コジゼラ

よもやま話を雑文で

2003年10月

水入らず


衆議院選挙が公示され、街頭での騒音が一段と高まり、五月蝿いなあって思っていたら、折からの強風で、ベランダにあるカポックなどが軒並み倒れてしまい、土をばら撒いている。イライラしながら、その始末をしていたら、電話が鳴り出した。いつも電話には出ないことにしているから無視していたら、何回も何回も執拗に鳴る上に、にょうぼが忘れていったちPH電話まで鳴り出した。

これはなんかあったなと気がつき渋々ながら出てみたら、辰巳のプールからの電話で、「準備運動中、奥様が突然倒れ頭を打って、救急車で聖路加病院へ担ぎ込まれた」っていうじゃあないか。驚いたのなんの、取るものもとりあえず、タクシーで病院に急行した。逸る気持ちを抑えながら、救急外来に着いたら、頭にネットを被された、にょうぼが元気な顔して微笑んでいる。かなり出血もあり、なん針か縫ったらしいが、CT検査などではまったく異常がなかったらしい、と聞かされ胸をなでおろしたが、万が一ってことになったら、かけがいのないにょうぼだから、かなりパニクったけれど、まずはほっとしたね。

医者の診断では過労によるものということだったが、たしかにここ数ヶ月の仕事の量は半端ではなく、自宅での作業だけに時間無制限といった有様で、まじめに取り組んでいたもんなあ。先端企業の翻訳だから難易度も高いし、ハードルも高い。考えてみれば65過ぎの、ばあさんが取り組むような仕事じゃあないよなあ。色々と反省させられる出来事だったが、いつも元気一杯だったにょうぼも、賞味期限が切れかかってきて、やっと東風とらに並ぶようになったんだって、物悲しい述懐も強い。

昨年8月に結婚して、長崎に赴任していた長男坊が社用で上京してきた。この11月にも、にょうぼと二人水入らずで、長崎を訪ねる予定でもあったので、その下打ち合わせも考えていたようだ。ところが楽しみにしていた旅行も、にょうぼの仕事が忙しすぎて来年に持ち越すことになった。そこへ持ってきて、この事件勃発だからどうしようもない。夫婦水いらずの旅行なんて新婚旅行以来なので、とっても楽しみにしていたのでとっても残念である。次男の家族も同行し、長崎を中心に長男夫婦の案内で観光し、その後、次男一家と分かれて、長男坊の嫁さんと伊万里、有田、唐津などを周遊し、嬉野温泉に宿泊する予定まで立てていたんだがね。

長男坊にオヤジも67になったんだねえっていわれ、っていうことは長男も37歳になったんだっていうことである。息子の年って中々覚えられず辟易していたんだが、よくよく考えてみれば、昭和11年生れと41年生れなんだから、引き算すればよかったんである。こんな単純なことを忘れていたなんて、「バーカ丸出し、お前のカアチャン、デ・ベ・ソ」っていうことになる。不惑近い大人を捕まえて、「坊」呼ばわりするのもちょっとねえって反省頻りなんだなあ。

水入らず


衆議院選挙が公示され、街頭での騒音が一段と高まり、五月蝿いなあって思っていたら、折からの強風で、ベランダにあるカポックなどが軒並み倒れてしまい、土をばら撒いている。イライラしながら、その始末をしていたら、電話が鳴り出した。いつも電話には出ないことにしているから無視していたら、何回も何回も執拗に鳴る上に、にょうぼが忘れていったちPH電話まで鳴り出した。

これはなんかあったなと気がつき渋々ながら出てみたら、辰巳のプールからの電話で、「準備運動中、奥様が突然倒れ頭を打って、救急車で聖路加病院へ担ぎ込まれた」っていうじゃあないか。驚いたのなんの、取るものもとりあえず、タクシーで病院に急行した。逸る気持ちを抑えながら、救急外来に着いたら、頭にネットを被された、にょうぼが元気な顔して微笑んでいる。かなり出血もあり、なん針か縫ったらしいが、CT検査などではまったく異常がなかったらしい、と聞かされ胸をなでおろしたが、万が一ってことになったら、かけがいのないにょうぼだから、かなりパニクったけれど、まずはほっとしたね。

医者の診断では過労によるものということだったが、たしかにここ数ヶ月の仕事の量は半端ではなく、自宅での作業だけに時間無制限といった有様で、まじめに取り組んでいたもんなあ。先端企業の翻訳だから難易度も高いし、ハードルも高い。考えてみれば65過ぎの、ばあさんが取り組むような仕事じゃあないよなあ。色々と反省させられる出来事だったが、いつも元気一杯だったにょうぼも、賞味期限が切れかかってきて、やっと東風とらに並ぶようになったんだって、物悲しい述懐も強い。

昨年8月に結婚して、長崎に赴任していた長男坊が社用で上京してきた。この11月にも、にょうぼと二人水入らずで、長崎を訪ねる予定でもあったので、その下打ち合わせも考えていたようだ。ところが楽しみにしていた旅行も、にょうぼの仕事が忙しすぎて来年に持ち越すことになった。そこへ持ってきて、この事件勃発だからどうしようもない。夫婦水いらずの旅行なんて新婚旅行以来なので、とっても楽しみにしていたのでとっても残念である。次男の家族も同行し、長崎を中心に長男夫婦の案内で観光し、その後、次男一家と分かれて、長男坊の嫁さんと伊万里、有田、唐津などを周遊し、嬉野温泉に宿泊する予定まで立てていたんだがね。

長男坊にオヤジも67になったんだねえっていわれ、っていうことは長男も37歳になったんだっていうことである。息子の年って中々覚えられず辟易していたんだが、よくよく考えてみれば、昭和11年生れと41年生れなんだから、引き算すればよかったんである。こんな単純なことを忘れていたなんて、「バーカ丸出し、お前のカアチャン、デ・ベ・ソ」っていうことになる。不惑近い大人を捕まえて、「坊」呼ばわりするのもちょっとねえって反省頻りなんだなあ。

交番


「交番には24時間勤務が頻繁にあり、それだけ地域警察官は、犯罪抑止と犯人検挙に貢献してきたが、仕事ばかり増えて地域警察官が増えないところに空き交番問題が生じてくる」。警視庁地域部幹部はこう言って、急激な治安の悪化にマンパワーが追いつかない現状にいら立ちを見せた。

警視庁では交番勤務員が110番通報で出動した件数は、1992年に約68万件だったが、昨年は約130万件とほぼ倍増した。警察庁によると、今年4月1日現在、全国約6560の交番に約43860人の警察官が配置されているが、このうち、警察官が常時不在または夜間などに不在となる交番は、全体の4割近い約2440に上っている。

空き交番対策の一つとして、警視庁は都市型駐在所を設置してきた。人手が掛かる交代制の交番ではなく、限られた警察官を浮かせる工夫だ。97年からこれまで住宅街に17の駐在所が生まれ、交番は27カ所減り940に、駐在所は251に増えた。「寝ている警察官でも近くにいれば住民は安心だ。夜間に事象が少ない住宅街なら都市部でも十分に対応できる」(地域部幹部)としている。各警察署の管轄にこだわらず、犯罪状況に応じて交番を設けたり、交番勤務員を管轄を越えて派遣するなどの新手法を検討している。(以上東京新聞の記事より抜粋)

自転車で徘徊しているときに、場所を探したりする時に一番頼りになるのが交番だが、道中見かける何ヶ所の交番は常に警官の姿さえも見えない。さいわい最寄の枝川交番は常時2-3人の警官による交代勤務がとられているからありがたいが、市民の小さな苦情などには対応してくれない、っていうより面倒くさがるところが見受けられる。近くの公園やコンビニ辺りで夜遅くまで屯している中高生に対する注意なんかしているのを見たこともないし、マフラーを外し騒音を発して付近を疾走するバイクなどを拘束することもしない。比較的楽な違法駐車へのマーキングとか自転車の検問ぐらいが関の山ってとこか。

それにしても治安が悪くなってきたなあ。とりわけ中学生など若年層の凶悪化が目立っているようだ。大き目のテイーシャツとおかしな髪型、ラッパズボンをはいて、コンビニ前やマンションの階段に群がって屯している。昔と違って衆を頼みにしているのが不気味だし、女の子も混じっているのが特長だ。エレベーターで偶々乗り合わせるが、一人だけだと、姿の割にはおとなしく、呆気にとられることも多い。教育改革というと、戦前の右傾化をおそれる向きも多いようだが、家庭のしつけと学校教育の厳格化は要諦である。

交番


「交番には24時間勤務が頻繁にあり、それだけ地域警察官は、犯罪抑止と犯人検挙に貢献してきたが、仕事ばかり増えて地域警察官が増えないところに空き交番問題が生じてくる」。警視庁地域部幹部はこう言って、急激な治安の悪化にマンパワーが追いつかない現状にいら立ちを見せた。

警視庁では交番勤務員が110番通報で出動した件数は、1992年に約68万件だったが、昨年は約130万件とほぼ倍増した。警察庁によると、今年4月1日現在、全国約6560の交番に約43860人の警察官が配置されているが、このうち、警察官が常時不在または夜間などに不在となる交番は、全体の4割近い約2440に上っている。

空き交番対策の一つとして、警視庁は都市型駐在所を設置してきた。人手が掛かる交代制の交番ではなく、限られた警察官を浮かせる工夫だ。97年からこれまで住宅街に17の駐在所が生まれ、交番は27カ所減り940に、駐在所は251に増えた。「寝ている警察官でも近くにいれば住民は安心だ。夜間に事象が少ない住宅街なら都市部でも十分に対応できる」(地域部幹部)としている。各警察署の管轄にこだわらず、犯罪状況に応じて交番を設けたり、交番勤務員を管轄を越えて派遣するなどの新手法を検討している。(以上東京新聞の記事より抜粋)

自転車で徘徊しているときに、場所を探したりする時に一番頼りになるのが交番だが、道中見かける何ヶ所の交番は常に警官の姿さえも見えない。さいわい最寄の枝川交番は常時2-3人の警官による交代勤務がとられているからありがたいが、市民の小さな苦情などには対応してくれない、っていうより面倒くさがるところが見受けられる。近くの公園やコンビニ辺りで夜遅くまで屯している中高生に対する注意なんかしているのを見たこともないし、マフラーを外し騒音を発して付近を疾走するバイクなどを拘束することもしない。比較的楽な違法駐車へのマーキングとか自転車の検問ぐらいが関の山ってとこか。

それにしても治安が悪くなってきたなあ。とりわけ中学生など若年層の凶悪化が目立っているようだ。大き目のテイーシャツとおかしな髪型、ラッパズボンをはいて、コンビニ前やマンションの階段に群がって屯している。昔と違って衆を頼みにしているのが不気味だし、女の子も混じっているのが特長だ。エレベーターで偶々乗り合わせるが、一人だけだと、姿の割にはおとなしく、呆気にとられることも多い。教育改革というと、戦前の右傾化をおそれる向きも多いようだが、家庭のしつけと学校教育の厳格化は要諦である。

読書


池波正太郎、藤沢周平、隆慶一郎の手持ちの文庫本を全て再読破し、不足分を図書館から貸し出してきて、ほぼ完読してしまったが、当り外れも多く満足度は65%前後だった。ただ、読み出すと余韻が残っていて、他の時代小説家の伝奇ものが無性に読みたくなり、一日平均3冊の割合で、片っ端から読み出したが、やはりかなり劣るものが多いのが実感だ。

池宮彰一郎、津本陽、南原幹夫、佐江衆一、新宮正春、典厩五郎、葉山信樹、安部龍太郎、高橋克彦、高橋義夫、などはそれぞれ独自の境地を開いているとはいえ、結局は歴史の事実に制約され、主人公に対する新しい息吹の注入がどうしても弱いから、結局迫力と意外性を欠いた内容になっているのが残念だ。

山本一力は山本周五郎、藤沢周平の人情ものを引き継ぐ能力があり、明るさと会話の妙が取り柄といえそうだ。佐藤雅美、中村雅彦は文章の確かさ、考証の正しさなどから大物作家に変身する可能性がある。羽多雄平、上田秀人、鳥羽亮などは歴史の隙間を逆手にとって、魅力的なヒーローを作り上げているが、如何せん、物語の幅を広げすぎて、筋に追われてしまう未熟さが散見されるが、その構想力には並々のものがあり、今後の飛躍が期待できそうである。

だけど、最近の大衆小説の時代物は、かって血沸き肉踊る興奮を持って貪り読んだ五味康祐、柴田錬三郎、山田風太郎らがかもし出す、奇想天外な物語と数奇な人物設定を超えるような作家は見当たらない。読むほうの年齢にもよるのだろうが、創意工夫、空想力、仕掛けの面白さなど、飽食の時代では作り出せないのかもしれない。ましてや、吉川英治、大仏次郎、山本周五郎、海音寺潮五郎、司馬遼太郎などのように、大衆小説を超えた領域に迫る作家なんて現われそうもない。

まあ、司馬遼太郎などは偉くなりすぎて、司馬史観などと呼ばれるほど、後年その研究領域が広くなってしまい、その小説もジェームス・ジョイス張りに意識の流れが多用され、話があちこっちへと飛び交い、とっても読みにくい注釈付きの文面になってしまったが、初期の作品である「国取り物語」「新撰組血風録」「燃えよ剣」などは人物が生き生きしていて文句ない面白さだったが、大衆作家から脱皮を遂げた途端、大きな期待を裏切られた作家だった。

せっかく読書のくせがつき始めたのに、読む本がなくなってしまったのは「まっこと、ご同慶の行ったり来たり、皮肉なことというしかないが、ボロック以後ご無沙汰している海外ミステリーの傑作を求めて、あてのない図書館さすらい旅でも始めるしかない。そういえば、きのう、テレビの洋画劇場で「愛国者のゲーム」をやっていたが、この原作はポリテイカル・ミステリーの分野を創設したトム・クランシー初期の傑作だった。

読書


池波正太郎、藤沢周平、隆慶一郎の手持ちの文庫本を全て再読破し、不足分を図書館から貸し出してきて、ほぼ完読してしまったが、当り外れも多く満足度は65%前後だった。ただ、読み出すと余韻が残っていて、他の時代小説家の伝奇ものが無性に読みたくなり、一日平均3冊の割合で、片っ端から読み出したが、やはりかなり劣るものが多いのが実感だ。

池宮彰一郎、津本陽、南原幹夫、佐江衆一、新宮正春、典厩五郎、葉山信樹、安部龍太郎、高橋克彦、高橋義夫、などはそれぞれ独自の境地を開いているとはいえ、結局は歴史の事実に制約され、主人公に対する新しい息吹の注入がどうしても弱いから、結局迫力と意外性を欠いた内容になっているのが残念だ。

山本一力は山本周五郎、藤沢周平の人情ものを引き継ぐ能力があり、明るさと会話の妙が取り柄といえそうだ。佐藤雅美、中村雅彦は文章の確かさ、考証の正しさなどから大物作家に変身する可能性がある。羽多雄平、上田秀人、鳥羽亮などは歴史の隙間を逆手にとって、魅力的なヒーローを作り上げているが、如何せん、物語の幅を広げすぎて、筋に追われてしまう未熟さが散見されるが、その構想力には並々のものがあり、今後の飛躍が期待できそうである。

だけど、最近の大衆小説の時代物は、かって血沸き肉踊る興奮を持って貪り読んだ五味康祐、柴田錬三郎、山田風太郎らがかもし出す、奇想天外な物語と数奇な人物設定を超えるような作家は見当たらない。読むほうの年齢にもよるのだろうが、創意工夫、空想力、仕掛けの面白さなど、飽食の時代では作り出せないのかもしれない。ましてや、吉川英治、大仏次郎、山本周五郎、海音寺潮五郎、司馬遼太郎などのように、大衆小説を超えた領域に迫る作家なんて現われそうもない。

まあ、司馬遼太郎などは偉くなりすぎて、司馬史観などと呼ばれるほど、後年その研究領域が広くなってしまい、その小説もジェームス・ジョイス張りに意識の流れが多用され、話があちこっちへと飛び交い、とっても読みにくい注釈付きの文面になってしまったが、初期の作品である「国取り物語」「新撰組血風録」「燃えよ剣」などは人物が生き生きしていて文句ない面白さだったが、大衆作家から脱皮を遂げた途端、大きな期待を裏切られた作家だった。

せっかく読書のくせがつき始めたのに、読む本がなくなってしまったのは「まっこと、ご同慶の行ったり来たり、皮肉なことというしかないが、ボロック以後ご無沙汰している海外ミステリーの傑作を求めて、あてのない図書館さすらい旅でも始めるしかない。そういえば、きのう、テレビの洋画劇場で「愛国者のゲーム」をやっていたが、この原作はポリテイカル・ミステリーの分野を創設したトム・クランシー初期の傑作だった。

季節の変わり目


最近やたらと人恋しくなってきて、こちらから積極的に旧友たちを飲み会に誘っている。40年ぐらいほったらかしにしていた、中学高校の同窓会も進んで参加している。10年近く穴倉に潜っていた反動もあるが、日常くっちゃべるのは、にょうぼだけって環境からも脱したいって思いもあるし、しゃべる機会が少ないくて、声がかすれてきたのも気になっている。むろんそれだけでなく、喫煙のせいで、呼吸器系の疾患を患っているんだろうとも思ってはいるが。

花は大好きだが、生来胡乱な性格もあって、すぐに名前を忘れてしまう。それでも、デジカメで花を撮りだした今年は、いままでよりも熱心に名前を覚えたようである。名前の分からない花も結構多いもんだから、撮った後も気になり、インターネットや花辞典で調べることも多くなった。そうやってようやく覚えたつもりでいても、数日も立つともう忘れてしまい、何度もチェックし直すというお粗末さである。

今年印象に残った花は、ギンヨウアカシア、カルミア、アリッサム、ハクウンボク、フゲンゾウ、ウコン、ギョイコウ、ボタン、ハンゲショウ、サラノキ、アナベル、見逃したのは花ショウブ、バラとかキクにはまったく興味がないから、すべて素通りしていたなあ。偶然町中で撮った花がハクウンボクだと分かった時は感激したし、木場公演裏に群生していたアナベルを見つけたときも嬉しかったなあ。何度も出かけては納得いくまで撮りまくったっけなあ。サクラを撮りに新宿御苑は何度訪れたか分からないくらいだし、道端の街路樹の下で、こぼれんばかりに、盛り上がって咲いていたアリッサムも感動ものだった。

とりわけヤマボウシとブンタン、スミダノハナビとジョウガサキについては、「お邪魔メール」で論議を醸し、終生忘れられない花となってしまった。ちゃんと調べもせずに、思い込みだけでにょうぼに渡した花の写真が、これほどまでに話題になってしまうとは夢にも思わなかった。己の不明を恥じるのは当然としても、この世の中、花に詳しい人がいかに多いかを痛感させられ、うかつに花の写真を撮れないなあって、穴があったら入りたくなるような心境になってしまったもんだ。

季節の変わり目は咲く花や、雨や風など自然の変化、褐色、橙、桃色、若草色、濃緑、赤、白、で感じてきたもんだが、こう地球が狂ってしまったいまでは、それすら覚束ない思いがする。むしろ、節目節目におとづれる身体の不調で、辛うじて季節の移り変わりを感じるのは、いささか情けない気がする。

季節の変わり目


最近やたらと人恋しくなってきて、こちらから積極的に旧友たちを飲み会に誘っている。40年ぐらいほったらかしにしていた、中学高校の同窓会も進んで参加している。10年近く穴倉に潜っていた反動もあるが、日常くっちゃべるのは、にょうぼだけって環境からも脱したいって思いもあるし、しゃべる機会が少ないくて、声がかすれてきたのも気になっている。むろんそれだけでなく、喫煙のせいで、呼吸器系の疾患を患っているんだろうとも思ってはいるが。

花は大好きだが、生来胡乱な性格もあって、すぐに名前を忘れてしまう。それでも、デジカメで花を撮りだした今年は、いままでよりも熱心に名前を覚えたようである。名前の分からない花も結構多いもんだから、撮った後も気になり、インターネットや花辞典で調べることも多くなった。そうやってようやく覚えたつもりでいても、数日も立つともう忘れてしまい、何度もチェックし直すというお粗末さである。

今年印象に残った花は、ギンヨウアカシア、カルミア、アリッサム、ハクウンボク、フゲンゾウ、ウコン、ギョイコウ、ボタン、ハンゲショウ、サラノキ、アナベル、見逃したのは花ショウブ、バラとかキクにはまったく興味がないから、すべて素通りしていたなあ。偶然町中で撮った花がハクウンボクだと分かった時は感激したし、木場公演裏に群生していたアナベルを見つけたときも嬉しかったなあ。何度も出かけては納得いくまで撮りまくったっけなあ。サクラを撮りに新宿御苑は何度訪れたか分からないくらいだし、道端の街路樹の下で、こぼれんばかりに、盛り上がって咲いていたアリッサムも感動ものだった。

とりわけヤマボウシとブンタン、スミダノハナビとジョウガサキについては、「お邪魔メール」で論議を醸し、終生忘れられない花となってしまった。ちゃんと調べもせずに、思い込みだけでにょうぼに渡した花の写真が、これほどまでに話題になってしまうとは夢にも思わなかった。己の不明を恥じるのは当然としても、この世の中、花に詳しい人がいかに多いかを痛感させられ、うかつに花の写真を撮れないなあって、穴があったら入りたくなるような心境になってしまったもんだ。

季節の変わり目は咲く花や、雨や風など自然の変化、褐色、橙、桃色、若草色、濃緑、赤、白、で感じてきたもんだが、こう地球が狂ってしまったいまでは、それすら覚束ない思いがする。むしろ、節目節目におとづれる身体の不調で、辛うじて季節の移り変わりを感じるのは、いささか情けない気がする。

スローライフ

10月27日

旧聞に属するが、ダイエーホークスの王貞治監督が、久米ちゃんの番組に出演し、ジャイアンツの監督になるって噂があるけど、っての誘導質問に答えて曰く、「この年になって、あんなややこしい球団の監督なんかわずらわしい」って本音を吐いていた。さすが世界のワンチャン、いいこといってくれたよ、くたばれ!ジャイアンツ!

スローライフ、スローフード、癒しのミュージックなど、猛烈からビューテイフル、ビューテイフルから自然回帰と、世の中の流行りがゆっくりと廻り始めたようである。眠たくなりゃどんどん寝るし、食べ物はゆっくりかんで食べ、まずいものは食わず、歩くときはできるだけゆっくりと、自転車を漕ぐときはあせらず落ち着いて、写真をとるときは手早くブレ気味に、これが目下心がけてるスローライフである。「なにいってんの、歳をとって、なんでものろくなったんじゃないの」っていわれれば、まったく反論の余地はないけれど、世の中の流れは、ここへきていままでよりもずっと歩調を合わせ良くなっているのは確かなような気がする。

たとえば飲み屋、どこも明るくてこぎれいで、若い女の子に迎えられ、料理も半製品をチンする調理だけれど、種類も豊富で味もまあまあだし、なんと言っても値段が安い。酒の種類も驚くほど多いが、その分店の個性というものがなくなった。どのチェーンもそれなりに工夫をこらしてはいるが、しょせん人間が考え出すこと、とりわけ奇策などあるはずもなく、どこもかしこも同工異曲といった味わいになる。これもスローライフだよねえ。たまさか、どこの店で何時なんて約束しちゃうと、みんな同んなじようなイメージだから、待ち合わせ場所を間違えてしまいそうだ。

あちこちに無秩序な高層ビル街が出現し、東京の町はなんか廃墟と化したみたいな錯角すら覚え、そのモノポリー目指して集まり散じる人の群れをたまらなく鬱陶しく感じてしまう。文化ってなんだろう、文明って滅びることと見つけたりっていうことなんだろうか、下天の夢か幻か。丸ビル、シオサイト、六本木ヒルズ、品川と、新しい街が手品師のネタみたいに、次々と現われては消えていくような錯覚を覚えてしまうなあ。あちこちでシャッターチャンスを迎えカメラを向けると、必ずその一角に高層ビルが、我が物顔に顔を出してくるのは、まったく興醒めで、せっかくの意欲も減退してしまう昨今である。くたばれ!再開発って妖怪よ!

スローライフ

10月27日

旧聞に属するが、ダイエーホークスの王貞治監督が、久米ちゃんの番組に出演し、ジャイアンツの監督になるって噂があるけど、っての誘導質問に答えて曰く、「この年になって、あんなややこしい球団の監督なんかわずらわしい」って本音を吐いていた。さすが世界のワンチャン、いいこといってくれたよ、くたばれ!ジャイアンツ!

スローライフ、スローフード、癒しのミュージックなど、猛烈からビューテイフル、ビューテイフルから自然回帰と、世の中の流行りがゆっくりと廻り始めたようである。眠たくなりゃどんどん寝るし、食べ物はゆっくりかんで食べ、まずいものは食わず、歩くときはできるだけゆっくりと、自転車を漕ぐときはあせらず落ち着いて、写真をとるときは手早くブレ気味に、これが目下心がけてるスローライフである。「なにいってんの、歳をとって、なんでものろくなったんじゃないの」っていわれれば、まったく反論の余地はないけれど、世の中の流れは、ここへきていままでよりもずっと歩調を合わせ良くなっているのは確かなような気がする。

たとえば飲み屋、どこも明るくてこぎれいで、若い女の子に迎えられ、料理も半製品をチンする調理だけれど、種類も豊富で味もまあまあだし、なんと言っても値段が安い。酒の種類も驚くほど多いが、その分店の個性というものがなくなった。どのチェーンもそれなりに工夫をこらしてはいるが、しょせん人間が考え出すこと、とりわけ奇策などあるはずもなく、どこもかしこも同工異曲といった味わいになる。これもスローライフだよねえ。たまさか、どこの店で何時なんて約束しちゃうと、みんな同んなじようなイメージだから、待ち合わせ場所を間違えてしまいそうだ。

あちこちに無秩序な高層ビル街が出現し、東京の町はなんか廃墟と化したみたいな錯角すら覚え、そのモノポリー目指して集まり散じる人の群れをたまらなく鬱陶しく感じてしまう。文化ってなんだろう、文明って滅びることと見つけたりっていうことなんだろうか、下天の夢か幻か。丸ビル、シオサイト、六本木ヒルズ、品川と、新しい街が手品師のネタみたいに、次々と現われては消えていくような錯覚を覚えてしまうなあ。あちこちでシャッターチャンスを迎えカメラを向けると、必ずその一角に高層ビルが、我が物顔に顔を出してくるのは、まったく興醒めで、せっかくの意欲も減退してしまう昨今である。くたばれ!再開発って妖怪よ!
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