コジゼラ

よもやま話を雑文で

2009年08月

オノマトペ

夕暮れ平成21年8月30日(日)
(残暑の夕暮れ)

ベロンベロンに酔っぱらってしまった。もうグデングデン、足はメロメロ、心臓はドキドキ、息はゼエゼエと上がりっぱなし。歩けばフラフラ、ヨレヨレ、つまずいて、スッテンコロリとひっくり返る。見上げる夜空には星がキラキラ、電柱に寄りかかって、ウツラウツラと船をこぐ。ビュービュー吹きすさぶ木枯らしとワンワンほえる犬の声で目覚めて、トボトボと歩き出した。

上記文章中カタカナで表記した言葉を、オノマトペというらしい。しかもフランス語だそうで、どうやら、こういう「声喩」は万国共通のものらしい。オノマトペ(フランス語: onomatopee)は音声を字句で模倣した修辞技法の一つ。一般的には擬音語・擬声語を指すが、日本語においては擬態語も含まれる。擬音語とは物が発する音、擬声語とは動物が発する声をそれぞれ字句で模倣したものである。

「日本語にオノマトペが多いのは、他の言語に比べて音節、つまり音のかたまりの数が圧倒的に少ないため。アイウエオの50音にガ行などの濁音、パ行の半濁音、ニャなどの拗音を合わせて112しかない。この“貧弱な”音節を補うために、日本人は『イライラ』『ムカムカ』といった、漢字では書けない二音節反復型のオノマトペを数多く発明してきたんです」(専門家談)

まあ、難しいことはここまでとして、ふだん使い慣れてる言葉がフランス語であるというのは、なんか悲しい気がするね。情景描写とか、感情表現、仕草や動作、自然現象を表すには難しい表現を使わずとも音感だけで表現できるのがいい。しかも立体的だから、なおさら分かりやすい。だから、数多く使ってしまうし、身近にある親しみのある表現だ。それだけにオノマトペというくくりは納得できないのだ。美しい日本語は数多くあるんだから、もっとふさわしい日本語でくくってみたいものだ。

専門家さんは漢字では書けない二音節反復型のオノマトペを発明したとあるが、それでは、これら漢字はオノマトベとはいわないんだろうか。努々(ゆめゆめ)、嬉々(いそいそ)、熟々(しげしげ)、嫡々(ちゃきちゃき)、戦々(わなわな)滔々(とうとう)昏々(うとうと)、区々(まちまち)、交々(こもごも)、粛々(しゅくしゅく)濛々(もうもう)、愈々(いよいよ)、云々 (うんぬん)、密々(ひそひそ)、縦々(よしよし)、緊々(ひしひし)、擦々(すれすれ)、刻々(ぎざぎざ)、屡々(しばしば)、強々(こわごわ)、云々(しかじか)、点々(ぼちぼち)、緊々(びしびし)、弥々(いよいよ)、愈々(いよいよ)、寸々(ずたずた)。

窃々(こそこそ)、熟々(つくづく)、数々(しばしば)、粘々(ねちねち)、擦々(すれすれ)、条々(おちおち)、吃々(くすくす)、轟々(ごうごう)、汲々(きゅうきゅう)、千々(ちじ)、苛々(いらいら)、諄々(じゅんじゅん)、諸々(もろもろ)、寸々(ずたずた)、戦々(わなわな)、累々(びしびし)、虚々(うつらうつら)、態々(わざわざ)、偶々(たまたま)、汲々(きゅうきゅう)、欣々(にこにこ)、ああ、上げだしたらきりがないね。

球児たち

晴海トリトン平成21年8月28日(金)
(晴海トリトン)

今年8月は暑さが鬱陶しいのと、生来の怠け癖がもろに出てしまって、ろくすっぽ表に出なかった。っていうことで、ヒマだから、高校野球中継をいつになく熱心に見てしまった。といえばかっこいいが、ごろ寝して肘枕でテレビを見ているわけだから、快い風などが吹き込んでくると、ついつい転た寝をしてしまう。けっきょく、よく見ているようで、実はよく見ていないことになる。つまりテレビの前にはいるんだけど、殆どが居眠り状態だったということになるのかな。

そんな状態ながら、今年の高校野球を総括すると、スケールが小さい、好投手はいたけど、剛球投手はいなかった。何人か150kmを越す剛速球を投げていたが、その大半は打者の頭上を越すものなど、ストライクゾーンを大きく外れる、いわゆる暴投に近い球で、速いだけで球の伸びが感じられなかった。本当の意味で、コースを狙って150kmを越す速球を投げたのは、やはり注目の左腕投手、菊池雄星だけだった。菊池は力まずにノビノビと投げたときの方が急速を増すタイプで、しなやかな腕の振りと、美しい投球姿勢が際立っていた。

勝ち上がり組の投手は相対的に軟投型で、少ない球種ながら、巧みにコースを突いたり、高低を投げ分ける頭脳的投球が目立った。ピンチに球が浮き、連打を喰らうジャイアンツの内海や高橋なんか、プロと名乗るのが恥ずかしいようなもんで、こういう高校野球投手の爪の垢でも煎じて飲めばよい。中京の堂林翔太にしろ、岐阜の山田智弘にしろガタイはでかいのに、速球に威力を欠いていたのは、やはり投げ方に問題があったし、連投に耐えるためチーム事情もあったんだろう。

この二人にしろ、明豊の今宮健太にしろ、投手としてよりも、むしろ打者としての素質の方が大きそうだ。バッテングセンスといい、長打力といい、チャンスに強いなど、当然ドラフトの対象になるだろうが、打者として好素材である。それにしても、菊池雄生、堂林翔太、嶋田聖羅、中林大地、横山貴大、若林尚希、江崎秋馬、庄司隼人、などなど、出場選手の名前のなんと様変わりしたことか。名前だけ聞いていると、まるで劇画かアニメの世界を見ているようで、大きな違和感を感じたね。

危機一髪

東大農学部平成21年8月26日(水)
(東大農学部)

第91回全国高校野球選手権大会は24日、阪神甲子園球場で決勝があり、中京大中京(愛知)が10―9で日本文理(新潟)を下し、66年の48回大会以来、43年ぶり7度目の優勝を果たした。7度の全国制覇は史上最多。中京大中京は6回、打者11人を送る猛攻で一挙6点を勝ち越した。すさまじい試合となった。あと1人を討ち取れば優勝、点差は6点もある。だれしも中京の圧勝を疑わなかった。9回表二死走者なし、ここから日本文理の信じられない反撃が始まった。そこには勝利の女神が気まぐれでも起こしたような神の領域があった。

プロ注目のエースで4番・堂林翔太は9回を華々しく締めるはずだった。6点リードの9回。先発して一度は右翼に回った右腕は、監督に再登板を直訴。ところが、2死一塁から連続長打を浴び、さらに死球を与え、1、3塁としたところで右翼に戻った。後は5点を猛追される展開をただ見守るだけだった。勝利の瞬間、体から力が抜けた。胸を張って臨むはずのお立ち台で、まさかの謝罪、うれし涙と悔し涙が同時にこぼれ出た。

この投手が出てきたら、もう絶対打てないという諦めを相手チームやファンに思わせるような絶対的存在のリリーフ投手が、これまでも壁のように相手チームの前に立ちはだかってきた。かっては「8時半の男」として盛名をはせた、ジャイアンツの宮田であり、「大魔神」とうたわれた、大洋ホエールズの佐々木であり、阪神タイガースの藤川球児であった。

いま、セリーグでその名をほしいものにしているのがヤクルト・スワローズの韓国人リリーバー林昌勇。サイドスローから繰り出す155kmのストレートは打者の手元でぐっとホップし、一転してチェンジアップは微妙な回転を得て、コーナーの隅をよぎる。その絶対的守護神が貧打にあえぐ巨人打線の前に立ちはだかった。点差はわずか1点とはいえ、ああ、もうダメだとダレもが思ったに相違ない。

ヤクルト先発・石川の前に、打線は8回までわずか5安打。完封負けのムードが漂う中、9回に林昌勇が登板すると流れが変わった。脇谷、ラミレスの連打などで1死満塁の好機をつくり、ツバメの守護神が何と2連続押し出し四球の大ドンデン返しが演じられたのだ。相手の独り相撲だったから、歓びもいまいちだけど、野球って、絶対絶命のピンチの中から思わぬドラマが起きるから面白い。

◆鬱陶しい

ブーゲンビリア平成21年8月24日(月)
(ブーゲンビリア)

今年、関東地方は一部を除いて、空梅雨だったから、あまり鬱陶しい思いをしないで済んだ。梅雨のジメジメとした鬱陶しさは、ほんと憂鬱になるもんね。日刊ゲンダイだったか、未曾有の大雨に見舞われて大きな被害の出た、山口県、九州北部、関東では唯一竜巻が発生した群馬県館林市、いずれも安部元首相、福田前首相、麻生現首相の地元だったなどという穿った見方が出ていた。国民をバカにした政権交代に天の鉄槌が落ちたと続くと、ちょっと大袈裟かな。

鬱陶しい、憂鬱、鬱血、この鬱という字、負の感じの強い文字だが、ひねくれ者としては好ましい字で、けっこう愛用している。鬱という字の難しさが更なる魅力を感じさせるのだ。鬱という字には欝という略字もあるが、覚えやすい反面、どうもこれでは面白くないね。だけど、鬱という字が単独で使われ、精神病あるいはノイローゼを現わすということになると、けっこうしんどい物がある。

最近、鬱は「心の風邪」という表現が定着してきた。これは風邪のようにかかる頻度の高い病であって、こじらせると重症化する危険もあるので、早期受診が大切なのだということを広く啓蒙するのに役立っている。だが、鬱病患者の増加で、病状の長期化や再発も起きている。「心の風邪」という表現が薬を飲んで安静にしていれば治るという、かっては結核対策に応用されたような勘違いを生んでいるのも事実のようだ。心理カウンセリング重視の治療こそ寛解すると説く医師も多い。寛解とは病気の勢いが衰えて症状が出ない状態をいう。

難しい字としては鬱のほかに薔薇がという字も難解だ。例えば鬱の覚え方は「木と木の間に缶があってふたを開けてみると箱の中に米が入ってた。でもそのことは人にはヒミツ」。薔薇の覚え方は「薔=廾エ人人回、廾微=二人で工夫して回れば苦も微笑む=ばら色の人生、微=〒山πトX=天岩戸に駆けつけて参拝の手紙を届ける」、とある。だが、あまりピンと来ないようだね。コチトラだったら、鬱という字、<利かん気(木缶木)の坊主が輪(ワ)をかけ、蓋なし箱に米を斜めに押し込み、秘密(ヒ三つ)の場所に隠した>って読み説くね。時に「孑?」って書いて 「ぼうふら」と読む。おかしな日本語だねえ。

恋の片道切符

ワッショイ平成21年8月22日(土)
(超高層ビルを行く二之宮御輿)

「カチカチカチン」駅員がリズムカルに刻むキップ切りのハサミ(改鋏)の音がする。それに誘われて乗客たちが改札口に吸い込まれていく。自動改札機が珍しかった70年頃、駅ではそんな光景が一般的だった。西部劇のガンマンよとしく、指にかけたハサミをグルリと回す手さばきも時々見られた。1秒に2−3枚のキップをさばけて当たり前、別の客の質問に答えながら、手元も見ずにハサミを入れる、まさに神業だった。

降車客からキップを受け取る集札も神経を使った。キップも切り込みの形(鋏痕)は駅によって違っていた。同じ駅でも時間によって変えることもあった。形を見ればどこでいつ切られたが分かる。駅員は受け取ったキップを一瞬で判別、料金の不足やキセル(不正乗車)を見極めた。(サザエさんをさがして・朝日新聞B版)

こういう記事っていいなあ。ああ、すっかり忘れていたけれど、その光景が目の前にパッと浮かび上がってくる。自動改札が当たり前のいま、それも切符を買わずとも、カードやお財布ケータイをかざすだけで、あっという間に改札口を通り抜ける。そんな無意識のうちに行っている行為がいかに無機質であるかを思い出してしまうのだ。

思い出せば、何回かキセル乗車で捕まったなあ。あの時の駅員は恐かったね。サンザン怒鳴られた挙げ句、お説教、ピンク色の細長い紙に幾つかのハサミをいれた用紙を差し出され、通常料金の3倍の金額を支払わされた。キセルの元になったキップは当然のこと、定期券まで没収されそうになったこともある。

学割定期券っていうのは、いってみればどこのこ行ける免罪符、50%割引という、この途方もない小さな紙切れ1枚で、1銭のゼニがなくても、とにかく学校には行けた。学校に行けば友達と会え、昼飯にありつけた。板橋から新宿まで10円、スクールバス片道7,5円、三本立て映画が恵比寿名画座で30円、学食のカレーが25円の時代。キセル区間の料金の3倍(ほぼ150円)もぶったくられた上、定期券まで没収されたら、明日から生活も出来ない。必至に懇願してなんとかチャラにしてもらったけど、いいようがない屈辱感に身が震えたね。

恋の片道切符がいかに高くつくか思い知らされたが、だからといって止める気がしなかったのも事実、その後もずいぶん冷や冷やしながら、危ない橋を渡ったもんだった。カーペンターズは「恋の片道切符」を軽快なリズムで楽しそうに歌っているけど、あの曲を聴く度に、あの忌々しい屈辱を思い出し、冷や汗が流れたもんだ。


いらいら

準備平成21年8月20日(木)
(深川祭・二之宮登場)

「朝晩めっきり涼しくなりまして」なんていうと、秋の到来を告げる時候の挨拶だ。だけど、今年の夏は確かにおかしい。家の中にいると、涼風が爽やかに家ん中を駆け抜けていき、転た寝をする身にとってはまるで天国の風を思わせる。当然のことながら、エアコンの使用率は0%、排気熱の節減に少なからず寄与しているわけだ。確かに表に出れば、ジメジメした8月特有の暑さなのだが、家の中はまさに秋を思わせる涼しさだ。

パソコンのスイッチを入れると、窓辺に座り外の風景を眺めながら、おもむろにタバコの火をつける。吸い終わると目薬を差し、机の上を片付ける。なにも習慣でやっているわけではない。パソコンの時間調整をしているだけだ。振り返ってみれば、案の定、ウイルスソフトが画面上を動き回っている。やっと終わるのを見届けインターネット検索画面をインプットするのだが、これもまたぐずぐずしていて、なかなか出てこない。毎日この状態だから、イライラが募って、パソコンに対する興味も薄れかかっている。

こうなった一番の理由は、外部ソフトの導入に熱心だということと、撮り貯めた画像の累積数が天文学数字になっていることも原因だ。年々1枚当りの画素数も大きくなっているから、やむを得ないかもしれない。画像の原盤は外部記憶装置に移管して、軽くしているつもりだけど、2月に1回の頻度じゃ少なすぎるのかもしれない。通常のサイズ640x480だと、89kバイトだが、原画は2736x2736の正方形で、2,594kバイトもある。それ1日平均100枚ずつ上乗せしているんだから、パソコンの迷惑度も半端じゃない。

マイクロソフトが大嫌いだから、IX7の代わりに、ファイアフォックス、漢字変換にはATOK、検索ソフトにはグーグルの公開しているすべてのソフトを網羅している。ワードは一切使わず、簡便なメモ帳で代用、画像ソフトはイーファンビューとピカサ、MSがらみで使っているのはエクセルとアウトルック・エキスプレスだけだ。ワードを始めとする、使用しないMSのソフトは莫大のキャパを取っているので、出来れば除外したいくらいだ。欧米で公開されているワードとエクセルに相当する無料ソフトが、近々グーグルから発表される。対抗上MSも無料化の方針を打ち出したが、遅きに失したね。

東京無情

いざ出陣平成21年8月18日(火)
(深川祭・いざ出陣)

難読漢字といえば、まさに北海道や東北、山陰など地方の独壇場みたいに思えるが、どっこい東京だって決して捨てたものではない。確かに人口が多いせいか、地方では絶対難読漢字の思われるだろう地名や駅名がポピュラーになってしまって、都民は容易に読めるようになってはいる。だけど、改めてみてみると、初めて対面したら、絶対読めないだろう字っていうのが、けっこう毛だらけ猫灰だらけほどある。

思い浮かぶ順に挙げていく。千駄ヶ谷、駒込、日暮里、鶯谷、御徒町、石神井、等々力、狸穴、舎人、福生、九品仏、糀谷、麹町、砧、雑色、馬喰町、鹿骨、大給坂、小日向、俎橋、麻布、愛宕、十二社、角筈、美土代町、松濤、白銀町、東雲、亀戸、上野毛、小豆沢、三宿、給田、貫井、蛎殻町、業平、押上、吾嬬、厩橋、雑司ヶ谷、御成門、茗荷谷、魚藍坂下、権田原、碑文谷、薬研堀、比丘尼、鑓水、弦巻、忠生、百草園、国立、青梅、檜原村、狭間、椚田、牟礼、河辺、軍畑、日原。

皀角坂(さいかちざか)、一口坂(いもあらいざか)、新宿(にいじゅく)、木下川(きねがわ)、谷河内(やごうち)、牛房(ごぼう)、雷(いかずち)、廿里(とどり)、乞田(こった)、高土戸(たかっと)、人里(へんぼり)、佛沢(ほっさわ)、笛吹(うずしき)、留浦(とづら)、神戸(かのと)。新宿、雷は足立区、木下川は葛飾区、廿里は八王子市、乞田は多摩市、高土戸は青梅市、人里以下は西多摩郡及び檜原村。

更に、練馬区の乗瀦(のりぬま)、小榑(こぐれ)、北区の姥橋(うばがばし)、大田区の不入斗(いりやまず)、神津島村の 高処山(たこうさん)、祗苗島(ただなえじま)なんて難読地名もある。どうだ、恐れ入ったか。

小町娘

並木道平成21年8月16日(日)
(本郷・東大沿いの並木道)

豊洲ララポートはおよそ年寄りには縁がないようなショップが多くて、2階にあるユニクロへ行く以外は、ほとんど通り抜けるだけって感じになる。大いなる期待を抱かせた紀伊国屋書店も器が大きすぎて、お目当ての本に行き着くまで、えらい苦労を強いられるし、無印良品には魅力的商品が欠けているし、反対に東急ハンズは興味ある品揃えだが、如何せん価格設定が高すぎる。100均のダイソーは店が狭すぎてにっちもさっちもいかない。

ま、そんな「ららぽーと」だが、そんな一角に「東京小町」という、なんか大正ロマンを思わせるような店舗があった。どうやら、女性専用の美肌商品の小売店のようだ。まったく閑散としているが、週末には客が立て込むのだろうか。ジジイが古くさいネーミングだなって思うくらいだから、若い女性には通用するんだろうか。

小町娘といえば、いまや白米の「秋田こまち」の名前の方が人口に膾炙しているようだが、小町娘という言葉の響きは、僕ら世代には胸の奥をそっとくすぐられるような甘味な、そしてほろ苦い想いにしばし誘われる。小股の切れ上がったいい女っていうと、鉄火肌の姐さんタイプを思い描くが、小町娘といえば、やはり清純な乙女を連想してしまう。辞書で引くと小町娘とは「美しいという評判の娘」ということで、やはり秋田が出自となる絶世の美女と謳われた小野小町に由来するらしい。

「犬っこ」「しがっこ」「かだる」「小町娘」と聞いて、ぴんと来た人はかなりの東北通、これ、すべて秋田県湯沢市に関するキーワードだ。まず小町娘、毎年7人の小町娘が、20歳前後の未婚の女性達の中から選ばれる。「市女笠」を被った小町娘は秋田県の代表的な観光ポスターとなっており、秋田新幹線「特急こまち号」など、 7人の小町娘たちは、秋田観光イベントなどに大活躍している。

「しがっこ」とは「つらら」のこと、「♪春になれば、しがっこも溶けて〜♪」という歌詞が童謡にもある。「かだる」とは、「英語でいうと”join”ということ、ミニかまくらを作ったり、キャンドルに点灯したり、みんなが参加するイベント。ちなみに、犬っこまつりは、愛犬家にはちょっと知られたお祭りだそうだ。2月7日=しがっこまつり(小安峡温泉)2月7〜8日=かだる雪まつり(秋の宮温泉郷)2月14〜15日=犬っこまつり(湯沢市)と、2月は冬祭りが目白押しのようだ。

だるま

仙台七夕平成21年8月14日(金)
(仙台七夕)

♪ドンドンディドン シュビダデンーー。渋いスキャットと黒いボトル。カラーンというオンザロックの氷の音。サントリーの垢抜けたCMを見ながら、あのダルマが毎日飲めたらいいなあ、って思っていたなあ。あの頃は。トリスバーは一世代上の人たちの世界だった。学生時代、下宿でがぶ飲みするのはレッド、近くの飲み屋に置いてあるのはホワイト。

角瓶には手が届かなかったし、ダルマと呼ばれたオールドをたまにもらおうものなら、仲間を呼んで騒ぐか、チビチビと1人で飲むか悩んだ者だった。明日は今日よりいい日に違いないと、素直に信じられた昭和の時代である。開高健や山口瞳ら優れたコピーライターを擁し、サントリーもその風景の一部を上手に演出していた(以上、朝日新聞コラム「窓」の一部より)

振り返ってみればあの頃、トリスが1瓶340円、サントリーホワイトが720円だったのに対して、(レッドはあまり記憶に残っていないが)サントリーオールド
つまり、いうところのダルマは1500円、しょせん高嶺の花だった。滅多に口にすることはなかったが、ダルマがウイスキーの味とすれば、トリスは薬の味がした。まあ、なんであるにせよ、気軽に飲んで安直に酔えればそれでよかったわけだから。その後舶来ウイスキーとの出会いもあったが、よくよく考えてみれば、どんな高価なウイスキーを飲んでも、感想は苦いという第一印象からは逃れられなかった。

接待で飲みに行くときにウイスキーの水割りを飲む時を除けば、アルコールは喉でゴクゴク飲むビールと決めてしまった。以来ビール以外のアルコールは偶にワインをたしなむ以外は、ウイスキーを始め、コニャック、日本酒、焼酎などは口にしたことがない。最近、ウイスキーのオンザロックとハイボールが復活しつつあるという。ウイスキー会社の必至の宣伝が寄与し始めたようだ。なんといっても、サントリーのCMで、絶世の美女、小雪が角でハイボールを作ってくれるっていうんだから、酒飲みにはたまらない思いがするよね。

想えばハイボール復活の道のりは遠かった。トリスバーではハイボールが当たり前だったし、メチルアルコールの匂いがする、安ウイスキーをそうして誤魔化さざるを得なかったのだ。やがてビールが全盛時代を迎え、日本酒の高級吟醸、焼酎の水割り、葡萄酒(当時はワインをそう呼んでいた)、ビール風飲料、いろんなアルコール類台頭の前に、ウイスキーは席巻されてしまったのである。

日本各地にトリスバーができはじめているらしいが、けっこうな話である。カウンターに座って、スルメを唐辛子をまぶしたマヨネーズをかじりながら、ウイスキーをチビリチビリと飲む、これって応えられない思いがするね。

疲れ目

山形花笠まつり平成21年8月12日(水)
(山形花笠踊り)

最近、寝しなになると、目元がショボショボして、強い眼精疲労を覚えるようになった。家の中で過ごすときには、テレビを見るとき、パソコンの画面を見るとき、新聞や本を読むとき、イチイチ眼鏡を取り替えないとよく見えないのだ。いままでは遠近両用メガネ一つあれば用が足りたのに、それでは覚束ない状態なのだ。テレビを見るときは中距離レンズの入ったメガネ、パソコンを見るときは老眼鏡の弱い奴、本や新聞を読むときは強度の老眼鏡といった具合である。

便利この上ない遠近レンズも、すぐに合わなくなってしまうのも頭が痛い。パソコンを眺める時間と本を読む時間が多いから、どちらかというと強度の強いメガネを多用しているせいもあるのだが、とにかく目の芯が何かに刺されたような鈍痛があり、目やにも出てくる。眼科医によると老眼は目の中の水晶体のピントを合わせる調節機能が衰えたものだという。検眼する場合、その人の目から約40CM離れた部分が見えるように調整して老眼鏡の度数を決める。しかし、パソコンを使う場合は目から50−60の距離になり、度数が合わないから目が疲れるという。

老眼鏡を2つ持つのも悪くはないが、最もいいのは近々眼鏡だそうだ。一つの老眼鏡に二つの度数が入っているもので、遠近両用眼鏡とはまったく違う代物だという。パソコン用と新聞用の度数を入れた老眼鏡を作っておくととっても便利だという。近視だった人が老眼になると、遠近両用眼鏡を選ぶが、デスクトップパソコンを使う人は遠近両用以外にした方がいい。遠近両用は手元と遠くは見えても中間が見えにくい。なるほど、パソコンは中間に当たるもんなあ。

以前は老眼鏡を誂えて作っていたが、すぐに度数が進んでしまうので、最近は眼科医からは注意されるけど、百均で度数の違う老眼鏡を何種類も買い換えて、アチコチに置いている。パソコンを見るときと本や新聞を読むときは面倒ながらイチイチ取り替えている。でも、これをやっていると老眼の度数がドンドン進んでしまうのが分かる。そうか、近々眼鏡なんてシャレタ物があったのか、騙されたつもりで作ってみるか。
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