コジゼラ

よもやま話を雑文で

2002年05月

訳知り顔


先日、「栴檀は二葉より芳し」について書いたのだが、数少ない愛読者からお叱りを頂いた。実を言えば、栴檀なんて見たこともないから、非常に珍しい植物だって思い込んでいた。そんなわけで、朝日新聞夕刊の記事を読んでいて、大阪市内で花をつけたということが、非常に貴重なもののように思って取り上げたんだが、どうやら、そんなに珍しいものではないらしい。なにせ、東京生まれの東京育ち、都会の生活しか味わっていないから、自然界のことにはどうも疎いんだなあ。空襲で木一本まで焼き尽くされた廃墟、東京、一面に広がる焼け跡が唯一の遊び場所、そんなガキん子時代だったもんなあ。

そんなわけで、佐世保っ子(っていっても、いい加減おじんだけど)から寄せられたメールの一部を紹介する。
「栴檀は火にも強いよ。戦災で家と共に丸焼けになり、家は再建まで6年かかったが、焼け焦げた栴檀の木は、次の春には幹のいろんなとこから芽吹いた。いまごろが花の時期だね。若葉色の繊細な葉っぱ。薄紫に白の混じった花。あまーい香り。皐月の青空。この調和は見事。実は子供の金玉を小さくしたような格好だが、そいつが冬になっても萎びてぶら下がってる図は、ちーとも芳しくない。花と葉のあるうちが華なのさ。」

東風とら、初めて知ることばっかりで、へー、そうなんだって目を白黒させてしまったよ。
物知り顔ってのも、けっこう疲れるもんだって思い知ったけど、ズーズーしく続けさしてもらうよ、じゃないとネタ切れしちゃうもん。落語にでてくる貧乏長屋の物知り大家、訳知り顔でお説教をたれ、熊さん、八っあんに痛いとこを突っ込まれて、しどろもどろになる、そんなおもしろおかしさが東風とらとだぶってきて、あたふたしちゃったよ。兎にも角にも、とっても貴重な情報をどうもありがとうってわけ。

ところで東風とら(こちとら)って言葉気に入ったよ、これから使わせてもらうことにする。
単なる変換ミスだったけど、たまにはマイクロソフトも粋な計らいをするもんだよねえ。
普段は自分のこと、ほとんど俺って一言で用事が済んじゃうんだけど、文章を書くときに、「俺」じゃあ品がないし、「僕」じゃションベンくさい。「俺っち」って良いなあと思ったが、なんかわざとらしいし、「あたし」じゃどこかのオバンみたいだ。
拙者、我輩、小生、おいどん、吾れ、自分、あっし、オレゴン、コジー、みんなダメダメヨーッ。つまるところ、無難な「わたし」を使うようになったが、その言葉に出食くわすたんびに、なんか嘘くさい気がして、嫌ななもんだった、っていうのも、こんな言葉で自分を表現したことなんか、めったになかったんだもん。

おれっていえば、玄関の音がピンポーン、にょうぼが気取った声で「どちら様ですか」「おれだよ、おれ!」「どちらのおれ様ですか」「おれだよ、おれだってば!」。
二人の息子がまだ一緒に暮らしていたとき、日常茶飯事の光景だった。親子3人、声がまったく同じに聞こえるのである。相変わらず「俺だけど」って電話がかかってくるけど、未だに東風とらには、兄からなんか、弟からなんかさっぱり分からない。

訳知り顔


先日、「栴檀は二葉より芳し」について書いたのだが、数少ない愛読者からお叱りを頂いた。実を言えば、栴檀なんて見たこともないから、非常に珍しい植物だって思い込んでいた。そんなわけで、朝日新聞夕刊の記事を読んでいて、大阪市内で花をつけたということが、非常に貴重なもののように思って取り上げたんだが、どうやら、そんなに珍しいものではないらしい。なにせ、東京生まれの東京育ち、都会の生活しか味わっていないから、自然界のことにはどうも疎いんだなあ。空襲で木一本まで焼き尽くされた廃墟、東京、一面に広がる焼け跡が唯一の遊び場所、そんなガキん子時代だったもんなあ。

そんなわけで、佐世保っ子(っていっても、いい加減おじんだけど)から寄せられたメールの一部を紹介する。
「栴檀は火にも強いよ。戦災で家と共に丸焼けになり、家は再建まで6年かかったが、焼け焦げた栴檀の木は、次の春には幹のいろんなとこから芽吹いた。いまごろが花の時期だね。若葉色の繊細な葉っぱ。薄紫に白の混じった花。あまーい香り。皐月の青空。この調和は見事。実は子供の金玉を小さくしたような格好だが、そいつが冬になっても萎びてぶら下がってる図は、ちーとも芳しくない。花と葉のあるうちが華なのさ。」

東風とら、初めて知ることばっかりで、へー、そうなんだって目を白黒させてしまったよ。
物知り顔ってのも、けっこう疲れるもんだって思い知ったけど、ズーズーしく続けさしてもらうよ、じゃないとネタ切れしちゃうもん。落語にでてくる貧乏長屋の物知り大家、訳知り顔でお説教をたれ、熊さん、八っあんに痛いとこを突っ込まれて、しどろもどろになる、そんなおもしろおかしさが東風とらとだぶってきて、あたふたしちゃったよ。兎にも角にも、とっても貴重な情報をどうもありがとうってわけ。

ところで東風とら(こちとら)って言葉気に入ったよ、これから使わせてもらうことにする。
単なる変換ミスだったけど、たまにはマイクロソフトも粋な計らいをするもんだよねえ。
普段は自分のこと、ほとんど俺って一言で用事が済んじゃうんだけど、文章を書くときに、「俺」じゃあ品がないし、「僕」じゃションベンくさい。「俺っち」って良いなあと思ったが、なんかわざとらしいし、「あたし」じゃどこかのオバンみたいだ。
拙者、我輩、小生、おいどん、吾れ、自分、あっし、オレゴン、コジー、みんなダメダメヨーッ。つまるところ、無難な「わたし」を使うようになったが、その言葉に出食くわすたんびに、なんか嘘くさい気がして、嫌ななもんだった、っていうのも、こんな言葉で自分を表現したことなんか、めったになかったんだもん。

おれっていえば、玄関の音がピンポーン、にょうぼが気取った声で「どちら様ですか」「おれだよ、おれ!」「どちらのおれ様ですか」「おれだよ、おれだってば!」。
二人の息子がまだ一緒に暮らしていたとき、日常茶飯事の光景だった。親子3人、声がまったく同じに聞こえるのである。相変わらず「俺だけど」って電話がかかってくるけど、未だに東風とらには、兄からなんか、弟からなんかさっぱり分からない。

ダシガラ

60代になって、体調が思わしくなくなり、まるでダシガラのような生活を送る破目に追い込まれた。もともと持病だった糖尿病は別に悪さをしないのに、呼吸器系の何かがうまく作用せず、慢性的酸素欠乏症の症状に泣かされたのである。
未だに、担当医の判断は聞かされていないが、この先生、血糖値の向上にばかり、血道をあげていて、酸欠については、あまり熱心ではなかった。

内科医といえば聞こえがいいけど、近代医学では外科を除くあらゆる病気が内科に包括されていて、本来なら、症状によって専門医が必要となるご時世、わが担当医は呼吸器科に弱い先生だったから、何時まで経っても明確な診断を下せなかった。
しびれを切らして、医学書や友人からのアドバイスを元に、半ば先生をゆするようにして、副腎皮質ホルモンの欠乏を補うステロイド剤、ブレドニンの投薬を迫り、やっと本復するようになった。

依然、病名の特定はなされていないが、いまじゃブレドニンなしでも、呼吸器は正常に作用していて、65歳を過ぎて体力の回復はめざましく、ダシガラからヌケガラへと変身しつつある。この5年間なんだったんだろうとの思いは強いが、マッ!いいとしようか。

先日の朝日夕刊コラムで、荻野アンナが「スタンプラリー」という暗示的な表題で、同じような病院での出来事を、ユーモアを交えながら皮肉タップリに語っている。
「母の息切れがひどく、総合病院へ検査入院し、翌日から検査に次ぐ検査の日々となった。
母の入院を聞かれると、わたしは通院でスタンプラリーの最中と答えることにしている。
循環器系から呼吸器科に回され、心房細動、肺気腫、気管支喘息、肺繊維症、気胸、間質性肺炎と病名が増えて行き、あげくは肝臓の数値が悪いと消化器科へ、CTで脳梗塞の後が発見され神経内科へと、腹部エコーの結果、肝臓は問題なしとなり血液内科が登場し、現在は検査結果待ち、脳のMRIの結果もこれからだ。一つの身体を、病院は無数の科目に分けて扱い、あと幾つの科を遍歴すれば、全体像がつかめるのか、恐い病名はいやだが、「トシですね」で終わったら、腰が抜けそうである。」

気の毒にこのアンナさんのおかあさん、わたしと同じようにダシガラ状態になって退院し、病名も特定できないまま、不安な気持ちで過ごすことになるだろう。
ああ、もっと若ければ、毒薬にも良薬にもなるステロイドの服用をお勧めするんだけどなあ。いまじゃ喘息の原因である炎症を押さえて気道の過敏性を改善し、呼吸をしやすくするステロイド溶剤もあることだしねえ。
だけど不思議なことに、この妙薬、医者が薦めてくれないんだよな。
わたしも新聞記事でこんな妙薬があると知って、医者にねじ込み、渋々出させたんだけど、
自分でも勉強して、医者に対抗せにゃならない時代になっているのは事実かもしれないぞ。

ダシガラ

60代になって、体調が思わしくなくなり、まるでダシガラのような生活を送る破目に追い込まれた。もともと持病だった糖尿病は別に悪さをしないのに、呼吸器系の何かがうまく作用せず、慢性的酸素欠乏症の症状に泣かされたのである。
未だに、担当医の判断は聞かされていないが、この先生、血糖値の向上にばかり、血道をあげていて、酸欠については、あまり熱心ではなかった。

内科医といえば聞こえがいいけど、近代医学では外科を除くあらゆる病気が内科に包括されていて、本来なら、症状によって専門医が必要となるご時世、わが担当医は呼吸器科に弱い先生だったから、何時まで経っても明確な診断を下せなかった。
しびれを切らして、医学書や友人からのアドバイスを元に、半ば先生をゆするようにして、副腎皮質ホルモンの欠乏を補うステロイド剤、ブレドニンの投薬を迫り、やっと本復するようになった。

依然、病名の特定はなされていないが、いまじゃブレドニンなしでも、呼吸器は正常に作用していて、65歳を過ぎて体力の回復はめざましく、ダシガラからヌケガラへと変身しつつある。この5年間なんだったんだろうとの思いは強いが、マッ!いいとしようか。

先日の朝日夕刊コラムで、荻野アンナが「スタンプラリー」という暗示的な表題で、同じような病院での出来事を、ユーモアを交えながら皮肉タップリに語っている。
「母の息切れがひどく、総合病院へ検査入院し、翌日から検査に次ぐ検査の日々となった。
母の入院を聞かれると、わたしは通院でスタンプラリーの最中と答えることにしている。
循環器系から呼吸器科に回され、心房細動、肺気腫、気管支喘息、肺繊維症、気胸、間質性肺炎と病名が増えて行き、あげくは肝臓の数値が悪いと消化器科へ、CTで脳梗塞の後が発見され神経内科へと、腹部エコーの結果、肝臓は問題なしとなり血液内科が登場し、現在は検査結果待ち、脳のMRIの結果もこれからだ。一つの身体を、病院は無数の科目に分けて扱い、あと幾つの科を遍歴すれば、全体像がつかめるのか、恐い病名はいやだが、「トシですね」で終わったら、腰が抜けそうである。」

気の毒にこのアンナさんのおかあさん、わたしと同じようにダシガラ状態になって退院し、病名も特定できないまま、不安な気持ちで過ごすことになるだろう。
ああ、もっと若ければ、毒薬にも良薬にもなるステロイドの服用をお勧めするんだけどなあ。いまじゃ喘息の原因である炎症を押さえて気道の過敏性を改善し、呼吸をしやすくするステロイド溶剤もあることだしねえ。
だけど不思議なことに、この妙薬、医者が薦めてくれないんだよな。
わたしも新聞記事でこんな妙薬があると知って、医者にねじ込み、渋々出させたんだけど、
自分でも勉強して、医者に対抗せにゃならない時代になっているのは事実かもしれないぞ。

カルガモ


菖蒲がいま盛りだと聞いて、自転車で遠路はるばる横十軒川緑水公園まで出かけてみた。
久し振りの好天気、せっかくの太陽の恵みを享受しなきゃ、お天道様に申し訳ないと思って、
行きがけに、我が家の庭、越中島公園へ寄り、土手の草むらに大の字になって寝転んだ。
はっと気がついたら、「いつの間にやらはしご酒/気がつきゃホームのベンチでごろ寝/これじゃ身体にいいわけないよ/分かっちゃいるけどやめられない」スーダラ節のような体たらく、約1時間も寝てしまった。ま、太陽の下でのうたた寝だから、身体には良いけどね。

目的の公園は運河を埋め立てた跡地なんで、細長く延々と続き、終点近くなると、なんと前方にジャスコの看板があるじゃあございませんか。いつの間にやら、砂町の外れ、荒川の縁まで来てしまったようだ。途中ですっ転び、用意がいいからバンドエイトで応急処理したもんの、スリ傷はヒリヒリと痛むし、日焼けした目がチカチカするし、お目当ての花菖蒲にはがっかりさせられるし、帰りに道を間違えて、また荒川の縁に出ちまったり、まあ、散々の午後となってしまった。

菖蒲はボランティアのシニヤたちが管理しているようだが、あまり注意が行き届いていないらしく、日本一の菖蒲園を目指すなんてかっこいい看板とは裏腹に、とっても乱雑で貧しい感じがした。致命的なのは菖蒲の種類が少ないことで、これじゃあ、日本一なんて冗談コロコロ、おこがましいにも程がある。
昨年もはるばる金町の水元公園まで出向いたけど、池はこ汚いし、だだっ広い割には、売り物の花菖蒲に見るべきものが少なかった。
せめて黄菖蒲とか、友白髪、舞扇、昴なんかの銘柄品ぐらいは植えておかなくちゃねえ。
やはり職人の手がきっちりと入っている明治神宮とか小石川植物園のようなとこじゃなくちゃ、つまり有料の菖蒲園じゃなくちゃ、良いものが見られないのかもしれない。

嬉しかったのは、2-3日前に朝日新聞川の手版で報じられていた、カルガモの親子が見られたことである。夕方にならないと見られないとのことだったが、とってもラッキーだった。
ただ、当初13匹いたとされるコガモは6匹に減っており、親鴨の羽の下に隠れていて、編隊を組んだ泳ぎが見られなかったのは残念だった。
見物常連らしいじいさんに聞いたら、カラスがかっさらっていったらしい。ただ、周囲の人が気を配っているので、これ以上は減らないそうだが、ぜひそうあってほしいなって思った。

帰路、木場公園で珍しい赤い花を咲かせている珍しい木を見つけたが、真っ赤なトイレブラシって感じの奇妙な花なので、なんて名前なんだろかって案内を見つけたら、ブラシの木という
ネーミングだった。なんてつまんない名前なんだろうね、ユーモアを期待したのにがっかり。

カルガモ


菖蒲がいま盛りだと聞いて、自転車で遠路はるばる横十軒川緑水公園まで出かけてみた。
久し振りの好天気、せっかくの太陽の恵みを享受しなきゃ、お天道様に申し訳ないと思って、
行きがけに、我が家の庭、越中島公園へ寄り、土手の草むらに大の字になって寝転んだ。
はっと気がついたら、「いつの間にやらはしご酒/気がつきゃホームのベンチでごろ寝/これじゃ身体にいいわけないよ/分かっちゃいるけどやめられない」スーダラ節のような体たらく、約1時間も寝てしまった。ま、太陽の下でのうたた寝だから、身体には良いけどね。

目的の公園は運河を埋め立てた跡地なんで、細長く延々と続き、終点近くなると、なんと前方にジャスコの看板があるじゃあございませんか。いつの間にやら、砂町の外れ、荒川の縁まで来てしまったようだ。途中ですっ転び、用意がいいからバンドエイトで応急処理したもんの、スリ傷はヒリヒリと痛むし、日焼けした目がチカチカするし、お目当ての花菖蒲にはがっかりさせられるし、帰りに道を間違えて、また荒川の縁に出ちまったり、まあ、散々の午後となってしまった。

菖蒲はボランティアのシニヤたちが管理しているようだが、あまり注意が行き届いていないらしく、日本一の菖蒲園を目指すなんてかっこいい看板とは裏腹に、とっても乱雑で貧しい感じがした。致命的なのは菖蒲の種類が少ないことで、これじゃあ、日本一なんて冗談コロコロ、おこがましいにも程がある。
昨年もはるばる金町の水元公園まで出向いたけど、池はこ汚いし、だだっ広い割には、売り物の花菖蒲に見るべきものが少なかった。
せめて黄菖蒲とか、友白髪、舞扇、昴なんかの銘柄品ぐらいは植えておかなくちゃねえ。
やはり職人の手がきっちりと入っている明治神宮とか小石川植物園のようなとこじゃなくちゃ、つまり有料の菖蒲園じゃなくちゃ、良いものが見られないのかもしれない。

嬉しかったのは、2-3日前に朝日新聞川の手版で報じられていた、カルガモの親子が見られたことである。夕方にならないと見られないとのことだったが、とってもラッキーだった。
ただ、当初13匹いたとされるコガモは6匹に減っており、親鴨の羽の下に隠れていて、編隊を組んだ泳ぎが見られなかったのは残念だった。
見物常連らしいじいさんに聞いたら、カラスがかっさらっていったらしい。ただ、周囲の人が気を配っているので、これ以上は減らないそうだが、ぜひそうあってほしいなって思った。

帰路、木場公園で珍しい赤い花を咲かせている珍しい木を見つけたが、真っ赤なトイレブラシって感じの奇妙な花なので、なんて名前なんだろかって案内を見つけたら、ブラシの木という
ネーミングだった。なんてつまんない名前なんだろうね、ユーモアを期待したのにがっかり。

せんだん

「栴檀は双葉より芳し」って諺、「実のなる木は花から知れる」、「竜は一寸にして昇天の気あり」、「松は二葉より棟梁の思いあり」などと同義語だが、転じて大成する人物は子供のときから常人とは違って、優れた素質が認められるという意味になる。

朝日の夕刊によると、大阪にある栴檀木橋(せんだんのきばし)のたもとで、栴檀が淡い紫の花を咲かせているそうだが、栴檀には楝(おうち)という古語がある。
佐々木信綱が作詞した唱歌「夏は来ぬ」の四番の歌詞に「楝ちる川辺の宿の/門遠く水鶏(くいな)声して/夕月涼しき夏は来ぬ」とある、冒頭の難しい言葉はせんだんのことだったのだ。

栴檀は日本には少なくなった落葉高木の一つだが、香りが強い白檀の別名という説もある。
白檀はインドを中心に栽培される常緑高木で芳香があり、材質が固いが柔らかい光沢を持っていることから、香料、仏像、彫刻その他細工物に使われている。
一方、黒檀は柿木科の常緑高木でインドをはじめ東南アジアで産出されるが、材質が黒くて固いため、家具用として使われる。日本じゃ黒檀なんていうと、高級家具や高価な仏壇専門に使われ、とてもじゃないが手が出せない代物である。
おあと、紫檀っていうのもあるけれど、行数がないので、講釈およびウンチクは省略のこと。

水温む、結構、酒はぬる目の燗でいい、おおいに良し、だけどパンツのゴムが緩むっていうのもけっこう乙なもんだねえ。っていうのも、せっかく糖尿でやせ細ったのに、最近は節制?の甲斐あってか、体重がドンドンと増えてきて、パンツのゴムがきついのである。
箪笥の奥から、昔のパンツを引っ張り出したら、これがピンポン、大当たりだったのだ。
ユルフンっていうけど、ユルパンがこんなに楽なもんとは露知らず、生き返ったような境地を
楽しんでいる。酒はぬるめの燗、パンツはゆるめの古着がいいってことか。
もっとも歩くたんびに、いちいちパンツをずり上げなきゃならんのが、しんどいけんど。

バーモントっていうと、日本人はほとんど知っているよねえ。それっていうのも年間15億皿も売れる、ハウス食品の即席カレー「ハウスバーモントカレー」のお陰だよねえ。
バーモントっていうと、カナダと国境を接するアメリカの東部にあって、山並みと森が美しく、日本と同じように四季があり、いわゆるニューイングランド地方を構成する6州の一つである、小さな州の名前が思い浮かぶんだけど、やっぱり関連があったらしい。
ハウス食品によると、この州に住む医師が「リンゴとハチミツが身体によい」と提唱したのだが、この健康法に着目して子供向けに甘口カレーを売出す際に、州名を被せたんだそうだ。
そういえば、アイダホポテトなんていうスナックもあったっけなあ、こうして見ると食べ物のネーミングが目立たないけど、案外アメリカの地理の勉強にも貢献してるんだよね。

せんだん

「栴檀は双葉より芳し」って諺、「実のなる木は花から知れる」、「竜は一寸にして昇天の気あり」、「松は二葉より棟梁の思いあり」などと同義語だが、転じて大成する人物は子供のときから常人とは違って、優れた素質が認められるという意味になる。

朝日の夕刊によると、大阪にある栴檀木橋(せんだんのきばし)のたもとで、栴檀が淡い紫の花を咲かせているそうだが、栴檀には楝(おうち)という古語がある。
佐々木信綱が作詞した唱歌「夏は来ぬ」の四番の歌詞に「楝ちる川辺の宿の/門遠く水鶏(くいな)声して/夕月涼しき夏は来ぬ」とある、冒頭の難しい言葉はせんだんのことだったのだ。

栴檀は日本には少なくなった落葉高木の一つだが、香りが強い白檀の別名という説もある。
白檀はインドを中心に栽培される常緑高木で芳香があり、材質が固いが柔らかい光沢を持っていることから、香料、仏像、彫刻その他細工物に使われている。
一方、黒檀は柿木科の常緑高木でインドをはじめ東南アジアで産出されるが、材質が黒くて固いため、家具用として使われる。日本じゃ黒檀なんていうと、高級家具や高価な仏壇専門に使われ、とてもじゃないが手が出せない代物である。
おあと、紫檀っていうのもあるけれど、行数がないので、講釈およびウンチクは省略のこと。

水温む、結構、酒はぬる目の燗でいい、おおいに良し、だけどパンツのゴムが緩むっていうのもけっこう乙なもんだねえ。っていうのも、せっかく糖尿でやせ細ったのに、最近は節制?の甲斐あってか、体重がドンドンと増えてきて、パンツのゴムがきついのである。
箪笥の奥から、昔のパンツを引っ張り出したら、これがピンポン、大当たりだったのだ。
ユルフンっていうけど、ユルパンがこんなに楽なもんとは露知らず、生き返ったような境地を
楽しんでいる。酒はぬるめの燗、パンツはゆるめの古着がいいってことか。
もっとも歩くたんびに、いちいちパンツをずり上げなきゃならんのが、しんどいけんど。

バーモントっていうと、日本人はほとんど知っているよねえ。それっていうのも年間15億皿も売れる、ハウス食品の即席カレー「ハウスバーモントカレー」のお陰だよねえ。
バーモントっていうと、カナダと国境を接するアメリカの東部にあって、山並みと森が美しく、日本と同じように四季があり、いわゆるニューイングランド地方を構成する6州の一つである、小さな州の名前が思い浮かぶんだけど、やっぱり関連があったらしい。
ハウス食品によると、この州に住む医師が「リンゴとハチミツが身体によい」と提唱したのだが、この健康法に着目して子供向けに甘口カレーを売出す際に、州名を被せたんだそうだ。
そういえば、アイダホポテトなんていうスナックもあったっけなあ、こうして見ると食べ物のネーミングが目立たないけど、案外アメリカの地理の勉強にも貢献してるんだよね。

タラ


タラというと真っ先に浮かんで来るのが「タラレバ」って言葉かな。曖昧語の真打みたいだけど、いつも決然として、信念の人のように装っている小泉首相率いる内閣は上辺の勢いよさとはほど遠い、典型的な「タラレバ内閣」といえるんじゃないかな。
抵抗勢力と官僚の一致協力による反対に、折角の法案もズタズタに切り裂かれ、曖昧語句を羅列させられ、すべて玉虫色といえば格好いいが、必ず虫食いだらけの決着となる。
不都合が起きると、その部分だけを直し辻褄を合せ、あとは先送りするという伝統的な自民党のオハコ芸の踏襲である。

「風とともに去りぬ」のヒロイン、スカーレット・オハラの郷里はジョージア州アトランタに隣接するタラの地だった。バックを流れるスクリーンミュージックは「タラのテーマ」という名曲だった。真赤な髪の毛を風にたなびかせ、明日があるさって、気丈に立ち向かおうとするスカーレット・オハラには感動させられた。

「タラの芽」というと春を彩る旬采の一つだが、いまじゃ温室ものが出回っていて、いつでも食べられるようなのは面白くない。
タラは山林の傾斜地に群生していて、トゲが一杯突き出た枝の先にポツンと春芽が鎮座している。これを採集するためには傾斜地にしっかりと足場を据え、トゲのついた長い枝を手前に引き寄せるのだが、これは結構手間が掛かる。
粘り気があるので、手はベタベタになってしまうのだが、このネバネバがタラの芽の旨さを倍増するわけなんだよな。テンプラにして食すのが通例のようだが、香りが消えてしまうので、さっとゆがいて食べた方が美味しいと思っている。

タラチャンはサザエ家のマスコットだが、悪タレ坊主のカツオでさえもが一目も二目もおいているのが微笑ましい。ただ、可愛いからというだけでなく、叔父、甥の関係もかくあるべしという作者の願望もあったんだろうか。

タラコは鱈の卵だが、タラが寒い海の深いところに生息する魚だというのに、南の海である玄界灘に面した九州博多でメンタイコと名を変えて加工され、商売繁盛しているのが面白い。
日本って国、広いようで狭いんだなあ、と実感させられる。

出鱈目って言葉、出たら目の当て字で、この目は人間の目ではなくサイコロの目のこと、バクチに使うとき、どんな目が出ようがその場まかせっていういい加減な気持ちを鱈という字に当てはめたようで、鱈には迷惑至極、鱈腹食べたとか、とかく鱈はバカにされていよなあ。

タラ


タラというと真っ先に浮かんで来るのが「タラレバ」って言葉かな。曖昧語の真打みたいだけど、いつも決然として、信念の人のように装っている小泉首相率いる内閣は上辺の勢いよさとはほど遠い、典型的な「タラレバ内閣」といえるんじゃないかな。
抵抗勢力と官僚の一致協力による反対に、折角の法案もズタズタに切り裂かれ、曖昧語句を羅列させられ、すべて玉虫色といえば格好いいが、必ず虫食いだらけの決着となる。
不都合が起きると、その部分だけを直し辻褄を合せ、あとは先送りするという伝統的な自民党のオハコ芸の踏襲である。

「風とともに去りぬ」のヒロイン、スカーレット・オハラの郷里はジョージア州アトランタに隣接するタラの地だった。バックを流れるスクリーンミュージックは「タラのテーマ」という名曲だった。真赤な髪の毛を風にたなびかせ、明日があるさって、気丈に立ち向かおうとするスカーレット・オハラには感動させられた。

「タラの芽」というと春を彩る旬采の一つだが、いまじゃ温室ものが出回っていて、いつでも食べられるようなのは面白くない。
タラは山林の傾斜地に群生していて、トゲが一杯突き出た枝の先にポツンと春芽が鎮座している。これを採集するためには傾斜地にしっかりと足場を据え、トゲのついた長い枝を手前に引き寄せるのだが、これは結構手間が掛かる。
粘り気があるので、手はベタベタになってしまうのだが、このネバネバがタラの芽の旨さを倍増するわけなんだよな。テンプラにして食すのが通例のようだが、香りが消えてしまうので、さっとゆがいて食べた方が美味しいと思っている。

タラチャンはサザエ家のマスコットだが、悪タレ坊主のカツオでさえもが一目も二目もおいているのが微笑ましい。ただ、可愛いからというだけでなく、叔父、甥の関係もかくあるべしという作者の願望もあったんだろうか。

タラコは鱈の卵だが、タラが寒い海の深いところに生息する魚だというのに、南の海である玄界灘に面した九州博多でメンタイコと名を変えて加工され、商売繁盛しているのが面白い。
日本って国、広いようで狭いんだなあ、と実感させられる。

出鱈目って言葉、出たら目の当て字で、この目は人間の目ではなくサイコロの目のこと、バクチに使うとき、どんな目が出ようがその場まかせっていういい加減な気持ちを鱈という字に当てはめたようで、鱈には迷惑至極、鱈腹食べたとか、とかく鱈はバカにされていよなあ。
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