2月27日(ハクモクレン・塩浜運河)

我が家では二人とも「あれあれ、それそれ病」の重症患者で、いいたいこと、とりわけ固有名詞を中々思い出せない。「このテレビの女優、なんっていったっけ」「ああ、それっ?ええと不揃いの林檎に出ていた、あれあれよ」「そうか、それそれか」。結局この会話には樹木希林って名前は出てこないが、お互いはっきりと会話は通じているってわけだ。「そこにある、あれ取ってくれ」「あれじゃあ分かりません」「ほら、新聞の隣にある、それだよ」「ああ、それですか」。あれとそれだけで通じてしまう。ただ、こういう会話ばかりしていると、ほんとにボキャ貧になってしまうよなあ。

飯の支度ができると、にょうぼが大きい声で「ハーイ」と呼びかけ、「ハーイ」と答えれば「わかった」という合図となる。ふと思い立って立ち上がリ、目的の場所に立ち止まり、「あれ!なにしに来たんだっけ」なんちゅうことは、いまや日常茶飯事である。風呂に火をつければ、タイマーをセットし忘れ、セットすればしたで、タイマーを押し忘れ、はっと気がついた時には湯船から際限なく湯が溢れているとか、五右衛門が釜茹でされたときのように、湯がごうごうと音を立て煮立っているなんて場面にもよーく遭遇する。

安全装置がついているから大事には至らないけど、後始末が大変、煮立った湯は釜の中の汚れを撒き散らし、いくら水で薄めてもきれいにならないから捨てるしかない。捨てるにしても熱湯が沸き立っているから、風呂栓を抜くのも容易ではない。ゴム手袋ぐらいじゃ「屁のかっぱ」だから、タオルを数枚その上に重ね、やっとの思いで栓を抜く。もうもうたる湯気の中、パンツ一丁での苦闘はサウナに入ってる気分になる。

最初にやった時は安全装置が稼動し、水まわりとガスが全く出なくなってしまい、慌てふためいたが、にょうぼから冷たい一言、「しばらくすれば元に戻ります」っていうことは、奴さんも前にやってるからじゃあないか。何度も繰り返したから今じゃあ安心して、無駄に湯を溢れさせ、お湯を煮えたぎらせ、公共事業に少しでも貢献しているってわけだ。

町で見かけたきれいな花を写真に収め、花図鑑を調べ名前を覚えたはずが、あるいはノートに書き写した名前を、写真を転写する時にはきれいさっぱりと忘れていて、改めて見直すなんてことは、あったり前田のクラッカー、あとで、その写真を探す時には名前が分からず奮闘努力することになる。あげくには、天才じゃないかって錯覚しそうなほど花の名前をよく知っている友人に、しばしば間違いを指摘され、青菜に塩のていたらく、畏れ入谷の鬼子母神ときたもんだ。いやはや参ったね。