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 シュールレアリスムの系譜(1) シュールレアリスムの歴史と手法 ダダからシュールレアリスムへ

 
シュールレアリスムの系譜(2) シュールレアリスムの主要画家リストと詳細記事へのリンク・リスト

 このブログもあと3ヶ月でやっと1年です。ということは今9ヶ月ですね。

 すべてにおいて三日坊主の私がここまで続いたのも読んでくださる皆様のお蔭です。とくにコメントをくださるyorikoさん、それとリピーターの方々には大変感謝しています。
 中にはまだ記事が270しかないのに300回も訪れてくださっている方もいます。間違ってアクセスしちゃってるんでしょうか・・・。


 今回はまったく日本では人気のない
フランスのシュールレアリスト画家アンドレ・マッソン(Andre-Aime-Rene Masson 1896−1987)です。
 今回がたぶんシュールレアリスムの最終回です。

マッソン

 
アンドレ・マッソン(Andre-Aime-Rene Masson 1896−1987)は、1896年、フランスのオワーズ州、バラニ=シュル=テランで生まれました。

 1904年、一家でベルギーに引っ越したマッソンは、11歳からベルギーのブリュッセル王立美術学校で、その後はベルギー象徴主義の擁護者で詩人の
エミール・ヴェルハーレンの勧めで1912年からパリのエコール・デ・ボザールで絵画教育を受けています。

 
ブリュッセル王立美術学校はルネ・マグリットも通った学校で、二人はコンスタン・モンタルドに師事していました。

 ルネ・マグリット(1) ポップアートに多大な影響を与えたベルギーのシュールレアリスト、マグリットの作品と生涯

 ルネ・マグリット(2) 意外と苦労人、マグリットのパリ時代の作品

 ルネ・マグリット(3)マグリットのルノワール時代から野獣時代とその周辺の作品たち

 
ルネ・マグリット(4) 最終回 マグリットの晩年の作品集

 コンスタン・モンタルドは、フェルナン・クノップフ、ジャン・デルヴィルとともにベルギー象徴主義を牽引した画家です。
 また、エコール・デ・ボザールではポール・ボードインのもとで学んでいます。

 下は、コンスタン・モンタルド(1−2枚目)、フェルナン・クノップフ(3−4枚目)、ジャン・デルヴィル(5−6枚目)の作品です。
モンタルド1
モンタルド2
クノップフ1
クノップフ2
Jean Delville1
Jean Delville2
 マッソンは、1915年、第一次世界大戦に歩兵として参加、戦場で多くの死を目にしました。彼は叫んだような表情を凍りつかせた兵士の屍体や、笑顔を浮かべ立ったまま死んでいる兵士を目にし、残酷な現実の死の裏側にある、「死のエクスタシー」を感じ取りました。

 1917年、マッソン自身が
シュマン=デ=ダム で重傷を負い、数ヶ月間に渡り軍の病院で生活を送ることとなります。

 1919年、終戦後、南仏のセレで活動していましたが、1922年、
オディット・キャバルと結婚し、娘が生まれました。
 これを機にパリへと引っ越し、
ブロメ通りにアトリエを構えます。

 このころのマッソンの作品は、全体に色調が抑えめで、モチーフを重層させる独特なスタイルです。
1922Pedestal Table in the Studio
1923The meals
1923Landscape with Rocks
1923Card trick
 1923年、パリのギャラリーシモンで初めての個展を開催します。そこへ訪れたアンドレ・ブルトンがマッソンの「四元素」(下)に魅了されこれを購入しました。
四元素
 1924年、アンドレ・ブルトンは「シュールリアレスム宣言・
溶ける魚を発行、シュールレアリスム・グループが出来上がりました。
宣言
 マッソンは、ブルトンに誘われ、シュールレアリスム・グループに参加し、
ミロとオートマティズム(自動筆記)で絵を描く実験を行いました。二人の成果は、この年の機関誌「シュールレアリスム革命」創刊号に掲載されています。

 オートマティスムでは、あらかじめ何を描くか決めるのではなく、即興で何も考えることなく速いスピードで筆を動かします。よく授業中ボーっとしていると気がつくと教科書になにやら描いていることがありますよね?あれと一緒です。
 この手法によって、人間の意図や意識を絵画から排除しようとしました。

 マッソンは、空腹や不眠など精神の消耗した状態や、ドラッグの摂取で酩酊した状態でオートマティズムにより作品を制作しました。
 正直言ってこんなの泥酔して絵を描いているのとかわりません。私に言わせればくだらない手法です。それでも新しい手法に実験的に取り組もうとする姿勢はえらいと思います。

 下2枚は1924年と1925年のマッソンのオートマティスム作品です。3枚目はミロのオートマティズム作品です。
オートマティズム
Furious Suns
ミロ
 このオートマティスムの手法は、その後1940年代に、ジャクソン・ポロックウィレム・デ・クーニングなどのアメリカの抽象表現主義の画家たちが取り入れるようになります。

 下2枚はポロックの作品、3枚目、4枚目はデ・クーニングです。
ジャクソン・ポロック
ジャクソン・ポロック2
Willem de Kooning1
Willem de Kooning2
 翌年の1925年、マッソンは第1回シュールレアリスム展に二つの作品を出品しています。1925年以降のマッソンの作品にはキュビズムの影響が色濃く見られるようになります。
1925Armour
1925The Star
 1924年から29年までの5年間、シュールレアリスムの中心は、ミロとマッソンのオートマティスムに基づくバイオモルフィックな抽象画が主流でした。

 1926年になると、マッソンは接着剤と砂をキャンバスに投げつけて、偶然出来た形から作品を制作する「砂絵」という手法を開発しました。この砂絵の代表作とされるのが下の
「魚の戦い」です。
 なんだかなあと思うような作品です・・・幼稚園の子供達が卒園記念にみんなで作った作品のようです。
Battle of Fishes
Battle of Fishes2
 1929年、シュールレアリスムにも飽き、アンドレ・ブルトンにもうんざりしたマッソンはグループから離れます。

 この頃から、フロイトやニーチェに傾倒していた哲学者
ジョルジュ・バタイユと親密になります。バタイユも内相的でシュールレアリスト的な側面を持っていましたが、ブルトンに対しては批判的でした。マッソンにとっては敵の敵は味方といったところでしょう。

 また、この年に最初の妻
オディット・キャバルと離婚してます。


 シュールレアリスム・グループや妻と縁を切ったマッソンは、1930年から37年まで、パリを離れ南仏やスペインで多くの時間を過ごすようになりました。
 南仏やスペインの明るい太陽とフォービズムの影響でマッソンの作品も一気に色彩豊かになります。
Removal
1935Ibdes in Aragon
1935Landscape with miracles
 1936年、ジョルジュ・バタイユの妻、女優のシルヴィア・バタイユの妹ローズと結婚し、バタイユとマッソンは兄弟になってしまいました。

 マッソンは、バタイユのレビュー誌「Acephale」の表紙(下)を描いています。
Acephale
 その後、バタイユの妻シルヴィアと哲学者で精神分析家の
ジャック・ラカンが愛人関係になり、1938年、二人の間に女の子が生まれました。
 これを機にシルヴィアはバタイユと別れ、ラカンと結婚しました。つまり、マッソンの兄弟はバタイユからラカンに変わってしまったのです。

 このラカンという人は
クールベの超問題作「世界の起源」(下)を所持していました。
 ラカンはこの作品を
隠すために木製のスライド扉をつけた額を制作し、その扉にマッソンが「世界の起源」を彫りました(下2枚目)。
courbetpaint
massoncover
 1937年、マッソンは内戦状態となったスペインを離れ、再びパリへと戻ってきてブルトンと和解しました。

 1935年頃から戦争の影響でマッソンの絵は暗くなり、おどろおどろしく暴力的になっていきます。
1935The Andalusian Reapers
1936Iconic views of Toledo
1936Returning from the execution
1936The pianotaure
1937Pasiphae
1939Portrait of the poet Kleist
 せっかくスペインの内戦を避け、フランスに逃れたマッソンですが、今度は第二次世界対戦が勃発、ナチス・ドイツに敗れたフランスには、親ナチのヴィシー政権が発足し、フランスでもユダヤ人狩りが始まってしまいます。

 マッソンの作品も
ヴィシー政権によって頽廃芸術の烙印を押され、芸術家活動が出来なくなってしまいました。

 1941年、マッソンはヨーロッパからアメリカへ亡命します。しかし、アメリカの税関で作品をポルノだとされ、破棄されてしまいます。頽廃芸術扱いされたりポルノ扱いされたりと散々ですね。

  ともあれ、亡命したマッソンは、コネティカット州ニュープレストンに落ち着きました。その後、マッソンはポロックを始め、アメリカ抽象表現主義の画家たちに大きな影響を与えることとなります。

 終戦後、マッソンはヨーロッパに戻ってエクス=アン=プロヴァンスに移住しました。

 1987年、パリで91年の生涯を閉じました。

 シュールレアリスムの系譜(1) シュールレアリスムの歴史と手法 ダダからシュールレアリスムへ

 
シュールレアリスムの系譜(2) シュールレアリスムの主要画家リストと詳細記事へのリンク・リスト

 では、作品をどうぞ。
953Riez
1938The Metamorphosis of the Lovers
1938The painter and the time
1939Earth
1939Gradiva
1939L'homme emblématique
1940Goethe or the metamorphosis of plants
1942Andromeda
1942Pasiphae
1942There is no world ended
1943Meditation of the Painter
1944The Kill
1944Werewolf
1945Minors
1945Pasiphaë
1948The Red Lands and the Montagne Sainte Victoire
1955Childbirth
1955Star, Winged Being, Fish
1956Attacked by birds
1958Couple in the night
1960Nuit fertile
1961Games Centaurs
1961Prison Gray
1962Kitchen-maids
1966The Vagabond
Landscape
No Name
Untitled
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