コジゼラ

よもやま話を雑文で

2004年12月

大晦日

こんにゃくえんま12月31日(金)
(文京区・こんにゃくえんま)

今年も写真を取り捲ったなあ。いつものように新しいホルダーを作って、今年撮った写真の数々を移し変える作業をやっているんだけど、膨大な作業となる。そして、これが一段落すると、途端にカビが生えたような気になって、ほとんど見なくなるのも通例だね。だから、念入りに見ながら、気に入った写真だけを抽出して、例えば「小さな旅412」とか「ご近所412」とか、新しいホルダーに入れとかないと、二度と日の目を見ないことになる。

今年のデジカメ撮影を総括してみると、カメラ片手に出かけた日が219日、その内訳は、花や風景写真に199日、友人知人との交歓写真が10日、その他、自宅での撮影を含め、孫リコの写真が30日、つまるところ、249日もカメラを手から離さなかったことになる。1日平均100枚とすれば、2万5千枚近くの写真を撮り続けたことになる。われながらバカだよねえねえって、つくづく思ってしまうね。

新宿御苑は25回も通ったが、そのほとんどが3-5月の花、とりわけサクラのシーズンだった。
このシーズンはサクラも種類が多いから、ドンドン咲き変わり一刻も目が離せなかった。ただ、いつでも人が群がっているので、中々シャッターチャンスが生まれない。サクラの数は少ないけど種類は抜群に多いのが小石川植物園、圧倒的に人も少ないから、こちらもよく通ったなあ。急坂の上り下りがしんどかったけど、得られるものも多かった。

御茶ノ水なんかはたった1枚の写真を撮るために何日通ったかなあ。むろん三位一体の写真を撮るためだが未だに遭遇できてない。地下鉄がいつ顔を出すか分かんないから、シャッターチャンスが中々生まれない。あまり晴れすぎていてもダメだし、曇っていても薄暗く写ってしまうから厄介だ。何回か通っていたら三位一体どころか四位一体もあるんだということが分かった。神田川を時々船が往来するのである。理想的なのは船が川を下り、地下鉄が上下両方から顔を出し、総武線が万世橋にかかり、中央線が御茶ノ水駅を発進したばかりという絵ずらだ。

谷根千もよく通ったなあ。いわゆる谷中、根津、千駄木だが、本郷、東日暮里、根岸、上野、不忍池などが隣接しているから、ついつい欲が出て歩き過ぎることになる。ちょっと歩きすぎると最寄り駅から遠くなりすぎるので坂の多い地域でもあるし、しんどいことおびただしい。午前と午後とでは光の関係でシャッターチャンスがドンドン変わってしまうのも癪の種だ。

ヨン様

なぎさ橋12月30日(金)
(漣橋・なぎさばし)

ペ・ヨンジュは韓国語で「裴勇俊」と書くそうだね。韓国人の名前というと、金さん、朴さん、李さん、柳さん、崔さんなどがやたらと多いが、この裴(はい)さんは少数派だよねえ。名前の方もどちらかというと日本語に近いのもご愛嬌だねえ。「ヨン様」のナヨナヨした美男ぶりにケチをつける気なんか毛頭ないが、なんだか、20年前に流行った日本の美男スターたちと、ダブルところがあるよなあ。池辺良、佐田啓二、高橋宏治、宝田明、みんな頼りなげでナヨナヨしていたっけなあ。女優の方はずっと生き生きして、溌剌たる躍動感に溢れていたよなあ。

さらにさかのぼれば、当時の美男スターは身長5尺5寸弱、みんな顔がバカでっかくて、アップすると画面から顔がはみ出しそうになる有様。阪東妻三郎、大河内伝次郎、長谷川一夫、片岡千恵蔵、市川歌右衛門、嵐寛寿郎、大友柳太郎、近衛十四郎など、みんなそうだった。セリフは下手クソ、ひどいなまり、表情はワンパターン、演技は問わずだった。伝次郎の名セリフ、「しぇいはたんげ、名はしゃぜん」、ガキの耳にはなにをいってるのか、まるでわからなかったが、長谷川一夫の「おのおの方」ってセリフは色っぽくて、男ながらゾクっとしたもんだった。

いまでいえば、ブスな娘を美人揃いのフジテレビ・アナウンサーに無理やり押し込んで、安目を売った、桃太郎侍の「高橋秀樹」、すっかり落ち目だったのに、「マツケン・サンバ供廚農垢衒屬掘紅白出場まで射止めてしまった「松平健」などはでっかい顔しているねえ。昔と違うのは二人とも5尺8寸はあろうかという偉丈夫だっちゅうこと、テレビの画面がばかでっかくなってきたから、益々活躍の余地ができそうだねえ。いまの美男俳優といえば、いずれも小顔で10等身、足がやけに長くて、みんなおんなじ様な顔をしている。ヒトゲノムで人間の複製を作るなんて話、いつの間にか話題にならなくなったけど、陰で密かに実験が続けられていたのかなあ。

話は変わるけど、韓国では顔の整形なんて当たり前の話で、どこをどう変えたなんていうのが自慢の種になるというお国柄だ。役柄によって顔の造作なんかも簡単に変えてしまうらしい。次に現れる「ヨン様」がガラリと変身しても、日本の飽きっぽいオバチャンたちに支持されるんだろうか。それにしても韓流の商売のあざとさには驚かされるなあ。映画一つにしても、俳優の写真撮影にしても、足元を見すかされて高い値段をぶっかけられるそうだ。日本の韓流ブームが一刻だということを冷静に見極めているのがすごいよね。

寝だめ

ニコライ堂12月29日(水)
(神田ニコライ堂)

雪が降ってきた。ほんの少しだけど。小雨が雪に変わって、ただ寒いだけの師走の殺風景さに華やかさが加わった。新潟中越地方の人たちには、ほんと申し訳ないけど、心が体がワクワクしてくる。モット降れ、モット降れ、そしてドンドン積れ、いつのまにかガキの頃に戻っている。

天気のいい日は、9時過ぎになると、居間は光の洪水で、まさに小春日和となる。パソコンの画面が光って見えにくいので、目を皿のようにしながら、雑文を書いてインターネットに送る。なんの因果か同じ文章を3つのHPに送っているので、その手間もバカにならない。なんて思っていると、もうまろやかな暖かさが身体を包んでいて、否応なしに眠気の世界へいざなってくれる。

毎晩3時過ぎに寝るのが当たり前の生活なので、9時ごろに起こされても半眠半覚のモーロー体、新聞を読みながらノロノロと朝食を済ませ、パソコンのまえに座るとまもなく、この事態に遭遇するのだ。昔から8時間以上寝ないとシャンとしない習慣がついてしまっているから、5-6時間の睡眠では体がいうことを聞いてくれないのである。

それと昔から太陽の光は絶対満喫するんだという妄想を信じているから、この天の贈り物を逃がしてはならないという使命感と言訳の種とがごっちゃ混ぜになって、居眠りするか、光の中に身を投じて眠りを貪ることになる。だから、この時期、いい天気だから出かけるつもりが、この誘惑に負けていつもフイにしてしまうのが口惜しい。

よく寝たなあ、ゆんべ10時に寝て、12時半に起きたんだから、14時間半寝たことになる。
その前には2時から6時まで昼寝しているから、延べ18時間半夢一つ見ずに寝入っていたわけだ。パソコンを打っているうちに、また強烈な睡魔に襲われてきた。夕方にはにょうぼ殿もご帰還するから、それまでもう一度眠ることにしよう。外は癪に障るような、からっとした上天気、もったいない気がするけれど、だからこそ眠る価値もあるんだよ、だなんて勝手な理屈を考えている。目覚めたのは夕刊の入る物音だったから午後5時頃だったんだろうか。けっきょく1日半で延べ23時間眠ったことになるのかなあ。

目覚めてから、いつも思うのは勿体ないことしたなあっていう後悔の念である。年よりは目覚めが早いなんてよく言うが、夜明けだとか、朝の清冽な空気だなんて徹夜上がりにしか経験してないね。早起きは三文の得なんて言葉、どこか遠くの国の言葉に聞こえるよ。


映画鑑賞

シオサイト12月29日(木)
(旧新橋停車場・シオサイト)

映画っていう奴、しばらく見ないと、ずっと見ないでも済むっていう、おかしな習性があるけれど、一度見出すと止まらないという現象にも見舞われる。天気が悪い日は家に籠もっていることが多くなるが、先日、そんな雨の日に映画館に行ったのが運のつき、立て続けに映画を見続ける羽目になってしまった。けっきょくは後悔先に立たずということではあったけどね。

宮崎駿監督作品「ハウルの動く城」は久し振りに海外を舞台にした作品だが、彼の作品では子供たちには絶対理解できない重いテーマを必ず下敷きにしているから、見るのにも肩が凝る。この映画でも、なぜ舞台が中世のヨーロッパなのか、なぜ、主人公は無謀な戦いを挑んで傷つくのか、なぜ、ヒロインをブスにしなけりゃならないのか、なぜヒロインの吹き替えが婆になってしまった倍賞千恵子なのか、その必然性がまったく見えてこない。またせっかく丸山明宏を起用しながら、そっくりさんの魔女に活躍の舞台を与えなかったのも疑問だった。ま、いずれにせよ、宮崎作品はそのきれいな色彩に酔えばいいんだから、余計な詮索は無用か。

いつもしみったれていて暗い感じがする山田洋次作品としては珍しく、「隠し剣・鬼の爪」は格段に大らかでゆったりとしていたところがいい。主演の永瀬正敏も堂々としていてけれんみがなかったのがいい。隠し剣のくだりも、クドクド説明せず、簡略に示唆するに留めたのもよかったかも。ただ、東北貧乏藩の下級武士にしては生活にゆとりのある過ぎるのが引っかかったけどね。山田監督がこの作品でなにを描きたかったのかがいまいちだが、ろうきょうを迎え、純愛にノスタルジーを感じ始めたんだとすれば、まだまだ若いね。

前評判の高かった映画ほどガッカリさせられるのは毎度のことなんだけど、「Mr・インクレディブル」には正直ガッカリしたね。前作、前々作が良くできてたんで期待も大きかっただけに残念無念。いい題材を扱いながらちっとも面白くなかった。だいたいがね、子供映画にインクレディブルはないだろう。大の大人だって、こんな難しい英語、今もってどういう意味かワカラン。
もう一つ、これもどういう意味か分かんないが、トム・クルーズ主演「コラテラル」を見るつもりだったが、もうやーめたっと。かくして夢破れ、当分の間は映画を見に行くことはないだろう。

韓国映画の是非はともかくとして、その題名が「冬のソナタ」、「天国の階段」、「美しき日々」、「秋の童話」など、非常に情緒ある題名だということもヒットした一因かもしれない。たとえ意訳であっても、題名を見ただけで見たくなる映画が、むかしでは日本にもどれほどあったことか。映画配給会社の驚くべき怠慢は絶対に許せないね。

有馬記念

夕焼け12月27日(月)
(夕焼け・神宮外苑)

いままでは日曜第3週で終わっていた中央競馬だったが、今年から最終日が第4日曜日まで伸びることになった。JRAだけ早々に終わってしまうので、ギャンブルファンにはなにか物足りないものがあったけど、これで、師走の餅つき競馬らしくなってきた。そういうわけで、第4週の目玉は有馬記念、大種牡馬サンデーサイレンスが未だに1勝しかしてないのも不思議だった。ところが今年は出走馬16頭のうちSS産駒が11頭も出ているんだから呆れちゃう。「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の喩え通り、1番人気馬ゼンノロブロイが圧勝したのも当然だ。

これまで207勝と年間最多勝利記録を更新中の名手武豊、これほどの名騎手なのに、不思議と有馬記念に縁がない。デビュー以後、90年に一つ勝っただけ、それも乗り替りでの勝利、その後13年間も栄冠に見放されている。ユタカはSSの孫、ダイタクバートラムに騎乗した、直線で猛烈に追い込んだが、やっぱりこのジンクスを破ることができなかったね。

個人名が冠されたG気呂海陵馬記念しかなく、九州、久留米のお殿様有馬家の末裔、有馬頼寧が二代目中央競馬理事長だったことにも由来するという。ここまで有名になってしまうと、暮れは有馬というイメージが定着し、個人名を冠することにちっとも違和感を感じないね。頼寧の子息、頼義氏はあまりぱっとしない直木賞作家だったけど、そのまた子息、頼央(よりなか)氏が安産の神様、蛎殻町・水天宮の権禰宜だっていうことも異色だよねえ。

いま、紀宮との婚約でなにかと話題の黒田家も、いまの身分は東京都職員だけど、福岡藩黒田家か小倉藩黒田家の末裔なんだろうなあ。岡山藩池田家に嫁した厚子様、鹿児島藩島津家に嫁した貴子様、義宮と結婚したのは青森津軽藩の末裔、華子様だった。美智子様、紀子様、雅子様と続いた一連の平民出身者との婚姻もソロソロ打ち止めのようだ。もっとも平民の出といったって、いずれも名門実業家、学者、外交官など優秀な一族の出身なんだから、とても庶民とはいえないけどね。

熊本藩細川家の末裔は首相退任後、放浪の旅に出、そのエッセイを時々週刊誌などに掲載しているけど、けっこう文才がある。道を誤った典型かもしれないね。そういえば管直人も党首失格の後、巡礼姿で四国八十八ケ所巡りをやっていたなあ。すべてを踏破したという話は聞いていないけど、野党の連中の失脚後にやることが放浪というのは、いったいどういうことなんだろうかね。こんな根性だから、したたかな自民党の連中の餌食になってしまうんだろうなあ。

技術革新

白い雲12月26日(日)
(白い雲・六義園)

尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」の金箔、銀箔と思われていた部分がともに箔ではなく、金泥や有機染料で描いたとする新説が発表され話題となった。NHKで日時は異なるけど、国宝「源氏物語絵巻」とともに、「蛍光X線分析」や「高精密デジタルカメラ」など先端科学の武器を用いた手法が紹介されたけど、いやー、驚いたね。デジタル映像による源氏絵巻の原画再現は驚くほど鮮明できれいだったなあ。その一方で「現代の琳派」といわれた日本画の加山又造が鬼籍入りしたのは残念なことだった。

にょうぼの趣味は美術館巡りだが、行動を共にすることはめったにない。それぞれ、見る手順が違うし、もっともらしい感想を述べ合うのもいやらしい。だけど、一番の理由は音楽会もそうだけど、あの取り澄ました雰囲気が大嫌いなんである。しわぶきヒトツせず固まって演奏を見る音楽会もそうだけど、要所要所に座っているキュレーターの視線をモゾモゾと感じながら絵画鑑賞するのも気に入らない。それとどこへ行っても、訳知り顔したオバチャン軍団たちに遭遇してしまうのも癪の種である。どこでも集団でゾロゾロと歩き回っており、自分の気に入った作品の前で、ゆっくりたたずむこともできない、あの雰囲気は許せないね。

わざわざ金を払って嫌な思いをするくらいなら行かない方がいい。ってわけで、美術鑑賞はもっぱら、テレビの前となる。テレビ東京土曜日10時の「美の巨人たち」、NHK「新日曜美術館」、「世界の美術館紀行」、BSの「迷宮博物館」などは好んで見ている。特に「美の巨人たち」は番組構成上に問題があるけれど、インターネットでのフォローが懇切丁寧で、すごく有難い気にさせられる。小林薫のナレーションも抜群にいいしね。

その点、NHKはどうしても見せてやるといった尊大な態度が見え隠れしていて嫌味だねえ。アナウンサーが物知り顔してくっちゃべるのも気になるし、やたらとゲストを登用して時間の無駄遣いしているのも面白くない。このような番組はやはり若手の美人アナよりも、山根寿世アナ、石沢典夫アナ、黒田あゆみアナなど、ベテラン勢の落ち着いたナレーションがよりベターだ。NHKはインターネットのフォローもイマイチ、やはり国営放送の欠点がアチコチで見られるねえ。

たけし

オニバス12月25日(土)
(オニバス・夢の島熱帯植物園)

ビートたけしが東京芸大の多摩校に新設される映像研究科映画専攻の主任教授になるそうだ。なんでタケシがこのように評価されるのか、不思議でならないね。たけしの名を冠したテレビ番組は数多いけど、一部を除けばつまらない番組ばかり、たけしはただ顔を出ているだけで存在感もほとんどなく、脇を固めるタレントに場を仕切らせているだけだっちゅうのにね。

映画監督としての評価も高いようだが、その内容は独りよがりの難解なものばかり。幼児体験で根ざした屈折と凶暴性を、あくどいバイオレンス表現で繰り返すだけの幼稚性が目立つだけなのになあ。外国の映画祭で評判がいいこと自体不思議な気がする。いままででも黒澤明監督「羅生門」、溝口健二監督「雨月物語」など、日本人でも理解できないような難解極まる日本映画が入賞していることも、単なるもの珍しさ以外理由が感じられない。

時を同じくするように、日刊スポーツ映画大賞は在日二世を描いた崔洋一監督の「血と骨」、主演男優賞と助演女優賞は「血と骨」のたけしと鈴木京香が選ばれた。一方、テレビ朝日で放映された映画「座頭市」が高視聴率を記録し、週間ランキングでも堂々3位と健闘したようだ。朝日新聞の評論家による今年の映画回顧の中でも評論家6人のうち、3人がベストスリーにランクしている。

たけしの影響力を恐れてだれもが本当のことをいえない雰囲気が厳然としてまかり通っている業界だが、あの「おすぎ」が孤軍奮闘で真っ向から壮絶なバトルを挑んでいる。週刊誌のコラムなどで「座頭市」など一連のたけし映画を徹底的に批判した。99年「菊次郎の夏」は「哀しくなる凡作」、01年「BROTHER」は「才能のカケラも見られない愚作、ストーリーが意味不明で、滅茶苦茶な内容だった「座頭市」は「映画批評を書くのも嫌になりました」とバッサリ切り捨てた。

ただ、絶対見る気なんかないけど、「血と骨」では、この映画に備え精進努力したらしい。たけしもバカじゃないから、自分のマンネリと限界を感じ、この映画で再起を図りたいという意欲を持ったらしい。在日三世の崔監督がたけしのために10年間も企画を暖めていたというから、監督の執念も実ったようだね。

でもちょっとおかしいね。韓流ブームで本国韓国から、いい男、いい女が織り成す、甘くも悲しいラブロマンスがドンドン入ってくる一方で、在日韓国人の受けてきた差別待遇という現実、このギャップはなんなんだろうか。日本人の単なる無責任で片付けられるんだろうか。

不可思議

ハゼノキ12月24日(金)
(ハゼノキ・木場公園)

日本って国、あら不思議、こりゃ不思議って物凄い国だなあ。先だってNHK音楽祭にニューヨーク・フィル、ウイーン交響楽団、ロイヤル・コンセルトヘボー管弦楽団、チェコ・フィルハーモニーなど世界の錚々たるオケラが来日したばかりなのに、いままた音楽監督サイモン・ラトル率いるベルリン・フィルが来日公演中。さらに毎年サントリーホールで開催されているウイーン・フィルハーモニー・ウイークは、なんと、あのロシアの鬼才、ワレリー・ゲルギエフを指揮者に迎えてのステージである。世界最高峰を自負するオケラが双方を意識しあって、インパクトのある演奏を行ったらしい。ゲルギエフとウイーン・フィルとの異色の組み合わせはぜひ見てみたい魅力がある。

だけど、バカ高い料金を払ってまで演奏会に行く気にはなれない。そもそも、しわぶき一つもせず息もこらして見なきゃあならないのも我慢もできないし、あのなにかと高踏的な場の雰囲気も大嫌いだしなあ。後ろの方に座って指揮者の背中だけ見ているような演奏会じゃあ、面白くもなんともない。テレビで見るのが一番いいんだけど、NHK以外、民放各局は有り余っているBS電波にクラシック音楽に開放する気がないらしいから、見る場が限られちゃうのが、なんとも残念である。

平均すると15000円を越す高額な前売りチケットもあっという間に完売だったようだ。改めて宣伝欄を見てみると、錚々たるメンバーを揃えたレニングラード・バレーとか一流のピアノやヴァイオリンのソリストなどが、日本全国で演奏会を開いているんだねえ。レニングラードなんかは、オケラ、コーラス、バレリーナ、ソリストなど何でも来いの陣容で、なんと来年1月中旬まで日本各地で演奏会を開くらしい。外国の音楽家にとって、日本での公演はドル箱状態、笑いが止まらないようだ。もっとも一流の音楽家による演奏会以外は閑古鳥が鳴いているようだけどね。

DVD付きビデオがようやく手馴れてきたので、準備万端にして、テレビの音楽番組を探すと、出てくるのは「第9」ばっかり。既に何枚か録画してるので、せめて来日したベルリン・フィルやウイン・フィルなんかの気の利いた演奏はないか探すんだけどないんだなあ。せっかく覚えたビデオ・テクニックも錆びた刀のまま越年しそうだよ、残念!間違いない。

紅葉狩り

落ち葉12月23日(水)天皇誕生日
(落ち葉・外苑)

友人の故田辺洋二さんの通夜、告別式にはそれぞれ500名近い弔問客が訪れ、盛大なものになった。故人の生前の人徳を思わせるものだったが、突然の急死で急きょ集まった仲間たちには、他人事ではない危機感が漂っていた。

どうして「もみじ狩り」というのかが、イマイチ肯けないところもあるが、人並みに都内名所を散策して回った。今年は暖かったせいか、まだ色づいていないところが多く、また紅葉の仕方が薄汚れているのも気になった。モミジというとついイロハカエデにばかり目が行ってしまうけど、ハゼやカシワバフウ、そしてドウダンなんかの紅葉も見事である。都内ではもっとも赤く萌えるナナカマドにお目にかかれないのが残念だけどね。

カエデは500本も植えられているという駒込の六義園にはがっかりさせられたが、地元、木場公園でひときわ鮮やかな赤を目立たせている木があった。その葉の形状からこれは「あれに違いない」、その「あれ」が中々出てこないまま、デジカメを操っていたら、周囲にたちまち人が群れ、これはナナカマドだ、やれイロハだってかしましい上に、正直な人にこの木はなんとう木かと再三質問される始末、早々と逃げ出したが、この名前がいつまで経っても喉の奥に引っかかって離れない。気の利いた公園では木々にちゃんと名前が書かれているんだけど、ここにはそんな親切さもない。

なんかの拍子に思い出したのが、昨年買って枯らしてしまった雑木盆栽のこと、羽の形状があれによく似てたな、そうだ、ハゼノキだ、ってわけで、ようやくのどの支えが取れた次第。それから何回か撮り直しに現地を訪れているけど、聞かれたら得意そうに薀蓄を披露しようと手薬煉をひいているのに、誰も近寄ってこない。まったく皮肉なもんだときたもんだ。

モノ本によると、<山野に生える雌雄異株の落葉高木で、秋に紅葉する。ウルシほどはかぶれないが触らぬ神に祟りなし,君子危うきに近寄らずということで,注意すること。果皮から蝋をとるのでロウノキという別名がある>。ありゃ、しまった、何度も触ってしまったよ、アジャパー、「遅かりし由良の助」って按配になってしまったよ。気のせいかあちこちがカユイ。

ベストセラー

紅葉512月22日(水)
(紅葉・六義園)

トーハンと日販によると、今年の年間ベストセラーは、総合ではともに1位「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」(J・K・ローリング、静山社)、2位「世界の中心で、愛をさけぶ」(片山恭一、小学館)、3位「バカの壁」(養老孟司、新潮社)の順。芥川賞の最年少受賞となった「蹴りたい背中」(綿矢りさ、河出書房新社、トーハン6位、日販5位)や映画化された「いま、会いにゆきます」(市川拓司、小学館、ともに10位)など話題の小説が上位に並んでいる。昨年ともに1位の「バカの壁」と同2位の「世界の中心で、愛をさけぶ」は、今年も上位に食い込んだ。

「セカチュウ」は今年の流行語大賞にもノミネートされたけど、最も売れたシングル曲、平井堅「瞳を閉じて」は上記ベストセラーを映画化した「世界の中心で愛をさけぶ」の主題歌だった。同じく平原綾香 「ジュピター」はホルスト作曲、組曲「惑星」からのパク、最も流れた曲は韓国ドラマ「冬のソナタ」の主題曲、時代劇スター松平健「マツケンサンバ供廚世辰拭1覗などのバックアップを受けた楽曲の力だけで、大衆の心をつかむヒット曲の少ないのが特徴である。

ただ、中越地震の被害者から最もリクエストの多かった平原綾香には恐れ入った。さわりでは、女性歌手には珍しい野太い低音を響かせるし、高音の音の伸びも素晴らしい。近頃めったにお目にかかれない実力者だったのである。たしかにこの曲は聞いてる者に一服の清涼剤を与えてくれる。平井堅もちょっと癖はあるけれど、その柔らかい歌声と正確な音程には魅力があるね。

最近のポップ界はちょっと容姿のいいガキン子たちを集め、歌なんかどうでもいいって感じで、狭い音域の中だけで歌えるよう意図的に作曲し、そのあざとさを隠すため、リズムを早くするという、そのためには盗作も辞さないという作曲家まで現れる現状だから、畏れ入谷の鬼子母神ときたもんだ。安部なつみや浜崎あゆみなどの大量に渉る盗作疑惑が話題になっているが、こんなのは氷山の一角、もともと才能のカケラもないポット出の女の子が気の利いた作詞なんかできるはずは、周囲では先刻承知の助だったはずである。

盗作の仕方も幼稚そのもの、もとの詩に推敲を加える才覚すらないから、そのものズバリ、大胆そのものである。周囲がやってるから当たり前のような感覚で使っていたに違いない。とにかく、そのような悪臭を業界に振りまいた「つんく」のような不良分子は早急にレッドカードにしなければいけないね。
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