2012年01月13日

できる範囲でするささやかな「ボランティア」

 7月に木の手入れをしているうちに腰痛になりました。これで3度目です。ぎっくり腰のような動けなくなるほどのひどいものではなく、一応回復はしたのですが、半年経った今でもすっきりはせず、草むしりをしたり、立ち続けたりすると以前よりも早く痛みが出ます。

 もともと頑健なタイプではなかったのですが、もう重いものを運んだり、やんちゃな子供と遊んだりするといったたぐいのボランティアはやめておいた方が無難のようです。テレビを見ますと、私より年上でけっこう年配の人たちが震災のガレキ撤去などに汗を流したりしているんですが・・・でも、人は人、自分は自分です。

 そこで、腰痛になる少し前から、自宅から少し広い通りに出るまでの30mくらいの道に落ちているゴミを一人で拾っていたのですが、これを続けることにしました。自宅前の道は、きれいな方ではあるものの、時々お菓子の袋や吸殻などが落ちています。写真のような捨てられ方をしているゴミもたまにあります。
CIMG0030

 と言っても、いかにもゴミ拾いやってます、という感じでするのではなく、その道を歩いたときに素手で一つ二つだけさりげなく拾うというやり方です。これは私の好みです。素手で吸殻などに触るのは、抵抗を感じる人も多いでしょうから、お勧めはしませんけど。(処分したあとは必ず手を洗っています)。これなら手軽ですし、一瞬で終わって、重くもなく、腰に負担はかかりません。で、現在まで続いています。実にささやかな行ないですが、まあ一応ボランティアのほんの片隅ぐらいには入るかも。

 ボランティアは、体調だけでなく、時間やお金など、都合のつくときにすればいいのではないかと思っています。献身的にやっている人は、尊敬しますけれども、そこまでしなくてもボランティアになり得るのでは、というのが私の考えです。何らかの事情でできなくなったからといって、後ろめたい気持ちになることもないでしょう。ただ、体調不良のような状態でも、頭をひねれば、無理のない範囲で何かしらボランティアらしいことは出来るものだと思っています。


 追記 この話の後日談もよろしかったらどうぞ。



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kokoro_no_fukei at 12:34コメント(2)トラックバック(0)思索 | 出来事 

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2. Posted by 荻野誠人   2012年01月15日 10:15
◆colocolokenta様

書き込みと五つ星、ありがとうございます。

>見て見ぬふりです

いや、私だって、家の前の人通りの余りない比較的きれいな道だから拾えるので、駅近くの道の大量のゴミなんかは拾う気には・・・。

おっしゃる通り、一人一人が個性や事情に合せてやれることをやればいいのでは、と思います。一人の人が何もかもやろうとすれば、日常生活が立ち行かなくなってしまいますし。

それではまた。
1. Posted by colocolokenta   2012年01月14日 21:53
5 昔、院内を一緒に歩いていて、ごみが落ちているとそれをすべて拾って歩く老先生がいました。ただし、米国にいた時のことです。
その一方、わたしは、いまだ、見て見ぬふりです。最近、ちょっと拾おうかという気がしてきましたが、まだうまくいきません。

道端のタバコの吸い殻、缶、そういったもの見て見ぬふりです。この間の朝、通勤途中、ひっくり返されたごみ箱を立てたのがせいぜいです。
ボランティアと一言にいっても、範囲は広いですよね。
力まず、できることをできるときに。ですね。

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