コジゼラ

よもやま話を雑文で

2002年06月

湯屋番


きょうは早混の後輩の会「みなこん会」に招待され、ただいま帰館、午後2時過ぎの会合だったので3次会をやっても、終電までかからなかったのはラッキーだった。
記憶力という武器をどっかに置き忘れてしまった東風とら、列席の女子の後輩の顔はおろかな前も失念してしていて、大ブーイングを浴びてしまった。

滑稽話や長屋ものを得意とした落語家で、落語界初の重要無形文化財保持者(人間国宝)、柳家小さんが亡くなった。享年87歳、落語黄金時代のまぎれもない終焉である。
良き時代の寄席や落語の温もりや長閑さを次代に伝える旗手が、志ん朝についで消え去った。
寄席に行かなくなって久しいが、小さんが40代で最も油が乗っていた頃、にょうぼと新宿末広亭で聞いた「湯屋番」の面白さ、滑稽さ、とぼけ振り、絶妙の間、どれを取っても絶妙で、未だに忘れられない高座だった。当時、文楽、金馬、志ん生、円生、正蔵、今輔など錚々たる大家たちが全盛時代で、小さんはまだ若手の範疇だったけど、その話芸と存在感は先達に伍して、十二分に渡り合える実力者だった。その軽妙な話術に、にょうぼと二人で周りの人もあきれるほど、大声で笑い転げたのをいまでもよーく覚えている。

噺家という呼び方がよく似合う最後の芸人だった。「粗忽長屋」「親子酒」「禁酒番屋」「笠碁」などを生涯、得意演目とした。
豪放磊落な語り口に滑稽味をまぶし、おおらかで、ふくよかな芸の持ち主だったが、とりわけ扇子片手に演じ分ける、「時そば」のそばの食べ方、「試し酒」での酒を飲む仕種は絶品だった。
晩年の高座はセリフを忘れたり、とちったり、周囲をはらはらさせたらしいが、力まず、巧まず、おもねらず、まさに枯淡の芸域に到達していたって評論家は回顧している。

「なーにね、うふん、40歳までに覚えた噺は、思い出して語るまでもなく、自然に口をついて出るもんだ」って語録があるけれど、本当にそうだと思う。
東風とらなんかも、若いときに覚えたことは、身体が、筋肉が、大脳が、舌が、目が、耳が、喉がちゃんと覚えていて、ゴルフにしろカラオケにしろ、旨いものや、名画や音楽、難読漢字や世界各国の首都なんかにしても、、自分の好きなことは本人が驚くほど身についているもんだ。

人間国宝小さんが亡くなって、日本の伝統芸能の継承者がまた一人減ったわけだが、ユネスコが選定する無形世界遺産は1997年より始まり、中国の昆曲など18件とともに、日本では「能楽」が選ばれた。2年に1回の選出基準で、第2回目は三味線音楽の義太夫節に合わせて人形を操作する伝統芸能、「文楽」が推薦された。2年後の推薦は「歌舞伎」となるそうだ。

湯屋番


きょうは早混の後輩の会「みなこん会」に招待され、ただいま帰館、午後2時過ぎの会合だったので3次会をやっても、終電までかからなかったのはラッキーだった。
記憶力という武器をどっかに置き忘れてしまった東風とら、列席の女子の後輩の顔はおろかな前も失念してしていて、大ブーイングを浴びてしまった。

滑稽話や長屋ものを得意とした落語家で、落語界初の重要無形文化財保持者(人間国宝)、柳家小さんが亡くなった。享年87歳、落語黄金時代のまぎれもない終焉である。
良き時代の寄席や落語の温もりや長閑さを次代に伝える旗手が、志ん朝についで消え去った。
寄席に行かなくなって久しいが、小さんが40代で最も油が乗っていた頃、にょうぼと新宿末広亭で聞いた「湯屋番」の面白さ、滑稽さ、とぼけ振り、絶妙の間、どれを取っても絶妙で、未だに忘れられない高座だった。当時、文楽、金馬、志ん生、円生、正蔵、今輔など錚々たる大家たちが全盛時代で、小さんはまだ若手の範疇だったけど、その話芸と存在感は先達に伍して、十二分に渡り合える実力者だった。その軽妙な話術に、にょうぼと二人で周りの人もあきれるほど、大声で笑い転げたのをいまでもよーく覚えている。

噺家という呼び方がよく似合う最後の芸人だった。「粗忽長屋」「親子酒」「禁酒番屋」「笠碁」などを生涯、得意演目とした。
豪放磊落な語り口に滑稽味をまぶし、おおらかで、ふくよかな芸の持ち主だったが、とりわけ扇子片手に演じ分ける、「時そば」のそばの食べ方、「試し酒」での酒を飲む仕種は絶品だった。
晩年の高座はセリフを忘れたり、とちったり、周囲をはらはらさせたらしいが、力まず、巧まず、おもねらず、まさに枯淡の芸域に到達していたって評論家は回顧している。

「なーにね、うふん、40歳までに覚えた噺は、思い出して語るまでもなく、自然に口をついて出るもんだ」って語録があるけれど、本当にそうだと思う。
東風とらなんかも、若いときに覚えたことは、身体が、筋肉が、大脳が、舌が、目が、耳が、喉がちゃんと覚えていて、ゴルフにしろカラオケにしろ、旨いものや、名画や音楽、難読漢字や世界各国の首都なんかにしても、、自分の好きなことは本人が驚くほど身についているもんだ。

人間国宝小さんが亡くなって、日本の伝統芸能の継承者がまた一人減ったわけだが、ユネスコが選定する無形世界遺産は1997年より始まり、中国の昆曲など18件とともに、日本では「能楽」が選ばれた。2年に1回の選出基準で、第2回目は三味線音楽の義太夫節に合わせて人形を操作する伝統芸能、「文楽」が推薦された。2年後の推薦は「歌舞伎」となるそうだ。

海路の日和


待てば海路の日和ありって諺あるけれど、非常に含蓄のある言葉だよなあ。語源はどうせ中国なのだろうが、説教臭くなくて好感がもてる字句だと思う。
この諺、正しくは「甘露の日和」といって、甘露は草木を潤す甘い露、すなわち慈雨を指し、それを船出にかけたため、海路と訛ってしまったそうである。

カイロは埃及の首都、ナイル川の肥沃な三角地帯に発展した、アフリカ随一の都会だよね。
クレオパトラのむかしから、時々偉い人がでるお国柄だけど、ナセルにしろサダトにしろ理想に燃えて建国に励んだのに、暗殺されるという悲劇的な最後を遂げてしまった。
長い間、英国の支配化にいたせいか、権謀術数が当たり前の政治情勢下、民族運動の再発が懸念される中で、有能なムバラク大統領の手綱さばきが注目されている。
イスラエルとの関係回復でアラブ諸国からボイコットされた時代も長かったが、サウジとともにアラブ諸国の盟主としての活躍を期待したいものである。

懐炉って懐かしいねえ。むかし暖房がなかった頃、身体を温めるのは、炬燵と湯タンポ、懐炉が必需品だった。炬燵の火は七輪で真っ赤に燃やした豆炭を行火に入れるのだが、火力がよわいのと日保ちが悪いのとで、同じく七厘である程度に熱した練炭を重用するようになった。
学校から帰ると、炬燵の中でおばあちゃんが青い顔をしてぶっ倒れている光景によくでくわした。締め切った窓を開け放ち、炬燵から引っ張り出すと、やがて元気にはなるのだが、不完全燃焼で生じる一酸化中毒になっていたのである。今になって考えると、よくその程度で済んでいたって思う。だって、一つ間違えば火事になるわけだから。火事になれば向こう三軒両隣、ぴたりと軒を接していたから、勢いよく燃えてしまっていただろうに。

ところで懐炉、特殊な灰や軽油などを燃料にして金属製の小さな容器に入れるのだが、回りを布でしっかりと包まないと、ものすごく熱くて、よく火傷した。湯タンポもまさに然り、まわりを包んだ手拭の隙間から容赦なく熱さが肌に当ってきて、好きになれなかった。
懐炉灰って、一体なにを使ったんだろうか、桐灰ってあったけど、あれがそうだッたんかなあ。

回路っていうと、IT革命の申し子、トランジスターからIC、LSIと来て、いまやあの利口で傲慢極まるコンピューターを、手のひらに入るような集積回路が牛耳っているのだから、世の中恐ろしい。ぼくらの時代は回路にメッキ加工し、鉛でコーテイッグした無数のプリント基板を重ねるやり方で作っていたから、なんでもバカでかいハコが必要となり、必然的にでっかいものになっていたんだけどなあ。

海路の日和


待てば海路の日和ありって諺あるけれど、非常に含蓄のある言葉だよなあ。語源はどうせ中国なのだろうが、説教臭くなくて好感がもてる字句だと思う。
この諺、正しくは「甘露の日和」といって、甘露は草木を潤す甘い露、すなわち慈雨を指し、それを船出にかけたため、海路と訛ってしまったそうである。

カイロは埃及の首都、ナイル川の肥沃な三角地帯に発展した、アフリカ随一の都会だよね。
クレオパトラのむかしから、時々偉い人がでるお国柄だけど、ナセルにしろサダトにしろ理想に燃えて建国に励んだのに、暗殺されるという悲劇的な最後を遂げてしまった。
長い間、英国の支配化にいたせいか、権謀術数が当たり前の政治情勢下、民族運動の再発が懸念される中で、有能なムバラク大統領の手綱さばきが注目されている。
イスラエルとの関係回復でアラブ諸国からボイコットされた時代も長かったが、サウジとともにアラブ諸国の盟主としての活躍を期待したいものである。

懐炉って懐かしいねえ。むかし暖房がなかった頃、身体を温めるのは、炬燵と湯タンポ、懐炉が必需品だった。炬燵の火は七輪で真っ赤に燃やした豆炭を行火に入れるのだが、火力がよわいのと日保ちが悪いのとで、同じく七厘である程度に熱した練炭を重用するようになった。
学校から帰ると、炬燵の中でおばあちゃんが青い顔をしてぶっ倒れている光景によくでくわした。締め切った窓を開け放ち、炬燵から引っ張り出すと、やがて元気にはなるのだが、不完全燃焼で生じる一酸化中毒になっていたのである。今になって考えると、よくその程度で済んでいたって思う。だって、一つ間違えば火事になるわけだから。火事になれば向こう三軒両隣、ぴたりと軒を接していたから、勢いよく燃えてしまっていただろうに。

ところで懐炉、特殊な灰や軽油などを燃料にして金属製の小さな容器に入れるのだが、回りを布でしっかりと包まないと、ものすごく熱くて、よく火傷した。湯タンポもまさに然り、まわりを包んだ手拭の隙間から容赦なく熱さが肌に当ってきて、好きになれなかった。
懐炉灰って、一体なにを使ったんだろうか、桐灰ってあったけど、あれがそうだッたんかなあ。

回路っていうと、IT革命の申し子、トランジスターからIC、LSIと来て、いまやあの利口で傲慢極まるコンピューターを、手のひらに入るような集積回路が牛耳っているのだから、世の中恐ろしい。ぼくらの時代は回路にメッキ加工し、鉛でコーテイッグした無数のプリント基板を重ねるやり方で作っていたから、なんでもバカでかいハコが必要となり、必然的にでっかいものになっていたんだけどなあ。

懐かしい香り


久し振り、梅雨の合間の好天気、じっとしてられずに、自転車に飛び乗り駆けずり回ってきた。映画音楽礼賛。思いつくまま印象的だった作品を連ねてみたけど、どうだろか、マンダラケ。ちょっと古すぎるかな?お立会い?

「死刑台のエレベーター」(58)  ルイ・マル監督のドキュメンタリー・タッチ、ジャンヌ・モローのけだるさ、マイルス・デービスの透徹して乾いた音が焦燥感を募る。

「シェルブールの雨傘」(64) ミッシェル・ルグランの音楽をバックに、 カトリーヌ・ドヌーブの繊細で、透き通るような美しさに、ひたすら酔って酔いまくった。

「太陽がいっぱい」(60)ルネ・クレマン描くしろ、しろ、しろ、とにかく白一色の世界。ニーノ・ロータの哀愁を帯びたメロデイ、そして強烈な太陽とニース海岸、ただただ目が眩んだ。

「ライムライト」(52)  クレア・ブルームの可憐な一途さ、チャップリンの過剰なリリシズムに乾杯じゃなくて完敗。この映画、珍優バスター・キートンが出ていたんだよね。

「カサブランカ」(42)  <アズ、タイムズ、ゴー、バイ>とイングリッド・バーグマンの夜蔭からでも浮き出てくる、濡れるような香気。君の瞳に乾杯だなんて気障なセリフ。

「リオ・ブラボー」(59) ハイヌーンとはうって変ったテイオムキンの曲。 毎晩、酒場から流れてくるトランペットの、哀愁を帯びたメロデイ<皆殺しの歌>の物悲しさ、切なさ。

「夏の嵐」(54)  ブルックナーの交響曲第7番、第一楽章で物語が始まり、第四楽章で終わる。ルキノ・ヴィスコンテイにしてはまともだが、とにかく、これでもか、これでもかって、アリダ・ヴァリの美しさだけを見せ、見る映画だった。

「荒野の決闘」(46)  キャシー・ダウンズのクレメンタインが秀抜、素朴な歌いっぷりのアカペラ・コーラスがいい。保安官を演ずるヘンリー・フォンダの長い足と優しい瞳にも乾杯。

「バンドワゴン」(53)  シド・チャリシのながーい、おみ脚には、ただもう茫然自失、唖然とするばかり。フレッド・アステアの素晴らしいタップダンスもろくすっぽ見ていなかった。

「第三の男」(49)  枯れ葉散る参道を歩いてきて、そして遠ざかっていく、カメラは固定されたまま、ツイターの繊細な響き。窓に明りが燈り、漆黒の夜陰にポッと浮かび上がる顔。キャロル・リード、アリダ・ヴァリ、そしてオーソン・ウエールズ。

「恐怖の報酬」(52) ジョルジュ・クルーゾーの矢継ぎ早に仕掛けてくる恐怖の連続に寿命が縮まった。それを嘲笑うように乾いたバックミュージックが流れる。オルフェ、ローマの休日、居酒屋を手掛けた映画音楽の名手、ジョルジュ・オーリックの職人芸も光る。

懐かしい香り


久し振り、梅雨の合間の好天気、じっとしてられずに、自転車に飛び乗り駆けずり回ってきた。映画音楽礼賛。思いつくまま印象的だった作品を連ねてみたけど、どうだろか、マンダラケ。ちょっと古すぎるかな?お立会い?

「死刑台のエレベーター」(58)  ルイ・マル監督のドキュメンタリー・タッチ、ジャンヌ・モローのけだるさ、マイルス・デービスの透徹して乾いた音が焦燥感を募る。

「シェルブールの雨傘」(64) ミッシェル・ルグランの音楽をバックに、 カトリーヌ・ドヌーブの繊細で、透き通るような美しさに、ひたすら酔って酔いまくった。

「太陽がいっぱい」(60)ルネ・クレマン描くしろ、しろ、しろ、とにかく白一色の世界。ニーノ・ロータの哀愁を帯びたメロデイ、そして強烈な太陽とニース海岸、ただただ目が眩んだ。

「ライムライト」(52)  クレア・ブルームの可憐な一途さ、チャップリンの過剰なリリシズムに乾杯じゃなくて完敗。この映画、珍優バスター・キートンが出ていたんだよね。

「カサブランカ」(42)  <アズ、タイムズ、ゴー、バイ>とイングリッド・バーグマンの夜蔭からでも浮き出てくる、濡れるような香気。君の瞳に乾杯だなんて気障なセリフ。

「リオ・ブラボー」(59) ハイヌーンとはうって変ったテイオムキンの曲。 毎晩、酒場から流れてくるトランペットの、哀愁を帯びたメロデイ<皆殺しの歌>の物悲しさ、切なさ。

「夏の嵐」(54)  ブルックナーの交響曲第7番、第一楽章で物語が始まり、第四楽章で終わる。ルキノ・ヴィスコンテイにしてはまともだが、とにかく、これでもか、これでもかって、アリダ・ヴァリの美しさだけを見せ、見る映画だった。

「荒野の決闘」(46)  キャシー・ダウンズのクレメンタインが秀抜、素朴な歌いっぷりのアカペラ・コーラスがいい。保安官を演ずるヘンリー・フォンダの長い足と優しい瞳にも乾杯。

「バンドワゴン」(53)  シド・チャリシのながーい、おみ脚には、ただもう茫然自失、唖然とするばかり。フレッド・アステアの素晴らしいタップダンスもろくすっぽ見ていなかった。

「第三の男」(49)  枯れ葉散る参道を歩いてきて、そして遠ざかっていく、カメラは固定されたまま、ツイターの繊細な響き。窓に明りが燈り、漆黒の夜陰にポッと浮かび上がる顔。キャロル・リード、アリダ・ヴァリ、そしてオーソン・ウエールズ。

「恐怖の報酬」(52) ジョルジュ・クルーゾーの矢継ぎ早に仕掛けてくる恐怖の連続に寿命が縮まった。それを嘲笑うように乾いたバックミュージックが流れる。オルフェ、ローマの休日、居酒屋を手掛けた映画音楽の名手、ジョルジュ・オーリックの職人芸も光る。

ひつまぶし


久し振りに築地の老舗名店、宮川本圃でウナ重を食したが、下町の色濃い店のただづまいとお客の落ち着いた雰囲気には魅了させられた。ウナ重が旨かったのは改めていうまでもないことだが、口に入れると、とろけるような食感と薫り高いサンショとのハーモニーは絶品だった。
注文が入ってからウナギを捌くから、1時間ほど待つのが辛いけど、期待に胸躍らせ、うさくやキモ焼きで一杯やりながら、出来上がりを待つのも乙なもんである。

尾張名古屋は城で持つとよくいわれるが、名古屋には独特の食文化が発達していて、江戸前とは違うし、上方風とは違う、いってみれば、なんか中途半端だけど庶民的、その割にはあくの強いしつっこい食べ物が多い。きしめんやういろうはあっさりした食べ物だが、八丁味噌をふんだんに使った味噌煮込みうどんや味噌かつだとか、豚足など、確かに旨いもんだが、まんたび出てくると、もう見るだけでゲッソリしそうなものも多い。櫃まぶしもそうした食べ物の一つで、名古屋に半年ぐらい住んでいたこともあるが、ついぞ一回も食べたことがなかった。

櫃まぶしはタレをつけて焼き、刻んだウナギを、櫃(ひつ)に入れたご飯に載せた料理で、食べる時にご飯とウナギを混ぜて「まぶす」ことからこの名前がついた。茶わんによそって1杯目はそのまま、2杯目はネギやアサツキ、ワサビ、ノリの薬味を加えて、3杯目はだしやお茶をかけてお茶漬けにして食べる。明治の終わりごろに考案されたといわれる。

その、櫃まぶしが全国規模でブームとなっているようだ。日本各地に広がり、ローカル色豊かにアレンジされ、独自の風味を加味して好評を博している。一品で、うな重、混ぜご飯、お茶漬けの三つの味を楽しめる「お値打ち」感覚が受けているのだろうか。東京では関東風に味付けされたものや、石焼き風にアレンジされて、新たな蒲焼きファンの掘り起こしに貢献しているらしい。

東京には、浅草の「うな鉄」が「浅草ひつまぶし」(1500円)を5年ほど前に、客の要望で作り始めた。やや薄味の関東風のタレに大葉の組み合わせであっさりしていて、一方、昆布とカツオを合わせただしは、そのまま吸い物にもなるしっかりした味で、「あっさり」と「しっかり」が、お茶漬けでちょうど良い味わいになる。1年ほど前から雑誌やテレビで取り上げられ、土曜・日曜には行列ができることもある。2人、3人用桶もあり、なべのようにワイワイ言いながら食べる。

恵比寿のレストランバー「ゼットン」には「うなぎの石焼きまぶし」(1200円)がある。系列に韓国料理店があることから、石焼きを思いついたそうだ。混ぜるときのジュージューという音や香ばしいにおい、お焦げのカリッとした歯ごたえが楽しみに加わる。一番人気のメニューとなり、昨夏の「土用の丑の日」から名古屋・栄の本店に逆輸入されている。

ひつまぶし


久し振りに築地の老舗名店、宮川本圃でウナ重を食したが、下町の色濃い店のただづまいとお客の落ち着いた雰囲気には魅了させられた。ウナ重が旨かったのは改めていうまでもないことだが、口に入れると、とろけるような食感と薫り高いサンショとのハーモニーは絶品だった。
注文が入ってからウナギを捌くから、1時間ほど待つのが辛いけど、期待に胸躍らせ、うさくやキモ焼きで一杯やりながら、出来上がりを待つのも乙なもんである。

尾張名古屋は城で持つとよくいわれるが、名古屋には独特の食文化が発達していて、江戸前とは違うし、上方風とは違う、いってみれば、なんか中途半端だけど庶民的、その割にはあくの強いしつっこい食べ物が多い。きしめんやういろうはあっさりした食べ物だが、八丁味噌をふんだんに使った味噌煮込みうどんや味噌かつだとか、豚足など、確かに旨いもんだが、まんたび出てくると、もう見るだけでゲッソリしそうなものも多い。櫃まぶしもそうした食べ物の一つで、名古屋に半年ぐらい住んでいたこともあるが、ついぞ一回も食べたことがなかった。

櫃まぶしはタレをつけて焼き、刻んだウナギを、櫃(ひつ)に入れたご飯に載せた料理で、食べる時にご飯とウナギを混ぜて「まぶす」ことからこの名前がついた。茶わんによそって1杯目はそのまま、2杯目はネギやアサツキ、ワサビ、ノリの薬味を加えて、3杯目はだしやお茶をかけてお茶漬けにして食べる。明治の終わりごろに考案されたといわれる。

その、櫃まぶしが全国規模でブームとなっているようだ。日本各地に広がり、ローカル色豊かにアレンジされ、独自の風味を加味して好評を博している。一品で、うな重、混ぜご飯、お茶漬けの三つの味を楽しめる「お値打ち」感覚が受けているのだろうか。東京では関東風に味付けされたものや、石焼き風にアレンジされて、新たな蒲焼きファンの掘り起こしに貢献しているらしい。

東京には、浅草の「うな鉄」が「浅草ひつまぶし」(1500円)を5年ほど前に、客の要望で作り始めた。やや薄味の関東風のタレに大葉の組み合わせであっさりしていて、一方、昆布とカツオを合わせただしは、そのまま吸い物にもなるしっかりした味で、「あっさり」と「しっかり」が、お茶漬けでちょうど良い味わいになる。1年ほど前から雑誌やテレビで取り上げられ、土曜・日曜には行列ができることもある。2人、3人用桶もあり、なべのようにワイワイ言いながら食べる。

恵比寿のレストランバー「ゼットン」には「うなぎの石焼きまぶし」(1200円)がある。系列に韓国料理店があることから、石焼きを思いついたそうだ。混ぜるときのジュージューという音や香ばしいにおい、お焦げのカリッとした歯ごたえが楽しみに加わる。一番人気のメニューとなり、昨夏の「土用の丑の日」から名古屋・栄の本店に逆輸入されている。

マゴ


今回のワールドカップでは、試合開始前、選手全員が黄色いユニフォームを着たコドモ達と手をつないで入場しているが、あの行事にはそれなりの理由があるようだ。
あの行事はユニセフ(UNICEF:国連児童基金)が今回のワールドカップで「Say Yes for Children」キャンペーンの一環として行っているものなのだそうだ。
ユニフォームにはユニセフのマークと「Say Yes for Children」というメッセージが入ってるので、次ぎの試合で選手の入場の時に、是非チェックして見ようと思っている
元々、サッカーのクラブチームは地域に根差したものであるため、Jリーグや海外のクラブチームの試合でも入場時には近隣の小学生を招待していることもその根底にあるようだ。

先日の米寿の会でも2歳そこそこのサヤカチャンがその可愛らしさで、全員の注目を集めたけど、子供っていうのは、少ないボキャブラリーで人に指図する傲慢さが気には障るけど、可愛いもんだ。サヤカチャンの両親ときた日には、もうメロメロのコンコンチキ、この世界にはサヤカチャンしかいないみたいな異空間の世界、目尻はタレ下がり、ほっぺたは緩みっぱなし、口からはよだれを垂れ流し(ちょっとオーバー表現)、声は上ずっちゃうしって状態だ。
これは悪口を言ってるのではなく、8月には我が家にも待望の初孫、それも女の子が誕生するわけで、そうなったら自分達も、とりわけ東風とらがそんな状態に陥るのは目に見えているだけに、嬉し恥ずかし銀座の柳って醜態を演じそうなのが嫌なんだなあ。
ジージって奴が親の捕食範囲には絶対に入っちゃいけない鉄則は厳然とあるわけで、その辺も、自分勝手な東風とらには辛くて忸怩たる物になりそうで、些か憂鬱な気分になっちまう。

義理の弟には3人の息子がいるけど、宮崎にいる1人を除き、週末ともなると、入れ替わり立ち代り、息子達が親子連れで出現し、それはもう最高の嬉野世界が現出しているそうだが、我が家もそうなるんだろうか。それはそれでものすごく嬉しいことなんだろうが、閑人のジイジはAIIWAY・OKなんだけど、バーバの肉体的、精神的な負担は大変なようで、職を持っていて多忙な上に腰痛、非力なうちのにょうぼにはかなりきついことになりそうだな。
それに、おいしいとこしかつままない、嫌なことはやんないっていう、昔からの東風とらの習性は簡単に直る筈もないし、やっぱバーバの負担はこりゃ大変なものになりそうだ。

まあ、それも本音でいえば嬉しい悲鳴、孫のためならエーンヤコラ、おかげで天国と地獄を一遍に味わえるわけで、とっても贅沢な悩みなのかもしれないね。
マゴマゴしてたら遅刻しちゃった、とか孫の手とか、馬子、紛ごうことなき、なんて同音異語は少ないけど、系統の子供って字の通り、自分の血筋をひいた孫の誕生は待ち遠しい。

マゴ


今回のワールドカップでは、試合開始前、選手全員が黄色いユニフォームを着たコドモ達と手をつないで入場しているが、あの行事にはそれなりの理由があるようだ。
あの行事はユニセフ(UNICEF:国連児童基金)が今回のワールドカップで「Say Yes for Children」キャンペーンの一環として行っているものなのだそうだ。
ユニフォームにはユニセフのマークと「Say Yes for Children」というメッセージが入ってるので、次ぎの試合で選手の入場の時に、是非チェックして見ようと思っている
元々、サッカーのクラブチームは地域に根差したものであるため、Jリーグや海外のクラブチームの試合でも入場時には近隣の小学生を招待していることもその根底にあるようだ。

先日の米寿の会でも2歳そこそこのサヤカチャンがその可愛らしさで、全員の注目を集めたけど、子供っていうのは、少ないボキャブラリーで人に指図する傲慢さが気には障るけど、可愛いもんだ。サヤカチャンの両親ときた日には、もうメロメロのコンコンチキ、この世界にはサヤカチャンしかいないみたいな異空間の世界、目尻はタレ下がり、ほっぺたは緩みっぱなし、口からはよだれを垂れ流し(ちょっとオーバー表現)、声は上ずっちゃうしって状態だ。
これは悪口を言ってるのではなく、8月には我が家にも待望の初孫、それも女の子が誕生するわけで、そうなったら自分達も、とりわけ東風とらがそんな状態に陥るのは目に見えているだけに、嬉し恥ずかし銀座の柳って醜態を演じそうなのが嫌なんだなあ。
ジージって奴が親の捕食範囲には絶対に入っちゃいけない鉄則は厳然とあるわけで、その辺も、自分勝手な東風とらには辛くて忸怩たる物になりそうで、些か憂鬱な気分になっちまう。

義理の弟には3人の息子がいるけど、宮崎にいる1人を除き、週末ともなると、入れ替わり立ち代り、息子達が親子連れで出現し、それはもう最高の嬉野世界が現出しているそうだが、我が家もそうなるんだろうか。それはそれでものすごく嬉しいことなんだろうが、閑人のジイジはAIIWAY・OKなんだけど、バーバの肉体的、精神的な負担は大変なようで、職を持っていて多忙な上に腰痛、非力なうちのにょうぼにはかなりきついことになりそうだな。
それに、おいしいとこしかつままない、嫌なことはやんないっていう、昔からの東風とらの習性は簡単に直る筈もないし、やっぱバーバの負担はこりゃ大変なものになりそうだ。

まあ、それも本音でいえば嬉しい悲鳴、孫のためならエーンヤコラ、おかげで天国と地獄を一遍に味わえるわけで、とっても贅沢な悩みなのかもしれないね。
マゴマゴしてたら遅刻しちゃった、とか孫の手とか、馬子、紛ごうことなき、なんて同音異語は少ないけど、系統の子供って字の通り、自分の血筋をひいた孫の誕生は待ち遠しい。
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