コジゼラ

よもやま話を雑文で

2004年11月

流行語

キク細管シロ11月30日(火)
(キク細管シロ・日比谷公園)

先日発表された「知恵蔵」(朝日新聞)による、今年一年を代表する流行語を選ぶ「ワード・オブ・ザ・イヤー」では、韓国の俳優、ペ・ヨンジョウンの愛称「ヨン様」が最高点を獲得した。接戦の二位はナベツネの「たかが選手が」、審査員特別賞は水泳・北島康介の「ちょー気持ちいい」と「球界再編」だった。

ところで、年末恒例の「流行語大賞」に60の言葉がノミネートされた。いままでの例だと、ジャンルを問わずって言葉が多かったが、今年の候補群を見てみると、「アテネ・オリンピック」、「プロ野球界」、「韓流」、「小泉発言を初めとする政界」といった大きなくくりが目立っている。オリンピック関連では「栄光の架け橋」、「なでしこジャパン」、「長島ジャパン」、「チョー気もいい」、「気合だ」、「田村亮子でも金、谷亮子でも金」、「あと20年かけて金だね」、「私の人生の中では金メダル以上のメダル」、「中年の星」など数が多い。

プロ野球関連では「フルタ!」、「たかが選手が」、「ライブドア」、「新規参入」、「オレ流」、「新庄節」、韓流では「ヨン様」、「ヂウ姫」、「冬ソナ」、「韓流」、政界関連では「中二階」、「人生いろいろ」、「未納三兄弟」、「自己責任」、「「改革の本丸・疑惑の本丸」、「栄養費」、産業再生機構入り」、「総額標示」、「人格の否定」など。そのほかでは「負け犬の遠吠え」、「ハルウララ」、「電車男」、「あらすじ本」、「ハッスル!ハッスル!」「空弁」、「駅ナカ」、「萌える」などがランクされている。

オレ流では、アテネ・オリンピック男子体操団体決勝、富田洋之選手が会心の鉄棒演技で日本の逆転優勝を決めたとき、NHK・刈家富士雄アナが発した絶叫、「栄光の架け橋」がベストと思っているがね。「「たかが選手が」って言葉も使い勝手がいいねえ。「たかが選手の分際でふざけるな」って略だと思うが、「たかがナベツネが」、「たかが小泉が」、「たかがプロ野球が」、「たかがジャイアンツが」、「たかが清原が」、などと色々応用できるのが嬉しいねえ。

それにしても「韓流」のばかばかしさ加減にはあきれちゃうよねえ。ヨン様の来日に女性ファンが殺到し、怪我人までも出る始末。だけど、もっとひどいのはマスコミだぜ。ヘリコプターまで出動させて、もう鵜の目鷹の目、ヨン様のお泊りになったホテルの部屋まで侵入し、ゴミ箱まで漁らせるあざとさだ。ヨン様ブームのきっかけは「純愛」だったけど、結末は「悪女の深情け」みたいな騒動だったね。


ファン心理

キク厚物キイロ11月29日(月)
キク厚物ピンク・日比谷公園)

長年ジャイアンツ・ファンをやってきたから、最近過熱している清原の去就問題で、ファンから起きている熱烈な「清原コール」はよく分かる。近頃のジャイアンツは並べて優等生ばっかりになってしまい、個性的な選手がいなくなってしまっているからである。ジャイアンツといえば、良くも悪くも個性派集団の集まりで、そうした侍たちをうまく操って勝利に導くのが有能なコーチを従えた監督の手腕だった。個性派軍団は口も達者だったがやることもちゃんとやった。

そうした華やかな存在感に対する渇望があるために、幻想を求めて、ファンは落とし穴に陥ってしまう。清原には確かに存在感はあるが、野球選手としての仕事をまったく果たしていないし、どちらかといえば品性下劣なヒールである。こんな選手はジャイアンツにいてはいけないのである。ベテランであればあるほど、自分に与えられた仕事をきちっと果たす責任がある。その責任を放棄してしまった選手にとやかく言う資格なんかありゃあしないのだ。

肝心かなめの部分を欠落させている清原も球団も堀内監督もファンも勘違いがはなはだしい。プロなんだから、高い給料貰ってるんだから、働けなくなったらクビは当然、老兵は去るのみである。ジャインツの球団首脳はいつだって傀儡政権、そのくせ、いつも要らんお世話をする。清原に払ってきた高額な金はドブに捨てたようなもの、そのつけで、若手有能選手が育ってこなかった弊害の方が大きい。よそから既成のスタープレーヤーを引っ張ってきても、結局はジャイアンツの主力選手にはなれない。なぜなら、それがジャイアンツの伝統なんだから。

金田も張本も落合も石井も江藤もベタジーニも、つまるところたいした活躍が出来なかった。功成なり名を遂げてからの入団というハンデも大きかったが、ジャイアンツの伝統という大きな壁を破れなかったんである。目先だけを考える小手先の策動が松井を去らせ、吉伸を無気力にし、仁志、清水を腐らせたのである。さいわい、いまのジャイアンツには小久保とローズという、その伝統の壁を破りそうな柔軟体の移籍選手もいる。はやく清原やその一党、元木や後藤の首を切ってすっきりしたチームにしようじゃないか。堀内も監督の器じゃあないね、やはり再度、原辰徳の登場こそ、再生ジャイアンツの切り札となりそうだね。アッ、その前にナベツネをクビにしなけりゃね。

感じ

キク厚物ピンク11月28日(日)
(キク厚物ピンク・日比谷公園)

連日の好天気に東奔西走したせいか、リバウンドがでてしまい、ここ2日間は朝から晩まで、ひたすら寝ちゃあ食い、寝ちゃあ食いの連続だ。我ながらよくもこんなに眠れるなって、あきれ返るほどの体たらくだが、もう眠くなっている。

<『声に出して読めない日本語』っていう企画、こんなはずじゃなかったというくらいの大盛況。
もともと、自分のやってる「知ってるふり」を笑うという、いわば弱気な人のためのおもしろ企画でした。しかし、そんな弱気な人ばかりじゃなく、漢字が得意で得意で困っちゃうのよ、という人から、最近の日本人の漢字教養の低さに怒りを感じてる人から、なつかしいなぁ漢字テストかよ、という人から、もう、いろんな人が、なんだなんだと訪れてくれて、おおにぎわいになってしまったようです。はじめたぼくらも、吃驚(びっくり)しちゃってます。漢字というのは、まさに「感じ」でありまして、自分の読める漢字は、みんなが読めて当然だと思うし、自分の読めない漢字は、誰も読めないと思いやすい。不思議なものですなぁ。>(以上ほぼ日イトイ新聞より)

まさにわが意を得たりの発言だが、「漢字」は「感じ」という発言、駄洒落好きの東風とらも見逃していた、さすがにプロの発する言葉、畏れ入りやの鬼子母神だなあ。本当に日本語って言葉、複雑怪奇ではあるけれど、奥が深くて、薀蓄があって、季節の風が流れていて、侘び寂びがあって、粋でいなせ、華麗で優雅、それでいて、いい加減で緻密とくる。

「声に出して読めない日本語」、さすが漢字博士としては、いまんところ連戦連勝、ちょっと易し過ぎて手応えを感じないが、ターゲットが10代から20代だから、この程度でも難しいかもしれないね。なにせ、向上心がまるで書けなかったり、日本の県を5つしか知らないとか、沖縄は島根県の上にあると思っていた手合いが相手だからね。

さて例題を幾つか取り上げてみよう。概ね、夙に、躓く、竦む、戦く、垂涎、返戻、邁進、逼迫、軋轢、薔薇、香具師、月代、旅籠、罵詈雑言、阿鼻叫喚、侃々諤々、喧々囂々、臥薪嘗胆。
日曜日には「ムリムリサンデー」と題して読めというのが無理だろうという「ムリ語」、「ヨメナ語」を厳選して?載せている。「湯婆子」、「御御御付」、「抽出」、「襁褓」、「蛞蝓」など。東風とらには大楽勝だったが、ちょっと若い子にはムリムリサンデーだよなあ。もし興味あったら、インターネットで「ほぼ日イトイ新聞」を検索してみたら?

秋深し

キク厚物シロ11月27日(土)
(オオギク厚物シロ・日比谷公園)

もうすぐ12月だというのに、連日好天気が続き、秋深しというのさえおこがましいような陽気だ。晩秋といえば、キク、モミジ、イチョウがこの時期を彩ってくれる。花札でいえば菊と紅葉の季節は異なっているように、キクはボチボチ終わりそうなのに、モミジ、とりわけカエデの紅葉はかなり遅れている。

いまはキクの季節真っ盛り、最も不得意の分野だから、あまり興味はないんだけど、気にはなっていた。たまたま自転車で日比谷公園を散策していたら、キクの展示会に出くわした。大きな大会らしく人工的に見事に栽培された大輪のキクが咲き誇っていた。早速写真を撮りまくったが、閑そうにしている係りの人に色々質問してみたが、素人には同じように見えるキクはすべて名前がついているらしい。イチイチ書き留めるなんて恥ずかしいことは出来ないし、これだけ数が多けりゃ、とてもそんなことやっちゃあいられない。

何日か前、「花おりおり」に大菊仕立ての幾つかが載っていたのを思い出し、改めて見直したけど、大きく分けて、懸崖仕立、厚物と管物とに分かれるそうだ。「厚物」はいわゆる舌状花弁だけが密に厚く重なり合い、大輪で、直径18センチ以上が厚物の基準となる。花弁にはしわがなく弁先は尖らず、一弁一弁が内側に向かって丸みを帯び曲がる。三本以上の仕立てを「福助」、1本だけの仕立てを「達磨」というそうだ。

「管物」は管状の大菊で、花弁はいずれも先端がカールしていて、専門用語で玉巻きという。玉巻きが堅く、花の中心が盃状に凹むのが、優良花である。管物はその太さによって太管、間管、細管、針管に分けられている。その他にも、独特の曲線を持つ「江戸菊」、皿のように咲かせる「一文字」、厚物の一種だが、一番下の花弁だけをカールさせる「厚走り」というのもあるそうだ。

モミジとりわけカエデは都内で見かけなくなったが、六義園に500本植栽されていると知り、さっそく紅葉狩りに出かけた。本数は確かに多いが、色づいているのは数少なく、見頃はかなり遅れそうだ。目立つのは、ただただオバチャン連れの多さ、それもほとんどデジカメ持参だから、混雑に輪をかける。早々に退散して目指したのは神宮外苑のイチョウ並木だった。こちらは見事な黄色一色の風景となっていたが、平日だというのに人の波が押し寄せていて、芋を洗うような状態、これじゃあ、とてもじゃないが秋のロマンに浸るなんて心境にはなれないよ。

三位一体

ウインターコスモス11月26日(金)
(ウインターコスモス・木場公園)

小泉首相さまが政治生命をかけても遂行すると断言していた、三位一体計画、地方自治体に丸投げしたら、自分勝手な意見ばかり、それに対する与党・官庁の猛反撃で、せっかくの理念はなしくずしになり、例によってアチコチ穴ぼこだらけの玉虫色決着となりそうだ。かっこよくぶち上げては丸投げし、その反応を見て改変する、いつものやり方で、こういうのを政治改革っていえるのだろうか。

だいたい三位一体とは本来神と子と聖霊は一つというキリスト教の教義、長岡藩の故事を持ち出したり、古今の名言を流用したり、一つとして自分の言葉のないお粗末さ、ついに神の教義にまで手を出してきたって分けである。ま、いまや小泉首相、ブッシュ以外は、たとえ神といえども恐れぬ異人さんだから、聖書の言葉を取り込むなんてお茶の子さいさい、人生いろいろだなんてうそぶいているわけだ。いや、待てよ、ポチだからブッシュ親分の超保守的なキリスト教原理主義におべっかを使っているのかな。「自衛隊のいるところは戦闘地域ではない」なんて神をも恐れぬ暴言で、天につばしているとしか思えない傲慢さだ。

本来の目的と似て非なるものになってきた「三位一体改革」っていうのもいまいち分かりにくいよねえ。なんでも税財政改革を進めて、中央集権から地方分権を行うことが本意らしい。具体的には「使途が決められ、国から地方に渡される補助金を削減する」、「自治体が自由に使える地方交付税の権限を地方に委譲する」、「税財政改革を進める」、この3点を三位一体と総称しているんだそうだ。けっきょく落としどころは「三位バラバラ」、「中央分権」っていうことになりそうだ。

補助金は中央官庁と族議員の利権の根源であり、補助金配分の口利きによって地方への影響力を維持してきた、いわばかれらの生命線だ。その宝の山を放り出し、丸投げした全国知事会から出された答申を、ろくすっぽ精査もせずに「地方の言う通りヤレ!」って吠え立てたって、聞く耳を持つはずがない。元々地方交付金の全権を掌握したい財務省の野望に乗せられた思い付きだし、石を投げるだけで、後は何もしないことを信条にしているようだから、容易じゃあないよなあ。一説には利権を握っていた橋本派の追い討ちって遠望もあるらしい。

毛生薬

ゼラオレ11月25日(木)
(ゼラニュームオレンジ・ベランダ)

毛が生える薬なんていうとなんか古臭く聞こえるが、最近では育毛剤というらしいね。テレビのコマーシャルでは「花王」や「ライオン」、「資生堂」などの大手が盛んに宣伝しているが、すぐにでも毛が生えてくるようなこんころもちにさせられるよね。ためしにインターネットでみたら、聞いたこともない会社が列をなし宣伝これに努めている。それだけ需要が多いってことなんだろうが、怖いのは中国製品の多いことである。どうみたって怪しの毛生え薬の羅列だもんね。「溺れるものは藁をも掴む」じゃあないけれど、少しでも毛を多くしようとして、頭到全滅だなんて悲劇も起こっているんだろうなあ。

最近ではヘアコンタクトだなんてかっこつけてるが、かつらの世界もぼろ儲けでウハウハしてるらしいね。「アデランス」、「アートネイチヤー」、「リーブ21」、「スヴェンソン」、「ニドー」など、テレビ宣伝ではあまり値段に触れていないが、セールストークで結局は100万近い大金をむしりとられることになる。むろんスペアーも含めての値段だけどね。せっかく涙ぐましい思いと高額投資でシアワセを手に入れても、周囲の目は冷たいんだよね。「カツラー」だなんて陰で囁かれたりしてさあ。どう見たってあれらしさっていうのは払拭できないのは悲劇だよねえ。

世の中抜け毛、薄毛で悩んでいるというのに、東風とらの綿毛は生意気にもすぐ不揃いに生えてくるんで、それなりに厄介な思いをする。都度、はさみを器用に使っては散髪するのだが、この綿毛が体のあちこちに入り込み悪さをする。目には入るは、チクチクするは、くしゃみが出るはと、たまったもんではない。晩秋にでもなってくると、都度上半身裸になるのも寒さがこたえてくる。電気バリカンを買ってもこの綿毛じゃあ引っかかってくんないだろうし、無用の投資となりかねない。

そこで昔やってたように思い切って軽便カミソリで剃ってみることにした。見てくれが悪くなるのは必至だが,なにを今更ってなわけだったが、これが当たり、大当たり、けっこう毛だらけ灰だらけ、綿毛まできれいに剃ってくれるんだよ。お陰で虎刈りも解消したし、何より嬉しいのは綿毛が飛び散らないこと。これで不愉快なチクチクもなくなるし、悲しくもないのに泣くこともない、風邪を引かないのにくしゃみをすることもない、ハダカをベランダの寒風にさらすこともない。あとは薄い地肌をいかに傷つけないか、慎重に剃ることに専念すればいい。いいかっこしいなんてバカなこと、とっくに忘れたはずだったんだけどなあ。

ヤンソンス

ベゴニア11月24日(水)
{ベゴニア・ベランダ)

久し振りに心ときめく、いい音楽を聴いたような気がする。マリス・ヤンソンス指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏だ。NHK音楽祭「ラスト・シンフォニー」第4弾で、演奏曲目はストラビンスキー作曲「ペトルーシカ」、チャイ様作曲、交響曲第6番「悲愴」だった。ネルロ・ポンテイ指揮するN響、ロリン・マゼール率いるニューヨーク・フィル、ヤコブ・クライツベルグ指揮するウイーン交響楽団についで満を持して登場した。

とにかく良く鳴るんである、鳴らせるんである。伝統あるオーケストラと久し振りに見る実力派の指揮者との組み合わせには興奮したよ。その指揮は深くそして広い。魔法の棒を自在に操り、情感溢れるハーモニーを引き出していく。テンポは自在、その指揮にはすごい精気が漲り、表情も限りなく能弁だ。ただ勢いで飛ばしゴージャスにオケを鳴らすだけでなく、弱音の扱いが極めて効果的で、しっとりとオケに歌わせていた。指揮者もエンターテイナーだから、花も実もあるほうがいいに決まっている。久し振りに魅せる指揮者の登場だ。それとフルート奏者が美人だったのも嬉しかったなあ。

ベルリン・フィルのサイモン・ラトルといい、このマリス・ヤンソンスといい、働き盛りで勢いのある意欲的な指揮者の登場はクラシック音楽をこれからもずっと支えていくに違いない。それに引き換えN響の音楽監督に就任したウラディーミル・アシュケナージには華やかさがないなあ。意欲的な曲選びをしているけど、あまりにも地味すぎる。華やかだった前任者シャルル・デュトワの影響でせっかく一皮も二皮もむけたN響が逆戻りしなければいいが。それにしても、あのトレードマークの白いトックリ姿、なんとかならないかなあ。なんとなく薄汚れて見えるし、短躯猪首には絶対似合わないよ。

さて、マリス・ヤンソンスはラトビア出身、ノルウエーのオスロ・フィルを国際的水準に育て上げ、その実績が認められ、ピッツバーグ交響楽団の主席指揮者として活躍、昨年バイエルン放送交響楽団の首席指揮者に就任した。続いて今年8月からはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者をも兼任し、西ヨーロッパ屈指の名門オーケストラ二つを同時に掌中に収めるという壮挙を成し遂げた。頑張ってるなあ。なお、断っておくけど、この演奏会、テレビ放映を二日続きで見たんであって、演奏会に行ったわけじゃあないんだからね。それにしても、そろそろDVDを買う時期に来てるのは間違いない。

花ひでり

アリッサム・シロ11月23日(火)勤労感謝の日
(アリッサム・ベランダ)

連日好天に恵まれ、小春日和を求めて大忙しだ。きょうは勤労感謝の日、働くなんてこととは無縁の生活を送っているから、面映い休日でもある。それにしても勤労感謝っていう言葉も死語に近いねえ。この言葉って勤労奉仕とか、勤労女性とか、ストライキとか、戦中戦後の混乱期を思い起こさせるニュアンスがある。それも今となっては懐かしさが先に来るけどね。

朝日新聞の夕刊に連載されている「花おりおり」は創設以来、真っ先に読むほどのファンなんだが、さすがに週5日、毎日のように連載されているとダンダン品切れになってきて、らしくない花や木々が登場してくるようになる。2〜3日前には「ショウベンノキ」なんて珍奇な種類が登場してくる有様だ。「もうボチボチでんな」ってな状況がミエミエになってきた。

なんでも長くなるとマンネリになるのは当たり前だのクラッカー、まもなく5年目を迎える「コジーとゼラチャン」も最近ではネタ不足とマンネリで息が詰まりそうになってきた。ボチボチ転換方法を考えにゃあならないなって、真剣に考えている。書くほうがスラスラ書けなくなれば当然読みにくくなるわけで、マンネリ脱出の一つとして週一にしようか、あるいは4―500字に戻そうか、なんて試行錯誤もしている。

毎日写真を添えるのもけっこう大変なことで、なにせ毎日のことだから、すぐに手持ちの写真が不足する。しかも、花ひでりの昨今だからたまったもんじゃあない。一時はマスコミの写真などを転載したりしたこともあったけど、罪の意識というより、なんか釈然としないものが残ってしまう。やはり自分で撮ったものを載せたいが、この花ひでり、これから寒くなればなるほど、撮影のチャンスは少なくなる。さりとて撮り貯めた奮い写真を持ち出すのには、いささかも二坂も抵抗があるしなあ。

自分の琴線に触った話題なりテーマを探し出すには、そりゃあ骨が折れる。探せば探したで、それなりに傍証を固めなくちゃならないし、得意の薀蓄話も飽きてきたっていうよりネタ不足になってきた。薀蓄といっても東風とらの琴線に引っかからないものは数多いけど、そんなのを無理してまで扱う気もないしね。

つまるとこ本音を言えば、インターネットにソロソロ飽きが来だしたということなんだよなあ。パソコンの前に座ってる時間も少なくなってきたし、デジカメもボチボチ飽きてきた。ある意味で本音を語れない意気苦しさも鬱陶しくなってきた。マゴリコは依然として枠外のようだし、読書も面白くない。なん月なん日、なん曜日、天気晴れ、きょうも何事もなしなんて日記でも書こうかな。

バイアウト

ポットマム・スカーレット11月22日(月)
ポットマムスカーレット・ベランダ)

ここのところ、何かと話題の中心になっているライブドアーの堀江社長だが、経営不振で閉鎖を考えていた地方競馬の高崎、高知、笠松競馬の買収をぶち上げた。経営資源に四苦八苦していた知事さんにはまさに救いの神といった存在で、他県からの要請も日増しに高まっているようだ。ただ、群馬県の知事さんは、さすがに保守王国だけに、プロ野球の時代錯誤的経営者と同じ発想のようで、いいコメントをしてなかった。きっと後で吠え面をかくことになると思うよ。

この目の付け所はいいと思うな。どこも地方自治体のお荷物、底値に近い安価で買えるだろうし、地元経済界への活性化にもなる。地方行政に染み付いてしまった保守色や硬直性を払拭するのは容易じゃあないだろうがね。画期的なのは、地方競馬法の改正により、いわゆる馬券販売という「ギャンブル」が民間に委託されるということだ。これは大きいよ。民間運営により、JRAが取っている25%の搾取も軽減されるだろうし(っていうことは配当率が上がるってこと)、サービスアップ、インターネットによる顧客拡大など、思いのままだ。三匹目のドジョウを狙ってた企業からの進出も当然予測されそうである。

さて、そのライブドアーが会計ソフト会社「弥生」を200億円で買収し完全子会社化した。ソフト会社を手に入れたかった堀江社長としては得意満面といったところだろう。ところがこの売買の裏側でとんでもない利益を短期間で得たさむらいがいたらしい。ある投資ファンドが仕掛けた鮮やかなMBO(マネージメント・バイ・アカウント)だったのだ。北米への特化を目指す米国親会社から日本法人「弥生」を日本人社長と組んで10億円で買収、営業利益率を1年で22%から38%に高め、ライブドアーに200億円で売ってさっさと退出した。わずか1年9ケ月で概算190億円を手にしたわけだが、買うほうも買われる方もニコニコ顔なんだから、結構な話だ。M&Aを得意とする堀江社長を手玉に取ったんだからたいしたもんだ。

第8回「森の歌の会」

ポットマム・キイロ11月21日(日)
(ポットマムキイロ・ベランダ)

早混同期生を中心とした「森の歌の会」が8回目を迎えることになった。当初は内輪だけの会で、1期上の上級生との合同コンパだったが、人数が少ないので2期上の学年もお誘いし、ようやく会の体裁も整ってきた。年初に1期先輩の訃報に接しショックを受けたが、そろそろ、こういうこともありの世代、67歳から70歳の年齢がメンバーだから、なにがあっても不思議ではないんである。だからこそ、会えるうちに会っておこうよっていうのが会の趣旨でもある。

年2回開催しているが、出席人数は平均19名前後、登録メンバー35名だから、集まりがいい方とはいえないが、常連メンバーはほぼ固定してきた。さて、今年12月の「森の歌の会」だが、出席者24名と過去最高の人数となった。内訳を見ると57年入部の我々10期生が12名、9期生が5名、8期生が7名である。10期が予想外に多くなったのは、従来連絡が取れなかった男子2名、地方在住者とご主人の介護に付きっ切りの女子2名の参加があったのが大きな理由である。

人数が多くなったので、会場にはあまり制約されない場所を探し出した。未だに方向音痴の方が何人かいらっしゃるから、できれば会場を変えたくないんだが、いままで会場に選んだ場所に対する不満もあったから、しょうがないんだよなあ。新しい場所の下見を兼ねて飲み会を男子同期生に募ったら、なんと9人も現れて、楽しい一夜を過ごすことができた。会場の雰囲気も気に入ってくれたようだから、ここに決めた。案内してみて、住友三角ビルを知らないなんて、「今浦島さん」がいらっしゃったのにはびっくりこいたけどねえ。

こういう会の雰囲気っていいねえ。いつのまにかお互いが50年前の昔に戻っていて、遣り取り一つが学生気分、すっかり若返っちゃって、ぞんざいな口調が飛び交い、みんな躁状態に突入しちゃってる。姿形こそ男子諸侯は概ねハゲチャビンか白髪三千丈、ご婦人方は概ね座りのいい体型に変化しているのは致し方ないけどね。中にはこのどちらにも属さない不届き者もいるにはいるのが癪の種だよなあ。

合唱を止めちゃった連中、いまだに現役を張っている連中、音楽関連の仕事を終の棲家にしちゃった連中など、集まったメンバーは様々だけど、校歌や愛唱歌の合唱をみんなで肩を組んで歌いだすと、合唱やっててよかったって想いが漲ってきて、感激もひとしおとなる。とっくに忘れたはずの歌や歌詞が自然と口から出てくるんだから、もうたまったもんじゃないよね。かくして、今年の集まりへの期待がいやましてくる。
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