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ダダ(ダダイズム)とは、第一次世界大戦中(1910年代)にヨーロッパやアメリカの都市で起きた芸術運動です。その中身は従来の芸術運動と同じく、それまでの活動の否定にあります。
ただし、ダダの場合特徴的なのは、芸術よりもっと大きな「人間の理性」を否定していることです。
欧米人は私たち日本人と違い、理性を手で触れられるほど具体的なものとして信じてきました。なんと言っても動物と人間の差は理性の有無にあるのです。
しかしながら、戦争による破壊と殺人は「人間に理性なんてあるのか?」「そもそも、理性ってなんだ?」という疑問を人々に抱かせるようになりました。ダダイスト(ダダの信奉者)は、この理性を根本から否定します。
理性を否定するというのは私たち日本人から見るとたいしたことではないように見えます。
しかし、ルネサンス以降、神にかわって理性に頼ってきた欧米人には一大事です。なんといっても西欧文明は理性の上に形作られているのですから、理性の否定は芸術はおろか、全文明の否定になります。
ダダの理性の否定は、すなわち作為の否定であり、意識の否定でもあります。意識的に作ったものなんかぜんぶクズです。それまでのすべての芸術は意識的に作られているのですぐにゴミ箱に捨てなくちゃいけません。
とは言っても、なにも作れなくなったら芸術家としては困ってしまいます。そこで考えたのが意味の無い 芸術です。
もちろん意識的に作ったのでは意味があるものになってしまいます。作為をなくそうとすれば偶然性に頼る必要が出て来ます。
そこで、ダダイストたちは、文章を細かく切り取り、ランダムに並べて無意味な詩を作ったり、色紙を切り、ランダムに配置して無意味な絵を作成したりとコラージュを使って無意味な努力を重ねました。
無意味な作品を作ろうとする無意味な努力はそう長くは続けられません。最初の目新しさが無くなればあっという間にあきられてしまいます。事実ダダも数年で廃れてしまいました。
しかしながら、偶然性や無作為の中に美を見出そうとするダダの姿勢自体はさほど無意味ではありません。
例えば、ニューヨーク・ダダのマルセル・デュシャンの作品「泉」は小便器の横にしてR. Mattとサインしただけのものです。便器は用を足すものであり、作為的に美を追求しているものではありません。
しかしながら、その形に美しさを感じるとき、それは無作為の美と言うことが出来ます。デュシャンは、この作品を通して既製品のなかの美とそれを感じる鑑賞者の意識に焦点を当てました。デュシャンはこのように既製品を使った作品を「レディメイド」と呼びました。
ダダの思想はその後の芸術に一石を(それも結構大きな石を)投じることになりました。
ただ、私に言わせていただければ、人間は昔から自然の織りなす偶然性や無作為性の中に美を見出して来たわけですから、あらためて言うほどのことではないと思いますが。
ダダは理性を否定し、作為を否定しました。意識的に作品を作ってはいけないのです。そこで偶然性に頼ることになりました。しかしながら、いつまでも偶然に頼っているわけにもいきません。
幸いなことに、1900年初頭、分析心理学者のジークムント・フロイト(下1枚目)とカール・グスタフ・ユング(下2枚目)が「無意識」の研究を始めていました。
意識の下には広大な無意識領域が存在するかもしれなのです。しかも、ユングの「集合的無意識」論に従えば、個々人の無意識はお互いにつながっているのです。
当然のことながらダダイストの一部のメンバーは無意識に目を付けます。意識的に作品を作るのがだめなら、無意識下で作ればいいのです。しかも、集合的無意識が正しければ、無意識の美は人類にとって普遍的な美かもしれないのです。
ダダイストは、意識の底に眠っている美を無意識の状態で、まるで石油や天然ガスを汲むがごとく掘り起こそうと試みました。このための手法の一つが自動筆記です。
自動筆記では、酩酊状態や朦朧とした状態でものを書きます。ときには寝言を書き取らせるというようなことも行いました。この考えと手法はアンドレ・ブルトンによってシュールレアリスムへと受け継がれて行きました。
シュールレアリスムの系譜(1) シュールレアリスムの歴史と手法 ダダからシュールレアリスムへ
シュールレアリスムの系譜(2) シュールレアリスムの主要画家リストと詳細記事へのリンク・リスト
「ダダ」という言葉を最初に使ったのは、詩人トリスタン・ツァラだと言われています。
ツァラは、1916年頃からスイス・チューリッヒのキャバレー・ヴォルテールを根城とし、戦渦を逃れてチューリヒにやって来ていた芸術家たちと日々無意味な劇を上演したり、無意味な詩を朗読するといった無意味な活動を行っていました。
チューリッヒの芸術家たちは、戦争が悪いと思っていたのはもちろんですが、同時に自分が祖国を捨てて逃れて来たことに罪悪感も感じていたのでしょう。すべてを無意味とすることには彼らの現実逃避もあったのではないかと思います。
下1枚目はツァラ、2枚目がブルトン、3枚目が現在のキャバレー・ヴォルテールです。
1918年になるとツァラは「ダダ宣言」を発表します。通説では「ダダ」という言葉は辞書から適当に選んだ意味の無い言葉です。
ちなみに、ウルトラマンにでてくる怪人ダダのネーミングもここから来ています。撮影当時のウルトラ警備隊の基地には東レの研究所が使われていました。
西洋では古来から芸術運動は詩人が煽動してきました。たとえば、ギョーム・アポリネールの立体派やフィリッポ・マリネッティの未来派などです。詩人は小説家より直感的であり、かつ、画家より知能が優れているからでしょう。
当時は科学技術や戦争、国粋主義を賛美する未来派が主流でした。ツァラのダダ宣言はマリネッティに対する宣戦布告であり、自分が有名になるチャンスでもありました。
事実、ツァラは短じかい間でしたがアポリネールと並び称されるくらいの人気を誇りました。しかし、1919年になるとダダも行き詰まり、人気にも陰りが見えて来ました。
そこで、ツァラはアンドレ・ブルトンの招聘に応じ、チューリヒからパリへ移りました。最初の間はうまく行っていたツァラとブルトンですが、次第に意見が食い違うようになり(すべてのことは無意味なのに意見が食い違うなんて変ですね)1922年に決別、ダダも終焉を迎えます。
この後、ブルトンはジョルジュ・デ・キリコの「形而上絵画」(下)の影響を受け、1924年に「シュールリアリスム宣言」を発表、後にブルトンとツァラは和解し、ツァラもシュールリアリスムに加わります。シュールリアリスムはこのあと1945年まで続きました。
シュールレアリスムの系譜(1) シュールレアリスムの歴史と手法 ダダからシュールレアリスムへ
シュールレアリスムの系譜(2) シュールレアリスムの主要画家リストと詳細記事へのリンク・リスト
3分でわかるジョルジュ・デ・キリコ 形而上絵画とは? シュールレアリスムの先駆者キリコの人生と作品
3分でわかるジョルジュ・デ・キリコ(2) ニーチェとキリコ キリコの人生と作品
ダダはチューリッヒとほぼ同時期にニューヨークやドイツのベルリン、ケルン、ハノーファーなどで起こりました。ダダに参加したことのある画家とアーティストは以下の通りです。
タイトルをクリックするとその画家のページに飛びます。
ジャン(ハンス)アルプ ダダから具体美術へ
ハンス・リヒター ダダ映画とは?前衛映画の草分けリヒターの絵画と映像
マルセル・デュシャン コンセプチュアル・アートの父、デュシャン
フランシス・ピカビア NY・ダダの創設者ピカビアの生涯と作品
レイヨグラフとソラリゼーション NY・ダダの創始者マン・レイの写真と絵画
リー・ミラーとマン・レイ Vougeのトップモデルにして戦場写真家リー・ミラー
アルフレッド・スティーグリッツ 写真を芸術にした男、スティーグリッツの作品と生涯
ラウル・ハウスマン ベルリン・ダダの立役者ハウスマンの作品と生涯
ジョージ・グロス 新即物主義とは? 怒りの風刺画家グロスの作品と生涯
ジョン・ハートフィールド アートでナチスに闘いを挑んだ男、ハートフィールドの生涯と作品
マックス・エルンスト ダダとシュールリアリスムを結びつける画家エルンストの作品と生涯
マックス・エルンスト(2) コラージュ、フロッタージュなどを開発し、幻視を表現したエルンストの生涯と作品
マックス・エルンスト(3) 抽象表現主義の先駆け、エルンストの作品集
では、ダダイストたちの作品をどうぞ。詳細はリンクから各記事へ。
● チューリッヒ・ダダ
ハンス(ジャン)・アルプ(下)
ジャン(ハンス)アルプ ダダから具体美術へ
ハンス・リヒター(下)
ハンス・リヒター ダダ映画とは?前衛映画の草分けリヒターの絵画と映像
● ニューヨーク・ダダ
マルセル・デュシャン(下)
マルセル・デュシャン コンセプチュアル・アートの父、デュシャン
フランシス・ピカビア(下)
フランシス・ピカビア NY・ダダの創設者ピカビアの生涯と作品
マン・レイ(下)
レイヨグラフとソラリゼーション NY・ダダの創始者マン・レイの写真と絵画
リー・ミラーとマン・レイ Vougeのトップモデルにして戦場写真家リー・ミラー
アルフレッド・スティーグリッツ(下)
アルフレッド・スティーグリッツ 写真を芸術にした男、スティーグリッツの作品と生涯
● ベルリン・ダダ
ラウル・ハウスマン(下)
ラウル・ハウスマン ベルリン・ダダの立役者ハウスマンの作品と生涯
ジョージ・グロス(下)
ジョージ・グロス 新即物主義とは? 怒りの風刺画家グロスの作品と生涯
ジョン・ハートフィールド(下)
ジョン・ハートフィールド アートでナチスに闘いを挑んだ男、ハートフィールドの生涯と作品
● ケルン・ダダ
マックス・エルンスト(下)
マックス・エルンスト ダダとシュールリアリスムを結びつける画家エルンストの作品と生涯
マックス・エルンスト(2) コラージュ、フロッタージュなどを開発し、幻視を表現したエルンストの生涯と作品
マックス・エルンスト(3) 抽象表現主義の先駆け、エルンストの作品集
● ハノーヴァー・ダダ
クルト・シュヴィッタース(下)
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ダダ(ダダイズム)とは、第一次世界大戦中(1910年代)にヨーロッパやアメリカの都市で起きた芸術運動です。その中身は従来の芸術運動と同じく、それまでの活動の否定にあります。
ただし、ダダの場合特徴的なのは、芸術よりもっと大きな「人間の理性」を否定していることです。
欧米人は私たち日本人と違い、理性を手で触れられるほど具体的なものとして信じてきました。なんと言っても動物と人間の差は理性の有無にあるのです。
しかしながら、戦争による破壊と殺人は「人間に理性なんてあるのか?」「そもそも、理性ってなんだ?」という疑問を人々に抱かせるようになりました。ダダイスト(ダダの信奉者)は、この理性を根本から否定します。
理性を否定するというのは私たち日本人から見るとたいしたことではないように見えます。
しかし、ルネサンス以降、神にかわって理性に頼ってきた欧米人には一大事です。なんといっても西欧文明は理性の上に形作られているのですから、理性の否定は芸術はおろか、全文明の否定になります。
ダダの理性の否定は、すなわち作為の否定であり、意識の否定でもあります。意識的に作ったものなんかぜんぶクズです。それまでのすべての芸術は意識的に作られているのですぐにゴミ箱に捨てなくちゃいけません。
とは言っても、なにも作れなくなったら芸術家としては困ってしまいます。そこで考えたのが意味の無い 芸術です。
もちろん意識的に作ったのでは意味があるものになってしまいます。作為をなくそうとすれば偶然性に頼る必要が出て来ます。
そこで、ダダイストたちは、文章を細かく切り取り、ランダムに並べて無意味な詩を作ったり、色紙を切り、ランダムに配置して無意味な絵を作成したりとコラージュを使って無意味な努力を重ねました。
無意味な作品を作ろうとする無意味な努力はそう長くは続けられません。最初の目新しさが無くなればあっという間にあきられてしまいます。事実ダダも数年で廃れてしまいました。
しかしながら、偶然性や無作為の中に美を見出そうとするダダの姿勢自体はさほど無意味ではありません。
例えば、ニューヨーク・ダダのマルセル・デュシャンの作品「泉」は小便器の横にしてR. Mattとサインしただけのものです。便器は用を足すものであり、作為的に美を追求しているものではありません。
しかしながら、その形に美しさを感じるとき、それは無作為の美と言うことが出来ます。デュシャンは、この作品を通して既製品のなかの美とそれを感じる鑑賞者の意識に焦点を当てました。デュシャンはこのように既製品を使った作品を「レディメイド」と呼びました。
ダダの思想はその後の芸術に一石を(それも結構大きな石を)投じることになりました。
ただ、私に言わせていただければ、人間は昔から自然の織りなす偶然性や無作為性の中に美を見出して来たわけですから、あらためて言うほどのことではないと思いますが。
ダダは理性を否定し、作為を否定しました。意識的に作品を作ってはいけないのです。そこで偶然性に頼ることになりました。しかしながら、いつまでも偶然に頼っているわけにもいきません。
幸いなことに、1900年初頭、分析心理学者のジークムント・フロイト(下1枚目)とカール・グスタフ・ユング(下2枚目)が「無意識」の研究を始めていました。
意識の下には広大な無意識領域が存在するかもしれなのです。しかも、ユングの「集合的無意識」論に従えば、個々人の無意識はお互いにつながっているのです。
当然のことながらダダイストの一部のメンバーは無意識に目を付けます。意識的に作品を作るのがだめなら、無意識下で作ればいいのです。しかも、集合的無意識が正しければ、無意識の美は人類にとって普遍的な美かもしれないのです。
ダダイストは、意識の底に眠っている美を無意識の状態で、まるで石油や天然ガスを汲むがごとく掘り起こそうと試みました。このための手法の一つが自動筆記です。
自動筆記では、酩酊状態や朦朧とした状態でものを書きます。ときには寝言を書き取らせるというようなことも行いました。この考えと手法はアンドレ・ブルトンによってシュールレアリスムへと受け継がれて行きました。
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「ダダ」という言葉を最初に使ったのは、詩人トリスタン・ツァラだと言われています。
ツァラは、1916年頃からスイス・チューリッヒのキャバレー・ヴォルテールを根城とし、戦渦を逃れてチューリヒにやって来ていた芸術家たちと日々無意味な劇を上演したり、無意味な詩を朗読するといった無意味な活動を行っていました。
チューリッヒの芸術家たちは、戦争が悪いと思っていたのはもちろんですが、同時に自分が祖国を捨てて逃れて来たことに罪悪感も感じていたのでしょう。すべてを無意味とすることには彼らの現実逃避もあったのではないかと思います。
下1枚目はツァラ、2枚目がブルトン、3枚目が現在のキャバレー・ヴォルテールです。
1918年になるとツァラは「ダダ宣言」を発表します。通説では「ダダ」という言葉は辞書から適当に選んだ意味の無い言葉です。
ちなみに、ウルトラマンにでてくる怪人ダダのネーミングもここから来ています。撮影当時のウルトラ警備隊の基地には東レの研究所が使われていました。
西洋では古来から芸術運動は詩人が煽動してきました。たとえば、ギョーム・アポリネールの立体派やフィリッポ・マリネッティの未来派などです。詩人は小説家より直感的であり、かつ、画家より知能が優れているからでしょう。
当時は科学技術や戦争、国粋主義を賛美する未来派が主流でした。ツァラのダダ宣言はマリネッティに対する宣戦布告であり、自分が有名になるチャンスでもありました。
事実、ツァラは短じかい間でしたがアポリネールと並び称されるくらいの人気を誇りました。しかし、1919年になるとダダも行き詰まり、人気にも陰りが見えて来ました。
そこで、ツァラはアンドレ・ブルトンの招聘に応じ、チューリヒからパリへ移りました。最初の間はうまく行っていたツァラとブルトンですが、次第に意見が食い違うようになり(すべてのことは無意味なのに意見が食い違うなんて変ですね)1922年に決別、ダダも終焉を迎えます。
この後、ブルトンはジョルジュ・デ・キリコの「形而上絵画」(下)の影響を受け、1924年に「シュールリアリスム宣言」を発表、後にブルトンとツァラは和解し、ツァラもシュールリアリスムに加わります。シュールリアリスムはこのあと1945年まで続きました。
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