コジゼラ

よもやま話を雑文で

2010年10月

木枯らし


日本列島は28日、北・東日本中心に今秋一番の冷え込みとなった所があった。朝の最低気温は、北海道別海町で氷点下6・1度、栃木県那須町でも同1・2度など
、10月としては観測史上最低を記録した。朝の最低気温は、北海道中標津町の氷点下4・8度、標津町の同4・4度も10月観測史上最低。秋田市4・3度、福島
市3・4度、水戸市4・5度、東京都心9・6度など、各地で今秋一番の冷え込みとなった。

気象庁によると、この厳しい寒さは一時的で、向こう1週間は全国的に気温は平年並みか、平年より高い日が多い見込み。冬型の気圧配置となった26日、近畿地方
には木枯らし1号が吹いた。大阪管区気象台によると、昨年より7日早く、10月に観測されるのは、2002年以来8年ぶりという。

どうやら、今年は秋をすっ飛ばして一足飛びに冬へ突入しようとしている。そういえば、春も短かったような気がする。猛暑と極寒、地球はまるで氷河期へ逆戻りす
るつもりらしい。やりたい放題やって、後はほったらかし、人間が地球に対して繰り返し行ってきた愚行に、地球のマグマも、とうとう悲鳴を上げ始めたのだ。

とにかく今年の夏は暑かった。太陽が恐いように大きくて熱く燃えていた。そして、今度はこの寒さ、彼我の差が大きいだけに例年より応える寒さだ。しかも、終日
小雨が降り続いており、寒さという琴線を濡れ手でかき鳴らす。北風はビュービューと吹きまくり、行く手の邪魔をする。ま、そんなわけで、慌てて帰ってきたが、
こういう寒暖の差は年寄りには応える。とにかく風邪を引かぬように用心、用心。

土曜日


土曜日の昼下がり、といっても4時前後となるけれど、透析が終わって、B級グルメも楽しまず、ゆっくり歩いて家に帰る。窓を大きく開いて、まずは一服しながら
、漠然と外を眺める。ボサーットしてなにも考えない、なにも思わない、まさに空白の時間である。この時間ほど快いものはない。ふと我に返り、ああ!今週も終わ
ったんだなと述懐する。月日の経つのは早いもんだと実感するのもこの時である。

はや10月も後半を迎えているけれど、土日を含め休日は大嫌いだ。どこもかしこも人、人、人、最近の豊洲周辺もまさにそれだ。週末になると、普段静かだった豊洲周辺は浮き足立ってくる。大勢の人がどこからかやってきて蝟集し、喧騒を極める。ベビーカーを押したり、幼児を連れている若い夫婦が多いのが、この地の特徴だから、騒音のデシベルはピークに達する。子供が秩序を乱したりしても決して叱らないのが、昨今の母親の常だから混乱はいや増すのである。この煩わしい喧騒から逃れたいため、週末や連休の日は絶対この地には立ち寄らない。

以前は老人専用バスみたいだった都バスも、若夫婦と子供で一杯になる。例えば銀座に行くにしろ、浅草に行くにしろ、ゆっくりと座っていけたんだが、いまは下手すりゃ終点まで立ちっぱなしになる。これじゃあとても出掛ける気にもならないね。土曜日は透析があるので、その後で空腹を満たさなければならないのだが、B級グ
ルメ店は普段閑古鳥が鳴いているような店でさえ、行列が出来ている。行列の並ぶくらいならと、コンビニで食い物とお茶を買い求め、近くの人気の少ない公園のベ
ンチで、物欲しそうに近寄ってくるハトやスズメをからかいながら、わびしい昼食を取る。家に持ち帰ればいいじゃないかっていわれればそれまでだが、空腹のまま
歩くなんて芸当は出来ない。なぜなら病院を出るときすでに低血糖になっているからだ。

低血糖の数値が出るたんび、看護師からブドウ糖を打ちましょうかと尋ねられるが、普段なら、都度お断りしている。病院を出た後のB級グルメが楽しみだからだ。
その時の血糖値が100を多く下回っているときは、まず自販機でコーラを飲み、低血糖を上昇させ、じっくりとB級グルメ店の散策となるのだが、土曜日はそうは
いかないのだ。

その一方で、土曜日になるとほっとすることもある。日曜、月曜と2日間透析というしがらみから解放されるからだ。週3回の透析が生活の大きな比重となっている
昨今で、それに慣れてしまってるが、やはり2日続けて透析がないというのは、ある種の開放感がある。この日何をしようかって考えるのも楽しいが、結局はグータ
ラと時を過ごすことが多い。

どうでもいいこと


この春、ベルリン・フィルのコンサートマスターに抜擢された樫本大進が、里帰りして、ピアノの小菅優らとブラームスのピアノ4重奏曲を演奏した。通常室内楽なんて、まだるっこくて、タダでさえ眠くなるので、滅多に聞くことあるいは見ることがない。ただ、ベルリン・フィルのコンマスが出演するという好奇心を抑えきれず見てしまった。常々思っていたことだが、カレのオーバーアクションは目立っており、室内楽だと数が少ないだけに、かなり動きが激しいのを再確認した。素人なのでよく分からないが、必要以上のオーバーアクションはいずれチェックの対象になるんじゃないか。

ピアノが加わる室内楽にしろ、ピアノ伴奏にしろ、ほぼ間違いなくピアニストの左手後方に譜めくりの人がひっそりと座り、ピアニストの眼前に広げた楽譜を食い入るように見詰め、サット立ち上がってはページをめくったりする。この譜めくりの人を正式にはどう呼ぶのかは不明だけど、とにかく楽譜を遠く離れた場所から見るのだから、楽譜を読みこなす能力とガチャ目じゃないというのが不可欠だ。この日の譜めくり人はかなりの美形だった。まだるっこい音楽を聴いているわけだから、ツイツイ目はそっちの方に行ってしまう。ほう、目がきりっとしているな、背が高いな、鼻筋が通っているな、スタイルがいいな、などと演奏ソッチノケで、興味はあらぬ方へ行ってしまっている。

普段N響を見慣れているせいか、先日行われたサイトウキネン演奏会でも、見慣れた顔が結構参加しているのに気がついた。第2バイオリン、ビオラ、チェロ、ホルン、ハープなどの主席奏者のほかにも、ビオラ、ホルン、コントラバスなどにもかなりの参加者を発見した。次にオケラを見るときのコチトラの常識は美人捜しである。不幸にして若い美人は見つからなかったが、かっては美人だったろうなあと思える演奏者を見つけては悦に入っていた。最近では、ひどいブスだなあ、なんて思える人は少なくなったのは有り難い。偶々カメラがそちらに向けられると、思わず下を向いてしまうのは、やはり正視に耐えられないからだ。

宗旨替え


コチトラ、無神論者だが、数々の災厄に遭遇し、この度、過去の過ちを悔いて、新たにキリスト教に入信することになった。アーメン、ラーメン、コンチクショウなんちゃって、それは真っ赤な嘘、実は長い間実行してきたあることを、年齢を考慮して、過激な方法から緩い方式へと変換することを決意し実行しているのである。
それって、とても大事な儀式だった入浴法である。熱湯浴から温浴に舵を切ったということになる。むろんいままでの入浴法を全面否定したわけではない、イヤイヤ変えたのである。

これまで頑なに守り通してきた入浴法が高齢者には危険きわまりないもの、って漸く理解したのである。これまでどんな寒中でも、ガンガンに湧かした熱湯に、恐る恐る足から入り、全身を埋める。ちょっとでも動くと熱波が襲ってくるから、約10分間、ジッと我慢の子、痺れるような熱さにジッと耐える。ひたすら耐えていると、やがてアチコチから汗が吹き出し、ついには頭頂付近から、蝦蟇の油みたいな濃厚な汗がしたたり落ちてくる。これは身体の奥底から絞り出された汗の元である。

こうなったらしめたもの、直ちに風呂を飛び出し、裸のまま、ベランダへ一直線、火照った身体と、ひっきりなしにしたたり落ちる汗を寒風にさらす。むろん、目をつぶって、うずくまっているのだが、間もなく天体の音楽が聞こえてきて、恍惚状態に突入する。この瞬間こそ待ち望んだ「春宵値一金」、魂は夢幻の空間に飛び出し、ひたすら恍惚を追い求める。およそ、10分ほどの短い瞬間だが、やがて汗が出尽くし、恍惚感が消えてゆく。1度か2度、つぶっている目の中に赤い光が差し、天井から声がこちらへいらっしゃいと手招きする。さすがにたまげてしまって、目を見開き現実へ回帰できたが、あれは明らかに死への誘惑だったね。

いまや身体のアチコチが傷んでいる。こんなことを続けていると、間違いなくあの世へ旅立ってしまいそうだ。であるからして、いやいや温浴法に切り替えた。これは温めの湯に胸まで浸かり、約20分間入浴するということ。風呂場にタイムスイッチとメガネ、文庫本を持ち込む。なにもしないで、ただぬるい湯に浸かっているのは、退屈きわまりないし、こういう時に限って時は悠長に進んでいくのだ。

最近推奨されている温浴だが、とにかくじれったいし、あんなのが身体にいいとも思えない。湯上がりもぱっとしないし、一番大切な恍惚感なんて影も形もありゃあしない。これじゃあ入浴も楽しくないし、けっきょく、きのうから、やや熱めの湯にドップリ浸かることにした。時間は約5分、恍惚感も少ないながら味わえるし、身の安全も確保できそうだ。確して、折角宗旨変えしようと挑んだものの、温浴法は三日坊主ということになった。


ヤジ馬


滅多に見ないけれど、偶に見ると国会でのヤジ合戦は凄いものがあるね。議場のアチコチの発せられるヤジは品性下劣なものが多く、これが国民の選良たる国会議員の言辞とはとても思えない。議論で負けそうになると、ヤジで対抗することしかできない、こんな先生方を国会の送り込んだ選挙民の罪も大きいね。ただ、演説より野次合戦の方が良く聞こえるだけに、こういうのって利害関係なしに見てると、「イヨー大統領」なんて、思わず場外から声の一つでも掛けたくなる。

さて、野次馬の語源となったのは「親父馬」である。牡馬は年を取ると、まったく使い物にならなくなる。自主性を失って若い馬の後ばかりついてまわる。その親父馬(おやじんま)が「ヤジ馬」になったのである。また、そんなことから「尻馬」という言葉まで出来た。「ヤジ馬」というのは、しょせん人の後ろにくっついていって、自主性に欠けた言葉を投げかけるだけというわけだ。烏合の衆、衆愚と同じで、あまり褒められた話ではない。てっきり十返舎一九の弥次喜多から来たもんだったと思っていたね。

「かわりばんこ」にブランコに乗るのよ、なんて親はこども達にいう。この語源はその昔、鉄の精錬などをする時には、鞴(ふいご)という風を送る装置を使っていた。この装置の踏み板を「タタラ」という。昔はモーターの代わりとして労働者たちが交代しながらこの「タタラ」を踏み続けた。この労働者の事を「番子」と言っていた。ここから転じて、交代で何かをする「かわりばんこ」という言葉が生まれたのだ。ちなみに、「勢いあまって、踏みとどまろうとしつつも数歩あゆむ」、という意味の「タタラを踏む」という言葉もここから生まれた言葉。

「堂々めぐり」 話し合いや議論がいつまでも同じようなところでぐるぐる回って少しも前に進まなという意味だが、この言葉は京都・清水寺が由来だといわれているそうだ。本堂裏の廊下の側面の木に、木目に沿って溝が掘られている。これは、昔お百度参りをした人々が、夜真っ暗で辺りが見えない為に、目印として本堂につけた傷だと言われている。お堂の周りをぐるぐる回るこの行為を、「堂々巡り」と言い、現在でいう所の「堂々巡り」の語源ともなった。

「別嬪」名古屋地方の方言から生まれたと言われている。ふつうの品とは違う特別、格別の品のことを「別品と言っていたことがもとになっている。それに高貴な女性を意味する「嬪」という漢字をあてて、とびきりの美人という意味で使われるようになった。嬪(ひん)は、天皇の后の名称のひとつで、明文化された「律令」では、「妃=皇女、夫人=大臣の娘、嬪=それ以下」という分類が定められていた。唐では、「妃」が夫人の称号として一般的に用いられて、細分として「夫人」と「嬪」を区別していたようだ。 ウナギ説もあって、これまた興味深いのだが、紙面が尽きた、またとしよう。

ホームグランド


コチトラのホームグランド、木場公園。ここへ来たのは何日ぶり、イヤ何ヶ月ぶりだったろうか。一日おきに透析をやるようになり、そのない日が自由時間となるのだが、初めての重い経験をすることになり、外出にやたらと用心深くなったこともある。だけど、最大の要因は猛暑であり花ひでりであった。あのクソ暑い日中に、正常な人でさえ、青息吐息だった毎日だったのに、出掛けられるはずがない。そんなこんなで、ついつい家に引き籠もっていたのだが。

漸く猛暑が収まり、秋らしい陽気になってくると、もう我慢できない。で、早速出向いたのが、懐かしの木場公園だった。ここなら、贅沢さえいわなければ、何らかの花が咲いている。幸運なことに猛暑続きのお陰で、花の開花日が10日ほど遅れているらしい。果たして、目に飛び込んできたのは、紅白のハギの群生、風に揺られるコスモス、木陰にひっそりと咲くマンジュシャゲ、目一杯太陽に向かって咲き誇る各種ヒマワリ、色とりどりの鮮やかなダリア、白く透き通ったジンジャー、清楚なシュウメイギク、穂並みをそろえて風になびくススキ。

久し振りにカメラのシャッターを押す。案の定、最初の数枚は手ぶれが目立っていた。おそらく面と向かって、花にレンズを向けたのは、4月末以来だろうから、やむを得ないね。段々コツを思い出したものの、やはりおっかなびっくりだったのは確かである。でも、嬉しかったなあ、やっと正常な気持ちで花と相対することができたんだから。

きょうは新しいカメラも試したかったんだが、やはり使い慣れたカメラを持って行ったね。少しガタが来てるけど、こっちの方が安心だからね。新しいカメラって、機能やら倍率やらレベルアップしているけれど、なまじ多機能が付加されているので使いこなせるようになるには、時間がかかる。

木場公園は材木集積地だった堀と、それを取り囲む材木問屋や関連企業を、根こそぎ、新木場へ移動させた跡地だけに広大な広さがある。整地して周囲に樹木を植えたわけだが、まだ森と呼べるほど、樹木が成長していない。だから、森のオゾンを胸一杯吸い込むなんて芸当は出来ない。だけど、コチトラにとっては、この地は初めからそうだったんで一向に気にならない。

とはいえ、アチコチに植えられた桜も依然として若木のまんまだし、人手不足から手入れが十分に行き届いていないようだ。圧巻だったアジサイも年々衰えてきて、見る影もなくなった。マロニエの大木も幹が伐採され、無残な姿をさらしている。

土曜日


土曜日の昼下がり、といっても4時前後となるけれど、透析が終わって、B級グルメを楽しんだら、ゆっくり歩いて家に帰る。窓を大きく開いて、まずは一服しながら、漠然と外を眺める。ボサーットしてなにも考えない、なにも思わない、まさに空白の時間である。この時間ほど快いものはない。ふと我に返り、ああ!今週も終わったんだなと述懐する。月日の経つのは早いもんだと実感するのもこの時である。はや10月も前半を通り越し、サラリーマン家族には嬉しい3連休となる。土日を含め休日は大嫌いだ。どこもかしこも人、人、人、最近の豊洲周辺もまさにそれだ。

週末になると、普段静かだった豊洲周辺は浮き足立ってくる。大勢の人がどこからかやってきて蝟集し、喧騒を極める。ベビーカーを押したり、幼児を連れている若い夫婦が多いのが、この地の特徴だから、騒音のデシベルはピークに達する。子供が秩序を乱したりしても決して叱らないのが、昨今の母親だから混乱はいや増すのである。この煩わしい喧騒から逃れたいため、週末や連休の日は絶対この地には立ち寄らない。以前は老人専用バスみたいだった都バスも、若夫婦と子供で一杯になる。例えば銀座に行くにしろ、浅草に行くにしろ、ゆっくりと座っていけたんだが、いまは下手すりゃ終点まで立ちっぱなしになる。これじゃあとても出掛ける気にもならないね。

土曜日は透析があるので、その後で空腹を満たさなければならないのだが、B級グルメ店は普段閑古鳥が鳴いているような店でさえ、行列が出来ている。行列の並ぶくらいならと、コンビニで食い物とお茶を買い求め、近くの人気の少ない公園のベンチで、物欲しそうに近寄ってくるハトやスズメをからかいながら、わびしい昼食を取る。家に持ち帰ればいいじゃないかっていわれればそれまでだが、空腹のまま歩くなんて芸当は出来ない。なぜなら病院を出るときすでに低血糖になっているからだ。

あの頃


いつの頃かクラシック音楽にのめり込み始めたのは、ドボルザークの「弦楽四重奏アメリカ」を聞いたときだった。室内楽の奥ゆかしさに触れ、病膏肓となり、ベートーベン全集を買い集めたり、バルトークやヤナーチェックまで手を伸ばしたりした。だが次第にこの閑かな雰囲気があき足らなくなり、華やかな交響曲へと好みが傾斜していった。というより学生時代への復帰を果たしたことになる。

あのころ、渋谷や新宿の名曲喫茶店「らんぶる」「田園」に入り浸り、名指揮者の演奏をそれこそ貪り聞いたものだった。その時代を代表する指揮者は、トスカニーニ、ワルター、フルトベングラー、ストコフスキー、ビーチャム、ヨッフムなどだったが、耳が慣れてくると、あっ!これはトスカニーニだ、ワルターだって指揮者の名前をズバリ当てることが出来た。むろん、それは一刻のこと、社会人になってしまうと、そうした神技はたちどころに消えていて、ただ漫然と聞き流すように成り下がっていた。

そんなある日、神の歌声を聞いたのである。当時まだそれほど有名になっていなかったザ・ビートルズの初期の名曲「ビコーズ」だった。まさに神の啓示を受けたようなショックでしばし身体が震えていたね。無伴奏アカペラ男性4部合唱、ベルカント唱法、その素晴らしいハーモニーと森厳さに打たれ、初めてビートルズって何者って興味を抱いたしまったのである。ザ・レターメンが歌ったビートルズ作曲の「ラブ」にも痺れたね。ビートルズの良さは平易な歌詞と見事なアンサンブルで、ロック調のものは興味なかったが、「イエスタデイ」「ミッシェル」「サムシング」「レットイットビー」「ロングワインディングロード」などリリックな曲には大いに魅了された。

当時ロック・ミュージック界で弾け始めて来た、「ローリングストーン」「ザフー」「レッドツェッペリン」「ポリス」「ピンクフロイド」などのグループには見向きもしないでビートルズ命を持ち続けたね。サイケ調の派手な格好をし、スチールギターをガンガン鳴らす、あの騒々しい音楽には見向きもしなかったのである。

その一方で、カラオケ全盛の黎明期だったので、自分の声に合う、これまた、ビートルズに啓発されたポップ・シンガーにも傾倒していくのである。いわく、小椋佳、井上陽水、桑田佳祐率いるサザン・オールスターズなどである。この節操のなさ、自分ながら見事なんだけど、頭ん中は交通整理されてないので、まさに神仏混淆、ごった煮状態という有様だったね。

◆座右の書


コチトラ、無神論者だから、バイブルなんて見たことも触ったこともない。ここでいうバイブルとは便宜上の言葉である。池波正太郎の「鬼平犯科帳」はもとより「剣客商売」「藤枝梅安」の各シリーズを、折に触れ読み返しているが、そのたんびに新鮮な感動を受ける、まことに奇異な小説群である。むろん、長谷川平蔵、秋山小兵衛、藤枝梅安の人間性と行動力、発想の鋭さにはドギモを抜かれる思いだ。しかし、このシリーズの最大の読みどころは、出場人物が部下であれ、盗賊であれ、良く書き込まれている点にある。

さて、ここまでは前説。イケショウの最大の魅力はなんといっても食にある。食べる情景が数多くあるが、そのたんび、舌なめづりしながら、ああ、オレも食いたいと思いながら、溜息を発するのである。これほど料理の旨さを活写できる作家は数少ないだろう。現在、コチトラのバイブルとなっているのは、イケショウの「食卓の情景」と「散歩の時になにか食べたくて」の2冊である。

この2冊、いってみればイケショウの外食日記である。美味しい食べ物に舌鼓をうつ姿は食べることの楽しさを教えてくれる。外食は東京周辺に限らず関西地方にもふれられて、食べ物行脚と地方旅行を兼ねているのもいい趣向だ。<わたしのような職業に就いている者は、一日中我が家という巣の中で働かねばならぬ。いわゆろ居職なのであるから、日々の食事は非常に大切なものとなる。美味しいものを美味しく食べるのが究極の願望である>「食卓の情景」の一説だが、年々美味しいものを食べたいという欲求にさいなまれている。別に高価なものを求めているのではない。

余生というものに思いをはせるとき、その短い瞬間を出来れば好きなことで過ごしたい。その好きなことが美味しものをハフハフ食べることであるのは言を俟たない。イケショウが訪れる店は高級店ばかりではなく、市井の名もない店も多い。ふらっと立ち寄り、雰囲気を味わいながら、美味しいものを食べる。店の善し悪しは店主または従業員の行き届いたサービスを見るだけで分かるという。70歳もかなり過ぎているのに、その種の感覚にまったく無頓着な自分が恥ずかしくなる。

長恨歌



早くも10月を迎えた。きょうも朝から肌寒い。秋本番なんだから、涼しくて当たり「前田のクラッカー」、寒いと感じるなんてまさに異常と言える。それっていうのも、7月から9月中旬まで猛暑、真夏日、熱帯夜と、連日に渡って続き、人間の脳と身体の細胞に暑さというものを、やになる程植え付けられたからこそ、本当は涼しいのに寒いと表現してしまうのだ。

「光陰矢の如し」「年月は百代の過客なり」「よしやうらぶれて、異土のかたいとなりとても」、古代より人生の終焉を吟じた名文句は数多くあるけれど、煎じ詰めれば、しょせん人間は死ぬために生まれてきたともいえる。寿命は「運命」か「天命」か「宿命」によって支配されているのだけど、それがいつとは神とても言い表せない神秘的な領域だろう。

まあ、難しいことはさておいて、透析を始めてから、我が人生は忙しく風に回る走馬燈のようなものだ。あっと気がつけばもう土曜日なんである。日曜日なんてまるで関係ない。とにかく1週間を3日で生きている感じである。だから日の経つのが驚くほど早い。つい先日だったような気がしていたその名前さえ忘却してしまったが、あの血管をつなぐ手術は調べてみると、4月27日に行われていた。

なんと74歳の誕生日だった。あれから、もう5ヶ月も経っているんだなあ。手術を実行した先生が小柄ながら美人だったのを覚えている。つぶらな瞳で瞬きなしに話しかけられ、それに対して、コチトラも毅然と相手の目をジッと見詰め応対した。彼女と会ったのはわずか3回ほどだったが、とてもいい感触だった。いまから考えれば、冷や汗ものだったが、よくあんなことができたなあ。

「禍福あざなえる如し」ということばがあるけど、人間の持つ真実と虚構をうまく表現する言葉だなあ。透析をやると決まったとき、なんで、こんな災厄が我が身に振り返ってきたのかって感歎したが、やると決まった以上、順応するのが一番だと思った。事実、そう思うと、いまやってることが全て素晴らしく、毎日を楽しむことが出来るって仕組みになる。心は持ちよう、なにごとも自分に良く考えるプラス志向が肝要なんだなあ。
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