コデマリ4月24日(火)
(コデマリ・古石場)

年をとってきたせいもあるが、考え方がどうも復古調になっている。その代表的なものが、日本語の美しい表現に興味を引かれることだ。ふだん何気なく使っている言葉の一つ一つに、その言葉の意味が時に応じて微妙な変化をし、情緒ある余韻を残す。同じ現象を語るにしても、季節や時間、場面に応じて言葉遣いが微妙に変化する。

与謝蕪村の「春の海 ひねもすのたり のたりかな」の「ひねもす」は日がな一日、つまり一日中ということであり、夜もすがらは一晩中ということだ。小春は陰暦10月の異名で、まるで春のように暖かい晩秋から初冬特有の時期をいう。従って「小春日和」はこの時期特有の晴れて温暖な日のことだ。アメリカでは「インディアンサマー」、中国では「小陽春」という。

「昼下がりの情事」「黄昏」「かりそめの維納」「旅情」「哀愁」などの欧米名画の題名は、完全な意訳だったが、その映画の内容を美しい日本語を使って表現した。例えば、「昼下がりの情事」の原題は「ファッシネーション」、「黄昏」は「池の上」、「哀愁」は「ウオーターブリッジ」だった。邦画では、小津安二郎の「早春」「麦秋」「晩春」などのネーミングは抜群のセンスを感じる。ただ、この連作の棹尾を飾る映画の題名が「東京物語」、内容が優れていただけに、ちょっと飛車落ちの感じがしないでもなかった。

「宵闇迫れば」とくれば、フランク永井のリメーク版「君恋し」、「こんな小春日和の」は山口百恵の「秋桜」、「暮れなずむ町の」は武田鉄矢の「贈る言葉」。さとう宗幸の「青葉城恋唄」の題名は平凡だけど、内容はまるで言葉の宝石箱のようだった。<早瀬おどる、瀬音ゆかしき、葉ずれさやけき、木陰こぼれる灯火、薫る葉みどり、吹く風やさしき>。

においには古来より、「匂う」「薫る」「香しい」「臭い」と明確な格差があった。匂はいい匂い、薫は男女が衣服などに焚きこんだ人工的ないい香り、香は主として仏を尊ぶための香り、臭は嫌な臭いである。小椋佳作曲の「シクラメンのかほり」は布施明がしっとりと歌って、大ヒット曲になった。だが、この「かほり」は香りではなく、「薫り」をイメージしている。厳密にいえば、これって、作曲者の大いなる思い込み、勘違いといえるかもしれないね。