コジゼラ

よもやま話を雑文で

2007年06月

ステテコ

猿芝居6月30日(土)
(猿芝居・豊洲ららぽーと)

麦秋とは初夏のことで梅雨入りをした、いまごろの季節をいうんだよなあ。むかしは農村に行けばどこでも見られた光景で、近在の子供たちは味噌・醤油用の小麦と麦飯用の裸麦の違いは歴然と分かったそうだ。この麦の収穫期が「卯の花腐し」の長雨と重なるから、運悪く雨にたたられた麦は立ったまま発芽して使い物にならなくなるという。知らないことが多すぎるね。都会っ子だったから、田舎暮らしの経験がなかったことが悔やまれるね。

梅雨時になると、家にいるときはもっぱら、ステテコ着用となる。長ズボンじゃ暑すぎるし、半ズボンじゃ涼しすぎる。とにかく動きやすいし、通気性もいいから、便利この上ない。もう少し、下着の範疇から脱却できるオシャレ心を加味してくれたら、表にも堂々と出ていけるんだけどなあ。

グンゼは第2次世界大戦後、メリヤス肌着の生産を始め、当初はらくだ色の股引きだったが、1950年代に白色の肌着が出始め、「ズボン下」という呼び名を使ったところ、次第に定着した。「ズボン下」はひざ下7〜8センチ、ふくらはぎより上の部分までの丈のものを指す。これがいわゆるステテコなんだよなあ。ステテコの語源は、明治時代の人気落語家・初代三遊亭円遊が余興に「ステテコ踊り」をするとき、着物の裾から見えていた下着を、踊りにちなんで、ステテコと呼ぶようになったという。

ステテコは半タコ、猿股、股引とも呼ばれていた、裾が股より長く膝下丈まであるズボン下を指す。戦後、繊維業が隆盛となった日本では、高温多湿の気候に合わせて素材や織りを工夫した柳揚クレープやキャラコ織の物も登場した。日常生活では中年男性がはく事が多いことからダサイの代名詞となっているようだ。女性のキャミソールだって、下着って感じするけど、色っぽいからいいんだよなあ。

女性用肌着はスカート文化のもとで発展したため、ズボン下のような概念はなく、厚手のストッキングのタイツが防寒の役目を果たしてきた。最近、女性はスカートなどの下に「レギンス」を履いているようだ。レギンスは元々子供服の範疇だった。

ワンチャン

招き石・愛宕神社6月29日(金)
(招き石・愛宕神社)

首都圏で06年に発売された新築マンションのうち、ペット飼育を認めている戸数が74.5%(約5万5000戸)あったことが調査でわかった。前年より10.1%幅増えており、首都圏ではペット愛好者に照準を合わせたマンション販売が主流になっている。この調査を始めた98年の比率は1.1%(709戸)だったが、04年の5割突破後も年々増えている。昨年10月時点での推計では、全国の飼い犬は1208万匹、飼い猫は1245万匹だという。 わずかな差だけど、猫の方が多かったっていうのは、ちょっと意外だったね。

偏見と言われればそれまでだが、近頃、夕方に公園などに行くと、雑多な種類のワンチャンたちが勝手気ままに走り回っているのがむかつく。犬は決して嫌いじゃないが、目ばかりでっかかったり、胴体がやたらと長かったり、耳だけがとんがっていたり、毛をトリミングしたのとか、ヘナチョコ小型犬、つまりお座敷犬オンパレードの風潮が気に入らない。家の中で飼っていると、匂いが気になってしょうがないし、飛び散ってる毛が呼吸器に悪さをする。

犬っていえば、最初に浮かぶのが戸外にいる番犬、犬小屋にドンと居座って家を守るもの、そのための大型犬っていう観念が頭を離れない。雄々しく逞しく、飼主に無私の忠実を捧げ、残飯を食べて丈夫になる。それでも生き物だから、年をとったり、病気などで痛ましい死に直面する。いまの若者たちはその悲しさに直面できるのだろうか。おそらくオモチャを捨てるような感覚でいるんじゃないかな。動物愛護というより、ファッション、みんながやってるから、飼っているなんて風潮がたまらなくイヤだね。

先日、テレビで米国ペット愛玩家の間で、日本固有の犬、「豆芝」を飼うことが大流行していると報じていた。豆芝の小犬がペットショップに入荷するそばから売切れとなっており、ニューヨーク周辺だけでも飼い主は5000人を超えているという。大きくならない上に、自主性が強く、飼主に忠実な点が好まれている。特に公園などで、他の犬と一緒になっても、一匹だけ孤高を保っている凛々しさが気に入っているとは愛好家の話だ。思わぬところで外貨獲得に役立っているんだなあ。

林住期

夕焼け6月28日(木)
(たそがれ・辰巳)

林住期という言葉を最初に聞いたのは、数年前、作家・桐島洋子が何かに書いていたのを見て知った。臨終期と音が一緒なので覚えやすかったこともある。自分たちの年代をいうのに、老境に入ったとか、高齢化社会、熟年世代、セカンドライフ、サードステージ、第三世代、黄昏、あすか、などと世間一般で言われている言葉への反発もあったから、林住期って言葉はとっても新鮮に聞こえ、以後自分も使ってみようと思ったんだが。

桐島洋子は50代に入り、林住期を宣言した。林住期とはヒンズー教で使われる言葉で、「一線を退きゆとりを楽しむ時期」、いわば人生の秋のこと。この時期に入ってから、かのじょは仕事の量をかなりセーブし、ゆったりとした時間を過ごすことに決めたのだそうだ。こんな生活を「エンジンを切って、風に身を任せて滑空するグライダーのように生きること」と表現している。

林住期とは古代インドでは、人生を四つの時期に分けて考えたという。「学生期」、「家住期」、そして、「林住期」と「遊行期」。「林住期」とは、社会人としての務めを終えたあと、すべての人が迎える、もっとも輝かしい「第三の人生」のことである。五木寛之は、50才から75才までの25年間を「林住期」と呼び、真の人生のクライマックスと考え、その「林住期」を、自分の人生の黄金期として開花させることを若いうちから計画し、夢み、実現することが大事なのだと説く。

目下、五木寛之の「林住期」がベストセラーになっているそうだが、わざわざ買ってきて読む気はしないね。かれは自分ではこの林住期はもっとも充実した時代だったというが、かれの著作を読むと、なんか抹香臭くて、臨終記のような匂いがプンプンしてくる。桐島洋子ののびのびとして闊達な生き方は大いに励みになるが、五木寛之のそれは書き方も暗ったるいし、人生に対する執着心が未練たらしく感じられる。内容も悟りきっているようで悟っていない、妙にしんねこむっつりしているから、読んでいるうちにしんどくなってくる。人生の過ごし方って、色々あるんだろうけど、桐島洋子の、のほほんとした生き方の方が魅力的だね。

食べたい

チョウセンアサガオ6月27日(水)
(チョウセンアサガオ)

胃潰瘍で入院してから2月ほどが過ぎた。旧聞に属するので恐縮だが、病院で食事が解禁になった入院後3日目の晩飯は、旨いとか、不味いとか、料理を味うなんて余裕はとてもなかった。食べられるものであればなんでもいい、たとえ、ウサギのフンでも食べてしまっただろう。空腹で極限に置かれた飢餓状況のあさましさにはわれながらあきれ果てたね。病室で徘徊状態が目立った老人の獣じみた食べ方に、そして、食べているときだけが正気という怖さに慄然としたが、他人様のことを批判できる立場では決してなかったね。

ふだんから好き嫌いが多く、おそらく病院の食事で出される料理の大半は食べられないだろう。素材も悪いし、まずなんといっても病院食だから、味はきわめて薄いし、不味いわけで。常態ならほとんど残すような食事内容だったが、空腹を満たすのには選ぶ立場にないもののほうが圧倒的に弱い。サバの煮付けも、鳥のレバーも、トリの肉でも、出てきたものは無感動に食べつくしたね。ご飯粒一つ、汁のあとさえ残さずしゃぶりつくしたね。だからといって、シャバに戻ったら、トリやサカナを食べようとは決して思わなかったけどね。

シャバに戻ったら食べたいと思ったのは、なんともちゃっちい物ばかりだったね。まず、ノリとゴハン、タマゴかけご飯、シラスと大根おろし、ヤキソバ、そして、なんといってもソバ、ウドンの類だったね。家に戻ってからしばらくは引きこもっていたから、ソバ、ウドンは食べたくてしょうがない。近所の蕎麦屋に食べに行ったけど、意外に感動が少なかった。味に関係ないカレーウドンを注文したのがいけなかったのかなあ。

こういう時って不思議なもので、生きているうちにもう一度食べたいと思っているものは、出てこないものだね。生ウニ、アワビの刺身、ハマグリの煮びたし、どんこの付け焼き、ホワイトアスパラガス、ステーキの脂身でつくったガーリックライス、オニオングラタン、豆腐となめこの赤出汁、アナキュウの手巻き、アオリイカの刺身、貝柱のかき揚げ、ブリの照り焼き、サワラの西京焼、ホタルイカの刺身、立田野のあんみつ、牛脂入りの練り切り、防腐剤なしのドラヤキ、などなど。

女王様

夕景・豊洲ららぽーと6月26日(火)
(夕景・豊洲ららぽーと)

渋谷の温泉施設「シェスパ」の爆発事故が起きてから1週間がたった。それにしても事故発生後の緊急記者会見で、「ユニマット・ビューテイ・アンド・スパ」の宮田春美社長の対応の拙さといったらなかったね。動揺しているのは分かるけど、ただ、泣きじゃくるだけ。翌日の記者会見もひどかった。記者の質問に、「あのー」、「そのー」って口ごもるだけで、ろくに返事もできない。当事者意識がまるでない、あまりの無能力さに記者連中もあきれていたが、いくら美人とはいえ、こんな女性がトップじゃあ、この会社は持つはずがないよ。

どうせ、オーナーか誰かの血縁関係者だろうと思っていたが、この女社長、自らこのスパを企画立案し、スポンサー探しをし、ユニマットの傘下に入ったらしい。そんな女丈夫なはずなのに、いざとなれば、理路整然たる説明や経営者としての自覚も消えてしまうらしい。やっぱり女はダメだなって印象を視聴者に与えてしまった責任は大きいぜ。

ところで、ユニマットの名前、久し振りに聞いた。以前は潤沢な資金ばらまいて、サラ金を次々と買収、レイクやデイックなど大手サラ金も傘下に収め、サラ金王国を築いた。だが、サラ金に対する批判が高まると、自動販売機の運営をするベンダー業に転身した。その変わり身の早さは天下一品だったが、秘かにこんな分野に進出していたんだなあ。その先をたぐって行くと、米国の大企業USステイールの系列企業だということが分かる。ユニマット日本法人のトップに君臨する日本人社長のリッチマン振りは、業界でも有名だった。

米国の投資ファンド、「スティール・パートナーズ」から敵対的TOBを仕掛けられている「ブルドックソース」の株式総会が行われた。その結果、経営陣提案の新株予約権発行による買収防衛策の導入が8割を超す株主の賛同を得て承認された。白熱したやり取りの中で気になったのは、議長役の社長が、テープレコーダーのように繰り返した「株主様の貴重なご意見として承ります」っていう言葉だ。想定問題集では定番の文句だが、こう判で押したように続けられると白けてしまうね。もとはといえば、創業100年の伝統にあぐらをかき、外部の声や環境変化に鈍感だったことが今回の事態を招いた原因だからね。こちらも、またしても女社長、態度も傲慢不遜に見えるし、まさに女性リーダーとして、鼎の軽重を問われるシーンだったね。

トレンド

ハナショウブ36月25日(月)
(ハナショウブ・仙台堀公園)

フランスが発祥の「オーベルジュ」は宿泊設備付きレストランのことだ。日本では、山間や海辺の自然豊かなリゾート地を中心に、フランス料理を出す宿泊設備として、80年代後半からオープンし始めたが、バブルが弾けるとともに一段落した。しかし自然回帰とか癒しブームの中で、付加価値のある旅のスタイルとして再び注目されているという。フレンチの最大の欠点は敷居が高いということだが、個性的なオーナーシェフがその隘路をどう広げていけるかが課題だろうね。

池袋から渋谷間を走り、東武東上線と、東急東横線の相互乗り入れが可能となる東京メトロ副都心線が今月末開通する(東横線との乗り入れは来年にずれ込む予定)。それに合わせて、新駅のできる新宿3丁目周辺のデパ地下では、大型リニューアル競争が勃発している。伊勢丹、高島屋のコンセプトはハレ(非日常)、食材に高級品を取りそろえ、富裕層をターゲットにしている。一方で京王百貨店のコンセプトはケ(日常)、庶民的感覚を打ち出している。

「ハレとケ」という表現はよく使うが、日本語なのにどうして漢字で表現せずに、カタカナ表示なのかがよく理解できない。で、調べてみると、学者間ではその定義について、未だに論争が続いていて、定説として固定していないらしい。古くからあった言葉らしいが、柳田国男が近代化による民俗の変容を指摘する一つの論拠として提唱し、それについて各種論争が勃発したらしい。どうでもいいことのように思われるが、学者にとっては真剣に討議する問題だったらしい。どこにも閑人がいるもんだねえ。

ハレ(晴れ)とは、折り目・節目を指す言葉であるが、民俗学や文化人類学においてハレとケという場合、ハレは儀礼や祭などの「非日常」、ケはふだんの生活である「日常」を表している。一般用語として、ハレは「晴れの舞台」(=生涯に一度ほどの大事な場面)、「晴れ着」(=非日常に着用する衣服)などの言い回しで使用される言葉だ。一方、ケは、漢字では褻と書き、ハレとは反対に、公でないもの、正式でないものを意味しており、晴れ着とはことなり、ふだんに着る着物が褻物である。ハレとケは「ハレ=聖」「ケ=俗」の関係で論じられることもある。とりわけ、聖なる時間/俗なる時間という区分けとハレ/ケという区分けは相互に共通する部分がある。

真夏日

ユリカモメ6月24日(日)
(ユリカモメ)

太陽がギンギラギンにさりげなく、照りかえる、30度を超える真夏日。広大に広がる晴海運河の岸辺にたたずむと、川面を渡る涼しい風がほほを揺らし、それほど暑さを感じない。その心地よさに誘われて、久し振りに日光浴してしまった。ここしばらく、動きをサボちゃっていたから、生っちろい肌が気になってしょうがなかったのである。そうかといって以前ほど、野放図に直射日光を浴びていたら、体力も弱っているから、たちまち熱中症になってしまう恐れもある。そんなわけで、日光浴も1時間ほどで中断し、木陰で寝そべって、川面からの涼風をたのしんでいた。

ひねもすのたりのたりと、不規則に照り返していた水面が、なんとなくワサワサとざわめき、光が乱反射し出した。よく見てみると、魚が群れているようだ。時々、元気のいいのがあちこちで水上をはねている、若いボラの大群だ。すると、いつのまにかユリカモメが集まって水面の上を行きつ戻りつし始めた。ユリカモメは優美な姿と上品ないろどりで、まるで平安貴族のように雅さを感じさせるが、その性格と動きは貪欲、獰猛、狡猾、俊敏である。空中でホバリングしていると思ったら、くちばしを下にして、一直線に水面に突っ込み始めた。狩りが始まったのである。

日本の古典文学に登場する「都鳥」は、ユリカモメを指すとする説が有力である。隅田川に多く見られる鳥で、東京都の都鳥に指定されている。古くは「伊勢物語」に、「名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」、なんてロマンテイックに詠じられているが、いにしえ人は、その姿かたちの優美さだけを見て感動したらしい。見てくれだけで判断してしまう軽率さは、日本人の伝統なんだろうね。

ボラは再三書いてきたように、ブリと並ぶ出世魚の一つである。ブリと違うのは、名前が変わっても漢字表示は、常に「鯔」一文字である。関東ではオボコ→イナッコ→スバシリ→イナ→ボラ→トド、と名前が変わる。 「トド」は「これ以上大きくならない」ことから、「とどのつまり」(鯔の終まり)の語源。「イナ」は「若い衆が粋さを見せるために跳ね上げた髷の形をイナの背びれの形にたとえた」との説から、「いなせ」(鯔背)の語源。また、「オボコ」は子供などの幼い様子を表す「おぼこい」(鯔い)の語源となっている。

メスの卵巣を塩漬けし乾燥させたものが佐賀県名産の「カラスミ」だが、そのほとんどが、スペインやイタリアからの原材料輸入に頼っている。現地では、魚卵を食べる習慣がないので、獲れたら捨てていたボラが高値で売れるんだから、笑いが止まらないそうだ。

夏至

森の歌の会6月23日(土)
(第13回森の歌の会)

きのうは旧暦でいう夏至の日、1年で昼が一番長い日だった。空梅雨で毎日のように真夏日が続く、今日この頃だったが、皮肉なことに、きのうは朝から小雨がぱらつく鬱陶しい日となった。聖地、早稲田・高田牧舎で初めて開催した「森の歌」の会も、はや13回を迎えた。21名の参加者と楽しい一時を過ごしたが、会場の都合で5時開始だったせいか、外はいつまでも白んでいたのが印象に残る。

出席する筈の鈴木会長が姿を現さないので気をもんだが、定刻通り、乾杯で始まった。(きょう電話連絡したら、鈴木会長は4時半ごろから早稲田界隈をウロチョロしていたらしい。会場を大隈会館と思い込んでいたため、高田牧舎の名前さえ浮かばず、6時頃帰ってしまったという。まあ、元気だったので、取り敢えず胸をなで下ろす)

個人的なことで恐縮だが、最初のビールによる乾杯で一気飲みしたのがたたったのか、しばらくすると陶然となってしまった。なにせ、アルコールを口にしたのが2ケ月振りだったから、予想以上に酔いが早かった。以後、一滴も飲まず過ごしたが、椅子に座って、強く締めてきた矯正ベルトを緩めたのが功を奏し、後半は自分でも驚くほど回復が早かったが、二度とアルコールに手をつけようとは思わなかった。

今回は女性陣が8名も参加したので、華やかな雰囲気になった。いつも思うことだが、この年齢になると、男性陣がひしゃげたカボチャや、売り物にならないマクワウリみたいに、しょぼくれて見えるのに対し、女性陣はみんな若返っていて、元気一杯、なんとなく男性軍が気押され見えるのが可笑しかった。男どもは相変わらず、口だけは達者だが、動きの鈍いのが目立った。

席上、2年上級の8期生から、8期以上で作っている同好会「屋根裏会」への参加を要請されたが、申し込みがあれば入れてやるといった強圧的な発言には、会場からも異論が出た。個人的意見を言えば、考え方が逆じゃないのかなって思う。屋根裏会は年々高齢化が進み、会員数も激減している。だからといって森の歌の会を吸収してしまえ、なんていうのは暴論もはなはだしいし、なにかと先輩面されるのも気に食わない。参加するのは個人の自由だけど、そして、川越のイモ様みたいに一本釣りされて喜んでいる手合いもいるけれど、幹事としては、これ以上会員を増やすことには反対なんだなあ。

日課

ハナショウブ6月22日(金)
(ハナショウブ・仙台堀公園)

朝起きると、眠気をこすりながら朝刊に目を通す。これは長年の習慣だけど、最近は朝食が終わる前に読み終わっていることのほうが多い。興味のある記事が少ないし、コラムなどにしても通り一遍の内容で、含蓄のある内容に乏しいからだ。以前は新聞をわくわくしながら読んだものだが、いまは違う。すでにほとんどの内容をインターネットで、しかも朝日新聞以外の情報まで読んでしまっているから、新味に乏しいのも致し方ない。

だから、最近では見方がかなり違ってきた。天気予報とテレビ欄を最初に眺めるのは、ちっとも変わらないが、この場合、見るのではなく、習慣的に眺めるだけであって読んではいない。だから日に何度か、その都度見直すことになる。特にテレビ欄の使用頻度は頻繁で、分厚い新聞紙をひっくり返すのは面倒だから、そのページだけ外しておく。ただ、普段一番多く見る機会が多い、NHK−BShiと千葉テレビは、島流しされたように、まったく別のページに組み込まれているから、厄介な思いをさせられる。

新聞の読み方で一番変わったのは、ルビ付漢字を探し出すことが優先順位となったことかな。連日掲載しているブログ「あうん」のネタ探しである。ルビ付漢字となると、氏名、地名がほとんどだから、事件や事故など社会面から、鵜の目鷹の目で探すことになる。しかし、難しい漢字や読み方を見つけるのはそうそうたやすくはない。なにせ、鈴木、田中、佐藤さんが圧倒的多数を占めているから、中々お目にかからないのだ。これまでもネタがなくて、何度、断念しようかと思ったことか。それでも何とか続いているのはアンテナを新聞記事や社会面以外にも広げたからだろう。

最近感じたことだが、意外にスポーツ選手に変った名前の持主が登場していることだ。これは大いに助かるね。あとは旅行や観光案内、旅行記などにしっかり目を通していくと、意外な地名が浮かび上がってくる。ネタが切れたときの奥の手は、任意に各市町村の郵便番号や住所案内から探し出す。仕分けの仕方が市町村によって異なるから、けっこう手間もかかるけど、思わぬ宝の山を引き当てることになる。先日も鬼怒川旅行のため、地図を見ていて、ついでに日光市の住所案内から、思わぬ地名を見つけ、拍手喝采したところだ。

タラバガニ

ハナショウブ6月21日(木)
(ハナショウブ・仙台堀公園)

ロシア農業省は先月末、密漁防止と資源保護を理由にロシア領海と大陸棚海域で水揚げされた生きたカニの輸出を禁止したと発表した。ロシアから大量のカニを輸入している日本が影響を受けることは免れない。ロシアの専門家はタラバガニの漁獲そのものの禁止の可能性も検討しているという。日本海やオホーツク海ではカニの密漁、密輸が常態化しており、特にタラバガニ資源の枯渇は深刻だ。

国連食糧農業機関(FAO)は先月末、日本国内で消費するウナギの半分を占める欧州産ウナギを野生動植物の国際取引を規制する「ワシントン条約」の対象に加える方針を決めた。同条約の対象になれば取引が厳しく制限されることからウナギの価格高騰につながる恐れが出てきた。日本は世界有数のウナギ消費国で、欧州産も中国で加工するなどして輸入している。欧州のウナギは乱獲によって20年前の2%程度に減り、絶滅の危機にひんしている。

タラバガニ(鱈場蟹)は、エビ目(十脚目)・ヤドカリ下目・タラバガニ科に分類される甲殻類の一種。食用に珍重され、分布域の沿岸では重要な水産資源の一つとなる。名前に「カニ」とあるがヤドカリの仲間で、カニ類は足が10本あるが、タラバはハサミ2本と足6本の合計8本しかない。和名は生息域がタラの漁場と重なることに由来している。カニ缶と言えば、タラバガニが一番おいしいとされているなんて、なんとも皮肉なお話なのである。

カニ缶に入っている半透明の薄い紙は、カニと缶の成分の化学変化で起きるカニ肉の変色を防ぐ役目を果たすそうだ。カニ肉が缶の材料の鉄に触れると、肉の表面にゴマのような黒い点ができて、見た目が悪くなっちゃう。だから缶と肉を紙で仕切って、直接くっつかないようにしてある。蟹工船という言葉があるように、かつては海上で水揚げされたカニを加工していたが、現在はカニ資源保護のために禁止されて、缶詰工場で缶詰加工がされている。
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