわり涙でた。

58 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:42:14.32 ID:MxH7/mRw0.net
夏休みで実家に帰省していた最後の日に母親が
「これ持っていきなさい」と、おにぎりを渡された。
すでにタオルや洗剤を、お土産?として持たされていた俺は、
「これ以上は、荷物が増えるから、こんなんいらねー」って断ったんだけど、
母親は「いいから、この位持っていけるでしょッ」と強引にカバンに詰め込みました。
それで、お互いにムッとして気まずいままに、俺は実家を出ました。
でも実際、住んでいる所へ戻る途中、お腹が空いたので、
そのおにぎりを食べたのですが、何年かぶりに食べた母親の大きなおにぎりは、
コンビニのおにぎりよりも断然に美味しかった。

母さん、ゴメンナサイ、アリガトウ。

59 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:43:00.32 ID:MxH7/mRw0.net
妹に「母の日に何か送らないの?」といわれた。
社会人になってはや数年。
母の日に何か贈るなんて、小学校の授業参観以来。
たまには送ってやるか、と思ってネットで華を配達できるサーヒスをみつけ、
カーネーションを送った。

数日後。
母からのメール「涙が出ました。花束とメッセージ、ありがとう」

たいしたことないって。
メッセージなんて、何種類か用意されているのを適当に選んだだけだから。

「忙しいでしょうに、そのこころづかいがうれしいです」

ネットで頼めるんだよ。5分もかからないよ。


「この花、押し花にして大事にするね」

そんなことせんでいいよ!来年もまた送ってやるからさ!

60 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:44:58.94 ID:MxH7/mRw0.net
私の部屋(生まれる前は応接室だった)にずっと母の本棚がある。

母が集めている推理小説とか過去にもらった本とかがたくさん入ってて、
私は特に本棚の中を開けてみたり触ったりもしなかった。

数年前、ちょっと捜し物をしていて母の本棚を探っていたら
「○○小学校」と書かれた母の母校の小学校の古い文集が
あるのが目に止まった。

好奇心だけで「どんなくだらないこと書いてたのかな~♪」って読んでみたら
他の子(母の同級生)は家族で旅行をして楽しかったとか、
遠足でみんなで遊んだ思い出とかを書いているのに対して、
母の作文だけタイトルが「おとうさんの入院」だった。

読むのをためらうタイトルだったけど読んでみると
「私のお父さんが入院しました」
から始まって小学生の子供が書いたとは思えないほどの
深刻な内容がそこに・・・
読み終わる頃には涙が止まりませんでした。

おじいちゃん(母の父)は病気で母が高校生の時に亡くなったんだけど、
とても苦労したんだなぁと思った。

私は父と仲が悪くケンカばかりしてて
母が「お父さんになんてこと言うの!お父さんを大切にしなさい」
と言うことの意味がその時やっとわかりました。

気づくのが遅かったかもしれないけど、
これからも両親を大切にしていきたいと思う。

61 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:47:02.32 ID:MxH7/mRw0.net
実家の両親に彼が結婚の申し込みをしに、挨拶に来た。
会話は和やかで結婚の話にも触れていたし、
両親も私と彼の結婚を祝福してくれていたが、彼は、
「お嬢さんと結婚させてください!」のようなセリフを言えないでいた。

彼は話を切り出すタイミングを失っている様子だった。
結局、彼は確信の言葉を口にせぬまま宴は終了した。
私は彼を送るために玄関に先に出た。
しばらくして、彼も玄関の方にやってきた。
彼は両親にペコリと頭を下げて私の実家を後にした。

私は彼を近くまで送っていった。
すると、彼がポツリと言った。
「お父さん、泣いていたよ・・・。」
私はどうして父が泣いていたのか彼に尋ねた。

「○○ちゃん(私)が、先に玄関に行ったでしょ。
その時、俺、お父さんに
『○○ちゃんを幸せにしますから』って言ったんだ。
そうしたら、お父さんは俺の手を握って、薄っすら涙を浮べながら、
『娘を宜しくお願いします』って言ってくれた。」
私はその話を聞いて、目頭が熱くなった。

その後、しばらくして私は彼と結婚した。
たまに実家に帰ると、父は殆どお酒が飲めないのに、
夫と酒を飲みたがった。

後で聞いた話だが、
父は親類に以前、「○○は嫁には出さん!」と語っていたらしい。
しかし、父は夫を本当の息子のようにとても可愛がってくれ、
夫をいつも誉めてくれた。

結婚3年目の今年、父が他界した。

夫は「お父さんにロクに親孝行をしてあげれなかったな・・・」と言った。
私も、父に親孝行らしい事を殆どしてあげれなかった。
でも父は、息子と一緒に酒を飲めることが出来て、
幸せだったのかな・・・と思うことが、慰めになっている。

62 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:49:46.94 ID:MxH7/mRw0.net
俺の家は貧乏だった。運動会の日も、授業参観の日さえも
オカンは働きに行っていた、そんな家だった。

そんな俺の15歳の誕生日、オカンが嬉しそうに俺にプレゼント
を渡してくれた。ミチコロンドンのトレーナーだった。
俺はありがとうと言いつつも、恥ずかしくて着られないな、
と内心思っていた。

その夜考えていた。差し歯を入れるお金もないオカン、
美容院に行くのは最高の贅沢、手はかさかさで、化粧なんて当然
していない。こんなトレーナー買うくらいなら他の事に使えよ・・・。
そんな事を考えながら、もう何年も見ていない昔のアルバムを
見てみたくなった。若い時のオカンが写っている。

えっ!俺は目を疑った。それはまるで別人だった。綺麗に化粧をし、
健康的な肌に白い歯を覗かせながら笑っている美人のオカンがいた。
俺は涙が止まらなくなった。俺を育てる為に女を捨てたオカン。
ミチコロンドンのトレーナーを腕に抱き、その夜は眠った記憶がある。

それから少しばかり時は流れ、俺は高校卒業後の進路を考えなければ
いけない時期になっていた。大学進学はとっくに諦めていた。
学校で三者面談が行われた時、オカンが先生に向かって言った。
大学に行かせるにはいくらお金が掛かるのですか?
俺は耳を疑った。びっくりしている俺を横目に、オカンは通帳を
先生に見せて、これで行けますか?と真っ直ぐな眼で先生を見つめた。

それから俺は死に物狂いで勉強し、大学に合格することができた。
郷里を離れる際、オカンが俺に真っ赤なマフラーを渡してくれた。
学費を稼ぎながらの大学の生活は苦しくもあったが、マフラーを
見ると元気が出た。

それから時は流れ、会計士になった俺は来年の春、結婚する。
そして生活を共にする。俺と最愛の妻と最愛の母とで。
なんとしても二人を守ってみせる。
色褪せたトレーナーとほつれたマフラーを目を前にして俺はそう誓った。
サンキュー、オカン。

63 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:50:49.09 ID:MxH7/mRw0.net
永久保存って書いたカセットがでてきたから、なんだと
思って聞いてみたら
赤ん坊の頃で訳のわからないことしゃべってる俺と、
両親の楽しそうな会話が入ってた

それ聞いてたら、なんか涙が止まらなくなった
いま両親が家庭内別居って状態だったり、
俺が両親の期待に添えなかった自分へ後悔とか
色々な気持ちが出てきて、涙が止まらん

父ちゃん母ちゃんこんな俺の世話をしてくれてありがとう

64 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:55:46.34 ID:MxH7/mRw0.net
俺が23歳の頃、就職1年目の冬、俺の誕生日の日のこと。

職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、家に
「今日は遅くなるよ。 ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、
父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」 と言う。

「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」
と俺が言うと、いつもは 温厚な父が、
「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから。」
とねばる。
「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。

家にはその春から肋膜炎で療養中の母と、その父。
食卓にはスーパーで売ってるような鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキ3つ。

「なんでわざわざ帰らせたの!俺だってみんなの手前、申し訳なかったよ!」と言ってしまった。

父は何か言ったと思うが、覚えていない。
母が、「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。

俺は言い過ぎたな、と思った。
でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。
その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。
仕事帰りに病院に行くと、父がいた。廊下の隅で、
「実は お母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめん」とつぶやいた。

呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。
あの誕生日の日のページに
「○男に迷惑をかけてしまった。」とあった。
ワーッと声を出して泣いた。
何時間も「ごめんね。」といいながら泣いた。
夜が明ける頃には 涙が出なくなった。すごい耳鳴りがした。

4,5日して母は死んだ。仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか。母にとっては最後だったのに、、、。

65 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:56:33.66 ID:MxH7/mRw0.net
親父が糞だったからいつもひもじい思いをしていた
一日の食事で一番豪華なのが給食で、
給食で残ったパンをほぼ毎日貰って帰っていた
持ち帰ったパンは翌日お袋がパートに持って行って昼飯にしてた

月末で金がなくなってくるとそのパンが晩飯になったりもした
煮込んで牛乳を入れて少し砂糖で味付けがしてあって
旨くもなんともないんだけど、金がないのが子供心にもわかっていたから
お母さん美味しいよ、って言いながら食べてた

夏休みや冬休みは給食がないから早く学校はじまれって思ってたよ
お袋が焼き立てパンの店でパンの耳を買ってきて
それを油で揚げてのばかり食べてた
砂糖をかけて食べるよりも塩をかけて食べるほうが食べやすかったな

新聞にパン粥のことが載っていたからお袋に
昔よく食べたよな、って言ったら
ごめんね、おまえ美味しい美味しいって言って食べてくれてたけど、
あんなの美味しいはずなかったよねえ、と泣かれた
おふくろ、俺そんなつもりで言ったんじゃないよ

66 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:57:23.68 ID:MxH7/mRw0.net
今日はカーチャンの誕生日。
事前に打ち合わせしてネーチャンはケーキ、
オレは花を買うことにしてた。

花屋に行って、
「母の誕生日に予算3千~4千円でお願いします」って
旨を伝えて暫くすると、花なんか興味ないオレにも伝わるほど、
本当に綺麗な花束が出来上がっていく。

そんなオレの視線に気付いたのか、店長さん
「3千円で造ってます」とにっこり。

ウソだろ?
その花さっきそこで値札見たら1本400円だったぞ? 
それなんかは500円だ?

すかさず店長
「親孝行ということでサービスしときました」+眩しい笑顔。
「それと…ハイ、メッセージカードとペン。お母さん喜びますよ」
有無を言わさず渡されてしまった。

へったくそな字で書いたさ「タンジョウビオメデトウ」ってな
今夜カーチャン喜んでくれるといいな・・・

んで持って帰って気付いたんだけど、
オレ「誕正日おめでとう」って書いちゃってる・・・
スゴイよ!ジョンイルだよ!将軍様生まれちゃったよ!

花束だけ渡します・・・

67 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 14:58:59.22 ID:MxH7/mRw0.net
ビールは横に冷やすとうまい、と父は言っていた。
そんなわけはないと言っても聞かず、冷蔵庫に決まって
ビールを横にして冷やしていた。

酒以外煙草もギャンブルやらない親父にとって、
ビールに関してだけこだわりを持っていたのかもしれない。
酒が飲めなかった俺は、一緒に飲むこともなかった。

親父が死んだ時、なぜかそんなに悲しくなかった。
あっけないな、とは思ったが、何か時間が寸断されるような
感覚はなかった。

親戚が自宅にきて、これからのことを話し合っているときに、
ふと何か酒が飲みたくなり、冷蔵庫を開けた。

横になったビールがあった。時間がぎゅっと凝縮されて
思い出すべきことが多すぎて泣いた。


532 :就職戦線異状名無しさん :03/04/29 23:03

去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。
退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。
使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えてまずメールを送ったが
返事はこなかった。

その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。
40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。
葬式後父の携帯に未送信のこのメールを発見した。
最初で最期の私宛のメール。
私は泣きながら送信ボタンを押した。

「お前からのメールがやっと見られた。
返事に何日もかかっている。
お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。
孫が生まれたら毎日子守してやる。」

私の一生の保護メールです。

68 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:00:04.07 ID:MxH7/mRw0.net
私の友人の婚約者の話です。

彼は幼い頃に母親を亡くし、父親と祖母と暮らしていました。
彼が17歳の時に、急性骨髄性白血病にかかってしまい、本人すら死を覚悟していましたが、骨髄移植のドナーが運良く見つかり、死のふちから生還しました。

そのときに1人でも多くの人を助けることができたらと医者になることを決意し、猛勉強の末に某国立医科大学を卒業、インターンを経て無事彼が骨髄移植を受けた病院に就職することができました。

その病院で私の友人、彼女もまた医師をしていますが、彼女と出会い、晴れて婚約をしました。彼の祖母が先日亡くなったので、しばらく沈んでいたようですが、日々忙しく働く中で、徐々に持ち直していたようです。

69 :さるよけ頼む@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:01:09.23 ID:MxH7/mRw0.net
父が入院中の時の事

酸素マスクを着けなければいけない状況だったんだけど
少し元気になってくると、「家に帰る!」と言い出して
酸素マスクを外してベッドから起き上がろうとする。
で、母に「だめでしょ、お父さん、酸素マスク外したら
死んじゃうよ?大人しくして早く直して退院しようね」
と言われると、とりあえず大人しくなる。

でも30分ぐらいすると「家に帰る!」と、起き上がろうとする。
で、母が「だめでしょ、お父さん(ry

で、また30分ぐらいすると「家に(ry

そんなことを何回も繰り返して、母にたしなめられるたびに
(´・ω・`)な顔をしてた父に萌えてしまった。




・・・ってことを退院したらこのスレに書こうと思ってたのに
なんで死んじゃうんだよ。元気になったら一緒に
好きなカツ丼を食いに行こう、って約束したじゃないか。
父ちゃん・・・

70 :さるよけ頼む@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:01:43.33 ID:MxH7/mRw0.net
ご近所に幼稚園の娘さんがいる家族が居る。

パパは車出勤で、娘さんは毎朝家の窓から
「パパー、いってらっしゃああああーい!!」と絶叫する。

そんで昨日かな? 
パパが車のエンジンをかけた時、娘さんが
「パパー! まってぇぇー!!」
と家から猛ダッシュで飛び出てきた。

「まってぇーーー!」って、
すっごい切羽詰った声だったので、何事かと思ったら

「パパー! ちゅうするのわすれたぁー!!
ちゅうするの、わすれたぁぁぁぁあああぁあーーーーーー!!!」
ご近所じゅうに響き渡った、ソウルフルなシャウト。

ご夫婦は顔から火が出る思いだっただろうけどw
めっさ和ませて頂きました。

71 :さるよけ頼む@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:03:20.41 ID:MxH7/mRw0.net
自分がまだ幼稚園児の頃だと思うのだが、
夜中にふいに目が覚めると、
父が覗き込んでいて、いきなり泣き出した。

大人が泣くのを見るのは、記憶の限りその時が初めてで、
しかも父はとにかく強くてかっこいい!と信じていたので、
凄く吃驚して変に印象に残ってる。

その後、何度か確認する機会があったが、父がいつも
「夢でも見たんだろう」と言っていたので、
何しろ幼児の頃の記憶だし、自分もそう思うようになっていた。

が、20年以上の歳月を経て、父はついに白状した。

当時、とにかく忙しい職場に勤めていた父は、
朝は私が起き出す前に出勤。夜は就寝後に帰宅の日々。
父は私の寝顔をそっと覗き見るのが日課で、
このままでは娘に顔を忘れられてしまうと不安に思っていたらしい。

そんなある日、いつものように父が寝顔を眺めていると、
私は目を覚ましてしまった。

やばい、良く寝ていたのに、
ぐずってしまうかも知れない…父が焦っていると、
私が寝ぼけ眼のまま「おとーしゃんだ」と言って、ニッコリと笑ったらしい。

ろくに顔をあわせることもできず、
たまの休みにも疲れ果てて寝ていることが多い。

しかもこんな夜中に起こされて、
それでもこの子は自分の顔を見て喜んでくれるのか、
こんなふうに笑ってくれるのか、と思ったら、
愛しさが込み上げて思わず泣いてしまったらしい。

それがどうにも恥ずかしくて照れくさくて、
どうしても本当のことが言えなかった。

嘘付いててスマン!と告白される結婚式前夜。

内心は萌えつつも、明日目が腫れたらど-してくれる!!
と私が切れたので、笑い話になったが、
父が涙を流していたあの記憶は、私にとって良い思い出になった。

72 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:13:40.67 ID:MxH7/mRw0.net
私は昔作家を目指してたほど自意識過剰な子供で
そのせいでとった音楽のテープがある
なんのことはない、音楽の教科書を全部歌ってみましたテープ
小三の時の事だ
母が付き添って歌ってくれた思い出のテープ

古いCDラジカセをくれた友人の前で久々に聞いてみた
勝ち気な私の声を導くような優しい、包み込むような母の声
今の私より1歳年上のはずだ
母に顔が似ていると言われる私だけど
ああ、声もそっくりなんだね……
今は私の声に聞こえる

あの頃はこんな風に使うとは思ってなかったよ、お母さん
お母さん、いろいろあったけど、私を愛してくれていたんだね。
テープの声はそう言っているよ、お母さん

73 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:14:36.15 ID:MxH7/mRw0.net
GW,
大学進学のため、
上京して一人暮らしをしている俺のアパートに母が来た。 

相変わらず口うるさく、イロイロ言うのがウザくて、
いる間中、小さい口げんか状態だった。

いよいよ帰る日、駅のホームで見送ることになって・・・

電車のドアが閉まろうとしてる時、
「あんたにイロイロ買ってやろうとヘソクリ持ってきたんよ。
でも使わんかった。 お母さん、電車に乗ったら
もうお金使うことないし、これ、持っていきな。」

と、財布をポンと投げてくれた。

俺が返答を考えている間にドアが閉まり、
ゆっくりと電車が動き始めた。

笑顔で手を振る母・・・

財布には万札より千円札の方が多い計9万円

74 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:15:42.35 ID:MxH7/mRw0.net
多発性硬化症という難病に侵されてから早10年が経ちますね。

生死の狭間を彷徨うこともありましたが、今日まで生きてくれて何よりです。
あなたの意識がない時、父は嗚咽にまみれて泣いていましたよ。
父があんなに取り乱したのは初めて見ました。

私はあなたに似たのか涙一滴流れませんでしたよ。

あなたは、私がいじめにあっていた幼い頃、
「自分が正しいと思うなら理不尽なことで泣く必要はない。」と言いましたよね?
私は必ず帰って来ると信じていました。あなたの意志を継いで泣きませんでした。

あなたは障がいを負って正気を取り戻して以来、以前のあなたではなくなった。
「一人息子の母がこんなでは将来、貴方の嫁に見せる姿がない。」と弱音を吐き、
父の前で涙していますね。

その涙は理不尽な涙だ。
そんな理由で、あなたが泣く必要はない。

もう少ししたら、将来の嫁を連れて行くよ。
どこかあなたに似ている女性さ。小柄だが頑固で美人だぞ。

あなたが泣くのはその時でいい。

十数年ぶりに俺も泣くだろう。

23年間世話になったね。本当に感謝しています。
これからも末長くよろしく。

こんなの面と向かって言えないんだよ。つまらんとこが似たね。

この想いは、知らない誰かに聞いてもらうとするよ。

75 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:16:35.73 ID:MxH7/mRw0.net
戦後間もない頃の話、昭和30年頃

専業農家で育ったカーチャンが、
小学生だった頃まで、牛を飼ってたそうだ

その牛に朝夕、畑の草を食わせに行くのが
カーチャンの仕事の一つで、毎日散歩のようにやってた

小さい頃に家にやってきたその牛は、ひどくなついて、
何も言わずともカーチャンについてくるようになって
本当に仲良しになった

しかし、数年経ってカーチャンが中学生になったある日・・・

カーチャンが学校から帰ると、家の前にトラックがとまってた
カーチャンがバーチャンに「これ、なんのくるま?」と聞くと
「・・・牛、連れて行くんよ」
カーチャンはそれで全てを悟って、泣き叫んで暴れて嫌がった

それを見た牛はポロポロと大粒の涙をこぼしだしたんだ

それで牛は、自分がどうなるかを悟ったかのように、
動かず暴れたりせず、立ったまま泣くだけだった

牛はトラックに乗せられてポロポロ涙流したまま
カーチャンをずっと見てた

そこでバーチャンが
「あぁ、あれはあんたを妹のように思ってたんねぇ」

カーチャンが正気に戻ったとき、
業者もバーチャンもカーチャンも牛もみんな泣いてたそうな

業者が言うにはそこまでの牛と娘はめったにいないとか
そういう経験を経たカーチャンは、今でも動物を愛するバーチャンになってる

人間は他者の死の上で生きてることを忘れちゃいけない、
とカーチャンが教えてくれた時、言われた話

76 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:17:59.00 ID:MxH7/mRw0.net
もうちょっとペース下げて欲しいとか上げて欲しいとかあれば言って下さいね~

77 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:18:41.20 ID:MxH7/mRw0.net
泣けはしないけど、こんな話をしてみる。さっきの話なんだけど。


最近、母が編み物をし始めた。
私が何を作ってるのかと聞くと、「マフラー」と答えた。
母はオレンジ色の毛糸で編んでいたので、
「流石にオレンジは派手すぎるだろ;」と思い
「この色は変だよ!しかもこの毛糸編むと固いじゃん、痛いって」と言うと
「うるさいわねぇ。私が家で使うからいいの!!」とキレられた。

それから私は、母がそのマフラーを編んでるのを見るたびに
「やっぱ変だって」なんていうのを言ってた。

でさっきリビングに降りてみると、母の机の上には、
また違う編みかけのマフラーが置いてあった。
今度は銀色に近いグレーの毛糸だった。

私は「なんでまた同じのつくってんの?」と思い、
丁度リビングで仕事をしていた父に、
「お母さんまた同じの作ってんの?もういいじゃん」と言うと、
「お前が前に酷いこと言ったからだろ」と言われた。

話が全然つかめなくて父に聞き直すと
実はあのオレンジのマフラーは私のために作ってくれていたらしい。
そう言えば私は最近母に「喉が痛い」と言っていた。

私が「変だ」と言ったから、
わざわざまた新しい毛糸を買いに行って作り直して………

私はこの時初めて母にとても酷いことをしていたんだと知った。

母を傷つけたんだと。
私は少し泣いた。

明日の朝になったら、母に謝ろうと思う。

78 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:19:42.98 ID:MxH7/mRw0.net
私は小さいころから指を鳴らすのが癖になっていた。

いつも母親が「母さんみたいな指になるからやめなさい!」

と言って自分の手を見せる。

母親の指は関節が太くて、第一関節がまっすぐに伸びない小さな手。

こんな手になるからダメだというけれど、私は指を鳴らすのをやめなかった。

だって母さんの手が大好きだったから、

きれいな手じゃないけれど大好きな母さんの手だったから。

別に関節が太くなろうがなんだろうが、好きな手だから別に構わなかった。

けど、なんか怒られてるわけだし、その度ごめんなさいと言って、

思ってることは黙ってた。

母は高校の時に死んでしまったけど、

母さんの手が大好きだから関節太くなっても気にしなかったんだよって

手紙を書いて棺桶に入れた。

伝わってるといいな。

今でも指は鳴らす癖は治ってない。

80 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:24:19.21 ID:MxH7/mRw0.net
俺は兄貴と母さんと3人暮らしだった。
父さん死んでから貧乏になったけど、母さんは明るく振る舞っていた。
母さんはパート、兄貴は学校終わると、週に5日車修理屋のバイト。
俺はそんな2人の帰りを待ってるだけだった。

俺は4歳からバイオリンを習ってた。
苦しい家計の中、兄貴のバイト代から月謝を出し続けてた。
安いアパートに引越してから、さらなる貧乏生活が始った。
夕飯は白飯と半額になったお惣菜の日々・・・。
前の家の様にバイオリンの練習も出来ない環境だった。

だからなるべく学校の音楽室で練習してた。


407 :( ´∀`)ノ7777さん:2009/11/30(月) 10:20:26 ID:vc8J5ppH0

あるクリスマスの日、頑張ってる兄貴と母さんに
プレゼントしたくて万引きをした。
スーパーの入口で売ってる花を母さんに。
ユニクロの靴下を兄貴に。

包装してないからすぐにバレて兄貴は「返してこい」と。
母さんは「ありがとう、一緒返しに行こう」と。
俺は母さんとスーパーへ行った。店の店長に母さんは何度も謝った。
店長は「いえいえ、この花はもう要りませんから。どうぞ。」
と言って俺にくれた。

次にユニクロへ行って、母さんが靴下のお金を払い、
俺の分の靴下も買ってくれた。
帰り際に母さんが
「ごめんね、あんた達の靴下破れてたのに買うの遅くなって」
「でも、もう万引きはしないでくれる?」


408 :( ´∀`)ノ7777さん:2009/11/30(月) 10:21:46 ID:vc8J5ppH0

------あれから6年------

俺が20歳になった時だった。
母さんがパート先で倒れた。過労のせいだった。

母さんが死んじゃう前に少しだけ話しをした。

母さん「おぼえてる?」
俺「何を?」
母さん「あんた、店で1番立派な花を万引きしたろ?」
俺「うん」
母さん「母さん今でもはっきり覚えてるよ」
そんな会話だった。

いつも明るかった母さん。
毎年クリスマスが近づくとせつなくなる・・・。

今年はあの時より立派な花を母さんに贈ります。

ありがとう

82 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:28:54.06 ID:MxH7/mRw0.net
うちの親父は、軽い知的障害を持っていた。
早くから職人として修行を積んできたので稼ぎはあったが、
普段の生活がトロい。

お袋は、そんな親父と幼い俺を捨て家を出た。

親父は俺を溺愛して一生懸命に育ててくれた。
親父の怒った顔は見たことがない。
小さい頃は大好きだったけど、思春期が始まった頃からは
親父のトロさが嫌で嫌で、堪らなくなった。

中学2年のある日、弁当を持参する日に親父が弁当を作ってくれた。
みんなパンとか買っていくので俺もそのつもりだったけど、
起きたら親父が嬉しそうに弁当作ってた。
正直鬱陶しかった。

しかもできあがった弁当を、小一のときの俺に見せたのと同じ笑顔で
「ほら、お弁当だよ」と見せた。
俺は朝飯を食いながら「ああ」と気のない返事をして、
醤油を取ろうと手を伸ばしたら、
その手がぶつかって弁当が床に落ちてしまった。
わざとぶつけたのかも知れないが、よくは覚えていない。

親父は子供のように
「○○のためにつくったお弁当が落ちちゃった!」とパニックになった。
俺はその様子にうんざりして、
無言で家の財布から500円を抜いて
「これでパン買うから!」とそのまま家を出た。

その後、大人になって社会に出て、結婚して子供ができて。
時間が経つに連れて親父の優しさ、ありがたさ、
そして思春期のときに取ったあのことへの後ろめたさが大きくなっていった。
あの弁当をどれだけ苦労して、どれだけの想いで作ってくれたのか、
そしてどれだけ親父を傷つけてしまったのか。

俺に子供ができたとき、親父は赤ん坊を抱きながら
何度も俺の名前と間違えて呼んでいた。

そんな親父があっけなくガンで死んだ。
死に際、意識を取り戻して俺の顔を見ると、俺の手を取って
「ごめんな、ごめんな」と謝ってばかりいる。
絶対に言って欲しくないと思っていたら、
案の定、親父は「お弁当ごめんな」と言った。

俺は涙と鼻水で息が詰まりそうになった。
横では女房が自分のことのように鼻を垂らして泣いていた。
それを見て、こいつは一生大事にしようと思った。

83 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:31:50.21 ID:MxH7/mRw0.net
母が認知症になった。
施設には入れずに、自宅で介護を続けてきた。
施設の見学には行ったが、施設のことが詳しく分かれば分かるほど、
母をそこに入れることが不憫に思えた。

3年後。懸命な介護にもかかわらず、母の認知症は進んだ。
その頃には私も介護に疲れ、少しのことでイラつくようになっていた。

ある日、家の庭に野良猫がやってきた。
母は猫を指差し、「あれは何だい?」と訪ねてきた。
私は「あれは猫だよ。」と、少し冷たく答えた。

母は1分もしないうちに私に訪ねた。「あれは何だい?」
「母さん。さっき言っただろ?あれは猫だよ。」私は少しイライラしていた。
母はまたすぐに言った。「ねぇ、あれは何?」
私は感情にまかせて母を怒鳴った。
「母さん!何度も言ってるだろ!あれは猫だよ!!分からないの!!」
母は恐れるような眼で私を見つめ、それからは黙っていた。

その後すぐに、私は母を施設に入れることにした。

母の荷物をまとめるために部屋を整理していると、古いノートが何冊も出てきた。
パラパラとめくって中身を見ると、それは母の日記で、
私を産んでから数年間、毎日のように書かれたものであった。

私はハッとした。
それを読んでも母を施設に入れる気持ちは変わらないと思ったが、
なんだか申し訳ない気持ちになって、なんとなく読み始めていた。

内容はありふれたもので、
『私が初めて〇〇をした。』というようなことがほとんどであった。

私は大した感動をすることもなく1冊目を読み終えると、
2冊目の日記を読み始めた。


6月3日。
もうすぐ4歳になる息子と公園に行くと、
1羽のハクセキレイが目の前に飛んできた。
息子は「あれは何て言う鳥?」と、私に何回も何回も訊いてきた。
私はその度に「あれはセキレイって言うんだよ。」と、言って息子を抱きしめた。
何度も訊いてくれることが、私をこんなに穏やかにしてくれるなんて。
この子が生まれてきてくれてよかった。
ありがとう。


読み終わった私の目には涙があふれ、
母のもとに駆け寄り、やさしく抱きしめながら泣きじゃくった。
母は、そんな私をただやさしく撫でていた。

84 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:32:47.47 ID:MxH7/mRw0.net
進学のために実家を離れて一人暮らしを始めた頃のこと。

新しい生活の何もかもが上手くいかなくて、少しまいってた時期があった。
頼れる人どころか友達すらまだほとんどいなくて、気晴らしといったら
実家に用もなく電話することくらい。
といっても、家族に向かって弱音吐くのは 恥ずかしいから当り障りのない
話ばっかりしてたんだけど。

でもある日、母親と電話で話してて、ついポロっとね、きてしまった。
あー、もう実家帰りたいなー、って感じで。
で、うわヤバい!とか思いつつ必死に平静を装ってたんだけど、微妙に
感づかれたらしくて「泣いてんの?」って言われた。
当然私は「泣いてないよ、やだなぁ」って笑って誤魔化して、その時は
それ以上つっこまれることもなく電話を切ったんだけど、その数日後に
母親から手紙が一通届いた。

「あなたがそちらで泣いていても母は行ってあげることができません。
だからあなたが泣いていると辛いです。あまり泣かないで」

文章がクサいよ、母!って思いながら思わず泣いてしまった。
ただ、この人の娘で良かった、って本当に思った。
私はまだまだ頼りなくて弱っちいけど、いつかちゃんと恩返ししたい。
だからお願いします。その日まで元気でいてください、お母さん。

85 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:34:45.70 ID:MxH7/mRw0.net
姉の結婚式のとき。
姉と一緒に写真を撮っていたら、
不意に、メールが届いた。

件名「ほしい」
内容「ちちも しやしん」

親族控え室を見回すと、
何事もないかのように祖父らと談笑する父の姿が。
でも、時折チラチラとこちらを見る父。

「お父さんも一緒に撮ろうよ!」と声をかけたら、
「ん?写真は苦手なんだけどなー・・・
お前たちがそう言うなら仕方ないなー・・・」

と言いながら寄ってきた。

そのときの写真を、携帯の待ちうけサイズにしてあげたら
「俺は親ばかじゃないから、こんなのいらん!」
と言ってたくせに、

後日
「しやしん まちうけ ほうほう おしえて」
と、メールが来た。

86 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:38:37.84 ID:MxH7/mRw0.net
死んだ親父はよく食いに連れてってくれたな

親父は食うのが早くて、自分が食い終わると、
怒ったような顔でオレが食べるのをじっと見てた。
「早く食え」って言ってるみたいでちょっとヤだった。

こないだ初めて子供とラーメン屋に言ったら
美味しかったらしくガツガツ食うわ、
あせって水飲むし、ちっこい手で丼つかんで
スープ飲んでハァハァいってる
可愛かった

そしたら息子がちょっと嫌そうに
「ねぇなんでじっと見てるん?怒ってる?」

あ..

オヤジ・・・

87 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:40:29.55 ID:MxH7/mRw0.net
子供の時はお母さんをただのケチだと思ってた。

高校生になった私はウザいとしか思わなかった。

一人暮らしを始めて、三食の食事や掃除に洗濯、なんて恵まれてたかわかった。

私が挑戦したい事はとてもお金が掛かる事だった。

お母さんは少しだけ悩んですぐに私を応援してくれた。

お母さんは成人した私と姉のおさがりを「お母さんはこれで十分」と、

着ていた。化粧品も親戚からもらう試供品がほとんど。

でもいつも私を助けてくれるお母さん。

お母さんは自分のものは買わないでバカな私を助けてばかり。


お母さんお母さんお母さんどうして私をそこまで信じてくれるんですか。

私はもう24才なのにあなたにまだ甘えたいです。

お母さんお母さん本当にいつもありがとう。

私が強気なのはあなたがいてくれるからです。

どうか神様、私のお母さんをまだまだ元気に生かして下さい。

どうか私に時間を下さい。

大好きなお母さん、お願いだからもう少し待ってて下さい。

88 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:41:47.68 ID:MxH7/mRw0.net
先日、一人でテレビを見つつ、酒の肴に鍋を食べていた。
自分なりに、見切りのアラとか、そこそこ野菜も贅沢した上で満足して
ハフハフ食べていたとき、なんか思い出したことがあった。

あれは、俺が中学一年の頃、親父が亡くなって半月ほど経った日だった。
それまでバタバタ非日常の日々を送っていた母と俺、そして弟がやっと
落ち着いてコタツを囲んで鍋を突付いてた日のことだった。

確かあの日も、近所のスーパーで魚のアラが安くて、母が買ってきて
鍋にしよう、と言ったんだと思う。
親父が飲み残していた酒を「もう飲まないからいいよね」と母が
どぼどぼ鍋に注いで、ああ勿体無いなぁと話したのを覚えている。

ぐつぐつ煮立っている音とは別に、弟がいきなり泣き出した。
ほんとうに突然泣き出したんだ。俺はそれをすごく女々しいと思い
「お前が泣いたらお母さんが泣いちゃうだろ。泣くな!」と強がって
言ったけど、そうしたら、母も泣いちゃったんだよね。
つられて俺も泣いた。わんわん、三人で泣きながら鍋を食べた。

ふと思い出したことだけど、あれは家族の情景というにはあまりに過酷で
切ない思い出だった。今の俺には、その切ない思い出を共有できる人が
居ない。それもとても寂しい。

89 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:45:17.91 ID:MxH7/mRw0.net
母親が肺がんで入院してたとき。
いつも「学校でなんかあった?」ってきくのよ。
ほんとに何にもないから、毎回「ない」って。
しかも中学だったからそういうの恥ずかしくて。
で、いよいよ危険な状態になって夜呼び出されたとき。
母親のそういう姿見てもうなにしていいかわかんなかった。

そしたら

「今日学校でなんかあった?」

ってまた。

空気よんでよ。なんで必死な顔してそんな事きくんだよ。
苦しいんじゃないのかよ。。って思って。
何にも答えられなくて、結局そのすぐ後、鎮静剤?打って死んだ。
ああ。。何でもいいから言えば良かった。。。いまさら思います。

90 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:46:59.19 ID:MxH7/mRw0.net
ガキの頃にオヤジと川に釣りに行った。
鮎釣りという特殊な釣りで常に川の流れの中に
腰の辺りまで水に浸かって行う釣りなんだけど、
ガキだった俺は何度も流されそうになった。
その度にオヤジの腕が伸びてきてオレをガッチリ
掴んで助けてくれた。時にはオレのベルトの辺りを
強引に掴んで助けてくれた。

それから20年近く経った今年の初夏に
オヤジが体調を崩して倒れた。

幸いにも1週間ほどで退院できた。
退院してしばらく経ってオヤジが鮎釣りに行くと
いうので、心配した母がオレに付いていくように言った。
オレも年老いて病み上がりのオヤジが心配だし
付いていくことにした。

そして当日、午前中は順調に釣りを楽しんでいたん
だけど午後になってポイントを変更して少し流れが
キツイところに移った。オレは歩き回ってポイントを
探しているうちにかなり流れが激しく、立っているのが
やっと、という感じのところに入ってしまった。

体力も限界まできたので流れの緩いところに戻ろうと
した瞬間、足を滑らせてこけてしまった。
それを見ていたオヤジが流れを横切ってオレのところまで
速攻できてくれて無言でニッコリ笑って手を伸ばした。
そしてオレの腕を掴むと流れの中からオレを引き上げてくれた。
ガキの頃と同じでその腕はゴツゴツしていて力強く逞しかった。

オヤジまた来年も一緒に行こう!

91 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:50:27.84 ID:MxH7/mRw0.net
スーパーで買い物中の母子の会話(子供、小一くらいの男の子)

子「ねぇお母さん、おれが死んだら悲しい?」
母「えぇーっ?!何?ソレどこで覚えたの?そんなこと!そういうの、簡単に言っちゃいけないんだよ!」
子「人間はいつ死ぬかわからないんだよー」
母「何ソレ、何ソレ、何ソレー!え?誰かになんか言われたの?」
子「ちがうよーおれが死んだらお母さんどうするのかなー?ってー」
母「お母さんどうもしないよ。なぜなら、きみが死ぬ時お母さんはもういないからね!」
子「えーっ?!?!なんでなんで?お母さんなんでいなくなんの?!どっか行くの?おれは?おれは?おれは?」
母「お母さんより先に死んだら、ビンタされるって決まってるんだよ。知らないの?」
子「誰に?!なんでビンタされんの?!」
母「それは永遠の謎なんだよねー。まあ、お母さんのお母さんも、おおばあちゃんもまだまだ生きるから、きみの番はまだまだ先だよ」
子「お母さんもまだまだ?」
母「当たり前よ」
子「あーじゃあ、おれビンタされたくないから長生きする!」
母「いい心がけだね!んじゃ明日まで生き延びるために今日のごはんを考えよう」


母さん(´;ω;`)

92 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:51:47.31 ID:MxH7/mRw0.net
今年の六月、父の誕生日にアンバサダーホテルを予約して、
父と母と私の三人でランドに行きました。

誕生日当日、アフター6で先に父と母がランドに入り
私はアンバにチェックインしに行き、
それからランドに入り夜のパレードを見ました。

父は、携帯のカメラを使い写真を撮りまくってました。

次の日はシェフミッキーで朝食を取り、
ランドにまた行きました。

途中で雨が降ってきたので母と私は
『父のことだから帰ると言いだすんじゃないの?』
と話をしたんですけど、父が
『次何乗る?・お昼は何処で食べるんだ?』とか
子供のように無邪気な笑顔で言ってる姿を見て
私は思わず泣きそうになってしまいました…
母の顔を見ると母も目に涙を浮かべていました。

阪神淡路大震災の年に、
父は被災地の後処理で左手を失う事故に合い、
それ以来、仕事以外で外に出ることもなく
定年を迎えて六年たちましたが、
あまり外に出ることも少なかったので
今回ディズニーに連れていきました。

最後に帰るとき父が
『また来よう!今度は晴れてるときに来て
ビックサンダーマウンテンに乗りたい』と言ってくれました。

父にプレゼントのつもりでディズニーに行ったのに
逆に父の最高の笑顔をプレゼントされてしまいました

また一緒に行こうねと母と計画してます
長文ならびに読みにくい文章ですみませんm(__)m

93 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:52:45.74 ID:MxH7/mRw0.net
これで 父母の話は終わりです!

次は、兄弟の話です!

95 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:53:35.08 ID:MxH7/mRw0.net
私には、兄がいました。
3つ年上の兄は、妹想いの優しい兄でした。
ドラクエ3を兄と一緒にやってました。(見てました。)
勇者が兄で、僧侶が私。遊び人はペットの猫の名前にしました。
バランスの悪い3人パーティ。兄はとっても強かった。
苦労しながらコツコツすすめた、ドラクエ3。おもしろかった。
たしか、砂漠でピラミッドがあった場所だったと思います。
とても、強かったので、大苦戦してました。

ある日、兄が友人と野球にいくときに、私にいいました。
「レベ上げだけやってていいよ。でも先には進めるなよ。」
私は、いっつもみてるだけで、よくわからなかったけど、
なんだか、とてもうれしかったのを覚えてます。
そして、その言葉が、兄の最後の言葉になりました。

葬式の日、父は、兄の大事にしてたものを棺おけにいれようとしたのを覚えてます。
お気に入りの服。グローブ。セイントクロス。そして、ドラクエ3。
でも、私は、ドラクエ3をいれないでって、もらいました。
だって、兄から、レベ上げを頼まれてたから。

私は、くる日もくる日も時間を見つけては、砂漠でレベ上げをしてました。
ドラクエ3の中には、兄が生きてたからです。
そして、なんとなく、強くなったら、ひょっこり兄が戻ってくると思ってたかもしれません。
兄は、とっても強くなりました。とっても強い魔法で、全部倒してしまうのです。
それから、しばらくして、ドラクエ3の冒険の書が消えてしまいました。
その時、初めて私は、泣きました。 ずっとずっと、母の近くで泣きました。
お兄ちゃんが死んじゃった。やっと、実感できました。

今では、前へ進むきっかけをくれた、冒険の書が消えたことを、感謝しています

97 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:55:31.61 ID:MxH7/mRw0.net
妹が亡くなって2年の歳月が流れました。

妹からの最後のメールを見て命の尊さ、
居なくなって残された者の悲しみがどれほど苦痛か・・・

白血病に侵され、親、兄弟でも骨髄移植は不適合でドナーも見つからず、
12年間苦しむだけで短い生涯を終えた。
・・・14才でした・・・。

妹が2才半のとき、微熱が続き、病院に行ったときには「白血病」と診断・・・
その日から母は毎日病院と家を往復する日々が続き、
大型連休で家族そろってレジャーに行く日なんてありません。
妹の面会が我が家の大型連休の消化日課でした・・・
「妹がいなければ遊びに行けたのに!!」当時は妹に憎しみさえ抱いたほどです。
でも、両親が妹ばかり世話し、愛情いっぱいあげてる姿に嫉妬したんでしょうね・・・。
その妹が亡くなって2年。
両親は抜け殻がとれたような静けさです・・・私もですが・・・。

99年の12月中旬、突然妹が「携帯電話がほしい」と、言い出しました。
私がメールばかりしていたので欲しくなったんでしょうね・・・
もちろん大急ぎで買いに行きました。
そしてイブの夜に携帯電話を渡し、一緒にメールの送信方法も教えてやりました。
そして、私が家に帰る頃には正午を過ぎてクリスマスを迎えた寒い夜になっていました。
寝ようと思ったら妹からのメールです。

「さっきはイブだったけど、今日はクリスマスだよ。迷惑ばかりかけてごめんね。
おにいちゃん。ありがとう」
・・・これを見た途端母が息を切らして階段を上がり、
「病院に行くから支度しなさい」…さっき別れたばかりなのにまた行くの?なんで?と思いました。
病院に行くと、さっきまで元気だった妹が顔に白いクロスをかけられて亡くなっていました。
あとで看護婦さんに聞いてわかったことなんですが、
携帯電話を強く握り締めて離すのにたいへんだったと・・・
それを聞いて涙がいっぱいあふれました・・・。

妹の携帯電話は解約しましたが、2年経ったいまでも遺影の横にそっと置いてあります。
妹は、私にだけはきちんとお別れして逝きました。
天国でも携帯電話が使えると良いなぁ・・・

98 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 15:56:08.36 ID:MxH7/mRw0.net
今日は兄の誕生日だ。私より10才年上の兄は、

私が10才の時に両親を事故で失って以来ずっと私を育ててくれた。

兄は私を育てるために大学をやめ、働きながら私を育ててくれた。
口癖は「お前は俺の半分しか父さんや母さんとの思い出がないんだから」だった。
授業参観にも学校祭にも体育祭にも三者面談にも、いつも兄が来てくれた。
周囲のおばさま方の中で、明らかに兄は浮いていたが
それでもいつも兄は会社で休みをもらって学校に来てくれた。

初めて作った料理とも言えないようなものを、美味しいと言って全部食べてくれた。
仕事で疲れているだろうに、家に帰ってきてから私の学校での話を聞いてくれたり
宿題を見てくれたり、学校への連絡ノートも毎日欠かさず書いてくれた。
土日も私と遊んでくれて、色々なところへ連れて行ってくれた。

そんな兄には自分の時間なんてなかったように思う。
友達のを見て、お団子ヘアにして欲しい、友達のお母さんならやってくれたと
わがままを言った時慣れない手つきで一生懸命作ってくれたのに
こんなんじゃない、お母さんに会いたいとと兄をなじってしまった。
兄はそれを聞いてごめんと泣き出してしまった。
あの姿を思い出すたびに、兄も両親を事故で失った子供だったんだと今でも泣きそうになる。
その兄が、一年前両親と同じように事故で突然この世を去った。

兄が死んだ時、私は兄が両親を失った時より一才年上だった。
兄はこの状態でまだ小学生の私を育ててくれたのかと思うと
それがどれだけ大変だったかと思って涙が出る。

兄は私がいたせいで友達と遊びにも行けなかった。
恋人とも、出逢う暇さえ私が奪ってしまったんだ。
たくさんたくさんごめんなさいとありがとうも言えないままだった。

「ちゃんと幸せになれ」っていつも言ってくれたけど、
兄の幸せはどこにあったのだろう。
今も考えてる。

もう兄に何も返すこともできないけど、兄のおかげでここまで来れた人生、
恥ずかしくないように生きられるように頑張ろうと思う。

お兄ちゃん、天国で見ててね。
今からでもお父さんとお母さんに甘えてるといいな。

99 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 16:01:02.87 ID:MxH7/mRw0.net
ちっちゃい妹がドラマのCDプレゼントに応募した
ちっとも届かないから落選確実。しかし健気に待ち続けて今夜とうとう
「CDどうしたかな…」と悲しそうにしてる。
見かねて「買ってやる」と言ったら届くのを待つと言って提案を拒否。
仕方ないので密林で「オメデトウ!」のメッセージ付きで注文した。
数日で届くだろう
密林での注文なんかしょっちゅうなのに、なんか今回は特別ドキドキする
喜んで貰えたら嬉しい

100 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 16:01:33.69 ID:MxH7/mRw0.net
お母さんが作るお弁当とはちょっと違いますが・・

現在中一の娘が、妹の幼稚園のお弁当を作っていた時期がありました。

当時、小3。
下の娘は幼稚園の年中組でした。
別にわたしが強制した訳ではなく、自主的に。
毎朝6時に起きて、台所でゴソゴソと作っていました。

普通の小学生の料理なので、当然それなりの中身でしたが妹は毎日とても喜んで、残してきた事なんてありませんでした。

あまりに妹が、姉の作るお弁当をうれしがるので、結局、卒園までの2年間作り続けたのでした。

お弁当が最後の日、帰ってきたカラのお弁当箱には

「お姉ちゃん、今まで毎日お弁当を作ってくれてありがとう。
いつもみんながうらやましがってたよ。おいしかった。大好きだよ。」

という手紙が入っていました。
そのお手紙は今では、生徒手帳に大事にはさんであるのをみつけました。

幼稚園の卒園証書と一緒に、お姉ちゃんにも園長先生が
「2年間、お弁当作りがんばったで賞」という賞状をくださいました。

必ず入れてた卵焼きは、今ではきっちりきれいでおいしいです。
自分の娘だけど、心底尊敬した出来事でした。

わたしも、こんなお姉ちゃんが欲しいと思ったのでした。
長々とすみません・・ちょっと自慢してしまいました。

101 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 16:04:34.43 ID:MxH7/mRw0.net
11年前の8月1日の俺へ

こんにちは。11年後の君です。
儲け話いっぱい知ってるし、彼女になる女の子も知ってます。
でも君には教えてあげません。その代わりもっと大事な事教えてあげます。
明日、君の弟が死にます。高3なのにくも膜下出血なんてジジィみたいな死にかたで
風呂の中に浮いてます。まあ今の時点で避けられないだろうから、せめて君が最初に見つけなさい。母さんを第一発見者にするな。

あとせめて弟に言ってあげなさい、「俺も イケメソでモテモテのお前が自慢だ!」と。
君の弟は「俺はバカだけど俺の兄貴は大学生でこの後大学院に行くんだぜ!」
と無邪気に自慢していたことを、葬式に来た弟の友だちに知らされます。
君は内心弟を恥じていますね?バカな弟と。でもバカは君の方です。
避けられない別れなら、せめて弟に言ってあげなさい。
「お前は俺にとって自慢の弟だ!」と。

102 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 16:05:53.14 ID:MxH7/mRw0.net
もう何年も前になる。
中学生の弟が鏡の前で一人で笑ってるのを見掛け、吹き出しかけた。
服や髪に気を遣いだし、彼女が出来たと喜んでた時期だった。
だから、今度は笑顔を作る練習でも始めたのか?と考えた。
9つ離れてるから弟が生まれる前から知っていて、あの赤ん坊が大きくなったもんだと、兄貴面して見なかったことにしてやった。
その後もそういう姿を幾度か見掛けた。

どれだけ経ってか、弟と喋るうちにやっと理由が分かった。
前に法事で親戚が集まったときに、みんな口を揃えて
「○○(弟)は笑ったらお父さんにそっくり!」って言ってたんだよ。
俺から見ても、確かによく似てる。父が死んだのは弟がまだ幼いときで、弟は父の顔を憶えていない。父は写真を撮られるのが苦手だったから、笑顔の写真が一枚もない。

弟は普段、誰かが父の話をしても、大して興味なさげにしてるだけだった。
だから、記憶に残ってなきゃこんなもんかと寂しく感じたこともあった。
でも、そんなわけないんだよな。
弟は、ああやって父に会ってたのかと思うと、なぜか弟に申し訳なく切なくなる。
あの時、からかわなくて良かった。

103 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 16:08:19.61 ID:MxH7/mRw0.net
たいしたことないから暇つぶし程度に読んでくれ。

高校の時に親が再婚して半年くらいしか年の違わない弟が出来た。
(弟の方が俺の高校に転校してくる形)

俺、ラグビー部。体型は室伏。
弟、美術部。体型はモヤシかカイワレ。

高校にもなって兄弟よーなんて言われてもなじめず、
お互いよそよそしい状態で、名前にさん付けで呼んでた。

ある日俺は学校帰りにヤンキーに絡まれていた。

何度かあったことだし、なんだかんだ絡んでくるくせに喧嘩をふっかけては
来なかったので、やれやれ…程度のリアクションだった俺の後ろから叫んで
飛び出した奴がいた。

「おおおお俺のお兄ちゃんになにすんだぁぁぁ!」

必死になってヤンキー相手にカバン振り回して追っ払ったのは弟だった。

これまで「T(俺)さん」としか呼ばなかったひょろい弟が、
俺の危機と思ったらしく、足もつれさせて転びながら。

後にも先にも弟があんなでかい声出したのはそん時だけだったが
今では親元離れて一緒に住みながら俺は福祉の学校、弟は美大に通ってる。

俺の弟の武勇伝でした。まとまらん文ですまない。

104 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 16:09:00.87 ID:MxH7/mRw0.net
俺には3つ上の姉貴がいるけど、昔はスゲー仲悪かった。
母がたった二人の姉弟なんだから、と嘆くほど、
ケンカなんて一日何回もしたし、ほとんど憎み合ってた、
といってもいいくらいだった。

姉貴が高校2年、俺が中学2年の時。
姉貴が自転車通学の途中、車の事故に遭った。
俺が病院へ行ったときは、意識がなかった。

頭を打ったらしく、安心は出来ない状態だった。
二日後に意識は戻ったんだけど、事故当時の記憶がなく、
言語障害、運動障害が出てた。(まっすぐ歩けないなど)
ある日、親が用事で、俺が半日くらい付き添うことになった時。

姉貴はなんか俺に言いたいんだろうけど、舌が回らない。
言葉を覚えたての子供が喋ってるようで、聞き取れなかった。
俺は、何とか聞き取ろうしてたんだけど、そのうち姉貴が
泣き出してしまった。

結構美人とか言われてて、運動神経も良かった。
バレー部に入ってて、レギュラーでやってたのに、運動どころか、
歩くことや喋ることもまともに出来なくなって自分が情けなく
なったんだろうと思う。

いつもは気が強い姉貴がすごくか弱く小さく見えた。
俺は思わず姉貴を抱きしめて、
「大丈夫、きっと治るよ。もし治らなかったら、
俺が姉ちゃんを一生看てやるから」

本気だった。俺が姉ちゃんを守ってやる、と。
姉貴は泣きながら何度もうなづいてた。
打ち所もそんなに悪くなかったのか、姉貴がリハビリを頑張った
せいもあったのか、以前のように回復した。

それから5年近く経つけど、ケンカらしいケンカはそれ以来した
覚えがない。
姉貴にその時のことを言うと照れ臭いのか
「記憶がはっきりしてないよ」とか言うけど。
あの事故がなかったら、俺達の姉弟仲は、今も悪いまんまだった
のかもしれないな…。

105 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 16:10:57.52 ID:MxH7/mRw0.net
私の家族は父、母、私、弟の四人家族。

弟がまだ六歳の時の話。
弟と私は十二才離れてる。凄く可愛い弟。
だけど遊びさかりだったし
家に居れば父と母の取っ組み合いに巻き込まれる。
だから私はほとんど家には帰らない日々だった。
弟は毎日恐く淋しかっただろう。

ある日家に帰ったら、酒ばかり飲んで
人の顔を見れば殴る父が座って一冊のノートを見ながら泣いていた。
私もノートを覗き込んだんだ。
そしたらね、父が急に「ごめんな」って言うの。
よく見たら弟がまだ汚い字で物語を書いてた。

僕には楽しいパパ、優しいママ、いつも笑顔のお姉ちゃんがいる。
いつも皆でおいしいご飯を笑いながら食べる。
毎週日曜日は家族でお出かけをする。
僕は皆にいつもいい子されて幸せいっぱい。
毎日笑顔がいっぱい。
そんなような事が沢山書かれてた。
普通なら当たり前なのに
私の家では出来ていなかった事が想像で沢山かかれてた。
紛れもなく弟の夢が描かれてた。

父と泣いて読んだ。
母がパートから帰ってきて母も読み泣いた。
その日の夜は揃って鍋をした。弟は初めての体験。
凄い笑ってた。

父も母も私も照れながら
笑った。
それから
少しづつ弟の物語は現実になった。
今では笑顔沢山の家族になりました。

弟の物語はあれ以来書かれなくなった。

106 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 16:12:50.66 ID:MxH7/mRw0.net
今朝、バスに盲導犬連れたおじさんが乗ってきた。
すると、おじさんの近くに座ってた小さい姉妹の会話が聞こえた。

妹「わんわんだ!ねーたん、わんわんだよ!」
姉「あやちゃん、大きい声で喋ったら駄目だよ。
あのわんわんはお仕事するわんわんなんだよ。
今はお仕事中だから、遊べないんだよ」
妹「おしごとしてるの?」
姉「お目め見えない人を、ぶつかったり危ない事無いように
お外に連れて行くお仕事をするわんわんなんだよ。
お仕事の邪魔したらいけないから、可愛いけど触ったりしちゃいけないよ」
妹「あのおじちゃん、おめめみえないの?」(心配そう)
姉「そうよ。でも、あのわんわんがいるから、危なくないように
お外に行けるんだよ。あのわんわんがおじちゃんのお目めなんだよ。
あやちゃん、お目め触られたら痛い痛いでしょ?お目め目隠しされたら困るよね」
妹「うん」
姉「だから、あのわんわんは触ったり邪魔したらいけないの。おじさんのお目めだからね」
妹「わかった。あのわんわんはおめめなんだね。すごいねー」

この姉妹と盲導犬連れたおじさんの近くにいた人達、全員ニコニコしてた。
私も口元緩んだ。
盲導犬連れたおじさんもニコニコ。

お姉ちゃんは小学校低学年くらいだったけど、
幼児の妹にわかりやすいようにゆっくり説明してて感心した。

107 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 16:17:37.34 ID:MxH7/mRw0.net
昔、当時中学生の弟が、
学校帰りに床屋で丸坊主にしてきた。

失恋でもしたのかと聞いたら、
小学校からの女の子の友達が
今日から登校するようになったからだ、と。

彼女は今まで病気で入院しており、
薬の副作用で髪の毛が全部抜けてしまったらしい。

「女が丸坊主じゃ恥ずかしいって言ってたし、
だったら他にも丸坊主がいりゃいいかなと思って。
野球部の奴等は元々丸坊主だけど、
野球部じゃない丸坊主がいた方がいい」
と弟は言っていた。

翌日、丸坊主で登校した弟は帰宅するなり
「同じ奴が一杯いた……」と。
なんでも優等生から茶髪問題児を含め、
クラスの男子全員が丸坊主かそれに近い頭になっており、
病気の子と仲が良い女の子達までベリーショート、
女の子の一人は完全な丸坊主になってたらしい。

更に担任の先生(男性)まで丸坊主。
丸坊主だらけの教室で、
病気の子は爆笑しながら
「ありがとうありがとう」と泣いたという。

示し合わせたわけでもないのに、
全員同じ事考える当時の弟のクラスに和んだ。

ちなみに病気の子は今も健在、
弟は意外に丸坊主が気に入ったらしく、
それからずっと丸坊主。

108 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 16:18:06.36 ID:MxH7/mRw0.net
私には二歳で病死した兄がいる。
私は兄の死後に生まれた為、兄の事は全く知らないんだが、
何回か兄に会った(?)事がある。

中学生の時、両親と折り合いが悪くて、
今思うと恥ずかしいくらいにグレた。

同じような友達や先輩とつるむようになり、
女の先輩から初めて煙草を渡されて「吸ってみろ」と言われた。
受け取って口に咥えた瞬間、先輩の形相が急に変わり、男の声で
「何やってんだ!」
と怒鳴られてビンタされた。

私も唖然としたが先輩も
「えっ!?私何でアンタ殴ったの今!?ごめんね!えっ!?」
と混乱していた。

結局煙草は吸ってないし、その後そういう仲間との付き合いも断った。
高校時代に付き合ってた彼氏が寝てる時、寝言で普段の彼氏ではない声で
「こいつは駄目だ、別れなさい」
と言った。

怖くなって別れた後、友達からそいつが二股かけていた事を聞かされた。

就職してから付き合った彼氏もやはり同じように寝言で、あの声で
「この人なら大丈夫、幸せにしてくれる」
と言った。
今、その人と婚約中で来年式を挙げる。

夢に出たり姿を見る事は無いが、私にはあの声は兄だ、という確信がある。
遺影の兄は二歳のままだが、きっといい男になって側にいてくれているんだと思う。

109 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 16:19:26.27 ID:MxH7/mRw0.net
大学受験まっただ中の冬休み、
シャーペンの芯が無くなった俺は、
春に嫁に行ったねーちゃんの部屋の机を漁っていた。  

ねーちゃんのシャーペンの芯はBだった。  
「そういえば、旦那も濃い顔してたな」とか思いながら、  
シャーペンの芯と、メモにでも使えそうなレポート用紙を持ち出して、
俺はまた勉強を始めた。  

あれは夜中の2時頃だっただろうか、
英語のリスニングの為に予備校で売りつけられた
ぼったくりCDをデッキにセットし、  
ねーちゃんの部屋から持ち出したレポート用紙を開く。

そこになにかが書いてあった。 
   
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
裕太(俺)へ  
何だか気恥ずかしくて、あんたには何も言えずにお嫁に行くので、  
いつかあんたが見付ければいいかと思って書いておきます。
 
小さい頃、泣き虫でお姉ちゃんの後ばかりついて来てた裕太。  
学校の図工の時間に作った粘土の写真立てを私にくれた事
覚えてますか?
ホントに嬉しくて大切にしようと思っていたのに、  
彼氏にふられた時、中の写真と一緒に燃やしてしまってごめんなさい。  

思春期に入って、あんまり家族と話もしなくなった裕太に、  
大人になったんだなとうれしくもあり、寂しくもありました。
 
裕太は家では突っ張っているけれど、私は裕太が優しい子だと知っています。  
もう少し大人になったら、お姉ちゃんの気持ちもわかるようになるかな。  

私がお嫁に行っても裕太は私の大切な弟です。
辛い事、悲しい事があったら何でも相談してね。  
お金の事以外ならきっと力になれると思います。  

それじゃ、体に気を付けて。父さん母さんをよろしくね。  
   
追伸:お前、何勝手にひとの机漁ってるの。  
   
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  
   
  ねーちゃん…。

110 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 16:20:31.16 ID:MxH7/mRw0.net
俺の妹は11歳下。
おむつも替えたし、むしろ自分の子供みたいな感じで
兄弟とは思えなかったけど、
やつが高校入った頃から少しずつ会話の量が増え始めた。

生来勘のいい女だからか、通じ合う部分がかなりあって、
恥ずかしながら、俺から相談する事もあったくらいだ。

やつの幼稚園の頃の口癖は
「お兄ちゃんと結婚する!」だった。

大学入ってから、両親死んだ事もあって
「お兄ちゃんが結婚するまでは安心できないよ」
って、ことあるごとに言ってた。

今日、妹の結婚式。
バージンロードを腕組んで歩いて来た。
「ありがとう」は兄ちゃんの台詞だ、バカ。

すげー綺麗だったぞ、翠。幸せになれよな。

111 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 16:27:32.84 ID:MxH7/mRw0.net
これで兄弟の話は終わりです!

つぎは仕事の話です!

112 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 16:37:49.81 ID:MxH7/mRw0.net
そのときの部長はすっごく冷たくて、いつもインテリ独特のオーラを張り巡らせてる人だった。
飲みに誘っても来ることはないし、忘年会なんかでも一人で淡々と飲むようなタイプで、よく怒られていたこともあって、俺はすごく苦手だった。

ある日のこと、部長の解雇を伝える社内メールが全員に届いた。
あのむかつく部長がいなくなる!!
心の中でガッツポーズしたのは俺だけじゃなかったはずだ。

それから一週間後、部長の最後の出勤日。
退社のセレモニーが終わると、みんなそそくさと帰って行ったが部長と俺だけは居残って仕事を片付けていた。
送別会の開催も自ら断った部長を苦々しく思っていると、珍しく専務から呼び出された。
しぶしぶ専務室へ行くと、課長と専務が待ち構えていた。

俺はそこで初めて課長から「部長解雇の真相」を聞いた。
原因は俺だった。俺のミスの責任を全て部長が被っていてくれたらしい。
話しを聞いてたまらなくなった俺は急いで部署に戻ったが、部長の姿はすでになかった。
ふと自分の机の上を見ると、封の開いた買い置きタバコ。すでに一本なくなっている。
横に添えられたメモにはこう書いてあった。

「これぐらいはいただいてもいいはずだ」

俺にとっては無くなったその一本が、思い出の一本です。

247 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/01/06(火) 10:14:33.92 ID:D8M9J/Ka0.net
>>112
これの改変コピペあったよなwww

113 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 16:38:30.66 ID:MxH7/mRw0.net
3年前の話。
当時、金融屋をやっていたんだけど<裏金>その年の夏。
いつものように追い込みかけに行ったら、親はとっくに消えていたんだけど
子供が2人置いてかれてた。
5歳と3歳。<上は男の子、下は女の子

俺はまだペーペーで、周りの兄さんらと違って顔も怖くなかったらしく
家に行ったときすぐに下の子になつかれた。
ボロボロの服で風呂にも入ってなくて、「いつから親はいないんだ?」って
聞いても答えない。
「何食ってたんだ?」って聞いたら、上の子は下をむいて泣いた。
下の子が「こっち」って手を引いて裏庭に俺をつれていった。
破れた金網を通ってでたところは、小学校の裏庭だった。
「あのね、みーちゃんこれ食べたの」って池を指す。
嫌な予感がした。
だってさ、その池って金魚がウヨウヨ泳いでるんだよ・・・。
2人を抱きかかえて家に戻ると、テーブルに小さいボウルと茶碗。
「お前ら・・・金魚食ってたのか・・・」って聞いたら「・・・うん」
すっげーやるせなくて涙がでて、俺もその場にいた兄さんらも泣いた。

すぐに兄さんがたくさん食べ物と洋服を買ってきた。
近くの銭湯で体を洗ってやった。
その後、俺らじゃどうしようもないから施設に連絡をいれた。
連れていかれる時に「お兄ちゃんありがとう」っていってた。
・・・全然ありがとうじゃねーよ・・・俺たちがお前らの親を追いつめたのに。
俺を含めて何人かは、この後仕事を抜けた。

ただ、救われたのは、こいつらの親がきちんと出てきた事だった。

114 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 16:39:53.52 ID:MxH7/mRw0.net
昨日、卒業式があったらしく、いつも来る学生さんが頭に花をつけて来てた。
「卒業式だったんですか?」って聞いたら
「そうなんです。○○さんに会えなくなると思ったら寂しいです。いつも笑顔でありがとうございました。」って言われた。

その子とはレジでのやり取り以外に話したことも無かったので
とっさに私は全然気の利いた返事が出来なかった。
ただ、「あ、ありがとうございます。卒業おめでとうございます。また、近所に来たら寄って下さいね」っていうのを噛みながら言うのが精一杯だった。

その子はいつも買物のあと「ありがとうございます」って言ってくれてた。
礼儀正しくて印象のいい子だった。
すごくすごく嬉しかった。この仕事してて良かったって思った。
いろいろあってもうファミマなんて辞めようかなって思ってたけどまた頑張ろっかな、って思った。

名前も聞けなかったけど昨日の学生さん、本当にありがとうございました。

115 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/01/05(月) 16:44:29.41 ID:wjcpmcVn0.net
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも
華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた

かあちゃんごめん・・・

116 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 16:50:09.23 ID:MxH7/mRw0.net
>>115
お~人居た!
ありがとうございますm(_ _)m


数年前までバイトしてた

早朝~だったんで、常連にヤの字やお水の兄ちゃんや姉さんが多かった
酒入ってる率が高く、ちょっと迷惑行為もあったが、
基本的には高額購入の多いお得意さんだった

ある日、常連兄さんが喪服で葬儀用のお供え袋を買った
「ワイは字が下手じゃけん、店で一番上手いヤツが書いてくれんか」
店長含め、三人で薄墨筆ペン試し書き。結果自分が書いた
兄さんは照れくさそうに礼を言い、
自分が世話になった人の葬式だから、と目を潤ませていた

その後、兄さんは自分のいる時間帯で少なくとも二回、
迷惑客や珍走団を静かに説き伏せて追い払ってくれた
同じ時間帯常連の姉さんに惚れたらしく、
自分や店長がこっそり橋渡し(居合わせたら二人に世間話を振ったり)してた


先日、辞めてから久々に店に行ったら、店長が教えてくれた
「自分が辞めてから、あの二人が結婚したで。ありがとうって、伝言預かってる」
今も二人は常連だそうだ
正確には兄さんが早朝、姉さんは子供と通い始めた幼稚園帰りに
自分が最後に作ったポケモンのPOPは、色あせたままその子に貰われていったそうだ


五年振りのレジ前で泣いてしまった

117 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 16:55:16.43 ID:MxH7/mRw0.net
看護師1年目のときに出合った患者さん。

もう余命いくばくもない彼女だけど、まだ小さいお子さんがいた。
でも、いつも明るくって、楽しそうにお子さんの話をしているのが印象的だった。
つらい治療の毎日だったと思うけど、新米看護師の下手な点滴にもいやな顔一つせず
いろんな話をしてくれた。お子さんの幼稚園での出来事とか、七五三の話とか・・・・・。

あるとき「いつも病院にいるから、子供に私の顔忘れられちゃうね」と彼女は呟いた。
なんていっていいか分からずに、うまく切り返せなかったことが今でも悔やまれてる。
でも、いまでもあの時なんていえばよかったかは分からないけど。

しばらくして彼女は逝ってしまったけど、最後に見た彼女の姿はとても綺麗で・・・。
先輩が死に化粧を施したけど、赤い口紅がものすごく似合っていた。
きっと、お子さんはきっとこの美しい母親を忘れないだろうと思った。

病を戦い抜いた美しくって、強い母親を。

今自分もお腹に子供を宿しているけど、彼女みたいに強い母親になりたいと思っている。

118 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 17:09:55.85 ID:MxH7/mRw0.net
今日会社で、所長に退職を伝えた時(所長は鬱のこと知ってる)
「今まで頑張ってきたんだからさ、今は無理せず頑張らずでいいんだよ。
そうやっていくうちにまた一緒に仕事できるよ。」
ありがとう。あなたのような上司でよかった。幸せです。

119 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 17:11:12.75 ID:MxH7/mRw0.net
NHKのラジオで外食大手によるカレーの提供~みたいな事言ってたんだけどやっぱココイチかな?

あまり取り上げられてなかったけど、前回の地震の時にもココイチのカレー車が何百食も無料配布してくれたんだよな
恐ろしく寒かったから、本当あったかいカレーが有り難かったのを覚えてる
めっちゃ忙しそうな中「頑張って下さいね!」って声掛けられたのも嬉しかった

特にプレス発表する訳でもなく
ただ黙々とカレーを作り
すっからかんになった車に
弁当の容器とかのゴミを詰め込んで帰る
その企業姿勢に心を打たれた

120 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 17:13:44.41 ID:MxH7/mRw0.net
書かせてくれ。

大卒から勤続8年目。
俺は上司含め、同僚が苦手、というかあまり好きではなかった。

ワイワイと騒ぐ職場で馴れ合いもせず、昼飯や飲みも付き合いはするが仲良い同僚なんてのもいなかった。
そんな俺の性格を理解してか、周りもあまり俺に近づいてこようとはしなかった。(仕事外ではね)

ある日外回りから帰ってさっさと席につきコツコツと事務処理をやっていた時の事。

上司が近づいてきて、「○○く~ん、このあいだの件(極秘な)ゲットできたらしいな、よくやった!」

…普段どんないい事しても褒めもしない上司が、褒めた。
しかも超笑顔。


さらに部下が
「○○さん、明日某客先に行くんですけど、教えてもらえますか?」

って、普段怖がってか俺に聞かないで俺より下の奴に質問してるおちゃらけ若者が俺に質問してくる。

とどめに女の子がコーヒー持ってきてくれたり。


明らかに俺は優遇されすぎていた。おかしい。
この時期に昇進か?まさか転勤…妻子も家もあるのに。
って考えてたら。
やたら背の低い影が俺に近づいてきた。

息子だった…


びびって椅子からころげ落ちた。

どうやら幼稚園で父の仕事を発表する事があるらしい。

聞いてない。

のは俺だけで、嫁が事前に上司に許可もらってたと。

それで皆おかしかったのか、息子もなんだか嬉しそうだしいいのかな。

普段の俺を見たら寂しそうだなぁとか思ってただろうな。


その夜飲み会があった。今回の件、課長が根回ししてくれてたり、うるさい若者が自ら話しかけにきたいと言った事とか、いろいろわかった。
泣いた。

それからは仕事に感情をだせるようになった。
仕事が、職場が楽しいと思えるようになった。

そして息子の発表会は行けなかったが、とても誇らしげに語ったみたい。

皆大好きだ!

121 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 17:23:31.16 ID:MxH7/mRw0.net
友人とファミレスへ行った時の事。
オーダーを取りに来た女の子が、まだバイトを始めて間もないのか
オーダー打ち込む電卓みたいの(なんてーの、あれ?)を片手に
「えーと、えーと・・・」と悪戦苦闘。
こっちは男二人で腹も減ってて大量注文だし、女の子は打ち込むのに手間取るしで
注文が全て終わるまでに大分時間がかかった。

やっと顔を上げて、
「メニューお下げします」と絶望的な声で言ったその子に、
友人はメニューを手渡してやりながら
「頑張れよ!」と一言。
女の子はたちまち嬉しそうな顔になり、「有難うございます!」

その後、厨房の方から
「頑張れって言われました!」「よかったじゃん!」という声が聞こえてきて苦笑している目の前の友人が、なんとなく誇らしく思えた。

122 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 17:24:26.87 ID:MxH7/mRw0.net
数年前100円ショップでアルバイトをしていた。
2~3年勤めたので、常連さんとはけっこう仲が良かった。

その常連さんの中に、あるおばあちゃんがいた。

白髪で小っちゃくて腰が曲がっていて、カート?を押しながらゆっくり歩いてくる。そしてお気に入りの黒飴を2~3袋買って行く。

少し耳は遠いけど、いつもにこにこして可愛らしくて、来店頂く度に私もやたら買い物のお手伝いをしてしまったりしてたw

しばらく楽しく働いてたんだけど、私は就職が決まってバイトを辞めることになった。


すみません続きます


出勤日数も残り少なくなった頃におばあちゃんが来店されたので、少しの会話の後に辞める事を伝え、お礼を言い挨拶をした。

おばあちゃんは「おめでとうね、頑張ってね」ってしわしわの手で私の手を握ってくれた。

レジでお気に入りの黒飴を精算し、いつものように財布やらが入ってる小さいリュックを背負うお手伝いをした後のこと。
ごめんねぇ、と言いながらおばあちゃんが泣き出した。

昔、娘さんとお孫さんを同時に亡くして私にお孫さんの面影を重ねていたこと、私との他愛ない会話が嬉しいといつもおじいちゃん(旦那様)に話していた、と言って涙をぽろぽろ流していた。

丸めたくしゃくしゃのティッシュで目頭を押さえているおばあちゃんを見て、私も店内に関わらずで泣いてしまった。

123 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 17:27:19.41 ID:MxH7/mRw0.net
高3の夏の事
友人の紹介でFFのテストプレーヤーのアルバイトをする事になった。

発売前のゲームで遊べ、しかも金までもらえるなんてこんなオイシイバイトは無いと、意気天を衝く思いで夏休み丸々一ヶ月働くことにした。

しかし行ってみると現実はそんな甘い物ではなく、来る日も来る日も同じ作業をやらされる日々。
行動は厳しく制限されており、休憩中の買出しももちろん、トイレに行くのも監視係の許可が必要だった。

何よりも腹立たしいのは、開発チームの下っ端と思われるひょろメガネが必要以上にバイトに対して高圧的だったこと。
またそいつは自分の得点を上げるつもりか、バイトが見つけた事を「こんなバグ見つけましたよ」とか「ここはこうした方がいいような」などと上司に報告して自分の手柄にしていたこともあった。

自分の立場は理解してるつもりだったが、とにかくひょろメガネに対して反抗心を抱いていたオレは、そいつが監視係の時はあえて無視して席を離れたり、違う階のトイレを使っていた。
奴の管理能力のなさを知らしめてやるつもりだった。

当然のように別階のトイレで用足していた時、一人の男に声をかけられた。
「キミ、バイト?こんな所のトイレ使っちゃだめだよ」
少し会話を交わして多少気が合ったのか、その日の夕食に誘われた。
その人物が当時副社長だった坂口博信。

バイトも終わり指定された場所に行くと、坂口博信と一緒に普段よく見かける開発メンバー達がいた。
そしてよく見るとひょろメガネも隅の方に小さく座っていた。
軽くあいさつを済まして席に座ろうとすると、唐突にひょろメガネが
「なんでキミがこっちに座るの!?」
とまた偉そうに声を張り上げたのだった。

172: 07/24 04:23
「いや、オレが呼んだんだよ。たまにはプレイヤーの意見も聞こうと思ってさ。」とすかさず坂口氏はフォロー。
バイトの中でも目立つ存在だったオレは、他のメンバー達にもよく知られていた。
そしてなによりひょろメガネ以外のメンバー達とは、よく会話も交わしていて親しい関係でもあった。

夕食時の会話はほとんどゲームに触れず、もっぱら趣味は将来の話などをした。
「大学なんか行かないで、ウチに就職しにこないか?」と誘われたりもした。
その間ひょろメガネは一言も会話に参加せず、浮いた存在である事が推して知ることとなった。
少しひょろメガネがかわいそうになったオレは、少し敬ってやることにした。
後に仕事の関係で何人かと再会したことがあった。
お互い覚えているような、無いような感じで当時の事などを話した事もある。

坂口博信の名前を見ると必ず思い出す。
自分がゲーム内容で指摘した事が、製品版ではいくつか改善されていた事。
なにより嬉しかったのは自分の名前が、エンディングロールに入っていた事。
SFCが壊れてとっくに捨てた今でもFF5は大切に持っている。

124 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/01/05(月) 17:28:43.87 ID:v2W1IoMz0.net
良スレあげ

125 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 17:28:58.02 ID:MxH7/mRw0.net
入社4年目で初めての結婚記念日の日。
社内でトラブルが発生した。
下手したら全員会社に泊まりになるかも知れないという修羅場なのに、結婚記念日なので帰らしてくださいとは絶対に言えなかった。

5時を回った頃、T課長が俺を呼びつけ、封筒を渡して、「これをK物産に届けろ」と言う。
K物産は、隣の県にある得意先で、今から車で出ても8時までに着けるかどうかすら分からない。
「届けたら直帰していいから」と言うが、直帰も何も、K物産に届けて家まで帰ったら、きっと11時は過ぎるだろう。

文句を言いたかったが、「わかりました」と言って封筒を預かった。
中身を見ようとすると「中身は車の中で見ろ。さっさと行け!」とつれないT課長。
不満たらたらの声で「行ってきます」というと、課内の同情の目に送られて駐車場へ向かった。
車に乗り込み、封筒を開けると、一枚の紙切れが。

「結婚記念日おめでとう。今日はこのまま帰りなさい」

と書かれていた。
会社に入って初めて泣いた。

その翌年、T課長は実家の家業を継ぐために退社した。
送別会の席でお礼を言ったら「そんなことあったか?」と空とぼけていた。
T課長、お元気でおられるだろうか。

128 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/01/05(月) 18:11:34.77 ID:cpUc2AxJ0.net
ダメだ涙が止まらん

130 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/01/05(月) 18:46:18.14 ID:BEdv++wU0.net
電車の中で見るもんじゃねーなくそぅ

131 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/01/05(月) 18:59:09.90 ID:gUdLsguv0.net
涙が....
どうしてくれるのさ

133 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 19:09:19.71 ID:MxH7/mRw0.net
学童保育っていうところでバイトしてるんだけど、今日の朝、保護者の人に「あなたみたいな若い子にお任せするのは心配だけど仕方ないわね」と子供達も見ている前で言われてすごく傷ついた。たしかに頼りないかもしれないけど、ズケズケ言われたらちょっとヘコむ。

泣きそうになりながらも気を取り直して仕事して昼過ぎに自分のロッカーを開けたら、半分にちぎってあるココアパンがビニール袋に入った状態で置かれていた。
これはなんだろう…と思ったら、朝の様子を見ていた子供からの差し入れだった。
「〇〇ちゃん、このパン好きだって言ってたでしょ。分けてあげようと思って。」
と子供が言った。
そのパンは、その子供も大好きなパンでいつももったいぶってチビチビ食べているパンだったので、子供なりの深い思いやりにとめどなく涙が溢れてしまった。千切ってくれたパンは二人で仲良く食べた。

134 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 19:17:49.12 ID:MxH7/mRw0.net
中学の頃、近くにファミマとミニストップがあったんだが、俺はファミマ派でいつも通っていた。
ホットチキンとポテトが好きでしょっちゅう買ってたから、顔も覚えられてよく話しかけられたが、俺は悪い気はしなかった。
「髪切ったの?」「受験どうだった?」「あそこ受かったんだー、がんばったねー」とか他愛もない会話ばかりだけどその会話が心地よかった。
しかし、俺が高2の時にファミマがつぶれることになった…。最後の日俺は閉店間際にファミマに行った。
いつものファミマなのに商品はほとんど売り切れ、客もいなく寂しげな空間に変わっていた。一通りまわったが、欲しい商品がなかったので何を買うか迷っていると、レジの店員に「来ると思ってとっておいたよ」とホットチキンとポテト、コーラを出された。
「今までたくさん買ってくれてありがとね。これサービスだからさ」と渡された。
「前から売り上げが厳しくなっててね…。思いきって閉めることにしたんだよ。ごめんね」と言われ、店がなくなることを改めて実感する。
急に寂しくなって、「いえいえ、俺にとって忘れられないコンビニだったし、もうここに来れないと思うと寂しいですね」と言うと、
「ありがとね。○○くんが最後のお客さんになってくれてよかったよ」と言われてジーンときた。
「今までありがとうございました」と言って店を出た。
家に帰り、ホットチキンとポテトを食べる。
その味が悲しかった。

135 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 19:18:28.86 ID:MxH7/mRw0.net
151: 04/06 00:16
販売業に従事しています。
ある日、注文の品を取りに来たと思しき土木作業員風の若いいまどきのあんちゃんが来店。
仕事帰りらしく作業着でした。
なぜか店に入らず、入り口で立ち尽くしているので不思議に思いつつも中に入るのを促すと
「自分が入ると店が汚れるのでここで受け取ります」
というのです。
目頭が、というか喉が熱くなりました。
あなた全然汚くなんかない!という言葉がホントに喉まででました。

695: 10/02 14:53
去年の秋ごろ、「いまどきの」と表現するのにピッタリの女子高生の3人組が会社(小さな工務店)にやってきた。文化祭で部活の展示用に余った角材やベニヤ板が欲しいんだと。

ルーズソックスとムッチリした生足に気を取られながらもアホが集まる高校の制服だったのでものすごく適当にしゃべってたんだけど、彼女らの熱心さが伝わってきて協力してあげた。
最初は「やばくねー?」みたいな言葉だったのが、しゃべってるうちにけっこうちゃんとした敬語に変わり、クギとか木ネジをわけてあげたら「お金払いますよ」という気遣いも見せてくれた。
おれは見下していた自分を恥じた。紙袋いっぱいに材料を入れて本当に嬉しそうな表情で帰っていった。

それから1ヶ月ぐらいした頃、その3人がお菓子を持ってやってきた。文化祭で作って近くの養護学校や老人ホームに配ってなんとお礼にうちにも持ってきてくれたのだった。将来は看護学校に進んで老人や病気の人の世話をしたいんだと熱心にしゃべってった。
やっぱり見た目はいまどきの女子高生だったが、「今の若いの」も馬鹿にしたもんでもないね。おじさん、応援してます。

137 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 19:26:19.70 ID:MxH7/mRw0.net
33: 05/16 22:46
昔、俺ディズニーランドでバイトした
事があったんだけど俺はグーフィーの
キグルミ着てビッグサンダーマウンテン
の近くで愛想振り撒くって役どころな訳よ。

だっりーなと思いながら写真撮られ
たり握手求められたりしてる中でい
きなり一人の中年女性が深々と頭を
下げたのね。
俺何かな?と思ったら「写真映って下さい」って。待てよおい。こいつら先だべ
?って思ってたら母親の向こうに車椅子
に乗った俺より五歳は若い女の子がドキ
ドキといった表情で俺のこと見てる訳よ。

一瞬で分かったんだ。こっちに来れ
ないんだって。ビッグサンダーマウンテ
ンの近くって段差が多くて車椅子じゃ
来れないんだよな。一旦、一般の人に
ゴメンねのポーズしながらその車椅子の
女の子の所に行ってやると女の子が凄い目を輝かせてる訳。

このコ、本当にグーフィーが好きなん
だなと思うと同時にちょっとしたアド
リブを思いついてさっき並んでた人
においでおいでのアドリブしたんだ

34: 05/16 22:47
折角だし集合写真みたいにしようってね。待ってた人もノリノリでこっち来てくれて一緒に映ってくれたんだ。最後に女の子に(早く直るといいね)ってアドリブをしたらそのコの母親がいきなり号泣したんだよ。

え?って思って必死で(泣かないで)
のポーズしたらさ。今度は女の子の方が
泣いちゃって必死でなだめてその時は事
無きを得たんだ。後でわかった、その
子白 血病だか何だかで歩く事も出来ない
んだって。それで最後にディズニーランドを見たいって母親にいったらしい。それ
事態無理に近い事なんだけど母親は強引
に 看護婦を説得してここに来たらしい。

乗り物に乗る事が当然出来ないからただ園内を見て回るだけ。
本当は乗りたかったんだろな。ビッグサンダ-マウンテン・・

その子が一番好きなキャラがグーフィーみたい。だからあの時の集合写真と
俺のお祈りが凄く嬉しかったって・・・後日先輩がくれた俺宛の手紙を読んだ。

39: 05/16 23:03
その母親、病室にその時の集合写真飾
ってるんだと。女の子もそれを見ながら
嬉しそうに病気と闘ってるみたい。バイ
ト辞める前に病院聞いてキグルミでお見
舞 いに行ってやればよかったな。まだ生きてるかなぁ?生きてて欲しいなぁ・・・
頑張って元気になって、そしたら今度は俺がビッグサンダ-マウンテンに乗せて やりたい。毒男だから拒絶されるかもだがな

138 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 19:37:21.94 ID:MxH7/mRw0.net
外を歩けば寂しい顔をした奴らが肩を並べて歩いている。
背中に「くらし」を引きずりながら奴らはねぐらに帰る、ただそれだけ。
俺の人生はまだ何も見えない闇だぜ。これから何かを見つけに行くんだ。

俺はコンビニでバイトをしている。
さすがコンビニだ、いろんな客が来る。
俺にガン飛ばす土建の兄ちゃん、俺好みの携帯ショップの姉ちゃん、俺好みの女子高生、立ち読みするだけして満足したのか帰る客、俺の間違えにブチキレる客etc....
そんな時俺は「すいません」と謝る。そして最後に「ありがとうございました」。
俺は間違えても金の為に働いてるのではない。金が俺の為に働いているのだ。
今日は遅刻した。なんと1時間も・・・・・。もちろん店長には謝った。
店長は俺に人生について毎日語る。俺はそれを聞き納得し帰る。
俺って恵まれているのか?俺には捨てる神はいなくも、「拾う神」がいる。
人間は拾われた者勝ち。類は友を呼ぶ。ヤンキーにはヤンキーの友達が寄る。
俺はフ○ミリーマートでバイトした事がある。
その「きっかけ」をつくったのも拾う神、つまりは店長だ。
コンビニで買い物をしていた無職ニートの俺を拾ったのだ。「うちで働いてみないか?」と。
でも俺は3日で辞めた。
それは客が少ないからだ。客の少ないコンビニほど疲れる仕事はない。
ただそれだけ。
俺は16年間生きていて捨てられた事はない。
「親父がお前を捨てただろ?w」って?親父は失踪しただけw
そういうことwwwww

とりあえず逃げる事はあるが捨てられるた事はまずない。逃げても必ず誰かが拾う。
俺には特別なオーラが出ているのであろう。
世の中の不良と呼ばれるヤンキーは世の中から捨てられ土建屋に拾われる。
そして畳の上で死ぬ。
俺は畳の上じゃ死なねぇぜ。

139 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 19:38:09.43 ID:MxH7/mRw0.net
飲食店接客業アルバイトだけど
今日来たお客さんで40代くらいのご夫婦がいた。

とにかく旦那さんがニコニコして楽しそうに奥さんに話しかけてる。
料理のメニューを一個一個読み上げながら、その度感想を言ってて
とにかく楽しそうで見てる。こっちも自然と笑顔に。

奥さんも旦那さんの感想をうん。うん。と聞きながらニコニコしてたけど、
なんか変な感じなんだよね。表情が堅いっていうか…。

で、オーダーが入って料理をその夫婦の席に運びに行った時に
その違和感がなんだったのか気づいた。奥さんは声が聞こえたら
その方向に顔を向けるから気づかなかったけど、
目が見えてない人だった。

だから料理が来る度、旦那さんが
「来たよ!彩りが凄くキレイ!○○(奥さんの名前)が、
好きな人参も入ってるよ!」とか説明をしながら
料理を奥さんが食べやすいように切り分け、
お箸を持った手を料理まで誘導させてた。

ドリンクもお酒をいくらか飲まれてたんだけど
一つひとつどんな味か説明しながら、奥さんの手をコップまで誘導させてた。

2人とも帰る時まで凄く楽しそうに話してたから
周りが思うほど奥さんの障害が隔たりになることは無いんだろうけど
旦那さんの健気な気遣いとか、
本当に楽しそうに奥さんに話してる姿に泣きそうになった。

私も片方が障害を持っても変わらず愛し合えるような、あんな夫婦になりたい。

140 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 19:39:14.66 ID:MxH7/mRw0.net
小さな食堂(夫婦と息子さんで経営。
バイトは私だけの合計4人)でバイトをしています。

基本的に調理は旦那さんと息子さんがやっているのですが、
付け合せの人参のグラッセなど簡単なものは私が作っています。

昨日最後に来たお客さん(親子3人)が
「この人参のグラッセを作ってる人はどなた?」と聞いてきました。
私は不味いと苦情を言われるんだと思い、
震えながら「私です」とお客さんがいるテーブルに行きました。

お客さんは私をじろじろと見て
「そう、あなたが作ってるの…」と呟きました。

私はもう怖くて怖くて、手をぎゅっと握ってその視線に耐えていました。
そうしたら奥さんの方が
「うちの子、人参が大嫌いでどんな料理にしても絶対に食べないの」
と言いました。
「それなのに、このお店のグラッセだけは美味しいっていつも
嬉しそうに食べるのよ。良かったらレシピを教えてくれないでしょうか」
とメモ帳とペンを私に差し出してきました。

そういうことは店長に確認を取らないといけないので、
冷静を装ってと厨房に行きましたが、実際は嬉しくてぼろぼろ泣いてた。

厨房に行くと店長は
「話は聞いてた。レシピは教えてやっていいぞ」
とレシピのコピーをしてくれていました。

そして「これも持っていけ」とグラッセと
うちの一番の自慢のコロッケを渡してくれました。

お客さんにレシピと「これは気持ちです」と料理をテーブルに載せると、
子供は満面の笑みで「ありがとう!」と、
夫婦も「このコロッケ凄く美味しくて大好きなんです」って
美味しそうに食べてくれました。

このことが本当に嬉しくて嬉しくて、
お客さんが帰った後、思わずおお泣きしてしまった。

店長が「料理屋は客に美味いと言われるのが最高の幸せだ。
だから今のお前は最高に幸せなんだぞ」と
言って、私が泣き止むまでずっとお店にいてくれました。

お店もここにくるお客さんもみんな大好きだ

141 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 19:40:41.60 ID:MxH7/mRw0.net
俺は漫画家なんだけど、出版社気付でファンレターが来る。
そんな大御所でもないし掲載紙もややマイナーなので、
その数は一ヶ月で数十通程度なのだが、
ヒマな俺はその大半にサイン色紙を送っている。

その中に住所が病院の子からのワープロ打ちの手紙があって、
見るとその病院はうちから車で20分くらいのところにあった。

ファンレターをくれるくらいなら、
きっと直接あげたらもっと喜ぶだろうと思った。
いや、それと同時にヒマな漫画家の俺が
そのときはきっとスター気分に浸れるだろう
というスケベ根性ももちろんあって、俺はその病院に向かった。

行って見ると、面会受付にその子の母親が偶然そこにいて恐縮した様子だった。
バカな俺はそれでスター気分に酔い始めた。

その子に会って俺は愕然とした。

「これは・・・人類なのか?」
折れそうな手足、頭蓋骨の輪郭がはっきりわかる顔つきは命の気配を感じず、
かろうじて動く手で五十音を書いた板を指して意思の疎通をする状態だった。

俺が動揺しながらも、その子に話しかけ、連載している漫画のキャラクターを
目の前で描いてみせると、その子は体を激しく痙攣させ、目から涙、鼻から鼻水、
口からよだれを流しながら、激しく震える手で五十音の板をまさぐり、
たった四文字をありったけの力で俺に伝えてきた。

う・れ・し・い

俺はその瞬間スター気分が吹っ飛んだ。
その代わり(その子にとっての)スターを演じ切って、
帰りの車を運転しながら泣いた、昼間だったが声をあげながら泣いた。

藤子は、石ノ森は、そして手塚は、俺みたいな経験をしたことがあったのだろうか。

142 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 19:42:01.22 ID:MxH7/mRw0.net
ドムドムには、ある種苦い思い出がある。
長くなりますが、聞いて下さい。

もう随分まえ、わたしの父親はリストラにあい、
子会社であるドムドムに出向した。
まだ幼かったわたしは、
「お父さんってすごいなぁ!
ハンバーガーつくってるんだもん!」と
殆ど尊敬の眼差しで父を見ていたものだ。
しかし、周りの人達は違った。
学校へ行けば、いつ誰が広めたのか
「コイツのとーさん、ドムドムで働いてんだってよ!」と
ちょっとしたイジメの対象になりました。
ついたあだ名も、ストレートに「ドムドム」。
学校へ行くのがすごくイヤでした。
ある日、学校から帰って来ると、父が
いくつかのハンバーガーと、ノベルティなのでしょう、
キャラクターの付いたグラスを数個・
ちゃっちぃオモチャを手にして待ってました。
わたしが喜ぶだろうと思って・・・。
わたしは、むしょうに腹が立ち、
父が持ってた全てのものを投げつけてやりました。
父はわたしを叱ったりはしませんでしたが
少し悲しそうでした。
それから、父とわたしの間には
ギクシャクとした雰囲気が流れ、
「無視するでもない、仲良くもない」関係が続きました。
今、わたしはオトナになり、仕事もしている。
父のリストラされた心境も理解できるようになった。
父自身、不本意だったのだろう。
しかし、妻子を養う為に、我慢もしたんだろう。
もう一度、叶うなら、父にあの時の事を謝りたい。
一緒に笑いながら、「あんな事もあったね」と
ドムドムでバーガーを食べたい。

その夢もとうとうついえてしまった。
父は昨年の夏、亡くなった。

143 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 19:43:27.08 ID:MxH7/mRw0.net
鋳物を取り扱うお店で働いてるんだけど、そこに来て
鉄瓶(やかん)を選んでいたカップルの会話

(すごく時間をかけてゆっくり考えてた。
結局良いものだけれど「薬缶」としては値の張るものを選んだ)

男「で?それでどんな美味しいものを作ってくれるの?」
女「え?これ薬缶だから、お茶くらいかな?」
男「わかってますって」
女「んっとね、これで美味しいカップラーメンかな?」
男「wwww」
女「笑わなくてもいいじゃないのよ」
男「結構な値段だね」
女「うん。びっくりするよね。でも、これのために貯金してたの。だから大丈夫!
  毎日使うものだし、そろそろ大事に使えるものを持つのも良いかなと思って
  うん。やっぱりこれにする」
男「焼酎割るお湯も沸かしていい?」
女「それはだめー。そんな事に使っては嫌」
男「基準が分からんwww」

お会計をするときに女の人が払う仕草を見せたから
女の人がお買い上げかと思っていたら男の人がサッと代金を払ってしまった。

女の人は「いいよ、私が使うんだから自分で払うよ」と
男に言っていたが男が
「いい。○○さんは毎朝これでお茶淹れるんでしょ?
その時に俺が贈ったものだって思い出すでしょ?
これを使うたびに俺のことを考えるでしょ?」

女はすごーく照れながら
「もうすぐ結婚して一緒に暮らすのになんでそんな恥ずかしい事言うかな」
とかぶつぶつ言っていた。

お互い照れるその様子が可愛かったですよこんちくしょう。
後から思い出すとイエス、フォーリンラブみたいだな。

144 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 19:44:25.56 ID:MxH7/mRw0.net
企業相手に機械なんかを修理する仕事をしているんだけど、
少し前に20年以上前の型の電動ドリルが届いた。
「動かなくなったのですが、まだ修理出来ますか?」
と一筆添えてあり、珍しく個人方から送られてきた。

故障原因はただの接触不良だったんで、
ちょっと弄れば動くようにだけはなったけど、
かなりガタがきててまともには使えない。
代替部品も流石に打ち切りになってた。

「部品も打ち切りになっていますし、
申し訳ないですが修理は無理ですね・・・」と電話したところ、
送り主の女性は「そうですか・・・」と暗い声。

「とりあえずは動くようにだけはなったんですけどね、
まともには使えないですね」と言った瞬間、
「う、動くようになったとですかーーーーーー!!」と大絶叫。

そこからは打って変わってもの凄いテンションで
「ありがとうございます!!本当にありがとうございます!!御幾らですか!」
と電話越しでも分かる位大はしゃぎ。

動くようになったとはいえ
中途半端な修理で御代を戴く訳にもいかないので、
「いや、着払いでお返しさせて頂けるなら代金は結構ですよ?」
と言うと、
「いやもういくらでも良いですから仰って下さい!!お願いします!!お願いします!!」
と何故かお願いされてしまった。

その後「いや、本当に結構ですからw」
「いや、お支払いしますから!!」の押し問答がしばらく続くと、

「実はそのドリルなんですけど、私の父がずっと愛用していたものでして、
その父も今や半ば寝たきりで、『俺もドリルも動かなくなった』
なんていい出すもんだから、 ドリルが動くようになれば
父も元気が出るかなって思ったんですよ。
だから、幾らでもかまわないですから仰って下さい」
とその女性。

まさかこの仕事しかも電動ドリルでこんなドラマみたいな話を聞くとは・・・
なんて驚きつつ
「それなら尚更御題は結構ですから、代わりにお父様に宜しくお伝えください」
と、よく分からない文言で代金が要らないことをなんとか押し切り、
その後もしばらく、これでもかって位の感謝の言葉と賞賛を送ってもらって電話を切った。

いい人ってよりはすごく親思いの人だけど、俺も親を大事にしなきゃなーなんて思ったよ。

145 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 19:45:02.52 ID:MxH7/mRw0.net
これで仕事の話は終わりです!

次は息子・娘の話です!

146 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 19:46:59.28 ID:MxH7/mRw0.net
娘が6歳で死んだ。
ある日突然、風呂に入れている最中意識を失った。
直接の死因は心臓発作なのだが、持病のない子だったので
病院も不審に思ったらしく、俺は警察の事情聴取まで受けた。

別れた女房が「彼氏」同伴でやって来たが、
もはや俺にはその無神経に腹を立てる気力もなく
機械的に葬式をすませた。
初七日も済んで、俺は独りで映画を観にいき、娘が観たがっていた
ゴジラととっとこハム太郎の二本立てを観ることにした。
とっとこぉはしるよハム太郎♪の歌を聴いた瞬間、やっぱり俺は泣いた。
6歳にもなって活舌の悪い娘が、この歌を一生懸命覚えて、
とっとこぉ、はしゆよ、はむたよお♪と歌っていたっけ。

ハム太郎の紙コロジーだってクリスマスに買ってやるつもりだった。
女親のいない家庭だったが、少しでも女の子らしくと、
服を買うときだって、面倒がらずに吟味を重ねた。
学校だって、行きたいところに行かせてやるつもりだったし
成人式には、ちゃんと着物を着せてやるつもりだった。
女房と離婚してから俺は100%子供のために生きることにして、
必死にやってきたのに、この世に神様なんて絶対いないんだと知った。

147 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 19:48:05.54 ID:MxH7/mRw0.net
たまに貼りながら泣いてしまう

148 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 19:49:03.79 ID:MxH7/mRw0.net
3歳になる娘が、突然字を教えてほしいといってきた・・・。
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。

ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」
こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。

字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。

「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない・・・。

149 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 19:50:36.75 ID:MxH7/mRw0.net
子供が外に遊びに行こうと玄関を開けたとたん、

みはからっていたのか猫は外に飛び出していってしまいました。
そして探して見つけ出した時にはあの子はかわりはてた姿になってしまった。

私はバスタオルにあの子をくるみその場で泣き崩れてしまった。
自転車で通りすぎる人、横を走る車、
みんなが止まり「どうしたの?大丈夫?」と声をかけてきてくれた。
でも、その声にも答えず私は声をあげてあの子を抱きかかえて泣いた。
まだ体があたたかったことが、悔しかった。

毎朝、あの子はきまった時間にパパを起こし、えさをねだるのが日課であった。
パパの眠い目をこすりながらも、おねだりするあの子にえさをあげてから朝の一服をする。
あの子が死んだ次の日の朝、パパはいつもの時間に起きてきた。
そして、ソファーに座りたばこに火をつけた。今日は足にまとわりついてくるあの子がいない。
パパの背中がさみしそうで、また涙がこみあげた。

あの子はいつも長男と一緒に二階に上がり長男のベットで一緒に寝ていた。
あの子が死んだ時、呆然としていた長男が、ベットで夜泣いていた。
私は声をかけてあげることができなかった。
親として悲しんでる子供をなぐさめてあげなければいけなかった。
でもその長男の姿を見た私はその場でうずくまって声を殺して泣き崩れてしまった。
食事の用意をしていても、掃除をしていても、涙が勝手にあふれてくる。
泣いている私に息子は、「次はどこ掃除する?手伝うよ」とやさしく声をかけてくれた。
「ママが隊長で、僕は副隊長になって掃除しようっ!」
泣きっぱなしでぶさいくになっている私は、
「隊長ばっかで部下がいないじゃん」とぐしゃぐしゃの顔で笑った。
あの子が死んでから初めて笑った。

くよくよしていたらいけないことを息子が教えてくれたようでなさけなかった。
今日で、もう泣くのは終わりにしよう。
あの子とのいっぱいの思い出を胸にしまい、今日からいつものママにもどるからね♪

150 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 19:51:13.20 ID:MxH7/mRw0.net
息子の学校へ忘れ物を届けに行ったとき、

学校は中休みで、子供達は校庭で遊んでいた。


正面玄関を抜けた所にある花壇で、軽い障害のある子が、
上級生に囲まれて泣いていた。その中のリーダー格の一人が
「やれよ、時間がねえんだよ。やんなきゃ殺すぞ。」と凄んでいた。
頭にヘッドギアをつけた、おそらくは肢体不自由の他に知的障害もあるであろう、
特殊学級の男の子が、しくしく泣いているその姿に勝ち誇るかのように、
そう言い放っていたのは、俺の息子だった。

俺は背後から息子の髪を掴んで地面に叩きつけた。
まさかここにいるわけのない父親の顔を見て、信じられない表情の息子の
胸ぐらを掴んで立たせて、顔面を殴った。
生まれて初めて親父に殴られた恐怖に、顔をこわばらせる息子に、
「時間がねえんなら、てめえがやれや。」と俺は言った。

俺は息子をてめえなんて呼んだことはないし、ましてや殴ったこともなかった。
小さいときから、情操教育に気を使い、人に優しくあれと教えてきた。
小さい子、弱い者を守ることの美徳を教えてきたつもりなのに。
こんな陰湿ないじめをするようなガキに育ったのは、俺の責任だ、
そう思ったら、くやしくて、情けなくて、また息子を殴った。
鼻血を出してうずくまる息子を見下ろして仁王立ちになった俺を、
職員室から飛び出して来た担任が止めた。

もうこの先は書きたくないから書かないが、
帰り道で涙が止まらなかった。
全部俺の責任なんだ、そう思うといたたまれなくなった。
小学校の高学年から高校までいじめられていた俺の、
よりによってその息子が、あんなことをしていたなんて。

151 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/01/05(月) 19:52:53.85 ID:gckCiI4R0.net
悲しいタイプより感動系のほうが好きだが
ちゃんと読んでいるのでお願いします

153 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 19:54:33.62 ID:MxH7/mRw0.net
>>151
ありがとうございます!

今から夜ご飯食べます!

152 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 19:53:27.87 ID:MxH7/mRw0.net
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、

どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。

ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」
こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。

154 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 20:15:47.23 ID:MxH7/mRw0.net
食べ終わったのでまた貼る作業を続けます!!

155 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 20:17:42.06 ID:MxH7/mRw0.net
今日のことなんだけど、会社のIDカード(首にストラップでかけるやつ)がいつも置いてある場所になかった。
結果的には応接間で見つかったんだが、次男(小2)のしわざだった。
「勝手に触ったらだめだろ!」などと結構きつく怒って問い詰めたところポツポツ理由を話し出した。

「お父さんの会社イスあるやろ?」
「椅子?・・・あるな」
「お父さん座って仕事してるやろ?」
「座ってるな」
「それ首にかけて、イスに座ってお父さんの気分をあじわってたん」って言われた。


理由とか聞く前に声を荒げてしまった自分が最低のクズになった気分だった。
こんなクソ親父にあこがれてくれているのかと思うと涙が出てきた。

156 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 20:20:24.55 ID:MxH7/mRw0.net
今日、某大型老舗デパートで食器類を見ていると、髪を染めた若いお兄さんが一人でウロウロ。
場違いっぽいことは本人も自覚してるらしく、でも目当てのものが見つからないようでオロオロ。
見かねたのか、店員が話しかけると「両親へのプレゼントを探している」とのこと。
暫く店員と話しながら、ようやく決まったのか、レジへ向かう。
店員がおもむろに「結婚記念日ですか?」と尋ねると、
「いえ、今日は自分の誕生日なんですが、両親に育ててくれたお礼をしたいと思いまして・・・」

うちの息子にも、大きくなったらあんなことされてみたいなぁ。

157 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 20:26:33.23 ID:MxH7/mRw0.net
この前息子の運動会行ったんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて息子が運動会の入場行進する姿を見たわけですわ。もう4年生なんだけどね。
正直最初は我が子の運動会見学って簡単だと思ってたのよ。みんな普通に明るく楽しく見学してるからさ。
あのね、私が間違ってた。あれは私ら夫婦が気楽に見るもんじゃない。
神だね、神が見るものだよ。
入場行進始まった時さ、めちゃめちゃびびって他の父兄の後ろからそろ~ってカメラ構えてそろ~っとのぞき込んだのよ
10秒くらいかけてさ。でなんかドキドキして怖くなって後ずさりちゃったのさ。
そしたら旦那がさ「もっと前でしっかり見ようよ!」とか言うの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが私よ。
だから前に進んだのさ。えぇ、そりゃもう再前列でカメラ構えましたとも。
全てを忘れてファインダー覗き込んで息子を捜したのよ。


運動会って梅雨時とか秋の長雨時期にあるから、今までずっと息子は入院中だったり自宅で寝込んでたりで4年生にして初めての運動会出席だって事とか
救急車で搬送中に心拍停止しかけて「いやあぁぁぁぁ!!」って叫んだ事とか
もう今朝お弁当作りながらすでに涙目になってた自分とか色々思い出しながらね。
だって旦那が前で見ようって言ったからね。
そしてらエライ事になった。
もうすごい涙。鼻がもげるのかってくらいツーンと来てすごい号泣。
カメラ覗いていても全てがぼやけて息子の姿なんか見えない。
大雨警報の高速道路でワイパー壊れたまま100キロで走ってる車のフロントガラスくらい。
もう絶対に事故ってる。
それで横見たら旦那がすごい勢いで鼻すすり上げてエグエグ泣いてんの。
周囲の父兄はドン引きしてるし。ホントごめんなさい。
正直「パパはビデオ、ママは写真、ベストショットバンバン撮るからね!」
なんて大見得切らないで素直に隅っこからコッソリ泣きながら見ればよかったと思ったよ。
心の底から再前列まで出てきた事を後悔したね。
でも運動会終わって183センチ大男のダンナ共々泣きはらした目で
「暑ー!日焼けして顔真っ赤になっちゃったじゃん。これだから炎天下の運動会は。」
とか言っちゃてんの。
ホント私達かっこわるいバカ夫婦。
神様、本当にありがとう。

・・・でも恥ずかしくて来週の授業参観&懇談会に どんな顔して出席したら良いか分からない。
誰か助けて下さい 。

158 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 20:28:28.91 ID:MxH7/mRw0.net
昨日はクリスマスでしたね。

息子は、沿線のとある私鉄電車が大好きで、玩具を欲しがっているのですが、沿線はローカル線ゆえ、プラレールとかも出てないんです。
で、せめて写真だけはと思って、インターネット検索してたら、息子が好きな電車のプラレールを、改造して作ってた人が居たんですよ。
息子がその写真を見て、どれだけ喜んだ事か。で、その人のホームページにメールを打ちました。親馬鹿の極みなのですが、息子が、どれだけその電車が好きかを書いて、そのプラレールを譲って頂けないか、問合せをしました。

翌日。返事が来ました。
「愛着がある物ですから、お譲りする事は出来ません」

やっぱり。そう思っていると、その次にこう書かれていました。
「ですが、息子さんの為に、もう一車輌、作る事は出来ます」
それで、特別に作って頂く事となりました。10日前の話です。
かなり手の込んだ改造なので、来年になるだろうな、と思っていたら‥‥、24日に届いたんですよ。
クリスマスに間に合わせてくれたのです。

で、昨日の朝。
息子が目を覚まして、枕元に置いてある箱を不思議そうに眺めていました。
箱を開けた時の息子の最高の笑顔! 「○○ちゃんがいい子にしてたからね。サンタのおじさんがプレゼント呉れたよ」
言いながら、涙が出てきました。

私も妻も、心に暖かいプレゼントを貰った、今年のクリスマスでした。

159 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 20:41:28.52 ID:MxH7/mRw0.net
私の婦人科系の出費がかさんでいて、我が家はあまり裕福じゃない。
だから息子には申し訳ないんだけれど、おもちゃなんかはお誕生日とクリスマスの年二回しか買ってあげてないんだ。

息子が6歳の誕生日に「欲しいものは?何でも買ってあげるよ。」って夫婦できいたとき、息子が言ったのは「妹か弟が欲しい」だった。
「ボクはこの先一生おもちゃ買って貰えんでええけん、弟妹が欲しい。」

ごめんね。あなたに弟妹をあげられないお母さんでごめんね。
子宮が無くてごめんなさい。ごめんなさい、許してね。
頭が真っ白になってしまって、親の癖に取り乱して息子に縋り付いて泣いて謝ってしまったんだよね、私。
息子はビックリして「お母さんを泣かせてごめんなさい。」って泣きだした。
親としてなってないよね、私。息子を傷つけたよね。本当にバカだった。

長いので途中で切ります。


970: 05/08 11:33
つづきです。

この前の、子供の日。
夫の親・兄弟・親戚、一同が集まった席でいつものように始まった大合唱。
「一人っ子はかわいそう」
「ロクな大人にならん」
「今からでも第二子は遅くない」
「今なら高度医療でなんとかなるやろ?」
困った顔をして薄笑いを浮かべてテキトーに生返事をしてやり過ごすしか私達夫婦には方法がなくてね。うっかり事情が知れたら、もっと傷つけられる。
ああ、仕方が無い人達だ、我慢しよう、嵐が過ぎるまで・・・そう思って。

今年小5の息子が、その時鋭い口調で言い出した。
「ロクな大人の ロク って何さ?」
「嫌そうに聞いてある人間に嫌な言葉を言い続けるのが ロク なんか?」
「ここにいるみんな、おれ以外はみんなキョウダイがいるロクな大人やろうもん」
「ロクな大人の ロク がこういうことなら、おれはロクな大人にならんでよか!」
「ああ、よかったったい。おれはロクな大人になれん一人っ子で」
「ちぃーともかわいそうなこと、なかやっか。一人っ子ばんざい!」

一同が静まり返ってきまり悪そうに視線をアチコチに泳がせ始めた時
「母さん、おれを産んでくれてありがとう。
 一人だけでも俺を産んでくれてありがとうな。」
照れくさそうに言って、ちまきを2~3個引っ掴んで、
「△△のうちに遊びに行ってくるったい。いってきまーす!」
飛び出していったよ。

「今日と明日は、おれが家事やるけん。母さんはゆっくりしときー。
 母の日やけん。お金かからんいい孝行やろもん。おれってあったまいー。」
今、息子は昼ごはんにとホットケーキを焼いているようです。
でもね、母の日のプレゼントは先週にもう貰ったと、私は思っているんだ。

えへへ、親馬鹿だけど、いい息子に育ってくれてうれしくて。
誰かに聞いてもらいたかったんだ。

160 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/01/05(月) 20:41:54.39 ID:BvDo7rTK0.net
家族に虐待され学校では虐められ年中頭痛に悩まされて育った幼少期。
虐待による肉体の苦痛は心を殺し対処できたが頭痛だけは克服できなかった。
どんなに頭が痛くても家の中で少しでもなみだを見せようものならまた激しい虐待をされる。地獄だった。

ある日のこと。夕飯の材料を買った帰り道。
家から数十メートルほど離れた草むらで痛む頭を抱えて休んでいた。この僅かな買物の時間だけが緊張から解放される。あまりの頭の痛みに耐えかね呻いていると、草叢をかきわけ我が家の犬が駆け寄ってきた。そして俺のなみだをペロペロと舐めだした。
俺が泣いていたのを何故分かったのかは今も謎だ。家の壁を飛び越え、一直線に俺の元に駆け寄って、汚れたなみだをぬぐってる。
この犬は非常に賢く、勇敢で優しい雌の牧羊犬だった。
彼女は俺を見て「わたしがいるわ、どんな時もわたはあなたを棄てたりはしない」そう語りかけている気がした。
この時、長年の虐待で冷えきり、一切の活動を忘れ、もはや死んだと思っていた俺の心は爆発し、大声をあげて泣いた。
犬はそんな俺のなみだをいつまでもぬぐった。
犬は俺が成長するに従い歳をとり、時には俺の怒りの捌け口として泥を投げつけられたりした。
犬に救われた心が、その救い主を虐めた。家族の奴隷であった俺にはそれしかできなかった。
それでも犬は目にいっぱいなみだを浮かべ、逃げもせず、ただじっとあの瞳で俺を見つめた……。

犬との別れは、父親の破産に依る夜逃げのため知人に譲るというかたちでおとずれた。
それが20年前。
当時犬は8歳ほどだったろうか。
もうあの犬は死んでいるだろう。
大人になってわかったことは、あの犬だけは俺からなにも奪わなかったということだ。
悲しい時も怒りの時も、ただじっと付き従ってくれた
一度家出した時は一緒に走り、川を渡り、ふたりでどこまでも行こうとした。
天国があるなら、きっとあの犬はそこから俺を見ていてくれている。
俺はいつも思っている。
ありがとう、ロッキー。

161 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 20:54:50.83 ID:MxH7/mRw0.net
私には年子の娘がいます。長女を年少
さんで幼稚園に入れて初めての親子遠足
の時、私は次女を連れて行くのがいやだった。いろんなお母さんと話して、長女に
お友達を作ってあげたいのに、活発で、どこに行くかわからない次女がいては他のお母さんとゆっくり話せない!と思ったから。遠足での私は、次女に冷たかっ たと思う。

でも、後日できた遠足の写真を見ると、タイミングが悪くて次女は目をつぶってるの。なんだかわかんないけど、それを見たらすごくあの時次女を邪魔者扱いした自分が情けなくって泣けてきた。今でもあの写真を見ると、すごくせつなくて悲しい。

164 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:01:05.69 ID:MxH7/mRw0.net
ありがとうございますm(_ _)m


二人目が産まれたばかりで、毎日睡眠不足だった頃。

休日の昼間、旦那が赤ちゃんと(三歳になる)長男を見てるから
昼寝しておいでと言ってくれたので、寝室で仮眠をとることに。

ベッドでウトウトしていると、様子を見に来たのか
長男が、そっと部屋にやって来て私を覗き込んできた。

何となく、寝ているふりをしながら長男の右手をギュッと握ったら、
空いている左手で私の頭を優しく撫でながら一言。

「〇〇ここにいるからね。大丈夫だよ」


…母ちゃん布団の中でこっそり号泣しちゃったよ。

二人目妊娠中から切迫早産でまともに関わってあげられず、
産まれてからは赤ちゃんにかかりきりだったのに
長男はいつのまにかこんなに優しくて
しっかりした男の子に成長してくれていたんだなあ。

ちょうど精神的にも身体的にも疲れがピークの頃だったのだけれど、
長男のこの一言のおかげで乗り越えられたと思う。

ありがとう、母ちゃんあなたの母親になれて本当に幸せだよ。

163 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:00:28.83 ID:MxH7/mRw0.net
ヘタレプログラマーは今日も仕事で疲れきって遅くなって家に帰ってきた。
すると,彼の5歳になる娘がドアのところで待っていたのである。
彼は驚いて言った。
父「まだ起きていたのか。もう遅いから早く寝なさい」
娘「パパ。寝る前に聞きたいことがあるんだけど」
父「なんだ?」
娘「パパは1時間にいくらお金をかせぐの?」
父「お前には関係ないことだ」
ヘタレプログラマーである父親はイライラして言った。
父「なんだって,そんなこと聞くんだ?」
娘「どうしても知りたいだけなの。1時間にいくらなの?」
女の子は嘆願した。
「あまり給料は良くないさ・・・20ドルくらいだな。ただし残業代はタダだ」
「わぁ。」
女の子は言った。
「ねえ。パパ。私に10ドル貸してくれない?」
「なんだって!」
疲れていた父親は激昂した。

「お前が何不自由なく暮らせるためにオレは働いているんだ。それが金が欲しいだなんて。だめだ!早く部屋に行って寝なさい!」
女の子は,黙って自分の部屋に行った。
しばらくして父親は後悔し始めた。少し厳しく叱りすぎたかもしれない…。
たぶん娘はどうしても買わなくちゃならないものがあったのだろう。
それに今まで娘はそんなに何かをねだるってことはしない方だった・・・。
男は娘の部屋に行くとそっとドアを開けた。
「もう寝ちゃったかい?」
彼は小さな声で言った。
「ううん。パパ!」
女の子の声がした。少し泣いているようだ。
「今日は長いこと働いていたし、ちょっとイライラしてたんだ・・・。
 ほら。お前の10ドルだよ」
女の子はベットから起きあがって顔を輝かせた。
「ありがとう。パパ!」
そして、小さな手を枕の下に入れると数枚の硬貨を取り出した。
父親はちょっとびっくりして言った。
「おいおい。もういくらか持ってるじゃないか」
「だって足りなかったんだもん。でももう足りたよ」
女の子は答えた。そして10ドル札と硬貨を父親に差しのべて、

「パパ!私20ドル持ってるの。これでパパの1時間を買えるよね?」

165 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:01:33.44 ID:WWuofr0Z0.net
もうこのスレ見たくない
涙が止まらなくなる

166 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:05:08.61 ID:MxH7/mRw0.net
>>165
そんなこと言わないで~


仕事でちょっといろいろあって凹んでた先週末、
寝坊して居間に出たら、
六歳の娘が「お父さん出て来ないで!」とか叫ぶ。

最近パンツいっちょで出てくるのとか嫌がりだしたから
それかと思ってムカッとしたけど怒る気力もなく
ズボン履いてシャツを羽織る。
家族のためと思って頑張ってんのにこんな仕打ちかよと
なんだか急に面倒くさくなってベッドに転がってた。

しばらくして今度は
「おっけー、もういいよお父さん♪」とかなんとか。
手を引かれて寝室を出たら、
食卓に巨大な……なにこれ、オムライス?
卵は崩れてるし具ははみ出てるし、
型崩れを直そうとしたのか形はなんかギョーザみたいだし。

で、
上にはケチャップでベッチョリ"おとうさ"とか書いてあんの。
バランス考えないからさ、はみ出た"ん"は皿の上じゃん。
もう馬鹿。うちの娘ホント馬鹿。

嫁がその後ろでニコニコというよりニヤニヤしながらさ
「お父さん元気ないから、わたしがお父さんの好物を作る、って」

なんだか急に泣きそうになったから
涙がこぼれないように超高速で食ったさ。

167 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:08:11.11 ID:MxH7/mRw0.net
お腹に赤ちゃんがいるがわかった。
そのことを6歳長女に話した。

昨日、なにやらチョキチョキペタペタ工作して遊んでると思ったら、
「ノーベルお母さんしょう」「ノーベルお父さんしょう」「ノーベルあかちゃんしょう」と
書かれたメダルをくれた。

不覚にも泣いた。

すぐに「ノーベルこどもしょう」を作って首にかけてあげたら、
それまでのドヤ顔から、もじもじテレテレに変身。

しばらくずっと部屋の中をヘンな内股で歩いてた。

帰宅後、ダンナも涙。
新築だからって時計掛ける用のクギうつのも嫌がってたくせに、
速攻でメダル飾る用クギ穴あけてた。

飾られたメダルたちを朝見た長女、またもじもじテレテレ歩きになってた。
一晩たった今でも、目に入るとちょっと潤んでしまうよ。

ありがとう!!

168 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:11:40.84 ID:MxH7/mRw0.net
二人目の娘が出来たときの話です。

俺も嫁も嬉しくて、気が早いが名前まで決めたりしていた。
上の子の名前は嫁が考えたので、下は俺が考えた名前に決めた。
一応男女二つの名前を考えたが何となく女の子って気がしていた。

しかし何度目かの検診で成長してないと診断された。
確か一週間か二週間か様子を見てたような気がするがやっぱりダメだった。

その頃俺は仕事が忙しくてお腹の子の処置の日も休めず、
俺は上の子を俺の実家に預けて仕事に行き、嫁は一人で病院に行った。

夕方迎えに行ったが、嫁にはきっと悲しくて辛い思いをさせたと思う。
当然俺より嫁の方が凹んでて、供養の事とか頭にあったがずっと口に出せずにいた。


138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/21(木) 23:57:57.40
お互いが無理して普通に振舞いながら数ヶ月が過ぎた。

嫁の体の調子も戻ってきたのでまた二人目作ろうって事になった。
ただ考えた名前は流れた子に付けたので、考え直そかって話してた。

そしてまだ妊娠の兆候もないある日、嫁が半泣きで俺に言った
「今日な、○○○(上の子)がな、あたしにゆってん。
 赤ちゃん帰って来たで、ってゆってん」

俺泣いたよ。
新しい命が宿ってた。
本当に下の子が帰って来てくれたよ。
流れたんじゃなくて、きっとやり直したんやでって思ったよ。

生まれた二人目の娘の名前は、最初に俺が考えた名前だ。
今では、中二になった姉をケンカで泣かすほど、元気に育ってる。

169 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:12:11.08 ID:MxH7/mRw0.net
年末に炊飯器をちょっといいいのに新調したら、
ご飯の味も変わって感動。

嬉しくて毎日浮かれて白ご飯食べてる私を見て、
旦那が3歳娘に、
「明日はパパと二人でラーメン食べに行くか!
ママはおうちで白ご飯な!」
と冗談半分で言ったら、娘が
「だめ!ママもラーメン行くの!3人がいいのーー!
ママ1人だめー!」と顔真っ赤にして号泣。

いつもはパパっ子で私そっちのけなくせに。
くだらなくて爆笑して、その後ちょっと泣けた。

170 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:12:48.42 ID:MxH7/mRw0.net
数年前、私の夫がいきなり前妻の子供を引き取りたいって言ってきた。
別れるときに夫が子供を引き取ろうとしたとき前妻さんが、
「それは出来ない、お前が養育費出せ、子供を寄越せと言っても無理」
と私が知らない間に断られてた。
でも今回は再婚した前妻さんとその現夫が、子供を虐待してると聞いて
私に相談してきた。
私も、前妻さんの子供と仲良くやっていける自身はなかったけど、
初顔合わせの時、子供の顔を見て前妻さんに「私が引き取ります!」と言った。
面倒そうに連れられた前妻さんの子、長女は夏なのに長袖で、
腕と足には古いのと新しいのと混ざった、やけど、タバコの跡、赤と青の打撲痕。
暗い表情、汚れた服、虐待のオンパレードだった。

最初はご飯でさえ、びくびくしながら食べてた。
中にガラスや絵の具、ゴキブリが入ってたり、腐ったのを食べさせられてたから。
でも今は引き取った当時、お腹にいた私の産んだ子を面倒見てくれてる。
はっきり言って夫より仲がいい。
「あなたは私の大切な子よ、生まれるところを間違えただけだからね。お帰り。」
と言ってます。

171 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:15:48.42 ID:MxH7/mRw0.net
昨日残業して2時頃帰ったら、リビングに行き倒れ状態の嫁と娘が。

嫁の手にはクラッカー、娘の手には「ぱぱおにんじょびおめでと」
のカードが。部屋はお誕生日パーティの飾りが、冷蔵庫には食べかけの
俺の大好物のラザニアとケーキ(どちらも普段は太るからと、めったに
食卓には上がらない)とシャンパンまで・・・

残業だから先に寝てろって言っといたのに。泣きながら布団かぶせたら
嫁が起きて、「ごめん、1時までがんばったんだけど・・・」その声で
娘も起きて寝ぼけ眼で「パパあけましておめでとう」また泣いた。

今これ書きながら思い出し泣きした

172 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:21:01.01 ID:MxH7/mRw0.net
私が4歳の時、父と母は離婚した。
祖父母と同居していたため、父が私を引き取った。

母は家を出て行く日に私を実家に連れて行った。
家に戻ると母はドアの所で
「おばあちゃんちに又行かなきゃいけないの」そう言った。
「いつ帰ってくるの?」と聞くと困った顔をして少し黙り
「日曜日かな?」と答えた。

疑いもせずに私は笑顔で手を振って送り出した。
日曜日がいつかも知らなかった。
それから私は祖母に日曜日がいつかを聞いては、
玄関で待つ日々が続いた。

何回か繰り返したある日、
母以外の家族全員が揃う夕食の時間に私は聞いてみた。

「あのね、ママが帰ってくる日曜日っていつだか知ってる?」
食卓が凍り付いた。それまでの笑顔が全く消え
みなが押し黙って目を伏せた。

「私、うっかり聞くのを忘れちゃったのよー」と笑いかけたが、
誰1人笑ってはくれなかった。

それ以来、
私はママの話しは絶対にしないようにしてから・・・・
もう30年が経つ。
結婚式にも呼ぼうとはしなかった。

今では、1歳の娘と5歳の息子がいる。
先日、5歳の息子が
「ねぇ、妹と僕を産んだのはお母さんだよね?」
と聞いてきた。
「パパを産んだのはばぁばだよね?」「ママを産んだのは誰?」
「おばあちゃんよ、でもどこにいるかわかんないから会えないのよ」
「僕会いたいなぁ」
「どうして?」
そこまでは平気な受け答えだった。

「ママを産んでくれてありがとうって言わなきゃ!」
(うん、会いたいねぇ)と言うはずだったのに
涙が止らなくなってしまった。

ずっとずっと封印してきた言葉。
育てられないなら産まなきゃいいのにって思ったこともあった。
ありがとう息子。私はやっと素直になれそうだ

173 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:21:53.26 ID:MxH7/mRw0.net
保育園に行くのが嫌で、道端でぎゃんぎゃん泣き出した。
出勤時間も迫るし焦って いらいらしていたら、
道端で井戸端会議に勤しんでいたお婆さんが
「どうしたんや。 上手に歌、歌って。
お母さん、ちゃんと聞いてくれてるよ」と
息子の頭をなでてく れた。

てっきり「うるさい」とか意見されると思っていたのに。
「こうやって泣く のも今だけ。大変やけど、可愛いね」と
私に言ってくれた。
ありがとう。

174 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:23:09.30 ID:MxH7/mRw0.net
主人が病気になった。
フルタイムワーキングマザーの私は二人の子持ち。

子供の頃からネグレストだった実親の助けなど期待できず、
主人の実家も遠くて 万事が万事自分でやるしかない。
がんばれ私!と明るく元気にしてきたけど、
下1歳はいたずら三昧。
全くもって、家事もはかどらなくてイライラ、生活も不安。

上の息子5歳に厳しい言い方をしてしまって反省・・・。
そんな毎日に疲れて昨日会社を休んでしまった。
朝起きれなくて・・。
子供も保育所を休ませて、3人で公園に行ったりして久々に遊んだ。

夜寝る前に「あーあ、明日から会社かぁ・・」とつぶやく私に息子が
「ほーーんと、かぁちゃんって大変だね、
ずっとずっと動きまわって。
ホントにホントに大変!
洗濯して~ご飯作って~○ちゃんがこぼした床ふいて~
掃除もして~僕と遊んで~○ちゃん抱っこして~
○○して~○○して~・・・・」

ずっとずっと今日一日の私のやったことをお話ししてくれた。
そして
「僕は自分の靴は洗える、○ちゃんが出したおもちゃだってお片づけする
僕は自分で自転車にのってお買い物も行く、明日の保育所のご用意もできるよ!」
そういって何故か私の頭をヨシヨシした。

暗いのも手伝って涙が止まらなくなった。
嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
おかげで今日の私はものすごく元気だ!
よっしゃ、がんばるぞ~~~~!!

175 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:23:49.36 ID:MxH7/mRw0.net
私の娘(3才)の話です。
私の母、私、娘の三人で買い物帰りの車中

私が娘に『ママのお腹にいたときのこと覚えてる?』と何気なく聞いてみた。
すると娘は最初こそ『忘れちゃった~^^』なんて話すから
『なんでもいいから思い出してみてよ。』と再び私が質問。

すると
『ぅ~ん。あ!体操座りしてお腹の中にいたよ!』
私・母『…。』
娘『で、頭はコッチ(私の脚の方を指さし)むき!』
『あ、あと!ママはお風呂に入るときにシャワーをお腹に当てて、
良い子いいこってナデナデしてた!』

378 :可愛い奥様:2010/10/24(日) 01:52:57 ID:yEgsirSNO
私『あ…して…た…』
母『鳥肌たつんだけど』
娘『ママがお風呂はいるとあったかくて気持ちよかったよ^^!』

私『ありがと…でもビックリしたよ。すげー!他は?ママのお腹に来る前とか!』

娘『ぇっと…泣いてた。』
私『ん?なんで?』

娘『真っ暗なところで、〇〇(娘の名)ちゃん独りになってて、
ママに会いたいよ、会いたいよって泣いてたの。
そしたらすっごい明るくなって、気がついたらママのお腹にこれたの。
ママに会いたかったんだよ。』

これを聞いて私と母は号泣。
母は私に、この子を産めて感謝だね。って。

そんな私は離婚してシングルマザーだけど、
この子の寝顔を毎日見て感謝してます。

生まれてきてくれてありがとう。ママ、頑張るからね。

176 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:25:39.75 ID:MxH7/mRw0.net
うちの娘3才は難聴。ほとんど聞こえない。
その事実を知らされたときは嫁と泣いた。
何度も泣いた。

難聴と知らされた日から娘が今までとは違う生き物に見えた。
嫁は自分を責めて、俺も自分を責めて、
まわりの健康な赤ん坊を産むことができた友人を妬んだ。

ドン底だった。
バカみたいにプライドが高かった俺は
まわりの奴等に娘が難聴って知られるのが嫌だった。

何もかもが嫌になった。
嫁と娘と三人で死のうと毎晩考えていた。

ある晩、嫁が俺に向かってやたらと手を動かしてみせた。
頭おかしくなったんかと思ってたら、
喋りながらゆっくり手を動かし始めた。

「大好き、愛してる、だから一緒にがんばろう」

手話だった。
そのときの嫁の手、この世のものじゃないかと思うくらい綺麗だった。

それで俺は目が覚めた。
何日もまともに娘の顔を見てないことにもやっと気付いた。
娘は眠ってたが、俺が声をかけるとニタッと笑った。

あれから三年。
娘の小さな可愛い手は上手に動いてる。喋ってる。

177 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:28:16.42 ID:MxH7/mRw0.net

今日、息子が俺を「とおしゃん」と呼んだ。
成長が遅れ気味かもしれないと言われていて、
言葉も遅かったから、不覚にも息が出来なくなるくらい泣いた。

嫁か息子か選べと言われて、
最後まで諦めずに運に賭けてみようと言った時、
実は内心楽観的だった。
医学は発達してるし。
嫁の病気での致死率は何千人に一人だし。
育たないかもと言われた息子は、臨月まで何の問題もなく育った。

それでも息子の誕生日は嫁の命日になった。
嫁を選んでいればと考えない日はなかった。
正直に言うと今でも時々考える。

でも、こう言う日は息子を選んだこともまた幸せなんだと、
心の底から思う。
さあ、今度は、「母さん」って言葉を教えてやろう。
携帯から長文でごめんな。
酒入ってるし、浮かれすぎか。

178 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:29:08.54 ID:MxH7/mRw0.net

3歳娘。
昨晩、久々に夜勤に出てた旦那のことを
「パパ、おばけにつかまらないかな~」って心配してた。
(絵本の「ねないこだれだ」が影響している模様)

大人だから大丈夫、おばけが来ても追い払えるよ、
と言ったら、目を輝かせて
「そっか!パパ、きっとおばけを追い払うお仕事してるんだね!!」と言っていた。
どんなゴーストバスターだw

面白いので「そうかもね~」と答えて会話してたら、
最終的に「夜勤=おばけ当番」となった。

新しい我が家スラングの誕生だw
赤ちゃんの頃も可愛かったけど、
こんな会話ができるようになった今も可愛くて幸せ。

179 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:30:22.68 ID:MxH7/mRw0.net

帰宅した俺に嫁が「新しいのができたよ」という。
「見せて」というと、5歳になる娘を呼んで一緒に隣の部屋にいった。

嫁が「はじまり、はじまり~」と引き戸を開ける。
娘が「おそろしやあ」と叫びながら、部屋中央のダンボール箱の中に隠れる。

妻がその後から「ヘビだぞー」といいながら登場して
なぜか両手はウサギ耳のようなかっこうで
娘の入ったダンボールの周囲をまわる。

嫁が「みつけたー」と叫んで箱にしがみつくと、
箱の中の娘が「きゃあー」といって這い出てくる。
以上、出し物終わり。

俺「・・・はっはっは。パチパチパチ」
嫁「どう?」
俺「どう・・・って、道成寺に見える。なんか高尚なお題だw」
娘「あんちんきよひめ(安珍・清姫)だよ」
幼稚園でビデオを見たらしい。

「面白かった。上手」と褒めると、嫁と娘が「やったー」とハイタッチしてた。
ここ数ヶ月、嫁と娘の寸劇を見るのが楽しみになってる。

嫁が「疲れても頑張るお父さんを励まそう」という趣旨で娘とはじめた。
ときどきよけいに脱力しそうな演目もあるが、
娘が飽きるまでは道成寺のターンだな。


715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04 /14(水) 23:51:02
のちの北島マヤである
・・・・英才教育してるから姫川亜弓か?

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04 /22(木) 16:37:26
>>714
なんか、いいな。ほのぼのだな。

717 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04 /22(木) 20:46:44
>>714
お前、うらやましすぎw。

とりあえず、もげちまえw

180 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:30:50.22 ID:MxH7/mRw0.net

旦那のでっかいシャツと対照的な娘のちっちゃくて丸っこい洗濯もの、
干してる時愛しさがこみ上げてくるよ。ほんっと可愛い!!


622 :名無しの心子知らず:2010/05/13(木) 07:28:15 ID:CALkzjqp
4ヶ月娘
よく分からない単語?らしきものをしゃべる
この前は オトウ・・・サン・・・と、お父さん?と聞こえなくもない単語を
言ったので抱っこしていた夫大喜び
ちょっと疲れた時に娘の顔をのぞき込むとニコーと笑ってくれたりするので
疲れを忘れてしまう
子供の笑顔パワーってすごい



626 :名無しの心子知らず:2010/05/14(金) 09:21:03 ID:SVfRdMSZ
7ヶ月娘、散々ぐずったあとにおっぱいをくわえると至福の顔。
これよこれ!私の好きなのは。おっぱいはいいわあ~♪ってな表情。
新生児の頃から三つ指をそろえて胸に添えて飲む。
目を閉じてうっとりもぐもぐ。
ビデオにとりたいけど乳首うつるしなーw


634 :名無しの心子知らず:2010/05/14(金) 15:27:01 ID:rFmPfuuz
最近抱っこをせがむことを覚えたらしい8ヶ月息子
ハイハイで膝まできて、膝に手をついて膝立ちになって、私の首っ玉
めがけて両手を差しのばしてくるのがたまらーーーーーーーん



637 :名無しの心子知らず:2010/05/14(金) 23:17:40 ID:OmXhApYI
宇宙語を話しながら、よたよたよちよち歩くのかわいくてたまらん
子供を見守る普通の母親ぶってるけど、実は脳内お花畑が満w開ww
かwわwいwうぃっwwうぇっwwwってなってるんだぜwwっうぇっww



652 :名無しの心子知らず:2010/05/18(火) 13:59:16 ID:tfewjW3d
しゃくとり虫方式で私を追いかけるうちの子以上にかわいい生き物なんて存在しないぜw

しゃくとり虫みたいに一生懸命私のそばにきたあとは
飛行機ブーンのポーズで抱っこされるのを待ちやがる。

あぁ、どうしてこうも赤ん坊って奴は
親の心のくすぐり方を心得てるんだろう?
小悪魔ってこういう奴のことを言うのか??

181 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:32:08.35 ID:MxH7/mRw0.net

拝啓 こんにちは
足のおけがはどうですか

ぼくは君とこの車に衝突さした人の子供です
君はきっと怒ってはるやろと思います
ぼくのお父ちゃんのこと
ものすご 怒ってはるやろと思います

お父ちゃんが お酒を飲んで 追い越しなんか せなんだら
君もひとりぼっちにならんで すんだんです
足も怪我せんで すんだんです

かんにん したげてください
ぼくのお父ちゃんを
かんにん したげてください

もし君が一生びっこになって働けんようになったら
ぼくが弁償します
うんと働いて お金をためて

お金もあげます
家もあげます
ごちそうもあげます
きっと誓います

そやから どうか ぼくのお父ちゃんを
かんにんしたげてください
お願いします お願いします お願いします
さようなら

182 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:33:25.87 ID:MxH7/mRw0.net

あぐらかいて、凹みにちょこんと座らせておくと、
ぐににににぃっと私の方へそり返って、ニパァァと笑う。
私が笑うと、もっと笑う。
笑顔のキャッチボール。いつまでも終わらせたくないよ。


826:名無しの心子知らず:2009/10/14(水) 14:50:53 ID:iFESzZhw
帰ってきてから息子がまんが日本むかし話をひらいて読み始めた。
開いたページはももたろう。
「むかしむかし おじいさんとおばあさん しばかりに いいました。
おじいさん おばあさん おおばんこばん おにごっこ いいました。
おじいさん おばあさん おにたいじ しました。 おしまいっ!!」
ちょwww
おじいさんとおばあさん大活躍www
桃太郎でてねえwww


844:名無しの心子知らず:2009/10/16(金) 13:13:28 ID:nLkCt2dD
小さい頃からいないいないばあ遊びの好きな子だったが、転じて
2歳前後からかくれんぼが好きになった娘。

今日もカーテンの向こう側にかくれている。
床下から40cmくらいすきまがあるので、下半身丸見え。
「あれぇ? ○○ちゃんがいないなあ」と周辺をウロつくと、笑い声がダダ漏れ。

そのまましばらく放っておくと、見つけてほしそうにカーテンを揺すりはじめる。
こっちの様子をうかがおうとしているのか、顔を出しかけては引っこめる。
カーテンの端から覗き込んで目があうと「っっキャーーーー!!」 超盛り上がる。
以下繰り返し。飽きないやつだなあww


855:名無しの心子知らず:2009/10/18(日) 01:08:10 ID:lNi4cpAZ
2歳10ヶ月女児

寝る前に「ペネロペのママみたいにして」というので何のことかと思ったら
ほっぺにおやすみのチューして、ってことだった。

そうかそうか、愛い奴め、とほっぺにチューしたら、唇にチュー仕返された。

何倍返しですか、それは。

183 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:33:55.15 ID:MxH7/mRw0.net

うちのもうすぐ4歳娘。
いつも行く近くのコンビニのイケメン店員相手に、
「ピッピ(レジ)のお兄さん、私ちょっとあなたに恋してます」
とか突然言うのさw

俺はもうハラハラドキドキで
「ちょ、ちょ…いや冗談か嘘だと思いますすみません」
って謎の言葉で精一杯。
で、娘
「私、嘘つかないですから。このお兄さんかっこいいでしょ?
ママも良い男だねぇって言ってたよ!」
クソ

家に帰ってから嫁に報告したら、
「私はパパ大好きよ」の言葉でなだめてもらいました。
娘は、俺の使ってる枕(ちょっと臭いらしい)抱いて寝てるので
まぁ良いか、大好きだ娘


265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/16(金) 03:07:44
うちの2歳2ヶ月の娘
危ないものをさわったりイタズラしたら
叱るんだがその後がやばい

叱ったらまぁ当然泣く
で、「わかった?」って最後に聞くとうなづく

その後で手を広げて抱っこのポーズ
抱っこしてあげると「ごめ・・・ちゃい」

そこで許して切り替えるんだが
その後、抱っこのまま
「ぱぱだーいっき」と言って抱きついてくる

かわいいなーと思いながらも
同時に心得てるなーと思えて思わず笑っちゃう

184 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:34:30.93 ID:MxH7/mRw0.net

これで娘・息子の話は終わりです!

次は祖父母の話です!

185 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:35:32.74 ID:MxH7/mRw0.net

「乳母捨て山」の話聞いたことありますか?

年老いた親を、子どもが背負って山に捨てるというやつです。
大昔、貧しさから本当にその風習があったそうです。
そしてこんなことがありました。

背負われている間、親は山の木の枝を折って落としましました。

やせこけた腕を一生懸命のばして、一本一本、折り続けました。

山奥に着き、自分を捨てて去っていく我が子に、親は言いました。


「目印に木の枝を折ったから迷わずに下るんだよ」


親ってこういうものです。

186 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:36:48.72 ID:MxH7/mRw0.net

つい先日じぃちゃんが死んだ。
父方のじぃちゃんで親戚中わんわん泣いた。

んで昨日じぃちゃんの荷物整理してたら古い100円硬貨がドッサリ出てきたのよ。
しかも製造年が全て同じ年。
何の年か分からず困ってると親父登場で一言「・・・それ俺の生まれた年。」

その夜深夜にトイレで目覚めると居間に明かりが。
親父がむせて咳しながらタバコ吸ってんのよ。
「むせるぐらいならタバコ止めろよww」と冗談言おうとしたが言えなかった。

葬式でも涙を見せなかった親父が例の100円玉並べて泣いてんのな。
俺正直涙を全く見せない親父を冷たい人間だと思ってた。
強い人間なんだと実感。
トイレなんか忘れて俺ももらい泣きしながら寝たよ。

んで今日起きたら何事もなかったかのように親父が
「これ、じぃちゃんのお守りだ。」って例の100円玉くれた。
何気なく見たら親父大事そうにその100円玉財布に入れてんのな。

俺も大事に財布に入れてるよ。

親父みたいな強い大人になりたいと思った。

187 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:37:56.87 ID:MxH7/mRw0.net

俺は小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。

当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしか俺はノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。

それをばあちゃんに見せては、
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み~」

ばあちゃんはニコニコしながら、
「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」
と相づちを打ってくれる。それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。

やがて俺にも友達が出来、そんなこともせず友達と遊びまくったころ、
家の事情も解消され、自分の家に戻った。
ばあちゃんは別れるときもニコニコしていて、
「お父さん、お母さんと一緒に暮らせるようになってよかったねえ」
と喜んでくれた。

先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大住生だった。
遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、
何故かぬらりひょんとか、妖怪も混じっていたり。
「ばあちゃんよく作ったな」とちょっと苦笑いしていた。
最後のページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていたその下に、

「義弘(俺)くんに友達がいっぱいできますように」
人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてだった。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。
そしてありがとう。

188 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:39:33.48 ID:MxH7/mRw0.net

俺には親がいなかった小さいころからじいちゃんと2人暮らしだった

じいちゃんはそらぁ俺を猫かわいがりした


ガキのころいじめられて泣いて帰ったら杖を振り回して学校に怒鳴り込んだ
遠足や運動会にはでっかいいなりずしを作っていつも来てくれた
熱を出せば夜中だろうが4キロの道を俺を背負って医者まで連れてってくれた
相撲が大好きでいつも一緒に輪島を応援してた北ノ湖が勝つと2人で罵倒した
じいちゃんはだいぶ前に亡くなったがあるきっかけで
俺はじいちゃんと血がつながっていないことが判明した
俺は隣家の子供で夜逃げのときにあかんぼの俺だけ置き去りにされたらしい
そして独身だったじいちゃんが面倒見るといって引き取ったと
もし聞けるならじいちゃんに聞いてみたい
血のつながりもない他人の俺をどうしてここまで面倒見て育ててくれたんですか?
そして言えるならじいちゃんに言いたい
ありがとう俺にとってじいちゃんは唯一の家族でした
何の不自由もなく親がいない寂しさを感じないで大学まで行かせてくれて
いっちょ前の社会人になれたのもあなたのおかげです
今度墓参りには産まれた娘を連れて行きますね
ひ孫ですよ誰がなんと言おうと俺の娘はあなたのひ孫ですから
あと関係ないけどじいちゃんが俺に教えてくれたべぇごまの技
友達の間で俺は無敵だったよ

189 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:39:59.61 ID:MxH7/mRw0.net

彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。

彼は昔両親を亡くして、祖父母に育てられていました。

そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮しでした。
それが反対の理由でした。
「何も結婚してすぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。
結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母ににもそう言い放ったんです。
その2日後でした。
彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。
仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。
探して探して探して
空が明るくなりかけた頃、彼の祖父の眠るお墓の前に座りこんでいる祖母を見つけました。
歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。
その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ
結婚式はせず、すぐに籍だけをいれました。
もう10年近く前の話です。
祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。
その時の手紙です。
ばあちゃんは本当に貴方がかわいかった。
貴方のお父さんとお母さんが死んだ時
私のこの先の人生は貴方の為に使っていこうと心に誓いました。
ばあちゃんは年であるしお金もない
何も何も持ってはおりません。
貴方への愛情だけです。
そして貴方はばあちゃんの事をとてもとても大切にしてくれた
とてもとても良い子に育ってくれました
そして人生の伴侶となるべき相手を見付けました。
でもばあちゃんがそれをじゃましているんだね。
幸せになってください。
ばあちゃんは貴方を育てる事が出来た事がとてもうれしいです。
とてもとても幸せでした。
妙子ちゃん(私)と、どうかどうか幸せになってください

190 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:40:54.28 ID:MxH7/mRw0.net

191: 06/25 22:55
三年前死んだ祖父は末期になっても、一切治療を拒み医者や看護婦が顔を歪めるほどの苦痛に耐えながら死んだ。

体中癌が転移し、せめて痛みを和らげる治療(非延命)をと、息子(父)や娘たち(伯母)が懇願しても絶対に首を縦に振らなかった。

葬式の後、親しかったご近所の将棋仲間が家族に宛てた祖父の手紙を渡してくれた。
祖父が生前用意していた物だそうだ。

手紙の中には自分が家族を悲しませ、苦しませるのを承知で苦しみながら死んだ理由が書かれていた。
 
20年近く前、孫の一人が生存率20%を切る難病で闘病していたとき、祖父は神様に誓ったのだそうだ。

自分は今後どんな病気や怪我になろうとも、絶対に医者にもかからないし薬も飲まない。
だから孫を助けてくれと願を掛けたのだそうだ。

幸いその孫は無事手術も成功し、成長して成人もした。

孫の成長を見届けることができたのだからもう思い残すことはない。
あとは神様との約束を果たすだけだ。

だから家族は悲しまないで欲しい。
自分は満足して一生を終えるのだから。

そう綴られていた。

孫は当時一歳にもならない赤ん坊で、病気だったことも覚えていない。
祖父は自分の決意を貫いて一生を終えた。

その孫である兄は葬儀でわんわん泣いていた。
もちろん、兄弟もみな泣いた。

うまく書けないのが悔しいなあ。
本当に祖父はすごい人だったんだよ。

191 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:45:23.20 ID:MxH7/mRw0.net

高2の時の話。

台風直撃の中、ずぶ濡れになって帰宅。高熱を出し肺炎併発、翌日即入院。
2日間点滴に縛られ、3日目ようやく点滴棒から解放されトイレへ。
向かう途中の個室から『だれかぁ~・・・』と呼ぶ声が。
すれ違った看護婦に「呼んでますけど?」言ったら『あのおばぁちゃんはいつもだから。気にするな』と。
次にトイレに向かった時も、まだ呼んでいた。
回りにあの看護婦が居ない事を確かめて、おそるおそる部屋へ入った。
「おばぁちゃん、どうしたの?」  『こっち来ておくれ・・・』
傍に寄った私の腕を物凄い力で握り締め
『おんぶしてくれぇ・・・この部屋から出してくれぇ・・・』と涙を流しながら訴えて来た。
「おばぁちゃん、私チビだからおんぶ出来ないよ」と言っても『じゃあ~少しの間でいいから』と。
「うん・・・」と返事をした途端、力を振り絞るかの様に上体を起こし、私の背中にしがみ付いて来た。
この時初めて「ベッドから落としてしまったらどうしよう?」と恐怖心にかられた。

そこをあの看護婦に発見された。
『なーにやってんの!!○○さん!!誰彼構わずにおんぶをせがむのは止めなさい!!あなたも病人のくせに、いらん事するんじゃーない!!』
物凄い剣幕で怒鳴られた。
見つけられて一瞬ホッとしてしまった。が、おばあちゃんに「ごめんね・・・」と言うと
『あぁ~、おんぶしてくれようとしたのは、あんたが初めてだったよ。ありがとうねぇ~・・・叱られちゃって、ごめんねぇ~・・・』と。

翌朝、個室はもぬけの殻だった。
違う看護婦に聞いたら『あぁ。あのおばあちゃん、昨夜遅く亡くなられたのよ』と。
急いでベッドに潜り込み、声を殺して大泣きした。
「こんな事なら無理をしてでも、おんぶしてあげれば良かった・・・」と。

介護の「か」の字も無い時代。
あの時の後悔と自責の念を忘れずにヘルパーをしてる今の私が居るのはあのおばあちゃんのお蔭だ。
思い出すと今でも胸が痛くなるが・・・

192 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:56:50.18 ID:MxH7/mRw0.net

私の祖父母は男の子がほしかったらしく、三人子供をもうけたのですが全員が女の子でした。ちなみにうちの母は次女です。
末の女の子(つまり私の叔母)は双子で、片割れは男の子だったんだそうです。しかしその子は生まれてすぐに死んでしまいました。というより、死産に近かったのだそうです。
祖父母は、叔母が小さい頃にはそのことを黙っていたそうです。何かショックを受けるかもしれない、ということで。叔母はやがて立派なヤンキー(笑)に成長し、今だったら大したショックも無いだろうと打ち明けたそうです。
すると叔母は急に黙りこくってしまったのだそうです。やっぱりショックがあったんだと思った祖父母が励まそうとすると、叔母はポツリポツリと話し始めたのだそうです。
叔母がヤンキーになってからというもの、眠っていると枕元に小さい男の子が立つことがたびたびあり、しかもその子は「お姉ちゃん煙草の吸いすぎはよくないよ」等、叔母の身を案じるような発言をすると。
自分に弟がいるとは思っていなかった叔母は、ずっと何なんだろうと思っていたのだそうです。話し終えた叔母は号泣して、それから夜遊びなどは控えるようになったそうです。
その後も何かあると、叔母の弟は現れるのだそうです。数年前に叔母が二人目の子供を妊娠した際、高齢出産になるからと少々不安になっていた叔母に「大丈夫だよ」と言葉をかけてくれ、無事に女の子が生まれました。

そして先日、長い間患っていた祖母が亡くなりました。
葬式が終わって家に帰り、眠った叔母の枕元に、やはり弟が来て、
「お母さん来たよ、今までありがとうって言ってるよ」
と言い、にっこり笑ったそうです。
朝起きて、涙が止まらなかったと叔母は語っていました。
私は「ひょっとしてその子がばあちゃんを連れて行こうとして・・・」という穿った考え方をしたのですが、叔母はそんなことは絶対にないと強く言いました。

双子ならではの話だと思います。

193 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 21:59:09.97 ID:MxH7/mRw0.net

私の祖父の葬儀の時のこと。
読経も始まり、皆俯いて故人をしんみり偲んでるところを娘(当時4歳)は祭壇を見てひとこと。

『あれ、誰のハピバースデーなの?』


固まる周囲。
慌てて『あれはハピバースデーじゃなくておじぃちゃんへのお供えなんだよ』と娘に説明。
えーでもお花とか果物があるし・・・と納得いかない様子の娘。

前にいた伯母が
『おじいちゃんが天国で初めて迎えるお誕生日だからね』
とフォロー入れてくれた時、不覚にも泣いてしまった。
伯母さん、本当にありがとう。

194 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 22:01:07.93 ID:MxH7/mRw0.net

ある日、叔母さんのうちに一本の電話がかかってきた。

「こちら警察のものですが、お宅の息子さんが事故を起して通行人に怪我をさせてしまいまして、被害者の方から示談で良いとのことで、至急こちらの口座に振り込んでいただきたいのです。ただいま、息子さんに代わりますね・・・」

叔母さんはすぐにそれが最近流行っているオレオレ詐欺だということに気が付いた。
なぜなら、息子は5年前に事故で亡くなっているからだ。

「母さん、俺だよ、事故起しちゃってさぁ、大変だよ。すぐに示談金振り込んでくれよ」
叔母さんはその声を聞いてハッとした。
死んだ息子の声とそっくりだったからだ。
まるで死んだ息子が蘇り、そこにいるような気がした。
叔母さんは電話を切ることが出来ず、
しばらく息子にそっくりなその電話の声に聞き入っていた。
そして再び警察官と名乗る男に代わった。

「そういうわけなので、どうかお母さん、示談金、お願いしますね・・・」
再び息子と名乗る男に代わった。

「母さん、ゴメンよ、助けてくれ」
そこで叔母さんはやっと真実を話した。

「あのね、私の息子は5年前に死んでるの。」
電話の声がパタリと止まった。気まずい空気が流れた。
しばらくの沈黙の後、電話が切られる前におばさんは言った。
「ちょっと待って、あなたの声、息子とそっくりなの。
 電話切る前に、もう一言だけ、声を聞かせてもらえないかしら。」
しばらくして、電話の主はこう言い、電話を切った。

「母さん」

195 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 22:08:13.83 ID:MxH7/mRw0.net

そろそろお婆ちゃんが他界しそうです。

年内中だそうです。この前お見舞いに行きました。
イマイチ、実感が沸かなかった。
もうすぐお別れなんて考えられなかった。

弱々しく、病院のベッドで寝ているおばあちゃん
私の目の前に、今いるのに、もうすぐお別れなんて分からなかった。
喋るのも辛そうなおばあちゃんは、小さな目で私をじっと見ていた

心無しか目が潤んでるように見えた。
手を握ってみた。もの凄くガリガリでしわしわ。
握っても、握り返すことは出来ないらしい。
でも妙に暖かかった。お婆ちゃんの体温を感じて私も目が潤んだ。

その時、初めて実感できた。
この暖かい手に触れる事が出来なくなる悲しみ。もう笑顔も見られない。
死なないで欲しい。ずっと生きててほしい。

帰ろうとすると、入れ歯がない口でゆっくりと「いやだ」と言っていた
「これが最後になるかもしれないのに」とも。
おばあちゃんは手を離さないようにしていた。でも弱々しすぎてすぐに振りほどける。
出来ることなら、ずっと握っててあげたかった。
夜中、病院で1人死を待つおばあちゃんの傍にいてあげたかった。
涙をこらえて、「またね」と言った。

今回が多分、私にとって初めて人の死を悲しむ瞬間になるだろう。
夜の電話には怯え続けてる。ずっと一緒に居て欲しかった。
せめて、ずっとお婆ちゃんの手を握っていたい。そう思う。

196 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 22:12:06.78 ID:MxH7/mRw0.net

小学校時代、母ちゃんが作ってくれる弁当を
いつも学校に持っていってたんだが、ある日持ってくのを忘れた。

母ちゃんも作るの忘れていた。
四時間目が終わって、
思い出した漏れはとりあえず家に電話。

じいちゃんが出た。
当時、両親共働きで、頼みの綱だったばあちゃんも
公民館に出払ってるとのこと。

じいちゃんが茶碗に飯を盛ってるのすら見たことがなかった漏れは
『こりゃ今日の昼飯諦めるべ…』と落胆して
『弁当が無いんだけど…まあいいや』てじいちゃんに言って電話を切った。

で、空腹のまま昼休みが終わろうとしていたんだが、
正門から漏れを呼ぶ野太い声が…。

見てみると、じいちゃんが軽トラに飼い犬乗せて、
片手にタッパー掲げて叫んでた。

恥ずかしくてすぐ駆けつけたんだが、
タッパーには焦げてぐちゃぐちゃになった冷凍餃子と冷や飯と梅が
なんの仕切りも酢醤油もなくみちみちに突っ込まれてた。
恥ずかしくて軽トラの助手席で食べたんだが、なんかすげえウマかったんだよな。

じいちゃんはその数年後に末期癌で逝っちゃったけど、
あの日に戻れるなら『弁当作ってくれてありがとう』ってちゃんとお礼言いたい。

本当に美味しかったよじいちゃん…

197 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 22:13:28.60 ID:MxH7/mRw0.net

私がアメリカに留学してた時、両親と祖母が遊びに来た。

英語圏でキンチョー気味の両親よりも90近い祖母の方が
いろんなものに興味を示し外人にも臆する事ないのに驚いた。

その祖母が帰国間近になって私に「英語を教えてくれ」と言う。
私が教えた簡単な挨拶、会話を手帳に書きとめ
「天国でおじいさんに会ったら”ハロー”って言って驚かせてやるんだ」と
子供みたいに悪戯っぽく笑った。

なんだか感激して祖母達が帰国後、子供向け英語教材本を買って送った。

その祖母も去年95歳で大往生。
おばあちゃん、天国でおじいちゃんに「ハロー」って言って
驚かす事できたかな。

198 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 22:14:22.56 ID:MxH7/mRw0.net

最近(先月)のことなんだけど、
うちから2キロぐらい離れた所で夏祭りがあって、
夜、窓から花火を見ていたら、庭に誰かが居た。

よく目を凝らしたら、じいちゃんがばあちゃんの手を引っ張って、
うちの庭で花火がよく見える場所まで連れてきていた。

絵に書いたような九州男児のじいちゃんは頑固で偏屈で、
孫の私にも説教ばっかだけど、若い時苦労した反動か、
早くボケてしまったばあちゃんに凄く優しい。(誰も居ない時は)

ボケた婆ちゃんはもう、子供も孫も、じいちゃんも、
周りに居る全部の人がほとんど分からなくなっている。
じいちゃんが手を繋いだら、きっとばあちゃんは知らない男の人が、
手を繋いできたと思ってひどく脅えるだろう。

けれど、じいちゃんはそんなもんに負けない。

二人はずっと手を繋いだまま花火を見ていた。
(多分そうしてないと婆ちゃんはすぐどっかへ行っちゃうから)

私は花火じゃなくてそれを見て、もの凄く綺麗だと思った。
そして、ボケる前の婆ちゃんは花火が凄く好きだった事も思い出してた。

家の中に帰ってきた婆ちゃんに「花火綺麗だった?」と聞くと。
「さっきの??えらい綺麗かったばい、花火、って言うと?」って笑ってた。
じいちゃんは私に背を向けたままシャツ一枚で寝転んでた。

なんだか私、あの二人が手を繋いでいる光景は一生忘れない気がした。

199 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 22:15:14.39 ID:MxH7/mRw0.net

何年か前、一人暮らしをしてた時、
部屋に小包が届いた。一緒に入っていた手紙に

『○○様 お元気ですか、○○が家を出て半年がたちました。
家の中は火が消えたようです
じちゃんも、○○の事をしんぱいしています
早くりつぱな看ご婦さんになって帰って来て下さい。
ばちゃんも元気だから、しんぱいいりません。
○○が元気でりつぱになるやうに
ばちゃんは毎日仏だんにおがんでいます。
気をつけて、また今度かえって来て元気な顔を見せて下さい。

ばちゃん より』


手紙には、折り目が付いた1万円が同封されていた、
農家の嫁の少ない年金で、生活も楽じゃ無いのに…

読みながら、届いた漬物をかじったら…
急に帰りたくなって、婆ちゃんに甘えたくなって、
わんわん泣いた。

それから死ぬ気で勉強して働いて、看護婦になって地元に帰った。

今もその手紙と一万円は大切に残している。

200 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 22:15:49.40 ID:MxH7/mRw0.net

ついに200ヽ(≧▽≦)ノ


婆ちゃんで思い出したが、小さい頃よく肉汁うどんを
作ってくれたんだ。

うどんそのものはその辺でも売ってる乾麺だったが、
汁は婆ちゃん特製で豚肉とキノコ類がどっさり入ってて、
キノコ嫌いだったのにその汁が美味くて美味くて
今じゃすっかりキノコ好きに。

俺もすっかりおっさんになった今、急に婆ちゃんの味が
懐かしくなったんで思い出しながら作ってみようと意気込んだ。

料理も一人暮らしで自炊してたおかげでそこそこ出来るし、
乾麺使った肉汁なんて簡単に…と思ってたのに、全然思い通りの
味にならない。

美味く表現出来ないが、小さいとき食ったあの
「婆ちゃんの作った肉汁」にならないんだよ。

もう意地になって何時間も鍋の前に立って思いつく限り、
いろいろな調味料やら具材ちょい足しやらやってみたが、
何度やってもやってもどんどん思い出の味から遠のいてしまった。

取り返しがつかなくなって最後は3倍に薄めてカレーにしてしまった。
(そのままカレーにするには味が濃すぎた)

一人暮らしには多過ぎる、鍋たっぷりのカレーを前に
じんわり泣いてしまった。あのうどんはもう食えないのか、
もっと前に婆ちゃんに作り方聞いておけば、といろいろ考えてしまった…

婆ちゃんまだ生きてるけどボケちゃったから
もう聞いても分からないもんなぁ俺の事「橋前の柿本さん」
って言ってたし。

思いのほか長文になってしまった、失礼した。

201 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 22:20:51.38 ID:MxH7/mRw0.net

もう10年位経ったかな。
父方の祖母が癌で他界した。

私の父は、母と結婚し、母の地元の東北に住むことになった。
祖父母とは、電話や手紙のやり取りはよくしていたが、
会いに行くとなると、やはり遠距離という事もあり、
なかなか行く機会を見つけられなかった。

1度、姉と私の2人で遊びに行った事がある。
父は5人兄弟で全員男。
おばあちゃんは「女の子が1人は欲しかったんよ(笑)」って
私たちのこと、ものすごく可愛がってくれた。
やさしくて情の厚い人で、
行きも帰りもおばあちゃんは号泣した。

それから3年程して悲報が届いた。
癌だったなんて知らなかった。父すらも。
電話の声は元気だったから疑いもしなかった。

通夜の日、お棺を覗いたら、
ふくよかだったおばあちゃんの顔がガリガリだった。
面影もなにも無かった。

おじいちゃんが近付いてきて
「遠い所、会いに来てくれてありがとう」と言って手を握ってくれた。

おじいちゃんは左手の親指にブカブカの指輪を付けてた。
おばあちゃんの指輪。
あぁ、おばあちゃんおじいちゃんより太ってたから。

そう思ったら涙がぼろぼろ出てきた。

火葬が始まってお棺が焼却炉に入る時、
おじいちゃんも入るって言ってきかなかった。

葬式も全部終わって落ち着いた時に、
父が叔父からおばあちゃんの写真をもらった。
おじいちゃんと並んで家の前で笑顔で写ってる写真。

「かあちゃんに、お前達には癌の事話すなって言われてた。
遠いから心配かけたくないって」

みんな声上げて泣いた。
死んでからじゃ何もしてあげられない。
遠いからってそれを言い訳にしてちゃ取り返しがつかないんだよね。

後悔ばかりです。
長文スマソ。

202 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 22:22:13.92 ID:MxH7/mRw0.net

70過ぎの父と、5歳、1歳の息子と、
私達夫婦でランドに行きました

父は、孫の子守のためとしぶしぶ来た初めてのランド

開門を待ってるときから落ち着きなく
『こんなジジイは他にきてないな!!恥ずかしいわ』
と照れ隠しで言っていた

アトラクションでもレストランでもことあるごとに
『こんな爺さん来ていいんか~若い人ばっかしやな』と言う

こっちもいい加減聞き飽きてきたし無理して来たのかなと罪悪感...
あるアトラクションで並んでいるときまた
『こんな年寄り来ちゃいかんな~迷惑かけるわ目障りやわ』
と言った父にキャストさんが、

『とんでもないです!来てくださって嬉しいです!
お孫さんですか?おじいさまとよく似ていらっしゃいますね~
おじいさまもお孫さんくらいのお年になったつもりで
ぜひ楽しんでくださいね~』と

そして息子に向かって
『おじいちゃんと一緒でいいね~おじいちゃんにミッキーのこと
沢山教えてあげようね』と言ってくれました

そのときは平静を装っていた父ですが
息子と一緒にそのアトラクションに乗り
『○○ちゃんはええな~こんな楽しいもんに乗れて、
ええな~綺麗やな~ええな~』と言いながら涙目でした

午後ベンチで休憩してるとき、
まだまだ元気ではしゃいでいる息子を見ながら

『ここ、ええとこやな。景色が綺麗やな~
○○ちゃんは元気やな~…
俺がアイツくらいんときはこの国とケンカしとったもんな~』
とぼそりと言った

私は息子の姿を見ながら
つらかっただろう父の少年時代を思って胸が締め付けられた
感動話じゃないかも、ごめん

203 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 22:23:15.51 ID:MxH7/mRw0.net

子供がいるなら大事にして命をつなぐこと。それが一番の親孝行だと思う。

俺の母は病弱だったから、生まれてすぐに母方の親戚に預けられた。
姪の子ってピンとこないだろうにバーちゃんは初孫として可愛がってくれた。

バーちゃんも病弱だったから、記憶にある姿は、横すわりして笑っている所だけだ。
抱っこもないし、おんぶも無かった。
でも本当に可愛がってくれて、何もしなくても安心できた。

寄り合いが有ると必ず頼まれるほどの寿司の名人で、
縁側で酢飯を作り始めると、もう我慢が出来なかった。
「バーちゃん、バーちゃん!!」
しゃがんでピコピコはねると、「ほいよ~」と一口だけ押し込んでくれた。
それで十分満足して、外に飛出して友達と暗くなるまで遊んだ。

親元に戻っても毎年泊まりに行ってたけど、さすがに高校に入ると少し疎遠になった。
そうしたら「もう駄目かもしれないから来て」って姉ちゃん(娘さん)から連絡がきた。

病院のベッドのバーちゃんは信じられないくらいにギロギロに痩せて横になっていた。
もう孫の顔も分からない、と姉ちゃんが言ったのに、「来たよ」と言ったら自分を見た。
「分かってるんだ」と姉ちゃんが言った。

あまりのショックで声も出ないし身じろぎも出来なかった。
こわばったままの俺の顔をバーちゃんは何と思っただろう?
それからすぐ、バーちゃんは他界した。

何年かしたある日、鏡を見ている時に、何気なく目尻を引っ張って垂れ目にしてみた。
「あれ?バーちゃんの顔じゃん?」
自分は父親似だと思っていたのに、ちゃんと同じ血をひいていたんだ。

今、何がどうって訳ではないんだけど、なんとなくもやもやした時には
炊き立ての飯に酢をうって、あの時のバーちゃんの味を思い出す。
確実に自分の中にバーちゃんは居る。それでいいと思っている。

204 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 22:23:46.37 ID:MxH7/mRw0.net

俺は事情があって祖母に育てられたんだ。
学校の弁当もばあちゃんが作ってくれてた。

俺の弁当にはいつも卵焼きが入ったんだよね。
砂糖がたくさん入った甘い卵焼きさ。小さい頃から俺の大好物でさ。
ばあちゃんが知ってて毎回作ってくれてたんだよ。

中学生の頃、ある日の弁当で他のおかずは食べて卵焼きだけ残したんだよね。
別に他意は無かったんだ。
ただもう舌が少し大人になってきて甘いおかずを受け付けなくなってきてたんだ。

卵焼きだけ残した弁当箱みておばあちゃん笑いながら言った
「○×ちゃんももう大人だもんねー甘い卵焼きは卒業かな?」
「うーん…そうかもねー」と俺が言うと
何か、ばあちゃん笑いつつも少し悲しそうだったんだ。
だから俺あわてて
「でも明日食べたいかもしんないから明日のおかずに入れてよ!」て
言ったらハイハイってさ。
でもさその日の夜中にばあちゃん急に体調悪くなったの。
持病悪化したの。 救急車で運ばれたけどそのまま眠るように……

でね、病院に駆けつけてくれた近所のおじさんから言われて
色々支度するのに一旦家に帰ったんだよね
そしてなにげなく冷蔵庫開けたら中に卵焼きの具もう用意してあったのね。
俺何かわけわからず取りあえずその場で焼いてみたの、
でもばぁちゃんみたいにうまく焼けないの。

あれから20年たちます。俺は調理師になって小さい弁当屋やってます。
幕の内弁当には卵焼きを必ず添えます。
ばあちゃんが作ってくれたのと同じあまーい卵焼きです。
でもまだばあちゃんが作ってくれたような美味しい味には近づけないです。

だから・・・時々ばあちゃんに味見してもらってます。
あの日から3日間の昏睡の後に目覚めた祖母は
今年で98歳になりますがまだまだ元気です。

205 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 22:24:17.92 ID:MxH7/mRw0.net

俺は小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。

いつしか俺はノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
それをばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み~」
ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれた。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。

やがて俺にも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
家の事情も解消され、自分の家に戻った。

ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。

先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。

開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。

モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に

「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」

人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。

206 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 22:24:57.04 ID:MxH7/mRw0.net

携帯からごめん

私はお母さんのお腹にいる時、誤診なのか男の子だと診断されてた。
父親は長男、お姉さんいるけど「跡継ぎなら」と思ったらしい。

私が産まれてすぐ、みんな「なんだ女かよ」と父も祖母も親戚も白けたらしい。
そんな中、おじいちゃんだけが新生児室にずっと張りついていて、
お母さんに労いの言葉を涙ながらにかけてくれたらしい。

そしておじいちゃんは私に凄く素敵な名前をくれた。
同じ漢字の名前の人はあまり見た事ない。

おじいちゃんは小さな頃、
両親がいなくて小学校もまともに出てない、と苦笑しながら話してくれた
だけど、人の悪口は何もならないとか
人の悪いとこ見つけるより、良いとこ見つけた方がお互いに幸せだとか、
笑顔の大切さ、 人間として大切な事、全部おじいちゃんから学んだ。

おじいちゃんはいつもニコニコしていて、
私の為に電車の車掌を独断で辞め少しでも私と時間を過ごしたいと
個人タクシーの運転手さんになった。

保育園はおじいちゃんのタクシーで送り迎え。
ご飯はおじいちゃんの膝にいつも乗ってた。
自分はあまり食べず、雛鳥みたいに私にご飯を食べさせてくれた。
ご飯より私の幸せそうな顔が何よりのご馳走だと。

私が家出した時も、ただずっと向かい合ってニコニコしてた。
罪悪感に耐え切れず私が謝ると頭を撫でながら、
「お利口さんだから何も言わなくても(私)はわかってると思った。
よしよし…疲れてたんやな。おじいちゃんはいつでも(私)が世界一大事や」
と、言ってくれた。

私は辛い事が沢山あった。
でもおじいちゃんの孫として産まれた事で、
一生分の幸せを使ったとしても後悔はない。

私が何かあるとすぐに車を飛ばして迎えに来てくれた。
そしていつもおじいちゃんの家にお泊まりした。

おじいちゃんは寝相の悪い私をほとんど眠らず、
包み込むように抱っこしてくれた。
私が寝相悪いとずっと「大丈夫大丈夫」と一晩中背中をさすってくれた。

私の理想の男性はおじいちゃん。
私が世界一愛してるのはおじいちゃん。
尊敬出来るのもおじいちゃん。

辛い事は沢山あった。
でも私はおじいちゃんの自慢の孫として誇りを持ってる。

おじいちゃんと一緒にいられたのは、たった10年。
本当に幸せだった。
おじいちゃん本当にありがとう。

207 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 22:25:47.55 ID:MxH7/mRw0.net

これで祖父母の話は終わりです!

次は友情の話です!

208 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 22:46:28.41 ID:MxH7/mRw0.net

なあ、お前と飲むときはいつも白○屋だな。
一番最初、お前と飲んだときからそうだったよな。
俺が貧乏浪人生で、お前が月20万稼ぐフリーターだったとき、
おごってもらったのが白○屋だったな。
「俺は、毎晩こういうところで飲み歩いてるぜ。金が余ってしょーがねーから」
お前はそういって笑ってたっけな。
俺が大学出て入社して初任給22万だったとき、
お前は月30万稼ぐんだって胸を張っていたよな。
「毎晩残業で休みもないけど、金がすごいんだ」
「バイトの後輩どもにこうして奢ってやって、言うこと聞かせるんだ」
「社長の息子も、バイトまとめている俺に頭上がらないんだぜ」
そういうことを目を輝かせて語っていたのも、白○屋だったな。
あれから十年たって今、こうして、たまにお前と飲むときもやっぱり白○屋だ。
ここ何年か、こういう安い居酒屋に行くのはお前と一緒のときだけだ。
別に安い店が悪いというわけじゃないが、ここの酒は色付の汚水みたいなもんだ。
油の悪い、不衛生な料理は、毒を食っているような気がしてならない。
なあ、別に女が居る店でなくたっていい。
もう少し金を出せば、こんな残飯でなくって、本物の酒と食べ物を出す店を
いくらでも知っているはずの年齢じゃないのか、俺たちは?
でも、今のお前を見ると、
お前がポケットから取り出すくしゃくしゃの千円札三枚を見ると、
俺はどうしても「もっといい店行こうぜ」って言えなくなるんだ。
お前が前のバイトクビになったの聞いたよ。お前が体壊したのも知ってたよ。
新しく入ったバイト先で、一回りも歳の違う、20代の若いフリーターの中に混じって、
使えない粗大ゴミ扱いされて、それでも必死に卑屈になってバイト続けているのもわかってる。
だけど、もういいだろ。
十年前と同じ白○屋で、十年前と同じ、努力もしない夢を語らないでくれ。
そんなのは、隣の席で浮かれているガキどもだけに許されるなぐさめなんだよ。

209 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 22:49:30.49 ID:MxH7/mRw0.net

高校三年の時。
ウチのクラスは本当に仲良くて、毎日毎日ワイワイやってた。
ただ一人を除いて・・・
ケババァってあだ名の女子がいた。
女子と言っても二年も留年してるからもう二十歳で、超ギャルで、ケバくて、超美人だけどツンとしてて、ブランド物をジャラジャラつけて、香水プンプンで。
彼女はクラスの輪に入ろうとはしなかったし、みんなも彼女を避けていた。
楽しかった一年があっという間に過ぎ、卒業式の日が来た。
最後にクラスみんなで輪になって、一人一言ずつお別れの言葉を言うことになった。

その時のケババァの言葉。

「私は白血病で入院していた為、二年間も高校を休学していました。
もう二十歳なのにコスプレみたいと思われたかもしれないけれど、
オシャレをすることはガリガリでハゲ頭だった入院中の私の夢でした。
だけどホントはオシャレよりもしたかったことがあります。みんなと仲良くしたかったです。」

そう言った彼女は目に涙をいっぱい溜めて、とても綺麗で、ツンと何てしていなかった。
それまでヘラヘラしてた奴らも泣き出していた。
彼女の言葉を一学期に聞いていたなら、きっと彼女にとって楽しかった一年になったに違いない。
何だか凄く悔しかった。

210 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 22:51:16.56 ID:MxH7/mRw0.net

中二の時、大阪から転入してきたDくん。

妙に気が合っていろんな話をした。
でもからかわれるのがいやで話をするのは放課後。
場所は屋上にでるドアの前だった。

汚いマットに座って毎日下校時間までいろんな話をした。
夏休みも私の家の前や近くの河原でほぼ毎日話しをした。
兄が”お前ら付き合ってるのか?”って誤解するくらい会ってた。
友達の話や好きな人の話、他愛のない話ばかりだったけど
とても楽しくて大切な時間だった。
3学期になってからDくんはボーッとする事が多かった。
心配だったけど聞かれたくないようだったので何も聞かなかった。
2月のある日、いつものようにマットに座って話をしていたら
Dくんが突然抱きついてきた。
抱きついたまま声を殺して泣いていた。
びっくりしたけどしばらくそのままでいた。
そしてDくんはいきなり立ち上がって
「今日はもう帰るわ、バイバイ」といって階段を下りていってしまった。
そしてDくんは何もいわずに次の日に転校してしまった。
夜逃げ同然でこっちにきて、ここにもいられなくいなって夜逃げした、と
Dくんの近所に住んでいた子が教えてくれた。

あの切ない泣き方は今でも忘れられない。

211 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 22:54:06.58 ID:MxH7/mRw0.net

俺はセイコーマートで働いて三年目になる。いつもくる小さな子の話を一つ。

その子は生まれつき目が見えないらしく白い杖をつき
母親と一緒に週に二、三度うちの店を訪れる客だった。

ある日、その子が一人で入口の前に立っている。
入口のドアが引くタイプだったので俺はドアを開けてあげようとした。
その瞬間!同年代らしき糞ガキ二人が
「お前さぁ、目見えねぇんだろ?素直に親帰ってくるまで家でおとなしく留守番でもしてろよ。バカだなぁ」
といった。
さすがに俺も障害をもった人間に冷たくする人間は許せなかったので入口に向かったその時!
ガキの片方が「ほら、先に入れよ。ドア開けといてやるからよ。」と言った。
そしてその子の手をつなぎ、「何買いに来たんだ?」と二人組の片方が言うと、
その子は「お母さんがすごい熱が出てるの。だから水枕に入れる氷買いにきたの。」と言った。
そして俺がレジで「398円です。」と言うと、
二人組が「いいよ。俺が出しといてやるよ!
そのかわりお前のお母ちゃんがよくなったら俺たちと遊べよな!」といい会計をすました。

そしてきっとその子の家までだろう。片方が氷をもち、片方はその子の手を繋いで帰っていった。

小さな子ども達の友情に感動!

212 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 22:56:13.22 ID:MxH7/mRw0.net

ちょうど去年の今頃だったかな
浪人してた俺は上がらない偏差値にやたら焦ってて、病みかけてた
その時 同じ浪人生の友達から来たメール
「まだ一ヶ月もあるがな!ファイトだ☆」

もうあと一ヶ月しかないと焦ってた俺は何か急に気が楽になった
それからは集中して、焦らず勉強することが出来ました
俺もそいつも無事大学合格
それぞれの場所で大学生活を楽しんでます
馬鹿な俺が浪人生活を耐え切れたのはそいつのおかげだと思ってる

213 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 22:57:02.98 ID:MxH7/mRw0.net

うつになって、学校に行けなくなってしまったとき。
友人からたくさんのメールや電話がかかってきました。だけど電話が取れるような
気分では無くて、ずっと無視していたら、その友人から怒りのメールが送られて来ました。
自分が悪いのだと分かっていつつも、逆切れしてしまい、本当の今の自分の状態を
友人に伝えたとき、こんなメールが返って来ました。

「やっと本心教えてくれたね。なかなか言ってくれないんだもん。でもね、貴女が
『うつ』だろうがなんだろうがそんなことはどうでもいいんだよ。貴女は貴女でしょう?
別に変わりないじゃないって私は思うよ。そんなんで友達捨てるほど落ちぶれちゃいない
よ」

彼女のこの言葉に救われました・・・。
学校にはまだ行けていないけど、今週中には行けたらいいな・・・。

214 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 23:00:48.96 ID:MxH7/mRw0.net

337: 07/14 06:14
ちょっと書かせてもらう、

俺の友達でゲームがすげー好きなやつがいたんだよ。
ドラクエとか、誰より一番に解いたり、俺たちにヒントくれたりさ。

中学2年のとき、そいつ事故にあって、右手なくなっちゃったんだ。
やっぱ片手じゃうまくゲーム出来ないみたいで、というか出来なくて、「俺もうゲームとか卒業したから、子供のあそびじゃん」とか言うわけ。

でもさ、そいつの家に行くと、隠してるつもりなんだろうけど、ベッドの下にゲーム雑誌とかあるんだよね、普通エロ本だろうにw

でまぁ、そんなこんなで年月はたって、Wiiがでてこのドラクエがでたわけよ、これならやつでもできるんじゃね?と思って、誕生日ってのもあって、本体とセットでくれてやったんだ。
そしたら「こんなもんいらねーよー、出来るわけねーだろ、嫌味かよw」
とかいって開けもしなかったんだ。

んで、帰ってしばらくしたら、そいつの親から電話きて、
あの子が泣きながらゲームしてるんです、ほんとにうれしそうに・・・、ありがとうね!って。
深夜何時だよって感じだったんだけどさw、もう俺まで号泣だよw

216 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/01/05(月) 23:04:49.20 ID:C3a6mZoi0.net
こんな投稿があった。
これがゲイの人生かと思った。

…ボロアパートで細々と年金生活。
「今の楽しさ」だけを優先し続けてきたから貯金はない。
楽しみはネットの掲示板で20代になりきることだけ。

セックスなんてもう7年くらいしていない。
あそこの勃ちも悪く、尿漏れがひどくなってきている。
額は上がり髪は抜け落ち、唯一の自慢だった肌と体は衰えた。
膝や関節が重くすぐ痛む。
重力に勝てない老いた肉体を鏡に映しては
裸になれば簡単にセックスができたあの頃を思い出す。

あの頃は本当に楽しかった。
趣味がセックスで~す(笑)なんて笑いながら騒いでた2丁目のゲイバー。
あの頃の友人は自殺、病死、行方不明・・・・
あんなに眩しく輝いていたのが嘘みたいな今。

電話ももうずっと鳴っていない。
若いというだけで男が群がった20代。
脂が乗ってモテモテだった30代。
まだまだ若いねと言われた40代。
人間関係が希薄になり始めた50代。
周りに誰もいなくなった60代。
ボロボロの布団に顔を隠して泣きながら眠りにつく毎日。
早くお迎えが来て欲しいと願いながら床に就く。

こんな悲しい人生の最後を迎えない為にも
まだ他人の事をキャーキャー言っていられる内に
ゲイの親友を沢山作って恋人も持っておくべきだと思う。
今こうしている間の一秒毎にも体力も肌も老い死に近付いていっているんだから。
真剣に考えないと本当に孤独死になる。
外見は大切だけど外見だけを選り好み続けて中身を見ず、
結局誰にも出逢えないまま悲しい人生の最後にならないようにしたい。

218 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 23:09:47.19 ID:MxH7/mRw0.net

>>217
そうだったんですか!
ありがとうございますm(_ _)m

自分が言うのも何ですけど、ご両親大事にして下さいね

219 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 23:11:53.27 ID:MxH7/mRw0.net

以前、会社の同僚に10万円を貸した。
貸したときから自分の金じゃないと割り切っていたが、2年くらい経ったある夜、オレのアパートに全額封筒に入れて返しにきてくれた。

「遅れてゴメン、利息を付けたかったんだけど、とりあえず・・・」というので、
「じゃ、10万と500円で完済でいいや」って冗談のつもりで答えた。

彼は財布から500円分の硬貨を取り出し「ありがとう、ほんとに助かったよ・・・」、といって笑顔でオレに手渡した。
少し話をしてその夜は別れたが、部屋に戻ってからすごく後悔した。
彼の財布の中に札が1枚も無かったのが見えたからだ。

彼の困窮が両親と子供2人を抱えるの父子家庭であるからだということも知っていたが、後悔したのは、500円というお金をまるで無価値のように彼に話してしまったことだ。

昼食をよく抜いてた彼。駅まで何キロも歩いて帰る姿もよく見た。薬局で1袋分の風邪薬を買ってるのも見た。
あのとき余分に500円さえあれば、牛丼も食えたしバスに乗って帰れもしたろう。
子供の誕生日に板チョコじゃなくて、ショートケーキくらい買ってあげられたのかも知れない。
それでも、10万円という大金を貯めて「ありがとう」といって返しにきてくれた。

彼とはしばらく付き合いがあったが、オレが転職して、結局、詫びる(?)方法もわからないまま音信不通になった。
あの夜以来、あまり人前でお金の話をすることはなくなったような気がする。

誠実で誇り高い彼の人生に、幸多からんことを事を・・・

220 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 23:13:05.86 ID:MxH7/mRw0.net

友達に頼まれてプレゼントを買うのに付き合った
最近いい感じになってる人がいて告白のついでになにかあげたいらしい

おいおい、振られたらどうすんだよ
うまくいくことは決定かよ、羨ましいなぁと思いつつも手袋を勧めてみた、時期的にちょうど良いと思ったから

友人も納得し、どれが良いか選ぶ段階になったんだけどもう必死に選んでるんだこれがw
お前がそんなに迷ってんの初めて見るぞって思ったぐらい

そのときふと思いついて手つなぐんなら手袋ないほうがいいかもねー
って言ってみた、ニヤニヤしながら
正直羨ましかったからね

218: 11/18 02:08
そしたら、
「あっ!そっかぁ、じゃあ・・・・マフラーにする!」って結局マフラーを買って帰った

で数日後、そいつに会って
「手つなげた?」って聞いたら、なにも言わないでうつむいちゃった
そしてかばんから見たことある包みが!
「うわぁ、受け取ってもらえなかったのか」って思わず口にしたよ
そしたら「いまから渡すの」って言ってこっちに差し出した

ありがたく頂戴して、手をつないで帰った
マフラーは暖かいけど彼女の手はそれよりも暖かい気がする

228 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 23:40:58.89 ID:MxH7/mRw0.net

281: 04/07 21:56
最近中学の頃友達と過ごした日々が夢に出てくる
バカな事やってたな
俺の事親友だって言ってくれたな
今はどうしてる?
あいつらは俺と違って面白い話が出来て友達も沢山いたな
きっと今も楽しい人生を送ってるんだろうな
俺は何をしているんだろう?
みんな周りのせいにして何もしようとしないできっと俺はもうこれから生きてても楽しい事なんて無いんだろうな

283: 04/08 01:33
>281
懐かしいな281。中学の時以来だが、どうだ元気にしてるか?
にしてもお前どうやらレス見かけた限りでは、自分のいいとこだけはすっかり思い出から抜け落ちちまってるようだな。そうやって抜けてるとこがお前らしいんだけどな。アハハハハw
ま、そのうち徐々に思い出すだろうよ。だってお前は俺にとっても大事な思い出の一部なんだしな。忘れようったってさせねえぞ。じゃ、またな。

229 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 23:43:46.81 ID:MxH7/mRw0.net

幼稚園のお友達A子ちゃんが引越しして
しまう前夜、私は母親とA子ちゃんの
家に行った。私は赤ちゃんの頃から大事
にしていた、くまさんのぬいぐるみを
持って行ってA子ちゃんにあげた。A
子ちゃんは喜んで受け取ってくれた。A
子ちゃん一家が引越した後、母親が「A
子ちゃんにあげたぬいぐるみ、ゴミ捨て場 に捨ててあったわよ。あんな汚いものあげて恥かしい…」と言った。私はすごく悲しくなったけど、なぜか母親の前で泣けず、布団の中で泣いた。くまちゃん、 ごめんなさい。・゚・(ノД`)・゚・。

230 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 23:44:45.39 ID:MxH7/mRw0.net

僕の友達が事故で亡くなったんです。
本当に突然のことで、何が何だかわかんなくて涙なんか出ませんでした。葬式にはクラスのみんなや友達がたくさん来てました。

友達は遺影の中で笑ってました。
いつも僕に見せていてくれた笑顔です。
それを見てたら自然と涙が頬を伝っていました。
それが口まで流れてきて、しょっぱいなって思って、それで自分が涙を流しているんだと気付いたんです。僕はいたたまれなくなって葬式の会場を飛び出していました。

次の日、僕はパソコンのメールをチェックしました。
そこにはあの亡くなった友達からのメールが届いていました。
日付を確認すると事故の日でした。
僕は何だかドキドキして、メールを開きました。すると
「あさってに、いつも学校帰りで通る公園で待ってるから。午後5時にね。遅れるなよ」
と書いてありました。
何でわざわざメールで?と思いましたが、何か不思議な力が働いたような気分でした。

実はその日は僕の誕生日で、親と出かけることになっていたのです。車に乗って高速道路を使い、隣の県に住むおじいちゃんの家に行くことになっていたのです。
僕はおじいちゃんに電話をし、今日は行けないと伝え、親にも今日は用事があると言いました。そしておじいちゃんの家に行くのは中止になったのです。

僕は友達からのメールの通り午後5時に公園に行きました。
もちろん誰も来ません。午後5時に鳴る、公園のそばにある時計台の鐘を聞き、僕は友達との思い出を振り返って家に帰りました。

そして家に帰ると親が血相を変えて僕に話し始めました。
「さっきニュースでやってたんだけど今日通る予定だった高速道路で玉突き事故があったんだって。予定通りに行ってたら私たちも事故に遭ってたわね」
僕が生まれた日に、僕が死ぬのを友達が救ってくれたんだ、そう思えてきてあのメールは今でもパソコンに保存してあります。

231 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 23:46:45.51 ID:MxH7/mRw0.net

ふと思い出したけど、
俺、死んでしまった子から絵葉書もらったことがある。
中学のときの隣のクラスの女の子で、
病気でほとんど学校にこないまま死んでしまった。

うちの学校は生徒数が少なかったので、
体育のときや課外授業のバードウォッチングとか
2クラス合同でやる科目がいくつかあって、
まだ学校にくることができた頃に何度か一緒に
なるくらいだった。

一度だけ喋ったことがある。
寝坊して完全に遅刻だしと思って、いつものバス停に
歩いて行ったらその子が停留所のベンチに座ってた。
田舎だから時間ずれるとバスがぜんぜんこなくって、
しばらく黙ってたけど暇だしなんとなく話しかけたんだ。

「お前も寝坊したの?」
「・・・病院、よってきたから」

俺はそのときになって、なんだか知らないけど
病弱でほとんど学校にきてない子がいるって
話を思い出し、それがこの子だと気づいた。

その子はそれから1年くらいで死んでしまったので、
今思えば本当に無神経なんだけど
俺は「へえ、どっか悪いの?」と訊いてしまった。
彼女は少し笑って「うん、ちょっとね」って言ってた。

彼女は俺が中学にあがるまで新聞配達していたのを知ってて
(彼女の家にも配達していたらしい)、
「前から思ってたけど、ほんとえらいよね」ってやけに褒めて
くれたもんだった。
じつはゲームソフト欲しさだったことは言わなかった。
バスがきて、学校につくまでたわいもない話をした。
天気いいのにかったるいよなーとか。
彼女と話したのはそれが最初で最後だった。

中学卒業したあとで絵葉書が届いた。
夕焼け空のきれいな写真のハガキだった。

最初は誰かわからなかったけど、しばらく考えて思い出した。
そのちょっと前に葬式があったと聞いていた子だった。

「朝焼けの写真だったらよかったのに。でも、夕焼けもきれいでしょ?」

と書いてあった。その下にスペースがあまっていたから、
もしかしたらほかにも書こうとしてやめてしまった書きかけ
だったのかもしれない。
書きかけのまま大切そうにしまっておいた絵葉書を、
家族の人がみつけて出してくれたんだそうだ。

新聞配達なんて眠いし重いし手が真っ黒になるけど
朝焼けが気持ちいいと、かっこつけて話したのを思い出した。
そのハガキ、たぶんまだ どっかにあると思う。

232 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 23:48:29.55 ID:MxH7/mRw0.net

中学の頃の話。
自分の弁当のなかみではなく、
ある男子生徒の弁当の中身を見て泣けた。

そこ子はいつも美味しそうなお弁当を持ってきていた。
色とりどりでバランスも考えられた内容で、
別容器にはヨーグルトやプリンなども持ってきていた。
すべてお母さんの手作りなんだと言っていた。

ほんと羨ましくてさ、うちのババーの弁当とこうも違うのかと。
その彼がある頃からパンばかりの日々だったので、
何故?ってきいたけど黙ってうつむいてた。

それから数ヶ月たったとき、朝のホームルームで
彼のお母さんが亡くなりましたと先生から聞かされた。癌だった。

彼は机に突っ伏してしくしくと泣き出してしまい、みんな凍りついてしまった。
その彼の背中に手を回し、優しく声をかけた別の男子がいた。
その子お母さんもすでに亡くなっていて、私の母と友人だった人。

それ以降、彼らは2人でよくお昼食べていた。
弁当はお父さんが作るそうで、ご飯がめいっぱい詰め込まれ
スーパーの惣菜もろってかんじ。可哀想だなとおもえたけど、
当人たちはニコニコたべてた。

やはり友人という存在はどんなものでも美味しくさせるのかね。

234 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 23:54:27.51 ID:MxH7/mRw0.net

>>233
よく寝れると良いですね♪
お休みなさい(-_-)zzz

235 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 23:55:29.18 ID:MxH7/mRw0.net

大学を卒業して、社会人になって、
それなりに自由に使える金が出来た頃
親友がバイクを買った。それにつられて俺も買った。
ただ親友に流されるまま買った。

購入した店も住んでる土地も違うのに
無理言って納車の日を同じ日にしてもらった。

俺は埼玉、親友は栃木、お互いの実家は岩手。
途中合流して2人で岩手に向かう。
4号走ってりゃ着くだろうと思っていたけど、
仙台に入って迷子。

2人で信号待ちしながらキョドってたら、
悪そうなハーレー乗りに声を掛けられ、
信号が青になると同時に手招きされつつ
近くのコンビニへ。

着くや否やハーレー乗りは店内へ入り、
缶コーヒーを買ってきた。
んで、2人に手渡される。

金を払おうとすると、ハーレー乗りの兄ちゃん、
「君らがバイクに慣れて、地元流してる時に
困ってる人いたら、助けてあげて。
んで、寒かったらホットコーヒー、
暑かったらガリガリ君ご馳走してあげてよ。
俺も昔知らないバイカーに借りがあるんだ」と。

缶コーヒー飲みながら色々話して、
その後分かりやすい道まで先導してくれた。

あれから10年、未だに俺は
ガリガリ君を誰にもご馳走できていない。

236 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 23:56:19.52 ID:MxH7/mRw0.net

小学6年の修学旅行のとき、
うちの学校は長崎へ行ったんだけど、その時の事。

幼稚園の時から同じ所に通っていた、あさみちゃんって子がいた。
あさみちゃんは、小学校2年の時から
女子バスケクラブに入ってたぐらい活発な子だったんだけど…、
小5の三学期から隣町の大学病院に入院していた。

担任の先生は、僕らが詳しく話しても分からないだろうと病名は言わず
心臓の難病。。とだけホームルームの時に話していた。

6年の秋、まだあさみちゃんは入院してた。
10月になって、修学旅行の自由行動の班分けがあった。
あさみちゃんはうちの班になっていた。

みんなは無理やろなぁて言ってたが、前日になってお医者さんのGoが出た。
後から聞いたことだけど、あと三ヶ月も持たない。と言うのが理由だったらしい。

うちの班には担任が付いて回る事になった。
大学病院からは身体に負担をかけないようにと言う事で、車イスが貸し出されてたが、
本当に昨日まで入院していたんだろうか。と思うほど元気だった。

グラバー園や長崎港内の遊覧船でみんなとはしゃいでいたのが目に浮かぶ。
班には学校から、使い捨てのカメラ(写るんです)が2個ずつ配られていた。
帰ってからのまとめ用という事だったが、お構い無しに撮っていた。

帰ってきたその日から、あさみちゃんは大学病院にまた入院した。
それから数日後、現像から上がってきた写真のあさみちゃんの分を
うちの班で家に届けに行った。
お母さんはとても喜んでいた。

それから数ヶ月、クラスは3月になってすぐ大きな衝撃を受けた。
亡くなったのだ、あさみちゃんが。
特にうちの班の悲しみはひどかった、修学旅行には一緒に行ったのに。と。
あんなに笑顔で元気だったのに。

お葬式には、うちの学年全部が出席した。
卒業式の前日だった。
お葬式に使われていたその遺影は、
何気なく撮った、あの修学旅行の時のスナップだった。

お葬式の後、おかあさんから僕らの班のひとりひとりに手紙をくれた。
生前のあさみちゃんが書いた手紙だった。
そこには、「ありがとう、修学旅行楽しかった」とかいてあった。

その手紙は今も手元に残っている。僕の宝物だ。
あれから7年。今度、実家に帰った時に線香をあげに行こうと思っている。

237 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 23:58:19.57 ID:MxH7/mRw0.net

小学生の頃、補聴器付ければ
普通学級でも問題無い程度の難聴の子がクラスにいた。
彼女はめちゃくちゃ内気で、
イジメられこそしてなかったけど友達はいなかった。

ある時、学校の行事でうちのクラスは歌に合わせたダンスをする事になった。
みんなであーでもないこーでもないと振り付けを模索していた時に、
誰かが
「そういえば○○ちゃん(難聴の子)って手話出来るじゃん。それ参考にしたら?」
と言い出し、みんなで「手話見せて!」と○○ちゃんに集まって聞いた。

彼女はだいぶ戸惑ってたが、色んな手話を披露してくれて
「すげー!」
「色々な動きがあるんだねー」
とみんな関心。

その後、行事では手話を動きに取り入れたダンスで先生達に褒められ、
みんな手話自体に興味を持ち、学校で手話クラブが出来るまでの
ちょっとしたブームになった。
「(手話の)先生」というあだ名が付いた○○ちゃんはよく笑うようになり、
行事前と比較して別人のように明るくなった。

卒業式の時、証書をもらう為に壇上に上がった○○ちゃんは、
急に立ち止まって、泣きながら、
「みんなありがとう。みんなのおかげでとても楽しかった。
私は違う中学に行くけど、一生忘れません」
と、たどたどしい言葉と手話でみんなに向かって言ってくれた。

もう、クラスの女子は泣くわ先生達は泣くわ
保護者は泣くわ校長まで号泣するわ。

ずっと年賀状のやり取りを続けていたんだが、
こないだ彼女から結婚式の招待状が届いた。

それで思い出した話。

238 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/05(月) 23:59:08.32 ID:MxH7/mRw0.net

うちのゲーセンに毎日のように来てたお前。
最近全然見ないと思ったらやっと理由が分かったよ。

この前、お前のかーちゃんが便箋持って挨拶に来たんだよ。
こちらで良くお世話になってたみたいで、ってよ。
白血病かよ。

1ヶ月前まですげー元気そうだったじゃねえかよ。
お前がいつもやってたDJシミュレーションゲームは、
お前が居なくなって以来誰もやってるところ見ねーよ。

いつもスコアはデフォルトのまま。
なにせお前一人で毎日飽きもせずスコア埋めてたからな。

一番笑えるのがウチの店長。
売上げ悪い台はさっさと撤去する人間なのに
その台はお前が来ないと分かって1月近く経つのに、撤去の話が全然あがんねーの。

それどころか、そのゲームのメンテを毎日欠かさずやってんだよ。
鍵盤やターンテーブルの調子を確かめて、良しっとか言ってんの。
良しも何も、誰もやってねーんだからそうそう調子が狂うわけねーよ。

だから、さっさと戻ってこいよ。
ワンモアエキストラ抜けたときの嬉しそうな笑顔を見せてくれよ。
あり得ない発狂譜面をスイスイ捌くお前が、病気で死んだなんて信じられねーんだよ。
今までありがとう、としか書いてない手紙なんかいらねーんだよ。

239 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/06(火) 00:00:06.48 ID:MxH7/mRw0.net

あの日のことは、今でも良く憶えている。

俺は大阪に帰る友達を、他の友達と三人で羽田まで見送りに行ったんだ。
親の都合で大阪へ越して行った友達だった。

空港で別れ際、アイツが言った。

「今度はお前らが遊びに来いよ!」
「おう!いいね!」
「甲子園に野球見にいこうぜ!」
「いく!いく!」
「じゃあ、またな~」
確かこんな会話を交わしたと思う。それが最後だった。

その日の夜、丁度今くらいの時間だ。
アイツのお母さんから電話が来た。
「あの子は本当に飛行機に乗ったの?!」
叫ぶように俺に訊いた。俺はただ「はい」としか言えなかった。

そしてテレビでアイツの名前を見た。なんだか訳が分からなくて、涙も出なかった。
悲しいのか、悔しいのかも分からなかった。

翌年、俺達はアイツとの約束を守った。
あの日出発ロビーで別れた時と同じ顔をして、遺影の中で笑うアイツを見て、
始めて涙が出た。バカみたいに声を上げて泣いた。
俺も他のツレも、アイツのお父さんもお母さんも、皆でワンワン泣いた。

もう、みんな、すっかりオヤジになっちまったけど、
アイツだけはあの日のままだ。

黙祷

250 :猫武士@\(^o^)/:2015/01/06(火) 11:21:07.68 ID:GUwiiBns0.net
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。

母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。

「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。

冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。

裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。

255 :名も無き被検体774号+@\(^o^)/:2015/01/06(火) 11:28:46.22 ID:TvUBOga80.net
>>250
この話知ってる
胸が締め付けられた事を思い出した

切ない事件だったな…
暇なので泣けるコピペを貼って行く part2
http://blog.livedoor.jp/kojimashitteiruka/archives/1038633659.html