コジゼラ

よもやま話を雑文で

2008年05月

ひげ

郷土玩具5月20日(火)
(我が家の郷土玩具)

閑なときは、なにげにあごひげを毛抜きで抜いている。興にのってくると、口ひげにまで手を出す。初めのうちは痛さに顔をしかめていたが、それも一種の快感と負け惜しみをいってるうちに、慣れてしまって、いまでは痛みさえ感じない。これまで自分の慣習上、「あご髭」って書いていたが、どうやら、「あご鬚」って書かなくてはいけないらしい。

「髭」、「髯」、「鬚」はいずれもひげと読むが、どこに生えるかで使う字が違う。口ひげは口髭、頬ひげは頬髯、あごひげは顎鬚となるが、ぶしょうひげや、ちょびひげ、つけひげ、更に、あごからもみあげまでつながるひげも慣例上、「髭」という字があてがわれる。さて、ひげに関するだけでもかなり使い勝手が悪いようだが、身体に関する言葉もかなり難しい字が多い。むろん読めない字も少なくないが、たとえ読めても、いざ書くとなると戸惑ってしまうような字も数多いようだ。

そこで、またしても漢字の読みテスト、どれだけ読めるかな。前回に比べて難易度は低いけど、見慣れない言葉も幾つか入っている。答えは下段を見てね。「顎、肋、頤、踵、踝、蟀谷、皺、臑、雀斑、胼胝、旋毛、膕、膝、肱、脹ら脛、腓、臍、膀胱、頬、黒子、盆の窪、睫毛、瞼、眉、眉間、鳩尾 、耳朶、痘痕、笑窪」。

「五臓六腑」とは腹の中すべて、からだのすみずみという意味に使われる。「五臓」は漢方でいう心臓、腎臓、肺臓、肝臓、脾臓、「六腑」は大腸、小腸、胃、胆、膀胱、三焦。五つの内蔵と六つのはらわた。いまなら当然、五臓に入るべき膵臓は、この言葉が使われ始めたころには発見されていなかった。

「三焦」は幻の臓腑といわれ、他の臓腑が、西洋医学的な臓器を含めた機能系に相当するため、イメージがつかめるが、三焦は、西洋医学的な臓器に相当するものがない。いまの通念では、三焦とは上焦・中焦・下焦の3つをあわせた呼び方をいう。 現在、我々の間で通説になっているのは臓腑の外にあり、且つ体の中にあるもの、つまり体の中での臓腑間の隙間を指すものだと考えられている。

「あご、あばら、おとがい、かかと、くるぶし、こめかみ、しわ、すね、そばかす、たこ、つむじ、ひかがみ、ひざ、ひじ、ふくらはぎ、こむら、へそ・ほぞ、ぼうこう、ほほ、ほくろ、ぼんのくぼ、まつげ、まぶた、まゆ、みけん、みぞおち、みみたぶ、あばた、えくぼ」。

どうでもいい話

ヤマボウシ5月18日
(ヤマボウシ)

サクラが咲いていたのが、ついきのうのことのように思えるが、季節は巡り、もう5月も半ばである。いまさら、サクラでもないけど、花びらが風に舞い散る桜吹雪は春爛漫の大いなる幻影だった。サクラはハラハラ散るものであり、ツバキのように丸ごと落下することはない。ところで、桜吹雪で気になったことがあった。それはサクラの5弁の花びらがくっついたまま、木の下に散乱している光景で、以前にはほとんど見られなかったものなのだ。専門家によると、この光景は20年ほど前から見られるようになったという。

どうやら意外なことに犯人はスズメの仕業らしい。蜜を吸おうとして、くちばしで花の根元をちぎっているという。サクラの子房(花の根元)には蜜があり、くちばしが長いメジロやヒヨドリはその蜜を上手に吸い取る。ところがスズメのくちばしは太くて短いため蜜を吸うことができない。それで、子房部分を直接食い破って蜜を取るのだそうだ。世知辛い世の中だから、スズメも新しい食習慣を身につけたらしい。

コチトラ、てっきり、あの汚らしいヒヨドリの仕業だと思い込んでいた。サクラに群がるヒヨドリの数がここんところ、ものすごい勢いで増えていたからである。春の風物詩でもあるメジロを威嚇して、サクラから追っ払ってしまう悪党ぶりである。まさか、スズメが犯人とはねえ、驚いたよ。スズメも都市の拡張に順応して、エサの領域を広げたようだが、カラスやヒヨドリのように、いやらしい鳥にはなってもらいたくないね。

都会で接する鳥といえば、ハトとスズメだが、最近やたらと数が増えたようだね。豊富なエサに恵まれて、みんな栄養状態がよく、コロコロと太っている。どちらも、こんなに人間のそばにいるくせに、どうしてあんなに用心深いのだろう。公園のベンチで、弁当なんか食べていると、いつのまにかハトやスズメがやってくる。だけど、決して一定線以上は近寄らず、目線を別のところにおいている。

鳥の目線は人間と違って180度近い視野があるそうだ。どうりでハトのやつ、近寄ってきながら知らん振りして、エサを投げるとさっと取りに行けるのだ。あの取り澄ました顔は時々憎く感じることもあるね。わざと足もとにエサを置くと、ハトはそ知らぬ顔をしてさっとかっさらっていくが、スズメは臆病もんだから、近づいてはこない。

あめ

ハコネウツギ5月16日
(ハコネウツギ)

天気予報では、きのうから五月晴れになるってことだったが、曇り時々晴れだった。それでも気温は20度近くまで上昇したので、長袖ではちょっと暑かったね。ここ数日15度以下の気温が続き、何年ぶりかの3月上旬の寒さとなっていた。この間、毎日のように小糠雨が続いていたが、五月雨前のこうした雨を「卯の花腐し」というそうだ。しかし卯の花って目立たないね。雨に打たれて、変色しているのをみて、やっと卯の花が咲いていたんだって気がつくありさまだ。

人を鬱陶しい思いにする雨だが、あめの多い日本だけに、さすがにアメに関する言葉も多いね。「同じ字を 雨、雨、雨と 雨で読み」、漢字の読み方の多さを皮肉った当て字漢字の傑作ともいえる川柳がある。「同じ字を アメ、サメ、ダレと グレで読み」と小粋に読み込んでいる。小糠雨、村雨、五月雨、時雨といった具合だが、そのほかにも驟雨などのように「ウ」とも読むんだから、確かに雨の読み方は複雑多岐にわたる。それだけじゃなく、雨冠のついた字には、やたらと難しい字が多いのも特長だ。霰、霙、雹、靄、雫、霖雨、霹靂などが好例で、以下順に、アラレ、ミゾレ、ヒョウ、モヤ、シズク、リンウ、ヘキレキと読む。

四季の雨っていえば春雨、菜種梅雨、五月雨、麦雨、梅雨、夕立、秋霖、時雨、氷雨、寒九の雨などがあるけれど、雨は降り方によっても、色んな呼び名がある。霧雨、小糠雨、御湿り、涙雨、俄雨、村雨、沛雨、驟雨、スコール、天気雨、長雨、霖雨、宿雨など枚挙にいとまがない。雨に関する慣用句としては、狐の嫁入り、五風十雨、篠を突く、車軸を流す、恵みの雨、遣らずの雨、乾天の慈雨などあるが、「車軸を流す」とは雨脚の太い雨が激しく降る様子をいう言葉だ。

菜種梅雨は春未だ浅い頃、静かに降る雨をいい、卯の花腐し(うのはなくたし)は春雨と五月雨の間に降る雨をいう。日照雨(そばえ)は天気雨のことだが、狐の嫁入りともいい、夕立は村雨やにわか雨の総称ともいえる。五風十雨は気候が過ごしやすくて、世の中が平和であるという意味になる。雨という言葉では、悲しむ女性が一際映えるもんだが、「雨やさめ」はひどく涙を流して泣くことをいい、「雨雫」は女性がさめざめと泣くことをいう。「雨降って地固まる」はよく冗談に地を痔に置き換えて、おちゃらけに使っているけども、「櫛風沐雨」は社会に出て辛酸をなめることをいう。

天変地異

ハコネウツギ5月14日
(ハコネウツギ)

サイクロンに襲われたミャンマーの被災状況が、ようやく国外に伝わってきた。想像を超える惨状である。このままでは下痢や伝染病などで、犠牲者がさらに増えてしまう。軍事政権は3万2千人が亡くなり、さらに3万人弱が行方不明と発表した。だが、国連は犠牲者数が最大10万人に達し、家を失うなどした被災者は200万人と推計している。
中国中西部の四川省で12日起きた大規模な地震は被害が拡大し、死者の数が1万2千人を超えた。新華社通信によると、13日午前7時までに四川、甘粛、陝西、雲南、山西、貴州、湖北の7省と重慶市で計9219人の死者が確認され、倒壊した家屋は50万棟余りに達した。今なお多くの被災者が倒壊した建物などの下敷きになっており、死傷者はさらに増える可能性が高い。

数日前の深夜、東京も大きく揺れた。天井からぶら下がっている蛍光灯の点灯用の紐が左右に大きく揺れ、座っている身体が持ち上がる様な浮揚感を味わった。震度3だということだったが、余震も幾つかあり、とても不吉な予感がした。どうやら地球最後の日が刻々と近づいている気配を感じるね。そんな深刻な話は別として、中国はチベット問題で懲りたのか、今回の発表は素早かったね。第1報は被害が小さいことを強調していたが、温家宝首相が直ちに現地へ直行したことからも、被害の深刻さが感じられたね。その後の報道も事実を包み隠さないものだったのは好感を持てた。それに引き換え、ミャンマーの軍事政権の姿勢は悪魔の所業としか思えないね。

サイクロンの怖さが改めて浮き彫りになったが、同じ台風が、インド洋で発生するとサイクロン、太平洋で発生するとタイフーン、大西洋やカリブ海で発生するとハリケーンという名前に変わるというのも面白いね。地球温暖化の元凶であるアメリカと中国が、自然から手痛い反撃を浴びたというのも皮肉な話だ。中国の行政区分が日本とは違い、「省、自治区→市、州→県」と区別されているのも初めて知ったね。

地球温暖化に確たる対策も施さず、曖昧模糊のまま、道路財源の確保にばかり血道を上げている、日本政府と自民党が天から手痛く罰せられるのも、そう遠いことではないだろう。台風2号が日本を直撃しなかったのは幸運だったけど、日本の悪政を罰する地殻変動がいつ起こっても不思議ではないね。いかに虐げられても、お上の非道に対して抗議を発しないおかしな日本人、天に代わって成敗致すなんて任侠な人物も、現れまいね。

階段

モチ5月12日
(アカメネズミモチ)

我が家は4階にあるが、いまでも当たり前のように外階段を上っている。頭ん中にはエレベーターに乗ろうって気は起きてこない。さすがに4階にたどり着くと、息切れがして一息入れたくはなるけどね。ま、これは例外として、やはり年のせいだろうなあ、外へ出た時、とりわけ駅の階段を上るのがしんどくなった。古い設備のまんまの山手線や私鉄、特に都営地下鉄は深いとこを走っているから階段も多い。

都営三田線の白山駅、ここの階段を上るのがしんどい。小石川植物園にあまり行かなくなったのも、ここの階段と小石川の坂の上り下りがきついからである。駅の出口の階段をクリアーすると、まず「蓮花寺坂」を上ることになる。この坂、一見するとなだらかそうに見えるが、どうしてどうして、だらだら坂が長々と続き、体力を消耗する。続く「御殿坂」は急な坂道だけど、下りだからどうってことはないが、帰路はこれが地獄の一丁目と化す。実際はそれほどオーバーではないにしても、坂の多い街はやはり敬遠したくなるもんね。

やはり坂の多い谷中、根津、千駄木は好きな町ながら、何となく足が遠のいてしまうし、小石川植物園にしても、行けば来てよかったと思えるホームグランドでありながら、ついついご無沙汰してしまうのである。先日にょうぼと出かけた、地下鉄月島駅出口の階段もきつかった。にょうぼは逆に階段を上るのは平気だが、降りるときは手すりにつかまって、ソロリソロリと降りてくる。つまずいて何回か転んだことがあるからだ。コチトラ降りる方は大丈夫だが、最近は用心して、両手をポケットに入れる習慣や駆け降りるなんてバカなことはしなくなった。

気持は若いつもりでも、鏡を見れば、おい、これがオレの顔かって、自分でもびっくりするくらいっジジー顔だし、おっかない顔になっている。だけど、不思議だねえ。外で写真を撮っていると、どういうわけか、誰か(っていうより圧倒的の多いのが図々しいオバチャン)が近づいてきて、シャッターを押してくれって頼まれる。それが当たり前のような顔で来るから、必ずお断りすることにしている。断るときはこの顔が有利になるのは当然として、なぜ頼まれるんだろう。花をとっているときに表情が無心だからだろうか。そうだとすれば、つまり、好ましい顔に見られるんなら、これからは恐縮しながら頼まれたら撮ってやろうかな。

懐かしい

ツタのある家5月10日
(ツタのある家)

月曜日から金曜日まで毎朝、テレビ朝日で放映されている「ちい散歩」はなんとなく聞き流している番組だが、ここんところたてつづけに、懐かしい地域を訪問していた。つまり滝野川4−6丁目と
蒲田・梅屋敷商店街である。滝野川は生まれ育った土地柄で、結婚するまで住んでいた。地井さんが大好きな横丁や路地裏がそこかしこに残っているという。しばらく訪ねてないが、板橋駅から徒歩5分ぐらいの交通至便なところなのに、未だに開発の手が伸びていないようだ。

我が家は板橋駅に向かう道と旧中山道を結ぶ狭い横町の路地裏にあった。くねくね折り通り曲がって路地で、そこには小さな横道も幾つかあった。そういう場所だから、ガキの頃の遊び場としては絶好で、ひっきりなしに駆けずり回っていた。放送された「亀の子たわし本舗」が昔の姿のまま、営業されているのを見て、ひとしお感慨に打たれたね。狭い場所に露店が密集していた庶民の台所、「飯田マーケット」は建物こそ新しくなったが、人々が醸し出す雰囲気は以前とちっとも変っていなかった。

結婚して最初に住んだのが、蒲田女塚。すぐそばを走っている東海道線の線路を渡れば、そこは
梅屋敷商店街だった。狭い道筋に多くの商店が店を並べていたが、線路には開かずの踏切が厳然と立ちふさがっていたので、買物は蒲田駅周辺に出かけることの方が多かった。だから、今回の放映で、梅屋敷商店街が東西南北に二つもあるなんて初めて知った。この辺りは京浜工業地帯の一角だったから、中小零細の工場が満ち溢れていたもんだったが、画面を見ると、そういった光景はかなり様変わりしたようだ。

板橋にしろ、蒲田にしろ、あの頃は親子が狭い間取りの中にひしめき、むろん個室など作る余裕もなく、一つ屋根の下にみんなが川の字に寝たりしたものだった。それが当たり前だったから、自分の部屋がほしいなんて、わがままは生まれようもなかった。だから、親子の秘密なんてありようもなく、すぐにばれてしまう。って思っていたのはガキだけで、親は親なりに、見えないところでは、そこそこに隠し事をしていたようだ。

だけど記憶なんていいかげんなもので、路地裏のそこかしこははっきりと覚えているが、ともに遊んだ悪童たちの顔が浮かんでこない。辛うじて名前は覚えているものの、どんな顔をしていたかがまったくおぼろなんである。60年も過ぎていれば、それも当然のことだろうが、さびしい気もするね。

拾った話

若葉5月8日
(サクラの若葉)

先だってコジゼラで、チョー・ヨンピルの「釜山港へ帰れ」の出だしを<♪コブシ咲く あなたは帰らない♪>と書いたようだが、これは大きな間違い。正しくは<♪ツバキ咲く あなたは帰らない♪>だった。コブシ咲くは、あの国民的歌謡曲、千昌夫の「北国の春」の一節だった。<♪辛夷咲く あのふるさとへ帰りたい♪>。いやはや、飛んだトンボ、もとえ、とんだチョンボだった。<とんだところに北村大膳>ってなわけだ。

さて、<「サンタ・マグノリア、枝にいっぱいひかるはなんぞ」。 向う側の子が答えました。 「天に飛びたつ銀の鳩」>という一節がある。これは宮沢賢治の作品「マグノリアの木」という作品の一部だ。新しもん好きだった賢治は、コブシをハクモクレンと見誤ってマグノリアと書いてしまったようだ。当時コブシはモクレンとは別の花だったが、国民的詩人のチョンボとあってはほっておけなくなり、現在では辞書でマグノリアとひくと、コブシやタイザンボクなどのマグノリア系も包括されている。

<♪アカシアの雨に打たれて このまま死んでしまいたい♪>。トテシャンの西田佐知子が、ハスキー・ボイスでささやくように歌っていた。あれは心にしみこむいい歌だった。ムスコの関口知宏がNHKの旅番組などで活躍しているのをよく目にするようになって、改めて、時の流れに身を寄せていた自分がいて、カレを自分の息子のような目で見ているのに気がつく。ここで、ダンナに一切触れていないのは、あのトテシャンを、あっという間にかっさらっていった男に対する怨嗟が、いまだに心の片隅に残っているからだ。

さて、アカシアといえば札幌ということになるのだが、実は札幌にはアカシア並木はない。あるのはニセアカシアの並木道だ。札幌っ子には、自慢のアカシアに、偽物名が冠されているという事象に我慢できないらしい。「国語大辞典」を引くと、<「にせアカシア」というのは「針槐(はりえんじゅ)の異名」である。明治期に日本に輸入された当初は、このニセアカシアをアカシアと呼んでいた。後に本来のアカシア(ネムノキ科アカシア属)の仲間が日本に輸入されるようになり、区別するためにニセアカシアと呼ぶようになった>とある。

ギンヨウアカシアがミモザだということが、日本でもようやく認知されてきた。フランスではミモザはシャンソンで歌われたり、花束に使われたり、フランスを代表する花である。先日ギンヨウアカシアを撮っていたら、通りすがりのOLに、「ミモザですね」って声をかけられ、ドギマギした。けっこうな美人だったことと、若い女性がこの花を、ちゃんと知っていたこともうれしかったね。

まぼろし

ウツギ5月6日
(カワリバウツギ)

きょうが大型連休最終日、皮肉なことにずっとぐずっていたお天道さんが朝からニコニコと微笑んでいる。きょうは暑くなりそうだ。この大型連休中、一度も外に出ず、家に籠っていた。4月に動きすぎて過労気味だったので、ちょうどいい骨休みになった。なにをするのでもなく、ボンヤリと毎日を過ごしながら惰眠をむさぼっていた。

江東区には幾つかの地下鉄路線が南北に走っているが、いずれもが都心から放射状に延びたもので、東西を結ぶ路線がほとんどないに等しい。都営大江戸線がかろうじて存在するが、この路線、階段の上り下りが多いうえ、不便な場所に駅があり、実用的とはいいかねる。いくつかの場所で南北に走る地下鉄と交差しているが、共通駅がいずれも離れた場所にあるという難点がある。

豊洲駅には不思議なことに、使用してない線路が2本走っている。これってどういうことか、気になってしょうがなかったけど、江東区報を読んでいて、幻の路線だったということが分かった。区報に載るっていうことは、地元では依然として、この路線を実現したいということらしいが、東京メトロの公式発言では、6月開通の副都心線が最後の路線だと断言していた。

東西に結ぶ路線の出現が待ち遠しかったが、よわいも70を過ぎてしまえば、たとえ実現したとしても、その時はもうこの世にいないだろう。しかたないから都営地下鉄や都バスに乗れる無料パスを目一杯利用するしかないね。都営地下鉄は遠回わりになる不便さと狭いので、すごい圧迫感があるのがいやだけど、バスはイライラしながら待つのがしんどいけれどね。

東京メトロ副都心線の新たに建設された7駅の深さは平均26,7m。平均の深さは都営地下鉄大江戸線を4mほど上回り、東京でもっとも深くなる。新しい地下鉄は古い地下鉄を避けるように、どんどん深く潜ってきた。日本初の地下鉄、銀座線地下駅は平均で8,8m、30年前の78年以降開業した半蔵門線、南北線、副都心線、都営大江戸線の4線は駅の平均深さが20mを超えている。最深となる副都心線だが、新宿三丁目駅は15,3mと比較的浅い。近くを丸ノ内線と都営新宿線がルートを横切る。本来なら二つの線路の下を潜るのだろうが、副都心線は丸ノ内線の下と新宿線の上にある10mほどのすき間にトンネルと線路を通したという。

GW

カタバミ5月4日
(バビアナ)

皐月5月といっても季節感を感じないのは、長い間慣れ親しんできた競馬の影響が大きい。毎年中山競馬場で行われる3歳牡馬のクラシック、「皐月賞」が桜並木をバックに行われているからなんだろうか。まして近年地球の温暖化が進み、4月でも5月中旬のような暖かさになるから尚更である。端午の節句を祝う行事なんかも年々減少気味だし、初鰹なんてあまり聞かなくなった。ショウブが4月半ばに咲き出してしまうんだから、季節感も何もあったものではない。(2004年5月1日)

衣替えの季節になって、冬物と夏物の総入れ替えを行った。けっこう手間取ったのは、衣料品の量の多さと捨てる決断である。これを機会に大幅に整理しようと決意していたのに、いざとなると、捨てるには惜しいとか、愛着があるとか、あれこれ理由をくっつけては中々決断ができない。驚いたのは去年履けたズボン類がほとんど、きつくて入らないということ、これには参ったね。去年は胴回り84なら余裕だったのにだ。恐る恐る胴回りを測ってみると、なんと92近くある。(05年5月1日)

あっという間に花の4月は通り過ぎていった。そして5月、きょうは朝から蒸し暑く、日中の気温は30度近くまで上がるというご宣託だ。夏日もけっこうだが、でかけるのはそれなりの対策をしていかないと、熱中症にかかる危険性もある。年をとってくると、生活環境を変えるのも厄介で、愛用しているジーンズだけは暑さを我慢してでもはき続けるぞ。(06年5月1日)

静かな大海原をのたりのたりと漂っている。そんな開放感に満ち溢れた眠りを久し振りに味わったのは、5月7日の夜だった。胃潰瘍と診断され、入院したのが4月29日だから、約1週間振りのご帰還だった。文字通りゴールデンウイークのすべてを病院のベッドで過ごしたことになる。檻こそないものの、実質的には監禁生活だから、心が休まるひまがなかった。(07年5月8日)

以上、ここ数年に書かれた5月初頭のコジゼラの書き出しだ。昨年だけは5月8日が5月最初のコジゼラだった。若葉の季節に体調を崩す五月病の典型的症状が顕著となるこの時期だが、文面を見ると、どうやら前3年は無事に過ごしたようだね。そういう事例が頻繁に起きたのは、もっと前だったということになる。年をとっても元気だったということだったが、昨年でみそをつけてしまったようだ。だからというわけではないが、今年はいま、とっても慎重にしている。

皐月5月

ツツジ25月2日
(ツツジ)

5月1日、メーデーの日。天気予報の通り、朝から文字通りの五月晴れ、日の光がまぶしい。きのうは東京で今年初めての夏日を記録したそうだが、今日も同じように暑いらしい。珍しく早起きをして、豊洲駅前の眼科へ出かけた。三月に一度の眼底検査で、ハンサムでソフトボーチェの先生に会えるのは嬉しいが、瞳孔を開く目薬を点されるのが玉にきずだ。なにせ、この薬を点眼されると、三時間ほど瞳孔が開きっぱなしになる。ものは見えなくなるし、そのくせ、横断歩道の白線がやたらとまぶしく映るから、歩いていても危険この上もない。

出歩くのをやめてさっさと家に帰ってきた。さっさといえばかっこいいが、手探り足探りで、ようやくたどり着いたようなもんだ。心の中に用心しなきゃという決意らしきものがある。思えば、昨年の今頃は、胃潰瘍の手術を受け、点滴をぶら下げ、鼻ねじを食らわされて、病院のベッドで呻吟していたのだった。28日に病院へ担ぎ込まれ、29日に手術、7日に退院、GW期間中ずっと病院のベッドの中だった。なに、瞳孔が開きっ放しなんて、すぐに治る。それよりなにより、今年は無事に過ごしているってことを感謝しなければね。

例年新芽の季節になると、からだの具合が悪くなり、満足に過ごしていなかった。その仕上げが昨年の胃潰瘍だったんだけど、今年はいつになく体調も万全で、この新芽の季節を迎えることができた。元気がなによりの薬、これに勝るものはないということが、年を重ねてくるといやというほど身にしみる。

皐月という言葉は、なんか勢いがあっていい言葉だね。いま、根津神社のつつじ園はほぼ満開、狭い土地に人が溢れ返っている。それがいやだから、去年も今年もパスしてしまった。道端に植えられたツツジもバカにしたもんではない。とりわけ透き通ったようなシロの清楚なツツジがいま満開中だ。わざわざ入場料を払って出かけなくても、十分堪能できる。

テレビや新聞で、宇治や狭山の新茶摘みがやたら報道されているなって思っていたら、5月1日が「八十八夜」だった。春分から数えて88日目、新茶の初芽摘みの時機到来だった。収穫を迎えた麦の穂がすすきの穂のように見えることから、この時期は「麦秋」ともいわる。梅雨前に降る長雨を「卯の花腐し」(うのはなくたし)とも呼ぶ。長雨で卯の花が腐さってしまうことからきているようだが、とにかく、ロマンテイックな響きがあるね。
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