(スイレン・夢の島)
「あいつはしんないから嫌いだ」、なんていうと、まず話は通じない。この「しんない」は新内のことではなく「品ない」っていう意味で、くっちやべった積もりなんだけどね。品川を漢字変換していて、何度やっても「鄙側」となっちゃって、おかしいなって何度か首をかしげたことか。「顰蹙」って字も中々出てこなかったけど「しんしゅく」とインプットしているんだから出るわけないよねえ。っていうわけで、未だに「し」と「ひ」の区別ができないのだ。
東京言葉ってくくりがあるのかどうかは知らないけど、普段使っている言葉でも地方出身者が聞けば理解できない言葉っていうのも、けっこうあるもんだ。東京っ子は水をかけられたりすると「わっ、つべてー」っていうが、だからといって「お前って、つべてー奴だな」とはいわないけどね。同じように「傘をつぼめる」は正しいとして、「肩をつぼめる」などと、なぜか、いつのまにか「す」が「つ」へと訛ってしまう。
「でずいらず」(手数要らず)とは無難なこと、「この品物はでずいらずだから、いいと思うよ」などと遣う。「ご飯てんこ盛りにしてよ」なんてのは今でもよく使われていると思うけど、まさか「天骨盛」って書くとは知らなかった。「天骨」とは天空に骨などがありようもないことから、「途方もない」とか「とんでもない」という意味で使っていたようだ。野良猫も「のらねこ」というより「どらねこ」、むかし、おばあちゃんがおかずによく出したのが「にこごり」、元々魚は好きじゃなかったのに、まして煮魚だなんてとんでもない、あれを出されると閉口したなあ。
「はまる」なんて言葉、若い女の子が気楽に使っているのを聞くと、なぜかドキっとする。むかしは「女に嵌る」なんて悪い言葉の代表格だった。ガキの頃は、ろくに分ってもいなかったのに、大人びた表現が嬉しくて、セックスのことを「はまる」なんていっていた。だから「どんぐりコロコロ どんぐりこ お池にはまって さあ大変」なんて歌は、まるでエロ歌みたいなもんで唱歌の授業中、悪童たちはクラスの女の子の顔をニヤニヤしながらうかがったりしてたもんだ。
「風呂敷」はふるしき、ガキのころ「古敷」と書くもんだと信じていたし、台所にあった「みみだらい」はてっきり耳を洗うもんだと思っていた。たらいについてる取っ手のことを「耳」っていうのも知らなかったからね。そういえば「銭湯」のことを「ゆうや」(湯屋)っていっていたし、母親は出掛けるときに、「ちょっと用足ししてくる」なんていって出ていき、なにがちょっとだ、中々帰ってこなかったなんてことも多かった。