April 30, 2021
ミャンマー国軍エンジニア

12年ぶりに始めよう。
久しぶりの休日でSNS等々、諸々のIDとPWを整理していたらlive doorのblogがまだ有効であることがわかった。能力や体力、失うことが多い昨今、まだ続いていたことが嬉しく、12年ぶりにまた日記を書こうと思う。12年前と自分の興味、嗜好と思考がさして変わっていないことが嬉しいやら、ガッカリやらだが、ミャンマーの若者への日本語教師を続けていること。仕事としたことは、何よりの変化だし、母の介護が2016年から始まったことも大きな変化だ。ミャンマーとの関わりが一歩進んだこと。ミャンマーが軍政基盤ではあったが2011年の民政移管を果たし、経済発展を遂げたことは驚異でこの上ない変化であった。しかし、3か月前に軍のクーデターからの国民との壮絶な衝突が始まり、悪化の一途で、未だ沈静していない。民政移管自体が奇跡であったのだから、軍政基盤の脆さがここにきて表面化したわけで、今の政変は通るべき道であったのだ。「spring revolution」。今、ミャンマーは春の革命なのだという。変化と継続を繰り返し生きている。年をとるとは生活が悪化、悪く変化していくことだけれど何とか立ち向かっていくために、色々な方法で心を健康にしていくしかないかな。


April 23, 2009
耐えられない生
April 21, 2009
幻のミャンマーのエビ
行動範囲のスーパーには「ミャンマーのエビ」が並ぶことはなく、タイもしくはインドネシア産となります。しかし、2ヶ月くらい前に仕事でミャンマーからの輸入カーゴがめずらしくあり、エビがやって来ました。近所のスーパーに週末に行ったところ、「ミャンマー産エビ ¥150」と他より大きい札が立てられ,タイ産よりやや大きめのミャンマーエビが3尾トレーに残っておりました。もちろんゲットしました。
店長はどういう意図で大きく書いたのか?「旨いよ〜」なのか「安いよ〜」なのか。謎です。
パスタで食べました。大変美味でした。しかしあれ以来輸入カーゴとしても来ないし、スーパーにも並びません。このエビのミャンマーサイドの扱い業者はインド系の会社だったので、インドやアラブ諸国が高く買い付けて、金持ちが食べているのかも。Missing You !!
April 20, 2009
深川丼
March 25, 2009
WBC2連覇
March 23, 2009
詩人 ソー・ウェイ

これは、ビルマの詩人ソー・ウェイによる
“狂気の権力者 タンシュエ”という詩です。
内容は下記のような、愛する女への気持ちを詠った詩ですが、
各行の頭文字を並べると、「狂気の権力者 タンシュエ」となります。
これにより、詩人ソー・ウェイには、2008年11月に禁固刑2年が科せられました。
雑誌、愛ジャーナルに掲載された時点で、検閲未提出なら、
雑誌社なり、何者かの陰謀であるとソー・ウェイは異議を称えています。
軍政下での反体制アピールの形は色々あります。
最初、ビルマ語で読んだときは意味がチンプンカンプンでしたが、
英文を捜しあてて、やっと内容が分かりました。
下記、日本語訳と英語訳です。
ただ、伏字による反体制詩にすぎないのか?
それとも、内容にカラクリがあるのか?
ネイティブに教えて欲しい。
2008年1月発行 愛ジャーナル 詩
2月14日
アーロン・べック(精神科医) が言った。
十分苦しめてこそ、苦しみを味わえる
クレイジーであってこそ、クレイジーになれる。
優れた芸術を称えられるか?
フォトモデルのマ・レイ・イエは僕をクラクラさせる
人はそれを肝臓病という。素敵で酷いものさ。
皆がどう愛せばいいのか知っている。
笑って、金箔の手で拍手をするのさ。
ソー・ウェイ
Poetic justice
Ar rin bek ka pyaw dair
(Aaron Beck, the psychiatrist, said)
Nar nar khan sah dat hma khan sah hma
(Only if you know how to suffer painfully)
Yoo yoo moo moo go phyit nay hma
(Only if you are crazy – crazy )
Kyi myat tet a noot pyinnya lo
(Can you appreciate a great work of Art)
Hmoo hmoan hmaing way zay det dat poan model ma lay yay
(Dear little photomodel who makes me dizzy)
Kyi daunk kyi mah kya hma a thair kwair det yawgah det
(They say it is a broken liver disease, a great and terrible one) [note: broken heart in Burmese is usually expressed as a broken liver]
Than baung myah zwa thaw chit tat thu myah
(Millions of those who know how to love)
Shwe a teet cha hta thaw let myah phyint let khoak tee yway yair bar
(Laugh and clap those gold-gilded hands)
Saw Wai, January 10, 2008 The bold words describe Gen Than Shwe as a power-crazy madman
March 22, 2009
ラガインのビルマ文字を辞書で見つけられません

これはビルマ文字で”ラガイン”という名前です。
しかし、辞書のどこにも見当たりません。
全ての文字が辞書に載っているわけないんでしょうか?
ん〜。分からない。
March 08, 2009
森崎ウィンを知っていますか?

ビルマ好き仲間の間ではちょっと注目のミャンマー出身の若手俳優”森崎ウィン”クン。
”ごくせん”に出ているらしのですが、まだ見たことありません。噂によるとど〜も3の線らしい。ここでドカンとブレイクして欲しいものです。
サイサイ・カーン・フライ(歌手)の日本デビューも心待ちです。
February 22, 2009
卵と壁 by村上春樹
村上春樹のエルサレム賞の受賞スピーチに、人々は救われた思いがしたのではないだろうか?
悩み苦しむ我々に、同じ目線で
「我々は皆、システムという強固な壁に相対する危うい卵だ」
(we are all fragile eggs faced with a solid wall called The System.
「。。。いつでも自分は卵の側に立つ。たとえ卵が間違っていようとも。
(...I will always stand on the side of the egg.Yes, no matter how right the wall may be, how wrong the egg,
UN,国家、社会ルール、political correctness, 業界、会社、etc....というシステムに我々は支配されている。このシステムはまさにその典型であるIT化の力を得て、効率的に我々をコントロールしている。システムの使い方を強いられ、慣らされ、違反すれば罰せられる。システムとは支配する側に都合のいいもので、支配される側はその上で踊るしかない。システム上で慣性で踊ることが楽チンで楽しくさえなっている。村上春樹は「我々の側にあり、味方なのだ」と言うことで、踊る我々に「ちょっと待て」と眼を開かせた。
「パレスチナ問題を自分の眼で見ろ。システム=政府やマスコミを鵜呑みにするな」と。
道しるべを失った日本人、少なくとも私には小説家村上春樹のメッセージは救いとなった。20代で村上春樹の一見都会的な感覚にハマッた時期もあったが、社会人になってからは非現実性に馴染めず、何のことやら分からなくなり遠ざかってしまった。久しぶりに読んでみようかと思う。
悩み苦しむ我々に、同じ目線で
「我々は皆、システムという強固な壁に相対する危うい卵だ」
(we are all fragile eggs faced with a solid wall called The System.
「。。。いつでも自分は卵の側に立つ。たとえ卵が間違っていようとも。
(...I will always stand on the side of the egg.Yes, no matter how right the wall may be, how wrong the egg,
UN,国家、社会ルール、political correctness, 業界、会社、etc....というシステムに我々は支配されている。このシステムはまさにその典型であるIT化の力を得て、効率的に我々をコントロールしている。システムの使い方を強いられ、慣らされ、違反すれば罰せられる。システムとは支配する側に都合のいいもので、支配される側はその上で踊るしかない。システム上で慣性で踊ることが楽チンで楽しくさえなっている。村上春樹は「我々の側にあり、味方なのだ」と言うことで、踊る我々に「ちょっと待て」と眼を開かせた。
「パレスチナ問題を自分の眼で見ろ。システム=政府やマスコミを鵜呑みにするな」と。
道しるべを失った日本人、少なくとも私には小説家村上春樹のメッセージは救いとなった。20代で村上春樹の一見都会的な感覚にハマッた時期もあったが、社会人になってからは非現実性に馴染めず、何のことやら分からなくなり遠ざかってしまった。久しぶりに読んでみようかと思う。