コジゼラ

よもやま話を雑文で

2009年12月

年の暮れ

銀座・奇妙な建物平成21年12月29日(火)
(奇妙な建物・銀座2丁目)

ギャンブルをやっていた頃は、競馬の「有馬記念」が終わると、ああ、今年も終わりだなって実感してた。それが「競輪グランプリ」を暦年、12月30日に行うようになり、こっちの方が年の暮れを彩る行事として、コチトラの中に強くインプットされている。ギャンブルは止めてしまったが、勝負事っていうのは、ドラマテイックでスルリング、勝負の行方には、いつも熱狂させられる。NHK紅白歌合戦はもうどうでも良くなって、これが終わり、「行く年来る年」に画面だ移行されて、初めて存在感を感じる程度になってしまった。

今年の干支は丑年だったんだって、今頃気がついた。にょうぼの年だったわけだが、なにもいいことはなかったね。夫婦互いに、老いの影が一際目立つ年だった。っていうことは去年は子年だったんだ。10年後の子年のことなんか想像もしたくないね。多分この世にいないんだろうし、それまで精一杯生きるしかないだろう。今年ほど、老いについて考えさせられた年はない。あさ目がさめると、きのうと違う自分が居て、愕然とするのである。昨日できたことが今日できない、情けないね、まったく。

枝川と豊洲を結ぶ地獄の一丁目として、強く意識するようになったのが「朝凪橋」である。かなり急勾配に作られているために、以前から難儀していたが、近頃ではそそり立つ断崖絶壁にように見えてきた。1ケ月前ぐらいから左足脹ら脛の筋肉損傷が足を引っ張るようになり、まず上りの途中で悲鳴を上げ始める。下りきったとこで、ひとまず腰を下ろし筋肉をマッサージしないと、歩きにくい。

平地だと問題なく歩けるのに、この落差はどうしたもんだろう。バスが頻繁にやってくるから、ついつい安易にバスに乗ってしまう昨今だ。僅かな距離を乗ることに対して、初めのうちは恥じていたが、馴れちゃうと、たった1区間でも堂々と乗ってしまう図々しさだ。体調はいつになく好調なのに、心技体のアンバランスがえらく目立つ。とりわけ脆弱なのが、心なのかもしれない。どうしても安易な道を選ぼうとしてしまう。これも老いの象徴なのかもしれない。

そうした心理状態の中で、新しい年を迎え、また一つ余計に年を取る。悲観的なことばかりいっててもしようがない。できそうもないけれど、心機一転して、老いの宿命に対処しなければいけない。当面の目標は怠惰、これに尽きるだろう。努力しても1日、だらけきっても1日、同じ1日なんだけど、心構え一つでどうにでも変わる。その辺りをどう対処していくか、それが来る年への課題となりそうだ。

殺し文句

夕焼けと飛行船平成21年12月27日(日)
(夕焼けと飛行船)

JR東海のCMの質の高さは、今更いうまでもないが、とりわけ印象に残っているのが、いまでも続いている「そうだ 京都 行こう」というCMである。四季折々の京都の風情が色鮮やかに活写され、さしばさむセリフやフレーズが、これまたいかすのだ。このキャッチフレ−ズをみるだけで、まん度、京都へ行きたいなって想いに捕らわれてしまう。このキャンペーンでは毎回、京都の観光地(主に神社仏閣が多い)を素材として取り上げている。駅貼りなどのポスターにはその写真と共に毎回のキャッチコピーを配し、テレビCMでは『サウンド・オブ・ミュージック』の曲「私のお気に入り(My favorite things)」を毎回違う編曲をしてBGMとしている。

JR東海ではないが、JR(旧国鉄)のCMには、忘れない名作CMがある。年を取っても衰えを見せない豊満で瑞々しい肉体を披露した高峰三枝子の姿が、いまでも鮮明に残っている。1981年から、上原謙と共演した国鉄の「フルムーン」のCMだ。上原謙と二人で温泉につかるシーンでは、清楚なイメージだった高峰の豊かな胸の谷間が眩しかった。このCMのお陰で一躍脚光を浴びたのが、群馬県の秘湯、法師温泉だった。山あいの一軒宿、法師温泉長寿館(群馬県みなかみ町)。苔むした屋根と木造の外観に懐かしさを感じる宿だ。一番の見所は大浴場「法師乃湯」。高い天井とアーチ形の窓が特徴の貫禄あるたたずまいで、旧国鉄フルムーンのポスターの撮影場所としても知られる。 

いまでは、この宿は環境省指定・国民保養温泉地、国登録有形文化財の宿に登録されている。東日本で有形文化財に登録されている宿は下記の通りである。
1 冨士屋ホテル(神奈川県箱根)、2 法師温泉・長寿館(群馬県みなかみ町)
3 向瀧(福島県会津若松市)、4 歴史の宿・金具屋(長野県山ノ内町)、5 能登屋旅館(山形県尾花沢町)、6 日光金谷ホテル(栃木県日光市)、7 元湯・環翠楼(神奈川県箱根町)となっている。

フルムーン夫婦グリーンパスとは、JRのグリーン車が乗り放題となる、熟年および老年夫婦を対象とした特別企画乗車券(トクトクきっぷ)である。転じて、中高年夫婦の旅行を「フルムーン旅行」、あるいは単に「フルムーン」と呼ぶことがある。2人の年齢を合わせて88歳以上の夫婦の人が利用できる。また、2人のうちどちらかが70歳以上の場合は、「シルバー用」を利用できる。JR全線のグリーン車、B寝台車が利用できるが、「のぞみ号」や寝台個室(デュエットを除く)などの一部の列車・設備は利用できない。


クリスマス

天安・佃平成21年12月25日(金)
(天安・佃)

いつのまにか、いつものように12月になり、あまり嬉しくもない年の暮れが、ヒシヒシと迫ってくる。町中に出ると、いつもとは違う喧騒の中で、LEDの光りとともに、どこからともなく、幾つものクリスマスソングが流れてくる。不景気な今年は、復活した表参道を始めとして、都内のあちこちで街路樹を光りの洪水で埋めているようだ。興味は大いにあるものの、この寒さでは夜半に気楽な気持ちで出掛けようなんて気も起こらない。

さて、クリスマス・ソングだが、数多ある曲の中で、いつも頭の中にしみこんでくる曲がある。この曲を聴くと、題名も分からないまま、「ああ、クリスマスが近いんだな」って実感させられるのだ。そして、なぜか恋人たちのクリスマス、うまくいくといいなあなんて、柄にもない優しい思いが湧いてくるのはどうしたことだろう。この歌の持つ暖かいフィーリングと伸びやかでおおらかな歌声が、そのような心情に誘い込むのだろうか。

♪雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう
 Silent night、Holy night
 きっと君は来ない 一人きりのクリスマス・イブ
 Silent night、Holy night
 心深く秘めた想い 叶えられそうもない
 必ず今夜なら言えそうな気がした
 Silent night、Holy night
 まだ消え残る君への想い 夜へと降り続く♪

山下達郎の曲「クリスマス・イブ」は88年民営化されたばかりのJR東海が、5年連続で流したテレビCMに使われ、爆発的なブームになった。名古屋駅を舞台に、深津絵里がホームで恋人を待ち、ムーンウオークで現れた恋人とじゃれ合う1作目。牧瀬里穂がコンコースを駆け抜け、改札から出てくる恋人を柱の陰で待つ2作目と続いた。JR東海は既に87年6月から遠距離恋愛を描いた「シンデレラ・エクスプレス」を流しており、恋人たちの再会をテーマに、そのクリスマス篇として12月に流れた。

JR東海には曲名の問い合わせが殺到し、曲は89年にチャート1位に躍り出た。この曲はいまでも3年連続で、スズキ「シボレーMW」のCMで使われている。人の気持ちが揺さぶられる駅という舞台で、やはり人の気持ちが動くクリスマスという時期に、投げられた「大切な人と過ごしなさい」というメッセージが多くの人に琴線に触れたのだろう。それにしても、クリスマスといってもピンとこないまま、年を重ねてきた。いつだって、クリスマスなんかより年を一つ取ることが癪の種だった。それがいまや、もの凄い負担に感じている。

天長節

隅田川平成21年12月23日(水)
(隅田川)

相変わらずのいい天気、まさに旗日に相応しい。きょうは、あまり馴染みがないけど、天皇誕生日なんだってねえ。童顔の陛下だから、とても若く見えるけど、76歳になられるんだってねえ。背中が丸くなり、頬が異常にふくらんできて、顔色も不自然に赤く見える。内臓関係に問題がありそうな気がするね。コチトラ、長い間昭和の時代を歩いてきたから、天皇っていうと、どうしても昭和天皇のイメージが強い。その在位期間が余りにも長過ぎたから、現在の天皇は皇太子というイメージが強すぎて困る。

あの素晴らしい美人だった美智子様もすっかりふけて、すっかりおやつれになって、画面で見ていても痛々しい。戦後を代表するアイドルだっただけに尚更だ。羽毛田宮内庁長官の政治介入うんぬん発言の件、いくらコチトラが皇室贔屓でも、小沢幹事長と同じように、出過ぎた真似をするなっていいたいね。だいたい、あの長官、皇太子に対しても小生意気な苦言を呈しやがって、それもわざわざ記者会見まで開いて。ああいう発言が天皇一家にさらなる亀裂を走らせるっだろうなんて、ダレだって分かるのに。

なんで厚生省の次官まで上り詰めたロートルを宮内庁長官に抜擢したのか、その辺も分からないが、あんなの、さっさと更迭してしまえば良かったのに。だいたいが当初やたらと威勢の良かった鳩山政権も、いざとなればすっかり官僚に取り込まれてしまい身動きできない有様。宮内庁長官も然り、藤井財務相を薬籠中にしてしまった財務次官、主計局長、長妻厚労相や赤松農水相を手玉のように操っている高級官僚たちを、当初の意気込み通り、伝家の宝刀を振るってバッサ、バッサとなぎ倒しでもしなければ、国民の喝采なんて浴びられっこない。論功行賞で大臣についているロートル大臣を一掃して、来年早々にでも内閣改造に取り組まなくては、鳩山内閣は持つまいね。

内閣の顔ぶれを見ていると、いずれも小沢幹事長とは一線を画す面々が閣僚の一角を占めている。むろん僚友羽田派や横路派、旧民社党系列からは選ばれているが、主要閣僚ではないし、ましては小沢派からの入閣はまったくない。組閣に当たって鳩山首相が独走してしまったツケが、いま内閣の命運を大きく左右しつつある。その一方で、小沢幹事長が党を完全掌握し独裁下の道を歩みつつあるのが懸念される。なにせ、名うての立て直し屋であるとともに、名うての壊し屋でもあるからだ。

大雪

穴八幡・早稲田平成21年12月21日(月)
(一陽来復・穴八幡)

19日朝、北日本から西日本にかけての日本海側では大雪となった。山形県鶴岡市櫛引では積雪が89センチに達し、12月の観測記録を更新した。東海地方では、各地で軒並み最低気温が零下の冬日になった。名古屋市では未明から雪が降り始め、朝にはうっすらと雪化粧した。名古屋市の最低気温は零下0.5度。冬日となったのは平年より2日遅く、昨年より8日早い。岐阜県高山市では31センチの積雪となった。

日本で冬型の気圧配置が続く中、クリスマス休暇に入った欧米各地でも、週末に強い寒波に襲われ、大きな影響が出た。18日には英仏海峡を結ぶ高速鉄道「ユーロスター」が地下トンネルで立ち往生、約2500人の乗客が車内で一夜を明かした。トンネルに入った後、外部との温度差で列車の電気系統が故障したとみられ、21日まで全便が運休になった。米東部も「数十年で最悪」ともいわれる悪天候に見舞われ、ワシントンでは20日までに積雪が40センチに達した。1932年以来の記録で、当局は大雪による非常事態宣言を出した。

世界各国、日本各地が大雪に見舞われているのに、どういうわけか、東京を含む関東南部だけが、いつも通り仲間はずれ。まるで別世界のようにお天道様が輝いている。そりゃあ冬真っ最中だから、木枯らしビュービュー、寒さは半端じゃないけど、ちょっと違うんじゃあないかって、奇異な感じもする。いまや通説になっている温室ガスの充満で、東京都心は亜熱帯化がかなり進んでいるからだろう。気温を比較してみても、周辺各地より間違いなく2−3度は高く、特に最低温度にはその傾向が顕著だ。

太陽はいつも通り、穏やかで慈愛溢れる陽光を惜しげもなく注いでくれている。確かに地表は吹き荒ぶ木枯らしで、身を切られるようなさぶさではあるが。それでも何故か雪が降り出す気温までは下がらないのだ。コチトラ、ガキの頃から「ゆーきや コンコ あられや コンコ」が好きでたまらない。雪が好きというより憧憬に近いものがある。つまり雪フェチなんである。だから、あっちこっちで大雪が降っているのに、なぜ東京は素通りしてしまうのか、残念でたまらないのだ。交通渋滞にしろ、列車が止まろうとも、あとのことは関係ない。ただ、ツルンツルンと地べたが滑るのは願い下げだけどね。

この季節、決して嫌いじゃあないんだけど、いかんせん表に出れば、毛がないおつむには人一倍きつい風当たりである。「怪我ない」なんてしゃれていられない怖さもある。あちこちで発生する突風に押しまくられて、ひっくり返ったりしたらおおごとだ。綿帽子ならぬ毛編みのスキー帽を耳まで被って出掛けるが、このキャップ、未だにちゃんとしたかぶり方も知らないのだ、トホホ。

あの頃

大隈庭園平成21年12月19日(土)
(大隈庭園)

森の歌の会」は1956年、大隈講堂で行われた早混第1回定期演奏会で「森の歌」をともに歌ったメンバーである。2年生部員と1年生部員を中心に発足した会だったが、いまでか当時の3年生部員も加わって、常時20人ぐらいが集まっている。なにせ50数年前のことだから、メンバーの一番若いモノでも70歳を超えている。どこにでもある老人会のようだが、かって志を同じくして、一つの目標に向かった連中だから、会った途端50年前の学生気分に戻れるのが嬉しいね。

さて、早稲田大学混声学部の秘密基地は我が家だった。クーデターを企む面々が日
夜たむろする拠点だった。っていえば聞こえがいいが、集まってくるメンバーは革
命の志士なんてとんでもない、帰りの電車賃しかない素寒貧どもだった。ただ酒、
ただ飯を食らい、日夜マージャンをしたい連中ばかりだった。格好良くいえば、水
滸伝の梁山泊といった趣だったが、こんなことを繰り返している内に、たちまち資
金が底を突き、みんなの食欲をまかなっていた蕎麦屋の出前を断られ、残金2万円
ほどの調達にえらい苦労をした記憶がある。

大学4年になると、ほとんど混声には顔を出さなくなった。っていうのも、混声学
部にめり込みすぎて、卒業すら危うい状態になっていたのである。とりわけ出席日
数が単位取得の条件だった語学系がほぼ全滅状態。4年になって、毎年単位を落と
していた、第2外国語であるフランス語1年、フランス語2年、仏経3年、仏経4
年をすべて受ける羽目になった。どれか一つを落としても卒業できない。出席日数
が足りない仏経は教授に頼み込んで、なんとか「可」を取らしてもらった。いまで
も時々早稲田を卒業できなかった悪夢を時々見るほどだ。

そんなに苦労したのに、我が家の家計は赤字続き。4年生第1期の授業料12,0
00円が長らく払えず、遂に商学部の掲示板に「学生番号145」がデカデカと載
せられた。物好きな仲間がいて、これを写真に撮って、「これ!おまえだろう」っ
てあざ笑う始末。結局家を担保に信金から金を借りて支払ったが、このツケは卒業
後まで続いた。この貴重な写真、いまでもアルバムの隅に眠っているはずだ。

そんな貧乏暮らしだったから、就職1年目の秋、結婚式が決まり、約束事で結婚式
、式出物、新婚旅行の費用はコチトラ持ちということになった。未納学費の返済も
済んでいない状況だから、まさにお先真っ暗。そこで閃いたのが、図々しくも厚か
ましい、入社したばかりの会社から借用する手段、重役である東京支店長に仲人を
依頼し、なんとか必要資金15万円の調達に成功したのである。手取り13,00
0円の給料から、毎月5000円ずつの返済、どうなることかと不安だったが、に
ょうぼが高給取りだったから、折から高度成長時代、うなぎ登りだったボーナスや昇級分をこれにあてたら、たった1年で返済が済んでしまった。いまから思えば、よき時代だったなあ。

大隈講堂

大隈講堂時計塔平成21年12月17日(木)
(大隈講堂時計塔)

年2回の「森の歌の会」の二次会で、早稲田正門斜め前の眺望レストランに入った。早稲田大学のシンボル・タワー「大隈講堂」の時計塔は、いつも下から見上げていたのだが、今回初めて上から見る機会に恵まれた。いつも堂々と君臨している、このタワーだが、上から見たって、やはり堂々と格調が高かった。このタワーを見ていると、どういうわけか涙がにじんでくるのを禁じ得ないね。

この見下ろしている建物、確かむかしは、この辺りに、昼飯時、イカ天丼をかっこみに、よく通った蕎麦屋「??庵」などがあったような記憶がある。この建物は早稲田大学26号館とあり、この15階にある眺望レストランは「西北の風」というネイミングだ。周囲に高い建築物がないこともあり、見晴らしは抜群に良く、目白の東京カテドラルや音羽の講談社、椿山荘、東京ドームなどがよく見える。昼間に訪れたのは初めてだったから、色々と懐旧にふけることになってしまった。

まずは真下に見えるは、大隈講堂の屋根だ。この大隈講堂には、この日集まった面々にはそれぞれの思い入れがある。ここに集まったメンバーは、1956年6月23日、早稲田大学混声合唱団が第一回定期演奏会を開催し、ショスタコービッチ作曲のオラトリオ「森の歌」を演奏した時のメンバーなのだ。当時のプログラム表紙
には、定期演奏会とあるだけで、第一回という肝心の数字が抜けている。それどころではないという、当時の切実な事情が垣間見られる。

のちに50年史の編纂に当り、この辺りが問題となったようだが、二回目以降の定期演奏会からはきちんと回数を明示しており、結局はこの演奏会を第一回と見倣すことになったそうだ。大隈講堂の上に広がる古びた建物、いまでも現役として使われている「2号館」、この屋上横にわれら混声の小さな部室があった。青春のすべてを投じた部室だったが、いまはもうない。

右手に広がるのが大隈庭園、上から見下ろすと結構小さく見えるが、この庭園と隣接する大隈会館にも思い入れがある。コチトラ夫婦が結婚式を挙げた思い出の場所なのである。当時1日2組しか取らなかったから、時間はたっぷりあり、大隈庭園も開放されていたので、中々いい結婚式だった。因みに招待客一人当りの費用はなんと800円、何年かあとに、義妹が披露宴の会場に選んだホテル・ニュージャパンの一人当り費用は2500円、コース料理も早稲田の方が1品多かった。

補強

門仲平成21年12月15日(火)
(門前仲町)

巨人・原辰徳監督(51)が7日、「世界一監督」に選出された。国際野球連盟が6日、スイスのローザンヌで総会を開き、過去2年間の実績をもとに表彰する最優秀賞の監督部門「IBAF Coach of the Year」に原辰徳監督を選出した。原監督は今年3月に行われたWBCで、「侍ジャパン」の指揮をとり、チームを大会2連覇へ導いた。日本人では、84年松永玲一氏(ロス五輪金メダル)、91年渡辺忠(故人 調布シニア、89年、90年AA世界選手権2連覇)に次いで3人目の快挙となった。

調布シニア・リーグ監督だった渡辺さんが世界一監督に選出されていたなんて、初耳だった。この監督は調布シニア時代、長男が大変お世話になった名監督だった。不幸にして早死にしてしまったが、その薫陶により、長男が大成出来たと信じている。あまり細かいことはいわないが、ノックバットを握ったら、鬼の形相に返信した。また、カラオケでは、マイクを握ったら、エンターテーメントに徹し、天下一品の美声を聞かせてくれたもんだった。

さてジャイアンツ、今年はリーグ制覇、日本シリーズ制覇と久し振りに美酒を飲ませてくれたが、投手陣の整備が遅れて、お寂しい限り、このままでは来期の優勝も覚束ないと不安視していた。ところが、ストーブ・リーグに入って、いずれも中古品だが、よそのチームで活躍した投手をガバッと獲得した。日本ハムからスワローズノエースとして活躍した藤井、大リーグを首になった元ロッテの守護神小林、オリックスから、ドラ一で加入したものの、あまりパットしなかった高木を、同じくジャイアンツで期待されながら伸びなかった木佐貫とのトレードで獲得した。

さて、来期の先発陣だが、グライシンガー、サンチェスの両外人エース、いまいち期待外れだった内海、東野は確定、藤井もほぼ確定、あとは若手投手陣、西村、金刃、野間口、栂野の争いになる。中継ぎ陣は、山口、越智、木村の若手投手陣に、豊田、マイケル中村、藤田、新加入の小林、星野が加わり、俄然競争激化となった。守護神クルーンのでき次第では、越智、小林がストッパーに起用される可能性もある。また、山口、木村の先発投手への起用も考えあられる。

それにしても、ドラ一で入団した野間口、金刃は伸びしろが小さいし、辻内、禿帖栂野、村田透などは、まるで埋もれたまんま。若くして一億円近い契約金を手にした連中たちである。ドブに金を捨てるとはいわないが、もう少し根性を見せて欲しいね。とりわけ、高校時代、155キロ左腕と騒がれた辻内なんか、未だにノーコンが直らないし、新球の開発も遅れたまんま、一度も一軍で投げる機会もなく、このまま朽ち果てていくのか。ダルビッシュ、田中、涌井など高卒投手陣の活躍を見るたんび、切歯扼腕の思いに駆られるね。

創作四文字熟語

月島平成21年12月13日(日)
(横丁の前に巨大マンション・月島)

住友生命保険は10日、2009年を漢字4字で表現した「創作四字熟語」の優秀・入選作品を発表した。毎年鮮度が落ちて、つまらなくなっている傾向を感じるが、これもマンネリの一種といえるかも。朝日新聞のコラム「天声人語」が例年、この四文字熟語を元に世相を診断しているので、今年も いつものようにあやかってご登場願おう。

<有権者の抜きはなった刃が日本の政治を袈裟懸けにした。これぞ「一票両断」。住友生命が募った年の瀬恒例の創作四字熟語に、一年を振り返る名作迷作が多く寄せられた。寒空の炊き出しで今年は明けた。派遣切りや雇い止めで仕事を失った人々が「断雇反対」を叫んだ。夏の選挙で永田町はひっくり返る。「政権好待」が実現したが、新政権の「鳩世済民」の手腕はいかに。

新型インフルエンザが上陸すると、店頭からマスクが消えた。日本中が「顔面総白」となって、来訪の外国人も驚いた。うつされてはたまらないと、通勤電車も人ごみも「一咳触発」でピリピリする。予防したくてもワクチンは足りず、切歯扼腕ならぬ「接種待腕」がなお続く。

高速道路の「千円」は功罪が半ばした。喜々として「遠奔千走」する人もあれば、「千車万列」の大渋滞にプロの運転手は泣かされ、客をとられた鉄道も船も泣いた。暦の魔術で初の「秋休五日」(シルバーウイーク)となったものの、どこもかしこもやはり渋滞。

「司民参加」の裁判員制度が始まり、「判官判民」の裁きに市民感覚がにじみ出た。白昼の天体ショーは「皆祈日食」で晴天を待ったが、悪石島は無情の雨。米国では旅客機が川に奇跡の不時着。「一機冬川」の機長の離れ業が喝采を浴びた。この人を忘れてはいけない。石川遼君めあての「一目遼戦」のギャラリーでゴルフ界はわいた。国宝の阿修羅像展も長蛇の盛況となり、多くの人が「阿美共感」した。ゆく年に、忘れ得ぬあのまなざしが、ふと胸をよぎる>

今年の漢字には「新」が選ばれた。コチトラとしては「不」を選びたかったね。不の最大は鳩山内閣への不安である。百花斉放といえば聞こえがいいけど、党内不一致が表面化し、鳩山首相の優柔不断さ、統率力のなさが一挙に暴露した。不景気を克服するためには大幅な予算出動が必要なのに、マニュヘストにこだわり、予算圧縮の方向に舵を取ってしまった。予算を削る本当の目的だった、天下り法人の無駄遣い撤廃は、なんとなくうやむやになってしまった。鳩山内閣はいつまで持つのか心配だねえ。

転機

日比谷公園平成21年12月11日(金)
(日比谷公園)

10数年お世話になった豊洲病院を転院することになった。3度の入院を経験したり、月に一度の検診など、まるで便利なホームドクターのようなおつきあいだった。これまで担当医だった内科の先生が開業することになり、現在の症状では、後任の医師では手に負えないだろうと、専門医の居る他の病院を紹介してくれたのである。

確かにマンネリを感じてはいた。この10数年間、激増する患者数の多さに医師が忙殺されて、なおざりな診察しか受けられないことには不満があった。しかもコチトラのように複合疾患を抱えている患者には、糖尿病専科の担当医には荷が重いんじゃあないかって気もしていた。喘息系の症状を発症したときも、適切な治療が受けられなかったし、1年ほど前から、腎疾患の数値を表すクレアチン値が危険水域の15を超え急激に悪化した時にも、専門医のいない悲しさで、適切な治療が受けられなかった。

渡りに船とばかり、この転院話に飛びついた。徒歩10分で行ける豊洲病院は全く便利、今度紹介された順天堂病院はバスと地下鉄を乗り換えて通う不便さはあっても、多彩な専門医がいる新設の総合病院だというのが魅力だ。新たな門出には若干不安もあったけど、新天地で完全治療を受けられるという魅力の方が勝ったね。行ってみて驚いた、まさに大病院、数年前、この辺りをうろついていた頃には、影も形もなかった。順天堂江東高齢者医療センターという名前がちょっとひっかかったが、考えるまでもなく高齢者真っ直中っていうことだもん、文句は言えないよなあ。

担当が女医さんというのも気に入ったが、完全予約制なので、待ち時間が極端に少ないのも嬉しかったね。なにせ、豊洲病院では予約していても、2時間待ちは当たり前、ヘたすりゃ3時間なんてこともあった。慣れ親しんでいたから、採血を済ますと、受付に2時間後に戻りますって告げて、コンビニで弁当を買い、海辺に座ってゆっくり昼食をとり、図書館で昼寝するなんて芸当も当たり前だったが。

どうやら透析一歩前というほど、腎臓が弱っているらしい。むろん糖尿病から来たものだが、血糖値は注射を打ってはいるものの正常値より低い状態だ。いままでは、エネルギーが大敵だったが、今度は蛋白質と塩分の過剰摂取との闘いだ。毎日、3食の数値を記録し、インプットしている。厄介な仕事だが、何せ閑人、嬉々として取り組んでいる。数値計算では、家庭料理のさじ加減が一番厄介、冷凍食品やコンビニの弁当類はきちんと数値が表示されているから便利なんだけど、蛋白質や塩分が高めだから、そうそう気楽には扱えないのが苦しいね。
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