心のチューニング

 心が美しくなると身体も美しくなる。身体が美しいと心も美しくなる。占いでもなく、ヒーリングでもない。哲学・・・科学・・・。吉本隆明、三木成夫、田原克拓などを読み解き、日本人の心の問題を講座によって整理する。外国産輸入ではない心理学。日本人独特の精神構造をとらえた哲学・心理学講座です。自分を変えたい、自分のトラウマを遠ざけたい、新しいカウンセリングの手法を学びたい。遠くバリ島、都会の中心銀座、隠国の熊野で講座開催。このブログは講座を受けた方、これから受けようとする方へのものです。父母とは何か?家とな何か?社会とは何か?自分とは何か?知性の言葉をとらえなおし、心と身体を晴れやかにします。生きる希望を見出す講座案内ブログです。  キーワード:心の悩み 人生相談 心理学 人生案内 カウンセリング 心の病気 人間関係 身体の歪み ボディーチューニング バリ島 銀座 尾鷲

脳腸関係

腸と脳の関係について。 私は医者ではないから、哲学的に言うしかない。私の興味あることを箇条書きにしてみる。
 1.生物が植物と動物に分かれたとき、腸だけの動物が誕生した。ヒドラである。
 2.腸の調節をはかるために神経が誕生した。
 3.単細胞動物から多細胞動物へと環境へのより適合していくため進化の過程で腸の最先端がめくれ上がり、顔が誕生した。一方神経は脳にまで伸びていき、脳が誕生し、それを守るために頭蓋骨ができた。
 4.植物と動物に分れる以前の記憶を私たちはもっていて、腸は植物系の名残りである。
 5.セロトニンという神経伝達物質は脳に10%。腸に90%ある。このセロトニンは腸では排泄を促し、  
   脳では興奮をしずめる。それは脳と腸が密接に関係しているように思える。
 6.腸から脳に向かうコミュニケーション、脳から腸に向かうコミニュケーションがある。
 7.胃や膵臓や肝臓、腎臓などは腸からできた溜りのようなところで、それぞれの役割を担うようになった。

 8.内臓に当然重力がかかり、腸の上に他の内臓がのっている。
 9.腸の老廃物が滞ると、その老廃物が血液を通して肝臓に流れ込み、その解毒を肝臓や腎臓が行うことになる。肝臓が忙しいと皮膚が手助けの役割をする。ニキビやくすみなどはその反応である。したがって、腸がしっかりと美しいと肌も美しい。

  知っている限りのことを書いてみたが、このような中からさらにいくつか言いたくなってくる。
  脳の部位、顔の部位だけで局所的にみているといけないのではないか。つまり脳腸関係をおさえておくことが必要ではないか。
  心的な病は腸と関係することがあるのではないか。また腸のセロトニンは脳でも使えないのか。

 今度のセミナーで腸もみを披露するつもりであるが、骨盤とも関係することなので、骨盤矯正も披露したい。
 まだはっきりとした理論的な自信はないが、今後勉強探究し、みなさんが自信をもって客に進められるようにしたい。
 

母離れ

  仕事上の取引をしている女性が膠原病の一種である病気で寝込んでいる。刺すような痛みが肢を襲い、立ち上がれない。家事もできず、子供は施設に預かってもらうという。
 「何か怒りでもあるんじゃないか」という電話で聞くと、「そのとおりだ。母親だ」という。「なんだ、まだ母離れしていないのか」と言うと、「母とは離れて暮らしているのに、電話がかかってくると腹が立つ。過去のことがフラッシュバックしてくる。胸が苦しくなる。わかっているんです原因は母であることが」 「その怒りなんだろう、と思うがどうしようもないんです」

 「お母さんに謝ってもらいたの?」と聞くと、「誤ってはくれないでしょう。そんな理由も考える人じゃないし、一生わからないと思う」

 「それじゃあ、過去を全部捨てて、お母さんとは話もできない遠いところにもでも言って、未来に生きたほうがいいんじゃないの」

 私たちの現在は「過去の痕跡」でできあがっている。過去に縛られているわけで、その縛りがきついようだったら、過去を振り向かないことにしなければならない。

 遠く離れる。これも有効なことであるが、歩けないのではそれもできない。
 イメージの中で苦しい母との対面をし、葉歯にどうしてもらいたいのか、自分が自分に尋ねるとよい。それは知性を使うことだ。そうして解決の方法は、自分は35億年の生物の歴史の中で、限りない偶然によって生まれてきたのだ、母はその歴史の1コマを背負ったに過ぎない。母にはその母がいるし祖母もいる。母のその時代の環境もある。夫の関係もある。経済的な事情もある。
 母だけを責めてもしかたがない。自分は自分なのだ。生まれ変わり、新しい未来に進むのだ、ということを深く、強く認識するば彼女は快方に向かうのだろうと思う。

 物の考え方を変えねばならないだろう。それは悪い姿勢を良い姿勢に変えたら健康になるように、物の考え方を変えればよい方向に進むはずである。

 今彼女はおそらく苦しい親離れをしている最中である。隠し、ごまかし、
回避し、逃れてきたものの、日々の仕事や子育ても加わり限界点を迎えたのである。僕はそんな風に考える。痛さは辛いが、夏樹静子のようにやがては消える。絶食療法を試してみるのもよいが、彼女は自分で認識できるはずだ。 一度お見舞いに行ってみようと思う。




 

脳腸関係

「内臓感覚」  から脳へ行く回路、脳から内臓にいく回路、つまり、腸を含む消化器官と脳の関係の本を読んでいる。過敏性腸症候群の話である。
 思えば、腸というのは不思議な臓器である。栄養を吸収し、不要なものを排出するのである。どのように分けているのか、ほぼ解明されようとしている。
 腸の入り口は口、出口は肛門であるが、まだ腔腸動物であった頃は腸だけで動物は生きていたのである。それが環境に適応していくために、消化をする専門のところや消化液を作るところなどが専門化されていった。

 腸が最も大切だとこの頃強調しているのが近藤芳美という内視鏡を開発した医師である。彼は腸の状態を見て、食べ物を力説する。ご飯を食べる前に果物を食べろという。果物はいくら食べても大丈夫だという。果物を食べるとおなかもいっぱいになるので、普通の食事量が減る。彼は過酸化資質になるものは食べるな、という。標的になっているのは、牛乳、マーガリンだ。

 長く生きるかほどほどで人生を終えてもいいと考えるかは、人それぞれの考え方によるものなので、私などは食べ物などはどうでもいいと思っている。

 仕事上考えると、顔を見れば腸の様子がわかるし、腸の様子から顔の様子がわかるということだろう。
 腸にはリンパ線が多くある。この深いリンパ管にあるリンパが停滞すると、疲れや不眠や冷えが起こるといわれている。腸の動きも不活発になる。 腸と脳は常時情報のやりとりをしていて、神経伝達物質にも影響を及ぼすことになる。
 するとどうすれば腸を整えることができるか、である。よい腸だとそれが脳にいく。よい脳だとそれが腸へいく。つまり脳にストレスがかかると視床下部が反応する。視床下部は自律神経を介して腸に伝播していく。腸にストレスがかかると同じように自律神経をとおして視床下部に伝播していく。神経伝達物質にも影響がくる、とうjことだ。

 腸を整えることと脳を整えることは同時でなければならない。
 いくつか方法がある。私が知る限り、まず重力によって下がろうとする内臓を上げることだ。それには呼吸である。息を吸えば内臓は横隔膜などの筋肉の働きによって内臓は下がる。肺に酸素を蓄えるためだ。息を吐くと内臓は上がる。すると深呼吸をして、ゆっくりと息を吐けば内臓が上がる。腹式呼吸にはこういう作用がある。すると下がる内臓から圧迫される腸は過剰な圧迫逃れることになる。日本人女性の80%に便秘があるというのは、日本人女性の歩き方や姿勢と深く関わっているはずだ。ついでに股関節まわり、骨盤の調整をすればいいと思う。

 私が提唱するボディーチューニングはその呼吸法で、拮抗筋を使って筋肉を調整しようとするものだが、実はそのときに行う呼吸が重要なのである。しかも息を吐くというのは副交感神経を使うことだ。これは実験でも証明されていることだが、副交感神経が優位になると、腸の動きは活発化されるのである。腸は休んだ時に活性化するのである。
 

 次の方法は、ふりかかってくるストレス(いやなことや、イライラすることや、怒ったりしりこと、神経をいっぱい使うことなど)
をどのように気にせずにやっていけるように「するかである。それは物の考え方を一度チェックしてみて、考え直すほうがよいと思えるが、身体論的に言えば、「奥を「みる」「ぼんやりと視神経をなるべく緊張させないでみる」ということである。いやな上司の顔を気にしてみるよりも上司の顔の奥を見ることである。眼こらして人間の表情をみているのは恋人の顔だけでよい。あとはぼんやりと見ているのいいのである。これが脳にストレスをかけない方法である、と今のところ、この3つである。  
   

過去

 脳の神経細胞は一直線につながっているのではなく、ひとつひとつの細胞と細胞の間にシナプス間隙というすきまがある。神経伝達物質は細胞から細胞に伝播していく場合、このシナプス間隙を適量で、的確に渡らなければならない。
 出過ぎる伝達物質は再取り込みされて元の細胞にに戻る。SSRIという抗うつ薬はセロトニンという神経伝達物質が十分に次の細胞にいかないために、再取り込みを阻害して次の細胞にいかせようとするものである。   もっと本当は複雑なのかもしれないが、おおまかそんな風に理解することができる。

 なぜ神経伝達物質が少なくなってしまうのか。

 リストラをされて急に神経伝達物質が少なくなってしまういうつ病になる人。同じ境遇なのに普通でいる人。その違いはどこからくるのだろうか。

 細胞には植物系と動物系がある。脳の神経細胞はどちらも混合された織物のようになっていて、それは他の器官の細胞よりも相当にデリケートなものであるように思える。もちろんこれは私のかってな思いである。実証されているわけでもないから仮説で言うしかない。

 このデリケートな細胞は神経伝達物質を生み出し、つないでいく役割を背負うのだが、この細胞の基盤は乳幼児に形成される。

 たとえば、母親が異常なことを継続して続けた場合、子供の脳神経の細胞になんらかの異常を与え、基盤の形成に影響をあたえる。細胞がピリピリしているのか、細胞に疵ができるのか、弾力性のない細胞になるのかわからないが、潤いのあるつややかな皮膚や乾燥しきった皮膚、疵つく皮膚があるように脳細胞も同じようになるのではないかと思える。もちろん仮説ですよ。

 40歳でリストラされてうつ病になってしまう人はリストラは発症の動機ではあったが、本当の原因はそれより以前、たとえば乳幼児期にあったのではないか。

 会社勤めをしてたいへんなストレスにさらされて、神経を病むようになる人がいる。原因を会社時代の苛酷なストレスと考えている限り、解決の道を歩まないだろう。私にはそう思える。

 必要なことは「大客観」ではないか。自分の生い立ちも含め、さらに38億年の生物の歴史をたどり、自分がこの地球上に存在することの偶然さまで知性で客観視できたら解決に向かうのではないか。そうなれば「母」や「父」は許せるのではないか。あるいは時代とか境遇を許せるのではないか。
 右脳に浮かぶ怖いイメージ。悲惨なイメージ。これを振り払っていくには知性しかない。つまり左脳で考えて右脳にあらたなイメージを浮かべる。

 飛躍、飛躍で、ざっと書いてしまった、大筋はこんあところだ。
 するとどうすれば、正常な範囲での細胞にすることができるのか。SSRIはセロトニンの再取り込みを阻害することで病気に対抗しようとする。SSRIがなくても自分でコントロールすることができるはずだ。そのためには過去を捨てることだ、捨てなくてもいまさら変えようもない過去と過去からひきついで、今から変えられるものは「変える」という認識を「もつことだ。
 体で言えば、過去に形成された歩き方は、これから変えることのできる過去だ。とても大事なことのような気がする。
 

日本人の自殺

 心の病気になるのは日本人にもフランス人もアメリカ人も同じであるが、その動機が違っている。フランス人は人と同じになってしまうこと、個性がなくなってしまうこと」に不安を感じる。日本人はその反対で「人と同じじゃないといけない」という不安を感じる。
 もうひとつ。フランス人は考え論争することを好む。日本人は考え、論争することが敵をやりこめてしまうことだと思ったり、論争相手を意見が合わないやつだと思ってしまう傾向があり、論争を好まない。当たり障りのない話で終始する。
 他人恐怖症、視線恐怖症、赤面症などは日本人特有のものである。
 個が埋没し、みんながもっているものをほしがり、絶えず人の目を気にしている。世間の目を気にしている。つまり「他人に評価をあずけている」のが日本人である。

 自殺者が年間3万人を越えているが、これは世界ワースト7位。これにはトリックがあって、自殺かどうかはっきりとわからない変死者は自殺に勘定されず、他国では変死者の半分を自殺だと勘定に「いれている。
 そうすると日本は世界でも群を抜いて、自殺者NO.1の国なのである。
 日露戦争で死んだ人は約7万人。約2年で日露戦争の戦死者ほどの人間が自分の命をたっているのである。
 自殺は倒産のような経済的事情によるものが多いが、倒産を「恥」だと思い、噂話を恐れ、また社会システムが立ち直りをさせてくれない、融資もだめ、国そのものが大きな会社だけを借金棒引きにして、中小零細企業には最後までおいかけまわす、とういう奇妙なシステムも影響している。
 また戦後の経済成長を成し遂げた日本人の子育ての考え方が不十分であったことも考えられる。

 日本がよい社会だなどと思っている人は、この辺のところを考えなくてはいけないだろう。
 変死者の半分まで入れると15万人は突破する日本。自殺未遂はその3倍はあるというから、45万人が死のうと思っている社会は異常である。

 交通事故死は5000件。これを減らすのに、交通規制をし、罰金を増やししているのに、自殺をトータルに社会のシステムからも考えることが必要である。

 法律の本には倒産や破産をしたら「死になさい」とは書いていない。ところが法律ではな貸し手は誠意を示してください、といいぬく。道徳や倫理で日本人はせめてくる。

 私はこの国がまだ発展途上国であると断定しているのは、その辺のことだ。 

胎児の微笑

超音波診断装置を使って23週と1日めの胎児を撮影した。3分間の撮影で計6回、一回あたり4.7秒の微笑を胎児は見せた。その写真が今日の読売新聞に載っていた。
 私たちは母の心情、母を取り巻く環境が胎児に刷り込んでいく物語を「心のチューニング」で学ぶのであるが、その中で、想像でしかない部分があった。それは「息が詰まったり、悲しみを我慢したり」という微笑とは反対の表情である。微笑があるとすれば、その反対の苛酷な表情も「あるはずである。
 この微笑は自発的微笑と呼ばれ、外的な刺激と無関係と見られているが、私は無関係などとはいえないと思っている。
 母の愛情によって笑っているのか。人間はそれとは無関係に笑うものなんか。そのとき自律神経は副交感神経にシーゾーを傾けるのか。胎児は神経のバランスをとっているのか。

 私たちの体や心は過去に刷り込まれた痕跡である。新しく生き直すには過去の心も過去の体もリセットするしかない。日常の物の考え方た日常のしぐさや動き、これらをリセットすることが現在というものを変えるキーワードのように思える。
 過去の縛りから自由になること。
 どうやら人間はその手立てを必死になって考えているように思う。過去の縛りからの解放が多くの健康本、トレーニング本、カウンセリング本などとなって無意識に現れているのではないか。ヨガも、ロルフィングも、調息法も、ゆる体操も、過去からの脱皮を目指しているのではないかと思うのだ。

 来年も哲学したい。どうぞよろしくお願いいたします

植物だった頃へ

植物だった頃へ

 私たち生物が人類として変化してくるまで、私たちは植物の時代を経ている。その名残が腸管、内臓である。中心となるのは心臓であり、仲介役は血管である。
 一方私たちは動いて餌をとる生き方を選らんだわけだから、植物系の内臓などをうまく取り込みながら体壁系、つまり外皮、筋肉、脳が中心であり、仲介役は神経を発達させた。こういう話を生命形態学者である故三木成夫によって紹介されたとき、なるほど、と目からウロコが落ちたものだ。

 植物は宇宙のリズムにあわせながら食と性の相を繰り返している。
 太陽と地球の核に向かって根をおろす。せかせかと動いて獲物をとるのではない。静かにそこにいるだけである。 

 極端なことを言えば、瞑想はひたすら植物系に回帰しようとするようなものだし。オリンピックの運動などは動物的運動能力を競う極端なものである。
 横たわって、目を閉じて上皮をさすってもらうのは動物系の感覚器官を休め、植物系になろうとするものかのようである。わざわざお金を出してエステに行こうとするのは、おそらく動物系を活発化させて疲れてしまうから植物になってじっとしていたいということなのかもしれない。

 動物を選択した人間には完全な受身になる時期が生涯で二度ある。ひとつは生まれてからの乳児期である。その時、母の世界がすべてであり、母かそれに代わる人による世話がないと一年ほどは生きていけない。自分でどうすることもできないのである。これは不思議なことだが、人間だけがそうなっている。馬はすぐに立って歩きだす。人間は立ち上がるのに一年もかかるというのはどういう理由なのだろう。
 それはさておき、次の受身の時期は死ぬ前である。自分で体をどうにもすることができなくなると人の世話になる。まるで乳児のようになってしまう。
 実はこの「受身の時期」は忘れられないほど気持ちのよいものなのではないか。さすってもらう。乳を飲ましてもらう。あやしてもらう。汚物を処理して、オムツを替えてもらう。安心感、開放感を得る。
 
 お金を出してオイルマッサージをしてもらえる時代になった。わざわざ受身になりにいくのである。それも女性がいくようになった。疲れるのか、遠い過去に撫でてもらった記憶があるのか。私には植物になりにいくという比喩が一番よいように思える。

 そこに美しくなりたい、という願望もあるだろうが、私は実際の意識は撫でてもらいに行きたいのだろうと思う。エステテシャンに甘えるわけではないが、気持ちよくまどろむような体感を感じていたいのかもしれない。すると交感神経の興奮はおさまって副交感神経が優位になる。内臓も落ち着き、血管は拡張し、多くの酸素と栄養素を取り込み、ニ酸化炭素や老廃物は静脈やリンパを通して排出される。

 やや話がややこしくなる。
 母親を体験している女性は、一度男になる時期がある。それは我が子をさすり、乳を吸わせ、あやし、汚物の世話し、オムツを取り替える頃である。その時、乳児の口は膣であり、母の乳首は男の男根だとも言える。栄養をとらせ、不快感から開放させる母親は、同時に性的な接触を行っている。フロイトがそう言っている。吉本隆明もそう言っている。母と子はエロス的な関係でもある。
 この時、母は優しく、愛情に満ち溢れていると乳児は充足感をおぼえる。母親にイライラ感で接したり、自分本位で乳児に乳を飲まなかったり、無視したり、殴ったりする時期がある程度継続すると子供に充足感が生じない。

 一方母は夫にたいしては女である。男と女のセックスもほぼ同様である。さすってもらう、乳を吸ってもらう、あやされることする。射精を受け止める(処理する)、安心感、開放感を得る。
 すると母である女は、夫には女(または乳児)になり、子である乳児には男になるという役割を同時にこなさなければならない。
 私は男だから、どんな感じなのか知ることもできないが、夫と妻のセックスが充足感までいかないと、それは母と子のエロスにも影響を及ぼすことが考えられる。

 社会に出て働いて人間関係のことなどで疲れる女性は、母の愛情や慰撫の度合いの記憶、現在的には自分と夫との間の愛情や慰撫の度合いで充足感が違ってくるように思える。独身の働く女性ならば、母の愛情や慰撫の度合いの記憶、愛されていると実感する恋人の存在で充足感が各々違ってくるように思える。
 女性は知らずしてやっているようだが、女性の二役はそう考えればたいへんなことである。自分だって充足したい。

 エステに通う客はかつて乳児の頃に充足感がなかったのではないか、と時々思うことがある。エステテシャンから話を聞くと、仕事の前線に立って頑張っている人や、心のほうに緊張があって、体が固まっている人、することがなく家でゴロゴロしている人が多いという。いずれにしても現代社会の中で疲れていたり、ストレスがあるのだろう。またエステテシャンになろうとする女性は「人を癒してあげたい」と強く思う人がなる。これは私の学校に来る女性と話をしていていつも思うことだ。自分に充足感がなかったために、ある日マッサージをしてもらったらとても気分がよかった。こんなに気分のよいものなら、私も人にしてあげたい、と思うらしい。

 話は植物系のことである。乳児の頃よりずっと以前、精子と卵子が結合した直後ぐらいのことだ。私たちが植物と動物に別れる以前、まだ海綿のような時代だった頃の記憶があるはずだ。動かずに瞑想をしていることはひたすら植物系にまで記憶の回路を開こうとしているようにも見える。宇宙のリズムと呼応しようとしているように見える。ヨガに通うのは圧倒的に女性である。彼女らは心身の健康を意識して通うのだろうが、もっと根本的には植物になりきってしまいたい無意識があるのではないか。

 以上のことは本当かどうかはわからない。私はそんなイメージをもっている。女性が男性と同じように社会の中で働く時代。子供は親のものではなく、社会のものだという意見が出てくる昨今、充足感のない子供がますます出てくるはずだ。充足感がなかった頃のイメージで停滞してしまうと私たちの過去へのイメージは限りなく暗く、歪なものになる。私たちは過去の積み重ねで現在を生きているからだ。それを乳児や胎児の頃よりもずっとずっと遡って、植物あたりにまで近づくと自分で自分の存在を認識し、自分で癒すこともできるのではないかとぼんやり思う。でないとオウム真理教の信者のようにあれだけ人がじっと座って、瞑想することもないはずだ。私は瞑想をしたことがないが、インナートリップの中で太陽を浴びる植物と地下の地球の核のところまで根が伸びていくイメージを想像することができる。しかしそれが正しいかどうかはわからない。そんなイメージということだ。

 

脳が痛みをつくる

脳が痛みをつくる
 
   腰痛のある人にアドバイスしてあげてください。  http://blog.livedoor.jp/enomoto_asociates  にも掲載
 
   1.レントゲンであきらかに骨に異常がある人 (これだけでも腰痛にならない人が大半である)
   2.病院にいくほどではない。痛かったり、痛くなっかたりする。70%。
     2 は ボディーチュニングで治りますが、 1は ここまできたら無理な場合もります。 しかし腰痛は「心」かもしれない
     という疑いは消せません。このことも念頭においてください。
 
 
 推理作家の夏樹静子が「椅子が怖い」という本の中で、自分の腰痛を克服していく様を描いている。
ある日、腰に相当の痛みが出て、病院に行っても何の悪いところもない。椎間板ヘルニアでもない。脊椎分離症でもない。器質的に悪いところは何枚レントゲンをとろうと悪いところはない。東洋医学、西洋医学、民間療法、ありとあらゆるところにでかけ治療を受けるがどうにもならない。霊がいるという人もいた。それが憑いているから供養したらどうか。供養しに墓地にまでお坊さんと一緒に出かける。敷地内に水があるからいけないのではないか、と言われれば池を埋めることもした。東洋医学系の人はきまって、昔した帝王切開と腸閉塞の手術が悪い影響を及ぼしているのではないか、と言い、カイロプラクティスにいけば尾てい骨が歪んでいる等々、のことを言う。
 三年腰痛に苦しんだ。その腰痛は半端な痛さではなかったようだ。死にたいとさえ思った。
 なんやかやあって、最後に訪れたのは心療内科であった。そこの医師はTMS(緊張性筋炎症候群)筋を知っていたのではないかと私は思う。「あなたの病気は夏樹静子」ですよ。彼女の本名は出光静子である。
 
 私風に言えば、作家としての夏樹静子がやる気満々で仕事をしているし、ストレスがないとは言えないが充実して新しいことにも挑戦している。性格的にはせっかちである。推理小説ではなく、別のジャンルのも のも書きたいと思っていたがそれも成した。資料を調べるのもなにも億劫なわけではない。むしろ楽しい。  ところが本人のほうはそういうわけではない。潜在意識の中ではたいへんであり、その本人がやがて夏樹静子に悲鳴をあげはじめた。怒りをおぼえたのかしれない。
 最後に訪れ入院した心療内科の医師はこの腰痛は心因性のものだ、心身症だと断言する。夏樹静子は全く信用しない。思い当ることもないのである。医師は「夏樹静子をやめてはどうですか」と言って絶食療法を試みる。絶食療法中、かつてない激痛が波のように襲ってくる。
「一切の情報を断ち、なるべく注射もうたず、ほかに紛れようのない状態で痛みに耐えさせたのは、その姿勢を身につけてもらうためであったのです。症状を一足とびに消そうとしても無理です。まず共存すべを体得する。その次に症状が消えるのです。」「筋肉を鍛えるために運動する、という考えをきっぱりすててください。運動が悪いのではない。ただ筋肉強化と思って行うことは腰への意識集中を増強し、それがまた症状を増幅するのです」
 「病気の本態は筋肉弱化ではなく、疾病逃避であること。その解決には夏樹静子との別離が必要であること。そして出光静子として有意義に生きること。絶食して柔軟になったあなたの脳は、それを受け入れたのではありませんか」
 絶食期間が終わり、普通食に戻る頃、不思議と座れるようになった。医師とのカウンセリング、絶食療法が効果を表したとしか言いようがなかった。
医師は虚をついたように、「夏樹静子のお葬式を出さなければなりませんね。いつがいいですか」と言った。夏樹静子も夏樹静子の葬式を出すことにいつの間にか納得していたはずであった。
「ちょっと待ってください。もう少し心の準備が・・・・いったん葬ってしまったら、二度とまみえることはできないから・・・」  (中略)
「葬式と入院とどちらがいいですか」
「それは入院のほうが・・・・入院ならまた会えますから」
「では入院でやってみましょうか」
「はい!」
「夏樹静子を入院させたまま。あなたは出光静子として退院する。入院期間はとりあえず一年。ただしその間は外出外泊いっさい禁止、厳重な鍵をかけた部屋にあずかりますよ。夏樹としてのすべての活動を停止す るのです。出光静子としてしっかりと生きる姿勢を固めてください。」
「わかりました。必ず」
 

 アメリカのサーノ博士が提唱するTMS(緊張性筋炎症候群)は脳が痛みを作って、怒りが爆発して人格が崩壊するのを防ぐという説である。
 
 怒りだけは人生の中で抑えなければならないものである。我慢する。閉じ込める。怒ったあとの酒は翌朝にも鬱陶しい不快感を残すものだ。そのくらい怒りは出しておかないとあんまりよくないことは我々も知っ ている。小さい頃でも怒ると、「そんなことで怒るなよ」と言われ、会社に入っても上司に怒れば働き場所が窮屈になる。だから怒りを抑える。
 貯まりに貯まった怒り。これが爆発するとどうなるか。人格が崩壊しそうである。この怒りが前面に出てくるのを邪魔するのが脳である。脳はわざと身体のどこかに痛みを作って怒りが爆発するのを邪魔しようと する。これがDr.サーノが提唱するTMSという症候群である。主に腰痛を起こすという。
 これほど簡単明瞭に言えるものではないかもしれないが、夏樹静子の場合は彼女のせっかちな性格、やってしまわなければならない完全主義者という面から潜在意識のほうはクタクタになり、悲鳴をあげていた。
 
 脳は夏樹静子によって痛めつけられた出光静子に腰痛を起こし、彼女の性格が輪をかけて痛みを増幅させたととらえればいいのかもしれない。
 
 別のパターンを紹介する。
 ムチ打ち症。車を運転していて、後ろからドンと当られる。相手が悪い。相手は陳謝し、本人も病院にいく。やがて、病院では「もう異常はありません」と医師は言う。加害者からの支払いもストップとなる。な
のに、曇ったり、雨の日になると首が痛い。頭も痛くなる。なんで自分は後ろから追突されなければいけないのか。悪いのは私ではない。100%加害者が悪い。加害者の電話応対もぞんざいになってくる。怒りがこみ上げてくる。
 事故のときのショックからまだ立ち直れないのだ。これもTMSの一種だろうと思う。
 天気の悪い日がゴロゴロと家にいる。ゴロゴロしていると不調なところに意識が寄ってしまう。あの日の事故のことを思いだす。こんな私にしてしまった加害者を呪いたくなる。保険がでなくなっても許せない。
 このような場合、怒りを分類してみるとよいとDr.サーノは言う。「今さらどうにもならない怒り」と「今からでもどうにかなる怒り」にノートに書いて分けるのだ。さらにこれらの怒りについて複数の人と話し 議論をする。これはおそらくトークをすることによって、客観的に自分の怒りの質を見、認識するためだろう。夏樹静子の場合は夏樹静子として活動を停止させることで、腰痛が治ったのだった。
 ムチ打ち症の人の場合も、怒りを自分でどう処理するかで、これからの症状は違うのだろう。「気持ちの持ち方の問題だよ」なんて言うと、その被害者はムッとする。本人は体に症状があるのだから、体が整形外科的に悪いのじゃないかと思っている。自分のせいでとは思いたくない。ここが難しいところだ。
 ところが原因は「自分」であることもあり得ること。そしてそれは自分の納得や物のとらえ方によるものかもしれないこと、あるいは自分と他の人間との関係のしかたによるかもしれないことを知識としてもっていたら、対処する方法も変ってくるはずである。
 
●バリ島では「心のチューニング」を学習することができます。カウンセリング、催眠術、イメージ切り替え法などを学びます。
榎本は、美容と健康(予防医学)を同時に背負っていけるのはエステ店だと考えています。将来のエステテシャンを榎本は
「シントロピスト」と呼んでいます。シントロピストは的確な知識と技術で迷信ではなく、これまでの科学でわかっていることを的確にアドバイスをしえあげられる人です。 例えば、夏樹静子さんのような場合、こんな文をコピーしてあげて的確に情報を伝えます。こういうことが役割です。メルマガでは、アドバイスができることを時折綴ってお伝えします。
 
●11月24日は 12時から17時まで  御堂筋線 本町駅のつるやビル 第5会議室で セミナーです。
体幹温度を高め、マッサージに入るまでの準備や力の伝え方、などを指導します。
21000円。  バリ島講習体験者は10000円です。ご興味のある方、まだ最新の榎本の理論を学んで異ない方は、
ご連絡ください。地図なども送付します。
 



 最近 Locomotive syndrome(通称 ロコモ) という言葉が登場している。
メタボとは内臓脂肪が悪さをすることからなずけられた症候群だが、ロコモは関
節系の症候群をいう。
 東大が行った調査では推計4700万人がロコモであるという。その中で自覚
症状のない人が2800万人。

 あるとき、股関節に違和感を感じる。違和感を感じただけで痛いわけではない。
これはすでにロコモになっているということである。このままいくと必ず、膝や股関節
や腰が痛くなってくる。
 人間が二足歩行を始めるようになり、腰椎、骨盤、股関節、膝に無理な力(と
いおか人間であるゆえの力といおうか)がかかる。昔だったら痛くなるまでに死んでい
たのだが、この頃は長く生きる。これらの関節がその分耐えられないのだ。

 老化とは筋肉が少なくなり、また硬くなるということであるが、軟骨が擦り切れると
いうことでもある。筋肉で関節部分を支えることができたら申し分ない。
 ところがこの便利な世の中では筋肉を使うことも容易ではない。さらに食料摂取
過多で、人間の遺伝子は豊饒な食事になれていない。むしろひもじい食事の方
になれている。つまり現代人とは太る、余分な脂肪がつくようにできているということ
だ。血管の中までも太る。筋肉は松阪牛のようになる。

 この太った体重を支えるのは関節である。

 膝であれば、立ち上がるときには体重の3倍の力がかかる。毎日毎日私たちは膝
や股関節や背骨に負担をかけている。

 体に均等な力を配分して私たちの二足歩行ができるはずである。おそらくそう設計
されているはずである。
 つまり、歩くときには踵に重心がかかり、足ウラの小指側の骨、親指側の骨、足指
と瞬時に移動していくはずである。

 私は日本人の女性のほとんどがこれができないと思う。男性はそうでもない。なぜな
のだろうか。ヨーロッパに住む人々も、東南アジアに住む人々も歩き方に無理はない
ように見える。

 ところが日本人の女性ほど不恰好な歩きをする民族はいない、といいたいほどだ。
ハイヒールを履いて歩くとき、膝がおり曲がり、胸郭は閉じる。さらに足先は内側に向く。
 着物を着て歩くというのなら着物合った歩き方と言えるのかもしれないが、楚々と歩く
美意識や倫理のようなものがあったのだろうから、今なにも言うことはないが、はっきりといえることは、「靴」についてである。

 おそらく日本人の記憶に靴は新しいものだ。靴をはいて歩くという遺伝子が日本人に
は備わっていないように思える。靴が日常的になったのはまだ100年も経っていない。
  靴が大衆化したのは戦後のことではないか。
 女性はさらに遅いように思う。私の母なども靴を日常はいていたという印象はない。

 靴には高さがある。ここに無理に足にかかる力を寄せることになる。窮屈である。歩き
方が悪いと力が偏る。
 足指に異常な力の分散が生じる。
 人間の筋肉、それにつられて、骨は、足指、足首、股関節、骨盤、背骨、最後に首
の頚椎と歪んでいく。
 
 話を元に戻すと、ロコモの原因のひとつに「歩き方」と「靴になじんでいない日本人女性」
にあるのではないかと思うのだ。

 先日の講習会で、21歳の女性が出席した。彼女は内股でしかも高いヒールのあるサン
ダルをはいていた仕事上、膝裏を触らせてもらった。すると膝裏がコリにこっている。触ると痛いという。それはそうだろうと思う。
 足先が内側に向き、膝を折って前かがみになって歩いている。この不均衡な姿勢は膝だ
けでなく、股関節や骨盤、背骨、首と異常を起こさせるだろう。
 「靴」と「歩き方」が全く合っていないのである。

 私がよくいくハバリ人の歩き方ははっきりしている。どの女性も歩き方は同じである。足先は
30度外に向かう。
かかとが先につき、次に外側、内側と続く。ゆったりと歩く。せかせか歩かない。全く緊張がな
いように歩く。
 靴を履いている人はめったに見ない。ホテルや西洋人への接客業ぐらいの人が靴をはいて
いる。ゴムぞうりが一番快適なのだろう。

 ドイツにはシューフィッターは国家資格である。自分の足にあわせたオーダーメイドの靴を作
る。相談にのる。
 靴は歩き方を縛るものだから、相当神経質になるはずだ。

 日本人は歩き方がめちゃくちゃ着物風で、まだその癖から抜けていない。
 男性がやってきた武道は内股がよいはずがない。
 長谷川平蔵こと鬼平役の中村吉右衛門がテレビで歩く時は、確実に30度外向きあるき
である。能の舞も、歌舞伎の歩きも、剣道でも合気道でも同様である。

 NHKのクローズアップ現代でロコモの患者を取材して痛そうに歩いている女性を二人紹介
した。(2009年11月1日 放送) 歩き方を見ていると相当ひどかった。下駄だったらいいのかもしれないなあ、などと思いながら見ていた。コメンテーターである整形外科医は歩き方については何も言っていなかった。膝や股関節が痛くならないようにする運動を紹介していた。

 私は「歩き方」次に「靴」、この研究と、日常生活を西洋化することを選択した日本人はや
っと「歩き方」や「靴」に焦点を定める時代に入っているものと思う。ロコモ対策はどうもそこだと思う。

学校の公式ブログをつくる

 催眠療法を3日間勉強した。催眠のかけかたはわかった。それがどれほどのもかはわからなかった。催眠中にでてくるものが潜在意識と理解するのも早計であろうと思う。私の場合、未来はイメージとして出てくるのだが、過去のイメージが湧いてこないのが不思議だった。
 これはやってみないとわからないが、心の病に焦点をあてた場合、イメージの切り替えに催眠をかける、積極的な指示性のカウンセリングに応用できるのではないかと考えた。積極的に解決の方法や認識の方法を左脳からひきだし、新しいイメージとして右能に定着させるほうがよいと思える。
 過去は消去してしまうのではなくて、隅に追いやる。そして物の考え方を変えるのである。それがベストではないか、と今のところ思っている。

 ところで、BBT学校法人の公式ブログを作った。
 どうぞ、関心のある方、寄ってください。

 
 
執筆者 榎本順一 ●仕事 エノモトアソシエイツ 主宰/   バリ島 学校法人 BBTインターナショナルセラピストスクール 代表/   日本(株)BBTインターナショナル     エノモトアソシエイツ銀座校/    BBTジャパン/    よいとこネット/            ●著書   旅人たちの日々   英語の基礎工事   続英語の基礎工事   心のチューニング   エステ分析理論   海となかよし   
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