1:2011/10/30(日) 18:00:40.04 ID:sisJXbsWo

 ※注意書き

・ゆるゆりのSSです

・百合要素ありです

・地の分だらけです

・さくひま(あるいはひまさく)です

・書き溜めありです

・超 長 い で す

・スレ立てのたびに緊張します



 生温かい目で見ていってください


2:2011/10/30(日) 18:03:03.60 ID:sisJXbsWo




      『お願い Catch me』


.


3:2011/10/30(日) 18:06:08.00 ID:sisJXbsWo

 夏が過ぎて、秋の気配も色濃くなってきた頃。

 暑さが和らぎ、冬の寒さがやってくる前の過ごしやすい季節を謳歌する一般生徒とは対照的に、ごく一部では張り詰めた糸のような空気が生まれていた。



“告知 生徒会役員選挙”



 廊下に掲示されたポスターを前に、にらみ合う生徒が二人。

 大室櫻子と、古谷向日葵だった。

「とうとう……」

「この時がやってきましたわね……」


4:2011/10/30(日) 18:06:55.94 ID:sisJXbsWo

 何を隠そう、入学からずっと次期副会長の座を巡って争ってきた二人である。

 ついにやってきたこの選挙は、彼女らにとって宿命の対決といっていいだろう。

「向日葵、立候補を取りやめるなら、まだ間に合うんじゃない?」

「聞き捨てなりませんわね。どうして私がそんなことしなくてはなりませんの?」

「私が勝つからに決まってんじゃん」

 堂々と、ない胸を張る櫻子。

 予想と寸分違わない反応に、呆れ気味にため息をつく向日葵。

「本っ当に、その自信がどこから湧いてくるのか教えてほしいですわ……」


5:2011/10/30(日) 18:08:10.87 ID:sisJXbsWo

 何かと突っかかってくる櫻子が、根拠のない自信に満ちているのは、いつものことである。

 だから今回も、どうせ言葉に詰まって怒り始めるのだろうと思っていた──────が。

「だって私、向日葵より友達多いし」

「うっ……」

 思わぬ反撃に、言葉を詰まらせる向日葵。

 しかもそれが適当に口にしたわけではなく、向日葵自身も認める、弱点を突いたものだったから、反論に窮する。

「選挙って、要するに人気投票みたいなものじゃん? そうしたら、友達多い私のほうが有利でしょ」

「それは……間違いではありませんけど……」

「なら私の勝ちだし!」

「くっ!」


6:2011/10/30(日) 18:08:59.03 ID:sisJXbsWo

 櫻子にしては、極めて真っ当な正論である。

 比較的真面目な校風であるとはいえ、七森中は特別生徒会活動に関心のある生徒が多いわけではない。

 そうなると、役員選挙も、実績などよりも本人の知名度や人柄が大きく影響してくるのは仕方のないことだった。

「そ、それでも……まだ演説会がありますわ! 櫻子だって、先輩方にまでは顔が利かないでしょう!?」

 知名度という点で言えば、同学年はともかく、二年生以上の学年ではほぼ対等である。

 そういった上級生にアピールできるのは、実質投票前の演説会だと言っていい。

 そこでならば、向日葵は櫻子に勝てる自信が十分にあった。

 しかし、櫻子は余裕の態度を崩さない。


7:2011/10/30(日) 18:09:45.14 ID:sisJXbsWo

「でもさ、演説がそんなに重要なんだったらさ」

「な、なんですの……?」

「今の会長、当選してないんじゃない?」

 今度こそ絶句する向日葵。

 現生徒会長──────松本りせが果たしてどういう演説をして、生徒会長になったのか、彼女らは知らない。

 しかし、これだけは言える。

「か、会長が演説してる姿そのものが浮かびませんわ……!」

 向日葵の脳裏に浮かんだのは、演説の持ち時間いっぱい、壇上で立ち尽くすりせの姿だった。

 ──────いや、りせにしてみれば、一応なにかしゃべっているつもりなのかもしれないが、それを聞き取れる人間は知る限りでは西垣先生以外にいない。

 困惑する全校生徒のビジョンが、ありありと浮かんでくる。


8:2011/10/30(日) 18:10:55.05 ID:sisJXbsWo

「それでも会長になれたんだから、演説なんて大して大事じゃないってことだ!」

「ぐうぅ……!」

 まさか向日葵が、櫻子に言い負かされる日がこようとは。

 そこに櫻子がさらなる追撃を加える。

「あとさ、先輩たちに聞いたんだけど、投票って名前書いてある紙に○付けるらしいじゃん?」

「それがどうしたと……あ、あぁっ!!」

 投票形式がどう関係するのかと思った向日葵だったが、言いかけて途中で気づく。

「そ、それってもしかして……」

「……あいうえお順なら、“ふ”るたにより、“お”おむろのほうが先だよね」

「…………!!」


9:2011/10/30(日) 18:11:45.81 ID:sisJXbsWo

 崩れ落ちる向日葵と、勝ち誇る櫻子。

 特に関心のない投票やアンケートに○を付ける場合、一番最初に書いてあると○が付きやすい。

 これは、統計的にも証明されている。

 難しく考えなくても、当たり前の話ではあるが。

「さあ向日葵! 大人しく負けを認めろ!」

「わ……私が負ける……」

 膝を突き、私が負ける、櫻子に負ける、とぶつぶつ呟いていた向日葵だったが、やがてすっと立ち上がった。

 おやっと思った櫻子がその顔色を窺うと、予想とは異なり、晴れやかな表情だった。


10:2011/10/30(日) 18:13:08.17 ID:sisJXbsWo

「……よく考えたら櫻子の予想ですし、真に受ける必要ありませんでしたわ」

「なんだとー!?」

 珍しく向日葵を論破したと思えば、“櫻子だから”という理由であっさり全否定された。

 論理性のかけらもない、もはや現実逃避の域だが、妙に説得力のある台詞である。

「ど、どうやら完全決着つけたいみたいだね向日葵……!」

「櫻子こそ……選挙前から心理戦とは、よほど私と勝負をしたくないみたいですわね……!」

「負けて泣いても知らないからね……」

「こっちの台詞ですわ……」


11:2011/10/30(日) 18:13:52.38 ID:sisJXbsWo

 ぶつかる視線。

 飛び散る火花。

 避ける生徒。

 いつもの光景だった。

 これまでずっと繰り返してきた、同じような争い。

 しかし、その決着も、もう間もなくに迫っている。

 一週間後、生徒会役員選挙投票・開票日。

 果たしてその結果は──────


12:2011/10/30(日) 18:14:36.59 ID:sisJXbsWo

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13:2011/10/30(日) 18:15:17.43 ID:sisJXbsWo




『生徒会副会長 大室櫻子』


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14:2011/10/30(日) 18:16:09.89 ID:sisJXbsWo

 投票結果が伝えられた立候補者二人の反応は、対称的だった。

「やったぁー!! 向日葵に勝ったー!!」

 満面の笑みで、諸手を上げて喜ぶ櫻子。

 対する向日葵は──────得票数の書かれた紙をじっと見つめて、ひたすらに無言だった。

「ほらね! やっぱり私の予想当たってたし!」

 はしゃぐ櫻子の隣で、向日葵は悔しがるでもなく、怒るでもなく、ただ静かに黙り込んでいる。

 やがてそれに気づいたのか、櫻子がきょとんとして向日葵の顔を覗き込む。

「向日葵ー? どれだけ見ても私の勝ちだよ?」


15:2011/10/30(日) 18:16:56.55 ID:sisJXbsWo

 真剣な眼差しで紙を見つめ続けている向日葵。

 そして櫻子の言葉から数瞬遅れて、呟いた。

「そうですわね」

 あまりにもそっけない台詞に、櫻子は拍子抜けした顔になった。

「……向日葵、悔しくないの?」

「……………………」

 櫻子に言われて、初めて気づいたという風に、向日葵は考え込んだ。

 そして同じようにそっけなく、

「悔しい、ですわね」

 とてもそうは思えない調子で、言った。

 もっと本気で悔しがるだろうと思っていた櫻子は、その様子に当惑してしまう。


16:2011/10/30(日) 18:17:48.80 ID:sisJXbsWo

(向日葵どうしたんだ……? 泣きたいけど我慢してるのかな)

 とは思ってみるものの、そういうようにも見えない。

 その姿は、一心になにかを考えている風に思えた。

「あ、大室さん……と、古谷さん……」

 櫻子が首を傾げていると、そこへ綾乃と千歳がやってきた。

 二人は、櫻子と向日葵を見比べて微妙な顔をしている。

「えっと……大室さん、当選おめでとうね」

「あ、はいっ! ありがとうございます」

「古谷さんも、その、残念だったけど……」

「いえ……」

 綾乃に声をかけられると、ようやく向日葵も無表情を崩して微笑んでみせた。


17:2011/10/30(日) 18:18:43.41 ID:sisJXbsWo

「お気遣いありがとうございます。それより杉浦先輩も、生徒会長当選おめでとうございます」

「あ、ありがと……まあ、信任投票だったけどねっ」

 それでも綾乃は顔を赤くして、照れくさそうにしている。

 信任投票だったとはいえ、ほぼ全生徒の支持を得られたというのが、その大きな理由だろう。

「よかったなぁ、綾乃ちゃん。一年間の活動を、ちゃんと認めてもらえたってことやもんなぁ」

「そんな……適当に丸つけただけの人だって多いだろうし……」

「いいえ、杉浦先輩の実力ですわ。謙遜なんてしなくても」

「もう、古谷さんまで……!」

 褒められたときでもつい否定してしまうのが綾乃らしいとも言えるが、その表情は終始嬉しさを隠せないでいた。

 対して、やや不満げなのは櫻子である。

(ちぇっ……向日葵のやつ、余裕ぶっちゃって……)


18:2011/10/30(日) 18:19:47.75 ID:sisJXbsWo

 泣きながら悔しがる向日葵を前に、当選を自慢してやろうと考えていた櫻子には、これは大いに不満な展開だった。

 勝利の余韻とか、達成感とか、そういったものがなにもないではないか。

 思わずイラッとした櫻子は、綾乃たちと話し続ける向日葵の背に叫んだ。

「コラ向日葵ーっ! 先輩の当選だけ祝福とか何事だー!!」

「はぁ?」

 突然の大声に、三人の視線が櫻子に集まる。

 ふん、と胸を張る櫻子。

 さあ、先輩たちの前で、屈辱に塗れながら私を褒め称えるがいい。

 櫻子がそんな風に思っていると、

「……そうでしたわね」

「あ?」


19:2011/10/30(日) 18:20:33.77 ID:sisJXbsWo

 向日葵がそっと指を伸ばし、櫻子の額をつつく。

「おめでとうですわ、櫻子。私に勝ったからには、きちんと副会長の仕事をするんですのよ?」

「お、おう……?」

 またもや予想外の反応。

 本当に目の前の人間は、いつも副会長の座を巡って争ってきた、あの向日葵なのだろうか?

 櫻子は段々と当惑を通り越して、心配になってきた。

「ひ、向日葵……?」

「なんですの?」

 なにかがおかしい。

 ひとつ、本物の向日葵かどうか確かめる方法は──────


20:2011/10/30(日) 18:21:31.15 ID:sisJXbsWo

「……向日葵っ」

「だから、さっきからなんですの?」

 櫻子は、大きく息を吸い込んで、言った。



「どんだけおっぱい増量しようが、私に勝てないってわかったか!!」



 吸い込んだ息は、腹への膝蹴りですべて搾り出す羽目になった。


21:2011/10/30(日) 18:22:35.76 ID:sisJXbsWo

「いてて……なんだよ、いつもの向日葵じゃん……」

 蹴られた腹を押さえながら、櫻子は廊下を歩く。

 先ほどの反応で、向日葵まさかの別人説は否定されたものの、しかしそれでも疑問は残る。

「向日葵どうしたのかな……あいつのほうが先に“生徒会副会長目指しますわ!”とか言ってたのに」

 入学したての頃、生徒会に入ると言っていた向日葵につられる形で、櫻子も生徒会に参加したのだ。

 そのときは、特に考えがあったわけではない。

 向日葵が入ったから、自分も入る。

 他人に理由を尋ねられれば色々と答えるだろうが、根本的には、ただそれだけのことだ。

 それは櫻子にとっては当たり前のことでしかなくて、疑問を覚える余地などはない。


22:2011/10/30(日) 18:23:42.41 ID:sisJXbsWo

 だから生徒会に入るのは当然。

 副会長を目指すのは当然。

 向日葵がそうするから。

 向日葵が。



 ──────その向日葵が落選した。



 当選したのは? もちろん、自分だ。

 向日葵が落選して、自分が当選した。

 それだけ。


23:2011/10/30(日) 18:24:24.94 ID:sisJXbsWo

(…………あれ?)

 そこまで考えが至って、なにか違和感を覚える。

 なにかがおかしい。

 なにかが違う。

「私が当選したから、向日葵は落選して……ってことは」

 自分が副会長になって。

 向日葵はなれないということ。

 私と向日葵は“違う”ということ。

「あれ……? そういうことなの……?」


24:2011/10/30(日) 18:25:46.34 ID:sisJXbsWo

 他の誰かが聞けば、どうして今さらそんな当たり前のことをと思っただろう。

 しかし、櫻子は今、ようやくそれを理解した。

 もう向日葵と副会長の座を巡って争うことはない。

 自分が副会長になって、だから自分の勝ち。

 決着。

「……………………」

 ぼんやりとした頭で、そんなことを思う。

 向日葵に勝った。

 そんなことを反芻してみても、なにも感じない。

 当選を知ったときの自分は、いったいなにをそんなに喜んでいたのか。


25:2011/10/30(日) 18:26:35.67 ID:sisJXbsWo

 向日葵がじっと見ていた、得票数の書かれた紙をポケットから取り出して、見直してみる。

 櫻子と向日葵の名前が隣り合って並んでいて、櫻子のほうには“当選”の二文字が打ち込まれている。

 二人の得票数を比べると、その差はごく僅かでしかなかった。

 ほんの少しの差が、二人に違いを生んだ。

(あれ?)

 どんどん、櫻子の胸に疑問が湧いてくる。

(私、副会長になってなにがしたかったんだっけ……?)

 誰に尋ねても、その答えが返ってくるはずはない。

 自分自身ですら考えていなかったことなのだから。


26:2011/10/30(日) 18:27:24.77 ID:sisJXbsWo

(私、なんで副会長になろうと思ったんだっけ?)

 浮かぶのは向日葵の顔。

 いつものように、あいつの背中を追っていたら、ここまで来ていた。

(私、副会長になってなにをすればいいの?)

 それは、これから知ることになる。

 櫻子は、もう副会長になったのだから。



“私に勝ったからには、きちんと副会長の仕事をするんですのよ?”



「え?」

 至った結論。


27:2011/10/30(日) 18:27:58.01 ID:sisJXbsWo




「じゃあ、向日葵は……?」


.


28:2011/10/30(日) 18:28:31.39 ID:sisJXbsWo

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29:2011/10/30(日) 18:29:19.64 ID:sisJXbsWo

 なんとなく顔を合わせられなくて、その日はそのままひとりで家に帰ってしまった。

 翌朝、当たり前のように向日葵が家に迎えに来たのが、よけいに気まずい。

「昨日はどうしましたの? 一度もうちに来ないなんて」

「……いつも入り浸ってるみたいにゆーな」

「事実でしょう……」

 隣を歩く櫻子が、なにやらむくれているのはわかる。

 しかし、向日葵にはその理由がよくわからない。

 いつの間にか学校からいなくなっていた櫻子を探して歩いたり、帰宅していることに気づいてからは晩ご飯を多めに用意しておいたり、なにかと気を遣っていたのだが、それを正面切って言うほど向日葵も素直ではない。

 なので、不機嫌そうな櫻子を見て困惑はするものの、それ以上には突っ込んで訊ねることもできずにいた。


30:2011/10/30(日) 18:30:17.86 ID:sisJXbsWo

 ぶすっとした櫻子の横顔を見ながら、通学路を歩く。

 ひょっとして昨日蹴ったことを怒っているのかとも思ったが、それなら真正面から怒りをぶつけてくるのが、普段の櫻子だ。

 今の櫻子は、怒っているというよりは、なにかに悩んでいるようだ。

 と言っても、櫻子が悩むということ自体が稀なので、それはそれで当惑するのだが。

「……向日葵さ」

 ぼそっとした櫻子の呟きで、はっとわれに返る。

 向日葵とは目を合わせず、どこか躊躇したまま、櫻子は訊ねた。

「これから生徒会の仕事、どうすんの……?」

「え?」

 どうする、と言われても。

 予想していなかった言葉に、向日葵は思ったまま答えるほかなかった。


31:2011/10/30(日) 18:31:18.83 ID:sisJXbsWo

「それはまあ、今までと変わらないんじゃありませんの?」

 そう言うと櫻子は、怪訝そうな顔で向日葵の顔を見返した。

「変わらないの?」

「な、なんですの……?」

 櫻子がなにを言いたいのかわからない。

 確かに副会長に落選はしたものの、別に生徒会を辞めるわけでもないのだから。

「ああでも、櫻子が副会長になったんですし……そのフォローに忙しくはなるかもしれませんわね」

 どうせ櫻子のことですから、手伝わないと仕事溜め込むでしょうし。

 と、小ばかにして言ってみたものの、櫻子の反論はない。

 目を吊り上げて怒るだろうと思ったのに、それどころか呆けたような顔で向日葵を見つめている。


32:2011/10/30(日) 18:32:32.72 ID:sisJXbsWo

「さ、櫻子……?」

「……そっか」

 なにやらひとり納得した様子で、櫻子がうなずく。

 そして急に顔を綻ばせたかと思うと、べしっと向日葵の肩を叩いた。

「いたっ!」

「なーんだ、いつもどおりかー!」

 ばしばしと肩を叩き続ける櫻子に思わずイラッとするものの、同時に笑顔が戻って一安心する向日葵。

「……なんなんですの、今日のあなた」

「いや、別にぃ? それじゃ、今日から向日葵は私の手伝い専門ね!」

「はぁ!?」

「副会長命令だぞ! ちゃんと仕事しろよなー!」

「このっ……」


33:2011/10/30(日) 18:33:08.03 ID:sisJXbsWo

 完全に有頂天になっている櫻子の後頭部を、平手で張り飛ばす。

「調子乗るんじゃありませんわよ!」

 踏ん張る素振りも見せずにびたんと地面に倒れる櫻子。

 しかし、それでもご機嫌な表情は緩まなかった。

「あははははは!!」

「……はぁ」

 わけがわかりませんわ、とひとりごちる向日葵。

 でも、それでも。

 暗い顔をされるくらいなら、こっちのほうがずっとマシだと、心の中では思うのだった。


34:2011/10/30(日) 18:33:52.87 ID:sisJXbsWo


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35:2011/10/30(日) 18:34:45.84 ID:sisJXbsWo

 その日の放課後は、生徒会役員の引き継ぎが行われた。

 とは言っても、特に顔ぶれが変わるわけではないので、実質は綾乃と櫻子の会長・副会長就任祝いと言っていい。

 ただし、ひとりだけ例外がいる。

「今まで、お疲れ様でした」

 綾乃がそう言って、頭を下げる。

 それにならうように、千歳、櫻子、向日葵も頭を下げた。

 その先にいるのは、松本りせ。

 これまで生徒会長を務めてきた当人である。


36:2011/10/30(日) 18:35:47.16 ID:sisJXbsWo

 りせは一礼を返すと、自らの腕章を外して、綾乃に手渡す。

 綾乃は、それを一瞬見つめたあと、大切そうに受け取った。

「……ありがとうございます」

 そのまま手を引こうとすると、りせがその手をつかんだ。

「会長……?」

 りせは首を振る。

「あ……松本、先輩……」

 今度はうなずく。

 この瞬間、松本りせは引退し、新たに杉浦綾乃生徒会長が誕生したのだった。


37:2011/10/30(日) 18:36:37.76 ID:sisJXbsWo

 そのままりせは綾乃の手を握ると、その顔を見てなにか呟いた。

「……………………」

「……えっと?」

 いつものように聞き取れなかった綾乃は、困ったように隣に目を向ける。

 そこには、唯一りせの話を聞き取れる西垣先生が立っていた。

 なにかと生徒会室に入り浸っていて、りせとも仲が良かった彼女は、この場に立ち会っていたのである。

「あの……」

「うん?」

 できれば通訳を、と願いを込めて見たつもりだが、西垣先生は首を傾げて微笑むばかりで、なにも言おうとはしない。

 むしろ、ちゃんと前を向けと促しているようでもあった。


38:2011/10/30(日) 18:37:33.98 ID:sisJXbsWo

(そういえば)

 視線を戻して、りせの顔を、しっかりと見る。

(会長と、しっかり話をしたこと、なかったかも)

 綾乃が生徒会に入った頃から、りせは西垣先生を除き誰とも会話が成立しない人だった。

 だから、いつからか会話することそのものを諦めていたような気がする。

 なんとなくそれを申し訳なく思って、改めて彼女の言葉に耳を傾ける。

「……………………」

 多分、同じことを言ったのだろう。

 それでも、聞き取れなかった。

 残念だけど、そういうものなのかもしれない。

 それでも誠意は伝わったと思う。


39:2011/10/30(日) 18:38:40.94 ID:sisJXbsWo

 そうして改めて手を引こうと思ったとき。



「がんばってね」



「えっ!?」

 聞き間違いか、と綾乃は思わず自分の耳を疑った。

 振り返り、千歳や後輩たちを見る。

 三人とも、不思議そうな顔をしていた。

 それも会長の言葉に、というわけではなく、突然後ろを振り向いた綾乃の行動に対してのもののようだった。


40:2011/10/30(日) 18:40:09.26 ID:sisJXbsWo

(今のは……聞き間違いかしら……?)

 いや。

 そんなはずはない、と思った。

 確かに、聞こえたのだと。

 だから、応えた。

「はい!」

 はっきりと返事をした綾乃に、りせは嬉しそうに微笑んだ。

 綾乃にしたのと同じように、りせは一人一人の手を握り、話しかけていく。

 みんな少し驚き、それから神妙な顔をしてそれを聴いているが、果たして本当に会長の声が届いているのか、それは綾乃にはわからない。


41:2011/10/30(日) 18:42:03.79 ID:sisJXbsWo

 そして、最後に残った向日葵。

 彼女の前に立つと、りせは少しだけ表情を引き締めた。

「……………………」

 呟く言葉は、他の誰に対するものよりも長かった。

 やがて、向日葵はひとつうなずき返す。

 りせもそれで満足したように、今度は向日葵の隣へと並んだ。

「杉浦」

「……あっ、はい!」

 りせの動きを目で追っていた綾乃は、最初自分が呼ばれた意味に気づかなかった。

 が、見回せば、りせを含めて全員が自分に注目している。


42:2011/10/30(日) 18:42:58.93 ID:sisJXbsWo

 こほんと咳払いをし、話し始める。

「それでは……生徒会規定により、今日から生徒会長になりました、杉浦綾乃です。皆さん、一年間、よろしくお願いします」

 そう言って一礼すると、その場にいた五人から、拍手が送られた。

 照れくさそうにしながら、綾乃は脇に退く。

「さ、大室さん」

「は、はいっ」

 柄にもなく緊張しているのか、櫻子はぎくしゃくとした動きで、前に出る。


43:2011/10/30(日) 18:43:47.91 ID:sisJXbsWo

「えーっと、今日から生徒会き……きー……?」

「規定ですわ」

「規定によりっ!」

 向日葵がぼそっと助け舟を出して、櫻子は続ける。

 全員が苦笑したように見えたが、気にしない。

「生徒会副会長の、大室櫻子です! よろしくお願いします!」

 そう言い切って、勢いよく頭を下げる。

 綾乃のときと同じように、全員から拍手が送られた。

 もちろん、ライバルだった向日葵からも。


44:2011/10/30(日) 18:44:23.15 ID:sisJXbsWo

「改めて、今日からよろしくね、大室さん」

「任せてくださいっ!」

「調子に乗って先輩方に迷惑かけるんじゃありませんわよ」

「なにをー!」

 早速始まるいつものやり取り。

 どうやらこれからも、今までどおりやっていけそうだ。

 みんなが脱力して笑う中、りせだけが少し寂しそうな、それでいて満足げな表情を浮かべるのだった。


45:2011/10/30(日) 18:45:10.97 ID:sisJXbsWo


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46:2011/10/30(日) 18:45:54.82 ID:sisJXbsWo

 翌日から、新生生徒会の活動が始まった。

 綾乃のやることは、それほど変わりがない。

 元々無口なりせに代わって生徒会を取り仕切る立場にあったし、十分な経験を積んでもいる。

 補佐役である千歳も、よく綾乃を見ていて、足りないところには先に手を回しておく気遣いができている。

 一方で緊張と混乱が続いているのは櫻子のほうである。

 副会長の仕事は、ただ作業的に仕事をすればいいというものでもない。

 生徒会に上がってくる報告や要望を確認し、それらについて裁量しなければならないのだが、


47:2011/10/30(日) 18:47:29.10 ID:sisJXbsWo

「・・・・・・これってどういう意味?」

「ですから、機材の追加購入のために部費の上乗せがほしいということですわ」

「ならあげたらいいんじゃないの?」

「ですから! 本当に必要なのかどうか、購入予定の機材が妥当なのかどうかを確認しなければいけないんですわ」

「めんどっちぃ・・・・・・」

 綾乃の指示に従って動いていればよかったこれまでとは違い、自分で考え、判断していかなければいけない。

 これは櫻子にはまだまだ難しいことだった。

 そのため、向日葵が付きっ切りで助言しながら仕事をしている状態である。


48:2011/10/30(日) 18:48:24.95 ID:sisJXbsWo

 これではどちらが本当の副会長なのかわからない、と陰口を叩くような人間はいない。

 手探りながらも、櫻子が真剣に仕事に取り組んでいるのがわかっているからだ。

 ましてや、かつて副会長を務めた綾乃は、そのことがよく身に染みていた。

「大室さん、仕事については私に訊いてもいいからね。最初はわからないことだらけだもの」

「はい、お願いしまーす」

「でも、杉浦先輩も生徒会長の仕事が……」

「こっちは副会長の仕事の延長みたいなものだから。いきなり役職を持つほうが、大変だと思うし」

 そう言われては、向日葵も反論できない。


49:2011/10/30(日) 18:49:19.20 ID:sisJXbsWo

 すると、櫻子はここぞとばかりに綾乃に質問を連発する。

「先輩、これは……」

「それは担任の先生たちから聞かないといけないから……学年主任の先生にお願いしておくといいわ」

「じゃ、こっちなんですけど」

「そっちは前にも似たような決裁をしたことがあるから、そこの引き出しを調べてみて。大体同じように対応すればいいと思うわ」

「あと……」

「ちょっと、櫻子!」

 なにもかも質問するばかりの櫻子に痺れを切らし、とうとう向日葵が口を挟む。


50:2011/10/30(日) 18:50:05.92 ID:sisJXbsWo

「杉浦先輩のこれまでの仕事を思い出せばわかるものだってあるでしょう? なにもかも人頼みはよくありませんわ」

「えー……」

「大丈夫よ、古谷さん。私は別に……」

「ですけど……」

 正直に言えば、向日葵にとって櫻子の仕事ぶりはもどかしくて仕方のないものだ。

 これまでのおよそ半年間、生徒会の仕事をする中でもっと注意深く書類などをチェックしていれば、会長や副会長の仕事がどんなものなのか、理解できるはずなのである。

 それがわからないということは、櫻子はただ漫然と目の前の仕事を片づけていただけに過ぎないのではないか。

 しかし、歯がゆく思うのと同時に、それが櫻子のやり方であることも頭の隅では理解していた。

 事実として、副会長に当選したのは櫻子なのだから。


51:2011/10/30(日) 18:51:14.35 ID:sisJXbsWo

「……いいですわ、なら櫻子の考えるように任せます」

「おー、任せろ。そのうち向日葵になんか頼らなくていいようになってやるから」

「どうだか」

 口ではそう言うものの、櫻子の意気込みがわからないわけではない。

 わからないなりにやる気はあって、解決しようと頑張ってはいるのだ。

(昔からやればできる子でしたものね……)

 勉強の成績などに反映されているわけではないが、櫻子は昔からどこか人を引っ張る力があった。

 だから人気もあるし、嫌う人間もほとんどいない。

 向日葵には始終迷惑をかけているが、それは自分の身内同然に数えているせいもあるだろう。

 つまり自分との差はそういう部分なのだろうと、向日葵は考えていた。


52:2011/10/30(日) 18:52:05.78 ID:sisJXbsWo

 勉強や仕事をそつなくこなすからといって、それが周囲からの評価にどれほど影響を与えるのだろうか。

 もちろん教師を初めとして、優秀な生徒としては認識されるだろう。

 しかし、学校という空間において、それは絶対的なステータスではない。

 いや、学校に限ることなく、どんな場面でも、人が頼りにするのはより身近な人間だ。

 他人に好かれやすい人というのは、親しみやすい雰囲気を持っているものだ。


53:2011/10/30(日) 18:52:48.30 ID:sisJXbsWo

 他に向日葵が知る中でそういうタイプの人間というと、歳納京子が挙げられるだろう。

 理由はよくわからないが、いつの間にか人の輪の中心にいる。

 少々のミスなどものともせず、多くの人と仲良くなれる。

 天性の才能と言うほかない。

 それに比べれば、私は──────


54:2011/10/30(日) 18:53:28.70 ID:sisJXbsWo

「向日葵ー」

 呼ばれてわれに返る。

「な、なんですの?」

「いや、今からあちこち行くから付いてきて」

 見ると、櫻子は何枚か書類を手にしている。

 どうやら、綾乃に確認して、他の人たちに確認が必要な書類を選んで手にしたようだ。

「いいですけど……一人でできませんの?」

「はぁ? 向日葵は私の手伝いするのが当然だろ」

 確かに手伝うと言った覚えはあるが。

 綾乃に目をやると、うなずく。

 どうやら手伝ってこいということらしい。


55:2011/10/30(日) 18:54:26.83 ID:sisJXbsWo

「わかりましたわ。また櫻子が間違えないか、ちゃんと見張っておきますから」

「しねーよ! 向日葵は見てるだけで十分だから!」

 そう啖呵を切って、先に歩き出す。

 時折ふと振り返って、向日葵が付いてきているのを確認している。

「なんですの?」

「いや、なんか」

 にやにやと、櫻子が笑う。

「こうやって向日葵を従えてると、副会長になったんだなーって思って」

「調子乗るんじゃねーですわ」

 ひょこひょこと揺れる頭を、小突く。

 それでも、櫻子は妙に上機嫌だった。


56:2011/10/30(日) 18:55:16.18 ID:sisJXbsWo

(なんなのかしら、この子……)

 この前はどこか不機嫌そうだった気がするのだが。

 とはいえ、この幼馴染の気分など、長い付き合いの中でも読めたためしがない。

 ただの気まぐれだろうか。

「おい、向日葵!」

「今度はなんですの」

「これから一年間、この調子で私の手伝いするんだぞ!」

 振り返り、びしっと指を突きつけて言う。

 しかも、やたら嬉しそうに。

 なので、こう答えた。


57:2011/10/30(日) 18:56:12.44 ID:sisJXbsWo

「嫌ですわ面倒くさい」

「なんだとー!?」

 してやったり、と言いたくなるほど櫻子は驚愕した。

 当然だ、誰がいつまでも素直にはいはい従うものか。

「私に頼らなくていいようになるって、櫻子が言ったんでしょう」

「い、いや……そういう意味じゃ、ないし……」

 自分で言ったことを持ち出されて、途端にトーンダウンする櫻子。

「櫻子は副会長ですものね。そのうちちゃんと仕事も覚えて、私が手伝うようなことなんてなくなるんでしょう?」

 わざと嫌味っぽく言うと、櫻子は途端にムカッとした。


58:2011/10/30(日) 18:57:19.16 ID:sisJXbsWo

「……だったらいいし! 私が全部仕事して、向日葵なんて用済みにしてやるから!」

「できるものなら、どうぞ。楽しみですわ」

 反論も平然と受け流すと、櫻子はぐぬぬ、と言葉に詰まった。

 しばらくそうして唸っていたが、やがて背を向けて歩き出す。

「……いいもん。向日葵なんていなくたって平気だし」

「そう」

「そのうち逆に仕事教えてやるから」

「そうですの」

「この仕事やれ、って命令するもん」

「副会長ですものね」

「……………………」


59:2011/10/30(日) 18:58:17.81 ID:sisJXbsWo

 沈黙する櫻子。

 心なしか、しょんぼりとして肩を落としているように見える。

 なので、付け足した。

「期待してるのは、本当ですけど」

 櫻子が、どういう意味かうかがうように振り向く。

「なにそれ」

「櫻子が副会長としてちゃんと仕事できるようになるのは、私もよいことだと思いますわ」

 というよりは、と向日葵は続ける。

「私の代わりに副会長になったんですから、みっともない仕事をされては私も恥ずかしいですし」


60:2011/10/30(日) 18:59:19.26 ID:sisJXbsWo

 しばらく考え込む櫻子。

「えーっと、つまり……」

 向日葵がなにを言いたいのか、よくよく考えてみる。

 期待。

 副会長。

 よいこと。

 割と都合のいいところだけを抜き出して、櫻子は向日葵の言葉を解釈した。

「向日葵!」

「はい?」

「私のこと応援してるなら最初からそう言え!」

「きゃあっ!?」

 べしっと平手打ちを食らわせる櫻子……ただし、胸に。


61:2011/10/30(日) 19:00:12.40 ID:sisJXbsWo

「な、なにをしますの!」

「うっさい! 余計なこと言わずに付いてこいよ!」

 言い捨てて、櫻子はずかずかと歩き出した。

 怒っているようで、しかしその表情は──────それなりに嬉しそうでもあった。

(……素直じゃないのはお互い様ですわ)

 本当は一言、副会長の仕事を頑張れと伝えたいだけなのに。

 でも、それを素直に伝えられないのが、二人の関係なのだ。

 いつだって喧嘩ばかりで、しかし最後には丸く収まっている。

 口では文句を言いつつも、居心地のいい距離感。



 今はまだ、それを疑うこともない。


62:2011/10/30(日) 19:01:11.98 ID:sisJXbsWo


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63:2011/10/30(日) 19:02:08.07 ID:sisJXbsWo

 しかし、向日葵もここまでを想像していただろうか。

 副会長就任からおよそ一ヶ月。

 櫻子は、その仕事のほとんどをこなせるようになっていた。

 別に、特別の変化があったわけではない。

 櫻子はただ、わからないことがあれば相談しに行くということを繰り返していただけだ。


64:2011/10/30(日) 19:02:39.25 ID:sisJXbsWo

 綾乃に訊ね、千歳に訊ね、ときには遠回しに向日葵に訊ね、そして教師や他の生徒たちにも相談を持ちかける。

 繰り返すうちに、やがてそれが櫻子のスタイルになった。

 よくコミュニケーションを取って、確認しながら、全員が納得するようにまとめる。

 当たり前なようだが、それはりせや綾乃、そして向日葵ともまったく違ったやり方だった。

 本人が、どこまで意図していたのかはともかく。

 櫻子は、本当に向日葵の助力を必要としなくなりつつあった。


65:2011/10/30(日) 19:03:29.68 ID:sisJXbsWo

「戻りましたー!」

「おかえり」

「お疲れ様〜」

 今日も校内を駆け回ってきた櫻子が、勢いよく扉を開けて生徒会室に戻ってきた。

 少し遅れて、同じように向日葵も。

「これ、今日の分です。あとは出張の先生がいたんで、また明日にします」

「わかったわ。二人ともお疲れ様、今日は上がっていいわよ」

「はーい!」

「お先に失礼します」


66:2011/10/30(日) 19:04:39.02 ID:sisJXbsWo

 頭を下げ、そのまま退室。

 綾乃と千歳はまだ少し残るだろうが、それも櫻子たちが決裁した書類を確認したら終わりのはずだ。

 順調に仕事を片づけ、櫻子は意気揚々と帰路を歩く。

「いやー、思ったより楽しいじゃん、副会長!」

 どんな大変な仕事だろう、と身構えていたところもあったが、思ったよりずっと自然にこなせている。

 最近は向日葵に注意されることも少なくなったし、すっかり鼻を明かした気分だ。

 そろそろ本当に向日葵に仕事を任せるような立場になれるかもしれない。

 もしそうなったら、向日葵はどんな顔をするだろう。


67:2011/10/30(日) 19:05:36.73 ID:sisJXbsWo

「ねえ、向日葵ー」

 呼びかけて振り返る。

「──────向日葵?」

 しかし、そこに向日葵はいなかった。

 思っていたよりもずっと後ろ──────まるで独りで帰っているかのようなところを、歩いている。

「……向日葵!」

 大声を出して呼びかけると、うつむき気味だった向日葵が、顔を上げた。

「向日葵遅いぞ! ちゃんと付いてこいよ!」

 強い口調で言っても、向日葵は相変わらずとぼとぼと歩く。

 イライラしながらも、追いついてくるのを待つ。


68:2011/10/30(日) 19:06:35.04 ID:sisJXbsWo

 間近まで来てから文句を言ってやろうとしたが、やめた。

 その顔が、随分と沈んだものに見えたから。

「……向日葵、どっか悪いの?」

 不安になり、訊ねる。

 しかし、向日葵は首を振った。

「いえ。そういうわけでは」

「じゃあなんで」

「なんで、って?」

「とぼけんなよ!」


69:2011/10/30(日) 19:07:14.38 ID:sisJXbsWo

 わからないとでも思ったのか。

 なにかを隠しているということよりも、そのことのほうが頭にくる。

「言いたいことあるなら言えよ! 私と帰りたくないのか!」

 自分が普段本音を出さないのも棚に上げて、櫻子は怒鳴る。

 その気勢にも動じることなく、向日葵はぽつりとつぶやいた。

「……そうですわね。言いたいことなら、ありますけど」

「っ、じゃあ言え!」


70:2011/10/30(日) 19:07:59.95 ID:sisJXbsWo

 言いたいことがある、と言われて、内心たじろぐ。

 なにを言われるんだろう。

 向日葵になにか、したっけ。

 それでも、虚勢を張るのはやめない。

 怖れの裏返しだからこそ、だ。

「櫻子」

 向日葵が一歩、近づく。

「なんだよ……」

 ぶたれるかな、と思った。

 身構えたから、いっそそのほうがましだった。


71:2011/10/30(日) 19:08:45.61 ID:sisJXbsWo

「櫻子は、」

 ぽん、と頭に手を置かれる。

「最近、よく頑張ってますわね」

 そのまま、撫でられた。



「…………は?」

 予想外の動きに、固まる櫻子。

 一通り撫で終えると、何事もなかったかのように向日葵は歩き出した。

「え……ちょ、ちょっと待て!」

 行為の意味を理解してから、櫻子の顔がかーっと赤くなる。

「今のなに!?」

「なに、って?」

「とぼけんな!」


72:2011/10/30(日) 19:09:47.04 ID:sisJXbsWo

 同じようなやり取りでも、その意味はまったく違う。

 立ち止まらない向日葵のあとを、今度は櫻子が追いかける。

「バカにしてんの!?」

「褒めたんですわよ」

「向日葵が私のこと褒めるとか! ありえないし!」

「失礼ね……」

 まるきり信じる様子もない櫻子に、少し呆れる向日葵。


73:2011/10/30(日) 19:10:37.78 ID:sisJXbsWo

「私だって、ちゃんとがんばってれば褒めますわ」

「ウソだー……」

「ウソじゃありませんったら」

 だって、と前置きして。

「私が思った以上に、ちゃんと仕事できてるじゃありませんの」

「ん……うん……」

 そこで初めて、評価してくれていたんだと気づく。

 てっきり、なにも言わないのは不服なのだろうと思っていたから。

「ま、まあ、私が本気出せばこんなもんだし! 向日葵もようやくわかったか!」


74:2011/10/30(日) 19:11:17.82 ID:sisJXbsWo




「──────」


.


75:2011/10/30(日) 19:12:12.29 ID:sisJXbsWo

「え?」

 向日葵が、なにか呟いたのはわかった。

 でもなにを言ったのか、はっきりとは聞き取れない。

「向日葵……」

 先を歩いていた向日葵が、立ち止まり、振り向く。

「帰りましょうか」

 穏やかな笑み。

 普段、櫻子には見せない表情。

 優しい顔なのに、櫻子はそれをとても不安に感じる。


76:2011/10/30(日) 19:12:55.97 ID:sisJXbsWo

 なにか大切なことを聞き逃してしまったのではないか。

 そう思うも、なんとなく訊ね返しづらい雰囲気。

 櫻子が立ち止まってる間に、向日葵はひとりで歩いていく。

「ま……待ってよ!」

 焦燥感に襲われて、その背を追う。

 向日葵は立ち止まらなかった。

 なぜだか走っても追いつけない気がしたから、あっさりと隣に並べたときには拍子抜けしたような、安心したような気分になったのだった。


77:2011/10/30(日) 19:13:59.28 ID:sisJXbsWo


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78:2011/10/30(日) 19:14:52.98 ID:sisJXbsWo

 その翌日から、向日葵の行動は変化しはじめた。

 櫻子のそばを離れることが増えたのである。

「向日葵ー、どこだー?」

 もうすぐ生徒会が始まる時間だというのに、向日葵はどこかへ行ったまま戻ってこない。

 ひょっとして先に生徒会室に行ったのかと思い確認しに行ってみたが、綾乃によればまだ来ていないという。

「もうっ、どこ行ったんだよあいつ!」

 肩を怒らせながら、廊下を歩く。

 別に向日葵がいなければ仕事ができないわけではない。

 今の櫻子なら、大体のことはひとりでこなせるし、毎日仕事はこなしているので、溜まっているわけでもない。

 それでも、向日葵をサボらせるつもりはなかった。


79:2011/10/30(日) 19:15:42.27 ID:sisJXbsWo

(あいつは私専用のお手伝いなんだからな!)

 そんな風に思ってみても、心はじわりと締めつけられる。

 大股で歩いていたのが、段々と歩幅が小さくなり、やがて小走りに変わる。

「向日葵ー!」

 呼びかける声も、大きくなる。

 用事のない生徒が下校したあとの廊下は、人もまばらだ。

 その中に、向日葵の姿はない。

(本当にどこ行ったんだよ、あいつ……!)

 ほぼしらみつぶしに校内を探して、もしかしたら外だろうかと思い始めたとき。


80:2011/10/30(日) 19:16:40.48 ID:sisJXbsWo

「ありがとうねー」

「いえ、お役に立ててよかったですわ」



 体育館の扉を開けて、向日葵とクラスメイトの生徒が出てきた。

 なにやらお礼を言われているようだが、少し距離があるので、他の会話は聞き取れない。

 やがて二人は笑顔で手を振って別れた。

「……おい、向日葵」

「あら、櫻子」

 まだこちらに気づいていない向日葵に、先手を取って話しかける。

 仏頂面の櫻子に比べ、向日葵はごくいつもどおりの様子だ。


81:2011/10/30(日) 19:17:39.10 ID:sisJXbsWo

「どうしたんですの? こんなところまで」

「それはこっちの台詞だよ。生徒会の仕事サボって、なにしてんだ」

「え?」

 慌てて時間を確認する向日葵。

「あ……もうこんな時間だったんですのね。ごめんなさい」

「……なにしてたんだよ」

 時間に遅れたことより、ここでなにをしていたのかが気になった櫻子は、繰り返しそう訊ねた。

「体育館で部活の手伝いをしてたんですわ。どうも、人手が足りなかったとかで」

「……あっそ」

 説明しても、櫻子の膨れっ面は収まらない。

「そういう自覚ないことしてるから、落選するんじゃないの?」

 痛烈な皮肉。

 反論の余地もなく、言葉を詰まらせる向日葵。


82:2011/10/30(日) 19:18:20.75 ID:sisJXbsWo

「……そうですわね。本来の仕事を疎かにするのはダメね」

 目を伏せて、自省する。

「今度から気をつけますわ。もし今日の仕事が多いようなら、私も分担しますけど」

「別にいいよ、いつもどおりで」

 櫻子はそう言って、向日葵に背を向けて歩き出す。

 時折ちらりと後ろを振り返って、ちゃんと付いてきているか確認しながら。

「……ちゃんと仕事しますわよ、今からは」

「わかってるならいーよ」

 なだめようと色々言葉をかけるものの、櫻子の不機嫌は直らない。



 結局その日は言葉少なく、わずかな仕事を片づけて終わりとなった。


83:2011/10/30(日) 19:19:21.46 ID:sisJXbsWo


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84:2011/10/30(日) 19:19:51.47 ID:sisJXbsWo

 次の日の向日葵は、先生たちの手伝いをしていた。

 その次の日は、ずっと他のクラスの人たちとおしゃべりしていた。

 さらに次の日は、知らない生徒の相談に乗っていた。

 次の日は、

 次の日は、

 次の日は──────


85:2011/10/30(日) 19:20:56.08 ID:sisJXbsWo


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86:2011/10/30(日) 19:21:33.40 ID:sisJXbsWo

 最初の日に櫻子が言ったとおり、以降の向日葵は生徒会活動の時間には必ず間に合うようにしていた。

 ただし、それ以外の時間は、ほぼすべて他の誰かと行動している。

 それも特定の誰かというわけではない。

「最近古谷さんと仲良くなったよ」

「あんまりしゃべったことなかったけど、すっごくいい人だよねー」

「色々頼んでも全然嫌な顔しないし!」

「思ってたより面白い人だよねぇ」


87:2011/10/30(日) 19:22:06.07 ID:sisJXbsWo

 クラスにいると、そんな会話が聞こえてくる。

 少し前まで、クラスでの向日葵はもっと地味な存在だった。

 嫌われたりしていたわけではないが、あまり誰かと交流を持つことをしなかったのである。

 あかりやちなつにしても、元々は櫻子を通じての友人だったのだ。

 それが、一躍話題の人間となっている。


88:2011/10/30(日) 19:22:40.35 ID:sisJXbsWo

「古谷さんってスタイルいいよね〜」

(おっぱいばっかじゃん)

「あんまり見せびらかさないけど、勉強もすごくできるんだよね」

(運動は全然ダメだけどね)

「知ってた? お菓子作りも上手なんだよ!」

(知ってる)

「うんうん、この前食べさせてもらった!」

(いつだよ。私、もらってないぞ)

「いいなー。今度おうちに遊びに行って食べさせてもらおっかなぁ」

(やめろよ。あいつ家だと忙しいんだから、邪魔だって)

「あ、私今度の日曜日約束してる! 一緒に行く?」

「行く行く! 連れてって〜!」

(……………………)


89:2011/10/30(日) 19:23:19.91 ID:sisJXbsWo

 イライラが募る。

 自分が知らないところで向日葵がなにかをしているのが、気に入らない。

 日曜日の約束ってなんだ。

 私は聞いてないぞ。

 自分の知らない向日葵。

 この数日で、その割合が急に増えている。

 それが、なんだか嫌だ。

 無性に、胸がむしゃくしゃする。


90:2011/10/30(日) 19:24:03.54 ID:sisJXbsWo

「ただいまですわ」

 いっそ耳を塞いでしまおうかと思ったとき、向日葵が戻ってきた。

「ふう、よかった。授業に間に合いましたわ」

「……忙しそうじゃん」

 慌しく次の授業の準備をする向日葵に、皮肉を込めてつぶやく。

 バタバタと鞄から教科書を取り出す向日葵は、櫻子のほうを見もしない。

「ちょっと、二年生の教室まで行ってましたから」

「……………………」

 とうとう学年を越えたらしい。

 この調子で、学校中を制覇するつもりなのだろうか。


91:2011/10/30(日) 19:24:39.34 ID:sisJXbsWo

「向日葵」

「なによ」

 なにかを言いたくて、しかし具体的な言葉が出てこない。

 気持ちを表現する言葉を、櫻子は思いつかない。

 だから、

「晩ご飯」

「え?」

「つくって」

 そんな言葉に置き換えてみた。


92:2011/10/30(日) 19:25:28.54 ID:sisJXbsWo

「急ですわね。今日、櫻子が当番の日でしたっけ?」

「なんとなく、食べたいから」

「まあ……別にいいですけど……」

 櫻子の分までご飯の用意をするのは、割とよくあることだ。

 どうせ大して手間が増えるわけでもないので、頼まれればそのくらいはいいのだが。


93:2011/10/30(日) 19:25:58.62 ID:sisJXbsWo

「なにかリクエストは?」

「ステーキ」

「自分で焼きなさい」

「……………………」

「……………………」

「牛肉」

「……ハンバーグでいいなら」

 うん、と向日葵の顔を見ないまま、うなずく。


94:2011/10/30(日) 19:27:05.46 ID:sisJXbsWo

(変な櫻子)

 ご飯の要求など珍しくもないが、普段はもっともっと厚かましい。

 食べたいものを言うだけ言って、向日葵の手間など考えてもくれない。

 だから基本的に無視してつくるのだが、それはそれで美味しそうに食べるのだ。

 だけど。

 こんな風に、普通に頼まれることは滅多にない。

 食事当番なのに料理に失敗したときなどは、恥も外聞も捨てて向日葵にお願いしに来ることもあるが、それとも違う。

 始終仏頂面で、その割にはどこか必死なような気がする。

 もしも断ったら、傷つけてしまいそうな、そんな予感。

 櫻子相手にそんな風に思うとは。


95:2011/10/30(日) 19:27:50.45 ID:sisJXbsWo

「あの、櫻子……」

 少しだけ心配になって訊ねようとしたとき。

「ごめん古谷さん!」

「え、はい?」

「今日も放課後、ちょっと手伝ってもらえる? また欠員出ちゃって!」

「わ、わかりましたわ。あまり時間は取れませんけど……」

「うん、最初の準備だけでいいの! お願いね!」

 また頼まれごと。

 部員の数が足りなくて、忙しいのだろう。

 生徒会活動の時間までなら、手を貸せる。


96:2011/10/30(日) 19:28:20.84 ID:sisJXbsWo

 承諾し、今日も少し慌しくなりそうだと思いながら櫻子のほうを見ると、机に突っ伏して寝たフリをしていた。

 なにかから、目を背けるように。

 声をかけようかと一瞬ためらったとき、次の授業が始まってしまった。

 どうにも気になるが、もう声をかけるわけにもいかない。

 諦めて、授業に集中することにした。

「……………………」

 櫻子は、その授業のほとんどを寝たフリして過ごした。

 たまに顔を上げては、憂鬱そうな顔をして。

 そんな様子を横目に見ながら、向日葵は内心穏やかではいられなかった。


97:2011/10/30(日) 19:28:48.79 ID:sisJXbsWo


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98:2011/10/30(日) 19:29:26.87 ID:sisJXbsWo

 一度訊きそびれたことはなかなか言い出せなくて、放課後になり、生徒会の時間になり、そして下校の時間になっても、向日葵は櫻子にどうしたのか訊ねることはできなかった。

 しかし、学校を出たあたりから、櫻子の機嫌は徐々に良くなっていった。

「ほい、ひき肉」

「って多すぎますわ。あなた、何個食べる気ですの?」

「んー、三個くらい?」

「お腹壊しても知りませんわよ」

 学校帰りにスーパーに寄った頃には随分いつもの調子を取り戻しており、向日葵を一安心させた。

「あとは……」

「うっ……向日葵、ニンジンはいらない」

「我慢して食べなさい」

「……………………」

「ちょっと、ピーマン勝手に籠に入れないでくださる!?」


99:2011/10/30(日) 19:30:08.37 ID:sisJXbsWo

 いつものやり取り。

 手早く買い物を済ませて帰るはずが、ぎゃあぎゃあと騒いでいるうちに、すっかり日が暮れていた。

 既に冬の気配も色濃い夜道を、二人は足早に歩く。

「帰ったら急いで支度しないと……楓も待ちかねてますわね」

「がんばってつくれよー。私は楓と遊んでるから!」

「ええ、私ひとりのほうが早くつくれますし」

「それはそれで悲しい……」

 一旦家の前で別れ、櫻子は着替えのために自宅へ。

 向日葵も手早く着替えを済ませると、エプロンを付けてキッチンに立った。


100:2011/10/30(日) 19:30:57.32 ID:sisJXbsWo

「おーす」

「あ、櫻子お姉ちゃんだ」

 既に料理を始めていて手の離せない向日葵に代わり、楓が玄関まで出迎えに行く。

「こんばんは、櫻子お姉ちゃん」

「おー。向日葵、もう料理してんの?」

「うん。お部屋で待っててって」

「よし、向日葵の机でも漁るか」

「楓! やっぱり居間に連れてってちょうだい!」

 ろくでもないことを言い出したので、慌ててキッチンから顔を出して叫ぶ。

 チッ、と舌打ちが聞こえた気がしたが、どうやら大人しく居間で待つことにしたようだ。


101:2011/10/30(日) 19:31:38.46 ID:sisJXbsWo

 遅くなったこともあるし、これ以上櫻子を放置しておくことに危険を感じたので、急いでハンバーグの実をこねる。

 焼き上げている間には皿の用意と添え物の調理と、手際よく支度を進めて、どうにか完成。

 二人を呼びに居間に行くと、どうやら大人しくテレビを観ていたようだ。

「もう食べられますわよ」

「おっ、早いじゃん」

「急ぎましたもの」

 櫻子の顔がぱぁっと明るくなる。

 どうやら学校での不機嫌さは、すっかり鳴りを潜めたようだった。



102:2011/10/30(日) 19:32:20.42 ID:sisJXbsWo


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103:2011/10/30(日) 19:33:29.70 ID:sisJXbsWo

「食った食ったー!」

 食事を終えた櫻子が、満足そうにお腹をさする。

「ごちそうさまでした」

 楓は行儀よく手を合わせる。

 櫻子もそれくらいすればいいのにと思いつつも、久々に混じり気のない笑顔を見て、口には出さないでおいた。

「それじゃ、私は後片づけしますけど。櫻子はもう帰ります?」

「んー、もうちょっと楓と遊んでから帰る」

「そう。楓に迷惑かけるんじゃありませんわよ」

「おい」

「大丈夫なの。櫻子お姉ちゃんは楓が責任持ってしっかり面倒みるから」

「おおい!」


104:2011/10/30(日) 19:34:19.23 ID:sisJXbsWo

 向日葵の言葉は皮肉だが、楓は本気である。

 しかも悪意はないので、余計にツッコミづらい。

 そういうときは、櫻子といえども大人しく折れるしかないのである。

「まあいいや、またテレビ観るか」

「うん、いいよ」

 二人は再び居間に戻る。

 適当にチャンネルを合わせるが、あまり内容は頭に入ってこない。

 食後のせいか、微妙な気だるさを感じる。


105:2011/10/30(日) 19:34:59.30 ID:sisJXbsWo

「……楓さー」

「なあに?」

「最近向日葵、忙しそうにしてると思わない?」

 暇だったのでなんとなく、と言うには、櫻子にとって最近気にしている質問だった。

 向日葵が近くにおらず、しかも相手が楓だったので、口が緩んだのかもしれない。

「うん。お姉ちゃん、この頃ちょっと大変そうなの」

「やっぱり?」

 学校でだけというわけではなく、楓にもわかるくらい、向日葵は忙しくしているらしい。

 楓は、歳の割にはよく気のつく子どもだ。

 なんとなく、向日葵が疲れている様子なのを察して、そっとしておく日が続いているという。


106:2011/10/30(日) 19:35:57.14 ID:sisJXbsWo

(なんだよあいつ。楓にまで心配かけてんじゃん)

 少し忘れかけていた感情が、再び首をもたげる。

 胸焼けのような、嫌な感覚。

「なんか変なんだよ、あいつ。学校でもいつもバタバタしててさ」

「お姉ちゃんね、言ってたの」

 楓が呟く。

 いつものように、悪意なく。



「副会長のことはもう終わったし、櫻子お姉ちゃんのお世話もしなくていいって」


.


107:2011/10/30(日) 19:36:58.24 ID:sisJXbsWo

「──────」

 ぐらり。

 櫻子は自分が倒れそうになっているのかと思った。

 しかし姿勢は崩れていない。

 それでも、なにかが歪んだ。

「だから、もっと色んなこと、やってみたいことやるんだって」

 楓はウソをつくような子どもではない。

 その楓にウソを話すような向日葵でもない。

 だから、その言葉は、紛れもなく向日葵の本音だ。


108:2011/10/30(日) 19:37:39.64 ID:sisJXbsWo

(なんだ、それ)

 つまり。

 副会長には落選したし、本当はもう生徒会の活動なんてどうでもいいってことなのか。

 他にやりたいことは色々あって、最近はそれを優先していると。

 だから本音では──────櫻子の手伝いなんて、嫌々だったのか。

「お姉ちゃん、大変そうだけど、でもちょっと楽しそう」

 櫻子が無言で立ち上がる。

「……櫻子お姉ちゃん?」

「ごめん、帰る」

「あ、うん……」


109:2011/10/30(日) 19:38:08.71 ID:sisJXbsWo

 聡い楓は、櫻子がなにかに怒っていることは理解できただろう。

 それでも、なぜ怒ったのか理解することまで求めるのは、酷というものだった。

 向日葵に挨拶することもなく、櫻子はまっすぐ玄関を出た。

 どうすることもできず、居間にはひとり楓がぽつんと残される。

「終わりましたわ……あら、楓、櫻子は?」

「帰っちゃった……」

「ふうん……」


110:2011/10/30(日) 19:38:44.08 ID:sisJXbsWo

 唐突とはいえ、気分屋の櫻子のことだ。

 どうせ思いつきで行動したのだろう、そう向日葵は判断した。

 しかし、立ち去る直前の櫻子の様子を知ることはできないにせよ、困ったような顔をしている楓の様子まで見落としてしまうのは、向日葵らしからぬミスだった。

 楓が思っているように、それは疲れのせいなのかもしれない。

 だから、向日葵は事態の深刻さを知ることをできないまま、翌日を迎えることになる。


111:2011/10/30(日) 19:39:39.84 ID:sisJXbsWo


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112:2011/10/30(日) 19:40:21.80 ID:sisJXbsWo

 翌朝の櫻子の顔は、ひどいものだった。

「ちょっと櫻子……目の隈くっきりですわよ。夜更かししすぎじゃありませんの?」

「うっさい」

 昨日の学校以上の不機嫌さ。

 いや、もう既に不機嫌などというレベルではなく、ぶっきらぼうな言葉には深刻な怒りが感じられる。

 いったいどうしたのか。

 昨日の夕食のときは、いつもどおりに戻っていたはずなのに。


113:2011/10/30(日) 19:41:21.55 ID:sisJXbsWo

「櫻子……なにかありましたの?」

 結局昨日は言わずじまいだったことを、訊ねてみる。

 しかし、返答はにべもなかった。

「自分の胸に訊けよ」

 冗談も皮肉もなく。

 それ以上の追求も許さない言葉。

(私……? 私のせいだっていうんですの……?)

 とはいえ、櫻子の意図を察するのにも、無理があっただろう。

 昨晩の楓とのやり取りを、向日葵は知らないのだから。


114:2011/10/30(日) 19:42:29.57 ID:sisJXbsWo

「……………………」

 不思議なことに、これだけ怒っている様子にも関わらず、櫻子は向日葵のそばを離れようとはしない。

 むしろ普段以上にくっついている気もする。

 怒気を振りまきながらそんなことをされても向日葵は困るわけだが、言ったところで聞いてくれそうな様子もない。

 しかし、登校の時間だけならそれも我慢できた。

 だが、授業を除く休み時間すべてそんな調子では、不都合も出てくる。

「あ、古谷さーん!」

「……………………」

「……ごめんなさい、また後でいいわ」


115:2011/10/30(日) 19:43:36.46 ID:sisJXbsWo

 最近よくあるように、向日葵に話しかけてくる人たちがいるのだが、隣の櫻子に睨まれて大体が躊躇してしまう。

 さすがにいい加減痺れを切らして、向日葵も櫻子をたしなめた。

「櫻子、他の人が困りますわ。付いてくるのはいいですけど、そんなに凄むのはやめなさい」

「……………………」

「見張ってなくても、生徒会にはちゃんと行きますから」

 そう言って念を押すと、ようやく櫻子は少し距離を取った。

「……当たり前じゃん」

「なにが……」

「生徒会来るなんて、当たり前だろ」

 向日葵に背を向け、櫻子はひとり教室へ戻る。


116:2011/10/30(日) 19:44:22.29 ID:sisJXbsWo

 席についた途端、眠気に襲われて机に突っ伏した。

 今度はフリではなく、本当に眠ってしまいそうだった。

 昨晩は、結局まともに眠れていない。

 色々ごちゃ混ぜになった感情が心の中で荒れ狂っていて、とても収まりがつかなかったのだ。

 思考は思考にならず、断片的な言葉が浮かぶばかり。

 時折楓の言葉が浮かんでは、さらに心をかき乱していく。


117:2011/10/30(日) 19:44:51.72 ID:sisJXbsWo


『副会長のことはもう終わったし、櫻子お姉ちゃんのお世話もしなくていいって』



『だから、もっと色んなこと、やってみたいことやるんだって』



『お姉ちゃん、大変そうだけど、でもちょっと楽しそう』


.


118:2011/10/30(日) 19:45:38.23 ID:sisJXbsWo

(ウソじゃん)

 自分でもはっきりと理解する前に、そんな言葉が浮かんだ。

 なんのことだろうと思いながら、それを手繰り寄せる。

(今までどおり、私の手伝いするって言ってたじゃんか)

 ああ、そうだ。

 向日葵は自分の手伝いをするんだって、言ってたじゃないか。

 あれは、結局ウソだったのか。


119:2011/10/30(日) 19:46:20.75 ID:sisJXbsWo

 ズキズキと、頭が痛む。

 眠いはずなのに、痛みが眠りに落ちることを許さない。

 全身の倦怠感を無視して、頭だけが覚醒していることを強要する。

 苦しい。

 チャイムが鳴る。

 授業が始まり、重い体をどうにか引き起こす。

 いつの間にか向日葵も隣の席に戻っており、心配そうな目を櫻子に向けていた。

 二人の目が逢う。


120:2011/10/30(日) 19:46:56.84 ID:sisJXbsWo

(どうせ)

 どろどろと混ざりあった感情。

 それらを乗せた視線を、向日葵にぶつける。

(自分のやりたいことやって、満足してるんだろ)

 暗い目。

(うそつき)


121:2011/10/30(日) 19:47:55.37 ID:sisJXbsWo

 向日葵が、怯んだように目を逸らす。

 そのことに余計に暗い気分は増していく。

 櫻子は、自分がどうしようもない泥沼にはまりつつあることを、理解していた。



 囚われて、沈んでいく。

 もう届かない。

 手を伸ばしても、もう──────



 その手を取る人は、いない。


122:2011/10/30(日) 19:49:03.74 ID:sisJXbsWo


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123:2011/10/30(日) 19:49:46.91 ID:sisJXbsWo

 だから、それはもう最後の一押しでしかなかった。

「今日から、古谷さんには別の仕事を頼もうと思うの」

 綾乃に他意があったわけではないし、仮にそのことを言わずとも、いつかは同じ事態が起こっていただろう。

 それでも、このタイミングは櫻子にとって最悪だった。



「嫌です」



 いつもどおりの生徒会が始まろうかというとき。

 綾乃がごく当たり前に仕事の割り振りをしようとしたとき、櫻子がそれを遮った。


124:2011/10/30(日) 19:51:00.10 ID:sisJXbsWo

「え……い、嫌って……」

「櫻子、なにを言ってますの?」

「向日葵は私の手伝いをするって、言ったし」

「それは、確かに言ったかもしれませんけど……」

 明らかにいつもと様子の違う櫻子に戸惑いつつも、綾乃は忍耐強く説得しようとする。

「ほら、大室さんも、もう副会長の仕事はほとんどひとりでできるでしょ? それに今日はちょっと仕事量も多いし、分担してやったほうが……」

「時間かけてもやるから、いいです」

「大室さん……」

 綾乃と千歳は、どうしたものかと顔を見合わせる。

 たまらずに口を挟んだのは、当人である向日葵だった。


125:2011/10/30(日) 19:51:56.39 ID:sisJXbsWo

「櫻子。もうあなたひとりでも仕事はほとんどできてるんだから、別に私がいなくても……」



「私の手伝いするって約束したじゃんか!!」



 突然、櫻子が爆発する。

 あまりの剣幕に、一瞬三人は言葉を失った。

「今までどおり私の手伝いするって言ったくせに! 向日葵のうそつき!」

「だ、だって……あなただって、私がいなくても平気なようになるって……」

「そんなの知らないっ!!」

 もはやまともな説得を聞き入れるような状態ではない。

 しかも、どうして櫻子がここまで怒っているのか、三人にはわからないのだ。


126:2011/10/30(日) 19:52:52.14 ID:sisJXbsWo

「と、とりあえず大室さんも落ち着き……? 仕事のことは、また今度考えたらええから……」

「考えるようなことないもん!! 向日葵は私の手伝いなの!!」

 普段、上級生として接している千歳に対しても、今回はまったく遠慮がない。

 とても自分が間に入る余地がないと理解した千歳は、口をつぐんだ。

 それでも、あるいはそれだからこそ、前に出なければいけない人間もいる。

 向日葵だった。

「櫻子、いい加減になさい! あなたの勝手だけで、先輩方にまで迷惑かけるつもりですの!?」

 幼馴染として、当事者として、ここで引くわけにはいかない。

 内心では櫻子の激発に心配すらしていたが、強い口調を緩めるわけにはいかなかった。


127:2011/10/30(日) 19:53:33.59 ID:sisJXbsWo

「最近だって、私が付いていってもほとんどやることなんてなかったじゃありませんの! あなたが言ってたとおり、私の仕事なんてもうありませんわ!」

 櫻子がどんどん仕事を覚えて、それに伴い向日葵のフォローが減ってきた頃。

 予想以上のがんばりに、思わず櫻子を褒めたことを思い出す。

 櫻子は気味悪がっていたが、それはまごうことなき向日葵の本音だ。

 自分を破って副会長になった幼馴染は、やればできるのだと。

 そのことを自慢にすら思った。

 だから、あの日、向日葵は言ったのだ。



『もう、私がいなくても平気ですわね』


.


128:2011/10/30(日) 19:54:28.26 ID:sisJXbsWo

 櫻子には聞こえていなかったかもしれない。

 それでも、向日葵にとってそれは万感の思いを込めた言葉だった。

 櫻子が副会長になってよかったと、そのとき心の底から思えたのだ。

 だからこそ。

 だから──────

「櫻子は副会長でしょう!? それに見合った仕事をしなさい!!」

「向日葵だって、生徒会なんてどうでもいいと思ってるくせに!!」

「は……!? 私がいつ生徒会を疎かにしましたの!?」

「最近いつも生徒会と関係ないことばっかやってるだろ! 楓から聞いたんだぞ!!」

「っ!」


129:2011/10/30(日) 19:55:35.91 ID:sisJXbsWo

 その櫻子の言葉で、今朝からの不機嫌の理由がわかった。

 きっと昨晩、楓は向日葵が最近している学校での自主活動のことを話してしまったのだろう。

 そして、櫻子はそれを聞いて誤解してしまったのだ。

 向日葵は、楓にも“その真意を話してはいない”のだから。

「……そのことは、ちゃんと後で説明しますわ。でも今は先輩方に謝りなさい」

「やだっ!!」

「櫻子!!」

「もうやだ!! こんな思いしたくて副会長になったんじゃないもん! こんなの……もう辞めてやる!!」


130:2011/10/30(日) 19:56:12.46 ID:sisJXbsWo




 ぱぁん!


.


131:2011/10/30(日) 19:57:02.33 ID:sisJXbsWo

 手を振りぬいてから、向日葵はわれに返った。

 気づいたときには櫻子の頬を思い切り平手で引っぱたいていて、櫻子は床に倒れていた。

「あ……」

 手のひらがじんじんと痛む。

 その痛みに、想像以上の強さで叩いたことがわかった。

「ふ、古谷さん、暴力はあかんよ!」

「大室さん……だ、大丈夫……?」

 千歳が向日葵と櫻子の間に割って入り、綾乃が倒れた櫻子に声をかける。

 呆然として身動きの取れない向日葵。


132:2011/10/30(日) 20:13:34.37 ID:sisJXbsWo

 櫻子は、真っ赤に腫れた頬を押さえながら、のろのろと身を起こした。

「大室さん……」

「大丈夫なん……?」

「…………!」

 三人が息を呑む。



「うっ……ぐすっ……うぅっ、ひっく…………」



 櫻子は、ぼろぼろと泣いていた。

 向日葵の行為に怒るでもなく、非難するでもなく、ただ嗚咽を漏らしている。


133:2011/10/30(日) 20:14:06.59 ID:sisJXbsWo

 櫻子は、真っ赤に腫れた頬を押さえながら、のろのろと身を起こした。

「大室さん……」

「大丈夫なん……?」

「…………!」

 三人が息を呑む。



「うっ……ぐすっ……うぅっ、ひっく…………」



 櫻子は、ぼろぼろと泣いていた。

 向日葵の行為に怒るでもなく、非難するでもなく、ただ嗚咽を漏らしている。


134:2011/10/30(日) 20:14:55.55 ID:sisJXbsWo

「えぐっ……う……うわぁぁぁぁん……!」

 やがてそれも号泣に変わる。

 泣きながら、よたよたと頼りない足取りで、生徒会室を出ていく。

 誰もそれを止められない。

 幼児のような泣き声が、長く、長く響いていた。

 やがて、それも聞こえなくなった頃、力が抜けたように、向日葵はどさっとしりもちをついた。


135:2011/10/30(日) 20:15:42.11 ID:sisJXbsWo

「古谷さん……!」

 その音にはっとなり、綾乃と千歳も動き出す。

 二人に手を引かれ、ふらふらとしながらも立ち上がる。

「わ、私……なんてひどいこと……!」

「大室さん、大丈夫かしら……」

「あんなに泣いとる大室さん、初めてや……」

 三人は、まだ気が動転していた。

 中でも、向日葵のショックは大きい。


136:2011/10/30(日) 20:16:13.45 ID:sisJXbsWo

「櫻子があんな風に泣くなんて……私、どうかしてて……!」

「しゃあない、しゃあないんや……古谷さん、そんな自分を責めんとき?」

「それに、私も仕事のことで色々言ったから……」

 とにかく向日葵を椅子に座らせて、落ち着かせることにする。

 今すぐにも走り出しそうな様子の向日葵をなだめ、深呼吸をうながす。

 数分、そんなやり取りを続けて、どうにか向日葵も冷静さを取り戻してきた。

「どう? 落ち着いた?」

「……すいません。ご迷惑を」

「ええって、気にしとらへん」

「それより、大室さんのことはどうしたら……」


137:2011/10/30(日) 20:16:43.99 ID:sisJXbsWo

 綾乃や千歳も、櫻子のことは心配だ。

 しかし、仮にここで自分たちが追いかけていっても、逆効果になりかねない。

 ならばやはり向日葵が行くべきなのだが──────

「やっぱり、いきなりは辛いんちゃう……?」

「どっちにとってもショックが大きいだろうし……」

 動転している向日葵の姿を見ていることもあり、どうしても迷いが出ている二人。

 しかし、それを向日葵自身が遮った。


138:2011/10/30(日) 20:17:45.84 ID:sisJXbsWo

「私が行きます」

「古谷さん……」

「大丈夫なん?」

 千歳が心配そうに訊ねると、向日葵はこくりとうなずいた。

「伝えなきゃいけないんです、あの子に」

 向日葵は、櫻子が誤解しているのだということをもう知っている。

 それを解くことができるのは、自分だけだということも。

「ですから、行ってきます」


139:2011/10/30(日) 20:18:35.33 ID:sisJXbsWo

 はっきりと言った向日葵を、二人はもう止めようとはしなかった。

「もう今日はこのまま上がっていいからね」

「明日、またどうなったか聴かせてな?」

「はい。失礼します」

 生徒会室を後にし、そのまま学校を出る。

 向かうのは、櫻子の家だ。

(櫻子……)

 家への道を急ぎながら、櫻子の頬を張った手を見る。

 ひりつくような痛みも、今の心の痛みに比べれば大したことはない。


140:2011/10/30(日) 20:19:07.49 ID:sisJXbsWo

(私、櫻子にひどいことしてましたのね)

 もっと、話をしておくべきだった。

 伝える努力をしなかったのは、自分だ。

 櫻子を泣かせたのは、自分だ。

(でも……まだやり直せるはずですわ……!)

 櫻子が思っているようなこととは、違うのだから。

 せめてそのことを伝えなければ。

 向日葵は、赤くなった手をぎゅっとにぎりしめた。


141:2011/10/30(日) 20:19:44.70 ID:sisJXbsWo


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142:2011/10/30(日) 20:20:13.51 ID:sisJXbsWo

 どうやって家に帰ってきたのかは覚えていない。

 家族が家にいたはずだが、声をかけられたかどうかも記憶にない。

 とにかく気づいたら自分のベッドに倒れこんでいた。

 張られた頬が痛くて、でもそれ以上に頭の中がぐしゃぐしゃで、ずっと涙が止まらない。


143:2011/10/30(日) 20:20:43.84 ID:sisJXbsWo

「ひっ、く……うっ、ぐす……」

 疲れた。

 今日はただでさえ体がだるいのに、あまりにも泣いたせいで、もう体を起こすことさえ辛い。

 夕陽が沈み、段々と部屋の中も暗くなっていく。

 それに伴い、櫻子の意識も沈んでいった。



 もう、このまま消えてしまえばいいのにと思いながら。


144:2011/10/30(日) 20:21:15.01 ID:sisJXbsWo


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145:2011/10/30(日) 20:22:06.05 ID:sisJXbsWo

 目覚めは唐突だった。

 というよりも、いつ目覚めたのか覚えていない。

 目が覚めた、ということだけがわかっている。

 気づけば、既に登校中だった。

「あ、れ……?」

 きょろきょろと周囲を見回す。

 いつもの通学路。


146:2011/10/30(日) 20:23:05.55 ID:sisJXbsWo




「櫻子、どうしましたの?」



 聞きなれた声が聞こえてきて、びくっとそちらを向く。

 隣にいた向日葵が、不思議そうにこちらを見ている。

(あれ、隣……?)

 さっき、周囲を見回したときにはいなかったのに。

「櫻子ったら」

「あ、ああ、うん?」

 再び名前を呼ばれて、ようやく返事らしいものが口から出てきた。


147:2011/10/30(日) 20:23:36.55 ID:sisJXbsWo

 ぼうっとした様子の櫻子を見て、向日葵はため息をついた。

「まだ寝ぼけてますの? しっかりなさいな、副会長」

 副会長、と言われて、なにか嫌な気分になる。

 それがどうしてなのかは、なぜか思い出せない。

 そうだ、私は生徒会副会長だ。

 ちゃんと仕事しなきゃ。


148:2011/10/30(日) 20:24:33.51 ID:sisJXbsWo

「それじゃ、今日はこの仕事をお願いね」

 目の前の綾乃が、櫻子に書類を手渡す。

 いつの間にか場所は生徒会室に移っていた。

 もう、そのことに違和感は覚えない。

「わかりました」

 ざっと目を通しても、手続きのわからない書類はない。

 どれも一度は決裁したことのあるものばかりだ。


149:2011/10/30(日) 20:25:07.19 ID:sisJXbsWo

「それじゃ、向日葵と行ってきます」

「あ、待って」

 綾乃が、“あのとき”と同じように、自然な流れでそれを口にした。



『今日から、古谷さんには別の仕事を頼もうと思うの』


.


150:2011/10/30(日) 20:25:55.77 ID:sisJXbsWo

 頭痛。

 思わず頭を抱えたくなるほど、激烈な痛み。

「わかりました」

 櫻子が声も出せないでいるうちに、向日葵がいとも当然のようにうなずく。

「ま、待って……」

 櫻子を無視するように、向日葵は綾乃から仕事を与えられると、生徒会室を出ていく。

 痛みに耐え、よろめきながらもその背を追う。


151:2011/10/30(日) 20:26:48.94 ID:sisJXbsWo

「向日葵!」

 夕暮れの道。

 どれだけ追いかけても、追いつけない。

 あの日とは違う。

「向日葵っ!!」

 ようやく、向日葵が足を止めた。

 ゆっくりと振り返って、櫻子と向き合う。


152:2011/10/30(日) 20:27:33.31 ID:sisJXbsWo

「櫻子、副会長の仕事はどうしましたの?」

 頭の痛みは、全身に移っている。

 ひどくだるくて、自分の体ではないかのように緩慢にしか動かせない。

「向日葵こそ……」

 鉛のような足を引きずりながら、一歩一歩向日葵へ近づく。

「私の手伝いって仕事、忘れてるじゃんか」

 向日葵が自分で口にしたこと。

 私のこと手伝うって、言ったじゃないか。


153:2011/10/30(日) 20:28:15.88 ID:sisJXbsWo

「だって」

 向日葵は淡々と言い返す。

「もう、手伝うようなことはないでしょう?」

「で、でも……」

 言いよどんでみたところで、それは事実だ。

 櫻子自身も、ずっと付き添っていた向日葵も、それはわかっている。

「でも……向日葵が一緒じゃなきゃ、やだ!」

 すると、向日葵はきっと眉を吊り上げ、言い放った。



『櫻子、いい加減になさい! あなたの勝手だけで、先輩方にまで迷惑かけるつもりですの!?』


.


154:2011/10/30(日) 20:28:49.30 ID:sisJXbsWo

 びくりと震える体。

 続けて子どもを叱り飛ばすように、向日葵は言う。



『櫻子は副会長でしょう!? それに見合った仕事をしなさい!!』



「でも、向日葵だって!」

 たまらず言い返す。

「ずっと生徒会と関係ないことばっかしてるじゃんか! 向日葵こそ、もう生徒会なんてどうでもよくなったんだろ!」


155:2011/10/30(日) 20:29:35.66 ID:sisJXbsWo




「ええ、そうですわ」


.


156:2011/10/30(日) 20:30:24.72 ID:sisJXbsWo

「え……?」

 思わず、なんと答えたのか理解できず、ぽかんと口を開けて向日葵を見返す。

 どうでもよくなった?

「だって、副会長の座は櫻子に取られてしまいましたし。その櫻子も、仕事を覚えたら私には大した仕事もありませんもの」



『副会長のことはもう終わったし、櫻子お姉ちゃんのお世話もしなくていいって』



157:2011/10/30(日) 20:31:14.05 ID:sisJXbsWo

「櫻子と違って、私は他にもやりたいことがたくさんあるんですの。ですから生徒会の仕事なんて、もう別にいいのですわ」



『だから、もっと色んなこと、やってみたいことやるんだって』



「ええ、櫻子の面倒をみるより、ずっとやりたいこと」



『お姉ちゃん、大変そうだけど、でもちょっと楽しそう』



「櫻子は私が思っていたよりずっとできる子ですし」



 だから、


158:2011/10/30(日) 20:31:49.04 ID:sisJXbsWo







「もう、私がいなくても平気ですわね」





.


159:2011/10/30(日) 20:32:25.89 ID:sisJXbsWo

「ああああああああああああああああああ!!!」

 頭が割れる。

 平衡感覚さえも失って、よろめき倒れた。

 地面に叩きつけられたはずの衝撃を感じることもなく、気持ちの悪い浮翌遊感がずっと続いている。

「いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!!」

 思考を繋ぐ糸が、ぶちぶちと切れていく。

 頭の中に直接手を突っ込んでかき回したいほどの激痛。


160:2011/10/30(日) 20:33:11.41 ID:sisJXbsWo

「向日葵が一緒じゃなきゃいやだ! 向日葵が生徒会に入るって言ったから私も入ったのに!!」

 風景がバラバラになる。

 なにもかもが、崩れ去っていく。

「こんなことしたかったんじゃない!! こんなことのために副会長になりたかったわけじゃない!!」

 最後に残った向日葵の姿だけが、遠ざかる。

 再び、櫻子に背を向けて。

「待って向日葵……! ちゃんとそばにいてよぉ!!」

 声は届かない。

 なにも、届かない。



 やがて、その向日葵の姿も、虚空に消えた。


161:2011/10/30(日) 20:33:48.34 ID:sisJXbsWo

「う……うわぁぁぁぁぁぁぁん……!!」

 なにもかもが消えた世界で、櫻子は泣きじゃくる。

 独りはいやだ。

 いやだ。

 向日葵がいてくれなきゃ、いやだ。



 向日葵──────


.


162:2011/10/30(日) 20:34:29.73 ID:sisJXbsWo

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163:2011/10/30(日) 20:35:28.27 ID:sisJXbsWo




「向日葵ぃ……」



 自分の呟き声で、目が覚めた。

 真っ暗な部屋の中。

 まとまらない思考で、今の状況を思い出す。

 ベッドに倒れこんだところまでは覚えている。

 その前は。

 その前は──────

 割れそうな頭の痛みは続いている。

 苦しくて身をよじると、熱を持った頬がすれて、ちくりと痛みを覚える。


164:2011/10/30(日) 20:36:08.13 ID:sisJXbsWo

「ぐすっ……」

 痛みと一緒に、そこに至るまでのことも思い出した。

 辛い夢から覚めても、現実だってそんなに変わらない。

 引き裂かれるような喪失感は、夢よりも冷たく、鋭く、心を傷つける。

 目頭を押しつけた枕が濡れる。

 苦しさを吐き出すように、その名前を呼ぶ。



「向日葵……会いたいよ……」


165:2011/10/30(日) 20:36:53.78 ID:sisJXbsWo




 ぽん


.


166:2011/10/30(日) 20:37:26.19 ID:sisJXbsWo

 と、櫻子の頭に手が置かれた。

 はっとなって、恐る恐るその手の主を見上げる。

 真っ暗な中、向日葵が枕元近くに腰を下ろしていた。

「……ここにいますわよ」

 静かな声。

 それで、今が真夜中だということに気づく。


167:2011/10/30(日) 20:38:29.44 ID:sisJXbsWo

「……今、何時?」

「もうすぐ日が変わりますわね」

 どうやら疲れが限界に達して、ずっと寝ていたようだった。

 そうすると、向日葵はいつ来たのだろうか。

「私が来たときには、あなたはもう寝てましたわ」

 訊ねる前に、向日葵が答える。

「ずっと、うなされてましたわよ」

 その間は、そばで様子を見ていてくれたらしい。

 つまり、何時間も待ってくれていたということだ。


168:2011/10/30(日) 20:39:33.20 ID:sisJXbsWo

「……なんで?」

 そんな言葉が、まず口をついて出た。

「なんでいてくれたの?」

 まっすぐな質問に、向日葵がたじろぐ。

 しかし、誤魔化しようもない話だと心を決めると、素直に本当のことを口にした。

「幼馴染の心配をしてはいけませんの?」


169:2011/10/30(日) 20:40:08.75 ID:sisJXbsWo

 学校を出て、櫻子の家に来たときには、既に櫻子は部屋のベッドで倒れ、病人のようにうなされているところだった。

 赤く腫れた頬や、それを伝う涙を見ると、あまりの痛々しさに、置いて帰るなどという考えは浮かんでもこなかったのだ。

 今だってそうだ。

 潤んだ瞳で、弱々しく向日葵のことを見つめる顔は、よく知る強気な幼馴染とはかけ離れている。

 それを心配することに、理由が必要だろうか。


170:2011/10/30(日) 20:41:42.55 ID:sisJXbsWo

「どうしても、伝えなきゃいけないこともありましたし」

 そう言うと向日葵は、床に膝をつき、櫻子と目線を合わせた。

「櫻子、最近のこと、しっかり話しておきたいんですの。聴いてもらえます?」

 櫻子の瞳が不安そうに揺れる。

 それでも、目を逸らしたりはせず、向日葵のことを見つめ返していた。

「……いいよ。向日葵が話したいなら」

「ありがとう」

 向日葵はひとつ深呼吸をし、ゆっくりと話し始めた。


171:2011/10/30(日) 20:42:48.75 ID:sisJXbsWo

「最初に言っておきますけど、私は別に生徒会活動に興味がなくなったわけじゃありませんわ」

「でも……」

「まずは聴いて。全部、ちゃんと繋がってきますから」

 そう言ってから、向日葵は生徒手帳を取り出し、そこに挟んである一枚の紙を櫻子に見せた。

「これ、なんだかわかります?」

「……選挙のときの」

 得票数が書かれた紙だ。

 向日葵は、ずっと手帳に挟んで持っていたらしい。

 櫻子はといえば、その日のうちには捨ててしまった。


172:2011/10/30(日) 20:43:55.27 ID:sisJXbsWo

「これは私なりの反省というか……そういう意味を込めて持ち歩いているんですの」

 二人の名前を、指でなぞる。

「何度見直しても、僅差で私の負けですわね」

「うん……」

 向日葵に勝ったと、それがわかったとき、大はしゃぎしていた櫻子。

 いっそあそこで負けておけば、こんなことにはならずに済んだのかとも思う。

 しかし、向日葵はそうは思っていなかった。


173:2011/10/30(日) 20:44:38.93 ID:sisJXbsWo

「私、負けてよかったと思いますの」

「えっ、なんで……?」

「この敗北は、とても有意義だったから」

 櫻子は、落選した直後の向日葵の様子を思い出した。

 妙に落ち着いて、悔しいとは言っていたものの、取り乱したりすることもなかった姿を。

「櫻子、選挙前にした話、覚えてません?」

「えっと……なんだったっけ……」

 いつものように、不毛な喧嘩をしたことは覚えている。

 でも、なにを言ったのだったか。


174:2011/10/30(日) 20:45:23.97 ID:sisJXbsWo

「櫻子が、友達が多いから勝つとか、名前が先にあるから勝つとか色々言ってたんですわ」

 思い出した。

 あのときは、実際に選挙に勝てるかどうかより、とりあえず向日葵を言い負かしたくて、でたらめを並べていた気がする。

 それでも本当に勝ったのだから、そのうちいくつかは当たっていたのかなと、当時は思ったのだが。

「ハズレですわ」

 向日葵は微笑む。

「だって、勝負は僅差だったんですもの」

「…………?」

 勝ち負けよりも、向日葵にとってはそのことのほうが重要らしい。

 櫻子には意味が理解できず、首をひねる。


175:2011/10/30(日) 20:46:10.43 ID:sisJXbsWo

「わかりません? 櫻子が言ってたことが正しいんだったら……あなた、もっと大差で勝つんじゃなくて?」

「あ……」

 そういうことなのだ。

 確かに、櫻子が当選したのは事実。

 しかし、言うほど得票数に差があったわけではない。

「……つまり、本当は私を評価してくれていた人も、たくさんいたんですわ」

 だから、反省する。

 あの選挙は、本当は勝てたかもしれない。

 でも、そのための努力を、向日葵は怠っていた。


176:2011/10/30(日) 20:47:00.03 ID:sisJXbsWo

「もっとみんなのためにできることをしていたら、勝てたかもしれない。だから私は」

 最近になって、学校中の生徒のために駆け回っていたのだ。

 生徒会活動としてではなくても、古谷向日葵という人間を、もっと知ってもらうために。

「本当は、あなたの真似のつもりだったんですのよ、櫻子」

「私……?」

「あなたは、自然にたくさんの人と仲良くなれますから。でも、やっぱり同じようにはいきませんのね……」

 最初はただ、少し勇気を出してクラスの生徒に話しかけてみただけだった。

 それが段々と手伝いをするようになり、相談を受けるようになり、やがてはクラスや学年の壁も越えた。

 確かに目的には適っていたが、成功しすぎたのである。


177:2011/10/30(日) 20:48:16.65 ID:sisJXbsWo

「なんでも引き受ければいいというわけではありませんのね……それで少し疲れてしまって」

 充実感はあった。

 しかし、元々櫻子以外には強気に出ることも珍しいような向日葵だ。

 頼まれれば嫌とは言えず、際限なく駆け回ることになってしまった。

「もう少し付き合い方も考えなければいけないって、思ってたところでしたの……でも、櫻子がそんなに思いつめてたなんて、私……」

 櫻子が自分の手を借りずに仕事ができるようになっていくことは、望ましいことだと思っていた。

 宣言どおりに、どんどん副会長らしくなっていく姿を見て、頼もしさを覚えたのだ。

 いずれは本当に、櫻子に仕事を与えられるようなこともあるかもしれない。

 そんな日を、内心では楽しみにしながら。


178:2011/10/30(日) 20:49:30.66 ID:sisJXbsWo

「私は、正直言って櫻子の成長を嬉しく思いましたわ。だけど……あなたにとっては、そんな期待も重荷だったのかしら」

 向日葵は辛そうに目を伏せる。

 この一ヶ月あまりで、向日葵の櫻子を見る目は大きく変わった。

 自分を引っ張って仕事をこなす姿は、まるで昔を思い出すような気もしていた。

 そんな時間を、向日葵自身も楽しんでいたはずなのに。


179:2011/10/30(日) 20:50:21.00 ID:sisJXbsWo

「私は」

 かすれた声で、櫻子が呟く。

「向日葵と一緒に仕事がしたかったんだ」

 かつて、生徒会に入った理由を訊かれたときはなんと答えただろうか。

 向日葵だけいい格好するのが嫌だったとか、そんなことを口にした気もする。

 でも、そんなのは後づけの理由でしかない。

「向日葵といられたら、別になんでもよかった。部活でも」

 あまり、褒められた動機ではないだろう。

 でも、櫻子にとってはそれは当然の行動だったのだ。


180:2011/10/30(日) 20:51:35.83 ID:sisJXbsWo

「私は、いつもどおりにしてたかった。副会長になってからも、ずっとそうしてられるって」

 だけど、実際は変わってしまった。

 向日葵は段々と櫻子から離れていき、とうとう生徒会でまで別行動を余儀なくされるようになってしまった。

 でも、なにより辛かったのは──────

「向日葵は、それでも平気だったんだって……」

 再び、瞳が潤む。

 櫻子にとって最も辛かったのは、離れ離れになっても、向日葵が気にしていなかったという事実そのものだった。

 向日葵にとっては期待の裏返しだったが、櫻子は見捨てられたように思ってしまったのだ。

「私が……副会長になっちゃったから……もう勝負は終わっちゃったから……私のことも、もうどうでもいいのかなって……!」

 口にしたら辛いとわかっているのに、それを押しとどめることはできなかった。


181:2011/10/30(日) 20:52:31.04 ID:sisJXbsWo

 本当は、生徒会活動なんて関係なく、向日葵と一緒にいたかったのだ。

 それでも仕事にかこつけてそばにいるよう言うしかできなかったのが、櫻子の不器用さだろう。

「もう、仕事なんてしたくないよ……副会長なんて、向日葵にゆずってあげるから……だから……」

 どれだけ流しても尽きることのない涙が、頬を伝う。

「もっと……私のそばにいてよぉ……!」

 ぽろぽろと、涙の粒が溢れる。


182:2011/10/30(日) 20:53:07.82 ID:sisJXbsWo

 なにもかも、自分の想いを吐き出して、櫻子はようやく理解する。

 何度も自分を襲った、名状しがたい苦しい気持ちを。

 怒りやいら立ちも内包して、どうしようもない焦りを生み出すその気持ちの名前を。



「私、向日葵がいてくれないと……悲しいんだ」



 それを認めることは、とても苦しかったけれど。

 でも、名づけた気持ちは形になって、ようやく向き合うことができたのだ。

 自分はこんなにも、向日葵と一緒にいたかったんだと。


183:2011/10/30(日) 20:53:47.84 ID:sisJXbsWo

 向日葵は、幼馴染の吐露を、静かに聴いていた。

 櫻子がこんなにも素直に気持ちを表すことが、今まで何度あっただろうか。

 あまりにもまっすぐで、そして重い言葉だった。

 その気持ちに、向日葵は、



「バカですわね、櫻子は」



 ただ一言で、応えた。


184:2011/10/30(日) 20:54:29.82 ID:sisJXbsWo

「いったい今まで何年一緒にいると思ってますの? 私があなたと一緒にいるなんて……当然のことじゃない」

 そう言って、向日葵は櫻子の目元を拭う。

 櫻子は、どういうことかわからないという風に向日葵の言葉を聞いていた。

「私ね、生徒会長……いえ、前会長に言われましたの」

 生徒会役員の引き継ぎ式の日。

 個別に話しかけられたとき、確かに向日葵もりせの言葉を聴いていた。

「“落選は残念だったけど、あなたにできることはまだまだあるから。あなたを認めてくれる人のために、がんばってね”……あの方は、そう言っていましたわ」

 その言葉を、向日葵は“自分に投票してくれた人たちのためにがんばれ”という意味に解釈した。

 それはちょうど、自分が考えていたことにそのまま沿う話だったから。

 でも、本当は違ったのかもしれない。


185:2011/10/30(日) 20:55:19.02 ID:sisJXbsWo

「私を認めてくれる人……それってきっと、櫻子のことでしたのね」

 誰よりも向日葵のことをそばで見ていて、そして頼りにしてくれる。

 りせは、副会長になった櫻子と一緒にがんばってほしいと、そう言っていたのではないだろうか。

「だけど私だって、考えもなくがむしゃらにがんばってたわけじゃありませんわ」

 結果的に間違った受け止め方だったかもしれないが、向日葵はりせの後押しを受け、時間外の活動に力を入れていく。

 それも闇雲に動いていたのではない。


186:2011/10/30(日) 20:56:03.88 ID:sisJXbsWo

「櫻子、私、次の目標を見つけましたわ」

「え……?」

「私、来年は生徒会長を目指しますから」

 櫻子は、自分が副会長になったから、向日葵はもう生徒会に興味がないのだろうと思っていた。

 しかし、実際はそうではない。

 向日葵はただ、今回の反省を活かして、新たな挑戦を始めていたのだ。

「櫻子が来年、どうするつもりなのかはわかりませんけど」

 そう言いつつも、彼女はもう知っている。

「もし同じ目標を目指すなら……私たち、まだまだライバル同士ですわね」


187:2011/10/30(日) 20:56:46.21 ID:sisJXbsWo

 弱々しかった櫻子が、大きく目を見開く。

「じゃ、じゃあ……まだ……」

「そう、少なくとも、もう一年は」

 そばにいるから。

「それから先のことなんて、わかりませんけど」

 でも、と。

 向日葵は穏やかに微笑んで、言った。


188:2011/10/30(日) 20:57:13.00 ID:sisJXbsWo







「もし離れたくないなら、ちゃんと私のこと、つかまえててごらんなさいな」






.


189:2011/10/30(日) 20:57:49.40 ID:sisJXbsWo

 言いながらも、向日葵は自ら手を伸ばす。

 櫻子の目の前で、その手を取るのを待っているように。

 櫻子はゆっくり両手を伸ばして、その手を包み込んだ。



「うん……!」



 まだその顔は泣き笑いだったけれど。

 それは確かに、いつも向日葵に力を与えてくれる櫻子の顔だった。


190:2011/10/30(日) 20:58:37.46 ID:sisJXbsWo


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191:2011/10/30(日) 20:59:09.53 ID:sisJXbsWo

「……それじゃ、もういい加減帰りますわね」

 櫻子が笑顔を取り戻して、落ち着いた頃合いを見計らい、向日葵はそう言った。

 思えば、既に相当な時間話しこんでいる。

 明日……正確には今日も学校があることを考えると、早く寝ておかなければならない。

 が、

「やだ……」

 櫻子は、つかんだままだった向日葵の手を、より強くにぎりしめた。


192:2011/10/30(日) 20:59:41.05 ID:sisJXbsWo

「やだって……ずっとこうしてろって言いますの?」

「うん」

 至極真面目な顔で、櫻子はうなずく。

「……眠いんですけれど、私」

「ん」

 櫻子が、ベッドの壁側に寄る。

 手前側に、なんとか一人が収まれそうなスペースが生まれた。


193:2011/10/30(日) 21:00:43.66 ID:sisJXbsWo

「え、一緒に寝ろっていうことですの?」

「ん!」

 何度も言わせるなという調子でうながす櫻子。

 向日葵はためらったが、どうやら櫻子は本気らしい。

「なら……失礼しますわよ」

 諦めて、空いたスペースへ入りこむ。


194:2011/10/30(日) 21:01:18.21 ID:sisJXbsWo

 すると、

「ちょ、ちょっと櫻子!」

 ぴったりと、櫻子が身を寄せてきた。

 しかも手をにぎられている関係上、向かい合う形で。

「こ、これはその……恥ずかしいんですけど……」

「……向日葵がつかまえてろって言ったんじゃん」

 にぎっていた手を、今度は抱きかかえるようにして体に密着させる櫻子。

 腕全体を通して、櫻子の体温が伝わってくる。


195:2011/10/30(日) 21:02:09.14 ID:sisJXbsWo

「……………………」

 どきどきと高鳴る鼓動を聞かれはしないかと緊張する向日葵。

 しかし、櫻子はそんな様子に気づくこともなく、次第にうとうとし始める。

「櫻子……?」

「ん……」

 返事も、もう曖昧になってきた。

 夕方から眠っていたとはいえ、ずっとうなされていたのだ。

 心身ともに、疲労していたのだろう。

 だけど今は、穏やかな顔をしている。


196:2011/10/30(日) 21:03:31.52 ID:sisJXbsWo

「……………………」

 向日葵は、その寝顔を眺めながら、色々なことを思う。

 この数日の、見ているほうが不安になるような不機嫌な顔。

 生徒会室で激昂したときの驚きや、その後の泣き顔を目にしたときの後悔。

 弱々しく向日葵のことを見つめる、儚い表情。

 まだ一緒にいられるとわかったときの、笑顔。

 なにもかも、全部、全部。



 自分を求めてくれているからこその、表情。



 そう思うと、心が温かくなると同時に、きゅっと切なくもなる。

 嬉しいのに、苦しい。

 いつもと違う櫻子の姿を、たくさん見たからだろうか。

 櫻子に対する気持ちが、不安定になっている。


197:2011/10/30(日) 21:04:02.70 ID:sisJXbsWo

(私は……)

 ごちゃごちゃな心は、まだ答えを出せない。

 だけど、まだ今はいいと思った。

 今はただ、櫻子の温かさを感じたまま、眠ろう。

「おやすみなさい、櫻子」

 空いているほうの手で、そっと櫻子の頭をなでる。

「…………ん」

 櫻子の口元が、幸せそうに綻んだ。



198:2011/10/30(日) 21:04:58.95 ID:sisJXbsWo


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199:2011/10/30(日) 21:05:57.90 ID:sisJXbsWo




「昨日はすいませんでしたーっ!!」



 綾乃と千歳の前で、櫻子は勢いよく頭を下げる。

 すっかり体力も気力も取り戻した櫻子は、放課後になると真っ先に生徒会室へやってきた。

 その顔を見るだけで、二人とも上手くいったらしいことを察したが、けじめとしてその謝罪を受け入れた。

「あんまり気にしないでね。ちょっとびっくりはしたけど……」

「古谷さんとは仲直りできたん?」

「え、ええ、まあ……」

 照れくさそうにうなずく櫻子。


200:2011/10/30(日) 21:06:41.88 ID:sisJXbsWo

 いつもなら「仲良くなんかないですよ!」とか言い返すだろうが、今日の櫻子は小さくも、それを認めた。

 どうやら仲直り以上に進展があったようだと、千歳はにこりと笑った。

「あの、それで仕事のことなんですけど」

 櫻子は表情を引き締めた。

「私、やっぱり向日葵と一緒に仕事がしたいんです!」

 昨日の今日で厚かましいお願いかもしれないとは思った。

 それでも、たとえ能率が落ちようとも、自分には向日葵が必要なのだ。


201:2011/10/30(日) 21:07:32.77 ID:sisJXbsWo

「ええ、いいわよ」

 しかし、櫻子の心配とは裏腹に、綾乃はあっさりとうなずいた。

「い、いいんですか?」

「まあ、古谷さんも、副会長の仕事を見て覚えるのもひとつの勉強になるというか……」

「綾乃ちゃん、野暮なことは言わんとき?」

 なんとか適当に理由をでっち上げようとする綾乃を見て、千歳はくすくす笑う。

 綾乃は顔を赤くして咳払いをする。


202:2011/10/30(日) 21:09:13.64 ID:sisJXbsWo

「と、とにかく! あなたたちがそれでいいと思うなら、自由にして構わないわ」

「ありがとうございます!」

 櫻子は、もう一度頭を下げた。

 その顔も、自然に緩む。

 また一年、向日葵と仕事ができるのだ。

「それで、古谷さんは?」

「ちょっとクラスの子たちに話をつけてくるって言ってましたけど……」

 手間取っているのだろうか、まだ来る気配がない。


203:2011/10/30(日) 21:09:50.08 ID:sisJXbsWo

「ちょっと見てきます」

 思い立ったら即、行動に移す。

 もう櫻子の動きに迷いはなかった。

「向日葵ー」

 少し廊下を歩くと、向日葵を見つけた。

 ただし、何人かの生徒に取り囲まれながら。


204:2011/10/30(日) 21:10:35.40 ID:sisJXbsWo

「ねえお願い! まだ時間あるでしょ?」

「いえ、今日はちょっと……」

「そんなこと言わずに! 助けると思ってさー」

 どうやらまた頼まれごとのようだ。

 向日葵はやんわりと断っているものの、相手が引く様子はない。

 それを見て、櫻子は一直線に駆け出した。

「向日葵ー!」

 ダッシュ。

 直前で弾みをつけて、ジャンプ。


205:2011/10/30(日) 21:11:29.79 ID:sisJXbsWo

「向日葵!」

 驚く向日葵や周囲の生徒を意に介することなく、櫻子は向日葵に飛びついた。

「ちょ、ちょっと櫻子!」

「みんな聴けー!」

 戸惑う向日葵を無視して、櫻子はたじろぐ生徒たちに一喝する。



「向日葵は私のものだから、勝手に貸し借り禁止!!」



 唖然としてそれを聞く生徒たち。

 当の向日葵も呆けていたが、櫻子は構わず手をつかんで歩き出した。


206:2011/10/30(日) 21:12:07.21 ID:sisJXbsWo

「ほら、いくよっ!」

「ええ……」

 目の前で起こったことに理解が追いつかないのか、もう誰も付いてこない。

 向日葵は、しばらくは大人しく手を引かれていたが、途中でわれに返った。

「さ、櫻子! なんてこと言ってくれましたの!?」

「え、なにが?」

「なにがって……」

 みんなの前で、自分のもの宣言。

 それは聴き様によっては──────


207:2011/10/30(日) 21:12:49.85 ID:sisJXbsWo

「つ、つかまえておけっていうのはそういう意味ではありませんのよ!?」

「へ?」

 怒鳴ってみても、櫻子はなんのことかと首を傾げる。

「も……もう知りませんわ!」

 向日葵はひとり真っ赤になり、手を振りほどいて先を歩き出す。

(ああもう、今度からなんて言い訳したらいいんですの……!)

 絶対勘違いされた。

 せめてすぐに説明できればまだよかったのに。


208:2011/10/30(日) 21:14:19.95 ID:sisJXbsWo

 そんな向日葵の苦悩など理解するそぶりも見せず、櫻子はのんびりと言う。

「向日葵ー」

「……なんですの?」

 ちらりと振り返って見ると、櫻子は満面の笑みを浮かべて言った。



「また一年よろしく……えへ」



 今度こそ向日葵の顔は、蒸気を発しそうなほど赤く染まった。

「さ、先行きますわよっ!!」

「あっ」

 そんな顔を見られまいと、向日葵は走り出した。


209:2011/10/30(日) 21:15:11.18 ID:sisJXbsWo

「待てよ向日葵ー!」

「待ちませんわ!」

 逃げる向日葵の背を、櫻子は追いかける。

 今度は、絶対に追いつける気がした。

 真っ赤になった顔は、櫻子にも見えていたから。

 だからこれはきっと、つかまえてみろっていう合図。

 櫻子は走りながら、引き継ぎ式のときの、りせの言葉を思い出す。


210:2011/10/30(日) 21:15:46.35 ID:sisJXbsWo




『古谷さんのことを信じて、一緒にがんばってね』


.


211:2011/10/30(日) 21:16:14.40 ID:sisJXbsWo

 彼女がどこまでこの展開を見通していたのかはわからない。

 だけど、すべてはその言葉のままに落ち着きそうだ。

 きっとりせは、この一年、ずっとみんなのことを見守ってきたのだろう。

 間違いなく、あの人は、私たちの生徒会長だった。


212:2011/10/30(日) 21:17:47.20 ID:sisJXbsWo




(もうちょっと)



 櫻子の手が、向日葵の背に近づく。



 あとちょっと。



 向日葵が、走りながら振り向く。



 二人の目が逢った。



 櫻子は、迷いなく踏み切った。



 両手を伸ばして。



 その手で、向日葵を抱きしめて。


.


213:2011/10/30(日) 21:18:20.78 ID:sisJXbsWo







「向日葵、つかまえたっ!!」












      つづく


294:2011/12/31(土) 23:22:00.81 ID:BVDWKaY0o




櫻子「あ、あのね……私、向日葵のこと……」


.


295:2011/12/31(土) 23:22:33.67 ID:BVDWKaY0o




      『365コ』


.


296:2011/12/31(土) 23:23:28.41 ID:BVDWKaY0o




      【 12 月 1 日 】


.


297:2011/12/31(土) 23:24:40.07 ID:BVDWKaY0o

「ん?」

 頬に冷やりとしたものが触れて、空を見上げる。

 鈍色の空に目を凝らせば、その正体は雨ではなく雪だった。

 この辺りでは冬になれば雪など珍しくもなく、むしろ雪害の心配が必要なので、初雪だといってもどちらかといえば憂鬱な気分になるだけである。

 まして大学受験を控えた身である彼女には、受験日に雪が降るかどうかは切実な心配事だった。

(前の冬みたいのは困るな)

 昨冬の大雪を思い出して、大室撫子はため息をついた。

 交通機関のマヒ、などというかわいげのあるレベルではなく、街そのものが凍ったように停滞し、迷惑したものだ。

 端麗に整った眉をひそめ、撫子は歩みを速めた。


298:2011/12/31(土) 23:25:47.49 ID:BVDWKaY0o

 まさか初雪からそうひどいことになるとは思わないが、逆にそういうタイミングだからこそ、電車が止まったら最悪家に帰れなくなる。

 段々と路面が濡れ、視界も白く滲んでいく。

 どうやらこの分だと、明日には積もっていそうだ。

 早足に駅構内に入ると、平常通り運転中のアナウンスが流れている。

 一安心しながらもホームに立つと、今さらながらに湿り気を帯びた風に、身を縮こまらせる。

 寒いのは苦手だ。

 そう言うと「見た目はクールなのにね」と返されたりするが、たぶん、それは全然関係ない。

 寒い寒いと言いながらも無駄に元気な上の妹とは違い、本当に苦手なのだ。


299:2011/12/31(土) 23:26:29.61 ID:BVDWKaY0o

 やがてホームに滑り込んできた電車に素早く乗り込み、座席を確保する。

 ささやかな争奪戦に勝利した者だけが堪能できる、座席の温もり。

 敗残者の恨めしげな視線を受けながら、撫子は一時の安らぎに身を任せる。

 冷え切っていた体が、じんわりと感覚を取り戻していく。

 小さな幸せを堪能すると同時に、人工ではない温もりが恋しくなる──────絡めた指の、ほのかな温かさを思い出して。

 逢いたいな、と思う。

 つい数ヶ月前までは当たり前に隣にいられたのに、最近は隣にいられることすら少ない。


300:2011/12/31(土) 23:27:17.22 ID:BVDWKaY0o

 別に嫌いになったわけではない。

 ただ、受験までは自重しようと約束しただけだ。

 あと一ヶ月少々の我慢。

 もしこんなタイミングで約束を破ったら、きっと彼女は笑うだろう。

 顔に似合わず寂しがり、と。

 顔に似合わずは余計だ、寂しがりはそっちだろ、と思わず脳内の言葉に反論する。

 そんなやり取りも直接できないことに、本当のところやっぱり寂しく感じたりして、学校上がりの気だるさは増す。


301:2011/12/31(土) 23:28:12.79 ID:BVDWKaY0o

 やがて電車が家から最寄の駅に停車し、凍える外気を伴いながら、ドアが開く。

 座席に未練を残しながら立ち上がると、すぐさま立っていた女生徒が着席する。

 今度は撫子が恨めしげに視線を送る番だった。

 改札を抜けると、外は完全に吹雪と化していた。

 傘のあるなしなどお構いなしに吹きつける雪に、覚悟を決めて踏み出す。

 帰ったら、絶対に熱いシャワーを浴びる。

 その後はぬくぬくの部屋で甘いココアだ。

 もう決めた、今決めた。

 一心にそんなことを念じつつ、寒風に耐える。


302:2011/12/31(土) 23:29:18.96 ID:BVDWKaY0o

 そうして見えてきたわが家に心底ほっとすると同時に、耳慣れた喧騒が聞こえてくる。

「なんであなたがうちのお風呂に入ってるんですの!? 隣なんだから自分の家で入りなさいよ!」

「イヤだー!! 寒い! 帰りたくない! ここ泊まる!!」

「帰れ!」

 隣の家から叩き出される上の妹、櫻子。

 とても吹雪の中を歩くには向いていない、薄着だった。

「ひ、向日葵のアホー! 風邪引いたらどうしてくれんだー!」

 見た目に違わず、本気で寒いらしい。


303:2011/12/31(土) 23:30:08.12 ID:BVDWKaY0o

 ガチガチと歯を鳴らしつつ、自分の家に駆け込もうとして──────こちらに気づく。

「あ、ねーちゃん」

「なにしてんのあんた」

 妹の奇行はいつものことだが、今日のはもはや自殺志願のレベルだ。

 薄着というか、よく見たら着ているのはパジャマだった。

「いいから家入ろ! マジで凍え死ぬし!」

 そう言いながら家に飛び込む。

 撫子も、こんな天候で立ち話はしたくないので、さっさとそれに続いた。


304:2011/12/31(土) 23:31:10.04 ID:BVDWKaY0o

「ただいまー!」

「ただいま」

 二人して玄関で雪を掃ってから上がると、ひょいと小さな顔が今から覗いた。

「おかえり。二人一緒とか、なんか珍しいし」

 下の妹、花子が首を傾げる。

「家の前で会っただけだよ。こっちはひま子の家から追い出されてきただけ」

「ならいつもどおりだし」

 櫻子にはよくあること、と撫子と花子はうなずく。


305:2011/12/31(土) 23:31:59.20 ID:BVDWKaY0o

 が、当の櫻子はそんなことはどうでもいいとばかりに、風呂場に駆け込んだ。

「さみー! もっぺん入りなおす!」

「あ、ちょっと」

 帰ったらシャワーと決めていた撫子は制止しようとしたが、耳に入っていない様子の櫻子に先を越されてしまった。

 しばし、考える。

「花子。お湯沸かしといて、やかんで」

「いいけど。花子もココア飲むし」

「二人分でお願い」

「わかったし」

 言伝を終えると、撫子はマフラーとコートを居間に放り投げ、そのまま脱衣場に向かう。


306:2011/12/31(土) 23:33:00.26 ID:BVDWKaY0o

 そして服を脱ぐと、迷うことなく風呂場に突入した。

「うおおおおおねーちゃんなんで入ってきてんの!?」

 突然の闖入者に、当然先に入っていた櫻子が驚いた。

「いや、シャワー浴びたかったから」

「私先入ってんだけど!」

「シャワーと思ってたけど沸いてるなら浸かろうかな」

「人の話聴けよ!」

 湯船を独占しつつ、櫻子が髪を逆立てる。

 どうやら姉とご同伴はお断りらしい。

 撫子はため息をついた。


307:2011/12/31(土) 23:34:10.15 ID:BVDWKaY0o

「お願いします入れさせてください」

「全裸で土下座とか姉のすることじゃねーだろ!!」

 威厳のかけらもない姿にさすがに引いたのか、櫻子は浴槽の片側半分を空けた。

 撫子はけろりとした表情で、そこに収まる。

「はー、じんわりきた」

「おっさんくさ」

 即座に頭を引っつかんで、湯船の中へ沈めてやる。

「もがべぼぼばばべぶぼっ!!?」

 しばらく手足をばたつかせて抵抗していたが、やがて静かになったので、離す。

 ぐったりしたままの櫻子を横目に、湯を堪能することにする。


308:2011/12/31(土) 23:35:09.73 ID:BVDWKaY0o

 が、櫻子は突然顔を上げて復活した。

「[ピーーー]気か!」

「生きてたのか」

「死なねーよ!」

 なにがなにやら、適当に受け答えしつつ、やっぱり湯を堪能する。

 そして、帰宅直前のことを思い出した。

「そういや、さっきはなにしてたの」

「あー、あれねー」

 湯に沈んだので頭がぼんやりしてきたのか、間延びした口調で櫻子が応える。


309:2011/12/31(土) 23:36:23.46 ID:BVDWKaY0o

「寒いから向日葵のところでお風呂入ってたら、追い出された」

「ひま子の家じゃなかったら通報ものだな」

 いくら幼馴染とはいえ、勝手に風呂に入っていたら追い出しもするだろう。

 それも、家が隣なら自分の家で入れと思うのは当然である。

「別にいいじゃんー。ホントはそのまま晩ご飯ももらうつもりだったんだし」

「あんたみたいなやつを世間ではヒモって言うんだ」

 というか、と小突く。

「どんだけひま子の世話になってるの、あんた」

「えー、フツーだよフツー」

 心外そうに言う櫻子。


310:2011/12/31(土) 23:37:20.86 ID:BVDWKaY0o

「いや、普通って。あんた最近寝るとき以外ほとんど家に帰ってきてない気がするんだけど」

「そうだっけ?」

 きょとん、と首を傾げてみる。

 まさか自覚なしとは。

「この頃、ひま子に引っつきっぱなしだろ。なにかあったの?」

「え……べ、別に……」

 そう言うと、櫻子は露骨に目を逸らした。


311:2011/12/31(土) 23:37:55.10 ID:BVDWKaY0o

 隠し事をしているのは明らか、というより、撫子にはだいたいの見当がついていた。

 櫻子がそんな風に向日葵にべったりになったのは、少し前に泣いて学校から帰ってきた日以降だ。

 あの日は向日葵も櫻子の部屋に上がりこんで、そのまま泊まりこみで朝食まで食べていった。

 どうやら二人の間に心境の変化があったようだ、というのは容易に推測できる。

 とはいえ、具体的になにがあったのかまでは確認していないが。

「まあいいけどね。仲良くなったなら」

「……………………」

 黙りこむ櫻子を見て、なるほど本当に進展があったらしいと確信する。

 前なら「仲良くなんかないっ!」と反論があっただろう。

 それだけでも随分な進歩だ。


312:2011/12/31(土) 23:39:32.26 ID:BVDWKaY0o

「……の割には、浮かない顔してるけど」

「浮いてるよ?」

 と、文字どおり水面に顔を浮かべている櫻子の頭をつかんで、もう一度沈めてやる。

「ごぼべごぶおぷびっ!?」

「そういう意味じゃないから」

 人がいちゃつきたいと思っている脇でべたべたしよって、という恨みも若干込めて、さっきよりも長く沈めておいた。


313:2011/12/31(土) 23:40:46.26 ID:BVDWKaY0o

「それで、なにを悩んでるの?」

 少し長く沈めすぎたのか、櫻子はしばらく反応をしなかったが、やがてはっと顔を上げた。

「今死んだばあちゃんが見えた!」

「まだ死んでないよ」

「あれ?」

「それで」

 もう一度訊ねる。

「なに悩んでるの?」


314:2011/12/31(土) 23:41:49.67 ID:BVDWKaY0o

 すると、櫻子はしばらくうなって考えこんだかと思うと、一言ぽつりとつぶやいた。

「わかんない」

「そうか」

 向日葵が聞いたら「なんですのそれ!」と怒りそうだが、なんとなく予想していたので、撫子はうなずき返しただけだった。

「わかんなくても、べたべたしたいわけか」

「べ、べたべたはしてないし……」

 ときおり見かけると明らかに密着していると思うのだが、それは言わないでおく。


315:2011/12/31(土) 23:43:08.55 ID:BVDWKaY0o

「ふむ」

 目を閉じて、考えてみる。

「……………………」

 目を開けて、櫻子を見つめる。

「ねーちゃん?」

 くりくりとした丸い瞳が、見つめ返してくる。

 撫子はひとり納得したように、もう一度うなずいた。

「あんた、ちょっと後で部屋においで」

「なんで?」

「いいから」

 言い残して、風呂を上がる。


316:2011/12/31(土) 23:43:57.55 ID:BVDWKaY0o

 温まった体で花子が淹れてくれたココアを飲むと、やや鈍っていた脳が働き始める。

「…………んー」

 先ほどの自分の発言を、再度吟味してみる。

 ──────櫻子が不思議がるのも、仕方ない気がする。

 でもそれもそれで悪くない。

 今の私は、人恋しいのだと認めよう。

 だから、こんなこともあるのだ。


317:2011/12/31(土) 23:44:24.83 ID:BVDWKaY0o

「お姉ちゃん、なんか笑ってるし」

「そう?」

 同じくココアを飲んでいた花子がじっとこっちを見ている。

 あまり表情を崩さない撫子が笑うのは、珍しいのかもしれない。

「まあ、たまにはいいじゃないか」

 あくまで、こんな時期だから。

 たまには、いいじゃないか。


318:2011/12/31(土) 23:45:25.13 ID:BVDWKaY0o


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   12 月 1 日 (木)

 ねーちゃんに言われて日記つけることにした。
 たぶん三日であきる。

 宣言してどうする。せっかく相談乗ってやったのに(姉)

 なんでねーちゃん見てんの!?

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319:2011/12/31(土) 23:46:31.28 ID:BVDWKaY0o




      【 12 月 2 日 】


.


320:2011/12/31(土) 23:47:37.48 ID:BVDWKaY0o

「それじゃ、仕事はここまでにしましょうか」

 生徒会長の役目も板についてきた綾乃がそう告げると、作業に没頭していた三人が顔を上げた。

「そうやね。もう十分やろうし」

 千歳が同意して、ファイルを閉じる。

 対照的に、櫻子はきょとんとして首を傾げた。

「どうしてですか? まだ時間ありますけど」

 すると、残った全員が「えっ」という顔をした。


321:2011/12/31(土) 23:48:28.87 ID:BVDWKaY0o

「どうしてって……もういい加減テスト週間じゃありませんの」

 向日葵が答える。

 すると、今度は櫻子が「えっ」という顔をした。

「テスト……?」

「……櫻子、まさか」

 綾乃や千歳もまさかと思いつつ口には出さなかったが、櫻子はあっさりと白状した。

「そういえば期末テストじゃん! すっかり忘れてた!」

「櫻子ぉー!?」

 櫻子を除く三人が青ざめたが、当の本人はケロリとしている。


322:2011/12/31(土) 23:49:39.95 ID:BVDWKaY0o

「いやー、そういえばそうだった。来週だったっけ」

「来週だったっけ、じゃありませんわ!」

「再来週だった?」

「そういう意味でもありませんわ!!」

 だんだんと向日葵の声のトーンが上がっていく。

 逆に、櫻子はなにをそんなに興奮しているのか理解できないようだった。

「まあいつもどおりやればうまくいくよねっ、キリッ!」

 そう言って軽く流そうとする櫻子だが、氷点下の声がそれを遮った。

「ダメよ」


323:2011/12/31(土) 23:50:17.01 ID:BVDWKaY0o

「え?」
「……それじゃダメよ、大室さん」

 底冷えのする声で言い放ったのは、綾乃だった。

 ゆらり、と椅子から立ち上がった綾乃は、櫻子をじろりと睨んだ。

 思わず気圧されて怯む櫻子。

「な、なにがダメなんですか……?」

「仮にも私の後任として生徒会副会長を任せたのに……」

 つかつかと櫻子に詰め寄り、その肩をがしりとつかむ。

「テストで赤点とか許すわけないでしょー!!!」

「ひぇっ……!」

 綾乃の怒声に、櫻子も顔色を変えた。


324:2011/12/31(土) 23:51:02.09 ID:BVDWKaY0o

「大室さん!! 副会長としての仕事は評価するわ! でも!」

「は、はい……」

「それで勉強を疎かにするとか……………………!」

 たっぷり溜めて、綾乃は叫んだ。



「ダメダメダーメ川なのよ!!!」



「は……はい?」

 新作らしい。

 いつもどおり滑っているが、綾乃がそれを気にすることはない。


325:2011/12/31(土) 23:51:56.15 ID:BVDWKaY0o

(というか、ダーメ川ってどこかしら……)

(ドイツにあるらしいで)

 ちゃっかり検索してみた千歳がささやく。

 そんなおもしろ地名を使われても、ギャグとしてはまったく面白くなっていないが。

「大室さん、これは生徒会長命令よ!」

「えっと……どうしたらいいんですか?」

「今度の期末では、必ず今までよりも高い点数を取ること!」

「え、必ず……ですか……?」

「もしも点数が落ちたら……」

「お、落ちたら?」

 ごくりと唾を飲む櫻子。


326:2011/12/31(土) 23:53:13.09 ID:BVDWKaY0o

 綾乃は肩をつかんでいた手を離し、突然びしっと向日葵を指差した。



「生徒会副会長は、古谷さんに譲ってもらうわ」



「え……」

「ええぇぇぇっ!!?」

 その一言には、櫻子よりも向日葵のほうが驚愕した。

 千歳も、これには顔色を変える。

「そ、それは無茶やないかなぁ、綾乃ちゃん……」

「私もその、困りますわ……!」

 かつては副会長を目指して櫻子と争っていた向日葵も、そんな形で譲渡されるのは予想外だ。

 そもそも、役員が途中で交代になった例など、七森中にはない。


328:2011/12/31(土) 23:54:40.73 ID:BVDWKaY0o

「たぶん、規定にもあらへんと思うけど……」

「できるかどうかじゃなくて、それくらいの気概を持って臨んでほしいってことよ!」

 綾乃は厳しい表情を崩さない。

 実際に副会長の座を譲るかどうかはともかく、もし点数を落とすようなことがあれば、綾乃の信頼を失うことになるのは間違いないようだった。

「生徒会は生徒の代表だもの。まして副会長なら、みんなのお手本になるべきだと思うわ」

「……………………はい」

 綾乃の言葉は、正論であるだけでなく、彼女自身が実践してきたことでもある。

 京子と張り合うことが主目的であったとはいえ、綾乃が学年トップクラスの学力を維持してきたのは事実だ。

 櫻子や向日葵が副会長を志したのも、その背中を見てのことではなかったか。


329:2011/12/31(土) 23:55:56.53 ID:BVDWKaY0o

「大室さんはしばらく生徒会の仕事はしなくてもいいわ。その分、勉強に集中すること」
「わかりました……」

 尊敬する先輩にきつく言われたのは櫻子もかなり堪えたようで、肩を落としてしょげ返っている。

 綾乃はそんな櫻子をじっと見つめた後、不意に声音を和らげて言った。

「期待してるわよ、副会長っ」

「……は、はいっ!」

 けっして悪意を持って言っているわけではないという綾乃の思いやりを感じ取れたのか、櫻子も少し元気を取り戻す。

 綾乃もそれで満足そうにうなずき、片づけを引き受けると櫻子と向日葵を先に帰らせた。

「それじゃ、先輩方お願いします」

「お先に失礼しますわ」

「ええ、勉強がんばってね」


330:2011/12/31(土) 23:56:36.74 ID:BVDWKaY0o

 二人を送り出すと、綾乃は大きくため息をついた。

「……厳しすぎたかしら」

「綾乃ちゃんの言いたいことは伝わったと思うよ」

 千歳は言う。

「大室さんが後ろ指差されるようなことには、ならんようにしたいんよね?」

「お見通しなのね、千歳には」

 綾乃は微笑む。

 いくら生徒会活動に力を入れても、学業が疎かになれば、教師の覚えはよくならないだろう。

 勉強がすべてではないが、軽視していいものではない。

 綾乃が怒ったのは、そうした櫻子の態度そのものに対してである。


331:2011/12/31(土) 23:57:28.59 ID:BVDWKaY0o

「大室さんのいいところは知ってるけど、それがテストの点で全部打ち消しになったら、かわいそうでしょ?」

「そうやなぁ。やっぱりある程度は、勉強もせなあかんよねえ」

 ただでさえ、秀才の上に真面目で通っていた綾乃の後釜として副会長をしているのだ。

 テストという、もっともわかりやすい尺度の前では、櫻子の地道な生徒会活動の努力も説得力を失ってしまう。

 彼女のがんばりをそばで見ているからこそ、綾乃はそれを無為なものにしてしまいたくはなかった。


332:2011/12/31(土) 23:58:11.04 ID:BVDWKaY0o

「ああでも……大丈夫かしら!? 信じたいけど大室さんだし……!」

「綾乃ちゃんは心配性やなあ。あの様子なら、きっと勉強してくれるよ」

「だけど、勉強したのに点数は上がらなかったとかいうことになったら……」

「……………………」

 否定できない予想だった。

「きょ、去年の私たちのノートとか参考にならないかしら!?」

「うちもちょっと探してみるわー……」

 普段勉強しない人間に勉強させることの難しさを思い知った二人だったという。


333:2011/12/31(土) 23:58:55.67 ID:BVDWKaY0o


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   12 月 2 日 (金)

 そういえばもうすぐ記末テストだった!
 生徒会の仕事ばっかでわすれてたなあ……。
 テストの点がわるかったら、副会長も向日葵にとられちゃいそうだ!
 なんとかしなきゃー……。

 “期”末、ね。これはテストも絶望的か……(姉)

 うっさいなぁ!

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334:2011/12/31(土) 23:59:40.10 ID:BVDWKaY0o




      【 12 月 3 日 】


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335:2012/01/01(日) 00:00:41.43 ID:20cc3qmSo

 綾乃の生徒会長命令で焦ったのは、櫻子だけではない。

 むしろ、期せずして櫻子を追い落とすチャンスを得たはずの向日葵のほうが、ずっと焦っていた。

(櫻子が……自主的に勉強できるはずありませんわ……)

 綾乃や千歳以上に、それは確信的だった。

 やる気だとか以前に、櫻子は勉強の仕方を理解していない。

 だから、どれだけやる気を出そうとも勉強できるはずがないのだ。

(どうしたらいいのかしら……やっぱり私が教えるべき……?)

 と考え、いやいやと首を振る。


336:2012/01/01(日) 00:01:33.10 ID:20cc3qmSo

「そもそも櫻子はただのライバルですし……私から教えにいくとかおかしいですわ」

「お姉ちゃん、お出かけ?」

「……………………」

 つぶやきながら靴を履いたところで、楓に見つかった。

 ギギギ、とぎこちなく首を向けて、引きつった笑顔を見せる向日葵。

「ちょ、ちょっと櫻子の様子を見に行ってきますわ。ちゃんと勉強してるかどうかだけ……」

「そんなにたくさんノート持って……?」

「……………………」

 二人の視線が、全教科分詰め込まれた鞄に向けられる。

 沈黙。


337:2012/01/01(日) 00:02:27.77 ID:20cc3qmSo

「…………櫻子に勉強を教えてきますわ。お昼には一度戻りますから」

「いってらっしゃいっ、大変だと思うけど、がんばってね!」

 ぱぁっと笑顔になった楓に見送られて、向日葵は家を出た。

「ごめんください」

「おーう、向日葵じゃん」

 挨拶してから大室家の中に入ると、応対に出てきたのは当の櫻子だった。

「櫻子、勉強はどうしましたの?」

「え、ああ、勉強ね……うん……」

 露骨に目をそらす櫻子。

 その反応だけで、予想と寸分違わぬ状況になっているのが確定したといっていい。


338:2012/01/01(日) 00:03:02.86 ID:20cc3qmSo

「いや、お昼食べたら本気出すし……」

「具体的に、どの科目を勉強しますの?」

「そ、そのときに決める……」

 どうやら勉強が必要な科目の優先順位も決まっていないらしかった。

 めまいを覚える向日葵。

「だ、大丈夫大丈夫! まだまだ時間はあるし!」

 と言いながらも、櫻子の笑みは若干引きつっている。

 昨日の帰宅から今朝までの間で、すでに一度くじけたと見て間違いなさそうだ。


339:2012/01/01(日) 00:03:57.89 ID:20cc3qmSo

「……あの、櫻子」

「な、なに?」

 どうやらほかに選択肢もなさそうだと、覚悟を決めて向日葵は口を開いた。

「もしよければ、私が勉強見ますけど……」

「え?」

 櫻子は目を丸くする。

 いつもなら自分から頼み込み、その上で散々文句を言われながらようやく教えてもらっている立場なのだ。

 まさか向日葵から言い出してくるとは思ってもみなかったのだろう。

 言った本人も、それは十分自覚している。


340:2012/01/01(日) 00:04:53.46 ID:20cc3qmSo

「ま、まあよけいなお世話なのでしたら、別にいいんですけど……」

「いや……そんなことはないけど……」

 困惑気味に、ちらちらと向日葵の顔色をうかがう櫻子。

「……どっちなのか、はっきり言いなさいよ」

「あ、じゃあ、よろしく……」

 お互い、なぜか少し照れくさくなって、横目で見つめ合う。

 曖昧な間。


341:2012/01/01(日) 00:05:44.87 ID:20cc3qmSo

「あんたたち、玄関でなにやってんの?」

 微妙な空気を崩したのは、奥からやってきた撫子だった。

 その声に、二人そろってわれに返る。

「あ……おはようございます撫子さん」

「おはよう、ひま子。とりあえず上がったら?」

「そ、そうですわね。失礼します」

「だ、だったら私の部屋行ってて!」

「はぁ……」

 言って、櫻子はキッチンのほうへ。

 いつもなら絶対にしないことだが、なんとなく気が改まってしまって、自分でお茶を用意することにした。

 向日葵も首をかしげつつも、勝手知ったる他人の家なので、迷わず櫻子の部屋へ向かう。

 撫子はそんな二人を意味深な表情で見送ったあと、参考書を買うため家を出た。


342:2012/01/01(日) 00:06:40.61 ID:20cc3qmSo


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   12 月 3 日 (土)

 向日葵がべんきょう教えてくれるって。
 向日葵から教えるって言ってくれるの始めてかも?
 なんかいつもとちがうとキンチョーするし!
 お茶まで出しちゃったじゃん!

 ×始めて ○初めて
 ひま子……見てられなくなったか。
 あとお茶くらい毎回出してあげな(姉)

 うーん、どうして教えてくれるんだろ……?

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343:2012/01/01(日) 00:07:29.69 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 4 日 】


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344:2012/01/01(日) 00:08:12.17 ID:20cc3qmSo

「とにかく、全教科満遍なく復習する時間はありませんわ」

 昨日一日櫻子の理解度を確認して、向日葵はそう結論づけた。

 そもそも内容を理解していない以前に、授業を聞いていなかったとしか思えない部分も多々あったからだ。

 予想していたとはいえ、差し迫ったタイムリミットを前に、かなり危険な状態といっていい。

「そっかー」

 危機感が伝わっているのかどうか、顔だけは神妙に、櫻子はうなずいた。

 どういう勉強をするつもりだったのかはわからないが、もし櫻子ひとりで勉強していたら、まず取り戻せないレベルの遅れだ。

 普段どおりのテスト勉強をする余裕はない。

 完全にヤマを絞って、そこを対策する以外に可能性はないだろう。


345:2012/01/01(日) 00:08:44.98 ID:20cc3qmSo

「テストで出そうなところだけ抜き出しますから、櫻子はとにかくそれを覚えなさい」

「丸暗記でいいの?」

「今回は、ですわよ」

 科目にもよるが、本来なら全体の流れを理解することが一番“楽な”勉強法である。

 ただしそれはどうしても時間のかかる方法であり、普段から授業を追っていることが前提だ。

 だから、追い詰められたこの状況では、とにかく記憶力頼りでぶつ切りの内容を覚え込むしかない。

 もっとも、それはそれで、ヤマが外れると悲惨なことになるのだが。


346:2012/01/01(日) 00:09:44.33 ID:20cc3qmSo

「昨日、ある程度まとめておきましたから、とりあえずこれを使うといいですわ」

 そう言って、向日葵は一冊のメモ帳を手渡す。

 櫻子はそれを受け取ると、パラパラとめくって内容を確認してみた。

「うおっ……むっちゃ多い……」

「それでも絞ったんですわよ」

 どうやら全教科のポイントとなる箇所を、一冊のメモ帳に詰め込んであるようだ。

 特に重要な点に関しては、色ペンでマーキングしたり、付箋が貼りつけてあったりと、呆れるくらい手がかかっていた。


347:2012/01/01(日) 00:10:18.34 ID:20cc3qmSo

「とりあえず、それを詰め込むところから始めるといいですわ」

「ん……わかった」

 さすがに向日葵の努力を感じ取ったのか、櫻子もおとなしく従う。

 そして一ページ目を読み始めてすぐ、じっと視線が固まる。

「……わからないところはちゃんと言いなさいよ」

「全部」

 めまい。


348:2012/01/01(日) 00:10:54.41 ID:20cc3qmSo

「ま、まずは数学とか、記憶すべきものが少ない科目からやりなさい」

「えー、数学かぁ……」

 なんとなく、苦手意識がつきまとう科目。

 櫻子は思わずしかめっ面になる。

「でも数学はいくつか問題解いてみれば覚えられますわよ」

 試しに、向日葵は教科書に載っていた問題をノートに写して櫻子に見せる。

「これ、やってみなさいよ」

「えーっと」

 向日葵お手製のメモに書いてある公式を確認しながら、問題の数字を当てはめる。

 それだけで答えは導き出された。


349:2012/01/01(日) 00:11:33.26 ID:20cc3qmSo

「なんだ、簡単じゃん」

「基本問題ですし。じゃあ、次はこれ」

 同じようにいくつか問題を出され、解いていくと、だんだんとメモを確認する回数が減っていく。

 そしてとうとうメモに一度も視線を移さずに問題が解けたのを見て、向日葵はうなずいた。

「ほら、同じような問題が出ても、もう解けるでしょう?」

「あー、うん。たぶん」

「テストだって難しい問題ばかり出すわけじゃありませんし、これだけでも点数は違ってくるはずですわ」

「へぇー」


350:2012/01/01(日) 00:12:14.51 ID:20cc3qmSo

 特に勉強したという実感はなさげな櫻子。

 しかし、それも悪いことではない。

 自然に公式をひとつ覚えられたのだから、それは十分な成果だ。

「せっかくですから、今日は数学を中心にやりましょう」

 理解できる、というのは次につながる重要なポイントだ。

 わからないことを悩み続けるほど、苦痛な作業はない。

 とにかく勉強して、“理解できる”という体験が必要と踏んだ向日葵は、意図的に難しい問題は避けて出題していく。


351:2012/01/01(日) 00:12:44.54 ID:20cc3qmSo

「うおぉ……これも解けた……」

「ほら、思ってるほど難しくないでしょう?」

 とはいえ、ほぼすべてが応用の要素がない基本問題ばかりなのだが。

 それでもできるのとできないのとでは、まったく違ってくるはずである。

「ええっと、あとは……」

 自分で作ったメモを思い出しながら、向日葵はなにを覚えさせるか考える。

 今は調子に乗らせるくらいでいい。

 勉強がつらいものだと思わせずに、できるだけ長く、効率よく必要なことを教えこむ。


352:2012/01/01(日) 00:13:32.24 ID:20cc3qmSo

「おおー、すげー! これくらいわかるし! やっぱ私ってやればできる子!」

(先生って大変なお仕事ですのね……)

 いつもの櫻子のテンション。

 しかし、やっていることは普段ならありえないことに、勉強なのだ。

 この状態を維持しながら、徐々に、櫻子には気づかれないように、難易度を上げていく。

(どう考えても私のほうが苦労してますわー……!)


353:2012/01/01(日) 00:14:11.87 ID:20cc3qmSo

 自分はなにをやっているんだろう、と思いながらも、うまい具合に張り切っている櫻子を見ると、途中で投げ出す気にもなれない。

 それに、いつもならそもそも勉強しようという意欲もないし、向日葵が教えても真面目に聞く気もない。

 今回は、櫻子なりにがんばっているのは確かだ。

(……そう、ここで勉強するくせをつけておけば、後々私だって苦労しなくてすみますわ。毎日宿題見なくていいようになるかもしれないし)

 そんな風に内心で言い訳してみる。

 もちろん、そもそも宿題を見る義務なんて、実際には存在しないことはわかっているのだが。

 教える側が苦悩し、教わる側はどんどん楽観的になっていく。

 奇妙なテスト勉強の光景が広がっていた。


354:2012/01/01(日) 00:15:10.65 ID:20cc3qmSo


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   12 月 4 日 (日)

 向日葵とべんきょうしてた。
 っていうか、これくらいカンタンだし!
 点数アップまちがいなし!

 ひま子の教え方がいいからに決まってるだろ調子乗るな。
 というかあんたさ、なんで日記始めたか忘れてない?(姉)

 え、なんだっけ?

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355:2012/01/01(日) 00:15:40.80 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 5 日 】


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356:2012/01/01(日) 00:16:18.24 ID:20cc3qmSo

 いい加減、向日葵も櫻子の操縦に慣れてきた。

 といっても、本来なら割と当たり前のことで、ただそれが今までできずにいただけのこと。

「合ってますわ。よくできました」

「やったー!!」

 メモで覚えたことを、教科書から問題として出題する。

 迷った末(めまぐるしく表情が変わるので、まだ記憶があやふやなのはわかった)に、ぼそりとつぶやいた答えに正解を告げると、櫻子は諸手を挙げて喜んだ。

 できたことを褒める。

 ただその一言を付け加えるようにしただけだ。

 しかしその効果は劇的で、いつもならとっくに駄々をこねて投げ出しているはずの勉強が、すでに三日目となる今日も続いていた。


357:2012/01/01(日) 00:17:05.55 ID:20cc3qmSo

「そろそろ、休憩にしましょうか」

 時計を確認して、教科書を閉じる。

「あ、じゃあお茶持ってくる!」

 そう言って、櫻子は軽い足取りでキッチンへ向かう。

 向日葵はそれをおとなしく待ちながら、同時に少し不思議に思っていた。

 以前の櫻子なら、お茶の用意なんて絶対にしてくれなかったはずだ。

 むしろ向日葵に用意しろと言っていた──────そこが古谷家だろうが、大室家だろうが、それ以外であろうが。

 それを思えば、急な心変わりと言っていいだろう。


358:2012/01/01(日) 00:17:48.69 ID:20cc3qmSo

 いや。

 果たして、急だろうか。

 よくよく考えれば、櫻子は少しずつ変わってきていた。

 どこから、と思い返せば、それはおそらく生徒会役員選挙からだ。

 面倒くさがりだった櫻子が、自分から進んで副会長の仕事をするようになり、それに感銘を受けた向日葵も自分を変えていこうと努力して──────結果、すれ違って。

 そうだ。

 あの頃から、二人の関係は少し変わった。

 前はそろって「仲良くなんてない」と言い合っていたのに、最近は言わなくなった気がする。


359:2012/01/01(日) 00:18:18.34 ID:20cc3qmSo

 それに櫻子のほうは、よい意味で向日葵に甘えなくなった。

 お茶の用意にしてもそうだが、なんでも向日葵任せにしていたことを、自分でするようになり、自分で考えるようになった。

 自立した、と表現すべきだろうか。

 それはたぶん、櫻子なりの成長の証なのだろう。

 本人が自覚しているかどうかは、わからないが。


360:2012/01/01(日) 00:18:57.30 ID:20cc3qmSo

「ほい、持ってきたよ」

 櫻子が湯飲みを両手に戻ってくる。

「ん」

「ありがとう」

 受け取って、一口。

 向日葵は微妙な顔をした。

「……相変わらずぬるいですわ」

「なんでだよ!」

 お湯が沸くまで待たずに淹れるからである。

 成長したからといって、せっかちな性格やいい加減さが改まるわけでもないのだった。


361:2012/01/01(日) 00:19:50.59 ID:20cc3qmSo


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   12 月 5 日 (月)

 向日葵のおっぱい大きすぎ!
 そんでねーちゃん、なんで私に日記書かせたの?

 前一文には確かに同意だけど、あんた本当に勉強してるのか。
 ひま子のこと、気になってるんでしょ?
 そういう気持ちを、目に見える形で書き留めてみなって言ったんだよ(姉)

 あ、そっか。
 気持ちかあ……。

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362:2012/01/01(日) 00:20:34.94 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 6 日 】


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363:2012/01/01(日) 00:21:18.19 ID:20cc3qmSo

 決して高いレベルではないにせよ、一定の成果は出てきた、と向日葵は考えていた。

 数日前には、よくこんな状態でここまでやってこられたと逆に感心するほどだったのだが、今はどうにか最低限の段階まで追いついてきている。

「次はこの問題、どう?」

「ん、やってみる」

 最初は確認のために出していた問題も、今は小テスト風にまとめて何問か出している。

 問題を解くことへの拒否感も、はじめは一問ずつ、簡単なものから始めたから、それほどないようだ。

 櫻子が問題に取り組んでいる間、向日葵はその様子をじっと見ている。

 たとえば、どの問題は考えるまでもなく理解しているのか、あるいはどこは記憶があいまいなのか、確認するためだ。


364:2012/01/01(日) 00:22:39.09 ID:20cc3qmSo

「…………んー…………」

 さすがに応用問題をいくつか混ぜているのもあって、櫻子は悩みながら回答している。

 まじめな顔をしている幼馴染を見るのは、向日葵にとっても珍しいことだ。

 いつもならすぐに投げ出してしまっているのに、今回はちゃんと続いている。

(本当、ちゃんとやればできる子ですのに)

 どうやら難問にぶつかったらしく、悪戦苦闘している顔を眺めながら思う。

 基本的に行動力はあるのだから、あとはその方向性だけなのだ。

 それがピタッとはまれば、向日葵にはないひたむきさを見せることだってある。


365:2012/01/01(日) 00:23:41.22 ID:20cc3qmSo

(昔からそういうところはかっこいいんだから──────)

「向日葵?」

 呼ばれてわれに返る。

 気がつけば、回答の様子を確認しているはずが、櫻子の顔を見つめていた。

「あ……な、なんですのっ!?」

「なに慌ててんの? 解けたんだけど」

 と言って、櫻子はノートを向日葵のほうに向ける。

「そ、そう! では確認しますわ……」

 赤くなりながら、ノートを受け取り回答をチェックする。


366:2012/01/01(日) 00:24:29.04 ID:20cc3qmSo

(顔ばっかり見ていたの、気づかれてないかしら……)

 自分でもどうしてかわからないまま、どきどきが止められない。

 そもそも、どうしてあんなに目を奪われていたのか──────いけない思考だ。

(集中、集中……)

 答え合わせに専心する。

 ほとんど正答だったが、案の定、応用問題でつまづいていた。

 最悪解けなくても仕方ないと思っていたとはいえ、これが解ければ確実に点数になるはずなので、改めて教えておいたほうがいいだろう。


367:2012/01/01(日) 00:25:21.95 ID:20cc3qmSo

「櫻子、この問題ですけど──────」

 顔を上げて。



 ぴたりと目が合う。



「えっ……」

「あっ……」

 今度は、二人そろって赤くなった。


368:2012/01/01(日) 00:25:58.50 ID:20cc3qmSo

「な、なに人の顔見てますのっ!」

「はぁ!? だ、だって答え合わせ待ってる間することないし!」

「今のうちにほかの科目の勉強するとかあるでしょう!」

「はっ……!?」

 お互いに口をぱくぱくとさせて、同時にうつむいた。

「……この問題なんですけど」

「うん……」

 ごにょごにょと、テスト勉強に戻る二人。

 平静を装いながらも、その後はなかなか互いの顔を見づらくなって、おかげで手元に集中できたという。


369:2012/01/01(日) 00:26:49.57 ID:20cc3qmSo


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   12 月 6 日 (火)

 ちゃんとまじめに勉強した。
 向日葵っていつもまじめだ。
 あんまりおもしろいこと言わないし。
 でも、なんかいっしょにいると楽しい。
 たまにはずかしいこと言うけど、いやじゃない。
 なんかよくわかんないけど、そんなかんじ。

 ……あれ、ねーちゃん見てないの?

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370:2012/01/01(日) 00:27:25.36 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 7 日 】


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371:2012/01/01(日) 00:28:26.27 ID:20cc3qmSo

 櫻子は緊張していた。

 ここ数日、人生で一番勉強をしたという自負はあるが、それが試されるというのは、なんだか自分の底力を嫌でも思い知ることになりそうで、怖い。

 だから、期末テスト初日の朝は、いつもにもまして布団から出たくなかった。

 結局撫子が見かねて花子を派遣し、布団を剥がれた櫻子は嫌々起きる。

「うー……学校行きたくねー……」

 胃がきりきり痛む気がする。

 それが割と普通の中学生の姿なのだと、自覚するには普段のテストに対する意識が低すぎた。

 二度寝しそうになったところを今度は撫子に蹴り起こされて、櫻子はようやく支度を始める。


372:2012/01/01(日) 00:29:20.27 ID:20cc3qmSo

「ごめんください」

 寝癖を直してヘアピンを留めたところで、いつもより早く向日葵がやってきた。

「あー、向日葵早すぎ! まだご飯食べてない!」

「まだって……もう時間ありませんわよ?」

「あるってば。向日葵が早すぎるんだよ」

「えっ……?」

 時計を見せられて、向日葵は狼狽する。

「お、おかしいですわね……いつもどおりに出たと思ったのに……」

「もー、上がって待ってろよ」


373:2012/01/01(日) 00:30:11.05 ID:20cc3qmSo

 首を傾げる向日葵をつれて、ダイニングへ。

 ちょうど、撫子と花子は食べ終えたところだった。

「あ、おはよう」

「おはようひま子。早いね」

「おはようございます。どうしてか家を早く出ちゃったみたいで……」

 花子と撫子に挨拶を返しつつ、向日葵は譲ってもらった席に座る。

「はい」

「ありがとうですわ」

 お茶を淹れてくれた花子にお礼を言って啜る横では、すっかり目が覚めた櫻子がぱくぱくと朝食を平らげていた。


374:2012/01/01(日) 00:31:58.98 ID:20cc3qmSo

「うめー!」
「片づけは自分でしなよ」

 すでに洗い物まですませて、撫子は一足先に家を出る。

「いってきます」

「いってらっしゃい」

「いってらっしゃいお姉ちゃん」

「むぐー!」

 三者三様に見送って、続いて花子がランドセルを背負った。

「櫻子、ちゃんと洗っといてよ」

「わーかってるってばー」

 絶対ウソだし、とつぶやきながら、花子も家を出た。


375:2012/01/01(日) 00:32:45.79 ID:20cc3qmSo

 自然、櫻子と向日葵が残される。

「もぐもぐ」

「……………………」

 食べる櫻子の横顔に、ついまた目が行ってしまう。

 かわいい顔なのに、大口を開けて食べるし、口いっぱいに詰めこむから、どちらかというとひょうきんな顔に見える。

 だいたい櫻子はいつもそんな調子で、見た目のよさを台無しにしている。

 本当に、見た目だけはかわいいのだ。


376:2012/01/01(日) 00:33:36.85 ID:20cc3qmSo

「見た目がなんだって?」

 急に振り向く櫻子。

「な、なんの話ですの!?」

「いや、見た目がどうって今言ったじゃん」

 もぐもぐとご飯を頬張りながら言う櫻子。

 焦る向日葵。

(口に出してたなんて……!)

 まさかその後も聞かれてないかと思うが、どうやら櫻子の反応からすると、そこは聞き逃したようだ。


377:2012/01/01(日) 00:34:14.69 ID:20cc3qmSo

「いえ、その……見た目が……」

「が?」

 本当のことを言うわけにもいかない──────それがなぜなのかは自分でも無意識に抑えこみながら、向日葵は言い訳を考える。

「櫻子の見た目が、その」

「私?」

「か……」

「か?」

 首を傾げる櫻子。

 悩みながら、苦し紛れに向日葵は言った。


378:2012/01/01(日) 00:35:30.94 ID:20cc3qmSo

「……軽そうですわね」

「はぁ……?」

 さすがに意味不明だったのか、食事が途中なのも忘れてぽかんとなる櫻子。

「いや、たぶん向日葵よりは軽いけど……って、イヤミか!」

「え、なにがですの?」

「これの話かー!!」

 と叫んで向日葵の胸をわしづかみにする。

「きゃっ!」

「軽くて悪かったな!!」

 とたんにむすっとして、先ほどよりも勢いよくご飯をかきこみ始める櫻子。

 話題はそらせたが、大した意味もなく不機嫌にさせてしまったようだった。


379:2012/01/01(日) 00:36:14.66 ID:20cc3qmSo

「そ、そういう意味ではありませんけど……」

「んじゃなんだよ!」

 むくれたまま、食べ終えた茶碗を流しに持っていく。

 どうフォローしたものか迷いながら、隣で洗い物を手伝うことにする。

「その……」

「はい」

 櫻子はさっさと皿を洗い、そのまま向日葵に突き出す。

 そっちを見ないまま。

 とりあえず受け取りながら、拭く。


380:2012/01/01(日) 00:37:19.78 ID:20cc3qmSo

 そして並んで立つと、ふと思った。

「……軽いだけじゃなくて」

「……………………」

「背も、なんだか差がついてしまいましたわね」

「おい」

 櫻子ににらまれるが、そういう意味じゃありませんわ、と流す。

「昔はほとんど差なんてなかったのに」

「ん」

「なんだか、変わってしまった気がして」

「……ん」

 なにかを思って、二人は黙りこんだ。


381:2012/01/01(日) 00:38:19.12 ID:20cc3qmSo

 沈黙を破ったのは、櫻子のほうだった。

「いいじゃん、別に」

 最後に茶碗を渡しながら、ようやく櫻子は向日葵のほうを向いた。

「そんだけ、向日葵が成長したんだろ」

「そうかもしれませんけど……」

「別にいいよ。そのうち追いつくし」

「追いつく?」

 手を拭き、鞄を手に取る櫻子。


382:2012/01/01(日) 00:39:22.79 ID:20cc3qmSo

「背も、おっぱいも、勉強も! 向日葵のことはつかまえて離さないようにするから」



『ちゃんと私のこと、つかまえててごらんなさいな』



「だから、ちゃんと追いつくもん」

「櫻子……」

「勉強っ!」

 向日葵の声を遮るように、言った。

「教えてくれて……あ、ありがと……」

 背を向けたまま。

 それでも、櫻子はお礼を口にした。


383:2012/01/01(日) 00:40:04.99 ID:20cc3qmSo

「さ、櫻子……」

 めったにないことに、向日葵も驚き、少し涙腺が緩む。

 それも、背中を向けている櫻子には見られずにすんだ。

「……学校、行こ!」

「……そうですわね」

 それからはいつものように。

 寝起きの緊張を忘れて、学校に向かうことができた。



 今日は、期末テスト初日。


384:2012/01/01(日) 00:40:36.37 ID:20cc3qmSo


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   12 月 7 日 (水)

 きょうから期末テスト。
 いっぱいべんきょうした。
 向日葵も、ずっとてつだってくれた。
 とにかく書けるだけ書いたけど、これでダメダメだったらどうしよ……。
 ぐぬぬ。

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385:2012/01/01(日) 00:41:40.29 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 12 日 】


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386:2012/01/01(日) 00:42:16.28 ID:20cc3qmSo


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   12 月 12 日 (月)

 日記わすれてた!
 でもちゃんと思い出したからセーフセーフ!
 きょうでテストおしまい。
 テストは……ちょこっと空らん少なかったかも。
 どうなったかなー……。

 空“欄”だよ(姉)

 なんだ、見てんじゃん。

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387:2012/01/01(日) 00:43:12.35 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 13 日 】


.


388:2012/01/01(日) 00:43:53.26 ID:20cc3qmSo

 ある意味、テスト中よりも緊張する瞬間。

 今日は、初日に試験があった科目が返ってくる。

 果たして結果はどうなっているのか。

 櫻子は、いつもとは違う落ち着きのなさを見せ、向日葵はそれ以上にそわそわとしていた。

「それではテストを返します。呼んだ人から取りにきてください」

 一番最初に試験のあった数学。

 櫻子の苦手意識も強く、向日葵が特に気をつけて教えこんだ科目だ。


389:2012/01/01(日) 00:44:59.51 ID:20cc3qmSo

「大室さん」

 二人が息を呑む。

 櫻子が固い表情で答案を受け取り、席に戻ってくる。

「どうでしたの……?」

「えっと」

「古谷さん」

 向日葵がのぞきこもうとしたとき、名前を呼ばれた。


390:2012/01/01(日) 00:45:32.25 ID:20cc3qmSo

「あ、はい!」

 急いで答案を取りにいく。

 自分の答案も確認せず、すぐ席に戻る。

「櫻子!」

「うん」

 櫻子は、なんともいえない曖昧な顔をしている。

 まさか悪い点数だったのかと、青ざめる向日葵。

 ほとんどひったくるようにして櫻子の答案を見る。


391:2012/01/01(日) 00:46:24.42 ID:20cc3qmSo




 62



 答案の右上には、赤ペンでそう大きく書かれていた。

 それを数秒見つめたあと、張り詰めていた息を吐く。

「……上がってるじゃありませんの」

「ま、まあね」

 いつもならこの半分でもおかしくない。

 今回も、特別褒められた数字ではないかもしれない。

 しかし、櫻子としては、驚きの点数アップと言っていいだろう。

 にも関わらず、櫻子は浮かない顔をしている。


392:2012/01/01(日) 00:47:12.32 ID:20cc3qmSo

「向日葵は?」

「あ、わ、私?」

 言われて、初めて答案を確認する。

 93点。

 ちょうど、櫻子の1.5倍の点数だった。

「むー……」

「な、なによ……」

「……なんでもない」

 そう言いながらも、複雑な表情を崩さない。


393:2012/01/01(日) 00:47:50.34 ID:20cc3qmSo

 向日葵は、少しだけ困った顔をしてから、ささやいた。

「櫻子」

「なに?」

「あとでちゃんと話しましょう」

「う……うん?」

 それだけ言って、向日葵は正面に向き直る。

 答案返しが終わって悲喜こもごもの教室に、授業の再開を告げる教師の声が響く。

 そうなるとしつこく追求するわけにもいかず、櫻子も形だけ前を向いた。

 しかしその意識は、ずっと「62」と書かれた答案に向けられたままだった。


394:2012/01/01(日) 00:49:18.87 ID:20cc3qmSo


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395:2012/01/01(日) 00:50:03.03 ID:20cc3qmSo

 昼休みの生徒会室。

 さすがに放課後でもないこの時間は、綾乃たちもいない。

 それを見越して、向日葵は櫻子をここに連れてきた。

「教室じゃダメなの?」

「ダメなわけじゃありませんけど……」

 ただ、あまり聞かれたくない話だとは、思っていた。

 本当は、二人きりでも口にはしづらいのだから。

「ねえ、櫻子」

「な、なに?」

 改まった話だろうか、と櫻子にも緊張が伝わる。


396:2012/01/01(日) 00:50:54.38 ID:20cc3qmSo

 勢いで言ってしまわなければ、もう言えなくなる。

 そう思った向日葵は、迷う心を強引に無視して、話し始めた。

「きっと、今回のテスト勉強は、あなたにとって本気で取り組んだ初めての勉強……なんじゃないかと、思ってますけど」

「うん……まあ、そうだけど」

 思い返せば、櫻子自身にとっても、数日とはいえよくちゃんと勉強できたなとは思っているのである。

 だから、もちろん向日葵にとっても、そんな櫻子の姿を見るのは初めてだった。

「櫻子は、今回のテストの点、どうだったと思ってますの?」

「そ、それは……」

 向日葵が、どういう意図でそれを訊ねているのか、櫻子は量りかねた。

 だから、答えていいのかどうか、言いよどむ。


397:2012/01/01(日) 00:51:34.04 ID:20cc3qmSo

 それを見た向日葵は、重ねて言った。

「できれば、櫻子の正直な気持ちを教えてほしいんですの」

「えっ!?」

 びくっと反応する櫻子。

 首をかしげる向日葵。

「どうかしましたの……?」

「え、ええと、テストの話だよね……?」

「ちゃんと話聴いてましたの?」

 適当に聞き流していたのだろうかと、訝しがる向日葵。

 慌てて首を振る。

「き、聴いてたから! テストの点の話!」

 ぺちぺちと自分の頬を叩き、頭を切り替える。


398:2012/01/01(日) 00:52:55.98 ID:20cc3qmSo

 返ってきた、テストの点を見て思ったこと。

「……まあ、上がってたのは嬉しかったけど」

「はい」

「正直、“あ、こんなもんか”って感じ……だった」

 それが、櫻子の率直な感想。

 いつもより点数が上がっていたことくらい、わかっている。

 たぶん、その上がり幅でいえば、とても大きいということも。

 だけどそれだけだった。

 特別な感慨もなく、よかった前より落とさずにすんだと、そう思っただけだった。


399:2012/01/01(日) 00:54:04.87 ID:20cc3qmSo

「上がったけど……それでも向日葵には勝てないし」

 まじめに勉強したつもりだった。

 やっているうちに問題もちゃんと解けるようになって、調子に乗ったりもした。

 でも、現実は“こんなもの”だった。

「……そんだけだよ。とりあえず、杉浦先輩には怒られずにすみそうだし」

 それきり、櫻子は押し黙る。

 向日葵は、そんな櫻子をじっと見ていた。

 そして、決意して、口を開く。


400:2012/01/01(日) 00:54:57.28 ID:20cc3qmSo

「よくがんばったと思いますわ」

「……え?」

「櫻子はよくがんばりましたわ」

 がんばっていたと思ったから。

 それは、偽らずに伝える。

「櫻子自身がどう思っていたとしても、私は、櫻子はがんばっていたと思いますの」

 向日葵も、もっと言いづらいことだと思っていた。

 しかし、口に出してみれば、それは自然に伝えることができた。


401:2012/01/01(日) 00:55:44.27 ID:20cc3qmSo

「だから、その……もっと、自信を持っていいと思いますわ」

「向日葵……」

 直球すぎて、言いたいことが伝わっていないかもしれない。

 だから、もう一言だけ付け加えた。

「……点数アップ、おめでとう」

 それだけ言って、顔を背ける。

 ああおかしい。

 いつもなら絶対にこんなこと言わないのに。

 櫻子ががんばるから悪いんだ。

 櫻子が、あんなに点数取るから悪いんだ。

 いやいや、なにを考えているのか。


402:2012/01/01(日) 00:56:40.88 ID:20cc3qmSo

「……………………」

 櫻子はなにも言わない。

 顔を背けているから、どんな表情をしているのかもわからなかった。

 だけどいつまでも反応がなくて、だんだん不安になる。

 そこまでおかしなことを言っただろうか。

 ちらりと横目に見てみる。

「あっ……」

「あ……」



 櫻子が、手で目元をぬぐっていた。


403:2012/01/01(日) 00:57:14.02 ID:20cc3qmSo

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………な」

「な?」

 櫻子は叫んだ。

「泣いてないもんっ!!」

「え……えぇ……?」

 反応しづらい向日葵。


404:2012/01/01(日) 00:58:07.05 ID:20cc3qmSo

「だって、今……」

「ゴミだよ!」

「はぁ?」

「ホコリだよ!」

「はぁ……」

「花粉だよ!!」

「真冬ですわ……」

 とりあえず、なにかが目に入ったせいにしたいらしかった。


405:2012/01/01(日) 00:59:21.79 ID:20cc3qmSo

 ぐしぐしと目をこすると、びしっと向日葵に指を突きつける。

「よ、ようやく私のすごさを認める気になったかっ!!」

「……………………」

 今さら。

 というか、本当に認めたし、褒めたのだからなんとも返事のしようがない。

 ただ、櫻子がいつもの調子を取り戻したのは確かなようだった。

「まあ、なによりですわ……ふぅ」

「なにため息ついてんだ! おっぱいでかくて苦しいならさっさともげろ!」

「本当に、な・に・よ・り・で・す・わぁ!!」

「ぐぉああああああ!!」


406:2012/01/01(日) 01:00:17.07 ID:20cc3qmSo

 全力で極めたヘッドロックに、堪らず櫻子がタップする。

 そしてタップと見せかけてべしべしと叩いてくるのを見て、そのまま締め上げる。

 やがて手がだらりと下がったのを確認すると、ようやく離した。

「まったく……素直じゃないにもほどがありますわ」

 白目を向いて倒れた櫻子を残して、さっさと生徒会室を出る。

 そうでなければ、さっきの櫻子を思い出して自分も泣いてしまいそうになったから。

 そのおかげで櫻子も、向日葵がいなくなったのを確認してから、もう一度声を出して泣くことができた。


407:2012/01/01(日) 01:01:59.96 ID:20cc3qmSo


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   12 月 13 日 (火)

 もういくつかテスト返ってきた。
 前よりは点数上がった、かな。
 向日葵がよろこんでた。
 ホントにホントにめずらしく、向日葵がほめてくれた。
 なんかうれし じゃなくて
 えっと、とにかく!
 私がんばったんだって思った!
 でもそれでも向日葵にはぜんぜん負けてる。
 私にべんきょう教えてばっかだったのに。
 やっぱあたまいいとべんきょうしなくても点数とれるのかなあ……。

 本当にそう思ってる?
 あんた、最近のひま子の顔、ちゃんと見てた?(姉)

 あ、うん……ちょっとつかれてるっぽいなーって思ってたけど。
 ……あれ?

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408:2012/01/01(日) 01:03:47.27 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 14 日 】


.


409:2012/01/01(日) 01:04:51.86 ID:20cc3qmSo

 放課後、久しぶりに顔を出した生徒会では、綾乃と千歳がにこにこ顔で迎えてくれた。

「おめでとう、大室さん!」

「がんばったんやなぁ」

 どうやら櫻子のテストの結果は、すでに二人に伝わっているようだった。

 えへへ、と照れくさそうに笑う櫻子。

「ありがとうございます!」

「おつかれさま。もう安心アンコールワットね!」

「まあホントはまだいくつか科目残ってるんですけど」

 綾乃の駄洒落は完全にスルー。


410:2012/01/01(日) 01:06:10.70 ID:20cc3qmSo

 二日間でほとんどの科目は答案が返却されてきて、そのいずれも、櫻子は前期末テストよりも点数を伸ばしていた。

 厳しく言いすぎたかと悩んでいた綾乃も、これには一安心だった。

「これからもがんばってね。生徒会と勉強の両立、期待してるから」

「はいっ! 杉浦先輩みたくがんばります!」

 おそらくは、副会長も勉強も努力でこなしていた綾乃みたいになりたい、という意味なのだろう。

 が、千歳には“綾乃のように好きな子と張り合いたい”という意味にしか聞こえなかった。

「うふふふ……」

「ちょ、千歳どうしたの!?」

 突然メガネを外して鼻血を出し始めた千歳に、ぎょっとしながらも綾乃はティッシュを手渡した。

「あー、ありがとなー、綾乃ちゃん……うふふふ」

(な、なにかあったかしら……?)


411:2012/01/01(日) 01:06:51.69 ID:20cc3qmSo

 ともかく。

 櫻子が副会長を降ろされるという事態は、回避できた。

 そのことに、全員がほっとしていたのは、間違いなかった。

「さあ! それじゃみんな、二学期ももうすぐ終わりだし、冬休み前に仕事を片づけましょうか」

「はーい!」

 久しぶりに四人そろっての生徒会活動。

 心配事もなく二学期の総まとめをすることができ、綾乃や千歳も心底助かる。


412:2012/01/01(日) 01:07:37.32 ID:20cc3qmSo

「あ、そうだ。古谷さん」

「はい、なんでしょう?」

 櫻子の注意がよそに向いている隙に、綾乃が向日葵に小声で話しかけた。

「古谷さんも、おつかれさま」

「……ありがとうございます」

 それが“どちらのこと”を言っているのか、向日葵にはわからなかったが、とりあえずお礼を述べておく。

 少なくとも綾乃は(おそらくは千歳も)向日葵の苦労を察してくれたのだから、それで十分だった。

 そうでなくても、もう自分は報われているのだから。

 ぴょんぴょんと跳ねながら、高いところにある冊子を取ろうとしている櫻子を見て、そう思うのだった。


413:2012/01/01(日) 01:08:14.12 ID:20cc3qmSo


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414:2012/01/01(日) 01:08:59.24 ID:20cc3qmSo

 最終下校時刻まで仕事をして校舎を出ると、外は真っ暗だった。

 最近は学校が終わり次第帰って勉強していたので、そんな帰り道は久々である。

「うー、さみー……」

「これはまた降ってくるかもしれませんわね」

 しん、と冷えた空気と、星も見えない夜空は雪を感じさせる。

 この冬はまだ今月頭に降って以来だから、そろそろ一降りくるかもしれない。


415:2012/01/01(日) 01:09:57.35 ID:20cc3qmSo

「寒い寒い寒いっ! 向日葵、なんか出せ!」

「なんかって……四次元ポケットでも持ってるみたいに……」

「カイロとかないの?」

「あいにくと。あったら自分で使ってますわ」

「ぐぬぬ……」

 今日は特に冷えこみが厳しい気がする。

 二人ともマフラーと手袋はしているが、それでも全身の冷えはごまかせない。

 冬服とはいえ、七森中の制服はあまり保温に向いているようなデザインではない。

 生地を無視するかのように、寒さが肌に突き刺さる。


416:2012/01/01(日) 01:10:43.67 ID:20cc3qmSo

「寒い……」

「何度も言わなくてもわかりましたわ」

「……………………」

「……なにか言いなさいよ」

「どっちだよ」

 とにかくなにか話していないと、気が紛れない。

 適当な話題でもあっただろうかと向日葵が思考を巡らせていると、先に櫻子が話し始めた。

「向日葵さ」

「ええ」


417:2012/01/01(日) 01:11:17.56 ID:20cc3qmSo

 どんなくだらない話題が出てくるのだろうと油断していた向日葵は、



「私の勉強見たあと、テスト勉強してたの?」



 不意を突かれた。

 びっくりして隣を見ると、櫻子はさっきとは打って変わってまじめな顔をしていた。

「いつ気づきましたの?」

「先に私の質問に答えろよ」

「……そうですわ」

 観念して、向日葵は認める。

 櫻子のことだから、気づいていないだろうと思っていたのに。


418:2012/01/01(日) 01:12:25.94 ID:20cc3qmSo

「……それって、大変だったんじゃないの?」

「……まあ。平気だったとは言いませんけど」

 大変だったに決まっている。

 連日、日が変わる直前まで勉強を教えていたのだ。

 それから家に帰り、さらに自分の勉強もしていたとなると、いったい毎日何時に寝ていたというのか。

「なんで言わなかったんだよ!」

「それは……私から言い出したことですし……」

「説明になってないっ!」

 櫻子は怒っていた。

 自分でもその理由がよくわからないまま、ただひたすらにイライラする。


419:2012/01/01(日) 01:13:06.29 ID:20cc3qmSo

「朝弱いくせに! 無理してたなら無理してたってちゃんと言え!」

「な……乗り切ったんだから、無理なんかじゃありませんわ!」

 終わったあとにわざわざ蒸し返して決めつけられて、さすがに向日葵もかちんときた。

 恩を売るつもりでやったことではないし、自己責任でやりきったことなのだから、そんなことを櫻子に言われる筋合いはないのだ。

「もうその話はおしまいですわ! 私が勝手にやったことなんだから、櫻子が気にする必要なんてありませんわよ!」

 いらだちながら、そう言い放って歩を速める。

 しかし、なにを怒鳴り返してくるかと思ったが、いっこうにその気配はない。

 怪訝に思って隣を見ると、そこに櫻子はいなかった。


420:2012/01/01(日) 01:14:13.70 ID:20cc3qmSo

「……櫻子?」

 後ろを振り返ると、櫻子は俯いたままじっと立ち尽くしていた。

 それを見て、また言いすぎたかと内心慌てる向日葵。

「あ、あの、櫻子!」

 駆け戻って、声をかける。

「本当に、今回のことは私が勝手に決めて勝手にやったことなんですから、櫻子が気にする必要はありませんわ。ちゃんと、自分でもできると思っ──────」

「向日葵は」

 櫻子は、向日葵の言葉を聞いていないかのように遮って、言った。



「なんで、私のためにそこまでしてくれるの?」


421:2012/01/01(日) 01:14:55.47 ID:20cc3qmSo

 顔を上げた櫻子の表情には、なんの感情も浮かんでいなかった。

 ただ、本当にどうして向日葵がそんなことをしてくれるのかわからないと、その無感情な顔が訴えている。

 向日葵はなにかを言おうとして──────なにも、言葉にできなかった。

 絶句して固まる向日葵の横を、櫻子がすり抜ける。

 背後からその足音が遠のいていっても、向日葵はしばらく立ち尽くしていた。


422:2012/01/01(日) 01:15:48.91 ID:20cc3qmSo

(なんでって)

 櫻子の姿が完全に見えなくなった頃、ゆっくりと振り返る。

(そんなの──────私だって、わかりませんわ)

 持ち合わせていない答えを求められても、答えようがない。

 しかし、ならば。

 わからないと答えることさえできなかったのは、なぜなのか。

 その理由も、向日葵にはわからない。


423:2012/01/01(日) 01:16:21.54 ID:20cc3qmSo


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   12 月 14 日 (水)

 向日葵に、テストべんきょうしてたのかってきいてみた。
 やっぱり、してたみたい。
 私にべんきょう教えたあと、夜おそくに……。
 なんだろ。もやもやしてヘンなかんじ。
 なんて言ったらいいんだろ……。
 よくわかんないけど、ムネがくるしい。
 しかもイライラして、向日葵にはどなっちゃった。
 向日葵、どうしてそこまでしてくれたんだろ。
 あいつてい血あつで、朝ニガテなくせに、夜ふかししてべんきょうしてたんだ。
 そんなことしても、あいつなんにもトクしないのに。
 どうしてなのかな……わかんないよ……。

 ねえ、ねーちゃん見てるなら教えてよ!

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424:2012/01/01(日) 01:17:06.54 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 15 日 】


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425:2012/01/01(日) 01:18:10.41 ID:20cc3qmSo

 悩んでも答えは出ない。

 だからご飯を食べて、お風呂に入って、そのままぐっすり寝た。

 寝覚めはすっきりで、それがよけいに悩みを深くする。

(……そもそもどうして私、そんなこと悩んでるんだろ)

 冴えた頭で考えると、悩みがあることそのものが不可解になっていく。

 どうして、向日葵のことでそんなに悩む必要があるのか。

 向日葵が自分のためになにかするなんて、よくあることじゃないか。


426:2012/01/01(日) 01:19:01.29 ID:20cc3qmSo

「そうだよ、向日葵は私の下僕だもん。あんなの悩む必要なんてないない」

 自分に言い聞かせて、今日はさっと布団を出る。

 着替えて、身だしなみを整えて、ご飯を食べて、家を出る。

「お、おはよう櫻子……」

「おおおおおおぉぉぉ!!?」

 玄関を開けた途端、そこに向日葵がいて跳ね上がるほど驚く櫻子。

「な、なんでいるの!?」

「なんでって……早く起きたから迎えにきただけですけど……」

 ばくばくと高鳴る心臓を押さえながら、向日葵の顔を見る。

 そして、ぎゅっとにらみつけた。


427:2012/01/01(日) 01:20:00.04 ID:20cc3qmSo

「……クマ」

「え?」

「クマ、できてる」

「うそっ」

 目の下をごしごしとこする向日葵。

 その反応で、ほとんど確信した。

「早起きしたんじゃなくて、寝てないんじゃないの?」

「そ、そんなことありませんわ!」

「じゃあ何時間寝たんだよ」

 突っこんで訊くと、トーンダウンする。


428:2012/01/01(日) 01:20:48.96 ID:20cc3qmSo

「……三時間」

 もごもごとそう答えるのを聞いて、櫻子はため息をついた。

「寝れてないじゃん」

「だ、だから寝ましたわ……三時間だけ」

 しっかり熟睡した自分は、どれだけ能天気なのか。

 そもそも、向日葵がそこまで単純じゃないことくらい、知っていたはずなのに。

 さっぱり忘れたはずの悩みが、また心を覆う。


429:2012/01/01(日) 01:21:19.62 ID:20cc3qmSo

「……ごめん」

「な、なにがですの?」

「きのうのこと」

 それが向日葵を悩ませたことくらいは、櫻子にもわかっていた。

 自分自身でも悩み、だからこそとにかく寝て忘れようと思ったのだから。

 それでも、問われた向日葵がどう思うのかまでは、考えが至らなかった。

 いや、そこまで悩むなんて、思っていなかったというべきだろう。


430:2012/01/01(日) 01:22:13.81 ID:20cc3qmSo

「別に、深い意味とかないし」
「そ、そう……」

「忘れていいから」

「……………………」

 その沈黙はどちらの意味だったのか。

 向日葵の返答を待つことなく、櫻子は歩き始めた。

「学校行こ」

「……ええ」

 結局、どちらとも言わず、向日葵は櫻子の後を歩き出す。

 それで形だけでも、いつもの二人はいつもの関係に戻ることができた。

 そのことに安心しながら、それでも腑に落ちないものを、お互いに抱えたまま。


431:2012/01/01(日) 01:22:41.52 ID:20cc3qmSo


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432:2012/01/01(日) 01:23:31.12 ID:20cc3qmSo

 櫻子ならば、きっと授業中に熟睡していたことだろう。

 しかし根がまじめな向日葵はそれもできず、ひたすら気を張りながら眠気を押さえ込んでいた。

「おい向日葵、目が死んでるぞ」

「だ、大丈夫……寝てませんわ」

 声をかけても、ややずれた反応が返ってくる。

 これは相当眠いようだ。

「とりあえず昼休み寝とけよ」

「……そうですわね。午後の授業に備えて、ちょっと寝ますわ」

 そう言った向日葵は、給食を食べるのもそこそこに、机に突っ伏すとすぐにすやすやと寝息を立て始めた。


433:2012/01/01(日) 01:24:00.04 ID:20cc3qmSo

(……どんだけ悩んでたんだよ)

 テスト勉強を見るのとはわけが違う。

 たった一言の問いかけに、何時間も悩んでいたのだろうか。

 馬鹿なやつと思いながらも、それを無意識に避けようとしていた自分のことは棚に上げる。

 悩んでも仕方ないと、ひたすら自分に言い聞かせて。

 やがて昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴って、みんなが席に戻り始める。


434:2012/01/01(日) 01:24:38.01 ID:20cc3qmSo

「おい向日葵、もう授業始まるぞ」

「んん……」

「向日葵ってば」

「ん……ええ……」

 体を揺すると、つらそうに身を起こす向日葵。

 ぼーっとした様子を見ると、本当に休めたのかよくわからない。

 それでもノートを取るのをやめないのが向日葵らしいと思った。


435:2012/01/01(日) 01:25:12.69 ID:20cc3qmSo


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436:2012/01/01(日) 01:25:39.78 ID:20cc3qmSo

 結局、向日葵は放課後まで授業を耐え抜いた。

 とはいえ我慢も限界のようで、目がうつろになっている。

「向日葵」

「……………………」

「向日葵!」

「……え?」

 反応を見ても、これ以上は本当にどうにもならないことはよくわかった。

 よし、と櫻子は決めた。


437:2012/01/01(日) 01:26:26.27 ID:20cc3qmSo

「向日葵、もう帰れよ」

「え……だけどまだ生徒会が……」

「そんなんじゃ無理に決まってるじゃん。いいよ、私がやっとくから」

 そう言って、櫻子は先に教室を出る。

「あ、櫻子!」

「ちゃんと寝ろよー」

 向日葵がなにか言おうとしていたが、それも無視する。

 強引にでも置いていかなければ、仕事を休んだりはしないだろう。


438:2012/01/01(日) 01:27:26.51 ID:20cc3qmSo

「こんちわー」

 ひとりで生徒会室に向かうと、綾乃と千歳が首をかしげた。

「あら、古谷さんは?」

「向日葵はちょっと体調悪いんで、帰らせました」

「古谷さんどこか悪いん?」

「いえ、疲れてるだけだと思うんで」

 今日は二人分仕事します、と言うと、綾乃たちは顔を見合わせた。

「まあ……大室さんがそれで納得してるなら」

「無理はせんでええんよ? うちと綾乃ちゃんだけでも、なんとかなるし」

「私までサボったら、逆に向日葵は休まないですよ」


439:2012/01/01(日) 01:28:05.56 ID:20cc3qmSo

 きっと、どれだけ無理をしてでも櫻子をつれて仕事を始めるだろう。

 ひとりでも仕事自体は問題なく進行することを向日葵は知っているし、それくらいはできる自信もあった。

 おそらく綾乃たちが心配しているのは、前のように二人で仕事できないことをストレスに感じるのではないかということだろう。

 しかし、櫻子がそれを気にした様子はない。

(自分でそう言い出せるくらいには落ち着いたのかしら?)

(なんだかんだで大室さんも優しいんよ)

 やる気満々の櫻子を見て、綾乃や千歳も安心して仕事を再開する。

 二人分働くという宣言もあながち冗談ではないのか、てきぱきと動き回る櫻子。

 向日葵が抜けた分、いつもよりも静かながら、落ち着いて仕事が進んだ。


440:2012/01/01(日) 01:29:13.99 ID:20cc3qmSo


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441:2012/01/01(日) 01:29:59.22 ID:20cc3qmSo

「んーっ」

 前日と変わらないくらいまで仕事をして、櫻子は生徒会室を出た。

 どうせ明日になれば仕事はどうなったと向日葵は訊いてくるだろう。

 そうなっても、余裕綽々で進捗を説明できる程度には、仕事を進めておいた。

(ふふーんだ、別に向日葵がいなくても、これくらいできるもん)

 かつて向日葵とペアで仕事をさせてほしいと言っていたのは誰だったのか、完全に棚に上げてそんなことを思う。

 それと同じくらい、しっかり仕事をしたこと報告して、向日葵を安心させたいという気持ちがあることも、無意識に押しこめる。

 暗くなった校舎の中を歩き、外に出ようとしたところで。


442:2012/01/01(日) 01:31:06.93 ID:20cc3qmSo

「櫻子」

「え」

 不意に、名前を呼ばれて振り返る。

 そこには、とっくに帰ったはずの向日葵が立っていた。

「ちょ……なんでいるの!?」

「今朝と同じ反応ですわね……」

「なんか、用事とか?」

「いえ、別にそういうわけじゃないですけど」

 言って、向日葵はちょっと困ったように笑った。

「仕事してる櫻子を置いて帰るのもどうかと思ったから」

 待ってましたわ、と。


443:2012/01/01(日) 01:31:42.12 ID:20cc3qmSo

 そんな向日葵の顔を見て、櫻子は──────怒り出した。

「なんで帰って寝ないんだよっ!」

「なんで、って言われましても……」

「どうして私が残って仕事したと思ってんだよ、バカ!」

 向日葵は、いつもならすぐに言い返すだろう櫻子の言葉を、黙って聞き入れた。

 膨れっ面で怒っているはずの櫻子の頬が、抑えきれずに緩んでいるのに気づいてしまったから。

(素直じゃありませんわ、本当に)

「なに笑ってんだよ、もう!」

 ぷんぷんと怒る櫻子は、ぎゅっと手をにぎって歩き出した。


444:2012/01/01(日) 01:32:44.28 ID:20cc3qmSo

「あ、ちょっと」

「もういいから、早く帰るよ!」

 早足で進む櫻子に手を引かれ、歩く。

 その歩みだけでも、櫻子の動揺が伝わってくるようだった。

 だから、伝えるかどうか少し迷いながらも、向日葵は口を開いた。

「あの、櫻子」

「……なんだよ」

「仕事、ありがとう」

 早足だった櫻子がつんのめりそうになる。

 つられて転びそうになりながらも、踏みとどまって支える。


445:2012/01/01(日) 01:33:20.58 ID:20cc3qmSo

「ちょ、ちょっと櫻子……!」

「いきなりそんなこと言うからだろ!」

 結局振り返って、赤くなった顔を見られてしまう櫻子。

 その表情が、一番櫻子の気持ちを物語っていた。

「お礼を言っただけなんだから、別に照れなくても」

「照れてないっ!」

「……………………」

「……照れてないし」

「…………ぷっ……」

「笑うなー!!」


446:2012/01/01(日) 01:34:16.90 ID:20cc3qmSo

 きぃっと涙目で怒る櫻子に、たまらず笑い出した向日葵。

 そんな様子を見て、櫻子は余計に怒る。

「ぷっ……ふふっ……もういいですわ……!」

「なにがだ!」

「もう気を遣わなくてもいいって言ってますの」

 え、と櫻子はなんのことかわからず真顔になる。

「櫻子を待ってる間に寝ましたから、平気ですわ」


447:2012/01/01(日) 01:34:57.76 ID:20cc3qmSo

 きっと、そのまま帰って寝たほうが、櫻子も安心するだろうとは思った。

 しかし、帰ってしまったら、そのときは寂しがるだろうとも、思った。

「仕事、ありがとう。明日からはまたちゃんと復帰しますわ」

「……そっか」

 どちらからともなく、並んで歩き始める。

 黙りこんだ櫻子が、さりげなく体を寄せてきた。


448:2012/01/01(日) 01:35:33.71 ID:20cc3qmSo

「…………なんですの?」

「……向日葵が寒いだろうと思って」

 また、手をにぎった。

 少し驚きつつ、にぎり返すと、もっと強くにぎってくる。

 気を遣わなくていいなら、また離さないようにするから。

 そんな言葉が聞こえてきた気がするのは、はたして向日葵の思いこみだっただろうか。

 昨日の予想どおり、雪がちらつき始めた帰り道を、しかし昨日よりは少しだけ温かく感じながら、二人は歩いた。


449:2012/01/01(日) 01:36:19.02 ID:20cc3qmSo


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   12 月 15 日 (木)

 よくわかんない。
 向日葵とはなれるとイヤな気持ちになるけど、いっしょにいるとむずむずする。
 向日葵がムチャするとイライラするし、元気ないとかなしくなる。
 前はそうじゃなかった気がする。
 なんかヘンだ。

 無茶・悲しい・変、くらいは漢字で書けてもいいかな(姉)

 そこじゃないってば、もー!

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450:2012/01/01(日) 01:37:18.97 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 16 日 】


.


451:2012/01/01(日) 01:38:06.61 ID:20cc3qmSo

 前日はぐっすり眠って、ようやく体調を整えることができた。

 昨晩から降り積もった雪が、歩道を覆っている。

 櫻子が「うおー、歩きにくいー!」とはしゃいで、足跡を残して遊んでいる。

「転んでも知りませんわよ」

「向日葵と違ってバランスいいから転ばないもん」

 どこのバランスが、とは言わなくてもわかる。

 今日も一発キツイのが必要なようだと、櫻子をにらんで歩み寄る。


452:2012/01/01(日) 01:38:53.39 ID:20cc3qmSo

 と。

「あ、そこ」

「はい?」

「足下、気をつけろよ」

 言われて見ると、雪にまぎれてつるつるに凍った場所がある。

 気づかず踏んでいたら、確かに滑りそうだった。

「あ、ありがとう……」

「ん。向日葵はバランス悪いし」

 付け加えるようにもう一度つぶやいて、先を行く櫻子。

 そのことに怒るより、櫻子が親切に忠告してくれたことへの驚きが隠せない。


453:2012/01/01(日) 01:39:37.36 ID:20cc3qmSo

「わざわざ教えてくれましたの……?」

「まあ、危ないし」

 当然のことのように、さらりと言う。

 元々こんな子だっただろうか。

 櫻子なら、黙って見ていて転んだところを笑いものにするくらいのことはしたような気もする。

 だけど、前からいざというときは助けてくれたような気もして、よくわからなくなる。

 心の中にあった“櫻子”のイメージが、どんどんぼやけていく。

 二人は、こんなにあいまいな関係だっただろうか。

 昨日は手をつないで帰った道を、今日は気ままに先んじて行く。


454:2012/01/01(日) 01:40:40.59 ID:20cc3qmSo

 最近、いつも櫻子の態度に翻弄されているようだ。

 どうしてだろう。

 櫻子の気まぐれはいつものことなのに。

 なぜかその移り気な態度が、気になる。

 自分の中で、なにかが変わり始めている。

 そんな自覚を、向日葵が持つようになった、雪の日のこと。



 二人にとっての、事件の一日。


455:2012/01/01(日) 01:42:44.04 ID:20cc3qmSo


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456:2012/01/01(日) 01:43:10.41 ID:20cc3qmSo

「あの、すみません」

 移動教室の帰り。

 向日葵は、廊下で待ち受けていた生徒に声をかけられた。

「はい?」

 自分に用事だとは思っていなかった向日葵は、首をかしげる。

 話しかけてきたのは──────そうだ、以前頼まれごとを手伝っていたときに、何度か依頼しにきた子だ。

 離れたクラスなので、めったに顔は合わせない。

 声をかけられるまで、すっかり忘れていたくらいだった。


457:2012/01/01(日) 01:43:54.68 ID:20cc3qmSo

「ちょっと……ちょっとだけ、いいですか?」

「ええ、別に構いませんわ」

 なにやら落ち着かない様子で、そわそわとしている。

「あの、放課後、少し時間もらえませんか……」

「放課後、ですか……」

 またなにか頼みごとだろうか。

 櫻子がはっきりとやめさせて以降、さすがに言ってくる人もいなくなっていたのだが。


458:2012/01/01(日) 01:44:47.17 ID:20cc3qmSo

「生徒会の仕事もありますし、もうしわけないですけど……」

「ほ、本当にちょっとですから! お願いします!」

 やんわり断ろうとしたのを遮って、頭を下げられる。

 そこまでされては、むげにするのも難しい。

「……わかりましたわ。それでは放課後に」

 迷いながらも、引き受けることにする。


459:2012/01/01(日) 01:45:26.56 ID:20cc3qmSo

「はい……花壇のところで待ってますから……」

 それだけ言うと、彼女は足早に立ち去った。

 しかし花壇とは。

 近くになにかあるわけでもないし、この真冬に花壇の整備ということもないだろう。

 首をひねっても、特に思いつかない。

 とにかく行ってみるしかないという結論になり、それ以上深く考えるのはやめることにする。

 彼女の事情を察するには、向日葵もまだ年若すぎた。


460:2012/01/01(日) 01:45:52.69 ID:20cc3qmSo


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461:2012/01/01(日) 01:46:37.71 ID:20cc3qmSo

「よし向日葵、生徒会行こー!」

 放課後になると、櫻子が元気よく立ち上がって言った。

 向日葵は、言いづらそうに切り出す。

「あの……ちょっと用事がありますの」

「え?」

 引き受けたとはいえ、櫻子には言い出しづらくて、結局直前まで引き延ばしにしてしまった。

 また怒られるだろうか、と不安になる向日葵だったが、


462:2012/01/01(日) 01:47:09.63 ID:20cc3qmSo

「二日も連続でサボるなよー。ちゃんと仕事間に合うの?」

「え、ええ。そんなに時間はかからないみたいですから」

「ならいいよ。先行って待ってる」

「ごめんなさい櫻子。昨日の今日なのに……」

「謝らなくても別にいいけど……ま、それじゃ早くね」

 そう言って、櫻子はひとりで教室を出ていった。

 思ったよりもあっさり話がついて、向日葵は一安心する。

 早く用事をすませよう。

 そんな風に、気楽に花壇へと向かった。


463:2012/01/01(日) 01:47:37.62 ID:20cc3qmSo


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464:2012/01/01(日) 01:48:17.86 ID:20cc3qmSo

「古谷さんは、今日もお休み?」

「いえ、あいつは用事すませたら来ます」

 生徒会室に行くと、まず真っ先に訊ねられる。

 そこまでいつもべったりじゃないのになあと思う櫻子と、いつもべったりなのになあと思う綾乃や千歳の思考は、最初から剥離している。

 ともあれ、どうやら調子を崩したわけでもなさそうなので気にせず仕事を続けていると、十分ほどで向日葵がやってきた。

「遅れてすみません」

「いいのよ。用事はすんだのかしら?」

「ええ、もう」

 では、と書類を受け取って櫻子の隣の席に座る。

 櫻子は先に仕事を始めていたが、ちらりと横目に向日葵を見て──────次は、はっきりと顔を上げた。


465:2012/01/01(日) 01:48:54.70 ID:20cc3qmSo




「……向日葵、顔色悪い?」



「──────!」

 綾乃と千歳がはっと驚き、当の向日葵は、目を見開いて固まっていた。

「そ、そうかしら……?」

「いつもと変わらへんように見えるけど……」

「いや、やっぱちょっと顔がいつもより白いですよ」

 断定口調の櫻子に、綾乃たちもだんだんそうなのかもと考え始める。


466:2012/01/01(日) 01:49:44.82 ID:20cc3qmSo

「古谷さん、調子悪いの?」

「い……いえ……」

「昨日の、まだ引いとるんちゃう……?」

 櫻子からは“体調が悪い”としか聞いていない二人は、そう推測することしかできない。

 よくよく見れば、顔色はともかく、表情はいつもよりも硬いように見える。

「……古谷さん、今日は帰ったほうがいいわ」

「だ、大丈夫です。別になんとも……」

「会長命令よ! こっちは私たちでやるから」

「大室さんも、送ったってな」

「わかりました!」

「……………………」


467:2012/01/01(日) 01:50:26.66 ID:20cc3qmSo

 もう向日葵本人の意思は関係なく、帰らせる流れが決まっていた。

 のろのろと帰り支度をすると、櫻子がひったくるように向日葵の鞄を取る。

「私が持つ!」

「でも……」

「いいから!」

 張り切る櫻子の後を、手持ち無沙汰についていく。

 今日はまだ陽が暮れる前の、帰り道。

 両手に鞄を持った櫻子は、ときおり後ろの向日葵を振り返りながら歩く。


468:2012/01/01(日) 01:51:23.90 ID:20cc3qmSo

「そんなに見なくても、ちゃんと歩いてますわ」

「見なきゃわかんないだろ」

「転びますわよ」

「向日葵じゃねーし」

 言った途端に、ずるっと足を滑らせて雪の中に突っこむ櫻子。

「櫻子!」

「ぶっ……うへー……」

 口の中に雪が入ったのか、ぺっぺっと吐き出す仕草。

 そのままひょいと身軽に体を起こす。

「うあー、濡れたし……」

「風邪引きますわよ……」

「向日葵こそ」


469:2012/01/01(日) 01:52:02.78 ID:20cc3qmSo

 声からふざけた色を消して、言う。

「なにがあったんだよ」

 口をきゅっと結んで、真剣な表情で向日葵の様子をうかがっている。

 向日葵が口を開こうとすると、

「嘘ついたら怒るからな」

 そう言われて、一度閉じる。

 迷った末に、今度こそ観念して話し始めた。

「櫻子」

「うん」

「私……」

 血の気と表情の抜け落ちた顔で、言う。


470:2012/01/01(日) 01:52:39.42 ID:20cc3qmSo




「告白されましたの」


.


471:2012/01/01(日) 01:53:11.48 ID:20cc3qmSo


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   12 月 16 日 (金)

 向日葵がほかのクラスの子にコクハクされた。
 イヤな気分になった。
 どうするのって聞いたら、「へんじはまっていただいてますわ」だって。
 なにそれ。
 じゃあ、オッケーするかもしれないってこと?
 すごくイヤだ。

 なんで?(姉)

 ……わかんない。

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472:2012/01/01(日) 01:53:48.36 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 17 日 】


.


473:2012/01/01(日) 01:54:32.25 ID:20cc3qmSo




『古谷さんのことが、好きです』



 何度も、何度も、頭の中を声が響く。



『私と、お付き合いしてください』



 緊張で震える声を絞り出し、そう言って頭を下げた彼女。

 あのとき、どう答えるべきだったのか。

 真っ白になった頭で、ようやく告げた一言は、「考えさせてください」だった。

 それを聞いた彼女は、もう一度頭を下げてから走り去った。


474:2012/01/01(日) 01:55:22.05 ID:20cc3qmSo

(なぜ)

 向日葵は考える。

 なぜ、と。

「……………………」

 櫻子の問いかけに詰まったあの日と同じように、思考は堂々巡りを続ける。

(なぜ、私は──────)

「お姉ちゃん?」

 妹の呼び声に、われに返る。

 気づけば、すでに部屋は薄暗くなっていた。


475:2012/01/01(日) 01:55:51.51 ID:20cc3qmSo

「大丈夫……?」

「あ、ええ……大丈夫ですわよ」

 無理に笑ってみせると、楓は余計に不安そうな顔になった。

「……………………」

「……そろそろ晩ご飯にしましょうか。楓はなにが食べたい?」

 楓は、なにも答えずに立ち去った。

 独り残される向日葵。

 のろのろと立ち上がり、台所へ向かう。

 どれだけ進展しない思考を続けていても、時間は進む。

 なんの進展もないまま、一日が終わる。


476:2012/01/01(日) 01:56:25.68 ID:20cc3qmSo


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   12 月 17 日 (土)

 さっき、楓がきた。
「お姉ちゃんを助けて」って。
 向日葵が、ずっとぼーっとしてるらしい。
 イヤだ。
 なに考えてるのかくらい、わかるし。
 考えるひつようなんてないじゃん。
 ほとんど話したこともないような子のことなんて。
 なんでそんなになやむんだよ。
 すごく、イヤだ。

 楓ならこっちにも来た。
 ちゃんと相手してやりなよ。
 それで、あんたのその考えはちゃんとひま子に伝えたの?
 あんたこそ、そんなの思いつめるキャラじゃないだろ(姉)

 言ってもいいのかな……。

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477:2012/01/01(日) 01:56:55.33 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 18 日 】


.


478:2012/01/01(日) 01:58:02.98 ID:20cc3qmSo

 言わなければならないことがあった。

 たぶん、今日言わなければ間に合わないこと。

 きっと、今日言わなければ取り返しのつかないこと。

 それでも迷いに迷って、姉と妹と楓の三人がかりで家から送り出された。

「あー……」

 乗り気にはなれなくても、もはや退路はない。


479:2012/01/01(日) 01:58:54.50 ID:20cc3qmSo

 いや、わかっているのだ。

 こればかりは、絶対に言わなければいけない。

 言わなかったら、一生後悔するだろう。

 それくらいは、櫻子の頭でもわかる。

 だって、幼馴染のことなのだ。

 他人じゃない。


480:2012/01/01(日) 01:59:17.61 ID:20cc3qmSo

 口出しせずに黙っていて、その結果を受け入れられるような相手じゃないのだ。

 向日葵がどう考えているかはわからない。

 答えを出しているのか、決めかねているのか、それもわからない。

 でも、どっちでもいい。

 言わなきゃ。


481:2012/01/01(日) 01:59:50.39 ID:20cc3qmSo




「私は、向日葵がその子と付き合ったらイヤだ」



 顔を見て、開口一番そう言った。

 それだけ。

 あとは口をつぐんで、向日葵の返事を待つ。

 向日葵は、実に目まぐるしく表情を変えた。

 驚き、戸惑い、疑い、反発、遠慮、そして──────納得。

 最後に出てきたのは、シンプルな一言だった。


482:2012/01/01(日) 02:00:36.47 ID:20cc3qmSo

「わかりましたわ」

 なにが、どうわかったのか、櫻子には理解できなかった。

 それでも、言うべきことは言った。

 もう十分だとばかりに帰ろうとしたところで、向日葵がつぶやく。



「女の子同士なんて、おかしいですものね」


483:2012/01/01(日) 02:01:03.04 ID:20cc3qmSo

 腰を浮かせた、中途半端な状態で固まる。

 自分がどんな顔をしたのか、櫻子はわからない。

 ただ、向日葵は薄く、儚く、微笑んだ。

「明日、ちゃんとお断りしてきますから」


484:2012/01/01(日) 02:01:28.84 ID:20cc3qmSo


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   12 月 18 日 (日)

 なんか……なんて言ったらいいかわかんないよ。
 向日葵には、ちゃんと「付き合ったらイヤだ」って言ったよ。
 だけど、

 私はエスパーじゃないから。
 ちゃんと書いてくれなきゃ、わかんないからね(姉)

 向日葵は、わかったって言ってた。
 それ聞いたら、ちょっとほっとした。
 でも、その後に「女の子どうしなんて、おかしいですものね」って。
 そうじゃないじゃん。
 私が言いたいこと、わかってないじゃん!

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485:2012/01/01(日) 02:02:01.78 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 19 日 】


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486:2012/01/01(日) 02:02:28.77 ID:20cc3qmSo

 昼休みの終わりごろ。

 ひとりで教室を出ていった向日葵が戻ってきた。

「……………………」

 仏頂面でにらんでくる櫻子を、向日葵は苦笑して受け流す。

「ちゃんと断りましたわ」

 そう言って席に着く。


487:2012/01/01(日) 02:02:55.68 ID:20cc3qmSo

 どんな会話をしてきたのか。

 訊ねたくて。

 話したくて。

 だけど言い出せなくて、口をつぐむ。

 心ではずっと相手のことを見ているのに。

 現実では、ずっとお互いに向き合わないままの一日。


488:2012/01/01(日) 02:03:42.21 ID:20cc3qmSo


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   12 月 19 日 (月)

 向日葵がことわったのは同じなのに、なんかムカつく。
 ちげーし、そういうことじゃないし。
 女の子どうしだからとかじゃなくてさー……。

 そうすると櫻子も対象外になるからね(姉)

 はぁ!?
 なんで私!?
 ち、ちげーし!
 向日葵のこと好きとか、そういう意味じゃないし!

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489:2012/01/01(日) 02:04:47.17 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 20 日 】


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490:2012/01/01(日) 02:05:31.77 ID:20cc3qmSo


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   12 月 20 日 (火)

 まだなにか言いたいことは?(姉)

 ……なんでねーちゃんが先に書いてるんだよ。
 なんであんなの……っていうか、たぶん向日葵もわすれてるし、ノーカンだろあれは!

 そっか。
 あの頃とは、もう違うわけだ。
 じゃあひま子が誰かと付き合っても、あんたが文句言う資格はないね(姉)

 ……なんなんだよぉ。
 わけわかんないよ、こんなの……。

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491:2012/01/01(日) 02:06:24.83 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 21 日 】


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492:2012/01/01(日) 02:07:20.66 ID:20cc3qmSo

 櫻子の様子がおかしい、ということには気づいていた。

 おそらくは、その原因にも。

 鏡を見て、向日葵は思う。

(少しやせましたわね)

 以前よりややこけた頬に気づき、自嘲気味に笑う。

 ここ最近、いろいろなことに悩みっぱなしだから、仕方ない。

 ストレスで痩せるという話を聞いたことはあるが、体験するのは初めてだ。


493:2012/01/01(日) 02:07:50.25 ID:20cc3qmSo

 そのことに櫻子が気づいているのか、いないのかは、よくわからない。

 この数日は、露骨に避けられているから。

 並んで歩かなくなったし、顔を合わせようともしない。

 わかっている。

 また、傷つけてしまった。

 あんな言い方、よくないってわかっていたのに。

 理由を探していたら、そんな言葉しか思いつかなかったのだ。

 口にした自分が、一番傷ついたのに。


494:2012/01/01(日) 02:08:29.58 ID:20cc3qmSo

 わけもわからず傷つけて、傷ついて、そんな自分に嫌気が差す。

 謝るべきだろうか。

 しかし、いったいなにを、どうやって。

 そもそも、なぜ櫻子が傷ついたと思ったのか。

 なぜ自分が傷ついたのか。

 ──────考えるべきではない、一線。


495:2012/01/01(日) 02:09:05.33 ID:20cc3qmSo

 やめよう。

 冬の冷たい水道水で顔を洗い、雑念を頭から追い出す。

 今日は、生徒会の仕事納めだ。

 この前二日も休みをもらってしまったのだから、こんなときくらいは集中しなければ。

 顔を拭いて、生徒会室に戻る。

 綾乃と千歳が一瞬だけ顔を上げ、すぐに仕事を再開する。

 櫻子は──────目も向けようとしなかった。

「……………………」

 仕方ない。

 これが結果だ。

 苦しいと思う心を無視して、仕事に励んだ。


496:2012/01/01(日) 02:09:35.48 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 22 日 】


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497:2012/01/01(日) 02:10:34.41 ID:20cc3qmSo

 終業式。

 しばらく会うことのないクラスメイトたちとの別れを惜しみ、あるいは冬休みの間も遊ぼうと約束する生徒たち。

 向日葵は、前者ばかりだった。

 クラスの中でも比較的仲のいいあかりやちなつも、隣町なのだ。

 休暇中に遊ぶような相手は、ひとりだけ。

 挨拶をすませて隣の席を見る。

 櫻子は、もういなくなっていた。

 ため息をつく。

 櫻子の避け方は、日に日に露骨になっている。

 ひょっとしたら、冬休みはもう会えないかもしれない。

 そう思うと、心に穴が開いたように空虚な気持ちになる。


498:2012/01/01(日) 02:11:05.03 ID:20cc3qmSo

 ──────そうか。

「私が勝手にいなくなってた間、櫻子はこんな気分でしたのね」

 ならば、仕方ない。

 これが櫻子の仕返しなら、ふさわしいやり方だろう。

 甘んじて受け入れるのも、仕方ない。

 そう思った。

 だから、


499:2012/01/01(日) 02:11:37.30 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 23 日 】


.


500:2012/01/01(日) 02:12:40.68 ID:20cc3qmSo

「明日、うち来ない……?」

 突然訪ねてきた櫻子がそう言い出したとき、向日葵はその意味も意図も理解できなかった。

「明日?」

「うん」

「……えっと」

「クリスマスイブ」

「ええ……」

「……………………」

「……………………」

 なぜ。

 今になって、なぜそんな。


501:2012/01/01(日) 02:13:59.78 ID:20cc3qmSo

「それって、クリスマスの……お誘い、ですの?」

「そ、そうだよっ……」

 目を合わせようとはしない櫻子。

 混乱が続く。

「わ、私が? 櫻子の家に?」

「…………うん」

 もじもじと。

 何度も確認しようとする向日葵に、じれったそうに。

「……来るの? 来ないの?」

「え、ええ……」


502:2012/01/01(日) 02:14:39.44 ID:20cc3qmSo

 思考が整理できないまま、答える。

「行きますわ」

 それを聞いた櫻子は、ぱっと顔を上げた。

 久しぶりに、向日葵にとっては本当に久しぶりに、その顔を見ることができた。

 赤い。

「や、約束したからな!!」

 櫻子はそう言い捨て、身を翻して去っていった。


503:2012/01/01(日) 02:15:22.70 ID:20cc3qmSo

 残された向日葵は、ゆっくり、今しがた目の前で起こったことを整理する。

 ゆっくり。

 少しずつ。

 やがて思考の糸はもつれて、固まった。

 だって。

 そんなの、おかしい。

 おかしいはずなのだ。

 向日葵は、ずっと自分にそう言い聞かせていた。


504:2012/01/01(日) 02:16:15.27 ID:20cc3qmSo




      【 幕間 】


.


505:2012/01/01(日) 02:17:13.79 ID:20cc3qmSo

 撫子は慣れた手つきで、しかし呼び出すのは久しい電話番号をプッシュする。

 アドレス帳など開くまでもない。

 自宅の番号よりもはっきりと覚えていた。

 数度の呼び出し音。

『も、もしもし!?』

 上ずった声がキンキンと響く。

 そんなに驚かなくても、と思いながら、自分も同じくらい上ずりそうになる声を抑えて、クールに応える。


506:2012/01/01(日) 02:18:04.84 ID:20cc3qmSo

「もしもし。久しぶり」

『どっどうしたの撫子さん! 受験終わるまでは我慢って……』

「いや、だってクリスマスだし」

 さらっと言ってみる。

 電話の向こうで、口をぱくぱくさせているのがわかった。

「今から、行ってもいい?」

『今から!?』

「ダメかな?」

 あくまでクールに。

 動揺している彼女の姿を想像してにやけそうになるのは堪えて。


507:2012/01/01(日) 02:18:58.33 ID:20cc3qmSo

『いいです! そういう無茶を言う撫子さん、アリだと思います!!』

「それはよかった」

 おかしなところで興奮されている気がするが、無視。

『今から料理とか用意するんで……二時間後、どうですか?』

「いいよ。それで、無茶ついでなんだけどさ」

『なんですか?』

「いやね」


508:2012/01/01(日) 02:19:42.47 ID:20cc3qmSo

 ちらりと、視線を下げる。

 二対の瞳が、はらはらと撫子を見上げていた。

「下の妹と、その友達がいっしょだから、二人分追加頼める?」

『──────』

 沈黙。

 はらはら。

 はらはら。


509:2012/01/01(日) 02:20:44.02 ID:20cc3qmSo

『撫子さん』

「はい」






『土下座じゃすまないからね』






 ブツッと切れる通話。


510:2012/01/01(日) 02:22:02.92 ID:20cc3qmSo

「……………………ふぅ」

 吐き出した息が白い。

「……だから花子はやめとけって言ったし」

 あきれたような声。

「撫子お姉ちゃん、元気出して!」

 一回りも下の子どもに、かわいそうなものを見る目で励まされた。

 頬を伝う雫が、冬の空気に冷やされる。


511:2012/01/01(日) 02:22:47.62 ID:20cc3qmSo

「泣くなし」

「泣いてねーよ。コンタクトがずれたんだよ」

「そうだよね……撫子お姉ちゃんは“つよいおんな”だから泣いたりしないんだよね」

「……………………」

 寒い。

 心も体も。

 大室撫子の“下の妹たちの面倒を見つつ愛しのあの子に逢いに行く一挙両得作戦”は儚く潰えた。


512:2012/01/01(日) 02:23:24.49 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 24 日 】


.


513:2012/01/01(日) 02:23:57.71 ID:20cc3qmSo

 櫻子の頭はオーバーヒート寸前だった。

 姉たちが気を利かせて家を空けたところで、向日葵を迎える準備を始めた。

 普段なら徹底的に手抜きする料理も、今日はちゃんとレシピを見て作った。

 部屋の中も片づけたし、お風呂も徹底的に磨いてから沸かした──────それは別に必要ないということは後で気づいた。

 イメージトレーニングを繰り返し、流れを頭に叩きこむ。

 よし、完璧。

 そう息巻いていた。

 が。


514:2012/01/01(日) 02:26:00.29 ID:20cc3qmSo

「……………………」

「……………………」

 向日葵を前にしたとたん、なにもかも頭から吹き飛んだ。

 もじもじ。

「…………あの」

「う、うん……」

「上がってもいいんですの……?」

 言いづらそうに訊ねる向日葵。

 まだ、玄関で立ちっぱなしだった。


515:2012/01/01(日) 02:26:46.35 ID:20cc3qmSo

「あああ、上がって!」

「では……失礼しますわ」

 いそいそと部屋まで案内しようとして、しかしそんな必要もないくらい勝手知ったる他人の家状態の向日葵は、先に歩いていく。

 慌ててそれを追いかけ、追い抜き、ドアを開けた。

「どうぞっ!」

「はぁ……」

 不自然に張り切る櫻子の様子に首をかしげつつ──────部屋の中を覗いた向日葵は、感嘆の声を上げた。


516:2012/01/01(日) 02:27:58.63 ID:20cc3qmSo

「これは……」

 勉強を教えにきたときとは比べものにならないほど片づいた部屋。

 中央に置かれたテーブルには、料理が並んでいる。

 驚きのあまり、ドアにかけられた『さくらこ』の表札を確認する。

「……花子ちゃんの部屋でも、撫子さんの部屋でもありませんわ」

「ち、ちげーし……」

 突っこむ声にも、迫力がない。

 とにかく部屋に入って、テーブルを挟み向かい合って座った。


517:2012/01/01(日) 02:29:07.62 ID:20cc3qmSo

「……えっと」

「ええ」

「……メリークリスマス?」

「イブですけど……」

「……………………」

 必死に無視して、グラスに飲み物を注いだ。

 二人分注ぐと、片方を手に取って、向日葵のほうへ突き出す。

「か、乾杯!」

「か……乾杯」

 戸惑いながらもグラスを合わせ、乾杯を受ける向日葵。

 チン、と音を鳴らしてぶつかるグラス。


518:2012/01/01(日) 02:29:44.11 ID:20cc3qmSo

「これ、なんですの?」

「えっ?」

「飲み物」

 炭酸の泡を見ながら、言う。

「しゃ、シャンメリーだけど」

「ああ……飲むの、初めてですけど」

「実は……私も……」

 沈黙。

 二人は、合図もなしに同時にグラスをあおった。


519:2012/01/01(日) 02:30:55.39 ID:20cc3qmSo

「んー……」

「……普通の炭酸ジュースですわね」

「うん」

 もっとクリスマスっぽい味かと思った、と櫻子。

 どんな味よ、と笑う向日葵。

 その表情に──────平常心を取り戻しかけていた櫻子は、再びパニックに陥った。

「あ、ああああうう!?」

「は、はい……?」

「い……」

「い?」

「いただきます!」


520:2012/01/01(日) 02:31:40.90 ID:20cc3qmSo

 どん、とグラスを置き、手を合わせる。

 つられて向日葵も手を合わせた。

「いただきます……?」

 よくわからないまま、食事が始まる。

 用意された料理は、いわゆるクリスマスメニューが中心だった。

 若干火が通りすぎたローストビーフや、一部黒く焦げついた骨付きチキンを見るに、どうやら買ってきたものを温めただけというわけはないらしい。

 そこで主食がパンではなくご飯なのは、櫻子の好みだろう。

 とりあえずローストビーフをいただくことにする。


521:2012/01/01(日) 02:32:51.02 ID:20cc3qmSo

「……………………」

 その様子を、じっと櫻子が見つめている。

 気にしながらも、一口。

「……………………」

「……………………どう?」

 上目遣いに訊ねる櫻子。

 向日葵はよく噛み、飲み込んでから答えた。

「普通……」

「そっか……」

「普通においしいですわ」

「どっちだよ!」

 落ちこんだり突っこんだり忙しい。


522:2012/01/01(日) 02:33:42.78 ID:20cc3qmSo

「おいしい」

「……ほんとに?」

「ええ」

「そっかー!」

 今度は笑う。

 表情豊かな櫻子は、もう何日も見ていない気がした。

 いや、実際、顔を合わせることさえしていないのだから、見ていないはずだ。


523:2012/01/01(日) 02:34:19.01 ID:20cc3qmSo

「じゃ、こっちは!?」

 チキンを取って、こちらへ突き出してくる。

 そのままかぶりついて、またよく噛む。

「おいしいですわよ」

「じゃあ今度こっち!」

 感想を言うたび、嬉しそうに料理を勧めてくる櫻子。

 このところの態度が嘘のようだ。

 櫻子が一方的に向日葵に料理を食べさせ、櫻子自身が食べていないことに気づいたのは、ずいぶん後になってからだった。


524:2012/01/01(日) 02:34:57.10 ID:20cc3qmSo


                            ・
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525:2012/01/01(日) 02:35:59.68 ID:20cc3qmSo

「も、もう遠慮しときますわ……」

「あ、そう……」

 二人分にしてはあまりに多くの料理に、向日葵はついにギブアップした。

 おそらく、あまった分は後で姉妹が食べるのだから、大丈夫だろう。

 さすがにもう入らない、と思ったところで櫻子が立ち上がる。

「どうしましたの?」

「いや、ちょっとね……」

 そう言って部屋を出ていく。


526:2012/01/01(日) 02:36:47.83 ID:20cc3qmSo

 特に深く考えることなく待っていると、小さな器を両手に戻ってくる。

「これ……食べない?」

 片方を向日葵の前に差し出す。

 受け取って、中身を見てみる。

「……プリン?」

「うん……」

 カラメルがかけられた卵色のそれは、シンプルなプリンだった。

 器や型崩れした様子から、これも既製品でないことがわかった。


527:2012/01/01(日) 02:37:44.40 ID:20cc3qmSo

「ケーキは難しかったから……プリン」

「よく作れましたわね……」

「お、教わったから……」

 向日葵の脳裏に、プリン好きな先輩の顔が浮かぶ。

 なるほど、これくらいなら初心者の櫻子にも教えられるかもしれない。

 そもそも、櫻子がちゃんと作る気になったということが驚きではあるが。

「お腹いっぱいなら、別に無理しなくてもいいけど……」

 櫻子が言い切るよりも先に、一口食べる。


528:2012/01/01(日) 02:38:54.62 ID:20cc3qmSo

「あ……」

「甘いものは別腹ですわ」

 あながち冗談ということもなく、そのままの勢いでぱくぱくと食べてしまった。

 自分の分に手をつけることもなく、櫻子は感想を待ち構えている。

「……………………」

「おいしかったですわ」

 不安げな表情が、その一言でぱぁっと明るくなる。

 本当は、ちょっとだけ焼きすぎで硬かった。

 それでも、櫻子の手作りだと思うと、おいしく感じられた。


529:2012/01/01(日) 02:40:08.16 ID:20cc3qmSo

「なんならもういっこ、いる?」

「でもそれ、櫻子の分でしょう?」

「いいのいいの!」

 にこにこと、もう片方のプリンも差し出してくる。

 おずおずと受け取って、また食べる。

「……………………」

 期待に満ちた目。


530:2012/01/01(日) 02:41:11.19 ID:20cc3qmSo

「おいしいですってば」

「うん」

「ありがとう」

 にこにこを通り越して、へらへらと形容したくなるほど頬が緩む櫻子。

 本当に今日の櫻子は、どうかしている。

 このままごちそうさまをして、楽しいクリスマスの夜だったと思いながら帰りたいところだった。



 でも、そういうわけにもいかない。


531:2012/01/01(日) 02:41:52.87 ID:20cc3qmSo

「櫻子」

「うん?」

 訊いておかなければならない。

「櫻子は」

 少しだけ、ためらって。

「怒ってませんの?」

「……………………」

 その問いに櫻子は、驚いたような、でもわかっていたような、複雑な表情を見せた。

 少なくとも、まったく予想外の質問というわけではなかったようだ。


532:2012/01/01(日) 02:42:34.74 ID:20cc3qmSo

「んー……」

 じっくりと考えた櫻子は、同じ言葉を返した。

「向日葵は、怒ってないの?」

「私?」

 櫻子と違い、向日葵にとっては、それは不意打ちの返し方だった。

 なにか、されただろうか。

 考えてみてもわからず、思ったままに言う。

「別に、なにも怒ってませんわ」

「そっか……」

 そう答えたにもかかわらず、櫻子は頭を下げた。


533:2012/01/01(日) 02:43:45.06 ID:20cc3qmSo

「ごめんっ」

「え、あの……」

 慌てたのは向日葵である。

 謝られるような心当たりはなかったのだから。

「いったいなんの話ですの?」

「最近、無視しててごめん!」

 櫻子は頭を上げないまま、言う。

 それでようやく向日葵も、どうやら最近の態度のことを言っているのだと気づいた。

 向日葵にしてみれば、それは自分に原因があると思っていたことだから、戸惑う。


534:2012/01/01(日) 02:44:42.82 ID:20cc3qmSo

 しかし、それを口にしようとする前に、櫻子が続けて言った。

「ほ、本当は無視してたわけじゃなくて……その……」

 見る見る間に赤くなる顔。

 その態度は、向日葵にとっては──────



「あ、あのね……」



 欠けていたピース。



「私、向日葵のこと……」



 ずっと避けてきた答え。



535:2012/01/01(日) 02:45:21.33 ID:20cc3qmSo







「好き……です……」





.


536:2012/01/01(日) 02:46:34.03 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 25 日 】


.


537:2012/01/01(日) 02:47:39.25 ID:20cc3qmSo

 一晩たった明くる日、櫻子は自室でのた打ち回っていた。

 恥ずかしさとか苦悩で、まったくじっとしていられない。

 結果、ひたすら床を転がる生き物と化していた。



『好き……です……』



「“好き……です……”じゃねー!!!」

 十数時間前の自分に向けてツッコミを入れる。


538:2012/01/01(日) 02:48:37.76 ID:20cc3qmSo

「私そういうキャラじゃないし!! どうしてそうなった!?」

 叫ぼうとも、過去は変えられない。

 もっと自分らしく、スマートな告白を事前に考えておいたはずだが、向日葵の顔を見た直後に忘れ、未だに思い出せない。

 完全に忘却の彼方に消え去ったと見ていいだろう。

「ううぅ……こんなはずじゃなかったのにー!」

 と、ひとしきり悶えた後、そういえば姉から日記が返ってきた(すでに堂々と見られている)ので、追記しようとしていたことを思い出した。

 普通の大学ノートに『日記帳』と書かれて手渡されてから、まあそれなりに続けて書いている。

 ぱらぱらとページをめくって、昨日の日記を確認する。


539:2012/01/01(日) 02:49:08.13 ID:20cc3qmSo


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

   12 月 24 日 (土)

 コクハクした。
「考えさせてください」って言われた。
 もうダメだ……。

 まだ返事もらってないんでしょ。
 諦めるな(姉)

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540:2012/01/01(日) 02:49:56.50 ID:20cc3qmSo

「ウオオオオオオオオォォォオオオ!!」

「櫻子うるさいよ」

 悶絶しながら叫ぶ櫻子に堪りかねたのか、隣の部屋から撫子が文句を言いにやってきた。

 受験も追いこみの時期にこれは、もはや妨害と言って差し支えない。

「ちゃんと書いたでしょ。返事がまだならおとなしく待ちなよ」

「でも……でもさぁ……」

 自分の告白の恥ずかしさもさることながら、櫻子を悶々とさせる最大の要素は、向日葵の回答にあった。


541:2012/01/01(日) 02:50:41.09 ID:20cc3qmSo




『少し、考えさせてください』



 回答保留。

 その場で断られたわけでもないのだから、まだ首はつながっていると考えることもできる。

 しかし、櫻子はその言葉を少し前にも耳にしている。



『返事は待っていただいていますわ』

『少し考えさせてください、って』



542:2012/01/01(日) 02:52:01.55 ID:20cc3qmSo

 あの日。

 同級生に告白されたと言っていた向日葵が、そうつぶやいていた。

 あのときは、どうして知らない子の告白にそんなに悩むのかと憤慨したものだった。

 しかし、いざ自分が同じ立場になると。

(……おなか痛い)

 胃がきりきりと締めつけられるように痛む。

(その場で返事してくれなかったってことは……)

 同級生からの告白に、向日葵はなんと応えていたか。



『女の子同士なんて、おかしいですものね』



543:2012/01/01(日) 02:52:29.68 ID:20cc3qmSo

「グウオオォォォオォォオオオオオ!!」

「だからうるさいって」

 そうだった。

 向日葵は、“その子のことが好きかどうか”なんてまったく口にしていなかったのだ。

 ただ“女の子だから”という理由で断っていた。

 そうなると、自然に櫻子も──────

 櫻子は震える手で日記に一言を書き記す。


544:2012/01/01(日) 02:53:09.46 ID:20cc3qmSo


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 死ぬ。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



「死ぬな」
 力尽きた櫻子をベッドに放り投げてから、撫子は帰っていった。


545:2012/01/01(日) 02:53:47.16 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 26 日 】


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546:2012/01/01(日) 02:54:36.28 ID:20cc3qmSo

 向日葵にとって、昨日は嘘のように静かな一日だった。

 努めて、心静かに過ごそうと決めていたから。

 むしろ、そうしなければならないほど、激しく動揺していたと言っていい。

(櫻子が……)

 言葉では言い尽くせない。

 あの幼馴染が。

 あの明るくて、元気で、馬鹿で、無鉄砲な、あの櫻子が。

(私のことを、好き?)


547:2012/01/01(日) 02:55:25.93 ID:20cc3qmSo

 しおらしく告白してきた、あの姿。

 いつもの櫻子とは、重ねても重ならないイメージ。

 だけど、だからこそ、嘘偽りなく本気だったのだとわかる。

 あんなこと、冗談で言えるタイプではない。

 だから、動揺した。

 その衝撃は、一週間ほど前の同級生からの告白とは比べものにならない。

 あのときは、戸惑いはしたものの、答えはもう決まっていたようなものだった。


548:2012/01/01(日) 02:56:02.75 ID:20cc3qmSo

 そう、時間を置きこそしたが、向日葵は返答に迷っていたわけではない。

 どう傷つけずに断るか、という向日葵らしい配慮はしたものの、告白を受けるつもりは、まったくと言っていいほどなかった。

 ただ、その瞬間──────

 向日葵がずっと押さえ続けてきた、壜の蓋が、開きそうになった。

 閉じておくことで、どうにかしまいこむことができていた、その壜を。

 向日葵は、一瞬だけ覗き見てしまったのだ。


549:2012/01/01(日) 02:57:08.42 ID:20cc3qmSo




『古谷さんのことが、好きです』

『私と、お付き合いしてください』



 もうすでに──────彼女には申し訳ないことに、そのときの姿も、声も、霞み始めている。

 しかし、そのとき思ったことは、今でもはっきりと思い出せる。

(なぜ、私は)



 その子の姿を、櫻子に置き換えて見ていたのか。



550:2012/01/01(日) 02:57:57.02 ID:20cc3qmSo

 ひどいことだと、自分でもわかっている。

 だけど向日葵は、そういう風にしか受け取ることができなかった。

 もうその時点で、答えは決まっていたのだ。

 なにもかも、全部。

 それでもなんとか逃れたくて、


551:2012/01/01(日) 02:58:56.37 ID:20cc3qmSo


『あなたとはお付き合いできません。ごめんなさい』



 苦しい言い訳を考えて、



『やっぱり古谷さんは、』



 櫻子や、自分自身にさえも言い聞かせるように、






『大室さんのことが好きなの……?』






 嘘をついた。


552:2012/01/01(日) 02:59:35.40 ID:20cc3qmSo

「……………………」

 それも、結局はわずかな時間稼ぎでしかなかった。

 壜の蓋は、開けられた。

 内側から、その当人の手によって。

 櫻子。


553:2012/01/01(日) 03:00:07.36 ID:20cc3qmSo

「お姉ちゃん」

 声に振り向くと、心配げな楓の姿が目に入る。

 この子は本当に心配性だと思うのと同時に、妹に気苦労をかけてばかりの自分は姉失格だとも思った。

 とてとてと歩いてきた楓は、向日葵の前にちょこんと座る。

「どうしましたの?」

 できるだけ笑顔と優しい声色を作って、訊ねる。

 しかし、それも楓には通用しなかった。


554:2012/01/01(日) 03:01:07.28 ID:20cc3qmSo

「お姉ちゃん……櫻子お姉ちゃんのこと、きらい?」

 核心。

 すべてお見通しの上での一言。

 どこから察したのだろう。

 聡くて、よく人のことを観察している楓のことだ。

 今まで見聞きした話をまとめれば、自然と思い至ったことなのかもしれない。

 あるいは──────思考に歯止めをかけていた向日葵よりも、早く。


555:2012/01/01(日) 03:01:50.61 ID:20cc3qmSo

「お姉ちゃんたち、仲良かったのに……どうして……?」

 楓の目には、最初からそう映っていたのかもしれない。

 曇りのない瞳が、向日葵を貫く。

「楓……」

 向日葵は、なにも言い返せなかった。

 本当に。

 どうして。

「私は、」


556:2012/01/01(日) 03:02:17.50 ID:20cc3qmSo




 ただ、壊れない関係でいたかっただけなのに。


.


557:2012/01/01(日) 03:02:50.75 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 27 日 】


.


558:2012/01/01(日) 03:03:30.58 ID:20cc3qmSo

 三日目ともなると、もう櫻子には悶える力も残っていなかった。

 気力を使い果たしたのか、とうとうこの日には熱が出てきて、ベッドに寝かしつけられるはめになっている。

 一日中寝て過ごして、まだぼーっとした頭で、最近は習慣づいてきた日記をつける。


559:2012/01/01(日) 03:04:03.08 ID:20cc3qmSo


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   12 月 27 日 (火)

 ケータイムリ。
 メールムリ。
 会うのゼッタイムリ。
 向日葵来ない。
 もう、ダメなのかな。

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560:2012/01/01(日) 03:04:32.49 ID:20cc3qmSo

 それだけ書き終えて、ため息をつく。

 つい一週間ほど前の日記を読み返すと、テンションの落差を感じずにはいられない。

 六日ほど前、生徒会の仕事納めの日の日記を読む。


561:2012/01/01(日) 03:05:08.26 ID:20cc3qmSo


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   12 月 21 日 (水)

 生徒会の仕事おさめした。
 センパイたちに、私と向日葵のこと話してみた。
 杉浦センパイはびっくりしてたけど、ヘンなことじゃないって言ってた。
 池田センパイはいつもみたいにニコニコしてて、うんうんってうなずいてた。
 どうしてだろ。
 いつもケンカばっかしてたはずなのに、おかしいって思わなかったのかな。

 いい先輩じゃないか。
 二人ともあんたのことよく知ってるんでしょ?
 多分、周りから見たらそんなもんだよ(姉)

 私、ホントに向日葵のこと……。
 うわ、なんか……めっちゃはずいんだけど!
 向日葵の顔見れねー!

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562:2012/01/01(日) 03:06:16.21 ID:20cc3qmSo

 思い出してみる。

 確か、向日葵がお手洗いに立った隙を突いての話だったはずだ。



「私、向日葵のこと、好き……みたいなんです」

 櫻子に、打ち明けたいことがあると言われて耳をかたむけていた綾乃と千歳。

 それを聞いた綾乃は小さく驚き、千歳はひとつうなずき返した。


563:2012/01/01(日) 03:06:56.71 ID:20cc3qmSo

「そう……やっぱりそうなのね」

 綾乃は、櫻子の言葉を幾度か噛みしめるようにして、納得したように言った。

「や、やっぱりってなんですか!?」

「だってそうなんじゃないか、って思ってたし……」

 もともと、喧嘩しながらも仲のいい二人だと思っていた。

 選挙後の事件は少し心配もしたが、ちゃんと仲直りできたのを見て、一安心したものである。

 綾乃からすれば──────若干の羨望も、込めて。


564:2012/01/01(日) 03:07:45.36 ID:20cc3qmSo

「ただの幼馴染とは違うんだろうなって、思ってたわ。よかったじゃない」

 幼馴染。

 その関係への複雑な思いを抱きながらも、綾乃は微笑んだ。

 千歳はそんな綾乃を見て、そして櫻子に向き直る。

「それでもな、伝えんかったらあかんよ? 好きなら、ちゃんと好きって言わな、な?」

 櫻子と綾乃が、同時に固まる。

 千歳の顔は、櫻子を向いている。

 しかし──────


565:2012/01/01(日) 03:08:18.10 ID:20cc3qmSo

「どんなに仲ようなっても、言わんかったら決まりやないよ。その気持ちは、ちゃんと伝えたってな」

 優しい、相手を思いやる千歳特有の声色。

 それは確かに、櫻子にも、綾乃にも伝わった。

「は、はい! 私、ちゃんと……向日葵に、伝えます!」

「……うん、その意気よ! 大室さんも、ファイトファイトファイファイビーチね!」

「……“も”?」

 相変わらず駄洒落のほうには反応されない綾乃。


566:2012/01/01(日) 03:08:59.37 ID:20cc3qmSo

 ちょうどそこで足音が聞こえてきた。

 向日葵が戻ってくるようだ。

 だから二人は、最後に声を合わせて言った。

『がんばって!』

 そして何事もなかったかのように、仕事に戻る。

 ドアを開けて、向日葵が戻ってくる。

 櫻子も慌てて仕事をしていたフリをして、うつむいた。


567:2012/01/01(日) 03:09:25.30 ID:20cc3qmSo

 隣の席に座る向日葵。

 うつむいたままの櫻子は、その気配を感じるだけで、ガチガチに固まっていた。

(つ、伝えるけど……今はそのタイミングじゃないよね……!)

 そんなことを思いながら、その時間をやり過ごす。

 向日葵の表情には、気づけないまま。


568:2012/01/01(日) 03:10:25.54 ID:20cc3qmSo

 思えば、あのときすでに向日葵は不自然に静かだった気もする。

 自分の気持ちに手一杯で、そのとき気づく余裕は、なかったけれど。

 だから今、こんなことになっているのだろうか。

 先輩たちの言葉は、あんなにも心に残っているのに。

 肝心の向日葵の気持ちについては、すっかり頭から抜けてしまっていた。

 めったに感じたことのない、後悔の念が今ごろになって押し寄せてくる。


569:2012/01/01(日) 03:10:57.45 ID:20cc3qmSo

 翌日の日記。

 終業式の日だ。

 どんどん向日葵を意識するようになって、確かこの日はとうとう一度も顔を合わせなかった。

 終業式が終わり次第、クラスメイトへの挨拶もそこそこに、逃げるようにして家に帰る。

 そして直後日記を書くと、そのまま隣の部屋の姉に直接乗り込んで、手渡した。


570:2012/01/01(日) 03:11:28.83 ID:20cc3qmSo


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

   12 月 22 日 (木)

 どうしよう。
 向日葵の顔見てられなくなった。
 っていうか、向日葵こんなにかわいかったっけ!?
 もう……なにしててもドキドキする!
 ねーちゃんどうしたらいい!?

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


571:2012/01/01(日) 03:12:04.92 ID:20cc3qmSo

 自室で勉強していた撫子は、無言で突き出された日記を読むと、目をつむり、ため息をついた。

「……わかった。作戦を決めよう」

 作戦とは、と首をかしげた櫻子に向き直って、撫子は告げた。



「櫻子。クリスマスイブ、家を空けてやるから、あんたそこでひま子に告白しな」





572:2012/01/01(日) 03:12:36.75 ID:20cc3qmSo

 うろたえて「無理!」だの「やだ!」だの「できるわけねーだろ!」だのとごねる櫻子を、撫子は華麗な足技で黙らせた。

 その後、ほかにいいタイミングがないと説得したり、ほかの子に先を越されても知らないぞと脅したり、とにかく納得するまで言い聞かせる。

 最終的には「わかったよやればいいんだろアホ!」と叫び出した櫻子を部屋から蹴り出し、ひとまず片がついた。

 そして次の日の朝、向日葵に会いにいって──────


573:2012/01/01(日) 03:13:05.69 ID:20cc3qmSo


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

   12 月 23 日 (金)

 オッケーだって……。
 うううぅぅぅぅぅどうしよーーー!!!
 ホントにダイジョーブなの!?
 これでダメだったら私死ぬかも……。

 当たって砕けろ(姉)

 ダメじゃん!!!!

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


574:2012/01/01(日) 03:13:46.37 ID:20cc3qmSo

「ホントに砕けたじゃんか……」

 日記を閉じて、携帯を確認する。

 メールも、着信もない。

 あの日から、自分も向日葵も家から出ていない。

 時間が凍りついたように、止まってしまっている。

 いや──────凍りついたのは、二人の関係なのか。

 どうして、こんなことになったのだろう。


575:2012/01/01(日) 03:14:15.87 ID:20cc3qmSo


『ひま子だって、あんたのこと気にしてるんだよ』

『お姉ちゃんと櫻子お姉ちゃん、仲良しだからきっと大丈夫だよ!』

『別に、これまでとなんにも変わんないし』



576:2012/01/01(日) 03:14:49.60 ID:20cc3qmSo

 あの日、家を出る前に三者三様の励ましを聞いた。

 緊張は解れなかったけど、身内の激励にあれほど勇気づけられたことはない。

 だから、不恰好でもちゃんと告白したのに。

 結果は、この様だ。

 みんな、思いこみだったのだろうか。

 やっぱり向日葵にとって“女の子同士の恋愛”はおかしなことで、相手がどうとか、関係なくて。

 そう言っていたにもかかわらず告白してきた櫻子のことは、変なやつにしか見えなくて。

 だから、返事がないってことは、つまり──────


577:2012/01/01(日) 03:15:37.60 ID:20cc3qmSo

「やだよ……こんなの……」

 間違いだったのだろうか。

 告白などせずに、ただの幼馴染でいるべきだったのだろうか。

 そうすれば、こんな苦しい思いは、しなくてすんだのだろうか。

「好きなのに……好きになったら苦しくなるなんて、おかしいよ……!」

 恋をするのって、もっと楽しいことだと思っていた。

 好きな人を好きでいられることは、もっと幸せなことだと思っていた。

 なのに。

「応えてもらえないのがこんなに辛いなんて……!」


578:2012/01/01(日) 03:16:10.99 ID:20cc3qmSo

 知らなかった。

 そう思いながらも、だけどこの感覚はもう、知っていた。

 一ヶ月前。

 向日葵が自分の隣からいなくなろうとした、あのとき。

 心がばらばらになりそうな、あの苦しさ。

 あれが──────



 恋の痛み。



579:2012/01/01(日) 03:16:50.03 ID:20cc3qmSo

 ならば、もう。

 終わっているじゃないか。

 あのとき、自分を救い出してくれた向日葵はもう来てくれない。

 この痛みと苦しみを取り払ってくれる人は、もういない。

 終わり。

 恋の、終わり。


580:2012/01/01(日) 03:17:31.66 ID:20cc3qmSo

「……………………」

 床に日記帳を投げ捨てる。

 もうどうでもいいものだ。

 必要ない。

 なにもいらない。

 いらない。

 誰も。

 私も。

 すべてに背を向けて、思う。

 このまま消えてしまえばいいのに。

 みんな、みんな。

 静かな部屋の中で、自分を消していく──────


581:2012/01/01(日) 03:18:02.75 ID:20cc3qmSo


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582:2012/01/01(日) 03:18:59.85 ID:20cc3qmSo

 時間の感覚も消えたころ。

 ノックの音が響く。

「櫻子。入るよ」

 ドアが開く音。

 でもなにも見えない。

 しかし、直後蛍光灯の光が網膜を貫き、すでに夜になっていたことと、それでもなにも見えないのは自分が目を閉じているからだということに気づく。

 気づいても、なにもできない。

 指一本、まぶたひとつ動かせなかった。

 静かな部屋に、それでも荒い呼吸音だけが響く。

 それが自分のものだと気づくまで、しばらくの時間を要した。

 信じられないくらい、全身がだるい。


583:2012/01/01(日) 03:19:54.69 ID:20cc3qmSo

 光が遮られる。

 水音。

 そして、額に当てられる冷たい感触。

「んっ……」

 濡れタオルを乗せられたのだと、吸われていく熱から理解した。

 ひんやりとした感覚が、心地よい。


584:2012/01/01(日) 03:20:28.18 ID:20cc3qmSo

 まったく思考が働かない中、聴覚だけが鋭敏になっている。

 床に落ちたノートが取られて。

 ぱらぱらとめくる音。

 少しして、筆を走らせる音が続き。

 それが、枕元に置かれる。

 そして押し殺した足音が遠ざかっていき。

 消される電気と、静かに閉められたドア。


585:2012/01/01(日) 03:21:19.13 ID:20cc3qmSo

 再び戻ってくる、暗闇と静寂の世界。

 日記はどうなったのか。

 そう考え、目を開けたときには、すでに朝日が差し込む時間になっていた。

 まだ気だるいものの、少しましになった体を動かし、枕元に置かれていた日記をめくる。

 昨日の日記の終わりには、見慣れた姉の筆跡で、一文が付け加えられていた。


586:2012/01/01(日) 03:21:48.44 ID:20cc3qmSo


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 少しだけ手伝ってあげるから、体調整えておくこと。
 がんばれ(姉)

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587:2012/01/01(日) 03:22:15.52 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 28 日 】


.


588:2012/01/01(日) 03:22:58.67 ID:20cc3qmSo

 考えさせてほしいと、向日葵は言った。

 しかし、時間が経てば経つほど、いったいなにを考えればいいのかわからなくなっていく。

 またあのときと同じように、今度は櫻子を傷つけない断り方でも考えろというのか。

 ありえない。

 もう、手遅れなのだから。

 傷つかずにいられる段階なんて、とっくに過ぎてしまったのだから。


589:2012/01/01(日) 03:23:38.85 ID:20cc3qmSo

 ならば──────告白を受ければ。

 受ける?

 幼馴染も、ライバルも、これまで築いてきた関係も捨てて。

 ただ“好き”というだけの関係に、なれるのか。

 それだけの関係に、満足できるのか。

 この前、経験したばかりじゃないか。

 自分が無理に二人の関係を変えようとしたから、あんなにこじれて。

 あのときも──────櫻子を、傷つけたじゃないか。


590:2012/01/01(日) 03:24:31.81 ID:20cc3qmSo

 あんなに。

 あんなに苦しそうに。

 悲しそうに。

 そんな櫻子を見たくないと、心から思ったはずなのに。

 また、傷つけている。

 櫻子のためにと、考えていたはずなのに。

 どうして、こんなことになったのか──────


591:2012/01/01(日) 03:25:00.97 ID:20cc3qmSo




「教えてあげようか」



 数日ぶりに聞く、楓以外の声。

 高みより響くその声は、いつものようにクールに。

「ひま子」

 しかし撫子は、有無を言わさぬ口調で言った。



「私の部屋においで」


592:2012/01/01(日) 03:27:10.50 ID:20cc3qmSo




      【 12 月 31 日 】


.


593:2012/01/01(日) 03:27:47.00 ID:20cc3qmSo

 結局、完全には熱は下がらず、櫻子はベッドの上で年末を迎えていた。

 撫子の返答を読んだ後、日記はなぜか手元からなくなっていて、それきり続きも書いていない。

 だからひたすらに寝て、起きて、退屈な時間を過ごした。

 不思議と、向日葵のことはほとんど考えなかった。

 それが自分の心を守るための無意識の働きだとは、櫻子には理解できなかった。

 ただ、大事ななにかが終わってしまったのだと、それだけはぼんやりと思う。


594:2012/01/01(日) 03:28:54.41 ID:20cc3qmSo

 気だるい。

 体を起こしたり、家の中を歩く程度はもう問題ないものの、それでも全身の熱感は引かなかった。

 なにかを積極的にするような気力は湧いてこない。

 大晦日を迎えた今日も、そういえばもう今年も終わりかと、淡々と思っただけである。

 姉が最後に日記に書き記したことも、なんだったか、よく覚えていない。

 覚えていないから。

 覚えていないけど。

 ただ病気だけは早く治さないといけない気がしたから、眠れる限りは、ひたすら眠る。


595:2012/01/01(日) 03:29:37.08 ID:20cc3qmSo

 たまに家族が様子を見にくる以外は、特別なことはなにもない。

 ただ、顔を見るたびに姉も妹も辛そうな顔をするので、それくらいなら放っておいてほしいと、邪険に思う。

 だから今このときも、また面倒だなと思いながら、部屋に入ってきた人物を見ていた。

 違和感を覚えなかったのは、なにも考えていなかったからか。

 それともあまりにも見慣れていたからか。

「櫻子」

 名前を呼ばれても、心が働くことはなかった。


596:2012/01/01(日) 03:30:47.00 ID:20cc3qmSo

 いらだつように、彼女は歩み寄ってくる。

「櫻子!」

 間近に見える顔。

 よく知った、顔。

「……ひどい顔ですわね」

 その手が、櫻子の顔に触れる。

「髪も、ぱさぱさじゃありませんの。いつものふかふかは、どこへ行ってしまいましたの?」

 頬を、額を、髪をなでるその手の主を、櫻子はぼんやりと見つめる。

 ぽつりと、呼んだ。


597:2012/01/01(日) 03:31:33.75 ID:20cc3qmSo

「向日葵……」

「ええ」

 ようやく反応らしい反応が返ってきたことに、ほっとした様子を見せる向日葵。

 事態を理解しないまま、櫻子が身を起こす。

「あ、櫻子、起きなくても……」

「いい……」

 寝てばかりいるのは、とっくに飽きている。

 そのまま体が固まってしまいそうだった。

 実際、身体中の関節が軋むような音を立てる。


598:2012/01/01(日) 03:32:41.32 ID:20cc3qmSo

「はぁ……」
「大丈夫ですの?」

 しんどそうに起こした櫻子の上半身を、向日葵が支えた。

 それには答えず、櫻子はひどく気だるそうに言った。

「……なんで向日葵がいるの?」

 おそらくは、深い意味などない、表層的な問い。

 しかし、それは向日葵の胸に深く突き刺さった。

 正しく答えるのならば、撫子に呼ばれたから、と言うべきだ。

 しかし、向日葵は──────

「櫻子に会いたくて、来たんですわ」

 そう答えた。


599:2012/01/01(日) 03:33:26.03 ID:20cc3qmSo

「……………………」

 長い沈黙。

 ゆっくり、ゆっくり、その言葉の意味を理解するために、記憶を遡って思い出していく。

 そしてすべての記憶を紡ぎなおして、言った。

「今さら、なんで」

 突き放すようなその言葉に、向日葵は迷わず答えた。



「告白の返事をするために」


600:2012/01/01(日) 03:34:06.34 ID:20cc3qmSo


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601:2012/01/01(日) 03:34:53.80 ID:20cc3qmSo

 撫子に呼ばれて彼女の部屋に行く際、櫻子の部屋の前を通った。

 緊張で歩みを止める向日葵。

 しかし、撫子は「早くおいで」と気にも留めない。

「でも……」

「櫻子は出てこないよ」

 確信的に言う撫子。


602:2012/01/01(日) 03:35:22.52 ID:20cc3qmSo

「今、臥せってるからね」

「えっ!?」

 さらっと言われたことに、驚く向日葵。

 それすらも気にせず、撫子は部屋に入っていく。

 頭の整理が追いつかないまま、向日葵はその後を追った。


603:2012/01/01(日) 03:35:56.94 ID:20cc3qmSo

「さて」

 撫子は勉強机の椅子に腰掛けると、そう思案顔を見せた。

 ほかに椅子もないので、向日葵は床に直接腰を下ろす。

 結果的に撫子が向日葵を見下ろす形になって、かなりのプレッシャーを感じる。

 いや──────ひょっとしたら、意図してやっているのかもしれない。

 撫子は見た目や言動によらず、結構気遣いのできる人間だ。

 仮にも客人を床に座らせて、自分だけ椅子を使うような無神経なタイプではない。

 だからこれは、お説教なのかもしれなかった。


604:2012/01/01(日) 03:36:37.95 ID:20cc3qmSo

「ひま子」

「は……はい」

 頭上から降り注ぐ言葉は、妹に負けず劣らずストレートだった。

「なんで櫻子に返事してやらないの?」

 当然といえば、当然の問い。

 それでも向日葵は、それに答えることができなかった。

 黙って俯いたままの向日葵を見て、撫子はため息をつく。


605:2012/01/01(日) 03:37:27.08 ID:20cc3qmSo

「ひま子。あんたは櫻子よりずっと頭いいけど、あいつと同じくらい馬鹿なとこもある」

「……………………」

「わからないことを、わからないって言わないとこ」

 いっそ清々しいほど、その言葉は向日葵を正面から打ちのめした。

 ぐぅの音も出ない指摘。

「意地張るのもやせ我慢も、絶対に悪いとは言わないけどさ。どうしてあんたたちは、そろって同じところで詰まるのかな」

 同じところで、と撫子は言った。

 それは、つまり。


606:2012/01/01(日) 03:38:09.76 ID:20cc3qmSo

「櫻子も、こないだの告白まで散々迷って迷って迷って、うじうじ考えこんでたよ」

「そ、それは……いつから……?」

「先月の終わりから、ずっと」

 その時期には、向日葵も心当たりがある。

 選挙が終わって、二人が距離を置くようになって、そして再び元の鞘に収まったころ。

 いや──────元の鞘だと、向日葵だけが、思っていたころだ。


607:2012/01/01(日) 03:38:58.92 ID:20cc3qmSo

「ひま子のことが気になるって、ぼそっと言い出すようになってさ。それ聞いて、私はもう、ああこれはもうあれだなと思ってたけど」

「あれって……」

「ようやくそんな気になったか、と」

 櫻子が今になって自覚した気持ちも、撫子にとってみれば「ようやく」とか「今さら」の一言だ。

 それでも、重要な一歩には違いない。

 だから今月に入ってから、少し手を貸そうと考え始めた。


608:2012/01/01(日) 03:39:37.33 ID:20cc3qmSo

「まあ櫻子に関しては順調……って言っていいのかな。牛歩だったけど。でも、予想外なことがあった」

 着実に、櫻子に明確な自覚を迫っていたころ。

 撫子が想定していなかった出来事が起こった。

「私が……」

「全然知らない子に告白されたこと」

 撫子にしてみれば、まったくの想定外で、まったく知らない女の子の話。

 向日葵にとっても、それは──────そう、大差ない。


609:2012/01/01(日) 03:40:18.96 ID:20cc3qmSo

「ひま子がそれを受けるとは、私は思ってなかった。櫻子にとっては、そうとも思えなかったみたいだけどね」

 櫻子の動揺は大きく、しかし撫子はこれを利用して一気に核心に迫る方針に出た。

 詰めの一手として“切り札”を切ったことで、櫻子はとうとう自分の本音を認めることになった。

 流れとしては、そこからクリスマスイブの告白につながっていく。

 しかし、撫子にコントロールできたのは、櫻子だけだった。

 もう一方の当事者である、向日葵に対しては──────


610:2012/01/01(日) 03:41:06.83 ID:20cc3qmSo

「こんなことなら、もっと早くに話をしておくべきだったかなと思ってる」

 目を伏せて言う撫子の声には、自分の失敗であるかのような色があった。

 だが、本来それは撫子の責任などではない。

 向日葵自身が考えて、こうなったのだから。

「ひま子がここまで頑なになるとは、思ってなかった。まさか返事もしないとはね」

「うっ……」

 万事上手くいくと楽観視していたわけでもない。

 告白されたといって、向日葵が素直にそれを受けるかどうかは、まだ怪しいものがあった。

 しかし、それでなんらかの反応が見られるだろうと、撫子は思っていた。

 なのに、向日葵はただひたすらに自分の殻にこもってしまった。


611:2012/01/01(日) 03:41:43.57 ID:20cc3qmSo

「おかげで、こんな強引に呼び出すことになったわけだけど」

 そう言って向日葵を見下ろす撫子の瞳には──────怒りというか、いらだちというか、言外のプレッシャーが込められていた。

「す、すいません……」

「謝られてもね」

 長い息を吐く。

「それで」

 長い説明を終えて、今度は向日葵へと、会話のボールを投げる。


612:2012/01/01(日) 03:42:27.90 ID:20cc3qmSo

「ひま子は、なにをそんなに悩んでるの?」

 言葉に詰まる。

 なにから話せばいいのか。

 とにかくどこから説明するか考えて──────そこで、撫子が念を押す。

「それから。もし普段言ってるみたいに、櫻子のこと嫌いだとか、本気で仲が悪いんだとか思ってるんだったら今のうちに言いなよ」

 言いながら、撫子は親指で窓を指す。

「そこから叩き出すから」

 まさかの暴力宣言だった。


613:2012/01/01(日) 03:43:23.05 ID:20cc3qmSo

 向日葵は狼狽し、首を振る。
「い、いえ、そういうわけでは……」

「じゃあ、好きなんだ?」

「それは……」

「どっち?」

 中途半端な答えは許さない。

 撫子の全身が、そう物語っている。

 言葉を濁そうものなら、それだけで窓から放り出されそうな勢いだった。

 だから、

「──────好きですわ」

 観念した向日葵は、そう言った。


614:2012/01/01(日) 03:44:30.77 ID:20cc3qmSo

 それを聞いて、撫子は浮かしかけていた腰を下ろす。

「それは一安心」

「でも……」

「でも?」

 たぶん、話さなくてはいけないのはそこだけなのだろうと、向日葵は語り始めた。

「どういう意味で“好き”なのかは、よくわかりません」

 それが、返事を引き延ばしている最大の理由。

 喧嘩ばかりしていても、心の底から嫌い合ってるわけではないことくらい、向日葵にもわかっている。

 むしろ、向日葵にとっては対等に話ができる、貴重な友人だったのは間違いない。

 だけど。


615:2012/01/01(日) 03:45:09.39 ID:20cc3qmSo

「それ以上の意味で好きなのか、と言われると……自信がないんです」

 ある意味、感覚がマヒしているのかもしれない。

 今まで意識せずにしてきた付き合い方が、どういった種類のものなのか。

 喧嘩をするのも。

 なにかを競い合うのも。

 それでもいつもいっしょにいることも。

 あまりにも当たり前すぎて。

「気づいたときには、もうこんな関係だった気がしますし……それを、どう言えばいいのか」

 わからない。

 しかし、


616:2012/01/01(日) 03:46:10.21 ID:20cc3qmSo

「つながらない」

「え?」

「あんたの言ってることは、つながらないよ」

 撫子は、一言で斬って捨てた。

「それじゃどうして同級生の子の告白、そんなに悩んだの?」

「それは──────」

 向日葵は、櫻子に言った。

 女の子同士の恋愛はおかしい、と。

 それは自分自身に言い聞かせていた節もある。

 だが、それが本音なら、やはりおかしいのだ。


617:2012/01/01(日) 03:47:01.50 ID:20cc3qmSo

「もし本気でそう思うなら、櫻子にもそう言えばいい。でもあんたはそうは答えなかった」

 明らかな矛盾。

 必死に頭をめぐらせる向日葵の先を、撫子は行く。

「櫻子を傷つけないためってことなら、それもおかしい。現にあいつはひま子が返事をしないことでかなり参ってる」

 それを予測していなかったとは、言わせない。

 撫子の目はそう語っている。


618:2012/01/01(日) 03:47:42.50 ID:20cc3qmSo

「ひま子。私、さっき言ったよね」

「……………………」

「わからないことをわからないって言わないのが、あんたの悪いところだって」

「……はい」

 素直にうなずく向日葵。

 でも、と撫子は続ける。

「本当は、もっと悪いところがある」

 一拍置いて。

 撫子は、向日葵を断罪した。


619:2012/01/01(日) 03:48:16.31 ID:20cc3qmSo




「わからないことを、わかろうとしないこと」



 しん、と静まる部屋。

 向日葵は、ぎゅっとひざの上で拳をにぎって、その言葉を噛みしめた。

「言ってる意味、わかる?」

「……………………」

 向日葵は、少し迷ってから──────正直に答えた。

「……わかりません」

 だろうね、と撫子はうなずいた。

 それでも、その表情は少し和らいでいた。


620:2012/01/01(日) 03:48:49.08 ID:20cc3qmSo

「ひま子は、櫻子のことをどう好きなのかわからないって言ったね」

「はい」

「本当に?」

 あえて見逃していた点に、撫子は突っ込んだ。

「本当にどう好きなのか、しっかり考えた上で、そう言ってるの?」

「あ……」

 避けていた真実を、突きつけられる。

 閉じられていた壜の蓋。

 だけど、それは確かに開いて──────


621:2012/01/01(日) 03:49:25.96 ID:20cc3qmSo

 どうして彼女に、櫻子を重ねて見たのか。

 どうしてこんなにも、考えることを避け続けていたのか。

 どうして──────



 櫻子がそばにいないことが、苦しいのか。


622:2012/01/01(日) 03:49:53.17 ID:20cc3qmSo

「もういいかな」

 呆然とした向日葵を見て、揺さぶりは十分だと見て取った撫子は、机の引き出しから一枚の紙を取り出した。

 そして、


623:2012/01/01(日) 03:51:31.81 ID:20cc3qmSo

「……見たんだ」

「……ええ」

 同じものを見たのだと悟った櫻子に、向日葵はうなずいた。

 たった一枚の紙。

 だけど本当は、二人の大切な約束。



「婚姻届なんて、いつ書いたのかと……最初は撫子さんの悪戯かと思いましたわ」


624:2012/01/01(日) 03:52:14.16 ID:20cc3qmSo

 ひらがなばかりで書かれた──────“記入した”とはとても言えない、婚姻届。

 わざわざ「夫」を「つま」に書き直してまで、二人を並べてある。

 その下には、お互いのことを描いた絵が。

 どんな気持ちでこれを書いたのか──────ハートマークの付けられた絵だけでも、伝わってくる。

 二人そろって、そのことは覚えていなかった。

 だからもちろん、それが誰の手に渡っていたのかも知らずにいた。


625:2012/01/01(日) 03:53:09.62 ID:20cc3qmSo

「なんでねーちゃんが持ってるのかと思ったよ……」

 撫子いわく、「保証人だから」だそうである。

 おそらくは、二人が書き散らした後、こっそり回収していたのだろう。

 それを今になって、撫子は持ち出してきた。

 そんなものは昔のことだから、と異口同音に言った二人に、撫子はまったく同じように切り返した。



『じゃあ、あんたそれから嫌いになるようなことあったの?』



 問われた二人は、記憶をたどって、たどって、どこまでも思い返して、答えた。



『ない……』

『ありませんわ……』


626:2012/01/01(日) 03:54:00.97 ID:20cc3qmSo

 ならば。

 あのころから変わってないというならば、答えは決まっている。

 二人は、



「ずっと」

「好きだったんですわ」



 幼いころほど、シンプルな関係ではなくなったかもしれない。

 だけど、関係が後退したことなんて、なかった。

 先月だって、そうして乗り切ったのだから。

 好きになったのなんて、本当に昔のこと。

 あまりにもそれが早すぎて、忘れてしまっていただけ。


627:2012/01/01(日) 03:55:13.00 ID:20cc3qmSo

「櫻子」

 いつか鏡で見た自分の顔より、さらにこけてしまった、その頬をなでる。

 喧嘩のときにつねるとやわらかな弾力のあった、その頬を。

「ごめんなさい」

 つやを失って、ぱさついた髪を、なでる。

 いつもふわりとして、ひそかにうらやましく思っていた、その髪を。

「ごめん、なさい……!」

 肩を引き寄せて、抱きしめた。

 いつだって小さくて、細かった、その体を。

「ごめん……ごめんね……こんなになるまで、傷つけて……っ!」


628:2012/01/01(日) 03:56:04.70 ID:20cc3qmSo

 櫻子は泣かなかった。

 先月のように、泣きじゃくったりはせず、ただ向日葵を見つめていた。

 だから、その分も向日葵が泣いた。

「う……ごめ、なさ……う……うわあああああああああん!!!」

 堰を切ったように涙が溢れ出す。

 泣いて、泣いて、泣き尽くして。

 その涙が止まったころ、ようやく櫻子は一粒だけ、涙をこぼした。



 それから櫻子は優しく笑って、しがみついて泣いていた向日葵の肩を抱きしめ返した。


629:2012/01/01(日) 03:56:41.40 ID:20cc3qmSo


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630:2012/01/01(日) 03:57:14.85 ID:20cc3qmSo

「ねえ」

「なに?」

「大好きだよ」

「私もですわ」

「ちゃんと言ってよ」

「……大好きですわ」

「うん」

「ええ」


631:2012/01/01(日) 03:57:48.40 ID:20cc3qmSo

「……ねえ」

「なに?」

「キス、してみよっか」

「……………………」

「ダメ?」

「……………………」

「ねえってば……あっ、ん…………っ」

「……………………」

「……………………」

「はい……」

「うん……」

「ふふっ……」

「あはは……」


632:2012/01/01(日) 03:58:32.18 ID:20cc3qmSo

 二人は、同じことを考えて笑った。

 二人の初めてのキスは──────本当はいつが“初めて”だったのか、覚えていなかったから。

 くすくす笑った後、二人はもう一度唇を合わせた。

 ただしたくてするキスではなく。

 二人の愛を誓うための、キスを。


633:2012/01/01(日) 03:59:10.39 ID:20cc3qmSo




「向日葵」



「櫻子」



「これからも、ずっと大好きだよ」

「これからも、ずっと大好きですわ」


634:2012/01/01(日) 04:00:15.97 ID:20cc3qmSo

 時計の針が、日付を変える。

 新しい年の、始まりの夜に。

 止まっていた関係が動き出す。

 二人は、長く踏み出せなかった一歩を、踏み出した。


635:2012/01/01(日) 04:00:44.36 ID:20cc3qmSo




      【 終幕 】


.


636:2012/01/01(日) 04:01:26.82 ID:20cc3qmSo


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   12 月 31 日 (金)

 これを書いてる時点では、実はまだあんたたちがどうなったのか、確認してない。
 けど、後はあんたたちの問題だから、それはどうでもいい。
 まあ別に、なにも心配してないけどね。
 あれだけ手伝ったんだし、上手くいくに決まってるよ。

 さて、もうひま子のことで頭がいっぱいになって、日記なんて忘れてるだろうけど。
 もしかしたら、いつか読み返すかもしれないから、書いておくよ。


637:2012/01/01(日) 04:02:12.81 ID:20cc3qmSo


 おめでとう、櫻子。
 よくがんばったね。
 私は、高校卒業したら家を出る。
 心残りなく出られそうで、心底安心したよ。
 ひま子と、幸せにね。
 大事にしてあげるんだよ。

      撫子

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638:2012/01/01(日) 04:02:49.43 ID:20cc3qmSo


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639:2012/01/01(日) 04:03:16.86 ID:20cc3qmSo




 お姉ちゃんへ。



640:2012/01/01(日) 04:03:45.04 ID:20cc3qmSo

 日記のこと、ちゃんとおぼえてるよ。
 向日葵とのこと、お姉ちゃんの考えてたとおり、ちゃんとできたから。
 今まで助けてくれて、ありがとう。
 家を出てったら、たぶんさみしくなる。
 でも、向日葵がいるから、私ももっともっとがんばる。
 学校休みのときは、いつでも帰ってきてね。


641:2012/01/01(日) 04:04:12.27 ID:20cc3qmSo

 それから、もうお姉ちゃんの返事はないけど、日記は続けようと思うんだ。
 小さいころの向日葵との思い出は、いっぱいあったはずなのにいっぱい忘れちゃったから。
 これからは、もう忘れないように、日記に書いていくんだ。
「好き」っていう気持ちも、本当は毎日ちょっとずつ違うはずだから。
 みんな、みんな、日記に書くよ。
 忘れないように、毎日、きっとね。
 そうしたら、


642:2012/01/01(日) 04:04:45.73 ID:20cc3qmSo




 私と向日葵の思い出は、1年で365コ!






      おしまい


643:2012/01/01(日) 04:05:38.69 ID:20cc3qmSo

……投下完了です!
長かった!


650:2012/01/01(日) 04:12:38.50 ID:20cc3qmSo

えーっと、本当は色々言いたいことがあるんですが……
>>1は 昼 か ら お 仕 事 ですもので
……とりあえず眠らせてください、ごめんなさい!


648:2012/01/01(日) 04:06:56.90 ID:lErjqjQuo

よかった。すごくよかった


649:2012/01/01(日) 04:09:27.34 ID:cev91aNMo


最高

次もあったりするかな?
だったら嬉しいんだけど


651:2012/01/01(日) 04:14:15.90 ID:cev91aNMo

正月の昼から仕事だと……
本当にお疲れ様


657:2012/01/01(日) 05:59:20.82 ID:UkJajpcAO

本当に良い作品だった



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