コジゼラ

よもやま話を雑文で

2005年11月

朝日新聞

文化学園11月30日(水)
(神田・文化学園)

朝晩めっきりと冷え込んでくるようになってきた。だいたい10度前後らしいが、20度以上はあった、いままでのぬるい夜とは雲泥の差で、いよいよ待ち望んでいた本番間近を体感している。理想的なのは0度前後だが、贅沢をいってはいられない。ひところ体調の悪いときは、かなりセーブしていただけに期待も大きい。あの目くるめき恍惚の瞬間を体感するには、やっぱり寒くならなければ妙味に欠ける。なんのことかって?そうそう、深夜の行事、ガンガンに沸かした風呂から飛び出した、湯上りの神聖な過ごし方だ。

先日も書いたように、朝日新聞は、食事も終わらないうちに読みきってしまうお粗末さだから、実をいえば、ちっとも頼りにはしてはいない。グーグル・ニュースを見れば、三大新聞や主な地方紙の記事を詳しく読めるし、気に入った特集記事なんかも読み放題だ。併読している日刊ゲンサイとスポニチには、楽しめる記事やゴシップ記事が満載されているから、話題には事欠かないで済む。

なんのことはない、朝日新聞はただ取っているだけで、ちっとも役に立っていないのである。夕刊なんかも届く前にインターネットでグーグル・ニュースを見てしまっているから、無用の長物となっている。連載小説も小粒になってしまって、日経の渡辺淳一のような話題になる作品がちっとも登場してこないしね。強いて言えば、便利に使っているのはテレビ欄と明日の天気予報ぐらいかもしれない。

意外に便利に見ているのは、アサヒコムだけど、これとて、みみっちくて、完全な情報開示をしていないから、肝心なときにちっとも役に立たない。ただ、写真など映像のダウンロードについては、がっちりガードがかかってしまう読売ほどのあざとさがないのは救いだね。だけど、アスパラクラブなんていう読者サービスはなんとも中途半端、いちいち決められたパスワードを打ち込まないと、先に進まないやり方も面倒で、こんなのサービスとは口ばかり、仏作って魂入れずの喩え通りだ。

鈍色

お茶目11月29日(火)
(お茶目さん)

「鈍色」(にびいろ)という日本語の響きがとっても気に入っていて、折があればすぐ使いたくなる。この文字に接したのは、大好きだった志水辰夫が、まだ冒険小説の分野で活躍していた頃に書かれた小説の一節だった。冬の日本海の荒々しい陰鬱さを表現する言葉として何度か使われ、鈍色という、たった一つの言葉の響きだけで、その情景が髣髴できるような的確かつ鋭い使われ方だった。しかも主人公の憂鬱な心理状態をも写し出すという見事な使われ方だった。

不幸にして、愛してやまなかったシミタツは、その後なにをとち狂ったのか、進路を情念小説に変更、新作が出るたんに書店に駆けつけては買い込んできては、大きな失望と落胆に見舞われ、その後きっぱりと縁を切った思い出がある。いまで健在のようだが、相変わらず中年男のあさましい情欲を描いているらしい。

「幸田文」といえば、明治の文豪、幸田露伴の娘だが、むしろ、親よりも優れた随筆家、知識人としての評価も高かった。その娘、つまり露伴の孫である、「青木玉」の随筆も
寡作ながら、母親に負けない馥郁とした香りを漂わせる名文ぞろいである。にょうぼが大ファンで、折に触れておしゃべりの中に紛れ込ましてくるので、サブリミナル効果として、なんとなく右脳の片隅に、二人のことはインプットされている。

さて、その玉さんの随筆、「幸田文の箪笥の引き出し」という随筆に「鈍色」について二の記述があった。以下抄訳する。<鈍色、私のわずかな智識ではこれは喪の色で、平家物語では壇の浦で二位の尼が幼帝を抱きしめて千尋のそこへ沈むときに身につつけていた色と覚えている。今喪の色は黒だが、黒という総ての色を内蔵していると見えるこの「鈍色」は時には藍が勝って見えるもの、茶を多く含んでいるもの、緑のかげをのぞかせるものなど微妙な違いがある。にびと呼ぶ色は黒でなく、ねずみでもなく、鉄色に近いのか>

<母はいつか着る楽しみを持ったまま、布を残して逝った。この布を鈍色に染めよう。京都の有名な工房に無理をいって染めてもらった。鈍色はどんぐりのへたを集めた橡(つるばみを染料とし、鉄漿鉄を媒介させ、手間をかけて染め上げる。いま、仕立てあがったにびの着物は見れば見るほど不思議な色をしている。薄墨色の中に、光の加減で茶とも黄色とも緑とも、ああ、どんぐりのへたはこういう色を持っていたのだ。なんともいえず懐かしい色ではあるまいか>。


ねこまんま2

沿線風景11月28日(月)
(さいかち坂から見た水道橋近辺)

前回、ねこまんまという表題にもかかわらず、ほかの話題に手間取り、本題にはわずかしか触れられなかった。一番癪に障るのが、あんなにうまい食材を「ねこまんま」なんてふざけた名前をつけた奴のことだよ。オレはネコ以下か、と開き直る以前に、安手の食い物みたいに蔑まされている気がしてさ、悔しいんである。だいたいが鰹節そのものが料理屋では、もっぱらダシの素にばかり使われているのも癪の種だね。

巷ではウニ飯だとか、イクラご飯だとか、高級食材ばっかりが注目されているようだけど、あっちはどっちもタマゴが内臓、鰹節はれっきとした一本の鰹を手間隙かけて、天日で熟成した一匹もんである。単なる部品とは違うんだ、本体そのものなんだからな、旨くないはずがなかろうが。タマゴ掛けごはんが復権しているんなら、イノシン酸をたっぷり含んだ栄養豊富な、「かつぶしご飯」が取り残されてるのは許せないね。

小笠原沖で獲れたマナガツオを5枚におろし、煮熟という工程で90分ほど茹で、冷却して身をさます。この状態が「なまり節」だ。これをサクラやシイ、カシの木を燃やし、1日1回9時間ほど燻し、いわゆる「焙乾」10回から15回繰り返す。次に表面に付着したタールを削り、形を整える「削り」という作業に入り、仕上げは「カビ付け」、湿度の高い部屋で12-3日かけてカビ付けし、カビが付いたら日干しし、この工程を4回から6回繰り返し、やっとかつおぶしが出来上がる。

サケの腹を割いて卵を取り出し、若干の手間をかけただけのイクラや、とげが痛いのが難点だけど、殻を割るだけで、取り出しただけのウニと比べれば、いかに熟成に時間と手間を掛けているか、まさに雲泥の差だというのに、料理屋の単なるダシ野郎に終わっているかつぶしの不遇さには涙を禁じえないね。

また同んなじセリフを繰り返す。<味噌汁や海苔と鰹節さえあれば、何杯でも飯は食えたし、とりわけ、「ねこまんま」なんかにはずいぶんお世話になったなあ。削りたての鰹節をたっぷりの醤油にひたし、これに味の素をジャブジャブと振り掛ける。冷蔵庫で一日保存すると味がしみこんで抜群に旨い。残ったら鰹節、醤油、味の素を補給する。いわゆる料理屋での「家伝のタレ」風に継ぎ足し継ぎ足していくのだ。これをパリパリの海苔ですくって食べるんだが、その旨さといったら、もうたまんないね。>。

ぶらぶら

saikati11月27日(日)
(皀角坂・猿楽町)

北の丸公園のモミジがきれいになったと知らされた。ついでにお茶の水にある変な名前の坂も見ておこうと、水道橋駅に降り立った。線路沿いの坂を、お茶に水方面にエッチラオッチラと歩いていったら、あったよ、ありました。「皀角坂」(さいかちざか)が。ここから北の丸公園まで歩いていくことにしたが、きょうの天気はなんだ。「小春日和」を通り越して「小夏日和」みたいなもんだ。道中、身ぐるみをはぎながら歩くなんて、とてもじゃないが、11月末の気候とは思えないね

「皀角坂」の由来だが、かつては、枝に棘があるサイカチの木が密生していたという。坂の中腹に神田上水掛樋跡の説明板がある。文京区関口の大洗堰で取水された神田上水は、坂の北側を流れる神田川の対岸からここまでは樋で結ばれ、神田や日本橋に分水されていた、という。こんな地名が東京にあったことを知らなかったのは、薀蓄を誇る東風とらにとっては屈辱的な思い、その上、その新聞記事をにょうぼに教えられたとあっては、まさに恥の上塗りだったが、やはり、来てよかったね。坂の表示板はペイントなどの悪戯でかなり汚されていたけれど、この悪漢、字の余白だけを塗る徳義も持ち合わせていたのはラッキーだった。それにしても、「皀角」という字、「さいかち」と読むなんて覚えにくいことおびただしい。仕方ないから「さいづち頭」の指揮者、ホルスト・シュタインを連想することで、ようやくマスターできたよ。

猿楽町、神保町と通り過ぎ、幾つもある「いも屋」の看板を悩ましげに見送って、専修大学前交差点を抜け、ふと気が変わって裏道を歩くことにした。これが大当たり、「俎橋」手前の路地裏に、ひっそりと春原歯科の看板が見えた。あまりにも古風な佇まいに、思わずシャッターを切ったんだったが、よくよく見ると、なんと「春原」に「スマハラ」というカナがふってあるではないか。なんたる幸運、思わずラッキーと勝利の口笛を吹いてしまったね。

肝心のモミジだが、全体に木が小振りの上、カエデが少ないので、イマイチ迫力に欠けた。あの燃えるように鮮やかな小木のモミジ、なんという名前なのだろうか。樹木の種類にはからきし自信がないんだけど、もしかして「ダケカンバ」かなあ。帰ってから図鑑を調べたが、依然として分からずじまい、もっと分かりやすい図鑑が欲しいなあ。(いま図鑑だけでも5冊持っているけど、クソの役にも立たない)

こりゃダメだ

イチョウ11月26日(土)
(代々木公園のいちょう)

大鵬、巨人、卵焼き世代に育ったものとしては、ジャイアンツの凋落はさびしいものだ。常勝巨人は必ずしも望まないとしても、スポーツの世界だから、強くなくてはいけない。プロ野球がすっかりつまらなくなったのも、ジャイアンツが弱くなったことと決してむえんではない。取り囲む環境も最悪で、ナベツネ率いる読売新聞がすっかりジャイアンツをダメにしてしまったし、日本テレビの放映も解説者に読売命みたいな紛い者ばかりを起用し、批判なんかとんでもない、オベンチャラばっかりのヨイショをするもんだから、なおさら悪化の道をたどることになった。

東京ドームだってそうだ。独占にあぐらをかいて、ファンサービスなんてクソ食らえ、高い入場料に、高い飲食費、野球見物だけで、軽く1万円はすっ飛んでしまうんだから、まさに暴利というしかない。たかが弁当に1500円、つまみが600円、生ビールは800円も取るから、野口や福沢さんが懐から羽が生えたように瞬く間もなく飛び出していく。だから、球場周辺のコンビニや弁当屋の流行るのは決して無縁ではない。もしかしたら、これらの店にも後楽園が密かに投資してるとしたら、まさにぶったくりもいいとこだ。

そのジャイアンツだが、任期終了前に監督を解任され、しかも単なる社内の人事異動だと、屈辱的言辞のもとに追い出された原辰徳が男の意地も貫かず、再び監督としてノコノコと出戻りした。しかも、かっての同僚(コーチとしてはまったく無能)ばかりをかき集め、友達ムードで「ジャイアンツ愛」だなんて、甘っちょろいことをいってるんだから、こりゃあダメだ。なんとかファンドは阪神電鉄なんか買い占めずに、日本テレビや読売新聞の株を買い占めてくれたらよかったのにと泣きたい気持ちになる。

来年もダメか、この憂さをどう晴らしたらいいんだろうか。テレビのゴールデンタイムは愚にもつかぬ番組ばっかりだし、本ばかり読んでいるのも寂しすぎる。ビデオやDVDをレンタルして見ていても、なんか空しい。やはり、長年の習慣で、この時間はジャイアンツの勝ちいくさに狂喜乱舞したいんだなあ。胸のどこかにポッカリと大きな穴が開いているようで、落ち着かないんである。ああ、くたばれジャイアンツ


湯屋番

農林中金ビル11月25日(金)
(農林中金・丸の内)

かなり前になるけれど、新宿末広亭で、亡くなった柳屋小さんの落語を聞いて、あまりのおかしさに、辺りかまわず大声で笑い転げ、周囲の顰蹙を買ったことがあった。あれ以来、どうも寄席への足が遠のいたような気がする。演題は「湯屋番」、とぼけた例の調子でボソボソ語るのが、笑いに一層の拍車をかけたんだった。小さんが亡くなって、はや1年も経ったんだなあ。小さんの蕎麦を食べる仕草、酒を飲む仕草は天下一品の名人芸だったなあ。

話し変わって、我が家の湯屋番は、東風とらの仕事、番台と三助はないけれど、最近つくづく思ったことがある。年々歳々、風呂が汚れなくなっていることだ。お互い年をとったせいか、油気とか、からだの汚れ、抜け毛などが情けないほど少なくなってしまった。要するに出汁が出なくなっちゃって、出汁がら状態ってわけなんだね。今年の春頃までは、2日入ったら、取り替えていたが、夏以降、あまりに汚れが少ないので、捨てちゃうのはもったいないから、3日続けて入っている。もっとも、東風とらのハゲも大いに貢献して入るけどね。

その代わりといっちゃあなんだけど、水道の出がすごい勢いになってしまったから、それを利用して湯釜の中をシッカリ洗っている。風呂釜の中ってこんなに汚かったのかって思うほど、張り付いていた湯あかが面白いように吐き出されてくる。いつまでやってもきりがないので、適当に切り上げているけれど、この湯あか取りもけっこう楽しい仕事となっている。

この集合住宅の3階部分は高齢者用の住宅になっているけれど、ここに住むおばあちゃんたちはほとんどが内湯を沸かさずに銭湯に通っているそうだ。風呂場を洗うのもけっこうしんどいし、だいいち風呂を沸かすのが面倒だというのだ。確かに年を取れば取るほど、風呂掃除はきつい仕事になるなあ。東風とらも銭湯に通うようになったら、年を取ったことになりそうだ。

エッチな気分

防衛庁のタワー11月24日(木)
(市ケ谷・防衛庁タワー)

世の中には面白い人がいるもので、日本にとどまらず世界の珍名を見つけては、わざわざ現地まで調査に出掛ける。挙句の果てに、その貴重な実績を写真付でインターネットに公開してるんだから嬉しくなっちゃうよねえ。こういう話って、思わず吹き出してしまう巧まざるユーモアとウイットがたまらなくいいんだなあ。その中からいくつか紹介する。

現地語なら何てことない地名なのに、日本語の音で捉えると珍名になる場所って多いんだねえ。オランダには「スケベニンゲン」という港町があるし、オーストラリアには「エロマンガ」という人口55人の小さな町、中央アフリカには「チンコ川」、米国アリゾナ州には「アホ」、韓国には「ハゲ」、ギニアには「ボケ」など、地図だけではなく現地の様子を写真入で紹介している。

日本だって負けてはしない。沖縄那覇の「漫湖公園」には思わずドキリとさせられるし、北海道には「ワルイ川」、「ヤリキレナイ川」があり、愛媛県には「土居中」(どいなか)、滋賀県には「処女湖」まである。群馬県の南蛇井(なんじゃい)、北海道の珍小鳥(ちんことり)、高知県の半家(はげ)も滑稽だし、以下、青森の「馬鹿川」、滋賀県の「浮気」、三重県の「股毛」、岐阜県の「尻毛」などはかなも振る必要もないそのものズバリだからね。

ここからは、東風とらが調べた難読地名、駅名、というより珍名から抜粋する。福岡市南区には、西鉄天神大牟田線「雑餉隈」(ざっしょのくま)という駅があるが地名ではない。ところが 隣接する大野城市には雑餉隈町という地名が現存している。大野城市雑餉隈町に行くには、西鉄天神大牟田線の白本原駅か下大利駅で下車することになる。なんとも分かりにくいことおびただしい。

関西周辺は珍語の宝庫だが、大阪・東住吉区にある「住道矢田」という地名は、まともな人には絶対読めない地名だし、大阪市営地下鉄谷町線「野江内代」、JR片町線「放出」、JR桜井線「京終」、JR山陰本線「石原」、京福嵐山線「車折」、京阪京津線「御陵」なんてなると、からかわれてるんじゃないかなんて裏読みしたくなる。これをかな読みすると、上から順番に、「すんじゃった」、「のうえちんだい」、「はなてん」、「きょうばて」、「いさ」、「くるまざき」、「みささぎ」となる。この手の話は大好きだから、書き出すとキリがなくなる。では寅さんお得意のしめ言葉、この辺でお開きってことに。


ヤン様

赤坂迎賓館11月23日(水)
(赤坂迎賓館)

イヤー、やったね、ついに生ヤンソンスを体験しちゃったよ。至福のひととき、なんという感激なんだろうか。席もよかったね。バックヤードのビンテージ席、チューバ、トロンバーン奏者真後ろの最前列、あたかもヤン様とまともに向き合う絶好の場所だった。始めのうちはなんとなく照れくさくて伏目がちだったけど、次第に取り込まれていって、まるで一緒に演奏しているような気分、その臨場感はたまらなかったね。最初の曲目はピアノ協奏曲だったから、控えめだったけど、本番のシンフォニーはそれこそ面目躍如だった。情感あふれた演奏で、緩急を自在に操り、要所をピタリと決めるタイミイングは益々円熟の度を深めていた。、とりわけフレーズの終わりをびしっと決める技の凄さは、まさに神技とでもいうしかない。

指揮するオケラはバイエルン放送交響楽団、曲目はチャイ様の「ピアノ協奏曲1番」、ベルリオーズの「幻想交響曲」、会場はサントリー・ホールだった。ただし、場所が場所だけに、木管楽器の独奏なんかは真うしろから見ることになるので、見えるのは頭だけ、音的にはヤン様に対して左側のセクション、ビオラ、ベース、ホルン、チューバ、トロンボーン、テインパニーの音ばかりが偏って聞こえていた。その分迫力も半端じゃあなかったけど、なにせヤン様とまともに向き合っているだけでも、最大のメリットなんだから、これ以上の文句は贅沢かもね。

なにせ、「幻想交響曲」は派手目な曲だから、前回、チャイ様の「悲愴」で感じた寂寞感は感じようもないが、管楽器を派手に鳴らさせ、一段と躍動感を響かせた手腕には、違った意味で脱帽だ。後ろから眺めていると、奏者とのアイコンパクトはそれこそ見事なもので、かれの目線をたどるだけで、どのパートがメインになるのかは瞬時に分かった。指揮者と演奏者との連携プレーがシッカリとなされていることを、改めて確認できたのは収穫だった。

1126日、2005年NHK音楽祭で、ヤンソンス率いるバイエルン放送交響楽団が違う曲目で出演する。その模様は、12月10日(土)23時(BShi)、17日(土)0,30時(BS2)、18日(日)21時(NHK-教育)、27日(火)9、45分(NHK第1)で4回に渉り、繰り返し放映される。曲目はプロコフィエフ「V協奏曲」、ベートーベン「7番」などである。生ヤンソンスを違う角度で再び見られるのは嬉しい限りだ。今宵感じた至福のときをまた何度も味わえるなんて、なんとも素敵なことじゃあないか。

鎮守の森

神宮球場11月22日(火)
(神宮球場)

むかしはどこでも町外れに八幡様などの鎮守の森があって、祭礼になると露天が立ち並んだ。子供たちにとっては数少ないハレの場で、わずかな小銭を握り締めて、アチコチ駆け回り、やっとこさ選んだ駄菓子を夢中になってほおばったものだった。鎮守の森といえば、だいたいが大きな森で、小鳥たちの巣が一杯あって、昼間でもピーチクパーチクとうるさいものだった。

朝目覚めたら、やけに騒がしいので、寝ぼけ眼をこすりながら、ベランダから見下ろしたら、すぐそばの近代的ビルの手前にある小さな林から聞こえてくる。どうやら何種類かの小鳥たちのねぐらになっているようだ。ピーチクパーチク、ギャーギャー、ピーピー、チャッチャ、チッチ、なんとも騒々しい。気になるので、ちょっとのぞいてみたら、この林の中には小さなお稲荷さんのほこらがあった。知らなかったなあ、こんな近くに鎮守の森があったんだ。

この辺りで縁日というと、一番近いのは、門仲の富岡八幡宮だな。富岡八幡宮の縁日は毎月1日・15日・28日で、善男善女がどこからとも現れ、門仲の歩道から境内まで長い露天が軒を並べる。ガキの頃と同じで、にょうぼから小遣い銭を巻き上げ、颯爽と飛び出していく。まず間違いなくやるのは、まず必ずヤキソバを食べること、次に軒を並べた10軒近い植木屋を行ったり来たりして冷やかし歩き、結局はなにかを買わされて帰ることになる。露天で買った草花の苗は、根付きの浅いものが多くて、モノになった験しがないのも分かってるくせに、ついつい成り行きで無駄遣いをしてしまう。前回もう2度と買うもんかって、誓ったばかりだっていうのにね。

ガラクタ市はまったく無視することにしている。見ちゃうと欲しくなりそうなものが一杯ならんでいるからだ。インチキくさい腕時計だとか、偽ブランドとか、いまにも壊れそうな双眼鏡やライター、あまりにも魅力的なゲテ物が多すぎて、誘惑されちゃうに違いない。もっとも、この時点ではヤキソバとお茶のペットボトル、花の苗で、すでにゲルピン状態、買うにも買えない状況下だというのも間違いない。そして2週間が過ぎると、ケロっとした顔で露天商の前を行きつ戻りつしている。

斜陽

荒木町のスナック11月21日(月)
(荒木町のスナック)

新聞といえば朝日新聞、特別な義理があるわけでもないのに、なんとなく60年間、朝日新聞一筋を通してきた。その間、息子たちの就職時期に1年間だけ日本経済新聞を併読したこともあったが、本線はあくまで朝日との信念は破らなかった。信念だなんて、クソ難しい理屈はともかくとして、活字に慣れてしまったし、他の新聞を読んでいないから、比較したことはなかったけど、リベラルな内容に満足していた。

それが、最近どうにもこの新聞が面白くなくなってきたのである。記事は垂れ流しだし、中道左派として常に権力には阿ることなく、批判精神が旺盛だった勢いがまったく消えてしまったし、当然のようにしっかりとした論調も見られない。それに企画物も通り一編でつまらないのだ。朝食時に読むのが習慣になっているが、飯を食べ終わる前にもう読み切ってしまう味気なさだ。

新聞集配所で聞いた話だが、江東区では読売新聞が70%も占めていて、残り30%を朝日新聞その他で争っているそうだ。不満はたくさんあるけれど、「腐っても鯛」、やはり新聞は朝日新聞だと思っていただけに、唖然とさせられた。ところが朝日新聞がほんとうにおかしくなっているのは事実のようだ。例の捏造記事だけでなく社内はてんやわんやの状態で、紙面は迷走続きだというのである。

以下、入社17年目に退社した元朝日新聞記者の書いた内幕物からの抜粋である。別に朝日に限ったことではないだろうけど、<記者クラブで供応やもらい物が当たり前になっていく生活。主要3部といって政治部、経済部、社会部が「エライ」ということになっている組織構造。この「エライ」部は特派員などの花形ポストを常に指定席として独占していること。捏造に限りなく近い小さなヤラセの横行。前例のないものには手を出さない保守的な空気。日に1200万円も使うハイヤー・タクシー代の天文学的数字>。

まあ、告発みたいなもんだから、すべてが正しいとは限らないだろうけど、この腐りきった実態にはただただ呆れるばかりである。新聞という大事なメデイアが内側から音を立てて崩壊しつつある現状に、もっと関心を持たないといけない。しかし、読売新聞がトップだったとはねえ。なんか先の総選挙で小泉率いる自民党が圧勝したこととダブって見える。
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