コジゼラ

よもやま話を雑文で

2009年07月

長雨

モノレール平成21年7月31日(金)
(モノレール)

さだまさしの歌に「雨宿り」という曲がある。「♪それはまだ 私が神様を信じなかった頃 9月のとある木曜日に雨が降りまして こんな日に素敵な彼が現れないかと 思ったところへあなたが雨やどり♪」。この言葉には「突然の雨に降られて困る」というニュアンスよりもなんとなく突然の雨を楽しんでいる、といった情緒に浸っている雰囲気がある。

「♪小糠雨降る御堂筋 こころ変わりな 夜の雨 あなた・・・ あなたは何処よ あなたをたずねて 南へ歩く♪」。欧陽菲菲(オーヤン・フィー・フイー)のヒット曲「雨の御堂筋」の出だしの部分だ。そぼ降る雨にそぼ濡れるコンクリートとイチョウ並木、都会の中に垣間見える光景を何気なく、そして激しく唄った名曲だ。小糠雨とは、雨粒が霧のように細かく、音もなく静かに降る雨のことで、降るというより微細な雨粒が空中のそこかしこから押し寄せるとい言った感じの雨だ。

「♪雨上がりの朝 届いた手紙 ポストのそばには 赤いコスモスゆれていた 結婚するって本当ですか♪」。フォーク・デュオ「ダ・カーポ」のヒット曲「結婚するって本当ですか」の1節だが、優れたハーモニーと清純な歌声で、切々と微妙な女心を歌った名曲だ。グループ名は演奏記号のダ・カーポ(最初から、曲頭に戻る)に由来し、いつまでも「初心を忘れずに」という思いがこめられている。2007年までは夫婦デュオとして活動していたが、デビュー35周年を契機に娘が加わり3人組のグループとして現在活動している。

「遣らずの雨」、あたかも客を帰したくないかのように降ってくる雨。なんとも情緒のある呼び名だが、これが「しっぽり濡れる」という表現になると、まさに意味深、途端にあからさまな男女の情事を思い浮かべてしまうから、日本語のニュアンスって、ほんと不可思議だねえ。映画「真昼の情事」のオードリー・ヘップバーンとっても素敵だった。相手役をさせられたのが晩年のゲーリー・クーパー、若さ溢れるヘップバーンに振り回され、いかにもしんどそう、気の毒だった。

ところで話替わるけど、オードリーって芸人が人気を博している。民放のチャンネルを開くたんびに顔を出している。特別な芸があるでもなく、まったく目障りな存在だ。オードリー・ヘップバーンの名前を汚すようで不愉快きわまりないね。どうせ一発芸人なんだから、早く消えてしまえ。

湿絶

不穏な天気平成21年7月29日(水)
(不穏な天気)

戻り梅雨か暴れ梅雨か。梅雨明け宣言後も湿る関東地方と、梅雨前線の居残りによる大雨被害が連発している中国・九州地方。湿絶とか人参雲、不可思議な気象用語と記録的な豪雨との落差が腑に落ちない(朝日新聞・素粒子より)

湿った空気が太平洋高気圧を回り込むように、九州北部の梅雨前線へと流れ込んだという。いわゆる「湿舌」だ。湿った空気を乗せた風が、対馬海峡あたりで東よりの風とぶつかり、活発な積乱雲が次々にわいた。空の水源を決壊させた雲の連なりは、気象衛星からは先細りの扇状に見える。「にんじん雲」というかわいらしい名とは裏腹に、豪雨、突風と災いの巣である。(朝日新聞・天声人語より)

人を鬱陶しい思いにする雨だが、あめの多い日本だけに、さすがにアメに関する言葉も多いね。「同じ字を 雨、雨、雨と雨で読み」、漢字の読み方の多さを皮肉った当て字漢字の傑作ともいえる川柳がある。「同じ字を アメ、サメ、ダレとグレで読み」と小粋に読み込んでいる。小糠雨、春雨、五月雨、時雨といった具合だが、そのほかにも驟雨などのように「ウ」とも読むし、雨雲のように「アマ」、梅雨のように「ユ」とも読ませるんだから、確かに雨の読み方は複雑多岐にわたる。

四季の雨っていえば春雨、菜種梅雨、五月雨、麦雨、梅雨、夕立、秋霖、時雨、氷雨、寒九の雨などがあるけれど、雨は降り方によっても、色んな呼び名がある。霧雨、小糠雨、御湿り、涙雨、俄雨、村雨、沛雨、驟雨、スコール、天気雨、長雨、霖雨、宿雨など枚挙にいとまがない。雨に関する慣用句としては、狐の嫁入り、五風十雨、篠を突く、車軸を流す、恵みの雨、遣らずの雨、乾天の慈雨などあるが、「車軸を流す」とは雨脚の太い雨が激しく降る様子をいう言葉だ。

「菜種梅雨」は春未だ浅い頃、静かに降る雨をいい、「卯の花腐し」(うのはなくたし)は春雨と五月雨の間に降る雨をいう。「日照雨」(そばえ)は天気雨のことだが、狐の嫁入りともいい、夕立は村雨やにわか雨の総称ともいえる。「五風十雨」は気候が過ごしやすくて、世の中が平和であるという意味になる。

雨という言葉では、悲しむ女性が一際映えるもんだが、「雨やさめ」はひどく涙を流して泣くことをいい、「雨雫」は女性がさめざめと泣くことをいう。「雨降って地固まる」はよく冗談に地を痔に置き換えて、おちゃらけに使っているけども、「櫛風沐雨」は社会に出て辛酸をなめることをいう。

ブランド

川開き平成21年7月27日(月)
(隅田川川開き・朝日新聞より)

ウインブルドン男子決勝戦で熱闘を演じたフェデラーとロディック、その服装に目をやると、王者フェデラーは上から下まで「ナイキ」、しかも鉢巻とシューズはゴールド、いまやスポーツ衣料業界を席巻している米国発の多国籍企業だ。おそらくフェデラーは、動く広告塔としてナイキは高額の契約金と年俸を保証しているんだろう。

対するロディック、近年成績不振で30位以下を低迷しているから、有力なスポンサーに恵まれなかったんだろう。米国出身の選手なのに、身にまとっていたのは、昔懐かしい緑のワニのロゴ「ラコステ」だった。なんか久し振りに、スポーツ選手が身につけているのを見た気がする。かってはポロシャツのステータス・シンボルとして、「マンシンング」とともに一世を風靡した有名ブランドだった。あの頃はトータル衣料ではなく、箇々の品種でメーカーがブランドを立ち上げ、競い合っていた。世の中はがらりと変わり、いまや金にあかして有名選手と契約し、巨大ブランドを立ち上げる多国籍企業が業界を支配する時代となった。

思い起こせば、30年ほど前、「ラコステ」や「マンシング」は高級ブランドだった。ポロシャツは2000円も出せばそこそこの物を買えた時代に、この二つのブランドは8000円以上もした。コチトラなんかあまりに恐れ多くて、といえば負け惜しみ、とても手を出せる代物ではなかった。口惜しいけど、未だに袖を通したことがない。薄手の長袖が肌に優しいマンシングのポロシャツは未だに普段着として愛用している。30年以上も経ったのに、型崩れ一つしないし、襟周りや両袖につけられたリブは伸び縮みしないし、ほつれも出ない。

近年、ユニクロの商品が売れているが、売れていて当然だ。値段がリーズナブルなことはもちろん、中国製とはいえ、指揮系統がしっかりしているため、縫製はきちんとしているし、品質の向上にも努力している。当然愛用しているが、不満もいくつかある。まず、サイズが規格より小さめだし、カジュアルパンツが男女兼用ということで前が開いていない。ポロシャツには胸ポケットがついていない。低価格を追求する上で、カットせざるをえないんだろうが、使い手としての不便は残るね。

不正採取

アルストロメリア平成21年7月25日(土)
(アルストロメリア)

富士山北麓の青木ケ原樹海から国の天然記念物の溶岩を持ち去ったとして、山梨県警富士吉田署は、文化財保護法と森林法、自然公園法違反の疑いで、静岡県富士宮市宮原の会社員(66歳)を逮捕した。同署の調べによると、この容疑者は6月7日午後1時ごろ、山梨県富士河口湖町精進の青木ケ原樹海で、天然記念物の大小11個の溶岩を乗用車に積み、持ち去った疑いが持たれている。溶岩は10〜35センチ大だったという。

同署によると、不正採取やごみの不法投棄などを監視する山梨県の非常勤職員「富士山レンジャー」が、岩をバールで壊して持ち去ろうとしている遠藤容疑者を見つけて注意したが、「これくらいいいじゃねえか。訴えるなら訴えろ」と言い残して車で逃げたという。同署が車のナンバーから遠藤容疑者を割り出した。山梨県などによると、青木ケ原樹海は文化財保護法に基づく天然記念物に指定されている富士山原始林で、自然公園法の特別保護地区にもなっている。

この新聞記事を見て、同じようなことを昔やったよなあって思ったねえ。アレは、確か昭和30年代後半だったと思うが、浅間山が噴火し、鬼押し出しに大量の溶岩流が流れ出したというニュースを見た。衝動的に熔岩の一部を取りに行きたいと思い、友人の1トン車で乗り込んだ。当時はこの手の物に対する規制なんてなかったから、絶好のチャンス到来と見たのだった。むろん高速道路なんてシャレタもんはなかったから、夜を走り抜け、明け方近くに現地到着、まだほの暖かい熔岩を50ケほど積み込んだ。ある意味でいえば、平和で無責任な時代だった。

二人りっきりだから、せいぜい積めるのは10キロ前後まで、もっと積めたんだけど、疲れちゃって、荷台の半分ほどしか積めなかった。帰路、吾妻川の川縁に降りて、今度は河原に点在する丸石を残りの荷台に積み込んだ。そして東京に帰ってきたのだが、その時の石は折半にした記憶がある。大きな石は後に調布の家に運び込んだりして、未だに置き石としても残っているし、小さな熔岩は盆栽の石としていまでも使っている。

その後は、東名高速を利用し御殿場で降り、舎利塔のある寺にある広大な手作り庭園の人工池の周囲に張り巡らされたスギゴケをはがし取ってきた。庭に池を造り、その周りに貼り付けたが、何回やったかなあ、けっきょく、気温と水の違いが致命傷となって、貼り付ける傍から枯れてしまった。その後も何回かこの寺を訪れたが、さすがにコケの持ち出しはする気にはならなかったね。ただ、コケの生育が早く、剥がした部分は次に行ってみると、ちゃんと生え揃っているのを発見し、罪の意識が薄れたのも忘れない。

あの頃って、けっこういい加減なことをやっていたのは事実だ。調布の庭をコケで覆いたいって欲望に捕らわれて、休日となると地方に遠征してコケを集めたものだ。多いときで30種類ほど集めたかな。むろん無断収集したものばかりでなく、園芸店で買った物もあった。ただ、コケを集める習慣なんて、当時は一般的ではなかったから、珍しいコケを園芸店で見つけるなんてことは至難の業だった。特に背の高いスギゴケは喉から手が出るほど欲しかった。

結局うまくいかず、次に手を出したのが、各種のシダ類、これも現地で採集したりして、けっこう珍しい品種を集めることが出来た。とりわけ出色だったのが、クジャクシダ、あのほの赤い茎の色目と葉の鮮やかさには目を見張ったね。他にもチャセンシダ、クラマゴケ、シノブ、ジュウモンジシダ、ノコギリシダ、ヒメワラビ、ベニシダ、リョウメンシダ、ヤブソテツ、ソテツ、イワヒゴ、ゼンマイなどなど、よく集めたもんだけど、けっきょくは長続きはしなかった。育てるより集める方に気が行ってしまったのが敗因だと思っている。

◆ゴミ回収車

アイランドポピー平成21年7月23日(木)
(アイランドポピー)

定点観測の続きになるが、この時間、この道を通る車の主役はゴミ回収車である。
狭い道ながら道路に面して、2棟の都営住宅やマンションのゴミ集積所がある。回収車は大声で叫ぶ誘導員の声を便りに、車をバックで突っ込んだり、切り返したりと忙しく立ち回り、作業員が高く積まれたゴミ袋を手際よく回収していく。こうしてあつめられたゴミは江東区営の分別ゴミ集積所に集められ、ペットボトルなどはリサイクル用として細かく粒状に裁断され、メーカーなどに運送される。

4月1日より江東区のゴミ取り扱い規定が大きく変わり、住民達に対する要求が一段と細分化された。多少忘れっぽくなっている、にょうぼなどの夕方の主要行事は壁に貼ってあるゴミ分別表を穴の開くほど眺め、これから出していいゴミの準備を始めることだ。

ダレが見たって一目では判断できない細かい項目が盛り込まれている。曰く、<月曜日と木曜日:燃えるゴミ、水曜日:容器包装プラスティック(医療容器・薬の外装なども含まれる)、金曜日:資源ゴミ、土曜日:分別ゴミ(新聞・雑誌・ダンボールなど)、火曜日と日曜日:休日>というローテーションだ。

「容器プラ」つまり、プラマークのついている容器やペットボトルは容器をよく洗い、シールをはがし、キャップを取り除かなければならない。レジ袋、キャップやタマゴの容器、弁当やお総菜パック、ビン、カン、発泡スチロールは資源ゴミに分別される。また、土曜日には「不燃ゴミ」、つまりスプレー缶、使い捨てライター、ガラスや陶磁器の破片、電池などが含まれている。そういう細かい規定を守らず、ゴミ袋の中に、ちょっとでもその日の回収に含まれない物が散見されると、さっさと置いていってしまう。ゴミ回収車は一体何者なんだっていいたくなるほど、威張りくさっていて、不愉快きわまりない。

ところが家庭に、これだけ細かく要求し、面倒くさい思いをさせているのに、例えば容器プラスティック扱い量の総量は全体の40%にすぎない。その一方で、コンビニやスーパーなどから出るペットボトルなどはキャップ、シール、洗浄なしの状態で回収され、これらは殆どが中国向けの資源となる。分別ゴミよりも5倍高く売れるため、財源確保に悩む地方公共団体の大きな財源となっているからだ。なんたる矛盾、なんたるバカらしい政策なんだろう。明らかに公平じゃあないよね。

日食

アオイ平成21年7月21日(火)
(アオイ)

2009年7月22日(水)午前11時前くらいから観測される皆既日食。日本で皆既食が観測されるのは屋久島から奄美大島までの間。全国でも部分食の観測は可能。パキスタンで始まった日食は、時間の経過と共に吐噶喇列島と小笠原諸島の南方を経て太平洋上で終わる。世紀の天然ショーということで、日本中で大騒ぎしているようだが、どうやら、明日は曇りまたは雨という予報、当てが外れそうな気配だ。

陸上での観測が可能なのは、日本では屋久島以南、奄美大島以北の島々に限定される。なかでも、吐噶喇列島は日食の中心帯域に位置している絶好の観測ポイントである。悪石島では皆既継続時間が6分30秒という21世紀最大級の日食となる。世界中の天文家が注目するトカラ列島であるが、トカラ各島への交通の便は村営フェリー一隻のみであり、宿泊施設にしても各島に民宿が2〜5軒ある程度で宿泊人員にも制限がある。

そこで、地元である十島村は近畿日本ツーリストと業務提携をして、そこのツアーしか受け入れないことに決めた。というより、30名もいない役場の職員ではとても1000人もの日食観測客をさばけないので、その辺のさばきも含めて業務委託したということのようだ。そもそも、トカラ列島へは村営フェリーしかアクセスがなく、フェリーの輸送量の問題で、最短2泊3日くらいで往復できるはずのトカラ列島に、ツアーでは1週間程度の滞在を余儀なくされる。

日食期間中はすべて日食ツアーの客で満杯で、それでも足りなくてチャーターしようかという話があるくらだから、村民用の枠が若干あるとしても、フリーではまず乗るのは無理、宿泊施設の定員も民宿を含めても全く足りず、多くはテント暮らしになるだし、飲み水や電気も本来の村民用以上に余力はないので、ミネラルウォーターや仮設発電機でまかなうという話だから、もし島に行けても正規なツアー客以外の人を受け入れる余地はない。

北海道の礼文島で、1948年5月9日 金環/皆既日食 が観測された。このときの食分は1,0で、皆既日食と金環日食との境界にあたる日食だったようだ。礼文島は、稚内の西方60kmに浮かぶ日本最北限の島。海抜0メートルの地点から高山植物が咲き乱れる花の島だ。この日観測されたこの日食は、観測チームは日米共同で、1500名の科学者達で組織されたのだとか。太平洋戦争終戦からわずか3年後の日本。日食観測をアメリカと共同で行っていたなんて、ちょっと驚きだった。

1948年といえば、昭和23年、小学校6年生だったか。この日、こども達は焼け跡があちこちに残る広場に出て、ローソクの炎であぶって、すみで黒くしたガラスの破片で空を見上げたもんだった。皆既日食がはっきり見えたという記憶の断片は消え去っているが、翌日の朝刊で、見事な金環食の写真を見て感激を新たにしたっけ。日米の科学者がこんなに大勢参加しているなんて初めて知った。まさに、快挙だったんだねえ。


新盆

藤棚平成21年7月19日(日)
(藤棚)

今年はにょうぼの母が94歳で大往生を遂げ、つい先だって49日の法要を行ったばかりだ。人が亡くなってから初めて迎えるお盆のことを「新盆」というそうで、13日におがらを焚き、故人の霊をお迎えし、盆提灯を取り出し、供養の食べ物を仏壇に並べ、線香を上げ、故人の霊を弔い、16日に再びおがらを焚き、故人の霊を送り出した。ところが、聞くところによると、四十九日の忌明け前にお盆を迎える場合、新盆は翌年に繰り越されるそうだ。

むろん、にょうぼはその辺のところは心得ていたようだが、坊主の息子なのに、その辺のところはまったく無知蒙昧のまま、人生の黄昏を迎えてしまったようだ。昔でいえば世間のしがらみに五月蠅い頑固ジジイの年齢に達したのに、そうした面ではまったく疎いというのはどういうことなんだろうか。教育方針がガラリと変わった終戦直後に育ったことも影響しているんだろうか。

さて、本題は「おがら」、麻殻と書くが、この燃えやすい植物の正体は「苧」(からむし)、イラクサ科の多年生植物で、古来から植物繊維をとるために栽培されてきた。同様に繊維をとるために栽培されるラミーもカラムシの仲間である。別名は苧麻(ちょま)、青苧(あおそ)、紵(お)、山紵(やまお)、古代日本においては「ヲ」という表記もある。今でこそしつこい雑草として嫌われる場合もあるが、茎の皮からは衣類、紙、さらには漁網にまで利用できる、丈夫な靭皮繊維が取れるため、分布域では6000年前から栽培されてきた。

中世の越後国は日本一のカラムシの産地だったため、戦国大名として有名な上杉謙信は衣類の原料として京都などに積極的に売り出し、莫大な利益を上げた。新潟県の十日町市で江戸時代から織られている伝統的な織物、越後縮はこれで織られている。国の重要無形文化財に指定されている「小千谷縮・越後上布」の原料であり、いまでは福島県会津地方の昭和村で栽培され、本州唯一の産地となっている。新潟中越地震で村を分断される大損害を受けた長岡市山古志村には種苧原(たねすはら)という集落がある。一説には会津からの落ち武者らが作った集落ともいわれている。

アサ(麻)は中央アジア原産とされるアサ科属で一年生の草本で、大麻(たいま)または大麻草のこと。この植物から採れる麻薬を特に大麻(マリファナ)と呼ぶ。広義にはアサは麻繊維を採る植物の総称であり、アマ科の亜麻やイラクサ科の苧麻(カラムシ)、シナノキ科黄麻(ジュート)、バショウ科マニラ麻、リュウゼツラン科サイザル麻がアサと呼ばれる。

ジジババ

超高層ビル平成21年7月17日(金)
(住居専用超高層ビル)

祖父母を「じいじ」「ばあば」と呼ぶ大人が4人に1人いることが、国立国語研究所の調査でわかった。首都圏では40〜50代の女性の半数が使っている。幼い孫などが使う時の優しい語感が受けて、成人の間にも広まっているようだ。国語研は今年3月、全国で成人803人を対象に、「国民の言語使用と言語意識に関する全国調査」を行い、人の呼び方や物の名前など身近な言葉の実態を調べた。

「じいじ」と呼ぶことがある人は全国平均で23.5%、「ばあば」は23.7%。「じいじ」が女性26.7%に対して男性20.2%、「ばあば」が女性28.9%に対して男性18.2%で女性の方が多い。首都圏の40〜50代の女性の場合、47.2%の人が「じいじ」、50.9%の人が「ばあば」と呼ぶと答えた。若い世代ほどよく浸透していた。

また、地域的な偏りもあった。首都圏では「じいじ」の使用者が34.1%、「ばあば」が33.6%と多いのに、西の近畿では19.1%と17.6%、九州ではともに11.0%。方言学では、方言が文化の中心地から周辺に伝わり、同心円状に分布するという仮説がある。「じいじ」と「ばあば」も首都圏から全国へと広がりつつある呼称らしい。

「じいじ」はもともと「祖父(じじ)」が、「ばあば」は「祖母(ばば)」が音変化した幼児語。広がった明確なきっかけは不明だが、朝日新聞では「ひととき」欄などで80年代から使われている。04年にはNHKのテレビドラマ「ジイジ 孫といた夏」が放映され、西田敏行さんの「ジイジ」役が好評で、「じいじ」「ばあば」の普及に一役買ったようだ。

でも、「じーじ」「ばあば」でよかったよ。長男宅でも幼い娘に「おとうさん」「おかあさん」と呼ばせているらしい。つい不断のくせで、「パパ」「ママ」などといったりしたら、嫁さんに即座にその言葉は「ジュリには通じません」って、ピシャっといわれてしまった、トホホ。上の調査の結果でも分かるように、最近ではそう呼ばせるのが流行のようだが、よくよく考えてみれば、コチトラが子供の頃は当たり前だった。もっともおかあさま、おとうさまなどと貴族のように呼んでいた家庭もあったしなあ。

いい意味での近過去回帰ということだろうが、悪くはないことだね。ただ、その伝で行くと、文法的には「じいじ」は「おじいさん」、「ばあば」は「おばあさん」ということになり、そう呼ばれちゃうと、途端に年を取った気になるね。オジイサンは山に柴刈りに、オバアサンは川へ洗濯に」いかなきゃならなくなる。また、「グランパ」「グランマ」って呼ばれるのも照れくさいし、やはり妥当な呼び方なんだろうなあ。 

輻射熱

RIMG35175平成21年7月15日(水)
(豊洲駅前交番)

関東地方は13日、太平洋高気圧に覆われて夏本番のような厳しい暑さとなった。最高気温は伊勢崎(群馬)37,2、東京都心33,6度など各地で今年一番となった。尾鷲(三重)では、全国を通じて今年最高の38を記録した。気象庁は14日、関東甲信で梅雨明けしたとみられると発表した。平年より6日、昨年より5日早かった。この日は各地で晴れ間が広がり、予想最高気温は、埼玉県熊谷市で34度、東京都内でも大手町で31度まで上がりそうだという。

外はカンカン照りなのに、家の中にいると、爽やかな風が気持ちよく通り過ぎ涼しい限りである。表の様子さえ見なければ、いまの時期が真夏日真っ盛りだとはとても思えない。 転た寝をしていて、あまりにも涼し過ぎて、鼻風邪でも引いたらどうしようと心配してしまうほどだ。

ところが、この涼しさが深夜近くになると一変する。風がピタリと止まり、ナギの状態になると、都会特有の放射熱が幅を利かせ始め、室内の温度は急上昇する。昼間地面を暖めた輻射熱とビルの壁面から放射される輻射熱がジワジワと重苦しく室内に入り込んできて、蒸し風呂状態となる。室内の温度が日中より深夜の方が高くなるという逆転現象が発生するのだ。こういう時こそ、クーラーが力を発揮するケースだろうが、ついつい冷房嫌いが頭をもたげてくる。

先日述べたように、熱中症は屋内でも発生するそうだが、調査によると、屋内発症者の1/3の人は自宅にはあるものの、殆ど使っていなかった。高齢者はクーラーが嫌いな人が多いが、出来るだけ適宜に使用したほうがいいという医師の見解である。高齢者は温度の変化を感じにくくなっているから、部屋が暑くなっているのに気付かなかったり、クーラーの使い方を忘れてしまったことも原因のようだ。

外気36℃の太陽の下にいると、吹き出るような汗と息詰まるような熱気で立ちくらみをするような思いをするが、木陰に入ると涼しく感じる。体温36,5℃とすると、外気はそれより低い温度だから、本来は涼しく感じなければならない。しかし、暑く感じるのは太陽の輻射熱が直接体に当たって熱を発しているからで、木陰に入ると木の葉が輻射熱をカットしてくれるので、涼しく感じるってことだ。つまり「暑い・寒い」と感じるのは温度ではないということらしい。

先日の記事で熱中症の応急処置として、リポビタンDを飲むといいと書いたが、あれはポカリスエットの間違いだった。訂正してお詫びする。ポカリはスポーツドリンク普及の起爆剤になった存在としても知られている。開発における商品コンセプトは「飲む点滴」で、ヒトの体液に含まれる7種類のイオンを含有する。

熱中症

揺れる平成21年7月13日(月)
(揺れる)

くれぐれも熱中症には気をつけていたつもりだが、まんまとやられてしまった。義母の49日、菩提寺で納骨式が行われ、親類縁者が見守る中で、僧侶の読経が流れる中、粛々と行われていた。折から、梅雨の合間のカンカン照り、容赦ない熱視線が立ち並んでいたコチトラの坊主頭を直射する。よもやと思ったが、たちまち、目の前が真っ白になり、納骨式が終わるまでなんとかガマンしていたが、控え室に入り机の上に突っ伏した。

冷房の心地よさ感じながらも、不快さはどんよりと残っている。汗が滝のように流れている心地がする。その時、いきなり首の後ろに冷たいタオルを差し込まれた。これが利いたなあ、ダク汗が消え去り、その心地よさがあっという間に正気を取り戻してくれたのである。こういうのって、文字通り適切な処置というんだろうね。義理の妹による迅速な応急処置だった。

また、応急措置として、両脇の下を冷やすといいとか、リポビタンDを飲むと即効的効果があるなど、後から教えてもらった。要するにみなさん危機意識に目覚めているということだ。それにひきかえ、コチトラなんかアチコチ痛んでいるのに、そういうことにはおよそ無関心、無防備だったことを改めた知らされた思いだった。

ここんところ、暑さをいやがり、外に出なかったから、太陽光線に対する適応力に欠けていたんだろう。熱中症とは皮膚血管の拡張で眩暈が起きたり、脱水で頭痛がしたり、血液の塩分濃度が下がって筋肉けいれんが起きたり、意識障害が起きたりする諸症状をいう。炎天下で強烈な日差しにさらされると発症する例が一般的である。

ところが、最近では高齢者には自宅にいながら熱中症で倒れる人が多くなったという。それも65歳以上の高齢者に多いという。屋内発症者の半分以上の人は自宅にクーラーなどの空調設備がなく、残り1/3の人は自宅にはあるものの、殆ど使っていなかった。高齢者はクーラーが嫌いな人が多いが、出来るだけ適宜に使用したほうがいいという医師の見解である。高齢者は温度の変化を感じにくくなっているから、部屋が暑くなっているのに気付かなかったり、クーラーの使い方を忘れてしまったことも原因のようだ。しかも、屋内発生者の6割は介護の必要がない健常者だった。

熱中症がチョットしたことで予防可能と医師はいう。1日1回は高温環境に身を置いて暑さに慣れ、その後は必ずクーラーなどで身体を冷やす。例えば、近くの図書館まで歩いて汗をかき、図書館でしばらく涼む。再び歩いて帰宅した後は、冷たいシャワーを浴びて体温を下げるか、クーラーのスイッチを入れる。むろんほどほどが肝要なのはいうまでもない。あまり出歩かない上に、熱帯夜が続いても、クーラーを使いたがらない、なんてへそ曲がりはここにいるぞ。刮目せよコジー。
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