1:2011/03/02(水) 19:46:07.56 ID:a+jCRixGo


・ifネタ

・地の文、超展開、オリ設定あり。

・本編の時系列、本編との整合性は考慮せず。





2:2011/03/02(水) 19:46:33.77 ID:a+jCRixGo


 ◆C


 放課後の大通りは下校する生徒たちで溢れかえり混雑している。

 男も女も年齢も関係なく、行き、交わり、過ぎを繰り返しながら、ひとつのうねりのような人波を泳いでいた。

 その姿はきっと、空から見たら、蟻が蠢くように感じられるかも知れない。

 灰色の雲が夏の終わりの空に蓋をして、きらめくネオンが夕闇を照らしていた。

 街は普段通りにざわついているのに、どこか静謐な雰囲気を孕んでいる気がした。

 まるで夏の終わりを惜しむかのように、人々の表情が生彩を欠いている。

 美術的な価値を持つ絵画やなんかだと、描かれた人々からは一切の感情が抜け落ちてしまっているように感じることがある。

 今日の町並みは、そういう意味では芸術的だった。

 うだるような熱気は夕陽が沈みかけになっても変わらず、不愉快な汗に服がべたつく。

 必要などないのに、なぜこんな思いをしてまで外を歩いているのだったか。そう考えても、すぐに結論は出なかった。




3:2011/03/02(水) 19:46:59.67 ID:a+jCRixGo


 仕方がない。道なりに歩きながら、どうして自分がこんなことをしているかを考えてみることにした。

 ちょうどいい暇つぶしではある。予定がないので、暇など潰さなくても良いはずなのだが。

 そもそも自分は、いつから歩いていたんだろう。

 近頃では、教室でじっと座っていることが苦痛になってきた。胃がしくしくと痛んで、呼吸が徐々に苦しくなってくる。

 もちろん、少し経てば落ち着くのだが、クラスメイトたちに心配されて訊ねられても、上手に答えることはできない。

 いわばこれは、精神的なものが原因なのだ。

 成績に関して、担任の月詠小萌に呼び出されたことを思い出す。このまま行けば、なんとかギリギリ留年は免れそうだった。

 ただし、成績の方が芳しくないので勉強はしておいてくれというおまけ付き。

 理不尽だとは思わないが、どう生きても嫌なことからは逃れられないとは感じた。

 ざわつく人混みの中を縫うように歩いていると、自然とさまざまな場所からあらゆる音が聞こえてくる。

 人の声であるとか、マスク越しの咳であるとか、携帯電話の呼び出し音、ふと揺れた木々の声。

 街は音で溢れていた。

 そしてそれらに耳を傾けていると、自然と、自分がどこにいるか、どこを目指しているのか、分からなくなってしまう。



4:2011/03/02(水) 19:47:26.40 ID:a+jCRixGo


 その感覚に酩酊するために、自分は道を歩いているのかも知れない、と上条当麻は思った。

 没入感があまりにも心地良いから、つい、ここが現実だと言うことを忘れて、その感覚に浸ってしまいたくなる。

 それでも確かにこの熱気も、光景も、現実だ。

 だからこそ上条は、自らの居場所を忘れたくなるほど逃げ出したかったのだけれど。

 ふっと、意識が目覚めるように浮上して、それまで曖昧にぼやけて見えた視界がクリアになっていく。

 瞬きを繰り返すたびにそれはひときわ鮮やかになっていき、やがて正常な視力が戻ってきた。

 そうすると今度は、耳に入る音までもが、普段と同様の感覚へと近付いていった。

 普段よりも鮮明に、克明に、音が聞こえるようになる。

 それを早めるため、意識的に数々の音の中から誰かの声だけを抽出した。

 その誰かは、どんな言語ともつかない、耳に残りにくい、印象に残らないのっぺりとした音の連なりを吐いていた。

 何かの暗号か、あるいは遊びか何かだろうか。

 そう考えながら耳を澄ませたところで、上条はようやく、自分が耳にしているのが日本語であることにようやく気がついた。

 無意識に人混みを避けて歩いていると、気付けば廃ビルの建ち並ぶ通りにやってきていた。



5:2011/03/02(水) 19:47:51.91 ID:a+jCRixGo


 このあたりも、随分寂れてしまった。

 ちょっと前まではゲームセンターなんかの並ぶ通りで、学生たちに重宝されていたのに、見る影もない。

 その理由としては、以前、そのゲームセンターを中心に幅を利かせていたスキルアウトが能力者と騒動を起こし、
 多数の負傷者を出したからことが挙げられる。けれどそれは表層的な理由だ。

 建物は炎上し、延焼も懸念され近辺は騒然としたが、奇跡的に死者は出なかった。

 これはレトリックなどではなく、本当に「奇跡的」なことだった。

 あの有様で、よく誰も死ななかったものだと、本当に思う。



6:2011/03/02(水) 19:48:20.51 ID:a+jCRixGo

 上条はその場でそれを見ていたが、やはり、何人か一般人が死んでいたのに、
 それを誰かが隠しているのではないかと訝りたくなった。

 それだけの惨状だったのだ。

 実際には、重傷の怪我人や後遺障害を持つことになった人間が出たくらいだろう。

 それでも、馬鹿が引き起こした馬鹿な事件だと済ませるにはあまりに酷すぎる話だ。

 何週間か経つ今でも、火災時の煙だの、脱出時の事故だのの影響で、
 リハビリを続けている者や、意識不明のままの者までいるらしい。

 上条は、普段、不運だ不幸だと喚いている自分が、あのとき死ななかった理由が分からなかった。

 結局のところ、自分を悩ませる不幸なんていうものは、所詮、命までは左右しないものなのかも知れない。

 あの場でもっとも脱出しづらい場所にいて、無傷だったなんて、不幸だと言うにはあまりに図々しい。

 むしろ逆に、呪われているのではないかと疑いたくなるほど。



7:2011/03/02(水) 19:48:44.16 ID:a+jCRixGo


 ――過ぎてしまったことだ。

 無事に済んだのはいいことではあるのだし、と自分を納得させようとしても、少し難しいものがある。

 友だちの友だちが、事件に巻き込まれて大怪我をした、なんて話を聞かされれば、不愉快になるだけでは済まない。

 ついでに言えばあの火災の原因は上条にあったのだから。

 それをはじめて聞いたときの罪悪感は、それこそ比喩ではなく死にたくなったほどだ。

 上条はその感情に、上手く名前をつけることができない。やるせなく、悲しく、寂しく、悔しく、生々しい。

 そのことを思い出すたびに、自分がとんでもない悪人であるように感じてしまう。

 いや、事実としてそうだ。そして原因となった自分が無傷なのだから、尚更。



8:2011/03/02(水) 19:49:12.49 ID:a+jCRixGo


 たった数週間で、この通りは多くの学生たちに忘れられつつある。

 ゲームセンターは、もっと栄えていて、利便性に優れた場所に移った。移動はどこからも容易く、人の集まりも悪くない。

 だからこの通りに誰か人がいるとすれば、ロクでもないゴロツキか、
 あるいはちょっとした気紛れに散歩にでも来た変人かのどちらかだ。

 自分はどちらだろう、と考えて、どちらでも別にかまわないと結論づけた。

 自分がどう見えるかなんてことは、自分で考えなくとも、誰かが勝手に決めてくれる。

 そんなことは、もうどうでもいいことだ。



9:2011/03/02(水) 19:49:38.42 ID:a+jCRixGo


 行くアテはなかった。だからこの周辺に歩いてきたのも偶然でしかない。あるいは、何かが自分の足を引き寄せたのか。

 そちらの可能性の方が高いかも知れない。今日で、この通りに来るのは何度目になるか分からなかった。

 赴くままに足を動かしていたため、上条は自分の身体が何を意図して動いているかが分からなかった。

 どんどん歩いていく。この何もない通りには、スキルアウトたちも滅多に姿を見せない。

 いるとすれば、もっと暗い場所にいる何かだ。

 廃墟に来ると、妙に心が安らいだ。夜になれば暗くて落ち着かないが、この時間帯に来るのはちょうどいい。

 誰もいない、誰も近寄らない、居心地のいい空間だった。



10:2011/03/02(水) 19:50:04.97 ID:a+jCRixGo


 上条はビルに足を踏み入れて、中を軽く見回す。誰もいない。

 汚れたエントランスを通過して、壊れかけた階段を素通りし、薄汚れた突き当たりの廊下へ向かう。

 その先には給湯室、トイレ、会議室、と並んで、一番奥に喫煙室がある。

 どんな用途で使われていたビルだか知らないが、
 学園都市にある以上、建設から何年も経ったような建物ではないはずなのに、あらゆるものが埃を被り、荒れ果てていた。

 どこもかしこも素手で触れることができないほど。埃が舞うと、窓から差し込む夕陽に照らされて白く輝いた。

 上条が喫煙室の、ボロボロになったソファに身を投げると、それはぎい、と音を立てて軋む。



11:2011/03/02(水) 19:50:37.61 ID:a+jCRixGo


 仰向けに天井を見上げる。四隅には蜘蛛の巣。この分だと、自分が今身を置いているソファにも、虫が湧いているかも知れない。

 それは不快な想像だ。けれど、今更立ち上がる気力は失われてしまっている。

 むしろ、ここまで良く耐えた、と自分を褒めてやりたいほどだ。

 それも、いつものことだ。もう今更、どうということでもない。

 何の思い入れもない建物なのに、ここにいると、上条の心はとても落ち着く。

 良質の音楽を聴いているときだとか、美味しい料理をじっくりと味わっているときみたいに。

 もっとも上条は、その感覚を久しく経験していないのだが。

 ――灰色だ、と思った。天井は土色に汚れて埃を被っていた。

 生活のすべてが薄ぼんやりとしていて、曖昧で、頼りなくて、朧気で、今にも消え入ってしまいそうだ。

 いつからだろう、自分がこんなふうになってしまったのは――。



12:2011/03/02(水) 19:51:03.56 ID:a+jCRixGo


 考えるまでもなく、上条の頭には答えが用意されていた。けれど上条は、あえて考えるのをやめなかった。

 そこで答えを出してしまったら、きっと、自分は泣いてしまうだろうから。

 自分がこんなふうになってしまった理由を、他になんとか見いだしたかった。

 けれどそんなものは、頭の中のどこを探しても、ちっとも見当たらない。

 太陽はもう眠りにつこうとしているのに、人々の気配はこれから街で蠢きだす。

 それは上条には無関係のことだ。彼にとって重要なことは、そんなところには存在しない。




13:2011/03/02(水) 19:51:29.78 ID:a+jCRixGo


--------------------------------------◆-------------------------------------

 寮の自室に戻るとテーブルの上にラップの張られた食器が置かれていた。

 中身は少し冷めたチャーハンだ。それに貼られた書き置きは、土御門舞夏からだった。

 兄の方と疎遠になった今でも、彼女は何かにつけて上条を気遣ってくれる。

 どうやら、土御門元春と上条を仲直りさせたいという腹らしい。

 余計なお世話だとは思わないが、無駄だとは思った。

 別に、土御門とは喧嘩をしたわけじゃないし、嫌いになったわけでもないのだから。

 ただ、起こったこととこれから起こるだろうことが器用に混ざり合って、

 結果的に、上条は彼に自然に話しかけることが困難になり、土御門の方もそれは同様なのだと思う。




14:2011/03/02(水) 19:51:56.00 ID:a+jCRixGo


 舞夏の厚意に、いつまでも甘えるのはどうなのだろう。

 食事が摂れるのは助かるのだ。

 料理をしたり買い物をしたりというのは、もう、面倒でしかなかったし、自分のためのものだと思うと尚更不必要に思える。

 一晩ぐっすり眠れば食欲なんて消えているし、朝起きてコーヒーの一杯でも飲めば充分だ。

 どうしようもなく腹が減ったらコンビニでパンでも買って食べればいい。

 実際にそんな生活を送っていたのだが、あるときから舞夏は、上条の部屋にやってきて料理をするようになった。

 上条が拒否しないでいると、その内、自分がいないときに勝手に部屋に入ってくるようになった。



15:2011/03/02(水) 19:52:24.75 ID:a+jCRixGo


 迷惑だとは思わない。申し訳ない気持ちもあった。

 少し冷めたチャーハンを口に含む。やはり美味しい、と思う。それでも上条は、その味を素直に感じることができない。

 ぼんやりとした視界に覆われ、鬱陶しいほどの静寂に包まれ、そこに少し心地よい味覚が広がる。

 けれど、それを感じるのも、ぼんやりとしていて曖昧な、上条自身でしかない。

 ふと寂しい気持ちになって、舞夏の残していった書き置きのメモをもう一度見る。

「早めに食べること!」。丁寧な字で、それだけ書き残されていた。右端には名前もかかれている。

 書かれていなくても、誰だか分かったはずなのに。

 第一、その場にいない人間に「早めに食べろ」と言われても無茶だ。

 戻ってきてメモを見たときには、もう遅い時間になっていたのかも知れないのに。

 なんだかおかしくなって笑ってしまった。

 チャーハンを食べ終えてから、そのままフローリングに寝転がる。

 今度はなんだか、悲しくなって、また泣けてきてしまった。



16:2011/03/02(水) 19:52:52.88 ID:a+jCRixGo


 上条は食器を流し台に置いて水に浸しておいた。食器は、舞夏が次にやってきたときにいつも持って帰ってくれる。

 最初の内は洗って返したりもしていたのだが、最近ではそれもしなくなった。

 舞夏に対しては、本当に、申し訳がない。ベッドに倒れ込んで顔を枕に埋める。

 女々しい、と思った。でも、どうにもならない。

 しばらく寝転んで考え事をしていると、ふと嫌になって起きあがった。

 部屋の隅に置かれていた埃のついたエレキギターを手に取る。
 
 青髪ピアスが、ちょっと前に置いていったものだ。

 何でも知り合いから安く買い取ったものらしいのだが、

 彼は彼の思った以上にギターに熱中してしまったらしく、自分で新しいものを買い、古い方を上条の部屋においていった。




17:2011/03/02(水) 19:53:16.18 ID:a+jCRixGo


 アンプもシールドもないから大した音は出ない。弦だって張り替えていないからもう錆びている。

 上条自身はろくに弾こうとしたことなんてないし、気紛れに適当に鳴らすだけだ。

 青髪に少しだけ教えてもらった、曲とも言えないコードの連なりを弾く。

 E、A、D、A、E、A、D、A。単純なコード。薄暗い部屋に、陽気めいた音が響き始める。

 アンプがないとはいえ、自分一人の耳にはうるさいくらいよく聞こえた。

 指先に走る痛みを無視してギターを鳴らしていると、土御門舞夏がやってきた。

 彼女は玄関先で立ち止まることもなく、遠慮もなしに上条の部屋に入ってくる。

 文句は当然言えない。彼女の料理を食べているのだから。

「ギター弾いてたのかー?」

 間延びした声で訊ねられて、答えに詰まる。

 弾いていたと言えば弾いていたけれど、何かを弾こうとしていたわけじゃない。



18:2011/03/02(水) 19:53:42.17 ID:a+jCRixGo

 答える代わりに、延々とコードを鳴らし続けた。

 上条が答えないつもりだと気付くと、舞夏は小さく溜息をついてから流し台に立って洗い物をはじめた。

 それを見て、少しだけ罪悪感が燻る。

 本当はこんなことをしてもらう義理なんてないはずなのに、自分は舞夏の優しさに甘えている。

 舞夏は早々に洗い物を済ませて、食器を持って帰ろうとしていた。

「それじゃあ」

 笑って言う舞夏に、何かを言ってやらなければならない気がしたのに、それが分からない。

 けれど彼女の後ろ姿はどんどん遠くなって、そのうち声も届かなくなってしまう。

 とっさに、「ごめんな」という謝罪の言葉が口をついた。

 舞夏は振り返って、戸惑ったように眉を寄せた後、いつものような気楽そうな笑顔を見せて、
「ありがとうだろ、バカ」と短く言って去っていった。

 ああ、そうか。ありがとう、と言えば良かったのか。

 ギターをスタンドに立てかけて、またベッドに倒れ込む。

 このやりきれない気持ちはなんだろう。

 世話を焼いてもらえるのは嬉しい。助かる。でも、いつまでも続けられるのは苦痛だった。



19:2011/03/02(水) 19:54:08.47 ID:a+jCRixGo


 もう放っておいてほしい。どうせ自分はもう、ろくな人間じゃない。

 もう「おまえなんか嫌いだ」と投げ出して欲しかった。いっそ、いなくなってくれればいいのに。

 構わないでいてくれればいいのに。

 でもきっと、上条はこれから、彼女の厚意に甘え続けるだろう。

 寂しいからだとか、悲しいからだとか、そう言った気持ちの全部がないまぜになってどんどん固まっていき、
 ぐるぐるぐるぐると上条の中で渦を巻く。

 消えてなくなってしまえればいいのに。

 ――どうしてこんなふうになってしまったんだっけ。上条は考える。答えは既に出ていた。

 それでも思考を続けようとして、やめた。




20:2011/03/02(水) 19:54:35.58 ID:a+jCRixGo


 ベッドに寝転んでしばらく目を瞑っていると、いやな考えばかりが浮かぶ。

 ぐるぐると頭の中で回り出す。ダンスでも踊るみたいに、自分を刺すみたいに、ズキズキと走り出す。

 感情に名前をつけられない。悲しいのか、憎いのか、悔しいのか、悔いているのか、寂しいのか。

 どれもそうだと言えるような気もするし、どれも違うと言えるようにも思える。

 しばらく感傷に浸っていると、携帯電話から単調な着信音が響きはじめた。

 ディスプレイには、土御門元春の文字があった。用件は当然、仕事のことだろう。

 彼との関係も、随分殺伐としたものになってしまった。



21:2011/03/02(水) 19:55:04.13 ID:a+jCRixGo


 ■A


 少なくとも、死んだのは顔も名前も分からない男だった。

 確か、[ピーーー]必要はなかったはずだ。

 でも、抵抗が思った異常に激しかったから、[ピーーー]しかなかった。

 命令違反ではないはずだ。彼は晴れて行方不明となり、学園都市は潔白となる。

 どれだけ疑わしくとも、潔白となる。




22:2011/03/02(水) 19:55:30.00 ID:a+jCRixGo


 ■A


 少なくとも、死んだのは顔も名前も分からない男だった。

 確か、殺す必要はなかったはずだ。

 でも、抵抗が思った異常に激しかったから、殺すしかなかった。

 命令違反ではないはずだ。彼は晴れて行方不明となり、学園都市は潔白となる。

 どれだけ疑わしくとも、潔白となる。




23:2011/03/02(水) 19:55:57.04 ID:a+jCRixGo


 ◆C


 用事を終えて繁華街へと向かう。

 暗い場所から戻ってくると、どうにも誰かに会いたくなってしまう。

 相手は誰でもいい。日常を感じさせてくれれば、男でも女でも大人でも子供でも構わなかった。

 自分が日常の中に溶け込んでいるのだと信じさせて欲しい。自分が不自然な存在ではないと思わせて欲しかった。

 赤、黄色、青、オレンジ、紫の電飾。

 目が眩みそうなほどの、まがまがしい色と光に照らされた町並みが、ひどく恐ろしいものに思える。

 自分は何度同じことを繰り返すのだろう、と、ふと思った。




24:2011/03/02(水) 19:56:23.49 ID:a+jCRixGo


 寮への道を歩く途中で、御坂美琴に遭遇した。もう門限は過ぎているだろうに、今の時間まで何をしていたんだろう。

 一瞬だけ目が合うと、彼女はしまったとでも言うみたいに嫌そうな顔をした。

「よう」

 構わず声をかけると、彼女は返答に困ったように、小さな声で「オス」と言った。

「何してるんだ? こんな時間に」

 誰でもいいから話し相手が欲しい気分だった。ちょうどいい。けれど御坂の反応は、素っ気ない。

「なんでもいいでしょ」

 あなたには関係がない、とでも言うみたいに、彼女はそっぽを向いた。それを見て上条は肩をすくめる。




25:2011/03/02(水) 19:56:51.00 ID:a+jCRixGo


 彼女との関係も、つい最近の出来事で随分変わってしまった。

 彼女は絶対能力進化計画において、超能力者第一位である一方通行を強襲し、その妨害を謀ったが、失敗に終わった。

 その出来事から、まだ一週間と経っていない。

 彼女にとっては不思議なことに、その日を境に一方通行が実験の継続を拒否。

 更におかしなことに、学園都市上層部もその意思を優先させた。

 故に、絶対能力進化の計画は、現在では凍結している。

 再開させようという動きはあるらしいが、本人が乗り気ではないので、当然計画が進行することはない。

 彼に実験の再開を求めたとしても、彼は超能力者第一位、一方通行。強引な手に出れば返り討ちに遭うのが関の山だ。

 実質的にはもう再開されることはないだろう。



26:2011/03/02(水) 19:57:15.81 ID:a+jCRixGo


 御坂美琴にとっては、一方通行の唐突な心変わりは不思議以外の何ものでもなかったはずだ。

 ひょっとしたら、同じ顔の人間を殺し続けることでノイローゼにでもなったのかも知れない。

 絶対能力進化実験の折り、上条は御坂美琴に、手を出さない方がいい、と警告していた。

 それは単純に、御坂美琴が何かをしたところで何一つ変わらないだろう、という想像からだ。

 彼女が一方通行と戦えば彼女は死ぬ。樹形図の設計者が出した答えだ。

 けれど、結果的に彼女の行動が一方通行の心を動かすに至ったのだから、物事というものは考えた通りには進まない。

 その警告以来、上条当麻はどうやら、御坂美琴に軽蔑されているらしかった。

 こちらの言い分は特にない。
 
 クローンとはいえ生きた人間を殺害するような計画を、黙認しろ、と言ったのだから、言い訳のしようがない。



27:2011/03/02(水) 19:57:44.25 ID:a+jCRixGo


 樹形図の設計者が健在である以上、科学者たちは似たような実験をすぐにでも思いつくだろう。

 そしてその実験に巻き込まれるのは、今度こそ御坂美琴本人かも知れない。

 それなのに彼女はその可能性を一切考慮していないようだった。

 妹達は実験凍結と同時、治療の名目で各地に散っている。

 これらの情報はすべて土御門から聞いたものだ。彼に言わせれば、これも学園都市統括理事長の計画の内だとか。

 そして上条に言わせれば、そんなことはどうでもいいことだった。

 御坂美琴と軽く話をしてから別れて、寮の自室への道を歩く。

 不意に禁書目録の笑顔を思い出した。

 何もかもを赦すような寛大さが表出したかのような笑みだった。

 それを思い出して尚、上条の心は安らぎを得られない。

 むしろ、痛みはどんどんと増していく。自分は数々のことをしてきてしまった。今更戻れはしない。

 そしてそれだけ手を汚しても尚、何も取り戻せていない。上条は舌打ちをして、暑い夏の夜を歩く。

 行き場のない思いを抱えながら、彼は自分の部屋に戻った。



28:2011/03/02(水) 19:58:12.78 ID:a+jCRixGo


--------------------------------------◆-------------------------------------

 翌日の土曜日、午前中いっぱいベッドに埋もれてごろごろしていると、
 昨夜は隣の部屋に泊まったらしい舞夏が上条を起こしに来た。

 今度こそ余計なお世話だ。
 俺がいつ起きるかは俺が決める――と上条は言いたかったが、舞夏には日頃から世話になっているという負い目がある。

 強引な手に出られれば、従わざるを得ない。

 こいつは実は、弱っている自分に恩を売ることで好きに使おうとしているのではないかと考えそうになる。

 そんなはずがない。自分を従わせたところで、大したことなんてできやしない。

 大抵の人間はそれを分かっている。
 分かっていないのは、せいぜいアレイスター=クロウリーくらいのものだろう。

 そこまで考えて、舞夏とアレイスターを比べるのは馬鹿らしいにも程がある、と自嘲した。




29:2011/03/02(水) 19:58:46.79 ID:a+jCRixGo


 彼女が一緒にいてくれるのは、上条にとってひとつの支えとなっていた。

 他に、普通に接してくれる人間がいなくなりつつあるから、どうしても、
 たとえ兄の友人という義理でしかなくても、舞夏がそばにいてくれるのはありがたい。

 少しだけ、土御門が妬ましかった。

 強引にたたき起こされて、台所でせわしなく動く舞夏の後ろ姿を眺める。

 しばらくそうしていたが、気怠さに負けてテーブルに顔を載せて瞼を閉じた。

 眠くて眠くて仕方ない。最近は、暇な時間ができればいつもこうだった。

 いっそずっと目覚めなければいいのに、と思う。

 でもそれじゃあ、舞夏の料理は食べられない。それはちょっともったいない。

 そんなことを考えていると、鼻孔をくすぐる美味しそうな匂いが部屋に広がりはじめた。

 目覚めなくなるのは彼女の料理を食べてからでも遅くはないはずだ。




30:2011/03/02(水) 19:59:13.32 ID:a+jCRixGo

--------------------------------------◆-------------------------------------

「しゃんとしろ、しゃんと!」

 いつになくきびきびとした口調で言い切って、舞夏は上条の背中を叩いた。

 上条と一緒に朝食(彼女にとっては昼食だった)をとり、食器を手早く片づけたあと、
 彼女はすぐに土御門の部屋へと戻っていった。

 しゃんとしろ。ここ数ヶ月で何回言われたか分からない。

 そのたびに上条は適当に返事をして、やっぱりダメなままだ。

 しっかりしろだとか、元気を出せだとか、悩みがあるなら相談に乗るぞだとか、そういうのはもううんざりだ。
 もういいやめてくれ良い迷惑だ余計なお世話だ俺に構わないでくれ――と、そんなふうに言い返す気力さえない。

 どうでもいい。

 家でごろごろしていると舞夏に叱られる気がして、服を着替えて街へ出た。


31:2011/03/02(水) 19:59:39.38 ID:a+jCRixGo


 外はうだるように暑い。自然と全身に力が入らなくなる。

 ズボンのポケットに手を突っ込むと、何週間も前のレシートが入っていた。

 くしゃくしゃに丸めてポケットに戻す。

 財布の中身は確認していないが、一応何をしても困らないくらいの金額が入っているはずだ。

 支給額は少なくないし、それももう何ヶ月も続いている。だいぶ通帳の残高が増えてきた。

 金が目当てだったわけではないにせよ、預金が増えたのは良いことだ。

 街を歩いていると、ソフトケースにギターを担いだ青髪ピアスが、ベースを担いだ誰かと一緒に歩いているのを見かけた。

 ちょっと前まで口を開いても女のことしか言わなかったのに、今度はギターのことしか話さなくなった。

 よく分からない話題を振られるのは困るが、楽しそうなのは良いことだ。

 声を掛けずに通り過ぎる。



32:2011/03/02(水) 20:00:06.23 ID:a+jCRixGo


 青髪ピアスの姿が見えなくなったところで、目的地がなかったことを思い出した。

 仕方なしに公園に向かうと、御坂美琴がベンチに座っていた。

 声を掛けるか、そのまま去るか、散々迷った挙げ句、やはり話しかけてみることにした。

 御坂は最初、ひどく驚いた様子だったが、
 声をかけた相手が上条だということに気付くと、何の感情も浮かんでいないような表情で上条を見た。

 ちょうど、妹達の表情に似ていた。

 上条が隣に腰を掛けると、御坂は後ずさるように距離を広げた。少し傷つく。

「なにしてんだよ、こんなとこで」

 訊ねるが、そこに大した意味はない。むしろ、自分がここで何をしているのかの方が、上条にはよほど疑問だった。

「別に、なにも」

 御坂は何の感慨も含まれていないような澄んだ声音で答えた。上条は、そうか、としか言えない。



33:2011/03/02(水) 20:00:34.07 ID:a+jCRixGo


「アンタは?」

 てっきりすぐに立ち去るものだと思っていたら、意外にも御坂は会話を続けた。喜ぶべきなのかどうかは分からない。

「別に、俺も何も」

 事実、何の目的もなくここに来ただけだ。ただ退屈をもてあまして、偶然見かけた彼女に声を掛けたにすぎない。

「暑くないか?」

 御坂は、言葉に反応してか、こちらに顔を向けた。やはり、悲しげなほどの無表情だった。

「どっかに入らない?」

 上条はまったく答えを期待せずに誘った。

 どこかで涼みたい、という考えから生まれた言葉に、不思議なことに、彼女は小さく頷いた。




34:2011/03/02(水) 20:01:06.98 ID:a+jCRixGo


--------------------------------------◆-------------------------------------

 近場のファミレスに入って、適当に注文してから御坂の姿を眺めた。

 彼女はちらりともこちらを見ようとしない。おかしな話だ。

 自分と一緒にいるのがいやなら、何もこんなところについてくる必要はなかったのに。

 彼女と自分が一緒にいても会話が生まれない。生まれるのは沈黙か不快感だけだ。

 自分は彼女と一緒にいても快も不快もないのだが、彼女の側としてはそうもいかないだろう。

 何かを言うべきだろうかとも考えたが、すぐにそれはやめた。

 何かを話すべき空気ではあるが、話すべきことがなにひとつなかったからだ。



35:2011/03/02(水) 20:01:32.85 ID:a+jCRixGo


「あのさ」

 上条が黙ったままでいると、彼女の方から口を開いた。まさか、口を利くとは思わなかった。

 咄嗟に反応できず口をぽかんと開けていると、彼女は「どうしたの?」と怪訝そうに眉を寄せた。

「いや、何でもない。なに?」

 問い返すと、御坂は言いづらそうに身体を揺する。どういう言い方をするべきか、迷っているようだ。

 御坂はしばらく自分の中で言葉を選んでいたらしいが、結局口にしたのは「最近どうなの?」という定型句だけだった。

「どうって?」

 調子とか、と、彼女は曖昧に言う。上条はその言葉に考え込んでしまう。

 調子はよろしくない。かといって目の前にいる人間に絶不調だなんていうのも気が引ける。

「ぼちぼち」

 自分で納得できる答えを口にすると、彼女は上条から答えが返ってきたことに、安堵しているようにも見えた。

 きっと、気のせいだろうが。


36:2011/03/02(水) 20:02:10.04 ID:a+jCRixGo


 上条がそれ以上何も言わないでいると、御坂は困ったような顔になった。

 何か言いたいことがあるのだけれど、どう言えばいいか分からない、というような表情だった。
 いったいどうしたんだろう。

 上条は彼女が何かを言い出すまで待ってみようと思ったが、それより先に注文が届いた。

 気まずい沈黙に包まれたまま、互いに目を逸らす。

 男女ふたりでファミレスに入り、一緒に食事をしておきながら、ここまで会話が生まれないのは、
 自分たちだけではないだろうか、と上条は思った。 

 御坂の注文の方が早く届いたので、彼女の食事の様子を観察してみることにした。

 ハンバーグ、サラダ、ライス、ポテトと一皿にのせられた定食。

 彼女はナイフとフォークを使ってハンバーグを頬張り、リスのようにもぐもぐと咀嚼する。

 じっと眺めていると、目が合って、じとっと睨まれた。それを見てあからさまな視線ははずし、窓の外を眺める。

 昨夜の薄曇は消えてなくなって、今日はさわやかな晴天だった。

 おかげでとても暑い。


37:2011/03/02(水) 20:02:35.81 ID:a+jCRixGo


 しばらく外を眺めていても、自然と上条の視線はふたたび御坂の方を向いてしまう。

 彼女はそれに気付くと、諦めたように、あるいは呆れたように目を逸らした。

 じっと見ていると、彼女の食事が抽象的なイメージを孕んで意味を持ち始めた。

 彼女の食事は丁寧で、器用で、上品だ。さすがお嬢様だ、と思うが、徐々に違和感が湧いてくる。

 丁寧に肉の塊を切り分け、フォークで突き刺し、口に運ぶ。歯で良く噛み、飲み込む。

 サラダも同様に、器用にフォークに乗せ、口の中へと入っていく。

 ポテトをフォークで突き刺し、飲み込む。

 延々、それが繰り返される。
 延々、延々、繰り返される。

 なぜだか、その上品なはずの光景が、とても汚らわしいものに見えた。

 胸焼けを起こしたような気分の悪さを感じて、上条は席を立つ。

 御坂は戸惑ったように顔を上げたが、手で待つように制した。

 彼女は何がなんだか分からないという顔でこちらを向く。

 上条は「ちょっとごめん」と短く告げて、なかば走るようになりながらトイレへ向かった。

 洗面所にたどり着いて息をつく。鏡と向かい合う。青白い顔をした不健康そうな男がそこにはいた。



38:2011/03/02(水) 20:03:02.22 ID:a+jCRixGo


 上条の頭に、禁書目録の笑顔が浮かんだ。

 ――ぼんやりとした光景が、具体的な映像を伴っていく。

 赤い景色。オレンジの空。轟くような音。雑多な人混み。無力な雨。血だまり。禁書目録の笑顔。

 誰かの咳き込む音が聞こえる。誰かが助けを呼んでいる。

 上条はそれに応えることができない。

 誰かが微笑んで、皮肉めいたセリフを遺す。

 暗い感情が湧き出てきて、上条の頭を強く灼く。

 気配がどんどんと広がっていって、どんどんと息苦しくなって、上条の身体を蝕んでいく。

 それは彼女も同じはずなのに、彼女は不思議と笑っていて、苦しげな表情を精一杯歪めて、微笑んだ。

 もうあの光景は現実にはないはずなのに、思い出すだけでとても苦しい。

 どうして彼女はいなくなってしまったのだろう。

 何一つ彼女に言い返すこともできない内に、上条当麻はその機会を失ってしまった。

 そしてどう足掻いたところで、二度と彼女には会うことはないのだろう。



39:2011/03/02(水) 20:03:37.43 ID:a+jCRixGo


 気持ちを落ち着かせてから席に戻ると、御坂はメロンソーダをストローで啜りながらこちらを睨んだ。

 何も問い返してはこない。それはそうだ。

 連れが必死そうな表情でトイレに駆け込んでいったら、聞くべきことなんてない。

「悪い」

「別にいいけど」

 短く言って、彼女はストローから口を離した。上条の料理は既に届いていて、少し冷めている。

「やっぱり、アンタおかしいわよ?」

 御坂は、さっきまでとは違う、自然な口調で言った。

「最近ずっと思ってたんだけど、ちょっと、限度があるわ。様子が変って程度の話じゃないわよね?」

 上条は答えに窮する。自覚はあった。当然だ。でも、それを上手く説明する手段を、上条は持ち合わせていなかった。

「ごめん」

 とにかく、と謝罪すると、御坂は柳眉を逆立てて表情を一変させた。

「――誰が謝れって言ったのよ」



40:2011/03/02(水) 20:04:03.63 ID:a+jCRixGo


 御坂は顔を紅潮させて怒りをあらわにした。

 上条は、彼女が何に怒っているのか、まるで見当がつかなかった。

 また、悪い、と謝罪しそうになって、堪える。

 彼女はそれを察したのか、怒りを尚更強めた。やはり、関わるべきではなかったかも知れない。

「アンタ、今何に対して謝ったの? 私、アンタに謝られなきゃいけない理由がないんだけど」

 今度こそ、上条の口から、ごめん、と声が漏れ出た。

 ああもう、と御坂は髪を掻き上げる。



41:2011/03/02(水) 20:04:29.98 ID:a+jCRixGo


 彼女は何を怒っているのだろう。いずれにせよ、自分が彼女を不愉快にさせたのだろう、ということだけは推測できた。

「――もういいわ」

 彼女はそう言って、伝票を掴んで立ち上がった。

「おい、俺が奢るって――」

 言ってはいなかったけど、そのつもりだった。

「いいわよ、別に。アンタの分もついでだから払っとく。恩に着せようとか、そういうんじゃないから気にしないで」

 言葉は優しいのに、表情は氷のように冷たかった。

 御坂が去ってから、上条はテーブルの上に残された自分の分の食事を少し手をつけただけで、すぐに店を出た。



42:2011/03/02(水) 20:04:57.04 ID:a+jCRixGo


 どこか寂しげな雰囲気の街を歩きながら、上条は禁書目録のことを考えた。

 空から降ってきた少女。自らを十万三千冊を所持する魔道図書館だと呼んだ少女。

 地獄の底までついてきてくれるかと、寂しそうに訊ねた少女。

 彼女のことを思うと、上条は記憶の奥の、赤い血だまりを思い出してしまう。

 あの何もかも焼き尽くすような熱の中に溺れて、あの哄笑に紛れて、自分は――。

 彼女の笑顔を思い出す。あのとき彼女は、なんと言ったんだっけ。

 ずきり、と頭が痛む。思い出せない。それはとても、大事なことだったはずだ。


43:2011/03/02(水) 20:05:24.80 ID:a+jCRixGo


 ◇A


 土御門元春が死んだと聞いたとき、僕は恋した人を弔っていた。

 禁書目録――彼女はここ学園都市で、自らの持つ十万三千冊の魔道書を狙う魔術師から逃れるため、
 ビルとビルの屋上を飛び跳ねていた。

 言うまでもなく、追っていた魔術師は僕のことだった。

 彼女は足を踏み外し、学園都市の高さ十数階のビルの屋上から頭から飛び降りて死んでしまった。

 本来なら彼女は、歩く教会の加護によって無事に済むはずだった。

 けれど屋上から彼女の姿を追った僕の目には、アスファルトに赤い液体が花咲くように広がっていくのがとてもよく見えた。

 徐々に赤に染まっていく景色。姿。あの日からもう二年が経つ。



44:2011/03/02(水) 20:05:53.88 ID:a+jCRixGo


 僕はこれまで、彼女の死んだ場所――学園都市を訪れることができなかった。

 けれどせめてもう一度だけでも、と決別のために、花を手向けるために、命日に近い七月の今日、僕はここを訪れた。

 ちょうど学生寮となっている建物の隣、そのビルとビルの間で、彼女は死んでしまった。

 僕はここを思い出すたびに、あの赤い花を思い出してしまう。そうすると僕は、どうしても考えずにはいられない。

 彼女の歩く教会が壊れてさえいなければ、僕が追いかけることがなければ、彼女を追いつめることがなければ――
 たくさんの「もしも」が溢れ出て、僕の心を苛み始める。

 自分が何もしなければ、彼女は死ぬことはなかったのではないか。

 決して幸福とは言えないまでも、せめて生きていることはできたのではないか。

 そう考えるたびに僕はとても苦しい。過ぎてしまったことはどうにもならないと分かっているからだ。
 起きてしまったことは既に起き、終わったことは既に終わってしまっている。もう今更どうしようもない。



45:2011/03/02(水) 20:06:20.08 ID:a+jCRixGo


 今、僕の前には、何もない。いろんなものを失ってしまった。それこそさまざまなものを。

 愛する人を失った僕に残されているのはせいぜい、その結末を導いた自らの両手ぐらいのものだ。

 よく、二年生きていられたと思う。

 煙草を吸いながら感傷に浸っていると、嫌がらせのようなタイミングで携帯電話が鳴った。

 ディスプレイには神裂火織の名前が表示されていた。

 仕事仲間で、自分にとっても彼女にとっても、禁書目録の少女は無二の友人だった。

 電話の内容は土御門元春の死んだ後の仕事の割り振りについてらしい。

 彼が大事にしていた義妹はどうなったのだろう、と考えてみるが、僕は彼の妹の名前も姿も知らなかった。

 いや、知っていたかもしれないが、覚えていない。

 二年前のあの日から、すべてが薄ぼんやりとした膜に包まれているように見えた。


46:2011/03/02(水) 20:06:47.18 ID:a+jCRixGo


 土御門元春の顔を思い出そうとしながら、僕は携帯電話の通話終了ボタンを押した。

 僕が彼女の弔いに行こうとしていたことは知っていたはずなのに、死に際まで嫌がらせのような男だ。

 彼女はどうして死んでしまったのだろう。歩く教会はなぜ効力を失っていたのか。

 彼女はなぜ、完全記憶能力を持っていて、十万三千冊の記憶を義務づけられていたのか。

 なぜ一年ごとに記憶を消さなければ生き延びられなかったのか。

 そして僕は、なぜ彼女を追いつめなくてはいけなかったのか。

 無数の、答えるアテもない問いが僕の中で渦を巻き始める。

 学園都市の空はどんよりとした薄曇りだった。灰色の雲がとぐろを巻いている。



47:2011/03/02(水) 20:07:12.95 ID:a+jCRixGo


 僕は彼女が飛び降りたビルとビルの間に向かった。

 二年も経ったのだ。彼女の死体の面影すらも残っていない。

 そこはもう、ただの地面でしかなかった。

 忌々しいはずの記憶なのに、なぜだろう、自分の中で、彼女の痕跡が残っていればいいと望む自分に気付いていた。

 学生寮のエレベーターを利用して最上階まであがり、屋上には階段で向かった。

 灰色の空が近くに感じられた。学園都市を見下ろすと、あらゆる近未来的な機器や科学技術に溢れていた。

 風力発電用の風車が小さく見えた。学園都市は広い。

 呪わしいほど、広い。その様子は、二年前とほとんど変わっていない。

 あの日から時間が止まってしまったようだった。




48:2011/03/02(水) 20:07:39.02 ID:a+jCRixGo


 ――土御門が死んだ。どうしてだろう。悲しいというよりも、喪失感の方が大きかった。

 ペットが死んで涙を流す子供たちの前で、自分も確かに悲しいのだけれど、涙は出てこない――そんな気分だった。

 彼はどうして死んだのだろう。そもそも、土御門元春がいた場所は、この学園都市ではなかっただろうか。

 だとすれば彼は、この街のどこかで永遠に喪われてしまったのだろうか。

 僕は右手に持った花束を投げ捨てた。

 こんなとき、どんな花を選べばいいのかは分からなかったので、
 彼女が、ステイル=マグヌスが愛した彼女が愛した、白い、白い花を持ってきた。

 名前も知らない。彼女は、それでも喜んでくれる気がした。

 ――それはただの錯覚なのかもしれないけれど。



49:2011/03/02(水) 20:08:21.25 ID:a+jCRixGo




 手向けの花束が宙に舞う。僕の手から放たれたそれが、放物線を描きながら、緩やかに落ちていく。

 それを見届け、見失った。ビルの隙間に落ちた花束は、彼女の修道服とよく似た色をしていた。

 鼻先に、ぽつり、と雨粒があたる。降り出してきたようだ。時間はない。急がなければならない。

 けれど、雨粒を遮るように強い風が屋上に吹き抜けたとき、風のなかで声が聞こえた。

(こっちだよ、ステイル――)

 その瞬間。

 寄りかかっていた屋上の手すりが倒れ、冷静な判断をする間もなく、僕は花束を追いかけることになった。

 気付けば虚空に投げ出され、とてつもなく長い時間に思える浮遊に僕は身を任せていた。

 彼女も、こんなふうに墜ちたのだろうか。落下しつつあるなか、僕の頭を過ぎったのは、そんな考えだけだった。


--------------------------------------◇-------------------------------------



50:2011/03/02(水) 20:08:54.04 ID:a+jCRixGo


 ◇B
 

 目を醒ますと、見知らぬ少女が目の前に立っていた。見覚えも心当たりもない。

「アンタ、今……」

 女は、怪訝そうな表情で僕を睨んだ。

 夕陽と彼女の姿が重なって、彼女の表情を見ることが難しかったが、初めて会う相手だということだけは分かった。

 ――なんだか妙な気分だった。頭がズキリと痛んで、正常な思考ができない。判断力が奪われてしまったようだ。

 身体を起こすと、学園都市に日没が迫っていた。僕の身体は、忘れもしない、彼女が墜ちた忌々しい場所に寝転んでいた。

「君は……?」

 わけがわからず、とにかく状況を把握しようと訊ねた声に、彼女は戸惑うような態度を見せる。



51:2011/03/02(水) 20:09:22.65 ID:a+jCRixGo


 ズキズキと痛む頭に手を当てながら、溜息をつく。

 記憶ははっきりとしていた。

 どうしてこんな場所で目覚めたかは分からないし、彼女が何者かは分からないが、
 自分が彼女を弔う為に学園都市のこの場所に来たということだけははっきりと思い出せた。

 僕が黙っていると、彼女は警戒するように後退った。

 立ち上がり、周囲の様子をうかがう。そこで違和感に気付いた。

 けれど具体的に、何がどう違うのかは分からない。

 何かが、決定的に変化しているように思えるのに、なにひとつ変化していた場所はなかった。

 けれど、確実に何かが――それも、大きく、変遷してしまっている。そう感じる。



52:2011/03/02(水) 20:09:49.72 ID:a+jCRixGo


 時刻を確認しようと、ポケットから携帯電話を取り出そうとしたところで、それが足下に転がっていることに気付いた。

 その上、ディスプレイが砕けて使い物にならくなってしまっている。

 ――どうやら屋上から堕ちたのは確かなようだ。と、そこで事態の異常さにようやく気付いた。

 なぜ僕は無傷なのだろう。慌てて辺りを見回してみるが、何もない。……何もない?

 ここは彼女の死んだ場所だ。間違いはない。

 僕は彼女の命日に近い七月の今日、花を手向けにこの場所までやってきた。

 そして屋上から彼女が愛した白い花を放り投げ、その後、自らの身体は空中に投げ出された。

 周囲を見回しても、彼女の為の花束はどこにも見当たらない。誰かが片付けた? だとすればお笑いぐさだ。




53:2011/03/02(水) 20:10:15.55 ID:a+jCRixGo


「君」

 声をかけると、目の前の少女は驚いて身体を震わせた。敵意はないのだし、こんなに警戒されると少しだけ不愉快だ。

「今が何時だか分かるかい?」

 訊ねると、彼女は怪訝そうな表情をして、携帯電話を取り出した。

「四時半だけど」

 さっきとそう変わらない時間。自分が意識を失っていたのは、たった数分。

 ――この建物の天辺から落下しておいて? 無傷で? バカげている。

「今日は何月何日?」

 続けざまの質問に、彼女はあからさまに不愉快そうに顔を顰めながら答えた。

「八月二十三日」

 その答えを聞いて、ようやくこの違和感の正体に気付いた。


54:2011/03/02(水) 20:10:41.52 ID:a+jCRixGo


「……なんだって?」

 僕は今日、彼女を弔いに学園都市にやってきた。彼女の命日に近い七月の今日、七月二十八日に。だから聞き間違えのはずだ。

「だから、八月二十三日」

 愕然とする。悪い冗談か何かか――あるいは、白昼夢でも見ているのか。思わず足から力が抜け、地面に膝をつく。

「ちょっと、大丈夫?」

 一体何が起こっている? まさか僕が一ヶ月近くこの場で眠っていたとでも言うつもりだろうか。バカげている。

 今日は七月二十八日で、彼女は死んでいて、手向けの花はなくて、
 携帯は粉々に砕けているのに自分は無傷で、八月二十三日だという。

 わけがわからない。海から連れてこられた魚が、水槽に入れられたときはこんな気分だろうか。

 何がどうなっているか分からない。何が起こっているのだろう。

「どうなっている……?」

 思わず漏れ出た声に、応えるものはいなかった。


55:2011/03/02(水) 20:11:08.46 ID:a+jCRixGo


----------------------------◇-------------------------------------


 僕を強引に歩かせて、付近のファミリーレストランに連れ込んだ少女は、御坂美琴と名乗った。

 具合が悪そうだとかいうわけのわからない理由で、僕の手を引っ張って。

 ただでさえ混乱しているのだから放っておいて欲しいとも思ったが、
 他人に話してみることで現状を整理してみることもいいかも知れない。

 その前にコンビニエンスストアに立ち寄り、新聞で今日の日付を確認した。

 八月二十三日。違和感があったが、それは当たり前のことだ。

 念のため彼女の携帯電話のディスプレイでも日付を確認した。彼女の言うことに間違いや嘘はなかった。


56:2011/03/02(水) 20:11:41.66 ID:a+jCRixGo


 彼女は席につくと早々に僕の分まで注文を済ませて、こちらを向き直った。

「アンタ、何者?」

 何者、と問われても答えようがない。

「ステイル=マグヌス」

 一応の礼儀として、名乗っておく。

 かといって名前を聞いたところで、彼女が僕に関して何かを理解することはないだろう。

 彼女の名前を知ったところで僕は彼女について何も分からないし、彼女の方もそれは同様だ。

 名前なんていうものは、せいぜいその程度の価値しか持たない。



57:2011/03/02(水) 20:12:08.15 ID:a+jCRixGo


 僕がそれ以上何も言わないでいると、彼女は焦れたように口を開いた。

「質問を変えるわね。アンタ、空間移動能力者か何か?」

 テレポーター。学園都市で行われている超能力開発のカリキュラムに関しては詳しくないが、
 想像するにテレポート、異なる座標への物質の転移を力の主とする能力者のことだろう。

 だが、何故彼女は僕を空間移動能力者だと錯誤したのだろう。

「……何故?」

 疑問を口にすると、彼女は困ったように眉間を寄せた。その仕草はどこか子供っぽい。

「何故って、さっき、突然現れたでしょう」

 突然、と聞いて彼女と自分の認識に齟齬があることに気付く。

「どんな風に?」

「そう訊かれても、上手く答えられないけど……でも、空間移動とは違って、まるで空間を歪めて、そこに現れたみたいな……」


58:2011/03/02(水) 20:12:34.87 ID:a+jCRixGo


 抽象的で要領を得ないが、彼女の認識だと「空間移動」とは別種の事象に見えたらしい。

 事実、空間は移動していない。場所は何一つ動いていない。動いたとすれば、時間。

「御坂美琴、と言ったかな?」

 名前を呼ぶと、ブツブツと口の中で思考を漏らしていた彼女は驚いてこちらを見た。

「何?」

「もう一度確認するけれど、今日は八月の二十三日、ということでいいかい?」

 ということで、もなにも……、と御坂美琴は怪訝そうに目を細める。

「八月二十三日よ」

「そうだね、八月二十三日だ」

 さきほど新聞で確認した。今日が八月二十三日だというのは間違いないだろう。

 けれどその事実は、僕の認識とは大きく異なる。



59:2011/03/02(水) 20:13:03.20 ID:a+jCRixGo

「僕はね、七月二十八日、学園都市にやってきたんだ」

「……そうなの?」

 彼女は、それがどうかしたのか、というように首を傾げた。

「弔いに来たんだよ。彼女が死んでから、二年が経った。だから、命日に近い七月の末に、学園都市にやってきた」

 そう言うと、彼女は困ったように表情を強ばらせた。どう反応していいのか分からないのだろう。

 自分でも、その話をする必要性がまったく思い浮かばなかった。

「でもね、不思議なことに、今は八月の二十三日なんだ」

「……は?」

 御坂美琴は口をぽかんと開けてこちらを見る。

「バカにしてるわけ?」

「そんなつもりは毛頭ない。事実を言っているだけだ」

 僕の認識としてはまさにそんな風だ。


60:2011/03/02(水) 20:13:36.10 ID:a+jCRixGo


 七月二十八日、土御門の訃報を受けて、学園都市のとある学生寮から白い花束を放り投げた。

 そのとき、風に煽られて手すりにもたれかかると、それが壊れ、自分は空中に身体を放り出されることになった。

 そして目が褪めると、御坂美琴が目の前にいた。ワケが分からない。

 それを言い切ると、彼女も彼女で、納得したように頷いた。

「へえ、そうなんだ」

「信じるのかい?」

「嘘なの?」

 嘘じゃないよ、と答えると、彼女は小さく溜息をついた。

「信じてやっても私に害はない。面白そうな話だし、暇つぶしがてら聞くだけ聞いてみようってだけよ」



61:2011/03/02(水) 20:14:02.20 ID:a+jCRixGo


 さて、と彼女は言葉を続けた。

「アンタの話によると、えっと……」

「ステイル=マグヌス」

「――ステイルは七月二十八日から八月二十三日にかけて、屋上から落下して意識を失い、
 目が覚めたときには一ヶ月が経過していた……と捕らえるのが、不幸なことに一番現実的ね」

 屋上から落下しても無傷で、
 一ヶ月も誰に見とがめられることもなく同じ場所で眠り続けることが一番現実的だなんて、随分おかしな話だ。

 彼女もそれに気付いたのだろう、言い終えてから苦笑した。

「まぁ、現実的とは言ったけど……あり得ないわよね。一ヶ月も眠ってれば、誰かが見つけて救急車を呼んでもおかしくないわけ。
で、疑問なんだけど、結局アンタって何者なの? 見たところ学生じゃないみたいだし、研究者や職員って風でもないわよね?」

 僕は煙草の箱を服のポケットから取り出してから、
 座席の脇に置かれたプレートを見て、ここが禁煙席だということに気付き舌打ちした。

「外部の人間だよ。侵入方法は企業秘密。できれば通報しないでもらえるとありがたいね」

 僕の答えに、御坂美琴は不思議そうな顔をした。



62:2011/03/02(水) 20:14:28.31 ID:a+jCRixGo


「……アンタの話を信じる限り、ステイル、随分非常識な目に遭っているみたいだけど……冷静ね?」

 僕自身も、それには気付いていた。

「信じてもらえないかも知れないが」と前置きして、彼女の疑問に答える。

「非常識な目に遭うと、人間は妙に冷静になるものらしい。信じがたいことが立て続けに起こるとね。
 僕自身、なぜ僕がパニックを起こさないのかが分からない。一応、混乱はしているのさ」

 そういうと、彼女は納得したように頷いた。

「そう。まぁ、そういう気持ちも分からないでもないけど」

 話を続けるわね、と彼女は言った。

「一ヶ月眠っている以外の可能性を考えると、超自然的な発想に行き着いちゃうわね」

「超自然的?」

「タイムスリップ」

「タイムスリップ?」

 タイムリープとも言うわね、と彼女は頷いた。その言葉のあまりに現実感の薄さに、拍子抜けする。



63:2011/03/02(水) 20:14:54.77 ID:a+jCRixGo


「別に冗談で言ってるわけじゃないわよ」

 彼女が言い切ったところに、ウェイトレスがメロンソーダとコーヒーを持ってきた。

 彼女はメロンソーダを引き寄せて、手持ちぶさたを誤魔化すようにストローでそれをかき混ぜ始める。

「七月二十八日に学生寮の屋上から落下したステイル=マグヌスは、そのとき何かの拍子に巻き込まれて、
 八月二十三日にタイムスリップすることになった。そう考えるのが自然よね、アンタの認識が正しいなら」

 バカな、と思う。

「タイムトラベルなんてあり得るのか?」

「あり得ないと思うわよ、個人的には。でも、タイムトラベルがあり得るかどうか、なんて、
 現実には何の問題にもならない議論よね。
 実際にあり得てしまえば。所詮、その手の議論なんて仮定に仮定を重ねてるだけだから、たったひとつの現実には敵わない」

 現実として、アンタがタイムトラベルしたと捉えればね、と彼女は言う。

「ちょっと待ってくれ」

 僕は彼女の言葉を制するが、彼女は驚くでもなくメロンソーダを啜っている。他人事なのだから当たり前といえば当たり前だ。



64:2011/03/02(水) 20:15:28.47 ID:a+jCRixGo


「僕が一ヶ月未来にやってきたって言いたいのか?」

「他に捉え方がある? って聞いてるの」

 あそこにカレンダーが貼ってあるわね、と彼女はレジスターのおかれている会計のカウンターの中を指さした。

 日付は八月。違和感がある。その理由は分からないが、一ヶ月のズレが生じているとすれば、不自然なことではない、とも思う。

「……悪い夢でも見ている気分だ」

「アンタの言葉と認識が、間違っていなければ、の話だけどね」

 一体、何がどうなっているのか分からない。

「問題があるとすれば」

 彼女は呆然とする僕を放って、言葉を続ける。パズルでも解いている気分なのかも知れない。気楽なことだ。

「ステイル=マグヌスがいなくなった一ヶ月の間、何が起こったか、ね」

「……何が起こったか?」



65:2011/03/02(水) 20:15:56.71 ID:a+jCRixGo


「……どういう意味だ?」

 ストローでメロンソーダを啜ってから、だからね、と彼女は子供を諭すように言った。

「アンタがいなかった一ヶ月の間、アンタを取り巻く世界はどうなっていたのか、という疑問よ。
 アンタが行方知れずの扱いになっていたのか、あるいはアンタの変わりに別のステイル=マグヌスが現れていたのか」

「ちょっと待ってくれ。別の「ステイル=マグヌス」っていうのはなんだ?」

 さあ、と彼女は首を傾げる。

「タイムスリップなんていう超自然が許されるなら、
 ドッペルゲンカーが誰かがいた場所に取って代わろうとしてもおかしくないかな、って思っただけ。
 あとは……そうね。現在、八月二十三日にいるステイル=マグヌス――
 つまりアンタが、これから七月二十八日に戻って一ヶ月を過ごす、という可能性もないではない」

 いずれにせよ、と彼女はいやに冷静な声で言った。

「何が原因でそんなことが起きたのか、どうすれば七月二十八日に戻れるかは分からないんだけどさ」
 
 御坂美琴はしばらく黙っていた。

 僕は彼女の言葉を反芻して、何とか自分の身に起こったことを理解しようと努めたが、何がなんだかまるで分からなかった。

 自分の思考が空転している。それでも何とか考えようとすると、頭がズキリと痛む。



66:2011/03/02(水) 20:16:27.37 ID:a+jCRixGo


「タイムトラベル……SFなんかだと、何パターンかに原因は分けられるわね」

 話を再開した彼女に、続けてくれ、と目で促す。

「まず、タイムマシンを利用した時間移動。
 これは使用者も任意で、現在から過去、未来、あるいは逆に、未来、過去から現在へと行き来する。
 まぁその場合、現在ってどこ? っていうことになっちゃうんだけどね」

 そもそもタイムマシンによる時間移動が可能なら、
 過去未来という概念は時間の流れとは別のところに辿り着いてしまうと彼女は言う。

「すまない。そういう話はどうでもいいんだ」

「……そうね。今は原因の話だっけ」

 彼女は一旦言葉を句切って、メロンソーダをまた啜る。

「次は、天変地異。たとえば地球に巨大隕石がぶつかった影響で時空間にゆがみが発生して……みたいなの」

 まぁ、これはないでしょう、と彼女は結論づけた。

「なぜ?」

「だってアンタ、過去から来たんでしょ? そんなことが起こってたら、私たちが平然と暮らしてるのは変じゃない?」

 そうだろうか。もしかしたら超自然的な影響で、
 世界そのものが変化してしまった可能性だって――とまで考えて、自分が彼女のSF談義に毒されていることに気付く。



67:2011/03/02(水) 20:16:53.22 ID:a+jCRixGo


「天変地異の場合、「世界そのものが変わってしまった」可能性がないわけではないわ」

 つまり彼女はこう言いたいらしい。何らかの天変地異によって世界そのものが変わった場合、
 僕ひとりだけが変化から取り残されただけで、他のすべては変化してしまった。

 つまり、変わったのは僕ではなく世界の方という可能性だ。

「まぁ、面倒だからこっちは省くわ。こんなの考えたってどうしようもないし」

 僕はタイムマシンを使っていないし、天変地異にも巻き込まれていない、と思う。

 次に彼女が挙げた理由は、もっとも単純なものだ。

「意思による時間移動」

「意思?」

 そう、意思。彼女は頷いてから、ウェイトレスに追加の注文をした。

 ハンバーグランチ。もうランチという時間ではないのに、なぜそんなものが注文できるのだろう。

「何者かの超越的な意思、あるいはアンタ自身の意思が、偶然にも叶ってしまった可能性」

「何者か……」

 その瞬間、僕の頭に屋上で聞いた声が思い出された。

(こっちだよ、ステイル――)

 あの声は、聞き間違えようがない……けれど、幻聴のはずだ。幻聴の、はずだ。



68:2011/03/02(水) 20:17:19.60 ID:a+jCRixGo


 けれどこの場合も疑問が残る、と彼女は言う。

「疑問以前に、そもそもそんなこと、あり得るのか?」

 だから、と彼女は焦れたように声を荒げた。

「可能性の話なの。
 それに、物理法則だのなんだのに当て嵌めたらどう考えてもあり得ないようなことも可能にしてしまうから、
「超越的な意思」って言ってるのよ。ついでに言えばあり得るかどうかはもう問題じゃない。
 実際問題、アンタがここにいることがすべての証明でしょ」

 世界五分前創造仮説というものを思い出す。世界が五分前に創られたかも知れない、という懐疑主義的思考実験。

 つまり彼女が言いたいのは、そういったことを可能にする超越的な力によって、
 僕がタイムトラベルをすることになったという意味?

 ――何の意味があって?

「この考え方で生まれる疑問っていうのは、『誰が何の為に』、よ。
 百歩譲って『誰が』は『神様』にでもするとして、『何の為に』は『気紛れ』じゃ納得がいかないでしょ」

「……つまり、僕がこの時間にやってきたことは何かの意味があるという意味かい? ……どうせ訪れる未来なのに?」

「一ヶ月前のアンタがここに来ることに、何か意味があるのかも知れない。逆に、何の意味もないのかもね。
 でももし『何者か』がアンタにして欲しいことがあってこの時間にアンタを送り込んで来たとしたら、
 それをこなすことでアンタは元の時間に戻れるかも知れない。戻る理由があるのかは疑問だけどね」

 彼女はそこで言葉を切った。しばらくするとウェイトレスがハンバーグランチを届けて伝票を置いていった。

 ご注文は以上でおそろいでしょうか。できればこの異常な状況から抜け出す術も持ってきてほしい。



69:2011/03/02(水) 20:17:45.22 ID:a+jCRixGo


 彼女がフォークとナイフを使ってハンバーグを切り分ける姿を見て、妙な既視感に襲われたが、それは多分、ただの錯覚だろう。

 じっと食事の様子を見ているのもなんなので、視線を動かして、店内を眺めてみることにした。

 会計のカウンターの中。さっきと同じカレンダーがある。

 ふ、とした違和感に気付き、カレンダーにおかしなところはないかと確認してみる。

 八月のカレンダー。曜日、日付。……何かがおかしい。

 左上に年数がかかれていた。それを見て、思わず驚いて立ち上がる。御坂美琴が目を瞠ってこちらを見た。

 カウンターまで歩いてカレンダーを近くから眺める。店員が訝しげにこちらを見ていた。

 柱に掛けられた時計。五時。カレンダーは八月。隣に掛けられた日めくりカレンダーには二十三という数字。

 僕はようやく、八月二十三日と七月二十八日の間に巨大すぎる断絶があることに気付いた。 

 カレンダーに記された年数は、二年前のものだった。




70:2011/03/02(水) 20:18:11.23 ID:a+jCRixGo


 ◆C


 御坂美琴と別れたあと、上条当麻は街をぶらぶらと歩いていた。

 目的地がないのはいつものことだ。自室に戻ろうかとも考えたが、今朝からまだ何もしていない。

 何もかもが曖昧でぼやけて、鮮やかなものなど何ひとつない。

 それはいつものことで、どうでもいいことで、当たり前のことだ。

 御坂美琴の言葉を思い出す。

「最近ずっと思ってたんだけど、ちょっと、限度があるわ。様子が変って程度の話じゃないわよね?」

 そんなにわかりやすかっただろうか。

 自分なりに隠し通せてきたつもりだ。

 たった数週間のこととはいえ、なんとかやってこれた自負はあった。

 それなのに、簡単に見透かされてしまう。舞夏や青髪も、ひょっとしたら似たようなものを感じ取っているのだろうか。

 考えるのが嫌になって、街を適当に歩くことにした。日曜の午後には人々が溢れかえっている。熱気に包まれ、ひどく暑苦しい。



71:2011/03/02(水) 20:18:37.61 ID:a+jCRixGo


 病院に行こうか、とも思った。面会時間は何時までだったっけ。土日でも、たしかやっているはずだ。

 けれど結局、なんだか妙な後ろめたさに襲われて、やめた。

 ならばどこにいこう。まだ正午も過ぎていない。

 月詠小萌は、今何をしているだろう。

 そう思ったときには、足が彼女の部屋へと向かっていた。

 友人達と距離ができて、近くに誰もいなくなっても、彼女はなにひとつ態度を変えることがなかった。

 いつものように自分に接してくれた。そんな人は貴重だった。

 全部全部、上条が悪い。すべては自分のせいで、他の誰にも責任はない。

 それでも、身勝手にも誰かにそばにいてほしいと思うのは、やっぱり思い上がりなのだろうか。

 それが叶ったことを喜ばしく思うのは、やはりいけないことなのだろうか。

 ――人殺しのくせに、誰かにそばに居て欲しいと望むことは。



72:2011/03/02(水) 20:19:14.34 ID:a+jCRixGo


 月詠小萌は自室で月曜の授業の教材を準備していた。急に訊ねたにもかかわらず、嫌な顔ひとつせずにあげてくれた。

「どうしたんです? 急に」

 訊ねられて、思わず口籠もる。大した理由はなかった。黙っていると、彼女は何かを察したように寂しそうに微笑んだ。

「お茶、いれますね」

 言い返す間もなく、小萌はすぐに立ち上がった。厚意に甘えようと思った。

 図々しいかも知れないけれど、きっと、自分にとっては必要なことなのだ。

 動き続ける小萌の背中を眺めていると、思わず、「あの」と声が漏れた。

「はい?」



73:2011/03/02(水) 20:19:49.62 ID:a+jCRixGo


「先生、そのですね」

 聞きたいことがあるのだけれど、それを上手に言えない。いや、言うべきではない、と上条は思った。

「たとえばの話です。たとえば……どうしようもないことがあるとするでしょう?」

 どうしようもないこと。

 可能性は所詮、可能性だ。あらゆることが起こる可能性だ。

 けれどそれらは、自分という枠組みに当て嵌めると途端に効力を失ってしまう。

 どうしようもないことは、可能なことよりもよほど多く存在する。

「どうしようもないことを、それでもどうにかしたいときは」

 死者を生き返らせたり、失った記憶を取り戻したり――。

「……どうすれば、いいんですかね」

 言い終わってから上条は、自分の言葉があまりに抽象的だったことに気付いた。

 しくじった、と思う。思わず歯噛みして俯くと、小萌が上条の名を呼んだ。

 彼が顔をあげると、彼女は優しく微笑んでいた。



74:2011/03/02(水) 20:20:13.06 ID:a+jCRixGo


--------------------------------------◆------------------------------------- 

 月詠小萌の部屋から出たとき、時刻は十二時半を回っていた。

 これからどうしようか、と休日の街を上条は歩く。

 どこにも行く当てはないし、行きたくない。

 無意識に足は、あの通りに向かってしまう。

 廃墟と焼け跡の並ぶ暗い場所。昼間にいくのははじめてかも知れない。

 頭がぼんやりとして気分が落ち着かない。
 
 視界が、蜃気楼のように歪む。頭が上手く働かない。頭痛がひどくなってきた。

 結局自分は今のまま、ずっと変われないのかも知れない。

 でも、もし変わることが出来るとすれば――。

 そこに必要なものはなんだろう。それさえあれば、自分は……。




75:2011/03/02(水) 20:20:40.17 ID:a+jCRixGo


 そこまで考えて馬鹿馬鹿しい考えだと自嘲する。他力本願で愚かしい。
 
 何かを変えたいのなら自分が動くべきだ。

 でも……それで何も変わらないと分かっていたら?

 自分程度の力では何もできないと知っていたなら?

 ずきり、と頭が痛む。オレンジの視界、コンクリートの焼ける臭い。生々しい血の感触。誰かのうめき声。

 咳き込んで助けを呼ぶ誰か。最後に誰かが微笑んで、皮肉めいた言葉を遺した。

 頭痛を堪えて歩いていると、気付けばあの廃墟にたどり着いていた。

 汚れたエントランスを通過して、壊れかけた階段を素通りし、薄汚れた突き当たりの廊下へ向かう。

 その先には給湯室、トイレ、会議室、と並んで、一番奥に喫煙室がある。

 喫煙席のソファへ身体を投げ込む。埃っぽい空気が鼻の奥へと届いた。
 
 目を瞑って、何かを考えようとした。けれど、それがなんなのかは忘れてしまった。

 起こったことはすべて起き、過ぎたことは過ぎ、終わったことは既に終わっている。

 どれだけ後悔したところで戻れるものではないし、取り戻せるものでもない。

 それでも何かを変えようとするならば、必要なのは――。

 睡魔が、思考を覆っていく。もう何も考えられない。
 
 考えたくない。



76:2011/03/02(水) 20:21:07.13 ID:a+jCRixGo


 ■A


 目を醒ます。朧気な視界を徐々にフォーカスし、身体を起こす。

 薄い膜越しに世界と接するような錯覚。それももう、いつものことだ。

 寮の自室に戻ることなく、廃墟で眠ってしまった。悪夢にうなされたのはそのせいかも知れない。

 彼女が死んだ夢を見た。血だまりがどんどんと広がって、不自然にひしゃげた細い首を見下ろしていた。

 彼女はどうして死んだんだっけ。

 ――ああ、そうだ。自分が原因だ。

 上条当麻は頭を振って悪夢を振り払う。今はもう、過ぎたことだ。


77:2011/03/02(水) 20:21:35.48 ID:a+jCRixGo


 彼女が死んでしまってからもう随分と経つ。

 彼女が死んでからも、世界はとどまることなく動いている。

 それで気付いたことだが、彼女は驚くほど世界から必要とされていなかった。

 笑えるほどに。そしてそれは、自分も同様なのだろう。

 彼女がいなくても世界は回るし、自分がいなくても周囲は立ち止まらない。

 時間は刻一刻と流れ続けて、世界は変化し続ける。

 彼女がいなくなってから、上条の中から現実感というものが一切失われてしまったようだった。

 まるで彼女という存在そのものが、上条の心だったかのようだ。

 けれど実際には、そんなことはありえない。あらゆる感情は凍てついただけで失われてはいない。



78:2011/03/02(水) 20:22:02.47 ID:a+jCRixGo


 第一、たった数日一緒にいただけの少女だ。

 その少女一人が死んだからといって、なんだと言うのだろう。

 それなのに、どうして上条は未だ、夜、眠りにつくたびに、彼女の――禁書目録の死を思い出してしまうのだろう。

 やはり自分を誤魔化すことはできそうにない。

 彼女の死は、自分を際限のない暗闇に放り込んでしまった。

 あらゆるものがぶよぶよとした感触に覆われて、視界はぼやけて、音は遠い。世界が色あせてしまった。

 上条当麻はあらゆるものを失ってしまった。不幸だ、と嘆く気持ちさえも。

 けれど腹は減るし、不思議と死ぬ気にはなれない。

 携帯電話が鳴る。

 ディスプレイには土御門元春の文字。電話に出ると、軽薄な男の声がスピーカーから聞こえた。

「カミやん、仕事だぜい」



79:2011/03/02(水) 20:22:33.84 ID:a+jCRixGo


--------------------------------------◆-------------------------------------
 
 二日連続の仕事だった。土御門に呼ばれた先には、禁書目録の所在を探ろうと学園都市に侵入した魔術師がいた。

 禁書目録が死んで以来、こういった手の者は増えてきている。

 それでもアレイスターによって上手に事実が隠蔽され、未だにイギリス清教に確たる証拠は掴まれていない。

 禁書目録は行方知れずになっただけだ、ということ。

 アレイスターの口車に乗せられて暗部で仕事をするようになってから、だいぶ時間が経った。

 誰かと戦ったりするのは日常茶飯事、命が危険にさらされることもままある。誰かを殺すことも、まぁ、あった。

 そんな日々を繰り返しているうちに、精神が徐々に摩耗していっている、と思う。

 自分の感覚が、色鮮やかだった感覚が失われ、それは徐々に鈍く、くすみつつある。

 今更、罪悪感だなんて烏滸がましい。何かを言う権利なんてありはしない。
 
 自分はいつまでこんなことを続けるのだろう。

 考えるのは、そこでやめてしまった。


80:2011/03/02(水) 20:23:00.35 ID:a+jCRixGo


 ◇B


「つまり、こういうことね」

 ハンバーグを食べ終えた御坂美琴が口を開いた。口元にソースがついているのを注意するべきだろうか。

 僕が自分の身に起こった変化を伝えると、彼女は真面目な表情で口を開いた。

 もっとも、ソースがついたまま真面目な顔をされても滑稽でしかないのだが。

 紙ナプキンを差し出して口元を差すと、彼女はすぐにそれをこすり取った。

「……アンタは一ヶ月後の未来に来たのではなく、二年前の過去に来た」

 そういって、御坂美琴はメロンソーダを啜った。

 ずずず、と音がして、容器から緑色の液体がなくなる。彼女は口からストローを離して溜息をついた。

「そうなる」

 僕は頷きながら、徐々に酷くなっていく頭痛を堪えていた。


81:2011/03/02(水) 20:23:26.58 ID:a+jCRixGo


「……二年前、ね。一瞬、映画みたいに、思い人の悲惨な未来を変える為に過去にやってきたのかとも思ったけど――」

 彼女は茶化すでもなく言ったが、その続きは僕にも想像出来た。

「――違うわよね。アンタは「命日に近い七月の末に学園都市にやってきた」と言っていた。
 八月二十三日の今日にやってきたところで、すべてが手遅れ」

 分かっていた。

 けれど、一瞬、日付の事も忘れ、二年前に戻ってきたという事実だけを受けて、もしかしたら、と期待してしまった自分が憎い。

 この場に自分を寄越した何者かが憎い。それならばどうして、あと一ヶ月の時間を遡ることが許されないのか。

 ぎっと歯噛みして、唾を飲み込む。分かっているつもりだ。分かっているつもりだった。

 もう全部手遅れなんだと。それなのに、ただ希望の一滴を垂らされただけで、こんなにも心臓が脈打ってしまう。

 もう諦めろと、何度も自分に唱えてきたはずなのに――。

「……分かっているさ」

 そんな感傷も感情もすべてを胸の内に捕らえて、一言、それだけ言う。

 彼女は救えない。今までと同じだ。分かっていたことじゃないか。



82:2011/03/02(水) 20:24:04.17 ID:a+jCRixGo


「……そ」

 御坂美琴は、しくじったとでも言うみたいに悔しそうに顔を逸らした。

「泣き出しそうに見えるけどね」

 うるさい、と言い返そうか、少し悩んだ。でも、それを考える余裕もなくなった。

 結局どう足掻いても、自分はもう彼女を救えない。彼女はもういない。この世界のどこにもいない。

 これが何者かの意思で起こった出来事だとすれば、そいつはずいぶん悪趣味だ。

「……話を続けてくれるかい」

 僕が言うと、彼女は戸惑ったように眉を寄せた。

「いいから早く」

 言い放つと、御坂美琴は呆れたように嘆息してから言葉を続けた。

「……続ける話なんてないわよ。二年前の八月二十三日。二年後の七月二十八日。
 どっちにせよ、アンタがここにいることに何かの意味があるなら――何かが起こるんじゃない?」

 心当たりはないの? と彼女は言う。



83:2011/03/02(水) 20:24:56.71 ID:a+jCRixGo


「……生憎、ちっとも。二年前は八月になるより前に学園都市を離れたからね」

「そう」

 結局、分かったのは、ここが二年前の学園都市だということだけだ。

 それ以外のことは、想像のしようがない。

 御坂美琴と共にファミリーレストランを出ると、時刻は既に五時半を過ぎていた。

 夕陽が赤を強めて、東の空が紫に染まっている。

「アンタ、これからどうするの?」

「……「どう」?」

「未来から来たんでしょ。頼る相手もいないんじゃない?」

 そうなる。組織の力を頼ることもできなくはないだろうが、けれど、この世界は過去でしかない。

 つまり、十四歳だった僕がイギリスにいることになっている。

 もし自分がステイル=マグヌスを名乗ったとしても、信じてくれるものはいないだろう。



84:2011/03/02(水) 20:25:22.84 ID:a+jCRixGo


「……どうしようかな」

 茫漠と広がる砂漠に取り残された気分だ。

「寝床、確保してあげようか?」

 その言葉に含まれる意味がわからず、僕は黙り込んだ。

「IDも持ってないんでしょ、当たり前だけど。私名義でホテルでも借りたげよっか」

 厚意は嬉しかったが、そんなことをしても心が安まる気がしなかった。

「悪いけど、適当に過ごすよ。使われなくなった建物とかなら、山ほどあるみたいだしね」

「……変わってるわね、ホテルより廃墟の方がいいなんて」

「別に廃墟がいいわけじゃないよ。手続きが増えると面倒になることが多いんだ」

「そ」

 頷いて、彼女はひらりとメモ用紙をこちらに向けた。

「何か困ったことがあったら電話して。一応、ケータイの番号」


85:2011/03/02(水) 20:25:49.23 ID:a+jCRixGo


「……初対面の、しかも未来から来たなんておかしなことを言ってる男に電話番号を教えるなんて、
 気が触れているとしか思えないね」

「好奇心よ。アンタの言葉が嘘なら嘘で、面白いしね。
 第一、電話番号を教えたくらいで降りかかる危険なんて、どうとでも対処できるもの。
 ついでに言うと、私はアンタが学生寮の隣に突然現れた、っていう決定的な瞬間を目撃してるわけ。
 明らかに異様な光景をね。だからまぁ、何かある、っていうのは分かってる。
 首突っ込むのが迷惑だったら、掛けてこなくていいわ」

 頷いて、彼女からメモ用紙を受け取る。それを確認すると、彼女は短く別れの言葉を告げて歩いていった。

 その後ろ姿は、途中までゆったりとした歩調だったにもかかわらず、
 ある一点から唐突に走り出し、前方を歩くツンツン頭の少年に抱きついたように見えた。

 さて、と途方に暮れる。自分はこれから、どうすればいいんだろう。

 ひとまず、寝床を探す他はないだろう。この街のどこにも自分の居場所はないのだから。


86:2011/03/02(水) 20:26:15.68 ID:a+jCRixGo


 日が暮れる前に寝床を見つけようと思っていたが、なかなかちょうどいい場所が見つからない。

 太陽が見えなくなっても、学生達はこれからが本番だとでも言うように町を賑わせている。

 ちょうど良さそうな廃墟を見つければ、向かいに騒がしいゲームセンターがあったりもする。どうも都合が悪い。

 溜息をつきながら街を歩いていると――視界の端に一人の少女を見つけた。

 その少女は人混みの中で、誰かの名前を呼んで笑っていた。

 歩く教会、細くなびく銀髪、その姿は――僕が追い求めた、禁書目録の姿そのものだった。




100:2011/03/03(木) 17:45:02.22 ID:JOO0+XXoo


 ◇B

 ――幸せな夢をみた。

 彼女が隣で笑って、僕の名前を呼んだ。僕たちは同じ場所を目指して、同じ道を歩いて、同じ方を向いていた。

 神裂が後ろからからかうみたいな目でこっちを見ていた。
 それに気付いて僕はムッとしたけれど、彼女にどうかしたのかと問われてすぐに何でもないと返す。

 彼女は何かを言うたびにころころと表情をかえて、大輪の向日葵のように笑った。

 彼女のことが好きだった。

 記憶を地下室と本の山に奪われた少女に、少しでも違う景色を見せてあげたかった。

 どうにもならないことだった。彼女は忘れてしまう。仕方がないことだった。

 自分ならどうにかできると自惚れていたわけじゃない。
 それでも、少しでも幸せな記憶を、いずれ消えてしまうと知っていても残してあげたいと思った。



101:2011/03/03(木) 17:45:39.84 ID:JOO0+XXoo


 ――あるいは、残っていて欲しいと思ったのかも知れない。
 どうにもならないことをどうにかしようともがいても、結局、期待しては裏切られ、いつしか期待することをやめて――。

 それで……それで、そうだ。いつの間にか彼女は僕の隣からいなくなって、僕は必死になって彼女の姿を探す。

 世界中を巡って彼女の姿を求める。どこかにきっといるはずだ。たとえ僕のことを忘れていても、この世界のどこかに。
 だから僕は誓った。たとえ彼女がすべて忘れてしまうとしても、僕は彼女の為に生きて死ぬと。

 そうして僕は彼女の姿を見つける。近代的な町並み、風力発電の風車。学生達が騒々しく這いうねる街。
 僕は彼女を見下ろしている。ひしゃげた首、大輪の赤い花、血に濡れた歩く教会。

 どうにもならないことを、どうにかしようともがいていれば、違う結末があったのだろうか?
 僕が諦めてしまったから、あんな結末を迎えることになったんだろうか?

 ――たとえ君は全て忘れてしまうとしても、僕は何一つ忘れずに君のために生きて死ぬ。
 笑えない冗談だ。ならばなぜ僕が生き残り、彼女は死んでしまったのか。
 生きるべき目的を失った僕は、何故生きながらえているのか?

(こっちだよ、ステイル――)
 
 笑みを堪えたような楽しげな声。手招きをするような、一瞬の幻視。
 けれど僕は、君の隣にはいけない。

 すべてはもう、過ぎてしまったことだから。



102:2011/03/03(木) 17:46:06.22 ID:JOO0+XXoo


--------------------------------------◇------------------------------------- 

 目を醒ます。朧気な視界を徐々にフォーカスし、身体を起こす。
 薄い膜越しに世界と接するような錯覚。それももう、いつものことだ。

 二年前のあの日から、もう、何度も繰り返した目覚めと眠り、それから悪夢。

 身体を動かすと、間接が軋むように痛む。寝心地の悪い場所で眠るといつもこれだ。いい加減慣れても良さそうなものだが。

 瞼を開けてすぐ、違和感に気付いた。ああ、と思い当たる。そういえば昨日は――。
 昨日は――なんだったか。ズキズキと頭が痛む。

 今いる場所は灯りのない暗い部屋。割れた窓ガラスが散らばって、あらゆるものは埃を被り、天井の四隅には蜘蛛の巣。

 ガラスの嵌められていない窓から日の光が差す。雲は白のような澱んだ水色。

 御坂美琴、と頭の中で一本の糸のようにひとつの名前が思い出された。



103:2011/03/03(木) 17:46:34.86 ID:JOO0+XXoo


 ひとつの言葉をたぐり寄せ、そこから記憶を引っ張り上げる。
 
 御坂美琴とハンバーグランチ、メロンソーダとカレンダー、新聞紙と携帯電話、白い花束と屋上、学園都市と八月二十三日、
 七月二十八日とステイル=マグヌス、禁書目録とひしゃげた首、赤い血だまりと細くなびく銀髪、
 効力を失った歩く教会とタイムスリップ、ファミリーレストラン、誰かの意思と誰かの呼び声。

 タイムスリップ。タイムリープ。未来、過去。SFについては詳しくないが、僕は今現在、二年前にいるらしい。
「現在」、「過去」にいる。おかしな話だ、と考え掛けて、御坂美琴の言葉を思い出した。

『現在から過去、未来、あるいは逆に、未来、過去から現在へと行き来する。
 まぁその場合、現在ってどこ? っていうことになっちゃうんだけどね』

 僕は現在、二年前にいる。二年前が現在なのだから、二年後は未来だ。
 現在は未来となり、過去が現在になり、確かに現在がどこを差すかが分からなくなってしまう。

 今日は、八月二十四日のはずだ。昨日が八月二十三日なのだから、そのはずだ。
 時間が混乱して、今日や昨日さえも分かりづらくなってしまった。



104:2011/03/03(木) 17:47:08.16 ID:JOO0+XXoo


 ――昨日の七月二十八日、僕、ステイル=マグヌスは学園都市を訪れ、そこから八月二十三日に時間移動した。
 そして御坂美琴と出会い、自分が二年前の八月に来てしまったことに気付いた。

 昨日、御坂美琴と別れてからの記憶が曖昧だ。メールアドレスを受け取った。
 彼女による宿の手配を断り、その場で別れ、その後――その後?

 その後……自分は、何かを見た。確かに、何かを見たはずだ。決定的な何かを、見たはずだ。

 けれど、ズキリとした痛みが思考を襲い、継続を阻む。記憶が曖昧にぼやけて、徐々に霧散するように消えていく。

 ――起こったことはすべて起き、過ぎたことはすべて過ぎ、終わったことは既に終わっている。
 過去はどれだけの意味を持とうが、所詮過去でしかない。思い出さなくてもいい過去だってあるはずだ。

 頭痛がひどくて、起きあがれる気がしない。何も考えられない。

 考えたくない。



105:2011/03/03(木) 17:47:34.92 ID:JOO0+XXoo


--------------------------------------◇------------------------------------- 

 頭痛が引いてから、身体を起こした。時刻は分からないが、太陽の位置から察するに、まだ午前中だろう。

 御坂美琴に電話しようかと考えたところで、携帯電話がないことに気付いた。
 メモはポケットの中に入っていたけれど、彼女は授業中のはずだ。

 頼る当ても行く場所も目的地もない。世界に置いてけぼりにされてしまったみたいだ。
 ――記憶を失った直後の彼女も、ひょっとしたら、こんな気持ちだったのかも知れない。
 また、ズキズキと頭が痛む。それはすぐに引いて、代わりに瞼の裏に彼女のひしゃげた首が反芻された。
 
 それを振り払い、行動を起こそうと思考を早める。
 御坂美琴はこうも言っていた。

『アンタがここにいることに何かの意味があるなら――何かが起こるんじゃない?』

 自分がここにいる意味、と言われても、ピンと来ない。何か意味があるとすれば、それは誰にとっての意味なのだろう。
 僕がここに来ることで生まれるものはなんだろう。そんなものがどこにあるというんだろう。

 真昼の学園都市を徘徊する。街は学生に溢れていた。今は何時なのだろう。
 けれど、太陽は既に南に傾いている。違和感に気付くと同時に、今が「八月二十四日」だということに気付いた。

 ――夏休みか。
 
 公衆電話を探したが、見当たらない。携帯電話が壊れたことがここに来てこんなに問題になるとは思わなかった。

 仕方ない。ひとまず、学園都市を歩き回ってみることにしよう。まずは、彼女が死んだはずの場所へ。



106:2011/03/03(木) 17:48:02.61 ID:JOO0+XXoo


--------------------------------------◇-------------------------------------

 白い壁の学生寮、道路に面した建物。景観を良くするために植えられた木々が緑に色付いている。
 脇道に逸れる。あの日の光景とは真逆にコンクリートはとても綺麗だ。ひしゃげた首も赤い血だまりもどこにもない。

 路地に入るとぞっとするような寒気に襲われた。当然と言えば当然だ。彼女が死んだ場所なのだから。

 二年前の八月。彼女が死んでから一ヶ月が経った場所。

 一ヶ月前に死体があったにしては、随分と小綺麗だ。誰が片付けたというのか。
 しばらくその場でじっとして考えを巡らせた。
 
 僕が来たことに何かの意味があるとすれば、それはなんだろう。
 二年前の今日に戻ってきて、やはり彼女は死んでしまったのだと再認識すること?
 笑える冗談だ。思わず口元に笑みが浮かぶ。バカげてる。悪趣味だ。

 胸の奥に何かが広がっていた。それが何かは分からない。ただとても、苦しい。
 それはどんどんと、風船のように膨らんで、身体を圧迫して、内側から僕を食い破ろうとするみたいに広がっていった。




107:2011/03/03(木) 17:48:37.75 ID:JOO0+XXoo


 やがてひとつの終わりのようにそれがふっと消えて、正常な感覚が戻ってくる。
 それなのに視界は歪んでいた。気付けば頬が濡れていた。
 なぜ今更流れる涙があるのだろう。この涙は誰に対するものだろう。自分自身に対する憐れみだろうか。

 手のひらでそれを拭う。悲しみを振り払い顔をあげる。呼吸を整え、大丈夫、と自分に言う。
 何も大丈夫なことなどない。すべてが手遅れで、もうどうしようもない。
 それでも、大丈夫。もはや、失うものなどひとつたりともないのだから。
 
 彼女は僕の魂だった。僕にとっての世界だった。僕にとっての命そのものだった。
 魂を失い、世界を失い、命を失ってしまっても、不思議と僕は生きながらえ、五感は正常に機能し、世界は今日も動いている。

 彼女だけを失って。では彼女はどこへ行ってしまったのだろう?

 長い間そうしていたせいか、気配にはまるで気付けなかった。
 わざとらしい足音がして、僕は慌てて振り向いた。ざっと靴の裏が砂に擦れる音。
 
 土御門元春の姿がそこにあった。




108:2011/03/03(木) 17:49:04.57 ID:JOO0+XXoo


 ◆C


 倦怠感に襲われて、自販機にもたれかかる。夜になっても学園都市はネオンと街灯に照らされて嫌がらせのように明るい。
 気怠さに身を任せて溜息をついた。自販機に小銭を入れて適当にボタンを押す。悪趣味なパッケージの缶が音を立てて落ちてくる。

 手に握るとひんやりと気持ちいい。日はもう落ちたというのに、ひどく蒸し暑い。
 夏の終わりも近いというのに、暑さはまだ真夏のようだ。

 久々に学校へ行く以外の用事で目的地を定めて出掛けたというのに、上条はまだそこに辿り着いていない。

 三時にはつくはずだった。別に他の用事が入ったわけでもないし、道に迷ったわけでもない。

 ただ、行く勇気が出なかった。変な話だ。見舞いにいくだけでこんなに緊張するなんて。
 別に、今日じゃなくてもいい、と引き延ばし続けて、かれこれもう五日は行っていない。

 ――仕方がない、と上条は決意を決める。人に会うだけでこんな勇気がいるなんて、バカみたいだ。

 手にした缶のプルタブを開いて口をつける。毒々しい缶の見た目に反して、味はさわやかで悪くなかった。




109:2011/03/03(木) 17:49:48.09 ID:JOO0+XXoo


 アレイスター=クロウリーは窓のないビルから動かない。だから上条は、未だにその人物に会ったことがなかった。
 窓のないビルは空間移動能力者の案内人の力を借りてようやく入ることが出来る特殊な場所だ。
 
 幻想殺しという右手を持つ上条は、空間移動を受けられない。
 座標移動と名乗った少女と会ったのは一度きりだ。退屈そうな目で、彼女は上条を見た。

『つまらない顔をしているわね』

 似たようなことを、他の誰かに言われた気がする。誰だったか、すぐには思い出せなかったが、やがて緑髪の魔術師の顔が頭に浮かぶ。

『理念と理念、意思と意思がぶつかり合い、それで敗北するのならばまだ良い』

 けれど貴様にはそれがない。理念も意思も想いもない。ただの操り人形だ。言われたままに動く機械だ。
 機械に負けたのでは、救われない。言ったのはアウレオルス=イザードだった。

 魔術師の記憶を反芻する。やがて赤髪の神父が、上条の頭を灼く。

 オレンジの視界、濛々と立ちこめる煙、皮肉めいた言を残して、どこかの誰かがいなくなる。
 誰かが咳き込む音、助けを呼ぶ声、燃えさかる炎に抱かれて、赤い髪の神父が喚いた。
 ステイル=マグヌスの狂った笑い声。視界は赤く焼き切れて、彼女の微笑が脳裏を過ぎる。
 誰かがどこかで笑っていた。

 ずきずきと、痛みが踊るように走る。今はそれがあってよかったと思える。
 その痛みがなければ、嫌な記憶を際限なく思い返してしまっただろうから。



110:2011/03/03(木) 17:50:14.25 ID:JOO0+XXoo


 今日も、やはり駄目だろうか。とてもではないが、彼女に会える状態ではない。
 ――いや。なんとしても、今日会うべきだ。今日会えないなら、これからさき、自分はいつまでも彼女に会うことができないだろう。
 緑髪の錬金術師が嘲笑する。赤髪の神父が血だまりを歩く。
 白濁した少年は退屈そうに目を逸らした。白い少女は、仇敵を見るような目で彼を睨んだ。

 そんな表情ならもう見飽きた。彼女がどんな顔をしたとしても、自分は無傷のままでいよう。
 そうであるべきだ。そもそも、自分には無関係の少女なのだから。無関係ならば、嫌われたところで構わない。

 上条当麻は缶の中身を飲み干してゴミをその場に捨てた。
 未知の生物めいた清掃機がどこからともなく現れて空き缶を吸い込む。機械が支配する世界も近い。
 ならばいっそ、自分の右手も機械に変えられればいいのに。あのカエル顔の医者なら、それくらいできそうなものだが。

 馬鹿馬鹿しい考えを振り払って歩き始める。彼女に会わなければならない。それは、きっと必要なことだ。




111:2011/03/03(木) 17:50:44.38 ID:JOO0+XXoo


 ◇B

 緩慢な動作で、彼は歩み寄ってくる。その表情は刃物のように鋭利で冷たい。

 ――土御門元春。
 神裂からの電話で彼が死んだと伝えられたのは昨日のこと。その彼が目の前に立っていた。
 動揺しながら、当然だ、と自分を落ち着かせる。二年前の今日、彼がいても不自然なことは何もない。

 そしてそれよりも問題なのは、今、彼が僕を疑っているということだ。

 土御門が何かを言うよりもさきに、「待ってくれ」と彼の歩みを制する。
 
 土御門は訝しげな表情で立ち止まり、こちらの言葉を待った。

「説明をさせてくれないか。どこか、落ち着ける場所で」

 彼は不承不承といった様子で頷いた。



112:2011/03/03(木) 17:51:20.93 ID:JOO0+XXoo


--------------------------------------◇-------------------------------------


「二年後から来た?」

 土御門元春の反芻に、僕は頷いた。明らかに怪しまれているが、他に説明のしようがない。

「厳密にいうと、二年後の七月二十八日から、二年前の八月二十三日にやってきたんだ」

 簡単に信用されないことは分かっていた。仕方がないことだ。逆の立場ならタチの悪い冗談か何かだと思うだろう。

「信じられないとは思う。僕も正直、信じ切れていない」

 土御門はしばらく押し黙ってから、備え付けの呼び出しボタンを押した。ウェイトレスがやってくる。
 昨日御坂美琴と訪れたファミリーレストランに、僕たちはやってきていた。

「注文するのはいいけど、金はあまりないよ」

 あらかじめ宣言しておく。土御門は呆れたように肩をすくめた。




113:2011/03/03(木) 17:52:14.96 ID:JOO0+XXoo


「まぁ、百歩譲って、おまえがステイル=マグヌスで、二年後から来たとしてだ」

 話を進める彼の姿を見て、ここにいたのは神裂でなくてよかったと安堵した。頭の固い彼女ならこうはいかないだろう。

「どうやって?」

 言葉に詰まる。「どうやって」は、僕が二番目に知りたいことだ。言うまでもなく、一番は「どうして」だった。

「わからない」

 正直に答える。土御門は考え込むように額を抑えた。

「何だって二年後から……」

 何の意味もないとは思いがたい。何の意味もないとしたら、こんなことが起こる必要はないからだ。
 何か意味があるとすれば、何のために?

「原因も理由も分からない。学園都市で気を失って、目が褪めたら二年前だったんだ」




114:2011/03/03(木) 17:52:49.76 ID:JOO0+XXoo


「正直、未来の話は聞きたくないが、何故学園都市に?」

 一瞬口籠もって、けれど正直に話そうと口を開く。あまり言いたいことではない。思わず顔を逸らして窓の外を眺めた。

 人々は街を行き交っている。ひとつの流れのように、溢れるような人波が、街を覆っている。

「弔いの為だよ。命日が近かったから」

「弔い?」

 誰の? と土御門は問う。

 その瞬間、違和感が強まった。理由は分からない。
 けれど、自分が何かを決定的に間違えているのではないかという疑念が溢れてきた。

「誰のって――」

 土御門元春は禁書目録の存在を知っている。僕と彼女の関係も知っている。

 今日は八月二十四日。七月二十八日から来たという言葉を彼は聞き逃さないだろう。
 ――たった一ヶ月前に死んだ少女の存在を、すぐに思い浮かべられないほど、彼の頭は回転が遅かっただろうか?

 その疑念がうごめくように胸の中で膨らむ。世界が薄ぼんやりとした膜越しに感じられる。
 自分の身体の感覚が不鮮明になる。
 視線は窓の外。――昨日の夕方、御坂美琴と別れた後、僕はいったいどうしたんだったか。

 そうだ。僕はあの、細くなびく銀髪を見つけた。禁書目録の姿を見た。
 見間違いだ、バカげている。夢でも見てたに違いない。でも、その後の記憶はなかった。

 まるで彼女を見たという事実だけがぷっつりと切り取られたかのように、その前後の記憶が曖昧だ。

 窓の外。蟻たちの行列のように行き交う学生達の中、一際目を引く銀髪の少女を見つけた。
 歩く教会を身にまとい、両腕で猫を抱き、隣を歩く誰かを見て笑顔を浮かべた。

 彼と彼女は同じ方向を向いている。同じ場所を目指している。同じ道を歩いている。

 僕は、それを眺めているだけだった。




115:2011/03/03(木) 17:53:17.43 ID:JOO0+XXoo


 ◆C


 受付に行くと、愛想笑いを浮かべた女に奥へと案内される。
 物腰柔らかな様子と見た目に反して、能力も魔術も使えないのに、大能力者程度にはひけを取らない実力の持ち主らしい。
 冗談だろうと思うが、アレイスターの作った場所だ。正直な話眉唾だが、脚色しているだけで実力者というのは本当なのだろう。

 白い壁の廊下を抜けて、別の棟へと向かう。階段を上り三階の廊下。右の突き当たりを左に折れて、四つ並んだ扉の一番奥。

 学園都市の科学技術を利用し脱走を許さず、何者かの襲撃に耐えうる人間を多人数配備。
 入ろうとすれば許可が必要となり、厳重な検査が行われる。

 土御門に言わせると悪趣味な仕掛けだそうだ。アレイスター=クロウリーは、守る必要のない存在までここに住まわせている。
 自分の計画に必要のない人間すらも。土御門に言わせれば理由は単純で、「ただの暇つぶし」らしい。
 多くの人間には存在ごと隠され、一部の人間にのみ通達された隠された存在。「病院」という名の監獄。それがここだ。

 どこから漏れたのか、ここの存在が都市伝説としてまことしやかに語られ始めたこともあったが、発見されることはなかった。
 数ある多くの研究所と同じように見えるよう仕組みがあったし、地図上の名も目立たず不自然でないものに変えられている。

 B棟三階東廊下、一〇一号室。そこの主は、白い、白い少女だ。



116:2011/03/03(木) 17:53:50.28 ID:JOO0+XXoo


--------------------------------------◆-------------------------------------


「また来たんだ」

 ドアを開けて上条が部屋に入ると、禁書目録の少女はすぐに減らず口をたたいた。

「いけなかったか?」

「別にいいけど。君ってよっぽど暇なんだね」

 彼女が皮肉を言うのはいつものことだ。はじめて会った日はこうではなかったけれど、あの七月二十八日からはずっとこうだ。
 最初は警戒、次に敵意、今はもうあきらめの境地だろうか。
 当然だろう。どうやったって、彼女はここから逃げ出すことはできないのだから。

 彼女が持つ十万三千冊の魔道書を利用するつもりはない、と上条はあの日からずっと言ってきた。
 最近になって少しはその言葉も信用されてきたようで、彼女の態度もいくらか柔らかくなってきている。

 言葉に皮肉を混ぜながらも、上条が来ると少しだけ嬉しそうな態度を見せる。
 錯覚か、願望かも知れない。
 ストックホルム症候群、という言葉が頭に浮かんだ。心の中で自嘲してから禁書目録に話しかける。

「ここの居心地はどうだ? もう慣れたか?」

「最悪」

 慣れるなんてありえない、と彼女は言う。



117:2011/03/03(木) 17:54:16.98 ID:JOO0+XXoo


「薬臭いし、配膳のとき以外では警備の人が様子を見に来るくらいだし、誰も彼も話しかけてもなんの反応もしないし。
 挙げ句の果てにトイレに行こうとするにも許可がいるの。
 知ってる? 私一人でドアを開けて外に出ようとすると警報が鳴るんだよ。
 トイレだって窓がなくて狭いし。この建物を造った人、随分いい趣味をしてると思う」
 
 そう言って彼女は挑発するように笑った。
 上条は禁書目録をなだめるように苦笑してから、言葉を繋ぐ。

「この建物の趣味が悪いのは、作った人間がイカれてるから仕方ないんだ」

「それは本当にそう。まともな人間だったら、こんなもの作ろうとは思わないもの」

 禁書目録が言い切ると、話がそこで途絶えてしまった。

 部屋を見渡す。小さな窓がある。かすかに光は差すが、天井の近くにあって手が届かない。そのうえ格子までされている。
 アレイスター=クロウリーは禁書目録を「軟禁」すると言っていた。
 言葉の違いはどうでもいいが、これでは完全に「監禁」に近いだろう。

 部屋にあるのはベッドとパイプ椅子、戸棚がひとつと水道。
 作りは病室に似ているが、それらが使われることはほとんどない。

 彼女はここで何週間も監禁されている。一日中、この薄暗い部屋のベッドに横になっている。
 健康な人間でも、こんなところで何日も過ごしていれば、きっと病気になってしまう。



118:2011/03/03(木) 17:54:46.00 ID:JOO0+XXoo


「ねえ、君」

 禁書目録の声に、上条はふっと思い出すようにぼんやりとした思考から抜け出した。

「なに?」

「私を助けてくれるつもりはないかな?」

 どう返そうか、言葉に詰まる。不可能だ、と言ってしまうのがいいのか、曖昧に答えをぼかすべきなのか、分からない。

「こんな窮屈なところはいやなの。君たちが私に危害を加えることがないっていうのは分かったけど――」

 彼女はそこで言葉を句切って、病室を見回した。

「こんな場所で何日も過ごしていたら気が狂ってしまいそうだよ。
 ご飯がたくさん食べられるのはせめてもの救いだけど、それも薬臭くて美味しくない」

 外に出たいな、と彼女は言った。

「こんな暗い場所はいや。日の光を浴びれる場所に行きたいの。ねえ、君、私を助けてくれないかな?」

 無理だ、と思う。

 どうしようもないことだ。自分はアレイスターには逆らえない。自分で選んだ道だ。今更逃れる道はない。
 彼女を逃がしてどうなる? めでたしめでたしで、普段通りの生活に戻れるわけがない。
 



119:2011/03/03(木) 17:55:13.26 ID:JOO0+XXoo


 彼女も限界が近いのかも知れない。最初の頃は逃れようと必死にさまざまなことを試していた。

 窓に手が届かないかと様々なものを積み上げた。発見され、当然やめさせられる。
 何度か繰り返すと、窓に辿り着くことができた。けれど嵌め込まれていて開けられない。
 内側に鉄格子がついていて、それが邪魔をして割るのも難しかった。
 固いものを用意して割ろうと試みても、ガラスはびくともしない。
 そしてそれが発見されると、今度は部屋の中から多くの物が消えた。

 彼女は一日中、退屈をしのぐものもなにひとつなく、ぼんやりとベッドの上で過ごしている。

 哀れだ。

 でも、どうしようもない。上条にはそれをどうにかする力がないのだから。

「分かってるよ」

 黙り込んだ上条を、じっと見ていた禁書目録が呟く。

「どうしようもないんだよね」

 そう言って、寂しそうに笑った。その表情を見て胸が締め付けられる。




120:2011/03/03(木) 17:55:42.79 ID:JOO0+XXoo


「ごめんね」

 そう言ったきり、彼女はその話をやめて、上条に様々なことを訊ねた。

 外の様子はどんな風か、普段どんなことをしているのか、この建物はどんな場所にあるか。
 上条は自分の身の回りのことや学園都市についてのさまざまなことを話した。
 彼女は上条が学園都市の科学技術について話すと首を傾げた。
 自動式の清掃ロボット、指紋、声紋、顔面による認証技術、超能力開発。
 
 さすがに嘘でしょう? という言葉を、上条は何度も聞いた。彼女がその言葉を言う時、大抵上条は本当のことを話していた。

 そんなふうに話を続けていると、時間はあっというまに過ぎていく。

「ところで、今日は何月何日?」
 
 この部屋にはカレンダーどころか時計もない。

「九月一日、水曜日だよ。今日、始業式だったんだ」

 答えてから、そろそろ、と禁書目録に別れを告げて病室を出た。

 最初に上条がやってきたとき、上条がドアを開けた途端に無理矢理外に出ようとしたのを思い出す。
 B棟の三階。誰にも気付かれずに脱出できるわけがない。彼女はもうそのことに気付いてしまった。
 自分ひとりの力では無理だと知ってしまった。彼女はもう諦めている。
 
 病室を出てすぐ、受付で会った愛想笑いの女が近寄ってきた。

「終わりましたか?」

 見れば分かるだろう、と言ってやりたい。白衣を着た人間とすれ違って、受付まで戻る。薬臭い病院。嫌いな臭いだ。

 建物を出てすぐ、そういえば、御坂美琴に会っていないな、と思う。
 金曜、土曜、日曜、と、先週までは連続して会っていたのに。

 どうでもいいことではあるのだが。




121:2011/03/03(木) 17:56:12.12 ID:JOO0+XXoo


 ◇B

「パラレルワールド」

 御坂美琴に話を聞こうとすると、そんな答えが返ってきた。

「パラレルワールド?」

「そう」

 ストローでメロンソーダをすすりながら、御坂美琴は頷く。
 バカげていると言いたいが、バカげた事象に巻き込まれたのは自分だった。

「つまり……?」

 土御門元春は真剣な口調で御坂を促す。その態度に、彼女は少し面食らっていた。

「どういうこと? アンタ、知り合いいないんじゃないの?」

 彼女に問われて、僕は少し言葉に詰まる。知り合いと言えるほどの関係ではない。今はまだ疑われている状態だ。




122:2011/03/03(木) 17:56:43.18 ID:JOO0+XXoo


「つまり、時間移動じゃなくて世界間移動だったんじゃない? ってこと」

 時間移動の次は並行世界か。バカげている。

「馬鹿げてるとは思うけどね、だってそうとしか考えられないでしょ。死んだはずの人間が生きてるなんて」

「そんなこと……」

 あり得るのか、と問おうとして、それが無意味だと思い出した。

 現に結果はあり、あとはそれをどう解釈するかだ。
 二年前の八月二十四日、そのときには死んでいるはずの禁書目録。

「アンタの見間違いじゃなければ、そういうことになると思うわよ」

 つまり僕は、「二年前の八月二十三日」にやってきたのではなく、「並行世界の二年前の八月二十三日」にやってきていた、ということか?




123:2011/03/03(木) 17:57:16.36 ID:JOO0+XXoo


「待ってくれ」

 これ以上考えるのは危険だと思うのに、思考が止まらない。

「それは、可能世界の話だよね。つまり、この世界は「ひとつの可能性」という意味?」

「……そういうことになるけど」

 御坂美琴は、何の話をしているのか、という顔でこちらを見る。

「それは、つまり――」

 ――彼女が死ななくても済んだ可能性が存在したという意味?
 彼女が誰かの隣に立って、笑いながら生き続けることができたということ?

 起きたことは既に起き、過ぎたことは過ぎ、終わったことは既に終わっている。

 だから今更何を言っても仕方ないけれど、彼女が助かるかも知れない可能性があった。
 
 僕は今まで、彼女が死んだのはどうしようもないことだと思っていた。
 当たり前だ。失ったものは取り戻せないし、時間は戻らない。
 たくさんの「もしかして」が、僕の心を覆うことはあった。
 そのたびに僕は「どうしようもなかった」と結論付けて今日までやってきた。




124:2011/03/03(木) 17:57:58.94 ID:JOO0+XXoo


 でも――どうしようもなくはなかった? 

 ひょっとすれば、あるいは何かの偶然があれば、誰かがいれば、あるいは僕が少しでも違う行動を取っていれば――。

 ――彼女には、別の未来があった?

「――そんな、馬鹿な話が……」

 あり得ない。そんなこと。どうしようもなかったんだ。そうに違いない。
 でも――じゃあこの世界はなんだ?

 彼女が生きている世界。あり得たひとつの可能性。幸福な未来。
 僕は今まで「もしかしたら」を考え続けてきた。そして今、その「もしかしたら」のひとつを目の当たりにしている。

 御坂美琴はしばらく黙っていたが、やがて何かに気付いてしまったというみたいに顔をしかめた。
 土御門元春は、一言も喋らない。
 僕は何も言えなかった。何も出来なかった。すべてがもう手遅れだった。

 ――どうすることが、正解だったのだろう。



125:2011/03/03(木) 17:58:24.85 ID:JOO0+XXoo


 しばらく、沈黙が続いた。騒がしいファミリーレストランの中で、なぜだか時計が秒針を刻む音がはっきりと聞こえる。

 口を開いたのは土御門元春だった。

「それで、どうするんだ?」

 疑いをやめたわけではないだろうが、彼は僕にそう問いかけた。僕は答えられない。

「どうする?」

「別世界の二年後から来たステイル=マグヌスは、これからどうするんだ、という話だ」

 どうするもなにもない。どうしようもない。

 いないはずの人間が世界で平然と暮らせるわけがないし、元の世界に戻る手段も分からない。
 そもそも、彼女のいない世界に戻る意味が分からない。かといって、この世界は、生きていくには残酷すぎる。

「――分からない。どうしようもない」

 そうか、と土御門は頷いた。




126:2011/03/03(木) 17:58:52.93 ID:JOO0+XXoo


「土御門」

 名前を呼ぶと、彼はサングラス越しにこちらに視線を向けた。怒りでも警戒でもない、何の感情もこもっていない瞳だ。

「教えて欲しいんだ。この世界の彼女――禁書目録は、どうして生きているんだ?」

『どうして生きているんだ?』という、自らの口から出た言葉の残酷な響きに、言い終えてから動揺する。

 土御門はそれを咎めるでもなく答えた。

「禁書目録は生きている。こちらとしては、こういったことをわざわざ言うのは違和感があるが」
 
 彼は一旦そこで言葉を句切って、テーブルの上に置かれたコーヒーに口をつけた。きっともう冷めているだろう。

「そちらの禁書目録が死んだ理由が分からないから、何とも言いようがないが、彼女を蝕んでいる首輪は外された」

「首輪?」

「一年ごとの記憶消去が必要なくなった」

 その言葉に、愕然とする。

「なんだそれは。どういう意味だ?
 完全記憶能力者である彼女は十万三千冊の魔道書に記憶の領域を圧迫されていて一年しか記憶を保つことができなかった。
 そのはずだろう?」

 土御門は無表情のままに話を続けた。



127:2011/03/03(木) 17:59:19.19 ID:JOO0+XXoo


 ◆C


 また、廃ビルの一角、喫煙室に来ていた。時刻は夕方。秋が近付いて、日はどんどんと短くなっていくだろう。
 上条は深く溜息をついて、今日の出来事を思い返していた。

 始業式。今日からまた学校へ通うことになった。補習のせいで毎日のように行っていたから、休んだ気はほとんどしない。
 久々に顔を合わせると、クラスメイトたちも夏を経て少しだけ変わっていた。
 変わっていないのは、月詠小萌と土御門元春、それから自分くらいのものだろうか。

 始業式が終わってから、午後、病院まで禁書目録の見舞いに行った。
 彼女に助けを求められて、自分はそれを受けなかった。
 
 あの、疲れ切ったような表情が思い起こされる。
 何もかもを諦めきったような、まだ幼い少女。
 
 どうして自分は、たった一人の少女の求めに応じて、彼女を助けると言えなかったのだろう。
 



128:2011/03/03(木) 17:59:47.84 ID:JOO0+XXoo


 ぼーっとしていたせいか、誰かが喫煙室にやってきていることに気付くのが遅れた。
 瞼を開けて顔を向ける。そこに立っていたのは一人の少女だった。

 日も沈み掛けた時間、灯りもなく、彼女の顔は陰って見えない。

「誰?」

 訊ねると、思ったより大きく声が響いた。少女の身体がびくりと揺れる。

「あ、怪しいものじゃないですよ」

「別に怪しんではいないけど」

「というか、あなたの方こそ怪しいですよ?」

 だから、怪しんではいない、と言い返そうとして、やめた。溜息をつくと、彼女は様子をうかがうように上条を見ていた。

 彼女が何の目的でここにきたのかも、何者なのかもどうでもいい。それは重要なことではない。
 重要なのは、そんなことではなく、重要なのは、重要なのは――。

 上条が黙ったままでいると、彼女はやがて覚悟を決めたようにぐっと唾を飲んで言った。

「こんなところで何をしてるんですか?」

 もし人生における決意の上限が定まっているとしたなら、彼女はそれを無駄に使った。




129:2011/03/03(木) 18:00:13.64 ID:JOO0+XXoo


「別に何も。暇だったから」

「暇だと廃墟に来るんですか?」

「割とね。そういうこと、ない?」

 どうでもいいことの続き、退屈しのぎにかけた言葉に、彼女は深刻そうな表情で考え込み、やがて、小さく頷いた。

「ある、かもしれないです」

 上条にとっては、その答えすらどうでもいい。
 彼女はそれでも言葉を止めることなく話を続けた。

「前に、火事があったじゃないですか。ここの向かいのゲームセンター。一ヶ月くらい前かな」

 上条当麻が原因で焼け落ちることになったゲームセンター。
 多くの人間が怪我を負って、後遺障害だの意識不明だの――うわさ話は山ほど聞いた。
 ――巻き込むつもりはなかった。

「あのとき、私の友だちもいたんですよ、あそこに」

 そうなんだ、と頷くより先に、薄ら寒いような感覚が背筋を駆け抜けた。
 ほら、自分なんて、ろくでもない。




130:2011/03/03(木) 18:00:59.06 ID:JOO0+XXoo


「あのさ」

 彼女の話はまだ続くようだったけれど、上条はそれを聞きたくなかった。
 彼女は気を悪くするでもなく、「なんですか?」と聞き返してくる。
 どうしようもない思いが、ふっと口から漏れ出ただけだったのかも知れない。

「たとえば、たとえばの話――どうしようもないことがあるとするだろ?」

 どうしてそんなことを訊こうとしたのかは分からない。けれど、気付くと、自然に上条の口から言葉が溢れていた。

「どうしようもないことなんて、喩え話でなくとも星の数ほどありますけど」

「うん、そうなんだ」

 それでも、と言葉を続ける。

「それでも――どうしようもないことを、どうにかしたいときは、君ならどうする?」

 さあ? と彼女は首を傾げた。

「どうしようもないことは、どうにもなりませんけど、それでもどうにかしたいとき、ですよね。
 抽象的過ぎてよく分かりませんけど、私ならきっと、寝ると思いますよ」

「寝る?」

「考えたって始まらないから、何かをしなきゃいけませんよね。
 でも、あきらめが頭を過ぎってしまうような時って、疲れてるんですよ。
 頭が上手に働かない。どうしたらいいだろうか、と考えるくらいだったら行動を起こした方がいい。
 どうかしたらいいだろうか、なんていう考えに襲われて、混乱して、何もできなくなったら、眠ってしまった方がいいです。
 目が覚めたら、きっと頭が冴えて行動を起こせるはずですから」

 だから、と彼女は言葉を結んだ。

「必要なのは休息だと思いますよ。身体や頭だけの話ではなく、もっと心的な部分にも」




138:2011/03/04(金) 22:19:36.63 ID:SqIW35WZo


 ◇B

 あ、と御坂美琴が小さく息を吐いたときには、既にいろいろなことが手遅れだった。

「……土御門?」

 少年の声は、僕の耳にはっきりと届いた。 
 振り向かなければよかった、と、振り向いてから後悔した。
 御坂美琴が漏らした驚愕の意味を、僕はもう少し考えるべきだった。

 店を出てすぐに目の当たりにすることになったのは、白い少女と、少年。

「……おまえ、ステイルか?」
 
 初めて会う少年だった。けれど、彼が誰なのかはすぐに理解できた。
 土御門の話によれば、彼は幻想殺しという右手で、ありとあらゆる異能の力を消し去ることができる存在。
 
 禁書目録を蝕んだ首輪を消し去り、彼女の記憶を楔から解き放ち、あらゆる痛みから彼女を守る存在。

「上条当麻――」

 思わず口を衝いた名前に、彼はほっとしたように息をつく。




139:2011/03/04(金) 22:20:03.09 ID:SqIW35WZo


 気が遠くなりそうだった。目の前に彼女がいて、何かを言っていた。
 ころころと表情が動く。怒ったふりをしたり、不機嫌そうな顔をしたり、笑って見せたり、信じられないほど普通に。

 彼女が僕に向かって何かを言っていた。けれど僕はそれを聞き取れない。

 彼女が何を言っているのかが理解できない。
 それらはまるでのっぺりとした音の連なりのように聞こえて、英語でなければ日本語でもない、
 この世界のあらゆる言語のすべてに当てはまらないように思えた。

 救いがあるとすればそこだけだった。彼女が何を言ったかだけ、聞かずに済んだ。
 目の前が暗くなる。ぼんやりと、視界が歪む。世界が回転する。あるいは、回っていたのは僕の方だったかも知れない。

 思わず壁にもたれかかって深呼吸をする。瞼を閉じると気分が少しだけ落ち着いた。

 けれど彼女の笑顔が、呪いのように瞼の裏に焼き付いていた。

「……なんだ、これは」

 鈍い痛みが走った。ぼんやりとする視界が徐々に鮮明になっていき、痛みの在処が右手にあったことに気付く。
 コンクリートの堅さが克明に思い出される。壁を殴ったわけだ。八つ当たりか。物に当たるなんて酷い奴だ。

「……ステイル?」

 僕の名を呼んだその男を、僕は思わず殴った。
 物に当たる程度なら騒ぐことでもないかも知れない。人には手を出さないのだから。

 土御門、御坂美琴、上条当麻、禁書目録。彼らは一様に驚いて、わめき始めた。
 いや、土御門は違う。御坂美琴も、驚いただけだ。喚いているのは誰だろう。

 禁書目録だ。僕を睨んで、何かを叫んでいる。上条当麻に歩み寄って、心配そうに声をかけている。

 その声は、僕が焦がれた声であると同時に、まるで意味のない、音のつらなり程度にしか、どうにも思えなかった。




140:2011/03/04(金) 22:20:33.42 ID:SqIW35WZo



 気付けば僕は取り残され、御坂美琴はいなくなっていた。上条当麻も、禁書目録も。
 この場に残っていたのは土御門元春だけだった。

「殴ることはなかったと思うが」

「黙れ」

「アイツは禁書目録を助けた恩人だぞ」

「黙れ」

「こっちのステイル=マグヌスがあの子に嫌われたらどうする」

「黙れッ!」

 こっちのステイル=マグヌス? 知るかそんなもの。僕は僕だ。他のステイル=マグヌスなんて知ったことじゃない。

「その理屈でいけば、彼女はおまえにとっての禁書目録ではなくなるな。別人だ。何を怒ることがある?」

 彼女が禁書目録でなくなる? 僕が僕でないなら?

「馬鹿げている……!」

 仮にどこかの可能世界で、僕と彼女が幸福な未来を手に入れたとする。
 そのステイル=マグヌスは僕ではない。他のステイル=マグヌスが禁書目録と結ばれても僕は幸福にはならない。
 僕にとって重要なのは僕にとってのことであって、ステイル=マグヌスという名を共有するだけの別人はどうでもいい。




141:2011/03/04(金) 22:21:03.74 ID:SqIW35WZo


 ならば禁書目録もそうなのか?
 仮にどこかの世界で禁書目録が僕と結ばれたとして、
 僕は「彼女は僕の禁書目録ではないから誰と幸せになろうがかまわない」と考える?

 ――そんなわけがない……!

「どれだけ理屈を並べても、おまえが上条当麻を殴ったことは変わらないけれど」

 土御門の声は、既に僕には聞こえなかった。

 他の可能世界の僕は僕ではないけれど、禁書目録は僕にとって常に禁書目録だ。

 ――思い出をすべて失うというのは、それまでの人生を失うということと同義だと思う。
 面影や仕草がどれだけ似通っていても、それは似通っているだけで、既に別人だ。

 それでも僕にとって彼女は禁書目録で、彼女が笑えば僕は幸せを感じられる。
 彼女の周囲の世界を守ろうと思える。
 彼女が笑っていればそれでいいと思える。
 
 それが身体を共有しただけの別人でも、きっと僕は彼女を愛してしまう。
 だから僕は、別人だろうが記憶を失っただけの同一人物だろうが、そんなことは無関係に、彼女の為に生きると決めた。
 
 たとえば別の可能世界で、彼女が残忍な殺人鬼でも、僕を深く憎む復讐者でも、
 人を食らうような悪鬼でも、誰かを貶めて喜ぶ人格破綻者でも、
 すべてを諦めて死んだように生きていても、彼女がどんな人間でどんな姿でも、僕はきっと彼女を愛してしまうのだろう。
 それが似ているだけの別人でも、彼女の面影に姿に、言葉に、表情のひとつひとつにさえ、僕は囚われてしまうのだ。




142:2011/03/04(金) 22:21:30.04 ID:SqIW35WZo


 ――たしかに八つ当たりだ。身勝手な考えかも知れない。
 それでも考えずにはいられない。
 そんな救世主のような存在がいるなら――どうして、あっちの世界でも彼女を救ってくれなかったんだ?

 他力本願な願いかも知れない。それでも、それほどの力があって尚、どうして彼女を救ってくれなかった?
 どうして僕が彼女を追いかけるのを止めてくれなかった?
 
 どうして――誰も彼もをおとぎ話のように救う、救世主ではいてくれなかったんだろう。

 意識が失われる、気がする。

 どこかで誰かが僕を笑っていた。
 つんざくような金切り声が徐々に柔らかな笑みに消えていく。
 その表情は僕ではない誰かに向けられていて、金切り声の方がよっぽどマシだと僕は思った。

 砂糖菓子で作ったみたいな幻想じみた世界なんて、僕は認められない。

 ――視界が暗転する。ノイズ。

 さよなら、クソッタレな世界。




143:2011/03/04(金) 22:22:03.14 ID:SqIW35WZo


 ▼C


 彼女の行方が知れなくなってから、既に一ヶ月以上が経過している。
 彼女とステイル=マグヌスは、七月二十八日を最後に姿を消した。
 最後にその姿が確認されたのは学園都市。だから疑わしいのは明らかに学園都市だった。

 けれど上層部は、学園都市に対して情報の開示を求めた後、その答えが芳しいものではないと知ると疑いを外した。
 馬鹿げた話だ。家に帰ると窓が割れていて、見知らぬ人間が居た。その人物に対して「貴方は泥棒ですか?」と訊ねる。
 そして返ってきた「いいえ、違います」という何の説明にもならない宣言を、上層部が信頼するわけがない。

 なんらかの理由で、学園都市に干渉するべきではないとローラ=スチュアートは判断したのだろう。

 神裂火織は、だからこそ、必要悪の教会を裏切ることになってでも彼女を捜すことにした。

 彼女と学園都市統括理事長アレイスター=クロウリーの間で交わされている交流の方向性を彼女は知らない。

 あるいは秘密裏に交わされている密約が、ごく平和的な協定に過ぎない可能性もないではない。




144:2011/03/04(金) 22:22:29.69 ID:SqIW35WZo


 恩義を受けてそれを仇で返すのは彼女の流儀に反する。
 けれど流儀よりも、禁書目録とステイル=マグヌスのことが重要だ。

 ぎゅ、と歯噛みする。八月三十一日、彼女は夜の学園都市に忍び込んだ。

 たった一ヶ月とすこし前のことなのに、神裂はこの街で何があったのかをまるで知らなかった。

 ステイル=マグヌス。彼がどこでどうしているのかも、禁書目録がどこにいるのかも。
 せめて無事であってほしい。
 
 けれど、学園都市を探し回っても、彼らの姿はどこにもない。

 まだ初日だ、すぐに見つかるわけがないのは分かっていた。
 学園都市側がなんらかの形でそれらに関与しているなら、尚更すぐに見つかるわけがない。

 焦るな、と気持ちを落ち着かせる。

 彼女たちを見つければいい。その結果が、どんなものであろうと。




145:2011/03/04(金) 22:22:56.62 ID:SqIW35WZo


◆C


 ――九月二日。

 放課後の大通りは下校する生徒たちで溢れかえり混雑している。

 男も女も年齢も関係なく、行き、交わり、過ぎを繰り返しながら、ひとつのうねりのような人波を泳いでいた。
 その姿はきっと、空から見たら、蟻が蠢くように感じられるかも知れない。

 灰色の雲が夏の終わりの空に蓋をして、きらめくネオンが夕闇を照らしていた。

 街は普段通りにざわついているのに、どこか静謐な雰囲気を孕んでいる気がした。

 まるで夏の終わりを惜しむかのように、人々の表情が生彩を欠いている。
 美術的な価値を持つ絵画やなんかだと、描かれた人々からは一切の感情が抜け落ちてしまっているように感じることがある。
 今日の町並みは、そういう意味では芸術的だった。

 うだるような熱気は夕陽が沈みかけになっても変わらず、不愉快な汗に服がべたつく。
 必要などないのに、なぜこんな思いをしてまで外を歩いているのだったか。そう考えても、すぐに結論は出なかった。

 仕方がない。道なりに歩きながら、どうして自分がこんなことをしているかを考えてみることにした。
 ちょうどいい暇つぶしではある。予定がないので、暇など潰さなくても良いはずなのだが。

 そもそも自分は、いつから歩いていたんだろう。
 近頃では、教室でじっと座っていることが苦痛になってきた。胃がしくしくと痛んで、呼吸が徐々に苦しくなってくる。
 もちろん、少し経てば落ち着くのだが、クラスメイトたちに心配されて訊ねられても、上手に答えることはできない。
 いわばこれは、精神的なものが原因なのだ。




146:2011/03/04(金) 22:23:22.59 ID:SqIW35WZo


 成績に関して、担任の月詠小萌に呼び出されたことを思い出す。このまま行けば、なんとかギリギリ留年は免れそうだった。
 ただし、成績の方が芳しくないので勉強はしておいてくれというおまけ付き。

 理不尽だとは思わないが、どう生きても嫌なことからは逃れられないとは感じた。
 ざわつく人混みの中を縫うように歩いていると、自然とさまざまな場所からあらゆる音が聞こえてくる。

 人の声であるとか、マスク越しの咳であるとか、携帯電話の呼び出し音、ふと揺れた木々の声。
 街は音で溢れていた。

 そしてそれらに耳を傾けていると、自然と、自分がどこにいるか、どこを目指しているのか、分からなくなってしまう。

 その感覚に酩酊するために、自分は道を歩いているのかも知れない、と上条当麻は思った。
 没入感があまりにも心地良いから、つい、ここが現実だと言うことを忘れて、その感覚に浸ってしまいたくなる。

 それでも確かにこの熱気も、光景も、現実だ。
 だからこそ上条は、自らの居場所を忘れたくなるほど逃げ出したかったのだけれど。

 ふっと、意識が目覚めるように浮上して、それまで曖昧にぼやけて見えた視界がクリアになっていく。
 瞬きを繰り返すたびにそれはひときわ鮮やかになっていき、やがて正常な視力が戻ってきた。
 そうすると今度は、耳に入る音までもが、普段と同様の感覚へと近付いていった。
 普段よりも鮮明に、克明に、音が聞こえるようになる。

 それを早めるため、意識的に数々の音の中から誰かの声だけを抽出した。
 その誰かは、どんな言語ともつかない、耳に残りにくい、印象に残らないのっぺりとした音の連なりを吐いていた。
 何かの暗号か、あるいは遊びか何かだろうか。
 そう考えながら耳を澄ませたところで、上条はようやく、自分が耳にしているのが日本語であることにようやく気がついた。



147:2011/03/04(金) 22:23:50.61 ID:SqIW35WZo


 行くアテはなかった。だからこの周辺に歩いてきたのも偶然でしかない。あるいは、何かが自分の足を引き寄せたのか。
 そちらの可能性の方が高いかも知れない。今日で、この通りに来るのは何度目になるか分からなかった。

 赴くままに足を動かしていたため、上条は自分の身体が何を意図して動いているかが分からなかった。
 どんどん歩いていく。この何もない通りには、スキルアウトたちも滅多に姿を見せない。
 いるとすれば、もっと暗い場所にいる何かだ。

 廃墟に来ると、妙に心が安らいだ。夜になれば暗くて落ち着かないが、この時間帯に来るのはちょうどいい。
 誰もいない、誰も近寄らない、居心地のいい空間だった。

 上条はビルに足を踏み入れて、中を軽く見回す。誰もいない。
 汚れたエントランスを通過して、壊れかけた階段を素通りし、薄汚れた突き当たりの廊下へ向かう。
 その先には給湯室、トイレ、会議室、と並んで、一番奥に喫煙室がある。

 どんな用途で使われていたビルだか知らないが、
 学園都市にある以上、建設から何年も経ったような建物ではないはずなのに、あらゆるものが埃を被り、荒れ果てていた。

 どこもかしこも素手で触れることができないほど。埃が舞うと、窓から差し込む夕陽に照らされて白く輝いた。
 上条が喫煙室の、ボロボロになったソファに身を投げると、それはぎい、と音を立てて軋む。
 仰向けに天井を見上げる。四隅には蜘蛛の巣。この分だと、自分が今身を置いているソファにも、虫が湧いているかも知れない。
 それは不快な想像だ。けれど、今更立ち上がる気力は失われてしまっている。




148:2011/03/04(金) 22:25:01.16 ID:SqIW35WZo


 むしろ、ここまで良く耐えた、と自分を褒めてやりたいほどだ。
 それも、いつものことだ。もう今更、どうということでもない。

 何の思い入れもない建物なのに、ここにいると、上条の心はとても落ち着く。
 良質の音楽を聴いているときだとか、美味しい料理をじっくりと味わっているときみたいに。
 もっとも上条は、その感覚を久しく経験していないのだが。

 ――灰色だ、と思った。天井は土色に汚れて埃を被っていた。
 生活のすべてが薄ぼんやりとしていて、曖昧で、頼りなくて、朧気で、今にも消え入ってしまいそうだ。

 いつからだろう、自分がこんなふうになってしまったのは――。
 考えるまでもなく、上条の頭には答えが用意されていた。けれど上条は、あえて考えるのをやめなかった。
 そこで答えを出してしまったら、きっと、自分は泣いてしまうだろうから。
 自分がこんなふうになってしまった理由を、他になんとか見いだしたかった。
 けれどそんなものは、頭の中のどこを探しても、ちっとも見当たらない。

 太陽はもう眠りにつこうとしているのに、人々の気配はこれから街で蠢きだす。
 それは上条には無関係のことだ。彼にとって重要なことは、そんなところには存在しない。


 だから九月二日、彼は放課後の学園都市を歩いて、自分が求めるものの正体を探そうとしていた。




149:2011/03/04(金) 22:25:31.89 ID:SqIW35WZo


 ◆C

「いましたね」

 ソファに身体を埋めて寝転がっていると、昨日出会った少女がやってきた。
 上条は溜息をついて身体を持ち上げる。

「君はもしかして暇なのか?」

「割と」

 彼女はそういって、上条が座っている向かいに置いてあるソファに腰掛けた。

「で、どうでした?」

「何が?」

 問い返すと、何がって、と彼女は不満そうに口を尖らせた。

「私のアドバイスですよ、決まってるじゃないですか。どうしようもないことはどうにかなりそうですか?」

 ああ、と頷いてから首を傾げる。

「決まっているのか?」

「決まってます」

「君はどうやら自己完結するタイプの人間らしい」

 上条がそういうと、彼女は照れたように苦笑した。

「お互い様じゃないですか」




150:2011/03/04(金) 22:25:58.54 ID:SqIW35WZo


 彼女の言葉に、思わずムッとしかかる。けれど、そう言われればそうかも知れない。
 人の言葉を顧みず、自分が思ったように勝手に勘違いしてしまう人種。そう言われればそうだ。

「まるで俺のことをなんでも知ってるみたいな言い方をするな」

「そんな言い方してませんよ。受け取り方の問題じゃないですか?」

 それからしばらく沈黙が続いた。互いに、どうでもいいことを言い合っていることに気付いたみたいだった。
 でも、彼女に対して自分のことを正直に話す気にはなれない。どうでもいいことを言い合う関係なら、気安く、心地よかった。

 そういえば自分は、しばらく何人かの人物としか話をしていない。
 月詠小萌、土御門元春、土御門舞夏、御坂美琴、青髪ピアス。

 そんななかで、自分のことを何一つ知らない人間は、ここにいる彼女だけかも知れない。
 
「……たとえ話としてなんだけど」

 上条が口を開くと、彼女はぼんやりとした目でこちらを見た。

「おとぎ話でさ、とらわれのお姫様を助けに行く男の話があるだろう」

「お姫様ですか。それが?」

「お城には魔王がいて、男じゃとてもじゃないけど敵わないんだ。城壁はとても固くてビクともしない。
 忍び込もうものなら魔王の部下がすぐに男を見つけて食らいつくしてしまうんだ」

「難易度の高いゲームですね」

 ゲームではないけれど、と否定しようか迷ったが、そういえば、ゲームみたいな言い方をしてしまったかも知れない。




151:2011/03/04(金) 22:26:26.55 ID:SqIW35WZo


「彼の武器は身一つで、味方はどこにもいない。お姫様も助けを諦めてしまっている。
 さて、このとき、男はどうすればいいんだろう?」

 彼女は顎に人差し指を当てて考え込むように眉を寄せた。

「魔王を倒す必要は?」

「ないんだ。目的はあくまで、お姫様の救出」

「お姫様がどこの部屋にいるかは分かってるんですか?」

「分かってる。ちなみに男は、誰にも咎められずにその部屋までいく手段を持っている」

 そこからお姫様をさらって逃げる手段はないけれど。

「……壁を壊して飛び降りる、というのは?」

「壁は壊れないんだ」

 そんなわけないです、と彼女は言う。

「どうして?」

「壁が壊れないのは当たり前です。でも、王子様なら、壊れないはずの壁を壊して、開かないはずの扉を開けるのが常識です」

「……常識?」

「常識ですよ。お姫様が諦めたふりをして、やっぱり助けを待っているのも常識です」

「常識、か」

 そうですよ、と彼女は言う。
 上条はしばらく、壊れないはずの壁の壊し方を考えたが、思いつかなかった。
 けれど、開かないはずの扉を開ける方法はすぐに思い浮かんだ。




152:2011/03/04(金) 22:26:54.38 ID:SqIW35WZo


--------------------------------------◆------------------------------------- 

 廃墟の通りを抜けてすぐに、御坂美琴を見かけた。
 一緒にいたのは、見間違いでなければきっと――白濁した少年。

 彼らがいったいどのような状況で一緒にいるかは想像がつかないけれど、妹達のことで話し合っているのかも知れない。

 妹達が実験で殺されることはなくなった。
 けれど彼女たちは依然として、自分たちをいくらでも替えのきく模造品だと思っている節がある。
 御坂美琴はそれが気に入らないのだろう。
 
 一方通行と一緒にいる理由はまったく分からないが、ふと彼らが親しい人間同士だったなら、と思った。

 ――たとえばの話。

 上条当麻も、土御門元春も、青髪ピアスも、ステイル=マグヌスも、御坂美琴も、姫神秋沙も、アウレオルス=イザードも、
 妹達も、一方通行も――禁書目録も、みんながみんな、仲のいい友人同士だったなら。

 生き死にを争って日々を過ごさなくていい、何も忘れなくていい、誰も死ななくていい、誰も殺さなくていい、
 奪い合うことも殺し合うこともない、そんな世界があったなら――。

 考えたって仕方のないことだ。ステイル=マグヌスと自分が笑い合う光景を上条は想像できない。
 それでも、そんな世界があったら、どれだけ素晴らしいことだろう。




153:2011/03/04(金) 22:27:23.33 ID:SqIW35WZo


 でも現実はそうではない。

 禁書目録はまだ記憶の領域を蝕まれ、御坂美琴は自分の体細胞クローンを実験の道具にされて、一方通行はそれを悉く殺し、
 土御門元春は暗部で仕事をして、アウレオルス=イザードは何かの目的で今も街を彷徨っている。
 姫神秋沙は自らの血によって吸血鬼を殺し、上条当麻は人殺しになった。
 まるでこちらの方が悪い冗談のようだ。

 でも、だからこそ、上条は動かねばならない。

 寮の自室に戻る。土御門舞夏が玄関から出てきたところだった。
 舞夏は驚いたように上条を見上げて、呆然と口を開く。

「あ、えっと……」
 
 少し口籠もってから、彼女は小さな声で言った。

「ご飯、おいといたから」

 その表情を見て、ずきり、と胸が痛む。
 どう答えればいいかは、もう教えてもらっていた。




154:2011/03/04(金) 22:27:51.11 ID:SqIW35WZo

「ありがとう」

 そう返事をすると、舞夏は驚いたように上条を見た。

「……どうかしたのか?」

「たまに殊勝な態度を取ってみればこれかよ」

 呆れて言い返すが、自分の今までの行動を顧みれば、それも仕方ないことかも知れない。
 舞夏は笑って、じゃあなー、と間延びした声で別れを告げて出ていった。

 リビングのテーブルの上には、ラップで覆われた食器がいくつか。まだ冷めていない。
 例によって、そばにメモが置かれている。

「早めに食べること!」
 思わず、笑みがこみ上げてきた。

 メモに書いたって、早めに食べられるとは限らないよ。あと、名前は書かなくても分かる。
 おかしくて笑えてくる。上条は心の中でもう一度礼を言った。



155:2011/03/04(金) 22:28:28.01 ID:SqIW35WZo


 ◇C


 目を醒ますと、世界は確かな変遷を遂げていた。
 目覚めた場所は、あの学生寮の路地。彼女の死んだ場所。
 朝だった。灰色の雲が相変わらず空を覆っているけれど、不思議とそれは、さっきよりも明るく見える。

 僕は立ち上がって、最初に近場のコンビニエンストアを目指した。
 周囲を見る限り、時間軸に大きな変化は見られない。恐らく、彼女が死んだ夏と同じ年。
 
 まずはここがどこなのかを確認しなければならない。
 僕が元いた世界なのか、さっきまで僕がいた世界なのか、あるいはまったく別の場所なのか。
 入口を入ってすぐに、気安げな音楽が鳴って、店員がいらっしゃいませと言った。歓迎をどうも。ハローワールド。

 レジのすぐそばにある新聞を掴み取ると、若い店員がこちらを迷惑そうに睨んでいた。何かを言ってくる気配はない。
 ああ、と思い至る。日本人は異国の人間に話しかけるのを嫌うと聞いたことがある。好都合だった。

 日付は九月三日。さっきまで居たのは、八月二十四日。確かに変化はあった。



156:2011/03/04(金) 22:28:53.92 ID:SqIW35WZo

 次に確認しなければいけないのは、ここがどこか、だ。
 
 日付は分かった。もしここが僕が元いた世界なら、彼女は既に死んでいる。さっきまでいた世界なら、少し未来に来ただけだ。
 だから確認しなければならないことは、既知か未知か。
 可能性的には、さっきいた世界とほとんど同一なのに「八月二十三日に僕が来ていない可能世界」も考慮しなければならない。

 検証の方法はいくつか。禁書目録の生死を確認すること。次に御坂美琴を探しだし、面識の有無を問うこと。
 どちらも容易ではないように思えたが、ポケットに手を突っ込むとくしゃくしゃになったメモ翌用紙が入っていた。

 思いつきを実行する為に、近くを歩いていた学生のうちの一人を呼び止める。
 何人かは無視して去っていったが、そのうち一人をつかまえることに成功した。

「知り合いに連絡したいんだけど、携帯をなくしてしまったんだ。電話を貸してもらえないかな?」

 いいですよ、と少年は答えた。人のよさそうな顔をしている。彼の携帯電話を受け取って、電話番号を入力した。
 通話ボタン。聞き慣れた電子音が耳元に響く。時間が永遠のように感じられた。

 やがてその音がおさまり、ざわざわと落ち着かないノイズに混じって、たった二日間で何度も聞いた声が耳に届いた。

「御坂美琴、話があるんだ」

 開口一番そういうと、彼女は「はあ?」と意味のない声をあげた。

「アンタ誰よ?」

 その問いかけに、彼女は自分のことを知らない、と確信する。
 少なくともここは、さっきまでいたB世界とは違う場所だ。

 彼女のもっともな疑問に、僕はおさだまりのような答えを返した。

「ステイル=マグヌス」


157:2011/03/04(金) 22:29:38.46 ID:SqIW35WZo


 ◇C

 どうせ同じ場所だろうと思い、彼女と会うことにしたのは昨日も一昨日も来たファミリーレストランだった。
 ここ何日か食事を摂っていなかったことを思い出して、僕は店に入ってすぐに注文をした。
 ハンバーグランチを頼もうとすると、店員にランチはまだだと注意された。理不尽なシステムだ。
 仕方なく朝食のメニューから二、三品を選んで彼女を待った。
 九月三日は平日だ。学校があるだろうからと、時刻は夕方を指定した。
 四時半頃、御坂美琴は現れた。

「……なんなのよ、アンタは」

 開口一番、彼女はそう言った。「ステイル=マグヌス」と答えると、彼女は疲れたように溜息をついた。

「そうじゃなくて」

 と彼女が言う。まぁ、そうだろう。
 何の証明にもならないだろうが、ポケットを漁って、彼女からもらったメモ翌用紙を見せる。

「これ――」

「君の字?」

 彼女は呆然と頷く。

「しかも、私が使ってるのと同じメモ翌用紙」

 どうして、と言いたげに彼女はこちらを見る。どう説明したものか、迷う。




158:2011/03/04(金) 22:30:05.12 ID:SqIW35WZo


「その前にいくつか確認したいことがあるんだけど」

「……私はアンタに訊きたいことだらけなんだけど」

「それはちょっと置いといて欲しい」

 僕が言い切ると、彼女はいろいろなことを諦めたみたいな表情でこっちを見た。
 彼女が黙ったのを確認してから、僕は話を始める。

「上条当麻という人物は知ってる?」

「――アンタ、アイツの知り合い?」

 御坂美琴はあからさまに警戒心を強めた。
 なぜこの場からいなくなろうとしないのか、と考え掛けて、このメモ用紙が意外にも大きな働きをしていることに気付いた。

「次に、禁書目録という少女に心当たりはある?」

 そう訊ねると、今度は怪訝そうに眉を顰める。どうやら、この御坂美琴は禁書目録と面識がないらしい。
 それだけでは何も分からないが、さっきまでの御坂美琴も「禁書目録を知らない」と言っていた。
 土御門の話を聞いていたおかげで、いくらか事情を把握したようだが。

 日中、学園都市を散策して、さきほどの世界と何か変化がないかを探し回っていた。

 結果、ひとつ見つけた。さっきまでいた世界で夜を明かそうとしたとき、寝床にしようと考えていた廃墟のある通り。
 あの場所の向かいにはゲームセンターがあったが、その建物は焼け落ちていた。

 さっきまでいた世界は八月二十四日で、今いる世界は九月三日。
 その間に燃えてしまったという可能性もないではないが、その変化を確認するのは容易だ。




159:2011/03/04(金) 22:30:40.18 ID:SqIW35WZo


「この通りから十分くらい歩いたところに、ゲームセンターがあったよね」

「……ゲームセンター?」

「火事で焼け落ちてしまったみたいだけど。それはいつの話だが分かる?」

「……先月、じゃないや。先々月。七月の二十八日だったはずよ」

 やはり、ここはさっきまでいた世界とは違う。

「それで、いい加減説明してもらいたいんだけど」

「少し長くなるけど、いいかい?」

 かまわないわよ、と彼女は頷く。

「それじゃあ、順を追って説明しようか」

 まずは、二年後の七月、弔いの花束をビルの屋上から投げたところから。
 建物から落ちて目を醒ますと、目の前には御坂美琴が居た。 
 不思議と日付が変わっていて僕は八月二十三日にいた。
 そして御坂美琴と話しているうちに、タイムスリップをしたのではないかという話になった。
 けれど年月日をよくよく確認してみると、そこは一ヶ月後ではなく二年前の八月だった。
 そしてその日、僕は死んでしまったはずの人間を見かけた。
 御坂美琴にそれを話すと、「パラレルワールドに迷い込んだのではないか」と彼女は言った。
 
「死者が蘇るって発想より、パラレルワールドっていう考えが先に浮かぶのね、その私は」

「馬鹿馬鹿しい話だ。死者が蘇るわけがないだろう」

「――それはそうなんだけど」

 そして呆然としていると、その死者が僕の目の前にやってきた。
 彼女は僕が愛した人で、失ったはずの人間だった。




160:2011/03/04(金) 22:31:12.25 ID:SqIW35WZo


「……それで?」

 それで――その光景に耐えられなくなった僕は、気付けばこの世界にやってきていた。

「……なにそれ」

 本当にそうなのだから、説明のしようがない。

「その説明だといくつか分からないところがあるんだけど、いい?」

 頷くと、彼女はメモ帳を取り出してページをめくる。ペンがするすると紙の上を踊り出す。

「最初にアンタがいた世界をA世界、次にアンタがいた世界をB世界と呼ぶ」

 A世界、B世界。ふたつの世界が並ぶ。

「この際、どうして移動したかとかは抜きで考えるわよ。アンタはA世界から抜け出して、気付けばB世界にいた。
 そしてB世界に嫌気が差してここに来た。疑問がいくつかあるわ。
 ここがB世界とは別の世界だと受け取るのはいいとして、A世界である可能性は?」

「その可能性はないわけではない」

 けれど、御坂美琴がさきほどとさして変わらない容姿なのは本当だ。
 ここがA世界だとしたら、僕はただの時間移動をしただけとなる。

「つまり、確認不能ってわけ?」




161:2011/03/04(金) 22:31:39.35 ID:SqIW35WZo


 いや、と否定する。確認の方法はいくつかある。明らかに違うところを探せばいい。
 たとえば、上条当麻の様子や、禁書目録の生死なんかを。

「つまり、既知の世界か未知の世界か、ってこと?」

「理由は特にないが、ここがA世界でもB世界でもないという気はする」

「あのね、そんなのなんの説明にもなってないでしょ」

 そう言ったところで、彼女は自分が非常識なことを大まじめに議論していることに気付いたのか、こほんとひとつ咳払いをする。

「もうひとつ、疑問がある」

「……なに?」

「さっきまでの話を聞いてると、まるで世界のすべてに絶望したみたいな言い草だったじゃない。
 だったらアンタは、どうして私に連絡したの?」

「結構、簡単な理由だよ」

 僕が言うと、御坂美琴は黙って続きを促した。

「確認しなければいけないことが出来たんだ」

 それだけだよ、というと、彼女は納得できないと言うみたいに頬杖をついた。

「それと、ここがA世界かどうかを確認する方法なら心当たりがある」

 もっとも、それはなかなか難しい方法なのだけれど。
 
 けれど好都合なことに、それを確認する術はこちらへ自ずと近付いてきた。

 窓の外に、神裂火織の姿を見つけた。




169:2011/03/05(土) 19:12:27.42 ID:pwo9bbdAo


 ◇C

 御坂美琴の言葉を思い出した。ここではなく、B世界の彼女だ。

「でも、もうひとつ疑問があるの」

「疑問?」

 彼女は僕の反芻を気にも掛けない様子で、居心地悪そうに窓の外を睨んだ。

「アンタは元居た世界からこの世界に、何らかの形で移動した。それはいいの。
 ここからが問題なんだけど、アンタはいったいどうしたいの?」

「どう?」

 首を傾げると、御坂美琴は耐えきれないとでも言うみたいに「ああもう!」と喚いた。

「アンタが元居た世界をA世界、この世界をB世界として、A世界からB世界にと順々に動いて行ってるとするわよ。
 そうしたら次はどこに行くの? 他の可能世界――つまりC世界? A世界に戻るの?
 もしC世界だったら、その次は? 延々と別の可能世界を渡り歩くことになるの?
 それらの可能性を踏まえて言うわよ。アンタはどこに行きたいの?」

 A世界では、彼女は既に死んでいる。B世界には、僕の居場所なんてない。
 他の世界ではどうか分からないが、きっとどこにいっても僕の求めるものはないだろう。

 彼女が生きているとしても死んでいるとしても、僕はそれらをただ眺めることしかできない。
 最初から邪魔者なのだ。




171:2011/03/05(土) 19:14:27.00 ID:pwo9bbdAo


 ふっと、これまでのことがすべて夢なのではないかと思った。
 考えてみれば時間移動も世界移動も非常識だ。そう思ったところで、自分が魔術師だということを思い出して苦笑する。
 二年前、アウレオルス=イザードと会ったことを思い出す。

 彼は禁書目録を救う術を見つけ、彼女を捜し出そうとしていたらしいが、そのときにはすべてが手遅れだった。
 彼が彼女の後を追うようにビルから飛び降りたのは、その数日後だった。

 世界のすべてを思うままに歪める金色のアルス=マグナ。その境地に至った彼でさえ、生死を動かすことはできなかった。
 ――仮にできたとして、彼がそれで幸福になることはないだろう。それは既に偽りでしかないのだから。

 たとえば、彼女が死んだ日に、彼が黄金錬成の力によって彼女を蘇らせ、
 すべての者から彼女が死んだという記憶を消し去れば、彼女は死んでいないことになったのかも知れない。

 ――でも、それが何かの救いになるだろうか?

 彼女は死んだ。その事実は揺るがない。もし黄金錬成によって生死を歪めて彼女を蘇らせるとする。
 ――それはいつまで?

 じゃあ、次に彼女が死んだときは? 彼女が死んだ次の日かも知れない。一週間後か、一ヶ月後か、数年後か。
 彼女が死ねば、彼はまた黄金錬成で彼女を蘇らせる。
 それをいつまで繰り返すのだろう。
 
 彼女が「もう満足した」と老衰で死にゆくまで? あるいはそれすらも認めず?
 それとも、カインの末裔のように、彼女に永遠の命でも与えるのか?

 誰かを救おうとするとき、自分が救われようとするとき、
 僕たちはたとえそれが可能であっても、生死を忽せにすべきではないのかも知れない。

 だとすればこれから先どこに辿り着こうと、
 元居た世界以外では異端者でしかない僕は、二度と生きた彼女と出会うことはできない。




172:2011/03/05(土) 19:15:20.19 ID:pwo9bbdAo


 僕にとっての幸福は、苦悩は、悲哀も憤怒も喜楽も、そのすべてが彼女の為のものだった。
 僕の命は彼女そのものだった。

 ならば僕は、これから先、彼女とどれだけ巡り会おうと、既にすべてを失ってしまっている。
 僕が彼女を失ってしまったことは揺るがないのだから。どれだけ他の彼女にあったところで、それは僕が求める彼女とは違う。

 だからきっと、僕はもうどこにも行きたくない。B世界もC世界もD世界も、僕をより悩ませる種にしかならない。
 そして唯一僕が存在できるA世界には彼女はいない。彼女はどこの世界を探しても見つからない。

 だから、僕は本当はどこにも行かなくてかまわない。A世界に帰る手段を探そうとしなかったのも、本当はどうでもいいからだ。

 今居る場所も元居た場所も、所詮、僕にとっては何の価値もない場所だ。

 そして、どこにも行きたくない、どこにも居たくないということは、つまり――。

「分からない。流されていただけなんだ」

 やっとの思いで言葉を吐き出すと、彼女は深く溜息をついた。

 だから僕は、せめて、最後に確認したいことがあった。
 それが終われば、本当に、どんな世界にも用事はない。




173:2011/03/05(土) 19:15:46.67 ID:pwo9bbdAo


 ◇C


 御坂美琴をファミリーレストランの席で待たせて、神裂火織と接触した。
 彼女は僕の姿を見つけた瞬間、死人でも見つけたみたいに驚いていた。

「……生きていたんですか」

 酷い言い草だ、と苦笑する。

「残念だけど、それは分からない」
 
 正直に答えると、神裂はひどく混乱した様子だった。けれど僕は、この世界のステイル=マグヌスの生死を知らない。

「死んだ、と、聞かされたんです。今日……」

「誰に?」

 場合によっては、本当かも知れない。彼女は僕をステイル=マグヌスと錯覚しているようだったが、僕は彼女の求める彼ではない。
 言うなれば彼女にとってのステイル=マグヌスBであり、ステイル=マグヌスAの所在は僕には分からない。

「……上条当麻に」

「――――」

 その名に、一瞬思考が凍る。
 ――落ち着け、今は、彼のことはいい。




174:2011/03/05(土) 19:16:12.84 ID:pwo9bbdAo


「土御門は――」

 と、彼の生死を問おうとしたときに、それが無意味だということに気付く。
 彼の死の知らせが来たのはA世界、しかも時間軸から見れば未来のことだ。
 彼が生きていても死んでいても、何一つ分からない。
 
 はっきりと確認する手段はひとつだった。

「――禁書目録の行方は?」

 僕が訊ねると、彼女は愕然として目を見開いた。

「どうして、貴方が訊くんですか……!」

 神裂は子供が駄々をこねるような表情で僕を睨んだ。目元に涙が滲んでいる。

「貴方たちの行方が分からなくなってから、私がどれほど……!」

 神裂の涙は本物だろうけれど、それは僕に対するものじゃない。

「悪いけど、その言葉を僕に言うのは筋違いだ」

 言うと、神裂は呆然と僕を見た。

「説明させて欲しい。それとついでに――ここの様子も教えて欲しいしね」

 ああ、そういえば。
 いつのまにか確信に変わっていたけれど、やはりここはA世界でもB世界でもない、三番目の世界だったらしい。




175:2011/03/05(土) 19:16:39.79 ID:pwo9bbdAo


 ◆C


 朝、学校へ行く準備を済ませて玄関を出ると、土御門元春がちょうど部屋の前に立っていた。

「おはよう、カミやん」
 
 軽薄な口調と物腰、用事があるわけではないらしい。偶然、時間が合っただけなのだろう。
 土御門と一緒に登校することになって、上条は少し彼を怪しんだ。
 仕事の話ではないだろう。ならば、舞夏のことか? あり得る、とは思った。

「なあ、カミやん」

 口調は軽薄なままなのに、表情がどこか真面目な風だった。
 上条には、彼が何かを言おうか言うまいかを迷って、口の中に言葉を彷徨わせているように見えた。

「あのさ」

 そんなふうに、彼は何か、自分のどこか深い部分をさらけだすように、慎重に、こちらの反応を見定めるように口を開いた。

「俺のことをさ、恨んでるか?」

 彼の表情が、悲しげに歪んだ気がした。自嘲するような笑み。その態度が、彼には相応しくないものに思える。

「どうしたんだよ、いきなり」

「いきなりじゃないんだ。ずっと思ってたんだよ」

 にゃー、という語尾はつけずに、でも、真剣なときとも違う口調。どちらの顔でもない、不自然な姿。
 ――どれが彼にとってのペルソナなのだろう。どの彼が本物なのだろう。それを、舞夏なら知っているのだろうか。




176:2011/03/05(土) 19:17:06.25 ID:pwo9bbdAo


「あれこれ理屈を並べたりはできない。仕方ないことってワケでもなかった。それでも結果的に俺は――」

 そこで言葉を一度止めて、彼は呻くように息を吐いた。

「あのさ、土御門」
 
 もしかしたら、彼も自分を心配していたのかも知れない。ずっと、土御門は自分に対して関心を持っていないものだと思っていた。
 上条当麻という人物に対しては、幻想殺し以上の価値を見いだしていないような、そんな人物なのだと思っていた。
 あるいは、そうではなかったのだろうか。
 きっとそれは土御門本人も分かっていないのだろう。

「恨んでないって言ったら嘘になるけど、恨んでるってわけじゃないだ。自分でも上手く説明がつかないんだけど……。
 おまえが何かをしたからとか、しなかったからとか、どうでもいいんだ。そんなことは関係ない。
 俺にとって重要なのはさ、自分が今いる場所が、誰のせいでもなく自分の選択でしかないってところなんだよ。 
 一人で選んだわけじゃないし、おまえが原因の一端になっているかも知れない。でもそれは重要じゃない。
 客観的に見たらおまえの存在は確かに大きな影響を持っていたけど、でも、結局選んだのは俺なんだ」

 自分たちは常に訳の分からないことだらけの世界を漂っていて、その中で精一杯に自分なりの行動を取ったり取らなかったりする。
 だから悩んでいても仕方ないことを、いつまでも、ぐるぐる、ぐるぐると悩んでしまう。一人で抱え込んでしまう。
 挙げ句の果てに、誰かの感情や想いでさえも自分で勝手に名前をつけて、そう思いこんでしまう。

 ひょっとしたら今まで、自分はあらゆることを見逃してきたのかも知れない。
 いろんな人が何らかのサインを自分に出していて、自分はそれらのすべてを気付くことなく無視してきたのかも知れない。




177:2011/03/05(土) 19:17:43.65 ID:pwo9bbdAo


 何が変わったわけではない。それでも、自分の中で何かが、確実に変化しつつあった。
 なぜだろう、と上条は考える。

 背後から声がかけられる。振り返ると、御坂美琴がいた。

 おっす、と声をかけると、おっす、と声が返ってくる。不思議な感覚だった。

「カミやん、用事を思い出したから、俺は先にいくぜい」

 からかうような表情で、彼は先に歩いていった。
 ああ、と頷く。けれど、彼の用事とはなんだろう。

 御坂美琴は何も言わず、上条の隣を歩いていた。

「あのさ」

 御坂美琴もまた、何かを言いたげに口籠もった。
 ――今までぼんやりと見えていたものが、急に鮮明になったような感覚がある。

「ずっと訊きたかったんだけどさ、その。アンタ、さ、なんか、悩みでもあるの……?」

 その言葉に、今度は上条が驚いた。
 彼女はまさか、自分を心配しているのだろうか。

「私、そういうの苦手だし、ひょっとしたら話したくないことなのかもとも思ったんだけど、ずっと、気になってて」

 御坂美琴は俯いて、上条にその表情を見せてはくれなかった。




178:2011/03/05(土) 19:18:10.33 ID:pwo9bbdAo


「何回も訊こうとしたんだけど、いっつも上手く言えなくて、勝手に怒ったりして――」

 ごめん、と彼女は言った。なぜ謝られているのか、上条はまったく分からなかった。
 彼女が自分に対して、必死に謝っている。どうしてそうなるんだろう。

「……軽蔑されてるのかと思ってたんだけど」

 上条がそういうと、御坂は言葉の意味が理解できないと言うみたいに首を傾げた。

「私が、アンタを? なんで?」

 なんでって、と言葉に詰まる。二万人の妹達の殺害を過程とする絶対能力進化計画。
 それを見過ごせと、上条は言ったのだ。軽蔑されても仕方ない。

 なんでよ? と御坂は心底不思議そうに疑問を呈する。

「最初は、そりゃあ、何だコイツ、って思ったわよ。でも、結局アンタは助けに来てくれたじゃない」

 助けた? ――違う。

「助けてなんかいない。首を突っ込みにいっただけだ。俺が行ったところで、実際、あの実験はどうにもならなかった」

 あの夜、上条が操車場に行ったのは、別に彼女を助ける為でも、
 彼女の妹に同情したからでも、一方通行に腹を立てたからでもない。

 ただなんとなく足が向かって、結果的に上条がそこについたタイミングで、一方通行の気が変わっただけに過ぎない。
 助けてなんていない。

 御坂は呆れたように溜息をついた。そうしてしばらく黙り込んだ後、少し拗ねたみたいな表情をした。




179:2011/03/05(土) 19:18:42.77 ID:pwo9bbdAo


「あのね、アンタがどう思ってるか知らないけど、私はそう思ったのよ。
 アンタが来たから一方通行は実験をやめたわけじゃないかも知れない。アンタが来たところで、何も変わらなかったかも知れない。
 でも、アンタが来て、実験は終わった。本当はあの日、死んでもいいくらいの気持ちでいたの、私。
 もうどうにもならないんだって、自分じゃ何もできないんだって、自棄になって。
 それでも、アンタが来てくれて、嬉しかったのよ、私は。
 それだけで、救われた気分になったの。それは、なにかいけないこと?」

 彼女はまくしたてて、上条を睨んだあと、恥ずかしがるみたいに顔を背けた。

「アンタは助けてないっていうけど、一方通行が実験をやめたのだって、アンタが理由になってる部分はあると思う」

 だから、と彼女は言う。

「私はアンタに感謝してる。アンタが何かを悩んでるなら力になりたい。そう思ってるの」

 上条の視界が、徐々に鮮明になっていく。
 朧気だった視界が、どんどんと、姿を変えていく。
 
 自分は、何かを見誤っていたのかも知れない。

 彼女が自分に感謝をするなんて、救われたと感じるなんて、考えても見なかった。
 実際、上条は何もしていない。――もし一方通行から攻撃を受けたらと保険はかけていたけれど、それも使わなかった。

 そういえば、と上条は思い出す。

「昨日、一方通行と一緒にいるところを見たけど、あれは?」

 御坂は一瞬、話題が変わったことに気付かずに黙っていたようだったが、言葉をよく咀嚼してからその意味を把握したのか、
 ああ、アレ、と呟いた。

「妹達のことでね。解決したからいいんだけど」

「妹達?」

「まぁ、ちょっとね」

 きっと彼女には、これから先起こりうる未来の中でも、どうしても避けたい未来があるのだろう。
 そしてそれを認めない為に、これからも彼女は、避けたい未来に抵抗を続けるのかも知れない。
 目指す未来に行くのではなく、絶対に認めたくない未来を避け続けていくのかも知れない。




180:2011/03/05(土) 19:19:09.79 ID:pwo9bbdAo


 ◆C


 先週の日曜会ったときの、月詠小萌の言葉が思い出された。

『たとえばの話です。たとえば……どうしようもないことがあるとするでしょう?』

 どうしようもないこと。

『どうしようもないことを、それでもどうにかしたいときは』

 死者を生き返らせたり、失った記憶を取り戻したり――。

『……どうすれば、いいんですかね』

 そう訊ねた上条に、彼女は優しく微笑んで答えた。

『どうにもならないことは、どうにもしなくてもいいのです』

 それでもどうにかしたいことがあるのなら、と彼女は言った。

『どうにもならないことだとしても、抵抗しなければならないのです』

 ――御坂美琴が、絶対に敵うはずのない敵に立ち向かったのも、きっとそれと同じ理由だったのだろう。
 
 彼女と別れてから、上条はそんなことを考えた。


181:2011/03/05(土) 19:19:47.09 ID:pwo9bbdAo

 
 学校に行く気分ではなくなって、制服のまま町中を徘徊してみることにした。

 道はどこかへ向かうものだが、目的地がない人間はどうするのだろう。
 ひとまず歩きまわるのか、あるいは立ち止まってどこにも行かないのか。
 あるいは目的地などいらず、ただ闇雲に歩き回るだけで、日々を過ごせてしまうのか。
 
 昨日会った少女の言葉を思い出す。
 壁が壊れないわけがない、と彼女は言った。

『壁が壊れないのは当たり前です。でも、王子様なら、壊れないはずの壁を壊して、開かないはずの扉を開けるのが常識です』

 常識なら仕方ないのかも知れないな、と上条は溜息をつく。

 ――背後に、気配があった。

「……幻想殺し、ですね?」

 凛とした女の声。
 ざわつく街の中で、まるで折り重なる別世界からの声のように、その音は上条の耳に突き刺さるようにはっきりと聞こえた。

「少し、話を聞きたいのですが」

 一瞬、世界から他の音が消えたように感じた。
 それはただの錯覚で、気の迷いだ。けれどその瞬間に、上条は漠然とした恐怖を感じた。




182:2011/03/05(土) 19:20:13.76 ID:pwo9bbdAo


「禁書目録という名前に、心当たりはありますか?」

 言い方こそ丁寧だが、そこに遜るような気配は微塵もなかった。
 答えないのならば答えないで構わないと、相手を突き放すような言い方だった。

 上条が、何者かを疑問に思うより先に、彼女は名乗った。

「神裂火織、と申します。……できれば、もうひとつの名は名乗りたくないのですが」

 そのあからさまな脅迫に、上条はどう反応するべきかを迷った。
 アウレオルス=イザードや、ステイル=マグヌスに教えられた。魔法名。魔術師がもつもう一つの名。意味は、殺し名。

「彼女の知り合い?」

 上条は平静を装って問い返す。目の前の女と戦う理由はない。
 禁書目録を狙う魔術師だとしても、アレイスター=クロウリーの指示がなければ上条当麻が動く理由はない。

「……彼女を知っているのですね」

 神裂と名乗った女の声音に、剣呑な響きが加わる。
 彼女の目的が分からないことには、上条は答えるわけにはいかなかった。

「どうして、俺が禁書目録を知っていると思ったんだ?」

 神裂は一瞬、不審そうに眉をひそめた。
 上条が黙ったままでいると、彼女は話が進まないと感じたのか、溜息をついて答えた。

「幻想殺しの少年が何らかの関与をしているだろうという話は、土御門から聞いていました」

 土御門。また彼の名前だ。彼はいったい、誰の味方で誰の敵なんだろう。
 舞夏の味方で、それに仇なす者の敵なんだろう、と不意に思った。




183:2011/03/05(土) 19:20:39.70 ID:pwo9bbdAo


「少年、正直に答えて欲しい。禁書目録と、ステイル=マグヌスはどこにいるのですか?」

 ――ステイル=マグヌスの名を聞いて、また、赤い視界が蘇る。
 黒煙、炎、血だまり。

「……禁書目録の居場所なら知ってる」

 なぜ自分が正直に答えたのか、上条は自分でも分からなかった。

「教えるのは、ちょっと待って欲しい。ひとつ言えることは、彼女は生きている、ということだけだ」

 上条が言い終わると、神裂は息を呑んだ。そして一瞬後、何かに気付いたみたいに明るくなりかけた表情を再び硬直させた。

「彼女、は……?」

 そう、「彼女は」。

「ステイル=マグヌスは死んだよ。俺が殺した」




184:2011/03/05(土) 19:21:05.91 ID:pwo9bbdAo


 ◇C


 御坂美琴のところに戻ると、そこには見知らぬ少女が座っていた。
 僕が戻ってきたことに気付くと、御坂美琴は困ったような顔をした。

「……そちらは?」

 僕が問いかけると、彼女は苦笑して「後輩」と教えてくれた。

「お姉様、こちらの殿方は?」

「あ、えっと……」

「ステイル=マグヌス」

 名乗って、席に戻る。神裂もそれに従い、僕の隣に座った。

「えっと、そっちの女の人は……」

「知人だよ」

 神裂が名乗ると、対面に座るふたりも自己紹介を始めた。
 白井黒子と名乗る少女は、こちらを警戒していた。――不都合があるかも知れないが、構わない。




185:2011/03/05(土) 19:21:40.52 ID:pwo9bbdAo


「失礼ですけれど、貴方がた、学生ではありませんよね?」

「まぁ、当然」

「ですわよね。では、教員の方?」

「いや」

「ならば、学園都市内部で働いていらっしゃる方でしょうか?」

「ちょっと黒子」

 質問責めを続ける白井黒子を、御坂美琴が諫めようとしたが、彼女は構わず言葉を続けた。

「お姉様は黙っていてくださいまし。第一警戒心がなさすぎますの。初春があんな目にあったばかりなのに――!」

「――済まないがそう言う話をしたいんじゃないんだ」

 僕がそういうと、白井黒子は面食らったような顔で黙った。
 まだ何かを言い足りないような顔をしていたが、僕が構わず話を続けると、すぐに何も言わなくなった。




186:2011/03/05(土) 19:22:04.61 ID:pwo9bbdAo


 僕がそういうと、白井黒子は面食らったような顔で黙った。
 まだ何かを言い足りないような顔をしていたが、僕が構わず話を続けると、すぐに何も言わなくなった。

 神裂火織によると、禁書目録は生きているらしい。少なくとも、上条当麻がそう言ったという。
 
「……上条、って、アイツのこと?」

 頷くと、御坂美琴は複雑そうに表情を曇らせた。
 彼が隠していたことにショックを受けたのか、あるいは何か思い当たる節があるのか。
 それはさだかではないが、構わず話を続ける。

「ついでに、こっちの僕は死んでいるらしい」

「……は?」

 と言ったのは、御坂美琴か、白井黒子か、神裂火織か。

「ちょっとまって。アンタが死んでるって、どういうこと?」

 どういうことも何も、と僕は言い返す。

 僕はA世界のステイル=マグヌスだ。
 B世界にはB世界のステイルがいたし、C世界にもそれがいて、死んでいたとしてもなんの不思議もない。

 そういうと御坂美琴は押し黙った。




187:2011/03/05(土) 19:22:30.40 ID:pwo9bbdAo


「ステイル……? 話がまったく読めないのですが」

 神裂火織に、僕は出来うる限り正直、かつ正確に、僕の身に起こったことを話しはじめた。
 僕が見てきた二つの世界。二年後の世界から、二年前のA世界への移動。
 そこで見た、上条当麻や禁書目録、御坂美琴や土御門元春のことは、彼女たちに話す気がしなかった。
 それを聞いたら少なからず、彼女たちはショックを受けるだろうから。

 神裂は話を聞き終えてもよく理解できていないようだった。
 世界は違っても、彼女の人間性に変化がなかったことに、少しだけほっとした。

「あのさ、長々と話をさせて悪いんだけど」

 御坂美琴は何かの余韻を断ち切るみたいにはっきりとした口調で言った。

「結局アンタはどうしたいの? 私、未だに自分がここにいる理由が分からないんだけど」

 僕がどうしたいか。そんなことは、決まっている。
 僕は禁書目録を助けたかった。

 とても残酷なことに、それができるのは僕ではないのだけれど。

「上条当麻に会いたい」

 会って、あの少年の力を借りなければならない。そうしなければ彼女の首輪を解くことは出来ないのだから。




188:2011/03/05(土) 19:22:59.02 ID:pwo9bbdAo


 ◆C

 上条は、呆然と立ち尽くす神裂火織を置き去りにして、学校へと向かった。
 サボろうと思っていたはずなのに、自然と足が学校へと動いていた。
 
 きっと、あの光景を思い出したからだ。

 皮肉を残して消えた少女、ステイル=マグヌスの狂ったような笑い声。誰かが助けを呼ぶ声と、轟々と酸素を吸う炎。

 あの日、上条当麻は禁書目録の少女と接触した。
 地獄の底までついてきてくれるかと問いかけた少女に、上条は頷いた。

 目的は彼女を守る歩く教会の破壊。アレイスターから指示された行動だった。

 そのことが持つ意味は分からないけれど、今思えば、
 アレイスターは自分がするひとつひとつの行為によって何が起こるかを実験していたようにも思える。
 そのときは、そんなことんはまるで気付かなかったのだけれど。

 禁書目録と一緒にいると、そう時間の経たない内にステイル=マグヌスが現れた。

 歩く教会を破壊したあとの具体的な行動は指示されていなかったが、
 イギリス清教の人間に引き渡すべきではないだろうと勝手に判断した。
 ステイル=マグヌスを追い払い、禁書目録と共に逃げ回ろうとしたが、二日を過ぎた頃に彼女が自分のもとから逃げ出した。
 何を考えたのかは、分からない。




189:2011/03/05(土) 19:23:27.65 ID:pwo9bbdAo


 その後必死になって彼女を捜すと、ステイル=マグヌスの姿はすぐに見つかった。
 彼は上条に禁書目録に関する様々なことを教えてくれた。
 完全記憶能力によって記憶の領域を蝕まれ、一年以上の思い出を記憶すると死んでしまうこと。
 その為に、彼女を生き長らえさせる為に「きわめて人道的な処置」として記憶を消し去ること。
 その刻限が七月二十八日だということ。

 せめてもの情けだとでも言うみたいに、彼は禁書目録を上条の元に置き去りにして、二十八日にまたやってくると告げた。

 上条は混乱した。どうすればいいか分からなかった。
 けれど結局、どうすることもできなかった。

 最後、禁書目録と別れるとき。
 彼女は囁くように、諦めたように、「君はうそつきだね」と言った。
 とても、皮肉めいた声で。

 後になって土御門から聞いてみれば、完全記憶能力によって記憶が圧迫されることはなく、
 彼女を苦しめているのは自らの思い出でも十万三千冊の魔道書でもなく、彼女に施された魔術だという。
 お笑いぐさだった。

 上条当麻はステイル=マグヌスが彼女の記憶を失わせる瞬間を目撃することはなかった。
 幻想殺しは魔術の行使に邪魔になるからだ。

 けれど、すべてが終わった後、ステイル=マグヌスが去るより前に、上条当麻は禁書目録を攫った。

 なぜそうしたかは分からない。
 不思議なことに、必要なことをすべて終えたはずのステイル=マグヌスが、上条当麻を追いかけてきた。

 彼は禁書目録を「回収」すると言った。その割には、好き勝手彼女を逃げ回らせていたと思う。
 彼女を監禁しようと思うなら、不可能ではなかったはずなのに。まるで追いかけっこを楽しんでいたようだ。
 既に彼は、どこかで狂っていたのかも知れない。




190:2011/03/05(土) 19:24:06.30 ID:pwo9bbdAo


 土御門に連絡すると、アレイスターからの指示が聞こえた。禁書目録を手放すな、ステイル=マグヌスを殺害しろ。
 土御門の声が、ひどく鋭利に、無感情に聞こえた。
 ――面白いことに、人殺しの指示を受けたのはその日が初めてだった。
 
 そう時間が経たず、座標移動を名乗る少女が禁書目録を受け取りにきた。

『つまらない顔をしているわね――』

 心底退屈そうな顔で、彼女は気を失ったままの禁書目録を抱え、すぐにいなくなった。

 彼女と合流したのは人通りの多い栄えた通りで、近くにゲームセンターがあった。
 人混みに紛れようと、暗い建物の中に入っていった。

 逃げると追われる。離れれば近寄る。奥へ奥へ、誰かの怒鳴り声を聞いて、まるで別の何かから逃げるみたいに。
 ――自分は何から逃げていたのだろう。アレイスターの指示は「殺せ」だった。
 どうして自分はステイル=マグヌスから逃げているのだろう。どうして、殺さないんだろう。

 ――散らばるカードを見た瞬間、視界は赤く染まっていた。
 誰かが何かを笑っていた。哄笑が響く。赤い視界。
 
 狂ったようなステイル=マグヌスの笑い声。人々の叫び。火はすぐに燃えさかり、誰も彼もが逃げまどう。
 誰かのうめき声。痛みを堪える誰か。煙に咳き込む誰か。誰か。誰か。誰か。
 火に包まれても、ステイル=マグヌスは上条を追い続けた。上条は逃げ続けた。けれど建物の中、逃げ切れるわけがない。

 どんな建物にも天井がある。それは屋根があるということだ。
 上条は上へ上へと逃げる。ステイル=マグヌスは上へ上へと追いかけた。

 やがて辿り着いた屋上で、ステイル=マグヌスは笑うのをやめた。

 まるで耐えきれないとでも言うみたいに。

 狂った炎が上条を襲う。上条は右手で防ぐ。なぜだろう、彼が上条の行動を阻むことはなかった。




191:2011/03/05(土) 19:24:30.33 ID:pwo9bbdAo


 ――最後。
 上条当麻が震える手で隠し持っていた拳銃を向けると、彼はすべてを受け入れるように両手を広げた。
 悪夢のような、冗談みたいな光景だった。
 
 彼の身体がすぐに倒れて、そのあと何度かビクビクと痙攣した後、やがて動かなくなった。
 
 轟々と、炎の音。上条の耳にはそれが笑い声のように聞こえた。

 踊るんだよ、と誰かが囁いた。

 ――その後のことは、よく覚えていない。

 もう、思い返すのはやめよう。考えるのもやめよう。
 もう存在しない光景だ。過去は過去だ。過ぎたことは既に過ぎ、終わったことは既に終わっている。
 だから、もう関係ない。

 学校へ行って、日常を感じよう。
 けれど、どんなに努力をしても上条の心が元に戻ることはなかった。
 どんなに足掻いても、ステイル=マグヌスの最後の姿が、禁書目録の言葉が、頭から離れない。




192:2011/03/05(土) 19:24:56.56 ID:pwo9bbdAo


 ――九月三日、九月三日。ステイル=マグヌスが死んだ七月二十八日から、既に一ヶ月以上が経っている。
 もう忘れるべきだ。これからもこんなことはまだまだ起こる。

 ステイル=マグヌスはどこにもいないし、禁書目録は何も覚えていない。

 だから、何も考えるな。

 ――それなのに。

 学校帰り、街をいつものように無意義に徘徊していた上条当麻は、ステイル=マグヌスと出会うことになった。

 夕方六時。ステイル=マグヌスは、呆れたような無表情でこちらを遠くから眺めるみたいに立ち止まっていた。

「やあ、救世主」

 どうして、と口から声がこぼれた。

「早速で悪いけど、長々と説明してやるつもりはないんだ。単刀直入に聞きたいんだけど――君は禁書目録をどうしたいんだ?」




193:2011/03/05(土) 19:25:25.66 ID:pwo9bbdAo



 ◇C


 夕方六時。僕の姿を見つけた上条当麻は、死人を見たような顔で呆然と人々のうねりの中で立ち止まった。
 彼からすれば、死人をみたような、ではなく、実際に死人を見た心地だろう。

「やあ、救世主」

 どうして、と上条当麻は言った。

「早速で悪いけど、長々と説明してやるつもりはないんだ。単刀直入に聞きたいんだけど――君は禁書目録をどうしたいんだ?」




201:2011/03/06(日) 18:40:56.07 ID:JCjTCuSAo


 ◆C


 別に深い理由があったわけじゃない。
 ただ、なんとなくもやもやして、気に入らなくて、悔しくて。

 だからこそ、アレイスター=クロウリーの甘言に乗せられた。
 ――誰かの為に働いて、自分の力を証明すれば、役立たずでも疫病神でもないと証明できれば、誰かに認めてもらえる気がした。

 誰かって誰だよ。
 誰に認めて欲しかったんだろう。
 
 アレイスターは上条当麻を、どんな組織にも所属しない、あらゆる存在に対するジョーカーとして用意した。
 対魔術、対能力者の切り札。直接会うことはなかったけれど、土御門から何度も聞かされた。

 アレイスターの部下たち、学園都市の暗部組織。それらの中には高位の能力者も存在する。
 また、外部の魔術結社からの刺客、ないし流れ者の魔術師による襲撃。

 それらによる暴走や混乱を防ぐ為に、アレイスターは自分を用意したのだと言う。

 ――仕事を引き受けてから最初は、することはほとんどなかった。
 たまに暴走しかけた能力者を殴りにいったり、問題があるという研究所に連れられていったり。
 
 どうやら「幻想殺し」というキーワードを、悪魔の代名詞のように使っていたらしい。
 そうすることでアレイスターは、上条当麻を抑止力として使った。

 アレイスター直属の部下であり、同時にありとあらゆる存在を容易に消し去る幻想殺し。
 噂は瞬く間に広がった。もちろん、上条当麻という個人ではなく、「幻想殺し」という能力者の噂だが。




203:2011/03/06(日) 18:42:05.67 ID:JCjTCuSAo


 特に何をやったわけでもないのに、自分が選ばれた人間のような気になっていた。
 天狗になっていたわけじゃない、と思う。

 一方通行が幻想殺しに怯えて手を引いたわけでもないだろう。
 アイテムの麦野沈利も、決して上条に対して遜ったりはしなかった。

 つまり自分の存在なんて、その程度のものだ。
 実績がないから誰も信用しない。けれどアレイスターの直属の部下だという噂だけで、研究者たちは一応従ってみせる。

 ――最初の頃は、だが。

 暴走しかかった研究所や不穏な空気を見せた能力者の集団をひとつひとつ潰していくと、それらもやがて本当になった。

 そしてステイル=マグヌスと禁書目録。明るみには出ていない事実は、ひとつの都市伝説として流布された。

 炎を扱う外部の能力者とありとあらゆる異能を消し去る少年の話。
 そしてそれが事実だと、一部の人間は気付きはじめた。

 それから上条に対して、研究者たちはより従順に、能力者たちはより敵意を剥き出しにするようになった。
 ――学園統括理事長の狗。猟犬部隊とも別の指針で行動をする、対魔術、対能力の切り札。
 そう思われていれば、実験に介入するのは容易だった。
 だから一方通行の実験を、上条は強引に終わらせようとした。
 一方通行に勝てる自信があったわけではない。ただ負けるつもりもなかった。

 ――自分はなぜ、あの実験を止めようとしたのだろう。いざとなれば、一方通行を殺すつもりでいた。
 それは多分、御坂美琴に、あの計画に関わるなと忠告したのとまったく同じ理由なのだと思う。
 助けたかったわけじゃない。死んで欲しくなかっただけだ。 
 



204:2011/03/06(日) 18:42:31.69 ID:JCjTCuSAo


 ベクトルを司る一方通行は、自らに向けられたありとあらゆる敵意を跳ね返す。
 子供の癇癪みたいに。

 彼と自分が戦ったとして、可能性はふたつだけだった。

 傷一つつけられない、か、一瞬で倒せる、か。

 自分の右手で触れている場所だけが反射を免れるのなら、倒す自信はなかった。 
 自分の右手が触れているだけで、彼が能力を発動できなくなるのなら、恐らく戦闘は一瞬で終わったはずだ。
 懐に忍ばせた鈍色の拳銃を用いて。
 ステイル=マグヌスのように。

 けれど結局戦いにはならず、一方通行は呆れたように上条の元を去った。
 邪魔が入ったとか、水を差されたとか、気が殺がれたとか、そういう表情ではなく。
 まるで「やってられない」とでも言うみたいに、彼は上条の顔を見て舌打ちをした。

 なぜだろう。とてもやるせなくて、苦しくて、どうしようもなく悲しいのは。

 何を失ったわけでもなかった。
 強いて挙げるなら「自分は過ちを犯していない」という誰もが知らず知らずの内に持っている根拠のない確信は、失われていた。

 だが、そんなものが必要だったわけじゃない。正しいかどうかさえ、上条にはどうでもいいことだった。
 上条にとって重要なことは――重要なことは、そんなところにはなく。

 何かを失うこと。そばにあるはずのものが失われること。
 自らのそばに変わらずあったものが、まるで悪い冗談のように消え去ってしまうこと。
 それだけがとても、恐ろしかった。




205:2011/03/06(日) 18:43:08.90 ID:JCjTCuSAo


 その意味では上条当麻は、なにひとつ失っていないはずだった。

 ステイル=マグヌスは元々上条には無関係の人間だし、禁書目録もそうだ。
 禁書目録に至っては死んですらいない。忘れて、監禁されているだけだ。
 会おうと思えばいつでも会えるし、これから先彼女ともっと親しくなっていくことだってできる。

 ――それなのに、心が満たされないのはどうしてだろう。

 実験を止めようとしたあの日、上条当麻はアレイスターに反逆するつもりだった。
 彼に逆らってでも、御坂美琴に生きていてほしいと望んだ。
 それは悔恨から来た歪んだ形の罪滅ぼしにすぎない。
 禁書目録を救えなかった自分が、どうすれば赦されるかを求めたに過ぎない。

 禁書目録は救えない。
 人物を人物たらしめるのは同一性ではなく連続性だ。
 同じ体、同じ姿、同じ表情、同じ魂を持ってさえ、連続性無しに人物は人物足り得ない。
 
 もし仮に自分が今までの記憶をすべて失えば、それは「上条当麻」を名乗る別人だ。
 仮に魂が同じでも、そこに宿る記憶がなければ、自分は自分ではない。

 だから彼女は既に死んでしまった。今いるのは、禁書目録として生きることを宿命付けられた哀れな少女でしかない。
 今更何をしても彼女を救えることはない。

 ならばなぜ自分は彼女に執着しているのか。
 上条当麻はなぜこんなにも、既に死んでしまった禁書目録ではない――あの囚われの少女を思い出しているのだろう。

 だから上条の胸にあったのは後ろめたさだった。




206:2011/03/06(日) 18:44:04.41 ID:JCjTCuSAo


『もし、外に出れたら』

 禁書目録であって、既に禁書目録ではない少女。目が褪めたときには逃れようのない檻の中に隠された少女。
 そこから前の記憶が存在しない。彼女が持つ世界は、十万三千冊の魔道書とあの白い建物のみ。
 あの薄暗い病室が、彼女のすべてだ。

『外に出れたら、って考えるの。でもそのたび――』

 禁書目録は、寂しそうに言った。

『――分からないの。どんなものがあるか、とか。どんなふうになってるか、とか。
 実際に見てみれば、知識としては分かるんだと思う。でも、そこに自分がいる光景が、まるで想像できない』

 ステイル=マグヌスの言葉を思い出す。

 ――彼女の為に生きて、彼女の為に死ぬ。

 それは、どの彼女だろう。
 彼との思い出を失った彼女は、彼が守ると決めた彼女と同一だと言えるだろうか?

 だからずっと疑問だった。ステイル=マグヌスが禁書目録に執着した理由。
 ああまでも彼女に固執しなければならなかった理由。 

 連続性を持たない彼女は、既に別人だ。
 たとえば、彼女とまるで同じ表情、同じ性格、同じ容姿、同じ口調、同じ思考を持つ人間がいるとして。
 それは禁書目録と同一人物と言えるのか?

 ――違う。どれだけ似ていようと、どれだけ面影があろうと、その人物は禁書目録ではない。
 だから言える。禁書目録は既に禁書目録ではない。
 似ているだけの別人だ。

 それなのに、どうしても自分は、あの皮肉めいた笑顔で目の前から消えた少女が、あの白い少女と同じ人間に見えてしまう。
 どうあっても、彼女が生きているのだと思えてしまう。
 だから、既に救えないはずの少女を、ひょっとすれば……助けることができるのではないかと、錯覚してしまう。

 ――とても愚かなことに。




207:2011/03/06(日) 18:44:45.49 ID:JCjTCuSAo


 だから、ステイル=マグヌスの問いかけに、上条は迷うことなく答えることができるはずだった。
 彼女を助けたいのだと。
 学園都市に逆らうことは怖れていない。もう一度決めた覚悟だ。 
 上条が怖れているのは、彼女に軽蔑されることだ。

 だって彼女は、既に自分が助けたかった禁書目録ではない。

 自分ではない禁書目録を自分に重ねられることを、彼女はどう思うのだろう。
 上条自身が救われたいが為に、禁書目録を救おうとしているのだと気付けば、彼女は上条をどう思うだろう。

 それがただひたすらに恐ろしかった。
 だから上条は、この期に及んで迷っていた。
 自分に、彼女を助けることはできるのだろうか。
 それがより残酷な結末を導くことになるのではないか。

 第一あの場所から連れ出せたとして、そこからは?
 学園都市から脱出しなければならないだろう。それで?
 頼るアテはない。どこにも逃げられない。逃れられない。
 そこで詰みだ。上条当麻は禁書目録を守ることができない。

「出来るかどうかを聞いてるんじゃないんだ」

 目前に立つステイル=マグヌスは思考を読んだように言った。

「どうしたいかを聞いてるんだ。早く答えて欲しいね。君の判断によっては僕が――君の息の根を止めてやりたいんだから」

 踊るんだよ、と誰かが囁いた気がした。
 何のことだろうと考えて、すぐに思い出した。昔読んだ本の一節だ。
 言葉の連なりが、のっぺりとした音の連なりが、頭を過ぎった。

 上条当麻はどうしたいのか。どうするべきなのか。どう行動できるのか。どうすることが可能なのか。
 ――分からない。

 でも、上条当麻はあの少女を助けたかった。
 そしてきっと、眼前に立つ地獄の底から蘇った男もきっと、彼女を助けたいのだと思う。




208:2011/03/06(日) 18:45:16.52 ID:JCjTCuSAo


 ◇C


 上条当麻と別れてから、神裂と合流した。御坂美琴は上条当麻の居場所を僕に教えた後、何かを迷うような態度で僕に駆け寄ってきた。
 何かの説明を欲しがってるみたいに。

 上条当麻と別れた時には、時刻は七時半になっていた。
 互いに知っていることを教え合い、自分たちがどう行動するかを確認しあった。
 
 上条当麻は禁書目録を助けたいのだという。それなのに、彼女を救う手段が分からないと嘯いていた。
 何の為の右手だと僕が問うと、彼は恥じ入るように自嘲した。

 ――僕の知りたかった答えも、彼は教えてくれた。

 アレイスター=クロウリーによる指示の内容は、幻想殺しによる歩く教会の破壊。
 C世界では。それはひとつの可能性のみならず、一種の確証を与えた。

 A世界の禁書目録――僕の禁書目録が、何者によって死に至らしめられたか。

 禁書目録の首輪ははずれていない。
 けれど彼女を蝕む魔術を外すだけでは、彼女を救ったことにはならない。
 首輪を外すだけならば容易だ。上条当麻が自らを失う覚悟で彼女に触れればいいだけだ。
 
 けれどそこから先。
 彼女が何の憂いもなく笑える世界を作るには、それに関わった人間は一人たりとも死んではいけない。
 誰かを犠牲にして手に入れる結末なんて、彼女は望まないはずだ。

 だからこそ、必要な手がある。




209:2011/03/06(日) 18:46:02.25 ID:JCjTCuSAo


 神裂火織は既に協力をしてくれるという。念のため彼女にも独自に動いてもらっているが、それだけでは足りない。

 上条当麻によれば、彼は今も学園都市で、彼女を救う手だてを探しているようだ。
 彼を見つけだし、強引な手を使ってでも彼女を救うのに協力してもらわなければならない。

 禁書目録を救えるかも知れないと言えば、彼なら協力してくれるはずだ。
 アウレオルス=イザードの黄金錬成さえあれば、どれだけ強力な追っ手がいても問題にはならない。

 行動は早い方がいい。
 神裂はイギリス清教の使いとしてではなく個人として学園都市に潜伏している。発見されれば問題になる。
 そうなれば彼女の狙いはすぐに白日の下にさらされることになり、禁書目録を救うのが困難になる。
 早ければ明日、行動に移さねばならない。

 しなければならないことはいくつかある。

 彼女の首輪がはずれれば、自動書記――ヨハネのペンが発動される。
 竜王の殺息を彼女が彼女自身の魔力で行使し、場合によってはその時点で彼女を救う手立てが失われかねない。
 
 上条当麻がその右手で彼女に触れれば、自動書記の発動は停止されるという。

 すべてB世界の土御門から聞いた話だ。そしてその土御門も、神裂火織から聞いたという。
 何が起こるかが分かっていれば対処は容易い。
 上条当麻が彼女から距離を取らず触れ続けていれば自動書記は発動できないかも知れない。
 



210:2011/03/06(日) 18:46:28.78 ID:JCjTCuSAo

 
 彼女の首輪を他の場所で解除すればいいとも思えたが、場所が思いつかない。
 
 学園都市から脱出する手立てはあるものの、それは上条当麻には不可能な手段だ。

 その手段を用いて逃れることができるのか神裂火織と禁書目録だけだ。
 僕は移動できないこともないが、その必要はないように思えた。

 上条当麻の右手が彼女の首輪の解除に必要なのだから、彼女を逃がしてからでは遅い。
 
 追っ手を振りきる為には、最速の行動が求められる。
 どこかで一度立ち止まる、というのは現実的ではない。
 だとすれば彼女の首輪は、彼女が監禁されている建物そのもので外さなければならない。
 
 明日の夜。

 それまでにアウレオルス=イザードと話をつけなければならない。




211:2011/03/06(日) 18:46:56.32 ID:JCjTCuSAo


 ◆C

 廃墟に来ていた。
 けれど、これまでとは意味が違う。目的なく歩いてきたのは変わらないが、少しだけ、違った。

 埃っぽい建物の中を歩いていく。日はすっかり沈んだというのに、彼女はやはりそこにいた。

「どうもです。よく会いますね」

 本当に。昨日とも一昨日とも違う時間に来たというのに、不思議と彼女はここにいた。
 まさか自分を待っていたわけではないだろう。誰かを待つような人間が、こんな場所に来るとは思えなかった。

「何か、雰囲気。変わりました?」

 彼女は上条の顔を見て、まず第一にそう訊ねた。

「どうして?」

「昨日までとは、なんか、違うんですけど」

 抽象的で要領を得ない話は、そこで終わった。上条が答えないでいると、彼女も同じように押し黙った。
 薄汚れたソファに座る。真っ暗だ。この通りは灯りになるものがほとんどない。出るにも苦労しそうだ。
 転べば割れたガラスが散らばっているかも知れない。暗闇の中に、何が潜んでいるかも分からない。
 
 こんなことばかりだな、と上条は思う。




212:2011/03/06(日) 18:47:22.67 ID:JCjTCuSAo


「……私の友だち」
 
 暗い部屋のなかで、澄んだ声が響いた。

「入院してるんですよ、今」

「……火事に巻き込まれた友だち?」

 はい、と彼女は頷いた。

 上条の頭にも、あのときの記憶が鮮明に思い出された。轟々と燃える炎。濛々と膨れる煙。誰かが助けを求める声。
 ――ステイル=マグヌスの笑い声。

 怪我人の数は聞いていた。ステイル=マグヌスの魔術はただ炎を撒き散らすだけの雑なものだった。
 だから火の玉が無数に飛び散って、あちこちで燃えはじめた。
 しかも炎は入口からやってきた。出口は最初に封じられていたわけだ。
 だから怪我人は普通の火事よりよほど多く生まれた。

 誰も彼もに傷跡を残した。――自分が逃げ込んだせいで。

「いや、火事で怪我をしたんじゃないですよ」

「――え?」

 彼女は誤魔化すように笑って言った。



213:2011/03/06(日) 18:47:55.95 ID:JCjTCuSAo


「風紀委員なんです、その子。それで、強力な能力を持ってるわけでもないのに、女の人に絡んでいた柄の悪い人たちに突っかかって」

 それで、トラブルに巻き込まれて骨折。

「ひどい人もいるもんですよね、女の子を殴るなんて」

 酷いのは認めるが、殴るのは男であろうと女であろうとよくないと思う。自分が言えたことではないが。

「――火事のときは、無事だったの?」

 上条が訊ねると、彼女はいくらか躊躇してから答えた。

「そりゃあ、無傷とはいきませんでしたけど。でも、三日もしたらピンピンしてましたよ。
 第一あの火事、怪我人はそう多くなかったはずですよ。ほら、外部の火炎能力者と、能力を消す能力の男、とかいう都市伝説。
 あれのせいで尾ひれがついただけで、そんなに悲惨な火事じゃなかったはずです」

 そんなふうに言われても――あの火災で、傷ついた人がいなかったわけではない。
 実際、彼女の友人も怪我は負ったという。もっとひどい怪我を負った人も中にはいるだろう。
 それでも、ただ一人の言葉で、どうしてこんなに、救われた気分になるんだろう。

「……あの」

 彼女は上条をじとりと睨んで言った。「自分に酔ってる顔をしてますよ」

「……自分に酔ってる顔?」




214:2011/03/06(日) 18:48:22.80 ID:JCjTCuSAo


「まるで、この世の悲劇の原因が自分だと思ってるような顔をしてます」

 そこまでは思っていない。ただ、自分が原因で傷ついた人や、何かを失った人はまぎれもなく存在するのだと思う。

「『自分のおかげ』と思うのは一種の自己陶酔ですけど」

 彼女は諭すように言った。明らかに年下の少女にそんな態度を取られるのは、少し新鮮だった。

「『自分のせいだ』と思うのも、一種の自己陶酔だと思いますよ」

 そんなふうに彼女は言った。

「建設的なことを考えましょう」

 歌うように続ける。その声が、暗闇の中に溶け込んで言った。沈み込むように、上条の胸の内に響く。

「過去起こったことをあれこれ悩むより、どうすればより良い未来に辿り着けるかを考えた方がよっぽどマシです。
 過ぎたことはもう過ぎたことです。考え込んだって意味がありません」

 だから、と一拍置いて、

「考え込んでいる暇があるなら、何かをするべきなんだと思いますよ」

 言い終えてから、「私が言えたことじゃないですけど」と彼女は照れくさそうに苦笑した。

 上条は、もう帰るよ、と立ち上がった。早いですね、と彼女は言った。

「また会えますか?」




215:2011/03/06(日) 18:48:53.89 ID:JCjTCuSAo


 彼女の言葉に、思わず口詰まる。
 
「まあ、そうだね。ひょっとしたら、会えるかも知れない」

「会えない確率の方が高いって言いたげですね。……まぁ、いいです」

 彼女はそこで言葉を句切って、しばらく何かを思い返すみたいに黙っていた。
 上条は不思議と、すぐにその場を立ち去る気にはなれなかった。

「名前を教えてくれないか?」

「いやです」

「どうして?」

「もしまた会うことがあったら、その方が運命的でしょう?」

 そのまま、少しだけ時間の経過を待っていた。四隅に蜘蛛の巣、埃にまみれたソファ、薄汚れた喫煙室。
 時間が止まったような場所で、上条と彼女は少し話をした。それだけの関係だ。

 やがて彼女は、歌でも歌うように穏やかな声で、小さく呟いた。
 その声はあまりに小さすぎて、よく聞こえなかった。

 彼女と会うことは、きっと、もうない。




216:2011/03/06(日) 18:49:46.02 ID:JCjTCuSAo


 ◆C


 自室に戻ると、ステイル=マグヌスと神裂火織が床に座っていた。

「やあ。お邪魔しているよ」

 ステイルは気軽そうに言う。上条が硬直していると、神裂は困ったような顔で小さくお辞儀した。

「――驚くから、こういうことはやめて欲しいな」

 上条が言うと、ステイルは鼻で笑って言い返した。ろくに話したことはなかったが、協定を結ぶことになってもやはり反りが合わない。

「幽霊とでも間違えたのかい? まぁ、そんなようなものだ」

 そういって彼が薄気味悪く微笑む。なぜだが、気に食わない。
 まるで彼の態度は、ここではない遠いどこかを目指していて、ここにいるのはそれまでの暇つぶしでしかないようにも見えた。

「悪いけど、今晩はここに泊めてもらう。さすがに廃墟で寝泊まりするのは疲れるからね。神裂も寝床は無いって言うし」

 反論しようとして、上条はそれをやめた。ステイルだけならともかく、神裂を外で寝させるのは居心地が悪い。
 かといって、ここに泊めるのもそれはそれで問題なのだが。

 上条の心中を察したように、ステイルは意地の悪い笑みを見せた。

「安心するといいよ。君がどうにかできるほど、神裂は弱くはないから」

「そんなんじゃねえよ」

 本当に、そんなのではない。ただ、女をこの部屋で寝泊まりさせると、叱られるような気がした。
 ――誰に?
 その疑問の答えは浮かばないのに、確信めいた何かがあった。きっと何かの錯覚だろうけれど。




217:2011/03/06(日) 18:50:19.34 ID:JCjTCuSAo


「明日――」

 ステイルは一転して真面目な口調で上条に語りかけた。

「――明日の夜だ。結構ギリギリなものになる。夜十一時半に、彼女の救出に向かう」

「……夜、十一時半?」

 なぜそんな時間なのだろう。奇襲なら早朝の方が都合がいいはずだ。

「――君にはまだ説明していなかったね。神裂が天草式に協力を依頼した。彼らには彼らの理念があるから、協力はしてもらえると思う」

 上条がちら、と神裂を見ると、彼女は気まずそうな表情になった。

「君は気にしなくていい。神裂は無関係な人間を巻き込むのに抵抗があるだけさ」

 そんなことは僕には関係ないけれど、とステイルは言い切る。彼にとって重要なのは、禁書目録を救えるかどうかだけだと言う。

「リミットは零時五分。それまでに首輪を外し、禁書目録を天草式に引き渡す」

「リミット?」

 上条の反芻に、「察しが悪いね」とステイルが挑発するように言った。




218:2011/03/06(日) 18:51:00.31 ID:JCjTCuSAo


「天草式は……ああ、説明が面倒だな。
 とにかく、零時五分よりも前に禁書目録を天草式に引き渡せなかったら、僕たちの負けだと思ってくれ」

 あまりにも雑なステイルの説明に、実は協力する気がないのではないかと上条は訝りたくなる。

「とにかく僕たちは、三十分以内に彼女の首輪を外し、神裂に禁書目録を預け、天草式の庇護を受けなければならない。
 けれどこれによって保護されるのは禁書目録と神裂だけだ。上条当麻、君は独力で逃げ切らなければならない」

 構わないね、とステイルが確認を行う。無論、構わない。

 具体的な計画を聞かされて、曖昧だった上条の中の意思が強まっていく。

「――できるのか?」

 思わず漏れた疑問に、ステイルは呆れて溜息をついた。

「できるかできないかじゃない。やるんだよ。それしかないんだ」

 自分に禁書目録を助け出すことができるのだろうか。
 彼女の首輪を外すことはできる。逃がしてやることも、できるのだろうか。
 ではそれが終わったとき、上条は彼女と、一緒にいられるのだろうか?




219:2011/03/06(日) 18:51:27.24 ID:JCjTCuSAo


 ◇C


 夜、上条当麻の部屋から抜け出した。神裂と上条当麻を二人きりにしてしまったことになるが、問題にはならないだろう。

 禁書目録を逃がすことは恐らく可能だろう。学園都市側がどんな刺客を用意しても、神裂を止められるとは思えない。
 懸念があるとすればヨハネのペンの竜王の殺息によって、神裂がダメージを負ってしまう可能性。
 あるいは、上条当麻が右手で触れられなかった場合。
 つまり最大の敵はヨハネのペン。――彼女自身となる。

 その後のことはどうにでもなる。三十分では長すぎるだろうか。かといって、時間が短くても間に合わない可能性が出てくる。
 時間との勝負だった。

 ――さて、と学園都市を歩く。アウレオルス=イザードを探していたわけではない。
 特に理由はない。ただ、何かを求めるように足が勝手に動いてしまっていた。

 彼女を助けたところで――僕に何か益するところがあるわけではないのだけれど。
 それでもどんな世界でも、きっと僕は彼女を救おうと足掻いてしまうのかも知れない。

 冷酷な殺人者でも、復讐者でも、犯罪者でも無関係に、もしかしたら、あるいは――でも。

 もうそれも、終わりが近かった。




220:2011/03/06(日) 18:51:53.87 ID:JCjTCuSAo


 ふと、自分はどうなるのだろう、と思った。
 すべてを終えてもこのC世界に残ることになるのか。あるいは別の並行世界に向かうことになるのか。
 出来ればA世界に戻りたいものだが、どうなるか分からない。

 現状でどれだけ理屈を並べたところで仮説にしかならない。
 仮説に仮説を重ねたところで、所詮は机上の空論だ。

 似たようなことを、ここ数日の間、どこかで耳にした気がする。
 記憶をたぐると、すぐに思い出せた。B世界の御坂美琴が言っていたのだ。

 まだ何日も経っていないのに、随分時間が過ぎたような気がする。
 
 ステイル=マグヌスはどうなるのか。
 ステイル=マグヌスはどうしたいのか。
 ステイル=マグヌスはどうすることができるのか。

 考えてもまるで想像がつかない。まるで未来が思い浮かばない。
 それでもやるべきことははっきりしている。

 とにかく、明日の行動次第だ。
 その後は、今度こそ本当に、お別れだろう。




221:2011/03/06(日) 18:52:33.69 ID:JCjTCuSAo


 ◆C


 携帯電話が鳴った。
 ディスプレイには土御門元春の名前。彼以外から最後に電話が来たのはいつだろう、とふと思う。

 電話に出ると、すぐに声が聞こえた。

「――アウレオルス=イザードが現れた」
 
 彼の対処はもっぱら上条が行っていた。それ以外の人間は彼の黄金錬成によって抵抗が出来ないし、上条も例外というわけでもなかった。
 彼は禁書目録の消息が途絶えた学園都市に潜伏し、彼女を捜していた。
 やがて学園都市側が対処――つまり上条を対処に向かわせると、彼はゲリラ的に学園都市の主要な研究所に対しテロを行い始めた。

 彼の魔術、黄金錬成によって、上条に強引に禁書目録の居所を吐かせることはできたはずだ。彼はなぜそうしなかったのだろう。

 上条を何も知らない下っ端だとでも思ったのかも知れない。もっとも、そう考えるのは自然なことだ。
 アウレオルス=イザードの特異な能力を知りながらも、重要な機密を知る人物を目の前に送り込もうなど、普通なら考えない。
 
『理念と理念、意思と意思がぶつかり合い、それで敗北するのならばまだ良い』

 彼は去り際に、そんなことを言っていた。

『けれど貴様にはそれがない。理念も意思も想いもない。ただの操り人形だ。言われたままに動く機械だ。機械に負けたのでは、救われない』

 ――あるいは。
 上条をそんな人間だと思ったからこそ、彼は自分に何を訊ねても無駄だと感じたのかも知れない。
 彼が黄金錬成を上条に対して行使することはなかった。
 消え失せろ、とでも念じれば、存在ごと消し去ってしまえる力なのに。
 ひょっとすれば彼は、黄金錬成の強力さが恐ろしいのかも知れない。
 その手で如何様にでも世界を歪められるという事実が、恐ろしくてたまらないのかも知れない。




222:2011/03/06(日) 18:53:08.06 ID:JCjTCuSAo


「土御門」

 電話口で黙り込んだ土御門に声を掛ける。

「なんだ?」

 土御門はいつものように、何の感情もこもっていないような声で返事をした。
 
「俺さ、決めたよ」

 おまえは監視役だから、本当は言わないで置こうと思ったんだけど。上条はそう言って溜息をついた。

「禁書目録を、さらおうと思う」

 アレイスター=クロウリーによれば、禁書目録には強力な首輪の魔術が施されているという。
 もしそれを解こうとすれば、彼女はその魔術による自己防衛をはかる。魔術によって魔術を守る防衛手段。
「幻想殺しによっても消し去れるか分からない」と土御門越しのアレイスターからの伝言。
 だからどれだけ足掻いても無駄だと、アレイスターは言ったつもりだろう。

 それでも、と上条は思う。

「――よせ、上条当麻。おまえは逃げられない」

 土御門の警告は、正論だ。上条自身が御坂美琴にしたものと同じように、彼はきっと、上条を気遣ってくれている。

「でも、決めたんだ」

 土御門はアレイスターにこのことを報告するだろうか。だとすれば、ステイルの計画に支障が出るかも知れない。
 それならそれで仕方がない。けれど彼には、それを告げておいた方がいい気がした。

 きっと、明日が終われば、彼と会うこともないだろうから。




223:2011/03/06(日) 18:53:45.94 ID:JCjTCuSAo


 踊るんだよ、と誰かが言った。 

『音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言ってることはわかるかい?
 踊るんだ。踊り続けるんだ。なぜ踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ』

 残酷な救いをもたらす呪いのような言葉。

『どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。
 そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。
 使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。
 あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。
 何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう』

 力強く、誰かを励ますような言葉。

『でも踊るしかないんだよ』

 悲壮感に満ちあふれた、あきらめを促すような言葉。

『それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。
 そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り』

 だから、足掻けるだけ足掻いてみよう。考えているよりは、ずっと建設的だ。

 自分が実際に行動に出るまでは、アレイスターは何もしないだろう。彼はそういう人間だ。
 だからこそ土御門に伝えることができた。あるいはそれは希望的な観測かも知れないけれど。

 自分の部屋にいるのは危険かも知れないな、と思う。

 上条は携帯電話を床に投げ捨てて踏み砕いた。




224:2011/03/06(日) 18:54:13.49 ID:JCjTCuSAo


 ◆C

「考えなしだね、君は」

 ステイルは皮肉めいた口調でそういった。自分でもそう思う。

「悪いな」

「謝るくらいだったら最初からしないでもらいたかったんだけど――」

 と、ステイルは言いかけて、

「――まぁ、いい」

 何が起こっても彼は「まぁ、いい」と一言で切って捨てるのではないかと、ふっと思った。

「危険が増えただけですることに変わりはないしね。それに、具体的なことは伝えてないんだろう?」

 ああ、と頷く。目的は言ったが、どのように行動するかは言っていない。
 ステイルは不快そうに眉間を寄せて彼を睨んだ。
 上条当麻は焼け落ちたゲームセンターの屋上にいた。誰も近寄らない通りの誰も近寄らない場所。
 四人の姿があった。
 上条当麻、ステイル=マグヌス、神裂火織、そして、アウレオルス=イザード。

 緑髪の錬金術師は、ここに来た時からずっと、思い悩むように沈黙を守っている。




225:2011/03/06(日) 18:54:47.06 ID:JCjTCuSAo


 土御門の目的を伝えてしまった以上、彼は自分の元にやってくるかも知れない、と思った。
 そのため自分たちは場所を変えることになったのだけれど、これでは逆に、すぐに行動を起こすという推測を生むかも知れない。

「――かといって、具体的な行動は起こせないはずだからいいだろう」

 ――アレイスターは、自分を野放しにする。
 躍起になって自分を捕らえようとするとは思えなかった。
 好きにさせろ、放っておけ、そう言いながらも、手放すわけではなく、まるで手のひらの上で踊らせているみたいに。

「……ところで」

 ステイルが口を開いた。視線はアウレオルス=イザードに投げられている。

「結局、協力はしてもらえるのかい?」

 上条はステイルから、アウレオルスと禁書目録の関係も聞かされていた。
 彼女を失った者の一人。彼が禁書目録を求めたのも、彼女を救う為だったと言う。

 アウレオルスはしばらく沈黙していたけれど、不意に顔を持ち上げた。
 怒りでも悲しみでも決意でもない、完全な無表情で、空を見上げた。
 
 上条が釣られて見上げる。――星がない。ネオンの光、空気中の埃、様々なものに邪魔をされて、星は決して見えない。
 あるとしたら、月。煌々と照り、何かを見下ろしている。

 上条が視線を戻すと、アウレオルスもすぐに見上げるのをやめた。
 そして彼は、小さく頷いた。

「――当然。禁書目録を救えるというのならば、協力しない理由がない」




226:2011/03/06(日) 18:55:13.13 ID:JCjTCuSAo


 ◆

 翌日の朝、上条当麻が目を醒ますと、ゲームセンターの屋上には誰もいなかった。
 昨日の夜、集合の時間と場所は決めておいた。今日は好きに行動しろ、ということらしい。
 けれど上条にはするべきことが思いつかない。
 
 身を隠す以外の選択はないように思えた。

 立ち上がって街を見下ろす。ふっと、妙な感覚があった。

 視界が鮮明だった。音がよく聞こえた。空気が冷たく澄んでいることがよく分かる。手足を撫でる風がいつもより心地よかった。

 何かが変わるとしたら、必要だったのは――きっと、自分の決意だったのではないだろうか。
 そしてその決意には様々なものが必要だった。そしてそれらもまた、決意を必要とし、それにもまた必要なものがある。
 延々と続く連鎖の中から、必要なものを都合よく手に入れて、渦を巻くようにそれらを連ねていき、流していき、組み合わせる。
 やがてそれらが合わさると、そのとききっと何かが変えることができるのかも知れない。

 ステイル=マグヌスは昨夜言っていた。

『救いはもたらされるものではない』と。

 君の手で彼女を救い、それを掴み取るのだと。
 その言葉だけが、上条がステイルを信用するに至った理由だった。

 変な話だ。殺したはずの男と協定を結んで動いている。

「――腹が減ったな」

 とにかく、何かを腹に入れておこう。時間はまだある。それまでに用意しておかなければならないものは、何かないだろうか。
 考えておこう。そのまえにまずは、腹ごしらえからだ。




233:2011/03/07(月) 22:15:58.29 ID:RdQ4Stqvo


 ◆C


「起きたのかい」

 扉がぎいと開く音がして、ステイル=マグヌスが戻ってきた。手にはコンビニのビニール袋を持っている。
 その後ろには神裂火織もいた。

「アウレオルスは?」

「用事だよ。午後には戻ってくると言っていたが」

 彼は答えてから上条に向けてビニール袋を放り投げた。それを受け取る。食料が入っていた。

「よく眠れたかい?」

「体のあちこちが痛む」

「学生はヤワでいけないね。こういうのは慣れの問題だよ」

 それはそうだ。生まれてこの方寝心地のいい布団やベッド以外の場所で眠るなんてことは滅多に無かったのだから。

「怠さや不調の気配はあるかい? いざというときに役立たずになられちゃ困るんだけど」

 皮肉めいた口調で言いながら、ステイルは缶コーヒーを不味そうにちびちびと啜っていた。

「問題ない」

 痛みは体を動かしている内にとれるだろう。風邪を引いた気配はない。身体だけは馬鹿に頑丈なのだ。

「……今夜、か」

 上条が口にすると、ステイルが鼻で笑うように返事をした。




234:2011/03/07(月) 22:16:24.44 ID:RdQ4Stqvo


「そうだよ。やり残したことがあるなら、今の内に済ませるといい。この街にお別れでもしてきたら?」

 ――お別れ。

 その言葉に、上条の頭に灼けるような痛みが走った。
 お別れ、お別れ。学園都市にいるのも今日が最後ということ?
 今日の計画が失敗しても成功しても、どちらにせよこれまで通りの生活には戻れない。
 御坂美琴、土御門元春、青髪ピアス、土御門舞夏、月詠小萌、クラスメイトたち、これまで関わってきたひとびと。
 
 永遠の別れというわけではないかも知れない。いつか会う機会もあるかも知れない。
 けれど、学園都市を離れるというのはそういうことだ。そのことがよりはっきりと、上条の背中にのしかかってきた気がした。

 けれど、会うことはできない。
 今日はごく普通の平日だから、彼や彼女らは学校にでも行っているはずだ。
 
 ――もし生きていくのに節目のようなものがあるとすれば、今日がそれなのだろう。

「いや、いい」

 そこまで未練を持つほど、この街が好きだったわけじゃない。
 嫌いだったわけでもない。学校は楽しかったし、どたばたと過ごす毎日だって嫌じゃなかった。
 ――でも、別れは必要ない。

「そうかい」

 ステイルはどうでもよさそうに頷いて煙草に火をつけた。

 上条当麻が学園都市に来たのは父親の強い勧めがあったからだ。不幸体質の正体が分かるかも知れない、とか。
 結局分かったのはこの右手に妙な力が宿っているということだけ。
 無駄骨とは思わないが、学園都市に来なければこの右手を使う機会も生まれなかっただろう。
 どちらにせよもう、父の気遣いに縛られる理由はない。
 結局、上条が学園都市に放り込まれた後は、父も母も死んでしまったのだから。

 思えばおかしな話だ。
 ただの事故死。居眠り運転のトラックが前方から突っ込んできて大惨事。――せめて幸いなことに、ふたりとも即死だったという。
 不思議なことに、不幸なはずの上条がいないときに。

 上条に家族はない。だから別に、どこへいくことになろうが構わない。身一つでどこにでも行ける。
 ――でも、と上条は思う。もし両親が生きていたら、自分はアレイスターに従っていただろうか。
 誰かに認められることをあれほど強く求めただろうか。
 それは分からないけれど、きっと、そういった何もかもが、現在へと何らかの形で影響しているのかも知れない。
 そしてこれからも、何かの判断のひとつが、遠い未来にまで強く影響を残すのだろう。まるで反響しあうように。




235:2011/03/07(月) 22:16:50.95 ID:RdQ4Stqvo


 ▼C


 男は学園都市の町並みを、ビルの天辺から見下ろしていた。
 真昼の街には人が少ない。この街の普段の姿を男は知らないが、「学園都市」と名付けられるくらいなのだから平日ならばこんなものだろう。
 ――様々なものがある。都市と名付けられただけあって、人口の多い街にあるようなものは何もかも用意されていた。
 外部から侵入してきたのは夜だった。それ以来、一人の少女の消息を追っていた。
 
 けれど一向に居場所がつかめない。行方不明だとは聞いていたし、会える確信があったわけでもない。
 心当たりなどないが、かと言って彼女を見つけないわけにはいかなかった。
 男にはそうせざるを得ない理由があった。

 かといって、彼女を探すのは困難を極めた。
 禁書目録がこの街にいるであろうことは分かっていた。けれど、彼女が具体的にどこにいるのかは一向につかめない。
 この街のどこかだということは分かる。けれどそれ以上のことは、まるで靄に包まれたように分からない。

 ――猶予はない。早ければ早い方がいい。

 どこにいるかは分からない。けれど、必ずどこかにいる。この街のどこかに。
 どうにかして見つけださなければならない。十万三千冊の魔道書を抱える魔道図書館――禁書目録を。

 男は強引な手で学園都市に侵入していた。何の能力も持たない一般人をねじ伏せることは容易かった。
 けれどそれ故、学園都市は何らかの対応を取るだろう。もちろん、それは彼にとっては問題にならないはずだ。

 目的を達成する為に手段は選ばない。その結果どのような犠牲が出ようが厭わない。
 犠牲が出たからこそ、目的を達成しないわけにはいかない。

 早々に行動に移らねばならない。
 ――男は、ビルの屋上から飛び降りた。




236:2011/03/07(月) 22:17:17.62 ID:RdQ4Stqvo


 ▼C

 女は学園都市を目指す道中だった。出発から二日、経っていた。
 胸中には開き直りめいた決意があった。諦めに近い気分。けれど不思議と、開放感と高翌揚感があった。
 まるで天秤の両方が上に掲げられるような不思議な感覚。

 辿り着くのは夜になるだろう。目的はいくつもないが、やらなければならないことはいくつかある。
 何が終わり、何が始まろうが、それとは無関係に、女は一種の覚悟をしていた。
 たとえ何一つ変えることができなくても、自分は行動を起こす。どのような結果を起こすかは分からない。
 それでも何もしないよりは遥かにマシだ。
 禁書目録とステイル=マグヌスの失踪以来、イギリス清教内、特に既に実質的な支配者となった必要悪の教会が、ざわついている。
 
 学園都市が怪しいのは明白なのに、指導者たるローラ=スチュアートが何の行動も起こさないからだ。
 人々は彼女にある種の疑念を抱き始めている。いったい彼女は――自分たちの知らないところで何を企んでいるのか、と。
  
 ――過渡期だ。何らかの変化が起こるだろう。
 神裂火織が飛び出してから四日以上経っている。既に必要悪の教会は空中分解しかかっている。
 神裂火織がいなくなれば、彼女に対して忠誠を誓っていた天草式十時凄教はどういう行動を起こすか分からない。
 そしてそれに対して必要悪の教会がどのように行動することになるのか――。
 わかりやすい大義名分を与えられて、まるでガス抜きでもするように戦いに至るのではないだろうか。
 だからこそ、彼女は学園都市を訪れなければならない。

 この崩壊しかかった擬似的な平和に、水面に波紋を起こすように、何か行動を起こさねばならない。

 だからこそ女は、学園都市に向かっていた。




237:2011/03/07(月) 22:17:50.35 ID:RdQ4Stqvo


 ◆C


 夕方を過ぎた頃、上条当麻は街を散策していた。
 自分を捕まえようとするものはいないだろう、と上条は考えていた。
 だいたい、学園都市の上層部が本気で自分を捜すつもりなら、昨夜の内に捕らえることが可能なはずだ。
 土御門元春がアレイスターに何も伝えていないのか、あるいはアレイスターが何もするつもりもないのか。
 それとも今、自分は泳がされている状態なのか――。

 いずれにせよ、ありとあらゆる可能性を考慮しておかない。
 そう考えれば移動は極力避けるべきだった。人目に付くような場所は、特に。

 夜十一時半まで時間はまだまだある。
 その時刻を思い出して、上条は思わず考え込む。
 十一時半。リミットが一時五分。差し引き三十五分。
 ――間に合うのか?
 魔術によって何らかの移動をすると考えても、三十分で彼女の首輪を外し、彼女を天草式に引き渡す。
 そんなことをするくらいなら、彼女を攫った後どこかに身を隠し、防衛に力を入れた方が容易ではないだろうか。

 ステイル=マグヌスの意図が分からない。あるいはどこまで歪めることが出来るかも分からない黄金錬成を頼った作戦なのか?
 ギリギリのスケジュールで動く理由が分からない。
 
 ――いや。

 専守防衛というのは安全ではない。暗部組織には学園都市の超能力者が所属しているものがある。
 もしそれらが動き出せば、自分たちの身が無事で済むとは限らない。

 三十分。

 十分以内に彼女の首輪を外し、残り全てを移動に賭けたとして、神裂と禁書目録は逃げ切れるのか。
 神裂火織を信用するしかない。それ以外にできることはない。
 
 何事もなければ、二十分は多すぎるくらいの時間だ。
 けれど、何かがあれば――計算外の何かがあれば――ステイル=マグヌスの計算はすべて崩れてしまうのではないだろうか。

 そもそもが大雑把すぎる計画なのだ。三十分という具体的な時間にも意味がありそうにもない。
 まるで「大体こんな感じでいけるよね?」と言っているような。
 ――異論があるなら先に伝えておけばいい。確認をするだけでもいいだろう。

 結局落ち着かない気分のまま上条が彼らのいるであろう場所に戻ろうと立ち止まると、前方に御坂美琴の姿が見えた。



238:2011/03/07(月) 22:18:17.12 ID:RdQ4Stqvo

 彼女は上条を見つけた瞬間、まるで日常の続きであるような表情をして、こちらに駆け寄ってきた。

「なにしてんの?」

 殺伐な思考に囚われていた上条の頭は、一瞬、自然すぎる彼女の態度に混乱した。

「……ちょっと。大丈夫?」

 それがごく当たり前の態度だと気付くまで時間がかかった。
 今の自分と彼女との間に、大きすぎる断絶があるように感じられる。
 上条はふらつきそうになる足に力を入れて、御坂に返事をした。

「大丈夫だ」

「……大丈夫だ、って」

 彼女は呆れたように溜息をついて、「まぁいいわ」とそっぽを向くみたいに言った。

「アンタさ――」
 
 と、何かを言いかけて、御坂美琴は上条の顔を見た直後、表情を強ばらせた。

「……どうした?」

「……あ、いや」

 彼女は驚いたように後ずさって距離を取った。何かを怯えるような態度だった。

「アンタ――どうしたの?」

「……『どう』?」

「えっと……」

 それからしばらく、御坂は押し黙ったままだった。上条が何も言わずにいると、辺りを沈黙が包んだ。
 町中がざわつく放課後で、自分と彼女の間にある空間だけが静寂に覆われていた。

「……なんでもない」

 御坂は最後、そう言って、短く上条に別れを告げた。

「じゃあね」

「ああ、またな」

 上条は、平気なふりをして嘘をついた。



239:2011/03/07(月) 22:18:43.23 ID:RdQ4Stqvo


 ▼C


 上条当麻と別れた直後、白井黒子と町中で遭遇した。
 抱きついてくる後輩を手でねじ伏せながら会話をするが、どうしても気持ちが落ち着かない。

「――お姉様、どうかなされましたの?」

 と、彼女に心配までされてしまう始末で、自分でもどうしようもない。それでも精一杯強がって白井との会話に集中しようとする。

「なんでもない。アンタこそ、今日は風紀委員の仕事があるって言ってなかった?」

「ですから、お仕事ですの」

 言いながら白井は制服に安全ピンで留めた腕章を指す。どうやら警邏の途中らしい。

「パトロール?」

「――とは、ちょっと違いますわね。本当は言えないのですが、ここだけの話」

 彼女はそこで真剣な表情になって声を潜めた。

「侵入者、ですの。それも複数。全員ばらばらの時間ですけれど、集団で何かを企んでいるとしたら――」

「複数人の侵入者?」

 反芻すると、白井がつまびらかな説明を付け加えた。
 何でも学園都市に不正な方法で侵入した人物がいるらしい。現状で判明しているだけで二名。
 警備システムに問題がなければ侵入者の数は分かるはずだが、断定はできない。
 片方は可能な限り発見されないように侵入、片方は学園都市のゲートから堂々と強引に侵入。
 監視衛星により判明しているのは二名らしい。それ以外にも学生以外の正体不明の人物が目撃されている。

「……それってもしかして」

「お察しの通りですわ」

 昨日会った、ステイル=マグヌスを名乗る男。




240:2011/03/07(月) 22:19:09.69 ID:RdQ4Stqvo


「あからさまに怪しかったし、意味不明なことも言ってたけど――」

 自分と別の並行世界と会ったという男は、結局、自分に上条当麻の居場所を訊いた後、彼と何かの話をして、すぐにいなくなってしまった。
 ふと、あの男が彼の変化に何か関係があるのではないかと思い当たる。
 ――まるで、今に消えてしまいそうな表情をしていた。
 彼の身に何かが起ころうとしているのだろうか、と御坂は漠然とした不安を抱いた。

「――お姉様?」

 黒子の問いかけに、御坂ははっとする。

「侵入者の片方は昨日お会いした女の方でした」

 白井は何とも言えないような苦々しい表情をした。何を悔いているのだろう。
 彼女のことだから、あの二人が怪しいと気付きながらも見逃していた自分を悔いているのかも知れなかった。

 けれど御坂には、あの二人が何かの悪巧みをするようには思えなかった。
 怪しいことは怪しいけれど、それとこれとはまるで無関係なもののように思える。

「……あの、ステイル=マグヌスとかいう殿方のことだけ、分かりませんの」

 そもそも彼女は学園の風紀を守る風紀委員でしかない。
 その管轄はあくまで学校の中だけであり、外部からの侵入者や何かの問題鎮圧には警備員が当たる。
 何の能力も持たない警備員がより危険な任務にあたるというのもおかしな話だが、それを言ったところではじまらない。
 もっとも白井黒子はそれに納得していないようだが。
 いずれにせよ監視衛星の映像を盗み見れるほどの権限を彼女は持っていない。
 警備員側から侵入者として警戒せよと送られてきた画像データを持っているだけだ。
 何かをしようとするには、一学生の身分はあまりにも頼りない。

 彼女は自分の無力に憤るように歯噛みした。なにひとつ、彼女のせいではないのに。

 白井黒子の表情が暗くなったタイミングで、彼女の携帯電話が鳴った。

「失礼しますわね」

 そう言って通話ボタンを押した彼女の表情が、驚愕に歪んだ。

「――また、ですの?」




241:2011/03/07(月) 22:19:39.95 ID:RdQ4Stqvo


 ◇C


 ――アウレオルス=イザードが戻ってくるよりも先に、上条当麻がゲームセンターの屋上に戻ってきた。
 夕方五時半。付近で騒動が起こり始めたらしい。人々の騒々しい声がここまで届く。

「特別なことでもない限り計画を変更するつもりはなかったけど、この騒ぎはちょうどいいかもね」

 そういうと、上条は唖然とした。

「それってどういう――」

「かといって、まだ早すぎる。せめて七時くらいにはなってもらわないと。それまであそこの人が耐えきってくれるといいんだけど」

 おまえ、何言ってるんだ? 上条当麻の間抜けな問いかけに、僕は溜息をついた。

「侵入者だよ。何者かが学園都市に攻撃を仕掛けている。
 一般の学生くらいだったら問題じゃないけど、高位能力者が出てくれば厳しいだろうね」

 な――、と、上条が呻く。

「――まぁ、大した問題にはならないだろうね。むしろ人員が割かれる分、僕たちが行動しやすくなることを期待したい」

 上条が何かを言うよりも先に、背後に立っていた神裂が腹立たしげに声を荒げた。

「ステイル、さっきから貴方は何を――」

「――僕たちの目的は禁書目録の救出だ」

 彼女の言葉を遮って、断言する。

「その他の全てのことを置いて彼女の救出を優先する」

 僕の言葉に、二人は沈黙した。呆れたのかどうか。分からない。どちらでもいい。
 いずれにせよ、他のことにかまけていたら彼女は救えなくなる。そのことをまずこの二人は認識しなければない。
 そしてこの状況こそが、僕たちにとって都合がいいということも。




242:2011/03/07(月) 22:20:04.85 ID:RdQ4Stqvo


「そんなこと、私は――」

 彼女の魔法名を思い出した。
 救われぬ者に救いの手を――Salvere000――。
 誰かを見殺しにするというのは彼女にとって耐えがたいことかも知れない。
 けれどここで僕たちが下手に行動を起こせば、僕らのこれからの計画に支障をきたしかねない。
 彼女もとうにそれに気付いているはずだ。
 
 今日、禁書目録を救う。それはまず絶対に行われなければならない。
 理由はいくつかある。まず、ステイル=マグヌス、つまり僕がいつまでこの世界に存在できるかが分からないから。
 世界間の移動はきっかけこそあれいつでも唐突だ。
 もし明日に日を移せば、明日目を醒ませばそこは見知らぬD世界、ということもあり得る。
 次に上条当麻。彼は学園都市に反旗を翻そうとしている。
 土御門元春の判断によっては、彼はすぐにでも捕らえられることになるだろう。そうなれば禁書目録は救いようがない。

 だから絶対に今日、確実に彼女を救わねばならない。

 その事実に、二人は気付いたようだった。

 同時に僕は上条当麻を試していた。

 本当に、何もかもを捨ててまで、彼は禁書目録だけを守ろうとすることができるのか――?
 あちこちよそ見をしていたら、彼女を守ることなんてできない。
 あれこれ抱えたままで誰かを守れるほど、世界は簡単にできてはいない。

 そしてその意図も、当然彼には伝わっているはずだった。

 轟音が鳴り響いて、遠くから震動が伝わってきた。

 ここからは遠くて見えないが、震動と、それ以外の音も聞こえる。爆音。銃撃?

「――まぁ、放って置いてもそのうち止まるさ」

 大多数の人間が押し寄せてきたわけではないのだから、人海戦術に出れば勝てないわけはないだろう。
 僕だって、四方八方から銃撃を受ければ防ぎきる自信はない。

 また、震動があった。

「――随分、気性の荒い客人みたいだね」

 冗談めかして呟いてみても、答える声はなかった。

「ま、せいぜい相手を混乱させてくれるといいんだけど」




243:2011/03/07(月) 22:20:42.53 ID:RdQ4Stqvo


 ▼C


「一人も殺しちゃダメよ、エリス――」

 シェリー=クロムウェルの襲撃に、学園都市の警備員達は早すぎる対応を見せた。
 日本で強力な装備の使用許可が普段から降りているとは考えにくい。何かあって、それを警戒していた、と見るのが妥当だった。
 おかげでしなくてもいい戦いをする嵌めになった。
 もっとも、彼女の使役するゴーレム=エリスは彼らのちゃちなオモチャで傷をつけられるほど脆くはないのだけれど。

 エリスを盾に使いながら、オイルパステルで地面に線を描く。土塊を行使する彼女の魔術。
 歌うような彼女の声に呼応して、地面からぎょろりとした目が瞼を開ける。

「さて、自動書記は、と――」

 避難勧告を出されたこの辺りに、既に学生達はいない。いるのは嬲ろうが殺そうが替えの利く雑魚ばかり。
 一旦ここからは離脱した方がいいだろうが、それならば最初から目標がいるところがいい。

「――どうせなら、わかりやすいのがいいんだけどねぇ」

 懐から取り出したオイルパステルが、黒い紙の上に文字を生み出す。白い字で描かれたそれを、異国で暮らす彼女は読むことができない。

「まぁ、いいか」

 黒い紙を投げ捨てる。地面が口を開けたように開いて、ぽっかりと開いた穴の中にそれは飲み込まれていった。

「さて。さっさと逃げるとするか――」

 シェリーが短く告げると、異形の土塊が巨大な両腕を振り下ろして地面を砕いた。
 砕かれたアスファルトがゴーレムの腕と合わさり、それがより巨大になっていく。カバラの石像の魔術。

 濛々と立つ土煙で、続いていた銃撃音が途切れた。

「行くわよ、エリス。――どこのどいつか知らねえけど、さっさとぶっ殺しにいかねえと」




244:2011/03/07(月) 22:21:09.43 ID:RdQ4Stqvo


 ▼C


 ――時計の針が六時を差した頃、白井黒子は侵入者の姿を発見した。
 三十分間の間に混乱状態にあった警備員の指揮系統の脆さを見て、やはり教員でしかない彼らの集団戦闘訓練の甘さを感じてしまう。
 それ以前に、連続した侵入者を易々と通過させる学園都市の警備の甘さが納得いかないのだが。

 過ぎた数は力ではなく重しにしかならない。集団であることに慣れないのならば個人個人として動く方がよほどやりやすい。
 ――警備員数十人に包囲されて平気そうな顔をしている侵入者に対して、けれど白井黒子は負けるとは思っていなかった。
 
 明らかに異様な能力を持つ外部の人間に対して、能力を持たない人間が勝とうとする方が無茶だ。
 けれど自分なら――いざとなれば直接、鋼鉄の矢を手足に打ち込んでやるだけでいい。

 女は白井が声を掛けるより先にこちらに気付いた。

「……ねえ、そこの貴女」

 その自然すぎる声音に、白井は少なからず警戒心を抱く。自分を学生と侮っているか、あるいは自分の能力に自信があるのか――。

「えっと……どんな字だったかな。――そうそう、こんな字」

 そういって女が差し出した一枚の紙に刻まれた名前に、白井は思わず同様する。

「――その方に何か御用ですの?」

「御用っていうか、まぁ、そうね」

 白井は自分のなかでじくじくと燃えるような衝動が這いあがってくるのを感じた。

「――お姉様とお会いになりたいのなら、その前に私にアポを取って頂かなければ困りますわね」

 ああ、と褐色肌の女は笑った。

「――ちょうどいいな、知り合いかよ」

 オイルパステルが走る。そのときには既に、白井は鋼鉄の矢へと手を伸ばしていた。




245:2011/03/07(月) 22:21:36.85 ID:RdQ4Stqvo


 ◆C


 ステイル=マグヌスが長い沈黙ののちに舌打ちをして、
 壁にもたれかけていた身体を起こしたとき、アウレオルス=イザードが屋上へと戻ってきた。

「……遅かったね」

 皮肉めいた口調でステイルが言うと、アウレオルスは一言短く謝罪を告げた。

「さて」

 上条と神裂を一瞥してから、彼は口を開いた。

「予定よりだいぶ早いけど、そろそろ計画を始めてしまおうか。このままだと後ろの二人が暴れ出しかねないからね」

 その言葉を聞いて、上条の頭にふたつの感情が生まれた。
 安心と、後ろめたさ。彼女を助けることが何にも勝って優先されるべきだ。
 けれどこのままここに居続ければ、自分を抑えきれる自信が上条にはない。

「――渦が出るのは十二時から十二時五分までの五分間だけだったね、神裂」

 ステイルが訊ねると、神裂は複雑そうに頷いた。
 早々に助けすぎても意味がない、とステイルは言っていた。逃がすことができないからだ。
 そうなれば自分たちは専守防衛によって砦を守り、追っ手を振り払わなければならない。

「彼女を救出してから、神裂。君はすぐに遠くへ逃げてくれ。君なら彼女を抱えていても遠くまで逃げられるね?」

 神裂が、小さく頷く。その暗い表情を見て、ステイルは溜息をついて続けた。

「――安心してくれ。あの騒動は、それから終わらせる」

「……え?」




246:2011/03/07(月) 22:22:03.51 ID:RdQ4Stqvo


 神裂は呆気にとられたような表情でステイルを見た。
 上条もまた、同じようなものだった。

「君たちはまるで、見捨てるか見捨てないかの二択しか見えていないようだったからね。ここには四人もいるんだ。不可能じゃないよ」

「で、でも――」

 神裂の言葉を遮り、ステイルが続ける。

「まず禁書目録を優先する。アウレオルス=イザードも、そこに異論はないね?」

 緑髪の錬金術師は重く頷く。

「まずは四人で救出に向かう。そこから個別に行動を始める。神裂はさっきいったように、禁書目録を連れて早々に学園都市に離脱」

 神裂が頷く前に、ステイルは上条の方を見た。

「君はあの侵入者を撃退に行ってくれ。そうしないと落ち着かないんだろう? その後のことは――自分の責任でどうにかしなよ」

『あの侵入者』。どのような存在かは知らないが。ステイルの口振りから魔術サイドの関係者だということは分かった。

「アウレオルスは――」
 
 ステイルが何かを言う前に、アウレオルス=イザードが自分の行動を決めていた。

「私には果たさねばならぬ約束がある。もし禁書目録を救えたならば、何より先にそれを優先する」

「――構わないだろう。僕らは余り物だからね」

 ステイル=マグヌスはそう言い切って、歩き始めた。

「早く案内してくれよ、上条当麻。――それとくれぐれも、死なないようにね」




250:2011/03/08(火) 21:30:21.01 ID:vCDkO1hdo


 ◇C


 昨夜、神裂と交わした会話を不意に思い出した。

 彼女との距離はとても不自然だ。
 彼女は僕が死んだという事実に不自然さを感じているだろうし、
 僕は彼女が今まで会ってきた神裂と別人だということに不自然さを感じていた。
 だから、僕らの距離感はとても不自然だ。

「明日、彼女を助けられたとして――」

 神裂は何かを怖れるみたいに落ち込んだ声音で言った。

「そのあとは……」

 ――その後。
 禁書目録を学園都市から奪ったその後。彼女の言いたいことはとてもよく分かった。

 少なくとも平穏無事ではいられないと思う。
 それはステイル=マグヌスや神裂火織、上条当麻という個々人の話ではなく、もっと巨視的な規模で起こる変化だろう。
 学園都市、イギリス清教、天草式十字凄教、あるいはもっと他の何かさえも巻き込んで。

 でも、そんなことは僕には無関係だし、上条当麻はそんなことを考えもしていないだろう。
 けれど聡明な神裂火織は、当然、それを考えずにはいられない。
 彼女は他人を気に掛けすぎる。

「私たちは……」

 ――それ以上考えるのは無意味なことだろう。善悪や正否を問うことに意義はない。
 十字教の教義を以てしてでもそれらを確定付けることは困難だ。
 
 誰かを巻き込むこと、誰かを救うこと、誰かを助けること。

「誰かを助けることが善」で、「誰かを巻き込むことが悪」だとして。
 僕らはどちらを選んでもどちらかを冒してしまう。



251:2011/03/08(火) 21:31:06.72 ID:vCDkO1hdo


「神裂、君は何歳だっけ?」

 僕の知っている神裂火織が二十歳だから――こちらの彼女は十八か。
 そして僕は十六で、上条当麻も十六で、禁書目録は十四くらいか。
 アウレオルス=イザードも十八歳。

「僕らはみんな十代だね。とても不思議な感じがする。何十年も生きてきたような感覚がするよ」

 神裂は怪訝そうな顔で僕を見た。

「十数年ぽっちでこれなんだ。これから先、どのくらい生きることになるか分からないけど、想像もできないね」

「……ステイル?」

「僕らは十代なんだよ」

 まだ十数年しか生きていない、子供だ。

「もし僕らが、もっと平和な場所に生まれていたとしたら、どんな風だったんだろう。
 こんな諦観の境地ではなく、もっと別の世界があったんだろうか。
 誰かを殺すとか救うとか、そんなこととは無縁の世界で生きていられたのかな。
 希望に満ちあふれて、未来は明るくて、皆が笑い合えるような、そんな世界があったのかな」

 神裂火織も、アウレオルス=イザードも、上条当麻も、禁書目録も、例外なく幸福でいられる世界が。
 でも。
 すべてはもう手遅れだ。



252:2011/03/08(火) 21:31:41.49 ID:vCDkO1hdo


 それでも、そんな世界があったとしたら、僕はそこに行きたかった。そこで生きたかった。
 
 同じ場所じゃなくてもいい。同じ道じゃなくてもいい。同じ方を向いていなくてもいい。
 同じ世界で、傷つけ合うことも苛み合うこともなく、こんな暗い沼の底めいた世界とは別の――。

 彼女が笑って僕を手招きして、その後ろにはみんながいる。誰かが笑って誰かをからかって、そんな世界。
 彼女が呼ぶ声。
 ――でも、僕はそこには行けない。そこでは生きられない。

 決して叶わない理想を、願いを持った人間には、妥協の中で生きるか、死ぬか、それ以外の選択があるだろうか。
 だからもう、構わない。
 もうどこにも行きたくない。
 だからもう、これが最後だ。
 
 ――禁書目録を助けることができても、できなくても、僕はどちらにしても同じ場所にいくだろう。
 きっとそこに彼女はいない。僕が望むものはなにひとつない。
 でもそれは、ここでも同じだ。
 ならば、どちらでも構わない。

 ステイル=マグヌスは、もう死んでも構わない。



253:2011/03/08(火) 21:32:17.02 ID:vCDkO1hdo


 ◆C


 何故かは分からないけれど、上条当麻は、禁書目録と初めて会った日のことを思い出していた。
 空から墜ちてきた少女。でもあの少女は既にいない。
 上条が今から助けようとしている少女は、彼女とは別人だ。それなのに、なぜ彼女のことを思い出すのだろう。

「――眠れ」

 アウレオルス=イザードが歌うように言うと、銃を構えた受付の女は意識を失って横に倒れた。

「便利なものだね。味方になると、だが」

 ステイルがからかうように言うと、アウレオルスは不服そうに暗い表情をする。
 黄金錬成。

 警報は鳴らされている。警戒はされていたようだった。上条当麻の顔を見た瞬間の受付の対応は、まず非常事態用の警報を鳴らすこと。
 だからエントランスにいつまでもとどまっていれば、すぐに他の人間が来てしまう。

「――優しいね。殺さないなんて」

「自然、殺した方が面倒が増える」

 アウレオルスはどうでもよさそうに答える。神裂はそれを聞いて複雑そうに眉を寄せた。

「禁書目録はどこだい?」

 上条は答えず動きはじめる。ステイルも上条を追いかけてきた。最後尾で神裂が後方を警戒している。
 けれど禁書目録が目的であることは既に判明しているだろう。つまり警戒すべきは、彼女の病室の近くだ。

 B棟三階、B棟三階。何度も訪れた部屋。
 白い壁の廊下を抜けて、別の棟へと向かう。階段を上り三階の廊下。右の突き当たりを左に折れて、四つ並んだ扉の一番奥。
 駆け抜けていく。すれ違う人々がこちらの移動を止めようと行動を起こす。
 白衣の下の鈍色の拳銃を構える。相手にしている暇はない。味方を気遣う余裕もない。
 B棟三階東廊下、一〇一号室。そこの主は、白い、白い少女だ。
 だから、一〇一号室の扉を開ける。




254:2011/03/08(火) 21:32:41.51 ID:vCDkO1hdo


 ――禁書目録の姿があった。

 彼女は急に現れた上条と、見知らぬ数人の人物を見て、驚いたように目を見開いた。

 アウレオルスの黄金錬成によって、部屋の扉を完全に封鎖する。

「な、なに?」

 禁書目録の姿を見た瞬間、神裂とアウレオルスの表情にわずかな変化があった。
 そしてそれはこの状況に相応しいものではない。彼らはすぐに表情を強ばらせ、上条を見た。

「面会時間は……六時まで、だよね?」

 それ以降は原則として見舞いを禁じられていた。理由は分からない。六時以降に何があったかは分からない。
 それが禁書目録と関係しているかどうかも不明だ。だが上条は今まで、その規則を破ったことがなかった。

「面会に来たんじゃないんだ」

 上条はいいながら禁書目録に歩み寄る。

 彼女はまるで状況がつかめていない様子だった。上条が強引に顎を持ち上げると、彼女と目があった。瞳がせわしなく震えている。

「目、瞑ってろ」

 彼女は戸惑うように視線を逸らしていたけれど、ただごとではない様子を察したのか、それに従いぎゅっと目を瞑る。

「――すぐに終わらせる」

 上条はそういって、彼女の唇に指先でふれた。
 びくりと、彼女の身体が震えて、一瞬、上条から逃れようと動こうとしていたが、それはすぐに収まった。なぜかは分からない。

「口、開けて」

 上条が言うと、彼女はすぐに従った。喉の奥の奥。――何かが、浮かんでいる。

「ステイル。ルーンは?」

 その問いかけに、ステイルは平気そうに答える。

「準備なら出来てるよ」

 とうの昔に、と彼は肩をすくめた。
 一呼吸おいてから、上条は、ゆっくりと、彼女の中へと指を伸ばしていった。




255:2011/03/08(火) 21:33:07.87 ID:vCDkO1hdo



 ▼C

 オイルパステルがアスファルトと擦れて甲高い音を立てる。
 初撃で仕留められるはずだった。怪我をさせるつもりはなかったが、身動きを封じるくらいなら容易だ。
 ――それが傲りだと、すぐに気付いた。

 女は戸惑いすらなく白井の拘束から脱出し、悠々と口笛でも吹きかねない表情でオイルパステルを走らせている。

 そしてその音が鳴るたびに、白井黒子の足下が溶けるように崩れ始める。

 ――どんな能力かは分からないが、明らかに強力なものだ。それも、白井が反撃の糸口をつかめないほどの。

 白井黒子は風紀委員だ。学園都市の治安を乱す要素を許さない。
 けれどそれは騒動を起こした人間を排除するという意味ではなく、あくまで捕縛する程度の目的。
 警備員数十人に対して無法を働いた目の前の女を侮っていたのは白井黒子だった。

 もし本気で勝とうとするならば躊躇を捨てて鋼鉄の矢を女に向けて放てばいいだけだ。
 けれど白井にはそれができない。
 足下が崩れ出すたびに自らの身体を空間移動させて逃れているが、それも長くは続かない。
 
 地面が抉れ、巨大なクレーターのように開いていく。それがどんどんと増えていった。そんな中で女は、オイルパステルを走らせる。
 落書きをする子供のような表情で。

 白井は混乱していた。攻撃を受ければ足下が崩れ、そこから逃れれば今度は別の場所が崩れ始める。
 蟻地獄にでも落ちたようだ。白井は小さく舌打ちをして、汗を拭った。

「……ねえ、貴女には別に、用はないのよ。早く「お姉様」のところに案内してもらえない?」

「生憎ですけど、そういうわけにも行きませんの」

 警備員ですらも対処しきれず撤退し、今や目前の女を止められる人間はいない。
 ――始末書ならば後でかけばいいが、このままでは命さえ危うい。
 やむを得ず白井は、鋼鉄の矢を彼女に転移しようと手を伸ばしたが、そのタイミングで、抉れた土が寄り集まるように蠢くのを目にした。

「――こっちも暇じゃねえんだよ。言うこと言ってさっさと消えな」

 蠢く泥、土、砕けたアスファルト、花壇の煉瓦、コンクリート、折れた街灯。
 それらが寄り集まって、ひとつの生物のように巨大に変化していく。



256:2011/03/08(火) 21:33:35.08 ID:vCDkO1hdo


「なん――ですの、これは――」

 土塊の一部が、腕のように伸びて、眼前に泥のような黒に視界が包まれそうになる。
 刹那、白井は一瞬の判断で空間移動を行って窮地を脱した。

 女は自らの能力によって白井を捕まえられなかったことに気付くと、小さく舌打ちした。

「面倒ね、その能力……」

 女はいらだたしげに白井を睨んだが、彼女の方に皮肉を言う余裕はなかった。
 既に長い時間、防御のみに努めていて、せわしなく移動を続けていた。その連続に、少しずつ白井は消耗していた。

 そして一瞬、彼女が乱れた息を整えながら勝機を見いだそうと思考した隙をついて、土塊の人形は彼女の足下が崩れ落ちた。

 まずい、と分かるが、混乱した頭ではどこに空間移動をすれば逃れられるかが分からない。
 崩れた足下が形を変え、泥のようだったそれがかみ砕くように白井の足を食らう。
 
「――う、ああァあアああ!」

 白井が叫び声をあげ痛みに耐える間にも、オイルパステルの音が聞こえた。
 やがて白井の足下がゆっくりと持ち上がり、地面を削り取るように土塊の異形の一部となり、腕となった。

「――捕まえた」

 満足そうな表情で女が微笑んだ瞬間、轟音が響いた。
 
 白井黒子の身体が地面に叩きつけられようとした寸前、彼女を巨大な手のひらで握っていた怪物の腕が、砕けた。

 一瞬、その轟音に、まさか、と白井は思った。
 もしかしたら、けれど――と、さまざまな考えが浮かぶ。
 しかし、振り向いた白井の目に入ったのは、彼女が想像したのとは違う人物だった。

 女は、秋物らしい明るい色の半袖コートを着込んで、退屈そうに立っていた。
 ふう、と溜息をついてから髪を掻き上げ、彼女は褐色の女を睨んだ。




257:2011/03/08(火) 21:34:06.83 ID:vCDkO1hdo


 ◆C


 パチン、と弾けるような音がして、上条の右手が弾かれた。ズキリと走る痛みに思わず目を瞑り耐える。
 そして次に目を開いたときには、決定的に何かが変わっていた。
 見開かれた禁書目録の瞳。その色が、血のような赤へと。

「あああ、ああああアァああァあアアアアア―――――――――――!」
 
 彼女の叫び声が空間をつんざくように響く。それに重なるように、何かを切り裂くような音が聞こえ始めていた。
 やがて彼女の叫び声は音を失い、誰にも伝わることはなくなった。けれどそれは、今でも聞こえている気がした。

「――来るよ」

 ステイル=マグヌスの声と同時、彼女の首ががくりと向きを変え、俯くようにだらりと垂れる。
 彼女が顔をあげて上条を睨んだ瞬間、彼の身体が後ろへと吹き飛ばされた。
 壁にぶつかる。強烈な痛みがあった。全身がズキズキと痛む。

「まさか、死んだりはしていないよね?」

 ステイルの嘲笑に、

「当たり前だろ」
 
 上条は平気そうに応えた。痛みを堪えながら両足で立ち上がり、禁書目録を見る。




258:2011/03/08(火) 21:34:56.58 ID:vCDkO1hdo


「――警告。第三章第二節。index-Librorum-Prohibitorum――禁書目録の『首輪』、
 第一から第三の全結界の貫通を確認。再生の準備……失敗。
『首輪』の自己再生は不可能。現状、十万三千冊の『書庫』の保護の為、侵入者を迎撃します」

 ――澄んだ声。何かを抑圧しているような、静かな声音。

「……何を立ち止まっている? 上条当麻」

 目前の禁書目録の異様な姿を見ても、ステイルは顔色ひとつ変えずに言う。

「待ってやる理由なんてないよ。聖ジョージの聖域が完全に発動するよりも早く――」

 けれど、その言葉は途中で途切れ、空中にぼんやりとした光の線で魔法陣が描かれはじめ、それは徐々に膨らんでいった。

「――君がぼんやりしていたせいだね」

 禁書目録が無表情に何かを言い続けている。そんな声は上条にはどうでもよかった。
 空間に亀裂ができる。現実が歪みはじめている。音と光が踊るように重なっては離れ、徐々に自己の存在が希薄になっていく。
 黒い雷のような亀裂が、禁書目録を抱えるふたつの魔法陣の接点から広がっていく。
 一瞬のうちに作り出された空間の裂け目が、彼女と自分の間にある断絶を示すように現れた。
 ――逆に言えば、それを消し去ってしまえば彼女に手が届くというだけの話。
 上条当麻が足を一歩踏み出そうとしたとき、稲妻のような亀裂が一瞬、脈動するように膨張し、
 そして深淵を覗くような暗闇の奥から、『光の柱』が現れた。




259:2011/03/08(火) 21:35:26.70 ID:vCDkO1hdo


 咄嗟に右手で自身を庇う。何かが灼けるような音がした。
 あらゆる異能を一瞬で消し去れるはずの右手に痛みが走る。その光を消し去ることができない。
 ステイル=マグヌスから聞いていた。『竜王の殺息』。幻想殺しを以てしても消し去れない強力な魔術。
 だから。

「――イノケンティウス!」

 もしそれが来たならば、ステイル=マグヌスの魔女狩りの王がそれを引き受けることになっていた。
 彼女の聖ジョージの聖域は最初、上条当麻個人に対して効果的な攻撃を行う。
 その攻撃は強力なものだが、魔女狩りの王に対して効果的なものとは別種の魔術。
 つまり彼女が魔女狩りの王を解析し、それをうち砕くまでに――上条当麻は彼女に接近し、あの空間の裂け目を攻撃しなければならない。
 
 上条の動きに合わせるように、禁書目録の首の向きが変わる。光の柱が上条を追いかける。
 けれどそれから庇うように、魔女狩りの王もまた竜王の殺息を追いかける。
 彼女の行使する光の柱によって破壊されたあらゆる物質が、白い羽根へと姿を変える。

 ――絶対に触れてはならないという、破壊の羽根。

 けれど上条当麻は禁書目録に触れることを優先し――結果的に正解を引き当てた。

「――消え失せよ」

 アウレオルス=イザードの低く重い声がして、白い羽根は一枚も残らず言葉の通りに空間から消え失せた。
 何かを変えることは困難だが、何かを消し去ることは容易だと彼は言っていた。
 その力を用いてでも、彼女の魔術がどうなっているか分からない以上、あの首輪をはずすことは出来ない。
 譲ってやるつもりはない。その仕事は自分の役目だ――!



260:2011/03/08(火) 21:36:02.55 ID:vCDkO1hdo


「――警告、第二二章第一節。炎の魔術の術式を逆算に成功しました。曲解した十字教の教義をルーンにより記述したものと判明。
 対十字教用の術式を組み込み中……第一式、第二式、第三式。命名、『神よ、何故私を見捨てたのですか』完全発動まで十二秒」

 魔女狩りの王が力を失いかけたとき、上条当麻は既に彼女に近付けていた。
 ――こんな狭い部屋で、触れるのに苦労するわけがない。

 上条当麻は右手を伸ばす。彼女に覆い被さるふたつの忌々しい魔法陣。

 思わず笑いがこみ上げていた。

「――これでお仕舞いだ」

 上条は、彼女を蝕む魔術に触れた。魔法陣、空間の裂け目、馬鹿馬鹿しいおとぎ話のようなそれを、上条の右手が打ち砕く。
 次の瞬間には、光の柱は消え失せ、空間の裂け目がゆっくりと、蜃気楼のように消えていった。

 禁書目録がはたりとベッドの上に倒れると、ステイル=マグヌスが安堵の溜息を漏らした。

「まぁ、起こることが分かっていればこんなものだよね」

 ステイルは皮肉めいた口調で言う。上条がベッドに駆け寄り、禁書目録の身体を抱き留めた。
 彼女はしばらく眠るように息をしていたが、やがて瞼を開いた。

 問題はこれからだ。
 上条は心中で不安を感じながらも、禁書目録に笑いかけた。




261:2011/03/08(火) 21:36:34.51 ID:vCDkO1hdo


 ▼C

「貴女は……?」

 白井黒子の問いに女は答えなかった。その代わりとでも言うように、振り向いた彼女の横に砲撃の軌道を残した。
 自分の攻撃が土塊に通用しないと気付いたのか、彼女は小さく舌打ちした。

 女の視線の先に、あの侵入者の姿があることを思い出した白井は、咄嗟にそちらを向いた。
 見れば、砕け散った土塊の腕が、再び元通りに戻っている。

「……なにアレ。自動的に修復してんの?」

 言いながら女は、疲れたように溜息をついて――次の瞬間には、白い光が宙から放たれていた。

 轟音を鳴らして空気を裂きながら目標へと集束していく光の束は、けれど完全に敵を沈黙させるには至らない。

 ――とはいえ。

「そんなもの撃ち続けていたら死んでしまいますの!」

 白井はその威力に驚くよりも先に、敵の命を心配していた。

「いいんだよ殺しちまえば。第一侵入者だろ、気遣ってやる理由なんてない。警備員だって怪我人が出てるって話じゃないか」

「そういうわけには――!」

 言いかけたところで、白井は自分がついさっき、この女に救われていたことを思い出した。
 ――どう考えても、人助けをするような柄には見えない。




262:2011/03/08(火) 21:37:25.96 ID:vCDkO1hdo


「貴女、何者ですの?」

「アンタこそ何? 避難勧告とか言ってさぁ、結局警備員だって現状ほったらかしじゃん。ホントは私の仕事じゃないのに」

 まるで仕事終わりに愚痴でもこぼすように、ぼやきながら彼女の砲撃は止まらない。
 何もない虚空からはじき出されるように高速で飛んでいくそれは、
 射出されているというよりはむしろ、一瞬で点から線へと姿を変えたように見える。

「私だってこんなことはしたくないけど……仕方ないから仕事を早く終わらせて帰ろうっていうのに――」
 
 けれど、光の束が止んで砂埃が消えると、平気そうに侵入者の女が立っていた。

「――なんなのよコイツ」

「……ですから、貴女も何者なんですの?」

 白井は頭痛がするのを感じていた。今の砲撃を放った目の前の女も、それに照準を当てられ無傷で悠然と立つ女も、
 どちらも誰がなんと言おうが化け物だった。

「――ねえ、そろそろ案内してくれない?」

 白い光を受けた土塊の異形が、砕け散って残骸を周囲に散らしている。けれど女は平然としていた。
 隣の立つ誰かが舌打ちをすると、それに呼応したように残骸が再び寄り集まっていく。
 ――きりがない。

「ミサカ……そう、ミサカミコト、だっけ? そいつのところに案内して欲しいんだけど」

 女はそう言って、

「――雑魚にかまけてる時間、あんまりないんだよね」

 地雷をひとつ踏んだ。

「……おいおい」

 白井はその声を聞いて、背筋に悪寒が走るのを感じた。

「誰に用があって――誰が雑魚だって?」

 その横顔に青筋が立っているのを、白井は確かに見た。




263:2011/03/08(火) 21:38:02.32 ID:vCDkO1hdo


 ◆C


 思ったより簡単だった。
 ――簡単過ぎた。

 病院に巨大な震動が走り、天井が砕け散ったとき、その違和感が現実になるのを感じた。
 アウレオルス=イザードの黄金錬成によって破壊不可の防壁となった扉は開かなくなっていた。
 だから自然、襲撃が来るなら壁か天井か床からだった。
 誰かが咳をする音が聞こえて、上条当麻の心臓が鷲掴みにされたように痛んだ。
 ――今は、無関係だ。心の中でそう言って、上条は何が起こったのかを把握しようとする。

「結局、どれだけ強力な防壁でも、爆薬の量次第で砕けちゃうわけよ」

 言い終えてから、けほ、と少女は咳をもうひとつした。

「……超揺れてたんですけど、この建物大丈夫なんですか? 後、超煙いんですが」

「そういうなら絹旗が壊してくれればよかったじゃない!」

 一瞬、上条の頭が強く混乱した。屈強な襲撃者を想像していた上条の目前に現れたのは、二人の小柄な少女だった。

「こういう超強引なのは、麦野の仕事なんですけどね。先走って他のとこにいっちゃいましたし」

 さて、と少女がこちらを睨んだ瞬間――、

「――アウレオルスッ!」

 上条は錬金術師の名を呼んだ。学園都市では年齢も性別も強さを計測する秤にはならない。あの少女たちは危険だ。
 アウレオルスは即座に黄金錬成によって窓のある壁を崩し去った。神裂は上条の手から禁書目録を受け取ると、音も気配も消え去った。

 ステイル=マグヌスは微動だにしない。神裂が逃げ切ってしまえば、彼の目的は達成されたも同然だ。だから、逃げない。
 アウレオルス=イザードは何かを気に掛けるように立ち止まっていたが、
 やがて自分のするべきことを思い出したのか、消え失せた壁から飛び降りた。

 そして上条は、自分のすべきことを確かに覚えていたのに、この場から動けなかった。

「――超久しぶりですね、幻想殺し」

 絹旗最愛が、何でもなさそうにこちらを見つめていた。




264:2011/03/08(火) 21:38:55.24 ID:vCDkO1hdo



『アイテム』に初めて会ったのはいつだったか。
 麦野沈利、絹旗最愛、滝壺理后、フレンダ。四人の少女を構成員として行動する学園都市暗部組織。
 学園都市内の不穏分子の削除及び抹消を目的として構成された集団。
 最初に会ったのは、そう、彼女たちが大勢の男たちを圧倒しながら雑談をしていたとき。
 アレイスター=クロウリーの狗として方々へ挨拶巡りをさせられていた上条に対して、彼女たちは少しの興味も払わずにいた。

「――結局、幻想殺しが相手なら私が一番なのよね」

「私がついてきた意味、超ないんですが」

「そっちの変なのの相手しててよ」

 フレンダが指を差した先に、何の驚きも決意もない、すべての感情が欠落したような赤髪の神父が居た。
 その姿を見て、思わず上条はステイルに声を掛ける。

「……おまえ、どうした?」

「――ちょっと待ってくれ」

 ステイルは言ってから、小さく溜息をついた。煙草の煙を深く吐いてから、瞼を閉じる。

「私の相手、アレですか? アレっていうか、なんか超アレなんですけど」

「C級っぽいからいいでしょ。じゃあ、そんな案配で始めるって訳よ」

 と、懐から何かを取り出しかけたフレンダに向けて、ステイル=マグヌスが炎を放った。
 ルーンの散らばった部屋の支配者は彼だ。魔女狩りの王が標的に向かって焼ける十字架を構えて突き進む。

 ――当然、フレンダに防ぐ術はない。

「――ッ!」

 絹旗がフレンダを庇うように立つと、魔女狩りの王の十字架が、彼女の直前で鍔迫り合うように止まった。

「な、何で防げてるのか、超分かんないわけなんですが……ッ!」

 けれど、それも束の間のこと。魔女狩りの王が十字架を振るうと、絹旗の身体がはじき飛ばされた。

「大丈夫ッ!?」

「……超問題ありません」

 吹き飛ばされたものの、絹旗は炎に直接は触れていない。
 対峙するステイル=マグヌスは、静かに上条に声を掛けた

「早く行け、いつまでだらだらここにいるつもりだ? 君にはしなければならないことがあるはずだ」

 ステイルは言い切ってから、煙草を口にくわえて二人の少女を睨め付けた。
 上条は、B棟三階東廊下突き当たり、一〇一号室に開いた巨大な穴から飛び降りた。




265:2011/03/08(火) 21:39:22.64 ID:vCDkO1hdo



 ▼C


 そして、御坂美琴が白井黒子の姿を見つけたときには、周囲は既に街としての形をほとんど失っていた。

「黒子ッ!」

 御坂が名前を呼ぶと、白井は驚いたように目を見開いた。
 ひとまず後輩の無事を確認し、胸をなで下ろしかけた御坂の目に、見覚えのある女の後ろ姿が見えた。

「アイツ……!」

 けれど、その後ろ姿が白井を庇っているように見えて、御坂は混乱した。

「――お姉様ッ! 来ないでくださいまし!」

 その言葉に咄嗟に怒りを覚える。

 ――だったら最初っから心配かけるんじゃないわよ……!

 御坂美琴がの前髪が帯電し浮かび上がる。そして、麦野沈利は御坂を振り返った。
 ――とても消耗した顔で。

 その瞬間、彼女はようやく他に敵がいることに気付いた。

「……第三位」

 驚いたような麦野の声に重なるように、それとは別の女の声が聞こえた。

「ああ、『お姉様』ってのはそっちのこと?」

 ――女。端々にレースやリボンのあしらわれた黒いドレス、獣のように跳ねた金色の髪、まるで憫笑するように細められた目。

「……誰よ、アンタ」

 御坂美琴の問いに、彼女は気安げに答えた。

「――シェリー=クロムウェル。イギリス清教必要悪の教会所属。分かるかしら? ――分からなくても、覚えておけよ」




266:2011/03/08(火) 21:39:50.54 ID:vCDkO1hdo


 戦いが始まってすぐに、麦野沈利があそこまで消耗していた理由に御坂は気付いた。
 とにかく攻撃が当たらない。直線上に向けた攻撃はすべて土塊の人形に防がれてしまう。なにかの変化を加えて攻撃をしてみたところで、今度は地面が蠢き逃げられる。
 シェリー=クロムウェルは防戦一方に見えて、大能力者の空間移動能力者と超能力者原子崩しの攻撃を適当にあしらっていたのだ。

 そして彼女は、御坂美琴を睨んで、気怠げだった表情を醜悪に歪めた。
 その表情はまるで『お遊びはここまでだ』とでも告げるように。――瞬間、白井黒子の悲鳴がこだました。

 見れば、彼女の足下の地面が崩れ、穴を開けている。口でもあけるように、それは彼女の足に噛みついていた。
 それはやがて腕となり、持ち上がり――白井黒子は土塊の怪物に掴まれたまま宙に浮かんでいる。

「何で空間転移――」

 言いかけて、美琴は彼女が足に怪我を負っていたことを思い出した。馬鹿か自分は。
 ポケットからコインを取り出し構える。けれどその攻撃前動作が終わったときには、白井の身体は既に宙に放り出されていた。
 泥人形の腕が、砕け散る。御坂は落下する白井の身体を受け止める為に走りながら、麦野の行動に感謝と混乱を感じていた。

 麦野の周囲から光の束が放たれる。間一髪で白井を抱き留めた御坂は屈んで難を逃れた。

「あっぶ――ないでしょうが!」

「黙ってろ! 邪魔なんだよテメエらッ――!」

 麦野が癇癪でも起こすように叫んで両腕を振り回した。
 感情の振り幅によって大きく影響を受けたそれは、狙いが逸れて標的とはまるで違う場所へと伸びていく。




267:2011/03/08(火) 21:40:16.51 ID:vCDkO1hdo


「何やってんのよノーコン!」

「うっせええええ!!」

 御坂は再度放たれる白い閃光から逃れる為、麦野の射程方向外へ逃れる。とはいえ彼女のアレは、四方八方に同時に放てるらしいが。

 白井黒子を遠くに置き、シェリー=クロムウェルの方を向く。泥人形が麦野沈利の前で腕を構えていた。

 ――咄嗟に、その巨大な腕に向けて超電磁砲を放った。
 直線に伸びて消えたひとつの光は、泥人形の腕をもぎ取り、結果的に彼女を守ったことになる。
 複雑な気分だった。

「下がってろ第三位! テメエさっきから邪魔なんだよ!」

「息も絶え絶えって様子じゃない。強がってるんじゃないわよ」

 御坂はそう言って、訊ねた。

「で? なんなの、コイツ」

 麦野沈利は小さく舌打ちした。




268:2011/03/08(火) 21:40:45.22 ID:vCDkO1hdo


 ▼C


 ことは都合良くは進まなかった。
 五分ほど走った。神裂火織はビルとビルの上を飛び跳ね一刻も早い学園都市からの逃亡を目指していた。
 既に空に光はなく、在るのは既に煌々と照る月だけだ。
 禁書目録を抱えているとはいえ、彼女にとってはその重みは大した問題にはならなかった。
 むしろ問題は重みではなく、その態度。

「降ーろーしーてー! 降ろしてってば! ちょっと、怖いから飛ばないでー!」

 ――緊迫感がない。
 思わず緩みかけた緊張を、意識的に引き締める。
 何かのイレギュラーが起これば自分だけではなく彼女が傷ついてしまう。
 それだけは避けなければならない。
 自分が何か失敗をすれば、アウレオルスの、ステイルの上条当麻の行動の意味が、すべて消え去ってしまうのだから。

「ねえ! ちょっと! 止まって! 止まってってば!」

「――舌を噛みますよ」

 そういってから跳躍すると、彼女の口からスッと怯えるような息が漏れた。

「この誘拐犯! 私を攫ってどうするつもり!? 言っておくけど十万三千冊は貴女が思っているほど軽いものじゃ――」

 尚も言い募る禁書目録の口を、

「いいから」

 一言、制する。
 姉が妹に向けるような、慈愛に満ちた声で。

 ――生きている。もう記憶を失うこともない。
 それだけで充分だ。




269:2011/03/08(火) 21:41:11.43 ID:vCDkO1hdo


 けれど不意に、彼女は何かの気配を察知した。
 その足を止める理由とするにはあまりにも微弱な予感に、けれど神裂は足を止め、
 一瞬後、彼女が進んでいればぶつかったであろう場所に、何かの圧力が走った。

「――こういうときに限って、と言うべきなんでしょうか」

 線が走った進行方向を辿った先に、一人の男が立っていた。
 ビルの屋上。近くはなく、遠くもない距離。――お互い、着くにも離れるにも苦労しない、何の意味もない距離。
 けれどその短くはない距離の中、彼の小さな声は不思議とよく聞こえた。

「……禁書目録を引き渡せ、女。私にはそれが必要だ」

 神裂は禁書目録を抱え直す。片手が不自由な上に、禁書目録という少女を守りながら戦わねばならない。
 ダークスーツに身を包んだ大男。手には籠手のようなクロスボウ。

「やはり、何事もなく、とはいかないようですね」

 まったく、と神裂は溜息をつく。逃げる前に、彼を打ち破らねばならない。彼女を守りながら逃げ切るのは、不可能だ。

「できれば穏便に済ませたいものですが」

 言いながら神裂は、目前の男を睨んだ。




277:2011/03/10(木) 16:43:38.08 ID:u2p4+qs6o


 ▼C


 月詠小萌は一日中、ぼんやりとして何にも集中できていない様子だった。 
 だから青髪ピアスは、上条当麻の部屋を訪ねた。
 休みの連絡は来ていなかったそうだ。家に電話を掛けても出ないという。

 上条がサボるのは珍しいことではないが、今日のそれはいつもとは違う気がした。
 なにか、予感めいたざわつきが、胸の奥で広がる。
 だからこそ青髪は、「どうせただのサボりやろ」と、わざと軽薄そうに呟きながら彼の部屋へと向かっていた。
 自分の中で渦巻く不安に気付かないように。

 エレベーターから出て、上条当麻の部屋を目指す。その隣室で暮らしているはずの土御門元春も、今日は休みだった。
 なぜだか自分だけが取り残されているような気分だった。

 その妙な錯覚を振り切る為に、青髪は大きな声を張り上げて上条の部屋の扉を開ける。

「カミやーん?」

 部屋は暗かった。電気はついていない。留守か、と気付くが、何かが違うような気がした。
 部屋全体の様子はまるで変わりないのに、何かが決定的に違うような錯覚。

 まるで留守ではなく、部屋が置き去りにされているような。 

 もちろん、そんな根拠のない感覚に判断を任せるような自分ではない。
 かといって――漠然とした不安に覆われ始めたのは本当だ。

 部屋の中へ進んで、違和感の正体を確かめようとした。何か変わったところがあれば、なんだそれだけのことだったのか、と安心できる。
 けれど――何も変わった様子がない。
 上条当麻だけが存在しなかった。

 部屋の隅に、青髪ピアスが渡したギターが立てかけてあった。
 取り残されたギターが、何かの暗喩めいてみえて、青髪ピアスは少し動揺した。
 ギターに触れる。弦が震える。音が響く。

「……カミやん?」

 ――返事はどこからもない。
 青髪ピアスは強がるように笑った。
 何かが、失われてしまった感じがする。




278:2011/03/10(木) 16:44:04.72 ID:u2p4+qs6o



 ▼C


 約束があった。
 ネオン、ビル、街灯の灯り。夜の街中で、アウレオルス=イザードは一人の少女を待っていた。
 どんよりとした雲が空を隠し、さっきまでは見えた月の姿が失われてしまっている。

 待ち人は、そう時間を置かずにやってきた。

 姫神秋沙。吸血殺しを持つ少女。どこか悲しげで物静かな雰囲気の、一人の少女

「……呼んだ?」

 アウレオルス=イザードは三沢塾を拠点として活動していたが、現在ではそこは壊滅した。
 上条当麻と土御門元春の手によって、アウレオルス=イザードは潜伏を余儀なくされていたのだ。
 その際に、姫神秋沙を解放した。
 無論、それは人質としてさらっていた少女を逃がしたのではなく、利害の一致で結びついた盟友と一時的に別れた程度の意味しかない。
 そしてそれらの行為は、既に必要のないものになっていた。

「自然、ここに私が来たということは、昨日伝えた目的が成功に至ったということだ」

「……そう」

 少女は言葉少なげに、けれど確かに、

「おめでとう」

 聞きようによっては他人事めいても聞こえる声音で、微笑みにのせて確かな祝福をアウレオルスに贈った。
 彼はその初めて見るような笑顔に少し面食らってから、咳払いをして気を取り直す。

「当然。私の目的が達成されたのだから、君の目的も達成されねばならん」

「……でも私。何もしてない」

 と、申し訳なさそうに彼女は言った。その姿を見てアウレオルスは少し戸惑う。
 利害の一致により協定を結んだ関係だが――彼女は確かに何もしていない。
 けれど、行動を共にしておいて、「何もしていない」という言葉はどういうことだろう。
 確かにギブアンドテイクの関係だ。かといって彼女は充分すぎるほど彼に協力してくれていた。
 自分の力で直接の達成ができなかったからといって、それをなぜ申し訳なく思うのだろう。
 考えてみれば、確かに彼女は何もしていない。
 真にギブアンドテイクの関係ならば、アウレオルスは彼女に何かをする理由はないかも知れない。

 ――けれど、義理はあった。
 あるいは、そんなふうに考えてしまう少女だからこそ、彼は力になりたいと思ったのかも知れない。
 あの禁書目録の幸福を願ったように、目の前の少女の幸福をも、祈りたくなってしまうのかもしれない。
 だからこそ、アウレオルス=イザードは、あの少年が彼女を首輪から解き放ったように、

「君の吸血殺しを消し去ろう」

 誰かの為にできることを探していたのかも知れない。
 まだ何も終わっていない。この所用がすめばすぐにでもやらなければならないことがある。
 それでも――なんだかとても、気分がよかった。




279:2011/03/10(木) 16:44:35.11 ID:u2p4+qs6o


 ▼C

 巨大過ぎる穴が開いていた。
 壁と、天井。
 けれど彼女たちはその部屋から抜け出すことができない。
 
 まず、炎が舞った。
 男は口を閉ざしたまま気怠げに腕を放り炎を放つ。黒く溶けるような炎は宙を踊り、周囲の空間を切り裂くように進む。

 それを前に、絹旗最愛はかろうじてかわすくらいのことしかできない。
 彼女もフレンダも、逃げられるはずだった。相手は一人で、壁には巨大な穴が開いている。
 隙をつけば逃げ出すことなんて簡単なはずだ。――けれど、ただそれだけのことができない。
 少女たち二人と対峙する男は、先ほどから微動だにもしていないのに。
 なぜか?

 轟々と巨大すぎる音が、空気を弾き周囲を照らし、劫火を撒き散らす。
 炎を纏った巨大な異形が、その体躯で彼女たちの行く道を阻んでいた。
 それは平時よりも極端に膨れあがっていた。禁書目録の竜王の殺息を引き受けたときよりこも厖大に、魔女狩りの王はただ在った。
 大きさ以前に、それが撒き散らす熱に襲われ、少女達は身動きがとれない。
 それは目前に立つ男も同様のはず。――そのはずなのに。
 ステイル=マグヌスは、けれど、平然と立ち尽くしてた。
 炎の巨人の両腕に挟まれながらも尚、泰然と。
 
 呼吸が上手くできない。口から吸い込む空気が熱く、息苦しい。
 絹旗は徐々に意識がぼやけていくのを感じた。咄嗟に首を動かしてフレンダの姿を探す。
 彼女は既に床に這い蹲っていた。
 絹旗も思わず膝をつく。けれど――そうしたところで何かが変わるわけでもない。
 サウナのようだ、と思いかけたところで、その緊迫感のない喩えに自嘲した。サウナ程度ならどうにでも逃げられる。
 これはまるで――地獄の釜に放り込まれたような。



280:2011/03/10(木) 16:45:05.36 ID:u2p4+qs6o


 目前の異形の炎は、けれどまだ膨らんでいく。

 C級モンスター映画でもこんな展開はない。敵が微動だにしない現状で、ここまで一方的に痛めつけられることなど――!

 彼女は火傷しそうに熱い空気を思い切り吸い込み、

「――フレンダッ!」

 唯一の味方の名を呼んだ。
 助けは期待できない。来るとしても持つ気がしない。そしてこの建物にいた刺客たちなど何の役にも立たないだろう。

 だからこそ、彼女は両手で壁を殴った。窒素装甲。それは抉れるように削れたけれど、崩れるには至らない。

「超逃げますよ! こんなの相手にしてられないです!」

 壁を殴る。殴る。殴る。分厚い。――炎の魔神はまだ、腕を振り回そうとすらしない。
 いくら殴っても壁は砕けない。少しずつ削れはしても、砕けたりはしない。
 幻想殺し――あの男が単独で行動しているものだと錯覚していた。
 協力者が居る報告は聞いていたが、それらはあの男よりも警戒する必要のない存在だと判断していた。
 ――冗談じゃない……! 
 絹旗は歯噛みする。幻想殺し? あんなものよりよほど――この男の方が化け物だ……!

 魔女狩りの王はありとあらゆるものを溶かしていた。この白い監獄を、赤い神父の炎が溶かしつつある。

 ――彼女にとっては、幸運なことに。

 尚も膨らみ続ける十字架を抱えた炎が、嘆き喚くように暴れ回る。天井が、床が、炎に包まれはじめる。
 かろうじて保っていた意識の粒を強引に寄せ集め、絹旗はフレンダに駆け寄った。
 巨大すぎる炎が、部屋を覆い尽くそうとしている。
 ――瞬間、床が崩れた。

 赤神の神父もまた、落下している。絹旗は着地してから、フレンダを抱えたまま扉の壁を蹴破った。




281:2011/03/10(木) 16:45:38.98 ID:u2p4+qs6o


 ▼C


 消耗していた。
 ――相手も、自分も。

「ちょこまか逃げやがって――ッ!」

 シェリー=クロムウェルの咆哮を受けて、咄嗟の判断で身体を動かす。直後、自分が今まで居た地面が砕けた。
 ――足場が無くなるまで削られることはない。けれど、このままでは――。

 土塊の怪物が腕を振り下ろす。麦野沈利の姿が土煙で見えない。――もう何度目のことか分からない。
 逃れれば逃れるほど怪物はその質量を増し、より巨大になっていく。

「いい加減に……ッ!」
 
 御坂が電撃の槍を怪物に放つ。吸い込まれた金属片に弾けるように飛んでいく。けれど倒すには至らない。
 振るわれた腕に、強力な電撃を放ち一時的に解体するが――堂々巡りだ。

 そして一瞬、御坂美琴は疲労で混乱した思考を止め――その一瞬の気の緩みを見逃さないとでもいうように、異形の腕が暴れ回る。

「――――ッ!!」

 マズい、と思った。
 一瞬の判断で、御坂美琴は怪物の腕の動きを磁力によって阻害し、目標を変化させた。

 ――その一瞬。

「――……エリス?」

 シェリーの不可解そうな声を背景に、土塊の異形が硬直した。


「……え?」

 呆然となったのは御坂の方だった。
 まさか、指示とは違う動きを強引に取らされたことで、あの人形は混乱したのか。
 つまり――指示とは違う行動を取ってしまったことで混乱し行動不能に陥った?
 それは要するに――どれだけ巨大であろうと、内側から操作し混乱させてしまえばすぐに行動を止めるということ?




282:2011/03/10(木) 16:46:05.76 ID:u2p4+qs6o


「はあ?」

 と、思わず間抜けな声が御坂から出た。
 その瞬間、異形の塊は行動を再開した。

 ――早合点。
 混乱したのは泥人形の方ではなく、術者であるシェリー=クロムウェルの方。
 つまり単に彼女は、驚愕に身を止めてしまっていただけで、彼女のゴーレムは支配下にあった。
 ――磁力による緊急脱出? どこに? できるか? 考えている間にも、巨大な腕が自らに向かってきている。
 ああ、マズいな、と思う。

 ――でも、おかしい。泥人形の動きはとても緩やかだった。
 コインをポケットから取り出そうとする。間に合う。
 そして腕を動かした瞬間、違和感の正体に気付いた。
 身体が、粘つく液体の中に沈んでいるみたいに動かしにくい。
 まるで時間の流れが奪われたように。けれどそれは静かに流れ――ゴーレムの腕は、徐々に御坂の視界を包んでいく。
 あ、そうか、と御坂は納得する。

 これはあれだ。
 ――走馬燈的な?

 自分の間抜けさに笑いがこみ上げる。その一瞬。

「うそでしょ?」

 けれどそれは紛れもない現実で、御坂美琴の視界は緩やかに暗く染まり、目を瞑る暇もなく異形の腕が御坂に迫った、

 ――そのときには、彼は右手を構えていた。




283:2011/03/10(木) 16:46:32.10 ID:u2p4+qs6o


「白井ッ!」
 
 少年が少女の名を呼ぶ。
 土埃に隠れて彼の姿は見えない。けれど、それが誰なのか、すぐに分かった。
 なぜだろう。
 御坂はこの状況に驚くよりも安堵するよりも混乱するよりも先に、「ほらね?」と勝ち誇りたい気分だった。 

 ――やっぱりアンタは、助けに来てくれるわけだ。

「てめえ、離――」

 麦野沈利の喚くような声が一瞬途絶えて、

「――せよ!」

 自らの耳元で大きく聞こえた。

「退避しますわよ、お姉様」

 白井黒子が、御坂美琴を片手で掴んだ。もう片方の手に麦野が掴まれていることが見ないでも分かった。
 怪我をしてるくせに空間移動をするなんて無茶だ。
 ――彼女にとっても勇気の要る選択だったのだろう。
 風紀委員であることに誇りと自負を持つ彼女が、ただの一般人を頼って逃げ出すことなんて。
 
 でも、御坂美琴はもう安心していた。
 
「おい、幻想殺し! テメエそこで待って――」

 麦野の声はきっと、途中までしか彼には届かなかっただろう。




284:2011/03/10(木) 16:47:09.13 ID:u2p4+qs6o


 ◇C


 ――親殺しのパラドックス、とも、言っていた。御坂美琴だ。ここ数日、ことあるごとに彼女の言葉を思い出す。
 人はみな生まれて、死ぬ。ゼロからゼロへ帰る。
 死んでしまえば人間は世界から喪われ、ゼロになる。
 ではそれは「生まれなかったこと」とはどう違うか?

 ひとつは記憶だ。誰かの記憶に残ること。それは曖昧で不確かなことだけれど、事実。
 そして、死は完全なゼロ――消失とは違う。
 やがて忘却によって世界から消え去ることになるとしても、その人が居た痕跡は何らかの形で世界に残る。

 では消失とは何か?

 ――その人物が行ったこと、いたことによって変わった事実、その人の周囲の時間。
 それらがすべて、歪められてしまうこと。その人物の痕跡のすべてが「なかったことになる」こと。

 僕は少しだけ不安だった。
 この世界から消えるとき、もし、僕が「いなかったこと」になったら?
 そうなったら上条当麻は禁書目録を助けることができたのだろうか?
 
 ――可能性は未知だ。
 もしかしたら上条当麻は、九月三日に僕と出会わなくても彼女を助けたかも知れない。
 あるいは、遠い未来、土御門元春を殺すことに至るのかも知れない。
 土御門を上条が殺せるか、と考えたところで――それ以上は想像できなかった。
 あるいは土御門にも何らかの精神的な事情で、上条当麻に抵抗ができなかったという可能性もある。

 ――未来は未知だし、世界は変貌する。だからどうなるかは分からないし、「もしかしたら」は分からない。
 結局僕の目に映るのは今の世界なのだから。

 もちろん、どうでもいいことなのだが。
 もし、僕がこの世界からいなくなっても、「僕がいた事実」が消えないのなら何の問題もない。
 けれど僕がこの世界から消え去ったとき、「僕がいなかった世界」に変貌してしまうなら――それは、困る。

 つまるところ、忘れて欲しくない。僕は世界に忘れられたくない。
 それは禁書目録を助けるためだとか――そういうことだけではなく、もっと別の――
 ――世界が自分の知るものとはまるで別のものに変わってしまうことへの恐怖だ。




285:2011/03/10(木) 16:47:44.20 ID:u2p4+qs6o


 親殺しのパラドックス、親殺しのパラドックス。
 御坂美琴のたとえ話が何度も頭のなかで反芻される。

 タイムマシンで自分が生まれる前の過去に戻った人物が、自分の両親を殺したらどうなるか。
 それから生まれるであろう自分も存在を失い、その場合自分が生まれないわけだから、両親を殺すものはない。
 だとすると両親は殺されないことになるが、殺されなければ自分が生まれ、未来から訪れ両親を殺す。
 ひとつの矛盾。
 あるいは、親を殺した世界は既に自分が元いた世界とはまったく別の世界であり、
 その世界の両親を殺したところで自分は影響を受けないのか。

 つまり何を僕は考えているのか。何が言いたいのか。――分からない。けれどそれは、とても大事なことなのだ。
 それはとても、これからの未来を左右してしまうことなのだ。
 だから覚えていないと――。

 燃えさかる監獄を後にして、僕は周囲を見た。悲鳴、怒号、誰かの咳の音、誰かが助けを呼ぶ声。
 ――知るか、そんなもの。

 逃げ出したあの二人はどこへ行ったのだろう。上条当麻とは面識があるようだった。
 かといって、彼女たち二人が禁書目録を狙っているとは考えづらい。
 だとすると上条当麻だけを狙っている?
 ならば、別段追いかける必要はない。そもそも時間を稼いでやっただけでも十分だろう。
 第一、一人は気を失っていた。すぐには行動をとれないだろう。

 ルーンの貼られた場所から逃れられれば、僕の魔術は極端に力を失ってしまう。
 今何者かに襲撃されれば――いや、十分対応はとれるか。
 少なくとも能力を持たない人間なら灰にすることができるだろう。
 懸念は必要ない。万事、上手く動いている。




286:2011/03/10(木) 16:48:17.80 ID:u2p4+qs6o


 ▼C


 疲労も消耗もない。
 けれど逃げ切れない。
 相手はつかず離れずの距離で射撃を続けている。逃げれば追われ、追われつつ撃たれ、走りつつかわし、かわしつつ状況打破の糸口を探す。

 神裂はビルの谷間を飛び降り、地面へと垂直に落下していく。
 男もそれに従うように跳躍した。
 
 着地音。同時に、一拍おいて何かの落下音。すさまじい音を立てて、彼は着地していた。
 当然、互いに無傷で。

 ――大した力を持っているわけではない。問題はその力の多様性だった。
 
 単純な射撃のみかと思えば鎌鼬のように空気を裂き、身体能力に頼った移動のみかと思えば宙を蹴り、
 姿が消えたかと思えば唐突に別の場所に現れる。
 
 もし禁書目録を抱えていなければ――と思う。それでも易しくはないかも知れない。
 力に頼って圧倒するのは容易だろうが、彼はそうなればあっさりと逃げ去り、こちらの隙をついてまた強襲をかけるだろう。
 アウレオルス=イザードのように反則めいた力でも、ステイル=マグヌスのように強力な魔術を扱っているわけではない。
 言うなれば、彼は天才ではなく――手練れなのだ。
 自らの力を過信せず、けれど退きもせず、可能なことの中でもっともその場に相応しいものを選び取り、相手を混乱させる。
 
「誘拐犯の次は不審者が出てくるなんて……私って心底ついてないのかも」

 一瞬。
 その言葉の部分部分に、自らの記憶の中の禁書目録が重なって、思考が止まりかける。

「――衝打の弦」

「――――っ!」

 かろうじて神裂が男の攻撃を交わす。進行方向上にあった地面が抉れた。人の通りが少ないのがせめてもの救いだ。

 町中にあるものを蹴り、突き進んで彼から逃れる術を探す。禁書目録が何かを呻いている。

「なんか酔ってきた……」

 ――やっぱり、緊迫感がない。




287:2011/03/10(木) 16:49:13.40 ID:u2p4+qs6o


「女、止まれ。私にはそれが必要だ」

 その不遜な言い回しに、いらだちを覚える。

「貴方の目的が何かは知りませんが、邪魔をしないでいただきたい」

「何が目的かは知らんが、今邪魔をしているのはそちらだ、女」

「……私の為に争わないでー、って言うべき場面?」

「貴女はちょっと黙っていなさい」

「誘拐犯のくせにえらそうな……!」

 禁書目録の口を封じて、目の前の男を睨む。

 面食らったように立ち尽くしたダークスーツは、怪訝そうに神裂を睨んだ。
 お互い、時間が止まる。

 そして、時間の楔を引き抜いたのはそのどちらかではなく、禁書目録でもなく、

「何をしている?」

 ――緑髪の錬金術師だった。

 ダークスーツの男は、アウレオルスの声に咄嗟に振り向き――偶然にも彼の放った銃弾を避けた。
 
「間然。いつまで立ち止まっているつもりだ。早く行け」

 その声が自分に向けられたものだと気付いた瞬間、神裂は禁書目録を抱え直して走った。

「待てッ!」

 ダークスーツの男は神裂を追う為に駆けだしたところで、突然、身を竦め、何かに怯えるように跳躍した。
 追うように銃声、弾道。

 そして男がふたたび駆け出そうとしたところで、

「――その場に留まれ」

 アウレオルス=イザードが、一瞬で戦いを終わらせた。




288:2011/03/10(木) 16:49:39.62 ID:u2p4+qs6o


 ◆C


 土塊の人形を上条の右手が打ち砕くと、女は不愉快そうに眉を顰めた。

「誰? ……いや、違うな。――何? アンタ」

 そういって女は上条に問いかける。
「おまえはいったいなんなんだ?」と。
 そんなこと、上条は知らない。
 しいていえば人殺し? ただの学生とは言い難いか。誘拐犯を名乗るのも馬鹿らしい。幻想殺しを名乗るのも妙な具合だ。
 だから上条は、

「――上条当麻」

 何の意味もない答えを返した。
 
 女は駄々をこねるように声を張り上げる。

「あっ――そう!!」

 土塊の異形が再び、彼女の指先によって糸を引かれるように蘇る。
 ――けれど、自然な帰結として、上条の右手の前では、何度蘇ろうが何の意味もない。

 唖然とするような女との距離を、上条は徐々に詰めていく。
 
 彼女の戦法は、ゴーレム=エリスを主軸として、
 対象の行動を制限したところに、彼女自身の魔術によって捕縛や攻撃を加えるというものだ。

 だから、エリスが彼女を守る盾となると同時に、彼女の最大の矛だ。
 それが失われれば敵を阻むものはない。彼女が魔術を行使しても、容易に逃れられる。




289:2011/03/10(木) 16:50:08.34 ID:u2p4+qs6o


「――なんだよおまえ……ッ!」

 女は怯えるような声で叫び、付近で山となった土塊を浮かび上がらせ、彼に向かって放つ。
 当然、それは当たらないし、当たったところで何の意味もない。

「邪魔を――!」

 自棄にでもなったように、両腕を振り回しながら、最後の最後、彼女は上条の足下から怪物を生み出し、

「――するなああああああ!!!!」

 効力をすぐに失った泥の山に立つ男を見上げた。
 その姿はもはや、彼女には人間には見えなかった。

 泥の山から飛び降りて、彼は女に歩み寄る。
 彼女は呆然と後ずさり、つまずいて転げた。
 尚も逃れようとする女の髪を彼は掴む。その荒々しい行動とは裏腹に、奇妙に優しげな声音で彼は言った。

「――口閉じてろよ、舌噛むぞ」

 一撃。
 彼女はそれで、気を失った。
 一分にも満たない間の出来事だった。




290:2011/03/10(木) 16:50:35.13 ID:u2p4+qs6o



 ◆C


 シェリー=クロムウェルを抱えて逃げ出そうとしたところで、攻撃を受けた。

「避けるんじゃねえええ!!」

 麦野沈利の原子崩し。光の束が上条めがけて跳ねる。驚くが、何の意味もない行動だ。
 それが異能の力ならば、幻想殺しは例外なく消し去ることができる。

 この右手がある限り、彼女の攻撃はすべてが無意味だった。

 麦野沈利の後方で、何が起こっているかまるで把握できていない表情の御坂美琴が立っていた。

「――そこの貴方! そちらの女性を引き渡してください!」

 風紀委員の白井黒子。けれどそうするわけにはいかない。
 残念なことに、シェリー=クロムウェルを学園都市側に引き渡すわけにはいかなかった。

 シェリーの身体を抱えて逃げ出す。白井黒子は体力を消耗している上に怪我をしていた。御坂美琴も麦野沈利も、ひどく疲弊している。
 幻想殺し以外は生身の人間でしかない自分でも、容易に逃げ切れる。
 そう考えかけて、苦笑する。建物の三階から飛び降りて無事だった。竜王の殺息を右手で受け止めた。
 ――生身の人間? 笑わせる。

「逃げんなァァァアッ――!!」

 逃げるわけじゃない。
 背を向けるのは本当だけれど、それは逃走なんて後ろ向きの行為じゃない。
 抜け出すのは本当だけれど、それは逃げ出すわけじゃない。投げ出すわけでもない。
 ――目的がある。それを達成するだけだ。

 最後、上条が肩越しに振り向いたとき、御坂美琴と目が合った気がした。
 上条は何も言わなかった。

 ――どちらかが死ぬわけでもあるまいし、世界のどこかにいるわけだし。どんな思い入れがあろうと、その程度のことでしかない。




291:2011/03/10(木) 16:51:05.13 ID:u2p4+qs6o


 ▼C


 ダークスーツの男は気を失っていた。アウレオルス=イザードの黄金錬成によって、彼は眠りの中に封じられている。
 そしてそれは、「目を醒ませ」と彼が言わない限り――あるいは幻想殺しにでも触れられない限り、起きることはないという。

 男抱えたアウレオルス=イザードを見て、神裂は一度安堵する。

「……誰も彼もが怪しすぎるんだけど」

 禁書目録が呆れたようにいう。
 ふっと、アウレオルスの口元がほころんだ気がした。

 けれどその表情は、一瞬で隠れてしまう。

 アウレオルスが抱えた大男を見る。ステイル=マグヌスの言葉を不意に思い出した。
 アウレオルス=イザードもまた、憂慮しているのだろう。これから起こること、起こりうること。
 だからこそ彼は捨て置けるはずの男を抱え上げている。

「ステイルは?」

 神裂が訊ねるが、アウレオルスの返事は「分からない」だった。
 ステイル=マグヌス。強力な魔術を行使するルーン魔術の天才。
 ――この世界では死に、別の世界からやってきたという男。

 心配と言えば心配だった。彼の実力から言えば、この街の人間程度には引けは取らないだろう。よほど強力な能力者でもない限り。
 ――けれど、それ以前の問題。あの彼は、どこか危うげに見えた。
 放っておけばどうなるか分からないような、危ういバランスの中で正常を保っているような、そんな姿。
 しかし、ステイルを探している余裕はない。
 時間は有り余っている。かといってもう一人イレギュラーが現れればどうなるか分からない。
 移動は早いに越したことがない。

「行きましょう」

 本来なら神裂一人で移動をする予定だった。けれど今優先すべきなのは、禁書目録の無事だ。時間には余裕がある。
 万が一にもう一度魔術師が現れ、その襲撃を受けたなら、また要らぬ時間を食う嵌めになる。アウレオルス=イザードの力が必要だ。

 神裂は走っていた。アウレオルスも、それに随った。




292:2011/03/10(木) 16:51:37.79 ID:u2p4+qs6o


 ◆C


 上条当麻が路地裏を駆けていた。追っ手の気配はない。逃げ切れたわけではないだろうが、見つかってはいない。
 それも長くは続かない。シェリー=クロムウェルを背負ったまま長く逃げるのは骨だった。

 ステイル=マグヌスの提案は、「その後」の話だった。

 禁書目録を助け出す。――その後は?
 天草式を頼る? イギリス清教と密接な繋がりを持つ彼らは、いつまで禁書目録を占有しようとしている自分たちを許すだろう。
 立場的に困難はあるだろうし、それ以前に、彼らが認めてくれるとしても、
 そのことが露呈すれば今度は天草式全体に迷惑がかかることになる。

 何の後ろ盾もない上条当麻という個人。アウレオルス=イザードという流れの魔術師。神裂火織というイギリス清教所属の人物。
 ――それが魔術世界にその名を轟かせる十万三千冊、禁書目録を占有する。学園都市から奪い去る。
 結果、学園都市側は禁書目録を監禁していたことが明るみに出ることになる。少なくともイギリス清教所属、神裂火織が見ているのだから。
 そしてイギリス清教側は、禁書目録を強引に拉致した一団の中に神裂火織の姿があったのだから、正当性は失われている。
 これは結果論だが、シェリー=クロムウェルというイギリス清教所属の魔術師の存在が、これをより強めていた。
 そのうえ、天草式の協力。
 つまり――このままいけば、世界は何らかの変遷に触れることになる。
 そうなったとき、あるいは誰かがそれを止めようと行動を起こすとき、渦中にいることになるのは禁書目録だ。
 その少女を、何の後ろ盾も持たない、何の力も持たない上条当麻という個人が守りきれるか?
 ――不可能だ。
 



293:2011/03/10(木) 16:52:04.61 ID:u2p4+qs6o


 だから赤髪の神父は上条に言った。
「とにかく、味方を増やせ」と。
 不可能だと思った。何の力も持たない子供に協力する人物などどこにいるだろう。
 目的を共にするのならばともかく、自分という個人を思い協力してくれる人物などいない。
 けれどステイルは続けた。

「世界には悲劇が溢れている」

 それは学園都市の暗がりで、何度も聞いた言葉。悲劇なんてどんな場所でもありふれているのだと。

「そのありふれた悲劇を、ひとつひとつ止めていくんだよ」

 ひとつひとつ。救いを垂らすように。ステイル=マグヌスは言った。

「どんな形でもいいさ。そうすればきっと、誰かが協力してくれるかも知れない。誰かが感謝するかも知れない。そうなれば――」

 そうなれば、今度は君を、誰かが救うかも知れない。君が感謝をすることになるかも知れない。随分希望的な観測だと上条は思った。

「一人で戦うには敵はあまりに強大だから――だから、誰かの手を借りるんだ」

 ステイル=マグヌスにはあまりにも似合わない言葉だ。
 まるで何かを遺すように、ステイルは上条にそう語った。

 そしてその男が、目の前に現れた。
 今にも消えてしまいそうな、陽炎のように希薄な姿で。

「……その女をこちらに」

 言葉の通り、シェリー=クロムウェルを引き渡す。

「目を醒ますかも知れないから、すぐにアウレオルスと合流する。君とは別行動になるよ。追っ手の目的は君みたいだから」

 独力で学園都市から抜け出してくれ。上条が頷くと、ステイルは何かを確かめるように目を細めた。

「それじゃあ、さよならだ」

 シェリー=クロムウェルを肩に担いで、ステイルはすぐに去っていった。
 なぜだか、二度と会えないような気がした。




294:2011/03/10(木) 16:52:47.41 ID:u2p4+qs6o


 ▼C


 フレンダを滝壺理后に預けてから、絹旗は幻想殺しを追いかけていた。
 先ほどの男が追ってこないのを確認して、彼女は行動をはじめる。
 病院から学園都市の脱出をはかるなら、逃走経路はそう多くない。
 ――幻想殺しが学園都市から逃げだそうとしている、とだけ聞いていた。
 ふざけるな、と絹旗は思う。
 最初から気に入らなかった。
 物見遊山のように生半可な気持ちで首を突っ込み、自らの手を染めることになれば被害者ぶるように死んだ表情をして、
 挙げ句の果てに気に入らないからと脱走を企てる――馬鹿にしている。

 だから絹旗は、上条当麻という人間に、きわめて個人的な感情として怒りを感じていた。
 そんな馬鹿げたことを認めるわけにはいかない。

 だから、絹旗の中にあったのは一種の執念だった。
 囚われのお姫様を助け出して、王子様とお姫様はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。
 ――なんていうハッピーエンドがありうるなんてことは、認めるわけにはいかない。
 そうでなければ、自分は何のためにここまで――。

 思考がおかしくなりはじめていることに気付いたとき、絹旗最愛は上条当麻を見つけた。




295:2011/03/10(木) 16:53:14.72 ID:u2p4+qs6o


 ▼C


 力量差ははっきりとしていた。
 絹旗最愛の能力は上条当麻には通用しない。自然なことだ。
 上条当麻に窒素装甲が通用しない以上、彼女は上条にとってはただの少女と変わらない。

 そのただの少女は、けれどそれを知りつつ上条の前に立ちはだかる。

 上条は突然現れた絹旗に驚くこともなく、悠然と歩く。

 驚いたのはむしろ絹旗の方だった。
 頼りなく朧気で、死んだような顔をしていたような男。
 それが今は、何かを決意したように澄んだ表情をしていた。

 その表情に、思わず苛立つ。むかむかとした感覚が、腹の底から這い上がってくる。

 まるで自分のことをなんとも思っていないような表情。
 まるで自分のことをなんとも思っていないような声音で、

「どけよ」

 彼は短く、告げた。
 振り上げた拳が彼の頬へと向かう。――彼は、防がなかった。
 
 彼の身体が吹き飛んだ後も、混乱したのは絹旗の方だった。窒素装甲の一撃は、普通なら耐えられるものではない。
 一撃でも食らえば圧倒的不利に陥るどころかその場で勝負が決してしまう可能性すらある。
 それなのに彼は右手を構えなかった。
 



296:2011/03/10(木) 16:53:40.66 ID:u2p4+qs6o


 顔面に受けた衝撃に吹き飛ばされながらも、彼は平然と立ち上がり、

「どけって」

 ――なんでもなさそうに言った。

「な――」
 
 思わず漏れ出た声が震えているのに、絹旗は気付かなかった。

「――んなんですか……あなたは……!」

 けれど彼はその声にも答えず、あるいは、絹旗の姿を見ようともせず、平然と、彼女の脇を横切った。
 その背中に、再び拳を振り上げる。

「超、意味わかんないんですけどッ! 何のつもりなんですか!」

 それはもはや、仕事とも怒りとも関係なく、ただ恐怖を誤魔化すための行為だった。
 一方的に彼を攻撃しながら、絹旗は幻想殺しに怯えていた。

 上条は、またも平然と立ち上がり、絹旗を振り返ることもなく歩きはじめた。

 そして、絹旗がもう一度拳を振り上げると、

「――ッ!」

 上条は、今度はそれを受け止めた。
 自分が無防備になってしまったことに対する恐怖より、労せず封じ込まれたことに対する驚愕より、
 自分が彼に触れられただけで、「ただの一人の少女」になってしまうことに対する不安よりも、
 何よりも先に、絹旗はどろりとねばつく右手の感触に動揺した。
 上条の右手は皮膚が裂け、指先が焦げ、血にまみれていた。触れられた拳に、どくどくとした脈動が伝わってくる。

 その瞬間、もう見慣れたはずの、触れ慣れたはずの他人の血液に――原初的な恐怖を感じた。

「もし、もしもなんだけどさ」

 どこか遠いところを見るような目で、上条は言った。その表情が寂しげに見えて、絹旗は少し驚く。
 まるで何かを手放そうとしているみたいな、顔。

「――やっぱ、なんでもないわ」

 そんなふうに、彼は笑って、絹旗を見た。
 目が合った瞬間、自分の中で何かが崩れ落ちるのを、絹旗は感じた。




297:2011/03/10(木) 16:54:07.42 ID:u2p4+qs6o


 ◇C


 シェリー=クロムウェルを抱えながら神裂の元に向かう。合流すると、彼女は禁書目録を、アウレオルスはダークスーツの男を抱えていた。
 ――引き渡す相手がいない。

「……ステイル」

 神裂が、何か驚くような声でこちらを見た。

「降ろして! 降ろしてってば!」

 禁書目録がわめいている。

「――降ろしてあげなよ。ついでに、この女を引き受けてもらえるとありがたいんだ」

「しかし」

「逃げないよ。だろう?」

 禁書目録は縮こまる。ばつの悪そうな顔だ。逃げだそうというつもりだったのだろう。
 結局神裂は、禁書目録を両足で立たせ、シェリー=クロムウェルを引き受けた。

「ステイル、貴方は?」

「残念だけど、僕はいかなきゃいけないところがあるから」

 というよりは、恐らく行くことになるであろう、という話だ。
 このままこの世界にとどまり続けることができるとは思えない。すぐにでも――また変遷が起こるだろう。

「禁書目録を頼むよ。ついでに、上条当麻にもよろしくいっておいてくれ」

「誘拐犯のくせに何で私を気遣うみたいなこと言ってるの?」

 禁書目録は頬を膨らませて不満そうに言った。けれど言葉に出ているほど、僕たちを警戒している様子はない。
 ――上条当麻のおかげだろうか。目を醒ました瞬間、彼女が見たのはそれだろうから。

「じき、上条当麻もここに来るだろう。少し待機して、学園都市を抜け出すといい。アウレオルス、その女を君の力で眠らせておいてくれ」

 そういうと錬金術師は静かに頷いた。
 
 ――なんだか妙に物寂しい気持ちに襲われている。
 多分、これでもうお別れだ。

「それじゃあ、僕はいかなきゃならないから」




298:2011/03/10(木) 16:54:36.95 ID:u2p4+qs6o


 ◆C


 ――結局、絹旗最愛を最後に追っ手はいなくなった。

 一時間も経たずに彼女を攫い、逃げ出すことが出来た。
 神裂火織は禁書目録を連れて先に学園都市から脱出したとアウレオルスは言う。
 上条当麻を抜け出す手伝いをするために、彼は学園都市で上条を捜していた。

 禁書目録さえ助かれば、彼の目的は達成されたはずだったのに。

 その意図は分からなかったけれど、彼の気遣いに上条は感謝した。

 ステイル=マグヌスはいなくなってしまったと言う。何をするつもりだったのかは分からない。

「神裂がいる場所は分かっている。もう追っ手はないだろうから、彼女たちに追いついて零時まで待てばいい」

 ――そう、それだけのことだ。
 もう目的はすべて達成されている。
 上条当麻は勝利した。これ以上何者かが現れることはないだろう。つまり彼女は、ようやく首輪から解き放たれたのだ。

 それなのに、これで終わりではない。自分を止めようと思えば止められたはずだ。
 探そうと思えば探せるだろう。アレイスターはそうしなかった。泳がせられている。
 自分は彼の手のひらの上で踊らされている。
 ――それならそれでもう構わない。

 まだ何もかも終わったわけじゃない。むしろ大変なのはこれからだ。
 だから、けれど――考えながら上条は歩いていた。
 まだ禁書目録と話もできていない。
 彼女はどんな顔をするだろう。怒ってはいないだろうか。悲しんではいないだろうか。
 苦しんだり、迷惑がっていたり、しないだろうか。

 急に不安になって、上条は俯いた。
 アウレオルスは何も言わなかった。それだけがありがたかった。




299:2011/03/10(木) 16:55:03.38 ID:u2p4+qs6o


 禁書目録は上条の姿を見つけると、不機嫌そうに彼を睨んだ。

「あのね、君」

 少し前まで監禁されていたとは思えない軽快な動きで、禁書目録は上条に歩み寄った。

「私は助けて欲しいとか外に出たいとかは言ったけど、
 ビルからビルへ飛び跳ねるみたいなジェットコースターを経験したいと言った覚えはないんだよ」

 と、そこでうしろに立つ女の顔を睨んだ。神裂は困ったように苦笑する。

「すっごく怖かったんだけど!」

 その態度に、

「――なんだよそりゃあ」

 呆れて笑ってしまう。なぜだか、自分の中の深いところで、沈んで凝り固まったものが、一瞬で吹き飛んでしまったように感じた。

「……笑い事じゃないんだけど?」

 ごめん、と上条は笑いをこらえながら答える。その態度に、禁書目録はムッとする。

「でもさ」

 彼女はそう、一言口にするだけで、今までの不機嫌そうな表情をどこかに追いやって、「なに?」と首を傾げる。

「――外、出られたな」

 ――ようやく。
 その言葉に、

「――うん」

 短く頷いて、禁書目録は照れたように微笑んだ。




300:2011/03/10(木) 16:55:30.50 ID:u2p4+qs6o


 ◆C


 零時になると、ステイルと神裂の説明通り、天草式の魔術「縮図巡礼』の渦が現れた。
 現れた建宮斎字は、神裂と何か言葉を交わし、禁書目録と神裂を連れて行った。

 おまえたちはいかないのか、と訊ねられた。
 上条はそちらに行くことができない。アウレオルスは、何かを立ち止まっていた。

 自分も彼にしたい話があったから、ちょうどいい。

「……アウレオルス」

 零時五分。渦が消え去ったのを見送ってから、上条は彼に声をかけた。
 彼の魔術によって眠らされた男と女が、ひとりずつ、廃墟の壁にもたれていた。

「おまえはどうする?」

 それは単純に、これからどうするのか、という問いかけではなく。
 自分と行動を共にするか、という問いかけ。

「自然。貴様がいなくとも私がやる」

 アウレオルス=イザードは静かに宣言した。

 禁書目録はこれから、ありとあらゆることの渦中におかれることになる。
 彼女をそれから守る為に、自分たちは行動しなければならない。
 
「そうか」
 
 と上条は頷いて、ダークスーツの男に歩み寄る。

 彼に血に濡れた右手で触れる。アウレオルスの拘束がほどけ、彼の身体が目覚める。

 目を醒ましてからしばらく、彼は状況がつかめず混乱していた。
 その間に上条は言う。

「起き抜けのところで悪いが、危害を加えるつもりはない。むしろ逆だ」

 意識がはっきりとしたのか、彼は驚いたように身体を動かそうとした。
 アウレオルスは彼の身動きを縛ったりはしない。

「面倒だから単刀直入に言おうか。俺たちはおまえに協力したいんだ」

 どの面をさげていうのか、と自嘲したくなるが、堪える。

「――おまえの望みを言ってみろよ。出来る限りは手伝ってやるから」

 上条当麻はそういって、男に笑いかけた。




301:2011/03/10(木) 16:55:57.63 ID:u2p4+qs6o


 ◇A


 ――ゆっくりと、浮上するような、感覚。

 何かを取り戻すような、感覚。身体の感覚が麻酔でも打たれたようになかった。
 そこから静かに、静かに意識を取り戻すような、そんな、びりびりとした、感覚。

 ステイル=マグヌスの意識は、徐々に目覚めつつある。

 いくつかの懸念があった。
 
 自分はC世界で上条当麻に協力した後――どうなるのか。

 その後の世界の話ではなく――どの世界に行くことになるのか?

 なんとなくだけれど、分かっていた。
 多分、自分は元の世界に戻る。
 けれど同時に、絶対に元通りには戻れないだろう、という確信があった。

 瞼がゆっくりと開く。光の束が見えた。何も無かった。
 生まれたての赤ん坊の視界は、こんな感じだろうか。
 だとすればステイル=マグヌスは、この世界に、たった今産声をあげたのだということになる。

 ――元の世界、だろうな。

 徐々に鮮明になった視界。起きあがる。――彼女が死んだ場所だった。

 白い花束。
 携帯電話は失われているのに、自分が投げたそれだけがここにあった。

 ――けれど。

 多分ここは違う。
 C世界から見て二年後のA世界ではない。
 
「……誰だ、おまえ」

 暗い声が聞こえた。澱みを一身に抱えたような、深く暗い声。

 ――上条当麻の嘆きの声。




302:2011/03/10(木) 16:56:26.05 ID:u2p4+qs6o


「今日が何年の何月何日か、教えてもらえるかい?」

 そして上条当麻は、どうでもよさそうに答えた。

 彼女が死んだ年の、A世界。七月十九日。

 B世界では彼女は七月二十八日に救われていた。
 けれど、この世界では七月の二十日、僕に追いかけられて死ぬことになっている。
 彼をこの場で殺して置けば、間に合う。
 
 ――しかし、起きたことは起き、過ぎたことは過ぎ、終わったことはすべて終わっている。
 だから、当然、禁書目録は救えない。
 なぜなら僕は、彼女が死んでしまうことを知っている。
 誰かが知っている未来は、それは既に「起こってしまったこと」とはどう違うのだろう。

「多分、土御門を殺したのも君だよね?」

 暗部に落ちるきっかけとなったのは土御門元春だ。
 だから、彼が土御門を憎んでもおかしくはない。

「何の話だ?」

 と上条はこちらを睨む。当然、現段階の彼では知る由もない。

「……どうでもいいけど、少し気が立ってるんだ」

 彼は僕に向けて、剥き出しのナイフのような敵意を向けた。

「誰でもいいから殴りたい気分なんだ。あるよな? そういうこと」

 ああ、あるね。僕も少し前までそうだった。
 けれど今は、どうでもいい。
 



303:2011/03/10(木) 16:57:52.36 ID:u2p4+qs6o


「――君を殺そうと思っていたんだ」

 どんな世界に辿り着こうと、手遅れでも、手遅れでなくても無関係に、この上条当麻を殺そうと、僕は考えていた。

 ――けれど、思い浮かぶのは御坂美琴の言葉。
 親殺しのパラドックス。

 この場で彼を殺せば、禁書目録は生き延びる。
 そうなると当然、僕は二年後の学園都市を訪れないだろう。
 だとすれば――C世界へと行くこともなくなり、そうなればC世界の彼女たちは救われないのではないか。
 そう考えるのはうぬぼれだろうか。
 けれど、欠片でも可能性があるならそれを壊したくなかった。

「今はとても気分がいいんだ」

 上条当麻は呆気にとられたように立ち止まった。

「君は好きにしろよ。僕はもういい」

 もういい。世界も、すべて、何もかも。この世界に僕の居場所はないけれど――これまでだってそんなものはなかった。
 ただひとひら、彼女の顔をもう一度見れただけで、僕はもう充分だ。

 僕は彼に背を向けてその場を立ち去った。上条当麻は、僕を追いかけなかった。
 不思議な解放感と高揚感があった。もう何にも縛られることはない。
 僕は小さく溜息をついて、一瞬だけ足を止めて、彼女の笑顔を反芻した。

 それが朧気になって消え去った頃に、ふたたび、歩き始めた。
 


304:2011/03/10(木) 16:58:21.18 ID:u2p4+qs6o

おしまい


309:2011/03/10(木) 22:05:05.79 ID:u2p4+qs6o

わすれてたけど

引用

ラストダンスは悲しみを乗せて / asian kung-fu generation
ダンスダンスダンス       / 村上春樹

参考

ボトルネック           / 米澤 穂信
最後に咲く花          / 片山 恭一

こういうのわざわざ言わなくてもいいのかも知れないけど文のパロディとかやっちゃったので一応


307:2011/03/10(木) 21:08:53.45 ID:iatTz3mmo


まぁハッピーエンドとはいかないかww
親殺しのパラドックスtってのは単なる言い訳で
ステイル自身C世界の禁書助けられたからもう満足しちゃったってのもあるのかな


308:2011/03/10(木) 21:33:01.23 ID:KGfTJ+RA0

乙!
なんだろうな、割り切れないのがいい感じだ。面白かった。


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