2018年05月02日

時は解決しない

 
 時が解決する。よくそう言われます。嫌なことも、時が経つにつれて、忘れていったり、受け入れられるようになったりすることでしょう。だいたいそれは正しいのでしょう。

 しかし、一方では、時が経っても、一向に色あせない場合や、それどころか一層生々しくなる場合さえあります。色々な人がそう語っています。

 私にも似たようなことがあります。しかし、多くの人はいわば「被害者」なのに対して、私は「加害者」である点が違います。

 もう何度も書いていますが、私は、特に学生時代は、性格の未熟さゆえに多くの人に迷惑をかけました。しかし、当時は自分のしたことの深刻さが分っていませんでした。まさに未熟さの証拠です。そのまま忘れてしまうことさえあり得たかもしれません。

 それが、きっかけを得て、自分が少しずつ変わっていくにつれ、人の痛みが感じられるようになり、過去を振り返って自分の至らなさを痛感するようになっていったのです。時を経るにつれて、つらさが増していった場合もあります。そして今に至ります。自分が変わることは、いいことばかりではなく、苦痛をもたらす場合もあるのです。もちろん自業自得ですが。

 といっても、そういうことをいつも意識して憂鬱になっているのではありません。折に触れて思い出すということです。ただ、そうなるのは、記憶が心の浅いところで今も生きているからかもしれません。

 もし私が成人後も変わらなかったら、過去の記憶をつらく感じることはなかったでしょうが、私の人生はずいぶん寂しいものになったことでしょう。つい先日、大昔の仲間達の顔を見ながらゆったりと語り合っていて、ふとそう思いました。




ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングへ

kokoro_no_fukei at 13:08コメント(0)思索  

コメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価:  顔   星
 
 
 
Recent Comments
記事検索
QRコード
QRコード
累積訪問者数(UU)
  • 累計: