こころの時代

企業研修のファシリテーター、日々の雑感、徒然に

天晴、貴景勝 初優勝!

貴景勝 優勝賜杯

また泣いた。最近よく泣くなあ。

小結・貴景勝が初優勝した。

場所前に貴乃花部屋がなくなって、
千賀ノ浦部屋に移った。

思うことはいろいろあろうはずなのに、
優勝インタビューでも一切そういうことを
感じさせるような発言もふるまいもなく、
TVで観ているこちらがポロポロ泣いているのに、
本人は一切表情を変えずに、淡々と答えていた。

芯の強い力士だ。

TV解説の北の富士氏の言葉を借りれば、
「この人はちゃらちゃらしたところがない」
そう言って精神力の強さを褒めていた。

175㎝、外国人の大型力士がわんさかいる
今の時代では小兵力士。
しかも突き・押し相撲の力士なので、
今後も上位でこのまま勝ち続けるのは
厳しいかもしれないけれど、応援したい。
今後の活躍を期待したい。


貴景勝の優勝を見て、
貴乃花氏はどういう想いでいるのだろうか。



PDCAサイクルに思う雑感

思考

仕事の進め方の基本はPDCAサイクルと言われる。

Plan→Do→Check→Act(Ajust)

シンプルだが、どのフェーズにおいても
難しさのポイントがあって、
いざ実務で使おうとするとそうそう簡単では
ないことがわかる。

体験学習の現場で
管理職クラスにみられる傾向としては、
特にCheck機能が甘いように感じる。

参加者自身の振り返りでも
そのような反省、発言が多い。

とりわけリーマンショック以降、
現場では人が減らされ、
プレーイングマネジャーが増えた。

マネジメントの基本であるCheck機能に
意識の及ばないプレーヤー管理職が
増えているという話もある。

一方で私自身の体験では
常に先に進むことを要請されている状況の中で
(仕事とはそういうもの)そもそもCheckという、
過去を振り返る行為は、感覚的に億劫だ。

Check作業は面倒くさい。

忙しさに身を置いていると、
好きなこと、楽なことから手をつける。
自ずとCheckは後回しになる。

いつか手を付けようと思っても、
時は進んで止まらないから、結局放置。
Checkがないから手戻りが起こり、
問題解決のスピードがあがらず生産性が落ちる。

負のループ。

そもそも意識で改善できれば、
すでに改善されている。

なので、仕事の進め方を変える、
何か仕組みをつくって強制的にCheckする
ストラクチャーをつくる。

何か工夫が必要、ということ。




映画『ボヘミアン・ラプソディ』

ボヘミアンラプソディ

映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観た。
1991年、エイズであることを公表し、
45歳で亡くなったクイーンのボーカリスト、
フレディ・マーキュリーの伝記映画。

非常に良かった! 星5つ。

大人になってから映画館でこんなに泣いた記憶はない。

最近は泣くことが良い映画の基準みたいなところも
あるので、こういう書き方は好きではないけど、
自分でも驚くくらい、後半は泣けた泣けた。

自分はリアルタイムでクイーンというバンドとは
同時代に生きてきたので、そういう近しさも影響が
あったのだと思う。


確かに伝記映画ではあるけれど、テーマは絞られていて、
フレディの人間としての孤独に焦点が当てられている。

表舞台ではこれ以上ないぐらい多くの人々に知られ、
影響を与える存在であるのに、その一方で耐え難い
絶望的な孤独に苛まれながら生きる。

このふり幅の大きさ、ギャップの大きさが、
より一層、孤独の深さと絶望感を強くする。


脚本、編集もよく練られていて、
いやらしく泣かせようとする映画ではなく、
テーマに焦点を当てながらテンポよく進む。


クイーンの音楽の素晴らしさも改めて実感できる
超おススメの素晴らしい映画でした。

FM



若手社員の皆さんにお伝えしたこと

お悩み_01

昨日まで某銀行の若手社員の皆さんの研修を担当していた。
研修の最後のコメントとして何をお伝えするか考えた。

大事なことは研修の中でお伝えしているので、
最後はセレモニーとして型通りのことをお伝えするのでも
許されるのかもしれないが、単に好みの問題で、
私には、どーもそう割り切れない。
で、毎回、参加者の皆さんを前に悩みだす。


とは言え、結局今回はこんなことを私なりにお伝えした。


「人生は経験を積めば積むほど、お伝えすることが無くなります」

と言いますのも、

「自分の人生ですから、すべて自分で決めるしかありません」

「自分の人生ですから、すべて自分で責任をとるしかありません」

「ですから、私がアドバイスすることになんてそもそも価値がない、
というのが、本音です」

「ですが、皆さんが若手で、これから長く組織で生きて行くという
ことを前提にして何か一つお伝えすることがあるとすれば、
『良い人を見つけてそういう人との関係性を大事にする』、
私はこのことをお勧めします」

「私が言う『良い人』というのは『気持ちが明るくポジティブ』、
そして『卑怯なこと、ズルいことをしない人』のことです」

「組織ですからいろいろな人と上手くやって行かねばなりませんが、
中でも『自分が本当に大切にする人を見誤らないようにすること』、
それが皆さんのキャリア、人生にはとても大切だと思います」


今、読み返してみると、つまらない話だと思う。

でも、やっぱり、これでいいと思う。

人生は複雑だが、
結局は、シンプルなとこに落ち着くものだから。



林檎と象の「獣ゆく細道」

研修の仕事で、都内のある施設に宿泊している。

今日の仕事が終わり、自室に戻ってTVをつける。

たまたま歌番組で、椎名林檎と宮本浩二をみた。

ringo&zou

「獣ゆく細道」、感動した。

身体の芯から沸き上がるような感動。

椎名林檎の感情を心の底から揺さぶる音色、
メロディー、宮本浩二のストレート、熱唱。


本物は魂を揺さぶる。


私はもはや若くはないし、大した能力もない。

しかし、
せめて姿勢だけは本物として生きゆきたい。


シメオネの真実

Simeone3

ネットで読んだシメオネ監督のコメントに感動した。

シメオネとは、
リーガ・エスパ二ョ―ラ、アトレティコ・マドリーの
ディエゴ・シメオネ監督である。

「プレーする方法は一つではなく、どんな方法だって
勝利することができる」

「監督としては、自チームの選手たちの個性を
どう生かすかを見なくてはならない」

「私は明確な一つのスタイルに固執している
わけではない。君たち(報道陣)がチームや監督の
立ち位置を決めているだけだ」

そして私が感動したのは次のフレーズだ。

「フットボールは素晴らしい。なぜなら、誰も
真実など手にしていないからだ。ここにある真実は、
勝つことのみだ」

要は、「プレースタイルに真実などない。
真実は勝つことのみ」ということだ。

この言葉こそが真実だ。

そう思うと、シメオネ監督の言葉にシビれた。

この言葉には、
自チームを勝利させることに命を懸けている、
評論家ではない当事者のみ語れる重みと、
強いパッションを感じる。

shimeone3

シメオネ監督は
優れた戦術家として高く評価されており、
それだけにそのプレースタイルについても
とかく論評の対象となる。

しかし、その当人が、
「プレースタイルに真実などない」と言い切り、
「真実は勝つことのみ」と断じているのだ。

まさに、
試合中、グラウドの自チームベンチ前で
体中から情熱のオーラを発散して指揮をとる
シメオネ監督のイメージそのものの言葉だ。



ビジネスのスタイルに真実などない、
真実は、顧客の満足を高め組織を成長させる、
これに尽きる。



生き方のスタイルに真実などない、
真実は、自らが自らの人生を懸けて決すること、
ただそれだけ、それだけが真実である。

shimenone1




名横綱・輪島大士、逝く

土俵入り 輪島

元横綱・輪島の逝去が報道された。
これまでの大相撲の歴史のなかで、
私がもっとも心惹かれた力士だった。

小学校・中学校の頃の話で、
父親の影響で相撲を好きになったころ、
その当時の横綱だった。

横綱・輪島は、格好良かった。

ライバルは横綱・北の湖。
この北の湖は体重も重くて体も大きいのに
めちゃくちゃ器用でとにかく強い。
強いのをさらに強く見せたのが、
ふてぶてしいキャラクター。

そんなライバル関係の輪島と北の湖は、
毎場所のように優勝をかけて千秋楽で激突。
当時私は子供だったこともあって、
千秋楽の日曜、夕方は、TVのなかの
大相撲ワールドに完全にトリップし、
興奮のるつぼ状態であった。

輪島と北の湖

輪島は、学生横綱から唯一横綱まで
登りつめた人で、もっと早く相撲界で
デビューしていれば、優勝回数も増えた
だろうが、それでも14回優勝というのは
当時では、大鵬、双葉山、北の湖に次ぐ、
大変な実績であった。

当時、輪島は「黄金の左」と言われ、
とにかく左の下手をとれば絶対に負けない
といわれるくらいの強さを誇った。

そういう「絶対的な武器をもっている」
というエピソードがまた格好良く、
さらに子供心に火をつけた。

「昔の力士は・・・・」
という言い方は、相撲ファンとしては
あまり使いたくないのだが、
それでもやっぱり輪島は、今から思うと
風格ある横綱らしい横綱、
昭和の名横綱であった。

ところが、現役を退き、その後、
花籠部屋の親方になったが、
借金問題などのスキャンダルが重なり、
結局、廃業、相撲界を去ることになる。

そして、プロレスラーに転身。

レスラー輪島02

子供ながらに、
このプロレスへの転身は、
いろいろ複雑な大人の事情を
抱えた上での決断だったのだろうと
感じていた。

私はプロレスも相撲と同じくらい
熱心なファンでいたので、
複雑な心境ながら、それでも当初は
活躍を期待をしていた。

しかし30代後半でのプロレス転身は
甘くはなかった。

とにかく動きがぎこちなく、
正直、胸が痛くなる思いだった。

輪島と天龍

それでもそれなりに見せ場は
いくつかつくったものの、
実際にレスラーとして活躍したのは
2~3年だったはずである。


横綱としては天才と言われたが、
一方で、派手な私生活と
当時としては型破りな言動は、
どこかこの人のその先の運命を
暗示しているようだった。


確かに、ある意味、輪島の、
周囲からは感心されない行動で
迷惑を被った人たちも、
直接、間接、いたにちがいない。

とは言え、何があったにせよ、
大横綱のプライドを捨てて、
大勢の観衆の前で、
不細工なプロレスを必死で
とっていた姿は忘れられない。

また、伝え漏れるプライベートの
エピソードでは、輪島の人の好さ、
周囲への心遣い、心根の優しさを
感じさせる話が沢山ある。


ここ数年は、癌の手術をして
声を失ったという。


訃報にふれ、
ただ昔を思い出しただけの者が
発する言葉など本来はないのだが、
それでも一言、

名横綱・輪島大士氏の
ご冥福を心からお祈り致します。

賜杯 輪島




再び、ファシリテターの仕事について

Facikitation

ファシリテターというのは、
議論のプロセスをデザインし、マネージする人である。

これはこの仕事の根本である。

「できるだけ参加者に自由に話てもらおう」という
意図それ自体は問題ないが、だからといって、
それはファシリテターが舵取りを放棄することとは
違う。

例えば、「職場の問題について話してください、
さあ、どうぞご自由に。どなたからでも結構です」と
参加者に振っても、それだけで自由な議論など
できるはずがない。

そこには、
ポジションパワーのある人、キャリアを積んでいる人、
実績のある人、声の大きい人、すぐに発言できる人、
他者の意見を聞かずに自己の意見ばかり述べる人・・・
などがいるわけである。

また、この例で言えば、そもそも話の的が大きすぎる。

一口に「職場の問題」と言っても、
人間関係の問題なのか、
作業の連携や協力の問題なのか、
就業規則やルールの問題なのか、
福利厚生の問題なのか、
要は、何を話せばよいのか躊躇してしまい、
意見が出せずに押し黙ってしまうことになる。

従って「どうぞご自由に」というだけでは、
「誰もが自由に話せる場」にはならない。

そこでファシリテターは、様々な工夫を凝らし、
できるだけ多様な意見を引きだしながら、
納得度の高い議論と結論を導けるように、
話し合いのプロセスをコントロールするのである。

これがファシリテターという仕事の「基本」だ。

なので、事前の打ち合わせで、
お客様である企業の担当者からのご要望も
プロのファシリテターの立場からは、
そのままは受け入れられない要望が
まま発生する。

このような場合に、どれだけ説得力をもって
その要望を受け入れられないと説明できるか。

とは言え見通しはあくまで未来のことなので、
「100%、企業担当者の要望は間違い」と、
断じきれない場合も確かにある。

だからと言って、ファシリテターがそこで
及び腰になってしまったら、始まる前から
敵前逃亡するようなものである。

そこは
ファシリテターとしての信念をもって
あるべき議論のプロセスと構造を
主張すべきである。

従って、
ファシリテターには経験が必要である。
どうすると上手くいくかはともかく、
どうすると上手くいかないかは、経験によって
学習される側面が大きいからである。

その意味で、ファシリテターが
プロとしての信念を持つに至るまでには、
相当な場数を経て、ときには思い出すのも
嫌な、苦い体験をする必要もある。

プロのファシリテターとはそういう仕事である。





貴乃花のエネルギーの向かう先

貴乃花 羽織

貴乃花はどこに行くのだろう。


理由はどうであれ、
貴乃花を親方として頼りにしていた
愛弟子に対する関任を放棄したことは
間違いない。

そして貴乃花部屋を支えてきた
後援会の人たち、支援者、
これらの人たちへの責任も放棄した。

理由はどうであれ。

これだけの人たちの
信頼を反故にするというのは、
それ自体、常人にはとても真似できる
ことではない。

貴公俊

貴乃花がそこまでして
通すスジとは一体何か。
そのスジは一体どこに
つながっているのか。

これだけの犠牲を生んでも
成し遂げたいものとは?

それによって
「犠牲を正当化する」などという
低次元の話ではない。

成し遂げられることの
大きさの問題なのである。

「大事を成し得る過程では、
犠牲も生まれる」などという
対価、犠牲の取引の話でもない。

貴乃花という存在が
どれだけ大きなエネルギーを
もっているのか、という話なのだ。


もちろん、そもそも
そんなエネルギー云々の話でもなく、
何も起こらないかもしれない。

もしそうだとすれば、
ただの偏狭な意見を押し通す
異常な頑固者にすぎない。

ただ、私にはそうは思えない。

この人が、
とてつもないエネルギーをもっている、
そのことは貴乃花のこれまでの
残してきた軌跡が証明している。

貴乃花というとてつもない
エネルギーの塊は、一体どこに
向かっているのだろうか。

貴乃花 土俵入り



貴乃花親方引退と人の幸せ

それにしても
今回の貴乃花親方の騒動からは、
人の幸せとは一体何なのだろう?
という、青臭いかもしれないけれど、
そんなことを思ってしまうのである。

前のブログでも書いたが
私たち世代の相撲ファンからしたら、
「貴乃花」はスーパースターである。

まさに不撓不屈の精神を体現したような、
常にガチンコ勝負の大横綱であった。

そんなスーパースターの心境を
想像するのは誠に僭越としか言いようが
ないが、少なくともここ数年来、
貴乃花親方の心の曇りは晴れることが
無かったのではないか。

今回の引退についても、
愛弟子たちのことへの想いを語り、
「断腸の思い」という言葉を
使って語られていた。

「断腸の思い」である。

政治家がよく使うので、
場面で使う常套文句のように受け止める
向きもあるかもしれないが、
今回は文字通り、
「断腸の思い」に違いない。

人生は、通して観れば
すべて自身の行いの結果ではあるけれど。

もちろん、
貴乃花親方の人生もまだ途中、
今回の件が、あとで振り返れば、
この後の「大きな実り」の起点に
なるのかもしれないけれど。

かつての大横綱・貴乃花の
一ファンとしては、そうなることを
願ってやまない。

貴乃花親方



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細木 慶信

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