コジゼラ

よもやま話を雑文で

2001年12月

ブリを食す


居酒屋のメニューにハマチと書かれたあとにカッコしてカンパチとあり、あれ、同じ魚だっけ、とその場で一瞬混乱してしまうことがあった。
最近の居酒屋では、店員のほとんどがアルバイトの若い子なので、聞いても分からないから、さらに混乱の輪を広げてしまう。

そうでなくても、出世魚は名前が覚えられなくって困ってしまう。
関西ではワカナからハマチ、メジロ、ブリと成長するのが一般的呼称だが、関東ではワカナゴ、イナダ、ワラサ、ブリの順だそうだ。
鰤と書く和製漢字だが、寒ブリといわれるように、これからが旬の季節であり、師走の字が入っているのはそのためなのだろうか。
たとえ当て字にしてもなんとも無粋な命名で、いずれにせよ師走の忙しさにかまけて、慌てて付けたられたようなそしりは免れない。
まことに花も実もない名前で、鰤照焼きなどと漢字でメニューが書かれていたら、絶対に注文しない。(字が読めないからではないですよ、念のため)北陸地方では、正月には雑煮に入れて祝う風習があるそうだが、関東のあっさりした雑煮に慣れている身にとっては想像するだにおぞましい。

ところで、その脂だが、12月から1月にかけて、日本海でとれる天然ブリの脂質含量は最高値で10%前後にも達し、これが寒ブリのとろけるようなおいしさの秘密となっている。
もっとも、脂が多ければいいというのでもなく、養殖ものは25から30%にもなるそうで、そうなると味が落ち、蓋し、過ぎたるは及ばざる、禍福はあざなえる縄の如しか。
魚はあんまり好きではないが、寒ブリだけはどうしようもない旨さで、目をつぶると、あのジワーっとした食感がどうしようもなく沸き上がってきて、ああ食べたいの思いで一杯になる。

一般的にはブリ大根の評価が一番高いようだが、煮魚はなんか生臭さを感じて好きになれず、やはり、照焼きにして大根おろしで食べるのが最も好きな食べ方である。
できればワサビではなく、タバスコをちょびっと滴らせば、こりゃもう最高の美味となる。
一見ミスマッチなようだが、醤油と大根おろしの和製風味と、タバスコとの合性は以外や以外、不思議とパッチシはまってしまうのである。 
魚の皮は生焼きだと変に生臭さが気になって嫌なもんだが、魚の皮で最も美味しいのはブリの皮だと決め付けていて、カリカリに焼いたブリの皮ほど旨いものはないと思っている。

ブリを食す


居酒屋のメニューにハマチと書かれたあとにカッコしてカンパチとあり、あれ、同じ魚だっけ、とその場で一瞬混乱してしまうことがあった。
最近の居酒屋では、店員のほとんどがアルバイトの若い子なので、聞いても分からないから、さらに混乱の輪を広げてしまう。

そうでなくても、出世魚は名前が覚えられなくって困ってしまう。
関西ではワカナからハマチ、メジロ、ブリと成長するのが一般的呼称だが、関東ではワカナゴ、イナダ、ワラサ、ブリの順だそうだ。
鰤と書く和製漢字だが、寒ブリといわれるように、これからが旬の季節であり、師走の字が入っているのはそのためなのだろうか。
たとえ当て字にしてもなんとも無粋な命名で、いずれにせよ師走の忙しさにかまけて、慌てて付けたられたようなそしりは免れない。
まことに花も実もない名前で、鰤照焼きなどと漢字でメニューが書かれていたら、絶対に注文しない。(字が読めないからではないですよ、念のため)北陸地方では、正月には雑煮に入れて祝う風習があるそうだが、関東のあっさりした雑煮に慣れている身にとっては想像するだにおぞましい。

ところで、その脂だが、12月から1月にかけて、日本海でとれる天然ブリの脂質含量は最高値で10%前後にも達し、これが寒ブリのとろけるようなおいしさの秘密となっている。
もっとも、脂が多ければいいというのでもなく、養殖ものは25から30%にもなるそうで、そうなると味が落ち、蓋し、過ぎたるは及ばざる、禍福はあざなえる縄の如しか。
魚はあんまり好きではないが、寒ブリだけはどうしようもない旨さで、目をつぶると、あのジワーっとした食感がどうしようもなく沸き上がってきて、ああ食べたいの思いで一杯になる。

一般的にはブリ大根の評価が一番高いようだが、煮魚はなんか生臭さを感じて好きになれず、やはり、照焼きにして大根おろしで食べるのが最も好きな食べ方である。
できればワサビではなく、タバスコをちょびっと滴らせば、こりゃもう最高の美味となる。
一見ミスマッチなようだが、醤油と大根おろしの和製風味と、タバスコとの合性は以外や以外、不思議とパッチシはまってしまうのである。 
魚の皮は生焼きだと変に生臭さが気になって嫌なもんだが、魚の皮で最も美味しいのはブリの皮だと決め付けていて、カリカリに焼いたブリの皮ほど旨いものはないと思っている。

サラセン


民間から募集して大賞を競う催しは数多あるが、出色なのはサラリーマン川柳と創作四字熟語であろう。
この手の企画は生損保会社が主催するものに異色のものが多いのが特長だが、どれもそれぞれに魅力があって、年末、年初めに行なわれる入選発表が待ち遠しい。

サラリーマン川柳、通称サラセンは第一生命の看板商品になっていて、サラリーマンによる悲喜こもごもな魂の叫びが読者の共感を呼んでいて、スリルとサスペンス、笑いとペーソス、怒りと諦めとがない交ぜになって、鋭く心に迫ってくる。
サラセンは87年にスタートし、昨年第14回を迎え、応募作品総数は第1回から第14回までで、実に639,186編にもなるという。
もうこうなっては国民的行事といえるレベルだなあ。

住友生命恒例の「創作四字熟語」は置き換え言葉なのだが、サラセンとは違った意味合いにおいて、大いに読者の共感を誘ってくれる。
11回目を迎えた昨年は、全国から7,625作品が寄せられ、20世紀最後の一年を楽しく振り返るような作品が多かった。
投稿者の鋭い感性と時代感覚には毎回感心させられるが、川柳や俳句とは異なり、
同音擬語や類似擬語など、原語との調整も難しく、かなり高度のテクニックが必要となる。

この分野では先駆者的存在である伊藤園が、平成元年からスタートさせている
「お〜い!お茶 新俳句大賞」も13年目を数え、応募総数102万2341句と、これまた熱狂的なファンに指示されている。
先代松本幸四郎の時代からのものだけに、それなりの伝統と秩序が構築されていて、安定感があるが、若干マンネリを感じさせるところも見受けられる。

自由国民社の「流行語大賞」は1984年創設だから、今年で18回目を迎えた老舗中の老舗であって、国民の間にすっかりと定着した名企画といえよう。
審査の過程で世間におもねる傾向が見られるのが若干気になるが、名物企画に成長し過ぎたつけかもしれない。

明治生命の第2回目を迎えた「しあわせな瞬間」フォトコンテストもいい。
前回を大きく上回る24000点あまりの作品が投稿されたが、作品はどれも夫婦、親子などをテーマに、日常の中にある幸せを写真を通して伝えていて、とっても瑞々しくて、感動を与えてくれる。
テレビのCMでも、小田和正の爽やかな歌声に乗せられ、心温まる作品が順次放映されていて、これもかななり息の長い物になりそうな予感がする。
ただ、生損保業界は幾らいい番組を持っていても、番組より先に会社がポシャる怖さがあるのが難点である。

サラセン


民間から募集して大賞を競う催しは数多あるが、出色なのはサラリーマン川柳と創作四字熟語であろう。
この手の企画は生損保会社が主催するものに異色のものが多いのが特長だが、どれもそれぞれに魅力があって、年末、年初めに行なわれる入選発表が待ち遠しい。

サラリーマン川柳、通称サラセンは第一生命の看板商品になっていて、サラリーマンによる悲喜こもごもな魂の叫びが読者の共感を呼んでいて、スリルとサスペンス、笑いとペーソス、怒りと諦めとがない交ぜになって、鋭く心に迫ってくる。
サラセンは87年にスタートし、昨年第14回を迎え、応募作品総数は第1回から第14回までで、実に639,186編にもなるという。
もうこうなっては国民的行事といえるレベルだなあ。

住友生命恒例の「創作四字熟語」は置き換え言葉なのだが、サラセンとは違った意味合いにおいて、大いに読者の共感を誘ってくれる。
11回目を迎えた昨年は、全国から7,625作品が寄せられ、20世紀最後の一年を楽しく振り返るような作品が多かった。
投稿者の鋭い感性と時代感覚には毎回感心させられるが、川柳や俳句とは異なり、
同音擬語や類似擬語など、原語との調整も難しく、かなり高度のテクニックが必要となる。

この分野では先駆者的存在である伊藤園が、平成元年からスタートさせている
「お〜い!お茶 新俳句大賞」も13年目を数え、応募総数102万2341句と、これまた熱狂的なファンに指示されている。
先代松本幸四郎の時代からのものだけに、それなりの伝統と秩序が構築されていて、安定感があるが、若干マンネリを感じさせるところも見受けられる。

自由国民社の「流行語大賞」は1984年創設だから、今年で18回目を迎えた老舗中の老舗であって、国民の間にすっかりと定着した名企画といえよう。
審査の過程で世間におもねる傾向が見られるのが若干気になるが、名物企画に成長し過ぎたつけかもしれない。

明治生命の第2回目を迎えた「しあわせな瞬間」フォトコンテストもいい。
前回を大きく上回る24000点あまりの作品が投稿されたが、作品はどれも夫婦、親子などをテーマに、日常の中にある幸せを写真を通して伝えていて、とっても瑞々しくて、感動を与えてくれる。
テレビのCMでも、小田和正の爽やかな歌声に乗せられ、心温まる作品が順次放映されていて、これもかななり息の長い物になりそうな予感がする。
ただ、生損保業界は幾らいい番組を持っていても、番組より先に会社がポシャる怖さがあるのが難点である。

コーラス


長い間、人との交渉を絶ち、引きこもり生活を続けてきたが、昨年辺りから、ときたま、色んな会合に顔を出すようになった。
心境の変化というより、不毛の体質に慣れてきて、ぼちぼち世間に認知させてもいいかなって思いに駆られたことのほうが大きいかもしれない。
体調が以前より安定してきたことも、後押しをしているのかもしれない。

そういう訳で、にょうぼが参加している早混OB・OG合唱団の演奏会や打上げ会にも出席するようになり、付き合いが始まり出すと、元々嫌いじゃなかったから、すぐ輪の中の一員として、はしゃぎまわるようになった。
ただし、いまさら強要されてコーラスを歌うなんて、とんでもないことだから、
歌う以外のことに協力するっていえば体裁良いが、集まって飲み会をすることを楽しみに、早混50年史の立ち上げに参加することになってしまった。

大体、一月に一回のペースで編集委員会が開かれるので、同じペースで酒を飲めるっていうことであるんだが、この編集会議が結構難物なのである。
既に、2年前から立ち上がっており、来年9月を目途に出版する予定だから、内容もかなり出来上がっていて、参加していても口を差し挟む余地もない。
30年ぶりにグアム島から帰還した不肖、横井さんのように、いま浦島としての存在を思い知らされるのである。

もっとも、その遅れは酒の席で間違いなく取り戻してしまうことになってしまう。どういうわけか、昔から宴席だとか飲み会だと、これがいいのか悪いのか分らないけど、いつのまにか中心人物になってしまう癖があるのである。
会場が華やぎ、賑やかになって、呵呵大笑を引き起こしてしまうのである。
年を取るにつれて、顔つきがシャムロックのような因業爺になってきて、その顔が笑うと一転して可愛くなる、その彼我の差が逆にご愛敬になっちゃうのかな。

まあ、冗談は兎も角として、さすがに選ばれただけのことはあって、編集委員たちは優秀であリ、熱心である。
長い歴史を正確に記述するだけでも大変なのに、裏付けを取るために、色んな人と会ったり、当時の写真やプログラムを集めたり、その取捨を編集委員会で激論を交わしたり、いやもう、物凄い熱気なのである。
この本が完成したら、恐らく委員全員がしばらくは虚脱状態から立ち直れないだろう、と思える気の入れ方なのである。
それにしても、今年で47回を迎えた定期演奏会の第1回から46回までのプログラムの表紙がずらーっと並んだ写真のページを見ているだけで、歴史の重みを感じて、なにかジーンとしてきちゃって、感慨無量となってしまうのだ。

コーラス


長い間、人との交渉を絶ち、引きこもり生活を続けてきたが、昨年辺りから、ときたま、色んな会合に顔を出すようになった。
心境の変化というより、不毛の体質に慣れてきて、ぼちぼち世間に認知させてもいいかなって思いに駆られたことのほうが大きいかもしれない。
体調が以前より安定してきたことも、後押しをしているのかもしれない。

そういう訳で、にょうぼが参加している早混OB・OG合唱団の演奏会や打上げ会にも出席するようになり、付き合いが始まり出すと、元々嫌いじゃなかったから、すぐ輪の中の一員として、はしゃぎまわるようになった。
ただし、いまさら強要されてコーラスを歌うなんて、とんでもないことだから、
歌う以外のことに協力するっていえば体裁良いが、集まって飲み会をすることを楽しみに、早混50年史の立ち上げに参加することになってしまった。

大体、一月に一回のペースで編集委員会が開かれるので、同じペースで酒を飲めるっていうことであるんだが、この編集会議が結構難物なのである。
既に、2年前から立ち上がっており、来年9月を目途に出版する予定だから、内容もかなり出来上がっていて、参加していても口を差し挟む余地もない。
30年ぶりにグアム島から帰還した不肖、横井さんのように、いま浦島としての存在を思い知らされるのである。

もっとも、その遅れは酒の席で間違いなく取り戻してしまうことになってしまう。どういうわけか、昔から宴席だとか飲み会だと、これがいいのか悪いのか分らないけど、いつのまにか中心人物になってしまう癖があるのである。
会場が華やぎ、賑やかになって、呵呵大笑を引き起こしてしまうのである。
年を取るにつれて、顔つきがシャムロックのような因業爺になってきて、その顔が笑うと一転して可愛くなる、その彼我の差が逆にご愛敬になっちゃうのかな。

まあ、冗談は兎も角として、さすがに選ばれただけのことはあって、編集委員たちは優秀であリ、熱心である。
長い歴史を正確に記述するだけでも大変なのに、裏付けを取るために、色んな人と会ったり、当時の写真やプログラムを集めたり、その取捨を編集委員会で激論を交わしたり、いやもう、物凄い熱気なのである。
この本が完成したら、恐らく委員全員がしばらくは虚脱状態から立ち直れないだろう、と思える気の入れ方なのである。
それにしても、今年で47回を迎えた定期演奏会の第1回から46回までのプログラムの表紙がずらーっと並んだ写真のページを見ているだけで、歴史の重みを感じて、なにかジーンとしてきちゃって、感慨無量となってしまうのだ。

小春日和


家の中にいると、毎日がぽかぽかと小春日和のような暖かさだが、ちょっと表に出てみると、冬の寒さは驚くほど鋭くて、身を削がれそうな思いがする。
ガキの頃、日溜まりを求めて、しもたやの縁側に集まったり、暖を求めて焚き火の傍に群れたりしていたのが懐かしい。

我が家の日溜まりは、午前中2回に別れてやって来る。
最初は8時頃かな、直射日光が鋭く差し込んで来るが、光り輝くだけで、まだ暖かさとかが含まれていない、文字通りクールな太陽である。
多少暖かさを感じるが、寒さがふっと頭上を駆け抜けるあの焚き火の情景と似てる。
9時過ぎに目の前の建物の影に隠れ、寒い朝に一旦逆戻りをし、10時半過ぎに中天高く舞上がり、しあわせ光線を1時過ぎまでじっくりと送ってくれて、わたしの部屋は天国のような小春日和となるのである。

この光の洪水に囲まれて、午前中はシャツ1枚で過ごすことが多い。
太陽の恵みを少しでも身体で直に受け止めたいという欲求も強いが、この日溜まりが何故か、身体中のパーツを刺激して訳もなく興奮させられるのである。
「天才バカボン」じゃないけど、ピストルをバンバンバーンと発射する理不尽な警官や、「レレレ」しか言えないレレレオジサンや、バカボンパパのようにシェーとやってみたり、あの不条理の世界、ナンセンスの世界へどっぷりと浸かりたい、そんな気分になっちゃうのだ。

この恵み大き太陽のお陰で、ベランダには常に花が咲き乱れ、シーズンオフを迎えた草花までもが、その姿を醜く崩しながらも、懸命に裂いていて、感動させられる。
本来、夏の花であるペチュニアやベゴニアなんか、夏からずっと咲き続けで、オイオイ、これだけ頑張ったんだからもういいだろう、と抜いてあげようと思うそばから、もう新芽を付けているような有様だ。
ゼラチャンはとうとう1年間咲き続けてしまい、まだ咲き足らないと新芽を付けている。

小春日和というと、どういうわけか柚子湯を思い起こしてしまうのだが、日本では冬至の日には柚子湯に入る習慣があって、これは冬至を「湯治」、ユズを「融通」にかけ、健康に世を渡る、という語呂合わせからきたのだそうである。
由来なんてどうでもいいのだが、柚子湯に入って、ベランダで恍惚としながら、満月やペテルギュース、プレアデス星団(すばる)などとじっっくりと語り合うのも、これまた乙な趣向であって、冬寒き折しか味わえない、まさに醍醐味といえよう。

中国では古来より牛や羊の乳を精製する段階で、5種類の味を楽しんだそうだが、最後の味を醍醐味といって、最上級の味として持て囃され、それが日本にも伝わって、宮廷での贅沢品として重用されたそうだが、醍醐はおそらくチーズの様なものだったようだ。
じゃあ、なんでそれが醍醐の味となるのかは寡聞にして知らないのだ。

小春日和


家の中にいると、毎日がぽかぽかと小春日和のような暖かさだが、ちょっと表に出てみると、冬の寒さは驚くほど鋭くて、身を削がれそうな思いがする。
ガキの頃、日溜まりを求めて、しもたやの縁側に集まったり、暖を求めて焚き火の傍に群れたりしていたのが懐かしい。

我が家の日溜まりは、午前中2回に別れてやって来る。
最初は8時頃かな、直射日光が鋭く差し込んで来るが、光り輝くだけで、まだ暖かさとかが含まれていない、文字通りクールな太陽である。
多少暖かさを感じるが、寒さがふっと頭上を駆け抜けるあの焚き火の情景と似てる。
9時過ぎに目の前の建物の影に隠れ、寒い朝に一旦逆戻りをし、10時半過ぎに中天高く舞上がり、しあわせ光線を1時過ぎまでじっくりと送ってくれて、わたしの部屋は天国のような小春日和となるのである。

この光の洪水に囲まれて、午前中はシャツ1枚で過ごすことが多い。
太陽の恵みを少しでも身体で直に受け止めたいという欲求も強いが、この日溜まりが何故か、身体中のパーツを刺激して訳もなく興奮させられるのである。
「天才バカボン」じゃないけど、ピストルをバンバンバーンと発射する理不尽な警官や、「レレレ」しか言えないレレレオジサンや、バカボンパパのようにシェーとやってみたり、あの不条理の世界、ナンセンスの世界へどっぷりと浸かりたい、そんな気分になっちゃうのだ。

この恵み大き太陽のお陰で、ベランダには常に花が咲き乱れ、シーズンオフを迎えた草花までもが、その姿を醜く崩しながらも、懸命に裂いていて、感動させられる。
本来、夏の花であるペチュニアやベゴニアなんか、夏からずっと咲き続けで、オイオイ、これだけ頑張ったんだからもういいだろう、と抜いてあげようと思うそばから、もう新芽を付けているような有様だ。
ゼラチャンはとうとう1年間咲き続けてしまい、まだ咲き足らないと新芽を付けている。

小春日和というと、どういうわけか柚子湯を思い起こしてしまうのだが、日本では冬至の日には柚子湯に入る習慣があって、これは冬至を「湯治」、ユズを「融通」にかけ、健康に世を渡る、という語呂合わせからきたのだそうである。
由来なんてどうでもいいのだが、柚子湯に入って、ベランダで恍惚としながら、満月やペテルギュース、プレアデス星団(すばる)などとじっっくりと語り合うのも、これまた乙な趣向であって、冬寒き折しか味わえない、まさに醍醐味といえよう。

中国では古来より牛や羊の乳を精製する段階で、5種類の味を楽しんだそうだが、最後の味を醍醐味といって、最上級の味として持て囃され、それが日本にも伝わって、宮廷での贅沢品として重用されたそうだが、醍醐はおそらくチーズの様なものだったようだ。
じゃあ、なんでそれが醍醐の味となるのかは寡聞にして知らないのだ。

ハモネプ


お笑いトリオ「ネプチューン」の人気番組のコーナー企画で、素人が何人か集まって、アカペラでハモルという、どうせ、そんなには持たないだろうと、スタッフの思い付きで始まった使い捨て企画が、なんとすっかり嵌まっちゃって、大変な人気コーナーになってしまった。
初めのうちは、応募者の技術も陳腐で、聞くに耐えないような学芸会スタイルの物が多かったのだが、回を重ねるに従って、だんだんと骨っぽくなり、遂にはプロ級のハモリを見せるグループが続出するようになった。

このハモリが注目されるようになったのは、なんといってもゴスペラーズの影響だと思われる。
ゴスペラーズは早稲田大学ゴスペル同好会出身者を中心にした変則5人組のコーラス・グループで、折からの癒し系音楽、つまりヒーリングブームに乗って、急成長を遂げ、今年のNHK紅白歌合戦にもノミネートされるほどの人気グループとして持て囃されている。

個人的に言わせてもらえれば、彼等は必ずしもハモリといえない歌い方で、メンバー個々の実力も声量といい、歌唱技術といい、音質といい、決して誉められたものではない。
特にリーダーの歌い方は喉を詰めて、下から音をずり上げる極めて悪い歌い方の上、音程も不正確で、ステージでも後半になると、声が疲れきってしまい、また音をを外すんじゃないか、と冷や冷やさせられるのがとっても辛い。
リーダーがこの程度だから、他のメンバーも推して知るべしで、それぞれに振り分けて、独唱をフューチャーするのだが、それに対するハモリも、アカペラの特長である空気を揺るがすような、あのピーンといったハモリはまったく感じられない。
まだ、プロとしてステージを張るのは10年早いんじゃないかという程度の実力である。
今の日本は、ちょっとブームになると、マスコミが無批判で飛びつき、この程度の実力でも一流にしてしまうのが、大きな弊害のような気がする。

上手い下手は正直言って素人の耳では判断できない難しいもんだが、ただハモれるっていうだけで「スゴイ!」という現状だから、ゴスペラーズは凄いってことになってしまう可笑しさ、ただゴスペラーズはハモネプじゃないって意見もあるようだけれど」って山田ゴメス(自称音楽評論家)が皮肉っぽく書いていたけれど。
いま、ハモネプ集団の中で最も注目を集めているのが、関西から出てきて、この世界ではカリスマと呼ばれている 「1NSPi」というグループだそうだ。
一人のメーンボーカルを表に立てて、そのバックをハモりで被せる、といった編成を全面に打ち出し、ボーカルを際立たせる作戦といえよう。
ただ、この手のハモりはわたしなんか、昔からやっていたことで、多重録音なんてお手の物だったし、その成果も見事なものだったと自負しているんだが。

ハモネプ


お笑いトリオ「ネプチューン」の人気番組のコーナー企画で、素人が何人か集まって、アカペラでハモルという、どうせ、そんなには持たないだろうと、スタッフの思い付きで始まった使い捨て企画が、なんとすっかり嵌まっちゃって、大変な人気コーナーになってしまった。
初めのうちは、応募者の技術も陳腐で、聞くに耐えないような学芸会スタイルの物が多かったのだが、回を重ねるに従って、だんだんと骨っぽくなり、遂にはプロ級のハモリを見せるグループが続出するようになった。

このハモリが注目されるようになったのは、なんといってもゴスペラーズの影響だと思われる。
ゴスペラーズは早稲田大学ゴスペル同好会出身者を中心にした変則5人組のコーラス・グループで、折からの癒し系音楽、つまりヒーリングブームに乗って、急成長を遂げ、今年のNHK紅白歌合戦にもノミネートされるほどの人気グループとして持て囃されている。

個人的に言わせてもらえれば、彼等は必ずしもハモリといえない歌い方で、メンバー個々の実力も声量といい、歌唱技術といい、音質といい、決して誉められたものではない。
特にリーダーの歌い方は喉を詰めて、下から音をずり上げる極めて悪い歌い方の上、音程も不正確で、ステージでも後半になると、声が疲れきってしまい、また音をを外すんじゃないか、と冷や冷やさせられるのがとっても辛い。
リーダーがこの程度だから、他のメンバーも推して知るべしで、それぞれに振り分けて、独唱をフューチャーするのだが、それに対するハモリも、アカペラの特長である空気を揺るがすような、あのピーンといったハモリはまったく感じられない。
まだ、プロとしてステージを張るのは10年早いんじゃないかという程度の実力である。
今の日本は、ちょっとブームになると、マスコミが無批判で飛びつき、この程度の実力でも一流にしてしまうのが、大きな弊害のような気がする。

上手い下手は正直言って素人の耳では判断できない難しいもんだが、ただハモれるっていうだけで「スゴイ!」という現状だから、ゴスペラーズは凄いってことになってしまう可笑しさ、ただゴスペラーズはハモネプじゃないって意見もあるようだけれど」って山田ゴメス(自称音楽評論家)が皮肉っぽく書いていたけれど。
いま、ハモネプ集団の中で最も注目を集めているのが、関西から出てきて、この世界ではカリスマと呼ばれている 「1NSPi」というグループだそうだ。
一人のメーンボーカルを表に立てて、そのバックをハモりで被せる、といった編成を全面に打ち出し、ボーカルを際立たせる作戦といえよう。
ただ、この手のハモりはわたしなんか、昔からやっていたことで、多重録音なんてお手の物だったし、その成果も見事なものだったと自負しているんだが。
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