コジゼラ

よもやま話を雑文で

2003年11月

名言


先日、キオスクって書いてしまったけど、鉄道弘済会の小型店舗は「KIOSK」と書いてキヨスクと読ませるらしい。キヨスクはトルコ語の「KUSHK」が語源らしく、あずまやのことを指し、便利な小型売店の国際語となっていて、キヨスク風の簡易建築(電話ボックスも含む)をいうそうだ。

「ペンは剣よりも強し」は我が母校、開成学園の校章の由来となった言葉だが、原文では、その前に「完全に偉大な指導者のもとでは」、という語句が前置きされているとは知らなかった。英国の作家ブルワー・リットンが書いた戯曲、「リューリュー」のセリフの一部だったらしい。リットンはその当時の人気作家だったが、その作品の評価は、親友だったチャールズ・デイケンスには遠く及ばなかったようだ。戦前日中紛争の実態を調べ、日本が太平洋戦争に突入するきっかけともなった、リットン調査団団長リットン卿はその孫に当たるという。

「ペンは剣よりも強し」という言葉は報道機関が政府の権力をチェックすることを意味しているが、最近の大新聞は政府に癒着してしまって、つまり権力側に行ってしまい、批判一つできない状況だ。これは戦時中の軍部による言論弾圧とは違った意味での、自民党の一党支配とそれに伴う政官癒着による日本的資本主義のなれの果てといえそうだ。

「ペンの記章」といえば、慶應義塾の校章として知られているが、制定のいきさつは、塾生有志の間で勝手に使われ出したものが、いつの間にか塾当局が公認するところとなり、明治33年には特に大学部の塾生に対して「記章附帽子」着用が告示され、ついに今日に至るというもので、いかにも義塾らしい鷹揚さが感じられる。ちょうどそのころの教科書の一つに「ペンには剣に勝る力あり」という句があったところから、これこそ学生の記章として最もふさわしいものと考え、さっそくペンをつけることにしたという。なお、この「ペンは剣よりも強し」の語句も義塾のモットーとして標榜され、それを表した三田の図書館の大ステンドグラスは、義塾を象徴するものの一つとなっている。

開成の通称「ペンケン」の校章は「ペンは剣よりも強し」の言葉を図案化したもので、ペンがサーベルを抑えているユニークなもので、このマークをつけた帽子を被り、このマークが浮き彫りにされた、黒いボタンを一杯つけた制服を着て歩くのは、気恥ずかしさと誇らしげな気持ちが同居していたっけなあ。

名言


先日、キオスクって書いてしまったけど、鉄道弘済会の小型店舗は「KIOSK」と書いてキヨスクと読ませるらしい。キヨスクはトルコ語の「KUSHK」が語源らしく、あずまやのことを指し、便利な小型売店の国際語となっていて、キヨスク風の簡易建築(電話ボックスも含む)をいうそうだ。

「ペンは剣よりも強し」は我が母校、開成学園の校章の由来となった言葉だが、原文では、その前に「完全に偉大な指導者のもとでは」、という語句が前置きされているとは知らなかった。英国の作家ブルワー・リットンが書いた戯曲、「リューリュー」のセリフの一部だったらしい。リットンはその当時の人気作家だったが、その作品の評価は、親友だったチャールズ・デイケンスには遠く及ばなかったようだ。戦前日中紛争の実態を調べ、日本が太平洋戦争に突入するきっかけともなった、リットン調査団団長リットン卿はその孫に当たるという。

「ペンは剣よりも強し」という言葉は報道機関が政府の権力をチェックすることを意味しているが、最近の大新聞は政府に癒着してしまって、つまり権力側に行ってしまい、批判一つできない状況だ。これは戦時中の軍部による言論弾圧とは違った意味での、自民党の一党支配とそれに伴う政官癒着による日本的資本主義のなれの果てといえそうだ。

「ペンの記章」といえば、慶應義塾の校章として知られているが、制定のいきさつは、塾生有志の間で勝手に使われ出したものが、いつの間にか塾当局が公認するところとなり、明治33年には特に大学部の塾生に対して「記章附帽子」着用が告示され、ついに今日に至るというもので、いかにも義塾らしい鷹揚さが感じられる。ちょうどそのころの教科書の一つに「ペンには剣に勝る力あり」という句があったところから、これこそ学生の記章として最もふさわしいものと考え、さっそくペンをつけることにしたという。なお、この「ペンは剣よりも強し」の語句も義塾のモットーとして標榜され、それを表した三田の図書館の大ステンドグラスは、義塾を象徴するものの一つとなっている。

開成の通称「ペンケン」の校章は「ペンは剣よりも強し」の言葉を図案化したもので、ペンがサーベルを抑えているユニークなもので、このマークをつけた帽子を被り、このマークが浮き彫りにされた、黒いボタンを一杯つけた制服を着て歩くのは、気恥ずかしさと誇らしげな気持ちが同居していたっけなあ。

主治医


もう5年近くも経つか、東風とらの主治医は昭和大学付属豊洲病院の内科医である。5年程前、2週間の糖尿病検査入院の筈が、40日に及ぶ長期入院となって以来のお付き合いとなる。40日もかかったのは、別にどこかが特別に悪かったわけでなく、何のかんのと理由をつけてCTスキャンから始まり、全身検査をたらいまわしされた結果である。

毎日が退屈の連続で、看護婦の目を盗んでは間食三昧、禁煙する積りで出向いたのに、喫煙ルームで深夜まで悪友たちと遊びまわり、日中はローボート漕ぎを午前と午後20分繰り返し、10階までの階段上りを日に2回も敢行、なにが入院生活かと思えるほど、元気に過ごしていた。

けっきょく糖尿に関しても決定的な診断結果が得られぬまま、退院することになったが、あれだけの悪さをしていれば、数値が良くなるわけはないよなあ。退院してから少しして、それまでまったくなかった息苦しさを覚えるようになり、やがては階段の上り下りも辛い状態になった。今更そんなことをいっても始まらないが、考えてみると、入院中、6人部屋に入っていたが、その部屋の患者は重症の呼吸器患者ばかり、3日に1人くらいの割合で死亡者が出ていた部屋だった。2ヶ月もその部屋に住んでいたんだから、当然空気感染でこちらの健康だった呼吸器も犯されたんだろう、なんて一方的な妄言を吐きたくなるほど辛い日々が続いた。

それに対する主治医の対応は、まったくお粗末で、こちらで調べた療法を無理やり頼み込んでやってもらう始末だった。例えばステロイドの点滴療法である。この治療をすると病院を出て家に帰る頃には、気息奄奄じゃあなかった勇気凛々、元気溌剌、矢でも鉄砲でも持ってこいってな具合に、驚異的な回復力を演じてくれたのである。

ただ、問題はステロイド療法は、呼吸器官系には絶大な効果があるものの、血糖値があがるわ、血圧もあがるわの副作用が出てしまうのが難点で、アブハチ取らずになってしまうのが欠点だ。主治医の先生はあくまで内科の先生だから、血糖値にこだわるし、けっきょく中途半端のままここまで来てしまったが、どちらもほぼ正常な状態にあるのはどういうことなんか、まるで分からないのだ。

前置きが長くなったが、先生が呼吸器に対する決定的な判断を下してくれないから、自分なりに似た症状から、喘息、気胸、間接性肺炎、肺気腫、肺腺維症などを疑ったりしていたが、先日の新聞記事で、COPO(閉塞性慢性肺疾患)という病気が燎原の炎のように広まっているというのを読み、その症状から判断して、そうだ、これに違いないって自己診断したのである。やはり、医者を変えたほうがよさそうだなって思いと、そうなれば、また色んな検査をたらいまわしにされ、挙句の果てに決定的な診断を下されたらどうしようって、恐れとがない交ぜになって、ハムレットの一本杉状態なんである。

主治医


もう5年近くも経つか、東風とらの主治医は昭和大学付属豊洲病院の内科医である。5年程前、2週間の糖尿病検査入院の筈が、40日に及ぶ長期入院となって以来のお付き合いとなる。40日もかかったのは、別にどこかが特別に悪かったわけでなく、何のかんのと理由をつけてCTスキャンから始まり、全身検査をたらいまわしされた結果である。

毎日が退屈の連続で、看護婦の目を盗んでは間食三昧、禁煙する積りで出向いたのに、喫煙ルームで深夜まで悪友たちと遊びまわり、日中はローボート漕ぎを午前と午後20分繰り返し、10階までの階段上りを日に2回も敢行、なにが入院生活かと思えるほど、元気に過ごしていた。

けっきょく糖尿に関しても決定的な診断結果が得られぬまま、退院することになったが、あれだけの悪さをしていれば、数値が良くなるわけはないよなあ。退院してから少しして、それまでまったくなかった息苦しさを覚えるようになり、やがては階段の上り下りも辛い状態になった。今更そんなことをいっても始まらないが、考えてみると、入院中、6人部屋に入っていたが、その部屋の患者は重症の呼吸器患者ばかり、3日に1人くらいの割合で死亡者が出ていた部屋だった。2ヶ月もその部屋に住んでいたんだから、当然空気感染でこちらの健康だった呼吸器も犯されたんだろう、なんて一方的な妄言を吐きたくなるほど辛い日々が続いた。

それに対する主治医の対応は、まったくお粗末で、こちらで調べた療法を無理やり頼み込んでやってもらう始末だった。例えばステロイドの点滴療法である。この治療をすると病院を出て家に帰る頃には、気息奄奄じゃあなかった勇気凛々、元気溌剌、矢でも鉄砲でも持ってこいってな具合に、驚異的な回復力を演じてくれたのである。

ただ、問題はステロイド療法は、呼吸器官系には絶大な効果があるものの、血糖値があがるわ、血圧もあがるわの副作用が出てしまうのが難点で、アブハチ取らずになってしまうのが欠点だ。主治医の先生はあくまで内科の先生だから、血糖値にこだわるし、けっきょく中途半端のままここまで来てしまったが、どちらもほぼ正常な状態にあるのはどういうことなんか、まるで分からないのだ。

前置きが長くなったが、先生が呼吸器に対する決定的な判断を下してくれないから、自分なりに似た症状から、喘息、気胸、間接性肺炎、肺気腫、肺腺維症などを疑ったりしていたが、先日の新聞記事で、COPO(閉塞性慢性肺疾患)という病気が燎原の炎のように広まっているというのを読み、その症状から判断して、そうだ、これに違いないって自己診断したのである。やはり、医者を変えたほうがよさそうだなって思いと、そうなれば、また色んな検査をたらいまわしにされ、挙句の果てに決定的な診断を下されたらどうしようって、恐れとがない交ぜになって、ハムレットの一本杉状態なんである。

日だまり


僕らの世代では一種のアイドルだった女優、小林千登勢が亡くなったそうだ。享年66歳といえば、我が家の永遠のアイドル、のりこ姫と同い年である。ダンナの俳優山本耕一とオシドリ夫婦で有名だったが、病状が悪化すると、このダンナ、毎日病院へ駆けつけ看病に専念、求めに応じて、手作りの料理を食べさせていたそうだ。こんな美談を読んじゃうと、とてもじゃあないが、東風とらには無理だなんて思ってしまうよ。美談もいいけど、人に迷惑を与えるような美談はご免こうむりたいね。もっとも我が家ではこの順番にはならないだろうから、そんなに気にすることもないんだけどね。

天気のいい日は、9時過ぎになると、居間は光の洪水で、まさに小春日和となる。パソコンの画面が光って見えにくいので、目を皿のようにしながら、雑文を書いてインターネットに送る。なんの因果か同じ文章を3つのHPに送っているので、その手間もバカにならない。なんて思っていると、もうまろやかな暖かさが身体を包んでいて、否応なしに眠気の世界へいざなってくれる。

毎晩3時過ぎに寝るのが当たり前の生活なので、9時ごろに起こされても半眠半覚のモーロー体、新聞を読みながらノロノロと朝食を済ませ、パソコンのまえに座るとまもなく、この事態に遭遇するのだ。昔から8時間以上寝ないとシャンとしない習慣がついてしまっているから、5-6時間の睡眠では体がいうことを聞いてくれないのである。

それと昔から太陽の光は絶対満喫するんだという妄想を信じているから、この天の贈り物を逃がしてはならないという使命感と言訳の種とがごっちゃ混ぜになって、居眠りするか、光の中に身を投じて眠りを貪ることになる。だから、この時期、いい天気だから出かけるつもりが、この誘惑に負けていつもフイにしてしまうのが口惜しい。

もっと早く寝ればいいじゃあないかって?それにはね、猫の手も借りたいくらい、チョー多忙なにょうぼ殿が、猫の額ほどの狭い寝室の一部を仕事場にして、午前2時ごろまで頑張っているからさあ、寝たくても寝られないっちゅう、家庭の事情もあるだべさ。ちょっとでも手伝えばっていうご意見は、けっこう毛だらけ猫灰だらけだが、こんな化け猫みたいな仕事を猫糞したら、猫に小判みたいなもんで、猫いらずでも飲みたくなっちゃうよ。

だけど本音をいうと、午前1時過ぎにはNHK・BSはまさにプライムタイム、月、火はNFL、水、木はNBAかPGA、金はクラシック・ロイヤルコンサート、日はNFLかPGAと、見たい番組が目白押し、見終われば午前3時を過ぎている。そして睡眠薬を一錠飲んで寝るんだけど、元々寝ぼすけだから、睡眠薬なんてこれっぽっちも必要ないんだが、これを飲むと夢一つ見ないのが好都合ってなわけで、いつも寝ぼけ眼で起き出すことになる。

日だまり


僕らの世代では一種のアイドルだった女優、小林千登勢が亡くなったそうだ。享年66歳といえば、我が家の永遠のアイドル、のりこ姫と同い年である。ダンナの俳優山本耕一とオシドリ夫婦で有名だったが、病状が悪化すると、このダンナ、毎日病院へ駆けつけ看病に専念、求めに応じて、手作りの料理を食べさせていたそうだ。こんな美談を読んじゃうと、とてもじゃあないが、東風とらには無理だなんて思ってしまうよ。美談もいいけど、人に迷惑を与えるような美談はご免こうむりたいね。もっとも我が家ではこの順番にはならないだろうから、そんなに気にすることもないんだけどね。

天気のいい日は、9時過ぎになると、居間は光の洪水で、まさに小春日和となる。パソコンの画面が光って見えにくいので、目を皿のようにしながら、雑文を書いてインターネットに送る。なんの因果か同じ文章を3つのHPに送っているので、その手間もバカにならない。なんて思っていると、もうまろやかな暖かさが身体を包んでいて、否応なしに眠気の世界へいざなってくれる。

毎晩3時過ぎに寝るのが当たり前の生活なので、9時ごろに起こされても半眠半覚のモーロー体、新聞を読みながらノロノロと朝食を済ませ、パソコンのまえに座るとまもなく、この事態に遭遇するのだ。昔から8時間以上寝ないとシャンとしない習慣がついてしまっているから、5-6時間の睡眠では体がいうことを聞いてくれないのである。

それと昔から太陽の光は絶対満喫するんだという妄想を信じているから、この天の贈り物を逃がしてはならないという使命感と言訳の種とがごっちゃ混ぜになって、居眠りするか、光の中に身を投じて眠りを貪ることになる。だから、この時期、いい天気だから出かけるつもりが、この誘惑に負けていつもフイにしてしまうのが口惜しい。

もっと早く寝ればいいじゃあないかって?それにはね、猫の手も借りたいくらい、チョー多忙なにょうぼ殿が、猫の額ほどの狭い寝室の一部を仕事場にして、午前2時ごろまで頑張っているからさあ、寝たくても寝られないっちゅう、家庭の事情もあるだべさ。ちょっとでも手伝えばっていうご意見は、けっこう毛だらけ猫灰だらけだが、こんな化け猫みたいな仕事を猫糞したら、猫に小判みたいなもんで、猫いらずでも飲みたくなっちゃうよ。

だけど本音をいうと、午前1時過ぎにはNHK・BSはまさにプライムタイム、月、火はNFL、水、木はNBAかPGA、金はクラシック・ロイヤルコンサート、日はNFLかPGAと、見たい番組が目白押し、見終われば午前3時を過ぎている。そして睡眠薬を一錠飲んで寝るんだけど、元々寝ぼすけだから、睡眠薬なんてこれっぽっちも必要ないんだが、これを飲むと夢一つ見ないのが好都合ってなわけで、いつも寝ぼけ眼で起き出すことになる。

ジューシー


にょうぼは連日、怒涛のように押し寄せてくる仕事の波に埋没していて、食事の時間も惜しんでパソコンとにらめっこしている。もっともしばしば台所に出没しては、おやつの類を漁っているようだけどね。世間じゃ、とうの昔からババア族に分類されているわけだから、頑張っていると思うよ。

それに引き換え、東風とらは閑を持て余して怠惰な生活、同じ屋根の下、こうも違った生活が、波風も立たず無事になされているっていうのは奇跡に近いね。これはどちらかの一方的な奉仕の精神か、人道支援があればこそっていうことは、今更言を候たないことだけどね。

けっきょくは袋のまんま食べてしまうのに、ミカンのスジがきれいに取り除けるまで粘りに粘る、哀しいA型人間の悪しき習性なんだなあ。この作業が面倒で、ついミカンを食べるのを敬遠してしまう。たまさか、皮をむいた時、スジもきれいにはがれた時なんかは、きょうはついてるなんて、雄叫びを上げたくなるよ。カキは渋皮、クリは甘皮なんて呼んでいるようだけど、ミカンのスジは正式にはなんと呼ばれているんだろうかねえ。以前長崎から枝付きのバカでかいミカンが送られてきたけど、あれは甘味があり、すじも簡単に取れてしまう優れものだったなあ。やはり安いミカンほどむきにくくなっているってことなんかな。

ナシっていえば20世紀だったが、最近あんまり見かけなくなったなあ。品種改良が進みもっといいナシが量産されてきたからなのかなあ。皮ごと一口かじると、柔らかい感触から口の中に果汁がほとばしり出る、あの快感は忘れられないなあ。毎年義弟から律儀に送られてくる多摩川ナシもジューシーで、そのたんびに多摩川べりの梨園を思い出す。

モモのもったりとした甘味もいいもんだが、繊維が歯の間に挟まって、往生こくことが多いのは困りもんだ。まるごとガブリとやると被害が大きいから、切り分けたものを食べることが多いんだけど、やっぱ醍醐味にかけていて、なんか損したような気になってしまう。

バナナはかっては果物の王様といわれ、めったに口に出来ない、高嶺の花として貧乏人には垂涎の的だったが、いまじゃバナナの叩き売りもいいとこ、安物の果物として定着してしまった。元々、水気が少ないから果物ってイメージにはかけていたが、あのとろける甘さはさすがだね。ガキの頃に食べさせられた、乾燥バナナ、乾燥リンゴはいまから考えると、おぞましい味だったなあ。

ジューシー


にょうぼは連日、怒涛のように押し寄せてくる仕事の波に埋没していて、食事の時間も惜しんでパソコンとにらめっこしている。もっともしばしば台所に出没しては、おやつの類を漁っているようだけどね。世間じゃ、とうの昔からババア族に分類されているわけだから、頑張っていると思うよ。

それに引き換え、東風とらは閑を持て余して怠惰な生活、同じ屋根の下、こうも違った生活が、波風も立たず無事になされているっていうのは奇跡に近いね。これはどちらかの一方的な奉仕の精神か、人道支援があればこそっていうことは、今更言を候たないことだけどね。

けっきょくは袋のまんま食べてしまうのに、ミカンのスジがきれいに取り除けるまで粘りに粘る、哀しいA型人間の悪しき習性なんだなあ。この作業が面倒で、ついミカンを食べるのを敬遠してしまう。たまさか、皮をむいた時、スジもきれいにはがれた時なんかは、きょうはついてるなんて、雄叫びを上げたくなるよ。カキは渋皮、クリは甘皮なんて呼んでいるようだけど、ミカンのスジは正式にはなんと呼ばれているんだろうかねえ。以前長崎から枝付きのバカでかいミカンが送られてきたけど、あれは甘味があり、すじも簡単に取れてしまう優れものだったなあ。やはり安いミカンほどむきにくくなっているってことなんかな。

ナシっていえば20世紀だったが、最近あんまり見かけなくなったなあ。品種改良が進みもっといいナシが量産されてきたからなのかなあ。皮ごと一口かじると、柔らかい感触から口の中に果汁がほとばしり出る、あの快感は忘れられないなあ。毎年義弟から律儀に送られてくる多摩川ナシもジューシーで、そのたんびに多摩川べりの梨園を思い出す。

モモのもったりとした甘味もいいもんだが、繊維が歯の間に挟まって、往生こくことが多いのは困りもんだ。まるごとガブリとやると被害が大きいから、切り分けたものを食べることが多いんだけど、やっぱ醍醐味にかけていて、なんか損したような気になってしまう。

バナナはかっては果物の王様といわれ、めったに口に出来ない、高嶺の花として貧乏人には垂涎の的だったが、いまじゃバナナの叩き売りもいいとこ、安物の果物として定着してしまった。元々、水気が少ないから果物ってイメージにはかけていたが、あのとろける甘さはさすがだね。ガキの頃に食べさせられた、乾燥バナナ、乾燥リンゴはいまから考えると、おぞましい味だったなあ。

せんろっぽん


今日は朝から雲一つないいい天気だが、時折吹きつける強風が冬の寒さを運んでくる。最近テレビで、近頃の若い女の子を皮肉ったような内容のCMが放映されているが、その主役が「せんろっぽん」っていうことで、長い間眠りについていたこの言葉が、急にスターダムへとのし上がってきた。CMの効用とはいえ、嬉しい話ではある。

大根を千切りにすることを「せんろっぽん」という。漢字で「千六本」と書かれることもあるため、千切りよりも六本分細かく、と勘違いされることも多く、CMでもこのことを皮肉っているわけ。せんろっぽんは元々「繊蘿蔔」と書き、「せんらふく」「せんろぼう」と読む。さらに中国語読みで「セン(シェン)ロウポ」となり、これが「千六本」になったというわけで、「ろっぽん」は「六本」ではなかったのである。ちなみに、この蘿蔔はラテン語に由来するとも言われる。繊は細かい状態を指す言葉で、蘿蔔(あるいは蘿箙)は大根のことを表す言葉で、分かりやすくいえば「千切り大根」と同じなのである。だから、キャベツを千切りにしてもニンジンを千切りにしても「せんろっぽん」とは言わない、大根だけに使える言葉となる。

こんにゃくだとか、かんぴょうというと、これが野菜の一種だなんて、とても信じられない形状だよねえ。それにしても日本人って、そのまま食べてもうまくないものを、いかにしてうまく食べるかっていう、創意と工夫に満ち溢れた端倪すべからぬ民族だよなあ。ナマコ、フグ、イクラ、ウナギ、アナゴ、シャコ、クサヤ、アンコウ、干物、納豆、豆腐、山芋、トンブリなどなど。

こんにゃく芋を挽いたこんにゃく粉から作られるのがこんにゃくだが、その中でも細く麺のような形状のものを「糸こんにゃく」とか「白滝」と呼ぶ。何となく黒っぽいのが糸こんにゃくで、白いのが白滝というイメージがあるが、本当の違いはその製法の違いにある。

こんにゃくは、こんにゃく芋を粉にしたものを水で溶いて糊状(こんにゃく糊)にしてから形作り、石灰と反応させて固める。白滝はこんにゃく糊の状態でところてんのように突いて湯にさらし固めるが(関東式)、糸こんにゃくは固まってから突いて細くする、あるいは切って細くする(関西式)。形を作る順番が違うのである。しかし現在、大量生産されているものは、どちらもこんにゃく糊を突いた白滝の作り方が多く、違いは曖昧で、名称だけ関東では白滝、関西では糸こんにゃくと呼ばれる傾向にある。また関西では白よりも海草やお茶で着色された黒っぽいこんにゃくが好まれることから、目に見える違いは色の違い、ということになってしまっている。

せんろっぽん


今日は朝から雲一つないいい天気だが、時折吹きつける強風が冬の寒さを運んでくる。最近テレビで、近頃の若い女の子を皮肉ったような内容のCMが放映されているが、その主役が「せんろっぽん」っていうことで、長い間眠りについていたこの言葉が、急にスターダムへとのし上がってきた。CMの効用とはいえ、嬉しい話ではある。

大根を千切りにすることを「せんろっぽん」という。漢字で「千六本」と書かれることもあるため、千切りよりも六本分細かく、と勘違いされることも多く、CMでもこのことを皮肉っているわけ。せんろっぽんは元々「繊蘿蔔」と書き、「せんらふく」「せんろぼう」と読む。さらに中国語読みで「セン(シェン)ロウポ」となり、これが「千六本」になったというわけで、「ろっぽん」は「六本」ではなかったのである。ちなみに、この蘿蔔はラテン語に由来するとも言われる。繊は細かい状態を指す言葉で、蘿蔔(あるいは蘿箙)は大根のことを表す言葉で、分かりやすくいえば「千切り大根」と同じなのである。だから、キャベツを千切りにしてもニンジンを千切りにしても「せんろっぽん」とは言わない、大根だけに使える言葉となる。

こんにゃくだとか、かんぴょうというと、これが野菜の一種だなんて、とても信じられない形状だよねえ。それにしても日本人って、そのまま食べてもうまくないものを、いかにしてうまく食べるかっていう、創意と工夫に満ち溢れた端倪すべからぬ民族だよなあ。ナマコ、フグ、イクラ、ウナギ、アナゴ、シャコ、クサヤ、アンコウ、干物、納豆、豆腐、山芋、トンブリなどなど。

こんにゃく芋を挽いたこんにゃく粉から作られるのがこんにゃくだが、その中でも細く麺のような形状のものを「糸こんにゃく」とか「白滝」と呼ぶ。何となく黒っぽいのが糸こんにゃくで、白いのが白滝というイメージがあるが、本当の違いはその製法の違いにある。

こんにゃくは、こんにゃく芋を粉にしたものを水で溶いて糊状(こんにゃく糊)にしてから形作り、石灰と反応させて固める。白滝はこんにゃく糊の状態でところてんのように突いて湯にさらし固めるが(関東式)、糸こんにゃくは固まってから突いて細くする、あるいは切って細くする(関西式)。形を作る順番が違うのである。しかし現在、大量生産されているものは、どちらもこんにゃく糊を突いた白滝の作り方が多く、違いは曖昧で、名称だけ関東では白滝、関西では糸こんにゃくと呼ばれる傾向にある。また関西では白よりも海草やお茶で着色された黒っぽいこんにゃくが好まれることから、目に見える違いは色の違い、ということになってしまっている。
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