コジゼラ

よもやま話を雑文で

2002年10月

鎮魂曲


レクイエムやミサ曲など宗教音楽っていうと、大作曲家がこぞって手掛けてきた分野で、バッハからモーツアルト、ベートーベン、ブラームスなどがシンフォニー、ソリスト、コーラスなどを一体にした、壮大な曲を作曲している。遂には歌劇の王様、ヴェルデイまでが取り上げてしまったほど、西洋の作曲家にとっては超魅力的な存在らしい。

学生時代に歌った「森の歌」や「四季」も同じような構成だったけど、死者の霊を鎮魂するって曲だとかミサ曲じゃあなかった。
早混が初めてレクイエムを取り上げたのは、フォーレの「レクイエム」だったけど、それまでサボっていたツケが諸に来て、単位取りに必死だったから、合唱どころじゃないって追い詰められており、演奏会で歌うという経験を逸してしまった。以来、レクイエムはおろか合唱とも全く縁なき衆生といった有様で、数年前まで絶縁状態のマンマ、弱いじゃなくて齢を重ねてきてしまった。

そんなわけで、クラシック音楽の中でも、レクイエムって奴は、東風とらにとっては、まるでエイリアンみたいなもので、馴染みを欠いていた。
コーラスブームで、何度かお誘いを受けたんだが、聴く気もないし、聞きたくもない。キリスト教徒でもないのに、分かりもしないラテン語で死者の魂を鎮魂する歌を聞いたってどうしようもない。自分の魂を鎮魂することだってできないのに、他人の魂を鎮魂するなんておこがましい。

なんていっちゃうと、にょうぼを始め周囲でコーラス活動を熱心にやってる連中から猛抗議を受けそうだけど、東風とら、すっかり堕落しちゃって世俗まみれになってるから、いまいち逆風に乗れそうもない。

そんなわけで、レクイエムって滅多に聴いたことはないんだけど、にょうぼによれば、モーツアルトのレクイエムは魂が凍るような名曲だそうで、一方、ヴェルデイのレクイエムはまるで歌劇のように、ど派手で死者の魂を起こしてしまうような賑やかさだそうだ。どちらにしろ、レクイエムは歌劇のレシタテイーボといえる、ト書の独唱が延々と続くのが苦手なんだよなあ。

来月、友人が出演するベルレクを聴きに行くんだけど、それだけうるさい曲なら、居眠りしないで済みそうで、まっこと有難い次第である。

鎮魂曲


レクイエムやミサ曲など宗教音楽っていうと、大作曲家がこぞって手掛けてきた分野で、バッハからモーツアルト、ベートーベン、ブラームスなどがシンフォニー、ソリスト、コーラスなどを一体にした、壮大な曲を作曲している。遂には歌劇の王様、ヴェルデイまでが取り上げてしまったほど、西洋の作曲家にとっては超魅力的な存在らしい。

学生時代に歌った「森の歌」や「四季」も同じような構成だったけど、死者の霊を鎮魂するって曲だとかミサ曲じゃあなかった。
早混が初めてレクイエムを取り上げたのは、フォーレの「レクイエム」だったけど、それまでサボっていたツケが諸に来て、単位取りに必死だったから、合唱どころじゃないって追い詰められており、演奏会で歌うという経験を逸してしまった。以来、レクイエムはおろか合唱とも全く縁なき衆生といった有様で、数年前まで絶縁状態のマンマ、弱いじゃなくて齢を重ねてきてしまった。

そんなわけで、クラシック音楽の中でも、レクイエムって奴は、東風とらにとっては、まるでエイリアンみたいなもので、馴染みを欠いていた。
コーラスブームで、何度かお誘いを受けたんだが、聴く気もないし、聞きたくもない。キリスト教徒でもないのに、分かりもしないラテン語で死者の魂を鎮魂する歌を聞いたってどうしようもない。自分の魂を鎮魂することだってできないのに、他人の魂を鎮魂するなんておこがましい。

なんていっちゃうと、にょうぼを始め周囲でコーラス活動を熱心にやってる連中から猛抗議を受けそうだけど、東風とら、すっかり堕落しちゃって世俗まみれになってるから、いまいち逆風に乗れそうもない。

そんなわけで、レクイエムって滅多に聴いたことはないんだけど、にょうぼによれば、モーツアルトのレクイエムは魂が凍るような名曲だそうで、一方、ヴェルデイのレクイエムはまるで歌劇のように、ど派手で死者の魂を起こしてしまうような賑やかさだそうだ。どちらにしろ、レクイエムは歌劇のレシタテイーボといえる、ト書の独唱が延々と続くのが苦手なんだよなあ。

来月、友人が出演するベルレクを聴きに行くんだけど、それだけうるさい曲なら、居眠りしないで済みそうで、まっこと有難い次第である。

弱いライオン

遅すぎた春って言葉はあるけれど、遅すぎた秋っていうのは、いまいちピンとこないなあ。そんなわけで、やっと日本シリーズが始まった。
ところがナンタルチア、解説がもったいぶってて嫌味たっぷり、大嫌いな江川卓と意味不明な怪しげな言語を操る長嶋前監督っていう、史上最悪のコンビだっていうから、もう端からしらけちゃって、早々にテレビの音声を消して、無音で画面を見る破目になってしまった。
これで丸々と太り返り、明らかに調整不足を思わせる、西武の松坂にジャイアンツ打線が押さえ込まれでもしたら、もう画面を消すしかないなあ。

音を消してインターネットしていたら、何時の間にかジャイアンツが4点先取していた。まったく間抜けな話だが、悪い気がしないでもない。もっとも
清原の特大ホームランはビデオでじっくりと拝見させてもらったけどね。
立ち上がり不安定だった上原が尻上りに小気味良い投球を披露し完投、清原の凄味あるカリスマ性の発揮と併せて、難なく緒戦を勝ち上がった。
なんといっても、デーブ松坂を3回でノックアウトしたのは気分がいい。
気になるのは相変らずチャンスに弱い松井と、シーズン中の不調を未だに引きずっている江藤と仁志の3人だ。

第2戦は桑田の老獪な投球術がどのくらい西武に通用するのかが見ものだが、第1戦の反省からテレビの音は完全には消さないことにしよう。

孫をあやしながらの観戦だったので、上の空で見ていたが、音を小さくしていたから、ジャイアンツの猛攻はしっかりと見届けた。清原は無音だったけど松井は3安打、清水、二岡ら1-2番打者の好調が目立つ。
あまりの楽勝振りに拍子抜け、戸惑いの気持ちは拭いきれないんだなあ。

第三戦は工藤の登場だが、早い回に不用意な投球で点を与える悪癖があり、セットアッパーが弱体だけに、早めの得点が欲しいところだ。

またしてもジャイアンツの楽勝ペース、4回までに清原のソロ、そしてニ岡の満塁ホームランが飛び出して、興味も半減、ラインオズの余りの不甲斐なさにチャンネルをさんま御殿に切り替えてしまったが、もう結果を見る必要もないだろうな。江藤と仁志の不調は気にはなるが、このまま行けば、早くも明日は王手で、ジャイアンツの4連勝というさえない結果となるか。

5回表でまたもや、2対0でジャインツがリードしている。このまま行ってしまいそうで、どうやら早々とビールかけが見られそう?

弱いライオン

遅すぎた春って言葉はあるけれど、遅すぎた秋っていうのは、いまいちピンとこないなあ。そんなわけで、やっと日本シリーズが始まった。
ところがナンタルチア、解説がもったいぶってて嫌味たっぷり、大嫌いな江川卓と意味不明な怪しげな言語を操る長嶋前監督っていう、史上最悪のコンビだっていうから、もう端からしらけちゃって、早々にテレビの音声を消して、無音で画面を見る破目になってしまった。
これで丸々と太り返り、明らかに調整不足を思わせる、西武の松坂にジャイアンツ打線が押さえ込まれでもしたら、もう画面を消すしかないなあ。

音を消してインターネットしていたら、何時の間にかジャイアンツが4点先取していた。まったく間抜けな話だが、悪い気がしないでもない。もっとも
清原の特大ホームランはビデオでじっくりと拝見させてもらったけどね。
立ち上がり不安定だった上原が尻上りに小気味良い投球を披露し完投、清原の凄味あるカリスマ性の発揮と併せて、難なく緒戦を勝ち上がった。
なんといっても、デーブ松坂を3回でノックアウトしたのは気分がいい。
気になるのは相変らずチャンスに弱い松井と、シーズン中の不調を未だに引きずっている江藤と仁志の3人だ。

第2戦は桑田の老獪な投球術がどのくらい西武に通用するのかが見ものだが、第1戦の反省からテレビの音は完全には消さないことにしよう。

孫をあやしながらの観戦だったので、上の空で見ていたが、音を小さくしていたから、ジャイアンツの猛攻はしっかりと見届けた。清原は無音だったけど松井は3安打、清水、二岡ら1-2番打者の好調が目立つ。
あまりの楽勝振りに拍子抜け、戸惑いの気持ちは拭いきれないんだなあ。

第三戦は工藤の登場だが、早い回に不用意な投球で点を与える悪癖があり、セットアッパーが弱体だけに、早めの得点が欲しいところだ。

またしてもジャイアンツの楽勝ペース、4回までに清原のソロ、そしてニ岡の満塁ホームランが飛び出して、興味も半減、ラインオズの余りの不甲斐なさにチャンネルをさんま御殿に切り替えてしまったが、もう結果を見る必要もないだろうな。江藤と仁志の不調は気にはなるが、このまま行けば、早くも明日は王手で、ジャイアンツの4連勝というさえない結果となるか。

5回表でまたもや、2対0でジャインツがリードしている。このまま行ってしまいそうで、どうやら早々とビールかけが見られそう?

種付け


秋のクラシック路線の第一弾、秋華賞はファインモーションの圧倒的な勝利で終わったが、久々に待望のヒロインが登場してきたような気がする。
父親が凱旋門賞馬、デインヒルだということも喜ばしい事だ。
競馬界は、ここ数年に渉り、社台グループ擁するサンデーサイレンスの独壇場となっていたが、そのSSの突然死により、俄然牡牡馬の世界は波乱模様となってきた。従来の停滞状況を打破する絶好の環境である。

続く菊花賞はゲートが空いた途端、本命馬に騎乗の武豊騎手が落馬、9番人気、12番人気馬が1-2着し、馬単18万円、3連復34万円を越える大波乱となった。豊神話が壊れ、111億円が一瞬にしてパーでんねん。
中山で行われた天皇賞は3歳馬、シンボリクリスエスが余裕で圧勝した。

これからエリザベス女王杯、ジャパンカップ、有馬記念とビッグレースが目白押しに続くわけだが、秋の日の釣瓶落しのように、あっという間に年の暮れを迎えてしまう。この時期になるといつも、そんな季節になってしまったんだという感傷ばかりが強く残ってしまうのだ。

一方、馬主たちは持ち馬がちょっとでも強くなると、サッサと引退させ種牡馬に転用してしまう。現役で走らせて怪我でもしたら、元も子もないという理由とともに、種牡馬として当たれば、長期に渉って高額の種付け料を手にすることが出来るからである。現に有名種牡馬なんか、年に300回以上も種付させられている現状だ。

レースよりも金儲けといった馬主たちの間違った姿勢が、強い馬の出現を阻み、競馬を低迷させているのは自明の理である。世の中バブルが弾けたというのに、競馬界特に種牡馬の世界では、未だにバブル景気を保っていること自体、おかしな現象で、そんなことが長続きしないていうことは、決して終焉などあるはずがないと思われた、IT業界を襲った空前のバブル崩壊を見ても分かるとおりである。

一刻も早く、バブルの夢を捨て去って、地道な原点に立ち返リ、切磋琢磨してほしいなって念じてるけど、欲の皮の突っ張っている連中が、農林省、JRA、馬主、ブリーダーに散在している現状を見るにつけ、無理だろうなって感じるし、かくして競馬界は間違いなく破滅への道を歩み続けるのだ。

種付け


秋のクラシック路線の第一弾、秋華賞はファインモーションの圧倒的な勝利で終わったが、久々に待望のヒロインが登場してきたような気がする。
父親が凱旋門賞馬、デインヒルだということも喜ばしい事だ。
競馬界は、ここ数年に渉り、社台グループ擁するサンデーサイレンスの独壇場となっていたが、そのSSの突然死により、俄然牡牡馬の世界は波乱模様となってきた。従来の停滞状況を打破する絶好の環境である。

続く菊花賞はゲートが空いた途端、本命馬に騎乗の武豊騎手が落馬、9番人気、12番人気馬が1-2着し、馬単18万円、3連復34万円を越える大波乱となった。豊神話が壊れ、111億円が一瞬にしてパーでんねん。
中山で行われた天皇賞は3歳馬、シンボリクリスエスが余裕で圧勝した。

これからエリザベス女王杯、ジャパンカップ、有馬記念とビッグレースが目白押しに続くわけだが、秋の日の釣瓶落しのように、あっという間に年の暮れを迎えてしまう。この時期になるといつも、そんな季節になってしまったんだという感傷ばかりが強く残ってしまうのだ。

一方、馬主たちは持ち馬がちょっとでも強くなると、サッサと引退させ種牡馬に転用してしまう。現役で走らせて怪我でもしたら、元も子もないという理由とともに、種牡馬として当たれば、長期に渉って高額の種付け料を手にすることが出来るからである。現に有名種牡馬なんか、年に300回以上も種付させられている現状だ。

レースよりも金儲けといった馬主たちの間違った姿勢が、強い馬の出現を阻み、競馬を低迷させているのは自明の理である。世の中バブルが弾けたというのに、競馬界特に種牡馬の世界では、未だにバブル景気を保っていること自体、おかしな現象で、そんなことが長続きしないていうことは、決して終焉などあるはずがないと思われた、IT業界を襲った空前のバブル崩壊を見ても分かるとおりである。

一刻も早く、バブルの夢を捨て去って、地道な原点に立ち返リ、切磋琢磨してほしいなって念じてるけど、欲の皮の突っ張っている連中が、農林省、JRA、馬主、ブリーダーに散在している現状を見るにつけ、無理だろうなって感じるし、かくして競馬界は間違いなく破滅への道を歩み続けるのだ。

丁寧そうな言葉


天気晴朗にして波立たず、そして天高く馬肥ゆる秋、きょうは素晴らしい秋晴れの一日だった。
最近、街で気になるのが、「意味不明の言い回し」である。例えば、なんでもかんでも「……のほう」とつけるという風潮だ。レジのやりとりで「1万円からお預かりします」と言われ、この「から」が気になるという人も多い。「……になります」も、気にしだすとすごく気になってくる。

喫茶店に入ってから出るまでの例を述べてみる。かっこ内はビートたけしか爆笑問題・太田光風の、心の中のツッコミである。
「コーヒーのほう、ホットにしますか?」(コーヒーしか頼んでねえんだよ。コーヒーじゃないほうって、あるのかよ。)
「お待たせしました。こちら、コーヒーになります」(コーヒーになる前はなんだったんだよ。それとも、これはまだコーヒーじゃなくて、待っていると目の前で徐々にコーヒーになるのかよ。)
「630円になります。1000円からお預かりいたします」(1000円から何を預かるんだよ。預かるってことは、後で返してくれるのかよ。)

また「……でよろしかったでしょうか?」という言い方には、どうしても慣れない。いきなり過去形で訊かれるたびに、違和感を覚えてしまう。
いま頼んでいるのに、いきなり過去形で訊かれてしまうのだ。
「〜してください」というていねいな命令形の代わりに、「〜していただいてよろしかったでしょうか?」なんてのもある。

この不思議な言い回しについては、面白い説がある。
もともと、英語などでは、過去形や仮定法を使うことで丁寧な言い回しになるという表現がある。若者言葉(あるいは最近の店員言葉?)の「よろしかったでしょうか?」という過去形は、この Would you mind 〜? に近いものではないか、という説だ。この説は非常に説得力がある。何故なら、このような誤った丁寧語を使い始めたのは、外資系のマクドナルドだ。
日本進出の際の英文マニュアルを、日本人スタッフが恐らく忠実に翻訳してしまったに違いない。想像力を欠く日本人特有の勤勉さが仇となった直訳だったのである。

後追いするファーストフード店はすべて先行するマックの真似をする。当然言葉遣いもそれが正しいものと盲信し、徹底的なマニュアルを作り社員教育を行う。かくして、日本全国に怪しげな丁寧語が氾濫していったのだ。
そうだ、絶対そうに違いない。

丁寧そうな言葉


天気晴朗にして波立たず、そして天高く馬肥ゆる秋、きょうは素晴らしい秋晴れの一日だった。
最近、街で気になるのが、「意味不明の言い回し」である。例えば、なんでもかんでも「……のほう」とつけるという風潮だ。レジのやりとりで「1万円からお預かりします」と言われ、この「から」が気になるという人も多い。「……になります」も、気にしだすとすごく気になってくる。

喫茶店に入ってから出るまでの例を述べてみる。かっこ内はビートたけしか爆笑問題・太田光風の、心の中のツッコミである。
「コーヒーのほう、ホットにしますか?」(コーヒーしか頼んでねえんだよ。コーヒーじゃないほうって、あるのかよ。)
「お待たせしました。こちら、コーヒーになります」(コーヒーになる前はなんだったんだよ。それとも、これはまだコーヒーじゃなくて、待っていると目の前で徐々にコーヒーになるのかよ。)
「630円になります。1000円からお預かりいたします」(1000円から何を預かるんだよ。預かるってことは、後で返してくれるのかよ。)

また「……でよろしかったでしょうか?」という言い方には、どうしても慣れない。いきなり過去形で訊かれるたびに、違和感を覚えてしまう。
いま頼んでいるのに、いきなり過去形で訊かれてしまうのだ。
「〜してください」というていねいな命令形の代わりに、「〜していただいてよろしかったでしょうか?」なんてのもある。

この不思議な言い回しについては、面白い説がある。
もともと、英語などでは、過去形や仮定法を使うことで丁寧な言い回しになるという表現がある。若者言葉(あるいは最近の店員言葉?)の「よろしかったでしょうか?」という過去形は、この Would you mind 〜? に近いものではないか、という説だ。この説は非常に説得力がある。何故なら、このような誤った丁寧語を使い始めたのは、外資系のマクドナルドだ。
日本進出の際の英文マニュアルを、日本人スタッフが恐らく忠実に翻訳してしまったに違いない。想像力を欠く日本人特有の勤勉さが仇となった直訳だったのである。

後追いするファーストフード店はすべて先行するマックの真似をする。当然言葉遣いもそれが正しいものと盲信し、徹底的なマニュアルを作り社員教育を行う。かくして、日本全国に怪しげな丁寧語が氾濫していったのだ。
そうだ、絶対そうに違いない。

こども


最近、少年と称する輩の大人でさえ目を背けるような残虐な犯罪が目立っているが、一体少年ってなんだろうか。大人という言葉に対する単なる少年って呼称は時代と共に変えていかなきゃいけない節目にあるんじゃないかって痛感する。礼節とか、道徳とか、親への尊敬とか、社会秩序とか、教育とか、夢とか希望とかは、いったいどこへ行ってしまったんだろうか。

新聞では学校教育法に基づいて、小学生を児童、中高生を生徒、大学生を学生と書き分けているが、肝心かなめの児童には、法律上では様々の年齢が当てはめられていて、非常に分かりにくい。
労働基準法は15歳を過ぎて最初の3月31日までを、児童福祉法は18歳未満を、道路交通法は6歳以上13歳未満を児童と呼んでいる。
いまでは一般的には、児童をこどもと呼ぶことが定着しているようだ。

東風とらガキの頃、大人って凄く恐い存在だったし、とりわけ先生と名のつく大人たちは神様のような存在だった。先生に怒られると震え上がっちゃうし、一寸でも誉められでもしたもんなら、それこそ天にも上るような気持ちになった。近所にはカミナリ親父やデシャバリ婆あが必ず鎮座ましましていて、よく怒鳴られたり、ひっぱたかれたりしてたけど、本音は親切で、色々世間のことやしきたりを教えてもらったりした。
ガキだとかジャリンコって言葉は下町独特のぬくもりだった。
井戸端会議、おかずの遣り取り、到来物の分け合い、向こう3軒両隣は、まるで親戚のような付き合いだった。

ガキどもはいつも路地裏に群がっていて、ベーゴマやメンコ、ビーダマ、オシクラマンジュウ、オニゴッコ、ウマトビ、タケウマなどを繰り返す。
野っ原に出掛ければ、糯をつばでたっぷりと練り上げた棒を振り回しちゃ、トンボやセミを追い回し、手作りのグローブとボールで草野球(といっても三角ベースだったけど)に興じたもんだった。

東風とら世代には、そのようなノスタルジーがあったけど、いまの少年達には友達との連帯感を示すものは、閉ざされた携帯電話やメールしかなくて、塾通い、プレステーション、親との断絶など、振り返っても心の通い合うものが何もない、っていうのが大きな障害になってるのんだろうかな。

こども


最近、少年と称する輩の大人でさえ目を背けるような残虐な犯罪が目立っているが、一体少年ってなんだろうか。大人という言葉に対する単なる少年って呼称は時代と共に変えていかなきゃいけない節目にあるんじゃないかって痛感する。礼節とか、道徳とか、親への尊敬とか、社会秩序とか、教育とか、夢とか希望とかは、いったいどこへ行ってしまったんだろうか。

新聞では学校教育法に基づいて、小学生を児童、中高生を生徒、大学生を学生と書き分けているが、肝心かなめの児童には、法律上では様々の年齢が当てはめられていて、非常に分かりにくい。
労働基準法は15歳を過ぎて最初の3月31日までを、児童福祉法は18歳未満を、道路交通法は6歳以上13歳未満を児童と呼んでいる。
いまでは一般的には、児童をこどもと呼ぶことが定着しているようだ。

東風とらガキの頃、大人って凄く恐い存在だったし、とりわけ先生と名のつく大人たちは神様のような存在だった。先生に怒られると震え上がっちゃうし、一寸でも誉められでもしたもんなら、それこそ天にも上るような気持ちになった。近所にはカミナリ親父やデシャバリ婆あが必ず鎮座ましましていて、よく怒鳴られたり、ひっぱたかれたりしてたけど、本音は親切で、色々世間のことやしきたりを教えてもらったりした。
ガキだとかジャリンコって言葉は下町独特のぬくもりだった。
井戸端会議、おかずの遣り取り、到来物の分け合い、向こう3軒両隣は、まるで親戚のような付き合いだった。

ガキどもはいつも路地裏に群がっていて、ベーゴマやメンコ、ビーダマ、オシクラマンジュウ、オニゴッコ、ウマトビ、タケウマなどを繰り返す。
野っ原に出掛ければ、糯をつばでたっぷりと練り上げた棒を振り回しちゃ、トンボやセミを追い回し、手作りのグローブとボールで草野球(といっても三角ベースだったけど)に興じたもんだった。

東風とら世代には、そのようなノスタルジーがあったけど、いまの少年達には友達との連帯感を示すものは、閉ざされた携帯電話やメールしかなくて、塾通い、プレステーション、親との断絶など、振り返っても心の通い合うものが何もない、っていうのが大きな障害になってるのんだろうかな。
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