コジゼラ

よもやま話を雑文で

2004年07月

ペンペングサ

オオオニバス7月31日
オオオニバス・夢の島熱帯植物園
(註:画面上をダブルクリックすると、別画面で大きな画像になります)


豊洲周辺は一大建築ブームが続いているが、これから建設がはじまる広大な工場跡地には雑草が生い茂っていて、そのムっとした感じが暑さをいや増す仕掛けとなっている。「あの家にはペンペングサが生えている」っていうけど、江戸時代の戯作者、式亭三馬の作品の中に「こほろぎやペンペン草の生えそうな屋台骨」って記述があるように、ペンペン草って表現はかなり昔から使われていたらしい。ペンペンというのは江戸言葉で三味線のことをいうが、これはペンペン草の本名「ナズナ」の果実が逆三角形をしていて、三味線のバチに似ているからの呼び名だろう。

ナズナは春の七草の一つ、鎌倉時代の古歌「芹なずな 御形はこべら仏の座 すずなすずしろ これや七種」と歌われたように、五節供の一つである人日の節供(1月7日)に七草粥を食するのが古来からの慣習だった。ナズナは都会や農村の路傍や空き地のどこにでも生えているアブラナ科の越年草だが、最近めっきりへってきた気がする。

こんなことを調べていて、とても重要なことを知らされた。っていうのは雑草と言う表現、どこにでも見られる草花を簡単に雑草と決め付けていたが、これがたいへんな間違いだと知ったのである。雑草と野草との間にははっきりとした区分があるんである。これにはビックリしたな、もう。雑草とは水田や畑に栽培する作物以外に生えてくる草や、都市や周辺の公園・路傍などに生える役立たずの草をいう。

雑草は逞しい生き方をする反面、自然への適応力が弱いところがあるそうだ。いわゆる雑草たちは人里植物といわれ、人間の生活圏である都市周辺の空地や道路、田畑などには茂るが、山深く進入することが出来ない。天然に住み着いている山野草とは競争する力がないわけだ。その上セイタカアワダチソウなどの外来植物などには己の領分をドンドン侵食されてしまう。そう野草と区別しなければならないところは、このか細さにある。

雑草のように強く逞しく粘り強く世の中を生き抜けと、「雑草主義」とか「草魂」とかいう根性物やスポ魂物がひところもてはやされたが、どうやらこの表現は間違いのようだね。人間の身近に寄り添って生育する雑草は、ある意味では乳母日傘のように、過保護を受けている存在であるからだ。逞しいのは野草であって、決して雑草ではないのである。ちなみに都会や田畑で雑草に分類されるのは、メヒシバ、スベルヒユ、エノコログサ、スギナ、イヌタデ、カタバミ、スズメノカタビラ、チドメグサ、コニシキソウ、オオバコ、イタドリ、そしてナズナだそうだ。




油照

ソテツ7月30日
(ソテツ・小石川植物園)

うす曇で風がなく、ジリジリと日が照って、じっとしていていても脂汗が滲んでくる夏の日を、俳句の季語では「油照」というそうだ。本来は8月中旬以降に使うのがふさわしい言葉だが、あまりの暑さに思わずこの言葉を実感として感じたよ。木陰で涼もうとしたら、ものすごい「蝉時雨」、まるで狂ったように泣き叫ぶ様は、地面を揺るがすようだ。暑さついでに、じっくりと聞いてみようと、一際やかましい斉唱の下に立ち止まり、オシッコを掛けられるのを覚悟の上、そっと上を仰ぎ見ると、セミの姿はかけらも見えない。そのかわりあちこちの枝に脱皮した残骸がしっかりと張り付いていた。

「土用」というのも暑さを感じさせる言葉だが、これはウナギがついてくるから、まだ許せるけど、「油照り」は鬱陶しいだけで、なにもいいことなんかない。「土用」という言葉は本来、四季それぞれの終わりの18日間を指す言葉だったが、いまでは7月20日頃からの夏の土用だけを指すようになってしまった。明日7月31日は土用の終わりの日だったんだ。到来物のウナギがまだ残っているから、これを肴にエビスビールを一気に飲み干そう。タンブラーを冷蔵庫で冷やしておいて、氷をなんかけらかぶっこむ。ブラックエビスを混ぜ合わせ、「ブラック・アン・タン」で飲むってのはいまさらいう必要もないけどね。

にょうぼがすっころび自転車をぶっこわしてしまったので、新しい自転車を買うことになった。あまり乗らないにょうぼに愛用の自転車を払い下げ、新車に乗ることになった。新しいものにお目にかかるのは、なににも増してドキドキするものだ。新車を引き取りにテクテク歩いていく最中、猛烈なシャワーに襲われたけど、興奮しているからちっとも気にならなかったね。だけど、いざ引き取る段になると、少しでも早く乗りたい気分をじっと押えたね。だって、折角の新車を雨に濡らすのは、いくらなんでも躊躇われるもんなあ。

雨上がりを待って、いよいよ新車のお披露目、またドキドキしてきたよ。三段ギア付き、暗くなると自動的に点灯するライト、エア漏れの少ないアメリカンバルブ、頑丈なキーロック、色んな装備が付いている。取る物も取りあえず、古戦場たる隅田川の土手まで一気に飛ばしたが、走っているうちに期待はドンドンしぼんできたね。一番期待していた三段ギアは以外に力がなく、ガッカリもいいとこ、前のポンコツ車のほうがもっと馬力があった。いま、やはりこの車はにょうぼ専用にして、ポンコツに乗ろうかなって真剣に考えている。

おっかけ

遊覧船・ひみこ7月29日
隅田川遊覧船「ひみこ」

人間の身体って、すこぶる環境に適応しちゃうんだなあ、そして、それがいいか悪いかつくづく考えてしまう。きょうも引き続き35度を越える猛暑だったが、なにせ39度を二度も体験しちまうと、この程度の暑さなんか屁でもない。5時間ほど隅田川っぺりを自転車で駆けずり回ったけど、川風が快くて涼しく感じちゃうんだからどうしようもない。


その一方で、ずっと我慢していたクーラーをつけ始めたら、すぐこれにも慣れちゃって、ちょっと蒸し暑いと、もう我慢が出来なくなる。いままで暑さを切実に感じていなかったのに、クーラーを止めると、直ぐに蒸し暑さでイライラしてしまうのも困ったもんだ。これは抵抗力が強くなったんだろうか、それとも弱くなったんだろうか判別に苦しむが、どうしたもんだろうね。

街中から、花の類いがほとんど姿を消して、カメラを操る楽しみがすっかりなくなってしまったのも、猛暑と熱中症を口実に家に篭る数日間だったが、きょうは隅田川をまたぐ中央大橋の真中にドッカリと腰を下ろし、通り過ぎる遊覧船のおっかけをやってみた。歩道の日陰の場所に腰を下ろし、おもむろに文庫本を開く。いくら隅田川周遊の観光船が多くなったといっても、ラッシュアワーの山手線のようにはいかないから、だいたい10分おきぐらいの待ち時間があるからだ。頃合を見計らって橋の左右を遠望し遊覧船が視界に入ってくると、反対側からくる船については橋のどの辺を通るかを慎重に見定める。狭い橋ではないから、道路を横切って反対側に駆けつけるわけにはいかないからだ。

はじめてスポーツモード、連写設定で撮影してみたが、中々うまくいかず、せっかくのシャッターチャンスを何度も逸してしまった。特に撮りたい船の場合、失敗すると、その船がお台場からユーターンしてくるまで待たなければならない。その時間差はほぼ1時間、その間、近所を走り回って時間をつぶすことになる。けっきょくお目当ての「ひみこ」は往復1回半分の時間を費やしてしまった。ようやく慣れてきた頃には日没が迫っていた。よっぽどの閑人じゃあなけりゃ、とてもじゃないが出来ない相談だろうけどね。

東雲節

エンジェルトランペット7月28日
(エンジェルトランペット・枝川)

東雲っていえば豊洲に隣接し、いまや高層ビルが林立する湾岸エリアの一角として、錚々たるものがあるけれど、つい10年程前まではあたり一面にペンペン草が生えていた。過ぎ去りし昔、この地には都営のパブリックコース「東雲ゴルフ場」があり、都心から近いこともあって人気が高かったけど、東京副都心計画の犠牲となって消えてしまい、ゴルファーをがっかりさせたものだ。

<東雲のストライキ さりとはつらいね ってなこと おっしゃいましたかね>。のんき節だったか、オッペケペーだったか、東雲節だったか忘れたけど、この東雲のストライキって文句は妙に気にはなっていたんだけど、いま頃になって妙な筋から知ることになった。夕刊ゲンダイに10年1日のごとく、飽きもせずポルノ小説を連載しているのが、宇能鴻一郎大先生。なぬ、まだ、そんなエッチもん読んでるのって言われると面目ないけど、あえて言訳すれば、今をときめく村上豊画伯描くところのネッチリ、モッチリした挿絵が面白くて、つい、ついでに読んじゃうんだ。

連載の中に「熊本の遊郭では東雲楼という大店が有名だった。なぜ有名かというと、明治時代の初め、ここで娼婦の待遇改善要求ストライキがあり、あの歌が流行った>とある。宇能大先生もたまには為になることをいってくれるんだわい。でも、そんな古い歌をッ昭和二桁の東風とらが何故知ってるんだろうって思ってたんだが分ったよ。後に国会議員まで出世した、石田一松がヴァイオリン演歌で、「のんき節」で「ハハ、のんきだね」って歌っていた曲の一つだったんだ。

「東雲節」は明治時代の演歌師の中心的存在だった添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)が歌った壮士節の一つで、のんき節などとともに、社会的、ジャーナリスト的な唄が多かった。「のんき節」はその後、石田一松が「のんきな父さん」シリーズを唄い大ヒットした。添田唖蝉坊の息子、添田さつきが16歳の時、救世軍の街頭宣伝に使っていた軍歌「ジョージアマーチ」に歌詞をつけた「東京節」を作り評判となった。

「ラメチャンタラ ギッチョンチョンデ パイノパイノパイ パリコトパナナデ フライ フライ フライ」という、かの有名なパイノパイである。これもおかしな歌だけど、いまでも、この歌詞をちゃんと覚えているからおかしいなあ。だけど、大正時代に流行った歌を知ってるはずはないし、どうして覚えたんだろうか、これまた不思議だなあ。

関東甲信越

ノハラアザミ7月27日
(ノハラアザミ・木場公園)

沖縄代表が中部商に決まり、甲子園晴れの一番切符を手にしたのを手始めに、まもなく夏の高校野球地区代表校が決まる。例年にない連日の猛暑の中で、選手や観客の熱中症被害が急増しているようだ。沖縄や鹿児島、北海道など参加校が少ない地区はまだよいとしても、東京、横浜、大阪など代表の栄冠を勝ち取るためには、6回か7回も試合に臨み、終盤には連戦を余儀なくされる地区はたまったものではない。予選で全力を使い果たし、肝心の本番であっさり負けてしまうのも皮肉な話だ。

数年前から1県1代表制(東京は2代表)になったけど、それ以前の関東という区分では南関東、北関東、東京の3地区に分かれ予選を戦っていたから、試合数も半端じゃなかったことになる。ところで最近では天気予報でも、関東甲信越という表示は出たり出なかったりしているねえ。信越が中部地方と北陸地方にという概念が固定してきたこともあるのかなあ。その代わりとして、時として「加越地方」(むかしは嘉悦)という表現が見られるようになった。嘉悦というのは加賀、越中、越後(石川、富山、新潟)のことをいうのだろうと思っていたが、新潟は入っていないらしいし、福井県も逸脱することなんだろうか、わからん。

通常、「北陸地方」といえば、福井・石川・富山の3県で、新潟県は「関東甲信越」に含まれる。ところが、気象情報では新潟県を「北陸地方」に含めることがままある。気象庁の地域区分では新潟県は富山・石川・福井の各県とともに「北陸地方」とされている。しかも、“おまけ”で北陸に入っているのではなくて、「新潟地方気象台」が「北陸地方」を担当する気象官署だから、新潟県を北陸地方から抜くことができないわけらしい。

ところで、気象庁には五つの管区気象台がある。札幌管区気象台(管轄:北海道)、仙台管区気象台(管轄:東北)、東京管区気象台(管轄:関東・甲信・東海・北陸・三重県)、大阪管区気象台(管轄:関西・山口県を除く中国・四国)、福岡管区気象台(管轄:山口県・沖縄県を除く九州)となる。おかしな区分も幾つか見られるけどね。

ケヤキ

ケヤキ7月26日
(ケヤキとシダレとアメシャンと・新宿御苑)

我が家前の公園に、鄙には稀な欅の大木がある。ちょっと大袈裟な表現だが、この辺りは埋立地だったから、周囲の木も若い木が多いだけに目立つのである。ケヤキというと箒を逆さまにしたような冬の寒々しい光景を演出するので知られているから、若芽からあっというまに木一杯に葉っぱが芽生えると、高木でありながら目立たなくなってしまう。


枝川から越中島へ抜ける街道の並木道も、近頃では珍しいケヤキ並木である。木はまだ幼いけど、冬場に枯れ枝を一斉に天に向けて聳え立っているのは壮観である。ケヤキを眺めていると他の落葉樹が冬芽を開いて、緑の色を薄くのぞかせ始めても、ケヤキだけは頑として冬姿を解いてくれない。そのうちに高い梢の辺りにウッスラと浅緑の一掃けが臨まれるようになると、ごく小さなケヤキの冬芽も重なった芽鱗を開いてギザギザのある緑葉が伸び広がってくる。この若草色した新芽の鮮やかさにはたまらないものがある。

「ケヤキの芽が不揃いだと晩霜がある」、「ケヤキの新芽が一斉に出ると霜が来ない」などと、地方では言われているように、ケヤキの芽出しは頑固のようで敏感だから、天気予報の代わりを務めていたことになる。世の中の変化が激しい中で、そのとばっちりを最も受けているのはケヤキじゃあなかろうか。ケヤキの落ち葉が多くて困るとか、道路やマンションを建てるのに巨木が邪魔だからと伐られてしまったなどの話も多い。

ケヤキで印象的なのは、なんといっても皇居東御苑にある広大な広場の両端に聳立する二本のケヤキの巨木だろう。その高さにも驚かされるが、葉のあるときとない時との落差の大きさは周囲の景色を一変させてしまう威力を持っている。次は新宿御苑の和式庭園から眺めた光景が印象的だ。手前にアカマツ、中にシダレザクラ、背後に新芽溢れるケヤキの大木。高さの設定も見事だし、色の濃淡も鮮やかで、この3点セット見たさに何度も通ってしまうほどだ。

去年はその執念が実り、とてつもないプレゼントに出くわしてしまった。うららかな春の日の中で、金髪ノースリーブの外人女性がアカマツを日陰にし、芝生の上に寝そべり読書にいそしんでいたのである。手前からのローアングルからだと3点セットもバッチリ入る。思わず立て続けにシャッターを切ってしまったね。この思いがけない4点セットは、いまも東風とらの大切な宝物だね。ケヤキ万歳!!世界人類に平和を!!

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寒ブリ

ヤブカンゾウ7月25日(ヤブカンゾウ・小石川植物園)

薬草園にノカンゾウとともに植えられていた。「藪萱草」と書き、花弁化したオシベとメシベが八重咲きの形となる。古来より薬膳に使われてきたそうで、一日花である。







今年はいつになくアジサイがきれいで、色とりどりの花を咲かせてくれた。青、赤、白、ピンクなどが入り混じって咲いていたが、やはりアジサイはブルーが一番引き立つ。藍色の小花が集まって咲くことからつけられた「アツ(集)サイ(藍)」が転訛したそうだから、当たり前かもしれないね。ガクアジサイは中央の花を縁取る装飾花を額縁に見立てたのが名前の由来らしい。となるとかなり新しい種類なんだろうね。日本に古来からあるヤマアジサイを品種改良したらしいが、ガクアジサイをさらに改良したのがスミダノハナビ、見事な名前を付けたものだ。

富山湾で獲れるブリは古来より「越中ブリ」と呼ばれ、今も最高級ブリの代名詞となっているが、その中でも特に氷見の寒ブリといえば、東京の築地市場でも高値で取引されるブランド魚だ。かつて、富山湾で獲れたブリは塩ブリに加工され、山道を越え、糸魚川や飛騨高山を経由し、いわゆる「ブリ街道」で遠く信州の山里にまで運ばれた。晩秋から初冬にかけて、富山湾では、雷鳴とともにシケに見舞われることがあるが、これがブリの豊漁を告げる「ブリ起こし」といわれ、この時期に富山湾沖で獲れるブリは、最も脂が乗って美味しく、特に「寒ブリ」と呼ばれて珍重されてきた。ブリは出世魚の一つで、富山県では成長によって「ツバイソ(コズクラ)」「フクラギ」「ハマチ」「ガンド」などと、呼び名を変えている。(富山県のHPより)

富山県の氷見市といえば、上記のように「寒ブリ」の集積地としてつとに有名だが、も一つ意外なことで有名なのが氷見に隣接する新湊市だ。好事家の間で隠れた話題として囁かれているのが奇妙な名字の数々である。富山湾に面する小さな漁港だが、一番多い「釣(つり)」さんを始めとして「魚(うお)」、「草」、「菓子」、「餡」、「壁」、「酢(す)」、「菊」さんなど、他ではちょっとお目にかかれない名字が名を連ねている。中でもユニークなのは「分家」さんで市内に数件あるが、肝心の「本家」さんのないのは面白い。

ここは江戸時代漁港として栄えたところで商人の町だった。明治時代に名字が義務化された際に、商家の人たちが扱っていた商品名をそのまま名字にしたことに由来しているようだ。学生時代友人と3人で、父の親友だった栃屋の住職に案内され、工事中だった黒四ダムへ行った思い出はいまでも鮮烈に残っている。栃屋は富山地方鉄道に統合された黒部鉄道の沿線で、黒部は当時三日市といってた記憶がある。なんだか、頼まれもしないのに、富山県の宣伝をしちゃったみたいだねえ。

カラムーチョ

ネムノキ7月24日(ネムノキ・葛西臨海公園)

この燃えるような花には、今年は会えないだろうと思っていただけに、帰路道ばたで見つけたときは嬉しかった。小石川植物園ではほとんど枯れかけていたからだ。合歓の木、なるほどねえ。


年甲斐もなく腹が減ってしょうがない。パソコンの合間、新聞を読みながらいつのまにか手を出しているのは、コンビニで買い求めてきたスナック菓子である。とりわけジャガイモをチリパウダーで加工した湖池屋の「カラムーチョ」には目がない。チリとはスペイン語でトウガラシのことをいうそうだが、チリとニンニク風味の混じった味がたまらない。ポテトチップ風のものと小さく棒状に切ったものとがあるが、好みは後者である。

なんせ封を切ったら食べ切るまで終わらないのが、この手のスナック菓子の特長で、ほんと食べだしたら止まらないのである。最近久しく見かけなかったアリサンが家の畳の上を列をなして歩いているから、ヤバイ、畳が腐ってきたぞって思ったりもしたが、よくよく考えてみたら、あちこちに食べこぼししてたからだった。ほほ週1階の割合で現れるマゴリコが、いつも両手に菓子類を持って歩きながら頬張っているのも一因だ。歩いているだけなら見逃したけど、パソコンの上を歩いたり、東風とらをチクリと刺すに及んで、アリサンには可哀想だったが、アリキラーの出動で退散させたけど、だからといって、元凶である「カラムーチョ」を止める気がちーっともないのは困ったもんだ。

さて、いつもはポイ捨てしている入れ物をシゲシゲと見ていたら、「こんなに辛くてインカ帝国!?」なんてダジャレが大きく印刷されているのが目に入った。どうやらキャッチフレーズらしい。なんともさぶいギャグだけど、カラムーチョというネーミングといい、こお冴えないフレーズといい、こういうのってけっこう好きなんだよなあ。絵コンテも憎たらしそうなバアサンが、バカボンパパみたいにバカずらして「シェー」ってわめいているし、猫はひっくり返っているし、全体が真っ赤というド派手なデザインといい、こんなプレゼンが堂々とまかり通るだけでも、この会社を見直すなあ。

それにしても、この会社かなり儲かっているよ。だって味も辛いけど、一袋の容量もかなりケチっているし、シケ防止のためという大義名分で、空気も必要以上に入っている。グラム単価に置き換えるとかなり高い値段につくのである。ふと裏返して成分表を見る。なぬ!?1袋327calもあるの、ああ、見なきゃあよかった。それとカラムーチョのHPもあるの?面白そうだからのぞいてみようっと。

もっての他

ハマユウ7月23日(ハマユウ・葛西臨海公園)

先日、街中で撮ったけど、やはり浜木綿は海岸にあってのもの。はるばる出かけた甲斐あって、浜辺に群生し風にそよいでいた。やはり海岸の岩場でこそジャスピンだった。







先週の「トレビの泉」で、他人様にはどうでもいいことだけど、東風とらには大いに関心があることをやっていた。いわずと知れた言葉の問題である。「ろりろり」と「きっとばか」という熟語があるということで、「ろりろり」は、恐ろしくて落ち着かないって意味で、動詞は「ろりぬく」といい、「きっとばか」は、「急度馬鹿」または「屹度馬鹿」と書き、利口そうに見えてバカな人を言うという。こんな雑文を書いていると、急度馬鹿どころか、大馬鹿地蔵だなんて思われそうで、ろりろりしてしまいそうだ。

とんでもないこととか、思いもよらないことを「以ての外」というんだけど、東北地方で栽培されている食用菊にも「モッテノホカ」という品種がある。山形辺りには、むかし、殿様が狩りに出て一軒の農家で休んだ。そこの老婆が渋茶とともに、あり合わせの菊びたしを差し出したところ、殿様は「これはうまい、百姓にはもってのほかであるぞ」とほめたので、この菊を「モッテノホカ」と呼ぶようになったという話が伝わっている。まるで「目黒のサンマ」みたいな話だけど、モッテノホカは山形、寒河江など最上川流域で盛んに栽培されているが、同じ品種が新潟では「オモイノホカ」と呼ばれているのも興味を引くなあ。

「鬼も十八、番茶も出花」、品質の低い番茶でも、入れたばかりの出ばなは香りが高いように、器量の悪い娘でもこの年頃になれば、なまめいて魅力があるという意味だよねえ。
八十八夜ごろ、新しく伸びてきたチャの新葉の上から三枚ぐらいをつんで造るのが玉露をはじめ高級の煎茶や抹茶である。中でも最高級の茶は最上の葉一枚を摘むそうだ。それから下方の葉は二番茶、三番茶として摘まれ、新茶を摘んだ後に、前の年に伸びた古い枝についている古い葉だけを摘んだのが番茶である。番茶は強い熱で乾燥するので褐色になり、見場は悪いが冬越しをした古い葉には糖分などの養分が残っていて焙じると特有の香気がある。

「滄桑の変」という言葉、桑畑がいつのまにか海に変わってしまう故事から、天地の変転の激しいことをいい、世の中が移り変わる凄まじさの喩えとなった。土地を埋め立てたり、バブルが弾けたり、工場跡地に高層マンションが林立したり、モノレールができたり、地震で崩壊したり(これは仮定だが)、この豊洲周辺はまさに「滄桑の変」真っ盛りだ。

ひみこ

ブーゲンビリアキイロ7月22日(ブーゲンビリア・夢の島)

ブーゲンビリアはアオイ科フヨウ属の一員で、本名はブッソウゲ。世界各地に野生していたが、品種改良されたシュがハワイに渡り、熱帯植物として珍重されるようになった。ハワイの国花にまで上り詰めた出世頭だ。






隅田川往来を繰り返していると、だまっても目に入ってくるのが往来する観光船の多さである。隅田川の自然がよみがえり、橋が美しくライトアップされ、佃、勝どき、お台場などの新名所が目白押しということもあり、大勢の乗客が遊覧を楽しんでいるようだ。

その中でもひときわ目立つのが4月から就航した「ひみこ」という遊覧船だ。名作アニメ「銀河鉄道999」の原作者、松本零児がデザインした近未来を思わせるユニークな船体だ。隅田川をすべるように走ってくる「ひみこ」を見ると、しめたとばかり写真を撮ってしまう習慣がついてしまった。とりわけ夕陽を浴びながら隅田川を悠然と進むシルバーメタルの船体は荘厳ささえ感じさせる。船体を大きく撮るなら吾妻橋の上か、お台場乗船場、ダイナミックに撮るならレインボーブリッジの上、風物として撮るなら聖路加病院をバックに佃大橋付近、叙情的には清洲橋をバックに、あとは各橋の上からの俯瞰撮影だ。

ただデザインを重視するあまり密閉式になっているから、折角の墨田の川風を満喫できないもったいなさもある。船体も低く押えられているから目線も低くならざるを得ないだろうし、どうやら乗るよりも見てるほうがいっそ楽しそうな感じもする。ミシシッピー川を走っていた水車が回転する蒸気客船を模した船や、昔懐かしいポンポン蒸気船、クルーザー形式の大型客船などが入れ替わり立ち替わり登場するので、それらを見ているだけでも楽しみは尽きない。

「銀河鉄道999」は宮沢賢治の名作、「銀河鉄道の夜」をヒントにして出来上がった作品だ。この原作はとっても幻想的な物語で、詩情はあるけれど、幻覚に操られたような異様な雰囲気もある。カンパニュラっていう女の子の名前がとっても印象的だったけど、当時、賢治はヴァン・ゴッホと同じように、幻覚症状を起こすジギタリス(カンパニュラの別名)を多用してた。

「いわて銀河鉄道」は、岩手県を中心に沿線市町村や地元企業が出資している「第三セクター方式」の鉄道会社だ。東北新幹線の盛岡〜八戸間の開業に伴い、JR東日本から経営分離され,東北本線の盛岡〜目時間を引き継いで開業した。宮沢賢治ゆかりの好摩、渋民、滝沢などの駅があるが、新幹線の開通と同時に第三セクターに移管される地方鉄道は、当然赤字路線だったわけだから、今後の運営も大変のようだ。

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