コジゼラ

よもやま話を雑文で

2006年07月

しくじり

4丁目・ベロタクシー7月31日(月)
(ベロタクシー・銀座4丁目)

最近、つくづく感じるのは風呂に関するしくじりが多いことだね。風呂に湯を張ったのを忘れて、ジャージャー流してしまうのは日常茶飯事だし、沸かしすぎて扱いに苦労することも多い。きのうなんか、いつまで経っても湯が張らないので、おかしいなと思いつつ、3度目に見に行ってやっと風呂の栓がちゃんと閉まっていないのに気がついた。

諸悪の根源はタイマーのセット忘れにある。それとなにかしている時に、タイマーを止めて、ついつい止めるのを忘れてしまうことだ。夏場になって、湯の張り具合、湯の熱さが従来より短縮されているのに、長年の習慣から長めにセットしてしまうのも敗因の一つだ。沸かしすぎたときは大変だ。たぎり立つ熱湯に手を突っ込んで、まず栓を抜かなければならない。抜いたら頃合まで熱湯を抜き、水を注ぎいれる。沸かしすぎだと、これを数回繰り返す。風呂場にはもうもうたる湯気が立ち込め、いながらにしてサウナを楽しめる。いまじゃ、そんな面倒なことはせずに、新たに焚きなおすほうが利口だと分かったが、すっかり捨ててしまうのはもったいないって気になる。

パロマのガス湯沸かし器の問題が世間を騒がしているが、記者会見でのパロマ経営者の傲慢不遜な態度には開いた口がふさがらなかったね。売ってしまえば、あとはケサラサラでは消費者もたまったもんではない。雪印乳業があっという間に消滅してしまったように、経営者の姿勢が会社を滅ぼすことになる。人の命を預かる社会的使命を忘却しているようじゃ、やはり長くは保つまいね。

我が家のガス風呂はパロマではないけれど、湯がちっとも熱くならなかったり、燃焼具合が分からなかったり、調整具合がうまくいかなったり、ガス漏れしてるんじゃないかと不安になることも多い。狭い密室だから、そうなったらひとたまりもない。いくら東京ガスだからといったって、設置したり調整するのは下請け業者、ちゃんとしたマニュアルが周知徹底しているんだろうか、それも心配になるね。

利口

sumida17月30日(日)
(隅田川花火大会)東京新聞より

新聞社の通称「ラ・テ欄」(ラジオ・テレビ欄)は、各新聞社が独自に作っているだと思っていた。ところが、この通称ラ・テ欄はほとんどが専門の通信社に委託しているそうだ。全国の新聞社にラ・テ欄の番組表を配信しているのは主に2社で、週刊TVガイドの発行で知られている「東京ニュース通信社」と、朝日新聞・日刊スポーツ新聞社の関連「日刊編集センター」だ。全国の放送局から寄せられた番組編成や紹介文をもとに地域ごとの番組表を作成、新聞や雑誌に配信しているそうだ。どうりで番組表に新味がないわけだ。

「利口」ってコトバがある。岩波国語辞典をみると「頭がよいこと。要領がよいこと。抜け目がないこと」と出ていて、だんだん悪い意味になっていく。ところが、同じ「利口」を、岩波の古語辞典でみるとまず、「口のきき方が巧妙なこと。口達者」とあり、次に「気のきいた戯ざ)れ言。たくみなしゃれや冗談口」、最後に「かしこいこと。利発。怜悧」となる。いまでいう小利口って意味合いが強かったようだ。

日本人は昔も今も、頓知や機知が大好きで、オモシロイことをいおうとして、いろんな努力をしてきた。ふだんからコトバという道具をためつすがめつし、表から裏から上から下から眺めたり、音だけを取りだしてあれこれ連想したり、意味を深く考えたり。そうやってコトバの性能を試し、磨いた。そこで、多種多様なことばあそびが生まれ、伝わってきた。

「当たり前田のクラッカー」っていうフレーズ、前田製菓が1960年代に流したコマーシャルだが、ジャンルからいえば、これは「無駄口」という、昔からあった言葉遊び一種で、一つのことばから二つの意味を引き出す。「そうは桑名の焼き蛤」、「あたりき、車力、車引き」、「畏れ入谷の鬼子母神」、「びっくり下谷の広徳寺」。これらは無駄口あるいはため口なんだけど、ちゃんと韻を踏んでいなけりゃならないとこが、まっこと粋なんだよね。

早口言葉

kannransya7月29日(土)
(噴水と大観覧車・葛西臨海公園)

ことばの要素のひとつが、音(おん)。ことばの音で遊ぶのは、尻取り、早口ことば、囃子ことば、芝居の声色、物真似などなど、子どものころからの遊びの数々があった。早口ことばで有名なのは、「生麦生米生卵」、「隣の客はよく柿食う客だ」などあるが、歌舞伎好きなら、「ういろう売り」だろうか。

「外郎売」は、一説によると「ういろう」という薬のおかげで持病が治った二世市川団十郎が宣伝を買って出たという演目だ。「さてこの薬第一の奇妙には…、 ひょっと舌が回り出すと、矢も盾もたまらぬじゃ。そりゃそりゃそりゃそりゃそりゃまわってきたは、まわってくるは…」と、むずかしい早口ことばを次々に言い続ける。調子よく、リズムにのって飛んでくることばの響きの面白さ。「古典的日本語ラップ」といってもいいと思う。

早口ことばはアナウンサーの滑舌をよくするための訓練としても使われる。NHKで使われているものの中から幾つかを。「瓜売りが瓜売りに来て瓜売り残し、売り売り帰る瓜売りの声」、 「お綾や親にお謝りなさい」 、「東京特許許可局 日本銀行国庫局」、 「菊 栗 菊 栗 三菊栗 あわせて 菊 栗 六菊栗」、「上方僧書写山、社僧の僧命代、今日の奏者は、書写じゃぞ、書写じゃぞ」、 「この竹垣に竹立てかけたのは、竹立てかけたかった、竹立てかけたのです」、「のら如来のら如来 三のら如来に六のら如来」、「笑わば笑え わらわは笑われる謂れはないわい」。

NHKは別として、アナウンサーの採用試験はかなりの高倍率となっている。だけど、民放、特にフジテレビの上っ調子の女子アナを見ていると、とても難関を突破してきた才媛とは思えない。中身は薄っぺらだし、教養と思えるものは何も身についていない。採用の基準が単なる見てくれだけ、バラドルまがいの演技と所作が重大視されているとしか思えない。よく見れば出身校はいずれも名門校ばかり、大学教育にも疑問を感じてしまうのだ。すべてが上っ調子の世相に迎合しているのも、時代の趨勢か。

川開き

sumida7月28日(金)
(昨年の隅田川花火大会)

いよいよ明日29日、東京・隅田川花火大会が行われる。隅田川の花火大会といえば、第一会場・第二会場と二つの会場で合計約2万発の花火が打ち上げられる。第一会場では花火コンクールが行われ、様々な種類の花火が打ち上げられる事で有名で、毎年多くの人が浅草周辺に押し寄せる。

台東リバーサイドスポーツセンターの野球場では毎年数日前から多くの人が徹夜で並び、当日の場所取りに備えている。この野球場は隅田川沿いにあり、第一会場打ち上げ場所のすぐ近くで、座ってゆっくり見られるので大人気スポットとなっている。 27日の時点でかなりの人が並んでおり、徹夜のためテントも数多く見られた。当日の朝、野球場の門が開くと同時にみんな猛ダッシュで場所を確保しにいくという。

夜空を鮮やかに彩る花火こそは、なんといっても夏の風物詩、これなくして夏の到来はありえない。隅田川の川開きと晴海の東京湾大華火祭は東京で行われる花火大会のビッグイベント、若かった頃は、あの大勢の人混みにまぎれて、いい場所を探すなんてことに情熱をかけていたが、それもいまは昔の話。川開きはテレビ東京のテレビ中継で、不満足ながら十分に堪能している。だが音のダイナミズムは聞きようがないし、局の方針からか年々バラェテイ化しているのが不愉快だ。

晴海の花火はすぐ近くにある橋の辺りから遠めで眺めるのに満足している。花火の命は光とともに音だから、少し離れていた方が、遅れて届く尺玉の轟音がズシンと響いて聞こえる。豊洲周辺の開発がドンドン進み、高層ビルが立ち並ぶようになっていて、数年先には晴海方面を完璧にシャットアウトしてくれるだろう。ここから見られるのもあとわずかとなりそうだ。

のんびり行こう

haikyou7月27日(木)
(豊洲運河にかかる廃橋)

「のんびり 行こうよ どこまでも」って歌があった。これってCMソングだったような気がするが、何時ごろはやったのだろうか。「猛烈からビューティフルへ」というCMが注目された高度成長期の後半、1975年の第一次石油危機のちょっと前だった気がする。いまのせわしい時代から考えると、「のんびり」という志向がいかに貴重だったかを思い知らされる。

「白のパンダをどれでも全部並べて」。井上陽水のでたらめな歌詞に、奥田民生が肩の力を抜いたフニャッとしたメロデイをつけた96年のデビュー曲「アジアの純真」を歌った女性デュオが「パフィー」だった。小室哲哉がプロジュースする、ダンス系中心の音楽が一世を風靡したさなか、この「脱力系」の音とキャラクターは新鮮だった。

パフィーは一発屋で終わるとの世評をあざ笑うように、「これが私の生きる道」「渚にまつわるエトセトラ」とヒット曲を連発、バライエテイ番組に出演し、独特のポジションを築いてきた。その間、人気歌手との結婚、離婚などで話題を賑わしてきた。04年には米国で放送されたアニメ番組でも人気者になった。早いもので、そのパフィーがデビュー10周年を迎えるという。

TシャツにGパンというラフないでたちで、一見野暮ったく見え、いつまでたってもシロウトっぽさが抜けないのもよかったね。歌はあまりうまくなかったけど、どうしてどうして、この大貫亜美と吉村由美の二人は、かなりの美形、そのギャップが面白かった。いまでも、のんびりとマイペースで歌っているらしいから、けっこうなことだ。小室哲哉の早すぎる凋落を見ると、「うさぎとかめ」の物語を思い出すね。

折から、時代はスローライフというテーマが掲げられ、大きく舵が取られるかもしれない予感がするが、これも飽食に飽きたリッチ層がターゲットであることも事実だ。相次ぐ増税、福祉負担の増加、公共料金の値上げに端を発する物価の高騰などにより、生活はますます苦しくなる。とても「ノンビリ」とはいけそうもない。

海の日

kyuujyou7月26日(水)
(皇居)

明治の始め、政府は開国と共に西洋式の灯台を大量につくった。その際、灯台建設のために行う測量や物資輸送に、灯台船という専用船が必要となる。当時、日本には造船技術はなかったのでイギリスに発注し、最新の船「明治丸」が製造された。性能が良かったせいもあって、その後この船は数々の功績を残し、現役を引退し、陸地に展示されるようになった。現存する日本最古の帆船ということもあり、この船は現在、船舶としては唯一の国の重要文化財に指定されている。

明治9年、明治天皇が、東北、北海道を巡られる際に、この船に乗船され、青森から函館まで乗り、数日後、もう一度この船で函館から横浜まで戻られた。そして横浜港に着いたその日が実は7月20日だった。昭和になって、無事に明治天皇が東京へ戻られたことを記念して、この日は「海の記念日」に制定され、平成の時代になり、そのままこの日は「海の日」という祝日になる。

いささか旧聞に属してしまったが、つまらない休日の一つと思っていた「海の日」の因縁が分かって、多少すっきりした気になった。それに、なんといっても明治丸はすぐ近くの越中島にある「海洋大学」に鎮座ましましているんだから、ご近所様って言うわけで、ちっとは親近感もわいてくるってわけだ。元々、この越中島には、明治の御世から陸軍の練兵場があり、明治天皇が行幸されたという碑も残っている。その跡地が商船大学(いまの海洋大学)っていうのも、なにか因縁を感じるね。

海洋大学構内には、以前は比較的自由に出入りできたが、学校関係の不祥事が続出したため、警戒が厳重になった。散策の通り道だから、緑豊かな構内を横目で見ながら指をくわえたまま、通り過ぎるのは残念だ。まあ、変質者も多い時代、この人相じゃ、守衛も簡単には気を許してくれないだろうが、ご近所なんだから、ちっとは便宜を図ってくれたっていいのになあ。なお、明治丸は有料で見学できるけどね。

浅草六区

kissaten7月25日(火)
(派手な喫茶店・浅草)

真っ白な磁器の下地に鮮やかに映える輝くばかりの赤。17世紀後半に佐賀県有田地方で確立し、欧米でも人気を博した有田焼「柿右衛門の赤」。あの華やかな赤はガラスの粉に金属酸化物の顔料を混ぜた絵の具で白磁に彩色し焼き付ける。赤い顔料はベンガラ(弁柄)と呼ばれる酸化鉄で、火山性の赤錆などを焼成し、乳鉢で丁寧にすって作る。微量の不純物や絵の具の厚さの違いで色は微妙に変わる。

話変わって浅草六区、いまはすっかり寂れてしまって、舗道ばかりがやけに広く見える。むかしは休日ともなると、人の波で身動きできない時代もあった。娯楽の町といえば浅草だったのである。その歴史は古く江戸三座(中村座、市村座、森田座)で、諸国から種々雑多な芸人たちが芸を披露したのに始まり、その後も小芝居や歌舞伎などが大衆を魅了、大正中期の浅草オペラ、昭和初期の軽演劇、戦後はエノケン、シミキン、大宮でんすけ、らを輩出した。ストリップ劇場の幕間に行われるコント劇から、渥美清、コント55号、ビートたけしなど、ここをステップに大成した喜劇人が続出した。

娯楽、演芸の長い歴史が脈々と受け継がれている浅草だが、いま一つ忘れてならないのが映画だ。明治時代、当時のモダニズムの象徴だった映画をいつでも見られる日本発の常設館として、「電気館」はこの地に誕生して以来、浅草は映画館が軒を連ねる全国一のメッカに成長、戦後も「新作映画の興行的成否は浅草の映画館の数字が問題」といわれたほどだった。いまではわずかに大勝館が残っているだけというのは寂しい限りだ。

伝通院通りは昨年、巨額の費用をかけて、江戸時代の町並みに再現している。だが、なにかちゃっちくて、表面ずらをなぞっただけ、江戸庶民の心意気とか、暮らしぶりなどがちっとも感じられない。うわっ面だけの改革は小泉内閣を見ていればよく分かるように、すぐ化けの皮がはがされる。それにしても、仲見世通りの繁盛振りには目を見張るものがある。ここへくると、浅草に来たなっていう実感がある。いま、浅草は一点集中型の繁華街に変わりつつあるね。

赤ちん

redtran7月24日(月)
(チャイイーズ・レストラン・門仲)

ガキの頃、雨でない日はたいてい外で遊んだ。原っぱではしゃぎまわり、空き地には「鉄条網」なんかが張ってってあった時代だ。子どもってよく転んだり、すべったりするが、鉄条網を乗り越えたりくぐったりすると決まって腕や足ををひっかけてしまうもんだった。赤チンとかさぶたの多さはガキ大将の勲章のようなものだったね。
 
怪我して泣きっ面で家に帰ると、オバアチャンがツバをつけて「赤チン」を塗ってくれるのだった。「赤チン」は「赤いチンチン」ではなく、「赤色のヨードチンキ」という意味で「赤チンキ」ともいった。赤ちんを塗られ、「チチンプイプイ、怪我なんか飛んでいけ」っておまじないをかけると、あら不思議、さっきのあの痛さなんかどっかにとんでいってしまうのだった。赤チン、正露丸、キンカンは子供にとって三種の神器だった。

そういえば、最近「赤チン」というものを見かけなくなった。 擦り傷には、スプレータイプの「マキロン」だし、「バンドエイド」は家庭の必需品と言える。はたして「赤チン」は絶滅してしまったのだろうか。赤チンは正式にはマーキュロクロム液といって、1〜2%のマーキュロクロムを精製水で溶かしたものだそうだ。ところが、このマーキュロクロムは なんと「有機水銀化合物」だったんだ。水俣病などの水銀による公害が社会問題になって、水銀化合物は、公害関連物質に指定され、赤チンもその製造過程で水銀を出すために規制をうけることになったそうだ。この頃から生産数が減り、昭和48年には国内での製造が停止されることになったという 。

日本では古来より丹と呼ばれた水銀は貴重な産物とし重用された。丹を制するものは日本を制すといわれ、弘法大師は旦を捜し求めて日本各地の山中を歩き回った天皇直属の山師だったという説もある。高野山は丹の埋蔵量が莫大だったため、ここを本山と定め、ナゾのご神体は多量の水銀を含有する巨大岩石だという。水銀は金、銀を選別するアマルガム製法に使われ、金銀の使用量は飛躍的に増大した。ほかにも、金属の接合、鍍金などに重用され、江戸時代には白粉や口紅の原材料として、庶民にも膾炙した。



モッタイナイ

youteimaru7月23日(日)
(羊蹄丸と宗谷・船の科学館)

「モッタイナイ」という言葉が、世界で通用する言葉として認知されているという。ノーベル平和賞受賞者、ケニアのワンガリ・マータイ女史の提唱によるものといわれている。女史は国連の「女性の地位委員会」閣僚級会合で日本語の「もったいない」を環境保護の合言葉として紹介し、会議の参加者とともに唱和したそうだ。英語でいうと「lWasteful」になるが、わざわざそのために使うような特別な言葉でもなさそうだ。

「もったいない」は勿体ないと書くが、勿体とは態度、風格、物の品位という意味で、勿体ないは不都合だ、不届き者だ、畏れ多い、惜しいという意味が本義である。転じて「物を無駄にする」、「むやみに消費する」のを惜しむ使い方になった。江戸時代から続いている消費社会を反映する時代を映す言葉の一つだろう。かっこつけたり、尊大ぶることを、勿体をつける、もったいぶるというが、語源は同じである。「勿けのさいわい」の勿はなのを意味するんだろうか。

常々、勿体ないと思うのはプロ野球選手や、芸能人、とりわけお笑い芸人の大御所といわれる連中の報酬の多さであろう。何で、こんなに多額の金額を払わなければならないのか、テレビ会社の過当競争の結果としかいいようがない。お笑い芸NO人CMギャラ・ランキングによると、1位は1億円以上で、さんま、たけし、タモリ、所ジョージ、2位は9000万円以上で、ダウンタウン、島田伸助、3位は7000万円以上で、ナイナイ、くりーむしちゅー、4位は6000万円以上で、鶴瓶、オセロ、久本雅美。

9連敗、12連敗、9連敗と6月に入ってから、気持ちいいほど連戦連敗を続けている「ジャイアンツ」、主力選手の年俸だけでも30億円を越す。大金を貰っていながら、ちょっと出ればすぐ怪我で欠場、こんなガラス細工のような連中に、あの「なべさだ」がいとも寛容なのには恐れ入るしかない。

おしめ

odaka7月22日(土)
(尾高橋・江東区)

かって、アイドルとしてその可愛らしい姿でファンをとりこにした荒木由美子が、その頃の面影を残しながらも、でっぷりと太った姿でCMに登場している。大人の「おむつ」のCMだ。それを見ながらフト思ったね。そうか、一発屋で終わってしまった歌手、彼女のご亭主、湯原正幸にもそろそろボケの兆候でも現れたのかってね。

ところが、これがとんでもない勘違いだった。2004年、読売新聞に短期連載された、「荒木由美子さんのケアノート」には、多くの反響が寄せられたという。結婚直後から20年間も義母を介護した荒木さん。アイドルのイメージが強かっただけに、悩みながらも、覚悟を決めて子育てと介護に地道に取り組んだ姿が幅広い世代からの共感を呼んだようだ。以下、当時の読売新聞から。

荒木さんは芸能界を引退、23歳で結婚しました。その直後に、夫でタレントの湯原昌幸さんの母、吉のさんが入院、20年間に及ぶ介護生活が始まりました。結婚生活はそのまま介護の毎日でした。結婚後1年で長男を出産、育児と介護が同時進行しました。さらに、長男が幼稚園のとき、吉のさんに痴呆の症状が出、自分の孫を分からなくなって、「若い男を由美ちゃんが連れ込んだ」と言い出すこともありました。荒木さんはストレスで髪が抜け、手の震えが止まらなくなったそうです。「妻として、嫁として、母として」いい点数をとろうと頑張った「テスト」を終えた今、荒木さんは、これから自分の人生を充実させたいと言います。

2004年から芸能活動を再開し、NHK「福祉ネットワーク」の司会や介護用品のCM等福祉分野でも活躍中だそうだ。あの若さでえらい苦労をしたんだなあ。それをちっとも顔に出さないんだから、見上げたものだ。芸能人にもこういう立派な人がいるんだって認識できたことが嬉しいね。そういえば湯原君もプライドを捨て、CAテレビのくだらない番組で頑張っていたのを見たことがある。業界ではおしどり夫婦として有名だそうだが、先日テレビ東京の旅番組に二人が出演していた。軽い気持ちで見てしまったのが悔やまれてならない。


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