今日はアンリ・マティスの2日目です。
アンリ・マティスは1869年生まれです。1905年、36歳のとき、サロン・ドートンヌで「フォービズム」の旗手として注目を集めますが、 1917年、48歳のときにニースに引っ越し、その後は「肘掛け椅子のような心地よい絵」を描くことを目指しました。さらに、1941年、70歳で癌を患い、車椅子生活になってからは、「切り絵」が主な表現手段となりました。
アンリ・マティスの作品は、一般にフォービズム時代のものが高い評価を受けています。もちろん、フォービズム時代の作品も良いですが、それ以降にも良い作品がたくさんあります。後年は次第にフォルムが単純化されて行き、親しみやすい作品が多くなります。
たとえば、次の絵など、晩年の作品ですが、親しみやすくないですか?
ヌードだって、最初は、こんなですけど、
1909年の「ダンス」ではかなり単純化され、
晩年は、こんなです。
さらに、切り絵になっちゃえばこんなもんです。
ちなみに、「ダンス」はホドラーの「パラレリズム」の影響があるかもしれません(もちろん、無い可能性もあります。本人に聞かなきゃわかりません)。次の絵はホドラーの作品です。
「パラレリズム」とは、同じようなスタイルの姿を複数ならべて、画面にリズム感を持たせるホドラー独特の手法です。詳細はこちら。パラレリズムとフェルディナント・ホドラー ー象徴主義14ー
また、結構へんな絵も描いています。次の絵なんか普段なかなかお目にかかれないですよね。車窓から見た風景です。かなりクラシカルな車ですね。
では、その他の絵と切り絵です。
アンリ・マティスの1回目へ フォービズムの旗手。アンリ・マティス ー20世紀初頭の美術2ー
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アンリ・マティスは1869年生まれです。1905年、36歳のとき、サロン・ドートンヌで「フォービズム」の旗手として注目を集めますが、 1917年、48歳のときにニースに引っ越し、その後は「肘掛け椅子のような心地よい絵」を描くことを目指しました。さらに、1941年、70歳で癌を患い、車椅子生活になってからは、「切り絵」が主な表現手段となりました。
アンリ・マティスの作品は、一般にフォービズム時代のものが高い評価を受けています。もちろん、フォービズム時代の作品も良いですが、それ以降にも良い作品がたくさんあります。後年は次第にフォルムが単純化されて行き、親しみやすい作品が多くなります。
たとえば、次の絵など、晩年の作品ですが、親しみやすくないですか?
ヌードだって、最初は、こんなですけど、
1909年の「ダンス」ではかなり単純化され、
晩年は、こんなです。
さらに、切り絵になっちゃえばこんなもんです。
ちなみに、「ダンス」はホドラーの「パラレリズム」の影響があるかもしれません(もちろん、無い可能性もあります。本人に聞かなきゃわかりません)。次の絵はホドラーの作品です。
「パラレリズム」とは、同じようなスタイルの姿を複数ならべて、画面にリズム感を持たせるホドラー独特の手法です。詳細はこちら。パラレリズムとフェルディナント・ホドラー ー象徴主義14ー
また、結構へんな絵も描いています。次の絵なんか普段なかなかお目にかかれないですよね。車窓から見た風景です。かなりクラシカルな車ですね。
では、その他の絵と切り絵です。
アンリ・マティスの1回目へ フォービズムの旗手。アンリ・マティス ー20世紀初頭の美術2ー
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