1:2008/05/28(水) 20:49:09.86 ID:


雨。

灰色の濁った空から、ざあざあと降りしきる雨。

時おり、ごろごろと雷の鳴る音がする。

庭に咲く紫陽花。



「………」
 ベッドの上で、動かなくなった妹を抱きしめたまま、
ぼんやりとその灰色を見つめる、翠星石。
 ゆっくりと揺れながら、子守り歌を口ずさんでいる。
 壁際にもたれかかっている金糸雀が本を閉じ、
そんな翠星石をちらっと見やる。
 6月に入って、雨が降りやまない。
「…………」
 金糸雀が目を閉じ、ため息をついた。

真紅

2:2008/05/28(水) 20:50:26.76 ID:

 この所、真紅と水銀燈が日中出掛けてしまっている事が多く、
翠星石は蒼星石を鞄から出す事が多くなった。
 たまたま遊びに来た金糸雀は、翠星石の変化に少し、引いていた。
「………」
「金糸雀」
 顔を上げる。
「…まだ、金糸雀は」
 目が虚ろである。何を話しかけていいか、分からない。
「な、何かしら」
「この時代にいるつもりですか…?」
 目を見開く金糸雀。
「………」
 翠星石は視線を落とし、妹をぎゅっと抱きしめた。



4:2008/05/28(水) 20:51:55.33 ID:

 ジュンのアパート。
 窓の外の灰色が、部屋の中を薄暗く映し出す。

 バサッと音を立てて、水銀燈がアイロン台にYシャツを広げる。
「……本当に汚いわねぇ……」
 主のいないその部屋で、一人黙々と整理を続ける。
 アイロンをかけ終わる頃に、ピーッ、ピーッ、とベランダから音がした。
 左足を軸に、アイロン台を支えにして、ステッキを持ち立ち上がる。
右足の無い彼女は、幾分つらそうな表情でベランダに向かう。
「不便な足だわぁ」
 ぶつぶつ言いながら、洗濯物を乾燥機にかける。
それが終わると、一旦壁を背に、座り込む。
「はあ……」
 ゴン、と壁に後頭部を打ち、水銀燈が窓の外を見つめる。
「病院、か………」
 ざあざあという音。
 その呟きは、すぐにかき消された。



5:2008/05/28(水) 20:56:28.71 ID:

「保留?」
「ああ」
 展示場の事務所。
 パソコンを打つ手を止め、巴が課長を見やる。
「じゃあ、桜田君、残れるんですか?」
「ああ、別に悪質な飲酒運転でもないし、
ここ最近頑張りすぎて、疲れて、せっかくローンで買った車が壊れて」
「……」
「会社としての情状酌量の余地はあるだろう、ただし」
「ただし?」
「本社行きの6月末っていうのも、桜田の意思確認次第って事になった」
「どうして、ですか?」
「事故は桜田の過失だからな。そんな奴を本社が呼び寄せたとなれば、
他の社員の士気に関わるし、あいつが孤立しかねん」
「確かに」
「だから社命という形は採らず、怪我が治った後、あいつがそれでも
本社に行きたい、と言ったら本社に行かせる」
「……」
「そういう事になった。だから結果としては異動の話は保留だよ」
「そうですか…」
 下を向き、安心したように息を吐く。
「嬉しい?」
「えっ、あの、いえ」
 ぶんぶん、と巴は首を振った。



6:2008/05/28(水) 20:57:31.35 ID:

「はい、剥けたわよ」
 病室のベッドで寝ているジュンに、真紅がリンゴを差し出した。
「ん、ありがとう」
 つまようじを刺してあるそれは、お世辞にも上手いとは言えない
形である。
「………」
「何か失礼な事考えてない?」
「いや、別に」
 じとっと睨む真紅。眼を逸らすジュン。
 もぐもぐと食べるジュンを、真紅が嬉しそうに見つめている。
「あと一週間ね」
「ん………」
 ちらっとカレンダーを見やる。



8:2008/05/28(水) 21:00:00.54 ID:

 ジュンが交通事故を起こし、一ヶ月半が過ぎた。
当初見込まれていた三ヶ月の入院期間は、毎日真紅が力を
送っていたお陰で、半分ほどにまで縮められた。

 窓の外に目をやる真紅。
「この怪我が治ったら、名古屋に行くのね」
「……さあ」
 真紅がジュンに視線を移す。
「さあって…行くんでしょ?違うの?」
「分からないよ」
 はあ、とジュンはため息をつく。
「クビかもしれない」
「えっ」
 目を見開く真紅。
「クビって……どうして」
「そりゃ、わざとじゃないにしても、僕は相手のいる事故を
起こしたわけだから」
「そうだけど…」
「会社が『事故大変だったな、まあ心置きなく名古屋へ行ってくれ』なんて
言うとは思えないし」
「………」
 真紅は黙ってしまった。
 残念なような、嬉しいような。
 どういう表情をしていいか分からない。



12:2008/05/28(水) 21:03:52.25 ID:
 コンコン、と音がする。
「入ります」
 振り返った二人の目に、ドアを開け、こちらを覗きこむ巴が見えた。
 巴は一瞬真紅を見つめたが、すぐに部屋に入ってきた。

「そういう事らしいわ」
 椅子に座った巴。その脇に、真紅が立っている。
 巴が事情を説明すると、ジュンの顔がぱあっと明るくなった。
「良かった……!」
「ええ……私もほっとした、桜田君」
 下を向いて、巴が微笑む。
「でも……」
「………」
 二人がジュンを見る。
「選べるって事だろ?名古屋行き…」
「どうしようか…」
 ジュンが、はあ、とため息をついた。



13:2008/05/28(水) 21:06:07.62 ID:


 巴が帰った後、ジュンはぼーっと天井を見つめていた。
 傍らの椅子に座り、真紅が名探偵くんくんを観ている。
「……もう少し音量下げろよ」
「…ごめんなさい」
 ピッ、ピッ、とリモコンを動かす。
 相変わらず、ジュンは天井を見つめたままである。
「迷ってるの?」
 真紅が口を開いた。
 ジュンがそれを受け、真紅に視線を移す。
真紅がこちらを、いつもの凛とした表情で見ている。
「…迷ってる。正直言うと」
「どうして?」
「…お前らの事がある」
「私たち?別に…気にしなくても」
 再び天井を見る。
「水銀燈の足も、直してやらないと可哀そうだし」
 真紅はジュンを変わらず見つめている。




15:2008/05/28(水) 21:10:06.10 ID:

「とにかく、僕は……」
 真紅は一瞬悲しそうな顔をするが、すぐに元の表情に戻る。
「…何を言ってるの、ジュン、私は言ったはずよ」
「え」
 ジュンが真紅を見やる。
「貴方に期待して、そう言ってくれてるんでしょ?
それを無駄にするなんて考えられないわ」
「真紅……」
「少なくとも、私は貴方にそんな気遣い、してほしくない」
 ぷいっと横を向く。
「…………」
 ちらっと真紅が横目でこちらを見る。
視線がかち合い、慌てて視線を逸らす真紅。
「はあ」
 困ったように、ジュンは眉をひそめた。



16:2008/05/28(水) 21:10:48.65 ID:

「…なあ」
「何?」
「じゃあ、僕が名古屋に行くって言ったら、真紅はどうする?」
 真紅がジュンに向き直る。
「…決まってるじゃない、お祝いしてあげるわ」
「……」
「いいこと、ジュン」
「……」
「信頼っていうのはね、よく聞きなさい」
 椅子を降り、ジュンのベッドによじ登る。
「なかなかして貰えないものなの。だから」
「……」
「私はこないだ言ったのよ。情に流されて無駄にするのはやめなさいって」
 顔の横で、ジュンを見下ろす真紅。



18:2008/05/28(水) 21:12:25.97 ID:


「勿論、私も……貴方に大切にしてもらいたいけれど」
「……」
「私は、どれだけ遠く離れたって、貴方の事、好きよ」
 少し微笑む。
「だから心配しないで頂戴」
 上半身を起こすジュン。
「真紅……」
「たまには帰ってきてね」
 小指を差し出す真紅。
 ジュンも小指を差し出し、絡ませる。
「約束よ」
 そう言って、にっこりと笑った。



20:2008/05/28(水) 21:13:57.63 ID:


 実家のジュンの部屋。
ベッドに真紅が座っている。その同じベッドの上、壁際に、
蒼星石を抱いた翠星石、床に金糸雀、そして、壁にもたれかかっている水銀燈。

「どういう事?」
 真紅が問いかける。
「………」
 視線を向けられた翠星石は、窓の外をぼんやりと見つめる。
「…もう、翠星石は、この時代にいても、意味がないですぅ」
「どうして?」
「ジュンとも会えなくなる」
「……」
「契約を解除する」
「……」
「そうしたら、翠星石は、何も……」
 蒼星石を抱く腕に力を込める。
 それを見て、うつむく水銀燈。



21:2008/05/28(水) 21:16:27.65 ID:

「…そうねぇ」
 その水銀燈が口を開く。
「アリスゲームは終わったんじゃない。止まっているだけ…」
 冷たい声。真紅の背筋にぞくっとしたものが走る。
「…ローザミスティカは」
 視線を翠星石に向ける。
「私の中に3つ」
「……」
「真紅の中に2つ。そして…金糸雀、翠星石」
 翠星石が水銀燈に向き直る。
 見つめ合う二人。
 その目に、思わず肘を抱える金糸雀。
「この場で奪い合う事も出来るわぁ」
「やめなさい」
 見ていた真紅が咎める。
「いいえ、真紅」
 真紅に視線を移す水銀燈。
「私は現実を伝えているだけよ」
「でも」
「忘れてはならないわ。お父様が待っている事を」



22:2008/05/28(水) 21:19:46.16 ID:

「……」
 黙り込む真紅。少し水銀燈がつらそうな顔をする。
「こう言い換えた方がいいかしら」
 唇をかむ。
「お父様は、私たちの内の3体が動かなくなるのを待っている」
「……」
「そこの蒼星石のようにね」
 翠星石が水銀燈を睨む。
「怖いわぁ、そんな睨み方するのはやめて頂戴」
「………」
「そんなに睨まなくても、今なら私は貴女に負けちゃうから」
「うるさいです。黙るです」
 低い声。思わず息を呑む。
「やめなさい翠星石。水銀燈もよしなさい」
「………」
 重苦しい雰囲気、一人、声を出せずにいる金糸雀。



23:2008/05/28(水) 21:21:46.26 ID:

 金糸雀は、元来物事を深く考えるのが苦手だった。
何かを失ったわけではない、誰かと傷つけあったわけでもない。
 ただ、目の前で困っている人がいたら、傍にいてあげたい。
良く言えばプラス思考、悪く言えば、浅はか。
「………」
 自分の事をそうやって理解しているつもりであり、自分は
それでいいと思っていた。
 みっちゃんとの日々に何ひとつ不満はない。
楽しい。
 作ってくれる弁当がおいしい。
それだけで良かった。
「どうして…」



24:2008/05/28(水) 21:23:05.83 ID:

 真紅が金糸雀を向く。
「昔みたいに傷つけ合ったりするわけでもないし、
雪華綺晶がいるわけでもないのに、どうして今になって」
「………」
 水銀燈は黙っている。
「水銀燈」
 金糸雀が水銀燈に向き直る。
「貴女だって、アリスゲームのせいで、大切な人を失ったんでしょう!?
誰かいなくなるくらいなら、もうこんな闘いやめるかしら!!」
「金糸雀」
 目を丸くする真紅。
「………」
 うつむき、悲しげな表情になる水銀燈。
「ごめんなさい」
 額に手を当てる。
「ちょっと……じめじめしてるから、変な事言っちゃっただけよぉ…」
 ふう、とため息をつく。
「失礼するわ」
 ステッキを使って立ち上がり、一階へと下りていく。
「………」
「…………」
「……水銀燈……」
 真紅が呟く。
「……」
 翠星石が、もう一度蒼星石を抱きしめた。



25:2008/05/28(水) 21:25:17.64 ID:

 納戸で一人、水銀燈がうずくまっている。
今の自分には何もない。
「今更……何であんな事……」
 水銀燈は後悔していた。
 絶望するくらいなら、現実なんて見なくたっていい。
今は、姉妹たちとの――たとえ日が浅くても――淡い絆を
失うのが、何だか勿体ない。
 雪華綺晶と蒼星石のローザミスティカがあるのだから、
もう一度、武器としての翼を生やす余力は残っているかもしれない。
 だが、そこまでの憎しみや想いは、残っていない。
「………」
 水銀燈は、ゆっくりと目を閉じ、床に伏せった。



26:2008/05/28(水) 21:26:30.40 ID:

 目を閉じると、少し気分が落ち着いてきた。
自分は、一度死んだ人形。
 何か、もう一度世の中に触れるのが、怖くてたまらないような。
まだ、こうして、みっともなく思い出に浸っている方が、
自分にとっては似合っているのかもしれない。
「めぐ……」
 反射的にその名を呼ぶ。
 水銀燈の左手がかすかに動き、同時に右手も動いた。
「………」
 だが、手に触れるのはめぐの両手ではなく、
冷たいフローリング材。
 めぐの笑顔がよぎる。
「うっ……」
 胸が熱くなる。思わず、拳をぎゅっと握る。
「……意味が…ない…か……」
 うっすらを目を開き、水銀燈は呟いた。



27:2008/05/28(水) 21:27:32.69 ID:

 キィィィィンと指輪がまばゆく光り、薔薇が一回り小さいサイズになる。
「………」
 口づけしていた翠星石が、ゆっくりと顔を上げる。
「翠星石…」
 虚ろな表情。それを見守るジュンと真紅。
「ま、まあ、たまには戻ってくるから。な、元気出せよ」
「………」
 答えない。
「お、おい……」
 黙っていた翠星石が、おもむろにジュンのベッドによじ登る。
「ジュン…」
 ごそごそと懐から何かを取り出す。
「これは…」
「スコーンですぅ。翠星石がお前のために、今日を記念して焼いてきてやったです」
「………ごめんな」
「いいですぅ。さ、ほれ、食べるです。あーん」
 言われるままに口を開くジュン。
 そこにぐいぐいと押し込む翠星石。


28:2008/05/28(水) 21:29:02.55 ID:

「もが……んぐんぐ」
「………」
「………んぶっ…………ぎゃーーーーーーーーー!!!」
 ぼふっと噴き出し、ごほごほと咳込むジュン。
「きゃはははは、まんまと引っ掛かったですぅ!」
「か、辛いぃ!!何しやがった!」
「特製わさび唐辛子入りスコーンですぅ」
 けらけらと笑う。
「こっ、この………」
「わっ」
 起き上がろうとしたジュンに覆いかぶさり、ジュンがベッドに倒れこむ。
「ちょ、ちょっと二人とも…」
 慌てる真紅。
「へへへ、ジュン」
「な、何だよ……」
 耳の横に手をつき、20センチほどの距離でジュンを見下ろす翠星石。


29:2008/05/28(水) 21:29:54.84 ID:

「この辛さと苦しさを、ずーっと覚えておくですよ。ずーっと…」
「………翠星石」
「人生そんな、甘いもんじゃないです。こういう風に、苦しむ事の方が多いです…」
 目を閉じる。
「だから、そんな時、たまにでいいですから、翠星石の事を……」
 少し声が震えている。
「………翠星石」
「…ああ、しんみりするのはキライですのに」
 天を仰ぎ、後ろ向きにぼふっと倒れる。
「…ねえ、ジュン」
「うん?」
「…いつかまた会えたら」
「………」
「また、仲良くしてほしいですぅ」
 上半身を起こすジュン。
 翠星石の目が潤んでいるのが分かった。
「ああ、また、戻ってくるよ」
「……」
 その言葉に翠星石の顔が歪む。
 起き上がり、そしてジュンの胸をつかむ翠星石。
「………」
 そのまま、しばらく翠星石は泣き続けた。



50:2008/05/28(水) 23:07:18.64 ID:

 ざあざあと降りやまない雨。
「翠星石ちゃんは?」
 夕食の支度中、のりが部屋に上がってきた。
 翠星石と蒼星石の鞄がない事に気づき、真紅に尋ねる。
「……彼女は旅に出たわ」
「旅?」
 紅茶を飲みながら、真紅が答える。
「……そう」
 のりはそれだけ呟く。



52:2008/05/28(水) 23:08:03.52 ID:

 のりが行ってしまった後、水銀燈が口を開いた。
「真紅…」
「何?」
「貴女は、どうするのぉ?」
 カップを置く。
「どうするって?」
「この時代に、まだ留まっているつもり?」
「…どうしてそんな質問をするの?」
 真紅がこちらを見つめている。
「どうしてって……」
「……」
「もうこの時代にいても、アリスゲームは終わらないのよぉ」
「別に、終わらせる必要はないでしょ?」
「………」
「私は居続けるつもりよ」
「…それは、何故?」
「大切な人がいるから」
 雨音が強くなる。



54:2008/05/28(水) 23:15:35.31 ID:

「アリスゲームなんて、したくなった時にすればいいわ」
「…随分とひねくれた事を言うのねぇ…」
「そうかしら。今までだって、そうだったじゃない」
「………」
「お父様に会いたがっているのは、7人とも同じだった。でも」
「でも?」
「闘いを望んでいたかどうかは、個人差があった」
「そうねぇ」
「貴女や雪華綺晶のように、好戦的なドール」
「…ふん、昔の話よ」
「蒼星石のように、それを宿命として受け入れていたドールもいれば」
「……」
「翠星石や雛苺のように、会う事より、皆で幸せに過ごす事を選んだドールもいる」
 カップを持つ真紅。
「翠星石は優しかった」
「?」
「蒼星石がいなくなって、ジュンに殆ど会えなくなっても、私に寄り添って生きてきてくれた」
「………」


57:2008/05/28(水) 23:18:24.64 ID:
「でも…ジュンが名古屋に行くと決まった事が、引き金になった」
「引き金に?」
「あの子、ジュンの事が好きだったのよ」
「ああ」
「…………」
「それは……」
「………」
「貴女も一緒なんじゃないのぉ?真紅」
 紅茶を飲む手がぴくっと止まる。
「貴女が一番」
「………」
「淋しがってるんじゃなくて?」
「………」
「違う?」
「………」


58:2008/05/28(水) 23:23:03.69 ID:

「まぁいいわ。どうせ私には関係のない事だしぃ」
 下を向き、ふっと笑う。
「いいの」
 水銀燈が顔を上げる。
「私は、ジュンと同じ時代にいるだけで」
「……真紅」
「…最近、雨音ばかりで耳が痛いわ」
「………」
「早く梅雨が、明ければいいのに…」
 真紅は少しうつむき、窓の外を見やる。
 外は真っ暗になり、ざあざあと、いつまでも雨が降り続いていた。



59:2008/05/28(水) 23:24:54.18 ID:

暗闇の中。

どこからともなく、黄色い光がふらふらと彷徨ってくる。

少し遅れて、紫色の光が近づいてくる。

その後ろには赤く光る物体。


3つの光は、ある扉の前で動きを止める。



ギィィ……と、扉が開いた。



60:2008/05/28(水) 23:26:10.50 ID:

「じゃあ、行ってくるねー」
 珍しく晴れ間が広がる6月初旬の朝。
「うん、お仕事頑張ってーかしらー」
 金糸雀が元気に手を振った。
ドアが閉まり、一息ついた後、窓べに近寄る。
「うーん、今日はいい天気ねーぇ」
 うーっと伸びをする。
「ねぇピチカート、今日はお散歩に行くかしら」
 周囲を見回す。
「…あら?ピチカート」
 きょろきょろと辺りを探すが、どこにもいない。
「ちょっとーピチカートー、部屋の中でカクレンボなんて流行らないかしらー」
 台所を探すも、いない。
「う~………」
 ベッドにぼふっと座り込む。
 鏡が光り輝き始める。


61:2008/05/28(水) 23:31:20.02 ID:

「…!?」
 金糸雀が傘を持ち、身構える。
「誰!?」
 その中から、ピチカートが現れた。
「あら」
 拍子ぬけしたように再び座り込む金糸雀。
「ちょっと、どこ行ってたのよぅ」
 腰に手を当て、口を尖らせる。
 ピチカートがキィン、キィンときらめいた。
「え、何かしら…」
 しばらく沈黙する。
「………え?」
 金糸雀の動きが止まる。
「……」
 目を見開く。
「お父様が……?」
 持っていた傘が、からんからんと音を立てて床に落ちた。



64:2008/05/28(水) 23:39:15.56 ID:

「今日で退院ね」
「ああ」
「頑張ったわね、ジュン」
 手を取る真紅。
「お前のお陰だよ」
「ふふ、そんな事ないわ」
 カツ、カツ、カツ、と響く靴音。
「ん」
 コンコン、と音がした。
「失礼します…」
 そう言って、ドアが開いた。

 ジュンが、あっ、という顔をする。
 真紅が不思議そうにそちらを見やる。
 顔を覗かせたのは、のりでもなく、巴でもなく…
「課長」
 ジュンの上司だった。



65:2008/05/28(水) 23:45:19.93 ID:

 二人が硬直する。真紅は瞬時に頭を働かせ、
ただの人形のふりをする。
「ど、どうされたんですか、課長」
「ん、いや、外回りでたまたまな」
 言いながら、椅子の上で目を閉じている真紅を見やる。
「これは?」
「あ…」
「何、お前こんな趣味持ってたの?」
「あ、いえ……違います」
 言いながら真紅を持ち上げる課長。
「さっき一瞬、動いてたように見えたけど」
「えっ」
「気のせいかな」
「ま、まさかあ高橋課長、人形が動くわけないじゃないですか」
 ははははは、と笑うジュン。
ゴンゴン、と更にドアを叩く音がする。


67:2008/05/28(水) 23:49:48.85 ID:
「どうぞー」
 ガチャリとドアを開けたのは、白髪の男性。
「あっ、お、お疲れ様です」
「もう退院なんだって?」
「え、ええ」
「本当は8月末異動にしてたんだが、しかし凄い回復力だな」
「そ、そうですか」
「ああ、まあ、もし本社に来てくれるようなら、6月末と言わず、治ってすぐでもいいからな」
「も、申し訳ありません」
 ふと、その男性が課長の持っている人形を見る。
「ん、何だその趣味の悪い人形、高橋、お前の?」
「え、いや、違います。これは桜田の」
「んーー??」
 じろじろと真紅を見つめる。
「何だ、気持ち悪いなぁ桜田君、こんな趣味があったなんて」
「え、ええ……」
 顔が引きつるジュン。


71:2008/05/28(水) 23:52:46.70 ID:

「ダッチワイフか?」
「はっ!?いえ、違います。それは姉の……」
「はは、冗談だよ」
「………」
「まあ、人の趣味をとやかく言うつもりはないが、お客さんには見られないようにな」
「は、はい」
「こんな人形は名古屋には持ってくるなよ」
「………わ、わかりました…」
 答えながら、真紅をちらっと見やるジュン。
 眉が動く事もなく、真紅はただ、オモチャのお人形と化していた。



72:2008/05/28(水) 23:55:21.68 ID:

「………」
 夕闇のオレンジが、病室を暗く映し出している。
のりが来るまでの間に、荷物をまとめなければならない。
「……」
 二人はどちらから言葉を発する事もなく、ただ、座っていた。
 真紅は、ずっと窓の外を見つめている。
 ジュンは何と声をかけていいか分からない。
「…………」
 ふうっと真紅が息を吐いた。
「見て、ジュン」
「え」
 口を開いた真紅に、少々驚いた。
 すっと夕闇を指差す真紅。
「西の空がオレンジ色に染まって……」
「……」
「そこから天を見上げていけば、だんだんとそれがセルリアンブルーに変わってゆく」
「真紅」
「私、あんまりセルリアンて好きじゃないの」


74:2008/05/29(木) 00:00:56.58 ID:
「え?」
「だって、何だか、濁ってるじゃない」
「濁ってる?」
「澄んだ色というより、何だかこう、沼というか、藻が沢山生えてるような青」
「………」
「コバルトみたいに、美しい、って思える色がいいわ」
 真紅を見つめるジュン。
「でも、そんな純粋な色は、世界の中では生きていけない」
 両手を絡ませる。
「皆、何がしかに混ざって、純粋な思いを忘れて、大人になっていく」
「……」
「ねえ、ジュン」
 真紅がジュンに向き直る。
「貴方は、もうじきここからいなくなる」
「……」
「その時には、私は契約を、解除しないといけない」
 立ち上がり、ベッドに近寄る。


75:2008/05/29(木) 00:01:24.46 ID:

「今日分かったわ。やっぱり私は」
 うつむく。
「貴方の人生に、これ以上いちゃいけないって」
「……何言ってんだよ、あんな…」
「違うわ、よく聞いて」
「真紅……気にするなよ…」
「貴方が私に固執すると、貴方が必死になって得てきたものが、無くなっちゃうのよ」
「………得てきたものって…」
「それは社会的信頼であったり、貴方の営業マンとしての資質であったり」
「………」
「決して下らないものじゃない。貴方が生きていくために、とても大切な事」
「真紅……」
「お願い、変な事考えちゃ駄目。私は怒ってなんかいないから」
 ジュンの両肩に手を置く真紅。
「だから、笑顔で私と別れて頂戴」
 懇願するように何度も肩をぎゅっとする。
「ね、ジュン、いい子だから…」
 真紅は力なく笑った。



76:2008/05/29(木) 00:03:58.53 ID:

 リビング。
 水銀燈が、ぱらぱらと本をめくっている。
「なんだかんだで」
 ぐすっ、と鼻をすする。
「この時代にも面白いものがいっぱい、あるんだけどねぇ」
 本を閉じ、表紙を見つめる。『東野圭吾 手紙』と書かれている。

 ゴトッ、と納戸の方から音がした。
「?」
 ステッキを支えにして、リビングを出ていく。
「何の音かしら…」
 がららら…とドアを開ける。
「うっ…うっ……」
 うずくまる人影。


78:2008/05/29(木) 00:05:39.50 ID:


「真紅?どうしたの?」
 顔を上げた真紅を見て、水銀燈は息を呑んだ。
「わあああああっ!!!」
 涙でくしゃくしゃになった顔。真紅は水銀燈の胸に泣きついてきた。
「真紅!?」
「ううっ、ひぐっ、うあっ、ジュン、ジュン……!」
 鼻をすすり、のどを枯らしながら真紅は涙を流し続ける。
「真紅……」
 事情が分からぬまま、水銀燈は真紅の頭を撫でる。
「うううううう、ジュン、ジュン」
「………」
 尋常ではない取り乱し方。あの真紅が。
「…いいわ、泣きたいだけ、泣きなさい。真紅…」
 泣きやまない妹の頭に手を回し、
水銀燈は優しく抱きしめた。



81:2008/05/29(木) 00:10:17.49 ID:

 真紅は泣き疲れて、鞄で眠ってしまった。
何があったのだろう。今日は退院の日ではなかったか。
「………」
 本来なら、嬉しそうな顔をして、紅茶でも飲んでいる頃だ。
「どうしたと言うの…」
 コンコン、と窓を叩く音がする。
「?」
 そちらを見やる。
「開けてほしいかしらー」
 夜の暗闇の中、黄色のドレスに身を包んだ金糸雀がいた。
そしてその横に、メイメイ、ホーリエ、ピチカート。
「窓は開いているわよぉ」
「手が使えないのかしらー」
 右手で傘を持ち、左手をだらんと垂らしている。
「なぁに、もう…人をこき使って」
 水銀燈が窓を開けた。



82:2008/05/29(木) 00:14:45.32 ID:


「何ですって!?」
 顔を引きつらせる水銀燈。
「人工精霊たちが、今日それを聞いてきたらしいわ…」
 しゅんとなる金糸雀。
「翠星石が契約を解除して、眠りについたから」
「……」
「私たち3人も、もうこの時代から旅立つように」
「…」
「お父様が?」
「…ええ」
「それは、…いつ?」
「分からないかしら」
「……」
「ピチカートが聞いてきた内容よ。『仲良くなり過ぎて』」
「『使命を忘れてはならない』」
「………」
「でも、何となく、これからどうなるのか理解出来てきたかしら…」
「どういう意味?」
「カナの左手が」
 水銀燈が視線をそちらに移す。
 左手が、小さくかたかたと震え続けている。


83:2008/05/29(木) 00:15:49.13 ID:

「…これは」
「握力がだんだん無くなってきてるの」
「いつから?」
「今日…」
 水銀燈は思わず、自らの手足を確認する。
「…私は何ともないわ」
「……多分、個人差があるのよ。それが基準なのかどうかも分からないけど」
「でも、今日の事なんでしょう?それでこの調子じゃ…」
 目を閉じる金糸雀。
「たぶん…」
「持って一週間、てところねぇ…」
「みっちゃんには伝えたわ」
「……」
「本当は、みっちゃんが取り乱し過ぎて出て来れるような状態じゃなかったんだけど、ちょっとだけ時間をもらったの」
「………」
「だから、カナがこの時代で二人に会えるのも、多分今日が最後かしら」
「そう…」
「………」
 沈黙が流れる。

 水銀燈も、金糸雀も、それからしばらく一言も話さなかった。



174:2008/05/29(木) 22:08:51.43 ID:
「…………」
「……そろそろ、帰るわ」
 水銀燈が顔を上げる。
「目が覚めたら、真紅に宜しくと言っておいてほしいかしら」
 すっくと立ち上がる。
「……」
 窓に手を掛ける金糸雀。
「…ねえ」
 金糸雀の手が止まる。
「一つだけ相談しても、いいかしら」
 振り向く。
「真紅が今日、大泣きしてたの」
「え」
「小さな子どもみたいに」
「…」
「声を枯らしてギャーギャー泣いて」


176:2008/05/29(木) 22:12:13.48 ID:

「どうして…?」
「分からないわ。何があったのか」
「……」
「でも、きっと、このまま旅立ってしまうと、この子は後悔する」
 言いながら、鞄を見つめる水銀燈。
「私たち、次に目覚めた時には、完全に奪い合う相手になっているかもしれない」
 うつむく金糸雀。
「だから、私は、この時代に姉として出来る事を、しておきたいの」
「………」
「貴女が次女だから、相談するのよ、金糸雀」
 顔を上げる。
「教えて頂戴」
「………」
「私は、第1ドールとして、何をすべきか」



178:2008/05/29(木) 22:15:58.63 ID:

 金糸雀が困ったような顔になる。
「ごめんなさいね、時間がないのに」
「いいえ」
 首を振る。
 それを見て、もう一度鞄に視線を落とす。
「この子が我慢してしまうのは、カナも知ってるかしら」
「ええ」
「すぐには話してくれないかもしれない」
「……」
「ただ、カナなら…」
 水銀燈に近づき、横に座り込む。
「この子が塞ぎ込んでいる時は一緒にいてあげるわ」
「……」
「ただ、それでも走り出さないといけない時は」
 鞄を撫で始める金糸雀。
「そうね、首ねっこつかんででも放りだすかしら」
 水銀燈が目を丸くする。
「行ってきなさいって」
「………」
「悩むくらいなら、走り終えてから悩みなさいって」
「そう……」
「多分今は、そういう時だから」
 水銀燈を見やる。
「…ありがとう、金糸雀」
 水銀燈が微笑んだ。


182:2008/05/29(木) 22:27:06.97 ID:

「………」
 明くる日、実家の二階を、車の中からジュンが見上げていた。
「次の日に挨拶回りとか…」
 やつれた表情で、ふう、とため息をつく。
「………」
 カーテンが閉め切られ、誰の影も見えない。
 ジュンはもう一度ため息をつくと、車を発進させた。

 200メートルほど進むと、信号がある。
「……」
 ブレーキを踏み、MDをかける。
交差する片側二車線の大通りの車の音が、ゴオ、ゴオ、と、遠く聞こえる。
 携帯が鳴った。
イヤホンを取り出し、パチッとはめ込む。
「はいもしもし」
『あっ、桜田さんですかー、こちら××引っ越しセンターですが』
 信号が青に変わる。
「…ちょっと待って下さい。もうすぐ停まりますんで」
 大通りを右折し、交差点にあるコンビニの駐車場で停まる。
「はい、どうぞ」


183:2008/05/29(木) 22:31:03.68 ID:

『今駅前にいるんですが』
「もう着きます。あと10分くらいで」
『分かりました。脇の駐車場で待っとりますんで』
「了解です。ちなみに幾らくらいですか?ざっと」
『んー、20万くらいですね』
 ガチャッと思わず携帯を落とす。
『どうしました?』
「ああ、いえ……」
 はあ、とため息をついた。

 電話を切り、JRの駅前に向かう。
「引っ越しか…」
 ふと、真紅の顔がよぎる。
「会いに行ってやらなきゃな……」
 ぽつりと呟いた。


184:2008/05/29(木) 22:34:56.25 ID:

 部屋の中。
壁際に真紅が座りこんでいる。
「落ち着いた?」
 それを見下ろす形でベッドに座る、水銀燈。
「……」
 喋らない真紅。
「何か話しなさいよぉ、もうこの時代のドールは、私たちしかいないんだから」
 真紅が顔を上げる。
「…どういう意味?」
「金糸雀とはもう会えないわ」
「……何故?」
「あの子はもうじき、眠りにつくから」
 真紅が首をかしげる。
「それは私たちも」
「……」
「お父様のお伝えよ。この時代でのアリスゲームは事実上停止」
「……」
「翠星石が眠りについた。もうこの時代でアリスが誕生する事はない」
「……」
「だったら、次の時代まで眠りにつきなさいと」
「……そう」
 うつむく真紅。
「そんなカオしてたら、貴女真っ先に脱落するでしょうねぇ」
 ふん、と鼻で笑う水銀燈。


185:2008/05/29(木) 22:39:11.85 ID:

「………」
 うつむいたままの真紅。水銀燈が左手をトントンし始める。
「次に会う時は、私は容赦なくローザミスティカを奪うわよ」
 冷たい目で、真紅を見下ろす。
 ようやく真紅が顔を上げた。
「いいこと真紅、アリスゲームはまだ終わっていないのだから」
「…………」
 少し見つめた後、再び視線を落とす真紅。
 それを見て、水銀燈が深いため息をつく。
「ねえ真紅」
「………」
「教えてくれない?」
「………」
「何を悩んでいるの?」
 水銀燈がベッドを降りた。



188:2008/05/29(木) 22:47:27.30 ID:

「…私は」
「何?」
「別に悩んでなんかいないわ」
「は、嘘おっしゃい。だったらこないだアホ面して泣いてた貴女は何だったの?」
 水銀燈の声が一段と低くなる。
「…………」
「どうせ病室でジュンに何か言われたんでしょう?つまらない事を」
「……違う」
「馬鹿みたぁい。いちいち気にしてたら人形なんてやってらんないわよ」
 はっ、と水銀燈は吐き捨てた。
「…違うわ、ジュンを馬鹿にしないで。あの子はそんな子じゃない」
「だったら何だって言うの」
「わかったわ、正直に言うわ」
「………」
「ジュンの上司たちが来たの」
 ぴくっと水銀燈が反応する。
「趣味の悪い人形」
「………」
「ダッチワイフ」
 視線を泳がせながら、続ける真紅。
「こんな人形、名古屋には連れてくるなって」
「………」
「私が目を閉じている目の前で、そう言われたわ」
 声が震えている。


190:2008/05/29(木) 22:50:32.06 ID:

「ジュンもそれには相槌を打たざるを得なかった」
「………」
「そうする以外にないと思うし、私はそれに関してどうこう言うつもりはない」
 水銀燈は黙っている。
「ただ…」
「…ただ?」
「やっぱり現実はそういうものなんだと」
 ぎゅっと拳を握る。
「突きつけられて、私は悲しかった」
「………」
「それだけよ…」
「………」
 しばらく沈黙が流れる。


194:2008/05/29(木) 22:55:27.35 ID:

「……で」
 水銀燈が口を開く。
「…これから、どうするつもり?」
 真紅を見つめる。
「…どうもしないわ」
「は?」
「ジュンは最後に、挨拶くらいはしに来るでしょうから」
 水銀燈が眉間にしわを寄せる。
「別れの挨拶して」
「……」
「おしまいよ」
 視線を下に向けたまま、真紅は呟く。
「何よそれ」
「私はそう考えているわ」
「………」
「そうあるべきだと思っているから」
「下らないわ真紅」
 両肩をつかむ水銀燈。
「そんな義務感、捨ててしまいなさいよ」
 真紅が水銀燈を見上げる。
「うざったい」
「………」
「大事な人なんでしょう、貴女にとって」
「………」
 真紅は黙ったまま、再びうつむく。


197:2008/05/29(木) 23:02:11.70 ID:

「それを何、大人ぶって」
「…別に」
「一緒にいたいんじゃないの」
「痛…」
 肩をぎゅうっとつかむ水銀燈。
「違うの」
「…やめて」
「それならみっともなく大泣きしてた貴女は」
 ぎゅっと目を瞑る真紅。
「何度もジュンの名前を呼んでた貴女は」
「……」
「一体何だったのかしら」
 真紅が震えながら、水銀燈の両手をつかもうとする。
「ジュンはこないだ交通事故に遭った」
「……」
「いつどうなるか分からない」
「…………」
「どんなに…大切にしている人だって」
 口調が荒くなる。
「いつ死んじゃうか分からない」
「痛いわ、やめて」
「死んじゃったらおしまいなのよ」
 胸ぐらをつかむ水銀燈。
「分かってるの、このくそガキ」


201:2008/05/29(木) 23:08:48.91 ID:

 真紅の目がぴくっと痙攣し、水銀燈を睨む。
「…何よ、その眼」
 水銀燈が呟く。
「…何がくそガキよ」
「何ですって?」
「自分勝手だけじゃやってけないわ」
「はあ?」
 左手で、水銀燈の右腕をぎゅっとつかむ真紅。
「周りを傷つける事だってあるのよ、水銀燈」
 右腕に痛みを覚える。
「それは何かしら、私へのあてつけ?」
「私はジュンを傷つけたくない」
「………」
「一緒にいたくても」
 一瞬視線を逸らす真紅。
「…これが一番、いいと思ってるから」
「ああー、そう、そうなのぉ」
 ぱっと手を放す水銀燈。
 バランスを崩し、ゴン、と真紅が壁に頭をぶつける。


206:2008/05/29(木) 23:20:20.15 ID:
「もう何も言う事ないわ」
「う…」
 頭を押さえる真紅。
「勝手にしてなさい」
 ベッドに寄りかかり、立ち上がる水銀燈。
「そんな甘っちょろい考えじゃアリスになんてなれっこないわ」
「………」
 真紅が睨んでいる。
「ただの逃げじゃない」
 真紅を嘲笑する水銀燈。
「覚えておきなさい真紅」
 鋭く睨み返す。
「物事に『次』なんてないのよぉ」
「………」
「めぐは死んだ」
 少し口調が弱くなる。
「骨になった」
「……」
「蒼星石も、雛苺も、雪華綺晶も」
「…………」
「皆もういない」
 その名を聞き、真紅が視線を泳がせる。


208:2008/05/29(木) 23:26:48.37 ID:
「それで残された姉妹が」
「………」
「こんなみっともない考え方してるなんて、ねぇ」
 真紅の目が見開かれる。
「貴女が真っ先に脱落したら良かったのにね」
 ぷっと笑う。
 真紅の目が吊り上がる。
「え?真紅」
 瞬間、真紅が水銀燈に体当たりをかます。
「うあっ」
 バランスを崩し、床に倒れこむ。
 ゴッ、という音。
「ぐっ!」
 真紅が殴ったのだ。
「うあああああ」
 髪をつかみ、今度はぱしっと叩く。
「やったわねこのくそガキ!」
 両手で真紅の首を締める。


211:2008/05/29(木) 23:36:05.89 ID:
「うっ」
 思わず両手を放す真紅。
「はあっ」
 左足で腹を蹴りあげる。
「ごほっ」
 真紅が仰向けに吹っ飛んだ。
 それを追いかける水銀燈。
「あっ」
 無い右足の方向にバランスを崩し、倒れる。
 真紅が起き上がり、隙をついて水銀燈を押し倒す。
「かはっ」
 右足のひびが広がり、ぼろぼろと崩れているのが見える。
 真紅の動きが止まった。
「う……う……」
 苦痛に顔を歪める水銀燈。
 真紅は水銀燈から身体を離し、震え始める。


212:2008/05/29(木) 23:39:47.84 ID:
「あ…あ…」
 両手で顔を覆う。
「わ…私…私…う…」
「………」
 水銀燈が、息も絶え絶えに真紅を見やる。
「うわあああああああああっっ!!!ごめんなさい、ごめんなさい水銀燈!」
 泣き崩れる真紅。
「私、私貴女に酷い事を……!!!」
 仰向けの水銀燈の胸に、すがるようにして泣きわめく。
「………」
 そんな真紅を見て、水銀燈も涙を浮かべている。
「泣くんじゃないわよ真紅」
「うううう」
「真紅!!」
 びくっと真紅が顔を上げる。


213:2008/05/29(木) 23:40:37.59 ID:
「泣くくらいなら、必死になって追いかけてみなさいよ」
「………」
「生きてるんでしょう」
「……水銀燈」
「ふざけてんじゃないわよ、このくそガキ」
「……」
 真紅は圧倒され、言葉が出ない。
「くそガキはくそガキらしく」
「………」
「泣きわめきながら追っかけなさい」
 真紅を見つめるその瞳は、いつもの穏やかな紫に戻っていた。
「分かったの」
「………」
 真紅は顔を伏せ、目を逸らした。


218:2008/05/29(木) 23:56:42.86 ID:



 ジュンのアパート。

 いつものようにドアを開けると、明かりがついている。
「あれ」
「お帰りなさぁい」
 ひょこっと部屋から顔を出したのは、水銀燈だった。

「珍しいな、最近になって」
 ネクタイを外しながら答えるジュン。
「ええ、ちょっとお願いがあって来たのよぉ」
「お願い?」
「そうよぉ、名古屋に行く前にね」
「そうか、奇遇だな」
「?」
 首をかしげる水銀燈。


219:2008/05/30(金) 00:01:05.42 ID:
「僕も、名古屋に行く前に、お前に用事があって」
「用事?何かしら…」
「いいよ、水銀燈から言ってくれ。Yシャツ脱ぎながらじゃ正直話しづらい」
 そう言って、後ろを向くジュン。
「………」
 水銀燈はしばらくその背中を見つめていたが、やがて口を開く。
「少し無理なお願いかもしれないけど」
「ああ、いいよ別に、言ってくれ」
「足を直してほしいの」
 ジュンが振り向く。
「不便だから」
 水銀燈の右足を見つめる。
「…前より酷くなってないか?それ」
 亀裂が走り、そのうちパーツ自体がバラバラになってしまいそうである。
「ええ、ちょっとね」
 ふふっと笑う。
「お礼はするわぁ」
 そう言って、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「ね?いいでしょ」
 不覚にもどきっとするジュン。


222:2008/05/30(金) 00:08:42.93 ID:

「真紅さ」
 ジュンが口を開く。
「何か、変わったとこなかったか」
 水銀燈がジュンを見やる。
「……特にないわよぉ」
 水銀燈を新聞紙の上に座らせる。
「いつも通り」
「そうか」
「あの子も吹っ切れたのかもねぇ」
「…それならいいんだけど…水銀燈」
「ん?」
「恥ずかしかったら言ってくれ」
「なぁに」
「あの……」
 しどろもどろになる。
「何よ、はっきり言いなさい」
「足をさ」
「はい」
「付け替えないと、いけないから」
「……うん」
「でも、そのためには」
「………いいから一口で言いなさ……」
 水銀燈はそこでようやく気付いた。
「ドレスとドロワースを、脱がないと」
 ジュンが目を逸らしたまま、頭をかいた。


226:2008/05/30(金) 00:13:25.50 ID:

「………待って」
「…うん」
「心の準備が出来るまで」
 水銀燈の鼓動が急に激しくなる。
「その前に」
「………」
「あ、貴方の用事って、何かしらぁ」
 声が震えている。
 前とはわけが違う。
 確実に太ももの付け根を、ジュンには見せなければならない。
 いや、私は人形だ。今更何を。
「あ、ああ、いや、僕の用事ってのも、お前の足の修理の事だったから」
「え」
 ジュンがおもむろに、クローゼットから足のパーツを取り出す。
「長さを合わせたりで、少し時間がかかるかもしれないけど、いいか?」
 一瞬きょとんとする。
「え、ええ、私は別に…でも」
「でも…何?」
「用意がいいのねぇ。忙しいのに」
 不思議そうに見やる。
「結果を出しててバレなきゃ、別にいいんだよ、営業中にこういう店に寄ってもな」
「はあ」
 その時、水銀燈は、ジュンが何故この仕事を続けていられるのか、
分かった気がした。


228:2008/05/30(金) 00:20:29.27 ID:
「ねえ」
 背後から頭のリボンを外すジュンに、水銀燈が問いかける。
「うん?」
「訊きたいんだけど」
「何だよ、勿体ぶって」
 外したリボンを脇に置く。
「ジュンは真紅をどうしたいの?」
「え」
 腕のリボンも、一つずつ外し始める。
「…どうしたいって?」
「鈍いわねぇ」
 振り返る水銀燈。
「名古屋に連れていきたいかどうかって事よ」
「………」
「どうなの」
「…どうするも何も、あいつが来ないって言ってるんだから」
「違うわ、私が訊きたいのは貴方の意見」
 ジュンの手が止まる。
「…分からない」


231:2008/05/30(金) 00:41:40.04 ID:
「そう」
 沈黙。
「ありがとな」
「え」
「入院中部屋片付けてくれて」
「………」
「別に…」
「お前はどうするんだ?逆に訊くけど」
「…私?」
「これから、真紅や姉ちゃんと、ずっと暮らすの?」
「………」
 どう答えていいか分からない。
「まあ、真紅がつらそうなら」
「………」
「一緒にいてやってくれ。翠星石も一緒に」
「……」
「…どうした?」
「…いいえ、何でもないわ」


232:2008/05/30(金) 00:47:15.52 ID:



「よし」
 明け方近く、ジュンは膝をぱんと叩いて、声を上げた。
「……ありがとう、ジュン」
「立ってみろよ」
「ええ」
 ベッドを支えに、ぐっと立ち上がる水銀燈。
「まあ………」
 そこから、1歩、2歩と歩行する。
 両足の長さはぴったりで、
歩くのにも支障はない。



251:2008/05/30(金) 04:27:18.70 ID:
 水銀燈は驚いていた。
 自分の身体が、ようやく元に戻ったのだ。
「…すごいわ」
 3歩進んだところで立ち止まり、ジュンを振り返る。
「ありがとう」
 そう言って、にっこりと微笑む。
「…いや、別にいいよ、水銀燈」
「そうだわぁ、お礼」
 顎に手を当て、少し水銀燈は考えていたが、しばらくして
両手を後ろに組み、ジュンに近寄る。
「ジュン」
「うん?」
「何してほしい?」
「えっ」
 顔を覗きこむ水銀燈。
「…や、特に何も…」
「そう」
 ふと、思いついたようにジュンの膝に手を乗せる。
「じゃあ、私のしたい事をするわぁ」
 ふふっと笑ったかと思うと、次の瞬間、水銀燈はゆっくりと、
ジュンの首に手を回してきた。


253:2008/05/30(金) 04:34:42.65 ID:
「な、ちょ、ちょっと」
「ごめんなさいね、私こう見えて淋しがりやなのよ」
 両手を首の後ろで組んだかと思うと、
ジュンの膝に座ってくる。
「あの子と同じで」
「え」
「今日だけ許して頂戴」
「…」
「あの子にも心の中で謝っとくから」
 手を離し、すっくと立ち上がる。
「あの子はね、強がっているだけ、本当は」
 次の瞬間。
「うわっぷ」
 ジュンが仰向けに倒れこむ。
直ったばかりの両足でぴょんと跳ね、ジュンを床に押し倒したのだ。
「ふふ」
 ジュンの胸の上に跨り、ぱら…と落ちる髪をかき上げる。
「す、水銀燈…?」
 ジュンの顔の横に両手をつく。
「きっと貴方と、こんな事したいって思ってるのよ」
 妖しく微笑みながら、水銀燈が呟いた。


255:2008/05/30(金) 04:40:00.56 ID:
「心の奥底で」
 銀色の髪が、ジュンの唇にかかる。
ジュンの唇に手を這わせながら、それをゆっくりと払う。
「お、おい…冗談は…」
「ふふ、なぁに真っ赤になってるのよぉ。人形相手に、貴方変態ねぇ」
 くすくすと笑う水銀燈。
「な、何を」
「ねえジュン、私のお願い、聞いてくれなぁい」
 両手を曲げ、ジュンの顔と水銀燈の顔が近づいていく。
「めぐが死んでしまって」
「……」
「私の心に穴が開いているの」
 ジュンの鼓動が収まらない。
「私淋しいの。ね、ジュン……」
 胸に手を這わせる。
「貴方に満たしてほしいわ」
「す、水…」
「何したっていいのよぉ」


256:2008/05/30(金) 04:48:00.60 ID:
 ふうっと息を吹きかける。
 ジュンの肌がぞわっとなる。
「どうせ真紅もいないしねぇ」
「………」
 静かに伏せり、ジュンの首筋にキスをする水銀燈。
「………」
 胸に両手を置き直し、跨ったまま、そのまま何度も頬をすり寄せる。
「じょ、冗談はそこまでにしろよ、な…」
「きっと、真紅も貴方と、こういう事したいって思ってるのよ」
「え」
「………」
 胸元に伏せったまま、水銀燈はしばらく動かない。
「貴方と一緒にいたい。貴方に満たされたい」
「あ、あいつが…?」
「さすがに、あの子が望む方法は、また違うでしょうけど」
「…こんな事を?分かるのか?」
 起き上がる水銀燈。
「分かるわよ。馬鹿にしないで」
「……」
「一応私は、ローゼンメイデンの長女なのよ」
「…」
「これでもね」
 そこまで言うと、水銀燈はそっと、ジュンの身体から離れた。


257:2008/05/30(金) 04:53:22.75 ID:
 呆けたように、床に座り込んでいるジュン。
それをベッドから見下ろしている水銀燈。
「あの子も淋しがりだから」
 悲しそうな顔をする。
「真紅は貴方を待ってるわ」
「僕を?」
「ええ」
 視線を下に向けるジュン。
「誰にでも分かるような、でも」
「……でも?」
「どこか遠い、貴方にしか分からないような場所で」
「……そうかな」
「聞いて、ジュン」
「……」
「あの子は耐える事で、波風が立たないようにしている」
「……」
「でも、このままじゃいつか、あの子は壊れてしまう」
「………」
「もう、眠ったまま、起きなくなるかもしれない」
「………」
「社会のルールに飛び込んで生活するには勇気がいるわ」
 ジュンが顔を上げる。


258:2008/05/30(金) 04:59:15.96 ID:
「その意味で貴方は立派よ。でもね」
「……」
「そのルールい従い続ける事で」
「……」
「大切なものを見失ったら、全てが無意味になってしまうのよ」
「……」
「貴方の上司も」
「……」
「のりも」
「……」
「貴方も」
「……」
「金糸雀も、翠星石も」
「……」
「私も」
「………」
「真紅も」
「………」
「大切なものを守るために、生きているのだから」
「………」
「そして、貴方と真紅の間には、大切なものがある」
「大切な…もの…」
「いいこと、ジュン」
「……」
「それを忘れないで」
「………」
「あの子の姉として、言っとくわ」
 水銀燈が、そこで言葉を止める。
 その二つの紫色が、ジュンの目を、じっと見つめていた。


260:2008/05/30(金) 05:06:50.48 ID:
 灰色に淀んだ空。
 時おり、ゴロゴロ…と音が聞こえる。
「あっ、ちょっと停まって下さい」
 後部座席から、ジュンが声を掛ける。
「はいよ」
「そこのピンクの家の前で…」
 ガチャッとドアが開く。
 外に出、見上げるジュン。

 ププーッとクラクションの音がする。
振り返ると、後ろで車が2台、止まっていた。
「あっ、すみません」
「兄ちゃん、どうするんだい、出るの?」
「あ」
 時計を見るジュン。
駅までは、信号を挟んで残り4キロほど。
電車が出るまで、10分ほど。
「……分かりました、出して下さい」

 そのクラクションの音で、
水銀燈が窓の外を見た時に、ジュンがタクシーの中に戻っていくのが見えた。
「あれは」
 すぐさまベッドから降り、鞄に閉じこもっている真紅を叩く。
「真紅!!起きなさい!」
 どんどん、と幾ら叩いても、何の反応もない。


261:2008/05/30(金) 05:21:01.26 ID:
 外で、ブウウウ…という音が遠のいていくのが聞こえた。
「っこの…!」
 ガァンと思い切り蹴飛ばす水銀燈。
「あっだっ」
 鞄が跳ね上がり、一回転して床に落ちる。
 あまりの衝撃に、水銀燈は右手で足を持ってとび跳ねた。
その左手が、ぶらんぶらんと揺れている。
「…何の騒ぎ…」
 キィ…と開いた鞄から、真紅が不機嫌そうに顔を出す。
「今、ジュンが出発したわよ」
「え?」
「玄関前にタクシーが停まっていたわ」
「…そう」
 言いながら、再び鞄に戻ろうとする。
「ちょ、ちょっと待ちなさい」
 肩をつかむ。
「追いかけないの」
「………」
 じろっと水銀燈を見やった後、黙ったままの真紅。


262:2008/05/30(金) 05:24:27.85 ID:
「………」
「いい?真紅。これを見なさい」
 水銀燈は自らの右手を見せる。
 その手がかたかたと動き始めている。
「左手はもう動かないわ」
「……」
 目を見開く真紅。
「貴女もよ。その右手」
 鞄の中で気付かなかったが、真紅の右手は既に痙攣を終え、だらんと垂れさがっていた。
 がくんと膝が崩れ落ちる水銀燈。
「あ」
 立とうとしても、なかなか立ち上がれない。
「…水銀燈」
「私は歩ける内に、nのフィールドで眠りにつくわ」
「………」
「貴女も」
「………」
「もう今日中には、私たちはこの時代とさよならよ」
「……そんな……」
 何度持ち上げようとしても、その右手は動かない。


263:2008/05/30(金) 05:28:42.67 ID:
「次に会う時は、私は貴女のローザミスティカを、容赦なくもらう」
「……」
 こちらを鋭く睨む。
「だから、これが…姉としての最後の命令よ」
 すがるような目で見る真紅。
「真紅、今から必死であのタクシーを追いかけなさい」
「………」
 言葉を待たないうちに、水銀燈は真紅の両肩をつかみ、
「うおあああああ」
 思い切り、窓に向かって投げた。


264:2008/05/30(金) 05:35:04.89 ID:

 ガシャアアアンと音を立てて、真紅の身体が外に吹っ飛ばされた。
「きゃあああああ」
 空中でくるくると回転し、ブロック塀にぶつかり、地面に落ちる。
「早く行きなさい!!このくそガキ!!」
 真紅が唇をかむ。
「早く!!もうジュンとは会えないのよ!!」
「わ、私は」
「いいから早く行きなさいよこの馬鹿!!」
 きょろきょろと見回すと、左方向、200メートルほど先に車の列が見える。
「真紅!!」
 目覚まし時計が飛んできた。
「ひっ」
 横でガシャンと音がする。
「……!!」
 その音が合図になったかのように、真紅はだっと走り始めた。


266:2008/05/30(金) 05:39:35.22 ID:
 真紅はわけが分からないまま、走りだしていた。
 このまま走っていていいのだろうか。
 周りの視線が怖い。
 ジュンに迷惑をかけてしまう。
 今更……

 それでも、足が止まらない。
 走っているうちに、頭の中から言葉がなくなっていった。

 信号で止まっているところに追いつく。
「ジュン!!」
 久しぶりに、その名を呼んだ。
 ジュンがこちらにようやく気付いた。
 信号が青に変わり、タクシーが出発する。
後続の車が、真紅を驚いた目で見つめていた。


330:2008/05/30(金) 22:42:50.36 ID:

 割れた窓。

「………はあ、…はあ」
 膝をつき、息を整えて水銀燈がぼんやりとそれを見つめている。
 ギシ、と鈍い音がして、一瞬気が遠くなる。
「…何…やって…んのかしらね…私…」
 動いたせいか、眠気が急激に襲ってきている気がする。
 顔の前で、メイメイがチカチカと光っている。
「ええ、分かって…るわ」
 カタタ、カタタ、と、一定の間隔で、自分の意識が遠くなりつつあるのが分かる。
「………」
 ベッドにもたれかかり、雛苺のものだった鞄を持つ。
「………」
 かくん、と意識を途切れさせながら、水銀燈が窓の外、灰色の空を見上げる。
今にも雨が降ってきそうである。
「めぐ、私は、この時代に、目覚めら、れて、良かったわ」
「……」
 視線を伏せ、ドアを開けて、階段を下りる。
手すりにつかまり、一段一段、慎重に踏みしめていく。
「真紅」
 納戸の中、鏡の前で、再び口を開く。
「頑張んなさい」
 
 そう言って口元を小さく緩ませ、水銀燈はゆっくりと、
鏡の中に消えていった。


333:2008/05/30(金) 22:48:50.07 ID:


「あれは……」
 何度も後ろを振り返るジュン。
 あの紅い影は、確かに真紅だった。
「すみません、停めて下さい!」
 大通りを渡った向かいのコンビニで、タクシーを停める。
「真紅……!」
 タクシーを飛び出し、ジュンは今自分が出てきた脇道に眼を凝らした。



337:2008/05/30(金) 22:57:16.91 ID:

「え、え?ど、どうしたらいいの、これは」
 立ち尽くす自分の横を、車がどんどんと大通りに向けて出ていく。
 おろおろする真紅。
「ジュ、ジュンは?どこへ行っちゃったの」
 交差点の端に立ち、きょろきょろと辺りを見回す。
 ブウン、と音を立て、車が真紅のすぐ傍をかすめていく。
「きゃあっ」
 驚き、その場に倒れ込む。
「ジュン、どこ?どこなの、行ってしまったの」
 泣きそうになりながら、真紅が顔を上げる。
 向かいの信号が赤に代わり、交差する道路から、次々と車が走り始める。

 視界の中、大通りの向こう。
 コンビニの駐車場に停まったタクシーから、人影が出てくるのが見える。
 真紅が声を上げる。
「ジュン!」
 通り過ぎる車に遮られながら、ジュンが辺りを見回しているのが分かった。



349:2008/05/31(土) 00:04:47.68 ID:

「ジュン!」
 真紅が金切り声を上げる。
 足を踏み出そうとするが、一瞬目まいがする。
「あ…ぅ」
 世界が歪み、気が遠くなる。カタタ、と震える真紅。
「………」
 バランスを崩し、膝をつく。
 おかしい。こんなに早く。
「………」
 急激な眠気が襲い、そこからしばらく、真紅は立ち上がれなくなった。
「う……う、うぁ……」
 ごしごしと目をこする。だが、一向に眠気は収まらない。
「だ、大丈夫…」
 膝を支えにし、立ち上がって道路の向かいを見る。
 ジュンが何事か叫んでいるのが見える。
「……い、今行くから…ジュン……」
 目の前の、車の往来に気づいているのかいないのか、
真紅が道路を横断しようとしているが見えた。


352:2008/05/31(土) 00:14:07.39 ID:
「きゃあっ」
 ゴオーッと車が通り過ぎ、風圧で尻もちをつく真紅。
「真紅!!」
 背筋が凍る。
 周りが見えていないのだろうか。
「じっとしてろ!!今行くから!!」
 その声が届いたのか、真紅が再びこちらを見、立ち上がる。


「ジュン!」
 信号は元より、真紅の目には、ジュン以外のものは見えていなかった。
「行か、なきゃ……」
 かたた、と震える自分の身体。
「………」
 ゴオオ、と通り過ぎていく音が静かになった。
思わず真紅は走り出す。
 パパーッと、耳をつんざくような音が聞こえる。


358:2008/05/31(土) 00:28:58.99 ID:

「あうっ」
 すれすれの所で、真紅を車がかすめていく。
 勢いあまって真紅が倒れ込んだのは、
片側二車線の大通りの中心、中央分離帯の切れ目だった。
「あああ……真紅……」
 体勢を立て直そうとするも、ゴオーーッと容赦なくかすめる車に、
ただ、真紅は震えている事しか出来なかった。
 きっと、あの位置では、少し動いてしまえばすぐに、
轢かれてしまう。
 目の前の信号は、いつになったら青になるのか。
 そうしたら。
「真紅!!じっとしてろ!!動くな!すぐ行くから!!」
 ジュンがありったけの声を張り上げた。



360:2008/05/31(土) 00:32:44.37 ID:
 ぽつり、ぽつりと雫が落ち、すぐにざあああという雨に変わる。

 接触がなかったのは、殆ど奇跡と言ってよかった。
 ツインテールが何度も風に舞い上がり、目の前でゴオーーーと
車が通り過ぎる。
「ひっ」
 真紅は座り込んだまま、動けなくなっていた。
 まず恐怖がひとつ。
そして、言う事を聞かない、自分の両の足。
「どうして…どうして……動いて、お願い、動いて!!」
 べしゃっと前のめりに倒れ込む。
「ううう」
 顔を上げる。
 視界の先、ほんの10メートルほど先に、あの人はいるのに。
「ジュン、ジュン……!!」
 涙で、真紅の視界が霞んだ。


361:2008/05/31(土) 00:34:43.42 ID:
 倒れ込んだ体勢から上半身を起こし、何か叫んでいる。
「真紅!!!」
 真紅が泣いているのが分かった。
 車に怯えながら、涙を流しながら、それでも、自分を
求めているのが。
「真紅……」
 顔をくしゃくしゃにする。
「真紅!!待ってろ!いいんだ、そこにいるだけでいいから!!」
 幾度となく、自分の名前を呼んでいる人形。
聞こえただろうか。
「………?」
 真紅の様子がおかしいのに気づく。
 先ほどから、かたた、かたた、と、一定の間隔で、全身が揺れている。
「あれは……」
 真紅が這いつくばったまま、前に進もうとしているのが見えた。
「……!!」
 右から来る車。少しの間隔を見計らって、ジュンが飛び出した。


363:2008/05/31(土) 00:38:20.17 ID:
 プ――――ッとクラクションが鳴る。
 
おかまいなしに、ジュンは走った。

8メートル。
6メートル。

ブオオオオ、というトラックの音。

 ジュンの目に、少女が映っていた。
ずっと昔から、
自分が姉を嫌悪していた頃から、
いつも傍にいた、真紅のドレスを纏った人形。
その金髪が風になびくと、太陽の光が反射して、一層
美しく見えたものだった。
 いつも強気で、時に人から誤解を招き、衝突する。
それから長い時を経て、自分がお金を稼ぐ身となり、
距離が出来てしまっても、
 これから遠く離れる事になってしまっても、
黙って自分の歩く姿を見守っていてくれた。

 だが、今、目に映る彼女は、雨に濡れながら、
通り過ぎる車に怯えながら、涙を流しながら、
自分の名前だけを、必死に呼び続けている。

 ジュンの行動に迷いはなかった。


365:2008/05/31(土) 00:40:29.48 ID:
4メートル。
2メートル。

パパ――――ッという音が雨を切り裂く。

 ふと、ジュンは自分の感覚が、ゆっくりになるのを感じた。
何かスローモーションで時が流れているような、
1秒が2秒になり、3秒になり。

 ほんの一瞬の、
たどり着けないような、妙な感覚。



もう一度、ジュンは、少女の名前を叫んだ。



372:2008/05/31(土) 00:51:42.53 ID:







「真紅!!」
 間一髪の所で真紅を抱き上げ、中央分離帯へと倒れ込む。
その後ろを、大型トラックが、ゴオオオ―――と通り過ぎていった。

 彼女の両脇に手を回し、今一度抱きしめる。
「ジュン……!!!」
 泣き声が一層大きくなった。
 震える少女を、ジュンは必死に抱きしめた。
「真紅…」
 自分が泣いているのがわかった。
「ジュン…!」
 それに呼応するように、真紅もジュンの名前を呼び続ける。
 いつの間にか、雨は土砂降りへと変わっていた。
「ジュン」
「真紅」
「ジュン、ジュン…!!」
「ごめんよ、真紅…!」
その中で、二人は抱き合ったまま、いつまでも泣き続けた。



378:2008/05/31(土) 01:02:26.25 ID:






「ごめんな、こんな格好で」
 人影もまばらな電車の中。
 かたた、かたた、と揺れ続ける真紅を、
Tシャツ姿のジュンが膝に乗せている。
「いいえ、気にしな、いでちょうだい」

 髪を拭いた後、くしでとかすジュン。
「ごめんなさい」
 真紅が口を開いた。
「え?」
「迷惑、かけたわね」
 言いながら、ジュンの胸にすり寄る真紅。
「…いや」
 くしを置くジュン。
「嬉しいんだ、僕は」
 真紅がかたた、と揺れ、顔を上げる。
「嬉し、い?」
「ああ、正直」
「……」
「会えずに別れるのかと」


380:2008/05/31(土) 01:10:47.17 ID:
「……」
「荷物は全部、別便で名古屋に送った」
「……」
「電車にも間に合うように行動した」
「……」
「でも、お前らに挨拶出来ずに終わるのかなって…」
「………」
「悲しかったよ」
「ジュン…」
「お前が人目も気にせず走って追いかけてくるまでは」
 真紅が不思議そうな顔をする。
「………」
「僕は嬉しかった」
「…どうして?迷惑じゃなか、ったの」
「ああ、ごめん、真紅…」
 頭を撫でる。
「鞄とゼンマイ、実家に置きっぱなしだな」
「………」
「姉ちゃんに、すぐに送ってもらうようにするから」
 真紅は視線を伏せ、黙ってしまう。
「……ね」
「うん?」


383:2008/05/31(土) 01:19:48.92 ID:
「嬉しかったって?」
「うん?」
「ジュンは、私が、あんな事して、あれだけ、ジュンの、生命を危険にさら、して」
かたたた、と大きな音がする。
「嬉し、かったの」
「………」
「ああ」
「そ、れは、どうして」
「分からない」
「わ、から…ない?」
「ああ。…でも、うまく言えないけど」
 ジュンの胸をつかんでいた手が、かくんと落ちる。
「いつもプライドや世間体や、信頼とかそういうものを」
「………」
「大切にして、自分が我慢ばっかりしてた」
「…………」
「そのお前が泣いている」
「……」
「僕が行かなきゃ、抱きしめてやんなきゃ、そう思った」
「………」
「義務感じゃない、そうしたかったんだ」
「…そう」
「お前のもとに行けて」
 真紅が目を細める。
「抱き合えたから」


389:2008/05/31(土) 01:27:38.62 ID:
「…」
「それだけだよ、嬉しかった理由は」
「……」
 真紅の口元が緩み、とん、と胸に寄り添う。
「ねえ、ジュン」
「ん」
「私ね、私は…」
「何だ?」
「全て、のローザ、ミスティカ、を集めて、お、父様に会う」
「……」
「今、はそん、なの、どうでも、いいの」
「………」
「お父、様の、ための、アリスな、んて」
「真紅…」
「私は、真紅」
 かた、かた、と、小刻みに震え始める。
「ローゼ、メイデンの、第5、ドール」
「………」
「そして、幸、せな、あな、たの、お人、形」
「………」
「いいの、私は、それで」
「真紅………」
「ジュン」
「うん?」
 震える手で、ジュンの左手を持ち上げる。


391:2008/05/31(土) 01:33:10.08 ID:

 薬指にぎこちなく口づけをし、まばゆい光がすぐに消える。
「これで、契約は、破棄。貴方、はもう、私の、家来でも、何でもな、くなった」
 ジュンを見上げ、虚ろな眼で、それでも微笑む真紅。
「だか、ら、ここ、からは、私の、ワガ、ママ」
 ぎゅっと、ジュンの両手が握りしめられる。
「私、貴方に、ついて、いきたい」
「え」
「やっぱり」
「……」
 真紅の目に、涙がにじんでいる。
「だっ、て、私、生き、てい、るもの」
「真紅……」
「もっと、貴方と、一緒にいた………」
 言葉が途切れる。


394:2008/05/31(土) 01:38:29.40 ID:
「お、おい、真紅」
「……」
「無理するなよ」
「…だいじょ、ぶ」
「…」
「あの、ね、私、こと、いら、なくな、たら、捨てて、いいから」
かた…かた…と、震えが次第に小さくなる。
「だから…………」
 真紅の蒼い瞳が、そこで閉じられた。
 寄り添った身体から、急激に力が抜けていく。
「………」
 ジュンの両手を握っていた手は、だらんと垂れさがっていた。
「眠っちゃったか…ごめんな、真紅…」
「………」
「早くネジ、巻いてやらないとな…」
 動かなくなった真紅の髪を、何度も撫でるジュン。


399:2008/05/31(土) 01:44:32.66 ID:




 いつの間にか、窓の外に晴れ間が広がっていた。

雨上がりの空に、虹の橋が架かっている。

薔薇乙女たちと同じ、七色の、大きな橋が。


「…………」
 ジュンはしばらく外を見つめ、やがてあくびをする。
「…僕も一眠りするかな」
 ポケットからMDウォークマンを取り出し、イヤホンを繋げる。
「……」
 思い直したように、片方を、真紅の耳につけるジュン。
カチッとスイッチを入れる。

 流れてきたのは、BoAの「JEWEL SONG」。

「お前、好きそうだから…こういう曲」
 そう言って、もう一度、真紅を見やる。
 その眠りの表情は、少し笑っているように、
ジュンには見えた。


400:2008/05/31(土) 01:48:18.65 ID:


―――私、貴方についていきたい


―――やっぱり


―――だって、私、生きているもの


―――もっと、貴方と、一緒にいたいもの


―――私のこと


―――いらなくなったら、捨てていいから




402:2008/05/31(土) 01:48:49.32 ID:




―――だから…………






―――ずっと、貴方の傍にいさせて










ローゼンメイデンの話  完





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