2017年12月31日

ご挨拶

森最小

ようこそ「思索の木蔭」へ。管理人の荻野誠人です。当ブログでは、心のあ
り方や生き方などを自分なりに考えた文章を載せていきたいと思います。同好
の方と交流できればうれしいです。皆さんのご意見もお聞かせください。

ブログの文章は、最近書かれたものが中心に読まれる傾向がありますが、
古くても出来れば読んでいただきたいものもあります。以下は、2012年以前の
文章で、私の考えのもとになっているものです。古い順です。よろしかったら、どうぞ。

自分は知り尽くせない失敗の勧め自分を好きになれない人へ死生観の自由
不仲もまたよし「暗い性格」の復権正論の攻撃メールの人間関係と寛容
目の前の人「ありのまま」と努力わたしが人を批判できなくなったわけ
人生に定められた目的はない時には「逃げてもいい」他人の感動
自由な心

このブログには掲示板やBBSがありませんので、この「ご挨拶」のコメント欄を
代わりにお使いください。

アメーバさんで「心を大切に」というグルっぽ(コミュニティー)を開設しました。
よろしかったら、一度のぞいてやってください。

え〜、それから、先日私の小さなエッセイ「『木星感謝の日』を」が賞を
頂きました。拙文が人様から評価されるなんて、最初で最後でしょう。
その発表のページを、よろしかったら、どうぞご覧ください。

「ブログ村」さんの催しで当ブログの記事を投稿して優勝させて頂きました。
ご町内の「のど自慢大会」みたいな気軽な感じですので、お時間がありましたら、
ちょっとのぞいてやってください。
 なんで人は生きるんでしょうねトーナメント 参加者37名。
 日本をより良くしたい!3トーナメント 参加者23名。
 人間関係トーナメント 参加者45名。
 超空想・・・トーナメント 参加者28名。
 嫌な夢トーナメント 参加者13名。
 古代ローマ映画トーナメント 参加者13名。
 初夏は読書トーナメント 参加者49名。
 ちょっとした文句トーナメント 参加者32名。
 小さな親切トーナメント 参加者22名。
 自分で自分を誉めようトーナメント 参加者41名。
 心遣いトーナメント 参加者11名。

長々とご挨拶、失礼しました。では、どうぞよろしくお願いいたします。

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kokoro_no_fukei at 16:00コメント(27)トラックバック(0)雑文 

2017年02月15日

ゾッとした話


 怪談ではありませんが、現実世界でもゾッとすることはあるもので・・・。先日ふと思い出したのですが、もうずいぶん以前のことになりますので、書いてみます。

 ある時、ある医師から、入院していた家族に人工呼吸器をつけるかどうか決めて、早めに知らせるように言われました。話し合いの結果、延命処置を断って、つけないことに。それを翌朝、医師の指示通り病院の事務の人に私が電話で連絡しました。

 一週間後、その医師と面談すると、
 「ところで、人工呼吸器の件はどうなりましたか」
 えっ??  えっ!!
 「あのう、次の日の午前中に電話しましたけど・・・・・・」
 医師の顔がこわばりました。

 あの一週間で家族の容体が急変していたら、医師は人工呼吸器をつけてしまったかもしれません。こういう場合、法律があるので、一度人工呼吸器をつけたら、亡くなるまではずせないと言われました(今も同じかどうかはよく分かりません)。すると、植物状態になっても、ずっと生かされるということも・・・。まさにゾッとする展開です。

 そうなれば、私たちが病院側の責任を追及することになるのかもしれませんが、私が確かに連絡したという証拠はありませんからね。病院は私の言葉を信じて責任を認めてくれるんでしょうか。

 私はせめて電話を受けた人の名前くらいは尋ねておくべきでした。今は当時よりも簡単に電話の録音が出来るようになっているそうです。このような極めて重要な電話の場合は、録音しておいた方がいいのではないかと思います。




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kokoro_no_fukei at 13:32コメント(0)トラックバック(0)出来事 

2017年02月10日

焼け跡で


 近所で火事があり、家が全焼して、お年寄りが亡くなってしまいました。

 その家は高齢のご夫婦が住んでいたのですが、私が人に聞いた話では、午前中に1階で出火したとき、2人は2階のベランダで洗濯物を干していたとか。旦那さんの方はベランダに残って助かったのですが、奥さんは1階に下りていって、火や煙に巻き込まれたのか、そこで亡くなってしまったそうです。出火原因は私には分かりません。

 その家の前を通りますと、何だか燻製のような匂いが漂っています。かろうじて焦げた外壁と曲がった瓦屋根の一部は残っているものの、真っ黒になったがらんとした内部が丸見えで、向こうの庭が見通せます。階段がはしごのようになって残っていました。火事の跡を自分の目で見るのはたぶん生まれて初めてです。

 一緒に洗濯物を干していたということは、仲良く助け合って生活していたのかなあと想像してよけい悲しい気持ちに・・・。焼け跡で手を合わせました。

 乾燥していますし、火事のニュースも多いですし、皆さんも、どうぞお気をつけを。




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kokoro_no_fukei at 00:00コメント(0)トラックバック(0)出来事 

2017年02月03日

『華氏451度』


 『華氏451度』/レイ・ブラッドベリ/ハヤカワ文庫SF(新訳版)/1953

 アメリカの作家ブラッドベリの代表作です。

 未来社会では、人々は、ものを考えたり、批判したりすることが許されません。常に享楽にふけるように仕組まれて、映像や音楽に朝から晩まで身を委ねています。そして人々はそのことを従順に受け入れています。人を誤らせる本は所有禁止になって、見つかると逮捕され、本は燃やされてしまいます。

 主人公は、本を見つけ出して燃やすことを仕事としているのですが、いつしか自分の空虚な生き方に違和感を感じるようになり、ついに本を手に入れてしまいます。しかし、通報によってそのことを同僚に知られることになり・・・。一方では、人々が世の中に無関心でいる間に外国との全面戦争が始まろうとしているのでした。

 作品の書かれたころよりも、考えることをやめ刹那の快楽にふけることが多くなった今の方が作品世界に近い世の中になっているようです。しかし、作者は決して人間に絶望しているわけではなく、最後に意外な抵抗の方法を用意しています。

 比喩の多い詩的な文章はこの作家ならでは。それを楽しむのもいいと思います。



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華氏451度〔新訳版〕
レイ ブラッドベリ
早川書房
2014-07-28



kokoro_no_fukei at 13:30コメント(2)トラックバック(0) 

2017年01月28日

子供の前で陰口を言うな


 私は小学生のころ、ある親戚のお年寄りが好きではありませんでした。

 でも、今考えますと、それは妙なことでした。なぜなら、そのお年寄りとはめったに会わず、直接話したこともなかったのですから。

 好きではなかった理由は、私の周囲の大人たちがそのお年寄りの悪口を言っていたことでしょう。それ以外考えられません。私はその悪口をそのまま吸収して、お年寄りの人物像を作り上げ、穏やかでない感情を抱いていたのです。あるときなど同じ年の従兄弟に向かって、そのお年寄りのことを「じゃま」とさえ言ってしまいました。けんかになりました。

 大人の間では、それなりの事情があるでしょうから、あれこれ言うのはしかたない面もあるのかもしれません。でも、少なくとも何も知らない子供の前で、陰口は言うべきではありません。





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kokoro_no_fukei at 10:30コメント(0)トラックバック(0)出来事 

2017年01月25日

言葉と私


 大昔、まだ学生の頃、私は、おしゃべりを皆と楽しむのが苦手でした。用事のあるときはいいのですが、ただ何となく喫茶店に入ったときなどはどうも居心地が悪いのです。とりとめのない、何の結論も出ない、本音を言っているとも思えないおしゃべりを聞いていると次第にイライラしてくるのです。時間がもったいないとも思いました。それは表情や話し方に出たでしょうから、周りを不愉快にしていたのではないかと思います。

 このようになってしまう原因の一つは私の未熟な性格でした。私は高慢で、人とうちとけようとせず、他人の気持ちを推しはかろうという思いにも欠けていました。

 ですが、後日、日本語を勉強してみることになったのがきっかけで、思いがけず別の原因に気づいたのでした。

 なぜか私の言語観というものは、かなり変わっているらしいのです。例えば、平均的な日本人と比べると私は言葉をとても大切なものだと考えているようです。おそらくそれが原因で、言葉はできるだけ正確に明瞭に使わなければならない、また、言葉は何らかの目的のために使わなければならず、いったん口にしたことは守らなければならない、といった考え方をしていたのです。このような言語観はどちらかというと西欧のものに近いのだそうです。

 一方、多くの日本人にとっては言葉の重要性はそれほどでもないようです。日本人は互いの心を読み取ることにたけ、それでコミュニケーションをするといわれていますので、相対的に言葉の重要性が低いのでしょう。従って言葉をそれほど厳密に使わなくてもさしつかえないわけです。

 そして、日本人がおしゃべりするのは何らかの内容を伝えるためとは限らないのです。では、何のためかというと、温かい人間関係をつくり、ストレスを解消するためなのだそうです。極端なことを言えば、内容はどうでもよく、音声が交換されてさえいれば、それでもうお互いに仲良くなれ、気分が良くなるのです。

 以上のような見解にふれたとき、目からうろこが落ちる思いがしました。私が雑談の中にいて、居心地が悪かったのは当然でした。皆には皆の価値観があったのです。私はそれを知らず、周囲に反発していたのです。・・・・・・

 今では雑談に興じる友人を冷やかに見るようなことはありません。それどころか、私の方から参加することもあるくらいです。おかげで、性格が変わったこともありますが、昔よりは人との話を楽しめるようになりました。相変わらず愛想のいい方ではないですし、やはり内容の濃い話の方がいいとは思っていますが、たぶん以前ほどには他人に不快な印象を与えていないでしょう。

 私自身の言語観も長年の間に多少変わりました。肩の力が抜けて、「〜なければならない」と意識することは減りましたし、言語観というものが一つではないことを知って、他を理解しよう、認めようという態度が少しは身についたのではないかと思います。多くの日本人のおしゃべりにも確かに良い点があると今では思っています。

 もし、日本語を勉強しなかったら、たとえ性格が変わった今でも、よもやま話を楽しむ皆の仲間入りはうまくできなかったかもしれません。日本語に関する本を読んで人間関係が良くなるとは予想もしていなかったので、勉強も馬鹿にできないなとつくづく思ったものです。

 ところで、一つ謎が残っています。それは、なぜ私は純粋な日本人なのに、日本人離れした言語観をもつようになったのか、ということです。残念ながらその問いには答える用意ができていません。また勉強して、答えが出たら別の機会で述べられればと思います。 

 参考文献
『タテ社会の人間関係』中根千枝。講談社現代新書。
『ことばと文化』鈴木孝夫。岩波新書。





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kokoro_no_fukei at 08:30コメント(0)トラックバック(0)思索 

2017年01月19日

担任は傷ついたか


 昔々、大昔、高校生だったとき。ふと思い出したことが・・・。

 体育祭がありました。1学年は4クラスだったのですが、そのうちの3クラスで、余興の時間に観客に「出し物」をやりました。

 1つのクラスではクラス担任をリヤカーに乗せて、選挙演説みたいにして行進しました。もう1つのクラスでは、長いロープの輪の中に大勢が入り、そのロープを持って担任を先頭に電車ごっこのようにして走りました。もう一つのクラスの出し物は忘れてしまいましたが、やはり担任が参加していました。
  
 そして・・・私たちのクラスだけ何もやらなかったのです。やらなければならないという決まりはありませんでしたが。

 「なんにもやらなかったの、うちだけだったな・・・」
 「先生、傷つけられたな・・・」
 「あの人、そういうの平気だよ」

 私たちの担任が嫌われていたわけではなかったのですが・・・。出し物をやらなかった理由は、特になかったと思います。少しあとで担任が私たちクラスの人間が集まっているところへ来ると、一人がお菓子を渡していましたっけ。

 私、もうその担任の年齢を越えたと思います。担任と私とは別人ですから、当時の担任の気持ちは分かりません。でも、私が担任だったら、傷ついたと思います。

 子供のころは、年をとれば心が強くなって、傷つかなくなるのかなと思ったこともあったのですが、少なくとも私の場合、全くそんなことはありませんでした。痛みは変わりません。ただ、理性や知識が子供時代よりもあるので、それが傷ついた心を包んで、自分をコントロールできるようにしてくれるのです。




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kokoro_no_fukei at 21:30コメント(0)トラックバック(0)出来事思索 

2017年01月12日

今さらの「成長」


 朝、ゴミ出しをする近所の一角。

 最近、ゴミを持ってきた近所の人に出会うと、顔見知りでなくても自分から挨拶するようになりました。やはり気分がいいものですね。近所の人たちが挨拶してくるのを見習ったのです。

 「なあんだ、その程度」「ええー? 今ごろぉ?」と言われるかもしれません。はい、いい年をしてまさに小学生レベルです。

 人間、円がその形を維持したまま大きくなっていくように順調に成長していけばいいのですが、中には歪んで成長する人もいると思います。私の「自分から挨拶しなかった」というのは、へこんでいて、子供のままだった部分かもしれません。そこがようやく膨らんだということなんでしょう。

 まあ、私の場合、幾つになっても、改善していくところは多く残っているようです。でも、そこが遅まきながらでも「成長」したのを実感するのは悪い気分ではありません。





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kokoro_no_fukei at 13:30コメント(0)トラックバック(0)出来事思索 

2017年01月09日

許してくれないときは


 「ちゃんと謝ったのに、許してくれない」と不満げな人。

 その気持ちは分かる気がします。ですが、酷な言い方ですが、許すか許さないかは相手の自由だと思うのですが・・・。幾らきちんと謝っても、許す義務といったものは生じないのではないでしょうか。相手が大きな傷を与えられたのなら、なおさら許す気にはならないでしょう。そして、許す方が許さないより立派だなどとは安易に言えないと思います。

 不満を言う前にやるべきことは、本当にきちんと謝ったのかどうか確認することでしょう。謝罪に誠意がこもっていたか、言い方は適切だったか、弁償は十分だったか、といったことです。不十分な謝罪だったのなら、再度謝った方がいいのではないか、と。

 しかし、どう考えても自分の謝罪に問題はないということなら、やるべきことはやったのですから、残念ながらあとは静観するしかないでしょう。第三者に頼むというような別の方法がないわけではありませんが。

 許さなければ、相手は口を利かないままとか、出入り禁止のままとかいやな雰囲気が続きます。

 だからと言って、不満を漏らしたり、相手を批判したりすれば、本当は悪いと思っていなかったんだ、謝罪はうそだったんだとそしられるのが関の山です。不満が生じること自体は、やむをえない反応だとは思いますけど、実際に言動に表してしまえば、状況は悪化します。

 相手が意地になって許さない場合や、許さないことで加害者を苦しめようとする場合もまれにはあるでしょう。そこまで傷ついているのだという見方も出来ますが、そのような目にあえば、相手の人間性に問題ありと判断したくなることもあるかと思います。そして、その判断は正しいかもしれません。

 しかし、そもそも謝らなければならないことをしたのは自分です。迷惑をかけたことについては、じっと我慢していくしかないのではないか、時が解決するのを待つしかないのではないか、というのが私の考えです、苦しいでしょうけど。






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kokoro_no_fukei at 22:00コメント(0)トラックバック(0)思索出来事 

2017年01月01日

『ローグ・ワン』


  『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』は、焼き直しの観のある『フォースの覚醒』(エピソード7)よりも良かったと思います。内容を一言で言うと、帝国の究極兵器デス・スターの設計図を反乱軍側が盗み出すお話です。

 華麗なジェダイの戦いはありませんし、奇想天外な生物、惑星、兵器なども現れず、地味な感じがしますけど、『フォースの覚醒』よりもよりリアルで、見る人を納得させるものがあります。やや戦争映画に近い感じです。自分の命を顧みず、使命のために敵陣深く突入する人物達は、現実世界の英雄的な無名戦士を連想させます。

 2時間に多くの出来事が詰まっていて、展開が非常に速い感じです。飽きさせませんが、スター・ウォーズを初めて見る人には分かりづらいかもしれません。またシリーズの他作品にはある笑いの要素がありませんが、これは作品全体の悲劇的な調子と無関係ではないでしょう。

 シリーズの曲は良いものが多いと思うのですが、この作品では余り使われていないようなのがちょっと残念です。

 結末が、この作品を批評するためには重要なんですが、まだ見ていない人に叱られますので、伏せます。ただ、シリーズの結末とはずいぶん違います。

 スター・ウォーズのファンなら見て損はありません。




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kokoro_no_fukei at 09:30コメント(0)トラックバック(0)芸術全般 
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