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ラファエル前派(1) 近代芸術に大きな影響を与えた19世紀イギリスの反アカデミズム集団「ラファエル前派」とは



 
今回はウィリアム・モリスの親友であり、モリス、ロセッティとともにモリス商会の前身であるモリス=マーシャル=フォークナー商会の設立に参加したイギリスの画家エドワード・バーン=ジョーンズ(Edward Coley Burne-Jones 1833-1898)です。

 エドワード・バーン=ジョーンズは絵画だけでなくタイル、タペストリー、ジュエリー、書籍、舞台衣装など多彩な領域で才能を発揮しました。
バーン=ジョーンズ1
 もともと神学の道に進もうと思っていたバーン=ジョーンズですが、美術評論家のジョン・ラスキンや詩人のテニソンに傾倒し、また、ラファエル前派に憧れて芸術家を志すことになりました。

 下はバーン=ジョーンズ(左)とウィリアム・モリス(右)です。
バーン=ジョーンズ2


 
エドワード・バーン=ジョーンズ(Edward Coley Burne-Jones 1833-1898)は、1833年、額縁職人のエドワード・リチャード=ジョーンズとエリザベス・コリー・ジョーンズの息子としてイギリス、バーミンガムのベネッツ・ヒルで生まれました。

 バーン=ジョーンズが生まれて、数日後に母親は他界してしまい、バーン=ジョーンズは悲嘆にくれた父親と、優しいけれどもユーモアのセンスと教養に欠けた田舎娘の家政婦アン・シンプソンに育てられました。


 1844年、11歳となったバーン=ジョーンズは、バーミンガムのキング・エドワード6世グラマースクールに入学します。さらに、1848年から4年間、バーミンガム美術学校に在籍しています。

 1853年、オックスフォード大学のエクセター・カレッジに入学します。
 当時のオックスフォード大学にはバーミンガム出身の学生で組織された「バーミンガム・セット」と呼ばれる結社がありました。

 バーミンガム出身のバーン=ジョーンズもバーミンガム・セットのメンバーとなり、そこでウィリアム・モリスと意気投合します。二人は親友となり、友情は生涯続きました。

 
ウィリアム・モリス モリス商会を設立したモダンデザインの父、ウィリアム・モリスの生涯と作品


 1850年前後のイギリスの流行は中世のリバイバリズムです。産業革命も最終局面に入ると、その反動として、より人間味のある(と当時の人たちが思っていた)過去への郷愁が中世への憧れとなって現れました。

 その精神的支柱となったのが評論家のジョン・ラスキンであり、彼の思想に共感した王立アカデミーの学生3名(
ミレイ、ハント、ロセッティ)が1848年に「前ラファエロ兄弟団(ラファエル前派)Pre-Raphaelite Brotherhood」を結成しました。

 
ラファエル前派(1) 近代芸術に大きな影響を与えた19世紀イギリスの反アカデミズム集団「ラファエル前派」とは

 ジョン・エヴァレット・ミレイ(1) ラファエル前派の創設者であり、当時最も人気のあったミレイの生涯と作品

 ジョン・エヴァレット・ミレイ(2) ラファエル前派の創設者であり、当時最も人気のあったミレイの生涯と作品

 ウィリアム・ホルマン・ハント ラファエル前派の思想的支柱であり、生涯そのスタイルを貫いたハントの生涯と作品


 しかし、ラファエロ前派は当時の評論家達やマスコミから総攻撃を受け、その後の女性関係の混乱やメンバーのスタイルの違いも手伝って数年でフェードアウトしてしまいます。

 オックスフォード大学のモリスとバーン=ジョーンズを含むバーミンガム・セットのメンバーは、ジョン・ラスキンとラファエル前派に傾倒していました。

 バーン=ジョーンズとモリスは、中世に憧れるあまり、ナザレ派のように修道院で生活したいと思うようになり、神学を勉強するようになりました。

 
ナザレ派 19世紀初頭ドイツの反アカデミズム「聖ルカ兄弟団」と「ナザレ派」

 
1855年、父親の遺産を相続したモリスとバーン=ジョーンズはフランスを旅行し、建築物を見て歩くうちに聖職者ではなく芸術家になる決意を固めました。


 1856年、モリスはバーミンガム・セットの機関誌として「Oxford and Cambridge Magazine」を発行し、ラファエル前派のメンバーであるダンテ・ガブリエル・ロセッティに面識がないにも関わらず原稿を依頼し、知己を得るようになりました。

 この年、モリスは
バーン=ジョーンズとロンドンのブルームスベリーに引っ越し、同居するようになります。

 ダンテ・ガブリエル・ロセッティ(1) ロセッティを巡る4人の女性 象徴主義の前駆ロセッティの生涯と作品

 
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ(2) ロセッティを巡る4人の女性 象徴主義の前駆ロセッティの生涯と作品

 
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ(3) ロセッティを巡る4人の女性 象徴主義の前駆ロセッティの生涯と作品


 ロンドンに拠点を移したモリスはラファエル前派に傾倒し、絵画を買い漁りました(モリスはすごくお金持ちなのです)。
 バーン=ジョーンズもラファエル前派に傾倒していましたが、なかでも特にロセッティに執心し、結局、学位を取ることなくオックスフォード大学を卒業し、ロセッティの弟子となりました。


 この年、バーン=ジョーンズは、
マクドナルド姉妹の次女ジョージアナ・マクドナルド(下)と婚約しています。彼女は画家志望でバーン=ジョーンズの妹と学友でした。
1887Georgiana Burne Jones
 1857年、バーン=ジョーンズは、ロセッティとモリスとともにオックスフォード・ユニオン
(オックスフォード大学の学生会)の壁面フレスコ画「アーサー王の死」を制作しました。

 この年、劇場でジェーン・バーデンを見かけたモリスは、バーデンに一目惚れしてしまい、フレスコ画のモデルになってくれるようお願いしました。二人は翌年に婚約し、1859年に結婚します。

 
 1859年、バーン=ジョーンズはイタリアを訪れ、マンティーニャ、ボッティチェリ、ミケランジェロなどの巨匠の影響を受けました。バーン=ジョーンズは1874年までに計4回イタリアを訪れています。


 1860年、バーン=ジョーンズはジョージアナ・マクドナルドと結婚しました。この年、ロセッティと彼のモデルであるエリザベス・シダルも結婚しています。
 しかし、バーン=ジョーンズ、ロセッティ、モリスの3人の結婚生活は波乱続きでした。

 バーンジョーンズは
ギリシア人モデルのマリア・ザンバコ(Maria Zambacco)(下1枚目)と不倫関係になり、彼女がリージェント運がに飛び込むという騒動を起こしています。

 下はマリア・ザンバコです。ロセッティのジェーンをモデルにした作品「プロセルピナ」にそっくりです(下2枚目)。
1870Maria Zambaco
 Proserpine (1874)
 一方、ロセッティは、モリスの妻ジェーンと不倫関係に陥り、妻に捨てられたモリスと夫に不倫されたバーン=ジョーンズの妻ジョージアナが急速に接近しました。

 さらに、1862年には夫の不貞と子供の死産に絶望したロセッティの妻エリザベス・シダルが自殺してしまいます。


 1861年、バーン=ジョーンズと妻のジョージアナの間に最初の息子であるフィリップが誕生しました。
フィリップ・バーン=ジョーンズも長じて画家となります。

 同年、
27歳のモリスが「モリス・マーシャル・フォークナー商会」を設立しました。
 設立には
バーン=ジョーンズ、建築家のウェッブロセッティ、フォード・マッドクス・ブラウン、チャールズ・フォークナー、ピーター・ポール・マーシャルが参加しています。


 18世紀後半から19世紀までにイギリスで起きた産業革命は、様々な品物を大量生産に生産することを可能にしました。大量に生産すれば「規模の経済」が働きます。その結果、消費者は必要な品物を安く手にいれることができるようになりました。しかし、一方で大量生産された商品は画一的であり、粗悪品も多く混ざっていました。

 また、資本主義では投資分を回収するために効率を重視するようになり、生産者は機械化された工場で細分化された繰り返しの作業を強要されるようになりました。

 細分化された繰り返しの作業は、生産者から、すべての作業を通して自分の手で製品を作り出す喜びを奪ってしまいました。さらに、単純な繰り返し作業の連続によって、熟練の技や手仕事の美しさが失われて行きました。

 このような「労働の細分化」を評論家のジョン・ラスキン「人間性の細分化である」と言っています。

 
モリス・マーシャル・フォークナー商会は、壁紙やステンドグラス、家具の制作など極めて多岐にわたる仕事をデザインから製作まで一貫して請け負い、生産者の尊厳を回復させ、中世のクラフトマンシップを復活させました。

 バーン=ジョーンズは、モリス・マーシャル・フォークナー商会でステンドグラスの伝統の復活に情熱を注ぎました。
1863Wedding of Sir Tristram
1860Annunciation
1869Three Trumpeting Angels
1882David's Charge to Solomon
 1862年、バーン=ジョーンズと妻のジョージアナはラスキンと連れ立ってイタリアを訪れています。1859年とこの年のイタリア訪問でバーン=ジョーンズはロセッティのスタイルから脱皮し、自分自身のスタイルを確立するようになります。

 1863年「The Merciful Knight」で古水彩画協会(Old Water Colour Society)のメンバーになりました。
1863The Merciful Knight
 1864年、ジョージアナは猩紅熱の最中に第2子を産みます。しかし、子供は生まれてすぐに死んでしまいました。

 1866年には、娘のマーガレット(下)が生まれています。母親そっくりですね。
Margaret Burne Jones
 1867年、バーン=ジョーンズ一家はロンドンのフルハムのノース・エンド・ロードに邸宅を構えました。

 下はバーン=ジョーンズ一家です。ピアノを弾いているのが妻のジョージアナ、左の女の子がマーガレット、男の子がフィリップです。
Portrait Group Of The Artists Family
 1870年はバーン=ジョーンズにとって最悪の年でした。

 彼の作品「Phyllis and Demophoon」(下)の男性ヌードがスキャンダルとなり、
古水彩画協会(Old Water Colour Society)辞任へと追い込まれてしまいます。
 さらに、マリア・ザンバコが自殺未遂を引き起こし、マスコミでも叩かれたため公的な展覧会に作品を出品することを控えるようになり、この後7年間隠遁生活を送ります。
1870Phyllis and Demophon
 バーン=ジョーンズは1882年にも同じ主題で作品を描いています。
1882Phyllis and Demophoon
 嫌なことばかりが続いたため気分転換が必要だと思ったバーン=ジョーンズは1871年と1873年にまたイタリアを訪れています。


 1877年、7年間の沈黙を破り、グロウブナー・ギャラリーのこけら落としに「Days of Creation」「Mirror of Vinus」「Laus Veneris」「The Chant d'Amror」「Pan and Psyche」「Beguiling of Merlin」など8点の作品を出品しました

 (下の作品はタイトルの順番通りです。1枚目のDays of Creationの真ん中の球体は私たちの世界が7日間で出来ていく過程を表しています)。
days of creation
1874The Mirror of Venus
1868Laus Veneris
The Chant d'Amror
1874Psyche and Pan
1874The Beguiling of Merlin
 これらの作品が大人気となり、バーン=ジョーンズは
耽美主義の第一人者と目されるようになります。この年から毎年のように作品を発表するようになります。

 1879年、「Annunciation」「Pygmalion」シリーズを出品しました。

 Pigmalion(ピグマリオン)はギリシャ神話に出てくるキプロス島の王様です。彼は現実の女性に失望し、理想の女性ガラテアを象牙の彫刻で作りますが、自分の作った彫刻に恋をしてしまいます。
 そんなピグマリオンを哀れに思ったアフロディーテはガラテアに命を吹き込み、二人は結ばれました。

 下1枚目は
「Annunciation」、2枚目以降が「Pygmalion」シリーズです。Pygmalionシリーズは2つあり、1シリーズが4枚の作品から構成されています。
Annunciation
1870The Pygmalion Series
Pigmalion1
1870The Godhead Fires, Pygmalion
1878Pygmalion
pygmalion2-2
pygmalion2-3
Pigmalion2-4
 1880年、サセックスのブライトン郊外近郊にロッティングディーンのプロスペクト・ハウスを別荘として購入しました。
 
 この年は「Golden Staires 」(下)を出品しています。
The Golden Stairs
 1881年オックスフォード大学から名誉学位を授与されました。

 1883年、「Wheel of Fortune」(下1枚目)を出品しています。

 1884年、「King Cophetua and the Beggar Maid」(下2枚目)を出品しました。

 1885年、ロイヤル・アカデミーの会員に選ばれています。この年は「Depth of the Sea」(下3枚目)を出品しています。
 バーン=ジョーンズはアカデミーの会員に選出されたにも関わらず、アカデミー展には1回しか出品せず、1893年にはアカデミーから脱会しています。

 同年、バーミンガム芸術家協会会長にも任命されました。
1883The Wheel of Fortune
1884King Cophetua and the Beggar Maid
The Depths Of The Sea
 1887年、「Perseus」シリーズ(下)を制作しました。
1885The Arming of Perseus
1888The Rock of Doom
1885The Doom Fulfilled
1887The Baleful Head
1898The Calling of Perseus
1888The Escape of Perseus
Perseus And The Graiae
The Perseus Series2
 Perseus(ペルセウス)はギリシャ神話の登場人物です。

 アルゴス王のアクリシオスは、娘ダナエの子供(つまり孫)によって殺されるという予言を受けたため、ダナエが妊娠しないようにブロンズの塔に幽閉してしまいます。

 しかし、ゼウスは黄金の雨に姿を変えて塔に侵入し(塔は雨漏りしていたということ?)、ダナエはゼウスの子供ペルセウスを生みました。

 ダナエとその息子を脅威だと思ったアクリシオスは二人を海に流してしまいます。しかし、流された二人はセリーポス島の漁師に助けられました。

 セリーポス島の領主は、ダナエに恋をし、成長したペルセウスを遠ざけるためにメデゥーサの首を持ち帰るように命じました。

 ペルセウスは神々の助力を得て、首尾よくメデューサを討ち取りました。さらに、ペルセウスは、ポセイドンの怒りを買って海の怪物の生贄にされたエチオピアの王女アンドロメダを救出しました。

 その後、ペルセウスはアンドロメダと結婚しアルゴスに戻ります。アクリシオスは、ペルセウスを恐れ、逃亡したため、ペルセウスはアルゴス王となりました。

 ある日、競技会に出場したペルセウスが円盤を投げると、老人の頭に当たって死んでしまいました。その老人こそ前アルゴス王でペルセウスの祖父であるアクリシオスだったのです。死後、ペルセウスはペルセウス座になりました。



 1888年、「Danae and The Brazen Tower」(下)を制作しました。Danae(ダナエ)も複数作品あります。

 この作品のモチーフは、ペルセウスの物語のなかでブロンズの塔に閉じ込められたダナエです。ゼウスは金の雨となってダナエのもとへ忍び込み、ダナエはペルセウスを身ごもります。
1888Danae and the Brazen Tower
Danae And The Brazen Tower
 1889年、パリ国際万国博覧会に作品を出品し、高く評価されレジオンドヌールを受勲しています。

 1890年、「The Legend of Briar Rose」(下)を制作しました。こちらはいわゆる眠り姫です。全員魔法により眠らされています。最後の絵がお姫様ですね。
1890The Briar Wood
1890The Council Chamber
1890The Garden Court
1890The Sleaping Beauty
 1891年、「The Star of Bethlehem」(下)を出品しています。
The Star Of Bethlehem
 1894年、爵位を授かりました。

 1896年、親友のモリスが亡くなってしまいます。大変なショックを受けたバーン=ジョーンズも健康を害し、1898年に心疾患のため亡くなりました。65歳でした。

 ちなみに、バーン=ジョーンズの息子フィリップ・バーン=ジョーンズも画家になっています。



・エドワード・バーン=ジョーンズの続きはこちら

 エドワード・バーン=ジョーンズ(2) モリス商会のメンバーで耽美主義の先駆的画家バーン=ジョーンズの生涯と作品


・ラファエル前派とウィリアム・モリスはこちら

 
ラファエル前派(1) 近代芸術に大きな影響を与えた19世紀イギリスの反アカデミズム集団「ラファエル前派」とは

 
ジョン・エヴァレット・ミレイ(1) ラファエル前派の創設者であり、当時最も人気のあったミレイの生涯と作品

 ジョン・エヴァレット・ミレイ(2) ラファエル前派の創設者であり、当時最も人気のあったミレイの生涯と作品

 
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ(1) ロセッティを巡る4人の女性 象徴主義の前駆ロセッティの生涯と作品

 
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ(2) ロセッティを巡る4人の女性 象徴主義の前駆ロセッティの生涯と作品

 
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ(3) ロセッティを巡る4人の女性 象徴主義の前駆ロセッティの生涯と作品

 ウィリアム・ホルマン・ハント ラファエル前派の思想的支柱であり、生涯そのスタイルを貫いたハントの生涯と作品

 
ウィリアム・モリス モリス商会を設立したモダンデザインの父、ウィリアム・モリスの生涯と作品


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