拝啓青山純さま飯田橋

2014年04月04日

宮田先輩へ

Shigeo_Miyata宮田繁男さんが亡くなった。体調を崩されているのは風の便りで聞いていたがまさか二度と会えなくなるなんて思いもしなかった。ジョニーさん青純さんに続き僕のドラムヒーローが次々に雲の上の人となり、やるせない気持ちでいっぱいだ。誰もが一般的にはまだまだ働き盛りの50代で亡くなっているというのは偶然ではないのかもしれない。でも今はそんなことより宮田さんの想い出を綴ることで偲びたい。最初の出会いは20年前、オリジナルラヴの1stを聴いた時。「Deep French Kiss」のドラムを聴いておこがましくも「オレと同じセンスの人がいた!」と嬉しかった。ロックドラムではない、繊細なグルーヴを叩き出すドラマーは当時あまりいなかったのだ。で、よもや自分が宮田さんが抜けた後のサポートをやるとは想像もしていなかったが、運命とは数奇なもの、オーディションで宮田さんの「scandal」ロングバージョンを叩いていた。宮田さんのグルーヴならまかしとけ、とばかりに見事受かって、それから4年程オリジナルラヴのツアーサポートをやらせてもらった。レコーディングは主に佐野さんがやられていたが、自分には宮田さんのグルーヴがフィットしていたようで、事あるごとにお手本にさせてもらった。他の仕事でも宮田さんのレコーディングされた音源をコピーする事が多く、自然と師匠ちっくな思いを勝手に寄せていた。実際に初めてお会いしたのはどこかのbarで、武田真治のツアーをやられているときと記憶している。武田真治のレコーディングに一曲参加させてもらっていたので、自分の録音した曲を宮田さんが叩いていると思うとなんだか嬉しかった。お互い国産の古いドラムセットを使い続けている事が共通していてこれまた嬉しかった。思えばsionやBONNIE PINK、飯塚まーちゃんなど宮田さんと仕事がかぶることがほんとに多かった。それだけ宮田さんがひっぱりだこだったということだけど。宮田さんと実際お会いできたのは2,3度程度と思うが、フェイスブックやブログでやりとりさせてもらって、一度COUCHを見に来て頂いた。宮田さんはbenzoに興味があったということで、仕事帰りにわざわざ来てもらえたのだ。「せ、先輩、緊張しちゃうじゃないすか!」と言いつつも、ものすごく嬉しかった。宮田さんは噂では仕事の達人で弱みを見せない、どこか取っ付きにくいイメージだったけど、実際に会ってみると人なつっこくてなんとも優しい人だった。もう会えない事が分かっていたら、もっと仲良くさせてもらうんだった。聞きたいことがたくさんあった。好きなプレイがたくさんあって、それを伝えたかった。実はドラムを宮田さんに習おうと思ったこともあった。一方的な思いで、ついに実現しなかったけど、僕が習いたいと思ったドラマーは過去、松本照夫、樋口昌之、宮田繁男、の3人だけ。松本さん、樋口さんには幸い習う事ができたけど、宮田さんに教わることはできなかった。でも自然と宮田ドラムは自分のセンスに取り入れられてると思う。宮田さんを意識して叩く曲もある。宮田さんってクールなイメージだけど、結構激しく叩いてたな。体全体を揺らして叩く感じ。あれが宮田グルーヴだったんだな。これからもきっと宮田さんのドラムをコピーすることがたくさんあると思うので、宮田さんは僕の中で生き続けている、大げさだけどそんな気持ちで叩かせてもらいます。ガムテープ丸ごとスネアに置いちゃう技も使わせてもらってますw。宮田さんのドラムはずっとずっと皆の心の中でグルーヴし続けてます。宮田さんはきっと今頃青純さんと片手16について語り合ってると思うな。いつかそちらに行ったら僕も混ぜて下さいね。それまでこっちで片手16鍛えておきますから。どうか宮田さんの心が安らかであります様に。ありがとうございました、先輩。

kojitetsu at 01:52│Comments(0)TrackBack(0)

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