2:2018/05/28(月) 00:32:52.31 ID:eC2l/XLI0

秋風がさわやかな夜。

男は、ある少女をストーキングしていた。

中野有香。

美城プロダクション所属。

誕生日は3月23日、牡羊座。B型。右利き。

身長149cm、体重が……。

男は自らを落ち着かせるために、

彼女のプロフィールを暗唱した。



3:2018/05/28(月) 00:33:23.52 ID:eC2l/XLI0

男は中野有香がデビューから以来の、

熱狂的なファンである。

朝起きると、天井に貼ったポスターに

“おはようございます”と言う。

向かいの椅子に抱き枕を起き、朝食をとる。

家を出る時には、下駄箱の上に置かれた写真に

“いってきます”をする。

通勤中にデビューCDがちょうど21週したあたりで、会社に着く。

仕事中は自重し、帰りは徒歩で帰宅する。

就業中に摂取できなかったナカノニウムを、

CDのヘビーローテーションによって身体に充填するためだ。



4:2018/05/28(月) 00:34:05.25 ID:eC2l/XLI0

家に帰ると、ネット掲示板のアンチスレを監視する。

不逞な輩が彼女に危害を加えないか。

彼は刃のように目を光らせて、調べる。

それにやや疲れると、

また中野有香(綿100%、ベトナム製)とともに夕食をとる。

中野有香がCMを担当した女性用シャンプー、

コンディショナー、リンス。

そしてボディーソープで身体を磨き上げ、

入浴後は肌に乳液をすりこみ、顔にパックをする。

みすぼらしい身体で彼女と過ごすわけにはいかない。



5:2018/05/28(月) 00:35:27.15 ID:eC2l/XLI0

パックを剥がしたあとは、歯磨きをして、

軽く体操をし、布団に入る。

天井の中野有香に、

“今日もありがとうございました”と呟いて就寝……。

抱き枕と眠るような真似はしない。

彼は中野有香の恋人ではないからだ。

休日は家の近くにある空手の道場に通う。

神誠道場に入門することは、

“あわよくば”という下心を抱くということであり。

男はそれをよしとしなかった。



6:2018/05/28(月) 00:36:09.26 ID:eC2l/XLI0

彼は熱心に修行に取り組んだ。

体脂肪率はみるみる下がり、筋肉がついた。

空手を始めてから健康診断の結果は年々良くなって、

彼は、自分は中野有香によって生かされているのだと、

そう思わずにはいられない。

したがって、彼は中野有香の敬虔な信者であり、

彼女に危害を加えようという企みなど、抱きようがない。

だが彼は一週間前、見てしまった。

掲示板に、中野有香を襲撃するという旨の書き込みがされているのを。

そして、彼女の住所まで詳らかにされていることを。



7:2018/05/28(月) 00:36:46.84 ID:eC2l/XLI0

今日が襲撃の日。

男は有給を取り、不審な人物が彼女に近づかないか見守った。

拳を固く握りしめ、血走った目で。

彼は初めて、中野有香のプライベートを垣間見た。

秋の夜空のような、深青色のスカート。

そこからのぞく、ほっそりとなめらかな脚。

トップスは白地のプリントTシャツの上にデニムシャツ。

さらに、上からミリタリーカーキの上着を羽織っている。

アイドルの時よりも露出は抑えられているのに、

男は胸をかきむしりたくなるような背徳感を覚えた。



8:2018/05/28(月) 00:37:18.80 ID:eC2l/XLI0

誰にも彼女を傷つけさせていけない。

自分が傷つけさせない。

しばし男が陶然としていると、中野有香が十字路を曲がった。

彼は慌てて追いかけた。足音を殺しながら。

自分の存在を知られたら、彼女にストーカーだと思われてしまう。

彼女に嫌われるのが、彼女が傷つくことの次につらい。

だが、角を曲がった先、中野有香は男を見つめていた。

それは彼の存在に気づいていたような素振りだった。



9:2018/05/28(月) 00:38:16.25 ID:eC2l/XLI0

男が言い訳を思いつくより前に、

中野有香は上着を脱ぎ、構えた。

右拳は顎の高さまで上げ、

左は肘で脇をかばうように、やや下げる。

男は、ほぼ反射的に構えた。

彼女に危害を加えるつもりはなかったが、

組手修行で身体にしみついた動作だった。

あるいは、彼が胸中にひっそりと

抱いていた疑問がそうさせたのかもしれない。

中野有香は強いのか。



10:2018/05/28(月) 00:38:51.21 ID:eC2l/XLI0

構えた以上、男はしばらく口を閉ざすことにした。

倒すんじゃない。

彼女の攻撃を、少し受けるだけだ。

男は173cm、72kg。

身長体重、筋肉量ともに中野有香を大きく上回る。

試合としては成立しようがないマッチングだ。

顔面と金的を避ければ、ダメージはない。

男はそう踏んだ。

身体をかがめて、脇を締める。

右拳は胸の高さ、左腕はへそ辺りの位置に下げる。



11:2018/05/28(月) 00:39:39.41 ID:eC2l/XLI0

警戒すべきは蹴り。

男と中野有香の間には、深刻なリーチ差がある。

男にそのつもりはないが、突き合いになれば彼女は不利だ。

また、間合いを詰めることで組まれる危険がある。

したがって、中野有香はできるだけ長い距離で戦わねばならない。

さらに中野有香は男のスタミナを知らない。

レッスンによって鍛え上げられているとはいえ、

戦いを長期化させるのは悪手である。

最長のリーチ、かつ最短の時間で片を付けるためには……。



12:2018/05/28(月) 00:40:17.04 ID:eC2l/XLI0

中野有香が踏み出した。

蹴りだ!

男は視線を下げて、中野有香の足を見ようとした。

だが、彼女の上体がそうさせなかった。

中野有香は男に肉薄し、弧を描く軌道で打撃を放った。

狙ったのは防御されていない、左脇腹のやや後方。

腎臓。

どんな突きをもらっても、ダメージはない。

そうタカを括っていた男の顔が、苦痛に歪んだ。



13:2018/05/28(月) 00:40:46.20 ID:eC2l/XLI0

中野有香の打撃は、重くはなかった。

その代わりに、錐のように鋭く突き刺さる。

男は相手の存在を一瞬忘れ、右拳を突き出した。

中野有香は同じく右拳でそれを受け、止めた。

そして、今度は反対側の腎臓を刺した。

男は無意識のうちにやや後ろに下がり、

体勢をさらに低くして、相手の腹部に組みつこうとした。




14:2018/05/28(月) 00:41:26.75 ID:eC2l/XLI0

それは成功した。

だが、彼がシャンプーの香りで我に返ったのと同時に、

首に中野有香の肘が、深々と沈み込んでいた。

延髄。

男はふっと力が抜けたように、組みを解いた。

彼の意識は、ここでほぼ途切れていた。

だが、中野有香は重力に従って落ちてきた顎に、

強烈な膝蹴りを直撃させた。



15:2018/05/28(月) 00:41:55.19 ID:eC2l/XLI0

男はぼんやりと、自分の体がゆっくり後ろに倒れていくのを感じた。

そして確信した。

中野有香は、強いのだと。


中野有香は、男が昏倒したのを確認した後、構えを解いた。

彼女は震え上がった。

「や、やっちゃった……。

 救急車、救急車!!

 109だっけ!? それとも101?

 あ〜〜ぅ、もうっ!!」

その後、彼女は二台の救急車を呼ぶことになった。




16:2018/05/28(月) 00:42:22.89 ID:eC2l/XLI0

おわり


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