やさしい聖書入門『創世記24:37-48』

57.信仰と不安のはざまで

 今回のかしょも、アブラハムのしもべがアブラハムのむすこであるイサクのおよめさんをさがしにいったお話のつづきです。

 今回のかしょで、この人はアブラハムにこう言われたと言っています。アブラハムの親戚(しんせき)がいる土地(とち)へいって、そこでおよめさんを見つけてくるようにと。でもそんなことを言われたって、相手(あいて)のあることなのでどうなるかわかりません。もしかしたらことわられるかもしれません。だからしもべは正直(しょうじき)に、アブラハムに自分のそのしんぱいを言いました。

 これにたいして、アブラハムは神さまがこの旅(たび)を成功(せいこう)させてくれるのだと信じていました。その信仰は“むやみやたら”なものではありません。自分の長い年月のあいだの経験(けいけん)で、神さまはちゃんとねがいをかなえてくださるということを―信じていたというよりは、「知っていた」のです。

 でも可能性(かのうせい)として、旅がうまくいかないかもしれないというのも考えられないことではありません。土地の人は見ず知らずも同然(どうぜん)のイサクのところへは、およめさんに来てくれないかもしれません。だからその人のしんぱいもまたもっともな話でした。

 でもじっさいに起こったことは、アブラハムの長年(ながねん)の経験が彼らにおしえたとおりでした。神さまは今回も真実(しんじつ)をまもられ、およめさんさがしの旅を祝福にみちびかれたのです。

 今回のかしょの後半(こうはん)では、この人が神さまにささげた祈りのことが話されます。神さまがもしもこの旅を成功にみちびいてくださるのなら、相手の女の人がこのしもべに水をのませてくれるだけでなく、10頭(とう)のラクダすべてにも水をのませてあげましょうと言ってくれるというものです。

 このような親切はいくらなんでもたいへんなものです。こんなことを言ってもらえる確率(かくりつ)なんて、言われない確率のほうがずっと高いでしょう。でも彼は思い切ってこのいのりをしました。そしてこのいのりがかなえられて、神さまのご真実がよくわかったとき、彼はおおよろこびでこのことをあかししたのでした。