こころの時代

企業研修のファシリテーター、日々の雑感、徒然に

納骨式

summer

東京は8月に入って
どんよりした曇り空が続き、
雨もよく降っていた。

今日は久しぶりに
昼近くになって日差しが戻り、
納骨式の頃には、
今が夏であることを
思い出させた。


今日、父と妹の納骨式を
近親者だけでとり行った。


生前、父や妹とはいろいろあって、
何十年間も顔を会わさなかった。

それでも、立派な墓地の権利だけは
残されていて、二人のために
墓を建てることができた。


家族の形はいろいろだ。


日本人の家族観も以前と比べれば
画一的でなくなったとは言え、
それでも、やはり
あるべき家族のかたち、
あるべき親子のかたち、
あるべき兄弟姉妹のかたち、が
残されている。

その「あるべき〇〇のかたち」が、
当事者の間では都合よく用いられ、
それがお互いを苦しめる。

戦後70年以上が経ち、
かつての家族観に基づく人間関係は
現実にはすっかり崩壊しているが、
未だ新たなスタンダードは築かれず、
それ故、都合よく、
古き家族観が持ち出される。


今や、本当に
家族の形はいろいろである。


しかし家族観が変わろうとも、
人が社会に生きる存在である以上、
できる限り自立して生きる、
自助の努力をする、
これは生存の原理原則である。

人と人の助け合いは、
例え家族であっても、
この原理原則があって成立する。


不幸にして、この原理原則を
身に着けられずに大人になった人は、
文字通り不幸である。

本人はもちろん地獄だし、
周囲にもその不幸が連鎖していく。
気づいてみてもどうにもならず、
さらに苦しみが続いていく。


今日の納骨式では
特に不思議は起こらなかった。


久しぶりに照り付ける太陽の下、
皆、汗だくになりながらも
式は粛々と進められ、終わった。


夕方、空の遠くで雷の音がする。
また雨が降り出してきた。




納骨式の前に

Kawa










昨年亡くなった父と妹の墓が建立され、
明日、ようやく納骨式となる。

このことに先立って、
昨日、奇妙なことがあった。


ここ数日、何故か普段とは違う感じで、
やたらにやる気が満ちているのを
なんとなく自覚していて、
このこと自体がまずもって奇妙に
感じていたのだが、そんなことから
昨日は朝から、これまで放ったままに
していた身の回りのものもろもろを
整理・処分し始めた。

その流れで、今の居所に越してきてから、
13年にもなるのに、一度も開けることが
なかった引き出しを、なんの気まぐれか、
ふと開けてみることにした。

すると、長く見当たらなかった
家系図が出てきた。これは何十年ぶりかで
目にしたものだった。

そしてこれに続き、
墓地に関する分厚い裁判記録が出てきた。


実は、今回墓を建てた墓地は、
今は私の名義になっているのだが、
その前には複雑な問題があって
別人の名義になっていた。

それを親族が訴訟を起こし、
裁判で争い、最終的には和解を通じて
私の名義となって戻ってきた。
もう20年近く昔の話になる。

しかし、当時の私は
この問題の複雑さと重要性について
まるで認識がなく、今回発見された記録に
目を通すことさえしていなかった。

明日の納骨式を控え、
はじめて裁判記録を読んだ。

すると、身内が大変な努力を払い、
執念をもって墓地を取り戻したことを知り、
今更ながら身につまされる思いがした。
感謝の念をもたずにはおれなかった。


それにしても、
人生で初めて墓を建て、納骨直前に
こんなことが起こるというのも、
何か不思議な縁を感じる。

ただの偶然では片付けられない
気がしている。

明日も何か不思議なことを
感じるだろうか。




「働きがいのある組織」とは

My Father_01

「働きがいのある組織」とはどんな組織?

もちろん、「適正な給与が支払われる」ことは、
当然、重要である。しかし他には何が必要だろう?

私には明確に2つの条件がある。

一つは、その仕事に誇りをもてることである。

何も高尚な仕事である必要はないし、一般的に、
就くことが難しいと言われる仕事である必要もない。
自分が誇りをもてる仕事であるかどうか、
それが大切である。

私の職業キャリアには紆余曲折あったが、
今、私が私の組織で生業としている
ファシリテーターという仕事は、
一点の曇りなく、誇りをもてる仕事である。

そして重要なことは、もう一つある。

それは尊敬できる仲間がいることである。

Friends_02

今回、U.K.に、各国のマネジャーが一堂に会した。
私は10年間この組織に在籍しているが、
こうした人たちと顔合わせしたのは、
今回が初めてであった。

私の想像を遥かに超える素晴らしいハートの
持ち主ばかりである。圧倒された。

私は10年間、このような人々が作りあげた組織で
あることを体感してこなかった。

心から尊敬できる人とつながって仕事ができる
ということは、これほど素晴らしいことなのか。
そのことを体感した。

ビジネスにおいて、高いレベルで協力し合える
と言うことは、心震える感動である。

Friends_01

Friends_05

Friends_03

Friends_04




ウィンダミアの丘を歩く

カントリーマネジャーたちと
ウィンダミアの丘を登った。
丘と言っても標高1500メートルはある。

もちろんレクリエーションではなく、
いくつかのグループになって
歩きながら組織の未来、そのために
自分たちは何をすべきかを語り合う。

Windermere_03

残念ながら私は英語がダメなので、
通訳でフォローしてくれる仲間と歩くのだが、
日頃の運動不足がたたり、体がもたない。
とてもではないがこんな大事なテーマを
歩きながら、しかも通訳を介して話す
余裕はまったくなかった。

結局、私は、靴づれして痛む足を
かばいながら歩き続け、一人もんもんと
無意識に内省を続けていた。

Windermere_04

こんなことを思った。

目的やゴールが同じでも、
結局、そこにどう到達するか、つまり
プロセスの進め方が共有、あるいは
近い考えをもたないとコンフリクトが起こる。

同じ頂上をゴールにして歩き出しても、
てきぱき規律をもって歩きたい人がいる一方で、
景色や空気を楽しみながら、仲間と賑やかに
話ながら進みたい人もいる。

組織で仕事をする上ではゴール(Vision)の
共有が大切だという。

しかし、プロセスの進め方にこそ、
その人の好み、もっと深くつきつめれば、
哲学や信念が反映される。

「プロセスの進め方において合意をとる」

これは、口で言うほど簡単なことではない。
何故なら、ビジネスをしている限り
ずっと続くものだからである。

だからこそ、組織カルチャーは大切なのである。
そのカルチャーを大切に思える人々が集うことが
大切なのである。



苦しいなかで見渡したウインダミアの風景は
絶景であった。

Windermere_05



ウィンダミアでのビジネスミーティング

私の会社の本社は、
U.K.のウィンダミアにある。
マンチェスターで1泊した後、
移動してきた。

ウィンダミアでの滞在は今日で3日目。
カントリーマネージャーミーティングは、
2日目である。

ウィンダミアは実に風光明媚なところである。

Windermere_02

湖の周りを小高い丘が囲む。
人口の手による造作物は必要最低限しかなく、
大自然の緑とこころを開放する広い湖がある。

Windermere_01

この素晴らしい自然の中、
歴史あるホテルに招かれ、
各国のマネジャーたちとする
真剣な討議に参加できることは
心からの喜びである。


マンチェスター到着

ほとんどヒアリング力ゼロと
片言の英語で、マンチェスターまでやって来た。
今、マンチェスター空港前のラディソンホテルに
宿泊している。

昨日の深夜に着いたので、シャワーを浴びて
眠っただけ。

今朝、外は曇り。
頭は時差で、どことなく晴れない。

Manchester

今日はこれから本社のあるウィンダミアに
移動である。


不撓不屈の精神で

「大関の名に恥じぬよう、正々堂々と精進します」
昨日、大関に昇進した高安関が口上で述べた言葉だ。

いつから、こんなに口上のセリフが注目されるように
なったのだろうか。個人的にはここに注目する理由が
よくわからない。あまり関心が無い。

貴乃花 大関昇進

ただやはりよく覚えているし、インパクトがあった
のは、貴乃花関が大関に昇進する際に述べた口上だ。

「不撓不屈の精神で相撲道に精進します」

この言葉を聞いたのは、1993年のこと。
今から24年前、私が29歳のときである。

「不撓不屈」からは、貴乃花関の悲壮な決意が
「なんとなく」伝ってはきたが、今にして思うと
当時の私はあまりに若く幼くて、とてもとても
貴乃花関の悲壮な覚悟について、真に共感は
しえなかった。

しかし53歳になり、今にして改めて貴乃花関の
「不撓不屈」なる言葉を耳にしてみると、
今の自分は、この言葉に素直に共感できる。

とは言え、私は、困難に挫けそうになるのを感じる
から共感するのであって、「不撓不屈」の精神を
自分が体現できる人間だから共感するのではない。

人は、必ずしも悲壮感をもって生きる必要はないし、
私自身も決してそれを好むわけではないが、しかし、
真面目に生きていれば、どこかで困難に立ち向か
わなければならないのも人生である。

「不撓不屈」の精神というこの言葉は、
今の私には本当に力を与えてくれる言葉なのであり、
「言葉のもつ力」を、しみじみ感じるのである。


稀勢の里休場、白鵬のコメント

2017_5月場所ポスター

結局、稀勢の里が休場に追い込まれた。
ここ数日の取り組みを見る限り、止むを得ない。
琴奨菊との取り組みはわずか2秒で完敗。
何もできない状況だった。

こういう結果になるのなら
最初から休場してケガの完治に専念すべきだった、
そう見る向きも多い。私も心情的にはそう思う。

しかし相撲は興行である。見せ物である。
お客を喜ばせてお金を集めなければならない。
その看板役者が横綱・稀勢の里である。

稀勢の里が休場するということは、
主役の大スターが演目に登場しないのと同じ。
なんともしまらない興行となる。

そういう意味で横綱は、力士はもちろん、
スタッフ・関係者、相撲に関わる人たち
すべてを「俺が食わせてる」という自覚を
もつものである。

「横綱としての自覚」という言葉があるが、
これは、大相撲が本質的に興行であることから
するならば、このような意味になる。

だからこそ稀勢の里は
あれだけの大怪我をし、
ろくに稽古ができなかった状況であっても
休場せずに土俵に上がり続けた。

横綱として大先輩の白鵬が、
稀勢の里の休場についてコメントを求められ、
なんと言ったか。

「10日間、よく頑張ったんじゃないですか」


大相撲5場所 9日目の徒然

稀勢の里3敗

横綱・稀勢の里は今日、ついに3敗となり
3場所連続優勝は遠のいた。

しかし同じ田子ノ浦部屋の関脇・高安は
絶好調。1敗で横綱・白鵬、日馬富士を
追走している。

それにしても高安は強くなった。

カラダも一回り(腹回り)が大きくなって、
立ち合いの当たりに圧力を感じる。
振る舞いというか、相撲の取り口というか、
そのあたりも堂々としており、
すでに大関の貫禄は十分ある。

ときどき相撲は、こうした大化けする力士が
突然登場するのでおもしろい。

その意味で言えば、同じ関脇の玉鷲もそう。

今日は横綱・日馬富士に負けたけれど、
やはりその圧力は十分で、日馬富士は
立ち合い玉鷲に押し込まれ、危うく膝を着き
そうになったくらいだ。

30歳を過ぎてからの遅咲き。
なんとな~く地味で真面目そうな感じが、
昔むかしの横綱・三重ノ海に感じが似ている。

もっとも三重ノ海は玉鷲ほどパワフル
ではなく、相撲巧者のイメージだったけれど。

今日もっとも残念だったのは、日馬富士。
玉鷲には勝ったものの、土俵下に転落するとき、
足の親指を怪我してしまったらしい。

今場所は素晴らしいスピード、俊敏な動きで、
近年みたことがないくらいの動きのよさ。
横綱に昇りつめた頃の、黒ヒョウのような
日馬富士を思い起こさせた。

なので、この調子でいけば、今場所こそは
日馬富士が5場所ぶりの優勝だと内心予想
していたのだが。本当に残念。

もちろん相撲は最後までどうなるかは
わからないけれど。

「部下は自分を慕っている」の罠

DIAMOND ONLINで
経営コンサルタントの小宮慶一氏が、
「部下は自分を慕っている」と思い込んでいる
社長への警告を鳴らす記事を掲載している。

私も10年以上前に某企業で
人事部長の職にいたときに、大きな勘違いを
した過去がある。

部下を飲みにつれていき、食事を奢り、
プライベートな問題の相談にのり、すっかり
部下は自分を信用していると勘違いした。

信用とまで言わずとも、まさか嫌われてるなんて
想像もしていなかったが、退職した後、事実は
そうではないことが分かった。

彼らは単に私の部長という肩書、
すなわち「権威」に従っていただけであった。

今にして思うのは、部下に対して、
上司として最も大事なことは、
「上司として仕事ができる」ことである。

もちろん人間的な付き合いも大事だし、
部下への思いやりも大切である。
しかし、そこがクローズアップされても
職場における部下の信頼は得られない。

いくら人間味溢れる上司であっても、
部下はいざとなったら仕事のできる上司を選ぶ。
組織で本当に影響力をもっているところに
人は集まるのである。

元京大名誉教授・会田雄次氏の「決断の条件」に
興味深い記述がある。

天保8年大塩平八郎が世直しの蹶起を決断したが、
その決断の背景には、民衆も追随して起つことの
期待があった。

大塩平八郎は心から民衆の身を思う男だった。
しかしこの一揆はわずか8時間で鎮圧され、
平八郎は40日間潜伏したが、最後は発見されて
自決した。

平八郎の乱はなぜ失敗したか。
それは民衆が立ち上がらなかったからである。

なぜ民衆を思う平八郎の呼びかけが頓挫したか。
そもそも平八郎は君主でも権力者でもない。
そして民衆は一揆軍が訓練もされておらず、
意思統一もないただの烏合の衆に過ぎない
ことを見抜いていたからである。

冷酷にも平八郎は民衆に見捨てられたが、
これが現実である。

「決断の条件」P.25には次のようなマキャベリの
言葉が引用してある。

「民衆を真の味方にできるのは
君主(権力者)だけで、一介の市民が民衆を
頼ろうとするのは、ぬかるみの上に土台を
築こうとするようなものだ」

Niccolo_Machiavelli



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