コジゼラ

よもやま話を雑文で

2007年04月

もてぷよ

ボタン4月28日(土)
(ボタン・古石場)

<お笑いコンビ、インパルスの堤下敦(29)と人気モデル土岐田麗子(22)が年内にも結婚することが21日、分かった。2人は昨年10月、日本テレビ系バラエティー番組「踊る! さんま御殿!!」で共演。堤下のファンだった土岐田が、番組内で「好きです!」と告白。スタジオを騒然とさせ、汗かきの堤下をさらに汗だくにさせた。堤下は身長174センチ、体重80キロのガッチリ体形で、土岐田は女性ファッション誌「JJ」の専属モデル。外見だけなら「美女と野獣」だが、土岐田がリードする形で交際に発展した>

この話は番組中に絶世の美女からの突然の発言だったので、本人は当然のこととして、「さんま」も、見ているこっちの方も冗談だろうって疑った。だが、どうやら本気だと分かったって、本当にビックリしてしまった。自分が一番もてると思い込んでいる「さんま」がしばらく不機嫌になるほどの意外さだったね。いまは「もてぷよ」の時代だそうだ。「もてぷよ」とは「ぷよぷよ」と「もてる」を組み合わせた造語で、本来は肉付きの良い、ふくよかな女性を指すものだったが、この流れが男性にも波及してきたことになる。

それみしても、たかがといっては申し訳ないが、お笑い芸人のモテモテ振りには驚いてしまうね。古くは「とんねるず」の木梨憲武と安田成美、その相棒、石橋貴明と鈴木保奈美、ともに絶世の美女をチャッカリものにしちゃった。「うっちゃんなんちゃん」の内村光良は美人アナを食い散らかし、挙句はテレビ業界から追われるように逼塞してしまった。離婚してしまったが、さんまと大竹しのぶのペアが、そのパシリになったのはいうまでもない。いま人気絶頂の紳介だって、その女ぐせの悪さは折り紙つきで、いつ事件を起こしても不思議ではない。金持ち特有の傲慢さが鼻持ちならないもんね。

そして、お笑い芸人にとっては第2期黄金時代を迎えている。テレビの画面で憧れの眼差しで眺めていた、貧乏芸人たちが、お笑いブームに乗って、テレビへの露出が多くなり、高給を食むようになって、憧れの美女軍団と対等に接することができるんだからたまらない。もともとサカリがついているんだから、相手をうまく誑かせば、話は早い。

藤原紀香と陣内貴則のくっつきは多少巧まれた節が感じられたけど、とにかくお笑い芸人にとっては、入れ食い状態であることは間違いない。かれらは一刻のブームに乗っているが、本当に実力にあるのは、ほんの一握り、大半はバラエティ番組のひな壇芸人として、その他大勢の賑々しさに利用されているに過ぎない。けっきょくは、さんまや紳介たちのいわゆる大物芸人たちの冠番組に刺身のつまとして利用され、使い捨てにされるのだ。


よわい

新丸ビル4月27日(金)
(新丸ビルのエントランス・朝日新聞より)

4月27日、東京駅前の新丸ビルが豪華に生まれ変わって、華麗にオープンした。弘前城内のサクラは満開となり、明日からはゴールデンウイークが始まる。その狭間で、ひっそりと齢71歳の誕生日を迎えた。なりたくてなったわけではないんだけど、心身とも絶不調の中で迎える誕生日はそれなりの感懐がある。地獄の一丁目に益々近づいたって思いも強いが、定められた天命のなかで、精一杯ガンバルしかないんだよなあ。

バッカじゃないかな、相変わらずオレって奴は。人の話をエヘラエヘラと聞き流しているからバチが当たっちゃった。にょうぼの噺を聞き流している分には罪もないんだが、医者のコトバはちゃんと聞いていないとバカをみる。馬耳東風っていうのは自分のためにある言葉だと信じているから、なにをいわれても馬の耳に念仏、唯我独尊で牛耳を執ろうとするから、こういう破目になる。

インフルエンザで入院してから、腰痛を発症、生まれて初めての経験だったし、オトコのくせに痛みには極端に弱い。腰痛を苦にして出歩かない日が続いたが、4月半ば頃から、矯正ベルトをはめて、恐る恐る外へ出始めた。だけど、腰の痛さはちっとも減らないし、怠けた後遺症からだろう、ひざや足にすぐガタがくる。家に帰ってから、ベルトを外し、大の字に寝転ぶと、すごい開放感を感じるのはいいとして、そのまんまバタンキュウとなる。

今週の整形外科の診察日、先生に「ちっともよくなりません」っていったら、笑われちゃったよ。「矯正バンドの位置がぜんぜん違いますよ」。コチトラ、腹の真上にしていたが、ヘソ下まで下げられ、しかも息ができないほど、左右を締められてしまった。窮屈この上ないんだけど、歩いてみると腰の痛みをまるで感じない。すっかりいい気分になって、1万歩近く歩いてしまった。しかも、めったにない便意を催し、シネコンの豪華なトイレに駆け込んだら、もう見事なドカベン、すっかり気分が良くなっちゃった。

なんたるチヤ、つらい思いをしながら役にも立たないところを締め付けていたんだから、笑い話もいいとこだ。いい気になって連日歩き回るようになったけど、さぼっていたツケは大きいね。怠けぐせとゴロ寝はすっかり身についてしまって、貧乏神のように離れない。だから、1万歩近く歩くと疲労困憊し、帰りの駅や団地の階段がきつくなる。ようよう家に帰り着くと下半身はガタガタ、崩れるように横になる始末。71歳の思わぬ受難だね。

引力

豊洲北小学校4月26日(木)
(新設された豊洲北小学校)

JR東日本は4日、駅構内にある売店「キヨスク」を7月1日から「キオスク」に名称変更すると発表した。キヨスクは、旧国鉄の駅売店を経営していた財団法人鉄道弘済会が73年に決めた売店の愛称。英語では「KIOSK」で、キオスクの方が発音が近いが、「清い、気安い」などの意味を込め、付けたとされる。原語はあずまやを意味するトルコ語だという。

まったく無力なコチトラでも、風呂場では引力、つまり潮の満ち干を作ることができる。湯船を満杯にして首までつかり、思いっきり深呼吸をし、思い切り息を吐き出す。すると、アラ不思議、湯船から湯があふれ出す。肺活量が少ないから、5回ぐらいが限度だけど、潮の満ち干を演出できる。これには副産物もあって、毎日やっていれば腹筋は間違いなく強くなる。それと、身体に調子を調べるバロメーターにもなる。熱湯に浸りベランダで冷やす荒療治は自戒しているから、こんなことして遊んでいる、「なさばな」だよねえ。

江戸時代、エネルギーは太陽と人力だけだったが、見事な循環型社会だった。例えば、江戸の水道は、管や樋で巧みに高低差をつけ、人口110万、世界最大の都会に自然流下式の上水網を張り巡らしていた。人口60万のパリでは水道網そのものがなかった。日の出の約30分前と日没の約30分後を「明六つ」「暮六つ」と呼んでいた不定時法は使ってみると、とっても便利なものだった。

西洋の占いといえば占星術、星占い。88ある星座のうち、牡羊座、牡牛座、双子座、蟹座、獅子座、乙女座、天秤座、蠍座、射手座、山羊座、水瓶座、魚座の12星座と誕生日を結びつけて占っている。なぜこの12の星座なのかといえば、これらは黄道付近(黄道帯)にある星座だからだ。黄道とは天動説が信じられていた時、地球から見た太陽の1年間の軌跡で、この付近にある星座が特に重要視された。黄道を12分割するとほぼ1ヶ月ごとに1つの星座があることから、黄道12宮などと呼ばれる。太陽の向こう側にある星座だから、当然その時期には肉眼で見ることは出来ない。


口上

鯉のぼり4月25日(水)
(鯉のぼり・晴海トリトン)

毎日ぐずついた天気が続き、気が滅入ってくるね。暑いんだか、寒いんだか、その辺の判断も難しく、出かけるたんびに、着て行くものの選別に時間が取られる。この時期の雨を菜種梅雨、または菜種腐し(くだし)というらしいが、NHKの天気予報で菜の花が満開になる頃に降る雨をいう、なんて間違った説明をしていた。近頃、天気予報も打率がいいので、許してあげるけどさあ、ちょっとねえ。

渥美清が亡くなったのは1995年、「男はつらいよ」全48作すべて見たが、45作以後の寅さんは、立つのもやっといった感じで、痛々しくて見ていられなかった。といいつつも、これまで何度も見ているのに、先月終わったNHK−BSでの全作品放映を改めて見ていても、とても新鮮に感じた。筋立てのマンネリはともかくとして、寅さんといえば、やはりあの心地よい声と絶妙な間合いで、テンポよく語るアリアと口上売りがウリだったね。

あの口上売りの歯切れのいいセリフは何度聞いても覚えられなかったが、何度聞いても面白い。テキヤの啖呵売(ばい)っていう奴、すべて七五調、内容も決して生半可ではなく、歌舞伎、講談、落語、浪花節などのネタがすべて網羅されていて、けっこう中身は濃い。あの啖呵売は、すべて、渥美清が記憶していたもので、監督や脚本家が考案したものでないってのもすごい。すべて暗記していて、まるで立て板に水を流すように、スラスラと口をついて出たらしい。その一部を抜粋してみた。蛇足ながら、テキ屋は稼業人で、博徒は渡世人ということらしい。

結構毛だらけ 猫灰だらけ。見上げたもんだよ 屋根屋のフンドシ、見下げたもんだよ、
底まで掘らせる井戸屋の後家さん。上がっちゃいけない お米の相場、下がっちゃ怖いよ 柳のお化け。憎まれっ子世に憚る、日光結構東照宮。お産で死んだが三島のお仙、お仙ばかりが女じゃないよ、四谷、赤坂、麹町 チャラチャラ流れる御茶ノ水 粋なネエチャン立ちションベン。

白く咲いたか百合の花、四角四面は豆腐屋の娘 色は白いが水くさい。ゴホンゴホンと浪さんが磯の浜辺でねえあなた、わたしゃあんたの妻じゃもの。白い黒いは何見て分かる 色が黒くて貰い手なけりゃ 山のカラスは後家ばかり。色は黒いが味見ておくれ 味は大和のつるし柿 色は黒くて食いつきたいが あたしゃ入れ歯で歯が立たない。


夜もすがら

コデマリ4月24日(火)
(コデマリ・古石場)

年をとってきたせいもあるが、考え方がどうも復古調になっている。その代表的なものが、日本語の美しい表現に興味を引かれることだ。ふだん何気なく使っている言葉の一つ一つに、その言葉の意味が時に応じて微妙な変化をし、情緒ある余韻を残す。同じ現象を語るにしても、季節や時間、場面に応じて言葉遣いが微妙に変化する。

与謝蕪村の「春の海 ひねもすのたり のたりかな」の「ひねもす」は日がな一日、つまり一日中ということであり、夜もすがらは一晩中ということだ。小春は陰暦10月の異名で、まるで春のように暖かい晩秋から初冬特有の時期をいう。従って「小春日和」はこの時期特有の晴れて温暖な日のことだ。アメリカでは「インディアンサマー」、中国では「小陽春」という。

「昼下がりの情事」「黄昏」「かりそめの維納」「旅情」「哀愁」などの欧米名画の題名は、完全な意訳だったが、その映画の内容を美しい日本語を使って表現した。例えば、「昼下がりの情事」の原題は「ファッシネーション」、「黄昏」は「池の上」、「哀愁」は「ウオーターブリッジ」だった。邦画では、小津安二郎の「早春」「麦秋」「晩春」などのネーミングは抜群のセンスを感じる。ただ、この連作の棹尾を飾る映画の題名が「東京物語」、内容が優れていただけに、ちょっと飛車落ちの感じがしないでもなかった。

「宵闇迫れば」とくれば、フランク永井のリメーク版「君恋し」、「こんな小春日和の」は山口百恵の「秋桜」、「暮れなずむ町の」は武田鉄矢の「贈る言葉」。さとう宗幸の「青葉城恋唄」の題名は平凡だけど、内容はまるで言葉の宝石箱のようだった。<早瀬おどる、瀬音ゆかしき、葉ずれさやけき、木陰こぼれる灯火、薫る葉みどり、吹く風やさしき>。

においには古来より、「匂う」「薫る」「香しい」「臭い」と明確な格差があった。匂はいい匂い、薫は男女が衣服などに焚きこんだ人工的ないい香り、香は主として仏を尊ぶための香り、臭は嫌な臭いである。小椋佳作曲の「シクラメンのかほり」は布施明がしっとりと歌って、大ヒット曲になった。だが、この「かほり」は香りではなく、「薫り」をイメージしている。厳密にいえば、これって、作曲者の大いなる思い込み、勘違いといえるかもしれないね。

そんなこんな

アネモネ4月23日)月)
(アネモネ?)

公示地価の上昇が続いているが、その特徴は、都心の一等地で地価の値上がりが続いていることだ。海外の投資ファンドが土地を次々と購入しているためだが、その理由は日本の地価は割安感があることだそうだ。世界のマネーが日本の不動産市場に向かっている大きな理由の一つは、日本の不動産投資の「イールドギャップ」が高水準だからだ。イールドギャップとは、買った不動産を貸して得られる賃料収入の利回りが、1年以上の長期金利よりはるかに大きいことをいう。つまり、国債を買うよりも土地を買うほうが利益が上がると考える投資ファンドが都心の土地を買っている。

逆流した海水と真水が混ざった川の水を汽水という。汽車は汽水を使っていることから、つけられたた名前であるという説は真っ赤なウソ。塩分を含んだ水を学問的には鹹水といい、淡水が海に接するような区域を汽水域という。地球表面の約3分の2は水におおわれているが、その大部分は海で、川や湖の淡水域が占める割合は1%にも達しない。汽水域は淡水の密度が海水より軽いので、淡水は海水の上部にあり、一方、海から陸地方向に侵入する海水は淡水の下部にもぐりこんでいく。こうして汽水域は塩分濃度の異なる環境が作られ、豊かな生態系を作り出している。蛇足ながら、中国語で汽水とはサイダーを意味するソーダ。

「小使いさん」という言葉は、われわれ世代には愛着のこもったいい呼び方だったが、差別用語に分類され、その後、「用務員さん」となり、いまでは「主事さん」というらしい。日教組が強かった時代の名残だろうけど、呼び方を変えればいいってもんじゃないね。コチトラみたいに、その筋に疎い人間にとっては、教頭(副校長っていうんだった)よりも偉い人のように思えてしまう。日教組(教職員組合っていうんだった)といえば、随分弱い勢力になってしまったようだね。これって、文部省(文部科学省っていうんだった)の数少ない功績ってこと?

文豪たち

チューリップ4月22日(日)
(チューリップ・木場公園)

お堅い印象の教科書が大きく変化している。30日に検定結果が発表された高校用では、国語や英語で、昭和の文豪や外国の著名人が相次いで退場し、活躍中の人たちにとって代わられた。戦後の高校の国語教科書をリスト化している私立富士見丘高(横浜市)の阿武教諭が、今回の検定に合格した2・3年生用の「現代文」と、昨年合格し今春から使われる1年生用の「国語総合」を調べた。

その結果、吉行淳之介、島尾敏雄、開高健の3人は、今春の新入生から教科書で学ぶことがなくなった。4年前の検定では谷崎潤一郎と安岡章太郎の作品が消えた。谷崎は52〜62年度で「細雪」「春琴抄」などが教科書21点に収録されたのがピーク。94〜03年度は「少将滋幹の母」が1点に入っただけだった。 「第三の新人」と呼ばれた安岡も82〜93年度の12点をピークに今の教科書にはない。「戦後派」と呼ばれた大岡昇平、「第三の新人」の吉行淳之介、「内向の世代」の小川国夫らも90年代に入って激減した。

最盛期には25点で扱われた川端康成も同じ傾向だが、さすがノーベル賞作家。今も6点に残る。井伏鱒二はピークの45点が、今は7点。対照的に元気なのが、山田詠美、よしもとばなな、江国香織といった昭和の終わりから平成にかけて登場した女性たちだ。よしもとは6期から収録され、今回の検定では10点に載った。夏目漱石の「こころ」や森鴎外の「舞姫」、戦時中に発表された中島敦の「山月記」は、今回も多くの教科書が収録。戦後に登場した作家では、安部公房の「赤い繭」や志賀直哉の「城の崎にて」など、特定作品に人気が集まる傾向が出てきた。

はなしはガラッと変るが、遠山の金さんといえば、江戸・北町奉行。名奉行として語り継がれるようになったのは 廃絶の危機にあった芝居小屋・歌舞伎を救って、演劇界から絶大な支持を受けたからだそうで。そういえば新しい遠山の金さん役は松平健、嫌いじゃないけど、なんか違うかなぁ。彼はもう「将軍」という印象が強すぎて、今さら「町奉行」になられても違和感がある。金さんを演じた役者さんはたくさんいるけど、やはり西郷輝彦(江戸を斬る)のイメージかな。他と比べて細身で知的な感じが好きだった。松方弘樹が演じた期間は長かったけど、ガラが悪かった。


神さま

モッコウバラ4月21日(土)
(モッコウバラ・木場公園)

神も仏もないってよく言うが、日本人ってほんとうに身勝手。神も仏も信じないくせに、何かといえば神頼み、しかも仏と神とを都合よく使い分けている。人のことをいえないのも事実で、今回の一連の騒ぎでは、神様をかなり意識したね。やはり、かなり役に立ってくれたような気がして、体調が戻ったらお礼参りはしなくちゃって気になっている。

全国の神社に祀られている神様で一番多いのは、全体の約1割に当たる7817を数える八幡、ついで伊勢(4425)、天神(3953)、稲荷(2970)、熊野(2693)、諏訪、祇園、白山、日吉、山神と続く。約7万9千の神社を祭神に注目し、分布を明らかにする前例にない試みが発表された。日本の神社は大まかに分類すると、古代に始まる、地域の共同体が祭る「氏神型信仰」と、平安時代以降の力ある神を外から招く「勧請型信仰」に分けることができる。上位は全国チェーン型の神様たちで、上位4位だけで、全体のほぼ1/4を、10位までで全体の4割を占める。

勧請型信仰の代表格、八幡信仰は八幡神社、八幡宮、若宮神社、若宮八幡宮などは名前が違っても同じ八幡信仰とし、神明社、皇大神社、天祖神社、大神宮などは伊勢信仰に、天満宮、天神社、菅原神社、北野神社などは天神信仰にまとめて分類した。応神天皇を祭るとされる八幡は奈良時代、弓削道鏡の企てを阻止する神託を下した、大分県の宇佐八幡宮に始まり、平安時代には、京都の岩清水八幡宮が朝廷の守り神に、鎌倉時代には鎌倉の鶴岡八幡宮は幕府の守護神となった。

2位の伊勢神宮は国家鎮護の最高神とされる天照大神を祭るが、西日本への分祀が少なく、地域も偏っており、鎌倉時代の伊勢神宮所領の分布と合致する。3位の天神信仰は九州が全体の4割、西日本だけで7割を占める。6位の諏訪信仰は北陸、南東北、関東に多いが、鎌倉幕府の執権だった北条氏の所領に多いという。稲荷信仰は江戸時代、都市部では商工業の、漁村では漁業の守り神として発展した。また、都市の発達により、火事を防ぐ愛宕や秋葉、壁病予防の津島、商売繁盛のえびすのように、特定の祈願に霊威を示す信仰が人気を集めるようになった。


活性化

カゲツツジ4月20日(金)
(ヒカゲツツジ・古石場)

ここんところ精彩がなかった「天声人語」だったが、4月1日から執筆者が変った。文面や取り上げる内容の活性化はできるのか。読売新聞の「編集手帳」が絶好調なだけに、捲土重来を期してほしいと思うね。たかだか、600字前後に文章をまとめる大変さは、よく分かっている。なにせ、ワープロ学習の隠れた先生だっただけに、がんばってほしいね。
このたかだか600字を中指1本で、パソコンに打ち込むのに、どれだけ誤字脱字を繰り返しながら、無駄な時間を費やしたか。だけど、その努力がパソコンに親しむきっかけになったんだから、天声人語に対する愛着はことのほか強い。

<「宵のうち」という表現が、気象庁の予報用語から消えることになった。午後の6時から9時をさすが、もっと遅い時間だと誤解する人がいるからという。新しい表現は「夜のはじめごろ」になる。機能的だけれど、いまひとつ趣を欠く。気象庁は時おり用語を見直していて、10年前には「夜半」が消えた。そのとき「宵のうち」も危なかったが、「宵っ張り」や「宵待ち草」など身近な言葉が多かったため、目こぼしされて残ったいきさつがある。時を表す古い言葉には、それぞれ表情がある。「黄昏どき」は寂しげだが、「火点し頃」は盛り場のざわめきを聞く気分がする。夜明けの前後をいう「かわたれ」や「朝まだき」は物静かだ。だが「払暁」とくれば一転、まなじり決した軍事作戦をほうふつとさせる。雰囲気のある言葉が消えていくのは寂しい>(天声人語より)

日本の四季は長い間、旧暦で語られてきた。近頃、年のせいもあるけれど、折々に触れて、いままで慣らされてきた新暦(太陽暦)に抵抗を感じるようになる。旧暦は月と太陽の動きを取り入れた太陰太陽暦。新暦より1ヶ月以上も遅くなることが多い。千年以上も日本人の暮らしの中に季節を刻んできたが、明治5年、日本政府の「脱亜入欧」路線で改暦されてしまった。だけど、いまでも「七草」や「七夕」などの節句を旧暦で祝う習慣は残っている。

新暦1月7日の春の七草や3月3日の桃の節句では、セリやナズナは姿を見せず、モモも咲かない。七夕も新暦の7月7日は梅雨時で、織姫と彦星の年に1度の逢瀬も中々見えない。旧暦だと、こうした自然の姿とピッタリ重なる。「骨、脳、肺、人間の体を現す漢字に月が多いのも、生理のリズムが月の周期と同じであるのも、旧暦が人間のリズムに合っているのを示している。


エルアールティー

ネモフィラ4月19日(木)
(ネモフィラ・晴海トリトン)

「ひょうげ物」とは自由な遊び心を意味する「織部焼」のこと、「花ぼうろ」は雲仙などで見られる霧氷のこと、「アトラス・クロック」はテイファニーの象徴、「いなかっぺい」は井の中の蛙、つまり世間知らずをいい、「田舎っ平」ではない。「死んだらゴメン」は死なない限り約束を果たすという、誰だったかの名言。「ドミトリ・ホロストフスキー」はいま旬のロシア出身のバリトン歌手、舞台映えのする容姿と豊かな声量で、世界の一流歌劇場で活躍中だ。「貴家堂子」はテレビ「サザエさん」のタラチャンの声を担当する声優、芸能界随一を誇る難読氏名で「さすが たかこ」と読ませる。「仙台堀」の堀は土偏、地面を「掘る」の掘は手偏だ。

「チンチン電車」としてかつて親しまれた路面電車を見直す動きが広がっている。富山市では日本初の本格的な新型路面電車「LRT(ライト・レール・トランジット)」が成功。京都市も路面電車整備を計画中だ。東京都はレトロ風デザインの都電車両を投入する計画。線路上も道路上も走れるJR北海道のデュアル・モード・ビークル(DMV)は4月から試験営業が始まる。

富山市の第3セクター、富山ライトレールが2006年4月から走らせているLRTの愛称は「ポートラム」。西日本旅客鉄道(JR西日本)から赤字ローカル線の富山港線を引き継いだ。高齢者や乳幼児が乗り降りしやすい低床車両が好評だ。1日平均の乗客数は5000人を超え、当初目標の3400人を大きく上回った。JRのころと比べると、実に2倍以上で、新たな市民の足として着実に定着しつつある。久々に登場した新型交通機関で、しかも町並みを眺められる路面電車とあって、観光資源としての魅力も大きい。とりわけ鉄道愛好家にとっては今、乗ってみたい列車の1つとなっているようだ。

かっては都内どこでも走っていた便利な市電、都電が交通混雑を理由に廃止され、地下鉄に取って代わられてから久しい。今頃になって、当時の都電が形を変えて、地方に復活しつつあるのはなんとも皮肉な話しだ。それも公害対策の旗手としての登場だから、世界中に自動車を輸出し、公害を撒き散らしている、日本っていう国のいい加減さが身にしみる。

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