関東と関西では「ばか」「あほ」といわれたときの気分が違うという。馴染んだ言葉は許せても、よその言葉には抵抗があるらしい。そんな東京人でも「人を小ばかにしやがって」と怒る。自慢の息子も「小理屈をこねる、小生意気な、小憎らしい、子せがれ」なんて陰口を叩かれたら最悪である。広辞苑によれば、「こ」には「いうに言われない、何となく」の意や「軽んじ侮る」意がある。前者にはこぎれい、こざっぱり、小気味よい、など誉め言葉があるが、後者となると小賢しいとか小童とか悪口ばかりだ。
「こずるい」にはみみっちい、せこい感じがある。輸入肉を国産品と偽って国に買い上げてもらおうとした雪印食品のケースは立派な犯罪だが、どこかの「こ」をつけたくなるやりきれなさも伴う。ボスの足を引っ張るべく、内輪のやりとりがぼろぼろと漏れた外務省。喧嘩両成敗で、この役所の「小役人」体質が改善されるだろうか。外務省に「小うるさく」介入した政治家は国会のポストを降りるという。だがNGO(非政府組織)を巡る圧力問題はうやむやで「小手先」の対応でもあった。(以上、朝日夕刊「窓」より)

それにしても、鈴木なにがしって代議士、小ざかしくて、小うるさくて、小ずるくて、小憎らしくて、こすからくて、小悪党面していて、小人閑居して不善を成すのことわざを地でいく、オールAの小物だが、こんなのが外務省に対すると大物に化けるってんだから驚き桃の木である。
この小物にわざわざ議員運営委員長という大役を申しつけ、見事に田中外務大臣と差し違えさせた、蔭の演出者はきっとほくそ笑んでいるに違いない。

鈴木なにがしは撒き餌にはうってつけの人物で、その撒き餌につられて大きな釣り針を迂闊にも飲み込んでしまった田中外相はまったく「ばか」を見たものである。
しょせん、お嬢さん育ちの田中外相と、海千山千の蔭の実力者とは修羅場を潜った数が違うから、まともに立ち向かったら、とてもじゃないが勝ち目なんてないんである。
さあ、次のターゲットは小泉首相、影の実力者は着々と準備をしているに違いない。

彼等にとっては明日の日本なんてどうでもいいのであって、目先の利権をどう有利に利用するか、そしてその利権を地元にどう還元していくかが最大の関心事で、そのためにどう政治を操っていくかが彼等の正義なのである。
NGO(非政府組織)の存在なんて、彼等の範疇には入っていないから、今回の騒動も起こるべくして起こったに過ぎないし、それを謀略の一環にまで取組んでしまうえげつなさには、まったく辟易させられてしまう。
熱しやすくて冷めやすい国民の支持を失って、有言不実行の小泉内閣もまなく浅瀬に乗り上げ、そして抵抗勢力の舵取り失敗で、もうすぐ日本丸は沈没してしまうのである。
おっとっと、小泉首相も「こ」の字だったな。