コジゼラ

よもやま話を雑文で

2003年07月

縁かいな


長年、日本人として生きてきて、漢字の類には異常に執着があるけれど、日本固有の文化である短歌、俳句などの文字文化にはちっとも興味がなかった。だから新聞雑誌を呼んでいても、その種の項目は無縁なものとしていつも素通りしていた。先日、そんな欄を当然のようにめくろうとしたら「上野とんかつのこと」って文字が目に飛び込んできた。短歌の欄だったが、そんなとこでトンカツなんて言葉が飛び出すこと自体面妖なことだったから、思わず読んでしまった。

これが面白いのである。嬉しいのである。懐かしいのである。作者は池田はるみという妙齢?の歌人だそうだが、それ(女性っていうこと)だからこそ楽しいのである。へえ、こんなつまらないこと、っていうか普段のことでも歌に読めるんだってことと、作者のトンカツへの異常な執着心に対して、「畏れ入谷の鬼子母神」なののである。そういえば先週だったか、入谷の鬼子母神で下町恒例の「ほうずき市」が開かれたって、新聞に写真入で出ていたっけなあ。

以下、何首か羅列してみる。

とんかつは 上野の路地に黄金の あなうつくしき あぶらが揚げる

とんかつを求めて さすらう初夏や 広小路より ふいと曲がりて

「ポンた」ここ。どっしりとした木のドアが 美味を守りて 聳ゆるやうだ

ぶあつくてさっくり食らふ とんかつに 千切りキャベツの水も漏らさぬ

「蓬莱」は 暖簾を分けて 小さなる角の間口を からから開ける

夏の世は「双葉」に出会ふ 提灯のかかる 園芸場の隣に

50過ぎのおばさんがひたすら純粋にとんかつを求めて上野界隈をさ迷い歩き、それを五七五七七に歌い上げる。そのおおらかさと健全な胃袋に拍手喝采するしかない。いっぱしのグルメ通としていわせてもらえば、おいおい、もっと美味いトンカツ屋なんて、たくさんあるよって教えてあげたい気がする。

個人的には上野界隈のトンカツはややしつっこい気がして、あんまり好みではないのだが、味よりもその庶民的な風土を愛しているのかもしれないしね。松坂屋裏の「蓬莱屋」はあの小津安二郎がよく通っていた老舗の一つだが、ここのトンカツは、いまいちの気がする。いつも松坂屋マダムたちで込み合っている店だが、「名物に旨い物なし」の警句が当てはまりそうな店である。

縁かいな


長年、日本人として生きてきて、漢字の類には異常に執着があるけれど、日本固有の文化である短歌、俳句などの文字文化にはちっとも興味がなかった。だから新聞雑誌を呼んでいても、その種の項目は無縁なものとしていつも素通りしていた。先日、そんな欄を当然のようにめくろうとしたら「上野とんかつのこと」って文字が目に飛び込んできた。短歌の欄だったが、そんなとこでトンカツなんて言葉が飛び出すこと自体面妖なことだったから、思わず読んでしまった。

これが面白いのである。嬉しいのである。懐かしいのである。作者は池田はるみという妙齢?の歌人だそうだが、それ(女性っていうこと)だからこそ楽しいのである。へえ、こんなつまらないこと、っていうか普段のことでも歌に読めるんだってことと、作者のトンカツへの異常な執着心に対して、「畏れ入谷の鬼子母神」なののである。そういえば先週だったか、入谷の鬼子母神で下町恒例の「ほうずき市」が開かれたって、新聞に写真入で出ていたっけなあ。

以下、何首か羅列してみる。

とんかつは 上野の路地に黄金の あなうつくしき あぶらが揚げる

とんかつを求めて さすらう初夏や 広小路より ふいと曲がりて

「ポンた」ここ。どっしりとした木のドアが 美味を守りて 聳ゆるやうだ

ぶあつくてさっくり食らふ とんかつに 千切りキャベツの水も漏らさぬ

「蓬莱」は 暖簾を分けて 小さなる角の間口を からから開ける

夏の世は「双葉」に出会ふ 提灯のかかる 園芸場の隣に

50過ぎのおばさんがひたすら純粋にとんかつを求めて上野界隈をさ迷い歩き、それを五七五七七に歌い上げる。そのおおらかさと健全な胃袋に拍手喝采するしかない。いっぱしのグルメ通としていわせてもらえば、おいおい、もっと美味いトンカツ屋なんて、たくさんあるよって教えてあげたい気がする。

個人的には上野界隈のトンカツはややしつっこい気がして、あんまり好みではないのだが、味よりもその庶民的な風土を愛しているのかもしれないしね。松坂屋裏の「蓬莱屋」はあの小津安二郎がよく通っていた老舗の一つだが、ここのトンカツは、いまいちの気がする。いつも松坂屋マダムたちで込み合っている店だが、「名物に旨い物なし」の警句が当てはまりそうな店である。

東風とら


京都市の太秦、神奈川県の秦野、その他、羽田、幡多、波多、波田など日本全国には「秦」の文字や「ハタ」の読みがつく土地がたくさんある。これらは5世紀末に日本へやってきた渡来人「秦氏」が住んでいた場所であることが多い。
秦氏と並ぶ代表的な渡来系氏族に東漢氏(やまとのあやうじ)という一族があり、九州南部を拠点に、秦氏と同じように全国に散在していった。その代表的なのが長野県の安曇、群馬県の吾妻、東京の吾嬬、福島県の磐梯吾妻、XXの我妻だろう。東(あずま)のつく駅名が東京に一つだけあり、東あづまという東武亀戸線の小駅だが、このあずまは本来は東東と書いていたと思う。近いからいずれ真相を探りに現地へ赴こうと思っている。

東雲、東風、阿屋、東田川(はるたがわ)など東に関係した字の読み方は千差万別だが、長野県では東とかいてひがしと読む人が多いらしい。「吾妻鏡」は鎌倉時代の史書だが、万葉集後半に「東歌」は相聞歌など東国関係の歌を集めたもので、発想の自由さとおおらかな表現で注目を集めたようだ。東国とは京都から見た鎌倉、江戸を指した言葉で、吾妻、吾嬬、阿豆麻などとも書いていたようだ。

葛飾区四つ木の先で、荒川と併流する木根川を渡った辺りを墨田区の吾嬬地区というが、ここは同和の人たちが集まり住んでいる場所で、町内はさながら迷路の如く道が張り巡らされ、案内がないとたちまち迷子になってしまう。主力産業の皮革鞣製業が不況業種となり、人々が散逸し、町の真ん中に大きな道路が作られ、かってのスリル満点だった迷路も大半が消え去ってしまった。地図の上でも地名は八広と改められ、吾嬬も地番の上でしか残っていない。

隅田川に架かる真っ赤に塗られた派手な橋、吾妻橋は江戸時代に架けられたものだが、当初は大川橋と呼ばれていた。隅田川には治安の上から両国橋しかかかっていなかったが、永代橋、新大橋についで、この大川橋が作られ、これらの橋の完成により、川向こうといわれた本所深川は商業地として飛躍的に発展を遂げたそうだ。

東風とら


京都市の太秦、神奈川県の秦野、その他、羽田、幡多、波多、波田など日本全国には「秦」の文字や「ハタ」の読みがつく土地がたくさんある。これらは5世紀末に日本へやってきた渡来人「秦氏」が住んでいた場所であることが多い。
秦氏と並ぶ代表的な渡来系氏族に東漢氏(やまとのあやうじ)という一族があり、九州南部を拠点に、秦氏と同じように全国に散在していった。その代表的なのが長野県の安曇、群馬県の吾妻、東京の吾嬬、福島県の磐梯吾妻、XXの我妻だろう。東(あずま)のつく駅名が東京に一つだけあり、東あづまという東武亀戸線の小駅だが、このあずまは本来は東東と書いていたと思う。近いからいずれ真相を探りに現地へ赴こうと思っている。

東雲、東風、阿屋、東田川(はるたがわ)など東に関係した字の読み方は千差万別だが、長野県では東とかいてひがしと読む人が多いらしい。「吾妻鏡」は鎌倉時代の史書だが、万葉集後半に「東歌」は相聞歌など東国関係の歌を集めたもので、発想の自由さとおおらかな表現で注目を集めたようだ。東国とは京都から見た鎌倉、江戸を指した言葉で、吾妻、吾嬬、阿豆麻などとも書いていたようだ。

葛飾区四つ木の先で、荒川と併流する木根川を渡った辺りを墨田区の吾嬬地区というが、ここは同和の人たちが集まり住んでいる場所で、町内はさながら迷路の如く道が張り巡らされ、案内がないとたちまち迷子になってしまう。主力産業の皮革鞣製業が不況業種となり、人々が散逸し、町の真ん中に大きな道路が作られ、かってのスリル満点だった迷路も大半が消え去ってしまった。地図の上でも地名は八広と改められ、吾嬬も地番の上でしか残っていない。

隅田川に架かる真っ赤に塗られた派手な橋、吾妻橋は江戸時代に架けられたものだが、当初は大川橋と呼ばれていた。隅田川には治安の上から両国橋しかかかっていなかったが、永代橋、新大橋についで、この大川橋が作られ、これらの橋の完成により、川向こうといわれた本所深川は商業地として飛躍的に発展を遂げたそうだ。

江戸の坂


かねてより橋の観察が終わったら、都内の坂を訪ね歩こうと思っていた。それが終わったら、マンホールの蓋の模様、古い建物、荒川の橋梁の順で考えていた。折りよく朝日新聞に「江戸の坂」(歴史散歩)というコーナーが始まったので、これを参考にしながら訪ね歩いてみようと思い立っている。江東、墨田は平地なので坂がないから、行動の範囲を狭め、中央、千代田、台東、文京、新宿辺りから始める積りである。坂の宝庫である港区は地理不案内のとこもあるから、後回しにしよう。以下、朝日第一回の記事より。

<徳川家康が江戸に幕府を開いて400年、幾多の開発を経てなお、都内には江戸時代に命名された坂が500余も残っている。数の多さとともに、命名の由来もユニークで、武家屋敷や寺院、人物や動植物の名前から、伝説、形状、そして駄洒落のような名までもある。同名も多く、新坂、富士見坂、稲荷坂がベストスリーとなっている。>

この連載は品川や港区の坂から始まっているので、初めのうちはあまり参考にはならないが、写真と地図が併記されているので、のちのち役に立つものと思われる。アサヒコムに掲載されていればしめたものだが、ケチな朝日のことだからどうだろうか。鬼平や剣客商売、梅安など紐解いていると、坂名や寺、神社、武家屋敷などが、やたらと古い呼称のまま出てくるので、やはり江戸古地図を手元に置いて見ないと分かりにくいだろうな。

ただ、坂の上がり降りは、けっこうきついものがあり、特に文京区のように歴史的な坂道の多いところでは、構図を決めるのにも歩き回らねばならないだろうし、何回も訪れないことには、碌な写真が撮れないんじゃあないかってのが、心配の種になりそうだわい。
その懸念があったからこそ、いままで引き伸ばしてきたんだしなあ。朝日の記事にすっかり触発されて、その気になっちゃったんだけど、ちょっと時期も悪い気がするけど、思い立ったが吉日という言葉もある、頑張ってみるかのう。

江戸の坂


かねてより橋の観察が終わったら、都内の坂を訪ね歩こうと思っていた。それが終わったら、マンホールの蓋の模様、古い建物、荒川の橋梁の順で考えていた。折りよく朝日新聞に「江戸の坂」(歴史散歩)というコーナーが始まったので、これを参考にしながら訪ね歩いてみようと思い立っている。江東、墨田は平地なので坂がないから、行動の範囲を狭め、中央、千代田、台東、文京、新宿辺りから始める積りである。坂の宝庫である港区は地理不案内のとこもあるから、後回しにしよう。以下、朝日第一回の記事より。

<徳川家康が江戸に幕府を開いて400年、幾多の開発を経てなお、都内には江戸時代に命名された坂が500余も残っている。数の多さとともに、命名の由来もユニークで、武家屋敷や寺院、人物や動植物の名前から、伝説、形状、そして駄洒落のような名までもある。同名も多く、新坂、富士見坂、稲荷坂がベストスリーとなっている。>

この連載は品川や港区の坂から始まっているので、初めのうちはあまり参考にはならないが、写真と地図が併記されているので、のちのち役に立つものと思われる。アサヒコムに掲載されていればしめたものだが、ケチな朝日のことだからどうだろうか。鬼平や剣客商売、梅安など紐解いていると、坂名や寺、神社、武家屋敷などが、やたらと古い呼称のまま出てくるので、やはり江戸古地図を手元に置いて見ないと分かりにくいだろうな。

ただ、坂の上がり降りは、けっこうきついものがあり、特に文京区のように歴史的な坂道の多いところでは、構図を決めるのにも歩き回らねばならないだろうし、何回も訪れないことには、碌な写真が撮れないんじゃあないかってのが、心配の種になりそうだわい。
その懸念があったからこそ、いままで引き伸ばしてきたんだしなあ。朝日の記事にすっかり触発されて、その気になっちゃったんだけど、ちょっと時期も悪い気がするけど、思い立ったが吉日という言葉もある、頑張ってみるかのう。

珍名くん


中央競馬は夏のローカル競馬に突入している。春のビッグレースが終わって、秋のビッグレースが始まるまでの、束の間の休息期間でもある。そんなわけで、中央では活躍の場のなかった弱い馬たちには絶好の稼ぎ場所になる。昨年も珍名君と題して書いた覚えがあるけど、今年もどうかなって函館と小倉の出場馬を調べてみたら、いる、いる、わんさかといる。こんなおかしな名前じゃあ、とてもじゃないけど中央じゃあ、こっ恥ずかしくって出る気にもなれないだろうなって同情したくなる。

JRA所属馬はカタカナで9文字以内と決められているのは周知の通りだが、この制約が逆に面白い馬名を生み出しているのも皮肉な結果となっている。一頃はおかしな名前や企業名をつけるのを禁止していた時代もあったのだが、その制約を緩めたことにより、珍名君が続出するようになった。その弾みになったのが大馬主であるマチカネ所属馬のおかしな名前、例えば、奴凧、目にも見よ、晴れ姿、蜘蛛の糸、越天楽、草枕、黒頭巾、金の糸、ほいさっさ、眉上げて、小夜嵐、千姫、晴れるやなどであった。

さて、前書きはこの位にして、本日の馬柱を見てみると、函館にはヨーシヤッタ、メリーサンノヒツジ、キョウワカイセイ、ココニサチアリ、イットウセイ、ノーコメント、コノハ、レインボーブリッジ、オタケビ、ユメハツーステップ、キコウシ、ヒカルテンテキなど。
小倉にはビックリバコ、チャルダッシュ、オレハマッテルゼ、シゲルドントイケ、テンシノダンス、ナゾ、ウソ、クウテネテ、スゴウデノバケンシ、ユメノツーステップ、レッツダンス、キコウシなどである。

カタカナで見る限りではあんまり違和感を感じないが、これが実況放送でアナウンサーの連呼する声を聞いたり、漢字に置き換えてみると、あんまり滑稽なので吹き出してしまう。しかも、こんな珍名君に天下の武豊くんなど一流ジョッキーが騎乗するんだから、いくらローカル競馬とはいえ、そのギャップには思わず笑ってしまうよね。

「貴公子」ふうの「凄腕の馬券師」が「謎」の馬券を買い、「俺は待ってるぜ」って「雄叫び」をあげたけど、雨振りなのに「今日は快晴」が一着となり、「よーしやった」とはいかず、「ここに幸あリ」の夢破れ、いくら「メリーさんの羊」を唱えても眠れず、「光る点滴」のお世話になり、「食うて寝て」の生活になっちゃった、なんてね。

珍名くん


中央競馬は夏のローカル競馬に突入している。春のビッグレースが終わって、秋のビッグレースが始まるまでの、束の間の休息期間でもある。そんなわけで、中央では活躍の場のなかった弱い馬たちには絶好の稼ぎ場所になる。昨年も珍名君と題して書いた覚えがあるけど、今年もどうかなって函館と小倉の出場馬を調べてみたら、いる、いる、わんさかといる。こんなおかしな名前じゃあ、とてもじゃないけど中央じゃあ、こっ恥ずかしくって出る気にもなれないだろうなって同情したくなる。

JRA所属馬はカタカナで9文字以内と決められているのは周知の通りだが、この制約が逆に面白い馬名を生み出しているのも皮肉な結果となっている。一頃はおかしな名前や企業名をつけるのを禁止していた時代もあったのだが、その制約を緩めたことにより、珍名君が続出するようになった。その弾みになったのが大馬主であるマチカネ所属馬のおかしな名前、例えば、奴凧、目にも見よ、晴れ姿、蜘蛛の糸、越天楽、草枕、黒頭巾、金の糸、ほいさっさ、眉上げて、小夜嵐、千姫、晴れるやなどであった。

さて、前書きはこの位にして、本日の馬柱を見てみると、函館にはヨーシヤッタ、メリーサンノヒツジ、キョウワカイセイ、ココニサチアリ、イットウセイ、ノーコメント、コノハ、レインボーブリッジ、オタケビ、ユメハツーステップ、キコウシ、ヒカルテンテキなど。
小倉にはビックリバコ、チャルダッシュ、オレハマッテルゼ、シゲルドントイケ、テンシノダンス、ナゾ、ウソ、クウテネテ、スゴウデノバケンシ、ユメノツーステップ、レッツダンス、キコウシなどである。

カタカナで見る限りではあんまり違和感を感じないが、これが実況放送でアナウンサーの連呼する声を聞いたり、漢字に置き換えてみると、あんまり滑稽なので吹き出してしまう。しかも、こんな珍名君に天下の武豊くんなど一流ジョッキーが騎乗するんだから、いくらローカル競馬とはいえ、そのギャップには思わず笑ってしまうよね。

「貴公子」ふうの「凄腕の馬券師」が「謎」の馬券を買い、「俺は待ってるぜ」って「雄叫び」をあげたけど、雨振りなのに「今日は快晴」が一着となり、「よーしやった」とはいかず、「ここに幸あリ」の夢破れ、いくら「メリーさんの羊」を唱えても眠れず、「光る点滴」のお世話になり、「食うて寝て」の生活になっちゃった、なんてね。

隅田の花火


今年の7月は26日まで、雨の降らなかった日はたったの一日のみだったそうである。毎日毎日ジメジメとして薄ら寒く、家に閉じこもることが多かったから、読書と昼寝はたっぷりできたけど、欲求不満は強まる一方だった。その分、暑さはずれ込んで、9月一杯猛暑は続くという気象庁の長期予想が発表されたが、最近の気象衛星はポカが多くて、あんまり信用できないのも辛い。昨年のうだるような暑さはご免こうむりたいけれど、やっぱ、夏は暑くなくては間が抜けているよね。

さて、久し振りに雨の降らなかった東京だが、早いものでもう今晩は隅田川花火大会である。東京湾の華火がいなせなら、こちらは粋そのもので、川面にしっとりと咲く。以前はわざわざ出かけていったものだが、いまはテレビ特等席でお茶を濁している。30台のテレビカメラを駆使したカメラワークもあり、真夏の夜のイリュージョンはテレビの前に限る。

今年から司会の八塩圭子アナが寿退社してしまったが、12チャンネル期待の星、大江麻里子アナがどう盛り上げるかだが、ちょっと頼りない気がする。辛口解説で名物となっている、日本煙火協会顧問の固陋じゃない古老、村井一じいさんも健在で、相も変らぬ毒舌が健在だったのも嬉しい。

光に縁取られて幻想的に浮かび上がる桜橋の第一会場で打ち上げられた「真夏の宴」と題するスターマインで始まったが、やはり連続して打ち上げられるスターマインは豪華絢爛でいいもんだよねえ。川面に揺らめく残像の鮮やかな色と、遅れて耳に届いてくる乾いた音が、さらに色どりを添えてくれるのもテレビならではの醍醐味だ。

オレンジ色だけのあっさりした味わいのある江戸時代の和花火、緑だけでメリハリを際立たせた、輝くばかりのスターマインが一際印象深かった。和花火は炭、硫黄、硝石だけで作られ、炭が燃える橙色の濃淡だけだけ、いわゆる線香花火の懐かしい色だ。今年が江戸開府400年ということで、主役を務めた。

花火会社10社が参加し、光と色と音の競演を演じてくれた第二会場での花火コンクールでは、惜しくも選には漏れたけど、鮮やかなブルーの輝きを創出してくれた煙火会社、細谷エンタープライズの優れた技術には、ただもう感謝感激雨あられ、ひたすら乾杯あるのみ。
サントリーのコマーシャルじゃあないけれど、なにも足さない、なにも引かない、なにもいわない、ただ画面に見惚れるだけだ。

隅田の花火


今年の7月は26日まで、雨の降らなかった日はたったの一日のみだったそうである。毎日毎日ジメジメとして薄ら寒く、家に閉じこもることが多かったから、読書と昼寝はたっぷりできたけど、欲求不満は強まる一方だった。その分、暑さはずれ込んで、9月一杯猛暑は続くという気象庁の長期予想が発表されたが、最近の気象衛星はポカが多くて、あんまり信用できないのも辛い。昨年のうだるような暑さはご免こうむりたいけれど、やっぱ、夏は暑くなくては間が抜けているよね。

さて、久し振りに雨の降らなかった東京だが、早いものでもう今晩は隅田川花火大会である。東京湾の華火がいなせなら、こちらは粋そのもので、川面にしっとりと咲く。以前はわざわざ出かけていったものだが、いまはテレビ特等席でお茶を濁している。30台のテレビカメラを駆使したカメラワークもあり、真夏の夜のイリュージョンはテレビの前に限る。

今年から司会の八塩圭子アナが寿退社してしまったが、12チャンネル期待の星、大江麻里子アナがどう盛り上げるかだが、ちょっと頼りない気がする。辛口解説で名物となっている、日本煙火協会顧問の固陋じゃない古老、村井一じいさんも健在で、相も変らぬ毒舌が健在だったのも嬉しい。

光に縁取られて幻想的に浮かび上がる桜橋の第一会場で打ち上げられた「真夏の宴」と題するスターマインで始まったが、やはり連続して打ち上げられるスターマインは豪華絢爛でいいもんだよねえ。川面に揺らめく残像の鮮やかな色と、遅れて耳に届いてくる乾いた音が、さらに色どりを添えてくれるのもテレビならではの醍醐味だ。

オレンジ色だけのあっさりした味わいのある江戸時代の和花火、緑だけでメリハリを際立たせた、輝くばかりのスターマインが一際印象深かった。和花火は炭、硫黄、硝石だけで作られ、炭が燃える橙色の濃淡だけだけ、いわゆる線香花火の懐かしい色だ。今年が江戸開府400年ということで、主役を務めた。

花火会社10社が参加し、光と色と音の競演を演じてくれた第二会場での花火コンクールでは、惜しくも選には漏れたけど、鮮やかなブルーの輝きを創出してくれた煙火会社、細谷エンタープライズの優れた技術には、ただもう感謝感激雨あられ、ひたすら乾杯あるのみ。
サントリーのコマーシャルじゃあないけれど、なにも足さない、なにも引かない、なにもいわない、ただ画面に見惚れるだけだ。
月別アーカイブ
カテゴリ別アーカイブ
月別アーカイブ
  • ライブドアブログ